2003年09月
国会中継。 公明党の神崎代表が、「21世紀の国際社会に対応するために初等英語会話教育を施すべきだ」と言っていたが果たしてそうだろうか。又ゆとりが無くなって不登校が増えるんじゃないか。 第一、米が日本語を初等教育にとりいれない限り対米追随だ。 確か、初等教育は個性的思案的人間つくりをめざすと言っていたんじゃなかろうか。 哲学者・パスカルは「人間は考える葦だ」と言った。(五輪選手・高野進は、「人間は考える足だ」と言った) しかし、考える媒体はどう考えても母語だ。 語学を覚えるのに意味があるとすれば、しゃべってる自分を聴いている自分を自覚することにある(と、手話の経験からぼくは思う)。ならば、会話よりやっぱり構文だ。 第一ぼくら庶民が生涯に会ってしゃべる英語圏のひとの数ってたかがしれていると思うがなあ。 世界を股にかけようとする一部のエリートにはペラペラ英会話が不可欠かもしれないが、その為に塾がある。それが受益者負担というものだろう。 ○ 一昨日の日曜日、「福祉まつり」開会式挨拶の手話通訳。 済んだあとで、見ていたひとから、「もっと会場全体を見渡しながらした方がいい」と言われ、そうかと思っていたが、今気がついた。ろう者のグループが会場の左隅にいたので、ぼくの体はそちらの方向へ一点全面集中となっていた次第です。
十勝沖地震で発生した十勝川堤防の損傷は「側方流動」にあるという新聞トップ記事(朝日09/29)を読んだ。 地下で液状化が起きて上部にある構造物が地盤を支えきれなくなり、沈みながら横方向に崩れる現象とある。(記事では構造物がが構造物やになっているが、これは朝日の校正ミスだろう)。 上部箱物については、商売柄その耐震性がそれなりにわかるし、建築基準法はさまざまの規定を設けている。しかし、地盤となると人間の手の及ぶ範囲外だ。 そこで、大手スーパーゼネコンは、都会地に建設する高層ビルの基礎構造に免震という考え方を導入しつつある。 耐震が地盤と基礎を緊結する考え方であるのに対して、免震は地盤と基礎にクッションをかませて上部構造の揺れ周期を地盤と切り離す考え方だ。天変地異に対して英知を尽くして挑もうとする技術屋達の努力は素晴らしいと思う。 しかし一方でこうも思うのだ。 少子化の進む日本の人口は2050年には7000万人に減少するという。それならば今よりも空き地が多くなり、高層化は必要なくなるのではないか。天に近づこうとする努力は、かっての出雲大社がそうであったように、宗教的建築物に限定すればいいのではないか。 ○マーブくん。冷蔵庫にうどんの玉と焼肉とビールが残っています。 ビールは私が処理しますが、他はどうしますか? ○・おや、花が咲いている。犬に散歩させられて道端で見つけた。目の高さよりちょっと上。歩いているときは金が落ちてないか下ばかり見ているのに、たまたま上を向いていた。 なんか変だぞ。今は9月だ。こりゃ「桜」じゃないか、何で今なんだ。 でも現実に「桜」がさいている。 興味のある方見に行ってみてはどうですか。場所は坂の下ビックマート横の元田中医院の裏の道に咲いています。異常気象のせいだろうか、季節を知らない「あほ桜」なのか。それとも人間に対する何かの警告なのか
朝5時半、事務所へ。明るくなってからの起床は久しぶりだ。 ウン、昨晩は9人が事務所に集まっての焼肉飲み会だったのだ。 公人故日頃謹厳実直のぼくだが、たまには飲んでワイワイしゃべることもある。 途中、役場関係者がまんじゅうをふたつ持って現れたので、いきおい町政の話になった。 みんな、基本的に真面目なんだね。 散会後帰宅し玄関の鍵をかけた。 いい気持ちで寝ていたら、ドンドンと玄関戸を叩く者がいる。 戸を開けたら、仕事で遅く帰宅してきた妻だった。 「ワタシが嫌いになったんか?」と皮肉を言われた。 少しだけ酔い間違って鍵をかけただけなのに、唯一愛する女性である妻からそういう言葉を 聞かされるのは辛いものだ。 ○ 一力さん。昨晩の観月会で、久しぶりにお顔を拝見できて、嬉しかったです。 ○ 笹岡県議のDiary反省の家路を読んで、ウーンなるほどと思った。
