2004年11

2004/11/30(火) ひがみ  

硬派のわたしにとって、晩酌時にTVニュースを観るということは政治経済関係のニュースを観ることに他ならないのだが、ここ数日のニュースのメインは「ヨン様」「ヨン様」だ。
「冬のソナタ」とかいう連続TVドラマに出演した俳優なんだそうだ。
いい年した中年女が絶叫しながら大挙して追っかけているのはもはや滑稽的社会現象であるが、彼は何故そんなにもてるのか。
アップで映る彼の顔は確かに端麗だ。ウイスキーのCMに出てもいいと思う。端麗ということは、目口鼻眉毛などの配置バランスがいいということなのだろう。そのバランスを支えているのが、絶やさない笑顔だ。
しかしやね。
端麗であることは、即ち女性が顔でしか寄ってこないということであって、実は悲しいことなのではないだろうか。と体験的にわたしは思う。
当然つくり笑いなんだろうが、ああまでしていつでもどこでも笑っていると、「あんさんなんでそんなにいつも楽しいのかえ?」と嫌味のひとつも言いたくなる。
人間には喜怒哀楽という感情がある。同じ笑顔でも、悲しみやせつなさをこらえた笑顔であるならば味がある。表情に陰を与える。男としての魅力は、実のところそこにあり、例えばわたしがそうかもしれない。
俳優とは因果な商売だ。
仮面がいつのまにか実像となってしまうのだろう

2004/11/29(月)昨日の日曜日

昨日の午前中は久し振りにTVを観ていた。野党党首そろいぶみということで、社民・福島、共産・志位、民主・岡田の3氏がしゃべっていた。
いわゆる55年体制が崩壊してから与野党問わずの離合集散が繰り返され、その間に現われかつ消えた政党の名前などもはや記憶に無い。げに「鴨川の水は・・」なのである。
支持政党無しなので、どうしても距離をもって聞いてしまう。
共産党ははっきりしていて一番わかりやすいけれども、テキストを読まされているような気分にいつもなる。それはそれとして共産党の言い分は革命標榜ではない。あくまでも体制内補完なのだから党名を変更したほうがいいんじゃないだろうかと思う。
護憲精神の社民党は旧社会党だったはずだが、実にこじんまりとしてしまった。
自民vs民主の二大政党化が進捗するなかで、ぼくは政党ってなんだろうと思う。
意見に共通軸のあることが政党の政党たる所以のはずだが、この両政党は言ってみれば広場みたいなもんで、とても一枚岩にはならないのではないか。その意味では、社民党と共産党が政党的政党だ。
午後は、誘われて鯖江のサンドームへ。
小沢一郎氏がしゃべっていた。田中角栄氏退陣のあと史上最年少の幹事長として自民党内で埒腕を奮い、自ら野に下ったあとも裏方的に暗躍しているというのが、マスコミがこの人に貼ったレッテルだ。
「信念・姿勢を変えないからこそ、どこかで立場を変えることが大事なのです・・」と、うーん、弁証法みたいなことを力説していたなあ。とまれ、にこにこしてしゃべるもんだから、流布されている姿・つまり虚像と実像の間にはやっぱり距離があるのだろうと思った。

サーバーから、「あなたのホームページの容量は許容値を16倍と遥かに超えています。削除し、容量を縮小してください」という、役所的石頭的メールが入ってた。前にも入ってきたので、電話で「かてえこと言うなよ」と一応は言ったのですが、法治国家なので法は守らなければならないだろう、と自己反省しました。
ということでで、フリーソフト検索のプロ=ケンくん(推定年齢56歳)に相談したところ、即座に大容量ホームページOK!URLが送られてきました。なんたったって1ギガOKなのであります。ケンくんありがとう、やっぱりあなたは教師を辞めてよかった。安定がなんだ、貧乏がなんだ、辞めてよかったよかった。

暇をみて、既存ファイルあるいは新設ファイルを少しづつ新しいホームページ予定のURLに植え付けています。近いうちにそちらに移行させようと思っていますが、その時はお知らせしますので、皆様 引き続いてのご愛顧よろしくお願い致します。

ついでに、わたしが使っているひでえ旧式パソコンの生命維持の為に尽力してくださった医師団の皆さんに対して
まとめて御礼を申し上げます
○市役所職員の某さん(推定年齢はわからない、とにかく若い)・・インターネットからのCDコピー ありがとうございました。
○某繊維会社の社長Kさん(推定年齢52歳)・・・日本語入力の復元、ありがとうございました。
○某組合の理事長PKさん(推定年齢50歳)・・・マイクロソフトエクセル1997の挿入ありがとうございました。やっと事務文書をつくることができます。
○元教師のケンくん、新スタイルホームページ作製に関するサポート、ありがとうございました。

 ・・ぼくは、他人に対してはあんまり興味のないほうだけれども、今回ばかりはまわりのひとたちの親切というものを心に染みて感じ入った次第であります。・・・謝謝。

2004/11/28(日) 久し振りの日曜日らしい日曜日

○午前8時、空模様が怪しい。怪しいというのはどんよりと曇っていて、しかし東の空が一部だけ明るいので気持ち悪いのである。これはもう冬の空なのかもしれんなあ。
○バタバタだったパソコン環境を、達人たちに手伝ってもらって整備した。HPを持つ者の義務として、ウイルス対策も更新した。周辺機器を再配置した。CADとその他のデーターを2台のパソコンそれぞれに振り分けたので、これからの操作はスムーズになるはずだ。
一息ついたので、きょうの日曜日は読書などでゆっくりと過ごすつもりです。

