2003年10月

03/10/31 (金) 無題  

昨夕、涙を溜めながら事務所に入ってきた妻が「友達の娘さんが亡くなった」という。
上の息子と同い年だ。
思い出話のひとつもでてくる老人の死とは違う。
これからが人生だったのにと思うとやりきれない。

〇昨日自治会館で開かれた市町村議会議員合同研修会での講演「市町村合併と今後の地方自治(辻山幸宣講師)」は、そんなに目新しい内容のものではなかった。
①自治体合併の功罪の結果は、今後10年ほどの間にでてくるだろう。
②合併による広域行政は地方分権の促進であり、そのめざすところのものは縮小型社会。
③つぎ込まれる優遇措置とその陥穽。
といったところが、話の骨子だった。
合併による新市は合併前自治体にあった諸々の単位を再編する。が、郷土の個性を守る意味で、町村連合体としての新市構想が大事だと言っていたが、この部分はナルホドと思った。


03/10/30 (木)  テネシー産バーボン・ジャックダニエルを飲みながら
昨日は、トリムパークで敬老会が開かれた。
午前10時に受付で頂いた式次第パンフには、88才以上の長寿者名簿が印刷されている。
現住所が付記されていたので、ぼくはこの長寿のひとたちを旧町内(まちうち)と、村部にグルーピングしてみた(雲雀ケ丘寮在住のひとたちは除いた)。
結果、長寿の旧町内在住者は74名、村部在住者は158名だった。
午後、町役場住民環境課に出向きそれぞれの人口の絶対数を聞いたところ、旧町内は8737人、村部は9541人(平成15年10月1日現在)だった。
そこでぼくは算盤をはじいたんやね。
旧町内長寿率=74/8737×100=0.84%、村部長寿率=158/9541×100=1.65%だ。
歴然とした差がある。
思うに、屋敷内あるいは近くにある畑で体を動かしながら採った野菜を食し森林浴の恩恵を日々受ける生活と、惣菜はスーパーマーケットで買い、車の排気ガスを日々受ける生活との違いだろう。
しかし、そうは思ってもぼくは一介の町議・所詮は素人でしかない。
一両日中に、正味医師(仮名・推定年齢=55才)の家に行って、医学的根拠の裏付けをとってこようと思っています。

〇ということで、正味医師に電話をしたのだが、「でも、いっしょな肉食ってるんやぞ。まちうちは若いもんが多くて、村部は若いもんが少ないということじゃないか」と彼は言う。
確かに母数を単なる地域別人口としたのでは、当を得た比較とはいえない。
世代毎の人口を把握しなければならないのだ。
このあたりが、軽率の牧田と言われる所以です。きっちりと調べなければ。

〇福井新聞第16面「翔年時代」にその活躍ぶりが紹介されたスリランカ・タスミくん、おめでとう。
金津少年サッカー界の更なる前進をひそかにお祈りしております。

〇「蝶のように舞い、蜂のように刺す」ヘビー級ボクサー=ムハメド・アリが「象をも倒すパンチャー」=ジョージ・フォアマンをKOでマットに沈めたのは、昭和48年のきょうのことだそうです。
いわゆるキンシャサの奇跡やね。

〇昨日、「壊れてるけどいらんかの」と言われて頂いたコンピューター(ウインドイウズ95)を隣のコンクリートブロック造物置に運んだ。
隠れ仕事部屋とする為に周辺を整理整頓していたら、春先に郵送されていたロシア人美少女からの手紙がでてきた。彼女は去年我が家にホームステイしたのだ。ウーン、しかし筆不精のぼくは返事を書いていなかったなあ。
日露友好にひびが入らなければいいがと心配しながら思い出したのが、ショーン・コネリーだ。
数十年前スタートした007シリーズの第一作「ロシアより愛をこめて」の主演俳優ショーン・コネリーはかっこよすぎるほどかっこよかった。今頃なにしてるんだろう。

03/10/29 (水)  某某某

昨晩、区長が事務所に来訪、話は側溝のことだった。
坂ノ下区のインフラ問題というとこのての話が多い。
坂ノ上は団地となっている。団地が出来る前は一帯が畑林で、雨水は地中に浸透し周辺の森が保水していた。団地が出来て、地肌はコンクリ・アスファルトに変わり、側溝に集まった雨水が坂を下ることになった。
よって豪雨の時は、排水が側溝計画断面を超えて側溝からあふれでる。
竹田川までの排水経路は町道県道を横断しているのだから、総合的な雨水排水計画の進捗が必要だ。

「団地ができたのはいいことやけど、調整池をつくらなかったのはおかしい」と役場のひとに言ったら、「団地ができた当時は、調整池という概念が無かったんや」が答えだった。
立ち話で同じことを区のひとに言ったら「ほんなこと言ったって牧田はん、畑林売れて金入った区民もいるんやざ」だった。
世の中いろいろだ。

〇某建築設計事務所からぼくが構造設計を依頼された某施設の建築工事を某大手ゼネコンが受注。
昨日の朝は現場員との折衝ということで、その工事現場に行った。
打ち合わせを終えて、同行の某設計事務所所員の某女性を「昼飯でも食おうか。おごるぜ」と某有名料理店に誘った。
相手は天丼ランチ(蕎麦付¥850-)を食べながら「牧田さんはすごく若くみえるけど何才ですか?私は1976年生まれ、母は昭和26年生まれです」という。
うーん、ミュンヘンオリンピックの年、彼女はまだ生まれていなかったのだ。
でも男だけの世界だった建築設計業界に女性が入ってくるのはとても良い事だ。
夕刻、町役場へ。
手話講習の相手=某某某女子職員たちはそれなりの年増ばかりで、なんとなくほっとした。女性の魅力はやっぱり生きてきた年輪の数にあるのだと思う。

