2001年04月

金津町道の脇を彩る花々 4/30 (月
きのう午前9時半、春江中学校グラウンド。中3の息子が野球部にいるので練習試合を観戦していた。雑用追いまわされおじさんになってしまったぼくにとって初めての観戦だ。
ひさしぶりに見るスポーツ少年野球団時代の息子の同僚くんたちの背丈がのびている。顔つきが変わっている。時折聞こえる声も小学生時代のそれではない。
みんなこどもから青少年になっていくのだ。
訳あって息子とのコミュニケーションや立居振舞いの観察しばらくの間密にしようと思って来た春江中グラウンドの芝生に居座りながら、きれいな女のひとがいれてくださった熱いコーヒー飲みながらそういうことを感じていた。



教科書 4/29(日
教科書に関する論議が国家間の問題にもなっている昨今なので、西尾幹二の「国民の歴史」を読んでみた。
ウーンとうなづきもし、え?と首かしげもしたぼくは当然右翼でも左翼でもないし、そういうイデオロギー体に染み込ませるほどの頭もちあわせてもいない。
ただ、数学教育などと違って、歴史教育の場合は事実認識が認識主体である教師の価値観によってどうしても相対化されてしまうだろうとは思う。
教科書がひとつの価値観で統べられるのはよくないと思うぼくは、それ故に公教育より昔の寺子屋風教育がいいんじゃないかと思うんだが、それでも幸いなことに日本の場合、国定教科書制度をとってはいない。
そして、どういう教科書を選ぶかは例えば坂井郡のようなひとつの単位としての地方教育委員会で調査員の報告を受けて選択されることになっているそうだ。
数日前、「何故その教科書を選定したかの理由・あるいは経過の情報が全く開示されないのはおかしいではないか」という友人の意見を聴いて、ぼくはなるほどと思った。この要望は今から高まっていくはずだ。

「小泉内閣87%が支持」という朝刊の見出しをみて、田中角栄内閣発足時の熱気を思い出した。そういえば娘さんが外務大臣になったのだ。
30年前、「日本列島改造論」をひっさげて登場した今太閤・庶民宰相の姿勢に正負双方の評価があるとしても、結果としてバブル経済崩壊までの歴代内閣政策の潮流になっていたことは確かだろう。
「衣食足りても礼節を知る」ことができなかったという反省点が小泉内閣の「解党的でなおし」の姿勢の原点にあってしかるべきだと思うし、でなおした結果解党に至ったとしてもいっこうに構わない。
ところで、あのひとの髪型をライオンパーマと呼ぶそうだ。ならばライオンキングの大ヒットも支持率の高さを押しているんじゃなかろうか。

話しのレベルは全然違うが、5月の金津町臨時議会で議長交代の選挙が予定されている。生臭いかけひきや根回しも予想されるが、ぼくはなってほしいひとをすでに決めている。

日本語 4/28(土
昼飯どき、病院での知人見舞から帰ってきたお袋がにこにこ顔で、元気なかったわという。
元気ないのに何故にこにこなのかとひるんだぼくはしばらくして、福井弁の、元気な かったわ、であることに気がついた。ぼくの年でさえこういう聞き間違いするんだから、福井の年寄VS若者の会話には意思すれちがいの局面結構あるんじゃなかろうか。日本語はむつかしいというべきか。

日本語といえば、ウインドウズ98を再インストールしたら、日本語変換システムがうまく機能しない。キーボードいくら叩いても例えば鉤、括弧がでてこない。会話を書けなくなってしまったのだ。
考えてみるとぼくはコンピューターを随分酷使している。毎日たたかれているキーボードが抑圧からの解放を唱えて反乱おこしたとしても不思議ではないなあ。

手話 04/27(金
午後3時。福井県の職員二人が事務所を訪れてきた。ボランテイアスクール講座の講師として、昨年同様今年も小中高の子供達に手話を教えてほしいという。
去年開講したいくつかの講座のなかで、牧田さんのが楽しかった、素敵だったという。

立居振舞いが素敵・顔が素敵という言葉でぼくの耳にはタコができている。
しかし、教え方が素敵と言われたのは初めてだ。シャイなぼくは、入りたい穴を探したがみつからないので、耳までまっかになりながらじっとうつむいていた。

