2005年06月

2005/06/29 (水) 本日の午前中

滅多にないことだが、昨晩は外で会食した。
ビール焼酎でE気持ちになった。
本日は同僚議員の電話で起こされた。設計した現場に行き、戻ってきたら別の議員来訪。「ひとつの市になったのだから、旧芦原旧金津の綱引きではない議会活動をしていかなければないのではないか」と言う。もっともなことだし、そういえば7月1日に組織議会が予定されており、そこで議長以下委員会配属が決定するのである。

妻に「もっと部屋をきれいにしなあかん」と叱られ、いささか不愉快になっていたところに共通の友人来訪。雰囲気がやわらいだ。


2005/06/28 (火) 福井大震災
昭和23年の今日、3千数百人の死者を出した福井大震災が勃発している。学年で言えばこの年に産まれた我々は「地震っ子」と呼ばれて育った。小学校時、月曜日朝礼での校長挨拶は「あなたたちのお父さん、お母さんは戦争・地震という未曾有の困難を乗り越えてあなたたちを育ててきたのです」が定番だったように記憶している。

あわら市は現在23の公共建築物を持っているが、昭和56年に大改正されたいわゆる新耐震規準以後に建てられた建物はそのうちのふたつのみである。
市はハザードマップの作製を急いでいるが、現存建物の耐震補強も当然視野に入れていかねばならない。
中学校統合の是非についてはもっともっとの慎重議論が必要だ。、何もあした急に生徒が減るわけではないのである。今回の選挙でまちのひとのいろんな声を聞いてつくづくそう思うようになってきた。

○挨拶廻り行脚が続いている。
玄関戸を開け「ありがとうございました」を言い、戸を閉めることの繰り返しかと思ったが、そうはいかのてんぷらだった。「まあ待ちねの、式台に座んねの」でのご意見拝聴が頻回にある。うーん、挨拶廻りが終わるのは1ヶ月先くらい先になるのではないだろうか。
昨晩なんぞ、某スーパーマーケット駐車場に座りこんでの暗闇対談が1時間半続いた。説教されたなあ。
ぼくは思うのだが、耳障りの悪い言葉こそが大切だ。肝に命じなければならない。
今は既に消滅したと思われる頑固親父は、しかしいるところにはいるのである


2005/06/27 (月) 曇天の朝

30年ほど前、とてつもなく強かった読売ジャイアンツを我が愛する阪神タイガースが偶に破った晩などは、小躍りして喜びひとり静かに祝杯をあげていたものだ。
しかし、時代は変わった。
新聞スポーツ欄「巨人VS阪神戦 阪神勝利」の見だし記事が珍しくなくなってきた昨今嬉しさが半減してきている。
ぼくにとってケ(日常性)の日々が巨人勝利の日々であり、ハレ(非日常性)の日が阪神勝利の日だったのだがその境が薄れてきていることを実感する。
プロ野球のことだけではなくて世の中すべてそういう傾向に向かっているのではないかなあ。

若い頃にATG系の映画「祭りの準備」をみて心を動かされた記憶がある。
ひとはひとりひとり心のなかに「祭り」の日を持っていて、変わり映えしない淡々とした日常は「祭り」に向けての蓋然エネルギー温存の日々だというのが、その映画のメッセージだった。
自分にとっての「祭り」が何であるのかを考えてみようじゃないか。
まちの活性化につながると思う。

○昼過ぎに市外の某建設会社重役が来訪。ざっと3時間くらいいなさったかな。
PTAの回顧話に花が咲いた。県PTA連合会時代の懐かしい名前が次ぎから次ぎへと出てきて、うん、なかなか楽しかった。みんな現在はなにをしているんだろうか。
人生の価値なんて、死ねば空に帰るのだからプラスマイナスゼロだとは思うけれども、所詮カネを貯めることのできないぼくは、これからもせめて思い出を貯めていきたいと、思っています。

2005/06/26 (日) 日曜日の朝 水防訓練視察を前に

(実に不可解な動きが見え隠れしたけれども)、来年はお隣4町が合併して県内2番目の市が誕生する。首長も議員も即刻選挙で、議員定数は30人と決まったそうだ。
あわら市の場合、自治法ではMAX26人だが、合併協で22人と決定していた。
節税を考えれば、合併して議員定数が削減されるのは世の流れだし、今年度中には、来期の更なる定数削減の話しが持ち上がってくるだろう。
しかし、一方で定数削減故に住民からの身近な声が届きにくくなることが予想される。
例えば国会議員や県会議員であれば、論理構成力を持っていることが必要十分条件だけれども、市町村のいわゆる地方議員の場合は庶民としての顔も又大事なのだ。市民派という一種啓蒙的な響きを持つ言葉が嫌いで、土着庶民派という言葉が好きなぼくはそう思う。

