2003年06月

03/06/30 (月) 上半期の反省


このごろ、いろんな議員のホームページをよく読むようになってきた。
みんな真面目に書いている。ぼくも、真面目に書いているつもりなのだけれど、なんとなくおおざっぱだ。
細かく書くのが苦手というのがぼくの性格的な欠陥です。
でも「議員日記」だ。自戒し、努力しようと思います。

03/06/29 (日) ラジオの早朝放送から


午前4時起床。ラジオをつけたら、中坊公平さんがしゃべっている。
この有名人に関しては、森永砒素ミルク中毒事件の弁護団長だったひとというぐらいの記憶しかなかった。
時をほぼ同じくして起こった水俣病に関しては、今立の知人・山崎町議が運動をしていたのでそれなりに知っていたけれども、砒素ミルクの実情に関してはまったく知らなかった。
中坊さんのしゃべりは企業告発のむつかしさという水俣病との共通点を語っていた。
被害者の家族は、「企業にお世話になったくせに甘ったれるな」という世間の冷たい風に自分をさらすことになる。その冷たさに耐えられず、家族が自分達自身をさいなむという状況が続いたという。
裁判で多額の金が入ったとしても、被害者自身は、全く他律的に強制された障害者として生きていく道を変えることができないのも事実だ。
後天的であれ先天的であれ障害者は沢山いる。我々自身も日一日と障害者への道を歩んでいる。
どういうかたちでの共存共闘が可能かを我々は問われていると、ぼくは思う。


高木ぶんどうさんのHPを読んでいたら、次のような言葉に出会った。
<僕自身は「あの時ああしていれば」とはあまり悔やまない。「あの時ああしていたからこそ現在の自分がある」と肯定的に考えるようにしている。過去と他人は変えられない。変えることができるのは将来と自分だ。>
すぐに悔やんでしまう自分だ。そういう時、この言葉を思い出そうと思う。


03/06/28 (土) TVのローカルニュースから


・西川県知事「福井空港拡張計画断念」を発表。
いいことです
あれだけの反対運動・抵抗運動がありながら、ゴリ押ししようとしたのが前知事だ。
反対地区住民に対する嫌がらせがあったとも、県庁就職に対する差別があったとも仄聞する。
ジェット機就航となると、金津高校上空300mを旋回する予定だった。空気よりずっと重い鉄の塊が空中を飛ぶ原理がぼくにはわからない。無知ほど恐ろしいものはないとひとは言うけれども、恐ろしいものは恐ろしいのだ。
(そういえば、きょうの昼、春江町上空に飛行船が浮いていた。あれは循環経済的路線なので構わないのである)
第一、近くには小松空港がある。ここへのアクセスを整備することで十分だと思う。

 「おおい。ホームページをちょっといじってくれや」という山下議員の電話でお宅にお邪魔したのが、昨日の午前9時。
最高級豆砕精選珈琲と、滋養強請剤のカプセルをいただきました。
しかし、ぼくは強請剤など飲んでも仕方ないんだけどなあ。

午後4時半、金津神社での地震慰霊祭に出席した。
昭和24年早生まれのぼくは、福井地震勃発の年生まれと同級生だ。
大人達から地震の怖さを嫌というほど聞かされながら育ってきた。
建築を半生業としている理由の一部はそこにあるのかもしれない。
黒御影石に白字で刻まれた「震災物故者芳名簿」を読んでいると、同級生の父母あるいは兄姉の名が垣間見える。
合掌


03/06/27 (金) パソコン


ノートパソコンを修理に出すことにした。
ぼくがパソコンに手を染めたのは、20年前、勤務先を辞めた時だ。
構造計算専用のキャノン製品だった。
時が移り、ウインドウズの時代となった。
計算・図面・メール・新聞あるいはこのホームページも含めて、パソコンはもはや便利屋大王だ。
しかし、パソコンはやっぱり擬似コミュニケーションやね。
手計算・手書き・出歩き・肉声会話こそが情感こもるコミュニケーションの本道だろう。
そう思いつつ、時代に流されているぼくはノートを修理に出すことにしたのである。



メールから
夫婦とは、どこも同じ会話をするんですね。うちも全く同じ会話をしていますよ。男
の人って、結婚しなきゃいいのに…。男の人って、自分の事しか考えていないでしょ
う?でも、女は、家族、子供の事を優先に考えるんですよ!もっと、奥様のことも考
えて優しくしてあげてくださいね!