朝青龍が千代大海を一蹴し、九州場所の優勝を決めた。強いやね。これから先、どれだけ優勝するんだろう。
ところで、朝青龍は四国・明徳義塾高校相撲部の出身だ。明徳義塾といえば、昨日だったか日本に帰ってきたNヤンキースの松井を思い出す。
平成4年8月16日の甲子園球場。松井のいる星陵高校は明徳義塾高校と対戦した。その試合でスラッガー松井は全打席敬遠されてしまった。
9回にも敬遠された松井は、表情を全く変えずに一塁へ歩いていった。TVカメラがアップで捕らえた一塁ベース上の松井はじっと目をつむっていた。何を考えていたのか、不思議と心に残っている光景である。

2004/11/27 (土) もう週末か

いつだったか、坂ノ下区の畑地で、話をしていた相手のおばちゃんから、「畑仕事はいいざあ。ひと相手の仕事と違うて裏切られることがないんや。おてんとさまの下で一生懸命やったら作物は必ず芽を出し、実を結ぶ。孝男ちゃんも畑仕事しねのう」と言われた。

昨日、福井市内にいたぼくは、ある仕事の打ち合わせで、相手から裏切られたような気分になった。帰途、憂鬱の思いで九頭竜川河畔にたたずんだ。
川風が冷たい。パリで買ったダーバンのコートの襟をたてた。ミュンヘンで買ったドイツ煙草ゲルベゾルテに火をつけた。ライターはニューヨークで買ったダンヒルだ。
「ああ、メランコリーだなあ。こんな嫌な思いまでしてぼくは生きていなければならないのだろうか」と、人生への懐疑に浸っていたさなか、ケータイが入った。
熊坂在住の同僚議員・山下氏である。
「おおい、今どこにいるんやあ。そおかあ、福井市内なんかあ。あのなあ、わしの奥さんがやなあ。うちでつくった農作物をやなあ。あんたの事務所の玄関先に置いといたでなあ。」と言われてぼくは、とても嬉しくなってしまった。山下さん、ありがとうございます。
午後6時過ぎに帰宅した。
お袋が「こんなに新鮮な野菜をどっさりと、嬉しいわあ・・ちゃんと礼言うといてのう」と言ったあと「それからのう。とっても感じのいいひとがきなさったざ。きちっきちっと話しなるひとや。顔もおまえと違うてハンサムやしのう」と続けて言う。どうも、同僚議員・橋本氏のことのようだ。
今、30数名のあわら市議会男性議員のなかで、一番ハンサムなのがわたし=牧田孝男だという世評をお袋は知らないらしい。でも、謙虚なわたしはそのことを、お袋には言わなかった。

2004/11/26 (金) 愛

本日11月26日の誕生日の花はアヤメ科のサフランで、花言葉は「愛へのいざない」だそうです。

ところで、生まれてこのかた、ぼくは男女を問わず、「アナタを愛してる」と言ったことはないなあ。「愛」は舶来言葉だからということでもないと思う。
うーん、「愛」はつまるところ「人類愛」であり、壮大過ぎる言葉だから使うと気障になるという意識が働いてしまうのかもしれない。

○昨晩は、4人で韓国焼酎を飲んだ。置いて帰った車をとりに行く為に、早朝の竹田川河畔を歩いた。加納病院裏手あたりに沢山の鴨家族が泳いでいる。はるばるシベリア大陸から今年もきなさったのだ。
アムール川を越え、北方四島を見遣り、津軽海峡を横切り、日本海の風雪に耐えながら今年もきなさったのだ。そう思うと、眼前で泳いでいる鴨くんたちがいとおしくなってくる。

2004/11/25 (木) 紅葉

昨日の昼、大安禅寺近くの山裾で見つけた御堂。
石碑には「越前乃国三十三札所・二十七番 大安寺観音」とある。
正面は唐破風の屋根である。これを包む紅葉が鮮やかで、参道は下葉の絨毯だ。
踏みしめ歩きつつ、梁塵秘抄のひとつを思い出した

女の盛りは十三・四から二十三・四・五とかや
      三十四・五にもなりぬれば もみじの下葉に他ならぬ
梁塵秘抄は後白河法皇によって編纂された当時の歌謡集。時代は12世紀で、その頃の平均寿命がしのばれる。現代の30代女性はまだまだ盛り以前の若輩だ。やっぱりぼくたちは高齢社会に住んでいるのだと思う。

○昨夕、向ケ丘のひとから「臭い!」というケータイメールが入り、きょうの早朝にも別のひとから「昨日はとても臭かった」というケータイ電話が入った。
先日の環境対策委員会で、行政側は「アグリ伸輝はアンモニア臭の主な成分であるポテトチップス原料の入荷をとりやめました」と言っていた。
しかし、既に入荷されている原料は事業所内部にあるのだから、異臭の元を断ったということにはならないだろう。密閉もあきらかに不充分だ。
ぼくは思うのだが、環境に配慮した事業所というのは廃舎利用ではなかなかむつかしいのではないか。
いずれにしても、ぼくが現場に行った時、事業所側は「11月いっぱいで何とかしたい」と言っていた。
完全にというのにこのタイムリミットはきついかもしれない。しかし、異臭を徐々にでも弱める方向に向かっての進捗があってこそ、事業所の誠意が感じられるというものだ。
進捗なしのこの状況が続くならば、監督者である行政あるいは保健所に対する住民の信頼も薄れ、○○反対的立て看板が並ぶやもしれないのである。

