16年06月日記

16/06/21
 
パソコンの調子がおかしくなって、ブログ書き込みが不可能となったので、しばらくの間、おやすみします。

16/06/20 今日は火曜日
 昨日の午後、あわら市の将来の障害者・高齢者の生活を憂いる60代の男性二人がやってきて、討論は四時間にわたった。 触発された私は、周囲に「俺は老い先短い」などと言っていずに汗を流そうと決意した。
 両人が帰ってから、逢坂剛著「断裂回廊」を読了。

 それはともかく
 パソコンが復旧したので、再び真面目にブログを書こうと思う。酒を辞め煙草を辞め、身体マヒの進行に悩まされている私が楽しめる唯一の趣味だ。

 16/06/19 無題


 昨晩、友人T氏が7月初旬の講演での相談にやってきた。6時就寝が定番の僕だけど、彼と話し合っていると眠気に襲われない。瞬く間に二時間半が過ぎていった。
 どうも僕は、隆慶一郎の強烈なファンになってしまったみたいで、一昨日から立て続けに四冊読んだ。本来なら、きょうも五冊目六冊目に挑戦したいところだが、員数合わせで「ピースさかい」の街宣に同行してほしいといわれたので、それは無理のようだ。
 あーあー、明日から又仕事だ。

6/06/16 無題


 昨日の昼の来訪者は女性。舘高重朗読会の朗読者の一人で、大きなキャベツふたつを持ってやってきた。
 彼女は、「高重の詩を深く掘り下げた講演会を開くべき」と、言う。
 そうするためには、詩人懇話会などからの人選が必要になってくるのではないか。
 それはともかく
  印牧氏著「あわら市の歴史と文化 」を新聞紙上で見つけました。
 なんというか
 ・・新選組にいた斉藤一の狂気をわかってくれたのは沖田総司ひとりだけだっただろう。立居振舞が優しかろうがなかろうが、男の世界には必ず狂気がひそんでいる。そして、狂気の発散だけが生を甘美なものとして終わらせる。

西暦 16年6月15日 水曜日 昨日の一日

 朝一番であわら市庁舎会議場へ行き、六月議会の一般質問を傍聴。もっとも、他にも用事があり途中退出などしたので、傍聴した議員は四人のみ。
 退出後は事務所に戻り、汗を流しながらひたすらCADに精を出す。
 夜は四人が集まっての会議。

 皆が帰ってからテレビをつけると、スポーツニュースは阪神の勝ち・巨人の負け・ソフトバンクの負けを報じている。
 まあまあいい一日だった。

西暦 16年6月13日 月曜日 新しい週の始まり

 深夜の1時から3時までの2時間、僕は幸せな時間帯を過ごすことができた。何故なら、 ユーチューブで森村誠一原作「刑事の証明」を見ていたからである。
 『悪魔の飽食』以外、この人の本を読んではいないが、「飽食」で展開された旧日本軍731部隊の犯した数々に対して身の毛のよだったのを僕は覚えている。

 「刑事の証明」では、殺人を犯した被疑者女性が寡黙であった。そして寡黙であることで彼女の胸中がより鮮明になった。主演の村上弘明がかっこいい。かっこいい男は粗暴でなくてはならないと、思った。
  寡黙な人間は表情が豊かだ。僕が手話通訳をやっていた頃、「聾唖者の表情は、形容動詞です」と、よく言われたものだ。
 今朝の僕は、警察署に居た。格子窓のついた小さい部屋で警察官と相対していた。とうとう逮捕されてしまったのだ。
 ・・というのは勿論冗談で、知り合いの聾唖者Kさん所有の敷地にゴミや産廃が不法投棄されているため、その相談のために、手話通訳者として随行したわけだ。Kさんの口からというか手から驚くような話が出てきたのだが、ここでプライバシーを書くことは許されない。
 それはともかく、不法投棄に関する罰則が強化されて、罰金が最高で一億円懲役が最高で五年間ただし投棄日から五年間を過ぎたら時効だとのこと。このブログをご覧のみなさん、気をつけてください。

