2003年05月

03/05/31 (土) 雨の土曜日

午前4時に起きたら、外は既にしらみはじめている。
雨の週末だ。どこへも出なさんなというメッセージなのだろう。
仕事に専念していようと思います。

読めた!   
大手銀行が合併するごとに銀行名を変えた理由が読めた。
「りそな」とか「トマト」とか「みずほ」とか訳のわからん名前に変えた理由がやっと読めた。(みずほは水穂の国ということで、まあよしとしよう)
もう辞めてしもうた先代・先先代の頭取・重役連がおのれらの罪状・経営責任を隠蔽するためだったのだ。銀行名変えれば「あんな銀行知らんけんね。わしら関係無いけんね」としらをきることができる。巨額の退職金も、「なんで返納しなあかんのや。温存してこそ左団扇の余生やないか」となるのである。
結果として(Sタスミによれば)、金融機関破綻処理のための国民負担が今年の3月までに10兆円を超えたのだと。

注 出なさんな=出ないでおきなさい(福井弁)


コンテンツ「要望投票」設置後、2週間が経過しました。
項目をまとめて、「個別投票」に入りたいと思います。
議員・職員・職員採用・天下り→議員職員
保育園・幼稚園→そのまま
竹田川・環境汚染→自然環境
歩きにくい歩道・高齢者問題・住民生活向上・サービス低下・水道・公共下水道
→福祉環境
公共交通・サイクリングロード→インフラ整備
合併→そのまま
金津夏まつり→イベント
男女共同参画→そのまま      こんなもんでいかがでしょうか。

元武生市議で、今回県議選に立候補した(落選したけれども)大久保さんから定期通信が郵送されてきた。県議選にかかった費用は¥91万との会計報告があった。

ウーン、ぼくも会計報告をしなければならないか。
ぼくの場合、前回・初当選の場合と比較して¥10万強アップして、¥41万となった
(もっとも、選管への報告では、出しもしない運動員への日当をカウントしたので¥60万となっている)。
アップした理由はみっつある。
事務所・選挙カー看板製作費、おにぎり等のおかず購入費、ポスター製作費(デジカメコピー)、郵送費、油代等は殆ど変わらなかったが・・・。
・選挙カーにマイクや看板取り付けるためのキャリアーをぼくが紛失して、新たに購入せざるを得なかったための¥1.3万のアップ。
・選挙事務所を坂ノ下区民館としたための館使用料¥5万のアップ。
・妻の進言で、余りにも安いウグイス嬢の日当をアップして¥1.5万/日としたためのアップだ。
会計責任者のGマルオカさん、ご苦労さんでした。
陣中見舞い・御祝い・御酒をくださったみなさん、ありがとうございました。
地区内、地区外で、かげにひなたに動いてくださったみなさん、ありがとうございました。ブツブツ言いながら、財布を担当してくださった奥さん、ありがとうございました。
御礼は、ひたすら議員活動を頑張ることです。

03/05/30 (金) 教育厚生委員会

昨日は、午後2時半から教育厚生委員会が開かれた。
テーマは、権世地区にある民間焼却施設のダイオキシン環境基準超え問題について。

施設の許認可権、指導権は県にある。よって、昨日の委員会は県健康センター課長に対する諮問というかたちになった。恐らく町議会広報誌にその詳細が載ると思われるけれど、とにかく配布書類スキャンを御覧ください。

昨晩時報が10時をうった頃か。伊良部も頑張ったし、さあそろそろ寝ようかと思っていた矢先、事務所に若い男女が現れた。公的施設の利用についての相談を受けた。議員生活二期目に入ってから、相談ごとが格段に増えたような気がする。
アイウイル トライ マイベストです。

何故なのか、ぼくは寂しくなると石川県へ行く。海を見に行く。
福井の海とそう変わるはずがないのに、何故石川県なのだろうか。
自分で自分のことがよくわからない。

03/05/29 (木) 早寝早起き

早寝早起きがすっかり定着した。食事は一日二食。近場への外出は、息子から譲り受けの自転車だ。読書癖からも遠のいた。部屋は勿論清潔にしている。
要するに、生活習慣を簡素にして、ココロの健康を取り戻したいと思い始めたわけです。