03/06/26 (木) お誘い


・ちょっとアルコールが入ると、変に陽気になってしまう自分をいさめるために、禁酒にふみきった。
そうしたら、世の中暗くみえて仕方ない。いや、実際暗い世相なんだけど。

・武生から「西行を読みなさい。そして隠遁放浪をしなさい」という電話が入って、小市民のぼくはいたくさとされた。

年たけて 又越ゆべしと 思いきや 命なりけり 小夜の中山   西行
咳しても ひとり                              尾崎 放哉
腰を石に やや墓であったか                      種田山頭火
          
心身裸になったこういうひとたちってとっても素敵だ。

・そこでとりあえず禁酒を節酒にかえた昨晩、ウイスキーグラス片手につけたTV画面はVS横浜戦で、巨人がサヨナラ勝ちした瞬間だった。11.5ゲームの差をつけられていながら歓喜するナインをみていて隔世を感じたね。なんつーか、阪神熱烈ファン持続のココロは一重に巨人の強さ阪神の弱さにあったに、逆転してしまったのでは、困るなあ。



金津社協から電話があった。夏休みに、四日間の手話講習会をしてほしいという。
仔細はよくわからないけれども、「社協だより」で募集するとのことです。
お暇な方は、是非御参加を。


早朝、打ち合わせをしていたら電話がなって「議員さんでっか、わしは東京の○○いう右翼だす。活動の為に協力してくれなはれ」の何故か関西弁のダミゴエが入ってきた。
「今、打ち合わせ中なんや」というと「こんな早朝からでっか?大層なこといわんほうがよろしいで」と急に恫喝口調になったのでぼくはアタマにきたよ。
右翼に知り合いのいないぼくは、直接の来訪なり電話なりで、その筋のひとの考え方をできるだけ聞いてきた。質問もいろいろしてきたつもりだ。きょうの相手は、ぼくの返答を単なる逃げととったのだけど、こちらの状況を電話で理解できるはずないだろうが。
できるはずのないことを決めつけるのは想像力の欠如だ。

03/06/25 (水) 新聞見出しをみて


「被害者の車久留米で発見」という、福岡の一家殺害関連見出し記事を見て思った。
これだけ用意周到なのだから
、強盗ではない。当然怨恨だ。
怨恨ならば、対象は世帯主あるいはせいぜいが配偶者までで、ふたりの子供はまず無関係だろう。ぼくが被害者・世帯主の立場ならば、「妻と子供だけは、殺さないでくれ」と叫んだはずだ。「何故関係ない子供まで?」と書きながら、昔知人がぼくに語ったことを思いだした。
そのひとの知り合いが自宅で殺され、生残な修羅場を目の当たりにして生き残った子供は、十数年かけて犯人を探し出したという。
修羅場を記憶にとどめての人生にさせたくないという、人道的な配慮が犯人に働いたんだろうか。
それにしても量販店に手錠が売られている理由が、ぼくにはわからない。



夕食時、久々に妻とじっくり話をした。
・いろんな話のさなか、「俺が嫌いなひとは、パフォーマンス好きの目立ちたがりやなんや」とぼくが言ったら、「何言うてるんや、みんなそうや。特に議員なんて全部そうでないかえ?」と言われた。そこでぼくは考えた。
ひとは、しゃべったり書いたりする。何でだろう、タマシイのカタルシスか?
結局、自己正当化宣伝意識が働いているんだろう。
自己を否定的にしゃべったとしても、そう語る自分を肯定化していることになる。
そういえば昔お袋から「オマエはしゃべりすぎや。男は無口が一番なんや」とよく言われたなあ。自戒。

