2001年07月

07/30(月) 参議院議員選挙


参議院議員選挙が終わった。福井県選挙区は自民党・松村さんの圧勝で、同級生の民主党・小沢さんは負けてしまった。
予想どおりといえば予想どおりだが・・・。

松村さんとはどこかで話ししたことがある。
とっても紳士的ないいひとだという印象が強い。
だけどぼくには、松村さんが「福井一筋」をスローガンにあげているのにどうしてもがつきまとう。その姿勢が例えば福井空港問題にあらわれていると思った。
誤解恐れずにいうと「福井一筋」は県会議員の言うことだろう。国会議員は国の舵取りが仕事なのだ。地元がどうのこうのという以前にこの日本をどうするかにカラダはらねばならないんじゃないか。
とはいうもののやっぱり福井選挙区だ。そういう態度とっていたら地元に冷たいひとのレッテル貼られてしまうのだからムツカシイところいろいろあるんだろうけどなあ。

桝添要一の得票は介護実践者+もともとの知名度によるものだろう。
「こんなものいらない」の司会者だった大橋巨泉はこんなものいらないといい続けるべきだろうなあ。
田嶋陽子の訴えていた選挙方法論は、将来とりいれられていくだろうと思う。


07/29(日) 不評なのでからたちをつれづれに変えた


早く目覚めたので、熱いコーヒーすすりながら事務所クリーン作戦を考えた。


目の前には厚さ4寸、幅1尺5寸長さ9尺×2枚ジョイントのベイマツ梁材でつくった大型座卓がある。
5年前搬入の居酒屋「おまき」・看板テーブルなのだ。

カセットコンロ並べ、焼肉・魚ちり・水炊き・やきそば・ビール・ウーロン茶・焼酎・ウイスキー・ワイワイ・ガヤガヤの競演が幾たびあったことだろう。
座卓に付着したしみが感じさせる歳月は、ここを訪れたひとたちの年齢の流れをも、否応無しに感じさせる。

金小PTA副会長だった女性たち、当時ははつらつとして、声には生気があった。
しばらく会っていないが元気なんだろうか。
39会の面々は少しづつ腹をだしはじめている。しわもちょっとみえる。
が、人生は永遠のなかの一瞬なのだ、へこたれてはいけない。

ところでぼくの顔はどうかというと、5年前も今もくろいのでしわがわからない、とひとはいう。


07/28(土) どうせ土曜日だ 仕事はやめや


昨晩夜も深けた頃、ソーピスト羽根からの酩酊コール「スナックで飲んでるんや、出てこいや」の誘惑バージョンにものらずいそいそと帰宅し布団にもぐりこみ、椎名誠著「でか足国探検記」の文体感心しつつ楽しんでいたら、隣の布団で寝ているはずの妻が突然、「教科書問題どう思う?靖国参拝どう思う?」と語りかけてきたので、(国策のこと町議如きにわかるわけないやんけ)と心で返事しつつ声ではボソボソとしゃべっていたことが理由なのかどうか、一夜あけたきょう、韓国問題が頭のまわりを蝿のように飛びかい、ならばと愛車バナナ号に乗って買ってきた本場韓国「うまくち」焼酎・宝液ホウカイなめながら、高校野球県大会準決勝・福商vs北陸、敦賀気比vs若狭のテレビ観戦を楽しんだ。

文字どおり老舗校どおしの試合で、考えてみると福商はカープに横山を送りこんだ。気比はヤクルト・三上、カープ・東出だし、若狭はご存知浪花の春団治・川藤である。


きのう、知合いのひとが宗教の話しをしにやってきた。拝聴した。
「法然・親鸞・道元・日蓮・蓮如・・古来上人といわれたひとたちは生き死にを徹底的に考えてきた。仏教の根本である六道と取り組み世に問うてきた。今は葬式仏教の世の中や。俗事に追われ我々の心導いてくれるとこあらへん」とマーこんな調子の2時間だった。
ぼく自身は(多分)宗教を信じていないのだけれども、このての話し聴くのは結構好きで、以前キリスト教関係のひとたちがちょくちょく来た時も、お茶だしながらいろいろ質問したのを覚えている。