午後10時。いつもなら熟睡の時間帯なのだが、手話サークル定例会の日だったのでまだ起きている。 きょうのサークル例会は「おじいさんの古時計」合唱の練習で、3人のこどもたちが練習に特別参加してきた。小学4年生・・かわいいもんやね。 ひとは自立した社会人となるためにさまざまの経験を積んでいくし、世間はそれを成長と呼ぶ。 純粋培養でしゃばを生きていくことなどできるわけが無いから、その過程で身につける知恵とは斜視構え・巧言・面従腹背・自己顕示・慇懃無礼・全方位遊泳などさまざまだ。私もだけどまわりにようけいなさるがね。 そうすると内面的成長とは、見かけに逆比例して実は退化じゃないかと思うことが時々ある。 昔「反発達論」という本を読んだ時も共感を覚えたが、少なくとも人間なんて老若男女ないまぜて、みんなちょぼちょぼでしかないと思うのだ。 三洋電機は、トウモロコシを原料にした生分解プラスチックのCDを商品化した。トウモロコシのでんぷんを発酵させてできるポリ乳酸から生成したプラスチックで、ごみ埋め立て処分場などの十分に水分がある環境なら、半年程度で水と二酸化炭素に分解されるという。12月から業務用として、音楽用CD、CD-ROMなどの受注を始める(朝日HP)。
という記事を読んだ。
夕刻、来訪したひとから、高校時代のクラスメートの死を聞かされた。 もの静かな秀才だった。大学教授の道を歩んでいるさなか、ガンに倒れての死だったという。 そういう世界のひとたちとはとんとご縁の無いぼくだけれども、死は、士農工商を超えて平等に訪れる。 突然に訪れる。 そう思うと、人生は明日の未来図を描くよりも、今日の充足を感じることにある。 ○ 終日、雨だ。 「雨が小粒の真珠なら 恋はピンクのバラの花」と唄った橋幸夫は、「恋のセブン トウ セブン」のデュエット曲もヒットさせた。そして、そのデュエット相手は吉永小百合だった。(中学生の頃のぼくは、誰も居ない放課後、夕陽の落ちる三年某組の教室にひとりたたずみ、小百合の横顔を思い浮かべてため息をつく熱狂的なサユリストだった。) 橋幸夫あるいは浜田光夫と結婚するに違いないと思っていた小百合はしかし、訳のわからない中年おやじ岡田某と結婚してしまった。けれどもさる情報筋によると、小百合が一番好きだったのは渡哲也だという。ロケ現場にいつも哲也の為の手作り弁当を持って行ったそうだ。 芸能界というところは、これだからよくわからない
昨晩は、パソコンの達人Kさん来訪。午前様になるまで、いろいろとサポートしていただいた。 あけて今朝は,ホームページの作り方を教えてと、女性が来た。女性の生徒だから女生徒やね。 ということで、このところパソコンづいているのだが、二ヶ月程前に¥9900で買った中古モニターでは、どうもCAD図面が読みにくい。仕事のことだから、思い切って投資すべきではないかと悩んでいる次第です。 ○ 昨日、滝地区で開かれた響フェステイバルからの帰り、ぼくは小川の淵に車を留めて、網でメダカすくいを試みた。しかし全然いないのだ。 メダカと蛍のいない小川は日本の正しい小川とはいえんぞな。悔しくなって「メダカめー、メダカめー」とつぶやいているうちに、昔読んだ文庫本「土俵の鬼・横綱若ノ花物語」を思い出した。 先代横綱若ノ花が平幕の頃の兄弟子は力道山だった。鬼の力道山の猛烈なしごき稽古に耐えられず、若ノ花は早朝、部屋を逃げ出した。怒った力道山はバイクで「若めー、若めー」と大きな声で叫びながら追いかけた。 そしたら通りの家の2階の窓が突然あいて、「おじさん、若芽ちょうだーい」の声がかかったそうだ。 これは史実だとのことです。
