2004年06

04/06/30 (水) 6月最終日
昨日は暑かった。最高気温が32.8度とTVが言っていたから真夏日だったわけだ。日中、所用でいろんな場所へ行ったが、道中、車のクーラーをつけず窓をずーっと閉めきっていた。汗がだらだらと出る。動くサウナだ。運動をしたような気分になるのだから、カラダにいいのだと思う。
閑話休題
きょうで6月が終わる。というよりも今年前半が終わる。ばたばたの日々が続いているけれども、今年後半は少し読書時間をとりたいなあ。
ということで、笑えるジョークをひとつ。
文芸記者 「あなたがこれまでに一番影響を受けた本は何ですか?」
バーナード・ショウ 「銀行の通帳だね」

04/06/29 (火) 光陰矢の如し
疲れ気味なのかなあ。朝起床しても、アタマがぼーっとしている。

閑話休題
=昨日の一日
・慰霊祭が終わってから有志議員数人で某喫茶店へ。今回の定例議会で焦点になったこと、夏に向けての委員会活動のこと、せまってきた参議院議員選挙のこと、化学物質過敏症対策ハウスのこと等等が話題となった。気がつけば6時を過ぎていた。時間が経つのが非常にはやいと感じる昨今だ。

・所用で社協に行った折、職員から「不審者注意のお知らせ」という、小学校からの通達文を見せてもらった。「地域全体でこどもたちを守らなければならないと思います。」と職員は言う。近場で起こったそういう例を数件聞いている。なんともぶっそうな世の中になったものだ。

・昼過ぎ、離婚した女性が来訪。子育ての苦労をいろいろと聞く。経済面の安定の為にそりのあわぬ夫との生活を忍ぶか、苦労してでも一度きりの人生で自分を解放させるかの選択は個人によって違うだろうが、選択肢に自由度が与えられた今の社会は、その限りでは悪くないと思う。

=きょうの昼
・同僚議員の山下さん宅でHPの表紙をいじっていたら、携帯コール。相手が「もしもし山谷えり子です」と言う。有名人から電話をもらうなんて初めてなので、ミーちゃんハーちゃんのぼくは、夜の講演会場・フェニックスプラザを目指して車を走らせたのだが講演開始時刻を間違えていて間に合わず残念。
閑散とした会場で、昔いた設計事務所の同僚に呼び止められ、四方山話をしてから帰ってきた。眠たい。もう寝よう。

04/06/28 (月) 福井地震
「牧田さん、南本紀子遺作展のことHPで書いての」と、教順寺の坊守に言われた。
関心のある方はとりあえずクリックしてください。

閑話休題
きょうは「福井震災に伴う追悼慰霊祭」が金津神社境内で挙行される。
先日の夕食時、配布された物故者名簿を見ていたが近所でも沢山のひとが亡くなっているのだ。
横にいたお袋が「あの日の夕方、家は私ひとりやった。台所仕事してたらぐらっときたんや。外へ逃げ出した途端、家はばたあんやった」と言う。昭和24年1月生まれを考慮するとその時のぼくは受精卵でつまり生あるものだったことになる。そういえば同僚議員から聞いた話だが、旧芦原町・浜坂では山崩れで殆どの住宅が埋まってしまったという。
阪神淡路大震災との大きな違いのひとつは、当時の社会にはネットワーク化されたボランテイア組織がなく、救出復旧の多くが地域を中心にした自助努力によったことにある。
いずれにしろ、6月28日には、ぼくたちが「地震っこ」と呼ばれて育ってきた年代であることを強く意識する

04/06/27 (日) 何故かゆったり気分
午前2時に目が覚めた。
ラジオのスイッチをつけると、ナット・キングコールがモナリザを唄っている。
冷たい水で顔と髪を洗う。鏡の前で歯を磨く(一週間ぶりだ)。机に座り煙草に火をつけ、漆黒の闇をみながら豆砕き熱々珈琲キリマンジャロに口をつけた。

よい珈琲は
天使のように澄んで
悪魔のように黒く
地獄のように熱く
恋のように甘い
     タレーラン

そうなのだ。良質の珈琲一杯には、人生が凝縮されているのである。

閑話休題
午前中は、教順寺で開催されている「南本紀子遺作展」へ。油絵と水彩画が展示されている。病気の進行の過程が力強い油絵を繊細な水彩画へと変えていったのだとの説明を夫君から受けた。死の数十日前まで書き続けていたそうだが、それが癒しだったのだろうと思う。

