2003年07月

03/07/31 (金) 昨日の一日

きょうで7月も終わりだ。

・昨日の午前中は某設計事務所にて、クライアントとともに三人でインターネット検索にいそしんでいた。シックハウス症候群に対する素材チェックだ。
幾つかリンクをはったので、住宅に興味のあるかたはごらんください。

・午後はCAD。15インチ中古モニターで試してみた。
エクセル・新聞編集・ホームページや構造計算ソフトなどは、これで十分なのだけれど、CADにはやっぱり不向きだ。画面が小さい、解像度が低い。
でも、昔に戻ったみたいで、楽しい。

・夜は、知人の娘さんに、手話の個人レッスン。
なんでも、全国高校文化祭というのが今度福井で開かれ、司会の傍らに通訳として立つそうだ。35年前に高校生だったぼくには、全国云々がうまくイメージできない。
学校の世界もどんどん変わってきている。

・就寝前にキシメンをサカナに冷酒をコップ一杯だけ飲む。
飲みながら、山折哲雄「神と仏」(中公新書)を読んだ。
うん、ぼくは日一日と抹香くさくなっているなあ。

早朝、熊坂まで。HP表紙修正の為だ。
熱いお茶とお菓子と、煙草を幾箱か頂いた。きれていたので、助かった。

03/07/30 (水) 静かな生活

最盛期には七人という大家族だった我が家も、長男は東京、長女が京都に行き現在は五人。きょうから、妻が仕事で不在となり、さらに次男も部活で長崎へ行くという。
総領の甚六が、年老いた両親と静かに過ごすという構図がしばらく続くことになるわけです。
もともと無口な家族だから、生活に格別の変化はないのだけれど・・
と書きながら、いや違うなと思った。無口なのは男三人だけだ。
特にお袋はよくしゃべる。必ずしも年寄りの愚痴ということではなくて、性差による生理的な違いがあるとぼくは思う。
経験がないのでよくはわからないが、男女混在の職場でもそうではないかなあ。
男女共同参画という平等性の実現の為には性差を勘案すべきだろう。


03/07/29 (火) 早起き励行中

午前4時20分。東の空が徐々にしらみ始めた。
そとの空気は既に暖かい。梅雨があけ、夏が始まったのだ。


10数年前、某化粧品メーカーが「夏してますか?」という一大キャンペーンをはって流行語になった。その夏、女友達から「夏してますか?」の暑中見舞いがきた。
「暑いのでしてません」の返事をだしたら「そういう意味じゃないのよ」という電話がかかってきて、恥かしい思いをしたことがある。



 昨日の、午後2時。あわら市合併調印式が開かれた。
式そのものはセレモニーでしかない。
しかし、金津芦原両町長あるいは県知事県議等来賓の挨拶を聴きながら、ここ2年ほどのいろんな思いが去来した。

調印式の一時間前、PM1:00から全協が開かれ、水道財産区に関する金津町議会から芦原町側への質問文書及び芦原町側からの回答文書が配布された。

合併協議会議員の説明に対して釈然としないぼくは、早速手を挙げて質問したよ。
財産区が自治体と同じ公のものならば、区としての議会を持っていて当然と思うのだが。しかるに財産区の議会は芦原町議会自体が兼ねているという。であるならば、芦原町議会が財産区に対してもっともっとモノ申せるはずだと思ったんだ。
合併後も、この問題は残る。

  03/07/27 (日) どんよりとした日曜日

昨晩は、某地区納涼祭の場に居た。
「町長も議員もみんなリコールや。合併の不協和音ようけあるのに、調印に臨もうとしてる。第一、議員はみんな勉強不足やが」といわれた。
リコールの動きがあるとしたら、それはそれで正しいことだと思うし、勉強不足といわれれば勿論返す言葉もない。

ぼくら一般の議員は、合併協議会の協議内容をその都度全協で、協議会所属議員(3人)から聴いてきた。協議会メンバーではないので、詳細はよくわからなかったけれど、おおむね総論が先行し、各論での不協和音(例えば財産区の問題)はトータル10数回にわたった協議会終了間際になってからでてきた。
前回の全協(7/22)で、「この解決無い限り調印延ばすべき派」と「すぐに解決できんのやからとりあえず予定どおり調印すべき派」に意見が分かれた(ぼくは前者)。
翌日、議長が、しかるべき処置を求める公文書を芦原町に提出した。
この文書に対する回答が明日の全協ででてくる。

ぼくは二股稼業だから勉強不足になるんだろうか。そうかもしれない。
しかし、そうでないとやっていけない。頑張るだけです。


えちぜん鉄道(又ひらがなだ。何故越前鉄道としないのだろう)再開に伴うあわら市の赤字補填額を、合併協は、むこう10年間、¥4,400万/年と試算している。
巨額だけれども、交通インフラの整備は仕方ないと思う。
しかし、金津の住民はJRを利用してしまうけどね。