好きな理由は、講話(というのかどうか)するひとの信じるが故の信念が顔に表われているからで、今の日本では漸近線的少数移行型表情といえるだろう。
自分が非宗教的なのは、結局質問するからなんだろう。
「信じればわかります」という答えが返ってくるたびにナルホドと思う。
絶対的な価値軸を持つひとの思考は全て対絶対価値軸従属型になるだろうし、疑問持つということは価値を相対化しようとするココロの動きに他ならず、疑問は疑問を呼ぶのだから、結局信心から遠ざかってしまう。
にも関わらず篤い信仰心持つひとの、揺るぎ無い表情にぼくは惹かれるなあ。

07/27(金) お夏 


ラジオ聴いていても、ひとと会っていても、新聞読んでいても「あついあつい」で、これは一種のあつさいじめではないか。
「ワタシはワタシの存在を主張しているだけなのよ、なぜいじめられなきゃならないの?」とお夏は草葉の陰か白い雲の彼方で、嘆いているのではなかろうか。
その点、昔の詩人はえらかった。

    炎天
空に演説会がある
真夏の正午
人間には聞えない声を
万物がしーんと聴いている
どこかで
石が
音を立てて 乾いている
      高見順

最後の2行がいいねえ


07/26(水) 愛車


昨日昼、住宅建設中の施主来訪。打ち合せ終えたのち「ぼくの車で工事現場に行こう」と誘ったら「別の車で行く」と体よく断られてしまった。
夕刻、部活で足痛めたという高校生の娘を駅から自宅まで乗せてきたとき「冷房もないようなこんなボンコツはよ買い換えての」と嫌味を言われてしまった。

そこへいくと中学生は可愛い。
3人のガキどもをそれぞれの自宅へ送っていった時、「すげえ。この車冷房なしや」と単純に感心され尊敬されてしまった。

車は走るためにある。であるからして風をきる。よって窓外からの涼風が常に体を冷やしてくれるのだ。


07/25(火) 重圧


少女売春で逮捕された例の東京高裁判事が、被告席で「刑事裁判を担当する重圧から逃避したかった」と、その動機を述べたという。
どんな仕事であるにせよ一生懸命やろうとするならば重圧かかるのは当たり前だ。
いわば重圧と引き換えに生活費頂くのが仕事というもんだろう。
逃避は解決ではないのだから、さっさと仕事を辞めるべきだったと思うがなあ。
国家公務員のおごりですよ。
社会に浸潤している本当の重圧は、為政者の失政による不景気だろう。

進行するリストラの対象者は団塊の世代が多い。身近にも何人かいる。中間管理職の高給取り故だろう。
でも彼らの場合は失業保険によって、時期限定であるにせよ一応は保証される。
零細個人業者はお手上げです。
喧伝されている「痛みを伴う構造改革」の痛みも、耐えれる痛みならば勿論構わない。しかし痛みにも蚊に刺された痛みから極限の痛みまでの幅があるのだ。

今年は自殺者が増えているという。


07/24(火) 自転車 


芦原温泉で泊まりだったので愛用自転車バナナ号で往復した。
炎天下、シャツが汗まみれになった。片道25分くらいだが体がこころもち軽くなったような気がする。
最近の憂鬱が、太めの体型でココロの動きおもくしていることににあることを悟ったぼくは決心したのである。
所要時間20分以内なら自転車を使う。車で7分くらいだとするとタイム差は13分。これをタイムロスと思ってはいけない。
道端の草花愛でつつ体調整える優雅な時間帯なのだ。

