2002年10月

02/10/31 (木) やっぱり自然が一番やね
昨日午後5時半、所用終えての帰路。
花乃杜トンネルを抜けたら西の空が美しい。

せまりくる夕闇の空を
雲が風に棚引いて
白と黒の だんだら模様
薄墨色の世界は まるで宗教画でした

コートの襟をたてて 外にでたら
午前2時の夜空は
ぽっかりうかんだ三日月が蜜柑色です

午前5時半
東の空が 茜色に染まり
新しい一日が始まったのだと
私はひとつ深呼吸をしたのであります

○本日は、決算特別審査委員会第一日。


02/10/30 (水) 昨晩

昨晩は、吉崎「蓮如の里会館」に行った。
ウーンと思い、感じたこといろいろ書こうと思いつつ帰宅したのだけれど、その前にクリックした金津町HP「みんなの会議室」に載っていた文章が気になったので、その返答を書くのに労力を費やしてしまった。議会報告・合併をクリックしてください。


02/10/29 (火) 昨晩

昨日の夕食後、思うところあって林田合併特別委員会委員長のお宅を訪問した。自分の気持ちのいろいろぶれるところを聞いてみた。
自分自身で日頃感じていることとの間に齟齬がないことに幾分安堵した。
帰宅し、一服。ウイスキー数滴をたらした豆砕きあつあつコーヒーでぼくは束の間の幸福に浸った。移動日なので日本シリーズはない。はやめに寝ようと、メールをチェックした。

一昨年2002年の2月24日に書き込みを始めたこのホームページのクリック数が、40,000カウントを超えている。
思えば、ぼくが町議に当選した時、このHPの原型をつくってくださったのが福井市在住の高塚氏だった。(奥さんには選挙のウグイス嬢をしていただいた。高塚コンピューター大先生の弟子に、例えばP小泉あるいはリストカット増田がいる)

一年以上HPは放ったままにしていたのだが、ある日突然ぼくは一念発起した。めだつことが苦手で地道だけが取り柄のぼくの唯一の選択肢は、とにかく毎日書き込むことでしかなかった。この欄で、愛を人生を世界を語りたいと思ったのだが、じきに能力の欠如を自覚した。
目に見えることしか書けない書かないと思った。

こんな駄文に付き合ってくださったみなさん、どうもありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。

02/10/28 (月) 旦那の髭
昼飯くいに入った蕎麦屋でたまたま相席となった役場OBとの雑談。
「林道などつくりゃ、樹木の根っこのみずみち遮断される。木が枯れるのは当たり前や。獣道も断たれるんやぞ」という。
そうかもしれないけれども、林道がつくことによって森の手入れもできるようになるのではないかと、やや複雑な思いで話を聞いていた。
「今はなあ、森の木なんて旦那の髭や」というので、
? の顔をしたら「旦那って、普通は髭はやしてる。でも髭があろうがなかろうがどっちでもいいんや」との解説をいただいた。

森に木がなくても構わないというのは勿論極論であり、安い洋材に押されて、地の木材が売れなくなりほったらかしにされているということの謂いなのだが、それにしても「旦那の髭」という物言いは初めて聞いた。


○ぼくの顔をみてほしいから下の写真を出したのではありません。
(顔をみたかったら、写真をダブルクリックしてください)
手に持っているものをみてほしいのです
群馬県内の一部事務組合が運営する廃棄物再利用施設が、焼却灰を溶融してつくったスラグです。路盤材等で再利用されます。
笹岡の焼却施設もこういう方向に持っていくべきだと、ぼくは思うんだがなあ。

02/10/27 (日) 外は雨

胃が痛くなるような日本シリーズ第一戦だったので、試合終了とともに就寝。
午前3時に目が覚めた。
深夜ラジオは、中村八大を特集している。
水原宏「黒いはなびら」、坂本九「上を向いて歩こう」と天国在住歌手が続いたあと、森山佳代子の「ジンジロゲ」が入った。子どもの頃よく唄ったし歌詞もしっかり覚えている。しかし歌詞の意味が全くわからない。こういうのも珍しい。
今流れているのはジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」だ。
若い頃の寝袋ぶらり旅を思い出してしまった。又挑戦してみようかなあ。


○金津町HP「みんなの会議室」に、郡民会議さんの署名運動方針が載っていました。
?と思われる箇所が幾つかあったので、よくわからない点を
「議会報告・合併」に書き込んでみました。