西暦 16年6月11日 土曜日 設計稼業に勤しんだ今週も終わった

 
 昨晩の7時から8時半まで、坂井市の東十郷公民館に居た。「ピースさかい」結成総会に呼び出された為である。
 この時間帯は、ウイスキーグラス片手に本を読んでいるか沈思黙考しているか巨人軍の負けっぷりをテレビで見ているかいずれにしても至福の時間帯なのだが、呼び出されたとあっては仕方ない。
 
 これからは夜に呼び出される頻度が増えるかもしれないとの嫌な予感がする。
 愛用眼鏡の鼻あて部分の金具が破損して、CADもできないし本も読めない。仕方なく、購入した三国町イーザの眼鏡屋へ行って直してもらった。
 ついでにミスタードーナッツに入って、珈琲を飲みつつ隆慶一郎著「一夢庵風流記」を読み終えた。図書館で借りてくる本に対する面白かったか面白くなかったかの戦績は10冊借りるとして5勝5敗くらいだが、この本は明らかに前者に属する。

 以下に著者あとがきを紹介
 「前田慶次郎は現代では極めて知名度の低い人物である。
 理由は彼が歴史に残した爪痕がそれほど深くなかったからだろう。天下を狙った覇者でもなく、槍一筋で一国を掠め取った武将でもない。それにこの男はいつでも負ける側に属するという奇妙な性癖の持主だった。甲賀忍者から一国の大名に成上った滝川一益。名将上杉謙信の養子で、養父が死ぬが否や、義理の兄と戦わねばならなかった上杉景勝。共にそうである。たった一人、勝つ側に属した前田利家には、煮え湯ならぬ氷水を浴びせて我から逐電している。
 敗者の記録は勝者によって消され、あるいは書き変えられるのが歴史の常である。だから敗者に属して、しかも僅かでも名を残す者は人並はずれてすぐれた人間に限る。前田慶次郎はその数少ない男の一人だった。
 しかもこの男「かぶき者」である。別のいい方をすれば「バサラ」だった。「かぶき者」「バサラ」は、時の権力に逆うことをもってその生存理由とする。そして権威に逆って尚かつ生き延びるためには、格別の力を必要とするのは自明の理であろう。しかもこの力何の役にも立たないものなのだ。所詮無益な力なのだ。だがそこがいい。
 私がこの前田慶次郎と最初にめぐり逢ったのは、遠く戦前のことだ。私は旧制高校の生徒で、ボードレール、ランボウ、ベルレームの詩に耽溺するかたわら、時代小説を片っ端から濫読していた。その頃、誰かがこの慶次郎について書いたものを読んだのだが、一種の貴種流離譚の印象しか残らなかったように思う。加賀前田家の縁戚だということから生じた錯覚だった。
 次の出逢いまでにはかなりの時間がかかった。戦後、映画の仕事をするようになり、その仕事の中で石原裕次郎プロダクションで司馬遼太郎の原作で「城取り」のシナリオを書くことになった。この主人公が前田慶次郎だった。映画の仕事ではよくあることなのだが、この時もシナリオを書く段階で原作が出来ていない。短いストーリーがあるだけである。もちろん司馬さんの責任ではなく、石原プロ側がなんらかの事情で映画の完成を急いでいたためだ。そのために原作もなく、なんの史料もなく慶次郎を書く破目になった。当然出来は悪く、私は恥じた。終った段階で史料を探し始めるという逆の作業をすることとなった。そして見つけたのが「日本庶民生活史料集成」に蔵められている慶次郎の旅日記だった。
 この本は私の中にあった慶次郎のイメージを一変させたと云っていい。
 この旅日記の中にいる慶次郎は、学識溢れる風流人でありながら剛毅ないくさ人であり、しかも風のように自由なさすらい人だった。したたかで、しかも優しく、何よりも生きるに値する人間であるためには何が必要であるかを、人間を人間たらしめている条件を、よく承知している男だった。確かにさすらいの悲しさは仄かに匂うけれど、そこには一片の感傷もなく、人間の本来持つ悲しさが主調低音のように鳴っているばかりである。
 
