2005年04月

2005/04/30 (土) 昨日の一日

Qクンがテーブルを改造してくれたお陰で10人が座れるようになった。ありがとう。
もとをたどればマーブくんがつくってくれたものである。ありがとう。

ということで、昨日は、事務所の模様替・整理にいそしんでいた。


2005/04/29 (金) 性格改造

昨晩の某飲食店。小さなグループが、ぼくの為の激励会を開いてくださった。何の激励会かを書くと、公選法にひっかかるかもしれないのでそこは書かない。
ビール・焼酎でちょっといい気持ちになりながらの雑談だ。
そのグループの中には、敬虔なクリスチャンが居て法華宗の僧侶が居て浄土真宗の寺の娘が居て、「うーん、ここにイスラム教信者が居れば宗教交流世界平和実現の為の小さな会となるのだがなあ」と思いながら、ぼくは寡黙に飲んでいた。

突然、隣のテーブルのグループの中から「牧田さーん、こっち来て挨拶しねのお」の声がかかった。振り向けば愛じゃなかった、知人だ。
ありがたいことなので、そのテーブルの際に立ち、ぼそぼそと挨拶した。
ぼくは人見知りする性格なので、知らない人達の前ではぼそぼそとしかしゃべることができない

2005/04/28 (木) 早朝の風景

早朝、某地区の道端。インターネット対応可能としたノートパソコンでこれを書いている。
見上げれば、ぼくがあこがれている女性の家の屋根がみえる・・・。
「あーら牧田さん、私の家の近くに来ていたのね。玄関ピーンポーンしてくれればお茶でもだしたのに・・・」と思う女性読者が沢山居るはずなので、これは冗談ですと一応言っておかねばなるまい。


早朝の風景・みっつ
何の変哲もない使用済瓦置場のように見えるが、実は違う。
雑草の繁りでよくわからないかもしれないが、写真前部分と後ろ部分にはおおむね4尺のレベル差がある。
つまりこれは擁壁なのだ。コンクリと違ってなんと味のある擁壁であることか。循環経済を考慮した下金屋地区のひとたちの叡智がうかがえる。
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細呂木から吉崎へ抜ける旧街道の入口にある切通しで、ぼくはここを旧金津三大風景のひとつだと密かに思っている。
何年か前の冬、この切通しを歩いた。
雪に埋もれた崖に一輪の赤椿を見つけ、ため息がでた。
日常、この切通しと付き合うことのできる細呂木地区のひとたちは幸せだ。
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未明に何度も訪れたことのある東山の大堤。
坂井郡内で、加戸の堤につぐ大きさを誇る。
一度、深夜にここへ来て三脚を構えたことがある。
カメラはライカF38・望遠レンズはニコンで筒長さは使用時38cm(収納時15cm)・経口は42mm。
勿論、堤の精霊(ネッシーじゃなくてヒッシーか)をフォーカスするためだった。
この堤を持っている東山地区のひとたちがうらやましい。
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2005/04/27 (水) 昨日の一日 

昨日の午後3時前、ふと思い立って銭湯に行った。350エン也を払って脱衣場へ。この時刻、誰も居ない。貸切の気分である。
手ぬぐいを頭にのせ、広い浴槽に肩までつかり、思いきり手足をのばした。
ちんぽこも おそそもわいて お湯の中
という種田山頭火の句を思い出した。

手ぬぐい片手にぶらり歩きの帰路、車が横に停まった。某自治体公務員である。事務所に招いて豆砕き熱々珈琲キリマンジャロをご馳走した。

夜は、妻と共に三国⇒向ヶ丘⇒古町⇒東山のドライブ。

帰宅して晩飯時のTV画面は、ヤクルトvs巨人でヤクルトがリードしている。内紛ごたごた続き(と週刊誌に書いてあった)で連敗中の巨人がなんだか可哀想になりスイッチオフ。布団に入り、山崎豊子著「二つの祖国」を読みながら早々と就寝。


2005/04/26 (火) 脱線事故

「JR宝塚線で大事故発生」の第一報を聞いたのは、ラジオテレビではなくて妹からのメールだった。宝塚市在住のぼくの友人の安否を気遣ってくれてのメールだと思う。
今月初め、その友人宅に泊めてもらい奥さんの手料理に舌鼓をうったばかりだ。すぐに自宅に電話したのだが、ずーっと話中。夜の電話でやっと通じた。

