2005年05月

2005/05/30 (月) キャッチフレーズ

ポスター写真の脇には、通常、本人のコメントあるいはキャッチフレーズが書かれている。
ぼくの場合、1期目の時は「新人です」だった。
        2期目の時は「1歩ずつ」だった。
さて、3期目のキャッチフレーズをどうするか、ということで友人数人が事務所に集まり話し合った。

「通るも本人 落ちるも本人」という案がでたが、「落ちる」は禁句なので却下。
「へいぜいこうじょう」(どんな漢字なんだろう)という案がでたが、これも却下。
喧喧諤諤の議論の末、素晴らしいキャッチフレーズが浮かび上がってきて、それに決定した。
「三人寄れば文殊の知恵」というが、5人寄ったのだから、当然なのかもしれない。


2005/05/28 (土) ちょっと やな気分

昨夕は知人に連れられて旧芦原町方面への挨拶まわりをした。
帰途、同僚議員宅に寄り四方山話。一旦帰宅しCADをこなしてから9時過ぎにトリムパークへ。
盟友の紹介で、十数人の体育系青年(女性もいなさった)諸君の前で挨拶をさせて頂いた。

帰宅し、少量の焼酎を呑みながら一日を振り返る。

立候補するということは、経営戦略として言うならば、自分という商品を売ることである。他メーカー商品をあれこれ言うことではさらさらないはずだ。

しかし
政治家に清潔を求めることは、八百屋で魚を買おうとすることと同じである
・・・というもう亡くなった元警視総監・元国会議員=秦野章の言い得て妙の言葉を思い出してしまうなあ。

そして、そのやりきれなさを打ち消すような
騙されることはあっても騙したくはない。それで生きていけるならそのほうがずっといい。
・・・という、阿刀田高(いびつな贈り物)の言葉を思い出してほっこりするのである。

あとは沈黙 

2005/05/27 (金) 顔

・昨日の朝
「牧田はん、老人会主催の運動会があるんや。顔だしに来ねの」のお誘いをうけたぼくは、パリで買ったダーバンのスーツに身を包んでその場にでかけた。坂ノ下地区のおんちゃんおばちゃんたちの所へ行って挨拶したよ。
「ぼくはのう、普段は全然思わんのやけど、選挙の時期になるとのう、自分がハンサムだったらいいのになあと思うんや。女性ファンを獲得できん。それが残念なんやなあ」と嘆いたら、「孝男ちゃん、ちがうちがう。ひとがらやひとがら。それにのお、孝男ちゃんの黒い顔はみーんないっぱつで覚えてくれる。得してるざあ」と言う。
ぼくの身近な友人たちはいつも「あんたの弱点はひとがらや」と異口同音に言うので、おばちゃんたちの言葉がせつなく聞こえたよ。

・昨日の昼
「選挙ポスター用の写真を撮ろうや」ということで、友人と一緒にとある撮影場所に行った。眼下に竹田川を見下ろすいい場所だ。
ぼくが一生懸命ポーズをつくり、友人がシャッターを押したのだが音がしない。
「ああいかん、電池がない」と友人が言う。
結局撮影日延期ということになった。
うん、これが人生だ。トライアルアンドエラーが人生なのだ。

・昨日の夜
午後8時から選対会議が開かれた。
立候補者のぼくは部屋の片隅で黙して皆さんの意見を拝聴するというのが前回までのカタチだったが、「牧田はんもなかに入ってしゃべんねの」ということになった。
いろんなことが、少しずつ変わってきている。


2005/05/26 (木) 挨拶

昨晩は地区の婦人会が午後7時半に開かれ、招かれて行った。
男社会で育ってきたぼくは女性に対する羞恥感が強く、特に女性の集まりとなるとドキドキする。せめて外見だけでもよくしようと、歯をみがき髪を櫛で梳きワイシャツ襟の汚れをチェックしズボンの折り目を確認してから出かけた。

