5日〜8日、支援物資を車に積んで、岩手県へ行ってきました。 釜石港に打ち上げられた大型貨物船、1階の壁やドアがすべて流されてしまった釜石市民文化会館、街中に残る瓦礫や自動車、大槌町や陸前高田市は役場も病院も流され、海岸まで何もなく、ところどころにポツンと残る鉄筋の建物・・・どこかで見たような・・・写真で見た原爆投下直後の広島そのものでした。いったいどうして再生すればよいのか、ただただ呆然とするばかりでした。(10日の福井新聞2〜3面をご覧ください) もう一つ驚いたのは、津波の来なかったところは、外見上、何の被害もなかったようで、まさに、天国と地獄です。中越地震の時も支援に行きましたが、あの時は、傾いた家やブルーシートに覆われた家がたくさんありました。しかし、今回、傾いた家やブルーシートは殆ど見られませんでした。 被災者と言っても、おかれている状況は千差万別。家族が亡くなった人、未だに家族の行方が分からない人、避難所にいる人、仮設住宅に入った人、自宅にいる人、自宅は残ったけれど会社がなくなった人・・・おかれている状況によって、要求も千差万別。きめ細かい対応が必要です。ベニヤ板1枚で仕切られている仮設住宅にはプライバシーはありません。3軒向うの音も筒抜けで安眠できません。その上、暑く、蟻が入り込んできます。避難所にいれば、食料などが支給され、負担はありませんが、仮設に入れば支援は殆どなく、食料は自分で買わなければなりません。自宅が残っても、会社がなくなった人には、殆ど何の支援もありません。食料を買おうにも、周りに店はありません。 まず、被災者が何とか生き抜くための支援がまだまだ必要ですし、地域再生のためには、数年にわたる支援が必要です。 「百聞は一見にしかず」、一人でも多くのみなさんが現地に行かれることをお勧めします。そして、支援はどうあるべきか、あわら市の災害対策はどうあるべきか、ともに考えてゆきたいと思います。
5日に、「民報あわら」(原発特集)を福井新聞に折り込みましたが、早速、まきちゃんの日記で取り上げ、アップしていただきました。ご意見などをお寄せいただければ、と思います。 まきちゃんには、ただただ感謝、感謝です。ありがとう。
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