思えば、若い頃はいろんなところに手話を教えに行ったもんだ。
本格的な手話通訳者になろうという思いは、小中のPTA会長になったことと、議員になったことで閉ざされてしまったが、それも人生だろう。
だけれども、依頼がある限り老骨に鞭打とうと思う。


忙しかった1日  04/26(木
昨晩12時。妻から、はやく家に帰っておいでよとのコール。
帰り準備をしているとき、ドクター汐見とウ・コンガクののそっとした顔が事務所をのぞいた。
まあいい、彼らと談論をしよう、ぼくは妻と同じくらいに友人たちを大切にする。

明けてきょう午前中は、町議会議員対象のコンピューター講習会。役場職員の皆さんご苦労さんでした。インストラクターが紹介したどこかのHP画面のモノトーンが新鮮に感じられたので、早速真似してみた。

午後3時、町役場3階で税金についての勉強会だ。この資料の一部を・議会報告・に載せたので興味のあるかたは御覧ください。

このキーボードを叩き終わったら、ぼくは飲みにいくのである。

無題  04/25(水
はらがたってとっても嫌な気分で横になり、傍らにあった筒井康隆の本を手にとった。
げらげら笑った。気分は笑うことでどうにでもなる場合もあるなあ。

以下紹介
代議士たちの大部分は陣笠をかぶって議会にのぞんだ。
何かをなしとげようと石にかぶりついた者は歯を折った。
面目まるつぶれとなった者たちは顔がつぶれて死んだ。
美女の指さきは白魚となってぴちぴちはねまわった。
ハートを射止められた彼女はたちまち死んだ。
いっせいにすべての壁から耳が生え、障子に眼ができた。
事業を成功させた男たちから羽振りのよい羽根が生えた。
誇張した話しをしている者の前に大風呂敷が拡がった。
共産主義者は常にからだを左側に傾けたままだった。
あばただらけだった恋人の顔はえくぼだらけとなった。
そしてどの道を通ってもローマへ出てしまうのだった。

休日の1日  04/22(日
午前8時起床、胃が重い、眠気がとれない。
そうか、きのうの晩は金小PTA・OBの定例親睦会だったのだ。
男性・女性Σ6人。
しゃべりのスペシャリスト・ネツベン達川が急用で来られなくなったのは残念だったが、仕事故仕方ない。ユービン桜井は職場の歓送迎会があったみたい。それにしても、居酒屋「おまき」でのこの例会が何年もずーっと続いている理由はメンバーが善男善女美男美女だからだろう。

9時、中央公民館。文協総会だ。創作の森作家・木村サンの記念講演「あるがままに」は簡潔でとってもよかった。生きること自体が既にひとに迷惑をかけることであり、森の肥やしとなって死んでいきたいという自然体的達観はぼくも是非見習わなくてはいけん。

感銘胸にバナナ号で帰途中の竹田川堤防。なんと、倒れた街灯が道路をふさいでいる。鉄骨本体根元の侵食錆によるものだ。先端が電線にのっかかっていてあぶない。その足で役場へ行き状況を説明した。

サア帰って昼寝しようと思ったら、同僚議員からの携帯コール。「ワード」の異常をみてほしいという。ウーン、プロパニスト小泉の不肖の弟子でしかないぼくが依頼されるとは・・。
生きることは迷惑かけることだけではないのだと思った。

連休 04/21(土
しゃばは、もうすぐ大型連休。行楽地来来宣伝騒音吾無関係、と連休なしおじさんは思う。

だいぶ昔のこの季節、青年団に所属する丸岡のろうあ者に頼まれ、手話通訳の立場で寄り合いに出席したことがある。車座での談論風景は素朴でいい感じだった。
ひとりの青年が「ぼくは子供の頃、5月の連休が嫌で嫌でしかたなかった」と切り出した。
「ここの集落、殆ど農家やけどぼくとこだけ雑貨店やってる。連休は田植えのシーズンや。学校おわるとみんな田圃のなかやろ。みんなと遊べん。ひとりだけ外で遊んだら道楽もんやと思われるんが嫌やもん、家んなかにじっと潜んでたんや」

ぼくは通訳しながら、自分自身のことを思い出していた。昭和の30年代がぼくの子供時代で三反百姓の我が家の田圃仕事は当然機械化されていない。
家じゅう総出の田植えは連休どきだった。
いろんな家族のせた自動車の列続く県道芦原線を遥かにボーっとみていると、父親から「うちはまちのもんではないんや。うらやましがったらあかんぞ」といわれた。
ところ変われば本当にしな変わる。

