2004年03月

04/03/31 (水) 散歩で疲れが吹き飛んだ
日の出がはやくなってきている。東の空が白み始めた午前5時、トレーニッグウエアで農道を歩いた。柔らかい風が頬に心地よい。早起き雀のチュンチュンも烏のガーガーも散歩のBGMである。
立ち止まり、向ケ丘団地の灯を見遣りながら煙草の煙を思い切り吸い込んだ。
ダンヒルを使うとうまいのだ。さあ、きょうも頑張るぞ。

閑話休題
昨晩の事務所は、同業者5人集まっての建築談義の場だった。
例の自動回転ドア事故も話題となった。
三和シャッター側は、「回転速度を遅くしてほしい」と森ビルに申し入れたと主張し、森ビル側は「そういう申し入れは無かった」と否定している。三和にしてみれば、速度を落としても会社としての不利益を蒙りはしないが、森ビルにしてみれば、客の迅速な出入りという営業戦略があるから遅くしないほうがいい。
あくまでも推測だけれども、申し入れはあったと思う。しかし森ビルは三和にとってクライアントなのだから、強くは言えなかったのだろう。文書化まではいかなかったのだろう。
本来、ビジネスは双方同等のはずなのだけれども、気分としては金を出すほうがもらうほうより強い。だとするならば、行政による細かい使用規約の条例化が必要だ。
〇事務所台所の給水カランが折れてしまったので、金物店で買ってきた。外へ出て量水器を閉めるのが面倒くさかったのでそのまま古いカランを取り外した。蛇口からの猛烈な放水を受けてぼくの体は水浸しになってしまった。やっとこさで取り替えたのだが少し漏る。
そこへP鯉墨氏が現れた。「ねじのシールをもっと厚く巻かなあかんのや」と言いつつ直してくれた。

04/03/30 (火) 映画
映画監督の新藤兼人が、深夜ラヂオで母を語っていた。
監督は明治43年生まれというからもう94歳だのに、矍鑠としている。
代表作は殿山泰司と乙羽信子が共演した映画「裸の島」だろう。瀬戸内の離島を舞台に、農民家族の一日を全くの台詞なしで淡々と撮った映画だった。百姓育ちで、田に這いつくばり黙々と農作業をする真面目少年だったぼくは、そのリアルな描写に感動したものだ。
シナリオは、監督の母への思い入れで書かれたそうです。
日常性にかまけて、もう25年以上映画を観たことがないが、偶には映画館に行きたいと思う。

閑話休題
本日の福井新聞に、若葉台か自由が丘に関する記事が写真入りで出ていた。
昨年度の土地購入申し込み件数はゼロだったという。
県住宅供給公社がバブル末期に造成したものだが、遺跡(室町期だったか)が出て、遺跡法に基づく発掘調査に数年を要した。そのうちバブルがはじけ、つまり売り時を失ったわけだ。今は、解散説も出ているらしい。
開発と保存の関係は永遠のテーマではある。しかしそれはともかく、バブル崩壊で、造成主体が民間だった会社の多くがつぶれているけれども、公社がつぶれるということはない。
親方日の丸と呼ばれる所以である。

〇先日の晩、元某町助役がコート姿でひょっこりと事務所に入ってきた。
既に福井県庁に戻っているのだが、仕事をしていた町の活性化がとても気になるそうだ。
いいことです。

04/03/29 (月) 事故
東京「六本木ヒルズ」内の森タワー児童回転ドアに挟まれて六歳の男の子が死亡するという痛ましい事故が起きた。
自動回転ドアを体験したことのないぼくは事故の背景を新聞で追うしかないのだが、本日の新聞によると、センサー設定を巡って、メーカー側とビル管理者側の意見が食い違っている。昔設計事務所に勤めていた頃、大型商業施設のエレベーター・エスカレーター・非常ドアー・煙感知器作動などの保守点検の現場に何度も立ち合ったことがある。その際、例えばエスカレーターを急停車させる為の丸秘部分をメーカー側から説明されたり、エレベーターの許容重量は制限人数の8倍であると聞かされたりして、その安全性に納得したものだ。
が、今回の事故は赤外線センサー作動という、より繊細な機能に関わるものだけに、過去数十回の事故があったにも関わらず2月19日の臨時点検で、センサー感知範囲が点検項目に入っていなかったことが、不思議でしょうがない。警視庁の調査結果報告が待たれる。
〇知り合いのひとと旧芦原町でばったり会って、合併に関する四方山話。
納税組合のひとだ。
納税組合運営のかたちが旧金津町と旧芦原町で相当違うそうである。
旧金津町には既にもう無いけれども、旧芦原町には旦那衆意識がまだ残っていて、それが民主化を阻害する要因になっていると言う。とりあえず金津方式にすることで合意がなされたけれども、まだまだ時間がかかりそうだと言っていた。
そういえば、坂ノ下区では理事制度改革委員会が立ち上がり、ぼくは記録係を拝命した。
活性化を目指すには、先ずマンネリの打破が必要である。改革できるところはどしどし改革していくべきである。
〇二匹のメダカと二匹の金魚をガラス水槽に入れ替えた。つがいどおしペアになって泳いでいる。
仲よきことは美しきことかな 実篤 南瓜絵  である。

