2001年02月

2001/02/28(水)
■きょうで2月は終わりだ
朝のラジオで、名古屋のぎんさん死亡のニュースを聞いたとき、晩年を好奇心の巣のようなマスコミにひっぱられ、画面に映る笑顔とは裏腹のしんどい内面があったのではないか、ご苦労さんでしたゆっくりお休みくださいと思っていたら、昼のラジオは「長寿の秘密を解明する為、献体の依頼があった」と報じていた。
やあな気がした。このやな感じは、ぼくがケイケンな仏教徒であるせいだけではあるまい。

ねじり鉢巻で図面書いてたら、ふらっとひとが入ってきて言う。
「議員日記、前のほうが読みやすかったぞ。こんどのは行がなごうなったし、列もおおなったきに」。

確かにぼくの性格はくどい、くどく言うほうだ。その点を妻からよくつかれる。前回の日記スタイルは字数に制限があったので好むと好まざるとに関わらず短かった。
ウーン、肝に命じよう。ひとは自由を求めるものであるが、自由を求める気持ちがでてくるのは、不自由があるからやね。
考えてみると当たり前の話しだ。

2001/02/27(火)
■郵便局にて
午後4時、某郵便局局長との、ほんの数分の立ち話的会話。「わたしは、市町村合併絶対反対ですよ。合併になったら、サービス低下する。郵便局もそうですよ。田舎のおじちゃん、おばちゃんに対しての外務員サービスできなくなりますよ。どうするんですか。」「ほんなら、次の首相、小泉純一郎になったら困るねえ」「当然です。あんなんどもならん」
結局リストラというのは競争原理の導入で、競争原理というのは儲からないところには手をださないということだ。社会的に弱者とみなされているひとたち(ぼくはそういうひとたちのなかにツワモノもようけいるとは思うが)に対してのサービスの公平性がそこなわれるのは確かにあかんことなのだ。

2001/02/26(月)
■ええっと 題は何にしようか
森嘉郎のようなひとが一国の総理になる背景ってなんやろうか、不思議やなあと思いつつ入った古本屋。気分にタイムリーな表題「日本型リーダーの条件」(山本七平著)をみつけ100円で買った。著者はあの名著「日本人とユダヤ人]の訳者だ。(著者だという噂もある)。ゴロ寝読みで「ヘー!」と思うところたくさんあった。つまり100円は十分に安かったのだ。
このひとは、北条家が1232年に公布した武士の法典「貞永式目」がこんにちの日本の礎をつくったと書いている。この時点で中国直輸入の律令制は支配力を失い公家法度のなかに追いやられたと書いている。「貞永式目」とはつまり下克上を不可避の現実としてうけとめ、血族商売を排し、能力主義を尊重するといういってみりゃ近代法みたいなものだと書いている。農本主義者家康創業の江戸時代においても、商人が資本をストックしてのいわゆる町人文化花開くの図は「貞永式目」によってデザインされていたと書いてある。そして、日本を天皇制国家とは呼べないんじゃなかろうかと書いている。

確かに中世までの詩や物語、例えば「万葉」「古今」「新古今」は天皇礼賛と恋の唄の羅列で、資本家や労働者や地方公務員はでてこない。一部のエリート官僚(国家公務員なんだろう)と坊さんがでてくるだけだ。源氏物語(むつかしくて読めんかった。)もほれたはれたやときくし、平家物語は源平の戦いの美学と諸行無常でしょう。
民衆を視座にいれた親鸞・道元・日蓮・一遍(みんな悪僧と呼ばれていたそうだ)らを輩出したのが鎌倉中世であることを思えば山本七平のみかたもなんとなくわかる。平安時代までの貴族政治にたいする対極としての武家政治が、史上はじめてしもじもの民の貌をとりいれた法典をつくったということなのだろう。

2001/02/25(日)
■忙しかった日曜日
午後10時、キーボードたたく傍らで中年男6人がワイワイガヤガヤだ。グツグツ煮えてる寄せ鍋に箸突っ込み、ウイスキー・ビール・日本酒ぐびぐび飲みながら人生を語っている。
かたい話題ばかりだった。「日本の農業は荒廃してる」「郡部の人口がだんだん減っていくんやないか」「農業で自足自給生活できたらいいなあ」「市町村合併はしたほうがいいんか、よくないんか」「千代の富士後援会ありゃなんや」「いまのお寺は葬式仏教や。けどかもともとはそうでなかったはずや。お寺が変わると面白い」「金津町でも痴漢がでるそうや」「いよいよなんでもありや、産業の構造改革や」「わしらこどもに何かを望むんやろか、望まないんやろか」
ぼくは黙ってキーボードをたたき続けていた。