03/10/28 (火)  プロ野球終了

勝てば、なけなしの金をはたいて野菜牛肉ビールを調達。友人たちを招き、シェフとして腕をふるう予定だった日本シリーズはしかし、ダイエーの優勝で幕を閉じた。
昨晩はひとりだけで遅めの夕食。野菜の天麩羅とサラダで一合の熱燗をひとりしみじみと飲んでいた。
実力差はあきらかにあったと思う。ダイエーは本当にいいチームやね。
第7戦の最終回、41歳の広沢が放ったホームランは本当によかった。感動的でさえあったなあ。
シリーズ最後の最後がこれで十分に盛り上がった。

王・星野両監督及び、選手の皆さんご苦労さんでした。
付け加えるならば、球団から袖にされた巨人・原、オリックス・リー、中日・山田、日ハム・山本及びシーズンを通して打率のような勝率でダントツの最下位を走り続けた横浜・山下の諸監督、ご苦労さんでした。
敗者があってこその勝者だ。
その意味で、誰が言ったか「勝者に花束はいらない」は名言だと思います。


03/10/27 (月)  米泥棒

頻発する米泥棒のなかには、直接田圃の米を盗む輩もいたという。
盗む時間帯が夜なのか、昼なのか。
夜だと暗闇に紛れてということだが、刈り取り機の音で気づかれてしまう。やっぱり昼だろう。
燐田のひとに訝しがられても「頼まれたんや」と答えれば「そうか」で会話が終わってしまう。田園地帯の共同体的なよさを悪用した犯罪だ。
機械化されたとはいっても丹精込めてつくった成果を盗むというのは、人心が荒廃してきた証拠だ。
バブル以前の日本社会とバブル以後の日本社会では、いろんなことが相当に変わってきている。
収穫の終わった田圃を眺めながら、昨日はそういうことを思っていた。

〇 日本中の労働唄を録音収集した女性が、それらをラジオで紹介していた。
手仕事体仕事が機械労働に変わった現在、それらは既に古典でしかないのだけれど貴重なものだと思う。
昭和初期まで竹田川の河戸の幾つかが舟着場として使われていたのだから、舟漕唄というものがここにもあったはずだ。誰か知りませんか。

03/10/26 (日) 朝日をながめながら 

「えちぜん鉄道、全線開通7日目で踏み切り死亡事故」という新聞見出し記事をみた。やりきれない。
自動車の踏み切り内立ち往生が原因なのだから、電鉄側に責任は無いのかもしれない。
しかし、京福電鉄の事故による閉鎖からえちぜん鉄道としての引継ぎというここ二年間の経過を考えるとあまりにもタイミングが悪すぎる。
事故を知らせる非常ボタンが無かったことに対する会社側の回答は「法的に設置義務はない」だが、これもやりきれない。つまるところ安全と採算の天秤の結果だ。
出光苫小牧油倉庫火災に代表されるような企業事故を最近よく耳にするが、経営の構造改革が熟年労働者の切捨てであるのだとしたら、この先の日本は闇だ。
いつでも、どこへでものマイカーと比較して電鉄が優れている点は①正確なダイヤと②安全性の二点だ。
完璧な安全というのは観念でしかないのだが、しかしだからこそ安全を最重点とすべきである。

〇日曜日だということで、事務所駐車場のメダカ水槽を水替えした。
透き通った水のなかの18匹のメダカがいくつかのグループに分かれて動いているのがよくわかる。
今度はここにフナを入れようと思う。

03/10/25 (土) ただ今午前二時 

昨日は親父と親父の友人ふたりの送り迎えで車を走らせた。
三人は高齢である。その為に共通して耳が遠い。助手席及び後部座席でお互いがする会話は大きくゆったりとしたものなのだけど、それでも「なんやってか?」が頻発する。失礼だとは思ったが、そのことがいかにも自然なので運転席の僕は思わず微笑んでしまった。
若い頃どんなに頑健だったひとも、老いるに従ってからだの機能が衰え、日々の生活に支障をきたすようになる。高齢化社会というのは、それが誰の目にもみえる社会を指す。
若青壮老がお互い物理的にも精神的にもバリアーフリーである社会をぼくらは目指さなくてはいけないのだと思う。
ところで、男の肉体老化順を示す言葉として、ハメマラがあるが、これにミミも加わってしかるべきだ。
順番はちょっとわからないのだけど。

〇昨日の役場三人での会話。
「町長や議員は、選挙で選ばれる。行政を会社に例えるならば、有権者が株主で町長や議員は雇われや。いってみれば奴隷やね」と僕が言ったら、「それでは主体性がなくなってしまう」と言われた。
考えてみると有権者から付託される声もいろいろで、背反する声もある。そうすると、例えば僕自身の思いを信念としてしゃべる局面もあるのは理屈だ。

〇所用で金津町東山に行ったついでに、この地区にある大堤に寄った。こころもち冷たい風が湖面にさざなみを走らせる。
ニナリッチのバッグを携えた僕は、パリで買ったダーバンの吸気性コートのえりをたて、ダンヒルでドイツ煙草ゲルベゾルテに火をつけた。
足元には枯葉。見上げればアキアカネが乱舞している。土手の並木は既に紅葉で真っ赤に染まっている。
この中間山地も秋の深まりを次第にみせ始めているのだ。
(行ったことないからよく知らないのだが)仏や米や独では決して見ることのできない日本の正しい秋がここにある。
よかった。感動した。

