2005年07月

05/07/30 (土) 無題

気分が内向し始めたらなんにも書くことがなくなってしまった。しかし癖というのは恐ろしいもので朝になるとやっぱりこのページを開けてしまう。

とりあえずインデックスをいじってみました。
〇CAD図面納入後、気分転換を兼ねて散髪屋に行った。
事務所に戻り、一服しているうちお盆が近づいていることに気がついた。
お盆が近づくとぼくは必ずひとりの障害者女性を思い出す。20年前に自殺した彼女が生前最後に電話した相手がぼくだった。2時間以上にわたってこの世に対する呪詛を述べた彼女は、翌々日の未明に逝ってしまった。

この世は苦しいことや悲しいことに満ちている。生き続けることに意味が無いといわれれば確かにそうかもしれない。
しかし、そのなかにも必ず楽しみがあるもので、それが一杯の蕎麦を食べる時であったり森を散歩する時であったりあるいは小説を読んでいたりする時で、つまり楽しみは時折しか訪れてこないものだとぼくは思う。


05/07/29 (金) 宇宙あるいは月のこと 

「断熱材落下重視でシャトル打ち上げ凍結」という新聞記事を読んだ。
我々庶民にはわけのわからない△□?的先端科学技術にも落とし穴があるのである。
なんでもそうだけど史上初というのにインパクトがある。
初めて宇宙へ飛び立ったのが旧ソ連のガガーリンで「地球は青かった」というせりふをはいた。その時ぼくは中1だった。
初めての女性宇宙飛行士・テレシコワは「わたしはかもめ」と言ったが、その時ぼくは中2だった。
米のアームストロング船長が月面に第1歩を踏み出したのが、確か1970年の夏。
わたしにとっては単なる1歩にすぎないが、人類にとっては偉大なる第1歩である」という感想を述べた。
宇宙飛行士というのはみんな詩人なのかもしれないなあ。

しかし地上へばりつき土着派のぼくは、あんまり人工衛星で宇宙を荒らさないでほしい神秘は神秘のままでいいのではないかとも思う。

20年程前の満月の夜、三国のサンセットビーチ波打ち際でぼくは男女数人と共にウイスキーを飲んでいた。隣に座った米人に「日本ではの、月にうつったあの影はウサギのもちつきなんや。そしてかぐや姫が降りてくるんや」と言ったら、米人男性は「いや違う、米のひとはあの影を男の顔だと思ってるんやざ」と言った。
何故この男が福井弁を使っていたのかというと、ロスアンジェルスへ留学に来た福井の女の子と出合いそして一方的にほれて、帰国した彼女を追いかけてきたからである。
数年間の福井滞在を経て(多分愛は成就せずむなしく)米に帰国したこの男性は、一時期ローカルTVのコマーシャルに出ていたことがあるので、皆さんのなかにも顔を知っているひとがいるかもしれない。

05/07/28 (木) 昨日 

昨日は丸岡町役場で介護保険広域連合議会が開かれた。(参考)
終了後、同僚議員とともに某喫茶店へ。
話しはアスベスト問題と中学校問題に終始した。

市内教育関係施設に残存する吹付けの殆どは、実はアスベストではなくてロックウールである。但し昭和時代後半数年間の過渡期に施工された吹付け材には数%のアスベストが混入されている可能性がある。行政は当然その成分検査をしなければならないと思うが、人体に与える影響指針の策定責任は国にある。
議会はそれを声高に言っていかなければならないと、思う。
〇高校野球県大会準決勝第二試合・福井vs敦賀気比は福井が薄氷の勝利を得た。気比と言えば気比の松原だ。

気比の松原に母親の実家があった関係で幼少のみぎりつまりぼくが金髪で色白のそれはそれは可愛いたまのような赤ちゃんだった頃、夏の松原は遊び場だった。
すいせんまんじゅうと地引網と交通事故(ぼくは自転車に轢かれた・・その頃は運搬車と呼ばれていた)の記憶が鮮明に残っている。毎年のお盆には流し素麺を食べたあと灯ろう流しを見詰めていた。
もう決して戻ってくることのない半世紀近く前の頃をなつかしく思い出しながらのTV試合観戦だった。
〇掲示板を読み返してみた。ほぼ毎日入っている。
・・・ということでアイコンをリフレッシュしました。