昨日午後1時半、中央公民館で金津町社協評議会が開かれた
事務局からの事業・会計報告(膨大なボリュームだった)のあと、議会監査委員をしている山下議員から質問がでた。
「金津町社協の基金は1億1千万強。しかし、芦原町の基金は6千万と聞いている。来年の社協対等合併にむかって、このいままではいかがかと思う。」というものだった。
直接行政とは関係しない基金ではある。しかし額の差が大きいと、懸念がどうしてもでてくる。対等合併すり合わせのむつかしさは、いろんな団体にでてきているんだろうと思う。

地域のひとが、又ひとり亡くなった。
「ひとは死ねば死にきり」と思ってはいるけれど、なにかしらん浄土・涅槃があるような気もする。合掌。

03/05/28 (水) 小さな記事

「文部科学省が、耳の不自由な人の間で一般的に使われている【日本手話】を学校教育に取り入れないのは教育を受ける権利の侵害に当たる」として、ろう学校の生徒や親ら百七人が二十七日、人権救済申立書を日弁連に提出した。日本手話は、日本語を逐語訳する日本語対応手話とは異なり、独自の文法を持つ。日本語対応手話より、短く、正確に伝えることができるといい、ろう学校の生徒らが教育現場での日本手話活用を公式に要望するのは今回が初めてという。  福井新聞 5/27

「日本語対応手話」は、健聴者が使う音声日本語に従属する言語体系、「日本手話」は、ろう者自身の伝統的な言語体系で、音声日本語から独立しているといえる。
ぼくが手話を熱心にやっていた十数年前、既にこの問題はクローズアップされていた。時代は動いているんやなあ。

      タイガース 向かうところ敵なし!
上の息子から久しぶりに電話があった。来月、はるばる甲子園まで阪神ー横浜戦を観にいくと言う。
盆過ぎには、マジックが点灯するだろう。9月はじめに優勝が決定する。
「神さま仏さまバースさま」の昭和60年以来、雌伏18年だ。
優勝決定日には、みなさんに大判振る舞いをしたいが、あいにく私には金がない。
そこで、このホームページ読者・おひとりさまに、私のふたり乗りジープを進呈したいと思います。
ただし「エアコンなし・屋根断熱材剥離・バッテリー故障・タイヤ一本パンク」ですけど。

03/05/27 (火)  外は闇

昨晩は9時に寝たので、目が覚めたら午前2時だった。
しばらくCADを動かしていたけれど、やっぱりもう少し寝よう。

ところで、役場職員S氏のアドバイスによって、カウント機能が修復されました。やっぱり、一日に読んでくださるひとが多い少ないで、ココロのはりになったりならなかったりします。
いやいや、おひとりでも読んでくださるかたがいらっしゃるならば、頑張って続けます。



 昨日、役場議会事務局で教育厚生委員長とばったり。
新聞に載った町内の大気汚染のことが話題となる。
来月の全協までに委員会を開いて、対応を考えねばということになった。


 環境と福祉は、大変に今日的な課題だ。環境保全特別委員会を、常設とすべきだろう。

03/05/26 (月)  昨日の一日

・昼一番は、隣区下八日にある大鳥神社社務所。青年団のひとたちと、語り合った。金津祭りのこと、境内側溝のことなどテーマがいろいろ出た。

・夕刻は、区婦人会が夕食会を開いている会場の創作の森へでかけ、簡単な挨拶をさせてもらった。

・帰路、久々の友人宅を訪れたら、留守だった。応対にでた奥さんの左腕が傷だらけだ。猫にひっかかれたと言う。
「年をとると、ココロの傷はすぐ癒える。しかしカラダの傷はなかなか癒えない。気をつけてください、奥さん」と言い残しつつ玄関を出たら、パチパチの拍手が背後で聞こえた。
言い方が気障だったかもしれないなあ。


事務所で開かれた先週末の天麩羅試食会の主役は、元教師の講義「何故私は教職を去ったのか。教職界にもの申す!」だった。その熱弁に私はほだされた。
偉いぞ。貧を友として一緒に生きていこうじゃないか。


