2003年08月

03/08/31 (日) 久しぶりの飲み会 

昨晩は久しぶりの飲み会。午後7時、三九会のメンバー8人が事務所に集まった。
正味シェフ(仮名)の指示のもと、ふたつの大鍋で水炊きがぐつぐつし始めた。
鶏肉の味が絶妙で、ぼくも焼酎を何杯か飲んだのだが、わいわいがやがやを楽しんでいるうちにうとうとしてしまった(最近のぼくの就寝時刻は午後8時だ)。うとうとしながら、べとぞうけでメダカを獲っている夢をみていた。
午前2時起床。外は雨が降っている。
「ショパンは雨音の調べ」を口ずさみながら飲む豆砕きあつあつブルーマウンテイン珈琲がおいしい。
雨音の憂愁も、珈琲の情熱も人生なのである。


○ 真夜中のラジオ・NHK深夜便。首から下全身神経マヒの女性・大石さんが、オスカー・ワイルドの短編「赤い薔薇」を引き合いに、母を語っている。
肺腑をえぐる言葉が実人生で培われたものであることがよくわかる。
不覚にも、おじさんのココロは午前4時に涙を流してしまった。

03/08/30(土) 聞いた話だが 

新聞に春坂市合併の見直しが載り、そのより具体的な解説が「やまさんの気まぐれ議員日記」に載った。
昨日の午後5時、町行政職員がふらっと来訪。その裏話をして帰って行った。春江vs坂井はすごくぎすぎすしているという感じだ。一度できた溝の修復は、もう無理だろう。

○もう午前4時50分だ。仕事の手を休めベランダに立つ。
ウイスキーを片手に白み始めた空を見上げた。
30代に読んだ高橋三千綱著「九月の空」にあった二行詩を思い出した。

空 凍る
空 溶ける  

プロのもの書きというのは、うまいね。

03/08/29 (金) 外は秋の気配  

12時を過ぎても寝付かれない。仕方ないのでシャワーを浴びたあと事務所に戻ってきた。
ラジオが宅間被告死刑判決を報じている。
悔悛の情更に無しどころか傍聴席への一層の憎悪こめた発言制止されての退廷、通常の神経到底持ち合わせぬつまりは異常人間としか思えないのだが、裁判長は責任能力を認め被告の居ない席に対しての死刑判決。動機のとんとわからない沙汰が横行する暗黒の時代の到来か。
ところで、ぼくの学生時代の同居人の仁多さんの気まぐれ日記(08/28)が、これに触れている。

03/08/28 (木) 広報編集

昨日、兵庫県上郡町議会広報編集委員会のメンバーが、町役場を来訪視察。広報編集についていろいろ話し合った。
いろんな話がでたなかで「?」と思った違いもいくつかあった。委員会に審議を付託されるもののなかに、議案・請願・陳情・要望があるが、上郡町議会では陳情・要望を審議の対象としていないとのこと。資料が各議員に配布されるだけだそうだ。
上郡町議会では委員会の傍聴が許可されていない。金津町議会は傍聴可能です。
一般質問等本会議でのやりとりが、多少パフォーマンスめいたものになるのに対して、委員会審議は実質的な討論だ。その窓口が開かれているのに誰も傍聴に来ないのは悲しいことです。皆さん、是非傍聴に来てください。

○ 一昨日、町職員十数人に手話を教える機会があった。住民課課長以外は全て女性。
建築畑・議会畑を歩いているぼくは、日頃女性との接触が少ない。どうしても緊張してしまう。
男女共同参画社会だ。職域の全てに女性がでてきてほしいと思う。
○ 数日前にその話を聞いてはいたのだが、山下さんの8月27日付け日記が実に面白かった。
リンクから御覧ください


03/08/27 (水) 富士山

昨夜、晩酌時に見ていたTVは、富士山山麓への不法投棄の実態を映しだしていた。
正規に受注した廃棄物処理業者が下請け孫請けに仕事を流していくのだが、その間に介在するのが、県境を越えた広域ブローカーで、末端孫請けでは請負値が正規の受注値の実に六分の一になってしまうという。正規の処理施設に持ち込めば当然赤字となってしまうので、山麓への不法投棄となる。山麓の土地所有者にしたところで、自分の土地に足を踏み入れるのは数年に一度なので実態がよくわからないままに不法投棄が進行してしまった。大変に美しい富士山及びその山麓は、そういう理由で世界遺産指定を受けることができないという。