 前田慶次郎という、戦国末期の時代をしたたかに、だが自由に生き抜いた一匹狼の新たなイメージが私の中に固定した。以後私はこつこつとこの男の史料集めにかかった。富山県の氷見に能坂利雄氏をお訪ねしたのもそのためだった。
 それにしてもとぼしい史料だった。だがその中で私は漸くこの男の別の一面を見た。恐ろしいいたずら好きなのだ。それこそ身を滅ぼしかねない、いや、絶対に滅すに決まっている場合でも、あるいはそれだから尚更、途方もないいたずらをやってのけるのである。
 それが私にとっては前田慶次郎の決定的魅力になったと思う。いつかこの男を書きたい。それが私の執念になった。
 週刊読売がその機会を与えてくれた。私はほとんど手さぐりしながら書いた。
 当然、原稿の出来は遅く、担当の池田敦子女史には入社以来初めてと云われるほどの御迷惑をかけることになった。
 出版に際しては出版局の関根祥男の望外ともいえる御好意と御世話を受けた。ここに深甚な謝意を呈するものである。
                平成元年二月十六日          隆慶一郎

暦 16年6月10日 金曜日 きょうは暑い
 
 
昨晩の7時、歯科医のSくんがやってきた。
 「先日の舘高重詩集朗読会の評判がいいそうですね」と言われて、嬉しかった。
 彼は続けて「今回を機に、例えば丸岡の一筆啓上賞のようなものを目指したらどうですか」と、言う。
 これに類する意見を何人かから聞いていて、実現できたら面白いだろうと、ブラックニッカを飲みながら思う。
 ところてんを食べてからうつらうつらとしていた本日の昼下がり、七月の国政選挙に比例区で出馬するYさんがやってきた。 きょうは、あわら市内を遊説中だとのこと。
 僕は「人間すべからく色好みでなくてはならない、その点では典型的な色好みの私が参考になる」と、申し上げた。
 夕刻にとんぼさんがやってきた。あわら市は印牧先生に感謝状を贈呈するとのこと。

西暦 16年6月9日 木曜日 串茶屋民族資料館
 
 
昨日の午後、僕は石川県小松市にある串茶屋民族資料館に居た。
 この界隈にあった遊郭群は、加賀藩二代藩主・前田利長が那谷寺造営の折りに集まったたくさんの労働者たちに対する慰安の場としてこしらえられたものである。
 館長から歴史を聞いた際にひと際目を引いたものは遊女たちの毛筆の美しさ。金津からこちらへ来て遊女となった女性の身請け証文も壁に貼ってあった。

 資料館を出てから、館長の案内で遊女の墓地に行った。
 
 亡くなった遊女のそれぞれの墓には、俗名と源氏名が刻んである。

西暦 16年6月8日 水曜日
 昨晩のこと
 
 昨晩の事務所は、九条の会打合せの場となり、4人が集まった。集まった時、テレビの巨人vs西武戦は西武が巨人を引き離しにかかったところだったので、テレビ画面を消すのが忍びなかったが仕方ない。
 最後は、公共建物入札についての論議の場となった。普通、設計事務所が建築価格の見積書を提出して、行政側がすの数値に歩掛をしたものが予定価格の上限となる。入札に談合があったかどうかは入札最低価格と予定価格との距離の大小が目安となる。当然のことだが、距離が近ければ疑惑が生じやすく、大きければ生じにくい。疑惑をなくすためには、建物の大小に応じて施工実績や技術員の数などにラインを設け、なおかつライン上の施工業者が誰でも入札に参加できる電子入札とすべきだろう。
 ただし、こうした場合、各自治体の地元施工業者から不満が出やすい。地元業者は各自治体への税金納入者なので、なんらかの特典を配慮すべきという声になる。これも当然だ。

 皆が帰ってからテレビで西武打線の爆発による勝利を確認したのちは、隆慶一郎著「一夢庵風流記」を読む。
 

西暦 16年6月7日 火曜日
 偶然なのだろうが、昨日の夕刻に男性三人が次々とやってきた。五時を過ぎていたので、僕はコップ酒を飲みながら応対した。

西暦 16年6月6日 月曜日 きのうの日曜日 

 宮尾登美子著「平家物語」(全四巻)を読んでいた昼下がり、福井市の語り部・さんが超辛口純米酒「春麗」を抱えてやってきた。
 
 
 数日前の県民福井に紹介記事として出ていた印牧邦雄著「あわらの歴史と文化」がまだ残っていないだろうかということで来たのだが、既に僕の手元には一冊もなく、「それでは」と、彼は印牧氏宅目指して去って行った。