2004/11/24 (水) 無題

幼女・幼児を狙う犯罪が新聞社会面を賑わし、全く唖然とする。昔から殺人事件が絶えることはなかっただろうが、この種の犯罪はやっぱり異常だ。
いわゆる宮崎勤幼女連続殺人事件がこの種の犯罪のはしりじゃないか。マスコミは彼にカプセル人間という名称を冠した。
カプセル人間というのは、現実の人間関係の切り結びを拒否し、ビデオや今ならばメールなどで擬似映像擬似コミュニケーションの世界に閉じこもるひとたちのことをいう(らしい)。
確かに実際の人間関係構築の過程では摩擦が生じストレスもたまる。それならば関係を遮断するほうがラクだということになる。しかし、ヒトが社会的生物である以上ひとりで生きていくことはできない。となると、摩擦を甘受することは避けられないし、それを通過してこそいい関係ができていくともいえるのである。
昔のコトワザに苦あれば楽あり楽あれば苦ありというのがあるではないか。
義務教育で一番大切なのは、このコトワザを体感させることであり、他のことは二義的だとわたしは思う。
○入院している親父の友人を見舞いたいというので、お袋親父を車に乗せて病院へ行った。
親父も友人も高齢で共に耳が遠い。病室での会話がスムーズになりたたない。よってお袋が通訳していた。
老齢化と共に衰える順番として俗にハメマラという言葉がある。しかし歯はともかくとして、次に衰えるのは目よりもむしろ耳ではないかとぼくは思う。
補聴器は結構嫌がられている。ならば、年寄対象手話ワンポイント講座などを開くと、これも又高齢社会活性化につながるのではないかと思うのである。

2004/11/23 (火) きょうはかりんて祭

午前6時半。東の空が茜色に染まってきた。
とりあえず今日一日の命を頂いたことに感謝しながら熱々珈琲ブルーマウンテインを飲んでいる。
沢山の尊い命と3兆円に昇ると言われるインフラ等の破壊と被災住民の計り知れない心的疲労とをもたらした中越地震が起こって1ヶ月が経過した。
しかし被災地の皆さん、ネバーギブアップだ。

ラジオは被災地に入った日本建築学会会員数十人グループの被災地での住宅破壊状況の調査結果を報告している。
報告は「阪神淡路大震災と比べて木造住宅の被害が比較的少なかった。土壁のなかの貫や柱梁などの骨格部分はそのまま残っているものが多かった。」といっている。
阪神間に雪は降らないが中越地方は数メートルの降雪がある豪雪地帯だ。当然柱梁は太い。屋根の積雪時と重ならない限り耐震性が強いといえる。昔の家は柱間1間を原則としているから、柱一本あたりの負担過重が相対的に小さいことも確かである。

○今朝、かりんて祭会場をうろうろしていた時、何人かのひとから「ホームページ見てますよ」と声をかけられた。そういう声をかけられるとやはり嬉しいものです。


午後3時、福井市内で所用をこなして帰宅。あわら市内の地域別諸々統計という数日前からやっている仕事をこなしたのち、今朝のことを思い出し、このホームページのアクセスカウンター状況某日の明細を初めてログインしてみた。
平均してアクセス時間帯の山はふたつある。ひとつはam7:00-11:00、ひとつはpm4:00-8:00。OSはウインドウズXPが一番多く、98、2000、ミー、マッキントッシュと続く。
訪問回数別の多い順は①101-200②201-300③1000以上④301-500⑤51-100⑥501-1000⑦11-15となっている。
勿論どなたが訪問してくださるのかはわからないのだが、固定訪問者の比率が大きいということだけは、この統計からわかる。
とにかく続けて書いていこうと思っていますのでよろしくお願いします。

2004/11/22 (月) 雨の能登半島

昨日行った輪島の朝市は初体験。福井では大野の朝市が有名だが、規模は輪島のほうがずっと大きいし人出も多い。
野菜漬物はもとより解禁されたズワイ蟹なども沢山並べられていた。売り手の主役は年季の入ったばあさんたちである。朝市というのは、高齢社会活性化を考える上で参考になるのではないかとぼくは思った。


きょうの午前中は全協(全員協議会)だ。先日の新聞にも載った旧芦原町某区あるいは某議の補助金使途不明瞭会計を巡っての行政側調査委員会(委員長=坪田副市長)による調査結果報告及び議会としてどう動くかのデイスカッションの場となるはずである。

○友人たちからの「庁内での手話講習のことで牧田さんが福井新聞にでていたよ」メールで、先週インタビューを受けたことを思い出した。下の理由で、ぼくは記事を読んでいない。
 ①ぼく自身通訳士資格を持っていないし(持とうとも思っていないし持てるはずもないし)、あの12回講習もごく内輪で頼まれたものという思いがあった。
何事につけ、「ひっそり地道に」を生きる指針としているぼくにとって、記事にされるのはやっぱり気恥ずかしい。

○11月は本当に忙しい日々が続いている。中旬までにミニ新聞をださねばと思っていたのだけれども、生来の怠け癖に加えて、議会の動きがいろいろあり、CADにも追われているうちにもう下旬だ。ずるずる遅れてしまったのは仕方ない。
うーん、今回は「11月号」を「晩秋号」あるいは「初冬号」に変更しなければならないかなあ。

2004/11/21 (日) カラス
004/11/21 (日) 
札幌・丸山公園に白いカラスが現われ、訪れる人たちを驚かせたという新聞記事を読んだ。
「神の使い?」「幸せを運ぶ鳥かも」などの声が飛び交ったそうだ。
7世紀、天智天皇の御代に、どこぞの国から白い雉が献上された。天皇は「吉兆じゃ」と喜ばれ、元号を「白雉(はくち)」に代えられたという逸話をぼくは思い出した。

ところで、カラスといえばぼくは子供の頃に観た映画「黄色いカラス」を思い出す。
主人公の少年が図画の授業でカラスを描くのだが、黒でも白でもなく黄色いカラスを描くのだ。何度先生からたしなめられても、黄色いカラスを描いてしまうのである。単にそれだけの映画なのだけれども、そのおどろおどろしさが半世紀のちのぼくのカラダにはっきりと刻印されている。

2004/11/20 (土) もう週末か

午前3時起床。珈琲を飲んでから、事務所の模様替えを始めた。机の配置を替え、床を丹念に磨き、不要品は全て部屋の外にだした。
空気が新鮮になると、活力が沸いてくる。
明日は物見遊山的能登旅行があるので、今日一日を頑張らなければいけないのです。