・「お父さん(ぼくのこと)は、ワタシと結婚したり子供をもうけたりして家庭をつくったことが不本意だったんでないんか?放浪の旅にでたかったんでないんか?」と追加の質問がきた。
ぼくは答えに窮した。
「子供が大きくなるまで、もうしばらく我慢して働いての。あとは好き勝手に放浪すればいい。そやけど、首に住所氏名電話番号書いた紐まきつけておかなあかんざ。いつどこで死ぬかわからんさけ」と言われた。
お墨付きを頂いたぼくは、日本海沿岸日々夕陽礼拝夜毎寝袋就寝雨不負風不負渡鳥小林旭的流離旅で自らの生を閉じようと思うのである。
ちょっと先のことだけど。

・ウーン、小林旭で思い出した。
昨年末に行った芦原温泉某老舗旅館。そこで石原裕次郎がいつも座っていたという籐椅子にぼくは座ってきたぞ。

3/06/24 (火) 梅雨まっただなか


コンピューターが作動せず、仕事のできなかったこの三日間は、いろんなことを考えることのできた貴重な時間帯だった。
思ったことのひとつは、何故自分が議員をしてるんやろうかということ。
議会はどうも二枚舌の世界だと思うのだ。
議会の常識は住民の非常識、住民の常識は議会の非常識という格言がそのまま残っているような気がする。
正義派を気取って言うのではないが、当たり前のことがねじれ現象を起こしてしまう。
54年間の人生には岐路・選択肢が幾つかあったけど、議会に入ったのが転落への道だったということのないようにしにゃなあ。


小鳥のヒナは、沢山のひとたちの懸命の介護努力にも関わらず、翌日亡くなった。Gマルオカ氏が畑に埋葬したという。
存命期間は数日だった。しかし、懸命に生きた数日は、ぼくのようなのらりくらりの54年の生を、その質において確実に上回る。釈小鳥院雛子居士よ。幸せに。

共産党の筆坂氏セクハラで辞任というニュースをラジオで聞いた。
ウーン、こういうのがぼくにはわからない。
ハラスメントとは困惑だ。
困惑させることに異性も同性も無い。させるヤツが馬鹿だ。

03/06/23 (月) ノートについて

ノートパソコンはあんまり便利なものじゃなかった。

戦争・飢餓・殺人・強姦・詐欺・贈収賄・談合・差別・傲慢・卑屈・追従・世辞が絶えることのない地球。
「このような醜悪社会で、ぼくは何故生きているのだろうか」の虚無感であおった十勝ワイン(760エン)がグラスからこぼれ、ノートキーボードの上にこぼれてしまったのが19日だった。
キーボード無茶苦茶になってしまい、文字書込み不可能で、勿論ホームページの更新はできない。そのかん入ってきた通信は

・おおい、死んでるんか?(電話)
・お身体が悪いんじゃないですか?(メール)
・ウンとかギューとかいってくれ(某HP)
・お声を聞いてほっとしましたわ(電話)
・死んだら弔辞読むのはSやでな(直接会話)
・毎日みてるけん、落ち着かんが(直接会話)

しかし、不屈のぼくは電脳巨匠K氏S氏おふたりにサポートしていただき、やっと更新できるようになった。
うーん、このかんいろんなことがあった。
教育厚生委員会での金津町内管内視察があった。
事務所に小鳥のヒナが迷いこみ、その世話におおわらわだった。
福井県青年の家に出向き、32名の青少年相手にさわやjかな手話講義をしてきた。



03/06/18 水) 今ここで書いているシリーズ その5 
ノートパソコンというのは本当に便利で、捻りハチマキのぼくは今、倉庫でCADにいそしんでいる。締め切り間際だ。ひとに会わないための、仕事場所緊急避難措置。傍らには万年布団があるので、疲れたら横にもなれる。