CATVが市内全域に行き渡ることで、議場にカメラを入れることをぼくは訴えていこうと思っているし、早晩実現するだろう。
有権者はTV画面の前で、個々の議員の資質をチェックすることになる。
資質とは、考え方が良いか悪いかしゃべりが上手いか下手か押しが強いか弱いか顔が良いか悪いか清潔か不潔かといったところだろう。

そのことに全く異議はないけれども、カメラを通して見えてくる画面があくまでも擬似映像であることを忘れてはならない。うまく言えないけれども、そう思う。
水防訓練風景(光明団地際・竹田川河川敷)

水防訓練視察を終えて帰宅。

ぼくのHP掲示板(1-10)の過去の全てを読み返してみた。
賛否ないまぜの投稿に対して涙が出る程嬉しかったし、しっかりした議員にならねば、と自己叱咤した次第です。

故開高健のエッセイに
好意はウエルカム
悪意もウエルカム
無視されるのが悲しい
というのがあって、そういう意味でどのような意見であれ、皆さんが掲示板にどんどん書きこんでくださるのが、ぼくには一番嬉しいです。


2005/06/25 (土) 土曜日の朝

昨日の昼は、コンピューター達人のところにいた。
このHPをステップアップさせる為の講義をしてもらっていたのである。
人生もそうだがHPのかたちも停滞していたのでは駄目で、変革が必要だ。
そう
HPにカメラを接続する作業にのりだそうと思うのです。カメラはせいぜい数千円で思いのほか安そうだ。生録(なまろく・誤解しちゃいけない)定点映像発信という私にとっては革命的な手法を取り入れるのです。請うご期待。

「ライムライト」などで有名な米喜劇映画界の大御所故チャールズ・チャップリンが記者会見に臨んだ時のこと。

記者・「貴方が出演した沢山の映画のなかで、NO1と思われるのはどの映画でしたか?」
チャップリン・「ネクスト ワン だね」

いいですねえ、このせりふ。私達も見習おうじゃありませんか。


2005/06/24 (金) 選挙総括

1週間後の7月1日に臨時議会が開かれる。選挙終了後に開かれるこの議会は組織議会と呼ばれ、ここで議長・副議長あるいは常任委員会帰属等々が決まる。
でやね
長になりたいひとは当日その旨を表明するのだが、その前段階として水面下の動きがある。つまり、今からの1週間はなまぐさい風が吹くと思われる。

昨晩は某ホテルで飲み、議員どおしいろんな話題に触れた。
○今回の選挙で、旧金津町から2000票程度が旧芦原町に流れていったそうだ。
人間はアタマで考えココロで感じる動物だ。旧金津町議員のこの結果についての印象はおおむね
①アタマ⇒合併したのだから芦原も金津もない。いいじゃないかいいじゃないか。
②ココロ⇒わしらの票をとっていきやがって。
だった。

わたしなどはノーテンキだし、多少は旧芦原町のかたから票を頂いているので①の比重が大きいが、②の気分が無いといえば嘘になる。
合併後初の選挙だから仕方ないが、漸次解消されていかなくてはならない。

○午前8時の空は薄曇りだ。
挨拶廻り・CAD・菜の花通信書込み等々過密スケヂュールが当分続くだろう。
それは構わないのだが、このところ活字を目にすることがなかったことで、ココロにぽっかりと穴があいた気分だ。
読書はココロのオアシス・・・本日は図書館にでもでかけようか。


2005/06/23 (木) ちょっと思ったこと

昨日の朝は、選挙の挨拶まわりを兼ねて某病院に知人を訪ねた。
「なあ、牧田はん。今度の選挙結果みても歴然やけど広域化して定数が少なくなればなった分だけ地区協定が再編成される。地区代表の様相が進む。市議というより地区代表集団になる。あんたなんかも小さい地区からでてるんやから来期はないかもしれんなあ」と言われた。
確かに、村部は安泰だったが、宗教集団や一部知的エリートあるいは側溝直し土着派を除けば、我々はバタバタの団子レースの世界にいた。

議員は住民の代表だとよくいわれるけれども、代表と言う言葉には選良のニュアンスが伴う。しかし、本当は選良じゃなくて、よくもあしくも住民意識そのままの反映だ。
ぼくがみたところ、住民は、市民(政治意識を持ったいわば啓蒙派)と庶民(政治とはおかみのすることと思っている無口派)に別れる。
そしてぼくが畏敬するのは、無口派が時折口端に乗せる言葉だ。おおげさに言えば、そこにこそ人間が根底に持っている何かが散見されるからである.