03/05/25 (日) 「要望投票」について 

ヨハン・シュトラウスの「皇帝演舞曲」を聴いていたら、うつが少しとけた。
クラシックには縁のないぼくだ。しかし、クラシックには癒しの力があるんやね。

コンテンツ「要望投票」を立ち上げてから、一週間が経ちました。
沢山の御投票、ありがとうございます。
<議員資質の向上・職員意識の向上・職員採用は公平に>が上位を占めているのは、パブリックサーバントを監視する立場上当然のことです。
二番手の<保育園・幼稚園>は、民営化あるいは幼保一元化の動きを受けてのことだろうと思います。
ワンクールを終えたら、テーマをもう少し細分化させたいと思っていますのでドシドシ投票してください。テーマに沿って,、ぼくもできる限り勉強させていただくつもりです。


03/05/23 (金) 早朝に思うこと

昨晩は、手話サークルから帰宅すると同時にバタンキューだった。そのせいで4時半起床。しかし外は十分に明るいんやね。
湯を沸かし、フィルターで濾過した珈琲を飲みながら新聞を読む。
一面見出しは「宅間被告に死刑求刑」。
事実認定に関して、検察弁護双方の隔たりはない。以前から、反省の色全くなしをささやかれていたし、責任能力「完全」となると極刑やむなしか。
彼を教えていた学生時代の友人から、当時の行動の特異性を聞かされてもいた。
しかしなあ。
昔カッパブックスかなにかで読んだ「戦後日本死刑囚列伝」によると、死刑囚の日々の恐怖は筆舌にできないほどのものだそうだ。だからこそ極刑というのだろうし、昨日話したクリスチャンは死刑廃止論者だった。
ぼくは廃止論者ではないけれども、微妙なテーマであることに間違いはない。

03/05/22 (木) 今思うこと

役場議会事務局で通知をもらった。
ひとつは「広報研修会開催について」、ひとつは「全員協議会の開催について」である。読みながら、「要望投票」ダントツ一位・議員資質の向上を思い出していた。

議員はこうでなきゃならんということを、およそ星の数ほど言われてきたし、性格的になかなかそうなれなくて感じた自己嫌悪も沢山ある。
しかし、要望の本質的なものはやっぱり、もっと勉強しなさいということだと思うんだ。もう二期目に入ったのだから、自分の追及すべきテーマを決めて、少しずつ歩んでいこうと思う。
6月の定例議会が済んだら、公的な施設を借りて「個人的議会報告・ミニ集会」を開きたいと思っていますので、是非来てください。


昨晩、南金津の裏道路脇木陰で携帯電話をしていたら、乗用車が止まった。
運転席が「牧田さーん」と手を振るので近寄ったら、知り合いの女性だった。「議会で福祉のこと頑張ってくださいね」と励まされ、握手して車を見送った。
しかし、何故ぼくとわかったんだろうか。
遠くに街灯はあったけれども、ぼくの顔は黒いので闇に沈んでいたはずだ。
ぼくの体型に特徴があるんだろうか。どうにも不思議だ。

投票のココロを「掲示板」に書き込んでください。そうすれば管理者も含めて、誰からの書き込みか全然わかりません

03/05/21(水) 寡黙な私

選挙期間中に、愛車ナショナルバナナ号が盗まれてしまった。
鍵をかけておかなかった私も確かに悪い。
しかし、県内限定販売のこんな派手な自転車盗んでどうするんだね。どこへも乗って行かれないぜ。
青少年(だと思う)のXクンよ。
ぼくは貴方を憎まない。貴方の罪を憎むだけだ。
夜の夜中に、私の事務所駐車場にそっと返しに来てくれたまへ。
そして、名も告げず立ち去ってくれたまへ。


最近、ぼくはトラウマ=心の傷のことをよく考える。
自己中心的だったぼくも、議員になってから、いろんなひとから悩みを聞かされるようになった。聞いているぼくは徹底的に寡黙だ。
寡黙であることによって、相手のキーワードがわかる。トラウマがみえてくる。
ひとが喜んだり悲しんだり悩んだり絶望したりする基本の殆どは、人間関係にあるのだと思う。


03/05/19 (月) ついでに旧町名復活を

54年間の長い人生のなかで、一度だけ新聞投書をし、三度だけラジオにでた。ラジオの一度目は、設計した建物についてのしゃべりだった。出番前の楽屋で、隣に座るデイレクターに「ドキドキや」とくどいたら、「まあまあ、酒でも飲んでしゃべんなさったら」と二合酒をふるまわれて、生放送スタジオに入った。・・・と、これは余談。