2001/02/24(土)
■こども
朝8時半、あああああっとあくび5連発。きのう寝たのは明方5時だった(そういやあ夜中のコンビニで、デンテイスト坂野缶酎ハイ購入の図に出くわしたなあ)。図面作製締切刻々到来と必死に戦っていたのだ。
なんとか終了、朝いっぱい寝てやれと布団に入ったが、来客有就寝即刻中断。来客見送るも一度起きたらもう眠れない。頭モヤモヤだ。
有事に最強の武器は勿論豆砕珈琲である。あつあつ一杯で眼が覚めた。覚めたら、きのう夜遅く上の息子と電話で話したいろいろ思い出してきた。
きょう、花の東京で息子と会う予定だったのだが、突然延期、スケヂュールに空白ができたのだ。
YOUならば神様がくだすったじかんのプレゼント。どのみち土曜日あくせくはだめよ、
YOU意義に使うこれ一番。

ということで部屋きれいにしようと買物に行く途中通りすがりの公園でブランコに興じるこども3人組を見かけた。通学途中のこども集団群れ動きは見なれた光景なれども、学校校庭はいざ知らず児童公園にたむろするこどもたちはきょうび珍しい。
部屋でのTVゲームしからずんば放課後の校庭でのスポーツ・サッカーや野球(そういやうちのガキは野球や)にいそしむのが最近のパターン。無目的、アンニュイにおのがカラダを陽光にさらし風を頬にうけながら、大人になるってやだなと雑草の上にふてねするガキどももっともっと増えてもええやんか。

何年前やったか、福井市は円山町に住むひとからいきり立ちの電話で「牧田はん、県民会館前中央公園の歩道、なんでアスファルトにしてしもたんや。ぼくは毎年こどもら集めて伝承遊び・例えばクギ刺しやけんけん教えていたんやぞ、もうできんやんか」としゃべりまくられ、知らんわしゃ福井市の職員ちゃうねんと鋭く切り返した。蛇足だが中央公園と県民会館の玄関はぼくにとって思いでの場所である。
そのひとの言うことはもっともや。こどもにとっての公園というのは、原っぱであればそんでええ。土が見えて雑草茂ってりゃ十分や。土管のひとつも置いてありゃ、遊びは工夫される。



2001/02/23(金)
■手話
「県立青少年の家」から、手話講習をしてくれという依頼電話があった。だからというわけでもないが、最近なかなか行けなかった手話サークルに久し振り顔をだした。

昭和51年、福井県身障連主催第2回手話講習会に参加したのが、そもそもの手話とのなれ初めだった。県全体を見渡しても、当時はサークルなど殆どなく、若かったぼくは進取のこころで幾つかの講習会に頻回にでかけたものだ。当時の姿勢が今日まで続いていたら、ぼくも認定通訳士になれたかもしれない。しかし、世の中曲がり道だらけ、だんだん他のことにとられる時間多くなり、今は個人通訳こなしたり、週一のサークルに顔を出すのが関の山となっている。
手話しているのは福祉活動をしているというふうにみられがちだ。勿論そういう面もあるけれども、ぼくら健聴者にとっての全く新しい言語習得の面白さを味わせてくれるし、その側面がより強いのかもしれない。
基本は身振りから出発している。音声というデジタル言語の対極にあるアナログ言語なのだ。ぼくらが無意識のうちに動かす身振りを意識的に追体験するのが手話学習といえるなあ。
これからも無理せずぼちぼちやっていくつもり。指動かしているとぼけないと誰かが言っていた。

2001/02/23(金)
■手話
「県立青少年の家」から、手話講習をしてくれという依頼電話があった。だからというわけでもないが、最近なかなか行けなかった手話サークルに久し振り顔をだした。

昭和51年、福井県身障連主催第2回手話講習会に参加したのが、そもそもの手話とのなれ初めだった。県全体を見渡しても、当時はサークルなど殆どなく、若かったぼくは進取のこころで幾つかの講習会に頻回にでかけたものだ。当時の姿勢が今日まで続いていたら、ぼくも認定通訳士になれたかもしれない。しかし、世の中曲がり道だらけ、だんだん他のことにとられる時間多くなり、今は個人通訳こなしたり、週一のサークルに顔を出すのが関の山となっている。
手話しているのは福祉活動をしているというふうにみられがちだ。勿論そういう面もあるけれども、ぼくら健聴者にとっての全く新しい言語習得の面白さを味わせてくれるし、その側面がより強いのかもしれない。
基本は身振りから出発している。音声というデジタル言語の対極にあるアナログ言語なのだ。ぼくらが無意識のうちに動かす身振りを意識的に追体験するのが手話学習といえるなあ。
これからも無理せずぼちぼちやっていくつもり。指動かしているとぼけないと誰かが言っていた。

