2001年06月

06/30(土) 忙しくなりそうな土曜日

午前7時、目が覚めたら雨だ。この雨のなか、駐車場までクルマとりにいかなければならない。
何故なら昨晩は久し振りの酒席。相互的叱咤激励の3時間はまたたくまだったなあ。
ぼくは酒の効用あんまり信じていないけれど、酒でココロの奥底押し出すひともいる。
そういう意味ではたまの酒もいいもんだ。

11時には歯科だ。対人関係被抑圧及不規則生活過度飲食が歯痛の原因というのが坂野医師のみたてだが最近は節制している。

あしたはお寺の建設委員会が開かれる。レジュメつくり、図面整備にいそしもう。
夕刻には住宅現場の敷地測量だ。

というわけで6月さん、さようなら。また来年会いましょう。

06/29(金) フォーマルな服装

いろんな会議出席の回数増えてきたので心気一転ネクタイを変えた。
贈答品。あまり聞いたことはないがブランドものでハネタイというそうだ。

10年ほど前まではスーツ着た記憶なく、あってもせいぜい冠婚葬祭だった。
あんな窮屈なもんなんで着るんやろの素朴な疑問ずっと続いていたときは、妻から「お父さんは反ファッションとしてのファッション楽しんでいるんやの」とよく言われもしたが、スーツ着るのが普通の日々となると、それはそれで快感感じることもある。
なんというか、ネクタイのしまり具合で気持ちのしまり具合がわかるんやね。

夕刻、事務所来訪した瓦会社の営業課長、1時間にわたって瓦の話しあれこれをしてくれた。
内容とっても面白かったのだが、話しのさなかタイゆるめず、姿勢崩さず、目線離さず、笑み絶やさずでむしろその印象がより心に残った。
ぼくもあしたから見習うのだ。

06/28(木) 静寂の深夜

先ほどまで妻と、子供のこと中心にいろいろ話しをしていた。

ただ今午前0時だ。
家のこと・仕事のこと・子供のこと・議会のこと・自分自身のこと等々の行く末不安になること沢山ある。
来し方振り返ればああすりゃよかった・こうしてりゃなあの連続だ・・・というようなぼくの悲観打ち消すべつのぼくの楽観がやがて頭もちあげてきて、とにかくなんとかなるやろう、後悔したってはじまらんぜで思考停止するのがぼくのパターンである。

真夜中とはいえ梅雨まっただなかだ、むし暑い。
この先には大好きな真夏のぎらつく太陽が待ってるぞなどと思っていたのは若い頃の話しで、汗でる夏は来なくていいからはやく秋になってほしいコートの襟たて枯葉舞い散る歩道を歩いてみたいと思うきょうこのごろである。

06/27(火) 10時になると何かがおきる

昨晩10時過ぎ、事務所の鍵かけ、玄関灯消し、階段おりたら電柱の陰からひとりの女性が現われ近づいてきた。またかと思った。

しかし、昔のアダナ「ギュウさん」とぼくを呼ぶ。よく見るとエヌテイテイ森川だった。
近くに停めた娘さんのクルマのバッテリーがあがってしまったのだという。
「まかしとけ」と自分のクルマよこづけし、雨のなかコードの接続を始めた。
知らないうちに5人の女性が傘さしつつぼくをとりかこんでいた。ひとりは、傘をぼくの頭上にそっとさしだしている。
雨足はとってもひどい、雷が鳴る。「大丈夫かなあ。雷落ちて黒焦げになってしまうんとちがうかなあ」と内心不安になったが、「どのみち黒焦げみたいな顔や、かまうもんか」と思いなおし、頑張り、バッテリー補充を完了した。

いいことをしたあとの珈琲はとってもおいしい。
笹川良一は死んでしまったが、やっぱり「一日一善」だとぼくは思った。


06/26(火) 火事

昨晩10時過ぎ、長靴姿の友達がヘルメット片手に来た。「花乃杜五丁目ってどこやの」と聞く。
火災発生したので消防第5分団員の友達、そこを目指しているところとのこと。
五丁目は確か千束のはずだと思ったぼくは友達の車に同乗した。
千束集落内にはみあたらず、結局集落から離れた畜舎が火事で、もう鎮火していた。