03/10/24 (金)  暖かい金曜日の朝

朝食時、TVにうつる中曽根元首相憮然の表情を見ていたら、傍らの妻が「老害や。このひとも藤井総裁も往生際が悪い」という。確かに語り口は淀みを帯び、精気は感じられない。その意味で、ぼくも辞めるほうがいいと思う。
だけど外野ウオッチャーとしていうならば
①北関東ブロック比例代表終身一位保障を無視した小泉サイドへの中曽根憤怒は当然だ。
②「引退勧告は政治的テロだ」と言い切る気概には、或る意味で政治家の資質が残っている。

「自民党はいろんな輩が集まってくる広場みたいなところだ」という司馬遼太郎の随筆をかって読んだことがある。退陣をせまられた宮沢元首相がその好々爺ぶりで世間の好感を得、中曽根が権力執着で世間の悪評を買ったというのが今回の一般的な印象だろうが、例えば二世帯同居中の嫁小泉が、やっぱり核家族がいいと思って口喧しい姑中曽根追い出し作戦にでた構図だともいえるなあ。(以上敬称略)

〇本屋で偶々手にとったバレエ雑誌で30年前を思い出した。
スリムだったぼくは、ある時期バレエ団に通っていた。確か「貞松・浜田バレエ団」といったと思う。
止まり木に手を添え、プロのバレリーナたちと一緒にアン・ドウ・トロウで汗を流した。
二ヶ月間の練習をこなして「創作バレエ劇・鶴の飛ぶ日」にエキストラバレリーナとして出た。
舞台は某市の公会堂大ホールだった。
その創作劇の舞台で、小学5年の女の子が自作の詩を朗読した。
 
     「わたしは魔法使い」
♪わたしは 魔法使い
♪エイっというと 茶碗が でてくる
♪エイっというと ご飯が でてくる
♪エイっというとー おかずがでてーくるー
♪でもー
♪エイっというのがー じゃまくーさーいー

この虚無の申し子のようだった女の子は今頃どこでどのような生活をしているんだろうか。

03/10/23 (木)  これはおかしい

「牧田さんのホームページ・表紙インデックスに何本かの木が加えられて、見ているだけで森林浴をしているような気分になります。さすが建築家ですね。きっと素敵なかたなのでしょうね」というメールが三通くらいくるかと思っていたが、一通もこなかった。これはおかしい。

おかしいといえば、昨日のワールドシリーズ。8回にマーリンズの主戦ベケットが交代させられたのもおかしい。なんせリリーフしたピッチャーの名前がウイルスなのだ。(新聞をみたらウイリスだった)
とにかく、この世はおかしさに満ちていると、ぼくは思う。

03/10/22 (水)  巻き返しのはずだった昨晩の甲子園は水入り 

昨日の昼、同業者とシックハウス対策の話をしているさなか、「これつくったぞ」と友人が応接テーブルを持ってきた。友人ふたりの共同制作みたいだ。
不要になったスチールの椅子の脚の上に不要になったコタツ板を天板としてビス止めしたもので、これだと高さの調節も可能だ。うん、なかなかにうまく考えてある。
清貧を希求する(というかそうしかできない)私の生き方に憐憫を感じてくれたのだろうか。
ありがたいことです。
閑話休題
昼に入ったお店で、昔の手話仲間とばったり。
四方山話を終えて戻った牧田事務所の前で、日本共産党の田島さんが演説をしていた。手がむずむずしてきたので、道路対面に半ば隠れるようにして立ち、通訳の練習をしてみた。
政治が流動状態にある時は、新しい政治用語が沢山でてくる。当然手が動かなくなることもあるわけです。

〇高校生が交際相手女性の目の前で彼女の幼児の腹を蹴り、殺してしまうなんて無茶苦茶滅茶苦茶である。
狂気冷酷非道非情怨嗟怨念諸々は確かにぼくらの心の内側に潜んでいる。顕在することもある。 しかしそれを感じることと実行することの間に千里の距離のあることが、ひとをひとたらしめていたはずだ。 

03/10/21 (火) 外は雨  

午前5時半起床。外は雨が降っている。
まだちょっと眠い。ロング缶ビール8本セット携えての訪問者Mちゃんとの四方山話で昨夜は更けていったのだ。
お湯を沸かし、豆砕熱々珈琲を飲んで頭がすっきりしてきた。さあ、きょうも一日頑張ろう。

〇LANで繋っているPC98パソコンの一台を机の上、一台をコタツの上に置いた。
本日は肌寒いので、コタツの上のパソコンで作業を開始した。横には蜜柑を置いた。
コタツのパソコンだから、コタコンと呼ぶことにした。
窓際コタコンの背後には雨に煙る稲荷山が拡がっている。
なんとなく冬景色だ。

〇芦原中学校新校舎の建設が昨年12月の芦原町議会で論議され、新しい敷地も既に決まったという話には疑問が残る。何故ならばその時点で合併は既定路線だったからである。
校舎が老朽化しているのだから、新校舎建設は不可避なのだろう。そのことに反対はしない。
しかしやね。合併すれば都市計画の図は当然変わるわけで、中学校という、いわば核になる公共建築物は合併後の総合的な計画として検討されてしかるべきだ。合併後の議会で論議を呼ぶだろう。


03/10/20 (月) ちょっと鬱 

昨日の体育祭会場・トリムパークで知人に呼び止められた。
「何で高い介護保険料払わなあかんのや。年金暮らしが始まったんやけどわしは苦しいわ」とくどかれた。
保険というのは、活用するしないに関わらず払わなければならないもの、言わば相互扶助であって受益者負担ではない。だけど、社会の高齢化で保険料が高くなれば皆を圧迫するのは理屈だ。