2001/02/22(木)
■鴨ーん
午後2時、いろんな用事が重なり、頭痛・腰痛・局部痛・食欲不振が一挙に噴出したので、とりあえずはと竹田川べりを散歩した。
またしても驚いてしまった。
鴨の群れがぼくの家の裏よりさらに上流・加納医院裏にまで行ってしまっている。数えたら24羽=「48の瞳」で壷井栄をはるかに凌いでいるのだ。加納i医院裏のどてでぼくが「カモーン」と叫んだら、1羽近づいてきた。
間近で見ていたら、去年師走に川野造園で食べた鴨鍋を思い出した。生卵かきまぜた皿のなかの脂ぎった鴨肉、生まれて初めて食べた鴨肉の上質の味は忘れようったって忘れられない。15年程前、加賀の国は中間温泉での熊肉処女食い油身辟易とは対照的だったのである。
人間というのは、なんとまああさはかな動物なんだろう。

2001/02/21(水)
■梁塵秘抄
午後10時半、来客の帰ったあとの外はしとしと雨だ。空気も暖かい。残雪を融かし春を呼ぶ雨。
今頃が1日のうちで最高の時間帯。静寂でも眠気は訪れず電話もかかってこない。仕事もはかどる。
梁塵秘抄をひさしぶりにとりだした。

暁静かに寝覚めして 思えば涙ぞ抑へ敢へぬ はかなくこの世を過ぐしては 
                                  いつかは浄土に参るべき(238)

美女うち見れば 一本蔓になりばやとぞ思ふ 本より末まで縛らればや 
                      切るとも刻むとも 離れがたきは わが宿世(342)

仏も昔は凡夫なり われらも終には仏なり 三身仏性具せる身と 
                          知るらざりけるこそ あはれなれ(232)

後白河法王が活躍していたこの時代・源平合戦の頃は、多分人権などというものもなく一部の英雄だけに動かされていた社会で、ぼくら庶民は虫けらのように生きることを余儀なくされていたはずだ。
だけれどもあるいは、だからこそというべきか、浄土を希求し恋に身を染めるこのような切実で魅力のある唄が庶民の人
口に膾炙していったのだろう。
心の贅肉を殺ぎ落としても殺ぎ落としても残るものが結局、厭世の裏返しとしての来世希求と恋心であるというのは、恐らくは時代を超える普遍である。


2001/02/20(火)
■宇宙からのメッセージ
昼頃、事務所の窓ガラスが音をたてて揺れた。時間を措いて2回揺れた。地震でないことはわかる。一週間程前にもこういうことがあった。嶺北全域で起こった現象だそうで、マスコミも原因不明とさかんに報じていた。
ここ2.3日、元NASA研究所長ロバート・ジャストロウの「壮大なる宇宙の誕生」を読んでいるぼくには、宇宙人からのメッセージであるような気がしてならない。
「親愛なる地球人諸君、ぼくたちの星ときみたちの星との間には何千光年もの距離があるけど、でも同じ宇宙家族やないか。きみたちは母なる地球をどうしてそんなに汚して平然としているのや、どうして民族が宗教がお互いを殺し合うのや、どうして同胞どおしが差別するのや、どうしてソープがあるのや」エトセトラの警告メッセージ。
1969年7月20日、アームストロング船長率いるところのイーグル号が月面に着陸したことによって、人類が肌で相対化したはずのその地球はますます混沌にむかっていると思う。このメッセージの送り手を、神といってもいい、仏といってもいい、観音でも地蔵でもなんでもいいんだけど、愚かな我々を見張り、警告し、時には鉄槌をくらわす、人間を超えた存在をぼくたちは思い浮かべる必要があるのではないか

2001/02/19(月)
■純真であること
最近、所用で保育所によく行く。小さいこどもたちと保母さん、そこに若いお母さんがたが送り迎えで出入りする世界だ。
そういえば昔、幼稚園のPTA会長をしていたことがある。園児のお母さんがたの前での挨拶は、若さに圧倒されていつもどきどきしたものだ。小学校のPTAとなると、高学年のお母さんがたの若さに陰りがではじめていることを、割と冷静に観察しつつ挨拶したのを覚えている。中学校のPTAともなると挨拶時にそういう意識の入り込む余地はまったく無くなっていた。
ひとは必ず老化していくという自然の摂理を、ぼくはPTA役員の経験を通して知ったのだが、にも関わらず、美しいひとは年をとっても相変わらず美しいという例外的規定をもぼくは知った。

さて、言いたかったことに戻ろう。
きょうの昼過ぎ、保育所庭先にいるぼくに、とってもつぶらな瞳のかわいらしい幼児(女のこだろう)が近づいてきた。
ぼくを見上げながら言う、「おんちゃん、誰のおじいちゃんなの?」。
純真であるということは、どこかに残酷さを合わせ持つことかもしれない。