2004/11/19 (金) 住民運動

’69年に最も高揚した全共闘運動は、’70年における日米安保自動延長決定で潮を引き、一方で連合赤軍などの過激派の行動が衆目を集めていたその時期に、豊穣言葉満載作家・三島由紀夫が市ヶ谷で自決するというキッカイな事件が起こった。
時の首相・佐藤栄作が「これは世界に対する日本の恥だ」というわけのわからない声明を出したところに、彼の優秀学歴通過優秀官僚出身無事是名馬的最長不倒政権樹立の真骨頂が顕れていると呆れたものだが、その彼が後年何故ノーベル賞をしたのか、今もぼくには全くわからない。
そういう政治の季節終焉の象徴がまさに’70大阪万博で、これは、敗戦国ニッポンも世界の主要国に仲間入りをしましたよというメッセージみたいなもんだったろう。(当時関西に住んでいたぼくは、知人たちを何度も何度も万博会場入口まで案内したが、今と違ってガンコだったので結局会場に足を踏み入れることはなかった)。
同じ時期に、そういう祭りとは別のレベルでというか地下水脈みたいなカタチで潜行し、’70年代初頭一挙に露呈したのが、のちのち公害の原点と呼ばれるようになった水俣病だ。
当時熊本大にいた医師などの努力にも関わらず国策会社チッソは、自身が排出する有機水銀と病との因果関係を認めようとせず、結果として患者を増大させあるいは患者の怨念を増幅させたのである。
高度経済成長の階段を登り始めたニッポンは、裏面としての無軌道な公害まきちらしによる人殺しという原罪を自覚し、その轍を踏まないことをルールとして確立させたとぼくなどは思っていたが、実はそうではなかった。
そうではなかったことを今回の豊島視察研修で実感した。
二時間に渡る「廃棄物対策豊島住民会議」議長・砂川三男さんの戦いに関する経過報告及びあわら市市議団との間で交わされた質疑応答を、ぼくは細かく書き込んでいかなければならないと思っている。

2004/11/18 (木) 深夜にキリマンジャロを飲みながら

このところ、所用に追われっぱなしの日々が続いていたのだが、昨晩で一息ついた。
午後9時に帰宅。風呂に入り、足の指先から頭のてっぺんまで体のすみずみを丁寧に洗ってから就寝。明け方までぐっすりと寝込むつもりだったが、癖というのは怖いもので、やっぱり2時半に目が覚めた。

昨日の日記に書いた委員会のことに触れます。
①アグリ伸輝
当日の視察で、個人的にも含めぼくは4回現場へ行ったことになる。産廃関係は市民生活課管轄で、県行政でいうと福祉課あたりと連動する。ということで、庁舎内で開かれた質疑の場には、福井県坂井健康福祉センターのひとも二名出席した。市にしろ県にしろ、あの異臭の成分は悪臭防止法に規定された基準値以下であり、よって簡単には規制できないという。
日本が法治国家である限りそれは当然なのだが、匂いというのは大気中の個々の成分の相乗作用によって、増幅されることがいくらでもあるのだ。特に産廃許認可権を持つ県は、近隣住民が大変に困っているという一点においてその目線で動いてもらいたい。数値云々が錦の御旗となってしまうのならば、福井県議会で基準値をより厳しくする条例改正を検討するのも選択肢だと思う。

②ルートロック
今年に入ってその名の看板が道端に出た。しかし8月に行われた環境委管内視察の時には消えており、その1週間程後に又出た。うーん、謎の看板なのである。

③佐藤養鶏場跡地
上野地区を過ぎてずーっと奥に入った場所にバイオマスプラント事業所設置の動きが噂されている。

④FKメタル
地籍は熊坂。高速道路・金津インターチェンジ背面の小高い山の頂きにあり、シュレッダー(自動車部品の破砕処理)事業所だったが、数年前事業主体の組合が倒産。去年、放置されたゴミが自然発火し消防車が走り騒ぎとなった。現在、その最終処理の方法が検討されている。

⑤危険物製造施設
正式な申請書はまだ出ていない。
廃油精製で軽油をつくる施設。法的規制はできないが、北潟湖をのぞむ風光明媚な地であり、モノがモノだけに、地元地区で反対運動が起きている。

⑥砂利採取の県の対応
北潟地区の砂採取場に某事業所がゴミを不法投棄した。県(三国土木事務所)がガサイレをし、当該事業所に1ヶ月間の業務停止を命じた。

⑦あわら市土砂等による・・・に関する条例の制定について
合併あわら市となったの契機に、罰則を強化する案が作成された。12月定例議会で審議される予定。

香川県小豆島の近くに豊島がある。産廃対策で全国的に有名になったところ。
環境対策特別委員会視察研修対象がその場所で、明日行ってきます。

2004/11/17 (水) 昨日

昨日の夕刻、あわら市金津庁舎をでたら、駐車場を吹き抜ける風が木枯らしのように冷たい。陰鬱な北陸の陰鬱な冬が近づいているのだと陰鬱なぼくはますます陰鬱になる。
事務所に戻り、蓄音機に梓みちよのレコード「メランコリー」をかけスイッチオン。
帰りしなに買った焼酎に梅干を入れて湯でわり、ぐっとあおった。二杯飲み干したら、酒に弱いぼくはもういい気持ちだ。過去が走馬灯のようにアタマをかけめぐるうち眠りについた。
夢を見た。
どこかの川の堤防にぼくは立っている。川の流れは激しい。ポケットからとりだしたセンマイドオシでぼくは堤防の腹をぐっと刺した。みるみる水があふれふくれあがった腹の堤防が決壊し始めた。一目散に逃げたところで目が覚めた。
この不思議な夢を話した妻から、「豪雨被災のことを考えていたんでないんけの」との福井弁なまりが返ってきた。
20世紀の巨人・フロイドの「精神分析学入門」によれば(もっともぼくは半分しか読んでいないのだが)、顕在化した言葉は表層でしかなく、行動の動因は潜在意識が受け持つリピドーつまり性的抑圧である。この理論に沿ってぼくは自己分析を試みた。

