2003年04月

03/04/30 (水) 高齢者問題

選挙を経験して、金津町内全集落の地理が頭にインプットされた。
住宅の構造の集落による違いも感じた。
例えば近隣区の新興団地・向ケ丘地区はエントランスが複雑だ。
門扉→階段→ポーチが一般的な型である。理由のひとつは傾地を宅地化したことにあると思う。
階段の両脇は花で彩られ、なかなかに風情がある。
新興団地だから核家族が多く、高齢者が少ないから不都合はないのだろうが、しかし将来はどうなのかな?
エントランスをバリアフリー化するのはとっても大変だとぼくは思う。


○他地区の女性から入ってきた「・・・家族からとめられているので応援にいけなくてごめんなさい・・・」というメールを読んでいると、申し訳ないという気持ちになるし又複雑な思いが交錯する。
投じる一票がなにものにも拘束されてはならないのと同時に、誰を応援するかは全くの自由であるとぼくは思うのだが・・。
「明るい選挙推進委員会」の明るいってそういうことだろうに。


03/04/29 (火) 偶にはメールからの転送を

・・・恐縮ですが、「まきさんの議員日記」の郷土史ファイルのページって 変なんです。
うちのセキュリティプログラム(Norton Internet Security 2003)で、
ウィルス警告(ウィルス名:HTML.Redlof.A)が出てページを開くことができませんでした。
再三、トライしましたが結果はいつも同じです。
・・・
余計なことだったらごめんなさい。 たくさんの人がアクセスするページだから 心配です。

○数年前まで、P・鯉墨氏命名の「歴史塾こせじ」という数人のグループで金津町内の地蔵・神社をようけ歩きまわりました。その画像及びテキストファイルを昨年末までこのHPにアップロードしていました。
しかしながら、正月にウイルスめが浸入してきやがりましたので、ぼくは郷土史ファイルの全てをMOに保存した後、HPから削除してしまいました。
ウイルスバスターで検索しつつ、おいおいこのHPに復活させていきたいと思っています。

03/04/28 (月) 鮟鱇 

この日の日記は「当選御礼」だったのだけれども、友人から入ったメールによると公選法違反になるかもしれないということなので削除しました(05/02)。

昨晩或るひとから「あんたは鮟鱇や」と言われた。
「鮟鱇は全部食えるしうまい。けどみかけが怖いのでみんな箸をつけたがらんのや」という説明が続いた。
ありがたいお褒めの言葉です。笑顔と身だしなみをブラッシュアップします。

03/04/20 (日) 雨の朝 

反省的人間であるぼくが日々あったことを書きとめているのが、この日記なのだけれども、たまたま町議選立候補予定者というだけで、告示日前日からの更新は駄目なのだそうだ。
そうすると、きょうが更新最後の日ということになる。
告示期間こそ非日常の連続で書きたいことが沢山出てくるはずだが、我慢しなければならない。

結果がどうであれ、28日にはいっぱい書き込むつもりです。

03/04/19 (土) 竹田川を親水空間に 

葉桜の季節になってきた。次は勿論菜の花だ。
かって、竹田側右岸金津大橋近辺の土手は菜の花が咲き乱れていた。
それはそれは見事な光景だった。

往時を偲ぶため、橋にたった。
その時、鴨のいないことに気がついた。
ふるさとシベリア大陸に帰ってしまったんやね。
冬の季節には元気な姿をみせてほしいと思う。
ひとが金津大橋と呼ぶこの橋を、ぼくはひそかにカモノハシと呼んでいるのだから。

・「牧田はん、ウグイス嬢に横山某のようなことしたらあかんざ」と知人(某課長)から言われた。
勿論ぼくがそういうことのできない、女性に誠実な男であることを知っていての冗談だ。横山某は「ルイ・ビトンのバッグ買ってやっから触らせてーな」と迫ったそうだが、ホントに馬鹿な男だね。

・「20日の夜に芦原町で反省会があるんや。来ませんか?」という、高木ぶんどう坂井郡支援組織からの携帯コールが入った。「だってぼくの選挙の告示前前日や。忙しいぜ」と逡巡する眉毛の薄いぼくに、相手は「でも金津のひとようけ来るざ。選挙の宣伝になるがし」という。
ウーン、これを思案のしどころというのだなあ。