04/03/28 (日) 階下で妻が弾くピアノが聞こえてくる日曜日の朝
朝起きて事務所に入ったら、台所がきれいに掃除されている。
うん、昨晩はタラ鍋つつきながらの三九会年度末定例宴会だったのである。
宴終了後の汚れた鍋・皿・箸・グラスをぼくが洗おうとすると、「しなくていいよ。ここはみんなの部屋なのだから」といつも言ってくれる。
市議選が話題のひとつとなった。
現在34人の暫定市議体制は、来年6月の市議選で22人体制となる。郡部は徹底した地域地盤選挙をするので、各々のブロックを広域化して対応する。恐らく誰も落ちないだろう。
我々まちうちの人間は地盤意識が薄いので、いわば情勢不透明下でのタタカイとなる。
暗中模索だった一期目と比べて、行政が抱える問題点はかなり頭の中にインプットされてきた二期目のぼくは、次の市議選に挑もうと思うのである。
ヘイゼイコウジョ(漢字は知らない)という言葉があるが、金も無く組織にも入っていず風采もあがらないぼくがやれることは、日々の地道な活動でしかないと思っている次第です。

04/03/27 (土) 朝青龍 強いね
「朝青龍vs魁皇」を観たかったので、仕事を早めに切り上げて自宅に戻った。
体格差に勝る魁皇が朝青龍の小手投げにあっけなく崩れたのでぼくは考えた。

相撲の語源は素舞(裸の舞)で、五穀豊穣を祈念する儀式がそもそもの出発点であるという。
四股を踏むのは地中の害虫追い払いの儀式だとぼくは密かに思っているのだが、ともかく相撲は農耕社会を代表する格闘技だ。二千年続いてきた田植え・稲刈りの姿勢が日本人を胴長短足粘腰的体型につくりあげてきた。地面についたら負けという稲作農耕社会人間に有利なはずの相撲ルールでその最強男が、メキシコ空中プロレス的騎馬民族の末裔に一蹴されるという構図は、日本がもはや農耕社会でなくなったことの現われかもしれないと思った。
〇午前中は、老人憩いの家・市姫荘で金津町身体障害者福祉協会の年度末総会が開かれ、ぼくは手話通訳をしていた。会員からの質疑は、合併に関することに集中した。あわら市施行に伴い、この会も合併の方向に行くのは予定されているのだけれども、すり合わせがスムーズではないみたいだ。
旧金津町の場合、福祉協会の事務局は社協が担っているが、旧芦原町の場合は、行政のなかに事務局がある。システムのそういう違いがすり合わせを困難にしているという印象を受けた。

04/03/26 (金) もう週末か
〇友人よりのメールです。
SIDS(Sudden Infant Death Syndrome 乳幼児突然死症候群)という病名知っているだろうか?
ある日、九州は福岡に住むある女性から、その方のお母さんのガンのことで見ず知らずの私に相談の電話があった。以来、メールでの情報交換が始まったのであるが、その人のメールに下記のようなホームページがあった。
胸をうつその内容に、いろんな人にこのホームページを見てもらいたいと思い、早速ご本人の承諾を得て公開させてもらいました。奥様達にも読んでもらってください。そして、いろんな方々にも読んでもらえたらありがたいです

http://www005.upp.so-net.ne.jp/babylove/

閑話休題
イラクで米軍兵士が襲われ数人死に、襲撃者三人も又その場で射殺されたとラジオニュースが流している。双方の死傷者の数が日々累積していく。
そのイラクで自衛隊が給水活動を開始した現在、既に他国の出来事ではないのだが、「死ぬ」というのは当事者にとって全てが終わることを意味するのだから、数の問題でないことは当然だ。
今読んでいる太平洋戦争の証言集「戦争」上下二巻には、戦地でかろうじて生き残った兵士・国内での疎開児童・被爆者・夫や婚約者をとられた主婦等等夥しい数の回顧が収録されているが、戦闘体験の描写そのものは意外な程に少ない。敗残兵としてジャングルのなかで余儀なくされる飢餓との戦い、捕虜斬殺を上官に命じられての恐怖、満州からの命がけの帰国など胸をうつものばかりだがこういうのもあった。
捕虜としてソ連兵に引率されていく道中、かって野に放した軍馬がどこからか自分にかけよってきて頬をすりよせるというシーンである。
噂された南京入りの際の虐殺暴行に関しては「事実それをした」の証言と、「それは異常下における法螺話で事実はそれどころではなかった」の証言があり、どちらも体験者なのでちょっとよくわからない。

長期化するテロに米政府が重荷を感じた為か、ついに国連がイラクに入る。しかしこの入り方だと国連が米の支持者とみなされる懸念も充分にある。国際政治の情勢は、それぞれの思惑の糸が複雑にからみあっていて、ぼくなどには何が何だかわからないのだけれども、戦場での死の悲惨が数の問題でないことだけはわかる。
〇化学物質過敏症のひとの家が完成に近づきつつある。施主にすすめられてその種の参考書をいろいろ読んだが、結論から言えば、昔の家に戻りなさいということだ。自然素材でつくりなさいということやね。
国土交通省は、シックハウス症候群対策として、確認申請書・室内仕上表欄に書き込む人工素材に☆印の明記を義務付けた。☆☆☆☆印が化学物質最低濃度を意味するのだが、それとて成分ゼロではない。なんたって自然素材は規制対象外なのである。