会の冒頭の数分間、行政における男女共同参画社会の動きなどをしゃべり、社会はどんどん変わっていますを結びにして挨拶を終えた。
早々に帰ろうとした時、司会のひとから「待ってください。次は奥さんが挨拶する番です」という声がかかり、ぼくはドキっとしたよ。
旦那はフケツだとか変わってるとかなんとかしゃべられたらやばいと思い、妻の耳元で「私生活のことをしゃべるなよ」とささやいてから場を変わった。

妻の挨拶は「私生活のことから話します。三日前が私達の結婚記念日でした・・・」から始まった。聞いていてちょっとジーンときた。
とまれ、ぼくは結婚記念日のことをすっかり忘れていたのである。

「牧田はアンテナが狭い」とひとからよく言われるが、その癖がこういうところにも表われていると思い、反省した。


2005/05/25 (水) 日記を休んだ理由

旅に出ていたわけではない。厭世になったわけでもない。
所用に追われキーボードの前に座ることのできなかったことが、日記を数日休んだ理由です。

昨日は最終議会の最終日。夜は久々の親睦会が開かれ、目下の情勢に関するサマザマの話が議員どおしで飛び交っていた。
前日徹夜をしたぼくは少量のアルコールでバタンキュー。旅館の庭に群がる小鳥のさえずりで午前5時に目が覚めた。

現議会の在任期間はもう1ヶ月を残すのみとなった。在任特例法による2年数ヶ月という変則的な期間ではあったけれども、いろんな反省がアタマを去来する。情報開示等、議会が住民にとって風通しのよいものにならなければ当然なのだが、制度の改革とは別に、ぼくら議員ひとりひとりが住民との接触にせいをださなければならないのだ、と思った。
つまるところ、「聞く・しゃべる・書く・歩く」のよっつの柱が、要求されることではないだろうか。

○某旅館での朝食。
臨席に座った北潟在住の議員が「きょうは包丁供養が開かれる日や」と言う。
温泉街には料理がつきものなのだから、年に一度包丁が供養されるのだろう。包丁塚がセントピア周辺に在る、と聞いたので自宅への帰途、周辺を探したが、見つけることはできなかった。


2005/05/22 (日) ちょっと思ったこと 

昨日の夕刻、挨拶廻りでお邪魔した知人の玄関先で「まあ、座んねの」とい言われ、玄関框に座っての議会報告となった。ぼくはもともと話が長いと言われるのだが、相手も長い場合そこに相乗効果が働いて話はひでえ長くなる。
挨拶廻りの目的を考えた場合、非効率的だ。
しかし、非効率の部分こそがこの世での潤滑剤ではないかとも思うのです。


2005/05/21 (土) 竹林

快晴の土曜日だ。
ということで、旧芦原町内を車で走っているうち道に迷ってしまった。
突然竹林が現われた。
薫風が体をすり抜け、上空からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。
ダーバンのブレザーコートを脱いで車を降りた。空気がうまいと葉巻もうまいし牛乳もうまい。

日本には170種類の竹がはえているという。
昔の日本では竹細工をはじめとして竹はさまざまの用途に使われていた。樋しかり排水管しかり小舞しかりである。
住宅設計で、いつかこういうものを使ってみたいと思っている。

2005/05/20 (金) 無題

今朝は、十数年会ったことのない友人からの久しぶりの電話で起こされました。四方山話のさなか、「亡くなった娘の命日が近いんや・・」という相手は涙声になり、亡くなった当時の状況がぼくのアタマの中を走馬灯のように駆け巡ります。
受話器を置いてから、自宅裏竹田川へと歩きました。川のほとりに座り、流れをじっとみていました。誰しも明日の保証はありません。
一日一日をせいいっぱい生きることが大切なのだと思います。

○議会初日の一般質問に立った議員は7名。
いろいろ考えさせられるところがあったので、整理して一両日中に書き込みたいと思っています。
きょうの午後は、最終議会のなかでの教育厚生委員会が開かれます。