03/04/18 (金) 一歩ずつ 

東山・後山・清滝地区には幾つかの溜池がある。灌漑用のものが残っているのだ。
きのう夕闇迫る頃、山中の溜池のほとりにたたずんだ。
足元には名も知らぬ花がひっそりと咲いている。
木々の枝が風にそよぎカサカサと音をたてる。
突然、水面が揺れた。鯉だ。

ひとの目に触れぬところに自然の営みがあるんやね。
全ての生き物が共存できる金津町をめざしたいと思った。

・選挙用ポスター100枚を、店でカラーコピーした。前回より厚手の紙を使ったのでコピー単価は145円/枚とちょっと高くなった。145×100×1.05=15,225円(消費税込)の出費だ。
仲のいい友人が某医師の高性能デジカメで撮ってくれた写真原画の左側には一歩ずつの黄文字だけが刻まれている。ひとはこの写真をパウエル国務長官に似ているというのだが、くちもとをきりりと結んだぼくの遠くを見つめる先にあるものは
金津町民の幸せ以外何もない。


03/04/17 (木) 昨日の昼

我が家の親類は少ない。そのひとつが福井市内にあるので、挨拶に行った。
坂井郡内の合併の経過をいろいろ聞かれた。金津芦原で一市、坂井春江で一市、丸岡三国がそれぞれ単独と決定した経過を述べた。三国金津芦原三町合併に関する住民投票を求めるぐん民会議による熱心な署名運動のあったことを述べた。
二月の臨時議会で、ぐん民会議代表の意見陳述があり、ぼくが賛成側に起ったことを述べた。賛成起立がぼくひとりで残念な思いをしたことを述べた。
しかし、いづれできるだけはやく三町合併ひいては坂井郡内六町合併を実現すべきであることの理由を述べた。

聞いていた何人かのうちのひとりが、鯖江福井の合併のことを話し始めた。
当たり前の話だけれども、福井市民にとってはこちらが切実なテーマである。

03/04/16 (水)  夜明けがはやくなってきた

昨晩は、地区役員及び友人達が集まっての合同会議。
告示期間内の人員配置等がテーマとなった。
地区推薦の本来のありかたについても、いろんな意見がでた。
意見の数はひとの数だけある。
従来型選挙にも新しいかたちの選挙にも良し悪しがある。
おのおのの良い部分を模索しようというのが総意だったと思う。
告示日まで一週間を切った。気持ちは十分に引き締まっている。


03/04/15 (火)  春眠暁を覚えず

東電の原発が17基全て運転停止という異常事態になったが、夏場は別だが当面の電力需要には問題がないという。ならば関電もしかりじゃないか。

先日の福井県知事選。高木氏vs西川氏に於ける高木氏の敗北は嶺南地方に於ける大きな票差が一因だ。脱原発を唱える高木氏に対して電力会社が組織的に動いたと新聞にあったが、これは当然として民意はどうだったんだろう。
お袋の里が敦賀であるぼくは、敦賀のひとから原発に関する話をよく聞く。少なくとも積極的賛成派は殆どいないと思う。原発不可欠論客市議ですら、原発は過渡的なものだと言っていた。
消極的賛成・現状肯定派が多数を占めているのだとしたら、政府あるいは電力会社の補助で社会インフラが整備され雇用がなされてきたことにあるだろう。しかし、個々の原発に関していえば電源立法交付金支給の期限切れは近づいているのである。

高木氏は、敗北の翌日福井市駅前で瓶ビール空ケースの上にひとり立ち
never giveup!!!を叫んだという。
人生に退屈はいらない。戦いこそが人生だ。



・ふたりの同僚議員から、写真入り名刺の作製を頼まれた。
ぼくは、嫌と言えない性分なのだ。
こういうのを敵に塩を送るというのだけれど、何故塩を送るのだろうか。
兵糧攻めをした場合、一番困るのが塩の不足だからかな?