 日曜日ということでどこへ出かけるあてもない僕の眼前にこういう麗酒があると、栓を抜かずにはいられない。
 飲むほどに酩酊する。酩酊のなかで読み進める平家物語には独特の味わいがある。

 三国湊と高見順のその後 高間家・円蔵寺・鎌倉

 高見順は徴兵検査を受けるとき、祖母の骨を埋めるときと、戦時に書籍を疎開させるために三国を訪れている 50歳のとき「作家故郷へ行く」の雑誌企画によって昭和31年故郷三国を訪れる 故郷喪失と自らを言ったが、思わぬ町民の歓迎を受け、自然に触れることによって、その心のありようも少しは変わったように思える 「故郷の荒海は、それが故郷のものであることによって、私のどこの荒海ともまったく違ふものだった。さうした故郷の荒波が、私を鼓舞してくれた。故郷は私を愛し鼓舞してくれたのである。自分を故郷喪失の人間とおもひこんだ私が、故郷を愛する心を自分のものにしえたのはこのときだった。」 と書いている
高見順の墓は、三国町宿二丁目の円蔵寺の高間家の墓の横にある 鎌倉東慶寺の墓はここから分けられたものである
夏には「荒磯忌」が行われるが、今年は高見順没後40年目である

 
昨晩、インターネットでこの文章に出合った。
 30年ほど前、このお寺の庫裡の改修設計をしていた折り、図面作製に疲れた時に読んでいたのが高見順著「敗戦日記」で、住職(現在の住職のお父さん)から高見順と円蔵寺にまつわる諸々をうかがったことがなつかしく思い出される。


西暦 16年6月4日 土曜日 昨日の一日


 昨日の朝、とんぼさんが、四つの短編を持って来た。
・山月記(中島敦)
・羅生門(芥川龍之介))
・高瀬舟(森鴎外)
・走れメロス(太宰治) の四つだ。これらだと、朗読時間は30分くらいで、音楽とのコラボになじむとのこと。
 明社総会での記念講演の内容が決まった。
 「音から始める町づくり」(講師・達川秀三氏)。
 午前五時で外は十分に明るい。北潟湖畔の某建物建設予定地目指して、車を走らせよう。

西暦 16年6月3日 金曜日 パソコン復旧
 昨日の夜から、パソコンが使えないような状態になっていたが、本日の午前中にやっと復旧。
 勿論、自分で復旧できるはずもなく、市役所職員の手を借りてのものだった。
 それにしても、若者たちはパソコンの操作環境をよく知っている。我々高齢者にとっては脅威だ。


西暦 16年6月2日 木曜日 手のひらのメモ

 夏樹静子著「手のひらのメモ」を読み終えた。保護責任者遺棄致死罪で被告となった女性を裁く立場となった裁判員一人ひとりの複雑な胸のうちを造形描写した小説で、この手の小説は僕にとって初めてだった。

 オビにはこう書かれている。
 「広告代理店で働くシングルマザーの種本千晶は、社内でも将来を有望視されているデイレクターだった。
 彼女には喘息で苦しむ保育園児がいたが、大切な会議に出席するため子供を家に置いて出社し、死なせてしまう。子供に傷などもあり、検察は千晶を「保護責任者遺棄致死罪」で起訴。有罪になれば、三年以上二十年以下の懲役刑となる。
 市民から選ばれた裁判員たちは、彼女をどのように裁くのか?
 そして読者の貴方は、有罪無罪どちらに手を挙げるか?
 法曹関係者もうならせたリーガルサスペンス!」

 途中で、思わぬ新事実が出てきて意外な展開となるのだが、人が人を裁くということがどういうことなのかを、行間は問い続けている。

西暦 16年6月1日 水曜日 きょうから六月


 午前五時に、僕は北潟湖畔に居た。
 
 設計を委託された建物の敷地を測量するために行ったのだが、湖面の朝陽による反射を見ることは一服の清涼剤となった。
 午後は、横山たつひろさんとあわら市内を同行。午後四時半に事務所へ戻ったが、リハビリになったとはいえ、いささか疲れた。