2004年09

04/09/30 (木) 台風最接近

昨夕、友人がふらっとやってきた。今立町で町議をしている彼とは一年ぶりの再会である。20代、毎晩のように会って飲み交わした仲だ。
同い年なのだけれども、うーん、頭髪が薄くなり初老の雰囲気を醸し出している。
今立町といえば越前和紙の産地だが、この不況で家業の和紙卸し業振るわず、各高校を営業廻りしているのだという。入学証書卒業証書にどうですかというやつやね。
武生市・今立町合併進捗状況の裏話を聞いたあと、別れたぼくは金津庁舎へ行き、小さな講習会をこなして帰宅。
晩酌を楽しんでいる時に、区の理事改革会議が開かれていることを思い出した。あわてて区民館へ直行、「用事で遅れてすんまへん」と言いつつ座についた。
帰宅後、10時に布団に入ったが、激しい雨音で午前一時半に目が覚めた。
台風が最接近しているのだ。
このさいだ。仕事しながら雨と風を見張り続けていようと思うのである。
〇議員になってから、ぼくは沢山の産廃処理施設をみてきた。つまりゴミというものを嫌という程みてきた。施設に入れば最終処分場に向かうもの再処理されるものないまぜの諸々が足元を取り囲む。
消費資本主義の表通りが便利な豊かさであるとするならば、溺愛され間も無くして捨てられてきたモノモノの集積は、その裏通りだと言える。あるいは臓腑か。
原型をとどめぬ無機物の断片や饐えた匂いやのなんやかんやが、遠くない将来のこの国のイメージを廃墟にだぶらせる。長生きはするもんでないなあと思ってしまうのである。

04/09/29 (水) 雨降りの朝

昨日の朝、山下環境対策特別委員会委員長より電話あり。
一緒に例の事業所をみに行った(ぼくは二度目)。
ミナモトを目の当たりにしているのだから、匂いは強烈だ。山下委員長は「たくあん石をとった時の匂いやなあ」と言う。無口内気少年だった頃耳鼻科通いをしていたぼくには、匂いの微妙さを言葉にする能力はない。しかし建築的素養はある。
ハウスの壁面は確かに密閉されていたが壁面と屋根との取り合い部分に施策はこうじられていない。全体密閉には至っていないということだ。
現場を出てから、坂口と蓮ケ浦の境にある鋼製矢板囲い込み隠れゾーンをみに行った。
細呂木地区・M議員によれば、廃油精製の為の施設ができるとのこと。環境との調和ができるかどうか消防署が調査中だという。

堆肥にしろ廃油精製にしろ、リサイクル事業でありこれからの方向性を指している。問題は市民生活が脅かされないガードが確立できるかどうかだ。

昼時になった。山下委員長は、「飯をくいに丸岡へ行こう。わしのおごりや」と言う。
餃子・酢豚・唐揚みーんなうまかったが、デザートのアイス珈琲が特にうまかった。

〇コンピューターを掃除していたらでてきた写真。
今年夏の教育厚生委員会視察研修(能登)で遭遇した夕焼け。
とにかく夕焼けが好きだ

04/09/28 (火) 午後7時、やっと一服

昨晩の9時頃だったか、仕事をきりあげ寝る準備をしているところに電話が入った。
電話の主は、昔三国町の手話サークルで一緒だった正田さん。
「10月18日、福井市体育館のリングに息子があがるので、みにきてほしい」という内容のものだった。
メキシコでプロレスラーをしている息子のいわば凱旋バトルだ。
名前は正田和彦。二年程前の福井新聞に「世界タッグチャンピオン獲得!」の大見出し記事がでたので、あるいはその名を覚えているひともいるかもしれない。
母親である正田さんの話しによると、小学生の時から「夢はプロレスラー」だったそうだ。
丸岡高校剣道部の猛者を経て、坂井農業高校レスリング部で研鑽を積み、東京にでてからはラグビーの試合要員といったアルバイトで下積みを続け、新日本プロレス・全日本プロレスに入門を乞うも身長の点で断られしかしめげず、小型敏捷レスラーの多いメキシコへ渡ったひとだ。一念岩をも通すというやつやね。
一度、彼女の実家で会ったことがある。確かに身長は高くないが、カラダは下駄みたいだった。
もしみにいきたいかたがあれば電話ください。通常チケットより安くなります。

04/09/27 (月) 一週間の始まり

「命の大切さ」をテーマにした夜明けラジオを聴いていた。
豆砕熱々珈琲「キリマンジャロ」を口にしながら、しかしキリマンジャロではなくて白山に昇る朝陽を眺めていると日はまた昇るああきょうも目が覚めてよかった命があってよかった本日も頑張ろうじゃないかと、ココロは勇気凛々虹の色になるのである。

突然思い出した。
十年以上前、長寿をまっとうした友人祖母の枕元での最後の言葉は
うらはこんだけながいこと生きてきたけど、一日たりともとばした日はなかった」だったそうだ。
至言である。
うそつかずものほしがらずからだだわらず一日一日を生きていく。
地道に普通に生きていくことほど大切なことは無いと思う。