・車を走らせていたら、道路中央に猫の死骸が横たわっていた。
若かった頃彼女(今の妻)とのドライブ中、そういう状況に出会ったことがある。すぐに車から降りて、死骸を手で道端の雑草地に運び、ねんごろに弔った時、彼女(今の妻)が「なんて優しいおかた」と耳元でささやいたのが忘れられない。
きょうはひとりだったので、すぐ町役場住民課に電話した。
皆さん、猫が生きていたら保健所へ、死んでいたら役場住民課へ電話しましょう。


03/04/14 (月)  暖かい朝


先生と 呼ばれるほどの 馬鹿はなし

稀にではあるけれども、一介の町議でしかないぼくもセンセと呼ばれることがあり、とまどってしまう。先生の定義は①先に生まれたもの①教職にあるもの このふたつなのだから、議員は当然該当しないのである。

昨日の県議選。坂井郡では金津町のS氏はじめ三人の新人が当選した。
大変おめでたいことだけれども、自らをセンセと呼ばせない運動を是非やってもらいたいなあ

03/04/13 (日)  ゆったりの日曜日

・午前6時。中川地区で、嶺北消防署の消防訓練を視察した。
めったに 起こらない火事を想定しての訓練はとっても地味だけれども、欠かしてはならない大切なことである。感謝感謝。

・先日、亡くなった戦友の葬儀に出席する親父を葬儀会場まで送迎した。
京都で開かれる戦友会に出席するというので、翌日はJR芦原温泉駅まで送った。
齢既に80を超えはしたが、生死を共にする戦場で同じ釜の飯を食った絆はことのほか強い。
生死を共にするとまではいかないにしても、選挙も又戦いの場である。統一地方選挙前半=知事・県議の投票日の本日、妻とともに早速投票をすませてきた。
後半=市町村議選挙は近づいている。

03/04/12 (土)  きょうは何の日?

昭和36年のきょう、ソ連の有人宇宙飛行船「ボストーク1号」が、人類史上初めて地球を一周した。ガガーリン少佐の「地球は青かった」はあまりにも有名な語録として、当時12歳牧田少年のアタマに焼きついた。
それから幾星霜。ゴルバチョフ大統領の登場によってソ連は崩壊した。
三年前我が家にホームステイしたロシアの少女は「ボストーク村ノシュッシンデース」と言っていたから、ガガーリン少佐も同郷だったのかもしれない。
後年、米の宇宙船に乗った向井飛行士は宇宙メダカを出産させた。
当時名古屋に住んでいたぼくの妹からその孫メダカをもらったが、見たところ普通のメダカだった。
秋山飛行士は地球の皮膜オゾン層異変に人類の傲慢を感じマスコミを退社。今は東北で有機農業にいそしんでいるという噂を聞いたことがある。

ひとの霊魂は天上にのぼるというが、その天上を実体験したひとの宗教感はどう変わるのだろうか。
その意味で、立花隆の追跡ルポ「宇宙からの帰還」は大変面白かった。



03/04/11 (金)  どこへ行っても桜が満開なのだ

福井県は変わるか?

ひとりの夢は ただの夢
みんなの夢は 実現の夢
          
ジョン・レノン
ウーン、固有名詞を書けないのが残念


・仕事のさなか、ぼくの選挙活動を裏面で手伝ってくれている○○さんが、ふらっと事務所に入ってきた。「時々牧田はんのHPみるけど、いつもひやひやしてみてるんや」と言う。「なんでや?」のぼくの問いに、「私の名前がイニシャルででると、ばれてしまうんでないかと思うんや」と答えた。
ナルホドなあ。こういう小さい町の選挙だと、地区のしがらみや商売のしがらみがいろいろあるわけやね。
・昨晩は地区と友人たちとの合同会議。
告示期間の行動計画を地区の代表のひとたちに諄々と説明するスリランカタスミ事務局長の「・・牧田くんには、毎夕定番として、ユースやビッグマート前で街頭演説をやってもらいます・・」の部分を聞くうちに、ぼくの全身は選挙モードにバージョンアップした。
「よおし、声が嗄れるまで威勢良くしゃべろう」と内心思ったのであります。


・金中同級生の皆さん。通知で御案内のとおり、今晩わたくしギューサンの議会報告会を開きます。是非ご参加ください。

03/04/10 (木)  昨日の雑感

・海をみたくなったので、車を走らせた。強風だ。幾重もの大波が砂浜に押し寄せてくる。その豪快さに驚いているうち、10年ほど前だったかの新聞報道を思い出した。地震による津波が、新潟の浜辺にいた20数人の幼稚園児を襲い、海のもくずにしてしまったというもの。暗澹たる気持ちになった。