04/03/25 (木) ひるがのには まだ雪が残っていた

ぼくが岐阜県ひるがのに設計した建物の現場監理の為に、施主及び施主の友人と三人で金津を出発したのは午前9時だった。越中五箇村に入るあたりから残雪の量が多くなり、工事現場敷地の建物は数十cmの雪で覆われていた。皮靴をゴム長に履き替えて工事現場に入った。自分が設計した建物は我が子のようにいとおしい。なめまわすようにして現場を徘徊し建設会社社長との打ち合わせを終えたあと、帰りの車に乗った。
車中、ぼくは、新生あわら市における幾つかの課での対応のまずさに対する市民のクレームを聞いているという話をした。
施主は、「牧田さん。そういうことをホームページにどんどん書いていかなければならないじゃないの。酒を飲んだとかポタージュを飲んだとかいうことばかりでは、牧田さんも旧態依然とみられてしまうじゃないの」と言われた。
ウーン、議員日記を書き始めた頃の原点に戻らねばと、ぼくは自戒した。
閑話休題
深夜の静寂が好きだ。
ひとりCADにいそしみ、時々読書をしあるいはHP書き込み腹筋運動腕立て伏せをしたり爪を切ったり髪をといたり鏡を見たりしているとすごく落ち着く。
ポタージュスープを飲みながら来し方を振り返り行く末を思っている時、気持ちが凛としてくるのである。
閑話休題
深夜ラジオで、ろう学校の校長先生が話しをしていた。
ろう者生徒児童の残存聴力を最大限引き出すことによって親との関係性を回復させることが重要だという。親健聴者・子ろう者の場合この図式は成り立つけれども、親ろう者・子ろう者の場合、母語はやっぱり手話だと思う。
先生は、「聞く」と「聴く」の違いを力説していた。
「聞く」が漫然と受身的に耳に入ってくるものであるのに対して、「聴く」は意識的に耳にとり入れる行為で、「聴く」が人間の関係性を深めると言っていた。全くそうだと思う。
〇偶々買った市販ソフトにデーターをリアルタイムでリムーバルデスクに保存する機能があってとても便利だ。CAD図面を消失する心配がこれで無くなったとほっとしたのだが、よく考えたら保存元が消失したら保存先も消失してしまうのではないかという気がする。

04/03/24 (水) 無題
スウエーデン人ジャーナリストが書いた「パレスチナ日記」を読み終えたところに飛び込んできたのが、イスラエル軍によるハマス最高指導者殺害のニュースだ。
今後、「ユダヤ人に報復を」のテロの横行は避けられないだろうし、双方日々の生活を脅かす緊張感は、遠い島国で暮らしているぼくらの想像力の及ぶところではないだろう。
ぼくの乏しい知識によれば、二千年間国家を持たず流浪の民であったユダヤ人はアウシュビッツに象徴される迫害を通して確か昭和20年初頭にイスラエルを建設する。それは「シオンの丘へ」のスローガンを持った宗教運動民族運動のカタチをとっていたとしても、結果として生み出された膨大なパレスチナ難民にとっては憎悪の対象でしかない。その憎悪を抑えてきたイスラエルの圧倒的に優位な軍事力を支えてきたのは強大国家・米の肩入れによる。なぜならば米大統領は豊富な資金を持った国内ユダヤロビーストのコントロールで決まるようなものだからだ。
昨日のマスメデイアは「双方もっと冷静に」と訴える米スポークスマンの映像を流していたが、その表の顔とは裏腹の潜在する政治的な構造を洗い直さない限り、イスラエル軍によるイスラム(過激派)指導者を標的とした行為は続くだろうし、その報復も又熾烈を極めるに違いない。
ひるがえって、中東アブラ頼りの日本は、盟友米のようにイスラエルよりではないのだから、中東和平に向けての独自の尽力ができるのではないか。田中真紀子が外相の時、確かそれを一生懸命言っていたような気がする。

04/03/23 (火) ぼーっとしていた月曜日
ウイーンの骨董屋で買った柱時計が午前三時を告げた。本場泡盛焼酎「島唄」でなつかしの沖永良部島を思い出しつつやや酩酊。あとはお決まりの珈琲タイムだ。
粉末珈琲などどれも同じと思っていたが、どっこいメーカーに拠って差がある。昨日買った珈琲粉末をカップに入れ熱湯を注いだ時、香ばしい匂いがしたよ。

昨日は幾つかの場所であるいは事務所に来訪した何人かのひとと雑談しただけで一日が終わってしまったがぼくが本当にバカなカンチガイ男であることを痛感した日でもあった。
妻の誕生日だったので彼女のケータイに電話をしたんだ。「誕生日や。焼き鳥買ってきたる。何や?」という僕の問いに対する答えは「シロ・ネギマ」だった。夕刻、早めに買ってきて台所食卓に置いておいた。
仕事を終えて家に戻ったらニコニコ顔であるはずの彼女の目線がきつい。
「嫌いなのがシロ・ネギマって言ったでしょ。お父さんの心のなかがよーわかったわ」と言われてうなだれてしまった。
覆水盆に戻らずというけれど、マ、夫婦間の覆水だけは盆に戻るだろう。

〇3月23日付山下氏議員日記には、考えさせられた。

もう20年程前、設計した工事現場に車で行く途中、松林に子ガラスが横たわっているのを見つけた。手に抱いてみると瀕死の状態だ。車に乗せコンビニに行き、おにぎりを買った。一粒づつ口に入れようとしたが受け付けない。その時上空を二羽のカラスが旋回しつつキャーギャーわめいているのに気がついた。子を捕られて泣き叫ぶ両親だったわけで、つまりぼくは拉致者だ。そのうち子ガラスくんは息絶えてしまい、今でも申し訳ないことをしたと思っている。