去年設計した家が近くにあるのでけさ電話したら「私が消防署に通報したんや」との返事だった。
親牛・子牛合わせて22頭亡くなり農機具類も全て消失したとのこと。
消火作業なかなか始まらなかったみたいだが、黒谷川からのあるいは消火栓本管からの水源確保むつかしかったのならば早急に善処すべきだろう。
10年近く前に隣家火災の経験あるぼくには、火の恐ろしさがよくわかる。

06/25(月) 広報誌

向ケ丘区の広報誌「区民館かわらばん」NO1を読んだ。B4両面カラー刷りでイラストふんだん、きれいだ。
いつもメール添付で送られてくる後山区広報誌「おっしゃま」も地域の話題盛りだくさんイラストふんだんで読むたびに感心させられる。
他の区の事情よく知らないが、恐らくは黒一色・字面満載の地味なものが多いと思う。

でも「おっしゃま」や「かわらばん」のような、カラフルでレイアウトに趣向こらした広報誌は、手にとったひとを確かに読む気にさせる。
ぼくも参考にしなくっちゃということで、川崎さん、コーヒーの可愛い図柄、ゲットさせていただきました。

06/24(日) 日曜日の一日

ここ何週間か雑事におわれて早起きしていた日曜日だけれども、きょうは予定なし。

ゆったりした気分で開けた郵便ボックスに一枚の葉書が入っていた。
高校のときの同級生が、今回の参院選に立候補する云々と書いてある。
うじゃうじゃ居すぎた団塊の世代の我々だ。本人の名前記憶にないし、差出人の名前も知らない。
「?」と思って同級の加納先生に電話したら「私のクラスメートやよ」と言われた。
うーん、経過・仔細ようわからんけど、主婦がたつのはいいことやと思った。

熱い珈琲たんのうしてから事務所の大掃除開始。布団干し、畳水拭き、茶碗・コップ洗浄整理整頓、不用のものは全て外に運び出した。思うことあってあしたから、清潔な部屋環境・こざっぱりした身なり維持しようと決心したのであ。
午前11時、男6人が事務所に集合、カセットコンロ点火で焼肉パーテイが始まった。
飲むほどに、この世はおかしいぞという話しになった。
市町村合併は多分避けられないのだろうけど交付金に頼りすぎない自治体つくるためにも、税金の国への上納抑えるべきじゃないか。
郵政事業民営化のネックが過疎地域へのサービス低下にあるのなら、国がその歯止めしつつ民営化推し進めればいいだろう。
義務教育である小・中学校が、簡保やサマコン・資源回収に教育設備機器購入資金頼りすぎるのはいかがなもんか、本来行政が負担しなあかんことやろ、エトセトラ。

男数人は次なる酒求めて夜の街に出ていった。ぼくはウーロン茶のみながらキーボード叩いている。

06/22(金) 義務教育

「国語と社会の勉強は将来のために必要やろ。だけど、他の教科は意味ないのでせんのや。外国行きたいとも思わんのに何で英語勉強しなあかんのや」が中三息子の言い分やと妻が昨晩の寝床のなかでぼくに語りかけてきた。

両親共稼ぎだった子供の頃、ぼくの交際相手は主に死んだばあさんだった。文盲(今は死語かなあ)だったばあさんの口癖「読み書き算盤できるようにならなあかんざ。うらは字読めんでどれだけ馬鹿にされたことか、どれだけ悔しい思いしたことか」にはとても説得力があったように思う。

息子の言い分に理があるのなら義務教育教科を必修と選択に分けるほうがいいだろう。
理がないのなら、ないことを悟らせるのが学校というもんだろう。
「バランスのとれたひとになることが必要や」とか「何故勉強が必要かは、将来自分で考えることや」といった耳障りのいい言葉ではないなにかが必要だろう。
教科学ぶことのモチベーション教えることは内容教えることと同等に大切だと思う。

06/21(木) フランソワーズまゆみ、ありがとう

夕刻、役場から戻ってきたら妻が「女のひとからやよ」とぼくに郵便物を手渡した。
あけるとバンダナがふたつ入っている。紺と黒のペアだ。わしの好み知ってるのは誰だと差出住所みたらフランソワーズからだった。
早速頭につけようとバンダナ手にとったが、つけるのはやっぱり晩だなと思い、控えた。
先週日曜日の昼、7・8人での野外焼肉わいわいがやがやパーテイ。隣席彼女のバンダナ姿に「素敵だぜ」と小声でつぶやいたのを
記憶にとどめておいてくれたのだ。