02/10/26 (土) ひさしぶりのデジカメ

昨日は臨時議会が開かれ、夕方6時過ぎに町役場から帰宅した。
玄関に金津中学校からの大きな封筒が置かれていた。「なんだろう」と思って封筒を開けたら、3年1組34人の生徒さんたちのメッセージがびっしりと書き込まれている。
午前中の2時間、ワンポイント手話レッスンをしたのだけれど、その感想だったわけやね。
おじさんは恐縮してしまった。
妻からすらラブレターをもらったことがないので
とても嬉しかったのである。

ウーン、若者こそが日本の夜明けをつくるのだと思い、

02/10/25 (木) 昨晩

石川県から戻って手話サークルに顔をだした。
昨晩の手話サークルは、参加者が4人と大変少なく、学習なしで世間話に終始した。このところ世間話床屋談議というと、まずは合併論議だ。
「行政議会の動きは?」「郡民会議の主旨は?」といろいろ聞かれた。

9時半帰宅。サントリーウイスキーをちびちび飲みながら、山本周五郎「赤髭診療譚」を読んでいた。このひとのテーマは江戸期庶民の無垢性にあるとぼくはいつも思う。若い頃は敬遠の対象でしかなかったけれど、この年になってから読むと、何かしらん一字一句が心にしみてくる。
夜も更けた頃、読んでとくしたなあという気分になっていたら、友人来訪。深夜の街に飲みにでた。そしてぼくは、おごっていただいたのである。

02/10/22 (火) 新村建設計画 

嫁威の谷の横に乗馬クラブがある(地籍は芦原町赤尾)。
きのう、そこを車で通り過ぎた時、5年前を思い出した。
5年前そこは静かな森で、中に9つの木造桧皮葺きコテージが散在していた。それぞれのコテージは囲炉裏と露天風呂を持っていた。
コテージは無償譲渡です地代だけ払えばいいから管理しませんかという好条件での誘いがあり、我々は即動いた。
コテージを使いたいという9つの借主家族・グループは瞬く間に決まり、共同管理規約案もつくられた。ぼくはJW-CADで村の全体敷地図を描いた。

善男善女の集う場所だから「美しき村」と命名された。
「美しき村」はいづれ発展的に解消し、独立王国「やめたい国」となる予定だった。西暦184年当時使われていた古代日本語を公式言語とすることも決定した。国境のみはりやぐらには自衛隊退役者がはりつくこととなった。祭政一致を国是とする意思も固まった。神社構想がもちあがり神主も決まった。
道徳堅固のぼくは、文部省青少年課課長になる予定だった。
厚生・財務・通産・文部・環境・国防エトセトラ大臣には、その任務をこなす器量を持つ人材が豊富に居た。
売防法の見直しについても、いづれ「やめたい国」国会でその議案が上程され一括審議となるはずだった。
しかし、女王卑弥呼をさるおかたにお願いしようとの交渉準備を始めたさなか、別団体の登場によって、新村建設計画は頓挫を余儀なくされた。
人生に挫折はつきものなのだとぼくは思った。



02/10/21 (月) 利家とまつ あるいはたかおととみこ 

昨日は町民体育祭ということでトリムパークにいた。競技眺めつついろんなひとといろんな話をした。午後になってから、風が強くなり空気も冷えてきた。終わり頃には雨が落ちはじめた。
帰宅したら悪寒がする。主治医に電話しようかと思ったが、登山をしているはずだった。布団を敷き横になった。妻がスープをつくってくれた。
からだとこころが暖かくなり、うとうとした。

夜になって元気がでたので「利家とまつ」をみた。たしか五月頃に一度みたことがある。
天下びととなり、傍若無人ぶりを発揮しはじめた秀吉は利家に謹慎蟄居を命じる。まつひそかに許しを乞う。秀吉これを許す。
言葉にすればたったの二行だが、このシーンがなかなかよかった。
夫婦というのもいいもんだと思った。


○10/25は全協・臨時議会
内容については、やまさん10/21をクリックしてください。



02/10/19 (土) もう週末なのだ 

東京でシテイおばさんをしている妹から、実に久し振りに電話が入った。
インターネットで、ぼくのホームページを検索して覗いたという。
話題が子どもに移った。
娘のひーちゃんが、世田谷区の中学校で生徒会長をすることになったという。素晴らしいではないか。
そういえば2年前だったか彼女が金津に来た時、「今度中学校に入りました」と挨拶され、続けて「卒業生にオウム真理教の上裕がいます」といわれた。
ウーン、誇らしいかどうかは別として、有名人を先輩に持つということは羨ましいことだ。