〇P鯉氏と電話していた時「通信はよ出さんと菜の花がしおれてしまうざ。頑張んねの」と言われて嬉しかったのである。

04/03/22 (月) 忙しかった日曜日
昨日昼、「暇か?」の電話でケンくんが事務所に来訪。
カラダの鍛錬の話になり、トレーニングルームを見る為一緒にトリムパークに行った。
駐車場は車だらけだ。グラウンドは少年野球の試合、芝生広場は沢山の家族連れが春の陽射しを楽しんでいた。屋内体育館ではバスケットボールの試合が行なわれていた。
「うーん、バーベルがないなあ」がトレーニングルームを覗いた経験者ケンくんの第一声だったがぼくは構わない。なんたって一回270円なのである。偶にはスポーツをせねばということで、先ずはトレーニングウエアを買い、今週から鍛えていく予定だ。

閑話休題
スポーツといえば。
サッカーが新聞の見出しを彩る世界最大級のメジャースポーツならば、マイナースポーツの代表のひとつがフェンシングだ。福井県でそのワールドカップが開かれていることなど誰も知らないだろう。
10日程前、福井市の居酒屋で、大会関係者(下っ端だと思う)から話を聞く機会があったのだが、マイナースポーツにサンドーム福井のような巨大施設を使うのは勿体無いと言っていた。
関係者本人がそういうのだから、自嘲も含まれているのかもしれないが、分不相応という言葉もある。メジャーよりマイナーの方がいい部分は沢山ある。むしろ組織が小さいことで肉声肉眼のコミュニケがとれる。ぼくの通っている手話サークルなんて設立以来20年間会員10人を超えたことがないが、それでいい。
ついでに言うならば、選挙で大組織をあてにするのはいかがなものかとも思うのである。

閑話休題
あわら市庁舎は分庁方式でスタートした。新たに庁舎を建て債務を上積みしてはならないということで、旧金津町芦原町両庁舎を使用しているわけだけれども、担当課は当然分かれる。それによるサービスの低下を補う為に、両庁舎間で30分サイクルのシャトルバスを走らせたり、TV電話方式で双方対話を可能としたりしているが、実際の効果については、今のところよくわからない。
民が額に汗してのシビアな営業競争で仕事をとってきたりとれなくて倒れたりしているのに対して、公は税金というかたちで自ずから入ってくる金で動く。職種で言えば純粋にサービス業だ。
であるからには、胸の内がどうであろうと、笑顔挨拶的周囲気配的懇切丁寧説明的態度でやっていかなければならない。

〇実は女にもてる為のスタイル改造トレーニング一念発起の決意に対して友人よりメールが入った。
以下無断掲載。

一念発起の牧田君へ
  ・長いブランクがあるのだから、いきなり張り切るのは厳禁!
 ・まずは、時速5km程度で30分ほどのウォーキングから始める
 ・無酸素運動(バーバル挙げなどの筋トレ系)はある程度血圧が下がるまでは厳禁!
 (運動を続ければ、血圧は間違いなく改善されてくる)
 ・次第に走行距離を延ばしていけばいいけど、時速8km以上のスピードは必要ないと思う。
  体脂肪が燃え出すのは、5km、30分を過ぎてからなので、体重を落とそうと思えば、それ
  以上の運動量が必要。それまでは血中のゴリコーゲンが燃えているだけ。
 ・時速8kmで1時間走ってようやく消費カロリーは約500kcl。 これは、ビールの大ビンを
  2本飲めばしっかり取り入れてしまうカロリー。
 ・プールがあれば、たまには泳ぎを取り入れる。 走るだけではどうしても鍛えられない筋肉が
  ある。
 ・健闘を祈る!

04/03/21 (日) 深夜にポタージュスープを飲みながら
台湾総統選挙。
3万票という僅少差ではあるけれども陳総統が連戦国民党主席を破った背景のひとつが、昨日のテロにあることは間違いないだろう。ずっと昔の衆議院議員選挙で、党首大平正芳が急死して、自民党が大勝した構図を思い出す。
閑話休題
旧芦原町には農業集落排水事業がない。つまり、公共下水道一本やりだ。ぼくはこれを知らなかった。坂井郡内で、農業集落排水事業を持つのは、丸岡町及び旧金津町だけだそうだが、両町の共通点は中間山地を持っていることにある。地形が凸凹であれば、下水道本管の伸びに金も時間もかかる。その代替案として農業集落排水事業を採用するのである。

04/03/20 (土) 放課後児童クラブ
昨日の昼、社会福祉会館に寄って放課後児童クラブを覗いた。何年前だったか、ぼくが金小のPTA会長だった時にこのクラブ設立の話が持ち上がり、何度も行政に足を運ばせた思い出がある。
係職員からいろいろ話しを聞いた。
今年も子供の数が増えるそうで(42人だったか)、その割りに使用フロアーが狭い。ぼく自身ずーっと思っていることだが、前が駐車場で遊び場のないのが気の毒だ。おかしい。
周囲が車の往来少なくない道路に囲まれているので、近くの公園に連れていくこともままならぬ。
誰がなるか知らないが、あわら市新市長が取り組まなければならない課題のひとつである。
〇きょうの昼、坂ノ下区長来訪。
以前県と折衝していたのだが、金津大橋下流竹田川右岸堤防外側法面の整備に入るとの連絡が県から入ったという。うん、あそこは人が自由に散策往来するのに相応しい詩情のある場所だ。鴨が泳ぎ、雉が歩き、鯰が逼塞し、鯉鮒が撥ねる。美しい夕陽も味わえる。
誰か資本のあるひと、川魚料理店をださないないだろうか