円周率 04/20(金
4人の総裁候補者による討論をラジオで聴いていた。教育問題で、橋本サンが円周率に触れた途端、10日前を思い出した。

晩飯どき、妻が「おとうさん、今から円周率3になるんやざ、知ってるか。」
ぼくは、まぜごはんの茶碗左手に持ったまま椅子からころげ落ちた。
ぼくら嘘教えられていたんか、天才ニュートン・ガリレオ・アインシュタインにも間違いあったんかと絶句するぼくに、妻は「横並びで覚えやすいよう四捨五入したらしいざ」と説明する。
円周率教えるのは、中学くらいだろう。
「こげなバカな話しあるか。わしゃもう学校では教えん。円周率3いうのはアメリカの圧力や、中国の陰謀や、ロシアの威しや。真理はひとつ3、14や。寺子屋開くさけわしについてこい。妻子路頭に迷うたかてかまうか」と辞表だす瞬間湯沸器センセのひとりやふたりでても不思議ではないと思うんだが、耳にしない。

こんな調子ならルート5は2と教えるんだろうか。
覚えるのに富士山麓までいかなくてもいい。ふっとため息つけばいい。

情報公開 04/19(木
金津町役場HP「みんなの会議室」4/18付・MKさんの情報公開・住民台帳の閲覧に関する質問は、多分これからもでてくる意見だろうと思ったので、役場に行った折住民環境課で聞いてみた。
「ウーン、なんとも言えませんね」との即答を避けた答えだった。

情報公開条例規定は、公開できない場合の理由のひとつとして「プライバシーの保護」を掲げている。
MKさんの目的は勿論プライバシーのぞきこみではなくて地区内活動の簡便化にあるのだけれど、結果として当事者が思いもよらないことで迷惑をうけないかどうかが、住民課即答逡巡の理由と思われる。
しかし、台帳のどの段階までを公開可能にするかのライン引きをするにしても、その根拠を行政は明示せねばなるまい。

情報公開条例制定の審議委託先だった総務委員会の委員であるぼくはその審議に加わっていたので幾つかの思いを持っている。
MKさんの質問に対して行政がHPでどう答えるかは別として、ぼくは「議会報告」に後日、その思いを書くつもりです

巧言令色少仁04/18(水
昨日午後5時50分、町役場3階。役場職員対象の新道忠志氏講演会にまぎれ込んでいた。
タイトルは「時代の変化と行政のずれ」。(詳細は議会報告に)
氏はここ1,2年の新聞記事を引用しつつ、日本の財政がいかに危機に瀕しているかをダイジェスト的にしかし熱っぽく語っていた。
信念を持った政治家がリーダーとして登場できない背景が永田町の利権誘導や足ひっぱりあい的体質にあることを怒りを込めて嘆いていた。
明治新政府の要職にはいる気さらさら無かった坂本竜馬を引用し、現代の竜馬は誰なのだと、期待を込めて叫んでいた。

司馬遼太郎著「竜馬がいく」のなかで、竜馬提出の新政府閣僚候補名簿に彼自身の名がないのをいぶかしんだ西郷が「おはんの名、なんでないんでごわすか」と問うと、「わしにゃあにっぽんがどうのこうのなんてちいせえちいせえ。せごどん、今からは貿易ぜよ、世界にむかってはばたく時代ぜよ」と答えるくだりは、たしかにぼくをわくわくさせたなあ。

「国家100年の計を考えるなら、政治家は有権者に好かれたらあかんぜよ、嫌われればいいきに。死んでからあのひとのゆうてたこと正しかったと回顧されるのが大切ぜよ」と新道氏は語っていた。
町会議員とて議員のはしくれだ、ぼくも胆に銘じよう。
ぼくの顔だちはそのすじのひと的だ。嫌われやすいので、劣等意識払拭すべく上品な言動選びつつの日々送ってきたが、今からは嫌われようが嫌われまいが頓着するのをやめて、思うこと・信じることをしゃべっていこうと思う。

