昨日の午後、「暇なんや」という電話があって友人Aが事務所に来た。友人AはBを呼びBはCを呼びCはDを呼んで、閑静な事務所は酒盛りの場と化した。
皆は、酒盛りの前に事務所の床を拭きテーブルを拭きガラクタをゴミ箱に捨ててくださる。ありがたいことだ、と思った。
私も酒盛りに加わり、皆の話を聴きつつ静かにビールを飲んでいた。
5時を過ぎたところで、妻が私を呼びに来た。
二日の夜は、福井市・二の宮の義兄宅で毎年恒例の義兄弟固めの杯が予定されていたのである。
妻の車で直行。
なんせ午後2時から飲んでいた私は、越の寒梅や山海の珍味を前にしつつ、それ程には箸を進めることができぬうちに酩酊不覚に陥ってしまった。
明けて早朝にJRで帰宅し、事務所へ入った。
友人達は深夜遅く迄飲んでいたはずだが、テーブルはきれいに拭かれており、座布団はきれいに片付けられている。ありがたいことだ、と思った。
そのテーブルの上には「信州わさびの柿の種」一袋がおかれており、冷蔵庫にはビールが入っている。
「家主である私へのお礼の意味なのだろう、ありがたいことだ」と思いつつ、今、味わいながら、
青空文庫を読んでいる。
正月とはこのようなものだろう。
〇昨日に引き続き、映画無料配信ソフト「Gyao」で、マキノ雅弘監督「日本侠客伝」を観た。
1969年製作の映画だ。
高倉健・中村錦之助・松方弘樹・津川雅彦・田村高広・三田佳子・藤純子・南田洋子等々みんなみんな若い。
昔気質・「木場政」の小頭長吉(高倉)は、新興稼業「沖山運送」(・・・平成の現代ならば、ホリエモンとか村上ファンドにおきかえればいい)の理不尽な仕打ちに耐えかねてなぐりこみをかけるのである。
鍛えぬかれた肉体と寡黙と憂愁を併せ持つ高倉健はぬきんでてかっこいいのだ。
松方や中村はともかくとして、高倉健にはかなわない、と私は思った。
思いながら若かったはるか昔を思い出した。
もう時効だから話そう。
その頃、私には殺してもあきたらない男がひとりいた。ある深夜、私は福井市・開発町の、とある焼肉屋にA子とふたりでいた。もうもうとする煙のなかで、ビール片手に私はその男・B男に対する憎悪を一生懸命しゃべっていた。
しゃべりきった私はやおらたちあがり「俺は帰るぜ」と言って、A子に手をさしだした。
A子は私の右手を押し返した。
「いや!いや!・・・牧田くんは、今から憎いB男のところへ行くのでしょう。私と握手したその右手で憎いB男を殺めようとするのでしょう。そんなのいや!いや!しちゃいけない!」というA子の声を背に、私は焼肉屋を出た。
外は小雪だ。駐車場に向かう私の耳には、確かに高倉健の唄う「♪網走番外地」が流れていた。
私の車の助手席におかれていたのはドスではなく木刀だった(ドスだと銃刀法違反になる)。車を飛ばし、その男のアパートに着いた私は、ドスではなく木刀で玄関戸をドスドスドスと叩いた。近隣に聞こえることを怯えた小心者のその男は(私も小心者だが)、体を小刻みにふるわせながら、私を部屋へ招き入れた。
「俺が何故来たのかわかっているだろうな」の一言だけを発し、その男の横面を拳で思いきりなぐりとばした。床に倒れ込んだその男に「邪魔したな」と言って、わたしはその男のアパートをあとにした。
コートの背に降り積もる雪がむしょうに冷たかった。