というような話しを同僚議員にしていたら「牧田建築事務所です。仕事受けたまわります」ののぼりうしろにつけたらどやと言われた。
ウーン、これはちょっと恥ずかしい。


07/23(月)忙中閑あり 


今年一番の暑さだったきのうは、祭り後片付けの日となった。
強い陽射の下で重いもの運ぶのは確かにつかれる。シャツ一枚で動いていたぼくは、異口同音に「腹がでてきたのう」といわれた。
若い頃は体力に自身があったのけれども、一切の運動をしない今、ウエストだけが成長しているのである。
同年配あるいはもっと年のひとでも田圃・畑仕事にせいだしているひとは体がひきしまっている。
図面書きと議員生活では体衰えさせるだけなのだ。

時間ができたら、いろんなことやってみたいと思っているが、本当は忙中の閑でやらなければ、できないうちに人生終わってしまうんだろうなあ


07/22(日) 一週間ぶりの日曜日


昨晩8時、金津祭りのせいでようけできてしまった足の裏の水ぶくれの袋に爪切りで穴あけて体液搾り出していたら、妻が部屋に入ってきた。
「下の息子、野球部の子らと一緒に花火しに行くんやと。お父さんちょっと見にいっての」という。
仕事打ち合わせの予定がキャンセルになったところだったので「OK}と気軽に返事した。
場所は竹田川河川敷公園。花火楽しむこどもらはとっても楽しそうだった。適当な時間見計らって「もうそろそろしまいやぞ。花火の残りがらみんな集めい。おめらだけでなしに、ほかのひとさまが花火した残りがらもみんな集めなあかんのやぞ」とぼくは軍国調で命令した。
帰りの車のなか、ぼくと息子の会話のなかで、やつは「きのうの試合、丸岡中戦は2対1で負けたけど、中学生活最後の試合やったんや」と言ったのでみんながリラックスの雰囲気の理由がわかった。
小学生時代スポ小で3年、中学で3年計6年間、あの細身の体でよう続けてきたもんやとぼくは息子と握手したくなった。
ぼくの座右の銘は「嫌になったらやめてしまおう」だがそれはそれこれはこれで継続もまたいいもんなんだろうなあと思った。

夜も深けたころ女友達と一時間、半年振りの長電話。日頃感じているシャバのおかしな点いろいろ話しあい、おたがい頑張ろうやでしめくくった。
嫌な渡世だけど一日の気持ちが軽くなるときもあるんだなあと思った。


07/21(土) 金津祭り


6時半起床。
きのうは金津祭り本番。午前9時50分から午後10時半まで歩きづめで、足の裏には豆が幾つもできた。

疲れた、とにかく疲れた。帰ってから綿のように眠った。
でも楽しかったなあ。
特に夜、宵山になって東区と前山車どうしが行きすれちがったときお互い停車しぴったりくっつけあっての太鼓の競演の迫力は電気照明の鮮やかさも含めて、ハイライトのシーンでございました。
数ヶ月かけていろいろ準備してきたことの全てを一日で燃焼させる。これが祭りというもんでしょう。
ひとが目的の為に生きるということは、地味な日常を祭りの準備にかけていることとイコールなのではないかと思った一日でした。


07/20(金) 雀vs蝉 


ポプラ並木の歩道続く交差点。赤信号で停車中、突然「ジジジー」の嬌声が聞えた。歩道に目を転じると、雀が蝉を押さえつけている。
「ジジジ-」は蝉の断末魔の悲鳴だ、動物界の厳しい掟・弱肉強食のパノラマが今から始まるのだと目をこらした途端、蝉は逃げていってしまった。
まだこどもなのだろう小柄な雀のそのあとのしぐさが面白かった。歩道にたたずみきょとんとした表情であっちみたりこっちみたりしている。一人前のハンターになり得ていない我が身を恥じているのか所在なげでうつむき加減だった。

憂鬱続くぼくには久し振りのほほえましい光景だった。


07/19(木) 諸行無常


1980年のきょう、モスクワ五輪が開幕した。開催国ソ連のアフガニスタン侵攻を理由に当時カーター政権のアメリカは参加をボイコットし、日本含めた西側諸国の大半がこれにならった。
ぼくは結婚2年目だった。あれから21年も経ったのだ。