朝日に匂う美女ふたり 04/17(火


偶然というのだろう。三日前のラジオで同じ日に、浜美枝がしゃべり落合惠子がしゃべっていた。
10年程前、同じ年に浜美枝講演と落合惠子講演の手話通訳したことがある。
当時で50過ぎくらいだったか、「007・ボンドガール」として有名だった浜さん、さぞや大柄だろうと思っていたが意外と小柄、ただしとってもグラマーだった。
若狭に、移築した民家持っていて、時々は来ているみたいだ。目鼻だちくっきりの西欧顔とはうらはらに、土好き草花好きの地味なナチュラリストで、語り口柔らかく、年寄に好かれる人なんだろうと思った。

落合さんはもと女子アナ。「レモンちゃん」の愛称で深夜番組担当していた。当然ハデでキャピキャピなんだろうとのぼくの予想は講演始まってすぐにうっちゃられた。家族あるいは戦中戦後の身辺語る口調はきれもののそれだ。あとで、著書何冊か出していると聞いて納得した。
講演の終わり、聴衆にむかって「手話通訳してくださった彼(ぼくのこと)に盛大な拍手を!」と激励されて、顔を真っ赤にしてしまったぼくは珈琲絶ちを決意、毎日レモンテイーを飲んでいたのだが一週間でもとに戻ってしまった。

休日の1日  04/15(水
午前8時半、坂ノ下八幡神社境内。金津祭に使う山車の清掃の為、区理事者が全員集合した。最近は事務所掃除を入念にする癖もついたし綺麗にすれば気持ちがとってもいい。

10時、清掃終えての教順寺。屋根高さ測る為のハイテク機器据えて、使い方をセイセイ貝吹より伝授してもらう。プロがプロでいるときの仕事顔はいい。日頃の猥談語り部的雰囲気をどこにも感じさせない。

11時、再び坂ノ下八幡神社境内。四十路会の花見は葉桜の下だった。
中島サン調達のタラの芽天麩羅がうまい、香ばしい。根昆布カラアゲとならぶ二大好物のひとつを、ぼくはしこたま腹んなか入れこんだ。
隣席伊藤サンの「きょうはあんまり飲まんのでねえか」に
「コップに舞い落ちてくる花びらの色に酔ってしまったんや」と風流で答えた。

午後1時、再び教順寺境内。ハイテク機器使っての現場計測だ。助手はデンテイスト坂野、歯科医と建築設計者の異業種交換というのかもしれない。彼は声量豊かで、坊守さんとの会話が境内を流れる。

午後2時半、計測終えての事務所。「今、ジェントル丸岡と清水町でそばたべてるんや、帰り、寄るぞ」というウ・コンガクからの電話。ドクター汐見合流の三人酒盛り尻目に、ぼくは計測した情報をCADに入力し続けていた。午後6時40分、ついに屋根高さが画面に出力した。
快感である。

センセイ貝吹、ありがとう。デンテイスト坂野ありがとう。

議会報告のこと  04/14(土


私用で吉崎小学校に行った帰り、金津三景のひとつとぼくが勝手に思っている吉崎旧街道・切り通しの木漏れ陽のなかで、議会報告のことを考えていた。
議会報告を書こうとすると手元の沢山の資料からの引用あるいは引き写しが不可欠となる。その為の文字入力作業が大変に煩雑で時間がかかる。
資料をデジカメで写してみたけど、所詮9800円クラスではだめだった。そこで思い浮かんだのがスキャナーに働いてもらうことだ。
少しづつコガネを貯めて、近いうちにスキャナーを買おうと思う。
次の議会くらいまでには態勢を整えるつもりであります

■巌流島の決闘 04/13(金)
慶長17年(1612年)のきょう、佐々木小次郎と宮本武蔵が巌流島で戦った。巌流島はアントニオ猪木vsマサ斎藤のバトルロイヤルデスマッチで有名な島でもある。
佐々木といっても、佐々木理容とテイチャー美保くらいしか知らんわしだが、昔福井市一乗谷の滝に行った折、「この冷たい滝に打たれて小次郎は燕返しを編み出しましたのや」と土地の長老に説明されて「ウーン、達人が達人になるときは心身氷になるときか」と感動したのを覚えている。