05/07/27 (水)  ちょっと思ったこと 

・6者協議の場で拉致問題をとりあげることに対して、北朝鮮はともかく韓・中・ロが反対している理由が、朝鮮半島の非核化という主要問題の解決が困難になるということであれば、政治交渉とは取引そのものではないかと思ってしまう。

・競合する各々のメーカーは耐火断熱性能に優れ用途範囲の広い廉価な材料であったからこそアスベストを製造販売し続けてきた。製造許認可権を持つ国がメーカーの圧力に屈することがなかったならば、諸外国に比べて製造禁止時期が遅れたという事態は避けられたはずだ。これは国の弱腰云々ですむことではないし、全国の自治体のアスベスト撤去対策への補助は当然しなければならないことだと思う。

・昨晩は今期初めてのナイターTV観戦だった。試合は阪神vs巨人。
はつらつぞろいの阪神選手と比較して、巨人選手はあまりにも精彩がない。
V9の頃の憎たらしいほど強かった巨人はどこへ行ってしまったんだろうなあ。

アメフトの名選手で妻殺害疑惑の渦中にあった米人O・J・シンプソンは
9年前にこう言っている。

名声は蒸気のようなものだ
人気もうたかたにすぎない
金は羽根が生えたように飛び去ってしまう
確かなものはただ一つ
人間としての選手の姿だけだ

しかし、建国以来たかだか400年弱に過ぎない米とちがい、2000年の
歴史を持つ我が日本は800年前の源平合戦を描いた「平家物語」の冒頭で既にこのことを言っている。

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
しゃらそうじゅの花の色
盛者必衰のことわりをあらわす
おごれる者久しからず
ただ春の夜の夢の如し
猛き者終に滅びぬ
ひとえに風の前の塵に同じ

うーん、漢字は忘れてしまったし字句も間違っているかもしれないが
おおよそこのような無常感を我々は持っているはずである。

05/07/26 (火)  アスベスト

本日の午前9時半から、教育厚生常任委員会協議会が開かれた。テーマは「アスベスト問題について」
市内教育施設における石綿材・岩綿材使用状況リストが配られ、それをたたき台にしつつ今後の対策が議論の焦点となった。
石綿は建物内部の吹付け材にとどまらず、例えばPタイルの基盤・クッションフロアの基盤・排水パイプ・煙突あるいは自動車のブレーキ等々広範囲に使われている。
私など工事現場で吹付け現場に何度も立ち合ったし、石綿成型板をのこぎりで切る大工とその場で話しをする機会など枚挙にいとまがないくらいあったのだから、その粉塵は肺に入っているのだろうと思う。ま、個人的なことは省くとして・・・。

これはつまり、メーカーの圧力に屈して使用規制を遅らせた国会議員にその責任があるとぼくは思うのだ。使用禁止を法が定めた時期の年表で欧米と比較してみると、その遅れは一目瞭然ある。
いずれにしろ、カネよりもモノよりも一番大切なのは命であるのだから徹底した対策が必要だ。


05/07/25 (月) 昨日の日曜日に盛者必衰を感じた  

鉄骨むきだしの建物の寿命は塗装部分のメンテナンスにある。即ち10年おきぐらいには再塗装を施すことがとても大切だ。特に柱足元部分に注意しなければならない。先日の教育厚生委・現場調査でもそのことを感じた。
そこで昨日の朝は、脚立にまたがって、事務所・鉄骨フレームの錆落し及びオイルペンキ再塗装にいそしんだ。錆は恥部みたいなもので、これがなくなると気持ちがいい。
午後に所用をこなし、夜は久しぶりのTV観戦。NHK大河ドラマ「義経」を初めて観た。ドラマに出ている平資盛・・役者の名はわからないけれどもなかなかにりりしい男だ。

20年程前に「平家物語」を読んだ時、平清盛の息子たちのうちで一番ひかれたのは、重盛でも宗盛でもなく資盛そのひとだった。
壇ノ浦で最後の最後に入水する。その時のせりふは「見つべきことは見つ」だった。
平家の総帥として、一門の最後見届けの責任を果たし、盛者必衰諸行無常を感じたからこそでてきた言葉なのだろう。