新聞投書と二度目のラジオで、金津町新住居表示施行に反対する思いを書き、しゃべった施行後10年近くになるが、ぼくらは慣れただろうか。
坂ノ下は、友平山から降りてくる坂の下にあるからの呼び名であって、花乃杜一丁目とは誰も言わないぞ。若い世代になれば意識が変わるという意見もあるが、ぼくは違うと思う。若者はじいさん、ばあさん、とうちゃん、かあちゃんの呼び方をアタマにすりこんでいくと思うのだ。
来年度、どのみち住所が変わるのだから、この際旧町名を復活させるべきだ。


てなことを書いてから、自転車で役場を目指した午前8時半、畑仕事のひとに呼び止められた。
「牧田はん、きょうのHPの住居表示のことやけど、あれはいろいろ複雑な経過があったんや」との説明を受けた。納得できるところも、納得できないところもあった。
「掲示板に書いてくれませんか」と頼んだら「わかった」と言ってくれた。

03/05/18 (日) 新市名の動向

新聞発表された、「合併協の新市名・あわらの方向へ」を読んだ友人から「一番多かった芦津にならないのならば、アンケートの重みはどうなるんや」という意見を聞いた。確かにそうといえる。
ぼくは合併協を傍聴した。多かった上位三つのうちの選択というかたちで協議は進んだ。ぼくの感想はナルホドだったのだけれども、アンケートの順位を軽視しているということにもなる。
合併協は、そういう疑問に対して責任を持って答えていかなければならないと思う。


 上記のことが気になったので、合併協委員宅に電話して確かめた。
上位三つを協議して決定するが協議会の姿勢であることは、当初から公開してある」が答えだった。

帰宅し、芦津・芦津・芦津と何回かつぶやいてみた。やっぱり芦原の韻と比べて抵抗感がある。固有名詞には歴史が刻みこまれているもんなあ。
しかし、歴史的長さでいうと金津のほうが芦原よりはるかに長い。
いろいろ考えているうち、アタマが混乱してきた。

全協ででた幾つかの意見
・金津は津の里だから、その津を含んだ芦津とすべし。
・金津町として、もういちど投票をすべし。
・合併協の結果をそのまま尊重すべし
・投票順位を尊重すべし
・どのみち6町合併までの過渡的名称だから新市名普及の労を考えずにあわらとすべし。
・あわらより芦原とすべし。
・隣新市名=春坂には不評が多い。

とにかくこれらの意見が次回の合併協に持ち込まれる。



03/05/17 (土) さて仕事だ

土曜日の昼下がり。
こんこんと眠っていて、目が覚めたら午後4時だ。
時間を損したような得したような、変な気持ちです。


午後6時半、若葉台から向ケ丘を見下ろした。
沈む夕陽の見事さに感動した。「生きていてよかった」と思ったよ。
煙草とアルコールは控えめにするつもりだ。


03/05/16 (金) ウイスキーで夜は更けた

昨晩、事務所での集まりには学校の先生が三人いた。
高校がふたり、養護がひとり。
話のテーマとなった障害児教育のなかで、精神障害なる言葉の定義がよくわからない。

欝自閉多重人格等病気の種類をいろいろ説明されたが、「全てぼくのなかにもあるぞ」というぼくの質問に対する答えは「程度問題や」だった。
程度の線が、社会生活適応可能かどうかであるのならば、社会の在りようが変われば程度の線も変わることになる。つまり、病気が社会によって相対化される。
先日ある福祉施設のひとから聞いた「ゆくゆくは精神障害者の老人ホームをつくりたい。何故なら、いろいろな偏見があって普通の老人ホームではなかなか受け入れてもらえないからです」という話を思い出してしまった。