2001/02/18(日)
■坂ノ下八幡神社界隈

午前9時半、坂ノ下区長が理事会を非常召集。えらいこっちゃ、天保12年建立の名号塔・頭の石が欠けて落下したのである。写真ではわかりにくいが、頭部までは地上5,6m、相当の高さだ。セキザイスト中村は、シャクダニ石に入っていたひびのなかの水分が冬の低温で凍って膨れた為ではないかという。建築用語でいうところの爆裂だ。天保12年といえば西暦1841年、このシャクダニ石は160年もの風雪に耐えてきたのだと思えば、ご苦労様でした南無阿弥陀仏と念仏唱えるしかないだろう。
区長から、明日町役場に相談に行ってくれとの指示がでたけれどもぼくにはカメラがない。清水の舞台から飛び降りたここちでパソコンショップに行き、9,900円のデジタルカメラをみつけた。係員からUSB対応ですと訳のわからんことを言われたので、仕方あるまい、ウ・コンガクにデジカメ借りようと携帯に電話したら、教順寺でそばこ切っていた。ウにぼくのコンピューターがUSB対応であることを確認してもらい、買うならソフト「デジカメの達人」も入れようとのことで、その道のプロ=ドクター・右肩骨折汐見の登場とあいなった。ならばとウは犬連れて散歩楽しんでるジェントル丸岡をよんだ。
よう考えたら、スレンダー大下とネッケツ達川が昨晩遅く来訪の折持参したビール・ウイスキー・生酒・つまみの残りが机上に大量にある。
早速宴会になってしまった。こうしてぼくの日曜日は終わった。

齢40代及び50過ぎの男たちがメンバーとなっている坂ノ下区の親睦団体が「四十路会」。昨晩その新年宴会が芦原温泉「青雲閣」で開かれた。
数人の若いコンパニオンさんたちが宴席を華やいだものにしていたが、世代の違う娘さんたちと何を話していいのか皆目わからないぼくはずっと背をむけていた。知らないひととなかなかしゃべれないというのは生来の体質なのだと思う。

一合トックリ片手のスタンパー大宮から「議員は金に潔癖でないとあかんぞ、慣れてくるとマヒするんやでな」とたたむように諭された。
アーキテクト藤田はどっしりとあぐらかき、腕組みしつつ「ゴミやゴミや、ゴミが一番の問題や。敦賀みてみい。金津の広域組合どうなってるんや。中間処理じゃねーぞ、最終処分やぞ。国も県も頭かかえてるがの」と直情悲哀深刻的意見。
露天で一風呂浴びて部屋に戻り、缶ビール片手にベランダに座る。ジェントル丸岡が「すごい綺麗な夜景やなあ」と感心する。
山の上にある青雲閣のそれも5階からの眺望なのだ。あっちが春江のどこそこでそっちが金津のなんとかでとお互い言い合いながら、
「このあたりは町と町が結構近接してるんやなあ。神戸の百万弗夜景にも負けんぜよ」とぼくは思った。

  2001/01/22 車椅子

コクヨに勤める羽根クンから役場1階のカウンターを低くする工事をしたという話しを聞いた。きょう、その現場をみてきた。
何年か前ヘルニアで腰を痛めた時、3週間ほど車椅子生活をしたことがある。どこの町でもそうなんだろうが、この金津町も屋内外を問わず公共施設が車椅子には不向きであると、わしは実感した。不向きは予想されたことだけれどそれはわしの目にとってのカルチャーショックでもあった。例えば役場に置いてあった空気の入ってない車椅子に文句いいながら廊下を動くとカウンターの先端が突出して視界に飛び込んでくる。応対する職員の顔はあごがおおきく見えそっくり返っているようだ。
1.6mの目線が1.2mになった視覚世界はとっても非日常だった。


  2001/01/21お久しぶりです

世にいう「ひきこもり」に感染し、無口の日々を送るわしにきた役場職員からのメール。大雪のなかでのマナーの悪さが除雪の障害をひきおこしているという。路上駐車・ノーマルタイヤでの運転エトセトラ・・。除雪車通ったあとの玄関先の雪を職員がスコップであけろとも言われたりするそうだが、こういうおかみ頼み意識は絶対におかしい。自分のできることは自分でし、無理な部分で近隣や地区が相互扶助精神を発揮し道路などのおおものに行政が関わるのが筋というもんだ。
話変わるが、10年程前雪の三国の交差点で追突されたことがある。自動車にまでおかまされてしまったかと興奮的詰問するわしに、「豊田市からノーマルタイヤで来ました、雪道ははじめてで」と運転者は答えた。冗談もほどほどにすべきだ。
    

2001/01/18 ポーズは駄目だという気持ちはよくわかる

田中長野県知事が県庁内での阪神大震災に対する黙とうを中止したというニュースはさまざまのことを考えさせる。知事は黙とうはポーズだという。わしはポーズかどうかはひとりひとりの胸のうちにあるものであって、自分がなにをなすべきかを考える契機として黙とうにのぞむひともいるだろうと思う。しかしそういう真摯なひとは黙とうをしようがしまいが既に真摯であり黙とうを儀礼ととるだろう。そうすると儀礼とか儀式が是か非かという問いになる。考えてみると、わしらの生活は儀礼にみちている。戦争や震災といった大状況に対してはいろんな式典がある。私状況・例えば通夜の席での喪主に対する挨拶も儀礼言葉を超えない。
といった意味で日常言葉は儀礼にみちているはずだ。