日本の不参加決定し記者会見に臨んだレスリング・高田選手(アニマルの異名を持っていた)の涙が印象的だった。
マラソンの瀬古選手は油の一番のりきっていた時じゃなかったろうか。
次の五輪(ロスだったか)で柔道の山下選手は優勝したが、瀬古は惨敗した。
レース終盤、序序に抜かれ始めた瀬古選手の苦悶する表情と背中に悲劇を感じたなあ。

栄枯盛衰、盛者必衰である。
孟き者終に滅びぬひとえに風の前の塵に同じである。

栄光の山下よし、されど諸行無常極めた瀬古更によしと、ぼくは思うのだ。


07/18(水) 一般的な話し


外務省のタクシー利用水増し発注疑惑のラジオニュース聞きながら、きのう「平成13年度町村議会議員研修会」での講師の言葉を思い出していた。

警察庁発行「平成9年の犯罪」によると、平成9年の逮捕者は国家公務員10人、地方公務員73人、地方議員50人、地方首長12人だそうだ。
例えば地方議員と首長を比較してみると、地方議員総数は64000人、地方首長3300人。
よって逮捕率は地方議員1/1280人、首長1/275人となる。
講師は、首長のほうに贈収賄の誘惑より多い例証としてこの数値を挙げていた。
しかし、地方議員数値の実態そのままかというと、逮捕には至らなくても水面下ではもっとあると思うなあ。なまなましい噂時々聞くもん。
贈収賄の立件むつかしいのは贈賄側が行為を認めようとしないことにある。片手落ちでは名誉毀損が関の山だ。
人間はすべからく金に弱いという前提認めたうえで、にも関わらず公に携わるひとこれに手を染めたならば、万一現世で隠しおおせたとしても三途の川で閻魔様が待っていることを胆に命ずべきとぼくは思う。


07/17(火) シマフクロウ 


昨夜のNHKTV「地球不思議大自然」は、北海道根室地方に住むシマフクロウの生態を追っていた。
シマフクロウはどんぐりまなこで夜徘徊する雑食性の鳥である。鋭い爪で川魚襲い丸のみする姿は壮観だ。
真冬・温度が零下20℃にまで下がる2月に交尾をし卵を産むという。川凍結し平原雪に覆われ、つまり餌一番枯渇する季節に何故わざわざ交尾するかというとこれひたすらこどものためだそうだ。

卵かえり鄙鳥となり餌欲しくなる頃、平原の雪とけうせあちこちに湿原・みずたまりができる。そこへ冬眠から覚めた蛙が産卵の為に集まってくる。まだくちばし柔らかい鄙鳥にとって格好のこの餌を親フクロウは我が子待つ巣までせっせと運ぶのである。
交尾・産卵は常に厳寒期、変わることはないという。
ウーン、彼らは自然の素晴らしい悠久のリズムで動いているのだ。

ぼくのこどもはまだ鄙鳥の部分少し残しているので、今しばらくは換金収入目指さねばなるまいが、その後は水辺で生活するのだ。
湿地だから高床式住居にしなければならないだろう。割に雑食的なのでなんとか生活できると思う。


07/16(月) 贈答 


図面書いていたら、ラジオが礼儀作法のことをしゃべっている。世の中に礼儀作法アドバイザーなる職業が存在することに驚いた。
贈答品についてしゃべっていたが、聞いているとなかなか面白い。
視聴者からの「つまらないものですけどどうぞと言って贈り物渡そうとしたら、つまらないものなら要りません、持って帰ってくださいといわれました。どうしたらいいですか?」という質問が特に面白かった。

ぼくの基本姿勢は、贈りせず・贈られ拒否せずである。
今、事務所の室内改めて見渡してみると、ようけの中古贈答品でこの部屋なりたっているのがよくわかる。(但し貧乏のぼくを哀れんでくれてのプレゼント。勿論贈賄ではござんせん)
中古業務用エアコン・冷蔵庫はMくんから。
中古TV・カセットコンロ・沢山の茶器類・座布団はTさんから。
中古カウンター・本箱・保管庫・ネクタイ・バンダナ・衝立はH夫妻から。
中古コピー機はKくんから。
中古背広の数着はSくんから。