本日、9時半から全協(全員協議会)が開かれた。
先日の合併協における新市名の候補が「あわら市」に傾いてきた経過を林田議員が説明。それに対する各議員の意見は百家繚乱だった。
山下議員が「あわらより芦原」を力説したが、これにはぼくも賛成。
地名には精霊が宿っているのである。
そのうち何人かの議員から「かって施行した新住居表示はおかしい。もとの地区名に戻すべきだ」という、いささか脱線気味ではあるが、ぼくが正論だと思う意見もでてきた。
7年程前、タイトル
「金津町の新住居表示はおかしい!」をFM福井で泡をとばしてしゃべったことを思い出しつつ、「そうやそうや」とぼくはココロで頷いていた。

03/05/15 (木) リストラ日記

雑務に疲れて何を書いていいかわからない。
そこで、過去の日記=夕陽恋を読んでください。
この欄で日記を書き始めてから、「面白い」というメールが入ってきた唯一のものです。


昨日の合併協を、しばらくの間傍聴した。
新市名についての協議。
各世帯から応募された名称のうちのベスト3=芦津・あかね・あわらのうちどれがいいかについての各委員の意見の殆どは「あわら」だった。
六町合併睨んだ「さかい」の応募数が少ないのにはちょっと驚いたが、三つのなかでは順当なところだろう。
芦津のアシは悪しを連想させる。「あかね」だと近江の国だ。
あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る     なのである

差し引きで、全国に名前の売れている「あわら」で構わないと思う。


03/05/14 (水) 蛇

昨日、車で沢の農道を走っていたら目の前に蛇がいた。正確には目の斜め下に蛇がいた。あわてて急停車したときには既に左前輪が蛇の胴体を横断してしまっていた。
日頃、「一寸の虫にも五分の魂」を座右の銘として、無用の殺生禁止を戒律としているぼくが、ため息で車の下を覗き込んだら、蛇くんは悠然と動いている。よかったよかった。
しかし、地球上の同胞ながらぼくは蛇が苦手だ。ぬめっとした皮膚と、内臓がどこにあるかわからない無脊椎唯一筋肉的異形が苦手だ。

昔カッパブックスかなにかで「日本刑罰史」を読んだことがある。
江戸期秘密刑罰のひとつに蛇牢があったという。
井戸の底に数百匹の蛇をぐちゃぐちゃにいれておき、容疑者をそこへ突き落とすという刑罰だ。刑罰というより拷問だ。
仮にぼくが狂信的な国家転覆主義者・新しき村建設委員会所属ナンバー3であり、後手を縄で縛られ、国家権力から「アジトはどこだ。メンバー全員の名を吐け」と恫喝されたとしよう。
井戸の底の深い闇に、とぐろをまいた無数の蛇の目がランランと光っているのだ。吐くどころか、突き落とされる前に悶絶死すると思う。

03/05/13 (火)  二行日記

所用に疲れた。CADに専念しよう。
ノートパソコン片手に、しばし篭ります。



かって、織物で栄えた福井は、肺病の罹病率が日本一だった。
抗生物質がその肺病を駆逐したけれども、中国では新型肺炎が猛威をふるっている。
医学とのおいかけっこだ。
電磁波云々をいう五太子白装束集団は、ナーバスなほどに自衛を真剣に考える素朴なひとたちの集まりではないか。白い目でみてはいけないと思うのだ。


03/05/12 (月)  気分のよかった昨晩

滅多にカラオケのマイクを握ることのないぼくだけれども、二年に一度くらいは握ることがある。一昨日の晩、久々にマイクを握った。
ぼくがひそかに持歌としているのは、森進一「港町ブルース」である。
あいにくと妻が同席していた。
四年前、妻の前ではじめて「港町ブルース」を披露した時の妻の反応は
貴方ってこんなあばさけた唄い方をするひとだったの?・・・貴方なんかだいきらい!!」だった。

今回仕方なく唄ったぼくは、しかし好意的な評価を妻からいただいた。「貴方の人生的苦悩が唄い方に顕れていたわよ。」と言われたのだ。
妻のこの一言が、昨晩のぼくには嬉しかったのである。




・昨日は日曜日ということで、過去4年間の議会資料を整理整頓した。
並べられたA4ハ-ドカバーファイルを眺めて、「もっと勉強しなあかんかったなあ」と思った。とにかく前を向いていこう。