〇メールで入ってきた暑中見舞いを読んでいるうちに十数年前を思い出した。
全くどうでもいいことだけど・・・。
知人女性から「夏してますかー?」という葉書を頂き、「暑いのでしてません」という返事葉書を出してひんしゅくをかったことがあるのです。

05/07/24 (日) 風になれなかったわたし  

風になり日記を休んで数日の寝袋旅にでようと思っていたのだけれども、「あれやってくれこれやってくれ」の連絡が入ってきて旅を断念。
仕事の合間に某書を読みながら世界を憂いていたところにエジプトでの自爆テロのニュースが飛び込んできた。

世界は何故こんなに殺伐となってしまったんだろう。10数年前グローバリゼーションという用語が市民権を得た。情報が瞬時に世界に発信され経済活動は国家の境界を越え貧富の格差が縮小され我々ひとりひとりが地球市民として平和を享受する時代を暗示する用語かと思った。しかし、幾星霜を経た現在、アフリカの飢餓やエイズの脅威は去らず冷戦の終わりを待っていたかのように内紛が頻発し、拉致問題は解決せず、我々はおろおろするばかりである。

唯一の超大国米の背後にあるのは国際ユダヤ資本であるとこの本の著者は言う。二千年間流浪の民であり続け、ヒトラーから民族根絶やし的迫害を受けたユダヤ人はその軸足をポーランド・ロシアからアメリカにうつした。流浪のなかで会得したものは、知力と富と軍事力であり、戦後政治のなかでその力をいかんなく発揮しあるいはシオンの丘にを合言葉にイスラエルを建国しパレスチナの地を占領した。
イスラム過激派のテロももとをたどればそこにいくのだろうし、中国の民族的覇権主義とも言われそうな昨今の動きも、国際ユダヤ資本への対抗軸としてでてきた、と著者は言う。

この先、世界はどうなっていくのだろうか。


05/07/23 (土) 静かな朝  

昨夕5時頃、三国町に新しくできたアイスクリーム店で店主と打合せをしていたら、男性が横に来た。「牧田さん、昔、未来館で牧田さんらが企画した公演のスノーフレークはとってもよかったですねえ。客席を舞台より高くした例はあれ以来ないですよ」と、言う。

「スノーフレーク」は路上生活者の俗語だ。サーカスの元花形スターだったゲール・ラジョーイさんが怪我をして入院中、病院の窓から路上生活者を日々観察し、そのなにげない一日を一人芝居にしたものである。ペーソスのつまった芝居だったと思う。
芝居のはねたあとは、ラジョーイさん以下のスタッフ5、6人と企画実行委員5,6人とで元遊郭の料理屋に行き食事をした。行灯で照らしだされる古色なたたずまいに青い目のおにいさんおねえさんがたがとても喜んでいた。

こういった芝居の企画は神経をやわらかにしてくれる。純粋に楽しい。SさんKさん、又、定例でやりませんか?
○日記をしばらくお休みします。


05/07/22 (金) 昨日の一日  

昨日は、教育厚生常任委員が午前9時半に庁舎集合。
協議を終えてから管轄施設の現地調査に入り、午後5時まで続いた。
懸案のある施設ばかりをまわり、説明を聴いた。疲れた。

現地調査施設は以下のとおりです
・埋蔵文化財センター
・金津中学校
・中央児童クラブ
・金津雲雀ケ丘寮
・あすなろ工房
・東部グラウンド(剱岳)
・細呂木保育所
・北潟幼児園
・芦原中学校
・芦原学校給食センター
○スキャナーの機能が復帰したので,これからは時々取込みたいと思います。

05/07/21 (木) 昨日の一日  


・昨日の午前中は、書類整理にいそしんだ。不用になった書類が沢山ある。捨てることが大切だ。

・午後1時半から介護保険広域連合で勉強会。
この制度も順次変更されつつある。制度自体がいろんな矛盾を含んでいる。
家族意識がどんどん変わっているんじゃないだろうか。うまく言えないけれども、制度を運用するのはあくまでも我々人間であることを忘れてはならないと思った。

