2003年11月

03/11/30 (日) 雨で里山探検が延期となってしまった

昨晩、事務所で設計の打ち合わせをしているところに「S医師宅で飲んでる。来んか?」の電話が入った。
「行けない」と答えたのだけれど打ち合わせがはやく終わったので出向いた。オールドがでた。いつもレッドしか飲んでいないぼくには大変おいしかった。しかし朝型人間のぼくにとって、夜の飲食歓談はきつい。しばしの四方山話を終え、ひとり早々に帰宅した。

日曜日の朝の事務所
里山探検隊員たちが、蕎麦づくりに励んでいる。
ぼくは傍らでCADに励んでいる。

午後、ジネンジョ入り最高級おろし蕎麦を堪能した隊員たちは、転じて焼肉を始めた。
ぼくはかわらずCADに励んでいる。


〇 議員になって大きく変わったことのひとつは、相談ごとを受けることが頻回になったこと。
公の部分は当たり前だが、実際には私ごとの方が多い。
当然、この欄などに書くことはできないのだけれども、世の中の組織やらココロやらいろんなものがあれてきているなあと思います。

03/11/29 (土) 昨晩の帰宅は午前様だった

景気というのはぼくら庶民にとって多分に実感的なものだ。政府が景気の底値脱出をPRしているせいか、ぼくの周辺でも、住宅増改築の話をぼちぼち聞くようになってきている。
というようなことを、昨日、某設計事務所所長に申し上げたら、「まきちゃん、しかしそれはつまり新築をあきらめる層が拡がってるということや。そういう時代になったんや」と言われた。
阪神淡路大震災の被害状況をうけて、建築基準法施行令が改正され、筋交の配置とか、土台柱梁取り合い部分の規定が大変厳密なものになった。今後住宅が増改築主流に路線変更されるのならば、「天災は忘れた頃にやってくる」のだから、既存建物の構造再検討が不可欠だと思う。

03/11/28 (金) きょうはしとしと雨

昨晩10時。ふらっと事務所にあらわれたサーさんとの四方山話。
「HP読んでると、牧田さんの生活ってすごく不規則に思える」と言われてぼくはうなづいた。
確かにぼくの就寝時刻はまちまちだ。しかし深夜の2時頃には必ず目が覚める。ひと仕事したら、明け方に仮眠する。なおかつ昼寝もする。うーん、眠りが断続的なのだ。
だれが言ったか、十分な睡眠をとる為には若いエネルギーが必要なのだそうで、ぼくの場合は当然眠りが浅い。熟睡できない。しかし夢現を楽しむ機会が多いという利点もあります。

 〇本日午後一時、福井市から戻りメールチェックをしたら、知り合いの女性からのものが一件。
添付ファイル挿入で、タイトルが「見て」・・コメントが「うまく開きますように」だ。
男性の立場ではなんとなくドキドキしますがね。「おかしい。それほどナイスボデイとは思えんが・・」とつぶやきつつ開いたファイルは予想された類のものではなかったです。

〇「金沢の重度障害者・高さんが、自立支援を一日6時間しか受けられないのは憲法違反だということでした提訴に対して、金沢地裁はその訴えを却下した」と、夕方ラジオが言っている。
20数年前。「或るろう者が「訪ソ青年の船」ツアー参加申請を障害者故に却下された。それは問題や」と高さんに言ったら、「そんな物見遊山なんてどうでもいいことや。ぼくらは一日一日生き続けていることがぎりぎりの勝負なんや」と、ぼくはたしなめられた。金沢地裁却下の理由に説得力はない。

03/11/27 (木) 昨日びっくりしたこと

「きょうの福井新聞読んだか? でかでかと出ていた今立在住某県議鉄パイプ殴打犯逮捕の記事や。
逮捕者はあんたの友人の今立町議と姓がおんなじやぞ」と知人から言われた。
新聞を読む癖のないぼくはびっくり仰天して即刻本人に電話したら、違うひとだった。
よかったよかった。
その際、ちょっと前に記事となった恐喝事件や今回の殴打事件の根深い背景をいろいろと聞かされて「うーん、政治の世界というのはコワイところや」と思ったよ。
ところでその友人山崎くんは、昨年餓死した知人のことで東奔西走し、新聞などにも投書していた。
先だってTBSが取材にきて「田丸美寿々ショー(なつかしい名前だ)」に出るとのこと。
是非ご覧ください。12月20日・PM5:00-だそうです。

 〇本日午前中三人目の来訪者は、白いマスクをした町議の山下さん。病院からの帰り、風邪薬を飲むために立ち寄ったとのこと。禁煙をずうっと続けていると聞いてびっくりした。
ぼくが風邪をひいたのは何年前だったろうか。