流れる水にぼくが清浄と恐怖を感じるのは、若かった頃、沖永良部島の海岸で台風の日に泳ぎ、危うく珊瑚礁の沖合いに流されそうになったこと、結婚しもうけた三人の子供を連れてでかけた三国サンセットビーチで、上の息子が荒波にさらわれ沖合いに流された時のことが記憶にあるからなのだろう。
一目散に逃げたのは、気の弱いぼくの対人恐怖の顕われなのだろう。
問題はセンマイドオシである。
故フロイド大先生ならば、「あんさんの性器矮小劣等感がセンマイドオシに現われているんやおまへんか」というに違いない。しかし事実は逆なのだから、建築設計家のぼくはセンマイドオシの持つデザインが何の象徴なのかを研究しなければならないと思っている。

昨日は午後一時より環境対策特別委員会が開かれた。
協議事項は以下の通り
①アグリ伸輝について(産廃有機肥料施設)
②ルートロックについて(産廃施設)
③佐藤養鶏場跡地について(産廃施設)
④FKメタルについて
⑤危険物製造施設について
⑥砂利採取の県の対応について
⑦あわら市土

2004/11/16 (火) 映画の話

「掲示板」に名画「ローマの休日」に関するお便りを頂いて昔のことを思い出した。
高校生の時、授業をさぼり同級生とふたりでエリザベス・テーラーの「クレオパトラ」を観に行った。ばかなわたしは、その映画の鑑賞中にあけた弁当箱をひっくり返してしまったのだ。
がらがら音をたてて恥ずかしかったなあ。
当時ハリウッドの美女双璧といえば、エリザベス・テーラーとオードリー・ヘップバーンが定番だったが、テーラーのいかにも西洋顔より清楚なヘプバーンに魅入られて、しかし今のようにプロマイドもなく確か「主婦の友」の表紙に載ったヘプバーンの写真を鋏で切り抜いて自分の部屋の壁に貼っていた。
「ローマの休日」の他、ステーブ・マックイーンの「大脱走」、ダステイン・ホフマンの「卒業」あるいは誰だったかの「ポセイドン・アドベンチャー」などは三回以上、映画館へ足を運んだ。
映画の場合、ビデオと違って見知らぬひとたちと一緒に観る雰囲気に味がある。合併し、人口が三万を超えたのだから好事家の数もそれなりになったのではないかと思う。足らなきゃ隣町と連携しての広域を考えてもいい。
廃屋やあるいは寺の御堂を利用した「名画座」結成に誰か手を染めませんか。不肖わたしも一応16ミリ映写の免許証を持っているので、お手伝いしたいと思いますが・・。
○昨晩は、決算審査特別委員会特別委員会の反省親睦会が市内某所で開かれた。アルコール入ってのものなので、脱線話も当然でる。寡黙なわたしは、そういう脱線話も静かに聞いていた。
合併後最初の決算審査だから、前年度対象となり、つまり旧金津町・旧芦原町・あわら市と多岐にわたり中身項目のつくりかたの違いもあって、とても複雑だった。でも、いい勉強になったし、その結果の発信の方法をいろいろ考えていこうと思う。

2004/11/15 (月) 1週間の始まり

昨日は、久しぶりに図書館にでかけ、本をどっさりと借りこんだ。
夕刻は、CAD作業を終えたあと、サトイモ煮込みをつまみに熱燗を飲みながら漫然とTVニュースを見ていた。

ニュースは、中国原子力潜水艦領海侵犯に対する日本政府の対応ぶりを検証している。
大陸棚理論で領海のボーダー拡張にこだわる中国の主張は、諸々の海底資源支配戦略に基づいている。つまり海洋国家を目指す中国の軍事行動の一環として潜水艦領海侵犯があったことに異論はないだろう。
高杉晋作らに明治維新を意識させたアヘン戦争下の中国、日清戦争で「眠れる獅子」ではないことを露呈した中国。日露戦争で当事者ではないのにも関わらず戦場を提供するかたちとなってしまった中国。ラストエンペラー溥儀を頂く清朝崩壊までの中国の歩みには、欧米列強あるいは日本に対する積年の恨みがあるのは当然だと思う。
しかし、第二次世界大戦終了後、中国共産党との内戦に敗れ台湾に渡った国民党総帥蒋介石や共産党の重鎮周恩来らの日本人捕虜らに対する扱いは実に丁寧で(ここらあたりがヒロシマ原爆投下二日後に対日宣戦布告でわりこみ、日本人捕虜シベリヤ抑留を強いたソ連とは違うところで)やっぱり大人(タイジン)の国なのだと、対中戦争に従事した経験のあるひとからぼくは聞かされたものである。
スペイン・ポルトガルあたりから始まった植民地主義は第二次世界大戦で終わりを告げた。
雨後の筍のようなAA諸国の独立をあとおしした大国のひとつが、新生中華人民共和国でありその象徴として毛沢東が存在していたのだけれども、後年「ワイルドスワン」や「上海の熱い夜」あるいは「毛沢東の私生活」などで文革の裏面を読んだぼくはすごいおぞましさを感じたものだ。
ニクソン大統領が米中国交を、田中角栄首相が日中国交を樹立し、つまり世界が軍事から経済に移行するなかで登場した鄧小平主席によって、中国の近代化が始まったのだと思う。
しかし、その後に登場した江沢民主席がとった反日キャンペーンによって日中関係はぎくしゃくしたものとなり、そのぎくしゃくが続いている。
日中首脳会談がない為に、新幹線建設の受注は欧米有利とのことではあるが、しかし北京五輪を控えた中国経済は過熱し、鉄鋼業を中心とした対中輸出が増え続けている。
先進国にとってかっては現業工場部門立地の場所でしかなかった中国が大輸入国となっているのは驚くべきことだ。これはまさにバブルだ。しかしバブルならばいつかはじける。
例えば個人消費の対象となり得る層つまり沿岸を中心とした富裕層は全人口の二割に満たないと、先日中国から帰国したひとから聞いた。さらに思うのだが、ひとりっこ政策を採っている中国におけるきたるべき高齢社会が抱える問題は日本よりはるかに深刻なのではないだろうか。
そういうことは勿論内政の問題だ。しかしあまりにも図体の大きい国であるが為に周辺諸国に与える影響が大変に大きいものであることは避けられないのである。