日曜日の朝なので、ゆったり気分で煙草を吸っている。
それにつけても「住居表示」だ。
来年、自治体名が変わるのだから、旧住居表示を復活させればいいじゃないか。
やっぱり、花乃杜一丁目じゃなくて坂ノ下だ。四丁目じゃなくって向ケ丘だ。
春宮じゃなくって天王だ。大溝じゃなくって古町だ。市姫じゃなくって新町だ。
べつにぼくだけが思ってるんじゃないよ。
いつだったかの全協で、数人の議員が「旧住居表示」を訴えた。けどか、合併協では無視されたんだろう。
となると住民直接の請願だ。
商売上、いろいろと差し障りがあるかもしれないが
どなたさんか、「旧住居表示復活」の議会請願者になりませんか。
ぼくは、喜んで紹介議員になります。

03/07/26(土) 昨日の一日

昨日は
・午前10時、某建材大手メーカー営業員来訪。「7月1日から建築基準法が変わり、建材の仕様が厳しくなりました。わが社の建材は全てフォースター印・ノン化学物質仕様です」と言う。
シックハウス症候群対策だ

・昼一番でP鯉墨とともに福井市へ。ケンくんと合流して友人の見舞いに行く。

・帰路、中古パソコン販売店に立ち寄り15インチモニター(¥9,900-)を購入。
P鯉墨が「このキーボード953エン・消費税別やざ」と言うので店員に申し込んだら、「新品も消費税込で¥1,200エン、殆ど一緒です」の答え。ついでに購入した。

・事務所に戻ってから町役場へ。
所用こなしたのち、議会事務局に寄った。
顔を合わせたくない議員がいなかったので、しばし事務局で談笑。

・夕刻は晩酌。そのまま寝床に入ったら、午前二時に目がさめた。


宮城県北部で、又地震が発生した。前回は直下型地震で、その対策は数年後建築基準法に盛りこまれた。水害についてはよくわからないが、耐震についていうならば、私はプロである。松木町長は公的建物の耐震化を今後の優先課題とすべきと考える。
なお、法的規制を受けるわけではないけれども、マイホームの耐震瀬策については、皆さん、私に御一報を。プロの私には、あらゆる悩みにお答えできる自信があります。

 ぐん民会議さんへ

 甲子園予選準準決勝。北陸高校はよく頑張った。あの強豪福井高校を相手に8回まで、2対0とリードしていたんだもんなあ。負けたことが、財産になるぜ。
やっぱり、自分の息子が在籍する高校をついつい応援してしまう。

03/07/25 (金) ぼくたちも泳ごうじゃないか

水泳平泳ぎの北島選手が100m、200mともに世界新記録で二冠を果たした。
文句なしの快挙だ。ソープより素晴らしい。
かって古橋が世界新記録を連発し、フジヤマのトビウオと世界から驚愕賞賛され、敗戦焦土混乱疲弊の日本人に大きな勇気を与えた姿に重なります。
今、ラジオが「昨年の自殺者は男二万数千、女九千人」と報道したが、停滞するこの社会に一筋の灯りがともったような気分です。
ところで、書きながら思ったのだが、
戦後日本を象徴するものは、確かにフジヤマくらいしかなかったんだろうが、
北島が○○のトビウオと呼ばれるとして、○○は何になるんだろうか。

昨晩の手話サークル例会には、教師が三人来たので、学校二学期制の是非が話のテーマとなった。三人は養護校一人、普通高一人、進学高一人とバラエテイに富んでいた。
「教師にとってはラクやけど、成績の下のほうの子らに対するサポートがおろそかになるかもしれない」というのが統一見解だった。
教育は本来、制度の問題ではないのかもしれないなあ。

コンピューターを整理していたら、この前の祭りで撮った写真がでてきた。
うん、宵闇のなかでの囃子太鼓はとてもよかった。太鼓たたく若者たち裸の上半身からは、汗が滴り落ちていた。
思うに昔は、祭りの晩こそが、男女の出会いの場だったのだ。
今の「出会い系サイト」などものの数ではなかったのだ(ぼくは経験ないです)。
苦しい日々の営みから開放される日。
ハレの日とケの日がきっちりと峻別されていたのである。
若者たちよ。苦あれば楽ありなのだよ。

東にいじめがあれば身体をはって助けにいこう。
西に喧嘩があれば、くだらないから止めなさいといおう。
南に助けを求める少女あれば白馬童子になりなさい。
北に醜い大人たちの所業をみたら、汚い大人たちよと糾弾しよう。
君達若者の肩にこそ未来がかかっている。夕陽の落ちる水平線に向かって走り出せ。