広い中山間地を持つ金津町でも、先日は軽油密造事件が新聞に出たし、ダイオキシン排出環境測定値が基準を超えて新聞報道となった焼却施設がある。あるいは県保健所担当課の説明では、ダイオキシン煙突排出測定値が基準を超えて操業一時停止となった焼却施設もある。不法投棄に関しても、キナクサイ噂を聞くことがあるのである。
環境は大変に今日的な課題だ。富士山山麓を他山の石としなければならない。

03/08/26 (火) 靴

多分ぼくは贅沢をしない人間なんだけど、靴とライターだけは別である。
今朝、所用をこなしたあとの車での帰り、助手席のぼくが「靴屋に寄ってや」と頼んだら、運転席は「いいわよ」と快く応じてくれた。購入した紐結びオーソドックス型¥4600エンの高級靴を履いてみたら、今までの¥980が安物に感じられた。
大地とぼくのカラダとの間の仲人は靴なのだ。気分がぐっと引き締まった。

03/08/25 (月) 徹夜をしてしまった

一睡もしないうちに夜があけ、今やっと一息ついているところだ。
ここ一週間、とにかく時間に追われっぱなしで(山下さん本当なんです)、幾つかの行事に不義理をしてしまった。けれど、忙しいなかにも感じた「ウーン、そうなのか」をまとめて書こうと思ったら、どっこい一夜あければきれいさっぱり忘れてしまってる。
妻からは、「腹が出すぎている」といわれ、某町助役来訪の折はウイスキーのせいもあろうが、その状況記憶になく、街で妙齢の美女とすれちがってもココロときめかず、つまり老齢化が進行しているのだけれど、マア普通通りに歳を重ねていくのがぼくの理想です。

友人、パンフを携えて来訪。そのお知らせ

03/08/23 (土) 残暑だけは例年通りだ

昨晩は、社協で評議委員会が開かれた。
金津社協と芦原社協の基金の差は¥2700万。合併に際して、市姫荘のWC廻り改修及び老朽化した送迎バス購入の案が出た。9月定例議会での審議対象になる予定。
 津谷博子展のお知らせ

03/08/22 (金) もう週末か

昨夕来訪の建築関係のひとは、いろいろしゃべってから帰っていきなさった。
一言でいうと
「20年間の東京生活を終え、福井に帰って5年。福井はつくづく保守的排他的なところやと思います。仕事がとれるかどうかは、コネコネの人脈によるんやもんねえ。それにやっぱり給料が落ちる。帰ってからは、嫁はんに働いてもらわなあかんようになりましたわ。でも福井には雄大な海雄大な山が身近にあって好きです。」だ。
嫁はん云々は切ないほどよくわかるけれど、保守排他についてはよくわからない。
ぼくは社会人としての都会生活をしたことがないので、比較対照ができないのだ。
しかしマア、人間関係なんて相対的なものだけれど、自然が絶対的なものとだけはいえる。

03/08/21 (木) 昨日の一日

・午前中は市姫荘にて手話講座。気分転換に紺の作努衣を着て行った。

・午後四時、金津神社でとり行われた金津地区の戦没者慰霊祭に出席した。
蝉時雨がけたたましい。昭和20年8月15日もそうであったはずだ。
「あなたがたの御霊が今日の平和の礎である」という祭文を聞きながら「しかし今日のような社会を作るための犠牲であったとして、草葉の陰で満足しているんだろうか」と思った。
ぼくは復員兵の息子として昭和24年に生まれた典型的団塊の世代である。