・午後4時半に坂井健康福祉センター・環境衛生課へ行き、アスベスト公害のことをいろいろ聞いた。
新聞紙上を賑わしているのは、当時製造していた工場の作業員あるいは周辺地域住民に関わるものである。
だけれども、既存建物にアスベスト残存はないのか。それが心配だ。

05/07/20 (水) 昨日の全協  

昨日は全協(全員協議会)が開かれた。
○協議事項
1.第10回あわら市議会臨時会の会期、日程について

2.当面の議会運営について
(1)各常任委員協議会(現地研修)について
(2)特別委員会の設置について
(3)意見書の取り扱いについて
(4)議会運営基準、申し合わせ事項について
(5)9月定例会会期について
(6)その他
 ①議会におけるエコスタイルについて

3.その他
(1)議員集合写真撮影について
(2)防災服について
(3)嶺北消防組合消防総合訓練について
○夜、芦原温泉街で知人と飲む。
ほてった体を鎮める為及び健康の為にひとり歩いて帰った。
午前零時、湯の花公園を出発。
あわら庁舎まで10分、警察署まで17分、自宅まで36分だった。


05/07/18 (月) 夢  

明け方、すごく嫌な夢で目が覚めた。
夢にはいい夢と嫌な夢があり中間の夢というのがないのが不思議だ。
いい夢から目覚めると残念に思うし、嫌な夢から目覚めるとほっとする。
今はとりあえずほっとして熱い珈琲を飲んでいるのだが、どうも昨晩布団のなかで読んだ本のせいだ。
文庫本「新撰組興亡録」のなかの「近藤と土方」(戸川幸夫著)は、捕縛した勤皇の士・古高俊太郎を拷問にかける土方歳三のことを書いていて、その残忍な描写に辟易しながら寝ついたことに原因があると思われる。
寝覚めを考えると、布団の中では楽しい本を読むほうがいいようです。

05/07/17 (日) 今日は祭りなかび 

昨晩は39会による選挙の反省会。
通る通らないは半々で通るにしても最下位ぎりぎりだろう、が選挙前におけるみんなの見方だった。

これからの4年間で議員定数は更に減る。減るにしたがって地区割りの広域化が進み、ぼくのような小地区住まいの身に来期への可能性はほぼ無いと思います。
だからこそ、この4年間悔いのないように議員活動に精出したい。
皆さん、ご支援ありがとうございました。

2005/07/16 (土) 石切場跡  

「文化庁が石見銀山世界遺産推薦へ」という新聞記事を読んで、宮谷石切場跡を思い出した。
スケールは比較にならないだろうが、宮谷石切場跡もなかなかに雄大だ。
山裾から数十mの坑道(マブ)を腰をかがめつつ歩ききると、突然吹きぬけの空間がひろがる。吹きぬけを過ぎると石の切断跡が板状に垂直に我々を囲む。
山からの伏流水によってできたたまりは深くあくまでも透明で青味を帯びている。
暗い闇奥に蝙蝠の群れがかすかに見える。

もう十年近く前か、演奏公演に来た筑前琵琶奏者をここに案内したら、「こういう幻想的な場所で演奏してみたいわ」と彼女は言っていた。

2005/07/15 (金) 昨日の一日 

午前中は、議会事務局へ。21日に予定されている教育厚生委員会管内視察先決定についての打ち合わせに出席した。帰りしな、雲雀ケ丘寮長から民営化に向けての進捗状況を聞く。
帰宅し、インスタント焼蕎麦をふたりぶん食った。
夕刻に知人来訪。「障害児を持つ親の会」の行政に対する姿勢をいろいろ聞かせていただいた。
晩飯を食べてから、金津祭りの為の準備ということで、まちうち議員宅を訪ね歩いていたら、手話サークル会員から「事務所前で待ってる」という携帯コールが入る。
うーん、サークル例会場所がわたしの事務所に変わったのをすっかり忘れていたすまんすまんと心でつぶやきながら事務所に戻る。
事務所での話し(この場合は手による話しだ)の内容がだんだんややこしくなってきたのであと三人の方に来ていただいた。
夜もふけてきた頃、ぼくはあくびが出そうになる自分に気がついた。会話の最中のあくびは礼を失する。
就寝午後8時起床午前2時が定番の日々を送ってきた自分を反省し、明日から普通の生活に戻ろうと思った。

