18年08月日記

西暦 18年8月31日 金曜日 8月最終日
 始まった高速増殖炉「文殊」廃炉作業の映像をテレビで見ていて、ナトリウム漏れ事故現場に行って感じたおぞましさがまざまざと蘇ってきた。
 原発再稼働賛成反対に関わらず、小野寺氏講演にお越しください。
 
 さて
 今日の午前中は、三国町・新保村の法慶寺を訪問、九頭龍河畔を眺めながら、住職の阿古江氏と仏教談義にふけっていた。ちなみに新保村は江戸期に阿古江村と呼ばれてつまり彼は地域の高僧なのである。
 翻ってわたくしは煙草を止めて一ヵ月、酒は焼酎オンリー、対女性関係はプラトニックとなり内面の清浄化が進み、仏教談義に加わる資格ができたのだ。余談としてわたくしは先日の加賀市教育委員・篠原隆一氏の講演「お町さん」の話しをしていた。

暦 18年8月29日 水曜日
 秋めくフルートの調べ
 参加希望の方は私までご連絡を(090-1635-5710)。
 もひとつ
 小野寺さん講演

西暦 18年8月26日 日曜日 お町さん
 昨日の午後は市民大学講座が開かれた生涯学習館へ。
 タイトル「安東の母・お町さん~道官咲子の生涯~」の講演で、講演者は、加賀市教育委員会 教育委員 篠原 隆一氏。
 10年ほど前に読んだ長瀬正枝著「お町さん」に、ここあわら市ゆかりの女性にこういう女傑が居たのかといたく感動し、抜き書きしたのが「お町さん」なので、篠原氏の話を一字一句漏らさず拝聴した。
 
 篠原氏は、オスカー・シンドラー(第二次世界大戦中、ドイツにより強制収容所に収容されていたユダヤ人のうち、自身の工場で雇用していた1200人を虐殺から救った)、杉原千畝(リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきたユダヤ人系難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。)に肩を並べることのできる人物としてお町さんを紹介する

西暦 18年8月25日 土曜日 無題
 夜が明けて来た。今朝はゴミ拾いだ。さあ、出かけよう。


 高級ウイスキー「ナポレオン」を前にして・・・。
 今朝頂いたのである。これで週末を充実感をもって過ごせます。

西暦 18年8月22日 水曜日 無題
 山本兼一著著「花鳥の夢」(483頁)を三分の一ほど読んだ。このところ読んだ小説のなかでは気持が一番引っ張られる小説で、僕は著者のキャリアは全然知らないが、著者の持つ美学センスの広がり、深みを縦横に駆使しつつ物語化した本と言えると思う。
主人公は天才絵師・狩野永徳

西暦 18年8月17日 金曜日 静謐な日々
 お袋が退院し、家族四人で先祖の墓参りを済ませ、ここ三週間バタバタのし続けだった私の毎日は静謐な日々に戻った。
 そこで昨日の午後の高校野球選手権は、北陸の雄である富山商業の大坂桐蔭に対する善戦に一喜一憂し、夜は巨人がヤクルトに負ける試合を焼酎を飲みながら楽しみ、深夜には阪神vs広島での阪神勝利をインターネットで確認し満足感いっぱいの眠りについた。
 そして不思議な夢をみた。二ヵ月前に開かれた同窓会を思い出させる夢である。
 懇談会の場で何人かに酒を注いで回る僕の背中を追いかける目線がある。懇談会の終わり際、目線の持ち主が近づいてきた。振り返り「?」の僕は、彼女から「牧田さんの背中には哀愁がみえるの」と言われた。
 ・・・僕はそういう齢になってきたのである。

西暦 18年8月14日 火曜日 盆真っ最中
  3週間前に娘が結婚し、父親の私は娘と腕を組みながらバージンロードを歩いた。生きているうちにささやかではあるがこのような幸せを享受できるとは思ってもいなかった。このうえは、息子が結婚するまで生き抜くぞとの強い決意を持ったのだが、とりあえずはボーっとする毎日が続いていた。
  
 数日前に、故印牧邦雄氏(五カ月前に95歳で死去)の薫陶を受けたメンバーから、「4人を中核にして郷土のことについての定期的な講演会をやらないか」との電話があって僕はオブコースと答えた。
 他のメンバーは75歳前後で、経験知識に関しては僕など足元にも及ばないのだが、僕には抜きんでた若さがある。髪の毛もフサフサしていて見栄えがいい。よって講演会ごとの司会を受け持つことになるだろう。
 話しは変るが
 僕が印牧先生から薫陶を受けたのは2、3年前つまり先生最晩年の頃であったが、もう少しはやく知り合っていたら、僕も変わり得ただろう。
 二年程前だったか、司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んでいて印牧邦雄氏に言及している部分を発見、そのコピーを先生宅に持って行った時、たいそう喜ばれた。「確かに司馬遼太郎氏から会えないか?との電話があったんですけど、お互いの都合がつかず会えなかったんですよ。それにしても牧田さんは読書家ですね」とのお言葉をいただいたのが嬉しかった。