先日の教育厚生委員会で雲雀ケ丘寮所長から受けた説明は、「いままでの施設入所は、受付順番だった。だけれどもこれからは、単なる順番ではなくて介護度のより必要なひとの入所優先を考えていきたい」というものだった。
金が天から降ってくるのならばともかく、要望のままに施設をどんどんつくっていけば、当然介護保険料の高騰を招くことになる。やっぱり高齢者の自立支援が鍵だ。今聞いている深夜ラジオの介護関係ゲストは「お年寄りになっても歯の咀嚼力を維持することが大切です。そのためには毎日歯を磨かなければならない」と言っている

03/10/19 (日) あかぺらコンサート 

昨晩は、友人に誘われて音楽会「あかぺらコンサート」に行った。
音楽会という高尚なところに行ったのは三年ぶりか。場所は芦原町の「観光会館」。男三人女二人のプログループだ。いろいろな擬音を口から本物そっくりにだす。歌も勿論上手だ。素人がするアカペラとは全然ちがう。
よかった、感動した。
ところで、あのグループの名前は何だったのだろう。コンサートのあとの酒で全てを忘れてしまった。
54歳、記憶力が徐々になえはじめてきている。

閑話休題
「殺人容疑で、女〇〇を逮捕した」というラジオニュースを聞いて?と思った。女性と女では丁寧度に差がある。そして、女性〇〇が、容疑者となった段階で女〇〇となり不丁寧に扱われる。
しかし、容疑者は裁判を経て初めて犯罪者となるのであって、容疑者でいる間、市民権利は保障されていると思うのだがなあ。それとも逮捕された瞬間から人格が削られるんだろうか。であるとしたら、万一裁判で無罪となった場合、マスコミは謝罪しなければならないことになる。

〇町民体育祭ということで、きょうの午前中はトリムパークにいた。勿論競技不参加のぼくは、若いひとたちの溌剌とした競技を見つつ、本部席とテント席の間を行ったり来たりしていた。
体育祭という性格のせいか、PTA時代一緒だったひとたちを沢山お見受けした。
日頃顔を合わすことの少ない何人かのひとたちと話もできて、収穫の秋日和でした。

〇学生時代同宿だった友人のホームページが復活した。10月18日付日記が考えさせられる内容だったので紹介します。

03/10/18 (土) あせり 

季節の変わり目だからか、このところ昼暑く夜寒いという変な日々が続いている。
午前二時現在足元が冷えるので、炬燵をだした。パソコンを移設した。作業環境を変えるとちょっと新鮮な気分になる。
10月に開かれた決算審査特別委員会の資料及び討議メモを読み返してみた。
「報告」にはやく書き込まなければと思っています。


〇 越美北線で通勤するひととの電鉄についての話。福井での高架方式は当然だということで一致した。県の結論はまだでていないみたいだが、工事費の差が巨額であるとしても、100年の計であるのだから、選択を誤ってはならない。
電鉄といえば、「えちぜん鉄道」再開に伴う町の補填費が¥4000万/年と合併協が言っていた。
ま、JR駅を三つも持つ金津町の住民にとっては無駄金と思うひともいるだろう。しかし広範囲で考えた場合、「えちぜん鉄道」の再開あるいは鉄道ライン上の各自治体赤字負担は仕方ないと思う。
先日雑談をした坂井町の無免許おばさんは、電車を再び利用できるヨロコビを切々と語っていた。
そのような人が少数だから鉄道はいらない、と言い切ってしまうならば、行政の役割が無くなるとぼくは思うんだ。

〇 事務所裏駐車場におかれた残材を、きれいさっぱり笹岡のゴミ処理施設に運んだ。受付の係りが「産廃はあかんですよ」と言う。借りた4tトラックの側面に「〇〇建築」と書かれていた為だろう。
事情を説明したのだが、ちょっと可笑しかった。

〇坂井町にある道の駅「イネス」裏側のコスモス畑が満開でとてもきれいです。

03/10/17 (金) プロ野球のことばかり

TVが擬似イメージの媒体であることは、今朝のラジオを聴いていても思った。
明日から始まる日本シリーズのことだ。
ダイエーで王、中日で星野と、かって両監督に仕えた元プロ野球投手・武田がインタビューアーの「王と星野のどちらがより短気ですか?」という問いに、「そりゃ本当は勿論王監督ですよ」と答えた。「?」の相手に「だって星野監督の偶々の激怒をTV画面は各局で何度も何度も映しだすんですからねえ」と説明する。
「悲の器」を書いた夭折の真面目小説家・高橋和己は「例えばデモ隊と警官隊の衝突を撮るTVカメラのアングルがどちらにぶれるかで、受け手の印象は大きく変わる」とエッセイに書いていた。
実の部分が垣間見えるとしても、TVは虚像だと思っていれば間違いないとぼくは思う。

〇解任された原の記者会見での全てを飲み込んだ男らしさが、ファンの共感を得たと思っていたら、早朝コンビニで買った「週間文春」今週号で中日新監督落合の妻が、原のエリートぼっちゃんぶりを皮肉っていた。事務所に戻ればヤンキース奇跡の逆転勝ちだ。
ま、そういうことはどうでもいいと思っていたさなか、飛び込んできたのが、阪神星野監督引退声明のニュースだ。来シーズンは岡田になるという。あの故名喜劇舞台俳優・ボケの藤山寛美になぞらえられた岡田が監督になるのならば、ヘッドコーチはツッコミの川藤だろう。
我らが福井県人若狭の星・川藤幸三の出番だと思うがなあ。

〇 昼飯時、美山の男と一緒に手打ち天麩羅うどんを食べた。
「美山町は福井市と合併することに決まったけど、こんなんあかんですよ。どうせ編入や。できる施設といえばゴミ焼却場くらいのもんでしょうが。合併するなら、松岡・永平寺とじゃなきゃ。あるいは、合併しないという選択肢もあったはずです」と相手が言う。
陰で「ゴミの町」とささやかれている金津町の住民としては、ウンウンと頷くより他になかったなあ。
合併してあわら市が制定された後、この汚名を返上することが重要課題のひとつである。