2005/05/19 (木) 昨日の議会

昨日は、第8回あわら市議会定例会初日だった。
議事日程は以下のとおり。

日程第 1 会議録署名議員の指名
日程第 2 会期の決定
日程第 3 議案第36号 専決処分の承認を求めることについて
       (平成16年度あわら市一般会計予算・第6号)
日程第 4 議案第37号 専決処分の承認を求めることについて
       (あわら市税条例の一部を改正する条例の制定について)
日程第 5 議案第38号 平成17年度あわら市一般会計予算・第1号
日程第 6 議案第39号 平成17年度あわら市金津雲雀ケ丘寮特別
       会計補正予算・第1号
日程第 7 議案第40号 平成17年度あわら市公共下水道特別会計
        補正予算・第1号 
日程第 8 議案第41号 平成17年度芦原温泉上水道財産区水道事
        業会計補正予算・第1号
日程第 9 議案第42号 福井県市町村職員退職手当組合規約の変
        更について
日程第10 議案第43号 福井県市町村非常勤職員公務災害補償組
        合規約の変更について 
日程第11 議案第44号 福井県市町村交通災害共済組合規約の変
        更について
日程第12 議案第45号 福井県自治会館組合を組織する地方公共団
       体の数の減少について 
日程第13 一般質問 

一般質問を聴いて思ったことについては、後述するつもりです


2005/05/18 (水) きょうから議会

午前5時、ぼくは既に葉桜となった並木の下にたたずんで、細呂木の溜池を見ていた。
「金津・ふる里の手帖」によれば、昔この地域には樋山城があり、その城の殿様が旱魃に悩む住民の姿を見てこの溜池をつくったのだという。
ぼくの立っている足元の道は追分になっていて、教育委員会による説明パネル「のこぎり坂と吉崎道」が見える。いわゆる蓮如上人の話ですね。

早朝のつかの間、ぼくは歴史の世界にいたのである

2005/05/17 (火) とりとめもないことを考えた

午前5時、仏徳寺周辺でみた朝陽だ。日本の夜明けである。
朝陽と夕陽のどちらが偉いのだろうかと時々考える。
例えば大相撲の力士に四股名・朝○○はあるが夕○○は無い。
日の出の勢いとは若さの象徴としての朝陽のことなのだから、これは当然だ。・・・しかし若さとは未熟の代名詞かもしれない。

若かった頃は朝陽を見るのが嫌いだった。徹夜麻雀の翌日の朝陽は黄色くみえて仕方なかった。

人生のゴールが西方浄土であることを考えると、夕陽のほうが偉いのだと思う。


2005/05/16 (月) ちょっと考えたこと

数日前の晩、ぼくはある場所で100人弱のひとを相手にマイクを持ってしゃべった。マイク・マキとなったわけです。

終了後、自宅で遅い晩飯を食べていた時、妻が「お父さん(ぼくのこと)はしゃべるのが基本的に下手や。昔よりよくなったけどのう。でもところどころに隠し味みたいなものがある。ということは下手なような上手いようなよくわからない」と、誉めているのかそうでないのかよくわからないことを言う。

何かを相手に伝えようとするときの選択肢は、しゃべるか書くかだろう。
しゃべることの媒体は空気の振動だし、書くことの媒体はインクのしみである。整理整頓して伝えようとするならば、書くことが楽だ。しかし、しゃべる時は相手の目線や表情自体が即時的な反応として目の前にある。
しゃべりの上手いひとというのは、雰囲気察知の為の器用なアンテナを持っているひとのことをいうのだろう。
しゃべりがスムーズになれないのは、勿論ぼく自身の技量の問題もあるだろうが、基本的にはぼくの性格が不器用だということではないかなあ。


2005/05/15 (日) 本日の一日

本日は午前8時前に起床したが土砂降りだ。
トリムマラソン開催は無理だろうと思いつつ庁舎へ確認電話をしたら、「予定どおり開催します」が返事だった。
午前8時半の開会式時点で雨はきれいに上がっていた。
参加している現職議員数人との雑談のあとはフェスタ会場「創作の森」へ。

