舘 高重 詩集

 夕暮れ
朝から  木蓮が香っている
暖かいひざしが

静かに暮れてゆくのに 木蓮は まだ香っている

母上よ

私は蝶になりたい この夕暮れをとびまわりたい

 雪の夜

今日も一日暮れたが
宵口からの雪ははげしく
窓を打ちのめし
鉄瓶の湯気はいつしか
木枯れた匂になってしまう

雪夜の底冷たさは
ぐんぐんと身体にこたえるが
降りしきる雪の懐かしさは
私を少年時代にひきもどしてしまう

ふと窓を

開けて


 夏のゆめ

白き手よ
女よ
傷つける夢よ

かってはわが心に
開きし花よ
小指かさねし
朝々の祈りも
はかなく消えて

夏の木蓮の夢よ

あゝひとり身のさびしさ

 春の花
声をそろえて
風に翻っている子供らは
まるで 花のように見える

雲に隠れた蝶々よ
子供は深紅の花だなあ

 冬夜
灯はうすれ
吹雪窓に
つのり
父母なく
青春を病みつくす
あわれ

花かれ
鳥なく

雪きたれど
死ぬをいよいよ
おそれ

雪の夜
今日も一日暮れたが
宵口からの雪ははげしく
窓を打ちのめし
鉄瓶の湯気はいつしか
木枯れた匂になってしまう

雪夜の底冷たさは
ぐんぐんと身体にこたえるが
降りしきる雪の懐かしさは
私を少年時代にひきもどしてしまう


枇杷の実
いまは六月 
梅雨晴れの陽ざしも低く
屋根に照り返して
一粒一粒のビワの実は
磨き出されたような鮮やかさだ

果物の好きな病床の妻に
こんな奇麗なビワの出来栄えを話すと
どんなに喜ぶだろうと思えば
自分も嬉しい気持になって
足並みも軽く急いでいる

 夜
とぎ鎌か 電光を ふり上げたように
僕は非常に興奮を覚えてきた
たましいの いつわらざる 触感
僕は柔らかい処女の肉体を尊びます

いつも世の中が
今夜のように暗やみなら
僕のすべての意識をぶち砕いてもいい

しかしね 神様
僕は処女の発光を信じます 

 敦賀港にて
とりのこされた石炭が砕けて全く歩道になった海岸通りである
真赤な花が道ばたに咲いているのも何だか旅らしい気持がする
湖のように重みあるこの湾の内には午後の陽が素敵にまぶしい
ぽっかり浮いた第一艦隊の軍艦四隻
その周囲は蟻のような見物人の艀のむれ
波はへなへなと石灰岩の岬の方から玩具の船のように寄せてくる
それでも蛇のような波止場の腹へぶつかると笑ったようにしぶきを上げる
この下の渚で泳いでいる黒金魚のような漁師の子供がいる
おだやかな箱庭の眺望 敦賀の海は僕にとって二度目のフィルムだ 

 夜更
頬杖していた掌もすっかり汗ばんでしまった
今までよんでいた本の重みある色沢もあせてしまった
眼はたたかれたように軽い疲れを覚えてきた
夜がだんだんふけてくるとすべてのものが憂鬱になってくる
本箱の上の置時計はやるせなくうそぶいているようだ
いたずらに焦燥する心を押さえて昔の歌などをうたってみる
かたわれの恋 僕の運命のにおいを眼と耳で臭ぐ
もう再び僕が立てなくなったら青と赤と黄で体をぬりつぶそう

 午後
麦花におう田舎道から
畑を越えて 畑を越えて
歩調を揃えた兵隊がとおる
垣根の田んぽぽのような
あのうしろの人が大隊長だ

明るい空気がすき通って
気持ちいい青空だ
子供等は葉笛を高く吹き鳴らす

「兵隊さん
菜種の花が散っているので
寂しかろう」
 

 秋晴
からっとして空気まで透き通った
まぶしい秋晴のあおぞら

飛行機が細長い尾を引いて廻っているのが小さく見えて 実に荘厳です
限りない人生の大海原のようです。
(しかしこの間二台の飛行機がぶつかって
熟柿のように落ちてから時々秋の厳格がいやに寂しく私を襲います)