04/06/26 (土) もう週末だ
トリムパークで開かれた「JA・食のまつり」は結構賑わっていた。曇天で涼しかったせいもあるのだろうがね。テントの下で同僚議員数人と蕎麦やふかし芋を食べながらの談笑。
「トリムパークは使用団体が増えてるし、創作の森も来訪者が増えてる。けどか、この二つの施設が点と点なのがあかん。線にならんとあかんのや」という意見が出た。つまり二箇所を直結させるアクセス道路の整備が必要との意見だ。情操と体育の結合というところか。

閑話休題
昨日の晩酌時。
連れ合いに「お父さん(ぼくのこと)はこの5,6年間で変わったのう。昔はしゃべるばっかしやったけど、聞く耳を持つようになった。素直になった。いいことや」と言われしかしぼくのトラウマの部分を指摘された。
そして酒がすすむにつれて共通の知人の噂話になっていった(いわゆる雨夜の品定めやね)。
こういう場合には悪口も当然入る。悪口はストレス解消法のひとつなのだからなあ。
ただし、ルールが必要だ。
本人の前で言えない悪口は、どこであれ言うべきではない。でないと、そのひとたちの虚像が肥大化されていく。本人の前では言えないからこその悪口というみかたもあるけれども、それでは本人の為にならないと思う。
てなことを考えているうち、市内某寺院境内の石に刻まれている言葉を思い出した。

責めるな
責めるな
人を責めるのが
いちばんいかんと
朝夕あたしにつげる
くちなしの花
    坂村真民

04/06/25 (金) 雨降りの朝だ 地がかたまるといいのだが 
昨日の朝。
福井市にある県社会福祉会館2階の聴力障害者協会での所用を済ませたあと、1階の身障連に寄った。旧知の事務局長西木さんから、ボランテイア組織・みちしるべ推進委員会の活動内容をいろいろ聞かされた。「ウーン、ナルホド」が多かったなかで印象深かったのが視力障害者の為に開発されたハイテク機器=スピーチオだ。
プリントアウトされたワードの文章の隅に2cm四方大のマークがありそこにスピーチオ(マウスのような形状)を重ねクリックするとそのページの文章全体の音声が聞こえてくる。
デモンストレーションをみながら、障害者を巡る情報取得環境は変わりつつあるんだなあと思ったよ。

04/06/24 (木) 昨日は議会最終日
昨日は議会最終日で、am9:30議員運営委員会、am10:30全員協議会のあと本会議に移った。三常任委員会(総務委員会・産業建設委員会・教育厚生委員会)に関する各委員長報告(これだけで一時間強の長丁場だった)のあと議案議決に移り、議会が終了したのは午後5時半だった。
今回の定例議会を振り返ってみる。
ぼくがした一般質問あるいは所属する教育厚生常任委員会のなかでの質疑やりとりについては、個人的アトランダム配布通信誌「菜の花通信7月号」にこまごまと書こうと思うのだが、それとは別に、と思ったのは市長の答弁の態度である。
初日の一般質問。共産党田島議員の「市長の退職金は高すぎるのではないか。市長どう思うか?」の質問に対して、市長は座ったままで「答弁なし」と答えた。
二日目の一般質問。無所属橋本議員は「市長の前日の態度は議会無視もはなはだしい」と市長の前日の態度を追求した。
議会最終日。共産党田中議員は、反対討議のなかでそのことに言及した。ぼくは前述三議員に強いシンパシーを感じる。
市長の退職金は個々の自治体が支払うのではなくて一旦プールされた広域組合が支払うのだから、どの自治体もその額は右へ倣えなのである。よって市長はその経緯を述べ、その額の高低に関しては自分の仕事量の自負感との照らし合わせで答えることが出来たはずだ。答弁なしならば、起立して「答弁なし」と答えることが、あの場面での最低限要求される誠意であったとぼくは思うのである。

04/06/23 (水) 無題
イラクの武装グループによって民間の韓国人が殺された。昨夕のTVが韓国政府の救出に向かう過程のせんだっての日本政府の対応との類似性を報道していたのであるいは大丈夫ではないかと思ったのだが駄目だった。痛ましいことだ。
拘束したひとをビデオに撮り放送局に送れば、その映像が瞬時に世界中に流れる。ハイテク情報化社会を利用しその映像の衝撃性で対象政府を恫喝するという過去にはなかった武装グループの手口である。何をどうすることもできないぼくたちは何をどう考えるべきなんだろう。
突発的な不慮の死。厭世からくる自死。じわじわとくる病死。状況のなかで観念する死。観念できない死。あるいは生の高揚の極地としての情死などさまざまなかたちの死の可能性をぼくたちは内在している。
生は死によって終わる。即ち死は生を受け継いで訪れてくる。つまり死を考えることが生を考えることになるのだと思う。