金津中学校の卒業生で有名人というと、確かシャンソン歌手がひとりいたのではないか。
昔、友人との酒の席での「金津町出身の有名人って誰かいるか?」というぼくの問いに「ひとりいる。大正時代に大相撲で関脇クラスの行事をしたひとがいたそうだぞ。」とその友人は答えた。


○議会事務局から幾つかの通知がきた。
・10/20 町民体育大会
われわれの同い年で走ることができるのは、スリランカ住田くらいのものだろう。
・10/23 合併に関する特別委員会
恐らく郡民会議のこともテーマになる。思うことを言おうと思う。
・10/24 敬老会
去年の敬老会で手渡されたパンフに金津町内の長寿者リストがでていた。
いわゆるまちうちよりも郡部に長寿者が多い。風と樹と空と(吉永小百合主演の映画タイトルだよ)がひとを長寿にさせるのだなあ。
・10/25 全協 臨時議会
⇒議会報告に書き込みます。

02/10/18 (金) あたりは真っ暗闇 

ただ今午前3時半。
昨晩、頭痛と眠気で9時に布団に入ったら、もう目が覚めてしまった。
とりあえずあつあつ珈琲を飲む。
この時間帯に起きていることの楽しみのひとつは、深夜放送を聴くことにある。
日本の童謡「・・・」「うれしいひなまつり」「あかいぼうししろいぼうし」「かわいいさかなやさん」「まりととのさま」「・・・」が流れている。

もう帰ることのない純粋で無垢だった幼少年期を思うと、ココロがしみじみとしてくるのである。
ぼくの夜伽には童謡を流して欲しいと思う。


02/10/16 (水) 24年ぶりの再会

日本語に特有な表現なのかどうかはどうかは知らないが「胸のうち」という言い方が日本語にはある。
昨晩6時半、ぼくは食卓でTV画面に向かっていた。5人の拉致被害者の記者会見の現場中継だ。
新潟県のごさんかたには申し訳ないけれども、福井県人のぼくは、地村さんと浜本さんおふたりの言葉と表情に神経を集中させていた。
記者会見場での堅さ漂わす通り一遍の挨拶と、空港でタラップを降りてきたときの振舞いとには明らかに差があった。
笑顔振りまく浜本さんの型からはずれた手の振り方といい、父と抱き合う地村さんのくしゃくしゃ顔といい、ラジオや新聞では不可能な、TVという映像媒体の力をみせつけられたような気がした。
拉致解明への正念場はこれからだ。
「5人のかたには会われないのですか?」という記者からの質問に対する小泉首相の「会わない」という返答は、なにも解決していないじゃないか、これからだよ、という決意の表われとしてぼくは受けとめたい。

ただし、地村さんのおとうさんが繰り返し述べているように、里帰りは家族・友人たちとの静かな団欒、散歩の場となってしかるべきだろう。
マスコミによる「北朝鮮に人質を残して」とか「マインドコントロール」とかの指摘に対しては、果たしてそう言いきれるのかなという疑問を感じるからだ。
うまく言えないけど、そう思う。

02/10/14 (月) きょうも旗日だとか

昨日午後は夕方までずーっと隣区・下八日の大鳥神社にいた。
商店街のお祭り「街角ミニ文化祭」やね。
境内および参道に並んだ屋台では、酒・焼きそば・おろしそば・おでん・とりたて野菜などなどが売られている。
「数千年の昔、このあたり一帯は湖で、ここに船をつないでいた」との町教育委員会による説明文のついた樹高35、5mの大銀杏の木の横に特設舞台がはられ、境内に流れる笛・大正琴・三味線や民謡の調べが雰囲気を一層もりたてる。
茶席で隣席のひとから「市町村合併どうなってるんや?」とたずねられ、ぼくはこういうのを祭政一致というのかと思ったよ。
江戸期、これといった娯楽の無かった庶民にとって、宮参りは信仰行為であるとともに、一番の娯楽でもあったはずだ。土産(ミヤゲ)のミヤはお宮さんをさすと、誰かに聞いたことがある。