・晩酌時、息子のぼくは帰省中のその息子・娘と兄弟論を語りあっていた。知らぬ間に大人になってきている。

03/08/20 (水) 蟹の話

午前零時、ただ今起床。
昨日、美しい夕焼けにみとれて竹田川川べりに佇んでいたら、蟹博士=金津高校のO先生がやってきた。携えているバケツの中には、甲羅にナンバーのうたれた沢山のモズク蟹がうごめいている。移動生態をチェックした彼ら彼女らを川へ戻しにやってきたわけやね。
しばらく蟹の話を聞いていた。
蟹は川底の腐食した植生や魚の死骸を食べて生きているそうだ。水中のハイエナだ。
ハイエナというやつは、嫌われ者だけれど、彼ら彼女らのおかげで、サバンナの清潔が保たれ、伝染病の蔓延を防いでいる。
つまり、蟹も又循環型社会のキーマンなのだ。この川に沢山の蟹を放流したらいい。
どのみち、地名がどんどん変更されてしまう世の中だ。「竹田川」を「蟹田川」に変えて南
こうせつにテーマソングを歌ってもらったらと思ったが、「蟹田川」では歴史のゆかしさが感じられないなあ。地名はむやみに変更するものではない。

03/08/19 (火) ちょっと疲れ気味

このところ、図面の細かい線ばかり見ている。図面書きの宿命だろう、とうとう今の眼鏡では字や線がぼやけて見えるようになってきた。昔買ったより強い度の眼鏡をかけたらぴったりだ。というわけで、今日から眼鏡を変えることにした。

 図面締め切り間際というのは、もっと時間をということで、鍵かけ事務所に閉じこもっていたいのだけれど、きょうから社協の手話講座だ。頑張るのみです。

03/08/18 (月) 二行日記

昼、Kさんが来てくれて、コンピューターが復旧した。
感謝感激です。

03/08/17 (日) ただ今午前2時

昨日は、夕方にひるがのから帰宅。ちょうど福商vsPL学園をやっていたので、盆帰省中の息子と一緒にTV観戦をした。終盤の攻防がとてもスリリングで、福商が勝ち越した時など、歓声あげて息子と握手しまくった。「あばさけたらあかん」と妻にしかられたが、確かにぼくは子供みたいなところがあるなあ。


03/08/16 (土) 無題

何故8月15日を終戦記念日というのかよくわからない。
終戦では作為的だ。戦争の風化をとめるためには、敗戦記念日とするべきだ。


03/08/15 (金) 五行日記 

昨晩は、某料理屋にて飲み会。昼間ゴルフをしていた同級生連中十数人が集まった。
ゴルフをしたことのないぼくも、何故かその場所に居た。
シャイなぼくだけど、アカペラで「港町ブルース」を歌った。久しぶりなので緊張した。
さあ、お盆唯一の楽しみは終わった。今朝は既に、捻り鉢巻仕事モード全開である。
頑張るぞ。

昨日の鴨長明で思い出したんだけど、「方丈記」の方丈は3m×3mを意味していたはずだ。立って半畳寝て一畳というやつやね。
子離れした核家族夫婦の住まいは、これを範とすればいい。

午前10時、ふらっと事務所に現れたケンさんが、コンテンツ「まきさん会」をつくってくれた。
   謝謝。

03/08/14 (木) 土葬  

友達のホームページに、「死ぬなら火葬より土葬がいい」と、書いてあった。
土葬禁止のこの国にも、その風習の残るところがあるみたいだ。
数年前に亡くなった山岳写真家のTさんは白山山麓のその村に再三ジープをとばしていた。
「埋葬風習の写真撮るためには、村のひとたちと仲良うならにゃいかん。ココロを開いてもらうんや」と言っていた。

火葬は、ダイオキシ発生等大気汚染の発生源となるので、焼却温度を高める必要があり、炉建設の費用が莫大となる。今、一部事務組合芦原番堂野にある焼却炉新設の話がでているが、20億ー30億とかかかるそうだ。つまり閉鎖システムだからだ。
土葬は、というより死体を家畜あるいは動物園の餌にするならば、栄養過多の現代人は好餌となるだろう。システムが開放され、循環経済となる。
しかし、問題があるなあ。
既に中世において「鴨川に累々とよこたわる死体は悪臭を放ち市中に疫病を蔓延させ云々」と鴨長明が書いている。
薬漬けストレス漬けの現代人のことだ。ニュータイプの伝染病が拡がりはしないか。
「健康な肉体の死体に限っての許可」を条例化するのが関の山だろうが、数が知れていると思う。