03/12/26 (金) 正月間近

頭蓋骨を杖のアタマにひっかけたいでたちで市中を歩き回りながら
正月は 冥途のたびの一里塚 めでたくもあり めでたくもなし と唄ったのは、風狂おじさん・一休宗純だ。
青老の中間=壮にいる54歳のぼくなどは、この辺りが微妙である。
80を超えて盲目の女性・森女との愛を謳歌した一休にとっての54歳はまだまだ若造だったろうが、そういう能力のないぼくにとっての正月は、来し方を振り返る「あの頃はよかったなあ」的溜息吐息と、やや近い将来を思う「どういう死に方をするんだろうか」的躊躇狼狽が交錯する節目の時である。
ひとは何故死を恐れるのだろうか。
若かった頃のある夜、パリで買ったダーバンのコートに身を包んだくわえ煙草のぼくは、雄島の橋のたもとに立ち、潮騒のなかで冬の暗い海を眺めていた。
かたわらの女性が、突然こう言った。
「牧田さん。私は死ぬのを怖いとはちっとも思わないわ。怖いのはみんなから忘れ去られることよ。年月が経つに従って思い出としての私が消えていってしまうのよ。それが怖いの」

日頃能弁のK子の口から、寡黙にぽつりぽつりとでてくる言葉には、なにかしらん説得力があった。
ところで、彼女は今頃どこで何をしているのだろうか。

〇各職場は仕事納めになりつつある。
仕事納めにしろ仕事始めにしろ、ぼくは挨拶まわりというものを殆どしたことがない。
年賀状は妻に代筆してもらうし、儀礼的なものに対して大変弱い男です。

03/11/25 (火) 今週が始まった
7時に眼が覚めた。外は雨だ。事務所の桜の木もすっかり葉を落としている。
今年もあと一ヶ月だ。

〇 いろいろあって、「ああー、自分はみすぼらしい父親や、みすぼらしい夫や、つまりみすぼらしい人間や」と意気消沈していたところにかかってきた仕事がらみの電話で、相手から「地獄にいるような陰気な声よ」と言われてしまった。
ちょうど、昼飯時となったので、書棚から石川好著「ストロべりー・ボーイ」を取り出し、ごろ寝で再読。
石川少年の目に映った60年代後半の米の若者たちは大変にレボリューショナリーな生き方を目指していたのだ。この文庫本に啓発され、うーんぼくも自己変革を目指す中年になろうと決心。
元気がちょっと蘇ってきた。

〇 CADやりながら聴いている国会ラジオ中継。
管直人が、イラク問題のもうひとつの根としてパレスチナ問題をとりあげている。
この部分に関しては全くその通りだと思う。

03/11/24 (月) きょうは旗日

午前9時半、パソコンニューウェーブの旗手・ケンくんから電話があり来訪。掲示板をリニューアルしてもらった。ついでに昨晩ぼくが喧嘩してしまった妻の携帯に、謝罪反省の意を代弁してもらった。
ということで迷惑をかけてしまったケンくんをJR駅前中華蕎麦屋に誘い「好きなだけ飲め、好きなだけ食え」と酒池の境地を味わってもらったあと近くのサテンの熱々珈琲で仕上げをした。
その際、店の御主人から合併後のJR駅前活性化プランをいろいろと聞く。
ケンくんは、夜も事務所に来る予定だ。本日はぼくにとって文字どおりの休息日となった。

03/11/22 (土)  ザ・ビートルズ

眼が覚めたら午前1時だ。仕事の合間にスイッテを入れた深夜ラジオはザ・ビートルズを特集している。
「ゲットバック」「イエスタデイ」「イエローサブマリン」「ヘイジュード」エトセトラである。
ビートルズが日本に初めてきたのは昭和39年、ぼくは高校一年生だった。
百姓の息子で、ポピュラーだのロックだのの横文字音楽にはとんと無縁のぼくが当時くちずさんでいた唄といえば、橋幸夫・三橋美智也・舟木カズオ・三田明・梓みちよ・園まり・西郷輝彦・加山雄三・水原ひろし・伊東ゆかり・アイジョージなどもっぱらメイドインジャパンだった。
しかし、日本に上陸したビートルズの唄を初めて聞いた時、なに唄ってるか全然わからないのに不思議とココロが踊ったなあ。
ウーン、西洋にもいい音楽があるいいものはいい国境を超えていいと思ったぼくは、後年「イエスタデイ」を一生懸命練習し、持ちうたとする。(もうひとつはトニー・ダララのラノヴィアだ)。