冷酒飲みながら、いい半日を過ごさせていただいた。
さあ、きょうは仕事を頑張ろう。


注・下八日大鳥神社については、下記をクリックしてください。
  大鳥神社



町会議室にぼくのHPが開かないとでていたが何故だろう。

やまさんのきまぐれ議員日記10/14にも坂井郡内議員合同研修会中止のことがでている。

○「掲示板」から
確かに見やすくなったけど・・・ 投稿者:毎日見てます!  投稿日:10月13日(日)05時11分28秒
プリントこそしておりませんが、いつも楽しみに拝見しております。
今回の変更で確かに見やすくなったようですが、
TOPページからのリンクがうまく機能してないみたいです。
お忙しいとは思いますが、なるべく早く修正をお願いします。
もっと見やすくなると思いますので・・・


・みていただいてありがとうございます。
えーっと、プロがつくるようなかっこいいTOPページにしてみたいといろいろいじってみたのだけれど、所詮素人のあさはかさでした。
シンプル イズ ベストで、素朴なかたちに戻しました。
いかがでしょうか。

02/10/13 (日) 秋晴れの朝

「ふるさと再発見」という行事が、今朝あった。
商工会後援、隣区・下八日区民のみなさん主催の行事だった。
ぼくとP小泉が案内役になった。
旧町内⇒吉崎というコースで、立ち止まった場所は
・坂ノ下八幡神社界隈・千束一里塚・白山遥拝所・滝雨請堂・のこぎり坂起点
・一字一石墳・吉崎別院だった。
ぼくはとりあえず、八幡神社界隈をしゃべった。
興味のある方は下記をクリックしてください。
坂ノ下区八幡神社界隈


秋晴れのもと、終点吉崎で飲んだビールは大変においしかった。



2002/10/12 (土) 昨日の一日

朝早く坂ノ下区長来訪。区内側溝のことについて相談を受け、その足で町役場建設課に直行。用事すませてから議会事務局に寄った。
議長から、25日に予定されていた坂井郡内の町議会合同の研修会交流会が中止になった旨を聞く。
どうも各町での合併に対する姿勢に違いがあるからとの説明を受けたのだけれども、ぼくはこれはおかしいことだと思ったぞ。
どこの町議会が合同研修会を止めようと言い出したのかは知らないし、どこでもいいのだけど、議員は聞いたりしゃべったりすることが仕事なのだから、仮に相手との間に差があるとしたら、差を埋める為にも、意見の交換は不可欠だろう。意見の交換をしなかったら、小さい溝が大きい溝になっていってしまうのではないか。
ましてやぼくのような一年生議員は他町の議員を殆ど知らないのだから、交換のための数少ない機会を失ってしまったことになる。

ノーベル賞受賞者よりももっと偉かった(と思われる)孔子大先生も
大人は和して 同じず
小人は同して 和せず  と言っていなさるのだがなあ。
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○昨晩、時計が12時をうった。
さあ寝よまいかと思い、PC電源を切る前に掲示板をみたら
「見にくいな~ あなたの顔ではない 議員日記 一編に見れない プリントもしにくい 議会報告は上の方が良いですよ」
がUPされていた。
プリントしてくださるのかと掲示板の前に正座脱帽二礼ニ拍手し、
早速インデックスを訂正致しました。
ところで三寸法師って、ぼくの知合いだろうか、そうではないのだろうか。
顔がいいことをわかっているひとならば知人ということになる。
しかし知人ならば、ですますを使わないような気がする。
わからない。

○友人よりのメールを読んでウーンナルホドと思ったのだ
「いろいろと改良を重ねての試行錯誤のHP、楽しみにして拝見しています。
最近の様式の評判はどうですか?
率直に言って、前のほうが良くないか? 
つまり、左の部分が邪魔して、肝腎の右の部分が右に左にスクロールしながらでないと読めないので、とても読みづらいと思うんだけど。 そんな苦情入っていませんか? 俺も前にこの様式やってみたけど、不評で止めた経験がある。 結局  Simple is best. なんだと思うよ。
 自営業の苦悩、何とか理解できているつもりです。
陽気に、前向いて頑張るしかないよな.........いつか会おう!!
                      


