2005年02月

2005/02/28(月) 溜池 
昨日は、図書館で借りてきた本の中の一冊・養老猛司著「涼しい脳味噌」を読んでいた。「IT情報社会の到来で我々の脳味噌が変わったかというと、全然変わっていない。ここ数万年人間の脳味噌は同じである。そもそも人間の本質は「感じる」ことであり、「感じる」為に体全体があるのである」というくだりで、うんなるほどと思い「細呂木の溜池」を見に行った。なんせ溜池をみるのが好きなのだ。


溜池のほとりは雪化粧された静寂の世界だ。傍らの樹木の枝葉に積もった雪のしずくが首筋に落ちてくる。パリで買ったダーバンのコートの襟をたて、ニューヨークで買った洋モクに火をつけた。


水面が撥ね上がり「バシャッ」という大きな音がした。突然のことで何が撥ねたのかよくわからない。せまりくる夕闇は、視覚を弱め聴覚だけを鋭敏にするのである。


帰路、ぼくは考えた。
「水霊が撥ねたのだろう。小さい溜池なのだから竜のたぐいではないだろうが、ともかく水霊が撥ねたのだろう。牧田くん、いろいろ苦しいことはあるだろうが人生七転び八起きやネバーギブアップやぞとぼくを励ましてくださったのだろう」とぼくは考えた。

○先日新設したアンケートを覗いてみました。
・幼児園化については賛成が多数
・中学校統合・新幹線については賛否が拮抗しています。
実は「アンケートURL]については、皆さんが項目をつくることのできるものにと思ったのですが、違ったものにリンクしてしまいました。
現在の項目及び数を残したまま、きょうのうちにバージョンアップするつもりですので、よろしくお願いします。

2005/02/27 (日) 昨日の土曜日 

昨日、午前5時に起きたら雪である。雨じゃないから紙も濡れないだろうと思い、毛糸の帽子を被りポステイングにでかけた。
かじかむ手をさすりながらしんとした通りを歩いていたら、車が止まり、友人が声をかけてきた。
うん、早起き族も沢山いるんだろう。
帰宅し味噌汁をすすって体が暖まった。

昼間は、炬燵の上に置いたノートパソコンでCAD。降り続く雪が窓越しに見える。春はまだまだなんだろう。

土日だ読書にいそしもう、ということで、夕方、図書館に出かけた。帰りに知人宅へ。何度か訪ねていつも不在だったので「体でも悪いんだろうか」と心配していたのだけれども、在宅しており元気な顔をみることができた。


帰路、本日が親父の誕生日であることを思い出し、某スーパー内の店に入りショートケーキ等々を購入。


その足で三国町へ。区内某親睦団体の総会が海岸沿いの民宿で開かれたので、簡単な挨拶をする為だ。本降りの雪で、視界はさえぎられやすく路面は滑りやすい。こういう時の運転は、ホント、神経を使う。


帰宅し、晩飯を終えてからは読書だ。このところ雑誌しか読んでいなかった
ので、どっしりした単行本を手にとると、心が静謐になった。

2005/02/26 (土) 深夜にポタージュを飲みながら

  
丸岡町が発行している「日本一短い○○への手紙」集をぺらぺらとめくっていたら、こんなのがあった。

あなたの顔の治療痕には
皆の愛がつまっているの
だから心のキズにしないでね   ○○○○(福井県 34歳)

顔のことに関しては、ぼく自身この歳までひとからさんざん言われてきたなあ。
いわく「色が黒い。ぶつぶつがめだつ」・・・エトセトラである。
つくりに自信はあっても、上記のことは事実なのだから言われて当然だ。

うん、思い出した。
昔、こどもを自転車に乗せて保育所へ送った帰り、母子連れとすれ違った時のことだ。
園児とおぼしき子が「わ!色の黒いおんちゃん」と母にささやいた。
「うーん、又言われてしもうたなあ」と苦笑したせつな、母は「そんなことを言うもんじゃありません」と、子をたしなめた。

考え癖のあるぼくは、事務所に戻ってから、その情景を反芻してみた。
子はそう見えたからそう言っただけのことであり、そこに価値判断の基準はない。
しかし、母のたしなめ言葉には明らかに、「黒いより白いほうがいい」という価値判断基準があったのだと思う。
但しその基準は
①個人としてそう思う
②個人としてそうは思わないが、社会がそう認知している
のふたつの選択肢が考えられるが・・・。