04/06/22 (火) 台風 あるいは 雨音はショパンの調べ
昨日の教育厚生常任委員会は午前9時半に始まり午後5時45分に終わった。午前中は福祉保健部関係、午後は教育委員会関係だった。沢山でた質疑応答は後日まとめて書きたいと思います。

その昨日は大型台風が日本列島に上陸しTVは終日情報を流していた。夕刻から夜半にかけて福井を直撃するという情報で「うーん、帰宅してからが大変やなあ」と僕は覚悟していたのだけれども、思いの他強い雨も降らず強い風も吹かずに台風は去っていた。

昔僕が幼稚園の頃だったと思うが、確か女の人の名前の大型台風が来て家族は一部屋に集まった。停電となり雨漏りも激しかったのを覚えている。
最近の木造住宅の柱梁は強固な金物で緊結され筋交が適正に配置されており、屋根や外壁の下地は防水シートで覆われているので生半可な雨風には十分対応できるようになっている。
しかし、その女性名台風直撃の折、老朽住宅の一部屋の薄暗い蝋燭の灯りのなかで、ブリキのバケツに落ちる雨漏りの音の規則正しいリズムを立膝の姿勢でじっと聴いていたのは、今思えばなかなかすてきな体験だった。

04/06/21 (月) きょうは教育厚生常任委員会
昨晩、所用で美山から帰宅したら午前零時を過ぎていた。ひと仕事終えたことによる安堵感からか布団に入るなり熟睡。午前6時に目が覚めた。机周辺を整理、豆砕き熱々珈琲キリマンジャロを飲み、フィリップモリスに火をつけた。
ラジオがその情報を頻回に流しているように大型台風が近づいている。午前6時20分、福井県全域に暴風警報がでた。そのせいか、空は暗雲がたれこめ空気はじっとりとしている。
しかし天候とは裏腹に、しばらく続いていた僕の鬱感は消えた。気分が回復すると、やらにゃなあという前向きの姿勢になる。まことに人間は気分の動物だと思う。

04/06/20 (日) 無題
昨日は久し振りに市立図書館へ行った(いつも思うのだが図書館は1階にあるべきである)。
土曜日だということで、借りた10冊のうちの一冊・野坂昭如の最近のエッセイを読んでいた。

江戸期、徳川幕府にとって傀儡に過ぎなかった天皇家は、明治維新期に活動した尊譲派によって錦の御旗となり日清日露迄その精神が受け継がれる。が、昭和期のいわゆる満州事変から太平洋戦争までの天皇家が国体護持の為の統帥権を干犯するという体をとった結果、陸軍などの無責任統治を招き敗戦に至る。戦後、教師たちの手のひら裏返し的米流民主主義礼賛を斜め読みした野坂少年は後年プレイボーイ評論家として名をなし、「エロ事師たち」で直木賞を受賞、中年以後は天皇家の復権を心に秘めつつ全共闘運動を応援するという複雑な心の軌跡をたどる。ざっとそういうことが書いてあった。

昭和24年生まれのぼくら団塊の世代は米流民主主義の申し子だ。天皇家は国の象徴(わからない言葉だ)となり、人智を超えた絶対者を持たずひととひととの関係をいつも相対化してきた。戦後60年にわたる日本的伝統の喪失、個性化という名の実のところの個性の喪失は、月並みな言葉だけど社会の空洞化をよんだ。してみるとぼくら団塊の世代は、(妻がいつも言う)次世代に対する加害者だったのだろうか。
ぼくらの世代は親の世代が残滓としてもっていた家父長的家族制度に対する異議申し立ての世代であったはずだが、今は異議申し立てをされる対象になっていると考えて間違いないと思う。