 一年ほど前に買い換えた携帯電話。やっと自分のメール番号がわかった。
この一年間に入ってきた携帯メールは2件だけで、ようするに全然使われていなかったのだ。携帯メールというと、出会い系サイトを思い浮かべるかもしれないが、勿論ぼくはそういうものにはノータッチである。

何年か前、県PTAの役員をしていた時のことだ。
青少年に悪影響を与える出会い系サイトへの対策議論のさなか、ある女性が
「出会い系で時刻を約束してね、はやめにその場所に行って茂みのなかに隠れていたの。
定刻にやってきたおじさんがソワソワキョロキョロしているの。十分見物してから、勿論そのまま自宅に帰ったわ」と言った。
女性も40近くになると、面白い遊びをするもんだと思ったが、しかし約束破りでもあるなあ。

03/08/13 (水) ありがとうございます   

最近は午前2時前後に起きている。この時刻の起床だと自分が朝型人間なのか夜型人間なのかよくわからない。しかしとにかく目が覚めてしまうのである。
豆砕き熱熱珈琲を飲んで、アタマがすっきりするまでの間、つまり仕事に入るまでの予備時間に、ついついこの表紙をいじったりして遊んでしまうわけです。

閑話休題
昨日の甲子園野球第三試合は、聖望vs香川西。
聖望の圧倒的攻勢をみていて、桑田清原主軸の頃のPL学園vs山形南を思い出してしまった。PLの得点は確か27点だったと思う。(そういえば福商の次の相手はPLやね)
大量リードにも関わらず執拗にバントで攻める聖望を「こういう展開でのバント攻撃を外国ではしません。相手に対する冒涜になるからです」と、TV解説者が暗に批判していたが、どうなんだろう。
負けたら終わり、一回勝負の桧舞台だ。一点でもようけとシャカリキになるのを責めることはできないと思う。考えてみれば、郷土のチームは、一校を除く全てが負けるために参加するのである。負ける悔しさを味わうために参加するのである。
「勝者に花束はいらない」と言ったのは寺山修司だが、その意は、たたきのめされることによるみじめさの経験こそが、人生舞台での男の武器になるということだろう。

閑話休題
某女性からメールが入ってきた。(実は妹なんだけど)
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人也。
翌日は台風一過で東北霊場 山寺立石寺を参拝しました。心配してくださってありがとう。
山形は福井についで共稼ぎ2位の県だそうです。おにぎり形の山があちこちに見え山形弁もいい感じです。別居結婚も悪くないぞ!って感じ!
     閑さや岩にしみ入る妻の声        って感じ!


蝉が妻に入れ替わった理由がよくわからないので、電話した。
理由は
①岩とは夫のことで、アタシがいろんなこと言ってもウンウンと吸収して終わってしまう。
②そういう態度の夫は、包容力があるのか、単に聞いていないだけなのか。
だそうです。
アクセスカウントが、7万を超えました。
3年前の2月に書き始めたのですが、駄文ながらも毎日の書込に疲れ、このHPを閉じようかと思ったことも、勿論何回かあります。
そういう時、アクセスカウントの数字がとても励みになりました。
3万、5万の節目にも申し上げましたが、付き合ってくださって本当にありがとう。
これからもよろしくお願いいたします。


03/08/12 (火) 同級生たちはお盆で里帰りしてきている

昨日の昼、通りを歩いていたら車が停まり、窓から中学の時の同級生が顔を出した。単身赴任で今は大阪にいる大手企業の役職月給取り。
「三セクがどこでも失敗してるのは、行政にアンテナが無いからや。」とのお小言を残して、彼の車は走り去っていった。

夕方、高校の時の同級生が「古いんで悪いんやけど使ってくれや」と、応接セットをトラックに載せて持ってきた。悪くない悪くない。もらえるものは拒まずしかし与えず主義のぼくはありがたく頂き、お礼に粉末インスタント珈琲を一杯差し出した。
単身赴任で大阪在住、元大手銀行員今出向の彼は「過度の補助金頼み行政は自治体の破壊につながるぞ」との警句を残して帰っていった。