03/07/24 (木) 自戒

舌が二枚あったり、聞こえぬふりしながら地獄耳そばだてたり、
裏でせっせと動いたり、微笑とコノヤロを同時に合わせ持ったり、
面従腹背や唯我独尊を地でいったり・・・。
ナントカという町の議会にはそういう議員が何人かいるという話を聞いたので、
ぼくも勿論俗人だけれども、なるべくそうありたくないと自戒した次第です。


昨晩は、午後6時半の夕食時に缶ビールを二本飲んだ。
いい気持ちで寝床に入り目がさめたら12時だ。さあ、朝まではながいのである。


03/07/23 (水) 無題

昨晩はKさん来訪。故障中のコンピューターを診てもらった。
(このHPを書いているコンピューターは、彼からの借り物だ)
回復に向かって又一歩前進した。
古い型(98)なので、回復もナカナカに困難なところがあるのだろう。
新しい型を買えばいいのだが、そうは問屋がおろさない。
考えてみれば、このコンピューターの故障に関しては、いろんなひとに診てもらい、いろんなひとからアドバイスを頂いた。ありがたいことです。
ひとはひとりで生きているのではない。生かされているのであります。


今回、九州地方を襲った豪雨によって亡くなられた方々に対しては、衷心より哀悼の意を表します。。九州から琉球列島にかけては、殆どの台風の通過区域になっていて、毎年のようにその被害状況をぼくたちは、TV画面で見ていることになりますが、
治水という政治家の責任がきっちりと問われなければならないと思います。

そういえば、30年程前、ぼくは春夏あわせて56日間を琉球列島・沖永良部島の牛小屋の2階で過ごしたことがありますが、その牛小屋は鉄筋コンクリート造りでした。
所有者・平(たいら)さんの自宅は木造なのに「何故?」と平のおじさんに聞いた時の答えはこうでした。
「このあたりは台風銀座や。わしらの木造屋敷は、アダンやガジュマロで囲ってる。防風林や。けどか、牛小屋は海辺の突端にある。目の前はサンゴ礁やきに防風林つくれん。そやさけ風の直圧に耐えるように鉄筋にするんや。それとね。この島のような離島では家畜がすごい大切なんや。牛は偉いんやね。よって人間より大切にしなあかんのや。」と、沖永良部弁で言っていたのを思い出しました。

03/07/22 (火) さあ夏だ

今朝のラジオの天気予報は、気温が上がるだろうと言っている。
梅雨があけたのかもしれない。
きょうは、全協及び引き続いての臨時議会だ。全協では、合併協からの報告に基づく、芦原町との差に関する議論がいろいろあるはずだ。わからないところは、いろいろ聞こうと思う。

紛失していた「新聞編集ソフト」のデーターがやっと見つかりました。
「はよだせや」と何人かのひとに言われているので、ぼちぼち書き込んで配布いたします。これ、前回のですねん。


町役場⇒某喫茶店有志議員ダベリ経由で、午後5時帰宅。
本日の全協は、芦原町温泉の水道財産区問題に終始した。
山下議員が口火をきり、とうとうとしゃべったし、ぼくも賛成意見を述べたのだが、財産区固定不問のままで合併するのはおかしい。確かに財産区は町の補助をもらわずにつくられた組合であり、昭和の大合併時における裁判の結果もそれを保証してはいる。しかし、その結果として区内と区外で水道料金が違うという不公平が生じているのだ。
水道というのは行政サービスのなかで、最も基本的なインフラであり、平地であろうが山間地であろうが、使用料金を同一にすること。これが平等性というものだ。

結局、議長を含めた合併協議員3人が、芦原町議会に対して公的文書で、その打開策の具体的な返答を求めるということになったが、決して看過することのできない問題である。

03/07/21 (月)  小さい愚痴

自分の生活のことやなんやかんやを考えていると、とても鬱陶しくなる。
ひとの一生は、重い荷物を背負うて歩むが如し  
だとは思うのだけれど、どうあがいてもどうにもならないこともあるしなあ。
しかしネバーギブアップだ。

ということで、三国の海を見てきました。

午後3時。捻り鉢巻で仕事中の事務所に友人たちが来訪し、焼肉を始めた。
ジュージューの香りに誘われ、少しだけつまみ、少しだけウイスキーの水割りを飲んだが、すぐ机に戻り仕事を再開した。

友はみな 焼肉くちに 談笑す
        それを尻目に われはわが道    啄木バージョン

03/07/20 (日) 昨日の一日

・午前9時半、差し歯装着(ぼくは視察研修の折、歯で失敗をしてしまったのだ)。

・午前10時、金津神社。例大祭ということで、「浦安の舞」を観る。(帰路、知り合いのひとを車で送るさなか、現在の神社制度は軍国主義の残滓やという御高説を聴く)。

・午後1時25分、知り合いのひとからの電話。「合併協で聞いたんやけど、社協の基金差やら、水道経済区のことやら、こんなん問題やぞ。議員は反対しなあかん。」と言われた。