150店舗が並ぶ混雑した通りで、時偶出会う知人たちとの談笑が続いたあと、刈安山へと向かった。

刈安山頂上から徒歩で数十分が「ブナの森コンサート」会場だ。
「福井センター合唱団」による歌声、澤崎氏によるオカリナ演奏、谷口氏による尺八演奏が森に響いた。


2005/05/14 (土) 予定満載の土日が始まった

土曜日の午前8時。熱々珈琲を飲みながら、自戒を込めて茨木のり子の詩を読んでいた。

 自分の感受性くらい
ぼさぼさに乾いていく心を
ひとのせいにはするな
みずから 水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを 
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのは どちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なのもかも下手だったのは わたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
        茨木のり子

さあ、頑張ろう。


2005/05/13 (金) 名前

合併して一年と二ヶ月が経過した。旧芦原町の特徴に関して気づいたことはいろいろあるが、温泉街にアパートが沢山あることも特徴のひとつだ。

名前のことである。
舌を噛みそうな外来語名前が圧倒的に多い。舌を噛みそうならば口にださなければいいのだが、名前の名とはそもそもが「夕+口」であり、暗闇せまる夕刻時に口に出すことによって相手あるいは自分を識別するという意味があり口にださないわけにはいかない。

ひとでも土地でも建物でも固有名詞には語源があり、その語源をたどることがぼくの趣味のひとつだ。しかしカタカナ言葉ではお手上げです。
英語・仏語・独語・○語等いずれの国からきた言葉なのかは、語学教師でなければわからない。
マンション○○というのがある。
語学教師から聞いたことだが、マンション(仏語だったかな?)は、敷地内に入ってから玄関までの距離が1マイル以上ある建物として定義されているそうだ。玄関までのアプローチに森があり川が流れ橋があり、いってみれば貴族の館を指すのだろう。
しかしマンション○○のアプローチ長さは10mくらいだったよ


2005/05/12 (木) 昨日の全協

昨日は、午後1時半から全協(全員協議会)が開かれた。
協議事項は
1 第8回あわら市議会定例会の会期、日程について
2 議案について
 ①市長提出議案について
 ②議案の附託先について
 ③発議について
  あわら市議会委員会条例の一部を改正する条例の制定について
3 その他


提出議案
議案番号 件名
議案第36号 専決処分の承認を求めることについて
(平成16年度あわら市一般会計補正予算 第6号)

議案第37号 専決処分の承認を求めることについて
(あわら市税条例の一部を改正する条例の制定について)
議案第38号 平成17年度あわら市一般会計補正予算 第1号
議案第39号
平成17年度あわら市金津雲雀ケ丘寮特別会計補正予算第一号
議案第40号 平成17年度あわら市公共下水道特別会計補正予算 第1号
議案第41号 平成17年度芦原温泉上水道財産区水道事業会計補正予算 第1号
議案第42号 福井県市町村職員退職手当組合規約の変更について
議案第43号
福井県市町村非常勤職員公務災害補償組合規約の変更について
議案第44号 福井県市町村交通災害共済組合規約の変更について
議案第45号 福井県自治会館組合を組織する地方公共団体の数の減少について

○本日は、午後1時半から金津庁舎にて市議選説明会。
訪れた陣営数は27。
27-22=5である。・・・・・・うーん、困ったなあ。
でも、地道に動くだけです。

○有志の皆様方へ
昨日は、わたくしの事務所にお集まり頂きましての貴重なご意見のかずかず、本当にありがとうございました。
一生懸命頑張ります

2005/05/11 (水) 四行日記

いかん。梅雨が近づいてきた為か、鬱期に入ってしまった。
しかし・・・

○本日の午後一時半から、5月議会の全協(全員協議会)が開かれた。その場でぼくはすごく勇気づけられ、鬱気分はふっとんでしまった。
この世で一番大切なものがひとの情(なさけ)であることをつくづく感じました。