問題はそういう社会的価値判断の基準が普遍性を持っているかどうかであり、答えは当然「NO」だろう。
平安王朝の頃の美人は「うりざね顔」だったと聞いている。美意識は時代によって変遷するのである。

2005/02/25 (金) 無題 

昨日、「最近の牧田さんのホームページ、ちょっと暗い感じがする」と若い知人から言われた。そういえば先日も「日記は鬱っぽくかんじさせないほうがいい」と別の同世代知人から言われた。
うん、自戒せねばならぬ。
ひとを楽観派と淡々派と悲観派の三種類に分けるとするならば、昼間のぼくは淡々派と悲観派の中間くらいにいるような気がする。そして、就寝前の頃に悲観度が増し、起床後熱々珈琲を飲むことで楽観度が回復してくる。
あしたミサイルが飛んできたらそれで終わりなのだから、何派なんて関係なくケセラセラでいけばいいんだろうけどなあ。


ところで
朝の珈琲を飲んでいるさなか、ラジオが「1956年・昭和31年のきょう、ソビエト連邦共産党大会でフルフチョフが初めてスターリンを公式に批判した」と言っている。
トロッキーとの権力闘争に勝利し、反対派を強制収容所に送りこみ、あるいは徹底したスパイ網で粛清を重ね、独裁者を意味するスターリズムの語源にもなった男・・・とまあそれ以上詳しいことは知らないが、とにかく独裁者は恐ろしい。
○6月選挙のことだけど・・・
昼過ぎ、在旧芦原町のひとと選挙の話をしていた。
「旧金津のほうからはようけ出るらしいけど、旧芦原町では降りるひとが多いと聞いている。そんなんで選挙したら、旧芦原町の議員がぐーんと少のうなってしまう。それが心配や」と相手は言う。
これは見方が逆だ。勿論市議選が地区利害を超えた本来のありうべきカタチで行われるのならば相手の言い分に説得力があるとは言えるけれども、実情は特に郡部では地区割り選挙の様相を呈してきた。そうすると、旧芦原町からの立候補者が安定多数上位当選の可能性が高くなる。かくして我々旧金津のもんは共倒れバタバタ的様相の可能性を持ってしまうのである。


2005/02/24 (木) 火事

  
昨日の夕方、事務所の前を何台かの消防車がサイレンをならして走った。
外へ出てみると、金津小学校のあたりから黒煙があがっている。匂いも鼻につき始めてきた。近くに友人の家もあるので気になり、現場へ行ってみた。

既に赤い炎が屋根を突き抜けて上がっている。火事は泥棒と違って全てを持ち去っていく。恐ろしい。
結局、延焼せずに鎮火したのは不幸中の幸いだった。怪我人の出なかったことは、不幸中の幸いだった。

○有志議員三人で昼食を楽しんだ。場所は丸岡町。
ギョーザを食べた。本来ならば大ジョッキーを飲みたいところである。熱燗を飲みたいところである。しかし飲んだら飲酒運転になる。
そういうことでウーロン茶を飲んだ。それでも、ギョーザ・から揚げ・焼きそば・焼き飯はなかなかおいしかった。

2005/02/23 (水) ゴミ
あわら市の燃えるゴミの袋には大中2種類あるが、さらに小さい袋を出せないやろか。単身者や二人住まい世帯の場合、中サイズ袋では週一でいっぱいにならない。都会では、自治体と提携してスーパーマーケットの袋がそういうものになっているところもある」という電話があったので担当課へ行って聞いた。

「今のところ、他に聞かないけれども、そういう声が大きくなれば・・」が答えだった。
ところで、燃えないゴミに関しては専用袋廃止が検討されているという。地区内の集積場所に紙袋等で持っていき、そこで分別すれば袋代が不要になるというわけやね。