若い頃一度轢死体をみて数日間食事のできなかったことがあるが、脱線現場の閉じ込められた車両内の悲惨さは想像を絶していたはずだ。
亡くなられた方々のご冥福を祈ります。


2005/04/25 (月) さあ 又月曜日だ

昨日の日曜日は坂井町までの一往復以外事務所に閉じこもり、パソコンに向き合っていた。本日の夜迄に処理しなければならない作業がある為だ。
昼間出歩くことの多い日常を送っているので、一日中のパソコンデスクはりつけで少々の苦痛が残ってしまった。ひとがストレスを感じるのは慣れないことをする時なのだろう。

熱燗を飲みながらの夕食時、TVは新ローマ法王誕生のニュースを流している。一神教世界のことはよくわからない。法王が選挙で選ばれるなんてことは全然知らなかった。
思い出したが、バチカンも中国ににらまれている。何故ならば台湾を承認しているからだ。
しかし
国家は普通の場合根幹において政治経済を体現しており、外交とはその尖兵みたいなものだ。だけれどもバチカンの場合は全世界に分布する信者にとっての象徴だ。モノではなくてココロの交流の拠点なのである。「ひとはパンのみにて生くるにあらず」という有名な警句もつまりはこのことの謂いだとぼくは思うのである。


2005/04/24 (日) 無題

今朝午前5時半の旧芦原町・井江葭で見た風景。
用途は判然としないが、何かに使われていたシャクダニ石が積重ねられている(うーん、シャクが漢字変換で出てこない)。
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この石の足羽山における採掘は、既に中止となっている。
住宅設計の際、玄関や風呂洗い場の床にこの石を敷きたいという施主からの要望がよくあった。
上質の石の場合、例えば洗い場にお湯を流すと、瞬間青味がかるのである。それが日本家屋独特の微妙な味わいの一要因となるのである。
メーカーの進出で、現在のお風呂といえば殆どがシステムバス。
隔世の感がある。

2005/04/23 (土)  もう週末か

土曜日だ。世間は休みの日である。ということで、しばらくの間、橘曙「たのしみは」を読んでいた。

たのしみは 珍しき書(ふみ) 人にかり
              始めひとひら  ひろげたる時

たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどい
               頭ならべて 物をくふ時

たのしみは まれに魚煮て 児等皆が
                うましうましと いひてくふ時

たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に
                我とひとしき 人を見し時

正岡子規が、レトリックを駆使しない自然派・万葉派だと誉め称えて、足羽山の庵で生涯を終えた幕末歌人・橘曙を世に出した。
確かにほんわかとした味があると思う

2005/04/22 (金) 区理事のみなさん 昨晩はご苦労様でした 

今朝の5時前、未明の旧芦原町某集落。
道端の地蔵の前を合掌しながら歩き回っている女性とすれ違った。
必死の表情が伺えた。
恋の成就を願うのか、捨てた男を恨むのか、病の亭主を想うのか、子の行く末を案ずるか。

通常の場合、お百度参りというのは神社境内でするものだが、日本の場合は多神教なのだからどこで何に願っても構わないと想う。
若かった頃のぼくは、一時期公衆電話お百度参りというものを実践した。
好きな女の子に公衆電話ボックスから何度執拗に電話しても「貴方と会うつもりはありません」と断られてしまう。うーん、こんなに魅力的なぼくを拒否するのは相手のせいではない、公衆電話に対する畏敬の念が足りないのではないかという思いに至ったからである。

でもまあ、昨今の社会情勢でこんなことをしたらストーカーととられるかもしれないなあ。

2005/04/21 (木) 継続

このHPの総カウント数が119900を超えている。一両日中に120000を越えるかもしれない。とてもありがたいことです。

町議一期目の任期半ば、ぼくのパソコン道にとっての師の師のその又師の筋にあたるひとが「牧田はん、議員やってるんやから報告日記書くのは義務やざ。書きねの」と言ってHPの書込方法を教えてくださった。その時の追加言葉が「書くなら、毎日やざ」だった。
書き始めた頃は、議会のことに限定していたのだが、徐々にマンネリを感じそれに応じて議会私的生活混在枳殻日記風に変わっていった。
それは退嬰の印なのかもしれないが、実のところその方が継続することに気がついた。人生は継続だ。