いい秋晴ですね もうこの頃は日向が好きになってしまいました
あなたの瞳にきれいな青空が見えます
あなたの燃えさかる青春がやさしい口唇の下からのぞいています
遠い遠い青空の涯をみつめていますね
あなたの美や 健康が安らかに高鳴っていますね
私は理屈屋で 矮小男で 醜い詩人です
私は世間からとっくに忘れられた夢想家です・・・・
そうだ 青草にすだく秋の昆虫類を踏み殺して
ここへ座ろうじゃありませんか
いつもはまるで乞食のようで望みのない愛を感じていますが
私はこの秋晴にもう戦勝したような気がします
私は贅沢を尽くしている百萬長者の息子のようです
おゝ十月よ あなたの瞳は秋晴れのあおぞらのようにすんでいます

秋空の幻覚よ 私を苦しめないでくれ

 殺風な夜景
まだ 捨てないのか どうした
女よ
唐辛子のようにそんなにてれなくともいい

僕はこの場末に立ってあたりを見張っている
そこでお前の機敏がお前の運命を支配する
今のうちそっと溝の中へでも捨てておしまい

何をぐずぐずしているんだ 気が弱いね
早くどうにかしないと いらない人がくるし
又この真黒で殺風な夜景が
お前のふところへとびこんだら最後
乳のあたりへ噛みついて心臓を滅茶苦茶にしてしまうぜ

さあ早く二人でこの夜景をのがれよう


 秋晴
からっとして空気まで透き通った
まぶしい秋晴のあおぞら

飛行機が細長い尾を引いて廻っているのが小さく見えて 実に荘厳です
限りない人生の大海原のようです。
(しかしこの間二台の飛行機がぶつかって
熟柿のように落ちてから時々秋の厳格がいやに寂しく私を襲います)

いい秋晴ですね もうこの頃は日向が好きになってしまいました
あなたの瞳にきれいな青空が見えます
あなたの燃えさかる青春がやさしい口唇の下からのぞいています
遠い遠い青空の涯をみつめていますね
あなたの美や 健康が安らかに高鳴っていますね
私は理屈屋で 矮小男で 醜い詩人です
私は世間からとっくに忘れられた夢想家です・・・・
そうだ 青草にすだく秋の昆虫類を踏み殺して
ここへ座ろうじゃありませんか
いつもはまるで乞食のようで望みのない愛を感じていますが
私はこの秋晴にもう戦勝したような気がします
私は贅沢を尽くしている百萬長者の息子のようです
おゝ十月よ あなたの瞳は秋晴れのあおぞらのようにすんでいます
(秋空の幻覚よ 私を苦しめないでくれ)


 僕と菜園の哀愁
土をなめて 土を抱きしめる
病弱で 見る影もない 蒼白い
僕はさみしい一人の百姓だ

茄子は地面から浮き上がったように
暗く重たく いそいそと 肥満する
悲哀なる動物の姿だ

どす青く ちりめんづらの南京が
小奇麗な奥様の食欲を増したり
または 蠅のようなか細い両手を誘惑する

泥を堅く踏みしめ 築城の土〇のように
丹精をこめてのび上がった唐辛子は
まるで青空をとかしこんだ生物そのままだ

甘藍の青虫は巨大な体躯の動脈を動かし
喰い尽した葉っぱの筋を静かに伝わって
痩せこけた軽い菜園の夕暮にかくれる

あゝ さて


 午後
麦花におう田舎道から
畑を越えて 畑を越えて
歩調を揃えた兵隊がとおる
垣根の田んぽぽのような
あのうしろの人が大隊長だ

明るい空気がすき通って
気持ちいい青空だ
子供等は葉笛を高く吹き鳴らす

「兵隊さん
菜種の花が散っているので
寂しかろう

 
 冬の指

火鉢にかざし
並べかえては眺めている
病に痩せた私の指 指
黒く堅く 働き疲れた母上の指 指を
思い合わせば
あゝもったいなし
勿体なし


 冬の日
雪の子供ら
雀の子供ら
空はまんまる
雪晴れの空

元気で歌おう

元気で跳ねよう
おじさんはここで
みせてもらいます

 郊外にて

アンテナの柱が
すくすくと立ち並んで
街は寂しい郊外を作っています

今日も郊外の陽だまりに座って
おだやかな気持でいれば
街のことが案じられます


 私
去年も今年も
遠き空を見る
母に叱られて

今更 不甲斐なき
涙のなかに
おもいでも深く
遠き空を見上げる


 のうぜんかづらよ
去年はもゆるような花をつけた
のうぜんかづらの木であるのに
今年はまだなんだ
あんなさみしい花を少しつけて
それで今年は終ろうと言うのか
のうぜんかづらよ
一体どうしたと言うのだ
僕は長らく病気でねているが
そんなことには気づかいなく
もっと もっと
庭いっぽいにもえあがってくれ
 