異臭は市民生活の敵である
今日は向ケ丘地区のひと二人から異臭に関する苦情電話があった。
一度目は午前9時の「今、匂いが強烈です」だった。直ぐに市役所生活環境課に連絡、来訪を乞い当地区で会ったのだが、その時点で匂いは消えていた。担当職員は「京都から当該事業所に搬送されてくるポテトチプス原料の肉付皮の発酵が匂いの主たる源ではないかと思います」と言う。
昼過ぎに所用で訪れた芦原庁舎で、職員から「きょうは、六日町でも匂ってましたよ」と言われた。
事務所に戻った午後2時、向ケ丘の別のひとから「今、匂いが強烈です」コールが入った。

うーん、ならば我が坂ノ下地区はどうなんだろうかと、夕刻ぼくはビッグマート坂ノ下店駐車場入り口に立った。いわゆる街頭インタビューである(恥ずかしかったなあ)。

・人妻夕子(仮名・推定年齢32歳)は、「ええ匂うわ。その匂いって坂ノ下のあそこの工場からの匂いだとのもっぱらの噂よ、牧田さん」と全然見当違いのことを言う。

・自由業宏(仮名・推定年齢56歳)は、「どこかしらんが、ひでえよう。なめとんのか。役所はびしびし責めなあかんのとちがいまっか」と怒りをこめて言う。

・人妻しのぶ(仮名・推定年齢41歳)は「ワタシね、勤めているので昼間のことは知らないの。でも帰ってくると匂うのよねえ。え?どんな匂いって?・・あのね、生烏賊に包丁入れてね、内臓取り出した時の匂いを強烈にしたものかな・・・・ちがうわ、うーんうまく説明できない変ないやらしい匂いだわ」と言う。
(注・しのぶ以外は福井弁でしゃべったのだけど、東京弁及び関西弁に直しました。)

とどのつまり、匂いは質量ともに拡がっているのだ。
起て!住民たちよ。今ぞ日は近し覚めよ我が同胞暁は来ぬなのだ。どんどん声を挙げていこう。
およばずながら、お手伝いしたいと思っていますだ。

やまさんのきまぐれ議員日記 復帰です。

04/09/26 (日) 昨日の一日

・朝は福井市内の鉄工所。仮付及び超音波試験を終えてそこのおとっつあんと四方山話をしていた。
今、鉄骨の切板が入手しにくい状況になってきているという。中国への輸出と、輸出搬送する為の造船に切板がどんどん使われているからだそうだ。経済の話をしていると、いつも中国の影がでてくる。でも思うのだけれど中国のバブルは近い将来ぽしゃるのではないか。日本が少子高齢社会に入るのに要した期間は先進国中NO1だけれども、一人っ子政策を採ってきた中国の場合、その転換期はより早く来ると思うのだ。

・というようなことを考えつつ事務所に戻ったら、知人二人組から「会おうか」の電話。福井大学構内北側の雑木林で開かれていた「野外陶芸展」を歩いたあと喫茶店へ。
一時間ほど談笑して別れた。

・夕刻、ぼくはラブホテルの屋根の上にいた。
といっても客として行ったのではなくて(そういう経験は殆どなかった)、屋根の上に建てる工作物図面作製の為の現場測量としていたのだ。屋根の上にいると、出入りする車がよく見えた。

・今朝はお寺の清掃奉仕で、それが終わったら松岡町で打合せだ。

土日が休息日となることがあんまりないなあ。

〇4歳の幼児や15才の少年が川に投げ捨てられて殺されるという異常な犯罪に胸がどきどき痛む。
大人が大人を殺す犯罪には、新聞紙上に現れない動機があるだろう。増幅された憎しみは、我々平平凡凡の輩にも、理解共感できる場合がままある。
しかし、そういう相手の子供だというだけで、何故将来を持った無垢の命を消さねばならない?
その部分に関してだけは、人間性のひとかけらもない悪魔の行為だとしかいいようがない。

04/09/25 (土) 北部丘陵

早朝、北潟湖方面をドライブした。朝陽が湖面にきらめいている。雨降りの昨日とはうって変わっての快晴の日となりそうだ。
帰路、眼下に街をみながら北部丘陵地を走る。丘陵地には遮るものがないのだ。
しかし
先日の定例議会一般質問のテーマのひとつでもあったのが、この丘陵地だ。
360億エンもの巨費を投じて開発されたこの地・延1000haのうち実に300haが遊休地となっているのである。
農業をやっているどのひとと話しても「あわん」の答えが返ってくる。支配者がおてんとさまだけの農業は国の根幹であるはずなのに、自由化による廉価作物の闖入で疲弊した日本農業の打開策はあるのか。
ぼくは今後、二極化していくのではないかと思うんだ。
①例えばかってのソ連のソルホーズ・コホーズみたいに集落ごとに田畑を共有し大型機械導入で輸入作物の値段とはりあえるようにする。(同僚議員がよく言う)
②大規模農業ではなくても、作物購入者と提携しつつ有機農業の姿勢を徹底し、値段が高くてもその理由を納得してもらえるようにする。(知り合いの何人かがやっている)

一般質問者に対する行政側の答えは「牛山地区の選果場横にファーマーズ・マーケットを計画している、地域農業水田事業ビジョンを作製する、新規就農者は7名いる」エトセトラだったが、とにかく農業が活性化することが全ての基本だとぼくは思う。

04/09/24 (金) 深夜に珈琲を飲みながら

700年代、越中国に国司として赴任していた大伴家持ゆかりの万葉記念館が富山県にある。家持は万葉集を編纂したひとだ。ま、農民搾取の上にたつ古代の暇人上級官僚はこんなことばっかりしていたのだろう。
いつだったか、同僚議員3人でその館の裏山散策コースを歩いた時、志貴皇子が歌った碑をみつけた。
岩走る 垂水の上の 早蕨の
   燃えいずる春に  なりにけるかも