2005/05/10 (火) 散歩

昨晩の午後9時、同僚議員がふらっと来訪。
あぶないといわれているふたりで、長時間ぼそぼそと話をしていた。「まあ、お互い頑張ろうや」で、彼は帰宅。

あけて今朝の5時半、久しぶりに金津小学校のグラウンドを散歩した。
このかわいい門の図面を書いたのが平成5年で、もう12年前のことになる。平成5年は金小創立120周年・簡保30周年記念事業が行われた年だ。やなせたかしさんが講演に来た。
その後の数年間、ぼくはPTAに関わっていたが今は先生方のなかで顔見知りは殆どいない。

2005/05/09 (月) 麦畑

リービ英雄は1950年生まれでつまりぼくたちと同じ団塊の世代だ。
昨晩の添寝本はこのひとの「アイデンテイテイーズ」だった。
何年前だったか、初めて読んだ本が「星条旗の聞こえない部屋」で、内省の積み重ねのような文体に、しかし辟易とならずに引き込まれていったのを覚えている。


本日は午前5時に起床。
石鹸で洗顔し眼鏡を洗い歯を磨いた。ぼくは歯磨き粉をつけない。
ブラジル直輸入熱々珈琲を飲みながら、ニューヨークタイムズ・ワシントンポスト及びルモンドの日本語版に目を通す(なあんて冗談冗談・・ぼくが読むのはスポーツ新聞⇒タイガース欄だ)。


早朝ドライブで農道を走った。午前6時の坂井平野は麦畑が広がっている。
麦といえば麦踏みで、踏まれれば踏まれる程、良い実がなるのだそうだ。

今朝はやく妻が事務所に入ってきた。昨日、占い師に家族のことを占ってもらったそうだ。
で、わたしのことだが・・・
○前世において、わたしは密林にひそむ小動物であった。猛獣の間を逃げ回り他の小動物とお互いに支えあう可愛い小動物であった。そのかいあって、やっと人間に生まれ変わった。初めて人間になったので、人間界のマナーをよく知らぬ。だから、他のひとが不潔と感じる部分をそう感じない。しかし段段慣れていくでしょう。
・・・が、占い師の弁だったとのことだ。

しかしなあ。慣れていくったって、

2005/05/08 (日) 本日の一日

午前3時、深夜ラジオはジュリー・沢田研二の曲を流し続けている。「アマポーラ」「勝手にしやがれ」エトセトラだ。
ザ・タイガースの看板歌手だった彼が次々とヒット曲を飛ばしていた頃、ぼくは聴衆の誰一人いない四畳半下宿でガットギターをつまびきながら、「真夜中のギター」「青春の光と影」「ラ・ノビア」「花嫁」「風」「想い出のグリーングラス」などを唄っていた。

仮眠して7時半に起床。福井市内の某建築設計事務所にて打ち合わせをこなす。帰宅して先程まで、某寺祈願祭に参加。何人かの知人に会った。

祈願祭のあとは、修験道・火渡りだ。

戦争の無い平和な社会の実現を祈り、交通網の安全性の徹底を祈り、しかしひとつだけ個人的なことではあるが今年6月のことを祈り、ソワカソワカを唱えつつ足の裏の焼け付くような熱さをこらながら、山伏の後を1歩1歩ゆっくりと進んだ。

2005/05/07 (土) カラスのこと

今朝、早朝ドライブを終えて事務所で仮眠中の午前7時半、ぎゃあぎゃあぎゃあというけたたましい叫び声で目が覚めた。
窓越しに駐車場を見下ろした。
一羽のカラスがいたいけな小鳥を地面に押さえつけている。ついばもうとしている。上空をつがいの鳥(親鳥だろう)が旋回している。じき、カラスは小鳥を捕まえたまま去っていってしまった。
カラスの餌はミミズや残飯ではなかったか、鳥類など食べないはずではなかったか、と思っているうち20年前の出来事がよみがえってきた。