03/05/11 (日)  ちょっと寒い朝 

芦原町でモーニングコーヒーを飲みながら考えた。
芦原は温泉町で、第二次産業が殆ど無い。水商売(この場合は湯商売か)の町というのは、固定資産税納入がきっちりとしていないという(ナカナカなのかチョットなのかは
ぼくの勉強不足でよくわからないが)。
合併すると、税務課はこの困難な課題を担うことになる。
税金支払不可能故の未納入ならばまだしも、「あそこが払わんからわしも払わん」では国民の義務を果たしていないことになるのです。
税金を好んで払うひとなどどこにも居ないのだから、履行しなければならない義務であることを自覚すべきです。
下層庶民である私がいうのです。


・近所の総持寺はダンショと呼ばれている。ダンショは談議所ほどの意味だろう。
今朝、その法要に行った。真言宗である。浄土真宗の徒のぼくにとっては見慣れない護摩焚法要のかたちに、司馬遼太郎の長編「空海の風景」を思い出していた。
外では、下八日区商店街がテントで飲食物を売っていた。
金津東地区からかけつけたYくんらのグループが蕎麦をうっていた。
知ったひとばかりとのひとときの団欒を終えて帰宅した。

・人類を救済できるのが一神教なのか多神教なのかという宗教問題に向かって沈思黙考していたぼくは、缶ビール焼酎を満載してドタバタと入ってきたマーブくん・正味医師・Jマルオカの三人によってその静寂を破られた。テーブルは突然、酩酊的阿修羅的世間話の空間と化した。
しかし、友情とはありがたいもので、三人寄れば文殊の知恵である。
ぼくの定例発行的議会報告のタイトルは、菜の花通信とスムーズに決定した。謝謝。

03/05/10 (土)  体協総会 

教育厚生委員長の丸谷議員から電話があった。
出席依頼が重なっているので、副のぼくに金津町体育協会総会へ来賓代理として行ってほしい、という内容だった。
昨日の午後7時、会場の金津町福祉会館に行った。
会場内のひとたちには知った顔もあれば知らない顔もある。
郡体・県体入賞の優秀選手として表彰されるひとたちをみていて気がついたことがある。太っていないことだ。考えてみれば当たり前なのだが。
そういえばサッカーおじさん・Sタスミも、髪は別として絞まった体型を維持している。
そういうことを考えながらわが腹をさすってやになった。
腹筋運動30回を日課とせねばならぬ。


・午後の来客は、脱サラして中国との個人貿易業を始めたひと。
「中国裏事情」を2時間にわたって拝聴したが、大層面白かった。
人間みな同じといえば同じだけれども、国民性にはあきらかな違いがあるということやね。飲み屋での商談で、政治の話は禁物だそうです。
中国ロシア比較論に移ったとき、ウラジオストック娘クリスチーナからきた手紙の返事をまだ書いていないことを思い出した。昔は筆まめだったのだがなあ。自戒自戒。

03/05/09 (金) 臨時議会

昨日は臨時議会が開かれて、新議長が選挙投票によって決定した。立候補者はふたり。僅差だった。
全協で、「投票ではしこりが残る。あくまでも話し合いを続けるべきだ」という根強い意見もあったが、とにかく午前中に投票に入った。投票に入るまでの経過に関しては、前回二年前と比べて迅速だったと思う。
ぼくが
投票したひとは落ちてしまったので残念だった。
しかし勝負は時の運だ。勿論しこりを残してはならない。
議長副議長選任のあと、常任委員の割り振りに入った。過去四年間総務委員会所属だったぼくは、教育厚生委員会に入った。以前小学校中学校でPTAの役をしていたのでホームに戻ったような気分。頑張ります。
なお、昨日の臨時議会については、議事日程をクリックしてください。


・夜は芦原で親睦会。酒を飲みつつ、数人の議員と選挙の話をした。郡部の場合は地区割りによる基礎票が大きく、人間関係も濃密だ。「票数はひとけた単位の誤差以内まで読める」と言われてびっくりした。まちうちのぼくなんか、浮動票頼みの部分が大きかったはずだ。これからは、草の根的に歩こうと思います。
・ほろ酔い気分で、芦原から自宅までを歩いて帰った。月夜に映しだされる水田は大きな湖のようにみえた。

03/05/08 (木) 朝から土砂降り 

きょうは臨時議会。二期目としての再スタートの日だ。
①配布された資料を勉強して、できるだけしゃべれるようにする。
①その結果をHPに載せるか、定期的に活字化配布をする。
①軸足をふらふらさせない。