ふたりとも、ぼくらの周囲には居ないタイプの弁舌の徒だ。
「都会は人口密度が高い。ひとと顔突合せしゃべる機会は当然多くなる。舌を滑らかにしておかないと、なかなか出世できんということやろ
うか」と田舎のおじさんは考えた。

昼一番、社協での手話講習に関する打ち合わせ終え、事務所に戻った。
午後は来客5人。もらいものの応接セットが大変に役立っています。

本日の日経新聞に、「画家・前田美千雄、戦地からの絵手紙」の記事が載っていた。
前田は、戦地から新妻当てに計728枚の絵手紙をせっせと送り続け、しかし敗戦10日前に31歳で戦死した画家である。
五年程前、舞鶴の美術館でこの絵手紙展を見たとき、戦地の惨状よりむしろ日常の淡々が描かれていて、不思議な思いをしたことがある。
戦場に限らず、今日の社会も同じだ。
悲惨もその裏側にはユーモアがあるし、平和な光景にも必ず悲惨が見え隠れする。

03/08/11 (月) メダカ

昨晩は、金津夏祭りに出かけた。屋台立ち並ぶ新富河川敷のひとごみごったがえすなか、いろんなひとに出会っていろんな話をしていろんな話を聞いていた。
みんな上機嫌だ。いわゆる酔っ払いは苦手だけど、適度のアルコールはひとを陽気にさせる。
鬱気味だったぼくの気分もちょっとだけほぐれた。
午後9時半帰宅、即就寝。

住宅改修中の現場で、不要になったバスタブをもらった。水を貯めてメダカを飼おうと思うのだ。
きょう訪問した三国町某会社の玄関先には水瓶がふたつ置いてあって、満面の水に浮かんでいるハスの葉のあわいをメダカが泳いでいた。ブラックバスよりキャットフィッシュより金魚より熱帯魚よりメダカが好きだ。何故かわからないが、好きだ。
それにしても、新富河川敷から眺める竹田川の流れは決してきれいではない。
流れが澄んでいてこそ、親水空間への道が開けてくると、思うのだがなあ。


03/08/10 (日)  駒大苫小牧高校はいい勉強をしたぞ

早朝のラジオが「福井市五太子の白装束集団・パナウエーブ研究所に放置されていた死体から複数の打撲傷が発見された」と報じ、集団暴行致死の可能性を匂わせていた。
皮肉解説が売物の「週間新潮」で、オウムやパナウエーブのルーツはある小さな組織にたどりつくという記事を読んで嫌な感じを受けていたところに、この報道だ。
よくわからないのだが
日本社会の経済が低迷し殺人が横行しモラルが失墜すれば、将来を宗教に委ねたいという気持ちがでてくる。既成の宗教が冠婚葬祭の域を出ていなければ、新興宗教に可能性を求めるのも当然だろう。日本国憲法が思想・信仰の自由をうたっている限り、新興宗教が内部でどのような世界観、どのような戒律を持っていようと、それは全くの自由だ。
問題は、風通しにあるのではないかとぼくは思うである。
入団の自由は、脱退の自由でもあるはずだ。
「入ってみたけどわしには合わないさけ、出ていきますわ」と言われたら「そうでっか、そんならお幸せに」と快く送りだしてあげるのが、宗教的寛容性というものだ。
宗教とは違うけれども、70年代初頭・連合赤軍死のリンチ事件の発覚で、おおかたの学生が身を引き、政治の季節が終わったのだと思う。
組織と社会との間に、出入り自由の風穴がなければ、どんな組織も行き詰まっていくしかない。
そうだとすると普通の生活だ。
「お父さん(ぼくのこと)、とっけんはっけんのこと言ってたらあかんのやざ。人間は普通にしか生きていけんのや。普通に寡黙に生きることほどむつかしいことはないし、大切なことはないんや」と妻はよく言うのだが、当たっていると思う。