04/06/19 (土) 暁静かに寝覚めして 
午前4時半。東の空がうっすらと白み始めるこの時刻、わたしはいつも懐古的になる。

己が名を 仄かに呼びて涙せし
        十四の春に 帰るすべなし   啄木

わたしにとっての十四の春は東京オリンピックの前年だった。東海道新幹線が開通し田中角栄的発想が国家目標として措定された頃といえる。
あれから幾星霜。ひとと交わるのが苦手だった恥ずかしがりやの牧田少年もひとなみに年をとり結婚をしこどもをつくり社会人としての日々を送っている。特に持病もない。
しかし、40年間の土建国家形成の過程はさまざまの反動をよんだ。大人の都合で改変された社会のハードソフトは子供たちの環境をちぢに乱しその逆噴射があちこちで起こっている。
妖怪が動いているのではないか。
妖怪とは後代の神によって征服された前代の神及びその眷属であると柳田国男はいっている。
先だっての議会一般質問。
これまでの町議会が市議会となり全ての質問者の質問vs行政側答弁が新聞に載ったのでちょっとびっくりした。だけど質問答弁双方が数行に簡略化されて収まっている。聞く側として最もインプレッシブだった部分が抜け落ちていて単なる事務伝達記事なのである。やっぱり肉声を聞いてこその臨場感だと思うなあ。
皆さん、有給休暇をとってでも一度くらい是非議会傍聴に来てください。

04/06/18 (金)  涼しい朝
昨日の福井新聞「読者の欄」に、あわら市在住のひとからの6月6日あわら市記念式典についての感想が載っていた。
全体的に感動的なシーンは多かったけれども、(全てとはいわないが)来賓の祝辞が巻紙を読むスタイルだったのは言葉がワンパターンに流れてよくない、そんなくらいなら参加者に巻紙のコピーを配布すりゃことたりたのではないか、というものだった。
確かに、式典はややこしいことをしゃべる場ではないのだから下向巻紙音読的姿勢よりも、前向表情言葉同時発信的姿勢のほうが我々聞く側としても気持ちがいい。けどまあ、主催者側が中央から来る来賓のエライサンがたに巻紙読みをやめてくれとは言えないだろう。だとするとそのひとの注文は主催者側に対してではなくてエライサンがたに対してということになるだろう。
あの時わたしは知人3人の手話通訳をみていてその世界に入り込んでいたのでそういうことを感じずに済んだのだが。
ワッハッハー 
リンクから「やまさんのきまぐれ議員日記」(本日)を読んでください。

04/06/17 (木) 漆黒の闇   
目が覚めたら午前二時だ。教育厚生常任委員会の為の勉強をせねばならぬ。
その前に豆砕き熱々珈琲キリマンジャロを飲む。窓をあけると静寂の世界、見上げれば漆黒の闇、お月さんが出ていないのだ。そこで書棚から堀口大学著「月下の一群」をとりだした。
面白いのがあった。

閑話休題
午前中は金津庁舎と芦原庁舎を往復。煮素麺の昼食をとったのち仮眠。目が覚めたらちょうど午後1時だ。さあ、頑張ろう。

閑話休題
県道に面して家のあるひとから「家の前の歩道の街路樹が腐ってしまった。撤去して欲しいし邪魔になるからもう植えないでもらいたい」と言われたので、夕刻県の出先機関に行った。
その旨を伝えたのだが「撤去はしますけど、監査の関係があるので又植えなあかんのですよ」が答えだった。
等間隔で並んでいる街路樹は確かに美しい。しかし、交通の要所であれば見通しを悪くする原因にもなるのだ。前述のような答えはちょっと尺時定規すぎるのではないかと思う。

04/06/16 (水) 議会二日目   
旧芦原町がもっていたモーターボート事業があわら市に引き継がれている。年間の旧芦原町主催開催回数による案分は三国に対して1対6。つまり三国のアガリが¥30億、40億だった頃芦原のアガリは¥5億、6億あったという。バブル崩壊不景気風の吹くなかで収益は減少し、その維持を一般財源で補填するところまできている。
但し、住之江などは景気回復の追い風で入場者増しに転じているそうだ。都市部のそういう動きに地方が連動するかしないか。あるいは収支とんとんでも雇用枠の維持といったメリットはある。
事業を継続するか退くかの判断はむつかしいところですが、きょうの一般質問終了後議員団はとりあえずその競艇場を見学してきます。

閑話休題
(自分も含めてだけれど)計16人の議員の一般質問を聴いて思ったことがある。
旧金津町の議員が再質問をどしどしするのに対して、旧芦原町の議員は概してしない。聞くところによると、あらかじめ分厚い質問原稿を議会事務局に持ち込んで、行政側答弁との整合性を計るのが芦原町議会での基本的なスタイルだったそうだ。
わたしは、質問原稿を書くのが苦手だ。文字化してしまえば、その文字の字面に音声言語が拘束されてしまうような気がする。もっといえば、行政側の答弁に対しての再質問こそがリアルタイムでの応酬になると思うのだ。
どちらの方式が良いのかケイケイに判断できることではないとして、本日の一般質問最後のH議員の市長に対する質問は、ぴいーんとワサビがきいていたぞ。