2005/02/22 (火) 雪の朝

午前7時半。雪がしんしんと降っている。

太郎を眠らせ 太郎の屋根に 雪降りつむ
次郎を眠らせ 次郎の屋根に 雪降りつむ  なのである

「つむ」が「つもる」だったならば、語尾が撥音となり静寂感が出ない。「つむ」で音の消え入る世界を演出している。このあたりが詩人の偉いところなんだろうなあ。

ぼくは太郎次郎を眠らせているのは雪だと、ずうーっと思っていた。
しかし何年か前、短歌をつくっているひとから「牧田さん。太郎次郎を眠らせているのは雪とちごうて母親なんや。なんでったら、三好達治はすごいマザコンやったからや。少なくとも短歌界ではその解釈が定説や」と言われたことがある。

マザコン・・・・。配偶者や恋人が相手男性にこの言葉を形容する時は、相当軽蔑している時であるような気がする。


2005/02/20 (日) 粉雪舞い散る朝

春季キャンプで、日本ハム・ダルビッシュの喫煙が発覚。球団は罰としてボランテイア行動への参加を彼に命じた、とTVが報道していた。
変な時代になってきた。
ボランテイアの語源は義勇兵じゃなかったか。自発的無償行為を意味しているはずなのに、これだと他律的罰則責任行為となってしまう。
球団は単に「草むしりを命じました」とか「便所掃除を命じました」とか発表すればそれでいいのにと思う。

内容を問わず社会制度の至らない部分がボランテイアで補完されている現実は勿論ある。しかし、だからこそそれは私たち自身に関わることであって、少なくともパフォーマンスであってはならないし、付け加えれば目立たず地道にが一番いい。

昨日の土曜日。
早朝、息子と共に車で福井市へ。息子を病院で降ろしたあと工事現場での打ち合わせをこなしたらもう午後1時だ。
待ち合わせしていたふたりの女性と共に寄せ鍋⇒喫茶店へと3時間のはしごをした。おもいがけないことだったが、そこで離婚云々の話が切り出された。ぼくは寡黙にじっと聴いていた。
夕方5時半、帰宅。S氏と会い、今年6月予定の選挙戦略を話し合った。

午後7時、芦原農協会館に行き山谷えり子さんの講演を聴いた。講演でのテーマのひとつが、日本社会をめぐる離婚の状況だった。
聴きながらぼくは十数年前を思い出していた。
当時ホームステイに来たロス在住米人女性・ウエンデイさんと金津小学校校庭を早朝散歩した時のこと。「私の両親は離婚しました」と彼女が言う。
続けて、「学校の通知簿には○にチェックを入れる欄がありました。・・・○トゲザー(両親同居) ○セパレート(両親別居) ○デイボースト(両親離婚)のみっつのうちの選択です」と言う。ぼくはびっくりした。
要するに、当時の米では(今もかもしれないし、あるいは海岸線都市部と内陸部で様相が異なるのかもしれないが)両親の離婚が珍しくもなんともなかったということである。

社会進出する女性群が経済力を持てば離婚数が増えるのは当然の流れだ。
けれども、夫婦はパンのみにて生くるにあらずともいう。共有している生活理念や子供は普通の場合支えなのだけれども、呪縛と感じられるようになったら離婚が選択肢になるのだろう。
その先のことは
「夫婦喧嘩は犬もくわぬ」との諺があるように、離婚云々は配偶者どおしにしかわからないニュアンスが底流としてあるのであって、第三者が軽軽に口をはさむことがらではないような気がする。

2005/02/19 (土) もう週末か

あこがれている女性の自宅近くに車を止め、ノートパソコンでこの日記を書いていた。「あら?牧田さん・・私の家の近くに来てたのね。」と女性読者はお思いになっただろうが、当然これは冗談である。

以前使っていたノートパソコンを、再び持ち歩くことにした。
昼の間外へ出ることが多く、所用の間に時間ロスの生じやすい生活なので、そのロスをノートで埋めようと思うのである。
CADの場合だと、ノートはデスクトップに比べて使い勝手がよくない。しかし例えばこの「議員日記」や「菜の花通信」などの文字書込みの場合にはそんなに差がない。
ということで、この週末、ノート持ち歩きで「議会報告・菜の花通信今月号」をつくってしまおうと思うのである。
議員が議員である限り、議会内容を発信するのは当然の義務という思いで通信誌をつくり続けている。