・午後1時半、急いで坂ノ下八幡神社拝殿へ。例大祭ということで、神主の祝詞を聴く。
(この拝殿に絵馬があります)

・午後2時半、各議員割り当ての地区へ、神酒を配達。

・午後3時、三国町陣ケ丘「ラーバンの森」現場。新築なった椿庵で、東京から来た施主と談笑。「あしたは本陣を観に行きなはいね」と金津祭をPRした。

・午後4時半、その現場へ知り合いからの携帯「文章に図がうまくのらんのや」コールが入り、直行。ワードの操作はよくわからないので、P鯉墨氏に来ていただき、指導を仰いだ。

・午後6時半の夕食時。妻から「息子が神社で弓してるらしいざ」と言われた。
下の息子は弓道部に入っている。隠れて見ようかと出かけたら、ばったり出会った金津中学校校長氏から、弓のもう終わったことを聞かされたので、学校二学期制のよしあしを聞いていた。

・帰路、屋台でおいしそうなたこ焼きを買い、ぶらぶら歩いていたら、知り合いとばったり。ぼくは、持ち帰って食べようと思っていたそのたこ焼きをプレゼントした。
一日一善だ。

03/07/19 (土) 週末は金津祭り

視察研修から帰宅した昨晩は、泥のように眠った。
ひとり事業主のぼくは、議会に入る前は旅に出たことがない。
今は、常任委員会及び特別委員会の視察研修がそれぞれ年1回ずつある。
最近はようやく慣れてきたが、最初の頃、出不精のぼくは、これがナカナカに苦手だった。枕が違うと寝れないデリケートな人間だったのだ。

しかし視察研修は大切だと思う。違う行政・違う議会を見ることは、すなわち百聞は一見にしかずということだもんなあ。

03/07/18 (金) 視察研修

教育厚生委員会視察研修から帰宅した。

第一日目の研修先は、、和歌山県かつらぎ町立大谷小学校。
平成14年度から、二学期制を取り入れている学校である。

二日目は、三重県立南勢町役場。
この町は過疎化が進んだことによって高齢者独居世帯が多く、配食などの福祉サービスをCATV網によって推し進めている町である。
旅帰りの身、大変疲れましたので、詳しいことは、後日議会報告に書き込みたいと思います。

の視察研修の期間中にも、例えば「失踪4少女、赤坂のマンションで監禁」などの、およそ信じられない事件が報道され、議員どおしでいろいろ議論があった。
こういう場合、議員の世代差が意見を多少異にさせるが、
・父性の復権
・体罰のススメ
・家庭教育
・地域力の復活
といった、従来喧伝されている意見が主流だった。
子供3人とよく遊んだのはせいぜい小学生までで、その後は大変な手抜き親父であったぼくには、教育というものに対しての持論がない。大谷小学校の教師が「プロにおまかせください」と言っていたが、その意味では、拝聴する以外に無かった。
だけれども、全方位的情報化社会のこんにち、こどもにとっての影響体が、教師に限定されるはずがないのも事実だろう。家庭や地域の力で防波堤がつくれるかというとそれも疑問だ。村上龍がそのエッセイでよく使う言葉「ファーストプライオリテイ」・・これがキーワードだと思う。

03/07/16 (水) 夜明け前

午前2時半、起床。
事務所の鍵をあけ、豆砕熱熱珈琲を飲む。
うん、美味しい珈琲は悪魔のように黒く、天使のように甘いのだ。
ラジオのスイッチをオン。
深夜放送は昭和40年代のフォークソングを特集している。
あの頃青少年のぼくは多感だった。
上の息子・娘がそのまっただなかにいると思うと、なんとなくおかしい。光陰矢の如しなのである。

きょうから18日まで、教育厚生委員会・視察研修(行き先は和歌山・三重)に出かけてきます。

03/07/15 (火) 昨晩

・夕刻、同世代女性との電話。
「50を超えると揺れてくる。子も離れ一見安定だけど、むなしさがある。女のたそがれを感じる。あせりが生じる。」と呟いていた。

・仕事終えての午後6時、役場某職員来訪。先日の管内視察のことを話していたら、マーブくんが顔をだした。ライターをふたつも持ってきてくれた。謝謝。

・午後9時、同業者来訪。打ち合わせ及び四方山話終え自宅に戻ったら、妻が起きていた。

・「お父さん(ぼくのこと)たち団塊の世代は、甘えの世代や。自立していない。もっと自分のことは自分でしなあかん。子供社会のキレに微妙に影響してる云々。」と言われた。
世代論や男女論は、どうしても所属する側にたっての見方に支配されて、個人性が埋没する嫌いがある。しかしぼくが甘えの強い人間であるのは事実だ。
ながくもない余生だが、修正目指して頑張ろう。