 
運命
金を積んで
病が治るならば
苦面して積み上げてみると
昨日も母が泣いた

病んでいると
金より命がほしい
いつまでも死にたくないと
今日も母が泣いた

夕暮れ

朝から  木蓮が香っている
暖かいひざしが

静かに暮れてゆくのに 木蓮は まだ香っている

母上よ
私は蝶になりたい この夕暮れをとびまわりたい


菜種の花
砂煙をあげて
野道を歩いていると

とぼとぼ
とぼとぼ霞んだ山の下あたりまで
菜種の花々は
狐に化かされている


 赤蟹
煙草をくゆらし ひとり静かに火鉢をかこみ
十一月終りのうすら冷たい夕暮の部屋で
越前みさきの荒波の下でとれる赤蟹を思い浮かべ
いつも粗悪で軽い下宿屋の食事をまっているのだ
あゝ 食欲よ ふるさとの夕餉は実においしくって
大根葉の生き生きとしたみどりと
父の形見の手ざわりよい僕の茶碗に母が盛り上げた新米のかおり
そしてぶっつりと太った赤蟹の一皿
そうだちょうど今頃は妹や弟ははしゃいだ明るい食卓をかこみ
僕にも赤蟹を食べさせたいと言い合っているだろう

 秋の来る日
どこへゆくのか
今日も流れる
白雲のかずかず

わびしく草をしいて
病みの身を横たえ
じっと空を仰げば
あついなみだがにじんでくる

あゝ秋がくるのか
空を流れる
白雲のつれなさ

 魚
何を書いても飯が食えない と
一昨年 親父に叱られた
なるほど うなづかれる
しかし おれだって人間だ
おれは
すてきな 針をもっている
今に見ろ
でかい 魚を釣ってみせるから

 車中
汽車は重たい車輪を引きずってゆく
古代蒔絵の人物のような人達をのせている
二度も三度もぬりかえられたニス病免疫の老いた箱だ
快活でなく健康でない病的でさみしい空気だ
恋人もなく暗夜もない悲しい天井だ
西瓜のような蝉翅のような夏らしい窓だ
まなつの太陽は不消化な田圃の稲葉をゆすりうごかす
まぎれこむむし暑い風 私はこれでもうすっかり中毒しそうだ

 庭園
まなつまひるのうら寂しい庭園で僕は黙ったまんま草を抜く
びっしょり一面に細かい雑草が生えているので手の入れようがない
心は懸命に働いているが先日より痒痛を覚えている右腰に
 時々折れるような感じが波よせてくる
いろいろの木で形作られこんもり茂っているこの庭園は
 葉から葉へすべり落ちた薄暗い太陽の光線でみちている
隅っこの雪見燈籠の上の蛙の眼は僕のにぶい指先をみつめている
庭園での呼物であるもみぢ葉の青味ある一すじの光線は
 僕の前の雑草のかいわれ葉に流れてきて小砂利に喰っ
 ついている蘚苔類の胞子嚢をも微かにゆるがしている
じっと落ちついているとこの庭園は深海底面のようだ
耳にこびりついてくる油蝉の声は魚のように上と下と横とに遊泳している
どこにもう一つの世界があるか この地面を掘り下げてみたい気もする
夏虫も鳴かず光りもなかったならば僕は自殺しているかも知れない
 
 或る時
月が出ているが 孤独で自暴な汽車のデッキでは何にも語られないね
あなたの白足袋は馬鹿に汚れているね
今年の春のような快活 こぼれるような微笑をどうしたんです
肩上げをとったんだね だが処女の誇りを感ずるでしょう
つるつると辷るような胸の曲線
セルの単衣にあなたの娘時代を包んでいるのですか
人なつこくあなたの赤い帯やパラソルが僕を眺めています
白蛇のように あなたは急に大人じみましたね
重たい因襲道徳や薄暗い貞操観念が心臓の中枢をねらうのですか
変にゆがんでしまった人生よ へらへらと燃え上がれ 歓喜よ
 