福井市内での打合せを終えての帰路の昨晩。 小泉首相の組閣談話・「株価が底値を脱し上がってきている。倒産件数が12ケ月連続で減少している。1円資本会社設立OKで4000の起業がたちあがっている云々」を運転しながら聞いていた。数値を並べての談話だから一応の実態だろうけれども、地方に住んでいるぼくらにそのような中央の感覚がスライドできるかというとまだまだろう。 最近、都市部からUターンしてきた大手企業中堅社員の何人かと話をする機会があった。 「東京から福井に帰ってくると、やっぱり嫁はんにも働いてもらわないことには生活していけませんわ。でも福井は海山の自然が近うて、食べ物がうまいけどなあ」が共通のトーンだ。 贅沢しないまでも安定した収入を保証する企業活動に自然循環経済の発想をドッキングさせるのが地方在住者であるぼくらのこれからの課題だと思う。
昨日の昼過ぎ、どたどたと事務所にやってきた面々が焼肉を始めた。味付けに必要なのか、「味噌ないか」と言う。それで、午前中の某寺御堂での雑談を思い出した。 坂ノ下区前区長の平橋さんは、区内それぞれの家の屋号を詳しく知っている。以前調査したことがあるのだそうだ。ぼくの家の屋号は「味噌屋出店」だ。 先祖の本家が味噌屋をしていて、分家したのだろう。そういえば幼少の頃、ぼくは「みそやでみせのあんちゃん」と呼ばれたことがある。死んだじいさんは、毎夕、手のひらの味噌をなめながら一合酒を飲んでいた。ぼくの原風景のひとつである。 ○ 勧められて焼肉を沢山食べたら、胃の調子が変だ。胃袋が若い頃とは違うのだから満腹を求めてはいけないのだと思う。「腹八分目」・・・何事につけこれが大切だ。
昨晩は、向ケ丘で打合せ。 きょう午前中は、檀家寺での清掃奉仕だった。奉仕の後は、御堂で歓談・痛飲。 帰宅し、一眠りしてから、メダカを捕りにいったのだけれど、全然いないのだ。 「小鮒釣りし かの川」は確実に少なくなってきている。 ○ この項目は、役場建設課・住民課・福祉厚生課・農林商工課あたりのひとには、是非目を通していただきたいです。
先日ものの本を読んでいたら、「太古の昔より現在に至るまで人類が楽しみ続けてきたものは、音楽と猥談である」と書いてあった。 確かに楽器をいじることのできないぼくでも、たまにはマイクを握りそこそこに歌を楽しむし、生真面目さが欠点といわれながらも、ひとの猥談を聴くのはべつに嫌いではない。 ところが、女性に猥談をしたら、いわゆる言葉のセクハラだと訴えられる事件がおこったそうだ。 ひとの性格なんて無頓着神経質敏感鈍感好色嫌色陽気陰気いろいろだ。猥談への反応も、げらげら・微笑・苦笑・しかめっつら・怒りなどいろいろだ。 ハラスメントと感じるかどうかは、言い手と聴き手の綱引きのなかにある。 結局、相手を見てしゃべれ、ということなのかなあ。 ○ 昨晩は社協評議委員会。 先日の議会で承認されたことでもあるのですが、「市姫荘」の送迎バス購入・WCの改修・スロープの改修及び屋根取付が本決まりとなりました。
世界の20%の人口が世界の86%のモノを個人消費しているということは、残り80%の人口が残り14%のモノを個人消費していることになる。一方で、毎週25万人のこどもたちが餓死しているのがこの世の実態だ。 近代国家と開発途上国が別枠の歴史であるのならばともかく、近代化が途上国からの資源搾取で形成されてきたのだから、我々は途方もない差別の上にのっかかっているといえる。 そしてこの社会は更なる欲望を煽り立てている。 科学技術の水準が後ずさりすることはない、というのが真理ならば(だろうと思う)、嫌気がさして個人的恣意的に山奥や湖沼のほとりで生活する道を選ぶことになる。そういうひとたちがこの10年で随分と増えてきている。 しかし、隠遁ではないので情報の相互通信が不可欠だ。そうすると情報網に地域格差を設けてはならないということになる。というふうに考えると、インフラの整備された都会人に支持される小泉的発想より、地方との平等性を訴える亀井的発想をぼくはしているのだろうか。ウーン、国政のことはよくわからない。 ○ 今朝は、久しぶりに加賀の海を見にいこうと思っていたのだけれど、よんどころない事情で行けなくなってしまった。残念。 ○ リンクを求められたので、復活させました。