03/07/14 (月) もうすぐ視察研修

先週の土曜日、所用で福井市のフェニックスプラザに行ったら、偶々、辺見庸が、教職員相手の講演会をやっていた。受付に無料とあったので、教職員のふりをして聴いてきた。
何年前だったか、読書癖のあったころに読んだ本に「ものくう人々」がある。
その本からイメージしていた精悍な顔つきの著者像と素顔の間には、ちょっと落差があった。幾星霜というやつだろう。

世の中右傾化しているこんにち、徹底してマイナーな立場から発言しているひとである。不況に悩み世俗に追われあるいは流されているぼくなどには、「そうかな?」と思われる箇所も幾つかあったが、でも誠実な論理肌のひとである。
レジス・ドブレを引き合いにだして、こんにちのマス状況を語っていた。
・イメージが論理を駆逐している。
・情緒が短絡化している。
・大衆迎合化の社会である。
・現在が過去を無化している。
・分析力が弱められている。
共同通信社記者出身というこのひとの履歴がドブレを語らしめていたのだと思う。

ただ、教職員というインテリ層相手の市民講座だったので、それを意識してのきれい言葉になっていたなあ。
ぼくら庶民をひきつける「大地を虫のように這う」というこのひと独特の思いは、やっぱり本のなかでこそ闊達に語られているような気がした。

03/07/13 (日) きょうはコンピューターいじり

起きたら6時。ひさしぶりに遅い起床だ。
そーか、昨晩は12時半まで定例まきぽん飲み会(名の由来はよくわからない)で5人が事務所に集まっていたのだった。
会社経営事情昨今と金津の地名ルーツのふたつが話の中心テーマだった。
そこで、旧HPのなかにあった金津町小字一覧を復活させました。
みんなひさしぶりだったので、大変楽しかったです。

03/07/12 (土) ゴミの話
昨日の管内視察終了後、委員会室で質疑応答。
そのうちのひとつに、住民課からの「活性炭の不法投棄に関わる立ち入り調査概要」経過説明があった。金津町中川・国道8号線に面する倉庫風建物のなかで、「廃油⇒軽油への密造」をしていた業者が、その残留物を滋賀県で不法投棄した。滋賀県警がその残留物の袋から場所を特定し、現在は容疑者を拘留中であるという説明だ。
結局こういう問題は捜索権を持つ警察が先行し、行政や議会は後追いをするだけになってしまう。

・議員から「何故金津に?、金津町はなめられてるんと違うか。」という意見がでた。
・この場合は滋賀県への投棄で例外だけれども、金津町の52%は山林である。中山間地というのは投棄がわかりにくい。
・おととしだったか、九州は久留米市近郊の町へ視察研修に行った。「ポイ捨てに関する罰金条例をつくった」町だからだ。いろいろ話を聞いたけれど、条例化三年経過で罰金適用者皆無を聞いて複雑な思いがした。
・「結局、人間を性善説でとらえるか性悪説でとらえるかです」と助役が言っていた。

うーん、ひとは目立つところで性善、目立たないところで性悪に立つというのがぼくの見解だ。目立つところは他人の目線とのタタカイだけど、目立たないところでは、自分自身とのタタカイになる。だから目立つところはクリーンなのだ。
目立たない場所で、名のりもせずにコツコツとゴミ拾いしているひとを、ぼくは何人か知っている。
そういうひとたちこそ、こころが清らかと言うべきだろう。


  午前9時半から、町管内視察。一日中ゴミの山を見て、少々疲れた。
環境保全特別委員会管内視察をクリックしてください

 昼休み。役場ロビーで手づくりパンが売られていた。横切ろうとした時、「牧田さん、買って」と呼び止められた。売り手のひとりは顔見知りの女性だったのだ。「財布持ってないぜ」と答えるぼくの横で「ワタシがだしといたげる」とささやく女子職員がいた。
控え室で「ぼくには母性本能に訴える力があるんかなあ?」と思いながらパンを食べ終えたら、横に座っていた山下議員殿から「牧田はん。少し食べんかって、全然言わなかったのう。ひとりでぱくついていたのう。」といわれた。
うーん、やっぱり人間は性悪説にたっているのかもしれん。
03/07/11 (金) アルコール
昨晩は6人来訪して、久しぶりの飲み会。メインデイッシュは焼肉・焼そばだった。
軽い鬱期に入っているぼくだけれども、アルコールを口にすると気分がほぐれる。陽気になる。束の間の癒しとわかっていても、ココロヨイのである。
例えば、西田敏行が唄ったように「もしもピアノがひけたなら」いいのだが、ぼくは楽器や唄に縁がない。散歩は時間がもったいない。水泳はプールに行くまでが、面倒くさい。ゴルフするには、金がない。結果として、全くの無趣味なので、たまの飲み会で癒されることになる。アルコールというのは、本当に不思議だ。