03/10/16 (木) 夜明けの空をみながら思ったこと 

午前五時。東の空が白み始めている。気持ちのいい夜明けだ。「神舟5号」を探したが、見つけることはできなかった。豆砕熱熱珈琲キリマンジャロを飲みながら、「中国、有人宇宙船打ち上げ」「米ロに続き大国に」という新聞トップ記事を眺めている。
旧ソ連のガガーリンが人類史上初めて宇宙に飛び立ち「地球は青かった」のセリフをはいたのは牧田少年が中学生の時だった。「私はかもめ」と言いながらの女性飛行士テレシコワ宇宙旅行は確かその翌年ではなかったか。「米ロに続き」と言っても、あまりにも隔世の感がある。既に膨大な宇宙技術を蓄積している米ロの感想は「フーン」くらいじゃないかなあ。
ところで、ぼくたち人類は宇宙技術の開発でどんな恩恵を蒙っているのだろう。将来にどんな恩恵を蒙るのだろう。
米ソ冷戦時代にはお互い軍事偵察衛星としての価値を十分に持っていただろうが、いまのところぼくが蒙った恩恵は妹からもらった宇宙メダカの孫を飼ったことくらいだ。
本日は、くしくも中国が核実験に成功した日でもある。日本からの援助費で中国が核開発するなどもっての他だとまくしたてる石原慎太郎東京都知事は今度どんなコメントをするか。

〇もともとぼくは不潔な人間だった。妻からもあきれられていた。
歯は磨かず、服は着たきり雀。コンピューターの周りは煙草の灰だらけ。どうせ又汚れるのだからと事務所の掃除も殆どしなかった。
そのぼくが最近変わった。
歯を二日に一度は磨くようになった。帰宅したら手を洗うようになった。服はTPOをわきまえ、ズボンのままでは寝ないようになった。煙草の吸殻は毎朝ブリキのバケツに捨てることを励行している。事務所での親睦宴会翌日の空缶空瓶は勿論袋詰めをするし、掃除を毎日しないと気持ちがおさまらない。
廻りの清潔を保ち始めてから、心も清らかになったような気持ちがする。
清潔・・・これが一番です。
HPをご覧の皆さん、清潔な事務所にいつでも遊びにおいでください。

03/10/15 (水) ちょっと憂鬱 

午前零時。いつもなら、熟睡中の時刻なのだけれど、寝付かれない。
こなさなければならないことが、幾つか重なっている為だ。
不器用なので、同時並行の処理ができない。こういう時、時間だけが無為に進み気分が重くなる。


〇昨夕は、所用で町役場住民環境課及び福祉厚生課へ。
 そのあと、有志職員相手に手話講習をした。している間は軽口もでるし、気分も晴れる。
 帰宅し、熱燗で妻との晩酌。酒のつまみはキスの塩焼きとTVの総選挙特集だ。
 話のさなか知人より携帯コールが入った。芦原中学校建設の先行計画に対する不満を聞く。
 同感だが、合併までは他の自治体のことなのでよくわからない。合併協のひとに仔細を聞こうと思う。

03/10/14 (火) 総選挙 

衆議院解散ということで、マスメデイアがやかましい。町議風情でも国政を少しくらいは知らねばと、深夜のコンビニで週刊誌を二冊買ってきて読んでいる。ウーン、読んでいてしんどい。
例えば小泉改造内閣の目玉と言われている安部晋三に対する評価が、週刊誌によって行って帰る程違う。
一方は「昭和の大政治家・岸信介」の孫であるという血筋のよさと美談エピソードを満載し、一方は「昭和の妖怪・岸信介」の孫であるという観点から縁戚どおしの確執を取り上げ、揶揄している。
でもこういうのって、本人には迷惑な話だろう。
世襲という与えられた環境をどう取り込むかは本人自身の問題だもんなあ。
ぼく自身は、あの端正顔と静かな語り口にどちらかというと冷たさを感じるほうだが、それとて擬似媒体であるブラウン管を通しての感想であって実像は勿論わからない。
わからないからマスメデイアがいろいろ取り上げ虚像が形成され、その虚像イメージの出来不出来が選挙の趨勢を決することになる。
マスメデイアが既にスーパーマスメデイアとなっている現在、この方向は変わらないと思う。

〇「端正顔が何故駄目なのですか?」というメールが入ってきたので、ちょっと考えた。
「駄目だ」と書きたかったのを抑えて「冷たい」と書いたはずだがなあ。
ぼくの顔はどちらかというとひどいほうの部類に属していて、生を受けて54年間、女性にもてたためしがないのです。それは悲しいことでした。
「50までの顔は親の遺伝だが、50過ぎたら自分に責任がある」という格言が人口に膾炙しているが、ぼくの場合は全然変わらなんだ。たかが顔なのに何故そのような差別を受けなければならないのかという思いが端正顔に対する呪詛となり、ひいてはトラウマとなったわけやね。

〇 新しいライターを買った。100円ライターじゃない。高級ジッポーオイルライター¥2100也である。
ジッポーの値段はピンキリだが、何の装飾もない単なるブリキ板ジッポーが一番好きだ。
シンプル イズ ザ ベストです。

03/10/13 (月) 中間世代

昨日は午後3時から隣区・下八日の大鳥神社にいた。「街角ミニ文化祭」やね。
境内に並んだ屋台の脇で、久しぶりに会った知人との四方山話。話題が「少子高齢化社会」に移った。
「年寄りを大事にするのは結構や。けど、最近は大事にされすぎてるんとちがうか。年寄りも自立をめざさなあかん。行政が年寄りのことばっかり言うてると、若者がそっぽむくぞ。そしたら町の活性化なんてできなくなる。牧田はんら若い議員が若者の声を代弁しなあかんのや」と言われた。