西暦 18年8月10日 金曜日  無題
 「第10回 あわら市9条の会おしゃべりの場」の講演者が「福井から原発を止める裁判の会」の小野寺和彦氏と決定したので、昨晩の我が事務所は、当日の進捗に関する討議の場となった。
 20年ほど前に、小野寺邸自宅を設計した僕にとって、懐かしい人である。

 以下骨子紹介
 7月4日、関西電力大飯原発3、4号機に対する運転差し止めの控訴審で名古屋高裁金沢支部は、東京電力福島第1原発事故を教訓に運転差し止めを命じた一審判決(福井地裁 樋口判決)を覆す不当な判決を言い渡しました。その内容は、樋口判決とは真逆で、裁判所として主体的に判断することをせず、国や関電の言い分をなぞった薄っぺらなものです。
 「基準地震動」の過小評価
 同じ控訴審では、原発の耐震設計の要をなす「基準地震動」について、元原子力規制委員会委員長代理の島崎邦彦・東京大学名誉教授が「過小評価されている」と証言しました。同原発の基準地震動を導くには適切でない計算式を使ったことが明らかになりました。地盤調査でも、関電は震源の深さを最大で15キロと想定しながら1、5キロまでの一部調査にとどめるなどの恣意的な評価を判明しました。
 このことについて、小野寺さんには、わかりやすくお話していただけます。
 ぜひともご参加いただき、原発再稼働反対の声を大きくしましょう。
 ★主催 あわら市9条の会(連絡先 090-3292-9020中野

西暦 18年8月9日 木曜日 無題
 船戸与一著「虹の谷の五月」を読み終えた。

西暦 18年8月8日 水曜日 無題
 連日の猛暑で頭も体もうだっていて、にもかかわらずやらなければならないことが沢山あるのは、嬉しいことだ。
 お袋が入院している大病院へ汚れものをもらいに車椅子のいでたちで行ったのだが病室には不在。リハビリの最中だろうと推測してルームへ行ったら、沢山の年より達が指導員の指示のもとに励んでいる。
 僕は10年前の自分を思い出した。脳内出血で意識不明となり、医大病院に運ばれた僕が、脳に異常をきたしながらも現在を辛うじて生きているのは、懸命なリハビリがあったからだろう。


西暦 18年8月5日 日曜日 無題
 森谷欽一編「森田愛子選句集」より

 化粧して 病みこもりおり 春の雪  愛子(ホトトギス)
  人間の(えにし)というものはおもいもかけぬところに人を引き寄せ、人を結び、人の一生を終わらせる。

 秋風の 我のかなしみ 知るごとく  遺句集

 夕月の 野に一本の 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)  玉藻

 一本の 庵の花見て 心足り  遺句集


西暦 18年8月4日 土曜日 昨晩の夜空

 昨晩は仕事の打ち合わせを終えたのち、日本海へ出た。夜空に金星が赤く輝いている。沖合はイカ釣り船の大行列だ。日中の暑さが嘘のようだ。
 砂浜にあおむけに寝転んでいるうち、うつらうつらとしてしまった。
 
 真砂なす 数なき星の其中に 
            吾に向かいて 光る星あり
  は確か正岡子規の作だ。

西暦 18年8月3日 金曜日 無題
 昨日の午後は福井市御幸町へ。そこにある治療院の鉄骨三階建ての耐震診断を依頼されたためだ。確認申請図面の有無を聞いたのだが、40年ほど前の物件なので既に無いとのこと。結局、日を改めて、床・天井の一部を破り部材の計測を行うこととなった。障害者の私には危険のリスクが伴うが、仕事に命を懸けている私がリスクを回避するはずがない。
 ところで
 鉄づくりをやっている宇都宮さんの自宅に昨日の朝に行ったら鉄を含んだ砂の溶融に励んでいる。
 今度の日曜日(五日)の午前十時から金津神社境内で作業を公開するそうです。


西暦 18年8月2日 木曜日
 新婚旅行先のスペインから戻った娘が、「サグラダ・ファミリア」写真集を土産に持って来てくれた。感激した。
 年金生活者になったら死ぬまでに訪れたいと思っていたバルセロナにあるガウデイの作品である。完成までにあと300年はかかるだろうと言われている建設途上の作品である。
 車椅子障害者となってしまった私にバルセロナを訪れる機会は永遠にない。写真集を眺める日々が当分続くだろう。嬉しい。

西暦 18年8月1日 水曜日 無題
 長谷川さんが一昨日の講演会に暑いさなか来て下さった方々に礼を申したいと言う。私の二人乗り愛車ケトラに彼を乗せて行った先のひとつが八十数歳の元造り酒屋女将の児島さん宅。ひとしきり製茶談義に花が咲いたあと、話の焦点はどぶろくに移った。
 「昔つくったどぶろくがありますからどうぞ」ということで一升瓶二本を頂いた。
 当然、夜は我が事務所で三人飲み会(牧田・長谷川・山川)。どぶろくがめっぽう美味かった。煙草とは縁を切ったが酒との縁は切れそうもない。
 酒は縁維持、煙草は縁切りとなったが、問題は女で、数多(あまた)の女性たちとの縁を切るべきかどうかが悩みの種となっていて、私はハムレットなのである。