03/11/21 (金) 無題 

勤め人としての経験が10年間しかないぼくには、勤め人の本当の苦労というものがよくわからない。
翻って、零細あるいは個人事業主にとって何が一番つらいかというと、仕事をとってくることである。
仕事があればそれだけで嬉しいし、無ければ勿論悲しい。そういう悲喜こもごもを20数年続けてきたのだけれど、昨今の不況下で仕事の取り合いはハードさを極め、成立直前でおじゃんとなることもある。
そういう時、人生の全てが虚しく思える。
過度の競争はひとのココロを随分と乾いたものにしていると思う。

〇Mジャクソンが、拘留されると同時に、保釈金3億3千万円を払って保釈されたと、朝ラジオが言っていた。ぼくには保釈金というものがどういう法的裏付けに基づいているのかわからない。そりゃあ3億というのはすごい。濡手に泡・棚からぼた餅の臨時税収だ。
しかしやっぱりおかしい。法正義は実は法不正義で、金持ちに対しては甘く貧乏人に対しては厳しいということではないか。法が「地獄の沙汰も金次第」を認めていることになるのではないか。

〇夕刻に某建設業者来訪。資金繰り苦労の話となった。
「牧田はん。今、銀行がカネ貸すとしたら、公務員が安全パイや。ダントツでAランクやざ」というので「そんならオレも半身公務員じゃねえか」と答えたら、「だって次の選挙でとおるかおちるかわからんが」と痛いところをつかれた。
ま、あすがわからないのが人生の妙味だと思って生きていくつもりです。

03/11/20 (木)  欝からちょっとだけ脱出 

金津-吉崎間の湖岸道路をひとりでドライブするのは夕方がいい。北潟湖に映る夕陽がすばらしい。
湖底の汚染など忘れてしまうのだ。その湖岸道路を通って御山に登り、頂上から鹿島の森やら日本海やらを眺めていた。
対岸芦原町の山に地肌が見えたが、山砂採取でもしているのだろうか。
うん、芦原で思い出した。
昨晩、芦原の温泉街へ某氏と飲みに行った時、至るところで道路工事の風景を見た。
門型側溝敷設なのか、錦鯉流しの風流水路づくりなのかよくわからないが、以前から決まっていたことならばともかく、合併を前にしてのかけこみ工事だとしたらいかんぞな。
姑息ではないかとぼくは思うのだ。

03/11/19 (水)  昨日の一日 

午後二時。市姫荘に嶺北消防署のひとが三人来て、高齢障害者対象の救急処置及び初期消火講習会が開かれ、ぼくも手話通訳の立場でそこにいた。(本日の福井新聞によると県内初の試みだったそうだ。
注・記事写真には、ひとが素敵だというぼくのチョッキ姿も載っていた)。
例えば年の始めなどに、消防署は各地区を巡回して、このての講習会を例年開いている。けれども、障害者の場合は、処置の仕方にやはり微妙なところがある。そのことがよくわかった。

夕刻。生活の悩みがアタマのなかを駆け巡って欝となる。

夜。誘われて芦原の街へ。痛飲しているうち、なるようになるさという気分になった。帰宅し、熟睡。

〇講習会についての付記
別に嶺北消防署の宣伝をするわけではないが、何かコトが起こった場合を想定した119番への通報重要事柄を明記したカラーコピーを参加者に配布し、「この紙を電話機の傍らに貼り付けておいてください」と言っていた。これはとてもいいことで、こういうことの為に税金が投入されるのは全然惜しくないとぼくは思う。ただしFAX対応がまだとの説明に、「?、それじゃあろうのひとが対応できないじゃないか」とぼくは思ったのだが・・・。
本日、市姫荘に出向いたおり「119番の場合、いろいろムツカシイ面があるんです。でも、来年度実現を目指して頑張っています」と言われて、ぼくはほっとしたよ。
〇もうひとつ「ヘえ!」と思ったこと。
「消火器は台所つまり火の元には置かないで、隣室に置いてください。だって火の出ているところへは消火器をとりにいけないでしょ」という消防署員の説明にぼくはおおいに納得した。

03/11/18 (火) 午前三時にあつあつ珈琲を飲みながら  
最近続けて通夜葬儀に出る機会があった。地元のひとなのだけれども、場所は芦原町駅前の葬儀会館=ソートフルなんとかだ。
準備は全て会館がするので、故人の近所の裏方たちにとっては非常に楽だという。椅子式なので、ぼくたち列席者側も靴履き替えの煩雑を味わわなくてすむ。正座の苦痛もない。
しかし地元の無免許年寄りたちにとっては、やや不評だ。区民館あるいはお寺での葬儀であれば、年寄り眷属等しく皆うち集ひて、故人の思い出話に花が咲き、あしたに紅顔であるもゆふべに白骨と化す己が身の無常を顔突合せつつ実感する場となるのだが、なにぶんにも行きにくい。
ぼくは、近所の年寄り数人を乗せて行き、乗せて帰ってくるのだが、地区のひとの参加者はやっぱり少なくなったように思える。