04/03/19 (金) 快晴の朝
先日の組織議会は、正副議長・常任委員などを決めるものだったが、ぼくは、教育厚生委員会にそのまま残った。暫定市議としての任期は来年六月までと短いので、変わる必要がないと思ったからだ。一部事務組合は介護保険広域の委員会に入った。
常任とは別に環境保全特別委員会と地域活性特別委員会がある。但し自治法によれば、常設の必要はないとのことだ。この両特別委員会の立ち上げ時期に関しては、全協で意見の交換があったけれども、はっきりとは決まらなかった。6月の定例議会で立ち上がるのではないかと思う。

閑話休題
町議になって一年程過ぎた4年前、「ホームページで活動報告をするのが議員のツトメじゃないか」と友人に言われて始めた議員日記のカウント数が、昨晩90,000を超えました。
素人の手づくりインデックス表紙は見栄えもしないし、議員日記というよりもうだうだ日記となっているような気もするこのコーナーをクリックしてくださった皆さんどうもありがとうございます。
書くにあたって自分に命じたことは
①他人の非難中傷はしない
②身辺に起こったこと感じたことだけを書く(というよりそれ以上は書けない)
③嫌になろうが急がしかろうがとにかく書き続ける
の三点であり、一応守り続けることができたような気がします。
議員でいる間は書いていこうと思いますので、これからもよろしくお願いします。
というようなことを書いているうちに
「私が90,000カウント目です」というメールが、福井市飯塚町の女性から入ってきた。
今度、熱い珈琲をご馳走致します。

〇窓外の青空眺めつつ熱々珈琲を飲んでいたら、岐阜から電話が入った。
設計した反化学物質住宅を建てている会社の社長からだ。現場はひるがの高原の近くだ。今でも数十cmの雪が残っているという。
ぼくが沖永良部島に行った時は、3月12日に海で泳いだ記憶がある。きのうのラジオニュースは、東京に桜前線がきたことを報じていた。急峻で南北に長い地形の日本の四季はさまざまなんやねえ。

04/03/18 (木) 結婚記念日
事務所に入ってきた妻に「おとうさん、22日覚えているやろの」と突然言われた。
しばらくの後、3月22日が結婚記念日であることを思いだし「勿論や。焼き鳥でも食いにいこうか」と答えたよ。
いつだったか、「ワタシは22日に、22歳と2ヵ月と2日で結婚した。この意味わかるか」となぞなぞをだされ、何だろうと考えた。「荷の重い結婚だったということや」が正解だった。

ひとの一生は重い荷物を背負うて歩むが如し
という徳川家康の家訓を仕事机の脇の壁に貼り付けたのはその時である。
 〇昨日は久しぶりに外の居酒屋で飲んだ。Mさんとふたりでその店に行くまでの道中、暖かい夜風が気持ちよかった。いろいろ人生を語り合い、店を出たのは11時頃だったか。
雨だったので、店のひとに頼んで傘を借りて帰った。春先の天気は変わりやすいのである。    

〇このようなメールが入ってきた。ありがたいことです。  
前略 牧田議員様
この度牧田議員のサイトを福井県のページに掲載させて頂きました。
URLは
http://gikai.fc2web.com/です。今後ともよろしくお願い致します

     

04/03/15 (月) 昨晩
松岡町での打ち合わせ終えて事務所に戻った時、時刻は既に6時を過ぎていた。
事務所に灯りがついていて時折嬌声が聞こえる。部屋をあけると、久しぶりの面々が蕎麦をうっていた。
みんなが「飲めよ」と言う。「7時から区の役員会があるので」と丁寧に断ったら、「じゃ、蕎麦だけでも食べていけよ」と言う。「ツナギは?」のぼくの問いに対するか答えが「二八や」だったので頂いた。

美味い。味の生命というべきまろみが口内を漂う。
数年前はどうしようもない彼らのつくる蕎麦だったけれども、回を重ねることによって上達した。
今、蕎麦屋の設計を依頼されているぼくは、いろいろな店や厨房屋に出向き、その道を勉強している。つまり蕎麦道に関しては一家言を持つようになったぼくはこう思うのだ。
味は才能ではない。積み重ねだ。継続こそが力だと思うのだ。
          

04/03/14 (日) 青空散歩
昨日の昼、仕事に疲れたぼくは、竹田川河畔に出た。金津大橋下流右岸堤防沿いを歩いた。旧町内で、おそらくは唯一昔の風景を偲ばせる場所である。
ブッシュを掻き分けながら歩くと、何羽かの雉が飛び立ち、鴨家族がするすると逃げていく。蟷螂の卵を見つけて嬉しくなったぼくは、土手に寝転んだ。
川が悠々と蛇行するこのあたりに引き込み池をつくり水運の基地にしたらえーのではないかと思う。
新富から芦原温泉まで観光客を運ぶ屋形船の停泊港とするのである。傍らには川魚専門料理茶屋「津の里」をつくり、雉の丸焼き・鯉のあらい・鯰の蒲焼・鮒のぶつ切り・鴨鍋などを食べさせるのである。横には野点のための東屋を常設したらいい。茶屋の三味線BGMは、昔水運業が盛んだった頃存在したに違いない金津舟歌を発掘し復活させ流したらいい。
以前、河川を管理する三国土木事務所に行きこのプランを話した時、興味をもってうなづいてくれたような気がするのだが.。

閑話休題
清水義範著「その後のシンデレラ」を読んでいたら、最終編が「エッシャーの父」だった。旅先の三国町の偶然訪れた龍翔館で、だまし絵エッシャーとその父との関係を知り、後日短編にしたものだ。
著者は、龍翔館非常階段を降りていった時、そこがだまし絵空間であり不思議な世界に連れ込まれたと追記していた。ぼくはその階段を何度も歩いたが、そういう気分を味わうことはついぞなかった。小説家のアンテナというのはすごいんだろうなあ。      