2005/06/22 (水) 説明責任

今度の選挙でいろんなところをまわった際、あるひとから「坂ノ下に在ったあのきれいな桜並木、牧田はんが切ってしもうたという噂やが、なんでそんなことしたんやの」と言われてびっくりした。
あの件はそもそもが、並木際に宅地を所有するひとの「敷地に毛虫がようけ落ちてきて困る。県に毛虫退治や枝葉落しを頼んでほしい」という私への依頼から始まったことだ。その時点でそれぞれの並木際畑所有者から「わたしんとこの木も日照を妨げ作物の生育を阻害してる。切るように頼んでほしい」という依頼が相次いだ。
そこで区の役員理事集まっての鳩首会談が開かれた。
畑所有者宅地所有者は実害を訴えて伐採を望み、その他のひとたち(私もだったが)は、美しい風景としての並木保存を望む。会談の結果、実害訴え派の意見が尊重されることとなり、複雑な思いでわたしは伐採を県に陳情した。
「花より団子」なのである。

「切ってしもうた」という結果だけが噂として遠い地区に伝わっているのは私にとって不本意だが、噂とはえてしてそんなものだと思う。
要は、私自身の広範への説明がたりなかったということだ。これからも、議員としてできることできないことがいろいろあると思うがどちらの場合にもその経過を発信すること、つまりきっちりした説明責任が必要であることを痛感しているし、又その方法を模索している。


2005/06/21 (火)  実に久しぶりに覗いた掲示板

土下座考
ある人が「選挙で挨拶にきた○○さんが、玄関で土下座して頼むんや。気持ち悪かったざあ」と言う。
依頼するのに頭を下げるのは普通のことだが、土下座は明らかに依頼とは質が違う。

「すまんすまん。わしが全面的に悪かったけんね。ご勘弁くだいさいますだ、お代官さま」と、いわば自分が全くの粗悪品であることを強調し謝罪する動作表現が土下座だろう。有権者つまり納税者が、税金を投入するにたる相手であるかどうかを判断しようとするときにそんなことされたら、どう考えても投票したくなくなると思うのだが・・。
100歩譲って、依頼順接的強調動作が土下座と本人が思っていたとしてもおかしい。投票者と被投票者との関係は商行為に似て、対等であるべきという範疇を越えている。

そんなこと死んでもやらねえぞ、と思いながら56年間の半生を振り返ってみたら
うーん、わたしにも一度だけ土下座の経験があったのですね。
満月の夜だった。
さざなみ打ち寄せる浜辺で、どうしても好きになってくれない女の子に「頼む好きになってくれ」と土下座したのだが、やっぱり返事は「ノー」だった。
好きになってもらうためには、自分の男性的魅力を研鑚する以外に道はないのでしょうね。

○掲示板・Rさんのタイトル「おめでとうございます」の嬉しくなる素敵な文章を読みながら、ふとこう考えた。2票ないから分けられないというのは本当だが、1票を分けることはできる。
Rさんが投票用紙に「(姓)牧田(名)○○」と書くのである。(○○はもうひとりのひとの名)。例えばぼくの得票総数と○○さんの得票総数が4対6であるならば、選管はRさんの票を牧田0.4票、○○0.6票とカウントするはずだ。そうだ絶対そのはずだ。
こんな地域締め付け型選挙のなかでまちうち立候補者が票を伸ばそうとする上でのいわゆるひとつの選択肢ではなかったか。
うーん、公約の柱に「姓名分離記入投票を!」を入れておけばよかった。

というのは冗談で、票数の多寡など二義的なことです。少なければ一票一票の背後に例えばRさんのような想いが上乗せされているという意味でその厚みを感じます。
パフォーマンスのできない地味なわたしには、実像を知っていただきプラスの部分マイナスの部分を把握していただく以外に道はありません。
どこのどなたかわからないRさん、是非一度お会いしたいです.