ぼくの友人のお祖母さんが長寿を全うし息を引き取るとき、枕もとの面々に向かって
「うらはのう。ながいこと生きてきたけど、一日たりともとばしたことはなかったざ。これだけは自慢できる」とつぶやいたそうだ。

素敵な言葉だと思いませんか

2005/04/20 (水) 中国問題

5時過ぎに目が覚めたら、外は既に明るい。
事務所に入り、豆砕き熱々珈琲を飲みながら新聞を読む。
目に入ったのは、中国の反日デモ報道についての経過記事だ。
一党独裁の国・中国の報道の姿勢に恣意性があるように思えて非常に気分が悪い。
中国の若者達の動きを促進したのはインターネットによる情報発信であり、これは現代版壁新聞と言えるだろう。かっての壁新聞が、故毛沢東による国家意思に遠隔操作されていたことを思ってしまう。
インターネットによる発信自体がその本質において自由無制限であるとしても発信する前提としてのマスメデイアからの情報取得が単一ルートだったら危険にならざるを得ないのだ。

ロシアの女性達のホームステイを複数年受け入れたり、中国人女性達と河野村へ冬の味覚「越前蟹」を食べに行ったことのあるぼくは、その日露中友好の経験をするなかで、環日本海経済圏が実現できないものかと密かに思っているものだが、中国が一党独裁を止め複数政党複数メデイアの国家体制を実現しない限り無理だろう。
しかしあのアンビリーバブルな人口を擁する中国という国家体制の統御は一党独裁でないと無理だという話を聞いたことがある。

そこで、蟹食いに行った折、「中国図体軽量必要 台湾独立許可必要 
我推薦 中国複数分割 」と、(勿論日本語で)石原慎太郎みたいなことを言ったら、「貴方駄目 貴方駄目 駄目駄目 貴方意見内政干渉 
貴方魅力的男性 駄毛度 我否定貴方意見」と怒られてしまったなあ。


2005/04/19 (火) 田圃の夕暮れ

昨日、ぼくは伊井周辺の知人宅を訪ねた。
田植えの時期が近づいており、田圃にはられた満面の水が、夕闇のなかで湖水面のように見える。水面の幻惑を描いた阿刀田高の短編を彷彿とさせる。

帰途、コンビニでスポーツ新聞を購入。選抜甲子園優勝校・愛工大名電に関する片隅記事を読んでいて思い出したことがある。

十数年前の甲子園高校野球の決勝戦は帝京vs報徳学園で、下馬評は帝京圧倒的有利だった。前夜の記者インタビューに対する報徳学園監督のコメントは
「実力でいうたら帝京さんが横綱で、わたしらのチームは幕尻というところです。勝つ可能性は限りなくゼロに近いです。しかし・・・ゼロに近いことと、ゼロとは全然違います」だった。
そして勝ったのである。人生、ネバーギブアップだ。

○先日、卒業以来会っていない中学校の同級生(女性)の自宅を訪ねた。
チャイムを鳴らし、玄関先に出てこられた姑さんに「○○さん、いらっしゃいますか?」と尋ねたところ「私が○○です」の答が返ってきた。

目から火花がでるほど恥ずかしかったなあ。
我々の世代は既に決して若くない。顔にようけの年輪を刻んでいて当たり前なのである。

2005/04/18 (月) どんより模様の朝

昨晩は、遠方の友人宅で長い話をしていた。帰宅し、はやばやと布団に入る。添寝本は「40億年生命全史」。この手の本を読んでいると壮大な気分になる。
そういえば二年ほど前地球の歴史45億年を一年間に換算したことがある。

恐竜絶滅が大晦日の5日ほど前。源平合戦が5.6秒前。ひとの一生を最長100年としても、換算カレンダーでは0.7秒くらいだったと記憶している。
つまり地球様からみると、我々の人生は鼻をかんでいる間に消滅するかげろうのような存在でしかないということだ。
ならば、小さいことにこだわらず日々を生きていきたい。

ということで、論語のひとつを思い出した。

小人(しょうじん)は同して和せず
大人(たいじん)は和して同じず    ・・・含蓄のある言葉だと思います


2005/04/17 (日) 公選法に触れないように書かねば

昨日の土曜日。
事務所内部のレイアウト一新を決意。土曜日だが日曜大工をするための釘金物を買おうと某DIY店へ行った。

店内で出会った何人かのひとから、「今度の市議選、あんたが一番危ない。頑張んねの」と激励された。
レジを通過し、駐車場へ出たところで、知り合いの高齢者とばったり。「わしはインターネットしてる。あんたのHP覗いてるぞ。」と言われた。
たまにHP覗いてるよと言われることがあるが、高齢者からこの言葉を頂くのは珍しいし、かつ特に嬉しい。