稚拙な手づくりだけれども、お手元に届きましたらどうぞご一読ください


2005/02/18 (金) 深夜にポタージュをのみながら

2、3日前だったか。帰宅した妻が「映画観てきたんや。アレキサンダー大王の映画や。面白かったざ」と言う。
そういえばと、週間文春で立花隆と塩野七生がその映画の解説をしていたことを思い出しながら一服していたら、「映画観に行かない?」という武生の女性からの電話があって、ぼくは「行かない」と即座に答えた。

昔は結構好きだった映画というものを観に行かなくなってから随分経つ。TVも含めて最後に見たドラマが桃井かおりの主演劇(小児病棟を扱ったものでよかった、感動した)で、もう20数年前のことだ。

その昔、友人と16mm映画上映・どさまわりふたり旅をしばらくやっていた。
上映技師の資格をとり(メアワセとかなんとかややこしかったなあ)、公民館や高校の体育館などで上映していた。フィルムを名古屋から「国鉄・芦原温泉駅」に送ってもらい、自転車でとりに行っていた。
あれから幾星霜。
この歳になると、あの頃がなつかしい。廃屋利用で名画座「場末館」を誰かつくらないだろうか。会場には椅子などなくていい。ござを敷くだけで十分だ。
寝っころがって観るほうが楽だろう。
二本立ての場合は合間に「金津三大銘水で沸かした珈琲」を出す。「越前柿」を出す。「越のルビー」を出す。地産地消をこころがけるのである。

○愛車「バナナ号」を盗んだひとよ。
即座に返してくれたまえ。ここへ返しにくるのが嫌ならば「○○に置いてあります」との電話をくれたまえ。声から足がつく恐れを持っているのならばFAXしてくれたまえ。字体から足がつく恐れを持っているのならばメールしてくれたまえ。勿論私はそういうことを詮索しない。

私はキリスト教徒ではないけれども「罪を憎んで人を憎まず」くらいのココロは持っている。君ではなくて君の出来心が犯しただけのことなのだ。
君には豊かな将来がある(ま、若いと仮定してだけど・・・)。
返さなければ君の心の傷になる。そしてなかなか消えないものなのだよ。それを私は愁うのである。

2005/02/17 (木) 昨日の一日

昨日の午前中は、知人の某寺院住職が来訪。図面みながら本堂改修についての打ち合わせをしていた。相次ぐ地震で耐震補強が叫ばれている昨今だ。それをどうするかが軸となった。
木造建物の耐震性能は、基本的に壁筋交によって保証される。しかし、寺院本堂は木造ではあってもつくりが独特だ。ロングスパンで大きな丸柱が配置されており柱間の殆どは建具だ。壁筋交など入れる余地がない。
つまり独自の補強を考えなければならないのだが、これがなかなかむつかしいのである。


午後は丸岡町役場で「坂井郡介護保険広域連合議会」が開かれた。
制度がスタートして5年が経過した。特に介護度の低い被介護者が増えている。
制度を利用する件数が多くなるのは諸刃の剣で、保険料の上昇につながる。ということで健康体回復の為、デイサービス等の施設には筋力アップの為のトレーニングマシーンが登場してきた。ぼくは別にそれが駄目とは言わないが、もっと大切なのは日々の生活環境の見直しだと思うんだ。おてんとさんを拝む生活・身近なところで畑作をする生活・それを食べる生活・屋敷内の樹木に精霊を感じる生活等々が心身をリフレッシュさせると思うのである。
ぼく自身加賀へ行く時は、山または海を選ぶ。


連合長である林田丸岡町長が行政報告のなかで、「家事サービスなどを一方的な支援としてではなく共にすることでお互いの命の尊厳を高めあっていきたい」と言っていた。至見ではあるが、障害者vs健常者世界のなかではとっくの昔に論議されていたことである。問題はゲマインシャフトの精神をゲゼルシャフトの枠組みに取り入れることが果たして可能かどうかだろう。
(追記・副連合長つまり各自治体の長の中で春江町長だけ出席していないのがとっても不思議だった。)
議会終了後ぼくは当然春江町議会某議員に「合併のことどうなってるんやの?」と聞いた。「春江の町議会は実は一枚岩ではないんや。内部でのごちゃごちゃがある」が返事だった。
「ごちゃごたやをそのまま情報公開することが明日の春江の町づくりにつながるのではないかえ」とぼくは他町のことながら言ってしまったなあ。