04/03/13 (土) もう週末か
昨晩は、福井市片町で開かれた立食パーテイに出席した。
三ヶ月に一度のこの例会は20人程度のこじんまりとした集まりだ。天井照明はダウンライトで淡く、生ビール・ワインに添えてウエイトレスが運んでくるつまみは、少量の肉・サラダ類だった。
いわば旅館的飽飲飽食型の対極で、バブル経済崩壊後腹八分的雰囲気がなかなかよかった。
臨席の某県立病院外科医が、「この十年間に2300件ほど手術の執刀をした」と言う。ハードな仕事やなあとぼくはびっくりしたよ。年間230人平均の命を守ってきたということになる。
しかし、
臨時ニュース第一報を聞いた時、バスク独立運動やと思ったスペインの電車無差別テロについてはアルカーダが犯行声明を出したが、どちらにしろ上記に近い人数の命を一瞬にして奪うのは、どう考えても「神をも恐れぬ行為」である。個人が特定の個人を、愛したり疎んじたり恨んだり呪ったりするのは煩悩具足の我々にとって逃れられないもの、結果として殺人に至ったとしてもその動機はわかる。しかし、行きずり殺人や無差別テロは、ひとつの命がひとりの個人にしかないものという大原則を全く無視している。本当に非道いとしか言う言葉がない。
ぼくら人類がこんなにも愚かなのであれば、やっぱり人類に未来はないのだろうか。
閑話休題
先週の手話サークルで、女性ふたりから「お腹が大きくなったのではないですか」と言われた。
そこでシャツをあげて生腹をみせたら「まるで産月みたい」と言う。
恥ずかしくなったぼくは、来週からフィットネスクラブに通うことにした。

04/03/12 (金) 卒業
きょうは、金津中学校の卒業式だ。40年前の卒業式の時、ぼくは何を思ったのだろうかとふと考えてみた。
「蛍の光」を聴きながら、クラスメートとの別れにある種の感慨を抱いたことは事実だ。しかし、純真からは遠く斜に構えた心根の少年で特別親しい教師のいなかったぼくには、体制から解放される喜びのほうが大きかったんじゃなかろうか。

一応議員のひとりとして、式の傍らに座る予定だけれども、我々大人が少年少女たちに心で贈ることのできる今日的なメッセージはすごく制限されるような気がする。
連日の新聞社会面を、どこぞの警察署の裏金操作・国会議員公設秘書詐欺・殺人強盗事件の低年齢化・鯉ヘルペスBSE鳥インフルエンザ・生態系の捩れ・イラク問題・電車無差別テロ・拉致等等が彩っているのだから、溜息のでるような暗鬱の状況にこどもたちを一歩近づかせることが卒業式の意味ということになる。
「前途多難のこの世の中で、とにかく生き続けていきなさいよ。無事これ名馬や。世の中思い通りにいかんことがずっと多いけどか、偶には楽しいこともあるんやからな」と心で激励していようと思います。

04/03/11 (木) 三国のお寺境内で寒椿を見た
昨晩の宴席で言われたことみっつ。
①「牧田はんは、アンテナがない。前方30度くらいの角度しか見ていない」
②「牧田はんは、時々何を言おうとしているのかわかりにくい」
③「牧田はんの顔を初めて見た時、警察に電話しなあかん顔やと思った」

ひとから苦言を受けるのは大変ありがたいことで、いつも虚心に聞く。
①については、気配りのなさを説かれていたのだ。確かに、例えば車の運転をする時、180度の視野を働かせていなければ危ない。性格なのだからなかなかむつかしいけれども、努力して矯正せねばと思う。
②については、屁理屈があるということか、言語不明瞭だということかのどちらかだろう。
前者であれば、年をとったことの証しだし、後者であれば気の弱さ自信のなさのあらわれだ。
もっと堂々と生きていかなければと思う。
③については、ちょっと直しようが無い。ただし、顔をカバーするため、身だしなみは毎日整えています。
閑話休題
有志議員が某喫茶店に集まっての四方山話。
「地場産の農作物に付加価値を与えて売り出すことが新市の活性化に繋がる。議会がそういうことを提唱して、行政を動かさなあかんのや」という話になった時、思い出したことがある。
柿は旧金津町の特産品だ。けれども、商品として出荷される以前に、多くの柿がハネモノとして捨てられている。勿体無いことだ。
友人の建築設計業者が、そのハネモノで柿渋をつくっている。木材の生地塗装材として使用する為だ。自然素材なので反シックハウス建物の構成要素となる。
勉強し模索すれば、いろんな可能性が出てくるのだと思う。

04/03/10 (水) なんとなく憂鬱
組織議会の会期は普通一日だ。一日というのは午後5時までに議会が終了することを意味する。審議が長引き5時を超える模様となった時、議長は「延長」を宣言する。つまり残業だ。残業が長引いた時議長は、明日もやりますという意味の「延会」を宣言する。
今回の議会は、二日にまたがるまさにそういう状況になったわけで、組織議会(人事)は時間がかかることの証しだろう。
本日の議会は、専決事項などの議案審議が対象となる。
後日、二日間を整理して報告しようと思います。
閑話休題
議長が決定したあとの全協。
旧芦原町の議員には、手を挙げてしゃべる議員がようけいなさる。考えてみると、議員の仕事は議論をすることにある。ぼくも頑張らなければと思った。