確かに議会でのぼくは若い(若い方から4番目)。しかし、54歳を若い世代とは勿論呼べまい。
そういうことを申し上げたら、
「つまり中間世代なのやから、どちらの世代にも耳を傾けることができる。どちらの世代の代弁もできるんや」と言われた。よし、頑張ろう。

〇朝から雨だ。竹田川に行った。増水している。鴨は一羽も見当たらない。どこに避難しているのだろう。

〇このところ深夜ラジオに柳田邦男がよく登場する。このひとはノンフィクション社会派作家として有名だ。
しかし最近の語りのテーマはいつも童話である。彼によれば大人のココロに染み入る童話が沢山あるそうだ。
ぼくは童話を殆ど読んだことがないなあと思いつつ、若い父親だった頃を思い出した。
その頃、妻は看護婦をしていた。よって妻夜勤の時、ぼくはピンチヒッターとして、幼い娘を寝かせる為に何回か童話を読み聞かせた。
得意は「桃太郎」だったが、普通に読んでは退屈なので、逆読みで聞かせた。
「むかしむかしおじいさんとおばあさんがいました。おばあさんは山へ芝刈りに行きました。おじいさんは川へ洗濯に行きました」と読むと娘は必ず「おとうさん、それ反対や」という。「何でや?」と聞くと「だってセンセがそう言っていたもん」と反論するのだ。男女共同参画社会(その頃そういう言葉はなかったが)の進行のなかで、教師はステレオタイプじゃないかと思ったよ。

〇昨日の2時半頃だったか。偶々事務所に来訪していた女性と雑談の折、ぐらっときた。
地震だ。
TVのテロップは震度2と報じていたから弱震やね。
「もしも激震で折り重なるようにして倒れていたら、私たち誤解されていたわね」と相手が言う。
天変地異は予告せずにやってくるし、予期せぬ結果を招くことが多いのだろうと思った。

2003年10月12日 日曜日 ぼーっとしていた朝

事務所で8時に目が覚めた。隣の布団で寝ていた某氏は既にもういない。
昨晩は男7人集まっての「来年からの市政を考える有志の会・地酒の夕べ」が開かれたのだった。
自治体が新しくなれば、組織が再編成される。組織論議と平行して人事もまた焦点となる。
部制となるあわら市で、誰が各部の長になるのかということは、市長選と平行して格好の酒のつまみやね。
昨晩はいわゆる「雨夜の品さだめ」だったわけであります。

〇午後になって体調が戻ってきた。曜日関係なしの日々だけれど、日曜日はやっぱりリラックスの気分だ。

2003年10月11日  昨日の決算審査特別委員会

事前の勉強会での講師・伊藤監査委員の「最小の投資で最大の効果を」の意を受けてぼくたちが臨んだ「決算審査特別委員会」の初日、対象課は「企画広報課」「総務課」「会計課」「議会事務局」だった。
帰宅し、配布資料の一部をスキャナーでパソコンに取り込もうとしたのだけれど<レジストリーフォルダーがありません>という訳のわからないメッセージがでてきて取り込めない。
仕方ない。「議会報告10月」に少しずつ手で書き込んでいこうと思います。
閑話休題
高塚で捕まえた水槽の中の小亀が、石の上に静止し前方を見詰める姿を見て10数年前を思い出した。
我が子三人幼少の頃毎夏の恒例行事だった「名古屋・東山動物園」詣でで、ぼくは駱駝をみるのが好きだった。
高村光太郎の詩「駱駝」は、その字面は忘れたが、要するに動物園にいる駱駝の長い首が一点見詰める先は遠い祖国アフリカ大陸なのだという、駱駝の郷愁を唄ったものだった。
してみるとぼくは拉致者なのかもしれない。


○ 阪神球団での井川20勝達成は、江川のごりおし巨人入団で石もて阪神に追われたあの「細腕繁盛記」小林繁以来24年ぶりの快挙だそうだ。甘いマスクが渋くなるともっといいのだが・・。

○某くんが「メダカと亀の同居はよくない。メダカが食べられる。観月会・もみじのにしき神のまにまにの夕べで亀鍋にして食べてしまおう」という。
しかし、まだ小亀だ。可愛そうなので、竹田川に放した。

2003年10月10日 金曜日 フナ

セオリーからいくと、メダカの次はフナだろう。
ということで、昼休みを利用して小川をさまよったのだけれど、メダカ同様いない。水面下でニッポンのただしい姿が変わりつつあることを嘆いてから、Pくんに電話した。
「高塚の小川にいると思う」との情報を得て行ってみたら、いるいる。メダカもフナも群れをなして泳いでいる。コンクリート三面打ちという彼ら彼女らにとっては劣悪な環境のなかで、元気よく生きているのである。
ほっとしたなあ。
網を右手の長靴おじさんはじゃぶじゃぶと入っていった。しかしすばしこい。結局一匹も捕まえることはできなかった。でもいいのだ。藻の上に揺らぐに亀の頭をみることができたのだ。

数年前、金津大橋の下にたむろする鴨家族の群れをみつけて感激して以来、ぼくはあの橋をひそかに「かものはし」と呼んでいる。
この小川にも愛称をつけたいと思っています。

○きょうは、朝9時半から「決算審査特別委員会」が開かれ、午後4時半帰宅。
審査対象課は「企画広報課」「総務課」「会計課」及び「議会事務局」でした。
あした、内容を書きたいと思います。