○午前中、元女教師来訪。
「一番大切なのは環境問題です」を長い時間力説して帰っていった。

2005/07/14 (木) 祭り 

金津祭りが近づいてきた。三人のこども達小さかった頃は神社参道に並ぶ屋台で金魚釣りなどをして楽しんだものだ。
ある年の夏、雑踏の屋台脇で娘から「おとうさん、山車ってなんや?」と訊かれたことがある。改めて訊かれてもよくわからないので家に帰ってから考えた。

山車の前を神輿が練り歩く。神輿は当然神あるいは神の分身だろう。山車の人形はたいていいかつい戦国武士なのだから、神のガードマンというところか。
各地区の入口では、区長以下の役員が山車を迎える。先代の区長が「昔は山車通るところが細かったり折れ曲がっていたり暗かったりで危険を避けるための水先案内人をしてたんや」とぼくに語ったことがある。

これは、天孫降臨・猿田彦の出迎え⇒ヤマトタケル物語=大和朝廷全国平定の構図と重なるのではないか。
まつろわぬ種族、それが古事記でいうところの出雲国であったりあるいはそれ以前でいうと土蜘蛛であったり縄文人であったりなんだろう。
と、縄文びいきのぼくは思うのである。

ま、当日は何も考えずに飲んで食っての一日をおくるのだけど

2005/07/13 (水) 1歩ずつ  

新しい議会での配属を決めるいわゆる組織議会が終わって半月近くが経過した。
今月19日には全協(全員協議会)が開かれる予定だし、その後には一部事務組合(広域介護連合)の議会が控えている。議員仲間での勉強会も検討されているようだ。
うーん、議会が徐々に動きだしたという感じだなあ。ぼくの一番のテーマは、いかにしたら議会の動きをみなさんに伝えることができるかだ。
通信誌もはやく書き込んで配達したいと思うし、このHPのスタイルをもっと斬新なものにせねばとも思うし、いろんなところへ出かけていって聴きかつしゃべらねばとも思っている。
ま、試行錯誤で頑張ります。

○本日の来訪者がぼくに「牧田はん、日記書くより、掲示板の返事書くほうが大変なんじゃないか」と言った。
全然そんなことないです。書き込みがあればとにかく嬉しいです。掲示板にどんどん書き込んでください

2005/07/12 (火) 一行日記 

本日はアタマがぼーっとしています。

2005/07/11 (月) 昨日の日曜日 

昨日の日曜日は、ずうっと事務所にいた。
家族以外の誰とも顔を合わさず来訪者もなく電話もなく、つまり閉じこもっていたわけですが、これがなかなか楽しい。

五木寛之も昔、「プレイボーイ」にこんなこと書いていた。

ひとりでいる時は孤独だというけれど、とんでもない
ひとりでいる時に、自分の体の例えば手とか足とか
足の指とか耳たぶとか髪の毛とかすべてが
お互いにおしゃべりし合ったり警告を発したり
悲鳴をあげたりしている

2005/07/10 (日) 熟睡した昨晩 

昨晩は市内で某国会議員の話しを聞いたあと、同僚市議三人で喫茶店へ。
テーマは子育て。
ぼくら夫婦にとっての子育ては既に終わっているけれども、しゃべりながら聴きながら昔を思い出してとてもなつかしかった。
事務所に戻り夕食を終えた後はCADをこなし11時に布団に入る。添寝本は梅原猛のエッセイだ。若い頃このひとの話しを間近で聴いたことがあるが、エッセイを読む限り相変わらずお元気のように思えた。

2005/07/09 (土) 無差別テロ  

「死を考えることが生をより充実させる」という人口に膾炙している言葉がある。
ぼくたちは確かに生と死の境の塀の上を歩いているのだし、自らの死をイメージすることがままあるが、911迄は誰も無差別テロによる死をその範疇に入れてはいなかったはずだ。
米英連合対イスラム過激派の構図を考える時、ニューヨークの次ぎにその標的になる可能性を秘めた都市は、日常的にテロの発生しているイラクを別とするならば確かにロンドンだった。
しかし、ぼくたちと同様ロンドン庶民の殆どはその意識において世界政治の構造とは無縁に生きている。とにかく日々の安泰を何より優先して生きている。
無差別テロは少なくともこの一点において決して許されないと思う