夜は親睦会。
他の自治体の町長や議員が周囲にいるのは稀有の体験だ。
アルコールが入ったこともあって、ぼくは
ドキュメント・「我が心のスペイン・・・姉を訪ねて三千里」をしゃべっていた。結構うけた(ような気がする)。


2005/02/16 (水) あわただしかった昨日

昨日は実にあわただしかった。
歯磨き・事務所の清掃・福井市内の某建築設計事務所での打ち合わせ・片町立体駐車場オーナーとの打ち合わせをこなした時点で午前が終わり、昼飯食う暇もなく市庁舎に走った。
午後の部は全協(全員協議会)で始まった。テーマが気になっていることだったのでぼくは何回も手を挙げて行政側に質問したなあ。
全協終了後有志議員で某喫茶店へ。メインテーマは中学校改築問題とアグリ伸輝の扱いについてだったが、段段子育ての話になっていった。
夕刻。喫茶店を出てからぼくは一路某コンピューター販売店に走り、清水の舞台から飛び降りた気持ちで21インチのモニターを買った(中古で¥1万4千8百也)。21インチのモニターで画面を見ているひとはあわら市全体でもそんなには居まいという満足に浸り、コンビニで焼酎とフライドキチンを買ってきた。
焼酎とフライドチキンを味わいながら、あわただしかった一日を反芻した。


2005/02/13 (日) 連休中の深夜

しばらく仮眠の後、午前2時半に起床。歯を磨き顔を洗いコンピューター机の前に座る。まだ新聞は配達されていないので、HPで三社の記事を読む。
読売の記事「20年前の拷問、服役の元警官が現職大臣と和解…韓国」が目についた。
熱々珈琲で体がじわじわとあったまってきた。さあ、頑張ろう。


2005/02/12 (土) 議員HP 

福井県内でHP・URLを持っている議員を紹介するサイトがあります。

それぞれのHPをあけ表紙をみるとどうも製作プロ依頼派と自己流手づくり派があって前者が圧倒的に多いような気がする。
政策に関する類型的な言葉と全体のバランスを考えたコンテンツの並びあるいはしゃれたカラーコンデッショニングに特徴のあるのがプロ依頼派で、私のように試行錯誤で始めた手作り派には真似のしようがない。素朴無骨の域を出ることができない。
しかし、それもまあひとつの自然体スタイルだと思っています。

○ええっと・・・、議会報告に書込みを入れなければと思っているのですが、このところ時間とのタタカイです。数日中に入れたいと思います。

○妹の娘(高校生)が水泳のやりすぎで体を痛め一年間の休学中。ぼくも気になっていたのだけれども、最近回復し始めたという。がむしゃらに見合う休養が必要だったのだろう。よかったよかった。


2005/02/11 (金) 小寒波襲来

 
久しぶりにさかいシテイネットe戸端会議を覗いてみた。
三国・坂井・春江・丸岡四町合併に関する投稿が沢山あって、かっての金津町HP「みんなの会議室」の盛況を思い出す。
上記四町によく知っている議員がいるわけではないので、経過の仔細はよくわからないしこれから先どうなるのかもよくわからない。

数年前、合併に関する講習会やパネルデイスカッションに出たり視察研修に行った先での講師やらの言い分はおおむね「平成の大合併は政府によるアメとムチ政策である。膨れ上がった国の負債を自治体の自助努力によってカバーしてほしいというもので、すれば特例債を与えしなければ交付税を順次減らす。Σ10万程度への広域化がモデルである」というものだった。

先のあわら市合併の時同様、今回の合併劇に際してさまざまの意見をお互いに交わしあうことができるのは明かにIT社会の成果だし、地方議会などもCATV中継でどしどし発信していくべきだと思う


2005/02/10 (木) 暖かい深夜

魚住昭の「NHK番組改変劇・暗黒の5日間」を読んだ。ここで書かれていることが事実でないとするならば、ふたりの国会議員もNHKも魚住を名誉毀損で訴えるしかないのではないか。

なにか大きな事件が起きるとマスコミはそれをセンセーショナルに取り上げかつ何人かの識者に批評をしゃべらせるし書かせる。我々大衆はそのホットな意見に「うーん、なるほどそうなんか」とうなずくしかない。
しかしぼくはいつも思うのだが、いくら識者といえども事件と同時並行に書く批評に自信を持てているのだろうか。
識者の記憶袋にある型を通しての一般的解を発信することはできるだろうが、個別的解に至るまでには、望遠鏡や顕微鏡使用による検証の為の時間の経過というものが必要だと思うのである。