・折をみて知り合いの家を廻っていると、玄関先とは言え、つい長話になることが多い。視力に障害を持ったひとが「障害は障害者自身にしかわからないことがある。言葉で説明できないことがある」と言う。
障害者と健常者が気持ちを共有するというのは、共有できない部分がどこなのかをお互い確認することから始まるような気がする。

・ニューヨークで満塁ホームランを打った松井はベース一周のとき、笑顔をみせなかった。ウーン、その姿こそ我々北陸人の特徴なのだ。
この欄のぼくのデジカメ無修正写真も、くちもとがきりりと引き締まっている。

03/04/09 (水)  早朝、ブルーマウンテイン珈琲を飲みながら

昨晩は、有志集まっての選挙対策会議だった。
告示と同時に800枚の葉書を有権者に郵送することができる。切手代不要のこの葉書に、各立候補者は町に対する自身の思いや信条を書き入れる。
普通の場合、この信条は多岐にわたりあるいは数項目となる。
福祉のこと、循環型社会のこと、行政効率化のこと、情報公開のこと、合併のこと、戦争と平和のこと等、考えればいろいろでてくる。
しかし意見やりとりの結果、こういうのは沢山書いても読まんだろうということで、「思いやりのある町づくり」唯一行と決まった。
シンプル・イズ・ザベストというやつやね。

・町役場で、某県議候補の奥さんとすれちがった。郵送投票のことで、選管に行くという。
「ウーンなるほど、そういう方法もあるのか。わしの息子も県外在住有権者なのだ」と納得したので、早速選管に行き、申請用紙をもらってきた。

03/04/08 (火) バグダッド 

米軍がバグダッドに侵攻し、兵士あるいは市民の多くが日々確実に命を失っていくという状況のなかで、遠く離れたこの日本では統一地方選挙まっただなか。少なくとも立候補予定のぼくの意識としてはそうである。
これは、例えばこの地球上で飢餓に苦しむ沢山のひとたちを無視するかのように、日本のTVではグルメ番組がはやっていることになぞらえることができるのかもしれない。
人間は想像力の動物だとよく言われるし、想像力は宇宙の果てまでも飛んでいくことができるはずだ。
想像力は時空間の距離に応じて密度が希薄になっていくんだろうか。
必ずしも個人差の問題ではないような気がする。

・仕事のCADにいそしんでいたら知人夫妻がふらっと入って来た。
「三票間違いないぞ。手伝ってや」という。
うちの近所のひとり住まいお年寄りの家の、タイル製大型キッチンの搬出を手伝ったわけだが、ステンレス製キッチンと違って実に重い。力の限りを尽くして搬出した。
若かりし頃体力には自信があったのになあ。もう一度鍛え直さなければならない。

03/04/07 (月) 町議選 

土日なんてすぐ飛んでいってしまった。考えてみたら、町議選投票日まで,あと三週間しかないのだ。
郡部の場合、各立候補者に対する支持がしっかり固まっているので、落選者はぼくらまちうち(いわゆる旧町内)の立候補者と相場が決まっている。
ウーン、がんばらねばならない。

03/04/06 (日) 県議選 

ぼくら町議というのは、各種議員のなかで末端に位置する。住民ひとりひとりの暮らしといつも顔つき合わせているという意味で末端というのだけれども、県議の場合は県政との対峙となるので、より骨太の政策提言が要求される。

先だって二月の町臨時議会で、三町合併を求める意見陳述があり、ぼくは「二町合併を否定するものではないが、三町合併の可能性を追求していくべきだ」と、陳述人に対する賛同意見を述べた(賛成起立はぼくひとりだけだったのだが)。その時のぼくの胸中には、来たる県議選において、合併問題がかますびしくなるだろうという予感があった。
しかし、昨日の福井新聞を開くと「告示された県議選の各立候補者は意識的にか合併問題に触れるのを避けている」とあった。何かをしゃべれば、賛否両論あるのは当たり前だ。各立候補者は、告示期間内で思うことを充分にしゃべってほしいと、ぼくは思った。