○本日で、平成15年度決算審査特別委員会が終わりました。旧芦原町分、旧金津町分及びあわら市分それぞれの決算書・成果表を資料として保管しています。興味のある方は是非事務所においでください。

04/11/14 (日) やや鬱

先日東京へ行った折、時間が余ったので場末の映画館に入った。
神楽坂の路地裏暗闇的地下1階にみつけたその館の名前は「名画座」で三本立て¥900エン。
ホントは名画でもなんでもないのだけれど、雰囲気がなつかしく昔週末毎に映画館に行っていた頃を思い出ししてしまった。
考えてみると最後に見た映画が「エクソシスト」で30年近く前。
ついでながら、最後に見たTVドラマが桃井かおり主演のもので(なかなかよかった)うん?タイトルを忘れてしまった。これも25年程前。
くちずさむことのできる歌謡曲歌手といえば、西郷輝彦・三田明・舟木一夫までだ。
なんつうか、流行に関してぼくは化石のような人間だと思う

04/11/13 (土) もう週末か 

毎日があっという間に過ぎていく。来週も、決算審査の総括審議、環境対策特別委員会あるいは視察研修などの外出かけが予定されている。「時は金なり」なのだ。
ということで、土日は事務所にひきこもり捻り鉢巻で所用こなし内仕事に邁進しようと思っています。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。
午前中は、熊坂の議員宅へHPの表紙修理にでかけ、午後は福井市内の某設計事務所から「来てほしい」コール。打ち合わせを終えて縦貫道路を車で走っていたら、向ケ丘のひとから「においがひどいよー」のメールが入った。そこで、そのままにおい発生源の処理工場へと車を走らせた。
ちょうど工場関係者が現場にいたので、詳しい話を聞くことが出来た。
ここをクリックしてください。

04/11/12 (金) 雨降る午前4時

東京を日帰りした。
所用こなしたあと、世田谷に住んでいる妹と新宿西口で落ち合った。会うのは久し振りだ。
ギョーザと日本酒で積もる話をしようと店を探した。日本一の繁華街だからそのての店はごまんとある。しかしせまくるしいカウンターの店が殆どでボックス持つ店をみつけるのに、ちょっとだけ苦労したよ。
思うに新宿は日本一地価の高いところでもあるのだ。客の回転効率を一義的に考えるのが、大衆店の指針ということなんだろう。

○午後4時、平成15年度決算審査特別委員会の審議を終えて事務所に戻った。この委員会も回を重ね、あとは、15日に予定されている総括審議を残すのみとなった。
本日の委員会は教育委員会関係で、管轄課は①教育総務課①文化学習課①スポーツ学習課だった。
教育というのは、一朝一夕にその成果をだせるものではないし、そもそもが成果とはなんぞやという視点が多岐に分れる。少なくとも、金銭だけで計られるものではないところにその特徴がある。
例えば給食の問題。
旧芦原町は給食センター方式を採用しているが、旧金津町は各々の小中校で給食をつくっている。
経費削減の観点から言えば、センター方式がよかろう。しかし、個別校での給食の場合、昼近くになると惣菜の匂いがプーンとにおってくるし、これが教育なのだとぼくは言いたい。
食事アレルギーとかアトピーは現代病であるけれども、センター方式では個別に対処する能力がないと思うのである。

04/11/11 (木) かわいいガールフレンドたち

先日、中古パソコン(¥18,000エン也)を購入したのでぼくの机の前のパソコンが2台から3台に増えた。OSはすべて98だ。
向かって左側をGF・A子、中央をGF・B子、右側をGF・C子と名付けた。

追加購入したGF・C子をCAD専用に使っている。よけいなソフトが皆無なので、操作は快適だ。

GF・A子をインターネットやホームページ作製専用にしている。部分故障で日本語入力が出来ないので、GF・B子で作製したメモ帳からひっぱっている。

GF・B子でミニ新聞をつくったり、事務文書をつくったりしている。部分故障で写真がでてこないので、GF・A子にとりこんだ写真をひっぱってきている。

操作は煩雑だが、実はこれが結構楽しい。

うーん、考えてみるにこれは「三本の矢」ではないか。
山口の戦国武将・毛利元就は臨終のさい、3人の子供を枕元に呼び、そして言った。
「ぬしらひとりひとりは、わしにはまだまだ及ばんでえ。欠点だらけやねえか。そやさけやなあ。わしが死んだら、力あわせていけや。矢が三本になりゃあごっつう強うなんねん。織田や長曾我部やあんな組らなんぼのもんじゃい。ちからあわせて天下とったれや。毛利の代紋のこさなあかんでえ」と言ってこときれたのである。
ぼくは山口弁を知らないので関西弁で書いてみたが、ともかくこれが「三本の矢」の由来だそうだ。