速報性を信条とする電波や新聞にそれを求めるのは、八百屋で魚を買おうとすることかもしれないが。

○いつもは眠っている時刻にサッカーW杯アジア最終予選・日本vs北朝鮮をTV観戦していた。いい試合だった。どちらもご苦労さん。
それにしても再三映し出される日本GK川口はいい顔してた。
思い出したのが日韓共同開催の前回W杯で、あの大会は独GKカーンの為にあったんじゃないかとぼくは思っている。
チームメートに激を入れる時のいかつい形相も、決勝で破れた瞬間へたりこみ中空を見詰めるうつろな表情も素敵だった。
守護神と呼ばれるGKはそれゆえに人一倍強い責任感を身につけているのだろう。

でもまあ、そうはいうもののぼおーっとしてる男の顔も好きだなあ。
56年間も生きてくると友人もそれなりにいる。煙草くゆらしながらいろんな友人の顔を思い浮かべる時、必ず、Aの場合は笑顔・Bの場合はしかめっ面・Cの場合は哀愁顔・Dの場合は無表情というふうにパターン化されている。パターンがさまざまだ。偽善が漂う顔以外は全て好きなのかもしれない。

2005/02/09 (金) 暖かい深夜

昨晩。「我が心のスペイン」を書いていたら疲れてしまいはやばやに寝た。
あけて本日は、午前3時起床。コンビニに行き、煙草と「ほうれん草ポタージュ」を買う。新聞読みながらすするポタージュで体があったまってきた。ウオーミングアップやね。

そこで都都逸をひとつ
キャドにはいろか 通信誌かこか そこが思案の しどころよ

さて
先週末から今週始めにかけて、幾つかの場所での・来訪していただいての・固定電話での・携帯電話でのあるいはメールでの「選挙頑張らなあかんざ的激励」のお言葉のいろいろどうも有難うございます。
ちょっとバタバタしていた家庭のほうも2月に入り小康を保ち始め、何を頑張ればいいのかよくわからないなりに頑張らねばとの思いが強くなってきております。

○本日の午前中は「教育厚生常任委員会」が開かれる。
恐らく、中学校建設のことが中心議題になるだろう。じっくり聞き発言しかつその経過を上記コンテンツ「議会報告」に書き込みたいと思っております


2005/02/08 (火) 無題

ダイエーが発表した店舗数縮小計画に対する反対の波紋が広がっている。
思えば20年以上前大店舗規制法が緩和された頃から地元中小商店の衰退が始まった。
○○商店の看板がどんどん減り、指物屋はサッシュメーカーの代理店となり、煙草屋は自販機の置き場化されて売り手のばあさんの顔は見えなくなり等々。
結束して頑張っている地元商店街もあるのだが・・・。
結果として大店舗に頼る消費構造の進捗を余儀なくされるなかで、今になって撤退されてしまうならば一番困るのは自動車を使えないつまり高齢者世帯である。

何年前だったか私の地区にあったスーパーマーケットがつぶれてしまいスーパー不在期間が2.3年続いた。その間近所のじいさんばあさんたちの「困ったこっちゃ」の嘆きは相当なものだったぞ。

東京の都心部に住む妹が「東京は老人にとって住みやすい街だと思う」と言っていたが、大都市中心地方切り捨ての動きがこういうところにも現れてきている。


全国知事会会長に石原慎太郎東京都知事の名前がとりざたされているが全国で唯一の不交付団体つまりお金持ちがなったってそりゃ国にもの申す力はあるのかもしれないがもの申す方向が心配だ。経済力が即政治力になるのはいけない。政治の意味が失われる。
やっぱり弱小県のなかでの理論家知事が長になるのが一番いいと思う。

○例えば老人ボケといったかたちで使う「ぼける」の語源は「ほうける」だろう。「遊びほうける」とは遊びに夢中になるくらいの意味だ。「他のことが目に入らない」がニュアンスとしてある。