町議会議員選挙の時は鉢巻しめるの嫌でしなかったけれど、普段図面かいてる時はしている。頭がきゅっとしまるような気分になるのだ。ヘアバンド。・バンダナ・タオル求めていろんな店さまよったが、ついに最高のものが手にはいった。

この前久し振り金津町役場の掲示板覗いて思ったことは、書込者の殆どが匿名だってこと。
役場に対しての意見が好意的であれ批判的であれ、もう少し本名書込みがあってもいいんじゃないかなあ。
町がリアルタイムで答えようとしているのかどうかぼくにはよくわからない。
が、本名特定とまではいかなくても相手の輪郭わかっているほうが答えやすいとは思う。
相手が男か女か、若いんか年寄りかで書込文章の背景捉えやすいもん。
本名書いてあれば役場側も「おおー、○○どんの息子さんはこんなこと考えていなさるんか」と好いたり嫌ったりするだろう。
嫌われることは好かれることの亜種だと思っているぼくにはどのみちいいことだと思える。
それと、本名だせば建設的な姿勢もおのずから含まれるんじゃないか。

ぼくのような個人のHPに入ってくるイニシャルだと「おおー、あいつか」とほぼわかる場合もあるが、役場HPだとそれは無理だ。
でも、所詮町という小さな世界のわいわいがやがやなんだから、書込者の表情・肉声ビビッドなほうがそれこそ活性化というやつになるんじゃないか。

但し、役場職員が書込みしようとしたら当然匿名だろうなあ。



06/20(水) 松田助役さん、きのうは話しが尻切れでごめんなさい

昨晩午後8時。焼き鳥屋でPTAの会長さんと飲んでいた。
「ボランテイアを一生懸命やればやるほど仕事おろそかになり貧乏になってしまう」という言葉に昔を思い出した。

(松田助役もよく知っている)篠原さんに誘われて手話の世界に飛び込んだのは、男ざかり28才の春だった。
ろうあ者(近頃は聴力障害者というらしい。嫌な言葉だ)世界というとっても小さな場所に足踏み入れたら、彼らの身体表現の豊さにすっかり魅せられ、当時、週4回はあちこちの手話サークルにのべつ顔出していたと思う。
手話通訳者の絶対的不足教えられ、ようし、頑張ろうと思ったもんだ。
ろうあ者との接点重ねるうち、通訳にならなあかんのはわしら民間シモジモよりも、公務員あるいは教職やとだんだん思うようになってきた。
公務員や教職誘うたび、糠に釘・暖簾に腕押し感じたわしは「そーか、公務員も教職もただ食べる為にやってるんや,それがシャバというもんや」と納得した。

ボランテイアなんて体制補完やないかという声もよく聞く。論理的に言えばそうなのかもしれないが、じゃあやーめたといったら困る人達が沢山居るということ、これは現実なのだ。
妻娶り欲出て、子供生まれ手話世界にちょっと距離おき、議員になってツラの皮厚くなったわしだが、やっぱり貧乏だ。
でも、当時手話教えてくれた心豊かでフトコロ貧しかった健聴者達、ろうあ者達をぼくは心の底から尊敬している。


06/17(日) 第二回・39会竹田川カヌーくだり

この素晴らしい竹田川の光景よ!

桑原の堰を午前10時に出発。メンバーはドクター汐見・ソーピスト羽根・ジェントル丸岡・スリランカ住田そしてぼく。
初体験住田の腕の未熟さだけが唯一気がかりの出発だった。
出発して30分経った頃か、スリランカ住田の「アリャー」という嬌声にうしろふりかえると、転覆したカヌーの屹立した船首がみえるだけだった。
ナホトカ号重油流出事故を思い出させる光景だ。
金津町のサッカー界にとってなくてはならん奴だったのになあ、人生は無常だなあと思っていたら、本人浮かびあがってきた。
よかった、本当によかった。

フランソワーズまゆみ・サカノシモ夫人・スレンダー大下・貝吹さん(あえていうならスケビスト貝吹か)家族がところどころで声援する2時間のカヌー下りでみた水生動物はというと、
水鳥・あめんぼ・カルガモの親子・水面はねるスズキ・鎌首持ち上げて走るシマヘビ・鯉・鮒エトセトラだった。

ただいま午後1時40分、ジェントル丸岡宅での反省会に行かねばならない。

昨晩7時半、金津中学校音楽室。
金津中学校同窓会総会の議事終了後「小さな音楽会」が開かれた。
金津町女性コーラスのみなさんの合唱・関心流金津詩吟会吉崎支部のみなさんの詩吟・斎藤たくみさんのピアノ、それぞれとってもよかった。