2002/10/11 (金) 高原の私

建築現場を見る必要があって勝山へ行った。勝山は奥越というけれども、金津から結構近い。
九頭竜川沿いで車を留めて、川原にたたずんだ。九頭竜川の語源は崩れ川(クズレガワ)だと、ものの本で読んだことがある。
しかし崩れの原因となる蛇行している部分が、風景としては最高やね。
ひとり川原で食べたミックスサンド270円也はとってもおいしかった。

ついでに、六呂師高原牧場まで車を走らせた。ぼくは牛が好きなのだ。
高原に寝転んだ。四方の山波にみとれているうち、うとうとしてしまった。
目覚めると、青い空に白い雲のかたまりがぽっかりと浮かんでいる。近くで秋茜が飛び交っている。
人影がなかったので、雲に向かって「おーい」と叫んでみた。
死に別れた何人かの友の顔が微笑んだような気がした。

2002/10/10 (木) ノーベル賞

ノーベル賞をふたりの日本人が同時に受賞したということで、昨晩のマスコミはその話題でもちきりやったね。
小柴さんが物理賞で、田中さんが化学賞か。
しかし、おふたりとも偉いのだろうけれど、どこが何故偉いのかがさっぱりわからない。ニュートリノなんて伊太利のまちの名前かと思うぐらいだ。恐らくその世界にいる少数のひとだけがおふたりの偉さを理解できるのだろう。

昔江崎さんのノーベル賞受賞がTVに流れた時、3人の子供のうちのひとりから「あのひとなんで偉いんや」と聞かれて、エザキダイオードなんてわかるはずのないぼくが「偉いから偉いのや」と答えたら、「そんなら偉くないのと一緒や」といわれたことがある。
ノーベル賞もらったから偉いのやと答えれば権威崇拝の勧めになると思ってそう答えたのだけど、偉いから偉いといったのではトートロジーもいいところで、不和雷同の勧めになってしまったのだろうなあ。
正確には「偉さをわかっているひとには偉いのや」という
べきだったと思う。

2002/10/09 (水) 日本酒の秋

昨晩9時、仕事が一段落した。
川べりまで散歩に行こうかと思ったが、外は雨だ。
冷酒を飲みながら、庭に落ちる雨音をじっと聴いていた。

白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の
    酒は静かに 飲むべかりけれ(若山牧水「路上」) なのだ
         
・雨音はショパンのしらべ(小林麻美)
・雨雨振れ降れ かあさんが 蛇の目でお迎え うれしいな(児童合唱団)
・あなたを待てば 雨がふる 濡れて来ぬかと 気にかかる(フランク永井)                              
・雨は真珠か 夜明けの霧か(倍賞千恵子)
・雨降りお月さん 雲のなか(児童合唱団)
・雨が小粒の真珠なら 恋はピンクの薔薇の花(橋幸夫)
・雨に濡れながら たたずむ人がいる(誰やったけね)
・さんさ時雨か こぬかの雨か 音もせできて 気にかかる(山中節)
・露ほどの 光も要らず 異郷にて  
    月(ルナ) ルナテイック 雨のやさしさ   紀野 恵


2002/10/08 (火) 読書の秋

玉村豊男の本を読んでいたら、次のようなくだりに出会った。
「計画的なものはダメなんだ。とくにアーテイストだけが寄り集まった村というのは仲間もいるし、大勢なので安心感がある。
そこで、地域の人々に対してバリアを張ってしまう。地域の人達もそれは先生方の村だからと限定してどうしてもその存在自体が浮いてしまうところがある。
だから、芸術家でも誰でも単身で行かないと本当の関係性は築けない気がします。」

このくだりで思い出したのは勿論「創作の森」です。
偶に作品展をみにいき「? !」を味わせていただくけれども、先生方の話を聞いたことがないので浮いているのかどうかはよくわからない。
ただし町のひと特に年よりのひとと「創作の森」の話をすると、言葉の端々にそういうニュアンスを多く感じる。
ぼくら庶民との間の風通しの模索。これが課題やね。

02/10/07 (月) 昨日の日曜日

昨日午後は大野へ。
陶芸家大森さんの教室のひとたちの作品展が開かれていたわけやね。
会場をゆっくりと歩いた。心にゆとりを持つためにも陶芸をしてみたいと思ったけど時間がないなあ。
県PTA時代に一緒だった清水さん・野尻さんとばったり出会った。
数年ぶりだけれど、相変わらず若若しい大野の清水さんに寺町を案内していただきながら、思い出話にふけった。同じ大野の代表だった山田氏宅経由で帰宅。