公約というほどのものではないけれども、二期目にあたってのひそかな決意です。

仕事(施工監理)がらみで、今年上海に行かないかと言われたのだけれども、夏場に向かってサーズは終息していくんだろうか。ちょっと心配。

03/05/07 (水)  楽しみ 

昨晩午後9時半、組織議会に向けての有志議員の集まりから事務所に戻った。
暑いのでシャツ一枚になり、窓を開けた。夜風がとっても気持ちいい。
10時、友人来訪。ビール飲みつつの世間話で夜は更けていった。
世の中に楽しいことはいろいろあるだろうが、ぼくの最大の楽しみは、肩肘はる必要のない友と四方山話をすることです。


・昭和20年のきょう、連合国軍に対してドイツが無条件降伏をした。
最近新聞を読んでいないので、イラクー米戦争が終わったのかどうかよくわからない。戦争終結は勝利宣言・降伏宣言をもって成立すると思うのだが・・。

・午後の来客とはながい建築談義になった。某住宅メーカーに自宅の設計施工を依頼したひとなんだけど、ぼくにとっての顧客であるかどうかはどうでもいいことで、要するにぼくは建築の話が大好きなのである。
うん、ぼくはプロなんだ。
皆さん、住宅のことでお困りのことありましたら、気軽においでください。
相談は勿論無料です。

03/05/06 (火) 若者

昨日の午前中は、新聞編集ソフト「朝刊太郎」をいじっていたのだが、手を休めて寝転んだ。そのまま数時間じっとしていた。
他にしなければならないことが山ほどあるのだけれども、気分が重い。
ばたばた走りまわったことへの反動だと思う。
開高健に「悠々として急げ」という随筆集があるが、急ぐのも人生だし悠々としているのも人生ということやね。


昨日電話をしていた相手から「若者へもっともっとアピールを!」と言われた。
受話器を置いてから考えた。
当年とって54歳のぼくは、議会のなかでこそ若いほうだが、一般社会では分別盛りの中年だ。けれどもというべきかだからこそというべきか、若者のエネルギーこそが町を変える軸になるとぼくは思うのだ。
それは一重に若者のほうがながい未来を持つからである。
だけど、おじさんも気だけは若いし、負けない努力をしていきたい。



03/05/05 (月) 組織議会

連休があけると、町議会議員選挙後初めての議会がある。
正副議長はじめさまざまの長を決めるので、通常「組織議会」と呼ばれている。
過去2回これを経験したぼくは召集休憩・召集休憩の繰り返しによるロングランで、ほとほと嫌になってしまったぞよ(詳しくは、過去の議会報告ファイルを参照してください)。

水面下でいろいろな駆け引きがあるようだ。しかし饗応がもしあったとするならば、これも又「公職選挙法」に抵触する。
「組織議会」当日は、迅速公明正大に、ことを進めていくことを仮議長にお願いしたいのであります。
我不関裏取引的混沌→ぼくは、議長に誰を投票するか、既に決めている。


Qくんの裏庭でバーベキューパーテイがあって、ぼくも途中からしばらくの間だけ参加した。静かなパーテイだったので田んぼの蛙の大合唱がよく聞こえた。
♪ぼくらはみんな生きている 
 とんぼだって かえるだって 
 あめんぼだって            なのである


03/05/04 (日) 星をみる人

・昨日は、夕暮れの名泉郷を歩いた。

父娘二人連れの娘から「手話の先生ですね?」と話しかけられた。
金津東小学校生徒のその少女は、どうやらぼくが特別授業で教えた生徒のうちのひとりみたいだ。にこにこしているお父さんの傍でお父さんが好きですという手話を教えたら、少女から「嫌いは?」と聞かれたので「教えない」と答えて別れた。

・星空の午後10時、稲荷山地区を歩いていたら、庭先に黒い影がみえた。
近寄ると、中年の紳士が天体望遠鏡を覗いていた。
直径30cmはあろうかというどでかい大筒で、星座画面満載のノートパソコンと連動している。ぼくも覗かせて頂いたが、「快晴の夜、暇があるとこうやって星をみているのです」という紳士の言葉に、椎名誠著「土星をみる人」を思い出してしまった。

○大世帯・名泉郷は新興団地なのだけれども、意外に廃屋もある。
団地内に店がないからか。
将来の世帯数増をみこしてコンビニなどを出店するひとはいませんか?