04/06/15 (火) 議会初日   
きょうは議会初日。行政側からの提出議案に関する説明終了後は一般質問だった。
11人の議員が質問に立った。わたしも質問に立ったのでしゃべるのに疲れもしたけれど、聴くのにも疲れてしまった。本会議場という場所は再質問の回数が制限されていてどうしても舌足らずになる。その未消化感の残った部分については会期中の常任委員会で詰めていくつもりだ。
詳細は後日報告したいと思います。
しかし・・・、本日の議場では見たくもないシーンを見てしまったなあ。
議会終了後は有志議員で喫茶店へ。行政側の問題点に関する討議をしたあと、午後6時に帰宅。やっとパソコンに向かうことができました。

04/06/14 (月) 昼寝から覚めて   
さあ、一週間のスタートだ。

閑話休題
午後1時、昼寝から覚めた。
明日から定例議会で、明日の議会初日と明後日が一般質問の予定日だ。計16人の議員が質問に立ちわたしはまんなかへんどの9番目。ということは順番がまわってくるのが明日なのか明後日なのかよくわからない。仕方がないので、どちらになってもいいように質問の仕方を今考えています。

閑話休題あるいは久し振りの入浴
午後10時、仮眠をとったあと風呂に入り体を入念に洗ってから事務所に戻り、なんとはなしさみしい気分で煙草に火をつけた。
入浴で思い出したのだが、ニューヨーク市立動物園にはさまざまな動物がいる。そして入園者がそれらを楽しんだあとの出口には「世界で最も野蛮な動物」という名の部屋がある。その部屋のドアをあけるとそこには全身大の鏡が置かれているそうです。
これがジョークだとはとてもいえない時代に我々は住んでいるのだろうなあ。

04/06/13 (日) 資源回収   
梅雨とは思えない快晴の朝である。きょうは金津中学校生徒による資源回収の日だ。回収日和やね。
昔の廃品回収という呼び名がいつの間にか資源回収に変わったのはリサイクルの考え方が社会に浸透してきたからだと思う。
旧金津町議時代、わたしは環境保全特別委員会に所属していたので県内外を問わず沢山のゴミ処理施設を見てきた。廃棄された家具をまちの家具師が修理再塗装し展示即売する常設館を持つ自治体、燃えるゴミを高温で溶融し歩道ブロックの素材として利用している一部事務組合など数え上げればきりがないが、例えば町内のレンゴーは紙をダンボールの芯に再利用しているし森林組合は伐採した木の根を収集粉砕固形化し天然ブロックを作っている。しかしゴミは出来るだけださないのが一番だ。わたしも、もらったコンピュータと既設のそれをランでつなぐことによって紙への打ち出しを少なくしているつもりではある。ま、いろんなひとがいろんな努力をしているのだろうがそれでもゴミの排出量は全国一律年々増えているそうだ。

閑話休題
今朝は事務所入口階段下に踏石を敷き詰めていた。シャクダニの厚石だ、重いのだ、55歳なのだ。性格なのだが、踏石を敷き詰めたら周囲の雑草が気になり草むしりを始めた。
草むしりの途中で千利休宗易を思い出した。わびさびの利休に次のようなエピソードがある。
ある日の夕刻に庵を訪れる予定の客人の為に利休は庭の落葉を箒で掃き清めた。しかし清めたあと考えを改めた彼は集めた落葉を再び庭にまきちらしたのである。
「庭を掃き清めるのは確かに気持ちよい。しかし来た客人はワタシの為にこんなことをしてくださってと恐縮されるのではないか。恐縮させることは人間道にはずれる。何事もホドホドがよい」がその理由だったそうだ。
利休に同調したわたしは草むしりをやめて事務所に戻った。日曜日だもん、ウイスキーをちびちび飲んでいるほうが楽しい。