移動事務所を持てたらいいと思う。中古の大型ワゴンに積み込むノートを無線ラン対応にすれば、図面送信も、HPアップロードも自在だろう。
余生の夢やね。

金津町坂ノ下地区は芦原町に隣接している。
午前8時を過ぎたら、ウグイス嬢の雌たけびコールが風にのって聞こえてきた。そーか、芦原町議会議員選挙が告示されたのだ。
つい一ヶ月半前、ぼくもあんな風にして燃えたのである。
容姿でも性格でもしゃべりでもない、ひたすら体力なのだと信じて、走り回った。

03/06/17 (火)  今ここで書いているシリーズ その4

・ノートパソコンというのは本当に便利で、ぼくは今、竹田川の土手にいずかって、これを書いている。
対岸を眺めると、保育園へ行くのか、母子連れが歩いている。

・今朝は、午前2時に目が覚めた。起床が段々はやくなってきた。
・ブルーマウンテインアツアツ豆砕珈琲を飲みながら聴く深夜ラジオは、ハワイヤン大特集だった。
・起きた時、外は土砂降りだった。しかし、息子は修学旅行に行くとのこと。
・半世紀近く前小学生だった頃、遠足の前日には、テルテル坊主をつくった記憶がある(確か那谷寺遠足の時だった)。
・昨日の本会議で気になる質疑がでた。ぼくもした。明日が図面締切日なので、あさって書こうと思います。

ところで、「今ここで書いているシリーズその2」を書いたあくる日、一本だけだけど、「面白かったぞ」という電話が入ったので、リンクをかけました。


03/06/16 (月) きょうは議会最終日

先週末、体の不調を感じて、血液検査をしてもらったんだけれど、内臓に異常なしというお墨付きを頂いた。
とりあえず体のほうは健康なのだから、又始まった一週間を頑張ろうと思います。

03/06/15 (日)  曇天の日曜日

昨晩は、久しぶりに友人宅で歓談。ぼくは、ウイスキーの水割りをちょっと飲んだ。
酒のつまみは、
①公的施設民営化の是非について
②死について及び死んだ友についてあるいは我々はいつ死ぬかについて
③市長選あるいは市議選について
④その他として、愛は崇高かについて   
12時過ぎに帰宅し寝床に入ったが、午前4時に目が覚めた。

空がどんよりと曇っている。こんな天気ならば、雨が降ったほうがいい。
「雨降りの日曜日」ならば、映画のタイトルにもなりそうだ。
唄もようけあるがね。
雨・雨降りお月さん・雨雨降れ降れ・雨音はショパンの調べ・雨の御堂筋・雨にぬれても・城ヶ島の雨・雨のステーション・雨宿り・長崎はきょうも雨だった
・・エトセトラ。

うーん、書いていて今思ったんだけど、雨という漢字にはいかにも雨が降っているサマ
がでている。象形文字をつくった漢民族の知力はすごい。
中国は中華思想の輸出を文化的領域に限定してほしい。世界の工場などをめざして東夷の国の民を苦しめないでほしいと、ぼくは思うのだ。

坂ノ下地区にはスーパーマーケットやコンビニがある。
今朝、その近くの休耕田に捨てられているペットボトルなどの残骸を見てうんざりした。買うなら捨てるな 捨てるなら買うな なのである。

03/06/14 (土) ご迷惑をおかけしました

ウイルス削除完了

下記のメールをうけて、アップロードの内容をチェックしたところ、確かに余計なものが満載されていて、その削除におおわらわの昨夕でした。
実のところ、規定容量など知らなかったのであります。
加えて、ウイルス削除にせいを出したので疲れました。

ところで
昨晩7時に寝たら、午前1時に目が覚めて、ひと仕事終えたら午前4時だ。
コップに清酒を注ぎ、ラジオのスイッチをオンにする。
深夜放送はナツメロ大特集だ。
♪星の流れに を聴いていると、戦後の雰囲気が伝わってくる。
「アネは淫売  イモトは芸者  末のチョロマツあ 博打打ち 兄貴火葬場で骨拾い オイラ上野でモク拾い こんな一家に誰がした」という有名なフレーズを思い出した。このなかでぼくの先祖家系に縁があるのは芸者だけだけれど・・。

