2003年07月
きょうで7月も終わりだ。 ・昨日の午前中は某設計事務所にて、クライアントとともに三人でインターネット検索にいそしんでいた。シックハウス症候群に対する素材チェックだ。 幾つかリンクをはったので、住宅に興味のあるかたはごらんください。 ・午後はCAD。15インチ中古モニターで試してみた。 エクセル・新聞編集・ホームページや構造計算ソフトなどは、これで十分なのだけれど、CADにはやっぱり不向きだ。画面が小さい、解像度が低い。 でも、昔に戻ったみたいで、楽しい。 ・夜は、知人の娘さんに、手話の個人レッスン。 なんでも、全国高校文化祭というのが今度福井で開かれ、司会の傍らに通訳として立つそうだ。35年前に高校生だったぼくには、全国云々がうまくイメージできない。 学校の世界もどんどん変わってきている。 ・就寝前にキシメンをサカナに冷酒をコップ一杯だけ飲む。 飲みながら、山折哲雄「神と仏」(中公新書)を読んだ。 うん、ぼくは日一日と抹香くさくなっているなあ。 早朝、熊坂まで。HP表紙修正の為だ。 熱いお茶とお菓子と、煙草を幾箱か頂いた。きれていたので、助かった。
最盛期には七人という大家族だった我が家も、長男は東京、長女が京都に行き現在は五人。きょうから、妻が仕事で不在となり、さらに次男も部活で長崎へ行くという。 総領の甚六が、年老いた両親と静かに過ごすという構図がしばらく続くことになるわけです。 もともと無口な家族だから、生活に格別の変化はないのだけれど・・ と書きながら、いや違うなと思った。無口なのは男三人だけだ。 特にお袋はよくしゃべる。必ずしも年寄りの愚痴ということではなくて、性差による生理的な違いがあるとぼくは思う。 経験がないのでよくはわからないが、男女混在の職場でもそうではないかなあ。 男女共同参画という平等性の実現の為には性差を勘案すべきだろう。
午前4時20分。東の空が徐々にしらみ始めた。 そとの空気は既に暖かい。梅雨があけ、夏が始まったのだ。 10数年前、某化粧品メーカーが「夏してますか?」という一大キャンペーンをはって流行語になった。その夏、女友達から「夏してますか?」の暑中見舞いがきた。 「暑いのでしてません」の返事をだしたら「そういう意味じゃないのよ」という電話がかかってきて、恥かしい思いをしたことがある。 昨日の、午後2時。あわら市合併調印式が開かれた。 式そのものはセレモニーでしかない。 しかし、金津芦原両町長あるいは県知事県議等来賓の挨拶を聴きながら、ここ2年ほどのいろんな思いが去来した。 調印式の一時間前、PM1:00から全協が開かれ、水道財産区に関する金津町議会から芦原町側への質問文書及び芦原町側からの回答文書が配布された。 合併協議会議員の説明に対して釈然としないぼくは、早速手を挙げて質問したよ。 財産区が自治体と同じ公のものならば、区としての議会を持っていて当然と思うのだが。しかるに財産区の議会は芦原町議会自体が兼ねているという。であるならば、芦原町議会が財産区に対してもっともっとモノ申せるはずだと思ったんだ。 合併後も、この問題は残る。
昨晩は、某地区納涼祭の場に居た。 「町長も議員もみんなリコールや。合併の不協和音ようけあるのに、調印に臨もうとしてる。第一、議員はみんな勉強不足やが」といわれた。 リコールの動きがあるとしたら、それはそれで正しいことだと思うし、勉強不足といわれれば勿論返す言葉もない。 ぼくら一般の議員は、合併協議会の協議内容をその都度全協で、協議会所属議員(3人)から聴いてきた。協議会メンバーではないので、詳細はよくわからなかったけれど、おおむね総論が先行し、各論での不協和音(例えば財産区の問題)はトータル10数回にわたった協議会終了間際になってからでてきた。 前回の全協(7/22)で、「この解決無い限り調印延ばすべき派」と「すぐに解決できんのやからとりあえず予定どおり調印すべき派」に意見が分かれた(ぼくは前者)。 翌日、議長が、しかるべき処置を求める公文書を芦原町に提出した。 この文書に対する回答が明日の全協ででてくる。 ぼくは二股稼業だから勉強不足になるんだろうか。そうかもしれない。 しかし、そうでないとやっていけない。頑張るだけです。 えちぜん鉄道(又ひらがなだ。何故越前鉄道としないのだろう)再開に伴うあわら市の赤字補填額を、合併協は、むこう10年間、¥4,400万/年と試算している。 巨額だけれども、交通インフラの整備は仕方ないと思う。 しかし、金津の住民はJRを利用してしまうけどね。 日曜日の朝なので、ゆったり気分で煙草を吸っている。 それにつけても「住居表示」だ。 来年、自治体名が変わるのだから、旧住居表示を復活させればいいじゃないか。 やっぱり、花乃杜一丁目じゃなくて坂ノ下だ。四丁目じゃなくって向ケ丘だ。 春宮じゃなくって天王だ。大溝じゃなくって古町だ。市姫じゃなくって新町だ。 べつにぼくだけが思ってるんじゃないよ。 いつだったかの全協で、数人の議員が「旧住居表示」を訴えた。けどか、合併協では無視されたんだろう。 となると住民直接の請願だ。 商売上、いろいろと差し障りがあるかもしれないが どなたさんか、「旧住居表示復活」の議会請願者になりませんか。 ぼくは、喜んで紹介議員になります。