死ぬまで大切に使っていくつもりです。


07/15(日) 


きのうは落ち着いた土曜日を送るつもりだったが、何人かの友人の入れ替わりの来訪で結局は賑やかな1日となってしまった。

夜、「まちネット通信・創刊号」携えて伊達屋さん来訪。
四方山話しのなかで、「議会のこと発信するには口でしゃべるのが一番や、その為の努力をすべきや」と言う。
そうなんや、顔つきあわせてのしゃべりはお互いの印象残るし、疑問つきつけられる分だけこちら側の勉強にもなる。最近すごくそれを感じている。
月一回くらいの頻度で数人でも構わない小人数でのミニ議会報告会開きたいと、とりあえず心のなかで準備しています。


07/14(土) フランスこばなしをひとつ  


昨晩、暑くて寝つかれないので読みはじめた文庫本がフランスこばなしをひとつ紹介していた。
げらげら笑おうと思ったが、隣で妻が寝ているのでくすくす笑った。以下紹介。


亭主が旅に出るとき、やきもちやきの女房が、ペニスの先に鳩の絵を描いた。
使用すると、たちまち絵が消える、という寸法である。
旅から亭主が戻ってきたので、さっそく調べると、鳩の絵はあることはあるが
前より大きな鳩になっている。
亭主が描き直した鳩なのである。
「あなたッ、これはどういうわけですか」
そのとき亭主はさわがず、
「旅先で豆を食わせてやっているうちに育ったんだろう」


午前8時、仕事前のいっぷく。きょうは土曜日なのだ。
世の中序序に週休2日制にむかっているみたいだが、自由業やっていると曜日感覚あまりない。
それでも土曜日の朝はなんとなく落ちつける。
仕事にとりかかる前にこの日記をつけるパターンが定着しているので、ウイークデイの朝はなんとなくあわただしいのだ。
インターネットでの記事検索に転向して以来読まなくなった紙の新聞にもけさは目を通し、あさりの味噌汁飲みながら、なっとう御飯ゆっくりと食べてきた。
人生、走るときも歩くときもあるだろうけど、ゆったりした気分持つことは大切だろうと思う。
開高健の随筆集タイトルに「悠々として急げ」というのがあるが、言い得て妙な言葉やね


07/13(金) 心気一転 HP表紙をかえてみた 


きのうは参院選スタートの日。
晩酌しながらテレビみていたら小泉首相の行くところ、ひとの渦・垂れ幕・キャアーキャーの嬌声である。
芸能歌手・プロスポーツのスターと横並びしてしまった。
政治が大衆化されるのはとってもいいことだと思うがそれは政策言葉の大衆化であって風俗の大衆化ではないと思うがなあ。
そういえば外務大臣VS外務省のバトルも芸能界騒動的面白さ以外わからないので、通を自認するひとに問うた。

「外交官つうのは要するに接待屋や。税金でパーテイ開いて高級料理食い食わせ高級洋酒飲み飲ませて人脈つくっていくのが重要な仕事のひとつや、米のような歴史浅いオープンな国相手ならまだいい。ヨーロッパは基本的に階層社会や。伯爵・公爵が裏権力持ってるんや。南アジア行きゃ裏権力持ってるのは王族やぞ。
歴史は夜つくられるんや。機密費全てオープンにするんなら外交交渉裏表含めて昼間に限定するという世界条約つくらなあかんやろ。でもそれは不可能やろうし外交官もおもしろないやろうな」と解説する海外生活有経験的通人の言葉にぼくはうなずいた。


07/12(木) アップビートになってきた 


午前6時だというのに陽射明るく肌が汗ばみ始めている。きょうも暑くなるんだろう。

最近、仕事であるようなないような雑用重なり、なにからこなしていいのか思案するだけの無為の日々が過ぎてきたような気がする。
一匹の羊、左右等距離に餌おかれて、どっち行っていいのかわからんうちに餓死してしまうという、例の有名な寓話やね。