2003年10月9日 木曜日 メダカ

不要ということでもらいうけたステンレス浴槽に水をはり藻を入れ、メダカを飼い始めてから10日が経過した。20匹いたはずのメダカがいくら数えても18匹しかいない。2匹削減だ。
大きい浴槽のわりに数が少ないので、今度16匹入れて34匹にするつもりです。
とりあえず餌をやることにした。
三日前、ごはんつぶを入れたのだが、誰も食べなかった。
一昨日、玉子焼きを砕いて入れたのだが、誰も食べなかった。
昨日、フを入れたら、やっとくらいついてきた。良かった良かった。
シートンの気分になってメダカを観察してみると一匹一匹個性的であることがわかる。

藻の陰にじっと潜んでいる静かなもの、居眠りしてうごかないもの、押しのけてフをとろうとするわがままなもの、大きいのの尻尾について泳ぐ腰ぎんちゃくみたいなもの、フをたべる奴をじっと見つめて微笑んでいる人格者もいる。

2003年10月8日 水曜日 昨日の一日

午前中は決算審査特別委員の勉強会、午後は広報編集委員会だった。
特に広報編集委員会(議会だよりは10月16日発行の予定です)についてはケンケンガクガクがあって、委員会が終了し議会事務局に戻った時は既に午後6時を過ぎていた。
聴いたりたりしゃべったりの一日というのは疲れる。しかし夜は鉢巻しめてCADに邁進した。

閑話休題
今朝は、福井市役所での打ち合わせを済ませ、足羽川河原にたたずんだ。
疲れているからか気分は憂鬱だ。憂鬱を吹っ飛ばそうと艶笑小話を思い出した。
福井弁バージョンで書いてみよう。
・臨終間際の爺さんが、看取る連れ合いの婆さんに最後の力で話しかけた。
「婆さんありがとのう。うら感謝してる。先にいくけどごめんのう。連れ添ってから最後までいつもいつも先にいってしもてごめんのう。」

○愛車・ナショナル自転車バナナ号に乗っての町役場からの帰途、竹田川加納病院裏に遊泳している鴨家族をみた。20羽だ。遠いシベリヤ大陸から今年もやって来てくれたんやねえ。


2003年10月7日 火曜日 ウイルス完全撃退

昨日の早朝。「HPがウイルス感染だぞ」の電話を何人かの方から頂いたので、急遽某パソコン店に車を走らせた。
購入したウイルス駆除ソフトでパソコン内のウイルスを全て駆除。FTP起動でアップロードファイルを削除した後、再度アップロードした。しんどい一日だったけれどもHP・URLを持つ者としての自覚欠如を猛省した次第です。

○例えばぼくらの世代が中学生の頃はのんびりしたものだった。けれど今は部活全盛の時代だ。全盛になればなったで保護者の思い入れも多岐に渡るようになる。
で、昨日の朝は保護者のひとりから部活の現状についていろいろ聞かれた。しかし吾子卒業幾星霜ということで現状がよくわからない。
そこで、PTA会長Kさんとこへ出向き、いろいろ相談してきた次第です。

○ こどものことといえば、今(午前2時)、近くのコンビニへ行ってきた。ウイスキー「膳」と一本のソーセージを買い店を出てぶらぶら歩きはじめたら、道路対面にいたパトカーが並行してすうっと動いたので、職質かとあせったなあ。
「大丈夫だ落ち着け。軽犯罪の経験はあっても、重犯罪はしてないぞ。」とココロに言い聞かせているうちにパトカーは走り去った。
思うにコンビニ周辺たむろの未成年者たちを見張っていたんだろう。
小泉の言う(あ!管直人も言っている)警察力の強化だ。

2003年10月6日 月曜日 一週間の始まり
又一週間が始まった。
今週は広報編集委員会などいろいろが予定されている。
ひとつひとつ、真面目に取り組んでいこうと思っています。

閑話休題
「若葉台地区に二台の自動車が永い間放置されている。警察に言うたら「警察としてもひとの敷地にあるものを無断で持っていくわけにはいきません」と言われた」という話を聞いた。
確かに自動車自体も個人財産だ。所有者がわからないのならば、新聞広告に載せたらどうだろう。
効果があるのは報知新聞だと思う。

○ 「教育厚生委員会所属の議員って誰やね?」という電話があったので「ぼくも委員のひとりです」と答えたら、「相談したいことがあります」という。とにかく聞いてこよう。


2003年10月5日 昨晩

朝5時起床。冷蔵庫をあけると、缶ビールが満載だ。
そーか。昨晩の事務所は、「深まりゆく秋を楽しむ会=牧田がおごる焼鳥食い放題!ジュンケイ・ネギマ・トンソク・ギュウヒレなんでもこい、三笠の山にいでし月かもの夕べ」だったのだ。
昨晩午後7時半、来訪してきた数人の友人たちは「ありがとう、ありがとう」と何度も謝辞を言う。シャイなぼくは「よせよ、照れくさいじゃないか」と返すのが精一杯だった。加えて、ココロ優しい友人たちは頼みもしないのに沢山のビールを持ってきてくれたのである。
始まった飲み会はしかし「ボクシング世界戦タイトルマッチ」TV観戦に終始した。その上、山岳部=日本百名山を制覇する会会員の友人たちは翌日の早朝登山に備え体力温存と称して早々に帰宅した。よって沢山のビールが残ったのだ。
本日、クライアント夫妻と共にひるがの高原建設自宅敷地現場視察を終えて帰宅した午後5時現在、扉をあけた冷蔵庫のビール群を眺めながら
①飲まずに仕事をする。
②仕事をせずに飲む。
のどちらを選択するか、ぼくは大変迷っているのである。