その小次郎を破った武蔵に、フラナガンというニューヨークの大学のセンセが、著書「ちはやぶる奥の細道」で触れている。
決闘試合無敗の武蔵は晩年、究極の武道精神を追求、集大成として「五輪書」を書いた。たまたまその「五輪書」を読んだ仏のクーベルタン男爵がオリンピックの「五輪精神」を世界にむかって提唱したという。
こういうアホなこと言うひと、わしは大好きだ。


ハイテク機器   04/12(木)
午前10時30分、某工務店。建物高さ調査の必要があって計測機器を借りに行った。
このての機器の精密度、最近のものはすごい。
測量現場も設計現場と同じく既にデジタル世界に突入しているのだ。好むと好まざるとに関わらずこの流れは不可避だろう。
ただ、コンピューターはブラックボックスを伴うのだから、経過習得が目的である教育現場だけはアナログ的であってほしいと思う。

借りてきた計測用望遠鏡、遠くまで本当にはっきりとみえる。
10年ほど前か、測量会社勤めの知合いが長期滞在型測量のために行った現場が滋賀県は雄琴温泉だ。
ソープのお姉さんたちが休息している寮の部屋の昼下がり。
薄物下着殆裸体横寝誘惑血圧上昇的姿態が、ハイテク望遠鏡の威力でカーテンのあわいからはっきりとキャッチできたそうだ。
結果として測量工程20日間が27日間にのびてしまったという。
作業期間短縮の為のハイテク機器導入がそれ故に期間延長の原因になったという逆説のひとつの例だ。
機械ごときには阻害されない人間性のしぶとさ・おおらかさがここにあると言えるのかどうか、ぼくにはわからない。

金津夏祭り   04/11(水)
夕方4時、Aクン来訪。「金津夏祭り」についての思いを拝聴した。
夏祭り企画委員会が新しくたちあがったという。
今年はもう時間的に無理なので、来年以降をターゲットとして始動したそうである。
夏祭りについての評判はいろんなところで聞く。
先人の苦労もあるだろうし、自分がタッチしているわけでもないのだから、軽々しく言うべきではないのかもしれないが、それでも方向修正したほうがいい部分のあることは確かだ。
ひとよせパンダの役割を演歌歌手のネームバリューに担わせるのは、安易な方法とはいえギャラ・ウン百万と聞けばやっぱり無駄使いだと思うなあ。
ほんの数時間に数百万の金が使われるのだ。単なる消費ではなくて投資でなければならない。投資とは、町民の心に刻印される祭りであることだろう。広い意味での活性化に繋がることだろう。
そうでない限り、節税の為、あるいは他のより切実な予算要求に答える為にも規模を縮小すべきではないか。
企画委員会のひとりひとりが考え発言すべき課題は広く深いものにならざるを得ないと思う。皆さん、頑張ってください。

■合掌   04/10(火)
昼、事務所前の自販機で煙草買おうとするぼくに近寄ってきたおばあさんが「坂ノ下区民館どこにありますけの」と聞く。
若い女は嫌だけど、ばあさんは構わない。
「乗っていきねの」で運転する車はあいにく汚ない代車で心苦しかった。
「坂ノ下区民館でえらいぼうさんのお説教あると聞いてバスで来ましたんにゃ。まだ1,2時間ありますで、どっかでおにぎりでも食べて待ってようと思ってますんにゃ」が車中1分半の問わず語りだった。
降りしなにおばあさん、「ありがとございました。南無阿弥陀仏」と合掌する。
まだホトケになっていないぼくはとっても困ったんだけど、挨拶を合掌でするのはなかなかトレンデイだとも思った。

■花といえば桜なのだ 04/09(月)
誘われての焼肉屋。窓外に桜並木がみえる。
思えば6,7人のグループでの一泊奈良旅行・飛鳥路散策が去年の今頃だった。
古代の天皇や豪族たちがその同じ場所で、咲き誇る桜並木の下を通りぬけていったのだと思ったとき、時空間超越不思議的酩酊気分に襲われた。

伊勢物語に、作者は忘れたが
世の中に たえて桜のなかりせば 
    いかにこの世は 楽しからまし
という歌がある
散りぎわをみるのが悲しくてたまらないという逆説の歌、桜大好きおじさんの歌なのだが、ちょっと繊細過ぎるという気もする。

小泉クン、きのうはHPの御指導ありがとう 04/08(日)