9歳年下の妻から「お父さん(ぼくのこと)の世代は変なひとが多いのう」とよく言われるが、なんたって戦後っ子=団塊の世代の幼少期はまだ混乱・混沌の時代だったのである。勿論、現在もそうといえるだろう。
しかしあの時代の混沌は、例えば春の小川がさらさら流れるような、タダシイ日本の夜明けを求めてのわかりやすい混沌だった。
当時の生活苦を親におしつけての無責任な来し方ふりかえりかもしれないが、ぼくはそう思う。

現在ホームページをご利用していただいておりますが、ホームページ
の最大利用容量を大幅に越えるご利用をしていただいていることが
判明いたしました。
 直ちに規定の容量以下にしていただけるようお願い致します。
 弊社にて一般サービスとして認められている容量は5Mまでとなり
ますが現在牧田様で利用されている容量は100Mを超えており
ます。ホームページ管理者と致しまして規定範囲内でご利用いただける
用よろしくおねがいいたします。
 
ホーム-ページデータを拝見させて頂きましたところ、お客様作成のホームページデータよりウィルスが発見されました。
本ホームページを管理されていますパソコンが感染している恐れがありますので早急に対策をとっていただけるようお願い致します


03/06/13 (金) 13日の金曜日

最近来訪者が多く、インスタント珈琲が底をついた。
そこで、豆挽粉珈琲スペシャルブレンドを買ってきた。やっぱりひとあじ違う。

早朝、ひとあじ違うアツアツ珈琲を飲みながら読む新聞の社会面は自殺のオンパレードだ。不景気・人間関係の亀裂など、時代の息苦しさをそのまま反映している。
ぎりぎりでの重い選択であったことを十分わかったうえで
しかしまあ、ナヤミのないひとなんてこの世にひとりもいるわけがないし、たかが人間のナヤミなんて本当はしれたものであるはずだとも思う。
真面目であることも無責任であることも、両刃の剣だとぼくは思うのだ。

03/06/12 (木) 無題

昨晩は、金津地区福祉懇談会が開かれた。
合併近しということで、芦原町社協の事務局のひとも来ていた。
数年ぶりに顔をあわせたので、会終了後は四方山話。
帰宅し、夕飯を食べたのだが、ビールミニ缶2本で顔がまっかになってしまい、そのまま就寝。
3時半起床で考えた。
ひとは年齢に応じて体力気力が少しずつ萎えていく。ぼくは、上手に萎えていきたいと思うのだ。


加賀の海 ひねもす のたりのたりかな

きのうからうつ気味になっていたので加賀の海へ車を走らせた。
海っておおらかだけど、繊細だ。
寄せる波が「心配ごとでもあるんじゃない?」と聞くのである。
ぼくは波に向かって「君を見て元気がでたよ」と答えました。


03/06/11 (水) 市名はあわらでも

梅雨に入ったのか、うっとうしい空模様だ。
しかし、梅雨があけると、竹田川カヌー下りが予定表に書き込まれることになる。
昨年のカヌー下りは7月28日だった。

ぼくは思うのだ。新市建設計画にJR芦原温泉駅→湯煙り芦原温泉行きの竹田川ルートをとりいれたらどうだろうか。
川岸例えば金津大橋近辺左岸を整備して、屋形船を5艘程停泊させておく。
屋形船には、歌手兼三味線演奏者一名及び歴史ガイド一名が添乗する。
川下りの舟唄を発掘し、「金津よいとこ一度はおいで音頭」と命名しよう。
歴史ガイドには金津町役場女子職員になっていただこう。

