蛇塚
蛇塚は金津高校校舎裏の農道に向かって建っている。北金津宿内に入る道の左側一帯は田畑で、蛇が多く生息していたという。寛永六年〔1853〕大旱魃があり、農民は福井藩に嘆願し水を引いた。その工事中、不思議にも白い蛇が多く表れたので蛇塚と社を建立した。神社には、雲や雨を支配するという龍をまつり、さらに、琵琶湖の竹生島より弁財天を勧請して、蛇塚神社金龍大権現と称した。 明治初年、蛇塚神社は、金津町六日の市姫神社に合祀されて蛇塚のみが現在地に残った。蛇塚は、笏谷石造り、台座20cm、塚丈130cm、正面に「南」「世々かけて、八束たりほの豊年を まもらせたまへ龍の大神」、右側は「東」左側は「北」、裏面に「地」と刻石されている。蛇をまつり豊年を祈った農民の心情が伝わってくる。 蛇塚の左に笏谷石造りの影向堂がある。石扉の右が日輪、左が三日月で、のぞいてみたが石仏が安置されていない。伝えによると、手を合わせ拝んでいると、神仏があらわれ加護してくださるとのこと。(朝倉記) |