衣かけの大杉 「こせじ」
1.衣かけの大杉界隈の歴史 ・細呂木川の流域は土壌が肥沃で古代より田んぼが開けて奈良時代には村々が形成されてきた。 .・その後平安時代後期には細呂木地区の村は下記の通りとなり発展していった。 伊比政所村(いひまんどころむら) 牛屋村(うしのやむら)宇祢村(うねむら)青野木村(あおのきむら) 宮谷村西方寺村 高塚村 ひ山高畠村(ひやまたかばたけむら)橋屋村 吉崎村 滝平谷村 今道村(現在の細呂木)神官寺(現在の沢) 1. 沢の春日神社 . 平安時代初期(900年ごろ)醍醐天皇が保曾呂伎神(ほそるぎのかみ)に神位を贈られ社は郷を守る式内社となった。 .その後平安時代後期(1100年代)に白ノ11上皇が、細呂宜郷(ほそるぎごう)と旧坂井町の九つの郷を奈良の興福寺へ寄進し、各郷に春日神社を勧請(かんじよう)して河口庄の十郷十社となった。 ・沢(当時の村の名称は「神官寺刀の春日神社ほ+社の内の一社として建立された。 、当神社は牛ノ谷峠に通じる県道153号線沿いの山麓にある。 1.衣かけの大杉の生えている場所 ・衣かけの大杉は春日神社の参道入口の東側に生えており、あわら市指定の天然記念物となっている。 .大きさは樹周り4m、樹高15m、地上2mの高さのところに大きな枝を四方に垂れ、南側の枝は風雨にさらされ変色している。 .この大杉の種類は日本海側の多雪地帯に多く生育している「アシウスギ」で雪が多く積もっても枝が折れずに垂れ下がり、時には垂れ下がって着地したところから初根してあらたに更新することがあるそうです。. 1.衣かけの大杉の名前の由来 ・平安時代、沢の春日神社の前にみそぎをした池があったとのことです。その池で社人、社イ曽が衣をこの大杉の枝にかけて、池の水で身を清めたことから「衣かけの大杉」と言われるようになった。 ・大杉の木陰には石碑があり「お身すすぎの池、ころもかけの杉」と刻まれている。 .この大杉は、坂井市坂井町東荒井(|日木部東荒井)の春日神社の大杉とともに、昔の十郷十社に現在存在する2本の内の1本です。 ・神輿かつぎの者達が、衣服をこの大杉の枝にかけ、下の池でミソギをしたといい、これも九百年続けられたといいます。 |