〇夜明けまでは、寒いので95コタコン(コタツの上に置いたパソコン)に向かい、日中は98イスコン(机の上に置いたパソコン)に向かうというのが最近のぼくのやりかたでしたが、コタコンは腰によくないので、これを机の上に移動した。P鯉墨-ナオちゃん経由の頂いたパソコンなので、イタコンと名づけた。
今年の夏場まで、新品のXPニゲコン(ノートで、森の木陰や湖のほとりに持っていく)もあったのだけれども、上の息子に渡してしまったので旧式二台のネットワークでこのHPも書いとります。


03/11/17 (月) 二行日記  

議員の山下さんから電話があって、ホームページを書くことに関するいろんな思いを聞いた。
で、ぼくもちょっとふさぎこんでしまっています。

〇本日は臨時議会が開かれました。が、その資料をうまくスキャンできませんでした。

03/11/16 (日) きょうは日曜日  
昨晩は来客があり仕事の打ち合わせで、寝るのが遅くなってしまった。
眼が覚めたら、もう夜明け前だ。それでも午前5時なのだから、朝型が完全に定着したといえる。
息子は部活で、妻はセミナーだ。お袋は畑仕事で、親父はTV観戦だ。
三九会のメンバーはどうせ山に登っているだろう。

ぼくの予定は夜の区理事会出席だけで、久しぶりにゆったりした日曜日になりそうだ。
東山の堤にフナを捕まえに行こう。事務所を徹底的に掃き清めよう。読書に親しもう。
セントピアあわらに行って肌を白くしてこよう。デジカメで金津の地蔵さんを撮ってこよう。
夜明け前、とりあえずサントリーウイスキー無頼派を飲みながら、そういうことを思っているわけです。

03/11/15 (土) 昨日の一日  

午前中は市姫荘へ。
今度予定されている応急処置講習会での手話通訳に関して、嶺北消防署のひとと打ち合わせをしていた。その際、熊坂FKメタルで一昨日火事の起こったことを聞く。あのシュレッダーは数年前まで、野積みされていたが、雨で湿り気を帯びて発火する可能性があるということで建て屋に収納されたはずなのに・・。はやく搬出しなければならないと思う。
午後は決算審査特別委員会の総括審議。
税滞納者に対する措置が焦点となった。法治国家なのだから納税義務を守らなければならないのは当然だ。しかし無い袖は振れぬともいう。江戸期の苛斂誅求とは違うのだから、厳しいがしかし血も涙もある徴税ということになろうか。
夜は、決算審査の反省親睦会。
隣席が女性議員だったので、子育てと現今の教育が話のテーマとなった。
夜も8時を過ぎれば就寝時刻だ。竹田川のほとりを、ぼくはひとりとぼとぼと帰った。
途中土手にいずかり、見上げるともう冬空だった。

〇きょうの午前中ぼくは、福井市新田塚の歩道上で、小児リハビリの専門家から長い時間いろんな話を聞いていた。「重度の障害児の場合多くは短命です。けれどその分だけ家族どうしの付き合いも濃密で、苦楽を共にする共同体みたいなところがあるのよ。牧田さんも議員として行政にドシドシもの申していってほしい。」と言われた。
ぼくら健常者の場合、生き方を形容する言葉として、「だらだらした」とか「真面目な」とか「孤独な」とか「一生懸命の」とか「日陰の」とかのいろいろを持つ。
けれど重度の障害者の場合は、生き続けること自体が、揺るぎなしの価値ある人生ということになると思うんだ。
決算審査を前にした勉強会の席上、講師の伊藤監査委員が言っていた「行政も民間と同じようにリスクを感じながら汗水たらして働かないかん。そして社会的弱者を守ることが、行政の一番大切な義務なんや」という言葉を座右に置くことにした。
若い頃、「飲む・打つ(買うはしなかった、だってもてたから)」ざんまいだったぼくは今ココロを入れ替え、議会人として頑張っていこうと思っています。

03/11/14 (金) 横文字ばっかりになってしまった  

昨日の夕方。事務所に来訪したひととの床屋政治談議を終えて家に帰り、沢庵で熱燗晩酌を始めた。
スイッチをいれたTVは世界女子バレー・日本vsブラジル戦を中継している。
阪神タイガースの野球以外球技には興味がないのでチャンネルを切り替えようとした時に、金津町の町技がバレーであることを思い出してしばらく観ていることにした。
これがなかなかに面白い。
観ているうちに、東京オリンピック女子バレー決勝・日本vsソ連を思い出したよ。
欧州列強から「東洋の魔女」と恐れられたニチボウ貝塚主体の日本チームだった。
ソ連のエースストライカー・ルイスカリのものすごいスパイクを半田がレシーブする、中村が応酬する、他の選手がそこらへんを走りまわる。アナウンサーは「金メダルポイントです。金メダルポイントです」を連呼(イヤな言葉だね)絶叫し、高一牧田少年は手に汗を握ってドキドキだった。