03/05/03 (土) 昨日の一日

徹夜をするつもりだったけれども、やっぱり寝てしまったので午前中はCADに励んだ。
・午後、介護保険の関係者来訪。雲雀ケ丘寮の民営化問題について話す。民間になることのメリットデメリット・公であることのメリットデメリットはいろいろある。もっともっと勉強せねばならないが、世の動きに流されず公を守らなけらばならない部署は確かにあると思う。
・一見してその方面のかたと思われるおにいさん来訪。熱い珈琲飲みながらの「牧田はんみたいに、金使わん選挙では票が伸びんざ」「そんなことないと思う」エトセトラの会話。
・夜、某女性宅玄関軒先にて、過ぎし日の子育てのことなどを語り合うながい立ち話。
脇の道路を次々と走り抜ける車をみやりながら「ウーン、私もこのツーショットをフォーカスされる程の存在になれば名前が売れるのだが・・」と思った。

・「おおい、はよう戻ってこいや」の携帯コールで帰宅。今度はむさくるしいおじさん達とガヤガヤの世界だ。しかしビール飲みつつではあったが、ぼくがKくんにHPビルダー作製のイロハを教えている間に、Sくんが新聞編集ソフトをダウンロードしてくれた。
電子文字活字化作戦の開始なのであります。

○今度の選挙で結構沢山のひとに言われたことのひとつが「牧田はんの文章はどっちを向いているのかよくわからんところがある」だった。
結論前の思案をそのまま出してしまうのは、明快さに欠けることになるのだろう。
あるいはぼくの勉強不足とも言える。自戒し脱皮します。


03/05/02 (金) 静かな夜だ

目が覚めたら、午前0時。熱いブルーマウンテン珈琲で意識がはっきりする。
やっと普通の生活に戻った。
三国陣ケ丘の工事現場から戻り、来客の土木技師と耐震構造の話をしたが、仕事の話なんて何日ぶりだったろう。入れ替わりの来客は某福祉関係者だった。夕刻になっていたので、地酒を呑みつつの世間話となった。
うん、そのまま寝入ってしまったのだ。さあ、今晩は徹夜だ。


○知らないうちに、阪神は独走だ。開幕後対巨人5戦無敗なんて、1984年以来だそうだ。
おごれるもの久しからず
ただ春の夢のごとし
猛きものついに滅びぬ
ひとえに風の前に塵におなじ

なのである。
巨人ファンの皆さん(例えばマーブくん)、掲示板への書き込みを歓迎いたします。

○東山地区の大堤をひさしぶりに見た。中央に岬が突き出ている。夜見るほうが幻想的だろうと思った。
○夜、若葉台地区から見下ろす芦原の夜景が大変に綺麗だ。三国花火も楽しめるんだろうなあ。

03/05/01 (木) 教育費

昨日、某小学校の職員室で女性教師から、「役場から支給の備品少ないんやざ」とそのリストを見せられた。選挙に関する挨拶の途中での脱線会話だったので、明細まではチェックできなかった。
ぼくが金小PTA会長をしていた時は簡保から、金中PTA会長をしていた時は資源回収のあがりから、備品の不足分を補填していた。
しかし学校備品は本来行政が100%まかなうべきなのである。
公は福祉と教育にこそ責任を持たねばならぬ。


○月夜の清滝地区をひとりで歩いた。
田植え前の満面と水がはられた水田は、まるで湖のようだった。
妻とふたりで腕を組みつつ歩いたらロマンチックなのになあと思った。
バイザウエイ 妻はぼくの「議員日記」を一度も読んだことがないし、読む気もないとぼくに言う。ちょっとだけ寂しいなあ。

○帰宅したら、玄関に差出人なしの封筒が置かれていた。あけるとそれはいわゆる怪文書だった。ウーンこれをスキャナーでコピーし、コンテンツ「噂の真相」としてアップロードしたらオモシロイぜと思ったが、紳士のぼくにはとてもできないことであります。