2004年02月

04/02/29 (日) 2月最終日
目が覚めたら外はしとしと雨でなんとなく体がだるい。机の上には缶ビール・ワインの残りが並んでいる。ウーン、昨晩は6人集まってのまきぽん親睦会だったのだ。
ひさしぶりのアルコールだったのでみんなハイになり、会話がいろいろはずんだ。
テーマのひとつは、関西の奥座敷と呼ばれている芦原温泉がどうあるべきかだった。
「関西のひとは根っからの商売人や。顧客の宿泊にはやっぱり芦原温泉を使ってもらう。わたしら紹介するのは、マ、二流どころの旅館なんやけど、宴会が済んだあとで一夜の女性を世話しろという客もいる。そしてやね、値段の交渉でもっと安うならんかと言うそうなんや」と会社を経営するTくんが言っていた。
愛に金銭がつきまとってはならないを信条とするぼくにはよくわからない話だが、昭和33年に施行された売防法もザル法と呼ばれるほどに、男はおしなべてスケベなのかもしれない。

しかし、芦原温泉の謳い文句は湯煙の里なのだ。
数年前、上州草津温泉に泊まったことがある。夜、食事を終えたぼくたちは、浴衣下駄履きで外を歩いた。街の中央に湯畑と呼ばれる白い煙のあがる熱い湯の池があった。照明設備がその池をライトアップしていた。沢山の浴衣姿が周りを散策しあるいは池をじっと眺めていた。
温泉に一番必要なものは詩情のある風景だと思う。

04/02/28 (土) カウントダウン
一昨年だったか、芦原温泉で昭和39年金津中学校卒業の学年同窓会が開かれた。
北は津軽から南は沖縄まで、いろんなところから同窓生が集まった。
印象に残っているのは、一次会が済み風呂に入り浴衣に着替えてからのELVロビーでの6人歓談だった。「わたしら金津を去って数十年や。ぎゅうさん(同級生間で通じるぼくのアダナ)らもそうやろうけど、わたしら遠いとこにいるもんほど、金津町がなくなるのは寂しいもんやざ」と言われた。ふるさとは遠くにありて思ふもの(犀星)なのである。
あしたで、金津町はその歴史の幕を下ろす。自治体名としての金津の名前は活字から消える。
ただし、かって全国で展開された新住居表示施行の結果がそうであったように、小字名大字名は歴史のなかで風化はしない。ひとは、固有名詞を読んだり書いたりするのではなく、口端で聞いたりしゃべったりするものだと思うからだ。
いずれにしろ、合併という事業のさなかに偶々ではあるけれども議員でいた者としての責任は、これからの展開をいろんな場で住民のひとたちに伝えていくことにあると思っています。
〇コンクリ水槽の中で越冬出来たサカナは金魚二匹メダカ二匹だけだった。寂しかろうと思い、金魚三匹メダカ五匹を追加した。

04/02/27 (金) 週末だ
哀愁の町に雪が降る午前三時。深夜ラジオは、北島三郎・都はるみ・八代亜紀の昭和演歌を流している。演歌は血の歌だ。
その演歌を聴きながら、私は家族のことを思っていた。
帰省している娘、大都会で生活する上の息子、今からが人生の下の息子、苦楽を共にしてきた妻、やや年老いた両親・・。来し方を振り返り行く末を思いセンチメンタルな気分になった。
センチメンタルな気分で煙草に火をつけた。「桃印品質優良徳用燐寸」で火をつけた。
思えば、カルダン・ダンヒル・キムコ・ジッポー・100円ガス・300円ターボ・200円電子・中南海と様々のライターを携帯してきた私だが、昭和の30年代に対する思い入れが昂じるに従い、この重厚大型徳用マッチ(¥170-)こそが煙草に最高の芳香を与えるものと今や確信している。
煙草の白い煙は自由に気ままに燻っている。
うん、旅にでよう。
遠くでなくて構わない。隣国加賀の思い出の場所をひとり歩いてみよう。偶には構わないのだ。

行政の怠惰
設計された建物は確認申請業務を通して建築が許可される。自治体としての町が申請図面を受け付けて県の出先機関へ送り、そこで申請書がチェックされる。
先だって坂井郡内某町(金津町ではござんせん)に申請図面を提出したところ、そこの担当課からぼくに電話があり、「県は、あなたが図面に明記した敷地寸法と公図寸法とで1.5mも違うと言っています。速やかに県に連絡してください」と言われた。うーん、実測したのだから間違いないはずだおかしいなあと思いつつ県の出先に出向いたところ、担当職員から開口一番「すみませんでした。私が公図寸法を読み間違っていました」と謝罪された。バカじゃないかと思ったが、そこは紳士の私である。微笑を浮かべて何も言わずにそのまま帰った。
そしたら、数日後、某町担当課から電話があった。「あの一件どうなりましたか?」と言われて、紳士の私だけれどもキレテしまったのである。
「あんた何言うてまんねん。数日前、あんたは県の代理として私に不手際指示の連絡をしてきたんだぞ。だとしたらその結果は県に聞けばいいことだろうが。わたしゃあんたらの仲人やってるんとちゃうぜ。第一やね。住民のわたしらにとっては町も県もないんや。ワンストップチャンネルというのがおたくらの謳い文句だろ。おたくらが公僕と呼ばれる所以を考えてみろよ。どうのこうのどうのこうの」と言ってしまった。
ちょっと品がなかったかと反省はしたが、事実そう思ったのである。