昨日は ・午前10時、某建材大手メーカー営業員来訪。「7月1日から建築基準法が変わり、建材の仕様が厳しくなりました。わが社の建材は全てフォースター印・ノン化学物質仕様です」と言う。 シックハウス症候群対策だ。 ・昼一番でP鯉墨とともに福井市へ。ケンくんと合流して友人の見舞いに行く。 ・帰路、中古パソコン販売店に立ち寄り15インチモニター(¥9,900-)を購入。 P鯉墨が「このキーボード953エン・消費税別やざ」と言うので店員に申し込んだら、「新品も消費税込で¥1,200エン、殆ど一緒です」の答え。ついでに購入した。 ・事務所に戻ってから町役場へ。 所用こなしたのち、議会事務局に寄った。 顔を合わせたくない議員がいなかったので、しばし事務局で談笑。 ・夕刻は晩酌。そのまま寝床に入ったら、午前二時に目がさめた。 宮城県北部で、又地震が発生した。前回は直下型地震で、その対策は数年後建築基準法に盛りこまれた。水害についてはよくわからないが、耐震についていうならば、私はプロである。松木町長は公的建物の耐震化を今後の優先課題とすべきと考える。 なお、法的規制を受けるわけではないけれども、マイホームの耐震瀬策については、皆さん、私に御一報を。プロの私には、あらゆる悩みにお答えできる自信があります。 ぐん民会議さんへ 甲子園予選準準決勝。北陸高校はよく頑張った。あの強豪福井高校を相手に8回まで、2対0とリードしていたんだもんなあ。負けたことが、財産になるぜ。 やっぱり、自分の息子が在籍する高校をついつい応援してしまう。
水泳平泳ぎの北島選手が100m、200mともに世界新記録で二冠を果たした。 文句なしの快挙だ。ソープより素晴らしい。 かって古橋が世界新記録を連発し、フジヤマのトビウオと世界から驚愕賞賛され、敗戦焦土混乱疲弊の日本人に大きな勇気を与えた姿に重なります。 今、ラジオが「昨年の自殺者は男二万数千、女九千人」と報道したが、停滞するこの社会に一筋の灯りがともったような気分です。 ところで、書きながら思ったのだが、 戦後日本を象徴するものは、確かにフジヤマくらいしかなかったんだろうが、 北島が○○のトビウオと呼ばれるとして、○○は何になるんだろうか。 昨晩の手話サークル例会には、教師が三人来たので、学校二学期制の是非が話のテーマとなった。三人は養護校一人、普通高一人、進学高一人とバラエテイに富んでいた。 「教師にとってはラクやけど、成績の下のほうの子らに対するサポートがおろそかになるかもしれない」というのが統一見解だった。 教育は本来、制度の問題ではないのかもしれないなあ。 コンピューターを整理していたら、この前の祭りで撮った写真がでてきた。 うん、宵闇のなかでの囃子太鼓はとてもよかった。太鼓たたく若者たち裸の上半身からは、汗が滴り落ちていた。 思うに昔は、祭りの晩こそが、男女の出会いの場だったのだ。 今の「出会い系サイト」などものの数ではなかったのだ(ぼくは経験ないです)。 苦しい日々の営みから開放される日。 ハレの日とケの日がきっちりと峻別されていたのである。 若者たちよ。苦あれば楽ありなのだよ。 東にいじめがあれば身体をはって助けにいこう。 西に喧嘩があれば、くだらないから止めなさいといおう。 南に助けを求める少女あれば白馬童子になりなさい。 北に醜い大人たちの所業をみたら、汚い大人たちよと糾弾しよう。 君達若者の肩にこそ未来がかかっている。夕陽の落ちる水平線に向かって走り出せ。
昨晩はKさん来訪。故障中のコンピューターを診てもらった。 (このHPを書いているコンピューターは、彼からの借り物だ) 回復に向かって又一歩前進した。 古い型(98)なので、回復もナカナカに困難なところがあるのだろう。 新しい型を買えばいいのだが、そうは問屋がおろさない。 考えてみれば、このコンピューターの故障に関しては、いろんなひとに診てもらい、いろんなひとからアドバイスを頂いた。ありがたいことです。 ひとはひとりで生きているのではない。生かされているのであります。 今回、九州地方を襲った豪雨によって亡くなられた方々に対しては、衷心より哀悼の意を表します。。九州から琉球列島にかけては、殆どの台風の通過区域になっていて、毎年のようにその被害状況をぼくたちは、TV画面で見ていることになりますが、 治水という政治家の責任がきっちりと問われなければならないと思います。 そういえば、30年程前、ぼくは春夏あわせて56日間を琉球列島・沖永良部島の牛小屋の2階で過ごしたことがありますが、その牛小屋は鉄筋コンクリート造りでした。 所有者・平(たいら)さんの自宅は木造なのに「何故?」と平のおじさんに聞いた時の答えはこうでした。 「このあたりは台風銀座や。わしらの木造屋敷は、アダンやガジュマロで囲ってる。防風林や。けどか、牛小屋は海辺の突端にある。目の前はサンゴ礁やきに防風林つくれん。そやさけ風の直圧に耐えるように鉄筋にするんや。それとね。この島のような離島では家畜がすごい大切なんや。牛は偉いんやね。よって人間より大切にしなあかんのや。」と、沖永良部弁で言っていたのを思い出しました。
|