ラジオから流れてくるフォースターの「夢路より」で、午前2時に目が覚めたら、とっても喉が渇いている。 自販機に行き、「葉の茶」を買ってきた。うまい。 昨夕は東京在住シテイーおばさんの妹と久しぶりにながい電話をした。 しているうちに、コガネができたら一度東京へ行きたいと思った。 浅草である。寅さんのふるさと・浅草である。 「わたくし 生まれも育ちも 葛飾柴又 帝釈天で 産湯を使い 姓はくるま 名はとらじろう ひとよんで フーテンのトラと はっします 以後 見苦しき面体 きょうこうばんたん よろしゅうおたのん もうします」 いいねえ 30数年前の冬、大きな建設工事現場のプレハブ管理事務所でひとりストーブにあたっていたら、ドアがあいて、一見してその筋のひととわかるふたりぐみが入ってきた。舎弟を後ろにたたせ腰を下ろし、突然仁義をきり始めた。 仁義は 「わたくし 生まれも育ちも 関西にござんす 関西といっても ひろうござんす ・・」で始まりながく続いた。 そういえばそのひとも見苦しき面体だったが、いまは出世してどこかの組の大親分にでもなっているんだろうか。 ○ 例の女子中学生誘拐事件で、近藤容疑者の父親は、事件翌日、既に息子が容疑者であることにに気づいていたと言う。けれど息子の日常的な暴力が怖くて、警察に届けたのが8日後だったとラジオが報じていた。 ぼくにはこれがよくわからない。 若者が父親を腕力で凌駕するのは当たり前だろう。 私も若い頃は黄金の左腕と呼ばれ、左手腕相撲には自信があった。 しかしやね。先日帰省した長男と腕相撲をしたら、年老いたぼくは3秒と持たずに完敗した。 仕方ないのだ。親の立場でいうと、腕力なんてどうでもいいのだ。 殴られたっていいじゃないか。結果として殺されたっていいじゃないか。 言うべきことを言うのが親の責任だとぼくは思うのだ。 ○ 友人がこんな店を開いています。よろしかったらどうぞ。
昨日の全協で、議場あるいは控室一時的改修についての説明を担当課から受けた。 議場は金津町役場のそれを使うのだが、一年三ヶ月の間は34人体制となるので椅子机のレイアウトを変えなければならないとのことだ。 夕方は、芦原町議会のひとたちとの合同会議。18+16=34人がテーブルにつくとさすがに多い。 来年3月からの議会運営についてがテーマで、事務局から概略の説明を受けた。 議会はいろんな議案・請願・陳情・要望を審議する場だけれども、勿論予定調和ではなく、場がもめることがある。(例えば昨日の場合、農業共済合併に関する議案でいろいろ意見の応酬があった)。 議会は、議案等が承認されてこと足りる場ではなく、出発する場だ。いろんな情報が広く発信されなければならない。けれど、昨日の傍聴者はマスコミひとりだけだった。 CATVもスタートするのだから、議会にTVカメラをつけて生の情報を発信すべきだ。 事務局の説明を受けながら、そういうことを思っていた。 ○ きょうは午前10時に芦原町社会福祉センターに行った。 芦原・金津両町社協の合併調印式がここで行われたのである。 芦原・奈須田町長が「この両町は福祉がそんなに良いとは言えなくて云々・・」と言っていたが同感だ。 行政の行政たる所以は、ハードにしろソフトにしろ、福祉施策の充実にあるとぼくは恩うのである。
5時半だというのにまだ東の空がしらみ始めたばかりだ。日一日と日の出が遅くなり秋が深くなってきた。 空気はひんやりとしている。 先に冬が控えていることを思うのが嫌ではあるが、年中で最も過ごしやすい季節だ。 きょうは議会最終日。終了後、夕刻には芦原町議会のひとたちとの初顔合わせも控えている。