佐賀市議会議員選挙。
一票差で落選した無所属議員が選管ミスを提訴し、裁判所は選挙無効を決定した。
34人の当選議員全員はこれに反発し選挙有効を訴えているという。
選管ミスは、無所属議員を自民党議員として掲載したことにある。
裁判所の選挙無効判断は正しいし、当選議員が逆提訴するのはおかしい。
(心情はわかるがね)
だって、選管委員の人選については、議会がこれを承認しているはずだ。
おのれの承認した選管委員のミスはおのれのミスでもある。

03/08/09 (土)  妹からのメール

明日 山形へ行きます。台風を追っかけるか、追いかけられるかですけど。お盆失礼
しますけど おじさんおばばちゃんに元気でいるとお伝えください。
そうそう お兄さんの生誕を祝って植樹祭をした一本が竹田川堤防の桜並木の一本な
のですよね。あたしなんかペンペン草の一本もありやしない!最初の子はそういうこ
となのよね。
では また 理恵子
     (妹からのメールなので、無断掲載)

08/07日記を読んでのメールだと思う。
うん、昭和24年、長男孝男誕生の年に桜の木が一本植えられた。
しかし、護岸工事で今は既にない。(祭りをしたとは誇張だろうがなあ)

最初の子はというより男の子はということだろう
ちょっと考えてみた
① 50年以上前の日本の村は男尊女卑だった。
② 稲作村社会は、可憐な女子(妹がそうかどうかは別)より、厳しい労働の担い手としての男子の誕生を望んだ。
③ 「五木の子守り唄」は、はやくから奉公にだされてしまった女子の哀歌である。
④ しかし50数年後の今日、農薬と農機具の普及が、稲作労働を相対的に楽なものにした。
⑤そして、男子女子は労働の担い手、手伝い手である必要を失った。
⑥その結果として、男女共同参画社会が到来しつつある。
⑦教育界では男子女子の性差を強調することがタブーになりつつある。
⑧男子をクンで呼び、女子をサンで呼んだら何故いけないのか、おじさんは全く理解に苦しんでいる

長崎の平和祈念式典。
誓いの挨拶を手話で述べたろうあ者山崎さんは、投下された爆弾が原爆であることを知るまでに一年以上かかったと、情報の不足を嘆いていた。
阪神淡路大震災の際、通訳ボランテイアとして神戸に行ったひとからも同じような話を聞いた。行政もマスコミもそういう意味では徹底して怠惰だったと言われても仕方ない。

03/08/08 (金) もう週末か

昨日は、某大型ショッピングセンターで買い物をした。レジには都会で学生をしている知り合いの娘さんが居た。夏休み帰省中のアルバイトをしてるんやね。
「お母さん元気か?」と聞くぼくに、「はい」と答えたしぐさが初々しい。
こういう思春期の娘さんたちを強姦していた早稲田の学生グループは最低である。
ついでにいうと、折鶴をライターで焼いた関学の学生も何を考えていたのだか。
記憶で言うのだが
30年以上前、立命館のキャンパスに建てられていた「反戦平和の像」がセクト学生の手によって破壊された。しかしこの破壊には訴える力があった。
読み書きしゃべりだけが得手の大学教授達知識人に対する抗議の意味があった。
学内に象徴を置くことで免罪されるという日和見安定気分を撃つ力があった。
報道を読む限り、ライター学生にそのような確信犯的意図があったようには思えない。


 昨晩は手話の関係者4人で、焼き鳥を食べに行った。
店内は、若い客が圧倒的に多い。対若者断絶世代のぼくは、彼らをじっと観察していた。
酩酊でカウンターに顔伏す女性、髪染ピアスの男性等いろいろだ。
「ウーン」のぼくに、「ああいうファッションは、結構女性にもてるのよ」と隣席がいう。

もてることが大切なのではない.。愛は求めるものなのである。
あの「赤と黒」でジュリアン・ソレルの恋の遍歴を描いたスタンダールは生涯全然もてなかったのだ。もてないことで、想像力の世界を飛翔したひとといえる。
若い男性諸君。服飾や車や財布についてくるオナゴなど相手にするな。君の横顔の憂いを理解しようとするひとこそを真のパートナーとすべきだ。
若い女性諸君。君の美しさは、目の大きさや、鼻の高さや、色の白さにあるのではない。
感情によって変化する表情が生きているかどうかにかかっている。
本当に美しいものは、目にみえないのだよ(星の王子様からの引用)