車検中だ。バナナ号で陽光降り注ぐ竹田川堤防を走るぼくは、金津大橋歩道で小休止した。
手摺にもたれ、ドクター汐見おさがりのジッポーで一服。
川面を見詰めるぼくの視界に鴨クン達がはいってこない。
そうなのだ、この時期、友人達は北の祖国に帰っているのだ。冬の再会までは長い。病気にかからずたっしゃで暮らしてくれよ、たまには手紙のひとつもよこしてくれよとぼくはつぶやいた。

去年秋、金中同窓会がカラシナの種まいた河川敷に目を転じた。土手は雑草のなか黄色の花々が繁りつつあるのだが、河川敷には芽もでていない。
不思議なことである。
「ドテだけ繁っている」の妄想は春の健康なひざしにすぐかき消され、桜・白梅・紅梅の立ち並ぶ堤防の風景目に、こころはずませつつ事務所に戻った。
議会報告「全協・4月6日」を今から書くのだ。

■孔子   04/07(土)
きのうは、幼・小中学校同日の入学式だったので、控え室でいろんな議員と話しする機会が多かった。
冗談や世間話しに終始するならば談笑の世界だけれども、話題が生臭くなることもある。生臭さの度合いに応じて共感も反発もぞろ顔をだす。言葉にもあらわれる。考え方は十人十色、差異を瑣末と思えない場合も当然ある。
昨晩、ある古参議員に対して顔つき合わせての疑問質問拝聴反論。言葉にケンが入りつまりは言い合いだった。
金中入学式祝辞で手塚校長は「大人は和して同じず。小人は同して和せず」の論語を引用していたが、大人・小人はいわば観念の両極であって、ぼくたち俗人はひとしなみ中人だ。この警句の実践はむつかしい。

■大リーガー野茂英雄  04/05(木)
現地時間で午後10時17分、野茂が大リーグで2度目のノーヒットノーラン達成した瞬間をたまたまライブで観た。
過剰な筋肉をつくったり、瞬発力を身につけたりするとそれだけ余計に飯を食わなければならない。地球の食料問題を更に深刻なものにするのだから、日常生活さえ営めればひとはほどほどにひよわなほうがいいと思っているぼくはスポーツというものにとんと興味がない。
ないのだが野球だけは何故か別だ。
団塊の世代なのである。

いつも口元を半開きにさせている野茂の顔はそんなに魅力的ではないなあと思っていたが、きょうの、7イニングス目くらいからの、つまりノーヒットを意識し始めてからの顔はよかった。
仕事を達成しつつあるときの口元引き締めた緊張漂う顔はぼくらを惹きつける力を充分に持っているのだと思った。

午前3時半。新聞や牛乳配達の足音もまだ訪れず、時折通りすぎる車のエンジン音が耳に入るくらいだ。徹底的に静かである。
この時間帯に珈琲呑みながら煙草ふかしていると、ぼくらの日中がいかに沢山の音に包まれているかがよくわかる。
便利な生活との引き換えに付き合わざるを得ない擬似音・擬似音声だ、現代人にストレスたまるのは当然だろう。
人間も又自然の産物なのだから、人工環境が体の微調節に変調きたす可能性絶対あると思う。
癒しは、はやく山の生活にはいることだとわかってはいるのだが。


■きょうは素晴らしい天気だ  04/04(水)

時々意味もなく鬱になるぼくだけど、今度の鬱の原因はなんとなくわかる。
自分は子供放任的無責任的失格的父親だったのかなあという気分でおちこんでいるのだ。
3人とも、小さかった頃は怒ったりしたこと結構あったが今は全くない。
付き合いかた同じだったのに、それぞれが行って帰るほど違う気質になったということ、これは不思議なことだ。思うに子は親によって一律育てられるのではなくって、育てられるふりしてる部分があるんじゃなかろうか。

どだい、どういう子をいい子というのかがわからなかったから、いい親のイメージをつかめるはずもないままに日々が過ぎてきたような気がする。
マ、親としていまさら変身もできないのだから今のままでいくしかないんだろうなあ。
別ににどんな親でもエエじゃないかと思うことにしよう。

望洋楼から眺める日本海は小雨模様だった  
                   04/03(火
午前8時、三国は望洋楼。笹岡クンに誘われて、朝食会に参加した。
朝食会の講師はハドソン研究所の日高義樹さん。肩肘はらない座談の雰囲気だったが、シンクタンクのひとの饒舌とはたいしたものである。
米中問題、北朝鮮のこと、永田町の内幕と多岐にわたるテーマでの2時間はとってもおいしい朝食の時間だった。