もと製図室(今は集会室)では4人の男達による宴会が開かれていた。ぼくもしばらく付き合った。
酒のつまみは、合併・草刈ボランテイアそれからヤーさんのことだった。
ほろ酔い気分で早々と就寝。
起床した今、時計は午前4時半をさしている。

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○今朝は、坂井町で同業者と建築設計談議にふけっていた。
・バリアーフリーをこころがけること。
・内外装を問わず、リサイクル可能な自然素材をできるだけ使うこと。
・見た目の流行にとらわれないこと。

ちょっとおおげさな言い方をすれば、21世紀は循環型社会への模索がメインテーマでなければならない世紀だと思う。

02/10/05 (土) きょうはなんの日

昭和55年のきょう、山口百恵が引退した。21歳での引退だという。
大スターは若くして身を隠すのが一番いいのだ。
引退舞台・夜のヒットスタジオでラストソング「コスモス」を唄う山口百恵の頬を幾筋もの涙がつたっていた。
桜田淳子・森昌子とともに三人娘のひとりとして人気を博していたが、横顔にみられる陰気さというか倦怠感というか要するにマイナーな気分で勝負する歌手だった。
女性歌手はその後いろいろでているが、山口百恵以後はザコだろう。

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昨夕は、新潟の海岸にたっていた。
拉致=無理やりに連れて行くこと。らっち。「見知らぬ男に―される」(大辞林)
いろんな活字を追ったが(といっても週刊誌ばかりだけど)小沢一郎の話が一番の正論であったような気がする。

やっぱり、国交正常化交渉はもっと慎重を期す必要があった。
確かに北朝鮮の現状を放置するならば、崩壊後の難民が韓国引いては日本へのルートをたどることになり、東アジアに混乱が起こるのは必至だろう。
しかし、初めに正常化ありきの外務省のシナリオどおりに動かされた小泉首相が、結果として被害者家族の感情を逆なでしまうことになった。
金正日総書記はいいカードを獲得した。
交渉を即成立させるのでもなく、席を蹴るのでもなく、補償を含めての拉致問題解決を交渉の前提とするのが、外交のありうべき態度だっただろうと思う。
単なるひとさらいならば警察権力の枠内の事件だろうが、拉致はいわば日本という国家権力に対する挑戦だったのだからなあ。
正常化しなければ、全てが闇に葬られてしまうかもしれなかったという政府の言い分にも一理あろうが、だからこそ正常化への姿勢を拒否せず、しかし文書宣言は慎重にという姿勢が問われた。
仮にぼくが、拉致被害者家族であったならば、例え留置場にいれられようと税金を払わないと思うだろう。

02/10/04 (金) 帰宅 

今度の研修先は群馬県だった。帰路、バスが北陸高速道路に入るとなんとなくほっとする
午後7時、帰宅。
研修先で頂いた資料を見直そうとしたが、疲れて頭がぼーっとしているので、きょうは書き込まないでおきます。
ただ、各自治体で取り組んでいる環境保全のための姿勢をみることが、今後の参考になったということだけは確かにいえます。

帰宅するなり、妻から息子のことでの相談だ。要するに日常が既に始まったというわけやね。
今夜はノートPCを自宅に持ち帰り、依頼された図面を仕上げてしまわなければならない。
あしたは、福井市で、未来を担う子供達に対して手話講座のセンセをしてきます。
なんだか、とっても忙しいかんじ。
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○ひさしぶりに、町役場HP・みんなの会議室・掲示板
を覗いてみたら「民意ってなんだろう?」の意見シリーズが面白い。
多数派を民意と決めつけるのが短絡だというのもよくわかる。

02/10/02(水)水曜日の朝

さて、環境保全特別委員会の視察研修に行ってきます。
あさってのHPに研修内容を書き込む予定です。
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○昨晩の、さかい郡民会議に参加した。
経過報告のなかで、大筋はなるほどだったけれども、部分的にはそうだったかなあ?と思ったところもある。
いちふつか、じっくり考えてみようと思います


02/10/01 (火) ?

ホームページビルダーで、この日の日記を編集コピーしていたらどこかへ消えてしまった。

首長は町民からの雇われだとか、議員は住民の使い走りにすぎないとか、いずれ消えていくあぶくみたいなもんだとかなんとか書いたような気がする。