  2001/01/17阪神淡路大震災

阪神淡路大震災が起こってからきょうが6年目だ。青春(美しくはなかった)の日々を神戸で送ったわしには何人かの友人がかの地にいる。数週間後、友人の、建物を調べてほしいとの依頼で被災地にいったとき見た仁川の土砂崩れ現場や阪神芦屋駅周辺住宅街の壊滅的な状態の生々しさは、依然はっきりした印象としてわしの頭のなかにある。
しかし、もっとびっくりしたのはその夜だ。3人で大阪・十三に晩飯をたべに行ったのだが、そこはネオンと喧騒にいろどられ、相変わらずの歓楽街であり続けていた。大きい川ひとつ隔てるだけでいわば別世界だ。それがどうのこうのということではないのだが、悲惨も享楽もその歴史を途絶えることなく積み重ね続けるというのが、いわば人間社会の業なんだろうなあとわしは思った。


2001/02/16(金)
■思い出した沖永良部島
故障したコンピューターが二日ぶりに戻ってきたので安堵の一服。
デンテイスト坂野が郵便ポストに入れておいてくれた1枚のコピー「すばらしい新世界・バモイドオキ岬の航海-(1)沖永良部島の項」(文・高山文彦)を読んでいる。
「・・・・沖永良部島の始まりを伝える海岸を見下ろす山の斜面に、ソテツが花火のように濃い緑の葉を放射状にひろげている。赤い花が、足元にいくつも散り落ちていた。私は花々を踏みしだき、ソテツの下に口を開けている小さなほこらに腰をかがめて入り込んだ。・・・」

この島に居た頃、探検隊をつくって海岸線やサトウキビ畑徘徊しつつほこら探しに熱中したぼくには涙腺のゆるむなつかしい光景だ。
沖永良部島の主な農産物は、永良部百合と砂糖きび。
ガジュマロやバナナの木の下で夜な夜な開いた泡盛焼酎宴の席、「わしは前科7犯や、ひとをあやめたこともある」が口癖の赤ら顔の漁師がいつも口ずさんでいた唄がある。
えらぶ-ゆりぬはーなー しまにやあさかさ-
                  アンガヨ-サト ナイチャシュガシュガ
さたつくて くら-さ- ゆりちく-て- あしばヤリクヌ-
                  アンガヨ-サト-ナイチャシュガシュガ
そして赤ら男は「琉球言葉はあ・い・うやぞ、え・おは上に上がってしまうんや」とぼくに解説してくれた。
ということは5母音に戻すと
えらぶ-ゆりのは-な- しまによ-さかそう  
                  アンガヨ-サト-ナイチャシュガシュガ-(囃し言葉)
さとうつくって-くらそう ゆりつくってあそぼう ヤリクヌ-
                   アンガヨ-サト-ナイチャシュガシュガ- になる。
つまりこの唄は
永良部百合の花を 島に咲かそう
砂糖をつくって暮らそう 百合をつくって遊ぼう   という意味を持つ。

ひとくちに日本といっても、この国は南北にとっても長い国やなあと、青年・牧田は思った。

2001/02/14(火)
■外は粉雪だ
今回変更のホームページの背景写真は何かつうと竹田川上流である
おととし、友人たちとカヌーで竹田川を下ったときのスタート地点に比較的近い場所。
小魚の群れ、水際の水生植物に新鮮な驚きを感じたのは勿論なのだが、水面から見上げる遠景にも快感を覚えた。
ぼくが読んだ唯一の長編小説「静かなドン(ショーロホフ著)」のエンデイング。・・赤軍と白軍の間を渡り歩くロシア革命で、家族を全て失った主人公は、ドン川を見下ろしながら「わしには、赤軍も白軍もないのや。ただこの川のほとりで家族ともども畑を耕し続けていたかったのや」と呟く。
チョコひとつもらうことのない甘いものぎらいのぼくも又、缶ビール片手に黄昏の夕陽に映えるこの川のほとりで「人生には男も女もないのや。本当の人間愛とはなんなのやろうか」と呟いている。

■飯時息子自作手品披露 我見抜不可 嗚呼無念

最近はスーツを着ることも多くなったが、生来洋服に無頓着・着たきり雀のぼくを、妻はかって「おとうさんは無頓着を装うスタイリストや」と喝破したことがある。ウン、反ファッションとしてのファッションなのだ。 というわけで、このHPも旧態であることに何の不満もなかったのだが、もすこし議会のこと自由に書けるスタイルにしたいという欲求がでてきた。HPビルダーで多少の予習もしたしあした教えにきてくださるひとがいる。 
高塚先生、コンピューターに関する今までの御指導ありがとうございました。越前の海よりも深く、霊峰白山を仰ぐが如く感謝致しております。
駄文を読んでくださった皆さん、御愛顧ありがとうございました。
お化粧してわたしは生まれ変わります。