これでは駄目や克己や心気一転やと事務所内の不要物を外へだした。
いつのまにかたまってしまった書類・パンフ類、思うに殆どが再び目にする可能性無いものである。
どんどん捨てた。これでぼくには前の道しかなくなった。頑張るのだ。

僕の後ろに道はない    
僕の前に道は出来る       高村光太郎じゃなかったけなあ


07/11(水) 日帰りの旅(2) 

あすぼくは花の東京へ行く。妻と一緒に行く。よって日記書けないあしたの分をきょう書いてしまうのだ。
違う生活リズム持つふたりだ。同行の旅いつ以来かと記憶の糸たぐれば、10数年前カナダ近郊はオークタウン一週間のホームステイを思い出す。

保守的というか出不精というか着替え考えたりするのが億劫で、県外はおろか町外でるのにも面倒くささ感じるぼくの姿勢は妻と対極なのだが、余分な移動は余分な廃ガス撒き散らしに繋がるとの理屈ならべて自身の怠惰正当化してしまうのである。

とりあえず余分ではない意義あるあしたの旅だ。ココロのあかをさっぱり落としてこようと思う。


もめごと起こす息子である。
4ヶ月ぶりに仕方なく上京、神楽坂で息子と会った。身長やや低し、けどか顔色浅黒く下駄みたいなひきしまったカラダになっていた。
妻、息子の太い上腕筋にさわって「わあ!かんからかんや岩みたいや」と驚いていた。

「前は競馬に夢中やった、今はボクシングや。元世界チャンプのジムで一生懸命や」と息子はいう。
競馬とボクシングになんの因果関係あるのかわしには皆目わからんし、元世界チャンプ云々もガセネタと思ったがプロボクサーに日々の指導うけているのは事実みたいだ。
ボクサーといえば、「あしたのジョー」のモデル大場政夫のスマートさ思い浮かべるわしにとって息子はどちらかいうと小型レスラータイプやなあと思えたのだが・・。

学生の分際の息子、「新宿歌舞伎町界隈で10数種類のバイトこなしてきた。トラブルで元やーさんに首しめられて池のなかほうりこまれたこともある」という。
わしは「おめ、ボクシングやってて喧嘩したらあかんぞ、絶対あかんぞ、犯罪になるんやぞ」と親父の威厳こめて説教した。
「あー、ここ1年やっとらん」という息子の返事にほっとしたわしだが、妻の顔色さっとかわり「今は議論の世の中や、1年も2年も関係ない、いつも冷静でいないとあかんのや」と真剣にいう。
議員のはしくれであるわしは、議会思いだしながら(そうや議論が大切なのや)と心のなかで妻の意見に同調した。
ようわからんけど、息子、青春まっただなかみたいだ。


07/09(月) プロパニストさん 昨晩は御馳走さん 


きのうの日曜日。祭りの山車人形つくっているひとからしばらく話し聞く機会があった。
作業合間の休憩時、屋台にもたれ缶コーヒー飲みながら三国の若い人形師はいう。
「北陸三大祭りのひとつとして三国祭りは確かに有名や何十万人も集まる、歴史もながい。
だけど、祭りとして本当に楽しいのは三国祭りより芦原祭りより、金津祭りや。
神輿・前山車・本山車・太鼓の競演・本陣前での踊りは山車巡行のオーソドックスな流れや。見ていて楽しい。
三国祭り取材にくる新聞社に、もっと金津祭り取材しねのというているんや。」

三国もんの金津もんに対する世辞も、もしかしたら含まれているのかもしれないが、日常から離れた「はれ」の日である祭りは、時代変わってもそのスタイル維持されるべきという人形師の意見にぼくはうなずいた。