03/10/04 (土) 決意

12時半に目が覚めた。肌寒い。外は静寂と漆黒の闇だ。
歯を磨き、うがいをし、鏡の前で髪を整えた。
クロゼットから取り出したモスグリーンのシルクセーターを着て、体が温かくなった。
真夜中のラジオから流れてくるのはモダンジャズだ。今ぼくは豆砕熱熱ブルーマウンテイン珈琲を飲みながら、人生を反省している。

他人に迷惑ばかりをかける人生を送ってきたなあ。
家族を悩ませ、配偶者にはお土産のひとつも買ってこず、子供たちに対してはいい加減な父親だった。異性の友人たちに対しては気配りをせず、同性の友人たちに対しては粗雑だった。いつも金が無いので、まるでおごるということをしない人生だった。

しかし、ひとは生きていくのではない。生かされているのだ。
最近ぼくは、小林秀雄の「無私の精神」を読み返している。

残りの人生に私心を持ってはならぬ。
他人様の喜びを自分の喜びとする余生を送らねばならぬ。


03/10/03 (金) 視察研修の続き

ところで、ぼくたちは、木津川を眼下にするこの村の軽食喫茶に入り、山菜蕎麦を食べた。
カウンター内で忙しく働く二人の女性が清楚妙齢だったので、ぼくは標準語で話しかけた。

ぼく    「このキッサは民間ですか?」
女性A  「ちがいます。NPOでやってるのどす」
ぼく    「じゃあメンバーで一二番に美しいおふたりがあなた方なのですね?」
女性B  「おほほ、りりしいお顔のくせにお上手なかた。でもメンバーは10人どすのえ」
ぼく    「NPOの名称はなんですか?」
女性A  「村おこし事業団といいます」
ぼく    「そうですか。頑張ってください」
女性AB 「どこから来やはりましたの?」
ぼく    「名乗るほどのものではござんせん」

りりしい越前男と清楚な京女の会話はここで終わった。
新制「あわら市」庁舎内に、喫茶コーナーを設けたらどうだろう。公営というわけにはいかないだろうが、金津町にもNPO法人がふたつあると聞いている。


03/10/02 (木) 視察研修

ぼくたち広報編集委員会委員が訪問した京都府南山城村。その村の議会同委員会との情報交換は有意義だった。
京都府下の場合、蜷川革新府政の遺産ということもあるのだろうが、この村議会の場合も行政ときっちり対峙する構造が「南山城村・議会だより」にあらわれている。
「住民は、投票において行政執行権を首長に託し、執行を監視する役割を議会に託す。よって、議会が行政に対してなれあいになっては絶対あきまへんのや。それでは、住民を裏切ることになる。」を繰り返し聞かされた。当然のことであり、この原点を忘れたら駄目だということを肝に銘じた次第であります。

なお、情報交換会が行われたのは、村が経営する黒川紀章設計のクラシックホール=やまなみ会館で、会の終了後視察した同村立の小学校は、英人建築家=ロバート・リチャード設計のものだった。
鋸屋根を持つこの小学校は、コンクリート打放しとシナベニヤとスチールネットと透明ガラスの四点セットの素材で構成され、およそ小学校に対する既成概念を大きく変えるものだった。
教室と廊下を間仕切るものはなく、それ以外のスペースは吹き抜けだ。ようするに平面的にも断面的にも動線視覚双方において開放されている。設計者の意図が野外授業を狙っていることにあることは明らかだった

03/10/02 (木) 視察研修

ぼくたち広報編集委員会委員が訪問した京都府南山城村。その村の議会同委員会との情報交換は有意義だった。
京都府下の場合、蜷川革新府政の遺産ということもあるのだろうが、この村議会の場合も行政ときっちり対峙する構造が「南山城村・議会だより」にあらわれている。
「住民は、投票において行政執行権を首長に託し、執行を監視する役割を議会に託す。よって、議会が行政に対してなれあいになっては絶対あきまへんのや。それでは、住民を裏切ることになる。」を繰り返し聞かされた。当然のことであり、この原点を忘れたら駄目だということを肝に銘じた次第であります。

なお、情報交換会が行われたのは、村が経営する黒川紀章設計のクラシックホール=やまなみ会館で、会の終了後視察した同村立の小学校は、英人建築家=ロバート・リチャード設計のものだった。
鋸屋根を持つこの小学校は、コンクリート打放しとシナベニヤとスチールネットと透明ガラスの四点セットの素材で構成され、およそ小学校に対する既成概念を大きく変えるものだった。
教室と廊下を間仕切るものはなく、それ以外のスペースは吹き抜けだ。ようするに平面的にも断面的にも動線視覚双方において開放されている。設計者の意図が野外授業を狙っていることにあることは明らかだった。

03/10/01 (水) 広報編集委員会視察研修に行ってきます
・役場から帰る途中、知り合いの工務店親父にばったり会っての立ち話で、クドキを聞かされた。
役場が発注した物件を受注したところ、ぶっちゃけた話が赤字になってしまったと言う。
「この御時世や。別に儲からんでもええ。とんとんでかめへん。けどか、わしらボランテイアしてるんとちゃうねん。赤字ではどうしょうもないわなあ」云々が延々と続いた。
町議になる前まで、ぼくもわずかな額だけれども町発注の請負工事設計を受託したことがあるので、そうなり得る根拠がなんとなくわかる。別に建築工事に限定されたことではないが、分切りが妥当であるかどうかの問題だろう。
設計者が算出した工事価格に対して行政側が分切りをする。そのパーセンテージの数値にしっかりした根拠があれば妥当な分切りだと言えるのだが、そうでない場合は?となるわけだ。
マ、このことについてはいろんな思いがあるので、後日、報告に書きたいと思います