〇「中高一貫教育をなんであわら市がするの?」という電話が知人から入った。
うーん、ぼくら議員にはよくわからない。だって事前に何も知らなかったのだから。
相当議論しなければならない課題だと思うのである。

04/03/09 (火) きょうは組織議会
無趣味無特技のぼくが日々唯一の楽しみにしているのが熱燗晩酌である。
昨晩も、日本酒一合の入ったカップを電子レンジに入れ二分間調理のダイヤルセットでつまみ惣菜を整えた。チーンの上がり音でレンジからカップを取り出し、舌なめずりしつつさあ飲もうとした時に、玄関チャイムが鳴り、知り合いのろう者が現れた。一緒に手話通訳に来てほしいという。一瞬、ゴクンと一息飲んでから行こうかと思ったが、当然飲酒運転は違法なのである。ということでしらふのまま車に乗ったのだが、ひとはこういういろいろな経験のなかで「我慢」の力を蓄えていくのだろうと思った。
閑話休題
昨日久しぶりに古本屋に行ったら、立花隆著「田中角栄研究」が目に入った。
表紙を見ていて、20数年前の角栄汚職に関する国会証人喚問TV中継の場面を思い出した。刎頚の友・小佐野某の「記憶にございません」が当時の流行語にさえなったけれども、ぼくにとって最も印象深かったのは、若狭vs大庭だった。いわゆる全日空ルート対日航ルートだ。
全日空専務・若狭は、国会議員の執拗な尋問に対して、あたりを睥睨しつつ「そんなことは断じてありません」と言い切っていた。日航社長・大庭は、時々目を閉じつつ曖昧に答えていた。
若狭が人事を掌握した事務あがりのトップだったのに対して、大庭は技術あがりのトップだった。江戸期の身分制度に置き換えるならば、若狭は士商代表であり大庭は農工代表といえただろう。
大庭には、技術屋としての良心とトップとしての防御姿勢の交錯が見え隠れしていた。若狭には、全日空という会社及び会社員を守る壁としての気概がはっきりと現れていた。
組織の長としての頼りがいについては、訥弁の技術屋あがりより人事掌握の事務あがりに軍配があがるのだろうと、技術屋のぼくは思った。

〇午前9時半に始まった組織議会。
議長選出に大変多くの時間が費やされ、その後は副議長選出・所属常任委員会の決定・各委員会委員長副委員長の選出更に一部事務組合所属委員の決定と続いた。人事案件に関する議会終了が9時過ぎで、専決事項議案は明日へと持ち越された。
議長等の名前については明日の新聞に載るであろうからここで書くのは省くとして、旧金津町及び旧芦原町の従来の組織議会運営の方法にかなりの違いがあることを感じた一日だった。
午後9時半帰宅。疲れた。とにかく疲れた。
スコッチウイスキーを飲みながらこれを書いている。

04/03/08 (月) 粉雪舞い散る午前八時
昨晩、「どうなる あわら市」というテーマで話してほしいと言われて、或る場所に行った。
参加者は九人。こじんまりとして、照れ屋のぼくでも話しやすい雰囲気だ。
合併が国によるアメムチの政策であること郡内六町一市案が壊れ北部三町一市案が壊れその過程でぐん民会議が署名運動をしたこと二町による法定合併協がいつ立ち上がりいつ県の認可がおりたかということ合併協のすり合わせは済んだが市として実際動きだすことによって提起されるであろう問題が幾つかあることエトセトラをしゃべった。
合併してよかったかどうかの結論はずっと先にしかでてこないし、勿論してよかったというふうにすべきだ。ここ二年程いろんな自治体を視察研修したが、魅力ある町の共通項は住民が積極的に参加している町であるというのがぼくの受けた印象だった。
終了後、四人でスナックへ行きビール熱燗を飲んだ。そこでのメインテーマは金津町の歴史だった。とぼとぼ歩く帰り道、凍てついた空気がとても気持ちよかった。
〇本日の午後、ぼくは人品卑しからぬ淑女とふたりであわら市役所芦原庁舎に行ったのだが、気のせいか、職員から(特に女子職員から)ただならぬ目線を感じた。
単なる友人です。

04/03/07 (日) 寝袋
昨日の夕方、某大型店で寝袋を買った。3シーズン用の寝袋だ。
例えば椎名誠などを読むにつけ、遅ればせながらぼくも寝袋携えてのひとり旅に出たいと思うのである。浜辺で寝たいと思うのである。
熱燗憂晴的夕食のあと、早速寝袋に入った。第一に軽い。第二に足元が暖かい。家族のこと友人たちのことをいろいろ考え、サマザマの人生があるなあと思いつつ熟睡に入った。
午前一時半、起床。外は雪がしんしんと降っていてとても明るい。蛍のひかり窓の雪で、さあ仕事開始だ。

04/03/06 (土) 春の雪
「お父さん、わたし大阪へ行かなあかんのや。代わりに息子の学級懇談会に行ってきてや」と家人に言われたぼくは、午後一時、福井市内へ車を走らせた。
良くも悪しくもしゃばっけのない学校というところは治外法権的聖域である。自然、気持ちもかたくなる。
向かう途中の廊下の3階2階で、ふたりの保護者女性から「久しぶりね」と声をかけられた。
顔に覚えはあるが名前がでてこない。親しげに話しかけられたので、名前を聞くわけにもいかない。話のツジツマを合わせ、「じゃあ又な」で別れたあと名前を思い出した。ぼくの脳細胞は日々確実に壊れているのだ。
校舎を出たら午後5時を過ぎていた。ぼたん雪が降っている。春の雪だ。