昨日の昼は福井市月見町の親類宅で営まれた法事にお袋と共に出席した。 法要終了後、我々出席者は浜町の料亭に行った。 木造の老舗である。和室廻りの造作を眺めていると飽きない。庭の植栽が足羽川堤防までのびている。 海辺でもないのに浜の名があるのは何故?と思い、女将に浜町の名の由来を聞いたら、昭和初期まで足羽川に船着場があったからとの由。足羽川にしろ竹田川にしろ、鉄道が敷かれ陸送が隆盛を帯びるまでは、水運が主役だったわけやね。 何年ぶりかの昼宴席で、よく食べよく飲みよくしゃべった。 帰りの車中でこんこんと眠り、帰宅してからもこんこんと眠った。 日暮れに目が覚め、夜は班長会議ということで、区民館へ。 メインテーマは「土手の桜並木をどうするか」だった。意見輩出、結論のでる前に途中抜け出し、向ケ丘S宅へ打ち合わせに行った。11時帰宅、就寝。 ○ 明日は議会最終日です。そこで、今度の議会において配付された資料を、議会報告に載せようとしたのですが、スキャナーが動かないのです。申し訳ありません。
昨日の朝、金津小学校の運動会は大型台風の余波を受けて、強風のなかで行われた。先週、金津中学校体育祭の開会式は豪雨のなかだったし、米は不作だし、誘拐事件は頻繁に起きるし、ぼくは事務所の鍵をなくすし、みんな受難の年である。 午前11時、福井市に出て施主夫婦とともに水廻りショウルームめぐり。その際北海道土産だと赤いバンダナを頂いた。今、鏡をみているのだがなかなか似合う。 夜は、芦原町湖畔の夕べ観月祭に行った。 昨年は偶々うちにホームステイしていたロシア人少女と一緒に楽しんだが、今年も湖面に映るかがり火がとても幻想的だった。 ばったりでくわした芦原町の歯科医差糸さん(仮名=推定年齢56歳)から「暑いのにスーツ着て大変やのう」と言われたが、ちがうのである。事務所倉庫の鍵をなくしたので、そこに置いたベルトをつけれない。 そこで、上着でベルトレスを隠したという次第。 水中に浮かぶ舞台をゆっくり楽しもうと思っていたのだが、事務所に来たいという客人からの携帯コールが入ったので、早めに帰宅した。 ○昨晩タイガースが負けたのは本当に良かった。勝っていたら今晩優勝になっていたかもしれない。 今晩となるといろいろ用事があるので、その瞬間を見届けることができないのだ。 明日が優勝日だろう。 エビスのビール缶を持って、竹田川河畔にひとりたたずもうと思う。 艱難辛苦の18年間をじっくり回顧しようと思う。
竹田川堤防沿いに10本近くの桜並木がある。先日、境を接する宅地の所有者から、「生い繁った葉っぱから家の屋根や庭にようけ毛虫が落ちてきてどうもならん。切ってほしい」と言われたので、管理者である三国土木事務所へ行き、宅地に接する3本の木の伐採を申し入れてきた。 ところが、境を接して畑地を所有するひとたちからも、木を伐採してほしいという声が出てきた。南面の桜の木が日照を遮断して作物の生育を阻害しているのだと言う。。 結果として、土木事務所は全ての木伐採の予算づけを了承してくれたが、今度は反対論も出てきた。 「春爛漫満開桜は風物詩や。うまい酒を飲める場所や」という声だ。自然か団子か、そこが問題だ。 でもよく考えると、畑作というのは雑草を引き抜き単一種を作るんだから自然破壊だし、桜並木も又鑑賞用に人工的にしつらえられたものだ。つまり人間は、食べるためにあるいは楽しむために自然をどこかで必ず人工化する課程をたどっていくと思う。
きょうは、久しぶりにしばらくの時間がとれそうだ。そこでメダカを捕りに行ってこようと思う。 息子たち幼少の頃はよく一緒に行ったものだが、今はひとりで行くしかないのだ。 と書いていて15年程前を思い出した。 上の息子が「とうちゃん、ザリガニ捕りにいこ」と、ぼくをヤマキシ金物の裏あたりの用水溝に連れて行った。 コンクリート三面打ちでザリガニなどいそうにもない。息子は網で溝底に散乱する空き缶をすくい始めた。 10個のうち8個の空き缶に、ザリガニが入っていた。 家に帰り、缶から洗面器に一匹づつうつしていったのだが、うち一匹だけはどうしても出せないので、ペンチで蓋を大きくあけてやっと取り出した。空き缶のなかで生活しているうちに図体が大きくなり過ぎたんやね。 まるで、井伏鱒二の「山椒魚」だ。 思うに、夜のとばりのなかで、アベックたちが語り合いつつ飲んだコーヒー缶が用水溝に捨てられたんだろう。 たくましいアメリカザリガニの母達はそのなかに入りこんでいる砂に産卵したんだろう。