いつか必ず春がくるぜと元気づけてくれる歌で、作者は確か天智天皇の息子だ。

深夜の午前2時半、こんなことを書いているうちに煙草がなくなった。
仕方なく、コンビニに行こうと事務所を出た時、暗闇に潜む白い影をみた。
どきっとした。
「幽霊か。たたりか。恋のうらみか。」と身構えたら、影は白い小犬を小便させている近所のおっさんだった。散歩中だという。
「おんちゃん、起きるのはやいのう」というぼくに、「あんちゃんは、いつも一晩中起きてるが」の返事がきた。
うーん、夜型のぼくは近所からそうみられているのかもしれない。

〇なんやかんやで疲れて事務所に戻ったのが午後5時半。携帯に着信が入っているのに気がついた。
向ケ丘のひとからのもので、本日の午後4時ー5時の間、異臭が強かったという。
又、担当課に進捗状況を聞かねばならない。

04/09/23 (木) プロ野球のこと

ライブドアに続いて楽天も本拠地を宮城県にしたい旨を発表し、宮城県はもてもてだ。
プロ野球空白の地であることが主な理由だというが、浅野知事の行政手腕によるところも大きいと思う。そういえば、このひとは以前福井県の人事部長をしていたと誰かが言っていた。

議員になって初めての視察研修先が、仙台市近郊の大和町。当時既に広域介護保険組合を発足、軌道に乗せていた土地だった。行政側との質疑でいろんなことを聞いたが、例えば「人口が減っても学校の統廃合は駄目ですよ。地域地域に学校は必要だしスクールバスの個別運営で十分やっていける」という説明などが印象的だった。
去年の夏だったか、うちに泊まった当時山形の財務局にいた義弟が、「山形から仙台への高速交通アクセスがどんどん整備されている。東北の核はあきらかに仙台で、北陸における金沢みたいなもんやね」と言っていた。
うーん、そのうち我々は加賀百万石の支配下に入るのかもしれん。

あ、プロ野球のことだった。
一昨日の新聞にでた記事だ。三番目にプロ野球参入の意向を発表したシダックス野村監督の談話「わしは、プロ野球選手の最低年俸制を撤廃しなあかんと思う。月給20マンでもプロでやりたいやつようけいるぞ。」に共感する。
金持球団「衣食足りて礼節を知る」vs貧乏球団「わしらハングリースピリットだけや」というチームどうしの戦いが実現したら、それは人間は何故頑張るのかという深遠なテーマを考える媒体になるとぼくは思うのである。


ところで
数日前、通信紙をもって東山地区の知人宅に行く途中、農作業帰りのひとに会った。「この頃田んぼに熊が降りてきてるみたいや」という。
返りしな、知人のウーさん宅に行く為上野地区への坂を登ろうとしたら「熊の出没に注意」の看板がでている。「そういえば最近彼に会っていない。一軒家だ。大丈夫なんだろうか」と思った。

04/09/22 (水) 異臭 近隣地区の皆さんへ

宮王地係のその事業所は平成14年9月に有機肥料事業を開始した。
原料は主に福井市内のホテルからの残飯と京都からのおからであり人糞・牛糞・鶏糞などは入っていない。乾燥堆肥としての完成品はあわら・三国などの業者へおろしている。原材料が完成品となるまでには、約60日間を要する。
当該地区あるいは近隣地区(横垣・宮王・向ケ丘など)あたりでここ数ヶ月の間に異臭が強くなり、宮王区が市担当課に申し入れをしたのが、8月の下旬。なお横垣地区に関しては、当該事業所が説明会に出向いているという。

担当課は、事業所に対して3項目の改善命令を出した。
①現在の脱臭装置一基を二基に増設する。
②外壁や屋根を密封状態にする。
③不必要な出入り口をふさいで、開閉できないようにする。
事業所は、脱臭装置の増設に要する期間を二週間程度と確約したし、事実現時点で増設しているのだが、電気系統がトラブっていて、増設しての稼動にはいましばらく日数がかかる。

近隣住民から苦情の電話を何本か頂き、担当課へ行って聞いた当該事業所改善進捗状況は上記のとおりでした。

なお、「役所は定刻過ぎてからの電話を受け付けてくれないのでしょう?」とあるひとから言われたが、そんなこたあない。
休日を含めて、定時外にも受付のひとは当番としてでています。急を要する場合は、即担当者に連絡し対応するシステムになっているし、そうでなければならない。

〇「私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」と書いたのは、ジャック・プレヴェールではなくってもっと簡単な名前の詩人だったような気がする。でも思い出せない。
牧田孝男55歳。健忘症にむかってまっしぐらです。
・・・・・と書いたら、「ジャン・コクトーです」というメールが
知り合いから入ってきた