蓑笠・かすり・モンペのいでたちでマイクを持ち「ようこそ来てくんなったのう。金津にはいいとこぎょうさんあるんにゃざ。わちは金津生まれの金津育ちやさけの、金津のことようけ知ってるんにゃ。なんでも聞いてんでの。」という調子でガイドをしていただく。
うん、うけるような気がする。

一昨日、広報編集委員会が開かれた。メンバーになったのははじめて。
議会の各種委員会のなかで、一番地味でコツコツがこの委員会じゃないかと思った。議会だより最新号(先日発行)スキャンです。


きょうの日記を読んでくださった同世代のひとから、一緒にカヌーに乗りたいという電話があった。竹田川がきれいな川ではないことをわかってもらうのは、とてもいいことです。マーブ君、段取のほうよろしくお願いします。

 「ようこそ来てくんなったのう。金津にはいいとこぎょうさんあるんにゃざ。わちは金津生まれの金津育ちやさけの、金津のことようけ知ってるんにゃ。なんでも聞いてんでの」
という金津弁を標準語に直すと
  「ようこそいらっしゃいました。金津にはいいところが沢山あります。わたくしは金津うまれの金津育ちでございますから、金津のことは沢山知っております。なんでも聞いてくださいね。」となります。


03/06/10 (火) 静かな夜明けです

昨日の夕方、友人から携帯電話が入った。
「行政傘下に、似たような団体がいくつもある。あて職が入るので、メンバーも当然重複してくる。だったらまとめて窓口を統合すべきではないか。
合併がいい機会や。芦原町の傘下団体と照合しながら、スリム化していくべきだ」というものだった。ぼくがPTAに関係していた頃にも、こういう話を聞いた。
きょうは、教育厚生委員会が開かれるので、ぼくはそういう意見を出そうと思う。

 本日の朝刊を開いたら「北信越高校野球 福井高校が21年ぶりに優勝」とある。決勝の相手・あの全国ブランド昨年全国四強遊学館から、エース藤井は21奪三振だ。
3×21÷27=2.3だから、1イニングに2.3個ずつの三振を奪ったことになる。たいしたもんだ。

03/07/09 (水) 昨日の全協

昨日の午後1時半、全協(全員協議会)が開かれた。
それぞれの担当課長から、合併協での決議事項の説明を受けた。
このところ、合併協の傍聴をしていなかったので、よくわからないところが多かったが、
芦原町と金津町では、整備度に差がある。
質疑で印象に残ったのは、芦原水道組合(いわゆる経済区)、徴税率の差、学校給食方式の違い。個別を聞いていると、やっぱり三国を含めた三町合併が望ましいかたちだったと思う。しかし、特例法で、二町合併をお互いにとってのプラスとせねばならんだろうし、できるはずだ。
三町合併(後年三国町との編入合併)はもう無いだろう。
二市二町での一括合併がこれからの選択肢だと思う。

金津町商工会青年部からのメッセージです。「お知らせ」をクリックしてください。

03/06/08 (日) 一昨日の続き

よくわからないぼくは、昨晩、三国の町はずれに住む自称経済のプロ宅に行った。
しかし、1200兆or1400兆の国内資産を持っているのは、国民や。そこから国債がでてる。政府はゼロサムやからなあ。嫌気がさして海外移住が進んだら、ますます空洞化する。
そもそもが、バブルの仕掛けはレーガン政権だったんや。日米安保でらくした日本国の必然の帰結やったともいえる。空洞化を防ぐためには、自力更生や。時代を戻すことや。汗水たらすことが生活であることの再認識やね。
自治体かて一緒や。補助金頼みの過剰投資は絶対あかんぞ。みんなわしらのカネやがね。」
等々、2時間半にわたる長口舌を聴きながら、問題は時代を戻すことが可能なのかどうかだと思った。