夜は、区民館で合同委員会が開かれた。テーマはわたしのこと。
いろんな意見が出て、喧喧諤諤ともなった。当たり前のことだが、ひとはひとりひとり違う。それぞれに違うことが大切なのである。
ぼくは、寡黙に有難く拝聴していた。

○本日の新聞に、「手話で授業保障を」の見出し記事が載っていた。日弁連の意見書だ。
内容を読むと
「母語である手話で教育を受ける権利が侵されている」あるいは「健聴者のように話すことを最優先し、手話は日本語の習得を阻害するものとされてきた」とある。

今はやりの言葉・ノーマライゼーションを考えた場合あるいは少しでも手話をかじったひとならば上記の意見書の正当性を疑うことはできないだろう。ぼくら健聴者が無意識のうちに差別する側に立ち続けてきたことへの警告書であると、ぼくは思う。


2005/04/16 (土) 瓦地蔵

今朝の6時。下金屋の道端で見つけたお地蔵さんの御堂は4枚の瓦でつくられていた。周囲の雑草に殆ど埋もれているミニサイズ。
とっても可愛い。

仏の脇仕は地蔵と観音が代表だ。
慈悲をぼくたちに与えてくれる観音と比べて、地蔵はすごく身近な存在に感じられる。

2005/04/15 (金) 人麻呂

ひんがしの 野にかぎろひの 立つみえて
   かえりみすれば 月傾きぬ     柿本 人麻呂

縄文おじさん・梅原猛の解説によると、「かぎろひ」は勃興してきた藤原家一族を意味し、「月傾きぬ」は持統天皇の崩御を意味している。
つまり藤原一族に対する嫌悪と持統朝に対する愛惜を対比させているわけだ。

ひんがしの 朝陽に匂ふ桜花
   かえりみすれば ゴミ積もりきぬ  牧本 牛麻呂

2005/04/14 (木) さあ夜明けだ ポステイングだ

昨日、同僚議員と携帯電話で長い話しをしていて、その時つくづく思ったことだが・・・・。

わたしは生来の恥ずかしがりやで遠慮がちの受動的性格だ。
人をだますほどの度量がなく(ま、半生で何回かはあったかもしれないが)、だますくらいならだまされたほうがいいと思ってしまう。

悪口を言うくらいなら(ま、半生で何回かあったかもしれないが)、言われたほうがいいと思ってしまう。

ひとを愛するよりも(ま、あったかもしれないが)、愛されるほうがいいと思ってしまう。

あつかましくふるまうよりも(ま、あったかもしれないが)、紳士的にふるまいたいと思ってしまう。

無限の襞を内包しているのが人間だし、気質とはそのうちのある部分の顕在化にすぎないのだから、性格によしあしはないだろう。

けれども、今の時期だけは、
もう少し自分にあつかましさがあったらなあ、と思う。


2005/04/13 (水) どんより模様の今朝

今朝のラジオで、「大阪のアダルト配信系会社が架空請求詐欺容疑で捕まった」というニュースが流れていた。
そこで、昨日何件かの知人宅を挨拶まわりした時のことを思い出した。
「相談があります。こんなん覚えがないんやけど・・」と言う相手からみせられた葉書には、「これは架空請求ではありません云々・・・」の仰々しい脅し文句が印刷されているのだ。

10日ほど前には、わたしのパソコンに同じような文面の請求書が入っていた(どうもアダルト系みたいだった)。

愛は無償の心からを座右の銘としており、アダルト画面など見たことのないわたしにとって身に覚えのあるはずはなく、さっそく添付されている番号へ電話した。
何十回か電話してやっと通じた。

相手 「いや契約されているはずです」
わたし 「契約する為には契約条件の提示が前提だ。そんなん常識だろう。契約条件すらわからない契約を主張するあなたがたは捏造者だ、詐欺者だ」
相手 「わかりました。解約しておきます」
わたし 「解約もくそもあるもんか。はじめからなかった架空契約をメールしてきたために、小心なわたしのココロはちじに乱れたのです。つまり一種の脅迫を受けたということだ。わたしはあなたがたに精神的苦痛を受けた損害賠償を請求する権利がある」
相手 「いや、それはできません」