昨晩は片町の某パブにて30数人の立食パーテイ。 ちょうど山本副知事が来ていたので、「ワタシもささやかな町でささやかな議員をやってます」と言いつつ名刺交換をするぼくの目は、既に紅一点の若い女性に注がれていた。 大ジョッキー片手に、マスコミ勤めのその中国人女性とぼくはずーっと話をしていた。 「何故台湾独立を認めないのか」「文化大革命の裏面のひどさをあとでぼくらは知らされた」「自治地区は別国家だろう」「沿海と奥地では経済の差があり過ぎる」「14億の人口では国としての動きをとれんのやないか」等々、要するに中国は分割すべきだというトーンでいろんなことを聞いたのだけれど、「中国はひとつ」が一貫した姿勢だった(と思う)。これが中華思想の表われなのかどうかはぼくにはよくわからない。 散会後、雨に煙る福井駅周辺をひとりでぶらついた。屋台で塩ラーメンを食べ、立ち食いコーナーで、おろし蕎麦を食べた。古本屋でハードカバーを一冊買い、コンビニで電子ライターを買った。 久しぶりに若者に戻ったような気分で、帰りの列車に乗り込んだ。
もともとヒト族は、太陽が沈むと同時に眠り、太陽が昇ると同時に活動を開始したはずだ、そのリズムで生きることが健康的なのだ。 そう思い、朝型人間になろうと決意してから、起床時刻が段段早くなってきて、きょうの起床時刻は12時である。 こうなると、朝型というより夜型だ。 深夜のコンビニに煙草を買いに行ったついでに何年ぶりかで「週間ポスト」を買う。 表紙をみていると、見出しがいかにも刺激的だ。 毒ハラ・竹刀でボコボコ・仰天提訴・仰天カラー・サル芝居エトセトラ。 当然頭がよくまじめであろう記者たちが、深夜の編集会議で「キミ!今度の見出しはこれでいこう!」とかなんとか言い合っているんだろうなあ。 でも、みていてしばらくの間は退屈しない。 ○朝の5時に「相談がある」と知り合いのひとが事務所にやって来た。 何故こんなはやい時刻に?と不思議に思ったのだが、毎日早朝ウオーキングをしているとのことだった。 ○今宵私は、おのぼりさんとして福井市へ行く。市内随一のネオン繁華街・何年ぶりかの片町で、飲みかつ食ってきます。中年の男たちだけで人生を語り合うのであります。 たまには構わないよね。
ご存知かどうか、金津町の「議会だより」は横書である。理由はファイルしやすいからだ。先ず全ての新聞は縦書きであって、こういう例は大変めずらしいし、広報編集委員会内部にはこれを縦書に直そうかという声もある。 しかし、先日、兵庫県上郡山町広報編集委員会のメンバーが来訪した時、「これはめずらしい。大変読みやすい」と驚いていた。 外交辞令でもあるんだろうが、コンピューターの普及が横書スタイルを浸透させているのだと思う。 夕闇せまる頃雑草の上でゴロ寝。目の前の蟻の行列を見て友人を思い出だした。 小学校教師の友人が子供たちに夏休みの作文を課したところ、タイトル「ありさん」があったそうだ。 内容は 「いえのにわのありさんたちはとってもはたらきものです。みんなでえさをせっせとはこんでいます。わたしもおうえんしたくなりました。バッタがいたので、つかまえていしでつぶしてありさんのぎょうれつのよこにそっとおきました」である。 こういう子供たちを残酷といってはいけないと思う。 ○ 「社協だより」今月号に私のおなかが写っています。
体調が不良であります。 ○ 定例議会本会議・広報編集委員会を終えて午後5時帰宅。疲れがどどっと出た。 でも明日は教育厚生委員会及び町職員対象の手話講座がある。 ひるがのも、議会も頑張ろう。