04/02/26 (木) 陽気に誘われて
昨日の朝。三国土木事務所からの帰りに、竹田川右岸・水居集落付近の堤防を歩いた。
河口に近い場所なので、うねりを持った川幅が広く流れもゆったりしている。手前河川敷ヨシの群生のあわいに散乱するペットボトルにはげんなりしたけれども、とにかく雄大なのである。
本年度予定の第四回竹田川カヌー秘密裏大探検(悪魔のマーブ師団長指揮下・作戦その①指令番号0039は二度死ぬ=敵を探せ鴨を探せゴミを探せ)はここを挑戦の場としてもいいなあと思った。
と こ ろ で
閑話休題
傍らに一本の桜の木がある。陽気のなかで今にも花が咲きそうだ。

世の中に 絶へて桜の なかりせば
         いかにこの世は 楽しからまし
誰の歌かは忘れたが、これは反語の歌だ。
あなたが大好き。だけど咲いたと思ったらすぐに散っちゃうあなた。あなたがいなければ散り際を見る悲しみを味わわなくて済むのに・・・くらいの意味だろうが、作者はいかにも貴族で繊細なひとだったと思う。
と こ ろ で
閑話休題
夕方、福井県福祉事務所から電話があって、今年も手話通訳の登録をしてほしいと言う。
合併に伴い窓口があわら市になるという説明を聞いて、福祉事務所必置が市の要件であることを思い出した。

〇午前5時。目が覚めたら机の上に缶ビールが散乱している。
昨晩は、事務所に同業者3人集まっての建築談義だったのだ。極端な早寝おじさんとなっているぼくは、どうやら途中で寝てしまったみたいだ。おふたりさん、ごめんなさい。

04/02/25 (水) コンクリ水槽を掃除してメダカに餌を食べさせた
徹夜のつけは必ずあるもので、きのうは夕方からこんこんと眠った。留守電に一本、ケータイに二本メッセージが入っていたが、つゆ知らず眠っていた。
午前一時起床。ポタージュスープを三杯たて続けに飲んで体の調子を整えた。
かんわ きゅうだい
閑話 休題 
午前四時。もう夜明け前だ。
昨日の昼、PTA関係のひとから「金津町議は、芦原中学校大改修のことをどう思っているんやろうか」という電話が入った。まだ合併もしていないし、町議もひとりひとり考えが違うので、個人的にということで、思いをいろいろ述べた。
そもそもが、建築基準法は昭和56年に大改正されている。芦原金津両町の小中校を含めた公共建物のなかで新基準を満たしているのは細呂木小学校だけだ。法の理屈から言えば、他の全ての建物は大改修の対象となる。震災が発生した場合の最終避難所として公共建物を想定していることを考えると、大改修は不可欠だ。だけれども、耐震改修にはグレードがある。耐震・免震・制震と用語も分かれる。
建て替えざるを得ないだとしたら、少子社会の余波を受けてあるいは経済的な視点から統合中学校という選択肢がでてくるだろう。それは新市の都市計画のなかで論議されるべき課題である。ただし、教育現場には校区の広域化を懸念する立場で統合反対の意見があるだろう。いずれにしても、慎重に考えなければならないことだと思う。 

と こ ろ で
閑話休題  
ポルポト政権下で虐殺された(170万人という)ひとたちの遺骨展示をめぐってカンボジアの世論が分かれているという。推進するフンセン首相側に対して、シアヌーク殿下が、「死者への冒涜」だという理由でその撤去を促しているそうだ。
何故それが、死者への冒涜になるのかわからないし、一にも二にも歴史的事実の継承が大切だと思うのである。
    
〇最近のぼくは、環境にめざめている。薔薇である。
美しいものには棘があるというということで、ぼくは事務所を薔薇屋敷にしようと思っている。

04/02/24 (火) 不眠病気味で 徹夜をしてしまった 
松岡での打ち合わせを終えて、午前一時半にやっと事務所に戻った。
普通は二時間迄の打合わせが、ノンストップで四時間半だ。少々疲れた。
湯を沸かし、熱々珈琲を飲む。体がほぐれてきた。
さあ、今宵のミッドナイトは読書で過ごすのだ。 
というわけで
閑話休題
明け方までごろ寝で読んでいた「目白三平随筆」(論創社)に、亡くなった奥さんを偲ぶくだりがある。
著者は、愛した妻の遺骸を見詰めているうち、誰にもみられないようにして、慣れ親しんだ彼女の陰毛を剃り、遺髪としてそっとポケットにしのばせた。タンスの奥にしまわれていた遺品のパンテイを、日替わり身に着けることによって、感触を思い出す日々を送っていたという。
この場面を読んでいると、偕老同穴が生きている言葉として蘇ってくる。
無軌道な性に走る若者たちは、こういう本を読んで反省するといい。

        
〇「「少年A]この子を生んで・・・」を読み終えた。副題が「父と母後悔の手記」とあるが、読む限りでは、どう後悔できるのかちょっとわからない。巷によくみられる普通の夫婦あるいは親子のかたちに思える。子に執着し過ぎたのかもしれないと母親は振り返っているけれども、親が子に執着する姿くらいどこにでもあると思う。

04/02/23 (月) 曇天の月曜日
仕事に追われ、昼には某喫茶店密議への集合時刻に遅れ、夜には予期せぬ急用が入って打ち合わせ予定の先方へのキャンセルをするというハードな日曜日が昨日だった。
人間、休養が必要だ。ということで、きょうはしばらくの間ぼーっとしていようと思う。
           