2005/06/19 (日)  議員日記書込解禁

当選させていただきありがとうございました。
旧金津町まちうちの現職二人新人一人が落選するという、かって経験したことのないハードな選挙戦でした。往復ビンタをはられたような格好での出馬となり、地盤はとても小さく、「落ちる落ちる」と言われ続け、気がなえた時期もありました。
いろんな噂も耳にしました。
ノーテンキと言われるぼくですが、ひとを見る眼力がちょっとだけついたような気がします。
票を入れてくださった673人のかた、しがらみ上立場上、票とまではいかなくても、こころで応援してくださったかた、本当にありがとうございました。
深く深く感謝しております。

○「あんたの最大の弱点は外見や」と何度ひとから言われたことでしょう。
新たなタタカイの始まりは外見克服からだと決意しました。
誓い
①毎朝歯を磨くこと。
①ネクタイの正式な結び方を習得すること。
①ごはんをこぼさないこと。

うーん、なんつうか、当たり前のことであるような気がするのだが・・・。


2005/06/11 (土) 明日が告示

前回選挙の時、自然生態系サイクルとの調和をめざしているぼくはスーツの胸ポケットに菜の花をさして歩きあるいはマイクを握った。
今回もその予定だったのだが、菜の花の季節は既に終わっている。

今朝の5時、庭に咲いている赤い薔薇をさして鏡を見た。
高貴ではあるが、気障に見える。ぼくの顔には似合わない。
車で自宅周辺を走ったら沢山の花が咲いている。やっぱり、野の花をさすのがいいのだろうと思った。なんたって、野の花は庶民的なのである。

○既にハードスケヂュールの渦中にいるぼくが日記を書くことの出来る最後の日です。拙い文章とのお付き合い、どうもありがとうございました。
運良く当選させていただきましたならば、又お会いしましょう。
では・・・


2005/06/09 (木) 昨日の午後

昨日の昼過ぎ、某小学校の校長室。
教育談義のさなか、廊下を通り過ぎようとした4人の5学年女児童が、ぼくを指差し、「ああー、まきたセンセーやあ」と一斉に叫ぶ。
見れば昨年に手話を教えたこども達だ。
時節柄条件反射的に歩み寄り、「おとうさん・おかあさんによろしくな」と言いながら次々に握手した

2005/06/09 (木) 昨日の午後

昨日の昼過ぎ、某小学校の校長室。
教育談義のさなか、廊下を通り過ぎようとした4人の5学年女児童が、ぼくを指差し、「ああー、まきたセンセーやあ」と一斉に叫ぶ。
見れば昨年に手話を教えたこども達だ。
時節柄条件反射的に歩み寄り、「おとうさん・おかあさんによろしくな」と言いながら次々に握手した。

2005/06/08 (水) 地道にこつこつと

このところ、障害を持つひとたちあるいはそういう家庭のひとたち・母子家庭のひとたち等々と話をすることが頻回にある。
皆さん地味で、言葉は日常生活それ自体の重さに言及していく。
同じように地味なぼくは、重い言葉に耐えることのできる人間になりたいと思っている。

耳障りのよい言葉と言えば、例えば市議選用のパンフなどもそうだろう。
でも、ぼくら候補者が書く謳い文句が耳障りのよい言葉であればある程、内容が拡散し希薄になり現実から乖離していきつまりは軽い言葉になってしまうのではないかとぼくは思うのである。
じゃあどう書けばいいのかというと、よくわからないけど・・・。


2005/06/07 (火) あだ名
夕闇せまる昨日の午後7時過ぎ。
買い物の為にコンビニへと急ぐぼくの傍らに軽トラが停まり、「ぎゅうさああん」という女性声が運転席から発せられた。
40年以上前、中学生時代のぼくのあだ名「ぎゅうさん」を知っているのだ。ただものではないぜと思ったぼくは、時節柄条件反射的に握手を求めて走り寄った。

彼女は、「ちがうちがう、わたしは坂井町に住んでる。選挙権ないがの。でものう。あわら市に住んでる知り合いにちゃあんと言うとくでのう」と、握手しながらぼくに言ったあと、ギアをローに切り替えた。

ぼくは去っていく軽トラに向かい、合掌の姿勢で「彼女の家に七代の栄えあれ」と念じたよ。

2005/06/06 (月) さあ、また月曜日がやってきた

昨日の昼、ぼくは友人の結婚披露宴に出席した。
友人は聴力障害者だ。ぼくと向ケ丘区在住Sさんのふたりが会場の両袖に手話通訳としてたった。
テーブルの酒食に手をつけることなかなかままならぬ忙しい2時間だったけれども、とても充実した2時間でもあった。