04/06/12 (土) 梅雨まっただなか  
昨晩は久し振りの片町。某パブでの薄暗的麦酒葡萄酒洋酒提供的定例立食パーテイに出席した。温泉旅館宴会での地域土着的猥談活発的飽食提供的雰囲気とは対極のいわばモダニズムの世界である。
様々な職種のひとが集まっての情報交換会なのだけれど、よく考えたら議員というのは異業種交換の世界そのものであるような気がする。こういう場所で聞くのはタダなので、知り合いの弁護士から訴訟特にわたし自身が相談を受けているテーマ・医療訴訟のことを聞いていた。医者の説明責任が患者に徐々に浸透してきているとはいえ、山崎豊子の「白い巨塔」は厳然として存在しているそうな。
9時半福井発のJRで帰宅。途中、駅前のコンビニで買ったカップラーメンを食べて就寝。
けさは5時に起きた。相変わらずの雨だ。週末はどこへも行かず仕事に励むつもりです。

閑話休題あるいは建設部長に読んでほしいこと
細呂木を歩いていた時、ぬかるみに足をとられて市道排水溝に落ちてしまった。下半身をしたたかにうち一瞬気を失った。気がついてズボンをまくったら脛・膝が血だらけだ。うちどころがよくて不能にならずにすんだとはいえ、弁慶の泣き所という箇所はすげえ痛いのである。

04/06/11 (金) 竹内浩三 
・昨日の昼、議会事務局に寄った。今度の議会で一般質問をする予定の議員数はΣ16人(旧金津=7人、旧芦原=9人)だそうだ。旧金津町議会時代の倍以上の数だ。

・昨晩戸棚を整理していたら、竹内浩三の詩がでてきた。

・このところ紫陽花をよくみかける。その度に思い出すのが次の句だ。
紫陽花剪る なほ美しきものあらば剪る
                       津田京子

美に対する執念をなまめかしいほどに昇華させるのは女性ならではの力というべきか。

・昨夕は、松岡町の住宅工事現場で打合せをしていた。
福井の御台場と呼ばれているコパあたりに点灯し始めたネオンと落ちる夕陽の融合にみとれ「なんと美しい」とつぶやいたら「顔に似合わないロマンチストでいらっしゃるのね」と施主の奥さんが言う。似合わないのならばそういう言葉を出せないのが深層心理であることを踏まえれば単なる反語と捕らえて足りることでありそれよりも自然はいつでもどこでも絶対的に美しく人工物は相対化され人間は美しくも醜くもあるのが世の実相というものではないかとわたしは密かに思うのである。

・二千本安打を達成した巨人清原の西武時代の語録に
「私が涙を流したあの場面で、外野フライを打たせてくれた工藤さんに感謝しています」がある。
日本シリーズ最終戦の9回。自分を指名しなかった憎い巨人に対する勝利を確信し感極まって涙涙の一塁手清原をみた投手工藤が清原守備不可能を察知し最終打者に肩口からのあたたかいカーブを投げ外野フライにうちとった場面を振り返っての清原語録だ。

04/06/10 (木) エスカレーター 
「静岡県掛川市のホテルの上りエスカレーターで利用客が次々と転落して12人が病院に運ばれた」という新聞記事を読んで30年程前を思い出した。
阪神間の某デパートの下りエレベーター付近を歩いていたら、キャーの悲鳴とともに若い女性がうつむせ状態のままずり落ちてきたのだ。顔面は血で真っ赤だ。すぐに救急車で運ばれていったが怖かった。どちらかというと、上りの事故よりも下りの事故のほうが、体が反転するぶんだけ危険度が大きいような気がする。
先日事故を起こした自動回転ドアと違ってエスカレーターの歴史はながい。その間メーカーはより一層の安全を追求してきたはずと思うのだが。

閑話休題
あわら市金津庁舎で幾つかの打合せを終えた帰り、久し振りに金津中学校に寄った。職員室に入って見渡す先生方の多くは知らない顔だ。下の息子が巣立って幾星霜。生徒も教師もどんどん変わっていく。かってPTAの役をしていた時、頻回に出入りしていたことが信じられない。
校長室を出てから職員用トイレに入り、手を洗いながら鏡に写る自分の顔を見た。
精悍さに変わりはないが、白髪が混じり始めている。光陰矢の如しなのである。

04/06/09 (水) 原風景
昨日後山地区を歩いていた時に、雨に煙る紫陽花を見た。
福井市内の建築設計事務所に勤めていた頃、毎年梅雨時になると足羽山に紫陽花を見に行ったものである。
雨で想い出す少年期の風景が別にある。
人付き合いが苦手で物思いにふけることだけが好きだった牧田少年は、学校から帰るといつも縁側にたたずんで庭(猫の額だったが)を眺めていた。塩茹でのジャガイモを食べながら眺めていた。
ある年の初夏、突然の夕立で雷鳴がとどろいた。すだれごしに見える庭の土は早い雨脚でみるみるえぐられていく。庭の頬月の紅い実が豪雨にはじかれ激しく揺れていた。ただこれだけのことなんだけれども、夕立に会うと必ず思い出す風景だ。こういうのを原風景というのだろう。