2005/07/08 (金) 夜明けに緑茶を飲みながら  

何日か前にあるひとと学校論議をしていた時、これからの学校は木造2階建てがいいのではないかという話しになった。
①テッキンの陸屋根は雨漏れを誘発しやすいのではないか
①テッキンの堅い床は成長途上のこどもたちの膝によくないのではないか
①木造ならば、素人でも修理しやすい・・・エトセトラで話しが終わり帰宅。
暇にまかせて昔とったメモを読んでいたら、誰の言葉かしらないが「学校の校は木と交わると書く」とある。成程と思った次第です。

○選挙のこと
選挙の挨拶廻りも峠を越した感があります。
思うに、六百数十人もの大のおとながわざわざ投票所に足を運んでくださりわたしの名前を書いてくださったのだ。感謝以外に何の言葉もありません。
無記名投票なので六百数十人全てのかたを把握することは物理的に不可能です。
この場を借りてお礼申し上げます。

○近隣住民の皆様へ

2005/07/07 (木) 上杉鷹山 

深夜ラジオが上杉鷹山のことをしゃべっている。

議員になった頃視察研修で米沢市内にある上杉家藩主代々墓所を訪れた際、鷹山の遺徳を聞いた。
語り手は70歳前後と思われる「語り部ボランテイア」のおじさん。まことに軽妙洒脱な語りで、金津町もこういうひとたちを募集し、市内名所旧跡にはりついてもらうといいがなあと思ったよ。
藩政たてなおしの為確か九州から養子として招聘された鷹山は、外様故に抵抗勢力の冷たい視線に耐えながら改革を次々と断行したのである。

「鷹山先生はですねえ。自らの日々の食事をもですねえ。一汁だけにしよったとですよお」という語り部の言葉にぼくたちは感心しうなずいていた。
語り部おじさんは最後に「鷹山先生はですねえ。側室を大幅に減らしてですねえ。最後には7人にしよったとですよお」と言った。

一夫一婦制をかたくなに守り、妻以外に女性は知らないことを標榜しているぼくにはびっくりする解説だった。儒教道徳下の江戸期一般庶民に複数多数の性関係を許容する風潮があったとはとても思えない。やっぱり、藩主というのは絶対的な存在だったのだろう生まれ変われるものならばそらやっぱり大名だわなあ、とぼくは思った。

○先日、中間山地にある友人宅を訪れた時のことだ。
道の中央で猫が蛇を捕まえていたぶっている。蛇の頭は既に食べられていた。
(デジカメ撮影アップと思ったが、さすがに気持ち悪くてやめた)
頭のない蛇の胴体はただただうごめくばかりで前進するでも後退するでもない。
これはつまり現在的日本社会退嬰混乱閉塞的状況に重なるのではないか。


2005/07/06 (水) 曇天の朝 

今朝は午前2時に起床。
アクセスカウンターサービス終了のメールが入っていたので、仕方なく他のサービスHPを探した。こういう作業がとても苦手で、刻々時が過ぎていく。
うまくいかない。今晩はエキスパート・ケンくんの世話になりそうだ。

夜明けに作業を中断して仮眠。午前7時に目が覚めた。
どんよりとした空模様だが、雨は降らないだろう。暑くもなく寒くもない一日となりそうだ。

○昼過ぎ、シャツを脱いでCADに集中していたら「国保運営委員会・事務局」の男女職員ふたりが来訪。そういえば昨日昼の来訪職員も女性だった。
男性だったら構わないんだけど、うーん、やっぱりシャツを着ていなければいけないと思った。

○てなことを書いていたら、某大手新聞社の記者さんから電話が入り、「時々HPを覗いています」という。
うーん、文章のプロフェッショナルがみてなさるんや。てにをはに気をつけて書かなければなあと思ったよ