先日は全協が開かれた。来週からは定例議会だ。 そのあたりのことを「議会報告」に書く為の準備をしていた午前2時。一服し、窓外を見下ろした。 バンダナ・ジーンズのひとりの若者がズダ袋を紐でひっぱりながら歩いている。 こんな深夜にどこを目指しているのだろう。行方定めぬ一宿一飯の旅ならば、私の事務所に空いたベッドがひとつあるのにと思いながら手を戻した。 でもいい光景だ。 30年以上前、同じ風体で同じような時刻に岡山市内を歩いていた時、サイレンならしてかけつけてきたパトカー4台に前後を取り囲まれたことがあった。 「なんだなんだ、私は怪しい者じゃない。」と警官たちに文句を言ったら、「先ほど強盗事件があった。直後、現場近くのマンション住人から、怪しいひとが橋の上を歩いているという通報があったのです」と言われたよ。 人をみかけで判断したら駄目なのである。 ○今朝は、町の大型粗大ゴミ回収日。 我々坂ノ下区理事一同は、炎天下、区の回収場所にはりついていた。 ぼくは使えそうなもの4点を持ち帰った。 ①スチール製デスク天板(730×1480)⇒コンピューター脇机天板にもってこいの大きさだ。 ②料理用ざるかご⇒大きい穴があいているが、メダカをすくうのにはちょうどいい。 ③錆び付いた小型ラック⇒錆びを落とせば、応接セットの机に化ける。 ④卓球台⇒とにかくなんかに使えるだろう。 こうしてぼくの事務所の家具調度に、拾い物が又加わった。
思いっきり忙しい日々が続いたが、やっと一息ついた。 昨日は早朝に某町助役から電話あり。「忙しいんで、ホームページの書き込みしてないんやな」と言われた。 午後は福井市内の某建築設計事務所で過ごした。若い女性が何人かいる事務所だ。当然禁煙だし清潔である。女性といえば役場の職員しか見慣れていないぼくにはまばゆいばかりだった。 夕方は向ケ丘区の熟年夫婦宅で雑談。JR芦原温泉駅前から坂ノ下にかけてのかってのメイン道路が何故地盤沈下したかについて話し合ったのち帰宅。 妻はまだ帰宅していず、お袋は体操教室へ。 ひとりで刺身つまみに晩酌をしていたところへ、息子が帰ってきた。 反抗期のせいか、相変わらずぶっきらぼうだ。ぶっきらものどうしの親子の会話というのは、二言三言で終わってしまう。 ひさしぶりに風呂に入り、足のつま先から下腹部・頭までを入念に入念に洗った。 仮眠ののち事務所へ。掃除を終え、ワンカップ大関を飲みながらこの書き込みをしている。 加賀の海をみたいと思った。 ○きょうは、金津中学校の体育祭、激しい雨のなかでの開会式だった。手塚校長はじめ学校関係の方々、及び京野会長はじめPTA役員の方々、どうもご苦労さんでした。 愛用自転車ナショナルバナナ号に乗ってきたぼくは、仕方なく軒先でやむまでしばしの雨宿り。 その際隣にいたPTA関係とおぼしき男女の会話が面白かった。 女「すごい雨・・。なかなかやまないね」 男「俺が過去に流させた女たちの涙だぜ。やむもんか」 ○その雨も昼には上がり、ぼくは工事現場で頂いたステンレス浴槽を事務所の裏庭へせっせと運んでいた。メダカ・フナ・コイ・ドジョウ・金魚が棲息するフィッシュ水槽・(仲良きことは良きことかな共和国)を作るためである。 一休みして汗を拭いていたら、旦那の実家が鹿児島にあるひとが薩摩本格焼酎「泉の誉」を持ってきた。 薩摩といえば芋焼酎だ。我が青春の沖永良部島を思い出し、氷ロックで飲みながらこれを書いている。