ぼくはこの用語を肯定的に捕らえたいと思うのである。
確かに理性のタガが外れるのだから喜怒哀楽の波に拍車がかかり周囲に多少の迷惑をかける。しかし「理性的・理知的」とはいったいなんぞや。
こうありたいという自分よりもこうみられたいという自分を大事にするということだろう。
シャバで生活する我々は、程度の差こそあれ他人に色目使いつつその意味での化粧を余儀なくされているとひとまずはいえるのだがエライサンと呼ばれるひと程化粧が厚い。絶対にそう思う。
・・・慇懃無礼に振舞う心の奥底は計算されている。
うん、「巧言令色少なし仁」というではないか。


2005/02/07 (月) 週のはじまり

土曜日の夕方、「化学物質過敏症の特集をTVでやっているよ」という電話が友人からかかってきたが、あいにく出かけなければならないのでTVを観ることができなかった。

環境問題は、なにも産廃施設のことではなくて生活の足元にある。
あかちゃんを刃物で刺殺するなどの異常事件が新聞を賑わしハイテク機械で偽札が出まわり広域詐欺が横行するこの社会は数十年前には予想できなかった人工的な社会だという気がする。
建築や食やの生活環境に化学物質が入りこんできた分だけ自然の一部でしかなかったはずの我々人間のメンタリテイが変わりつつあるんじゃないだろうか。
○朝起きたら吐き気がする。
気分転換にと久しぶりに加賀の道を走った。山道は工事中だったので諦め、市街地に戻った。


喫茶店でココアを飲みミックスサンドを食べた。窓越しに残雪を見ながらいろんなことを考えていた。ひとりの嫌な男(勿論あわら市在住の有権者の方ではございません)のことを考えていた。考えたところでどうにもならないことは世の中にいくらでもある。そう思って喫茶店を出た。
帰路、気分は回

2005/02/06 (日) 春の兆しの日曜日

昨晩は、区内某会の新年総会ということで芦原温泉にいた。
総会のあとは親睦会だ。杯傾けつつ四方山話をするのだが、この時節どうしても市議選が話題のなかにでてくる。耳障りのいい言葉悪い言葉ないまぜにいろいろ頂く。いい言葉は忘却の彼方へ去り、悪い言葉が耳に残る。
これは大切なことだ。

明けて今朝は消防署署員による防火講習会。年々火災件数が増えているということで、自動火災報知器の住宅での設置が義務化されたという。これは初耳だった。

途中抜け出して檀家寺の総会に出席。昼過ぎに帰宅したのだが疲れを感じそのまま就寝。起きたら午後4時だ。鉢巻しめて仕事開始。


2005/02/04 (金) 昨晩は外交

手話サークルの定例会場所となっている市姫荘2階が現在改修中。
ということで、昨晩の午後8時に数人が私の事務所に集まった。うちひとりのNさんが自宅でホームステイをしているロシアの青年を連れてきた。
ウラジオストック在住、24歳で物理院生の彼はどうも日本にあこがれをいだいているみたいだ。ロシアは景気が停滞していて学問で飯を食うのがむつかしいと言っていた。
最近の大統領=プーチン・エリツイン・ゴルバチョフいずれにも好感を持っていず例えば「ゴルバチョフのペレストロイカというのは要するに何もしないうちに周辺諸国が離れていったということです」と言う。ロシアマフィアという組織があって犯罪の匂いのある国でもあるそうだ。以前あごひげをしていた時、テロリストと間違われて警察に捕まりそうになったという。
うーん、♪・・りんごの花ほころび・・の「カチューシャ」の国のイメージがちょっと壊れてしまったなあ。

「ロシア極東はモスクワから離れるべきだ。ぼくが生きているうちに、日本の県のひとつになったらいいと思っています」とお世辞みたいなことを言うので「うん、環日本海経済圏・アジアのユーロ地域実現を目指して頑張ろう」と答え、堅い握手をして別れた。

私の家にも、過去計4人がホームステイに来ている。1人=米、3人=露で全て妙齢の女性だった。彼女達、今ごろどこで何をしているのだろうか。
○本日の昼飯は某所にて食った。有志議員が集まっての食事だった。
肉丼だった。
テーマは
①三月定例議会で出てくるであろう案件についての討議
②6月市議選にむけての情報交換
だった。