考えてみればオリンピックの熱中TV観戦は東京だけだった。
1964年10月、当時早稲田の学生だった坂井青年の聖火台点火で東京オリンピックは始まった。
男子100mは「黒い猛牛」ボブ・ヘイズ。200mは「世界一速い車」ヘンリー・カー。女子砲丸投げは「女大鵬」タマラ・プレス。
男子マラソン「裸足のアベベ」アベベ・ビキラは確かシューズを履いて独走していたぞ。熾烈な二位争いでわれらが円谷幸吉は代々木国立競技場トラック最後の400mで、英のヒートリーに抜かれた。「とろろおいしゅうございました」の遺書を残して自殺したのは数年後だったか。
女子80m障害の依田郁子はレース前にトンボをきっていた(彼女も後年福島で自殺している)。
柔道無差別級決勝で「オランダの赤鬼」ヘーシンクが破った相手は、神永だったか猪熊だったか。
水泳短距離の主役はなんといっても米サンタクララ水泳クラブ所属のドン・ショランダーだった。ようけの金メダルをとっていたなあ(彼は現在不動産会社を経営していて、腹がでっぷりとでている)。プールサイドに流れる国歌は「星条旗よ永遠なれ」ばかりだった。
1500m自由形で米サーリに敗れた山中毅の高校時代の同級生と話をする機会があった。「ガッコにプールがないやろ。そんであいつはいつも能登の海んなかで練習してたぞ」と言っていた。
体操は「白い妖精」ベラ・チャスラフスカ。ナデイア・コマネチの数倍も素敵だった。後年、「プラハの春」の主役となる。
重量挙げは自衛隊体育学校の三宅。金メダルをとったあとのなにかの雑誌のインタビューで「100mはよう走ってそれがなんになる。わしらは火事の時、タンスをひとりで運び出せるぞ」と答えていたのが面白かった。

うん、女子バレーのことだった。
これからは、真面目に応援しようと思います。

〇 昨日は金津中学校に出向き、いろいろな話を聴いたりしたりしてきた。PTAを離れて幾星霜。
実に久し振りでした。

03/11/13 (木) 雑感 

昨日の決算審査特別委員会(教育総務課・生涯教育課・福祉保健課)で、課毎の審査が終わり、あとはあさって14日の総括を残すのみとなった。
膨大な数字の羅列を前にしての審議は、我々素人にはいささか疲れるものだった。
審議というと普通は予算審議を指すが、町村議会レベルでは、決算審査があるのみだ。
決算書の審査なので、質疑によってその内容が修正変更されるものではなく、せいぜい次年度に声をいかしてほしいというだけのもの。これが市議会になると予算審議が導入されるとのこと。期待増であります。

閑話休題
一昨日の夕方。役場101で手話講座が開かれ、あとは11月25日一回分を残すのみとなった。
隔週火曜日・三ヶ月という期間限定、希望者対象のものだったけれども、これが役場内手話浸透への芽吹きとなればしめたものだと、ぼくはひそかに思っているのであります。


〇 深夜ラジオが、水俣病を特集し、生前の川本輝夫さんの肉声を流していた。
万博で経済大国を謳歌した日本は、直後に起こった対チッソ水俣病闘争によって足元をすくわれた。
高度経済成長のひずみが招いたいわば公害の原点としての水俣病である。
70年安保・三島由紀夫自決・よど号ハイジャック・浅間山荘・永田洋子逮捕と頻発した政治の季節は、水俣病の出現によって明らかに公害の季節へと変わっていく。その悲惨や怨念を、今、今立町議をしている山崎隆敏さんによってぼくはいろいろと教えられた。
日本は、経済成長を加速させやがてバブル経済及びその破綻を招くことになる。反公害運動のなかで元凶としての企業はその姿を消したけれども、より拡散された形と質に変化した根から社会生活に浸潤してくる汚染が現在のぼくたちのカラダとココロを隠微にむしばんでいる。
建築設計という仕事がらみではあるけれども、今、化学物質過敏症のひとと付き合っているぼくには、そう思えて仕方がない。