マジックがひとけたになり、阪神タイガースの優勝決定が目前に迫ってきた。ファンのひとりとして、Xデイにはどこかの酒場で、ひとり杯を傾けることとしよう。 しかしなあ。タイガースがタイガースでなくなってしまったような気がして、ぼくは少し寂しいのである。 「努力すれば必ず報われる」という警句の虚妄性を身を持って実証してきたのがタイガースだったと思うのだ。 「努力しても報われないことなど、この世にはいっぱいある。報われることを期待してはならない」が強弱ないまぜタイガースの看板姿勢だったと思うのだ。強さ一辺倒のタイガースは今年限りであってほしい。 というようなことは別として、ぼくにとってのタイガースというと孤高のエース・江夏豊だった。 若い頃ぼくが似ていると言われた有名人が三人いた。 三人とは江夏豊・山崎務・坂上二郎だったが、「江夏に似ている」と言われるのが一番うれしかった。 ○ 昼休みは桜の木の下にたたずんでいた。 空は真っ青、体を過ぎる風は既に秋の風だ。近いうちにメダカを獲りに行こうと思う。 ○ 最先端ノートパソコン・ウンドウズXPが故障してしまったので、ウインドウズ2000パソコンをKKくんから借り受け、先ごろは妻のもとへAKくんからデスクトップ不要パソコンが入った。今度はFKくん⇒NTさん経由でウインドウズ95をぼくが頂いた。 おんぶにだっこでは駄目だとぼくは中古15インチモニター(¥9,990也)を購入したのだが、これが実に見にくい。老眼がますます進行する。しかし、いいのだ。 もともとぼくが持っているのはウインドウズ98だ。ぼくは世の流れに逆行して、古いものを無意識のうちに求めはじめたのかもしれない。
仕事なのだけれど、このところ、林の傾斜地に見え隠れする古民家風建物を考えている。森は例えば鎮守の森のモリが守り(モリ)であるように全てをこんもりと覆い隠すものだが、林は囃子言葉から連想されるように、まばらな木洩れ陽を受ける。 設計稼業をやっていると、とかく目立つ建物を考えがちだ。 しかし建物は例えば額縁のなかの絵のようにそれ自体が単独で視覚対象となることはありえない。 周囲の環境にひっそりと溶け込むことで、存在感が出るのだと思う。 これは人間自体にもあてはまる。 自己アピール・パフォーマンスをしない寡黙なひとの持つ雰囲気はとても素敵です。 巧言令色少仁 ○ 9月8日から、定例議会です。 Yahooのスケヂュール表が大変に便利なので、そこに議会日程を書き込みました。 興味のある方は、上部コンテンツ「まきさんクラブ」を開き、「参加する云々」をクリックしていってください。 午前中、誰が一般質問するのかな?と町役場議会事務局に寄ったところ、通告者数が意外に少なかったので、ぼくも質問することにしました。 ○ 夕方、仕事の手を休めて竹田川河原にたたずんでいたら、エッチな写真が流れてきました。 一瞥して捨てました。 ○ 「みんなの会議室」に意見としてでていた住基カードの件を総務課で聴きました。 数日中に「議会報告」に書き込みたいと思います。 ○ 最近、何人かのひとから「急に腹がでてきたのではないかい」と言われたので、スケールを当てて見た。ベルト腰骨ラインから腹最先端までの水平距離は7、8cmだ。 肥満痩身長駆短駆美顔醜顔長足短足、おのれがどれに該当しようといずれ消え行く身。一切が空にして空なのであるからどうでもいいこととは思うのだけれども、幾分モノグサになったような気がする。 これでは駄目だ。そこで、腹筋運動をすることにした。三日坊主になるかもしれないが、三日坊主も三百回やれば九百日坊主となり、千日修行に近づくのである。
昨日の午後は定例議会に向けての全協。 本年度の決算審査委員会9名のメンバーが決まった。3常任委員会から3名ずつ出すのだが、過去2回経験しているので、もういいかなあと思いつつ又なってしまった。 「決算審査は決まったことの審議なので、審議の結果がいかされることは殆ど無い。本当は予算審議をしなあかんのや。それが大事なんや」という某議員の声もあったのだが。 ○こんばんは。 はやいですね~もう、今日の日記が見れるなんて・・・ ところで、HPのカウンターが00001になってますよ。 ではまたサークルで。 という、知人からのメールがあってサーバーに連絡したのだが、基本的にはサポート外とのこと。 復旧にはケンさんの力がいるみたいだなあ。 ○ ケンくん留美さん、ありがとう。おかげさんでアクセスカウンターが復旧しました。 |