妻は「飲んで性格のかわるひと・ベラベラしゃべるひとは嫌いや。」とよく言う。
確かに同感で、例えば昨晩のぼくは、寡黙にワィンを口に含んでいた。
口に含み微笑をたくわえながら、若い人たちのワイワイガヤガヤをじっと聞いていた。
うん、ぼくも大人になってきたのだろう。


 マーブ君から、「掲示板にウイルス入ってるんとちゃうか?」といわれたので、検索したのだが感染なしだった。けれど気になるので、コンテンツを削除しました。
素人のぼくがビルダーでつくったホームページなので、行き届かない点が多々ありますが、くじけず又新しい掲示板を組み入れようと思っています。

 今立町の友人が日記(3年前のだけど)に学校給食のことを書いていた。
先日の全協で、合併後の給食方式が議論の対象になったのを思い出して、リンクを挿入しました。
クリックしてください


03/07/10 (木) 化学物質過敏症
ケ丘区のSさんから、電話があった。
先日、町が区内目抜き通りの街路樹に薬剤散布をしてから、体調を崩しているという。
「何故、町が事前に通知してくれなかったのか。街路樹通りに面する住宅への通知だけでは駄目なのよ」という困惑を聞いたので、昨日の朝、一緒に建設課へ行った。
Sさんは、北里研究所で、化学物質過敏症と診断されたそうだ。
ぼくの場合、人工的な化学物質と言えば、まずはシックハウスを思い浮かべる。クロス糊として使用されていたホルムアルデヒド・畳の防腐剤・ラワンベニヤも防腐処理されている。
Sさんは、ひとの集まるところへも行けないという。煙草の煙は勿論、整髪料のムースや芳香剤にも敏感に反応する。自宅から500mも離れたビッグマート坂ノ下店の屋根ペンキ塗装補修にも反応したそうだ。
30年前、住んでいたマンション全体が炎に包まれた時、濃密な有毒化学物質を吸い込んだのが、過敏症となった直接の原因だと言われた。
当然、田んぼの農薬散布・街路樹への薬剤散布などは脅威の最たるものとなる。

Sさんのようなひとは、絶対人数としては少ないだろうが、行政が行政であることの所以は、住民ひとりひとりにこまやまな神経をめぐらすことにあるのであるのである。


化学物質過敏症支援センターをクリックしてください。
03/07/09 (水) 昨日の全協
昨日の午後1時半、全協(全員協議会)が開かれた。
それぞれの担当課長から、合併協での決議事項の説明を受けた。
このところ、合併協の傍聴をしていなかったので、よくわからないところが多かったが、
芦原町と金津町では、整備度に差がある。
質疑で印象に残ったのは、芦原水道組合(いわゆる経済区)、徴税率の差、学校給食方式の違い。個別を聞いていると、やっぱり三国を含めた三町合併が望ましいかたちだったと思う。しかし、特例法で、二町合併をお互いにとってのプラスとせねばならんだろうし、できるはずだ。
三町合併(後年三国町との編入合併)はもう無いだろう。
二市二町での一括合併がこれからの選択肢だと思う。

金津町商工会青年部からのメッセージです。「お知らせ」をクリックしてください。

03/07/08 (火) 広報編集委員会
昨日は、広報編集委員会が開かれた。いわゆる「議会だより」に関する編集会議です。
配布されたゲラ刷り資料のレイアウトや文章がそれでいいかどうか、6人の委員で協議した。このての会議に出席したのは生まれて初めてだ。
公的な広報誌ともなると、一字一句に乱れがないかどうか、結構神経を使うものであることがよくわかった。
でもまあ、全体が8頁の紙面に行政報告・一般質問・人事・請願陳情発議編集後記等等を入れ込むのだから、ひとつひとつはどうしても圧縮される。

先の議会では、ぼくも一般質問をした。その質疑応答の時間は確か40分くらいだったと思うのだが、活字化されたら、質問は見出しだけの数行である。
編集委員として、「議会だより」に目を通していただきたいのは勿論です。
しかしやっぱり、議事録を読む、議会を傍聴するあるいは委員会を傍聴することで議会がよくわかると思います。みなさん、傍聴に来てください。

03/07/07 (月)  川蟹のこと
昨夕、河川敷にたたずんでいたら、横に車が停まった。
振り向くと、金津高校のO先生だ。スチールメッシュで作られた魚採り籠を携えていて、中には鯖の頭が入っている。
ビニール紐でつながれたその籠をそっと川のなかに入れていった。
このひとは3年前から、川蟹の生態研究の為に定期的に蟹を捕獲している。ビニール紐には板がくっついていて、何か日本語と中国語が書かれている。
「この籠の中の蟹は研究の為のものです。獲って食べないでください」と書いたとのこと。
うーん、こういう目立たない研究が日本の水辺生物生態学を支えているのだろう。
地味であることは大切なことだ。