03/11/12 (水) 高塚センセイありがとう

午前二時、コンピューターのスイッチをいれたら、HPのカウントが8万を超えていました。
三年前の二月、ぼくの初めての町議選挙の時のウグイス嬢の夫(失礼、もと夫)・高塚氏にURL及びカウンターをつくって頂いたのが、HP書き込みを始めるきっかけでした。
議員日記なんや、あばさけてはいかん、議会のことを真面目につづり続けるぞのオーソドックススタイルが出発点での目指す姿勢でした。しかしすぐに息切れしてしまいました。
肩肘はらんでもええやないか、見て感じたことそのまま書けばそれでええやないかへの路線変更は出発して数ヶ月後だったと思います。
戦前の共産党でいう転向であります。
爾来、唯一生活圏内体験徒然駄文日記継続即力を信条に、なに書くかわしはしらんキーボードに聞いてくれ風に日々書き込んできたのであります。
つきあってくださった皆さん、本当にありがとうございました。

〇「カウント数8万回目をクリックしたのは僕です」のメッセージがありました。
知人であり好みを知っているので、ささやかなプレゼントを持って行こうと思っています。

03/11/11 (火)  人間みんなぼちぼち男女編

「男女共同参画推進事業の打ち合わせがあるので、来ませんか」との電話を頂いたので、昨晩役場101に行って聴いていた。
集まりは、「男女共同参画というかたい言葉をもっとやわらかくできんかなあ」という問いかけから始まったが、同感同感。誰が名づけたかいかにも役所用語的議会用語的事務遂行的言葉使いだもんなあ。
メンバーのうちの何人かが、小さなエピソードのなかで嫁夫姑の関係を既に戯作し何枚かの絵を描いており、その戯作台本に関してのメンバーの討議はとっても熱心だった。町内幾つかの施設に出向き、紙芝居興行を催すとのことです。
こういうのって、すごく町活性化・世代間交流につながるんじゃないだろうか。

閑話休題
夕刻、所用で三国土木に行った帰り、海岸線に出た。
沖を眺め、男女共同参画問題を考えているうちに、一昨年10月20日の日記「夕陽恋」を思い出した。
これ、感動したというメールがはいってきた唯一のものですねん。

〇「きのうのホームページ、笹木が佐々木になって間違ってたわよ」というご指摘を受けました。
早速訂正しましたが、このあたりが電子文字の弱点やと思います。

〇ホームページといえば、「カウント数7万回目をクリックしたのはワタシです。携帯で写メール転送します」という三国町の知人からの電話が入ったのは、確か今年の盆の頃だった。
駄文を読み続けてくれていたのが嬉しくって、数日前、ぼくはささやかなプレゼントを知人に持って行ったのである。

03/11/10 (月) 総選挙 

衆院選比例代表及び小選挙区選挙の開票結果。
議席は自民がやや減。民主が予想ほど伸びず、共産・民社が衰退した。
小選挙区福井2区。
自民党が分裂して混沌としたが、坂井郡は最大票田であるにも関わらず立候補者が出なかった。
小選挙区選挙というのは比例とは別で、政党というよりも地元の顔選びだ。市町村合併の動きを睨んだ場合、坂井郡が盛り上がらなかったのもうなずける。
別に地元利益誘導型でなくても構わないが、一種の地区内人格人気投票の側面があるのだから、坂井郡内に国政対応型人間はいないのかと思ってしまう。
それはさておき、福井1区はものすごい激戦だったなあ(もっとすごいのが宮城にあったが)。
開票率97%でも当確が出ない。今回の福井県内参院選立候補者のなかで、唯一いろんな話をしたことのある僅少差負け・無党派の笹木竜三さん、残念ですがご苦労さんでした。
敗北も いわば勝ちへの 一里塚    です。

〇本日は、終日、決算審査特別委員会で、午後5時帰宅。
対象課は、農林商工課・建設課・上下水道課だった。画像スキャン機能が復活したので早速議会報告を書こうと思っている矢先、たて続けに電話が入ってきた。
加えて、友人からの誘いで今から再度役場に行くことになっている。
議会報告書込みは、明日にさせていただきます。

〇昨夕、雄島で海に落ちる夕陽・西方浄土を眺めていると、俗世間での仕事・対人関係・ローン等がどうでもいいことに思えてきた。
というようなことを今朝妻に話したら、「20数年も夫婦でいるんや。世捨て人として放浪したいお父さん(ぼくのこと)の気持ちはようわかってる。でも、こどもらが自立するまでは汗水たらして働いてほしい。そのあとはお好きなように。ただし、首のところに身元証明証だけぶらさげて放浪してください。どこで死のうと、ワタシも配偶者として、骨を拾う義務があります」と言われた。
なるほどとは思ったが、世捨て人というのはそもそも妻帯していないのではないかという気もする。