03/06/07 (土) 昨日の続き

昨日の日記のようなことを、役場で同僚議員と話していた。

「大手企業の海外シフトで、技術もノウハウもいってしもた。下請け孫請けはバタバタや。空洞化やね。ぬくぬくしてるのは、大手のえらいさんだけやろ。
国の借金が800兆円に近づいたとはいえ、国際信用が落ちても国は破産せんよ。自治体も破産せん。第一、国内資産は1200兆円あるんや。
けど1200兆円になったら資産凍結でチャラや。そうなったら、紙幣は紙切れや。ブツブツ交換やね。あんたは知らんやろけど、戦後の混乱期や」と言われて、ぼくは野坂・小田・開高といった焼跡闇市派を思い出していた。
うーん、しかし、ぼくは人類が発明した最も偉大なものが金だと思うのだ。
遠くは石器時代のタイヤ石をルーツとする金=交換価値が、人類の進歩と調和をもたらしてきたはずなのだ。
ほんの十数年前には予想もできなかった事態の展開に、ぼくの貧弱なアタマは大変混乱している。

03/06/05 (木) ちょっとうつ

昨晩は7時に就寝。目が覚めたら午前2時だ。
うん、この時刻に起きると一日が充分ある。
そこでしばらくの間、この欄のスタイルをいじっていた。

この欄をいじると、くちさがない連中から「よっぽど暇なんやなあ」と揶揄されるのですが、いやいやそうではなくて、てなぐさみなのであります。

考えてみると、ぼくには趣味というものが全くない。
服は着られればいいし、飯は食べられればいい。車は走られればいいし、子供は育っていけばいい。病気でさえなければ痩せていても肥っていてもいいし、女房はいればそれでいい。
敢えて言えば、酒はウイスキーがいい、それもブラックニッカがいい。
物見遊山は、町内の神社仏閣あるいは地蔵をみればそれでいい。
海をみたけりゃ近くに三国がある。

そういうぼくが、金のかかる盆栽いじりのかわりに時々するのが、ホームページのスタイルいじりだと思ってください。

仕事のきりがついたので一服。
午後の来客は同業者だった。「とにかく仕事がない。日干しやが」の同業相憐れむ会話ののち、帰り際のせりふは「公務員になっときゃよかったなあ」だった。安定度からいうと、確かだ。しかし、そんなこといっても仕方ない。
先日の通夜席で、僧侶が「この世の苦しみは、阿弥陀様の励ましなのです」と言ってなさった。そう思って頑張ろうやないか。

03/06/02 (月) 昨日の日曜日

・「家を補修したい」という友人の要請で、早朝三国へ車を走らせた。途中の農道で、カルガモ家族の道路横断にでくわす。親一羽、子八羽・・・感動した。
・事務所に戻ると某会会員6人が、蕎麦打ちの真っ最中。なんにも手伝えなかったぼくだけれど、少しだけ食べさせてもらった。彼らの技術はあがってきている。
・午後一時半、中央公民館にて中学校同窓会総会。余興は、ロスアミーゴによる、アンデス民族音楽演奏だった。二年前、三国未来館で聴いた時にも感じたのだが、尺八のような楽器ケーナがいい。音色が哀愁を帯びている。
・夕刻、その反省会に「でてこいや」の電話でしばらく行った。
なんか、いろいろしゃべった。
・帰宅し、阪神ー巨人をTV観戦。高橋由の逆転サヨナラホームランに「うまくいかないのが人生や」と思いつつ就寝。

本日午後からは全協。
6月議会の日程が、配布された。


三国警察署より電話あり。愛用自転車バナナ号がみつかったという。謝謝。


03/06/01 (日) きょうから6月だ

昨日の夕方は蒸し暑かったので、竹田川の土手にたたずんでいた。
夕焼け雲がきれいだった。
川の向こう岸では、老夫婦が畑仕事に精を出している。
一日一生涯の気持ちで6月にむかおうと思う。

アドバイザーによると、コンテンツを細分化すると、作業が大変とのこと。
よって一項目ずつの個別投票とします。(06/01-06/15)
圧倒的に多かったのは、議員資質・職員意識、福祉及び幼稚園保育園でした。
これに限定しての個別投票とします。