04/09/21 (火) 無題

先の議会で、「市民参加条例の制定が必要ではないか」というテーマでの一般質問があった。全国にはそういう条例を制定した自治体が幾つかあるそうだが、ぼくは寡聞にして知らなかった。
この場合の「市民」は行政用語を超えている。単なる市の住民ではなくて政治意識を持ったひとたちくらいの意味だと思う。
独断偏見でいうと、市民という言葉が定着したのは、1960年代後半に発刊された羽仁五郎著「都市の論理」以後ではないか。読んだ当時はこの言葉を眩く感じたものだが、歳を経るに従って、市民は優越意識内包概念のような気がしてきた。しゃばを構成している本拠本元は庶民やとぼくは思っている。
それはともかくとして
旧金津町時代、判断の分かれるおおきなテーマ毎に行政側は「〇〇を考える会、〇〇を聞く会」をセッテイングしてきた。議員のぼくは勿論蚊帳の外だったが、聞くところによれば、会のメンバーはアテ職が多く女性が少なく公募はいつも殆ど同じメンバーだったそうな。
これでは通過儀礼といわれても仕方ない。自治体の活性化に繋がらない。
条例制定も大事だろうが、現状の制度をより実りのあるものにする為の方策を行政側は考えるべきだ。それは簡単で、アテ職を少なくすればいいのである。
それと
先の議会中に開かれた「教育厚生常任委員会」に傍聴者があったのはとても嬉しかった。何故なら当議会は「委員会中心主義」を採っているからである。

04/09/20 (月) 嘔吐

昨日の朝、起きたら体じゅうが痛い。筋肉痛というより節々が痛む。喉も痛い。
どうやら風邪をひいたみたいだ。風邪は何年もひいたことがなかった。
心は繊細なのだけれども、体は丈夫なほうだ。少々高めの血圧も人類の未来を案ずることからくる心因性のものと思っている。

節々が痛むのは仕方ないとして、喉の痛みで声がでにくいのには困った。
午後、福井市で20人程の青少年を相手に話しをするという予定があったからだ。
朝飯は抜いた。元気をつけるために昼飯として生卵かきまぜご飯を二杯食べた。
しばらく寝転んでいたら嘔吐だ。嘔吐はおうとと読まずにへどと読む。
例えば飲酒のあとたまにくる嘔吐感の際、ぼくはひとさし指と中指を喉元奥に突っ込みへどを吐き胃袋を洗浄する。
昨日もそのようにしたら幾分すっきりした。

所用を終えて帰宅、午後5時に寝床に入った。午後8時、一旦目が覚めたのでソーメンをつくった。ぼくがつくるソーメン美味の秘訣は実は手製のだしにある。だしがよければ具はいらない。
午後11時に起床し午前2時までCAD作業。またまた眠くなり就寝。今朝6時半に起きた時、体調は完全に戻っていた。

04/09/19 (日) 日曜日の朝

蓮ケ浦方面への早朝ドライブを終えて帰宅。
日曜日の朝なので、豆砕熱熱珈琲キリマンジャロをつくった。飲みながら、先日届いた「坂井郡介護保険広域連合要覧・資料編2004」に目を通している。
要介護認定数が年々増えているのは、
①福祉制度として有効に機能している
②民間にとって儲けビジネスになりつつある 
のどちらなのだろうか。
施設型介護の拡がりは、家族構成員が共同で介護するという日本型家族制度のいわゆる美徳の崩壊を意味すると同時に、保険料支払いによる権利としての施設入所であり、同居被介護の申し訳なさから解放されるというふたつの側面を結果として残す。
学童保育事業における成果及び内在する矛盾という構造と軌道が似ている。

例えば議員どおしでこのての話しをする場合、制度施行による現況に対する賛否は明らかに世代によって違う。多分性によっても違う。社会の価値観の変化はいつの時代でも既成価値既成権威への反抗となって現れてくる。制度上議会は民意を反映する場であり、だからこそぼくは30代40代の若いひとたちのそして多くの女性たちの議員としての登場が不可欠だと思うのである。

04/09/18 (土) とにかく時間がもっと欲しい

起床から時間に追われっぱなしの一日となってしまった。
こらいかんきょうの日記はやめとこうと怠惰を決め込み諸々の所用をこなして夜帰宅。
ふうっと一息つき、焼酎を口にしたら、尻の穴がこそばゆい。
先日来訪したPKくんから「牧田はん、前に日記の手抜きしてたの」と言われ、うーんなんとありがたいゲキレイのお言葉かと自らを叱咤激励したのだが、実は日記は自分のために書いているということがよくわかった。
書かないと、一日が胡散霧消してしまう。
海を見にいくのが何の変哲もない行為であるとしても、例えば一昨日の日本海加賀海岸砂利浜横寝はぼくにとってかけがえのない時間だった。そう思うとやっぱり書かずにはいられない。


04/09/17 (金) メダカ

去年の今頃ぼくはメダカ探しに躍起になっていた。探せどいなくて唖然とした。
かってどこの小川にも群れていたメダカたちはどこかへ行ってしまったのだ。

唱歌「メダカの学校」。
♪メダカの学校は かわのなか
 そおっと のぞいて みてごらん
 そおっと のぞいて みてごらん
 みんなで おゆうぎ しているよ

冗談で言うのだけれど
のぞくためには行かなければならずつまり学校侵入あるいはストーカー行為を思わせる。今の学校関係者にとってはよくない歌となっているのではないだろうか。

04/09/16 (木) 昨日の晩酌は「越の寒梅」だった うまかった 
早朝に目が覚めた。ラジオのスイッチを入れたら、片腕のプロゴルファーがインタビューを受けている。60数回もプロテストに落ちたという。執念というのはすごいものだ。
「社会が豊かになったんやから、もうわしみたいなのはでてけーへんやろ」と何度か言っていた。