2001/02/13

 

■教育総務課・生涯学習課

午後5時30分町役場3階。教育総務課・生涯学習課による職員研修の場にもぐりこんでいた。
生涯学習課は●有害ポルノ・AV自販機設置の状況
        ●町文化財保護の実情について
        ●図書館の概要について     
       を講義し
教育総務課は●教育委員会の組織・その役割
        ●金津中学校国際交流事業
       を報告した。
ぼくは昔PTAの役をしていたので、耳にしたテーマのオンパレードだったが、例えば有害ポルノ云々など当時と同じ問題がそのまま残っているんだなあと、つくづく感じた。


 2001/02/12

 

■開高健著「輝ける闇」

町ネット」が、定例会議の為に使いたいというので、きょう午前、事務所隣のブロック2階部分をみんなで掃除した。文庫本整理途中に開高健著「輝ける闇」を見つけた。昭和43年4月刊行、つまりベトナム戦争まっただなかを特派員としてかけめぐったルポなのだが、若いときに読んだ最も印象深い本のひとつだ。
説を書いた秋山俊が「徹底的に正真正銘のものに向けて私は体をたてたい。私は自身に形を与えたい。私はたたかわない。殺さない。助けない。耕さない。運ばない。煽動しない。策略をたてない。誰の味方もしない。ただ見るだけだ。わなわなふるえ、目を輝かせ、犬のように死ぬ」という著者に対して、なんという肺腑をつく言葉かといっている。

 

■便所(べんどころと呼ぶひともいる)

午前中、住宅改造の打合わせ。最近はバリアフリーが定番だ。障害をもっていなくても老後に備えて例えばWCを車椅子対応にしたいという。去年設計の建物は現場に車椅子常駐させた。新築の場合は白紙からの出発で、敵は予算アップのみ。けどか改修となると、なかなか問屋がおろしてくれぬ。廊下、脱衣、浴室と隣り合うなかでの、大きな平面変更は往々にして犠牲ゾーンを伴う。
先日金津小の和風から洋風便所への改修現場をみてきたが、既設ブース利用故、もうひと工夫ほしいと思った。限界あるだろうが・・。
マア、大きいことはいいことで、戦国武将武田信玄は、六帖間の便所で、謙信攻略・日本制覇を練ったという。


 2001/02/11

 

■ハワイの海はそんなに寒くないはずだ

深夜の午前3時。ウ・コンガクが「使えや」と持ってきてくれた座りごこちのよい椅子で飲むUCCのコーヒーはうまい。ラジオのBGMは「追憶」「ここより永久に」「ライムライト」「80日間世界一周」と中年族をしびれさせる映画ミュージックなのだが、合間にはいってくる「宇和島水産高校実習船・沈没」の捜索情報が気になる。9人の行方不明者は今の時点でまだ発見・救助されていない。
米原潜は全く何を考えてるんだか。あんな怪物のような鉄の塊が突然浮上してきたら並の船は沈没するに決まってるが。ぼくはナショナリストではないけど、不注意で日本の海の男たちを沈めやがって、アメ帝めと腹がイリイリする。夜間だろうがなんだろうが徹底した捜索での全員無事発見を信じる。

 

■写真展

「東テイモール写真展」の受付を頼まれたのが、昨日午前10時。福井市生協会館にいったら、ちょうど「東テイモールを考える福井市民の会」代表の小野寺さんがきなさった。7、8年ぶりの再開。
訪れるひとがいなかったのを幸いに、インドネシア全体のパネル地図見つつ、かの国の現代史を講義してもらった。島国日本で青息吐息に暮らしているぼくにとって何千里も離れた地域の紛争などどんなに想像力をめぐらしても所詮「ニュース」でしかないと思ってしまうぼくの態度もひとつの確かな心情なのだけれど、そこに経済大国日本が深くからんでいるのだと説明されると、自分の根っこのこととして捕らえなければいかんのだろうなと思った。


 2001/02/10

 

■2月14日

誰に言われたのかは忘れたが、「せっかくホームページあるんやでなんか書けや」と言われて,書き入れまるでなしだった自分のホームページの画面に初めてむかったのが、昨年の2月14日。町政のこと・議会のことドシドシ発信しようと少なくとも書く姿勢だけはとっても真面目だったのは、その頃の議員日記を読んでみるとわかる。
しかし、生来融通のきかない中年男の真面目は危険な兆候だとこれも誰かに言われてならば少し息抜きしつつと軌道修正を意識したら文緩み又しても誰かに「もっと行政・議会のこと書けま」と叱責され、
ナルホド本旨を忘れてはいかん、2月14日ももうすぐや、議員としての義務をしっかりと遂行しようと今思っている。