ぼくら団塊の世代が若い頃といったらフォークソング全盛の時代で、ぼくもフォークギターをつまびいていた時期はあった。しかしせいぜい数年でその後は音楽と無縁の人生だった。
そういういわば素人のぼくでも、生身のしかも間近での音や声ですっかり酔ってしまったなあ。

06/16(土) ドクター汐見、食欲回復しました

とってもすがすがしい土曜日の朝。又、一週間が過ぎ去ったのだ。週刻みで終末が近づいてきているような気がする。
きのう来なさった零細企業の親父は、まるまる一ヶ月仕事なく従業員半分首にしたという。同じ状況の個人事業者のぼくは、じゃあカラダ半分切り刻められるかというとそういうわけにはいかないわなあ。
年上のリストラ失業おじさんがやってきて「数年前だったら考えられんことやけど、今は首切りなんて日常茶飯や」という。
知合いの倒産おじさんは巨額の負債かかえこんでしまった。
ラジオが「人類は1000年持たないかもしれない」と報じていたが、1000年も持つもんか。

社会が疲弊し、政治に不信が生じれば宗教だ。既成宗教の背後に冠婚葬祭請負しか見えなきゃやっぱり新興宗教に入りたいと思うのは世の常だ。しかしまわりに新興宗教みつけられないぼくたち大多数は今の制度に順順とするほかないだろう。

独身・係累なしだったら、信長の「人間50年。下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり」を座右の銘とするだろうが、既に家族配偶者子持ちの身のぼくだ。
座右の銘は、天麩羅食いあたり死亡おじさん・家康の
「人の一生は 重い荷物を背負うて 歩むがごとし」を座右の銘としよう。

こんなこと書いていたら、すがすがしくない朝になってしまった。


06/14(木) ゴーイングマイウエイ

こ数日の間に、掲示板あるいはメールにおたよりしてくださったSYさん、伊達屋酔狂さん、DSさん、MKさん、仁多見さん、ありがとう本当にありがとう。
とっても感謝しています。

ちょっと誤解されたかなあと思うんだけどぼくはこの日記、ちゃかして書いたつもり全然ないんです。
52年のわが人生で、女遊びと言葉遊びはしたことないんです。
そこでHPスタイルいろいろ思案したけどやっぱり今のままでいこうと思います。

ところで、SYさんからの掲示で久し振りに町の会議室をクリックしてみました。どの項目のことをさしているんだろう。「2001年後半期の経済展望に対した設問」「第2階FTP」「環境植樹祭」あたりが、最近の項目でしたがどの項目なのでしょうか。


06/12(火) おやすみなさい

定例議会初日。午後2時半散会。その後、有志議員がサテンに集まって今後の対応策いろいろ話し合って帰ってきたところ。一般質問の内容は、議員通信に載せておきました。
昨晩殆ど寝ていないのでだるいし眠たい。
おやすみなさい。


06/11(月) 休日の一日

きのうはばたばたした日曜日だった。まちネット・金津高校前歩道の草刈の日なので参加したのだが、途中さよならして金津中学校へ。三重県の山手中学校野球部が金津中と親善試合していて、下の息子3年の保護者であるぼくは昼食準備にせいだした。
午後は妻と共に一路今立町勤青ホームへ。古い友人・山崎隆敏さんの会費制結婚披露宴に出席した。新婦新郎より18才下と聞いてしばしウーン。
もう20年以上前頻回に顔付き合わせていた何人かのひとたちとの実に久し振りの談笑のときでもあった。
そのうちのひとり松村さん宅行きが、披露宴終了後のコースとなった。厚生病院でカウンセラーしている松村さんに妻はいろんなこと聞いている。「上の息子、少しは常識身につけてきたみたいやけど、でもいらいらしている。時々荒唐無稽なこと言うの」の妻のくどきに「お父さんに似ているんやろうなあ」という松村さんの答えが面白かった。

うちかえってはやめに布団のなかへ。うつらうつらしていたら隣の妻の携帯がコール。「ボクシングやりたいんでグローブ買ってくれ云々」という息子の声が聞こえた。刃物でないのはいいことだ。