そうなのかどうかぼくにはわからないけれども、飢餓感が薄れた分、でてきにくいのは確かだろう。いわば飢餓感そのものが教育である時代があったのだ。
その意味で今の青少年は生きにくい時代にいると思う。でも人生は1回しかない。
親として言うと気障になってしまうが、自分を見つける人生を送ってほしいと思う。


〇ちょっとウツ。気分一新の為に、加賀の海へ車を走らせた。
足元に貝殻をみつけた。
「私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」と書いたのは、ジャック・プレヴェールだ。

寄せる波の音がここちよい。
足元の小石を波間に放り投げ、「おーおーい」と叫んでみた。
涙があふれてきた。

04/09/15 (水) 写真  
昨日は、と思うことがあった。同僚議員にインターネット・メール添付で50枚程の写真を送ったのだが「入ってない」という電話連絡を受け、メールアドレスを確認したら間違っている。ナルホドこれでは入らんわなあと納得し、訂正メールアドレスで無事送信したのだが・・・。メールアドレスが間違っている場合、ヨコモジで「送ることができませんでした」の返信通知があるはずだ。それがないということは、誰かの所に行ってしまったことになる。

私の場合、扱う写真は自然とか地蔵とか神社仏閣とかのココロが洗われるものばかりで、いわゆるあのてのものとは縁がない。つまり誰がみても構わない。
しかし、50枚もの写真だ。さぞかし迷惑していなさるだろうと思う。
だけれども謝りようがないのである。
〇きょうは議会最終日だった。議会終了後は決算審査特別委員会が開かれ審査の日程が決まった。
ところで、きょうは国籍による外国人の自治体職員採用制限撤廃に関することが話しのテーマのひとつとなった。
納税しているのだから門戸を拡げる意味でも構わないのではないかと、なんとなくぼくは思っていたのだけれども、ことはそういう人道主義に終始することではなく、現に採用制限をめぐって被告となっている東京都の場合、一審と二審で判決が逆転し、近く大法廷で結審されるとのこと。何人かの議員との話しのなかで、ぼくのノウミソでは消化しきれない部分が依然として残っている。もっと根元から勉強しなければ、と思った。

04/09/14 (火) きょうは全協
昨日の教育厚生常任委員会は午前9時半に始まり、午後5時に終わった。
知り合いのひとが一人、管轄外の議員が二人、計三人が傍聴していなさった。
あわら市議会は委員会中心主義をとっている。つまり本会議でそれぞれの委員長が報告する内容は、個別の委員会で審議されるというわけだ。
実質的審議の場である常任委員会に傍聴者が来るのはとてもよいことだと思う。

予算書及び資料を土台にしての行政側説明を聞きながら
・民間施設バリアフリー整備事業について
・民生委員定数の削減について
・公民館と児童館のリンクについて
・B&Gプール補修工事について
・不当表示のあった芦原温泉の信頼回復について
・中高一貫教育について
などなどのテーマに関する審議がなされた。
詳細については、後日書き込むつもりです。

04/09/13 (月) きょうは教育厚生常任委員会 
今朝は、朝焼けがとてもきれいだった。なにかいいことが起きるような気がする。


04/09/12 (日) ひさしぶりにゆったりの日曜日 
数ヶ月続いた午後8時就寝午前2時起床が午後11時就寝午前5時起床に変わった。ようやく生活のリズムが世間なみに戻ったのである。やっぱり普通が一番いい。
きょうは日曜日だ、CADはしない。
朝は通信誌清書、昼は車庫屋根の補修、それが終わったら明日の常任委員会のための勉強をしようと思っています。

〇この頃寝る前に手にとる本が、昔子供のために買った「昆虫図鑑」と「世界地図帳」だ。「昆虫図鑑」で虫取りに興じた幼い日々を思い出し、「世界地図帳」で世界が破滅する日を思い浮かべる。どちらも刺激的な本です。

04/09/11 (土) もう土曜日か 
元手話サークル会員の教師が里帰りした。今、横浜市内のデパート売場で働いているという。一年間派遣の「研修制度」に拠るものだそうだ。
以前そういう制度がつくられているという話を聞いたことがあるが、従事するひとと会ったのは初めてだ。
後に裏面の悲劇が露呈した毛沢東の文革政策「はだしの医者」の発想に似ているのかもしれない。教職世界は相手が教える対象だけなので、しゃばの空気が入ってきにくいと思う。そのマイナス面打開の為ということで、、こういう制度は増えていくんだろうなあ。

バイ ザ ウエイ
今朝は金津小学校の運動会が開かれた。午前8時半にグラウンドへ行った。
はつらつと走り回る子供達が社会に出る頃、ぼくは勿論この世にいないだろう。いたら邪魔なだけだ。
昼前に帰宅。
土曜日だ、来客もないだろうということでビール飲みつつ久し振りに大リーグをTV観戦。観戦しながら球団名のことを考えていた。
例えば日本のセパ12球団名はタカ派とハト派に分かれるのではないだろうか。
タカ派=ホークス・ファイターズ・バッファローズ・ジャイアンツ・タイガース・ドラゴンズ   ハト派=オリオンズ・ブルーウエーブ・アトムズ・カープ・マリーンズ
うーん、横浜の下の名前を忘れたがそれはともかくタカ派とハト派が拮抗している。並べてみるとやっぱりタカ派が強い。名には目に見えない力がある。住居表示を利便性だけで変えてはいかんのじゃないかとかなんとか思いながら眠りこんでしまった。