〇数日前の衛星放送TV。名作「エデンの東」でジェームス・デーンを観た。少年と大人の間を微妙に揺れ動く陰影のある横顔は、30数年前の私に重なる。
しかし。
私の息子ふたりの最近の諸々をみていると、今日の無味乾燥的社会に繰り込まれることを拒否しようとするむしろ敵意に近いものを持っているのが今の若者たちではないかと思う。
彼らを、甘えてるもっと責任感をもたねばならぬ人生苦あれば楽ありやと叱責するのはたやすいことだ。けれども、自己を取り巻く環境との間の相互規定性で自己実現がなされるのがひとというものであるということを考えると、我々大人が加害者的に振舞ってきた側面に対して我々自身がもっと自覚的でなければならないと思うのである。

04/02/22 (日) きょうは閉町式
どこの県だったか、教師の障害者差別発言が校長の自殺を招き、今度は現職警官による児童女子誘拐が発覚した。折りしもきょうはロッキード事件で関係者17人全員の有罪が確定し、つまり我々が歴代の一国総理ひとりを犯罪者として持つことになったという記念すべき日でもある。新興宗教の指導者の犯罪判決を数日後に控えたきのう、喫茶店で読んだ某週刊誌内幕暴露シリーズには、某既成宗教指導者の隠された暗部が綴られていた。
「愚かというも愚かなり」という今日的状況である。
事件には一面的に語ることの出来ない細部がいろいろとあるだろう。
だけどひとつだけ我々が読み取ることのできるのは、ひとを地位や職業で判断してはならないということである。いや、ステータスのある人であればあるほど外見人格死守に捕われるあまり、内面に沢山の滓を持たざるを得ないのではないかと思うのである。

親鸞上人が「善人なおもて往生を遂ぐ いわんや悪人をや」と言ったのは
ひとはみんな悪人なのだ、だったら自分が善人だと錯覚するよりも、悪人なのだという自覚を持ちその諦念を出発点とするのが理にかなっているという謂だろう。また戒律修行を否定したのは、小悪くらいしてしまうのがひとというものだし、そういう自分であるとみられても仕方ないし、そう思うことが大悪をとどめる力になるという謂なのだとぼくは思う。

と こ ろ で
閑話休題

閉町式で、表彰状感謝状を授与された皆さん、おめでとうございました。これからも頑張ってください。
式最後に金津中学校ブラスバンド部による「蛍の光」が流れた時には、胸がじーんときてしまいました。
            

04/02/21 (土) 合併目前 
昨夜は、市姫荘で社協の評議会が開かれた。冒頭、野田会長は「金津町社協として最後の評議会であります」と挨拶していたが、この時期に開かれる公的団体の集まりにはこういう形容詞がつくのである。
合併とは組織と組織がくっつくことだけれども、組織をつくっているのは人だ。つまり人と人の新たな交流が生まれることを意味するし、多分そこが一番肝心だ。
芦原町に殆ど知り合いのいないぼくだけれども、今からの出会いが待ち遠しい。
一昨日ふらっとやってきた商業関係者が、「町づくりはひとづくりや。行政主導ではあかんのや」と言っていたけど、特徴をつくってこそ町は魅力的になる。そして、そういう仕掛けを起こすことのできる信念・熱意・理屈のひとは両町に沢山埋もれていなさると思う(そういえば、ぐんみん会議はどうなったんだろうか)。
確かに町は施策に住民の声を取り入れようと「意見を聞く会」を幾つかつくってきたけれども、アテ職が多くて通過儀式になってしまっているような気がする。
民間活力の導入という掛け声は何も政府の専売特許ではなくて、住民自治の本質がそこにあるということだ。視察研修に出向いて、活性化してるなあと思った町は、床屋談義風の意見交換が随所にみられそれをくみ上げる機構の整っている町だと思った。
                 
年末、雪に埋もれて以来ずーっとそのままにしておいたコンクリ水槽を覗いてみた。
どのみち魚はみんな死んでいるだろう埋葬しなければなるまいと思いつつ、網ですくってみた。
一匹二匹と死体をすくいあげていったら、
なんと、メダカ二匹、金魚二匹が生きていた。
雪に閉じ込められ餌も与えられず、風雪に耐えて生きていたのである。
南極大陸で孤独に越冬した自力更生犬シロー、タローを思い出してしまった。
感動した。みんな頑張っているのである。

        

04/02/20 (金) 新聞を読んで
本日の新聞トップ見出しに、「知的障害者入所全施設「解体」宣言へ 宮城浅野知事地域移行を促す」とある(朝日一面)。
全国目立つ知事トリオのひとりである浅野知事はもと福井県庁にいたと聞いているし、ぼくが町議になって初めての視察研修先が、合併及び介護保険テーマ下の仙台市近郊大和町だったので、宮城はなんとなく思い入れのある県だ。
というわけでもないけれど、時代が変わりつつあるという感がする。グループホームなどの下支えを受けてこういう動きが表面化してきたのだろう。
施設が地域からの隔離という声は何十年も前から底流としてあった。
実際、知り合いのこに、「普通学校から施設入所に変わって、近所のこと一緒に通学できないようになったのが悲しかった」と言われたことがある。ノーマライゼーションなどというややこしい行政用語を使わなくても、人間みんなぼちぼちやでいいのである。
どうでもいいことだけど
閑 話  休 題
その視察研修先で生まれて初めて松島をみた。感動した。詠んだ。
 