04/06/08 (火) 昨日の全協(全員協議会)
今回の議会で提出予定の議案

議案第45号 専決処分の承認を求めることについて
(平成15年度あわら市老人保健特別会計暫定補正予算(第1号))
議案第46号 平成15年度あわら市一般会計繰越明許費繰越計算書の報告について
議案第47号 平成15年度あわら市公共下水道特別会計繰越明許費繰越計算書の報告について
議案第48号 平成16年度あわら市一般会計予算
議案第49号 平成16年度あわら市国民健康保険特別会計予算
議案第50号 平成16年度あわら市老人保健特別会計予算
議案第51号 平成16年度あわら市金津雲雀ケ丘寮特別会計予算
議案第52号 平成16年度あわら市公共下水道特別会計予算
議案第53号 平成16年度あわら市農業集落排水事業特別会計予算
議案第54号 平成16年度あわら市水道事業会計予算
議案第55号 平成16年度あわら市工業用水道事業特別会計
議案第56号 平成16年度あわら市モーターボート競走特別会計予算
議案第57号 平成16年度芦原温泉上水道財産区水道事業会計予算
議案第58号 あわら市郡市計画審議会条例の制定について
議案第59号 あわら市特別職報酬等審議会条例の制定について
議案第60号 あわら市地域振興基金条例の制定について
議案第61号 あわら市公園条例の一部を改正する条例の制定について
なお、特別委員会として
①環境対策特別委員会
②新幹線対策特別委員会
③行財政改革特別委員会
が設置される予定です

04/06/06 (日) なんとなく鬱
昨晩はフトンのなかで「巨人の星」第10巻を読んでいた。
昭和45年のペナントレース開幕。
前年度日本中を席巻した星飛雄馬の大リーグボール三号=消える魔球の完璧性は、中日ドラゴンズへの移籍を余儀なくされた伴宙太と鬼コーチ星一徹のコンビによって先ず攻略の糸口をつかまれ、次に阪神タイガース永遠の貴公子・花形満によって粉砕されるのである。

昭和45年というとわたしは21歳だった。
①この漫画には、大リーグがまだまだ高嶺の花だった時代の世相が映っている。
②星飛雄馬も伴宙太も左門豊作も感極まるとすぐ泣く。涙をぽろぽろ流す。感涙が美徳の時代だったのか。
③画の川崎のぼるというより、原作者の梶原一騎は、登場人物をセリフだらけにしているぞ。普通の人間があれだけしゃべっていたらみんなパニックになってしまうのではないか。
男は無口の方が味がある。・・・・・・以上感想文でした。

04/06/05 (土) サンマイ
明日06/06・あわら市誕生記念式典に参加しなさる聴力障害者・通訳の皆さん

閑話休題
本日の福井新聞・読者の欄に「中池見の自然 後世に残そう」の記事が載っていた。全く同感だ。
同感なのだがやねえ。
先月始めに在阪友人ふたりと一緒にここを訪れたら、休館・シャットアウトだったのだ。確かに定例の休館日だったから仕方ないといえば仕方ないのだが、ゴールデンウイークくらいはフルオープンにすべきだろう。
ね、大阪ガスさん。

04/06/04 (金) きょうはたてまえびよりだ

昨日の昼、わたしは役場職員と共にろうのひとの家にいた。市営団地市営住宅に入りたいというそのひとへの職員の申し込み説明の手話通訳をしていた。
旧金津町時代は申し込み受付順で入居を認めていたのだけれども、合併後はそれぞれの団地住宅で空き部屋が出る毎に公募し抽選で入居者を決定することになったのである(要領の仔細は市の広報誌に載ります)。
一般的な話として言うと、団地に入りたい高齢者の場合は1階、せいぜいでも2階までの入居を希望する。55歳のわたしが若いのか年寄りなのかはしらないが、例えば通信誌のポステイングをする時、階段昇り降りの繰り返しで確かに足がやめるのだ。
団地1階のバリアーフリー化は市政課題のひとつだろう。