昼前に来訪した友人と、川蟹についての雑談をしながら思い出した。
何年か前親父が病気になった時、鯰の蒲焼を食べたいというので、国道8号線沿いの料理屋迄、買いに行ったことがある。
幼少の頃、竹田河畔には柳の木が連なっていた。木の根元あたりが釣りのポイントだった。ミミズを餌に鯉や鯰をよく釣ったもんだ。そしてぼくは鯰こそが川魚・味の王様だと確信したのである。

03/07/05 (土) 上海 サーズ収束
昨晩も、はやばやと寝た。
きょうは、午前4時半起床。濾紙がないので、インスタント粉末珈琲・スペシャルブレンドを飲みながら、週末の段取りを考えている。

議員になってから頼まれるようになったことのひとつに、側溝や道路補修のことがある。
まあ、これは当然のこととして、最近、人間関係のことでの相談を受ける。
自分に相談を受ける器量などあるはずないのに、よく受ける。
昨日もそういう類の電話が一本入り、受話器を置いてからちょっと考えた。
社会の価値観の急激な変化が、ジンシンの乱れを誘発する原因をつくっていると思う。
はやい話、ぼく自身がそうだ。悲哀困惑をムネに秘めながら、かろうじて普通の顔して生活している。
こういう時代に頑張らなければならないのは、心理カウンセラーだとぼくは思うなあ。
ということで、今朝は某カウンセラー宅に電話。一時間半の長電話をした。
「シャバが変わった。地域が崩壊した。結(ユイ)の精神今いずこだ。しかしやっぱり、地域の力は必要やね」と言われた。
米の社会学者テンニエスの「ゲゼルシャフトとゲマインシャフト」を読んだのは30年程前だった。ゲゼルシャクト(契約社会)とゲマインシャフト(非契約的協同社会)のそれぞれの長短が描かれていたが、おおざっぱに言うと、ゲマインシャフトが結の精神に重なる。
キリスト教だと、「ひとはパンのみにて生くるにあらず・汝の隣人を愛せよ。」になるのだろう。
「愛」はとっても素敵な言葉であったはずなのに。


沖縄で、中学生が下級生を殴って殺したと、ラジオがしゃべっている。
来る日も来る日もこんなニュースばかりだ。
誰でも憎いヤツはいる。だけど、殺したいと思うことと殺すということの間には、本来、千里の距離があるのだ。ぼくらは、とっても嫌な時代に生きていると思う。

03/07/04(金) 年とったのかなあ
早寝早起きが習慣となり、ぐっすり寝込んでいた昨晩8時半、手話サークルから呼び出し携帯コールが入り、出かけた。電話が入ったのは、最近さぼりがちだったからだ。
「教育厚生委員がそんなんでは駄目じゃないの」と言われてしまった。
反省しながら帰宅。

目の前に一本の煙草がある。6月中に買いだめした煙草、その最後の一本だ。
最後の一本に火をつけて、禁煙に踏み切るべきかどうか思案している。
・禁煙することで
出費の節約になり、又肺も(多分)きれいになるんだろう。
・しかし、禁煙することで
貴重な町税への寄与ができなくなり、又我慢が神経を磨り減らしはしないか?
肉体の健康vs精神衛生のどちらが大切なのか、その判断がむつかしいのである。

  4日午前11時52分ごろ、福井県敦賀市の核燃料サイクル開発機構の新型転換炉「ふげん」(出力16.5万キロワット)の敷地内にある放射性廃棄物処理施設で、火災報知機が鳴った。係員が監視カメラで調べたところ、室内に白い煙が充満していた。 ⇒asahi com

町議グループで高速増殖炉「もんじゅ」に行ったのは、3年前だったと思う。放射線防御服を何度も着替えながらたどりついた中枢部=ナトリウム漏れ事故現場は、そのままに保存されていた。折れた温度計もみせてもらった。
事故状況のビデオ隠しが発覚した当時、担当職員が自殺した。単なる引責ではなくて、内部のしめつけによるものとぼくは思うのである。

・10数年前にも、在日朝鮮人小説家・故金達寿氏ガイドの数人ツアーで、「もんじゅ」のある白木地区に行った。白木は新羅からきているという氏の説明は十分うなづけるものだった。
陸の孤島とも言うべき白木地区の対岸に建設中だった「もんじゅ」の威容(当時の金で六千億エンだったそうだ)に圧倒された。

・数日前の新聞で、「関電大阪府内に火電を建設」の記事をみたが、何故原発ではないのか。

・日本有数の松原として誉れの高い敦賀市気比の松原。
ここで、それはそれは可愛い玉のような赤ちゃん色白金髪だったそうだ)としてこの世に生をうけたぼくにとって、敦賀市は金津町の次に大切なふるさとなのである。
 