設計監理中の工事現場住宅に向かって三国町雄島の海岸道路を走行中、道路脇に横たわっている子ガラスを見つけた。車を降り近づいてみると弱りきっている。
ぼくは子ガラスを新聞紙に包んでコンビニに向かった。塩昆布入り特上三角おにぎりをふたつ買った。手のひらにおいた子ガラスのくちばしを開け、ご飯粒を入れようとしたのだが、結局食べることなく亡くなってしまった。
仕方ないので、手で土を掘り埋葬し念仏を唱えたあと、海水で手を清めふたつのおにぎりを食べた。
その時、上空を旋回し続けているつがいのカラスにぼくは気がついた。
親だったのだろう。ぼくは誘拐犯と思われていたのかもしれない。

2005/05/06 (金) 無題

我々衆生は、煩悩具足の徒である。
対人関係において、感情抑制がきかなくなったり、ものごとに呆けたり、あるいは生きるための知恵として上目使いで世辞追従に走ることもままある。全てのひとは振巾の差こそあれ、かかる煩悩を宿命的に受け持つ。
それは重々承知の上だが、世の中には嘘偽りを捏造し吹聴する輩がいる。よほどの暇人なのか、論語でいうところの小人(しょうじん)なのか。

本人を前にして言えないことは、他人にも言わない。
他人に言うことは、本人にも伝えてあげなければならない。
これ世間の常識だと、ぼくは思うのである。

うそつくな ものほしがるな からだだわるな   橘曙
                         なのである


2005/05/05 (木) 子どもの日

午前5時の竹田川堤防の田中々地係りに蛇行している部分がある。
わたしが住んでいる坂の下係り竹田川も蛇行している。

以前郷土史の先生から聞いたことだが、陸の道でも水の道でも蛇行している部分が旅人に憩いを与えたそうだ。眼前の風景が変化するからである。そこに住んでいるひとたち(例えばわたし)は、曲がり行く水の流れの中に人生の深遠を感じるという。

そういえば、田中々に住んでいなさる現職市議も、眼鏡の奥に人生に対する憂いが見え隠れしている(と思う)。


2005/05/04 (水) 珍しい光景

午前5時半の富津。おいしいさつま芋の産地として有名な富津の芋畑の傍らに、一艘の漁船が置かれている。
本来水面に浮かんでいるはずのものが陸の上にあるというのは、とても不思議な光景だ。

もう引退した船なのだろう。若い時には、北潟湖で寒鮒・鯉・あるいは鰻などを捕まえるのに奔走し、主人を下支えした船なのだろう。
食うものも食わず働きづくめだったこの船に対する主人の感謝の念の深さ故に、解体されず原型のまま置かれもうすぐ来るお盆の季節には法要が営まれるとぼくは思うのである。


2005/05/03 (火) 上弦の月

今朝の午前3時半、何故かぼくは北野地区の農道を歩いていた。
田圃では蛙くんたちがげろげろげろげろと大合唱をしている。
田の水面に上弦の月が映っている。美しい光景だ。
他人に対する非難や中傷を面白がる暇人が跋扈する現世のくだらなさを、例え一瞬でも忘れさせてくれる美しい光景だ。

暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき
       はるかに照らせ 山の端の月   和泉式部

娘・小式部を失い、悲嘆にくれる和泉式部が月明かりに今後の道を見出そうとする心境を詠ったものだ(と思う)が、ぼくが今朝見た上弦の月明かりこそ清澄という言葉がぴったりあてはまると思った。


2005/05/02 (月)  越前蟹

長い間会ったことのない県外の友人から突然電話がかかってきた。
この「議員日記」を偶々インターネット検索でみつけ、なつかしくなって電話をかけてきたのだという。
ぼくは典型的な土着人間で、半径5km以内で見たこと感じたことしかこの日記に書いていないつもりなので、「?」と思ったがとりあえずは嬉しい。
「来月くらい行くぜ。一緒に越前蟹を食いたい」というのでぼくはびっくりしてしまったよ。狭い日本だが、越前蟹が冬の味覚であることを知らない人間がいるのだ。