あーあ、ガッコのセンセみたいなこと書いてしまった。

03/08/07 (木)  木

・竹田川堤防沿いの坂ノ下地籍には桜並木がまだ残っている。
区のひとからの要請があったそのうちの何本かの扱いについて、一昨日三国土木事務所管理用地課に行き、いろいろ話をしたら、昨日返答の電話があった。
・先日は、友人とともに、三国の森の中にいた。
うん、最近のぼくは木と向かいあうことが多い。

ずっと昔、鯖江の造園屋のおじさんと工事現場で雑談をしていた。
「なあ、牧田はん。わしら仕事で木を切ることあるわな。でもわしはチェンソー使えないんや。木もなあ、胴体切られる時痛うて泣くんやぞ。
チェンソーで切るとあっという間やから、その泣声聞き逃してしまう。
わしは、手鋸で切る。断末魔の叫びを耳に刻み付けておくことが、木の精霊に対する葬送の儀礼というもんや」と問わず語り。
おじさんからこの話を聞いた時、ぼくも図面書きという職人のはしくれでいてよかったなあと思ったよ。

 ということで今朝の6時半、ぼくは裏山で樹径一尺の木を切っていた。
勿論手鋸を使ってだ。
でも、断末魔の悲しい叫びは聞こえてこなかった。汗が出て、手が疲れただけだった。
若造であるぼくの感受性はまだまだ磨かれていない。
不立文字(道元)・・・今年の夏は一乗滝で断食只管打座修行に挑もうと思うのである。

06 (水)  真夜中に焼酎をちょっとだけ

昨日も暑かった。
高見順の詩「炎天」の一節
石が 音をたてて 乾いている を思い出す。
石の表面の硬さで、あっちっちーという感じやね。

有名な 静かさや 岩にしみいる 蝉の声 (芭蕉)からはむしろ涼を感じる。
何故しみいるなのかよくわからなかったんだけど、ひとから「この岩は苔むしているんや」といわれて了解した。苔の湿潤柔肌が、声を吸収しているんやね。

静かさや 腹にしみいる 焼酎純 
(孝男)
            芭蕉先生を思いながら・午前2時の事務所にて

03/08/05 (火) 図書館

中央公民館3階及び町立図書館へ行こうと思うと、足腰の悪いもの、心臓の悪いものは大変な負担になります。先日も心臓の悪い知り合いが階段を上った後気分が悪くなり座り込んでしばらく動けなくなりました。また障害者用トイレもこの時代は当たり前だと思います。無理な話かなあ・・・⇒(みんなの会議室に載っていた意見)

土台、この御時世に図書館が二階部分にあるというのが極めて珍しい。
8年ほど前、図書選定委員をしていた時、県内のいろんな図書館の視察に行ってつくづくそう思った。
教育がこどもたちの未来構築の拠点ならば、図書館は住民の人生勉強活字編の拠点だ。
貧乏暇無しで、本をすっかり読まなくなってしまったぼくでもそう思う。
合併した後の優先課題とすべきだ。箱物新築が財政上無理ならば、用途変更という手がある。

 昨日、夕闇せまる頃、竹田川河畔を歩いた。
ところどころに散逸する空き缶を拾って歩いた。(この時刻だと目立たなくていい)
見上げると二匹の赤とんぼが飛んでいる。

夕焼け小焼けの 赤とんぼ 負われてみたのは いつの日か

日本童謡史上ナンバーワン(とぼくが思っている)このメロデイーが頭をかすめたとき、それはそれは可愛かった幼年時代が走馬灯のようによみがえった。
このごろ回顧趣味のぼくは、涙もろくなっている。

仕事に疲れたきょうの昼下がり。加賀の海まで車を走らせた。
陽射を浴びた小雨・いわゆる「狐の嫁入り」のなか、沖合いの波頭を眺め続けて飽きない。
短い時間だったけれど、気分がとても充実した。