2003年11月8日 水曜日 昨日の一日

午前中は決算審査特別委員の勉強会、午後は広報編集委員会だった。
特に広報編集委員会(議会だよりは10月16日発行の予定です)についてはケンケンガクガクがあって、委員会が終了し議会事務局に戻った時は既に午後6時を過ぎていた。
聴いたりたりしゃべったりの一日というのは疲れる。しかし夜は鉢巻しめてCADに邁進した。

閑話休題
今朝は、福井市役所での打ち合わせを済ませ、足羽川河原にたたずんだ。
疲れているからか気分は憂鬱だ。憂鬱を吹っ飛ばそうと艶笑小話を思い出した。
福井弁バージョンで書いてみよう。
・臨終間際の爺さんが、看取る連れ合いの婆さんに最後の力で話しかけた。
「婆さんありがとのう。うら感謝してる。先にいくけどごめんのう。連れ添ってから最後までいつもいつも先にいってしもてごめんのう。」

○愛車・ナショナル自転車バナナ号に乗っての町役場からの帰途、竹田川加納病院裏に遊泳している鴨家族をみた。20羽だ。遠いシベリヤ大陸から今年もやって来てくれたんやねえ。


03/11/07 (金) 高速道路  

今回の衆議院議員選挙。自民vs民主の主張の違いのひとつが高速道路の有料維持vs無料化だ。
無料化なんてとんでもないことだと思っていたけれど、昨日の新聞に載っていた経団連幹部誰かさんの「無料化すれば、食料品などの流通コストを抑えることができて、主婦層は助かるのではないか。」という記事を読んでうーんと思った。

昭和38年冬の豪雪いわゆる38(サンパチ)豪雪の時は、高速道路がないために流通がパニックになった。
しかしパニックにならなかった56(ゴーロク)豪雪の時、「これも高速のおかげや」がチマタで囁かれていたのを覚えている。無料化されれば、いろんな効果がでてくるのだろう。
要は、経済の波及効果と投入される税金額の天秤の問題であって、そう簡単に是非が決定できるものではないけれど、一理ではあると思う。


03/11/06 (木) 鴨池  

三国ワンダーランド横の灌漑貯水池・通称=鴨池に行った。越冬鴨がそろそろ集まってきているのではないかと思ったのだ。満杯ではないけれどかなりいた。
しかし淵にたつと池の汚いことがよくわかるんやね。
水面に沢山のペットボトル・ビニール袋が散乱している。投げ捨てられてのものもあるんだろうけど、ワンダーランド駐車場のゴミ置き場から風で押し入れられるものも多いのではないか。
池のゴミは川と違って流されない。
鴨池のゴミ清掃には舟が必要だろうが、是非、舟を持っている誰かにやっていただきたいと思う。
そういえば、加賀にも鴨池がある。ドライブの途中で入った付属の建物は入場有料だったが、中には大型の望遠鏡があって鴨たちの表情を楽しむことができるのだ。
覗いたら鴨が一羽も見当たらないので係員に聞いたら、「今は季節はずれです」が答えだった。
でも、とても楽しかった思い出です。うん。

〇昨晩、妻から「ワタシもそうだけど、アナタは50過ぎても精神的に自立し得ていない甘ちゃんです。
自然体で振舞っているけど、そのじつ、他人の目線を意識する、小利口者的気取りにすぎない。それがアナタのトラウマなんだろうけど、もっとどっしりとした自我をつくらなければいけない」と説教された。
いつものことながら妻の言葉は砲丸投げの砲丸で、胸にドスンドスンとあたってくる。防ぎようがない。
臨終の時、耳元で囁く妻の「よくそこまで成長したね。ご苦労さん」という言葉を聴くことが、ぼくの今後の人生の課題だと思い、自己変革を目指してがんばろうと思っている次第です。

〇河内長野の男女カップルは「最後に心中しようと思っていた」と語っているという。
心中は、現行道徳規範からの究極的な逃避だ。
逃避は反抗概念とは無縁なのだから、親攻撃実行の意図がよくわからない。
贖罪としての心中ならば汚点を残すことになる。
よくわからない。

03/11/04 (土) 決意

12時半に目が覚めた。肌寒い。外は静寂と漆黒の闇だ。
歯を磨き、うがいをし、鏡の前で髪を整えた。
クロゼットから取り出したモスグリーンのシルクセーターを着て、体が温かくなった。
真夜中のラジオから流れてくるのはモダンジャズだ。今ぼくは豆砕熱熱ブルーマウンテイン珈琲を飲みながら、人生を反省している。

