17年06月日記

水曜日, 6月 28, 2017
 昨夜は右足の痛みによって殆ど眠ることができず、きょうは朝一番で整形外科へ。 処置やリハリビを終えたあと、「しばらくの間、体を動かさずに安静の生活を送ってください」と言われた。
 CADと読書の生活が続くのだろう。 

月曜日, 6月 26, 2017 昨日の一日
 一昨晩の山川市議事務所での飲み会(泥酔会)での疲れ取りで翌日(つまり昨日)の午前中はベッドで過ごした。

 午後は「あわら市 湯のまち公民館」二階大ホールへ。平成29年度あわら市明社通常総会が開かれたためである。

 今年は総会の流れをちょっと変え、総会議事に入る前の冒頭に記念講演を持ってきました。
 その理由ですが、2011年3月11日に起こった悲惨の極みとも言うべき東日本大震災はその後の日本の在り方を大きく変えさせつつありますが、本日の講演者・川崎葉子先生も被災者の一人で、ここ福井の地に移住して復興支援活動をなさっていました。こういう方の貴重な講演は、本日の明社総会の来賓の方々(前川副市長、笹岡県会議員、関社協長)にも是非とも聞いて頂きたいというのが、記念講演会を先にもってきた理由です。・・云々と僕は述べた。

 講演が始まった。
 
 太平洋戦争時のゼロ戦のようなパワフルで回転力の速い語りが一時間続いた。

 彼女を見送ったあとで始まった総会冒頭の来賓祝辞では、来賓三人とも彼女の語りに称賛の意を表していた。

金曜日, 6月 23, 2017  無題
 本日の午前中を整形外科医院で過ごした。昨晩、腰の激痛に耐えかねて一睡もできなかったためである。
 腰部レントゲン写真をみながらの医師の説明によると、神経がすり減って痛いとのこと。点滴、及びリハリビで午前中を過ごした。「勿論、お酒などがぶ飲みしてません江ね?」との医師の質問に答える私の答えは「うーん・・むにゃむにゃ・・」だった。続いて彼は「安静が必要です。急用の無い限り、ベッドで横になっていてください」と、言う。僕は「もちろんです」と答えた。

木曜日, 6月 22, 2017 無題
  しばらく、安静生活に入ります。
 昨日に古民家再生倉庫で見た、ものすごいぐねぐね松。
 10数メートルはあったろう。


水曜日, 6月 21, 2017 無題
 日本論 姜尚中×佐高信
 佐高私はよく講演で「善男善女諸君」と言って冷やかすんです。「私は善男善女というのを決して褒め言葉としては使っていない」と。いま言われたように、優等生が最初にファシストになるわけです。魯迅は「自分は天国に行きたくない。天国というのは聖人君子のいわばいい人の行くところらしいから。私はいい人は嫌いだから、天国に行きたくない」と言っている。そういう苦しみを少しでも持てないものか。ところで姜さんの魯迅体験は?

  姜→「吶喊」自序や藤野先生」に出てくる、仙台留学中に中国人が殺される幻燈を見るという場面を読んだ時に、深いアイロニーを感じるわけです。それはたとえば9・11や湾岸戦争の時に、アメリカに移り住んだアラブ人がテレビのチャンネルをひねると、白人のアメリカ人が、髭をはやし胡散臭いアラブ人を叩いて、ハンバーガーをかじりながら笑っている。それを横から別のアラブ人が無関心な顔つきで見ているーそんな番組を見て、いたたまれない気持ちになるという現実につながる。あるいは北朝鮮はとんでもない国だと、北の滑稽な映像を見て日本人が笑う時に、一緒になってそれを笑う韓国人や在日の人がいるかも知れない。それは、ある意味では自分を笑っているわけです。それはある意味では自分を笑っているわけです。僕はそういう状況についても考えます。・・


今朝、加賀市で見た小松石の石切り場。遠景だが、充分にアートだ。
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火曜日, 6月 20, 2017 無題
 きのう
 「あいつは根はいい奴だが、性格がルーズで友達がみんな逃げて行ってしまった」という僕に関する噂のあることを風の便りに聞いた時、大笑いしたあとで、つくづく「本当にそうだなあ」と思った。
 ただし、「僕がみんなから逃げた」という側面もある。
 セミリタイヤーして事務所にこもる日々が多くなった。自然、人付き合いは減る。 いまではせいぜい数人か。

 でも、「晴耕雨読」にはなかなか充実感がある。
 右足の痛みが激しく、整形外科の医者からは「絶対安静」と告げられた。選挙が終わった今、絶対安静は不可能ではない。横になって本を読んでいればいいだけの話だから。
 けれどもこういう時、僕が慕う女性の顔を見たくなる。そこで昨日は一緒に食事をした。食事が美味しいかどうかは食事の内容にも拠るが、誰と食事したかに拠る。勿論大変美味しかった。そして、足の痛みも消えた(ような気がする)。