     芭蕉翁を偲びつつ
 松島や ああ松島や 松島や 
           越前松島 及ぶことなし

                      牛庵


〇きょうの昼は、曳家と古民家再生に打ち込む男のひとと一緒に三国町にいた。
商売柄、ぼくも古民家再生にはとても興味がある。町屋の繊細もいいけれど、やっぱり古民家の野太さに親近感を感じる。ああいうものを単に観光用に保存するということだけではなくて、現代の生活に適合させて蘇らせることが、今からの建築設計者の課題だと思うのである。

04/02/19 (木) キンシャサの奇跡
30年前、アフリカ大陸のキンシャサでモハメド・アリとプロボクシングヘビー級世界戦を闘った男、「象をも倒すパンチャー」と呼ばれた男=ジョージ・フォアマンがリングに復帰するという。
うーん。私と同じ55歳でっせ。還暦まであと5年でっせ。
現在牧師業を営むこの男がそう決心した理由は、「世界の若者たちに、歳は関係ないことを示したい」だそうだ。
キンシャサの奇跡ならぬハメマラの悲劇の渦中にいる私だが、この深夜ラジオ突然ニュースに触発され、「よおーし、私もやってやろうじゃないか」と、とりあえず事務所の掃除を始めた。
そして、本棚の裏に落ちていた一枚の写真を見つけた。
牧田青年が沖永良部島にいた30年前、さんご礁で撮った全裸写真である。撮ってくれた男は、東京のセミプロ写真家・御手洗くんだった。「いいカラダしてるなあ。ヌード撮らせてくれよ」と懇願され、それに応じた一枚なのである。
場所は島の北端、映画「青幻記」のロケ地となった西原(ニシバル)の海岸だ。南国の燃える夕陽を背にうけて、私の顔も胸も手足も陽根も全てモノクロシルエットと化している。
淫猥さひとかけらもなしのいわゆる芸術写真なのである。
みているうちに、ぼくは西行の歌を思い出した。

心なき 身にもあわれは 知られけり
            鴫立つ沢の 秋の夕暮れ
 
 ぼくはこの歌にいつもモノクロシルエットの世界を感じるのである。

04/02/18 (水) 深夜にスコッチを飲みながら
昨日の午後に坂ノ下区区長が来訪。一緒に竹田川右岸・金津大橋下流の堤防沿いを歩いた。人の歩かない堤防というのは、実際荒れきっている。目竹なども群生している。
キジが小走りに逃げ、カモが羽音をたてる。そのような場所を歩くのは、何故か胸のときめくことで、竹鉄砲遊びに夢中だった少年の日が走馬灯のようにアタマをかけめぐる。

し  か  し
閑話休題
こういう状態というのは、その足元にある農業排水溝の維持管理の観点からは、大変にやっかいな状態であり、きれいな伐採が必要ということになる。工業化や宅地化だけではなくて、単一作物で地表を覆う農業も又、自然に対する破壊者なのである。
自然との共生という美辞は、かっての縄文式生活のなかにしか存在しなかったのだろう。

〇こどもとケンカしたあとでちょっと考えたこと
少年犯罪の増加は大変おぞましいことであるが、それは教育の荒廃というようなレベルで語られることではないだろう。
TVのスチャラカ番組はこどもにモノを売りつけるための媚番組だとしか思えないし、ケータイメーカーの新機種続々登場のターゲットは、本来便利を享受させる必要のないこども層にターゲットを置いている。その他エトセトラで、こどもの頼みなら親がサイフの紐をゆるめるはずというメーカー戦略が垣間見える。かって国がうたっていた「倹約は美徳」のスローガンを「消費は美徳」に変えたのは明らかに消費資本主義社会の浸透による。
モノや技術の質的向上が優先される社会の登場は宗教や道徳を生活の表通りから裏通りへと追いやった。宗教や道徳の持つ或る意味での独善性を考えるとこの路線は正しいとぼくは思うのだが、しかしそれならば、ひとは各々のこころに自分なりの内的規範を持つしかないということになった。それはしかし大変しんどい作業である。
ファーストプライオリテイというよこもじがある。
自分が生きる上で最優先されるものくらいの意味だそうだが、社会が重層性を持つに従ってこの確認はより難しい課題となってきている。そこで思うのだ。
日本の教育レベルが落ちているということで学校制度の見直しがいろいろ叫ばれているが、ぼくはやっぱり教育現場は実社会へ入る前の「効率とは無縁の遊ぶ場・考える場・悩む場」であってしかるべきだと思うのだ。かって歌手・野坂昭如は「・・みんな悩んで大きくなった・・」と唄っていたが、悩みに浸るという贅沢を味わえる場所は、このせちがない世の中にあってはもはや教育の現場くらいにしかないんじゃないか。生きる上での必要な知識の習得などは、30過ぎ40過ぎに例えば大学に入るなどして、いくらでも対応できると思うのだ。

04/02/17 (火) ちょっとカリカリ 
昨夕、時報が6時を打ったので、一旦帰宅しようと机上整理をしているところに突然電話が入った。
社長さん、灯油が値上がりします。買い時ですよー」のいわゆる相場の勧めコールである。
このひとたちは口八丁に生活をかけているので、とにかく立て板に水のしゃべりをする。
相手の迷惑を顧みないことを除けばえらいもんだと思うし、言い返すこと自体が頭のトレーニングになるので、一方的に電話を切ることをしないのがぼくの姿勢でもある。