04/11/10 (水) 本日は介護保険広域連合議会

不眠気味で、蒲団に入っても寝疲れない。おかげで読書だけははかどるのだがいことではない。柱時計が3時をうった。蒲団を片付けた。トーストをほおばりながら熱々珈琲を呑む。
ちょっとはやいが本日の始まりとしよう。

山麓を歩いた。あちこちでススキの満開をみかける(満開と書いていいのかな)。
晩秋なのに、アカトンボを見かけない。ちょっと不思議だ。

04/11/09 (火) 北潟湖

昨日の決算審査委員会は4時頃に終了した。その後、控え室で一服。
旧芦原町の議員が北潟湖の汚染状況を嘆くのを聞いていて、ぼくは十数年前を思い出した。
誘われて北潟区民館環境講座へ行った。講師は鯖江高専の先生だった。

江戸期、北潟湖は海の一部で牡蠣の養殖が盛んだった。
しかし明治期に入ると開閉水門ができて淡水化が促進された。湖周辺が田圃となり灌漑用水が必要となったからだ。雨が強く降ると、表土水となり田圃に施した肥料を湖に流し込む。観音川流域は公共下水道未敷設なので、生活排水も流れ込む。よって河口を中心にして富栄養化が進み、湖底はヘドロ化している。
こうなると湖底をセメントで固めるのも選択肢のひとつである。

講師は、ざっとそのようなことを言っていたが、まさかセメントで固めるわけにはいかんだろう。
岸辺に立ち、見つめる水面がキレイだとぼくらの心はやわらぐ。浄化された河川や湖を取り戻さなければならないと思う。

先日開かれた北信越PTA総会での副知事挨拶のなかにあった「不登校児は不良品」というコメントがマスコミで取り上げられ激しく叩かれている。
定例の飲会でいつも会い世間話をするひとなのでなんとなく言いにくいけれども、当然、言語道断な発言だ。言葉足らずだとか真意が伝わらなかったと釈明しようが、そういう基本認識が根底にあるのは事実だろう。いかにも元外資系企業社長の言いそうなことである。
それはそうなのだが、このような発言を押し出す今日的時代背景を無視することはできない。
構造改革の名のもとに、例えば大学が産学協同の拠点となりつつあることなどに起因するといってよい。良品とはそのシステムに適合しうる素材、不良品とは適合しにくい素材とみなしているからこそ、ひとを品呼ばわりすることになるのではないか。
本来、ひとは品ではないのだから良も不良もない。そして、社会的ステータスのある人ほどこういう当たり前のことに対して鈍感であるとぼくは思う。

ここ数日、辻井喬の「暗夜遍歴」を読んでいた。初出掲載が昭和62年だから、だいぶん古いがいかにも実業家兼詩人の著者だから書ける堤一族内部確執ノンフィクションである。著者の母とおぼしき月子臨終のきわ、夢現の境に丸岡城落城の場面がでてきてぼくはびっくりしたよ。

04/11/08 (月) 本日は決算審査特別委員会

昭和35年のきょう、民主党のJ・Fケネデイが共和党のニクソンを破ってアメリカ大統領の座に就いた。ルーズベルトに次ぐ43歳という若さでの就任だったという。
「国が貴方達に対して何をするかを期待するのではなく、貴方達が国に対して何ができるかを考えてほしい」が就任演説の骨子ではなかったか。
後年オープンカーに乗ってのパレードの最中狙撃され死亡したいわゆる「ダラスの暑い日」は、当時中学生だったぼくにとっても衝撃的な事件だった。確か日米衛星中継による第一報がこの事件だったはずだ。
あれからもう46年も経ってしまった。

プロバイダーからメールが入ってきた。
「ホームページの容量が制限値を超えているので、いろいろ削除してほしい」という
内容のものだった。ということでコンテンツなどを削りました

04/11/08 (月) 本日は決算審査特別委員会

昭和35年のきょう、民主党のJ・Fケネデイが共和党のニクソンを破ってアメリカ大統領の座に就いた。ルーズベルトに次ぐ43歳という若さでの就任だったという。
「国が貴方達に対して何をするかを期待するのではなく、貴方達が国に対して何ができるかを考えてほしい」が就任演説の骨子ではなかったか。
後年オープンカーに乗ってのパレードの最中狙撃され死亡したいわゆる「ダラスの暑い日」は、当時中学生だったぼくにとっても衝撃的な事件だった。確か日米衛星中継による第一報がこの事件だったはずだ。
あれからもう46年も経ってしまった。

プロバイダーからメールが入ってきた。
「ホームページの容量が制限値を超えているので、いろいろ削除してほしい」という
内容のものだった。ということでコンテンツなどを削りました

04/11/07 (日) 寒い朝

昨日の晩酌時。日米野球をぼんやりと見ていた時に、連れ合いが「プロ野球のスター選手ってなんであんな億単位の年棒もらわなあかんのやの。球団赤字なら年棒減らしゃいいのに」と言う。
同意しながら、それはそれとして例えばイチローや松井などが何故野球をし続けるのかふと考えた。
だって一年間働きゃその年棒で一生を左団扇で暮らせる。であるならば、打つ・投げる・走るだけの狭い世界から抜け出し、他のいろんな世界を利害抜きで見て歩けるしそれが豊かな人生につながるのではないか。
うーん、やっぱり野球は野球道であり、彼らにはその道を極めたいというオモイが本能としてあるかもしれんなあとぼくは思った。