03/08/04 (月) 夏真っ盛り

真夜中だというのに暑い。蝉時雨である。
梅干茶漬を食べて寝床に入ったのが昨晩の9時で、午前1時に目が覚めた。
寝付かれないので、事務所に来てこれを書き始めたが、アタマには靄がかかっている。
これでは駄目だ。酷暑に耐える体力が必要だ。

というわけで、今年の夏は自転車に挑戦するつもりです。


昨晩は、六日区「たけくらべ祭り」のスナップを沢山撮った。
ここに載せようと編集していた時、操作の不手際で全ての画像が消えてしまった。
残念。
 昨日。立ち話で、問わず語りの相手の目に涙が浮かんできた。「女の涙は雄弁である」という有名な警句があるが、男女共同参画社会の理念は、この警句を敵としていくのだろうか。
向ケ丘地区調整池はきれいになりました。
この調整池が砂を引き込む理由は、若葉台の宅地化が進んでいないからだそうです。

03/08/03 (日) お盆間近

お盆には、先祖の墓参りをする。先祖といっても、顔声脳裏にあるのはじいさんばあさんだけだ。さかのぼっての先祖は抽象体でしかないのだけれども、やっぱり墓前で霊魂と向かい合っているわけです。
昨日、15年ほど前に死んだ友人の墓に参った時に思ったのだが、
早逝したひとはみんな善いひとばかりだった。

勿論、ひとに善いひとも悪いひともない。
善くみえるひとは、そうみえる分だけ裏に悪を隠し持っている。
偉くみえるひとは、そうみえる分だけ裏に愚かさを隠し持っている。
陽性にみえるひとは、そうみえる分だけ裏に陰性を隠し持っている。
剛直にみえるひとは、そうみえる分だけ裏に気弱さを隠し持っている。
理論家にみえるひとは、その分だけ裏に支離滅裂を隠し持っている。
要するにプラスマイナスゼロというのが、ぼくの人間認識のセオリーなのだが、亡くなってしまうと不思議によくみえる部分だけが残るんやね。


午前中は福井市内ショールームで水周りの相談に付き合い、午後は先日刈った竹田川河畔の枯草を焼いた。きょうは、今年最高の気温だ。それも午後1時からの野焼きだったので大変に暑かった。
 役場職員各位
先日、金津町役場住民課課長に「お盆前後から、定例で役場職員に手話を教えて欲しい」と言われた。うん、ぼくは議会一般質問で何回か手話のことをとりあげた。
大変いいことだと思います。
近いうち、各課に募集要項が出回ると思います。ぼくも頑張りますので、どしどし応募してください。


  03/08/02 (土) 忙しくなりそうな週末

昨晩は、議会終了後の納涼会ということで芦原温泉に泊まった。
あけて午前9時、ロビーでゆっくりと珈琲を飲んでいる。週末だからだろう、ロビーを往来する客が多い。
それはいいのだけれども、客は夕食後に外をぶらつかないみたいだ。
以前草津温泉に行った時、ライトアップされた源泉の雰囲気とその周りを散策する浴衣下駄客の多さと屋台の並びに活気を感じた。
もともとが、自然景観に恵まれていない芦原温泉なのだから、温泉街の中央広場あたりにそういう仕掛けをつくるべきだと思う。勿論色仕掛けは要らない。

  03/08/01 (金) きょうの一日

・午前3時半、起床。
きょうは、午前4時50分から消防訓練視察があるのではやく起きた。
インスタントだけれど、とりあえず珈琲を飲む。朦朧の意識が徐々に明瞭になってきた。
さあ行こう。

・午前6時、視察から帰宅。
消防訓練は金津町福祉センター及びその周辺で行われた。いろんな型の消防車のなかでひときわ目立ったのが梯子消防車だ。福祉センター屋上に配置されたひとたちをみるみるうちに救出する。一台一億三千万円だもんなあ。
火災はまず予防からという観点からいうと、この車が再三出動するようでは困る。
しかし、万一を考えると必要ということになる。
ところで、合併協の報告では、合併後、金津町が一度消防組合から脱退し、あわら市として再度加盟するそうだ。郡内六町を俯瞰した場合、背の高い建物が林立するのは、温泉街を抱える芦原町だ。その芦原町は現在梯子消防車を持っていないという。不思議な話だ。