07/08(日) 焼畑 


坂ノ下区理事集まって山車屋台を小屋へ移動してから、竹田川河川敷に集合した。
先週日曜日に刈った枯草を燃やす為だ。
炎天下、枯草に火をつける。汗だらだらだけれども何故か快感を感じるわしなのだ。
あちこちの煙が火の手となっていく。「おーい土手あがってこいやあ。逃げ場なくなるぞー」という声でわしは土手を上り始めた。
日本武尊は草薙の剣で火の手をさえぎったが、わしは徒手空拳だったのだ。

ひら地開拓しての稲作農業始まる弥生時代以前、山の民であったわしらの祖先は、木の実採集し、鳥・獣追い、農作物焼畑栽培していた。焼いた残りの灰がそのまま肥料となるという合理性にたって、あちこち巡回しながら数年後にもとの地に戻ってきたのだろう。
火めにし熱さ直接肌に感じるときわしの体内でたぎる血潮は、遠い祖先が伝えてきたものなんだろうなあ。


きのうの夜は、剣岳公民館で「剣岳あじさいの夕べ」に行ってみた。
作品展示・ステージ・手打ちそばコーナーとお定まりのメニューだが、ひと多く熱気があって楽しかった。
文化協議会の会長は冒頭挨拶のなかで、金津町内それぞれの地域で季節の節目ごとに開かれる祭りの夕べを紹介していた。
ぼくはそういうこと議員になってはじめて知ったような気がする。

空腹のぼくは、先ずそば2杯を胃袋におしこんでから、茶席に行った。
抹茶待ちつつの左隣り同僚議員との会話が耳に入ったんだろうか、右隣り品のいい年配の奥さんから「牧田さんですか?うちのこがいつもお世話になっています」と話しかけられ、ぼくは恐縮してしまった。
断片的な会話ではあるにしてもひとの集まるところには新しい出会いがある。

07/07(土) 芸術の夜だった 


昨晩は仕事の打合せがはやく終わったので、プロパニスト小泉の陶芸館に寄った。ギターが置いてあったのでつまびいてみた。30年ぶりかなあ。
つまびくうち、アルペジオやコードのいくつかを思い出してきた。
小声でぼそぼそとうたいはじめたら、若かった日々が走馬灯のように頭をかけめぐった。高石ともや、岡林信康、フォーククルセーダーズといったひとたちの唄をよくうたったもんだ。

そうこうするうち、陶芸の女性生徒さんおふたり来訪。
ぼくは陶芸作業をじっと見つめていた。
粘土材料にして指先でいろんなかたちつくっていくのは面白いだろうなあ心オアシスになっているんだろうなあ無趣味のぼくもいつかやってみたいもんだなあと思ったけど、いつかなどと言っているうちに恐らくはお迎えがくるのだろう。


07/06(金) 再スタート 


昨晩の土砂降りで今朝は涼しい、気持ちがいい。
気持ちのいいわけはもうひとつある。

きのう夕方の数時間はHPサーバーとの電話のやりとりだった。ぼくはホームページビルダー使ってHPの書き込みしているのだが、コンピューター原理皆目わからずの使用だから、接続にトラブル生じたときはお手上げだ。
電話口でサーバーの指示仰ぎつつ悪戦苦闘、午後7時半にやっと復旧した。
それにしてもサーバーというのはえらいもんだ。ひとは自分のできないこと、わからないことこなすひとをえらいひとだと思うのだろう。
ビルダー内部のファイルのうち不要なものドンドン削除していったら、容量44.7メガを32メガまで落とすことができた。すっきりした。胃の洗浄をした気分である。

再スタートだ。出口なかなか見えないが、こざっぱりした身なりで姿勢ただして日々を送っていこう。


07/05(木) 蛍をみつけそこなった 

不況というのは本当につらい。
午前午後それぞれ工務店の来訪あったが、「今保証されてるの公務員だけやわなあ」の常套句残し肩落として帰っていった。公務員であり民間人でもあるぼくの思いは複雑だ。しかしぼくの基本は線書いてのくらしだ。収入なければリストラは当然のこと。この日記ざっと目を通してみたら11行から15行くらいが最近だ。ぼくは8行から10行くらいに縮めることにした。行の縮めは時間の節約になる。その時間、仕事のことを考えるのだ。
「家建てまへんかの」の営業もしよう。「仕事はいってきますように」と神社・仏閣にも詣でよう。 これで10行だ。