2005/02/03 (木) 深夜に思ったこと

    
13歳の少年があの「葬式ごっこ」で遺書を置いて自殺したのが昭和61年2月1日だから、ちょうど19年前のことだ。
同級生たちが少年の机の上に写真を飾り花や線香を添え、置かれた色紙には「追悼」と書かれ「やすらかに」と書かれ、あろうことか担任を含む四人の教師のメッセージや署名もあったという。
いじめの気分がはじめからあったのか悪ふざけが昂じたのか常識的に考えればはじめから殺意ありきではないかとさえ思われるようなその異常さに言いようの無い気分になったのを覚えている。

ぼくがPTAにいた時も勿論「いじめ」が表面化したし、あるいは役場の職員から上司や同僚やとの関係での悩みを聞いたり、夫婦間の冷えで友人が自殺したり、夫の暴力に辟易するひとの話を聞かされたり、あるいはぼく自身がいじめられたりもしかしたらいじめたりと、性悪なところを併せ持つのが人間というものだとひとまずはわきまえているつもりだけれども、上記の事件は突出して異常だった。

少年を取り巻く教室という世界が、まるで凍りついていたという気がする。


2005/02/02 (水) タイガースいのち

 
日本海側大寒波のなかで、昨日二月一日プロ野球がキャンプインした。
40年間阪神タイガースだけを愛し「六甲おろし」を唄い続けてきたぼくにとって、ソフトバンク・ダルビッシュ・巨人・新庄・楽天・一リーグ制・上原・ニリーグ制・中村・ライブドア・ナベツネのことなどどうでもよく、眼中にはピッチャー井川の動向しかなかったが、とりあえず今年は阪神にとどまることになりよかったよかった。
来年彼がMLBに行く可能性を考えると、今年優勝できなかったらぼくの存命中の優勝はもうないだろう。
一昨年星野監督指揮下で優勝したタイガースだが、もうひとつ遡ると昭和60年だ。全日空機が山中に墜落し500人以上の死者を出した悲劇の年でもある。

四番ランデイー・バースの前後を岡田、掛布でかためライオンズから移籍してきた真弓がトップバッター、同じ若菜がキャッチャーだった。既に江夏が出ていっていたので、押さえの山本を除いて投手陣は目立たなかったが、とにかくよく打ったなあ。うん、若狭の星・川藤幸三も代打として活躍した。
常勝チームになってしまったらこのチームの特色は失われる。浮き沈みのないチームなんて浮き沈みのない人生と同じだ。
ぼくはそれを懸念するのだけれども、やっぱり優勝してほしいという思うのが矛盾してはいるがファン心理の一面だと思う。

○火鉢水槽は雪と氷に閉ざされている。
メダカ20匹はひもじいのではないだろうか。
大丈夫なんだろうか


2005/02/01 (火) アフリカ

ついに寒波がやってきた。
午前3時起床。寒い、寒い・・・サミー・デービス・ジュニアである。
ダーバンのコートの襟をたて、路上に立った。
漆黒の闇と舞い降りてくる雪の白のコントラストは見事としかいいようがない。雪を手にすくい事務所に入った。

豆砕き熱々珈琲キリマンジャロを備前焼の茶器で呑む。茶器の銘は藤秀郎・範乃助とある。作風から推察するに享保の頃の下級武士の作品ではなかろうか。

アフリカ大陸最高峰・キリマンジャロの頂きにある雪とここ金津の雪とは味が同じだろうかと思いながら、手の掌の雪をそっとかじってみた。
ラジオのスイッチをオン。深夜ラジオでは、ボランテイアとしてアフリカ大陸に渡りスラムの地の貧困と日々戦っている女性が、現状を訴えている。

2年程前、経済通のひとに「日本国の借金はひでえもんや。その日本が何で海外経済援助をしなあかんのやろ?」と問うたところ「借金の担保能力はちゃんとある。つまり経済大国としての当然の義務やね」という答えが返ってきた。

そういえば、事務所の郵便ポストに、ユニセフからの手紙が入っていた。「あなたの三千円のカンパで、アフリカの408人の子ども達の命を救うことができます」と書いてある。

将来の自分を考えた。
「老人海外協力隊」という団体があるのかどうかは知らないが、もしあるのならばその団体を通じてアフリカ大陸に渡り建物建設の分野で頑張ってみたい」と考えた。