資金の余裕なんてあるはずないから電話切るよ」と言ったら、「その落ち着きぶりからしてそんなことないですよ。第一、皆さん始めは同じように謙遜なさる」と検討はずれを言うので「金のあるなしは金のあるなしでしかないやろうね。そんなこと自慢にも卑下にもならんよ。ひとはいざ知らねども、私は初対面電話であろうがなかろうが言うことは一緒や。ひとの姿勢を一律にしか考えられないということはセールスの幅を狭くしてしまうのではないですか」と反論したら、
とにかくイラク戦争で油が値上がりしてます。儲けは絶対ですよ」というので、「投資に絶対は禁忌の言葉やで。第一、イラクでひとが沢山死んでいることを利用して金儲けせえと言うのですか?」と聞いたら「わたしどももひとが理不尽に死ぬのは悲しいことやと思いますよ。でもそのことと商行為は別のものだし、そう思わないことには経済がなりたたない」と至極当然をいうので、「それはそうだろう。だけど同調するしないは私自身の問題だ。だから貴方がセールスの対象を貴方の意見に同調するひとに向けることが大切なのであって、私は武士の末裔だ。武士はくわねど高楊枝いざ鎌倉や。ひとの命は地球より重いんやぞ」と(ぼくの家の家系は5代前はもうわからんという水呑百姓家系であることを忘れて)葉隠武士道のようなことをまくしたててしまった。
社長はわたしの言うことに逐一反論ばかりする。もっと投資を男のロマンと考えてわたしの言うことに同調してもらえませんか」と言う。
「余裕ないから電話切るよという私の言葉をさえぎってまくしたて始めたのはそもそも貴方だぞ。そういう姿勢での言葉の羅列は私の鼓膜には届くけれども、鼓膜を通り越して心の中にまでは決して入ってこないのだぞ」と気障を言ってしまった。

お互い、「そんならまあさようなら」で電話を切ったのだが、内心わたしにもああいうしつこい営業力があれば妻子を充分に養っていけるのだがなあ、電話の相手は神が遣した人生教師なのかなあと思った次第です。

04/02/16 (月) 昨日の日曜日
午前中は三国町某寺の住職と一緒に石川県の三谷温泉へ。といっても、湯につかりにではなくて引舞工事の現場を見に行ったわけです。

引舞というのは既存建物を地面から浮かしておく工事のことを言い、この現場でも、鉄道の枕木やI型レールを使用しての迫力あるものでした。

午後は松岡町の住宅で施主夫妻との打ち合わせ。その後一緒に住設機器メーカーのショウルームに行き、午後4時に帰宅した。
さあ、「菜の花通信」ペーパー版を書こうとパソコンの前に座った途端、Qくんから電話。彼氏宅で39会メンバーが飲んでいるという。実に久しぶりだったので、だるい体をおして行った。
風邪をひいているぼくは、勿論飲めない飲まない飲みたくない。食べれない食べない食べたくない。
水を飲みながらだけで酩酊くんたちの真面目不真面目ないまぜ話を聞いているのは結構楽しいものだった。
その ばしょで
閑話休題
ぼくがこのHP欄にたまに書く駄洒落が二分間ほどだけ話題になった。
マーブくんによると、面白かった順で
一位=ちくちく痛む
二位=カモノハシ   だそうです。
〇時報が二時を打った。銭湯が開く時刻だ。この時刻に行くと貸切みたいなもんで、大尽気分を味わうことができる。

04/02/15 (日) 日曜日の朝

雨降る日曜日の朝、ラジオから元ロッテのエース村田兆治の声が流れている。
56歳で141km/hの投球をしたことで話題になった村田は、現役時代いろんな怪我病気に見舞われた。で、その怪我を克服する為に人目につかない裏のところでどんな努力をしてきたかを、村田は淡々としゃべっていた。
ぼくは、聞きながら吉野弘の詩を思い出してしまった。漢字=裏が漢字=表を含んでいることに言及している短詩だ。
   
     表裏
「裏」の中に「表」があります
裏を見れば表もわかるのが世の常
「表」だけに目を凝らしても、その中に
「裏」を読み取ることは出来ません

04/02/14 (土) 風邪

頭痛と発熱と咳と手首のしびれとにさいなまされた数日間だった。
起きている時以外は、ずっと寝ていた。それで気がついたんだけど、こういう時って何にも書くことが無いんやね。ずっと寝ていればいろんなこと考えるかと思ったが、ひたすらゼーゼーハーハーだった。浅い眠りのなかで夢を頻回にみたけれど、勿論夢の内容は忘れてしまった。でも、やっと峠を越したみたいだ。
それはともかく
閑話休題
熱をおして確定申告書の書き込みにいそしんでいたのだけれども、わからないところがある。
教えてもらおうとQくんに電話した。
「真面目やなあ。私はまだ全然してないぞ」と言われたので「だって受付はあした2月15日までやろが」と言ったら「2月15日からや。までは3月15日や」と言われてしまった。
うーん、税務課に笑われるかもしれんなあ。

04/02/13 (金) 二行日記

カラダがだるく熱っぽかったので、熱い風呂を浴びたあと10時間こんこんと眠った。
朝5時半に起床。あたりは濃い霧がたちこめていて幻想的だ。

04/02/12 (木) 昨晩
夕食時、コトコトと煮立てたカレーライスをひとりで食べていたら、親父が横に来て座った。
日頃無口なのに、饒舌にしゃべり始めた。大正世代だ。
若い頃の失敗やなんやかんやの来し方を長時間しゃべってから部屋に戻って行った。
先日同級生が亡くなったことによる寂しさもあったんだろうと思う。

夕食後、仮眠をとろうとしたのだけれど、くしゃみが出て悪寒が走る。仕方がないので、近くのスーパーへでかけた。きのこスープと、醤油とさぬきうどん5袋ワンパックとピーマンと人参ジュースを買って事務所に戻った。3袋のスープをたて続けに飲んで、体があったまった。
祭日だったので仕事せず、本を読んで夜を過ごした。