 世間は「医食同根」と言っているが、もっと深読みすれば、「医慕同根」だ。

月曜日, 6月 19, 2017 無題
 昨晩の午後9時半からあわら市議選の開票が始まり10時50分に順位が出揃った。
特筆すべきこととして
 僕は別の陣営にいたのだが、しゃべり相手飲み相手の共産党・Yさんが通ったのが嬉しい。
 明け方に船橋聖一著「新・忠臣蔵」(一巻~四巻)の一巻を読み終えた。読み進めるほどに感情移入が強まり、いまの僕は、播磨国赤穂城から赤穂の街を眺めて煩悶する大石内蔵助その人となっている。
 花に嵐のたとへもあるさ さよならだけが人生だ  井伏鱒二

日曜日, 6月 18, 2017 無題
 選挙戦が終わり、今、ぼーっとしている。

 僕は四度選挙戦に出たが、いづれも、かつがれてマイクを握る側だった。けれど今回は裏方の立場だった。そのことで裏方の立場のしんどさを十分知った。妻を筆頭に裏方で支えてくれた人たちに敬愛の念を捧げたい。
 と同時に今の選挙戦の在り方を変えていかねばならないとも思った。人物本位政策本位で選ぶのが市民の為になることは当然で、であるならば、立候補者を市庁舎政庁にでも集めて討論させればいい。
 

土曜日, 6月 17, 2017  きょうが告示最終日
 学生時代の友人から電話がかかってきて、「日曜日にそちらへ行く。会おう」と、言う。まさに「友あり遠方より来たる。又楽しからずや」で、日曜日が待ち遠しい。

 十数年ぶりの逢瀬となるので、顔貌は随分変わっているだろうが、不思議なのは声だ。電話口から聞こえてくる彼の声は全く昔のままである。顔貌が食生活や生活環境どで年代に応じて変わっていくのに対して声が不変のものであるとあるとするならば、「変装の名人」は一般人には不可能な声の制御術をもっていたことになる。どうしてそれが可能なのか、興味がある。

金曜日, 6月 16, 2017 一週間ぶりに
 何人かの人から、「ブログの書き込みがないので心配している」との電話があり、恐縮している。書き込めなかった理由は昨日のブログに書いたが、突然の蒸発あるいは突然の死ではない限り、後手にならないよう、事前に書き込みます。
 さて
 あまりの痛さに耐えかねて整形外科へ行き、痛みのある部位のX線を撮ったところ、「血液のなかで石灰化しているところが内股に二ヶ所ある。原因はこれでしょう」と言われた。
 とりあえず投薬治療を始めたのだが、痛みは同じだ。再度、医院へ行って診療を受けた結果、局部に注射をうつことになった。僕は注射が大嫌いで内股に針が差し込まれる時思い切り歯を食いしばった。投薬量が多いせいか差し込んでいる時間が長く、痛み乃至は痛みへの恐怖が続いた。
 処置が終わり退出する時、「できるだけ安静に」と、医師が言う。
 「だけど僕の唯一の親類が市議選に出ているので、選挙事務所に行かないわけにはいかないんです」と、僕は答える。とまれ、告示期間は明日までだ。
 来週からは阪神の試合を見ることができる。ゆっくりと小説を読める。設計作業も再開できる。
 

水曜日, 6月 14, 2017
 
 一週間ぶりにホームページソフトが復旧。
 今晩から、又、ちんたらちんたら書き込みます。
 

日曜日, 6月 04, 2017 きょうは仕事仕事
 ええっと
 昨晩はあわら明社役員会でテーマは本年度総会について。「阪神vs日本ハム」の進捗状況が気になっていたのだが、会議の場に入ってそのことは忘れた。
 僕の横には明社副会長就任予定の達川氏が座っている。
 意見がたくさん出たのは、「総会での川崎さん記念講演」の配慮について。
 そのあとは「山羊牧場」についての達川氏の独演会となった。
 

土曜日, 6月 03, 2017 ちょっと思ったこと
 昨日はあわら市議会最終日。きょうから18日投票の市議選目指して立候補予定者たちは走り回ることになる。
 立候補予定者(敬称略)は、森・笹原・三上・毛利・八木・平野・卯目・杉本・坪田・山田・向山・杉田・吉田・山本・山川・北島・角谷・仁佐・堀田・室谷・山口・濱中の22名。特に旧金津地区は4名オーバーの激戦区となる。
 個人的な思いだが、時代も変わったのだから 、立候補者を市役所正庁に集めて政治信条を語ってもらうことにすればいい。その映像をインターネットで市内各世帯に配信すればいい。そうすれば市内をマイク連呼の騒音公害から守ることができる。

 僕は4期議員を務め、脳内出血で後遺症を残したこともあって議員を引退したが、4期の間、議員をやっていてよかったという思いがある反面、議員をやっていて失った諸々があることも実感する。かつその計量差を測定することができない。
 ままよ、人生はプラスマイナスゼロだ。人生は永遠のなかの一瞬だ。

木曜日, 6月 01, 2017 無題
 
 今朝も未明に目が覚めたが、雨が降っている。時折雷の音が聞こえる。4時頃に聞こえた音はすさまじく、近所に落ちたかと思ったほどだ。
 雷の語源は神鳴り(かみなり)で、要するに神の怒りである。
 世界の国々で起こっている醜悪な争いなかんずく国家主義リーダー達の横暴に対する怒りの鉄槌である。このことを考える時、いつも頭に浮かんでくるのは、かって小松左京が提唱した世界連邦。