〇友人からのメール
「・・・最近 まきさんの議員日記で気になるのですが、「閑話休題」という意味ですが辞書で調べると      
・話を本筋に戻すとき、または本題に入るときに用いる言葉。接続詞的に用いる。むだな話はさておいて。それはさておき。さて。       とあります。
となれば、閑話休題の後の文章は本題的な内容が書き込まれるのではないでしょうか。まきさんの議員日記の趣旨 内容から考えると、使い方が、逆のように思われるのですが・・・・・」

確かにこの4文字のツナガリをじっと見詰めていると、そうとれる。反省反省です。

04/09/10 (金) ほかの町のことだけど 
今回の議会で、「隣接4町の合併協議が進んでいる。市長はこの合併に加わる気はないか?」という一般質問があり、「将来はともかく現時点では不可能」が市長の答弁だったが現実問題としてそうだろうと思うし、4町に対する中央からの交付税削減は既に始まっており、あせった4町がともかく合併をと協議会をたちあげたのが、実情だと思う。
ところで
旧金津町時代、全協の度に合併協からその進捗状況の報告を受け「うーん、すり合わせにはなかなかいろんな問題があるなあ」との印象を受けた。
2町でさえそうなのだから、4町合併ともなると各町間の落差はより大きいだろうし、しかしよりはやい進捗を求められ、なおかつ春江・坂井両町協議会挫折という負の遺産をも背負った協議であることを余儀なくされる(のではないだろうか)。
仄聞だけれども、各町特区という考え方もあるそうだ。
三国町安島から丸岡町山竹田までが1市ということになるが、図体は細巾で面的な拡がりに乏しい。やっぱり6町1市への過渡的選択肢だ。
そうならば
①(北部1市+南部1市)を経過しての6町→1市あるいは
②(北部1市1町+南部1市1町)を経過しての6町→1市
のほうが、合併の対等性という観点からみてより良かったはずだと思う。


閑話休題
昨晩、所用終えた午後9時20分。少しの時間でも構わないと手話サークル例会に顔を出したら珍しい人がふたりいた。
横浜から里帰りの子連れYさんは、顔をあわせるなり「相変わらず黒いね」と言う。
福井市新田塚で新婚生活を始めたSさんは「又できるだけ来ようと思います」と言う。
サークル終了後、会員3人で三国町のファミレスへ。自分が運転しない時はビールが飲めるのだ。
ほろ酔い気分でしかし真面目に、福祉施策の現状をながながとしゃべっていたような気がする。


04/09/09 (木) まろ茶を飲みながら
若狭出身の小説家・水上勉が亡くなった。
偶々数日前に市立図書館で水上著・「若狭幻想」を借りてきたところだったので不思議な縁を感じる。
ぼくはこのひとの書いた本を数冊しか読んでおらず、つまり熱心な読者ではなかった。しかし、「金閣炎上」を書いた動機が三島由紀夫著「金閣寺」への疑問にあるというこのひとの随筆が印象に残っている。真善美の崇高な体現体・金閣寺に対する憎愛を放火という行動に駆り立てた雑僧の動機を華麗秀麗漢語満載言葉で綴った耽美派の三島と、質素勤勉環境調和的人類愛を骨子とした水上では、気質も文体も行って帰る程違っていた(ぼくの読後感としては三島のほうが面白かったがなあ)。
微妙な問題かもしれないが
障害者の為の施設拡充を訴えた「拝啓総理大臣殿」は世間に波紋を投げかけたが、当時、障害者運動に奔走していた知り合いの何人かは「囲い込みや、あかん」と言って怒っていた。

こういうむつかしいことはぼくにはよくわからないが、とまれ波乱万丈の人生を送られた水上勉氏に哀悼を思います。

04/09/08 (水) 昨日の一日
午前8時半、金津中学校体育祭開会式。台風接近のせいか前夜は雨降りだったし体育祭開催は無理なんじゃないかと思っていたけれども、幸い澄み切った秋空となった。途中で抜け出し、市役所金津庁舎へ。
9時半、九月定例議会初日が始まった。行政側からの提出議案説明のあとは一般質問で、初日の質問者は7人。
前回議会の時は質問に立ったのだが今回は申し込みをしなかった。それでわかったのだが、質問者はその内容を反芻しているので、自分以外の質問・答弁があまり詳しくはアタマに入ってこない。その点、今回はじっくり聴くことができた(今議会終了日つまり15日頃に詳細を書きたいと思います)。
午後4時半に庁舎をでた。庁舎裏駐車場の風が滅法強い。台風が最接近してきたのだ。帰宅し、自宅裏の納屋を見に行ったら屋根の波板が一枚飛んでいっていた。「親父が少し補修したんやけど・・」と同じく年老いたお袋が言う。
老人だけの世帯の場合、台風時の不安はいろいろと大きいはずだ。「災害に強い街づくりを」が本日一般質問のひとつのテーマとしてあったが、ハード面にとどまらず、ソフト面でのサポートが必要なのではないか。それが高齢社会のなかでのありうべき施策じゃないかとぼくは思った。
夜、事務所で所用をこなす。腹の底に響いてくる風のうなりが、おどろおどろしかった。
〇 本日の一般質問者は三人。
午前11時に散会した後、有志議員が喫茶店に集まり今回の議会での問題点を討議。昼食をとったあと事務所に戻っている間に来訪者ふたり。そのあと福井市へ。打合せを終えてから松岡町の住宅工事現場へ。午後5時半、滑り込みセーフであわら市庁舎に入り小さな講習会。午後7時に帰宅し、息抜きに「越前蕎麦焼酎」を飲んでいる。
ぼくの職業ってなんだろうと思ってしまった。