〇きのう聞いた艶笑小話をひとつ(・・たまにはいいかなあ)
目隠ししていても、表紙を手で触るだけでこれは「文芸春秋」これは「週間新潮」これは「週間朝日」と雑誌名をことごとく当てる名人の妻に、ならばと夫が己が股間に妻の手を持っていったら、これは「主婦の友」と言ったそうだ。

04/02/11 (水) 無題
昨日。買物に行ったスーパーマーケットの駐車場で知り合いの老婦人とばったり出会った。数ヶ月前に配偶者を亡くしている。立ち話が束の間の思い出話となり、婦人の目からみるみる涙があふれてきた。
「たかおちゃん。みんないく道やけどの。かあちゃんを大事にしねや」と言われたぼくは、照れくさくなり、おばあちゃんの肩をぱんぽんと叩いて別れた。自宅への帰り道、反芻した。
幸福を和語はシアワセと読ませる。シは仕、アワセは合わせで、つまりひととひとが仕え合うことが幸福の源泉なのだと、精神病理の医者から聞かされたことを思い出した。
ぼくとかあちゃんの関係は、仕え合いなのか、反発し合いなのかよくわからない。しかし大きくは、仕え合いというフォルダーにくくられるのだろうと思うのである。


04/02/10 (火) 3年ぶりの大雪の町除雪費は¥950万
睡眠が疲労の回復に重要だということがわかっていても、なかなか寝付かれない。昨晩も、夕食時少しの晩酌ののち寝床にはいったのだが、目瞑→夢現→熟睡の予定が目瞑→夢現→目覚となってしまった。仕方なく11時に起床。事務所で珈琲を啜りつつ所用をこなしていた。
それはともかく
閑話休題
本日の午前10時半から全協、午後一時から臨時議会が開かれた。
議案は、補正予算・条例制定を廃止する条例の制定・芦原町金津町合併協の廃止等、どちらかというとセレモニーに近いものだった。
ただし、全協終わりにあった助役からの「芦原金津両町水道事業会計基金の差額¥6000万の補填ができないという芦原町からの申し入れがありました」という説明には納得できない。
そりゃあ、小異を捨てて大道につくのが合併をする為の避けられない道だとは思うが、北部丘陵の金にしろセントピア芦原の隠れ借金にしろ、合併が近くなってからでてくる芦原町のこういう姿勢に対しては、しこりが残ってしまうのではないかとぼくは思うのだ。
も ひ と つ
閑話休題
「打ち合わせに来てほしい」という電話依頼を受けて、夕方の縦貫道路を福井市に車を走らせる途中、雪原の彼方に落ちる夕陽をスナップショットした。
感動的に美しい。西方浄土なのだ。
南無阿弥陀仏。

04/02/09 (月) 遭難 
午前6時半起床。比較的暖かい朝だ。
新聞休刊日なので、TVを見ながら朝食をとっている。今週のお天気マークは晴れと曇りだけだ。もう雪の峠は越した。春が近づき始めたのだ。
しかし、山の天気は全然違う。
福井石川県境の山で遭難した学生14人の救出のため、ヘリが5台待機、陸路隊が今朝出発したとのニュースが流れている。到着は明日になるそうだが、天候が回復したらしたで雪崩などの二次災害も懸念される。冬山は怖い。遭難者の無事救出を祈ります。
そ  し  て
閑話休題
夕方、14人は無事救出されて本当に良かったのだが、予想通り学生グループに対してお灸がすえられ始めた。TVラジオは「天候の悪化がわかっていたはずなのに計画性がなかったのではないか」と言っている。昔、仁愛女子高等学校ワンダーフォーゲル部一年間限定臨時部長をしていたぼくも冬山の経験は勿論ないけれど、そう思う。

〇続いていたうつの気分がきょう回復した。理由はある。
自営業というか自由業というか、そういう仕事に入って以来、日中出歩き夜机上仕事が20年来の生活のパターンだったのに、ここ数日事務所にずーっと閉じこもっていた為だ。
きょうの昼は大溝へ、夕方は福井市へ出かけて、解放された気分になった。
妻の口癖のひとつは「お父さんに内勤仕事はできんわねー」だが、そうなのだ。

04/02/08 (日) 冬の夜長
昨晩は親睦宴会だった。自分より若いひとたちと酒を酌み交わすというのは滅多にないことで、町に対する要求をいろいろ聞くことができて、有意義だった。
11時に帰宅。カラダがほてっていたので、寝床に入ってからしばらく読書をした。
タイトルは「世界拷問史」(ブライアン・インズ著)というものすごいものだ。読み進むうちに胸が悪くなってきた。
例えば恋歌のアンソロジーを読んでいると、人間の至福というものを考えるし、闘病記を読んでいると、命の尊厳を考える。(余り読んだことは無いが)宇野鴻一郎などのアダルト小説を読めば色情に思いを馳せるし、(読んだことは殆どないが)哲学書に目を通せば、世の中には、訳のわからないことを言うひとがいるのだと思う。
それと同じで、「世界拷問史」を読んでいると、人類は古来、反吐の出るような拷問ばかりやってきたのだと、その末裔である自分が恥ずかしくて仕方ない気持ちになるのである。