注 やめる(金津弁)=痛くなる

04/06/03 (木) 東の空が白み始めている


早朝に目が覚めた。お湯を沸かし「とろとろクリーミー・ポタージュ」をつくった。ラジオをつけたら、シャルル・アズナブールが「枯葉」を唄っている。
仕事をする前の一服で、昨日夕食時の対妻久々的会話を思い出した。
昨今の少年犯罪への憂いを話し合っていたのだが、「こどもにコンピューターなどやらせたらあかん」と妻は言う。その長口舌に「ウーンなるほど」をわたしは繰り返していた。

・以前小学校の教師と話したことでもあるが、例えば地理で日本のどこかの町の位置を調べるとする。地図帳めくりと違って、コンピューターならばいっぱつで検索できる。とっても効率的だ。しかし地図帳めくりでの目線あっちいきこっちいきの非効率的試行錯誤こそが物事達成の為に困難があり我慢が必要であることをカラダにしみ込ませるのではなかろうか。

・(わたしは経験がないけれど)チャットの文字会話での微妙な感情表現はそれこそプロの小説家くらいにしかできないと思うなあ。やっぱり顔つき合わせてのコミュニケーションが一番だ。
たとえば親が子を「バカ」といったとしても、その時の声の強弱抑揚で愛情表現と感じられることがあるし、「エライ」といったとしても冷徹突き放しと感じられることがある。顔つき合わせての肉声会話が言葉それ自体を補足しあるいは誤解を少なくさせる力になると思う。

04/06/02 (水) 日本プロ野球改革案大綱

6月6日にトリムパークで「あわら市誕生記念式典」が開かれる。有名人の講演もあり、一大イベントとなる。市民全体に呼びかけた式典ということで、行政側との折衝の結果手話通訳がつくことになり、手話通訳協会から認定通訳者が複数(3人)派遣されてくる。認定通訳者だからガソリン代も含め勿論有償だ。
会場に来るろう者がせいぜい10人以下だろうからその為に総額数万エンの支出はいかがなものかという意見も聴いたがそれは違うと思う。式典全体にかける費用に比べればぐんと小さい比率だし、情報保障に差があってはならないのが公というものであることを考えれば当然だと思うのである。

閑話休題
阪神が3位に落ち、巨人が中日とゲーム差なしの首位におどりでた。ま、来たるべき時が来たというべきか。
しかし巨人のラインナップは清原・ペタジーニ・小久保・ローズとトレードで獲得した高給とり選手で占められていてチームとしての独自性がどこにあるのかよくわからない。金で強くなるチームなんて何の魅力もないわなあ。そこでプロ野球評論家としてのわたしは新聞紙上の順位表とは別の真勝率というものを計算することにした。
現在までの全ての試合を個別にチェックするのだが、先ず生え抜き係数という概念を導入する。個々の試合で出場した選手の生え抜き選手率が高ければ+α、トレード選手率が高ければ-αとする。
次に金満係数という概念を導入する。(野手の打率or打点orホームランor盗塁数)/年俸、(投手の勝率or防御率or勝数)/年俸として算出された数値が、それぞれの選手が年俸に見合う仕事をしているかどうかの係数+β・-βとなるのである。
新聞紙上の勝率を見え係り勝率とし、それにこの二種類の係数をかけた数値を真勝率としてチームの強弱を決定するのである。我ながらいい方法だと思う。そんなことやってる暇はないけど。

04/06/01 (火) 肌寒い朝
昨日の朝、事務所駐車場脇に一羽のカラスがいた。
ウーン、前日5人で食べた焼肉うどんの残りを食べているのだ。しっかりとビニール袋に入れて口をしばっておいたのだけれども、嘴で簡単に破ってしまうんやね。食べるのならば全部食べてしまえばいいのに、わたしの気配を察しうどんを地表に散乱させたまま逃げていってしまった。

閑話休題
長崎県の佐世保市で小学生の女児が同級生の女児にナイフで刺されて死亡したという臨時ニュースが入った。詳細はわからぬが、喧伝される犯罪の低年齢化もここまできたのかと、背筋に悪寒が走る。
教育が悪いのか子育てが悪いのか食べ物が悪いのかTVの呆け番組が悪いのかインターネットが悪いのか環境が悪いのかとにかく社会の暗部がじわじわと拡がっていることだけは事実だろう。自分を振り返ってみるに、わたしは子供が純真だとは全然思わないしむしろ憎愛は純粋培養のカタチで潜んでいるものだとは思うけれども、しかし殺したいと思うことと殺すことの間には千里の距離が絶対にあるはずなのだ。ふたりのうちのひとりは命を抹殺されひとりは人生を抹殺されてしまった。