2005/07/05 (火) 雨上がりの朝 

ここ数日雨が降り続いていたけれども、今朝は上がっている。
なんとなく落ち着いた気分になる。

昨晩、ぼくは雨のしょぼ降る向ケ丘・若葉台を歩いていた。
立ち止まって一服した。眼下に見える芦原温泉の夜景がきれいだ。雨に煙るネオンには格別の味があると思ったよ。
けれども
芦原温泉街の昼間の風景には特徴がない。保養地として目を楽しませる魅力は皆無だ。結果として客は個々の旅館から外へ出ない。これでは客がリピーターになりにくい。
魅力的な街を演出する為に、有楽荘跡地をどうするかが、焦点のひとつになると思う。

2005/07/04 (月) さあ一週間の始まりだ 

昨晩は、新郷地区中浜で知人と話しをしていた。
相手は、「牧田さん、新郷小学校合併したらあかんざ。せんように頑張っての」としきりに言う。
中学校の統合論議はこれからヒートアップしていくだろうが、少なくとも小学校の場合、どこの地区にしろそのままにしておくべきという意見が断然根強い。
これは、各々の小学校が規模の大小を問わず地域共同体のシンボルと既になっているからだと思う。

○スーパーマーケットのコーナーは、出会いの広場だ。
今朝、買物に出向いたその場所で某議員と偶々顔を合わせ、臨時議会のことをいろいろ話し込んでいたところへ老人会の有力者が通りかかり話しは老人問題の方向に移行、気がついたら昼飯の時刻となってしまっていた。
オープンカフェーのように、何でも開放性があるほうがいい。
私の事務所(花乃杜1-17-1)もオープンですので、どなたさんも気軽に来てください。

以前、某職員に「町長室なども3階に鎮座されず、1階に扉無しコーナーをつくればそれで十分なのではないかえ?」と言ったら、
「確かに開放性は出るでしょうが、逆に町長から監視されているような嫌な気分になるのではないかなあ」が相手の答だった。


2005/07/03 (日) 昨晩から今朝にかけて 

昨晩は法律相談のことで、友人とふたり山室の某知人宅を訪ねた。
相談終了後は世間話だ。運転者でないぼくは、冷酒を少しだけ頂いた。
気分が和らいできたら蛍をみたくなった。知人がぼくたちを、蛍の飛ぶ場所へ案内してくれた。
乱舞とまではいかなかったが、車の点灯ランプをめざして蛍が寄ってくる。
快感だ。
一時期ぼくは宮本輝を読み続けていたが、きっかけは川三部昨のうちのひとつ「蛍川」を偶々読んだことにある。蛍乱舞を描写したラストシーンの文章が忘れられなかったのである。

明けて今朝は竹田川河川敷の一斉清掃つまり草刈だ。
終了後、大阪へ行く妻をJR芦原温泉駅まで見送り、その足で湯のまち駅前多目的広場へと車を走らせた。
「第1回あわら消防団・消防操法大会」が開かれたのである。
午前11時帰宅。やっとあさめしが食える


2005/07/02 (土) 昨日の組織議会 

実にながーい一日が終わったあとは親睦会。
午前零時半に帰宅したぼくはとりあえず風呂を浴びてからキーボードを叩いている。 議会の組織が決まった。

議長 山川豊 副議長 東川継央

総務委員会
◎丸谷浩二○宮崎修 山川知一郎 山口峰雄 関山博夫 海老田州夫 見澤孝保 東川継央

産業建設委員会
◎向山信博○穴田満雄 笹原幸信 坪田正武 篠崎巌 石田則一 山川豊
教育厚生委員会
◎橋本達也○牧田孝男 八木秀雄 大下重一 卯目ひろみ 北島登 杉田剛

議会運営委員会
◎見澤孝保○杉田剛 山川豊 東川継央 丸谷浩二 向山信博 卯目ひろみ
         
注 ◎委員長 ○副委員長
議長任期は原則4年だが、2年交代が今までの慣例なので、この体制がその間続くだろう。
○昨日の教訓⇒人間は、煩悩の深い動物である


05/07/01 (金) 雨の朝 

昨晩は手話サークル会員8人が私の事務所に集まった。
ビールで乾杯してからあとは、サークルの今後をどうするのかが、話の焦点になった。
市内ふたつのサークルをそのままにするのか、あるいは統合するのかで論議は難航した(うーん、このあたり、中学校問題と同じである)。
例会を開く場所の件も含め、いろんな案が出た。
一応の方向性が出た時点で、大きな古時計が午後11時の時報を打ち、解散。