06/08(金) 無題

学校の教室に闖入した男が包丁ふりまわして無差別に子供刺すなんてあまりにも悲惨だ、衝撃的だ。
精神安定剤10回分飲んだといっているが、精神がいつも安定しているひとなんてどこにもいるはずないだろうが。
頻回に不安定になるぼくなどは、先ず自分自身に刃をむけてみる。むけてもどうにもならないから仕方なく生きているだけだ。それが社会生活営む上での最低限のマナーだろう。

幻覚くらい誰でも陥ることある。誇大妄想したり、社会は自分の敵だと思うことあったとしても仕方のない世の中だ。だけど無邪気に授業受けていた、いたいけな子供たちをなんで仮想敵にしなければならないのだ。
刃物持つんなら強者をターゲットにすることが一抹の人間性だというべきだろう。
つい数時間前までこの日本の青空の下で同じ空気吸っていた8人のこどもたち、わけわからないまま極度の恐怖のなかで生を抹殺されてしまったのだ。こんな理不尽あるか?

もう午前1時半だ。昨晩手話終えての帰宅直後、ホームページ・スタイルに関するアドバイスを電話で受けた。ウーンなるほどと思い込み激しいぼくは素人ながら3時間、寝食忘れてホームページいじっていた。

表紙なんかをちょっといじると「暇なんやのう。仕事ないんけの」と口の悪い団塊世代の知合いは言う。あたっているだけに反論できないのがつらいところだが、しかし武士は食わねど高楊枝というひとの口のぼる格言もあるのだ。当分はいじらないでおこう。

最近寝るのがはやいぼくだが、きょうは深夜の静寂を楽しんでいる。
木村尚三郎の「耕す文化の時代」読んでいる。S63年出版のいわば古本だけれど、21世紀初頭に直面している人間疎外の諸々が、縦糸横糸あやなすように織り込まれている。
所詮土に帰っていくぼくたちだ。大地や緑との付き合いかた学ぼうやという、本の題名からも察せられるメッセージにぼくのココロはちょっと浄化された。

06/07(木) 勤青ホーム玄関のアジサイが綺麗だった

終日小雨模様のうっとうしい一日。
児童クラブ行って運営の状況聞いたり、議会事務局に書類持っていったり、建築現場で打ち合わせしたり、施主から電話で呼ばれたりで結構ばたばたした一日終えて、午後8時晩御飯となった。
箸動かしながら「そうや、きょうは手話の日や。2回連続で休んでしもた」と手話例会にかけつけた。
驚いたことに誰も来ていない。座布団枕にうとうとし始めたらひとり現れた。
手話の勉強そこそこに、世間話しにうつった。いつもグループであっているひとが、一対一になると違った面を見せてくるということが確かにあるね。

ぼくなんかもひとりの時は、表情や言葉に陰があるとよくいわれる。
ひとりだけでいる時の自分、一対一でいる時の自分、大勢のなかにいる時の自分それぞれが違った貌を持ちながらもそれぞれにやっぱり自分なんだろうなあ

06/06(水) 少年野球

きのうだったか、福井新聞の「金津小軟式野球チーム県大会優勝、全国大会へ!」という記事読んでへえー頑張ってるんやなあと思った。うちの下の息子が6年の時も全国大会へ行ったが、その時の3年生が主力のチームであるはずだ。

野球チームの保護者としては不熱心なぼくだったけれども、当時時々は試合・練習みに言った。小学校3年というととっても可愛らしいおぼっちゃんだった面々、新聞の写真ではすっかりたくましくなっている。
なんでもそうだろうけど、「継続は力なり」なんだろうなあ。
選手諸君・監督・保護者の皆さん、おめでとうございます。

06/05(火) 芸能界

何十年か前のきょう、黒四ダムが完成したのだそうだ。黒四ダムといえば映画「黒部の太陽」・石原裕次郎が思い出される。仲よかったお兄さんは東京都知事、甥は大臣やってるんだからまさに有名人一家だわなあ。

ぼくが中学生の頃は映画全盛の時期で、金津にあった映画館はいつも日活映画やってたような気がする。その日活で看板スターだったのが、石原裕次郎・小林旭。吉永小百合も日活やったのかもしれない。映画が虚像だなどとそんなに意識できなかった少年期のぼくのことだ。吉永小百合は浜田光夫と結婚すると思っていたのが岡田某と結婚したのでびっくりしたし、小林旭と結婚するに違いないと思っていた浅丘ルリ子は石坂浩二と結婚してしまった。そしてその二人は還暦になって離婚した。
芸能界というのは、訳のわからないところだ。