との返事で、電話はきられてしまった。


2005/04/12 (火) 深夜ラジオで♪「この広い野原いっぱい」を
聴きながら

昨晩は、妻と一緒に夜の散歩を楽しんだ。道端の夜桜がことごとく満開だ。四季のなかで最も美しい夜をぼくたちは味わっていたことになる。

帰宅し、熱燗一合を楽しむ。つまみの鰯を食べながら、一昨日の客人の「鰯はEぞ。安いし、血液の循環をよくするぞ」という言葉を思い出していた。魚へんに弱いと書く鰯はその栄養豊富故に他の魚の格好の餌食にもなっている。捨身を実践する崇高な魚なのである。
とかなんとか思いながら、午後10時就寝。今朝は2時半に目が覚めた。

洗顔し事務所に入るとき、駐車場に植えた山桜が目に入った。蕾が割れて花弁が開き始めている。感動したなあ。
同類が満開のなかで、遅まきながらのデビューである。咲くことが大切であり早い遅いはどうでもE。
ひとの一生も同じだろう。遅々としてではあっても1歩ずつ歩む。
それで充分だ。

2005/04/11 (月) 昨日の一日

午前10時から市姫荘で「あわら市身体障害者福祉協会定期総会」が開かれ、ぼくは手話通訳者として脇に立っていた。
会長あいさつのあと、先ずは会長表彰。厚生援護功労者として、川崎さん・廣部さん・松井さん・山崎さんが表彰された。次に、市長と議長の来賓祝辞があり、その後議事に入った。11時半に総会終了。その足で坂ノ下区八幡神社境内へ。

満開の桜の木の下での花見の宴だ。酌み交わしていた相手のコップ酒に一輪の花びらが舞い降りてきた。

花見はロマンなのである。E気持ちで帰宅し、夕方まで布団のなかにいた。

午後7時からは区の理事会に出席。9時に終了した。
その後所用をこなし、11時半に帰宅。
インターネットで、タイガースの勝ちとジャイアンツの負けを確認した。
E気持ちで就寝。

2005/04/10 (日) 火災防御訓練

熟睡し目が覚めたら午前6時10分前だ。バタバタっと作業服に着替え車を走らせた。
午前6時、吉崎・汀公園前で、嶺北消防組合・あわら消防団主催「春季火災防御訓練」が実施されたのである。
つい先日、富津で住宅全焼火災があった。ぼくの家の隣家作業場が燃えたのは10数年前だった。火災は本当に恐ろしい。
日夜訓練を怠らず不寝番をする消防団のひとたちは、いわば縁の下の力持ちでありえらいなあと思う。

集まっていた吉崎区民のなかに友人がいた。何年かぶりだ。挨拶をししばしの間の会話。なんとなくほのぼの気分になった。


2005/04/09 (土) 桜

今朝の6時、陽気に誘われたぼくは何故か舟津公園界隈を歩いていた。
見上げると桜が咲き始めている。春なんやねえ。



敷島の 大和こころを ひと問はば
   朝日に匂ふ 山桜花  
      と歌ったのは江戸期の国学者・本居宣長だ。

小林秀雄は主著「本居宣長」のなかでこの歌をとりあげ、「匂う」は鼻に匂うではなくて、鮮やかにはっきりと見えるの意だと解いている。
しかし、並木を見上げていると、やっぱし花弁が鼻に匂ってくるようなファンタジックな気分になるなあ。

そういえばあしたは、坂ノ下八幡神社境内で花見の宴が予定されている。久しぶりに飲むのである

2005/04/08 (金) 昨日

少々寝こむ時間の多くなってきた親父のために、と言うお袋と一緒に移動ベッドを買いに行って帰宅したぼくに「ケーサツだけど」の電話が入った。

人生とは善行の積み重ねであると信じているぼくにとって、悪行は勿論無縁だ。ドキっとしたが、何のことはない、知り合いの警察官だった。
会って四方山話。
しゃばにはいろいろ悪いひとのいることを教えられているうち、うーん、性善説はもうなりたたないのか、清濁併せ呑むのが人間というものなのかと人間観の修正を考えてしまった。ぼくは石頭なのかもしれない。