04/09/07 (火) 雨上がりの朝  
阪神タイガースが不振なので、今季のプロ野球の行方は興味の埒外だった(ということは、本当の阪神ファンではないのかもしれない)。
そのプロ野球選手会がストライキ設定を宣言した。土俵よりも桟敷がにぎやかしくなってきたのである。「二リーグ制維持」「一リーグ制に移行」「巨人パへ」のどれになるのかわからないがストライキは貫徹しなければ意味がない。選手会は、オーナー会議の「ストによる損害賠償も視野に入れている」宣言にも耐えなければならない。
全体に一流選手たちの年俸が高すぎると思う。選手たちは純粋に野球が好きだからこの道に入ったのだろう。カネは二の次であっても仕方ないと思うべきだ。
日本国民が送っている生活を分類化すると
①好きな道に入り金銭がドシドシ入る生活
②好きな道に入り金銭が入らない生活
③好きな道をあきらめて選んだ金銭の入る生活
④好きな道をあきらめかつ金銭の入らない生活
⑤好きな道を模索し続け結果として金銭の入らない生活
等等に分かれる。
ぼくの知り合いに多いのはタイプ②④⑤。
好きな道が安定なのか波乱なのかはひとによって違うだろうがね。世間はタイプ①を成功者と呼ぶし、それはそれでいいのだが、せめてドシドシをなくし②以下の水準向上に寄与すべきではないかと思うのである。


まあ、そんなことはどうでもよい。きょうが初日の9月定例議会が大切だ。テーマに沿って聞きかつ発言しようと思っています。

04/09/06 (月) 気の滅入ることがあったので表紙を変えてみました
奄美諸島を北上中の大型台風は、わが思い出の地・沖永良部島で瞬間最大風速46.7mを記録したと、深夜ラジオが伝えている。
奄美諸島→九州は台風のルートになっていてそれへの備えは怠りないと思うし、例えば平坦で東西南北、風を遮る山の無い沖永良部島の場合だと、アダン・ガジュマロなどの木々が住宅の敷地を囲んでいた。いわゆる防風林である。
南の島の住宅は、木の建具を大きく開放的にし、風をできるだけとりいれて涼を得る。しかし強風に対しては、防風林がこれを遮るというわけだ。


20年程前だったか、そういう場所へアルミサッシュメーカーが「より強い建具を」を合言葉に進出した。結果として台風による被害が大きくなったという話を聞いたことがある。開口部だらけの柔構造的南方木造住宅の一部分だけを強固にしたことの安心で防風林の手入れを怠ったことが原因だそうな。
なんというか
これはメーカー戦略が悪い。「木を見て森を見ず」というやつだ。先祖が営々として築いてきた住生活に対する知恵をないがしろにしてはならないのである。

04/09/05 (日) 昨日の土曜日
昨日の昼、ぼくは社協にいた。あわら市身体障害者福祉協会主催「防火・救急講習会」の手話通訳をしていた。講師は嶺北消防署のひとたちだった。
通訳をしている時は、言葉そのものを追いかけている時なので、講習の内容が整頓されてアタマに入ってはこない。聴くのにはゆとりが必要ということやね。


手話の講習会を最初に受けたのは確か昭和51年だった。勉強し始めの頃はホントに真面目で、週に幾つかものサークルに通ったものだ。その後なんやらかんやら二股三股の稼業で硬派人生が軟化してしまったが、でも下手なりに一応やり続けていることに関しては自分を褒めてもいいと密かに思っている。
ところで
壇上でしゃべるひとの通訳をしていると、そのひとのしゃべりが上手いか下手か結構わかる。美辞麗句など使わず置き換えやすい言葉・文脈を連ねるひとが即ちしゃべりのうまいひとだと思う。

04/09/04 (土) 無題
ロシア南部の北オセチア共和国で起きたチェチェン独立を求める武装集団による学校占拠事件で、ロシア特殊部隊は3日午後(日本時間同日夕)、学校内に突入、銃撃戦になった。人質になっていた児童・生徒と近隣住民ら560人以上が負傷して病院に運ばれた。現地の治安当局は人質の死者について「150人をかなり上回る」と述べた。(アサヒコム)


こどもたちに向かって銃を乱射するという独立派武装集団の行為は狂気の沙汰としか言いようがない。生き地獄だ。周囲で見守る保護者たちの願いをふりきって突入したロシア特殊部隊のやりかたには非難が集中するだろう。
KGB出身のプーチンロシア大統領は、チェチェン独立派弾圧の先頭にたってきたという履歴を持っている。「家族7人全てを殺された私には失うものがなにもない」という自爆テロ容疑者の一人の心情を考えるとテロはおさまらない。                                        
アフガニスタンルートにあり、いろいろな資源を持つチェチェン共和国を支配下においておきたいというロシア権益の擁護が根元にある。
複雑な政治情勢に関して全く無知なぼくだけれども、ソ連邦解体という20世紀の歴史的事件は即ち個々の共和国の独立を認めることだったのではないかと思うのである。