06/04(月) 火山噴火

雲仙普賢岳の噴火がちょうど10年前のきのうだったとラジオが報じている。江戸期以降に限定しても、何百人単位の死者をだした噴火は数限りなくあったみたいだ。噴火で流れ出した火砕流が地形の巨大崩壊を招くということで、砂防工事が始まり将来にわたっても延々と続くのは火山列島国としての宿命なんだろう。

物見遊山に殆ど興味ないぼくだけれど、去年の秋には箱根地獄巡りというのを経験した。遊歩道脇のあちこちで温泉が沸き硫黄の強い匂いが充満していた。現世に在る地獄というところか。
いっとき、「地球にやさしい云々」というキャッチフレーズがはやった。主旨はよくわかるけれどしかし嫌な言葉やとも思った。地球の生態系は人間の為だけにあるのではない。奥底に鋭い牙を潜ませているのだ。

08/03(金) 里山


昨日昼休みどき、町役場ロビーに座っていたら、なんとなく遊び人ふうの、めもとパッチリジーパン青年に声をかけられた。ロビー脇の廊下で掛軸を売っているという。
もらった名刺には「歌手・前崎某」と書いてある。
「TVドラマ水戸黄門にでているんですよ」というので「ギャラはいくらけの?」と聞いたら「ぼくは2万エン、でも悪代官役は一回30万エンです」という。
名が売れてナンボの典型的な世界なのだ。
「生まれは高知、東京新宿でスナックの店持っているけど、住所は新潟です。TVドラマで生活しながら、でも本業は歌手です。こうして掛軸売り歩く仕事もしてます」と言われてアタマ混乱したけど、楽しい会話だった。

昼一番、コンポストを取り入れている事業所の所長から、いろいろ面白い話しを聞いていた。
里山の復権が話しのトーンだった。サトヤマの語韻で、昔NHKTVがやっていた講義「里山」シリーズを思い出した。
奥山と平地の接点である里山は生活・風景双方に魅力の原点だ。
3人のこどもら小さかったときは、握り飯持ってそういう場所でよく遊んだものだ。

ニッポンの正しい春、正しい夏、正しい秋、正しい冬の風景を持っている場所こそが里山だと思うなあ。


06/02(土) 久し振りに口笛を吹いてみた

ゼネコン直と一緒に酒場で飲んでいた。したら右隣に座っていたおっさんと口論になってしまったのだ。ミギドナリ親父は巨人優勝してこその日本経済回復やという。
ぼくは「タイガースの勝利こそが反体制の結集や」と言ったら
「タイガースはむこう100年優勝でけんぞ」と反論されてしまった。

あたっているだけにつらいなあと思っていたら、ソーピスト羽根から携帯がはいった。
そろそろ例会終わるぜ、はよう牧田事務所に戻ってこいやという。
口笛吹きながら事務所に戻り、ソーピスト羽根・ジェントル丸岡・ドクター汐見で酒盛が始まった。

06/01(金) 千束の赤い花

トリムパークからの帰り、千束の石垣に咲き誇る赤い花をみた。
綺麗でちょっとおどろおどろしい。
近くにいなさったおじいさんに「何の花ですか?」と聞いたのだが、知らないという。


30年前、「赤く咲くのはけしの花・・」と唄ったのは藤圭子だが、メイン道路沿いの石垣だ、まさかけしではないだろう。

花の名を殆ど知らないぼくには、名もない花だ。しかし、昨今の新聞醜悪記事読んでいると、同じように名もないひとが一番実直で素敵な生き方をしているんではなかろうかと思った。
思いながら、小林桂樹・高峰秀子主演の映画「名もなく貧しく美しく」を思い出してしまった。

きょうから6月だ。6月といえば梅雨。梅雨といえばアジサイ。アジサイといえば足羽山。
足羽山といえば花見で花見といえば焼き鳥、焼き鳥といえば秋吉だなどといっていると訳がわからなくなる。

福井市内の建築設計事務所に勤めていた頃は、この季節よく足羽山に行ったものだ。
濃紫のアジサイ目にしつつの別れ話し、俺のほほつたう涙隠してくれたのは大粒の雨だった、というのは悲しい思いで出だが、この花には悲しみを包み込んでくれる大人の包容力・寛容性がある。

雨に煙るアジサイこそがお地藏さんなのである。
照りつける太陽背にするしかないヒマワリなどはまだまだ甘いぜとぼくは思うのだ。