CADを終えた夕刻からは行脚。
某地区某知人宅玄関での立ち話の相手は日々夫の介護にいそしむ奥さんだ。話を長い時間聞いていた。そういえば、近所のひとから介護のことで、行政がらみの相談を受けることが多くなってきた。
日本は高齢化社会を経て高齢社会に入っている。


2005/04/07 (木)  第10回配信

恥ずかしいのでひとにはあまり言っていないのだが、ぼくは「菜の花通信」というA4版裏表刷通信誌を、知っているひとたちの自宅に月極でポステイングしている。今月号を刷り終えたので配信を開始した。

月極にしてからの第一回配信が昨年の5月で、今回が10回目(何故なら2回ずる休みをしているからだ)。
始めのうちは歩きにとまどうことが多かったが、5回目くらいからリズムにのることができたように思う。

これを始めてよかったと思う点を列挙すると
①例えダイジェストであるとしても、現職議員が議会報告をする義務を遂行していると一応自覚できる。
①足腰が丈夫になりスリムになった。
②家の意匠や敷地内のアプローチに、集落毎の特徴のあることがわかった。
③あわら市内の至るところで小さな自然と出くわして感動を頂いた。
④玄関先の立ち話で、行政に対する不満をいろいろ拝聴することができた。
但し④についてはこんなことがあった。
夜、知人(女性)に玄関先でばったり顔を合わせた時のことだ。
相手はいきなり「あーら!牧田さんだったの。いきなり黒い影が現れてわたしどきっとしたわ。ストーカーかと思ったわ」と言う。
30代・40代の妙齢女性ならともかく60前後が言うのだ。
「るせーなあ。自分の歳考えろよ」とココロでつぶやいた。しかし表の言葉は「驚かしてすんませんねえ」に修正したよ。


2005/04/06 (水) 入学式

午前中、金津幼稚園・金津小学校の卒業式に出席し、今帰宅したところだ。
新入学生はみんな元気はつらつだ。入学式に出席するたびいつも思うことだが、この子達が成人になる頃、ぼくは当然この世に居ないだろう。
そういうふうにして、時代は巡っていく。ぼくたちは、少しでもすみよい社会を次代に残していかなければならないし、その為の努力を惜しんではならない。
さあ、午後は金津中学校の入学式だ。

2005/04/04 (月) さあ 月曜日だ  

先週の土日は阪神間にいた。
土曜日の夕刻4時、学生時代の友人6人が梅田に集まり土佐料理に舌鼓をうった。
十数年ぶりの逢瀬だったが、みんな変わっていない。懐かしい顔を見るとココロがなごむ。久しぶりのアルコールでほろ酔い気分になった。

午後9時前に解散。阪急電車で宝塚の友人宅へ行き泊めてもらった。奥さんの手料理を堪能して就寝。
明けて日曜日。もうひとりの友人と三人で神戸の港を散策した。
神戸市役所近くの東公園に行った。
阪神淡路大震災を偲ぶメモリアルがある。
当時の火が燃え続けている。

2005/04/02 (土)  巨人ファンのみなさん おつかれさま

昨晩は妻と一緒に北潟及び御鷹の知人宅を訪ね、午後8時過ぎに帰宅した。TVをつけたら、プロ野球巨人vs広島の実況だ。
2-1で巨人リードの9回表、広島攻撃の場面だった。
晩飯をくいながら画面を見詰めているうち、ぼくの期待は現実のものとなった。
クローザー・ミセリはラロッカにホームランを打たれ、バットコントロールでは定評のある前田が内野安打で出塁した。次打者緒方が左翼席にホームラン。あっという間に広島が逆転し試合はそのまま終わった。
こよなく武田信玄公を崇拝している堀内監督の信玄そのもののようなしぶい顔がアップされ中継は終わった。

プロ野球セリーグ開幕。本命は勿論阪神タイガースだろう


2005/04/01 (金) 中池見

本日の福井新聞に、「大阪ガスが中池見所有地を敦賀市に寄付」の見出しが載っている。
アムサール条約登録の可能性もある中池見を友人数人と共に訪れたのはもう5年ほど前になるか。
珍しい植生が繁茂しているわけでもなく、珍しい動物が生活しているわけでもない。葦が茂り鷺の鳴き声が聞こえとんぼがとびかいザリガニや亀が逼塞する湿地帯、昭和30年代には全国どこの地でもみることのできた風景である。
幼年時の記憶をよみがえらせる土地である。