Y御夫妻の前途に幸あれ。

○昨晩は、我が事務所に友人が集まり、8人で会議。
ぼくは自分のいたらなさをいろんなことで痛感した。
ひとはひとりで生きているのではなく生かされているんやねえ。

ひとりの夢はただの夢
みんなの夢は実現の夢  ジョン・レノン


2005/06/05 (日) スーツ新調

「馬子にも意匠」という言葉がある。
謙遜こめて言うのだが、顔だち良くなく色の黒いぼくはその欠点を克服する為にスーツ新調作戦にでた。

昨日午後5時半の某洋装店。
ふたりのファッションアドバイザーがぼくのウエストと首廻りを計る。
「あーら牧田さん、前回の選挙の時よりお腹が大きくなってるわ」とひとりが言う。
世界平和が何故実現しないのかというストレスを埋める為の深夜の焼酎のせいかと、ぼくは思ったよ。
「牧田さん、前回の選挙の時と、首廻りが同じだわ」と、別のひとりが言う。
首廻りなんて、変わらんよなあ

2005/06/04 (土) もう週末か

昨日の夕方、ぼくは若葉台を歩いていた。ここは高台で眼下に温泉街がみえる。
ぼくは、野原の岩に腰をおろし、煙草にダンヒルで火をつけた。
見上げると、西空に棚引く雲が夕陽に照らされ茜色に染まっている。


議員というのは異業種交換の世界で、立場上いろんなひとに会う。
嫌なことだが、相手のうわべの表情とは裏腹のなにかを感じることがある。もちろん逆もある。
てなことを考えていたときに、次のような言葉を思い出した。

エゴイストを装っているけど、根はとても深い。やさしさが表面に現われるのを恥じている。     阿刀田高「花惑い」


2005/06/03 (金) 小鳥のさえずりを聞きながら

昨日の朝一番、「今年も又、こども達への手話講習をしてください」という電話が県立青少年の家から入った。
昨年の講習会でのこども達の笑顔を思い出しつつ、一年がなんとはやく過ぎていくことよとの感慨に浸っていたところに、知り合いの僧侶来訪。

「ひとは地味で朴訥がいい。そういうひとの言葉こそが鼓膜を通り越してココロに入ってくるのです」と言われた。
うん、ぼくも地味な選挙戦を目指している。

午後6時半から始まった某会合の席で簡単な挨拶をさせていただいたあと妻と合流し、しばらくの間歩いた。
夜の歩きで一番怖いのは、強盗でも追いはぎでもストーカーでもなくて、犬の吼声です。

午後9時前に選対の開かれている場所に戻り同席。
終了後は友人ふたりと共に、ぼくの事務所で事務的書類の書き入れ作業にせいをだす。友人を見送ったあとは、パソコン駆使しての名簿つくりだ。

大きなのっぽの古時計が午前零時の時報を打ったのを境に布団に入り、今朝は午前3時に起床。ただいまCAD作業中。
ちょっと睡眠不足気味である。


2005/06/02 (木) 昨晩感じたこと

挨拶まわりをしていると、「話したくない」と冷えた表情で言われたり、「頑張んねの」の暖かい無条件的励ましを受けたり、「君の考え方は?」と機関銃的質問を浴びせられたりと、うーん、世の中さまざまなのだ。

でやね
事務所に戻ってから、世の中動かしているのは誰なんだろうと考えた。自治体動かしているのは誰なんだろうとじっくり考えた。
庶民である。我々庶民に尽きるのであって少なくとも市長ではない。

世に「市民主義」という言葉がある。1960年代後半に発刊された故羽仁五郎著「都市の論理」が流布させた言葉だが、しかしぼくは好かん。
市民という言葉には知的優位性を誇示しようとするコンタンが見え隠れするからだ。

そのようなインテリ層が苦手なぼくは、しかし、それなりに、インテリ層に対しても弁をふるっているつもりです。訥弁だけどね。


2005/06/01 (水) 昨晩

顔に似て、ぼくは人見知りするたちだ。初めて会うひととの会話でドギマギすることが頻回にある。しかし、議員という立場上は、これを克服しなければならない。

昨晩の挨拶まわりの際、初めて顔を合わせたひとからいろんな細かいことを長時間質問された。
テーマが「放課後児童クラブ」に移った。8年程前だったか、いささかなりとも設立に関わったものとしてその経過を説明しているうち、当時のことが走馬灯のようによみがえってきた。

ひとは、思い出をつくる為に生きているのかもしれないとぼくは思うのです。