04/09/03 (金) もう週末か
例えば人間関係やら仕事やらで落ち込み暗い気分で街を歩く時、すれ違う全てのひとが屈託のない明るい顔にみえてすごくうらやましく思うということが、若い頃は再三あった。
最近そういう思いがうすくなってなってきたのは、歳を積み重ねたせいだろう。
およそひとである限りみんな喜怒哀楽の感情のなかで日々を送っている。
表情に出す程度がつまりそのひとの気質で、一律明るいひとも一律暗いひともいるはずがないと思うようになった。明るくみえる時は、暗さが腹に沈殿しているし暗くみえる時は明るさが腹に沈殿している。明るさと暗さは循環ポンプで動いている。


閑話休題
きょう本屋であったひとは、どうやらこの日記の09/02日付を読んでいたみたいで
「でも、牧田さんの顔はよくみると素敵ですよ」とぼくに言った。
日本語はむつかしい。
顔が顔だけに女性にそういう言葉を投げかけた経験はないの解釈はふたつに分かれるのだ。
解釈①・・顔がハンサムじゃないからどうせ断られるだろうという思いで萎縮してしまう。
解釈②・・顔がハンサムだからそういう苦労をしなくても向こうからよってくる。


勿論ぼくの過去は解釈②で満ちているのだが、誤解されたようだ。
日本語はホントにむつかしいと思った。

〇ぼくの家の近くの幾つかの地区で異臭苦情があいついでいる。生ゴミで堆肥をつくっている場所がその源らしい。
旧芦原町某地区が行政に訴え、保健所(こういう施設の許認可権は保健所にある)と市担当課が現場調査の上、業者に対して脱臭装置を増やすことを行政指導したと、昨晩、担当課から聞いた。
例えばゴミ焼却の場合ならば発生現場周辺にダイオキシン数値計測の為のモニターがついているのは知っているが、匂いの場合は受け手に個人差がある。ましてやその数値計測などはむつかしいのだろうとぼくは思っていた。
しかし、担当課の説明によれば、匂い計測器があり許容上限値も決まっており市内8箇所で計測されているとのこと。ちなみに当該現場から発生する匂いの程度は許容値以下なのだそうだ。
化学物質や薬剤が混入しているわけではないし、有機農法の為には堆肥が必要だ。
異臭とならない範囲のなかでどうつきあえるかが今後の課題だと思

4/09/02 (木) 差別
昨日の夜、市庁舎ロビーで職員と話しをしていた時に、話題がバリアーフリーに移った。
「例えば肢体不自由者や盲人の場合だとすぐわかるので、スロープ設置や点字ブロック敷設の必要性が頭に浮かぶのだけど、ろうの人の場合は見た目ではわかりませんね」と相手が言うのを聞いて、ぼくは随分昔のことを思い出した。


10数年前、ろう者の若い女性との世間話のなかで、ぼくはぶしつけに「障害者であることの悲しさをどういう時に感じた?」と聴いたことがある。
「友達数人、福井市片町の目抜き通りでショッピングをしていたの。そしたら、かっこいい若いお兄ちゃんたち数人のグループが近づいてきてきみたちお茶でも飲まない?と言うのだけどわたしたち言葉がわからないから手を動かしていたら横向いてさっさと行ってしまったの。その時すごく悲しかったわ」という答えが返ってきた。


ぼくは顔が顔だけに、女性にそういう言葉を投げかけた経験はないが、思うに、そのお兄ちゃんたちは意識しようがしまいが差別者であった。
女性が悲しかったのは、若いお兄ちゃんたちの誘いを受けるか肘鉄くらわすかのイニシアテイブを自分達自身が持てなかったことにある。
お兄ちゃん達が手話を知らなかったことは瑣末のことだ。一度声をかけたのだから、当たって砕けろの精神で、なんでもええがなカラダ動かし身振りで彼女達を喫茶店に連れこもうと努力すべきだったのだし、それがバリアーフリーへの道だったとぼくは思うのである。


閑話休題
今度の9月議会で聞こうと思っていることがあったので、一般質問の申し込みに行ったら、締切日を一日間違えていた。残念。



04/09/01 (水) 昨日の全協

午後一時半に始まった昨日の全協(全員協議会)が終わった時、時計の針は午後七時半を指していた。疲れたなあ、ふうう。


・議長あいさつ ・市長あいさつ ・一部事務組合議会報告が終わってからの協議事項は次の通りだった。
1 第4回あわら市議会定例会の会期と日程について
2 議案、陳情について
   ①市長提出議案について
   ②陳情等について
   ③議案、陳情等の付託先について
3 議会運営委員会委員の選任について
4 三国あわら斉苑組合議員の選挙について
5 決算審査特別委員会の設置について
6 各常任委員会視察研修の報告について
7 各特別委員会会議の報告について
8 各種委員の選任について
9 その他
               注・9月定例議会日程


閑話休題
・一部事務組合議会報告で、ぼくは7/21坂井郡介護保険広域連合議会定例会を報告した。
5決算審査特別委員会設置に関して、ぼくは委員になった(今回で三度目)
9その他
行政側補助金調査委員会中間報告及び芦原温泉不当表示問題に関する質疑応答があった。いろいろ考えさせられたが、全協は正式な場ではないしいずれ正式発表があるので、詳細経過は省くとして、ただ、不当表示問題に関する個人的見解としては、温泉信頼回復の為には当該旅館名の速やかな公表が不可欠だと思う。
調査した県が何故公表しないのか疑問だ。県議会でとりあげないのかなあ。