04/11/05(金) アルファベット日記

みぞれが降ってもおかしくない季節だ。
ということで、昨日は10人が事務所に集まり鍋物宴会が開かれた。どうでもEことだが、ぼくの場合、席の両脇は当然女性だ。ひとりが、韓国焼酎というのをもってきて、焼酎党のぼくはおいしく飲んでE気持ちになったぞ。
嬉しいこともあった。
参加者女性のひとりKさんが、苦節9年でやっと教師正式採用となったのである。ぼくはよく知らなかったのだけれど、採用年齢上限が引き上げられているとのこと。苦節のひとこそ味がある。いっそのこと年齢制限など撤廃すればE。
Kさんの努力をたたえるセレモニーも開かれた。Tさん手作りのA4版表彰状をSさんが読み上げ、Kさんにうやうやしく差し出す。ほころんだ顔のKさんがはにかみながら謝辞を述べ、みんなが拍手した。
高齢社会だ。苦節挫折希望絶望ないまぜ回り道の人生で刻まれるココロの皺こそがE顔をつくっていくとつくづくぼくは思うのである。

新築した建物・和室8畳縁側の片隅につくられた水屋。
違棚・明かり障子・ゴマ竹の腰壁あるいはそこに打ち込まれた竹釘などに日本伝統の数奇屋の繊細なココロが顕われている。
そういう繊細な空間を誰が設計したかというと、繊細なココロの持ち主であるわたしである。

04/11/04(木) 雨上がりの朝
11月4日(木) 雨上がりの朝
もともと物見遊山には興味のないわたしだが、55年間の半生で海外渡航は二度だけある。そのうちの一度がカナダで、トロント郊外のオークタウンに10日間程ホームステイをした。
世話になったヘイズ夫妻から、ある日「行こまいか」と誘われて行ったのがナイヤガラの滝だった。
圧倒的な迫力のナイヤガラの滝の下方に見えたのがアメリカ滝で、つまりその対岸はアメリカだ。「ヘええ、向うがもうアメリカなのかあ」とおのぼりさんのわたしは溜息をついたのだが、向うに見えたアメリカは実はふたつの顔を持っていた。
もちろん、昨夜報道されたブッシュvsケリーのことを言っているのだが、4年前のブッシュvsゴアのデッドヒートもものすごかった。再選されたブッシュには、拮抗するふたつのアメリカをリードしていかなければならないのである。

2004/12/03 (金) 石庭

昨日の昼、親父お袋を車に乗せて福井市内に入院中の知人を見舞いに行った。
途中、頼まれて親父の友人宅に寄る。玄関先でじいさんふたりは抱き合うようにして再会をなつかしんでいた。
戦友だ。太平洋戦争中、フィリピンに従軍した既に数少なくなった仲間だ。同じ釜の飯をくい生死をかけて共に戦ったことによる結束は鉄のように硬いのである。
再会の光景で、アイ・ジョージの唄・「ここはー お国の 何百里ー 離れて遠き満州のー ・・・・」を思い出してしまった。
敗戦4年目の昭和24年に生まれたぼくは、復興の槌音と共に育った戦後民主主義世代=戦争をはさんで社会道徳や価値観が180度転換した世代に属する。
しかし、最近の世相をみるにつけ、転換の功罪を、徹底して再検証しなければならないのではないかと、ぼくは思うのである。
○病院からの帰途、御簾尾の龍沢寺に寄った。久し振りに石庭を見たかったからだ。
苔むした地肌はココロをしっとりとさせる。禅文化の真髄なのだ。
昭和20年。統治の為に来日したマッカーサー将軍率いるGHQ官僚たちは、住まいとして日本家屋を接収したのだが、最初にした仕事は、苔むした庭石をタワシで洗うことだったそうだ。
戦後の出発点がそこにある。米文化の単純さ・浅はかさがしのばれる。


04/11/02(火) 無題

香田青年の死にはやりきれない思いを感じる。

政府は「自衛隊は、戦場ではなく安全な地域に復興支援のために行くのだ」と派遣前に繰り返し言っていたけれども、駐屯敷地内にロケット砲の音が響くところなど、もはや安全地帯とは到底いえないだろう。
イラク民間人の死者は既に10万人を超えたと新聞で報道されていた。ベトナム戦争の折、若い米軍人の間で麻薬が蔓延したように帰還兵にも又精神的な後遺症を多かれ少なかれもたらす。

9・11で世界は変わったといっても、もともとは米軍のイラン常駐にその芽があったはずだし、ソ連邦の解体による冷戦の終結が戦争の形態を変えたともいえる。

「世界はひとつ」に向かう合言葉がグローバリゼーションであったはずなのに、「世界はひとつの混沌」に向かっているのが実相ではないか。

イスラム教やキリスト教は一神教だから相互に摩擦や戦争が生じるとよく聞くけれども本当だろうか。
八百万の神々がそのあたりに跋扈し、死んだらみんなホトケさんになるといわれるこの国で児童に対する折檻死や孤独死が頻発し、人間関係に悩む人間がどんどん増えている。

楽園というのはあくまでも天界にあって、俗世界はそこに至るプロセスだから俗世界で苦しむことが必要というのが宗教だとしたら、それは支配者にとって都合のいい考え方になってしまう。

昔自殺した友人が「苦しみは持続的で楽しみは断続的や」とぼくに言っていたが、人生はそういうものとして、これからも生きていこうと思う。

04/11/01 (月)  看板

宮王地係の有機堆肥事業所から出ていた異臭が無くなったことを向ケ丘のひとから聞いたので数日前に生活環境課に行った。異臭の主な原因とみられていたジャガイモ肉付皮原料の入荷を事業所が停止したこと建物の密封度をより徹底したことによるのではないかとのこと。うん、やればできるのである。

○坂口と蓮ケ浦の境あたりに廃油精製施設をつくる動きがあり、地域住民が建設反対のための大型看板をつくっているという話を当地区議員から聞いたので、現場にでかけて看板の写真を撮ってきた。
ここをクリックしてください。
○訂正
10月31付日記に書いた同業者Nさんから電話。
木造住宅免震構造云々は改修工事ではなくて、あくまでも新築工事の場合だとのことでした。
でも、改修工事で免震化が実現できたら素晴らしいと思う。