帰り、おけら牧場に寄った。笹岡クンと山崎亭主の間で、画家・小野忠弘さんのことが話題になり、途中三国町議の田中サンも加わって話題はさらに盛り上がった。絵をみたことのないぼくはただ聞くだけだったが、しかし三国にはえらいひとがいるんやなあと感心していた。

「日本人はどこからきたのか」というタグイの本を読んでいると飽きない。
縄文人と弥生人、北方騎馬民族の侵入、南島からの黒潮北上等々、ガクシャセンセの世界ではいろいろあるみたいだ。
ぼくは若い時から「鴉の濡羽色の髪と、彫りの深い顔立ちを持つおまえの先祖は南方系やろ」と言われてきたし、自身そう思っている。島尾敏雄の琉球弧論や、ものすごい私小説「死の刺」を読んでその意をより強くしてきたぼくにとって、宜野座高校の快進撃は慶事なのである。

ふたりの俊英沖縄人から南島の視点を教わった若い日のぼくは、気のむくまま琉球弧・沖永良部島にしばらくいた。
夜明け。南十字星に誘われて珊瑚礁を眼下に星砂で裸を横たえるぼくに、のぼりくる朝日はあまりにも強烈だった。
横にいるおんなのこの裸体が輝いてみえた。
人と自然の関係をとりもつ媒体は愛なのだと思った。

■昨日のこと   04/02(月)
妹が、娘を連れて短期帰省中。何年ぶりかでみる娘・ひいちゃんはすっかり大きくなって今年から中学生だという。
夕飯どき「なんていう中学いくんや」と聞いたら、「世田谷区の池尻中学校です。有名な先輩にオウムの上裕被告がいます」との答え。
かってTVを連日賑わしてきた名前をひさしぶり耳にした。

「町ネットのNPO申請・受理の模様が39チャンネルTVのニュースで映るよ」というスレンダー大下からの電話。スイッチいれたら代表者5人が顔もろともはっきりとうつっている。うち2人は前日の宴会で騒いだ仲。画面の顔の神妙さに宴会時との落差を感じておもしろかった。

同じ時間帯の全国版ニュースが「陽子ちゃんの卒業式」を報じていた。普通学校いった小6の車椅子のおんなのこ。「ステージにあがらない卒業証書授与」とのナレーションバックに校長先生がステージからおりてくる映像。
なかなか感じよかったが、今年3月金津幼稚園の卒園式もおなじ風景だった。うちの近所のこどもさんだ、健やかに育っていってほしい。

明け方3時半、スーパー・ユース前のコンビニに煙草とサンドイッチ買いにいったら、新聞もってきたおばさん「警官いっぱいや。ユースに強盗入って千何百万か盗られたらしいざ」と興奮気味にいう。えらいことや。

きょうから4月  04/01(日)
午前5時半起床。寒いと思ったら外は雪化粧されている。
きのうの晩は39会だった。
スリランカ住田が久し振りの出席。新しい顔はコマッツ堀川。
目下のぼくにとっての酒は、ひとり静かに人生と愛を考える為の友としての辛口ウイスキー「樽薫る」なのだが、たまに宴席でいろんな話し聞くときの日本酒もわるくない。
コマッツ堀川からは、区長の大変さを聞いた。誠実な話しぶりは既に名前「誠一」にあらわれていると思った。

二次会はジェントル丸岡宅。
ドクター汐見が「また竹田川カヌー下りをやろうや」という。「今度は桑原の堰より上流、そば河戸から下ろうや」という。
いいことだと思いながらぼくはコンビニで買ってきたゆで卵に舌鼓をうっていた。しかし、それにもましてうまかったのはMrsジェントル丸岡てづくりのおにぎりだった。うまいものをすこしだけひとより余計に食べてしまうのは道徳の後退かと、心のなかで一応反省した。

12時。帰宅するぼくを冷気がつつみこむ。
「北帰行」を口ずさむ背中には満月だ。
人生には嫌なこと、楽しいこと、悲しいこといろいろあるもんやと思いながら歩くぼくの後姿に、中年の哀愁があるいは漂っていたかもしれない。