 萩の花

妻の名前は
萩子といった
だから
今年の萩よ
白萩の花よ
たいへんお前が
なつかしく見えてならない

 冬の指

火鉢にかざし
並べかえては眺めている
病に痩せた私の指 指
黒く堅く 働き疲れた母上の指 指を
思い合わせば
あゝもったいなし
勿体なし

 女の写真へ寄するの詩

女よ 夜の證明も暗く 数限りない幻想に酔いながら
いまごろは裏藪にひびく海鳴りの音を聞いているだろうね
昨日も今日も 透明な野山の景色にあきた僕は
お前の瞳をみつめていると しみじみ秋の深きを感ずる

 山百合
病を背負い
寝たきりの妻
痩せゆく頬は
ひかりもうすれ
ただかすかに息づくのみ

こんなに疲れない前に
もう少し看護したかった
病神は容赦なく
妻を縛ってしまった
こころもとないが
せめて妻の好きな山百合で
山の素朴な風情と清楚な匂で
病室を飾ってやろう

カンナの花
お前が最後に寂しく微笑んでくれたのは
あの真っ赤なカンナの花を見たとき

「カンナはこんなに赤いの・・・・・」
地上の美しき花の見納めに
お前が残したその驚きは
いたくも私の耳に保たれている

カンナは今年初めて植えた花だが
こんなにまで嬉しい記憶の花だから

いつまでも私の胸に植え込んでいて
お前の微笑みを忘れないでいよう

 似顔を描く
泣くに泣かれぬ追憶
みどり木しげれる静かさのなか
今日もお前の似顔を描く
春よりの病み疲れに
顔紅の色あせて
あゝ 頬骨のかくもさびしき
いくどか涙に濡れしこの画ペン
ふたたび口にふくみて
たんねんにお前の似顔を描く

 病んでいると
病んでねていると
雨の降る日は雨が悲しい
晴れた青空の見える日には
歩きたくなって
涙で心がいっぱいになる

 エンドウの花
さやエンドウが食べたいと思い
遅ればせながら播きつけたら
母が丹念に培い
この頃 花をつけるようになった

全体がやわらかいきみどり
支柱にまきつくひげの可愛さ
花は白く小さいけれど
ぽつぽつと咲き出した嬉しさ

病める身なればこそ
梅雨晴れの真昼に
こんな花でも眺めていると
気持のいいものである

 雪晴
外はすっきりと明るい
雪晴である
風があるのか
杉の葉がゆれている

三年このかた 私は
冬の真中を寝てしまう
あちこちの窓をながめ
雪景色を眺め
ひねもす寝生活

 つれなき
死んださきのことを
誰だってわかるもんか

病んでいると
死ぬことを考えない
明日に苦しみが
わかるばかりだ

 冬夜
灯はうすれ
吹雪窓に
つのり
父母なく
青春を病みつくす
あわれ

花かれ
鳥なく

雪きたれど
死ぬをいよいよ
おそれ

 無題
病の苦しみもうすらぎ
晴れた日 心も軽くなると
しきりに父母を思い出します

その面影を少しも知らず
暖かい乳房の覚えもなく
ただ生みすてられた不幸な私は
暖かい父母の胸に
かえりたいと思います

苦しい病も治らなければ
極楽浄土の蓮のうてなの

母の住家に参りたいと思います
そこには父も一緒でしょうから
 
 かれくさに

 ほとけひとりの
 ひなたかな

 絶筆
小さいときから自分ひとりでほほえんでいた大きな理想も、今は何処えやらあとかたもなく、言い古された言葉ながら相変わらず生きています。熱さ寒さにつまづき一年の大半を寝込んでいる生活を続けて闘病四年も残り少なくなりました。
病んでいればことさら肉親のないのは悲惨なものです。私も時には常識的反逆を感ずることもあります。
無事に昭和六年を迎えることが出来ましたら、その日から自伝風な感想を書きたいと思っていますが、只今は安静を強いられている境遇で死線を越えたばかりです。
近くの山々まで雪が迫ってきました。この頃はただ雨の音、風の音にわびしい明け暮れを送っています