むし暑い夜やなあ蛍の乱舞でも見に行こうと、熊坂吉崎方面へドライブ。
帰ってきて自分のHP開いたら、画面真っ白になっている。
今朝サーバーに連絡した。
サーバー
「容量越えてしまっています。HPのお客様は普通10メガまででございます。」
ぼく
「ぼくのHP容量どれだけですか?」
サーバー
「はい、44,7メガでパンクしております。」

訳わからず何の頓着もせずに書き込んでいた自分が馬鹿だった。早速、既存コンテンツの幾つかを削った。世の中全てリストラの時代に入ってきているのだ。


07/04(水) 梅雨明けしたのかな? 


汗ばみながら目が覚めた。暑いのだ。
真夏のような太陽をみていて、何かの本で読んだ「宇宙」特集号を思い出した。
地球は45億年前に誕生した。あと5000万年するとぎらぎら煮えたぎる星になるという。300億年のちに宇宙は消滅し時間も消滅し一切が無になるらしい。
ぼくらは永遠のなかの一瞬を生きているにすぎないということだ。

子供の頃からそうだったが、永遠というのがわからない。時間が消滅するといわれても、時間なんて目にみえるものではないしなあ。前の前がどうだったのか、あとのあとがどうなるのかの「?」で頭が爆発しそうになる。
爆発しそうになるときに引き出せる唯一の教訓は
「どのみち線香花火みたいな人生や。くよくよしたって始まらんぜ」だろう。


07/02(月) 忙しかった日曜日


きのうは午前6時起床、竹田川土手・河川敷の一斉清掃だった。引き続き区有地の雑草刈り。
相当な広さの土地が遊んでいるのだ、もったいない。
「区で果樹でもつくったらどやろかの」とつぶやくぼくに「手間かかる。あわんぞ」と横の鉢巻親父が言う。
帰宅して仮眠を1時間とった。昨晩の睡眠不足が初老の身にはこたえるのだ。

午後1時CAD開始。何時ごろか、スレンダー大下が顔出した。隣のブロック事務所に白板持ってきたとのことだが瞥見・挨拶のみで帰っていった。
仕事盛りの男が仕事する横顔には孤高がにじみでているのだろう。

4時、お寺で委員会。なんやかんやの話し終わるとビールがでた。風もない梅雨空の夕方だけど、縁側越しに見る庭にほっとする。お寺の境内はさすがに広いのだ。
坊守さんの「志田先生の新作飾ってあるんや。見ていきならんかの」に、一同ぞろぞろと書院へ。
屏風絵大作「12神将」だ。今度、創作の森にも出展されるみたい。こういう絵をものにする画伯が横に立っていなさることにぼくはひそかなヨロコビを感じた。

その足で坂ノ下区民館に直行。総会だ。金津祭りが近づいているのでいろんな話しが飛び交った。

夜もふけた頃、女友達と長電話。悩み聞くうち人生には悩みがつきもんだと思った。悩みを愛しているのがぼくら人間というものかもしれんなあ。


07/01(日) PLOBの花形プロ選手はどうだったんだろうか


部員の暴力行為発覚で、PL学園野球部夏の甲子園大会出場不可能となった件について、やくみつるがどこかの新聞に書いた「新聞社が主催するからだ」を読んで同感だと思った。

春は毎日新聞で、夏は朝日新聞か。
高校野球担当の記者ならそういうきなくささ耳にはいらないはずないだろう。だけど公表したら自分とこのさわやかさに傷がつく。公表するしない自在なのが新聞社なのだからどうしても隠すほうに気持ちが働くだろう、というのがやくの言い分だ。
ジャイアンツの親方が新聞社であることも含めて、新聞社だの民放だのNHKだのはスポーツ・イベントの主催すべきではないと思うなあ。