04/03/05 (金) 球春
の今年はどうなんだろうか。
新人鳥谷が注目されているが、インフルエンザが流行っているので、活躍できないかもしれない。エース井川も昨年は出来すぎだった。ただし、総帥岡田の手腕には期待する。永い間地道に二軍監督を続けてきた男だ。継続が力であることを実証してほしい。優勝もしくは二位だと思う。
他球団有名選手強奪的金権体質的球団園縄巨人のゴールは三位だろう。
と こ ろ で
閑話休題
朝一番、家のなかでちょっとした揉めごとあり。あーあ、自己嫌悪の朝となってしまった。
親鸞上人でさえ自らを愚禿と称したのだから、我々はまさにそのものである。
笑ったり泣いたり怒ったり威張ったり妬んだり世辞ったり浮かれたり沈んだりのつまりは煩悩から逃れることの出来ない自分が恨めしい。
きょうは寝袋を買いに行こう。寒空の下、一泊の旅に出よう。

〇昨晩ぼくは、あわら市民のひとりとデイスカッションをしていた。
あることで行政出先窓口の対応に対して不信感を持ってしまったひととのデイスカッションである。
「牧田さん。合併したんやざ。もう、町行政とはちがうんや。市ともなればもっとしっかり対応してくれないと困る」と相手は言う。「だけど行政側の対応の背景にはコレコレこういう仕方ない事情もあったんや」とぼくが答えたら、「牧田はんの説明は行政側の代弁にすぎない」と言われてしまった。
合併の効果は、地方分権の促進と軌を一にするし、その為には個々の職員の職責としてのプロフェッショナリテイ獲得が不可欠だ。
翻って、ぼくら議員は住民の苦情・要請の行政への運び屋なのだから、軸足は住民側にある。
それは当然なのだけれども、一方で関係職員の立場もわからないことはない。
ま、合併直後はいろいろあるだろう。キーワードは切磋琢磨だ。

04/03/03 (水) 雪しんしんのミッドナイト
本日は、午前9時半から全員協議会室で議員懇談会が開かれる。
協議事項は
①3月定例会(組織)の会期及び議事日程について
②議員提出議案について
③その他   である
普通こういう集まりは全員協議会と呼ばれるのだが、今回は議員懇談会という名で通知が来た。
議会あるいは全協(全員協議会)を召集するのは議会議長であり、常任あるいは特別委員会を招集するのは委員長だ。しかし、現時点では議長も委員長も未決定である。つまり、招集者がいないので議員懇談会という名になったわけだ。
3月上旬に組織議会が召集され、議長副議長あるいは各委員長が決まり議会としての体制が整う。
4月に入ると、4日告示11日投票で、あわら市市長が決まる。議会の実質的なスタートは、ここからだと思う。
と こ ろ で
閑話休題
ただ今5時半。
午前中いっぱいは議会で占められた。同僚議員との昼食のあとは珈琲を飲みながらの政治談議だ。途中そこを抜け出したぼくは、県外へ脱出した。
加賀の国を車で走り、喫茶店でお茶を飲んだ。久し振りだったので、とても充実した気分になった。人類は愛し合わなければいけないと思った。
午後5時帰宅。所用が沢山たまっている。頑張るのみだ。

〇昔の写真をどしどしゴミ箱に投げ入れていたら、こんな写真が出てきた。
よかったら、ご覧ください

04/03/02 (火) 三寒四温
昨日の昼は、某女性来訪。どこかに空家がないやろうかと言う。車椅子生活者の世話をする為だそうだ。身近に障害者を持って初めて建物や街の構造の不備がよくわかったと言う。

例えば住宅のバリアーフリーへの方向での改修。風呂場や洗面所や便所を拡げようとすると隣境の廊下が狭くなってしまう。なかなか難しい。

弱者救済というふるめかしい言葉がある。多分障害者も弱者の範疇に入れられているのだろう。ぼくは障害者を弱者だとは全然思わないけれども、住宅や街の構造等インフラの不備つまり社会制度の不備が障害者をカッコつきの弱者にしている面があるのは確かだ。
新自治体は福祉施策をしっかりさせなければいけない。

〇従来のHPカウンターが二月いっぱいでそのサービスを停止した。そこで昨晩、カウンター設置のプロと呼ばれている男=ケンくんに来てもらい再度の設置を頼んだ。
パソコンに向かい、黙々と作業にいそしむ彼の後姿は感動的ですらある。傍らに寝そべりビールを飲みながら、「持つべきものは友達や」と、ぼくはココロで感謝した。
と こ ろ で
閑話休題
カウンターを設置していると、この駄文が読まれる曜日読まれない曜日、読まれる時間帯読まれない時間帯がなんとなくわかって面白い。
7万カウント目クリックの某町幼稚園教諭には、焼き物のミニチュア(¥1000ー)をプレゼントした。8万カウント目クリックの気功の達人とはJR芦原温泉駅前の中華料理店で飲んだ。ネクストが近づいている。9万カウント目クリックとなった方、よろしかったらメールしてください。

004/03/01 (月) 三月スタート
午前八時、あわら市の開庁式が行なわれた。寒風吹きすさぶなか、金津庁舎正面玄関前で行なわれた。来賓の祝辞終了後、除幕式に移った。正面玄関庇見付部分に刻まれたステンレス箱文字あわら市役所金津庁舎の除幕だ。旧金津芦原両町元議長がテープをカットしたのだが、幕は降りなかった。つまり除幕に失敗したのである。
ウーン、前途多難を物語っているのだなと、私は思った。