他人に迷惑ばかりをかける人生を送ってきたなあ。
家族を悩ませ、配偶者にはお土産のひとつも買ってこず、子供たちに対してはいい加減な父親だった。異性の友人たちに対しては気配りをせず、同性の友人たちに対しては粗雑だった。いつも金が無いので、まるでおごるということをしない人生だった。

しかし、ひとは生きていくのではない。生かされているのだ。
最近ぼくは、小林秀雄の「無私の精神」を読み返している。

残りの人生に私心を持ってはならぬ。
他人様の喜びを自分の喜びとする余生を送らねばならぬ。


03/11/03 (金) 視察研修の続き

ところで、ぼくたちは、木津川を眼下にするこの村の軽食喫茶に入り、山菜蕎麦を食べた。
カウンター内で忙しく働く二人の女性が清楚妙齢だったので、ぼくは標準語で話しかけた。

ぼく    「このキッサは民間ですか?」
女性A  「ちがいます。NPOでやってるのどす」
ぼく    「じゃあメンバーで一二番に美しいおふたりがあなた方なのですね?」
女性B  「おほほ、りりしいお顔のくせにお上手なかた。でもメンバーは10人どすのえ」
ぼく    「NPOの名称はなんですか?」
女性A  「村おこし事業団といいます」
ぼく    「そうですか。頑張ってください」
女性AB 「どこから来やはりましたの?」
ぼく    「名乗るほどのものではござんせん」

りりしい越前男と清楚な京女の会話はここで終わった。
新制「あわら市」庁舎内に、喫茶コーナーを設けたらどうだろう。公営というわけにはいかないだろうが、金津町にもNPO法人がふたつあると聞いている。


03/11/02 (日) 雑木林は気持ちいい 
昨日は、設計した建物の地鎮祭ということで、施主夫妻とぼくは、ひるがの高原の近く岐阜県高鷲村にいた。現場は山すその雑木林である。先日新調した遠近両用眼鏡で見る遠くの森は一面紅葉している。

勾配のある木漏れ陽の林をじっくりと歩いた。
そよ風が肩越しに吹き抜ける。枯葉が白いマフラーに舞い落ちてくる。
憂愁の気分だ。
ダーバンのコートの襟をたてたぼくは、ダンヒルで煙草の火をつけた。
憂愁の気分で、来し方を振り返り、行く末を考えていた。

〇捻り鉢巻でCAD製図にいそしんでいるさなか、武生市在住の旧知夫妻来訪。
四方山話をしているうちに、「金津旧跡よいとこ見学ツアー」に行こうということになった。
「坂ノ下八幡神社」をスタートに「千束一里塚」「多賀谷左近の墓」「山十楽神明宮」「のこぎり坂」「一字一石墳」「御山」などいろんなところを案内した。
最後に喫茶店で喉をうるほしたんだけど、とにかくしゃべりつかれました。

03/11/01 (土) スイミング  

深夜ラジオから「佐賀県」が流れてきた。はじめて聞いたが、今年佐賀県で一番ヒットした唄だそうだ。
歌詞は、アコーステイックギターのメロデイにのって佐賀の田舎性をくりかえす。面白くってぼくはひとりゲラゲラ笑っていたよ。
日本の田舎県というと、佐賀に匹敵するのは我が福井県だろう。ここはひとつ「福井県」を誰かが作詞し、誰かが作曲し、誰かが歌ってほしい。
歌い手は別に大御所・五木ひろしでなくてもいい。金津町にもいるはずだ。
都市生活田舎生活それぞれ長短あるけれど、ぼくはやっぱり田舎がいい。他県とのインフラ競争などせんでええから、愛と自然につつまれた環境をめざすのがシアワセというものじゃなかろうか。

〇ここ半年の間に、腹が嫌になる程出てきた
出る杭はうたれる、出る腹はぶたれるというではないかと、希臘彫刻的筋肉質的裸体復活一念発起大作戦にのりだした。勿論水泳である。
きのうはプールで汗を流してすっきりした。

〇ショーン・コネリーに関するぼくの思いの間違いを指摘したマーブくんのメッセージを読んだ。
以下紹介。
32歳、イアン・フレミング原作、ダンデイで女好き、殺人許可証を持つイギリス情報部員ジェームス・ボンドの活躍を描くスパイアクション007シリーズの第一作「007/ドクター・ノオ(公開時タイトルは、「007は殺しの番号」)で、ジェームス・ボンド役を演じ、大ヒットとなる。この成功により007ことジェームス・ボンドはショーン・コネリーのあたり役となり、またシリーズとしてもスパイ映画として最長寿で最高興行収入を稼ぐことになる。
33歳、「ロシアより愛をこめて(公開時タイトルは「007/危機一発」)」で、2度目のジェームス・ボンド役を演じ世界中1作目を超える大ヒットとなり、人気を不動のものとする