  2001/02/09

 

■月や 月や

プロパニスト小泉とデンテイスト坂野が、バースデイということでぼくを三国のファミレスにつれていってくれた。
ぼくはホワイトワインとコーンスープで口を潤し、長崎皿ウドンで腹を充填させ、ブラックコーヒーをすすりながらシガレットの煙の漂いを見詰めていた。(きょうはカタカナ語のオンパレードや)。
中年ロマンオトコ3人は、彼方からいざなう潮騒に抗えず三国海岸道路をドライブした。厳寒のこの季節の満月は限りなく透明で、寄せる波頭を白く照らし、どこまでも続く松林に黒い影をおとす。
思えば、ぼくの淡い恋はこの海岸で始まり、
そしてこの海岸で終わった。


  2001/02/08

 

■小泉クン、頑張ってはよう腰をなおそうよ

昨晩午後9時、ハードな仕事に疲れ事務所のベッドでうつらうつらしていたら、ドクター
見から「飲んでるぞ」コール。
彼氏のいつもの部屋のドアを開けたら、みあきた連中がいっせいに「オー!」と叫んだ。
そうだ、ぼくは髪を短くしたのだった。
高級ウイスキー「センチュリー」を静かにたしなむぼくをみて、連中は、顔がひきしまった、しぶみがでた、僧侶のような風格がでてきたというのだが、そしてぼくはただ微笑するばかりなのだが、しかしココロのなかで「最近続いていた苦労の余波が今の時期だけではあるけれども顔にあらわれているんだろうなあ」と思っていた。


 2001/02/07

 

■最近、事務所での寝泊りが続いているなあ

年配の議員から「町議の仕事は、とにかく金津町内を足つこうてみてまわることやぞ。ややこしい話しは二の次やぞ」と言われた。 
ウーンぼくも努力してる。
思い出したのが、辺見庸著「反逆する風景」。あとがきに「もの食う人びと」の補足としてまとめたと書いてあったが、このひとの目線は個性的・魅力的だ。いろいろむつかしいこと書いてあったけど、要するに見なれたものを見なれた距離で見ただけでは、無為退屈だけしか残らないということ。稀有の体験をした毛利さんや秋山さんの、宇宙から地球を眺めた印象談に詩を感じたこのひとは、ならば俺はゼロメートル体験やと、虫眼鏡を手に室内の床や屋外の大地を匍匐しているという。
ぼくはこういうひとってとっても好きだ。


 2001/02/06

 

■携帯電話

建築設計の仕事をしていると建築現場に頻回に行かねばならない。
ぼくが携帯電話という重宝なしろものをかなり早い時期にもったのは上記の理由からだ。仕事上とっても役だってきたし役立っていくんだろうと思う。
しかしどこまでも追いかけてくる携帯電話は時にうざくらしくなる。やましいことをしているのではないのだが、外界を遮断した無為の時間に浸りたいと思うことだってままある。その気分を破るコール音は確かに歓迎されない闖入者だ。留守電がこういう時のためにあるのかもしれないが大抵は時間をおいての連絡でも差し支えないものだ。リアルタイムでの情報社会は、均質で平板な社会をもたらしてしまうのではないか。ふとそう思う。


 2001/02/05

 

■色

花瓶に活けてある妻からの誕生日プレゼント・バラを一輪、雪のなかにさしてみた。雪中薔薇、花弁の赤が生きかえったように鮮やかだ。
い頃同業者と「雪国の住宅は曇り空に溶け込む抑えた色がいいのか、あるいは陰鬱を吹き飛ばす明るさを押し出すべきなのか」を話ししたことがある。古色蒼然という言葉の好きなぼくは前者にくみしたような気がする。しかしポイントで発揮される鮮やかさも又ひとの心を和ませる。
去年冬枯れの季節、風の強い日だった。農道を走る愛用ジープから、刈り入れを終えた田圃を強風に転げまわるポリバケツを目にしたとき、自然の風景の中の唯一の人工物であることの孤独とブルーの鮮やかさに、ぼくはちょっと興奮した。


  2001/02/04

 

■ひさしぶりの酒席

午前10:30、地区の寄り合いが終わってから、檀家教順寺の総会にでかけた。総会が開かれた御堂はそのまま新年会つまり酒席の場となったのだが、襖戸と観音扉で仕切られているとはいえ、仏さまのおわします部屋での飲食には独特の雰囲気がある。結局最後まで残った数人によって宴が閉められたのは午後5:00過ぎ。坊守さんは、寺を開かれたものにしたいとしきりに言っていた。  今年は、徳力富吉郎版画展「親鸞聖人と京洛名勝(仮称)」を開催するとのこと。注に(徳力家は、代々西本願寺の家柄で富吉郎画伯は、12代に当たります。亡き14代住職宗和氏が西本願寺勤務中に集めたもので、皆さまに親鸞聖人絵伝など美しい木版画の世界を鑑賞して戴きたいと思います)とある。掲示板でお知らせします、是非みにきてください。