03/07/03 (木) ジャッカルの日

昭和62年のきょうは、仏ドゴール大統領がアルジェリアの独立を認めた日だそうだ。
このドゴール暗殺を描いた本がF・フォーサイスの「ジャッカルの日」だ。
勿論、失敗がエンデイングだった。
ハードボイルドとはこんなに面白いものかと、気分昂じたついでに、映画化された「ジャッカルの日」を観にいったのを覚えている。
ところで、テロリズムは昔からのものだが、その対象は国の要人トップに限定されていて、無差別テロというのは少なかったと思うのだがなあ。


 きょうの昼、 三国土木事務所へ行く途中、横垣の集落を通り過ぎた時、思い出したひとがいる。
四国の離れ島で看護婦(今は看護士か)をしている横垣出身のひとだ。武生の友人とふた家族でその離れ島に行き、二泊お世話になった。
戸数10数件。自動車が一台もないその島は勿論無医村で、病人が出た時は、彼女が四国本土までモーターボートをぶっ飛ばすと言っていた。十五年程前の思い出だが、無医村をとりまくこんにちの状況はどうなんだろうか。
この島もそうなんだけど、ぼくは小さい島が大好きで、淡路島の離れ小島「成ケ島」や、琉球列島のひとつ「沖永良部島」などには特別の思い入れがある。・・・青春の一頁です。

03/07/02(水) ちょっと曇り空

昨日の午後は、あっち行ったりこっち行ったりだった。
昼一番で、町建設課⇒教育総務課⇒三国土木事務所道路保全課⇒建築課⇒三国陣ケ丘工事現場⇒黒目知人宅⇒九頭竜川堤防北上⇒福井市江端倉庫⇒県庁裏喫茶⇒某設計事務所
⇒6時帰宅。
しかしまあ昨日ほどではないにしても、こういう日中出歩きVS夜半机上仕事の交替生活を、ぼくはかれこれ30年続けてきたことになる。

・陣ケ丘の現場で「ひとは特定の何か特定の誰かの為にという思いで一生懸命になれる。けど、議員てのは公つまりいろんな意見に耳かさなあかんから、可哀想や大変や。」と言われてちょっと考え込んでしまった。

・休憩の為に入った喫茶店。週刊誌を読んでいたら。カウンターに座った数人の県庁職員とおぼしき中年男達の声がやかましい。カウンター内のママさん相手に早稲田学生輪姦グループの手法を得意げに語っているのだ。なんか異様だった。


きょうの午後1時半。町福祉センターで「ふるさとの川竹田川をきれいにする会総会」が開かれた。ぼくは、まちうち川べり護岸について質問した。
三国町汐見地区の河川改修で、川底の流れがはやくなって、既存のコンクリート製シートパイルの根入れが浅くなり、内側に傾いてきているそうだ。その改修策として、フトンカゴに入れた自然石積で水への勾配空間をつくる計画があるという。
うん、こういうのが親水空間への第一歩やね。
ちょうど、三国土木事務所の課長が来賓として来ていたので、総会終了後、「竹田川・金津―芦原間屋形船定期航路をつくるべきや」と訴えてきた。

03/07/01 (火) 下半期スタート
昨日は午後1時から、県自治会館で「町村議会議員研修会」が開かれた。
講師は、全国都道府県議会議長会前議事調査部長・野村稔氏。
一昨年も聴いていたので、新鮮味に欠ける嫌いはあったが、それでも3時間にわたる長丁場が退屈ではなかった。
昭和22年にできあがった自治法の解説が話の骨子だったが、講師は、地方議会のありうべき姿を、GHQ占領下成立の米国的なものより、英国議会に求めているような気がした。
うーん、話上手なひとの雰囲気を文字化することの技量をぼくは持っていない。そこで、レジュメをスキャンしたのだが、ソフトがうまく動かない。困ったことです。


 
岩手県議に当選したサスケ氏の、マスク着用が容認されたニュースをみて思ったのだけれど、本人が本人であることを確認できるのだろうか。
声か。
しかし、議場でしゃべらなかったら、声でも確認できないことになる。自治法では、議場に入る時、帽子外套襟巻の着用を制限しているのだが、マスクには言及していない。当時はマスク着用など全く想定できなかったということだろう。
ところで、女性のベレー帽着用は構わない。女性にとってのベレーは帽子ではなくて、服飾品なのだそうです。

 先日のTV「北陸スペシャル・輝け松井秀喜」に星陵高校野球部・山下監督と松井の御両親が出演していた。話の語尾に時折「・・をー」という福井弁的伸びがあった。方言っていいねえ。
思い出したのが十数年前にたまたま聴いていたラジオだ。確か福井県営球場での星陵vs福井だったが、そこで松井は敬遠されていた。地方大会ですら敬遠される。孤独のひとになるんだろうと思った。
ところで、北陸三県というけれど、越中がノーベル賞で加賀が大リーグ。
しかし越前はナッシングなのだ