〇「岡山の旅館が盲ろう者団体の宿泊を設備が整っていないという理由で拒否し、県がその拒否の撤回命令を出し、旅館側は県の意向に従いつつ団体に対して事故が起こっても責任を負いかねますという念書を交換しようとした」というニュースをラジオが流していた。
微妙な部分がある。
普通、団体宿泊となると手話通訳者や介護者がついているのであって、それならば設備の多少の不整備は不問となる。ついていなかったのであれば、旅館主の拒否は好意的に考えればうなづける。しかし県の撤回命令の根拠は旅館業法に基づいているのだそうだ。とすると、全ての旅館はバリアフリーになっていなければ営業不許可となるのではないか。それならば県は当該旅館に対して改修命令を出すことが先決になると思うのだ。
昔、埼玉県のホテルに泊まったことがある。その時、栃木県のろうあ青年と相部屋になった。
「きょうは安心して眠ることができる」と青年が言った。「火事になった時、自動火災報知器のアラーム音をぼくらは聞くことができないからや」と続けた。
自動火災報知を、寝ているベッドの枕に振動音としてつたえる設備を持っていなければ、ろう者にとって、バリアフリーとはいえないだろう。しかし、そのようなホテルや旅館はもしあるとしても少ないとぼくは思う。

04/02/07 (土) 姿勢
「言葉は所詮、空気の振動かインクの染みに過ぎない」と言ったのは、自殺した江藤淳だ。
評論家の修辞にはいつも含蓄がある。
ということで、ここ数年間本というものを読んだことが無かったのだけれど、今年の年賀状に、町立図書館職員Aさんからの「又、ご尊顔をおみせください」というのがあり、尊顔がどういう意味なのかわからないぼくは、ならば教えてもらいに行かねばなるまいと図書館に顔を出したのが一週間程前だった。ついでに借りた本(10冊借りることができる)のそれぞれが面白くて、「やめられないとまらない」になってしまった。そして昨日、読んだ本の交換に又図書館に出向いた。
と こ ろ が だ
閑話休題
車を停めた駐車場から、ガラス窓越しに1階ロビーでスカート姿の女子高校生ふたりが会話しているのがみえたのだが、なんと一方はソファーの上であぐらをかいているのである。「行儀が悪いなあ」と思いながらも、近づくに従って目線は自然いくところにいく。ウーン、そのこはスカートの裾の部分に大きなタオルケットをかけていたのだ。ファジーである。娼婦的にみせようとしているのかどうかはっきりしない。
足を怪我しているとかのよんどころない事情があったのかもしれないので、あくまでも一般論として言わせてもらえば、日本女性の正統的座位は戦国までは立て膝であり、儒教道徳の流入で江戸期以降は正座となる。よって、ぼくらは固定観念として、正座に凛としたものを感じるし、疲れた時の太腿斜め崩しの姿勢に色香を感じるのである。
少女Aよ、人前でスカートあぐらをかくのはやめなさい。
そういうことをするのが女性共同参画社会の実現だと、おじさんは思わない。

 初め、「日本女性の正統的座位は戦国までは立て膝とあぐらであり、・・・」と書いたところ、このHPを読んだデンテイストSさんから、「韓国では今も立て膝です。仏教の影響だと思います。ところで、あぐらも女性の正統的座位だったんですか?」との電話があった。
ぼくは、TV戦国時代ドラマで、武将たちがあぐら姿勢で議論している姿勢をなんべんか観た記憶があったので、ついそう書いてしまったのだけれども、女性に関しては、立膝オンリーだったのかもしれない。時代考証などせずにええ加減に書いてしまった己を反省しつつ、慎んで訂正させていただきました。

04/02/06 (金) ばたばたの毎日
昨晩は、降りしきる雪のなか4人が手話サークルに集まった。
ま、雪が降らなくても大人数にはならないサークルだけどね。
20数年間サークルに通い続けていると、マンネリになろうがなるまいが、通うことが息を吸うことくらいに自然になってきている。敢えて言えば、継続は力なりを信じるということか。
帰りしな細呂木のひとが、「まちうちのひとはいいなあ。ワタシら、ここから帰るのが大変や」と言いつつ車で去って行った。
確かに、粉雪ついての夜の農道の運転はちょっと怖い。十分にスピードを落としても、積もった雪のせいでスリップして対向車と当たらないかとか、路端に寄りすぎて側溝にはまらないかとかの心配がでてくる。
しかし、ヘッドライトに照らされた雪の乱舞でファンタジーを感じることができるのも又農道だ。
「牧田くん、ワタシ、本当の白は雪だけが持っていると思う。雪以外の白はにせの白よ」と言ったひとが、昔いた。
し  か   し
閑話休題
今朝、葬儀の為に福井市内まで国道8号線を車で往復したのだが、帰り道が渋滞していた。積雪と道路工事によるものだ。
雪がなければ「うーん、年度末予算消化的駆込工事か」の溜息だけで終わるのだけれども、雪が渋滞を促進させイライラは募るばかりであった。

04/02/05 (木) 静かな夜更け
来たる二月十日に臨時議会が開かれる。
提出議案は次の通りです。

第370回金津町議会臨時会提出議案一覧表
議案番号 件名
議案第106号 平成15年度 金津町一般会計補正予算(第5号)
議案第107号 平成15年度 金津町老人保健特別会計補正予算(第4号)
議案第108号 平成15年度 金津町水道事業会計補正予算(第3号)
議案第109号 金津町用品調達基金条例を廃止する条例の制定について
議案第110号 芦原町・金津町合併協議会の廃止について
と こ ろ で
閑話休題
合併特例法では、合併後50日以内に新市長を選出しなければならないとある。あわら市の場合、4月11日が投票日の予定。翻って議員は合併特例法に基づき、一年数ヶ月の間、18人(金津)+16人(芦原)=34人体制が暫定的に続く。そして来年6月に市会議員選挙が行われ定員が22人となる。
〇きのう、空港道路を牛が金津方面に向かって走っていたそうですよ。
ふるさとを目指していたんだろうか。
http://www.d8.dion.ne.jp/~tan/run2.htm