03/04/05(土) 会議 

昨晩は区民館にて区の理事及びぼくの友人達計13人が集まっての合同会議が開かれた。近づいてきた町議選にむけてのものだ。
テーマのひとつは「地区推薦」の解釈について。
従来、「推薦」は張番・動員・締付といった古い因習の語感を持っていた。
それへのアンチテーゼとして、ぼくたちは前回ボランテイア選挙を標榜し、今回も支援あるいはサポートといった言葉を用意してきた。
しかし
・「推薦は、推薦したいひとやから推薦するんやし、それで動くのもボランテイアや。誰も金もらうわけでない。第一、地区の年寄りたちにカタカナ語は禁物や。奉仕作業という言葉でいいが。」
・「選挙は戦いやけど、祭りの側面もある。数年に一度の行事や。区がまとまれば、それはそれでいいのではないか」
等々いろんな説得力ある意見を黙って聞いていたぼくは
「出たいと我がままを言って皆さんに御迷惑をかけている私です。落ちたときの責任は勿論全て私自身にあります」と申し上げた。

いろんな意見が出て、意義のある合同会議だったと思う。

03/04/04(金) ちょっと寒い朝 

昨日は、いろんなところでいろんな話をし、又話を聞いた一日だった。
晩は、某先生の陶芸教室。
7、8人のお母さんがたと興じた話の中身は住居表示変更についてだった。施行後10年近く経つが、とまどいが引き続いてあるみたいだ。地名には精霊が宿っている。
正直なところ、合併後の新市名がどうなるかよりも、旧地名の復旧ができないものかということのほうに、ぼくは関心がある。

  • 「元気ですか?」という7年ぶりにかかってきた同世代の知人からの電話に、「まあまあ元気です。そちらは?」と聞いたら、「膠原病にかかって手足が少しずつ衰えている。家族の助けでなんとかやっているがね」と言う。ある障害者施設で所長から、補助金削減による汲々の話を聞いて帰宅した直後の電話だったので考え込んでしまった。老いるとは、いづれ家族と別れていくということだ。自治体の最低限の責務は福祉の充実で、ぼくら庶民は昔の結いのこころを思い出さなければならないのとちがうやろか。これをぼくは福祉と思いやりの町づくりと呼びたい。

03/04/03 (木) きょうはちょっとうつ 

先日、妻が「ひとくちだねって知ってる?」とぼくに問うた。なんのことかわからないぼくに「福のことや」と重ねて言う。「福の右側はひとくちだと読める。左側はと読める」
「福はひとくちにかかってるんや。べらべらしゃべってたら、幸福はこない。ひとくちの的を得た言葉だけで十分なんや」との説明をうけて、うーんなかなか含蓄があるなあと、ぼくは思った。
巧言冷色少仁


・昨晩夜も更けた頃、近所のスナックで飲んでいる知人二人から「出ておいでや」の電話あり。「選挙とはなあ」という様々の講義を受けました。


03/04/02 (水) ロシアからの手紙  

・去年の夏、我が家でホームステイをしたロシア極東娘クリスチナさんから手紙が届いていた。「・・ことしも日本へいきたいです。日本でまたあいたいです。・・」と日本語で書かれていた。やっぱり手紙はいい。肉筆はいい。

・新聞に、鯨岡兵輔氏の訃報が載っていた。元環境庁長官で、環境運動に人一倍尽力した誠実なひとという印象がある。合掌。

・新聞に「三国町が三町合併を断念」とあった。先の議会で、郡民会議の意見陳述に対する賛意を述べたぼくとしては、複雑な思いがある。三国町が断念に至るまでにした合併にむけての努力とはいかなるものだったんだろうか。


03/04/01 (火) あーあ   

娘はとうとう京都府へと、学問修行に旅たった。源氏物語の里へと旅たった。
公家風の端正な顔立ちが父親譲りだといつもいわれていた娘よ。
小4まで一緒に風呂に入ってくれた娘よ。
「お父さんと結婚したい。」という返事を聞く為に「誰と結婚したいの?」と何度も質問をして、わしは喜んでいた。中学に入ってからは母親べったりとなり、わしには見向きもせんようになった。
女性にとっての最初の異性が父親だと世に喧伝されているとおり、娘にはわしに対する恥じらいがあったのだろう。

とまれ、いろんなひとと知り合って豊かな人生を送ってほしいと思う。

・大リーグ開幕。松井のいるヤンキースは、ブルージェイズとトロント・スカイドームで対戦だ。
10数年前の3月、トロントで10日間のホームステイをした時、ステイ先のヘイズ夫人と一緒にスカイドームへ行った。開閉式の巨大ドームだ。春季練習中の大リーガーたちは全て下駄のようなカラダだった。おったまげた。
頑張れ、根上町の星・松井クン!