 2001/02/03

 

■リストカット

ラジオの相談室コーナーがリストカットという言葉を頻発している。
よく聞いていると手首を切るということだ。ドキッとするひともいるかもしれないが、若いひとたちの間にある症候群だそうだ。
煙草を吸うくらいの感覚でリストカットする気になるとのこと。自己否定の意識に基づくものだが、60年代後半から70年にかけての全共闘運動のスローガンだったそれとは明らかに違う。
長野県で、子供対象にアンケートをとったら、4人にひとりは「うまれてこないほうが良かった」と回答したという。生きるうえで夢を追うことはとっても大切だしそれが生きる意味なんだろうけど、なりゆきで無目的に動く社会は若者たちのアンテナにもはや届かないのか。実篤じゃないけど、「新しき村」をつくらなければならないのだ。

 

■バレンタインデイ

昨晩11時、芦原町駅前のコンビニ。買ったジュースの支払いの為に立ったレジの傍らにリボンでくくられたチョコレートが山積みされている。バレンタインデイがくるのだ、と思うと不愉快な気分がこみあげてきた。
バレンタインデイは、日頃受身の女性が男性に積極攻勢をかけても構わない特別な日・いわば男性社会の副産物だったはずだ。現代の女性は日常積極的だと聞く。ならばこんな日要るまい。 ぼくの遍歴をふり返っても、自分が好きという前に好きと言われた(ような気がする)。自分がプレゼントする前にプレゼントされた(ような気がする)。道徳が女性を消極的にさせていた時代はもう彼方、現代のモラル少なくとも愛情モラルに男女の差はないと思うがなあ。


 2001/02/02

 

■ちかぢか、HPスタイルを変えようと思っています

きょうは来客が多かった。内向して伏目がちのぼくにお客さんたちもいぶかしがっただろう。 
でもちょっとほっとする言葉を見つけた。
「すべての人間は弱い。だれもが恐れをもっているが故に弱いのである。にもかかわらず一方が「強い人」になり、他方が「弱い人」になるのは「心の中の苦悩」に対する反応に二つの逆の型「強い反応」と「弱い反応」があるからである。「強い反応」は、自分の弱さを隠すために確信と攻撃という外見を装い、他人に恐れを感じさせることによって自分の恐れを隠す。「弱い反応」は、狼狽したりまたその結果、隠したいと思っている弱さを暴露する。」   P・トウルニェ

 

■妹からのファックス

先週からの大雪で都会はマヒ状態でした。・・中略・・100円ショップで、辞典シリーズのカタカナ語辞典を買ってきました。これはいい!最近何が困るかってカタカナ語を使う人も多い(田中知事も)し新聞・雑誌もわからない語が多すぎる。これは単に私が勉強を怠っていただけなのか言語にも革命が起きているのではないでしょうか?これはカタカナで書いてあるので英語の全くできない私にも親切な辞典で・・後略」

井上ひさしは、カタカナ語の使用が名詞にとどまる限り日本語文法は乱れないと言っている。しかし、過度な使用が意味をわかりにくくしていることは事実だ。


2001/02/01

 

■戦後民主主義は何をもたらし何を奪ったんやろうか

今年の成人式に関するでつくしたマスコミ報道を改めて考えてみると、式典を式典として受けとめることが出来ないのならば単に出なければいいだけの話だということで、一部新成人の暴走動機に首をかしげる一方で、橋本高知県知事の当然過ぎるほど当然の「でていきなさい」なる一喝の効力云々よりも、「つれだしてください」といういわば上司からの命令通達を遂行しなかった行政職員の煮え切らない態度に本当はもっと首をかしげてしまうのが何故かというと、「甘やかされた若者たち」は既に「甘やかされて育ってしまったいいとしした大人たち」にスライドしてしまった言辞が社会を映し出す鏡になっているのだと実感せざるを得ないからである。


■市町村合併

年配の男のひとからの手紙。
「牧田さんも市町村合併には大きな関心をもってみえると思います。
 ・・中略・・
私もこれには、大いに関心があります。住居表示の時の様にしまったと思いたくないのです。勉強して、金津町はどうなる・坂井郡はどうなるか知りたい。私達住民がこうありたいと願うような合併になってほしい」

明治の大合併・昭和の大合併に続いて、今回は平成の大合併といわれている。県自治会館で開かれた議員対象の研修会で、「国は既に外掘・内堀を埋めてしまっている」といわれたが、少なくともどういう合併にすべきかをぼくたちは論議すべきだ