この蟹の解禁日は11月6日だ。
ズワイは総称。新潟ではタラバ、鳥取ではマツバと呼ばれているが、ブランドとしては越前蟹が群を抜く。昨年末阪神間在住の友人ふたりと共にこの蟹をくったが、日々粗食安酒対応生活者の彼らにとって美味の極地「越前蟹」はむしろ胃に悪かったのではないかと思うくらいなのである。

※雄(ズワイ)の語源は、甲羅が大きく相対的に頭が矮小であることによる。
※雄(ズワイ)は24年間に17回脱皮して成長が止まり、雌(セイコ)は10年間に10回脱皮して成長が止まる。雄雌の図体の差はこのことによる。
※水深220mm-230mで集団交尾をする(高水圧なのでリスク分散の為に性器をふたつ持つと某繊維会社社長から聞いたことがあるが、とまれ一夫一婦制ではないのだ。
※成体雌は水深240m-270mへと移動して集団生活をする。成体雄は300m-400mに散らばって孤独に生活する。
※昭和30年代後半における水揚高は日本海全体で一万五千t、福井県全体で三千tあったものが、昭和60年代前半には、日本海全体で六千t福井県で三百tと落ち込んでしまった。

もう時効だから書こう。
何年前だったか、東京有楽町の地下レストランで眼前蟹皿テーブルに座った10数人の紳士達を前に「越前蟹の魅力・付記=蟹の歴史とテーブルマナーについて」というタイトルでしゃべったことがある。
「私は隠れた料理人であり、知る人ぞ知る越前の道場鉄三郎と密かに呼ばれています・・・」から始まって上述のことをしゃべった。
みんなで蟹を食っている最中、ひとりの紳士が近づいてきて、「貴方はホントに料理人でっか。センセやおまへんか?」と耳元で何故か関西弁でささやいた。
ぼくは、「ええ・・・、嘘ついてすんまへん。ホントは若狭水産大学で講師をしてまんねん。講師の手当安いでっしゃろ。妻子養わなあきまへん。ほんであちこち行ってしゃべってるんどす」と何故か京都弁で又嘘をついてしまった。

某詩人の言うように
みっつの真実よりひとつのきれいな嘘なのである


2005/05/01 (日)  さあ きょうから五月だ

昨夕、旧芦原町在住の同級生に会う為に車を走らせていた途中、御鷹団地に寄った。団地入り口に地名「御鷹」の由来が書いてある。
ものや土地などの名前の由来に何故か興味をそそられる癖のあるぼくは、早速デジカメで撮ってアップロードしました。

○昭和歌謡史に燦然と輝く故美空ひばりがデビューしたのが、半世紀以上前のきょう・5月1日だった。
井上ひさしの随筆で、このひとに関するエピソードを読んだことがある。


鹿児島県だったかの公演会場で、公演開始前に舞台袖から会場を見たひばりさんは、思いの外入りの少ないことに氣を悪くし、「わたし、きょうの公演やめる」と言ったそうだ。そして、公演は中止となったそうだ。
なんつうか、スーパースター中のスーパースターならではの、エピソードなのだろうなあ。

○日曜日の朝などで、事務所の配置替えをしていた。傍らのTVはサンデイプロジェクトを放映。
亀井静香が郵政民営化反対論を、一生懸命訴えている。もと警察官僚なのに(あるいはだからというべきかもしれないが・・そういえば引退したカミソリ後藤田正晴も同じだった・・・)意外と弱者側にたっている。
亀井コーナーが終わって彼氏退場の時、司会の若い女性の「ただ今のコーナーで、発狂という不適切な発言がありました。慎んでお詫び申し上げます」という弁明が流され、亀井サンは即座に「そんな弁明おかしい。発狂があかんのなら沢山の小説書きかえなあかんことになるぞ」と、声を大にして訴えていた。
この声にぼくは全く同感だ。
お茶の間TVはミーちゃんハーちゃん対象・小説は好事家対象という違いからでてきた司会者の弁明なのだろうが、そんなことは全く関係ないのだ。
障害者問題にプライベートに関わっているぼくは、言葉の書き換えあるいは規制による新たな柔構造的差別感の醸成に危機を感じる。