04/02/04 (水) 久しぶりのいい天気 
午前4時に目が覚めた。少しだけ雪が降ったようだ。西の空には、月がまだ残っている。
空気が冷たくて澄み切っているせいか、とても大きくみえるのである。
熱々珈琲を飲んで、カラダがあったまってきた。さあ、きょうも一日頑張ろう。

閑話休題
雪に埋もれていたセメント水槽が顔をだしてきた。
覗いたら、金魚がみんな死んでいる。窒息死か飢死かわからない。どちらにせよ救出を怠ったわけで、申し訳ない気持ちです。
〇きのうは節分ということで豆を頂いた。その豆をかじりながらTVをつけたら豆まきのニュースを流している。おどろおどろしい鬼の仮面をみて恐怖心から泣いている子供が数人いた。
単純な勧善懲悪教えの風習なんだし、こどもの恐怖が一過性のものであったらそれでいいのだけれど、なかには心的外傷となる子供も居るんじゃなかろうか。
そもそも鬼というのがよくわからない。例えば建物屋根鬼瓦のルーツは沖縄のシーサでこれは魔除けの神だ。馬場あき子の随筆には、「鬼は穏からきている」とあった。
ウーン、陰陽道に関係しているような気がするなあ。福がポジ、鬼がネガで人格の裏表。
だとするなら、鬼は心のなかに住んでいるのだから、豆まきなどで逃げてはいかない。
どこかの神社は、福はうち鬼もうちと叫びながら豆をまいているそうだが、そのほうが当たっているような気がする。

〇Sさん、ありがとう。貴方はパソコンの生き字引です。
教えられた通りにしたら「スプリプトエラー」のメッセージは、瞬時に消えました。

04/02/03 (火) 節分
昨日の昼、或る人からケータイコールがあった。
「芦原町は、合併を目の前にしてかけこみ需要でまちうち道路の掘り返しをしているのではないか。北潟湖畔の公園整備に巨額の町費を投じているのではないか。町職員の給料を上げようとしているのではないか。町長はこれらの巷の疑問に対して誠実に答える義務があるのではないか」エトセトラだった。
そういう声を聞いたことがあるのは確かだけれども、ぼくは合併協のメンバーではないし、芦原町の議員ではないので詳しくわからないところがある。
合併後の議会でいろんなことがわかるようになると思うし、勿論予習が必要だ。

〇東京都心で試行錯誤的人生を続けている長男に電話をした。
昨夜、妻に「下ふたりと違って、長男の気質・体格・歯型(これはS歯科医のみたて)はアナタにそっくりや。ワタシにばっかし電話かけてくるけど、きっちり計画遂行志向型のワタシには、あのこのココロが読めん。ここは、お父さんの出番やざ」と言われた為だ。
受話器にでた息子に「元気か?」と聞いたら、「元気だよ」の返事だ。その声の抑揚の小気味良さだけで、ぼくは受話器を置いてしまった。
父と息子の会話なんてこんなもんじゃないか。多弁は恥ずかしいという気がする。

04/02/02 (月) 昨日の一日
朝一番は地区の区民館。消防署のひとが来て防災に関する知識や消火器の使い方に関する講義を受けた。例年、青壮年団が主催している。

途中抜け出して某お寺に行き、護持会総会に出席した。総会が済んでからは親睦会。酒ビールでの四方山話だ。沢山の出席者が徐々にひとり帰りふたり帰りで、結局広い御堂に残ったのは数人だけだった。その中に必ず居るのがぼくのパターンである。

帰宅し酔い覚ましにTVをつけたら、NHKが「現代の映像・水俣病」を流している。’70年代初頭のチッソvs水俣病患者の図式は、公害列島日本の原点というか象徴というか、つまりぼくたちが生態系を考える上での出発点となっている。画面を見ながら、当時奔走していた今立町議の山崎さんを思い出していた。

夜11時、松岡町での打ち合わせを終えて帰宅。インスタント「きのこのポタージュ」を飲みながら本を読んでいたら、妻が息子の相談のことで部屋に入ってきた。ぼくは、いい父親にならなければいけないと思った。
ただ、いい父親というのがどんな父親なのかが、よくわからないのだが。

閑話休題
本日午後5時半、市姫荘で金津町社協評議会が開かれた。
芦原町社協と金津町社協の基金の差を解消するため、金津町社協の相対的プラス分が、町への指定寄付ということで了解された。指定寄付というのは、市姫荘の改修にその使用が限定されるということです。
詳しくは、資料をご覧ください。

ひさしぶりに笑ってしまった
或る場所で話をしてほしいというメールが入ってきて、紹介の時のプロフィルを送ってほしいと書いてあって、最後に「女性遍歴は結構です」の付記があった。当然のことながら、妻以外知りません。

04/02/01 (日) もう二月か 
2月10日に予定されている臨時議会が金津町として最後の議会となる。
合併協議会の解散がここで承認され、2月22日には金津町閉町式が予定されている。
詳しくは2月行事予定をクリックしてください。


〇図書館で借りてきた本のなかに浅田次郎がある。いつも思うんだけど、このひとの本には
裸の人間の強さ弱さ冷たさ優しさがないまぜに詰まっていて、読んだあとには、人間ぼちぼちやあがくこたあないというすっきりした気分を与えてくれる。

御礼