2006年03月




06/03/31 (金)
 昨日は 広報編集特別委員会

昨日の午前中は、広報編集特別委員会のメンバーで福井新聞社を視察研修した。
編集局では、沢山の社員がパソコンに向かっている。印刷ゾーンに設置されている機械はものすごく巨大だ。20数万部(一部40頁)を約二時間で捌くそうである。

オフセット以前の、鉛活字などが保存されているコーナーがあって、その脇に昔のカメラマンが使っていたライカ写真機がずらっと展示されている。なににつけ昔のものが好きな私は、しばらくの間見とれていた。

その後、会議室で編集の要諦に関する講義を約一時間受けた。
食事をすませ、「うーん、いろいろ参考になったなあ」と思いつつ金津庁舎へ。
午後は、三月議会定例会「議会だより」の校正で、午後5時半に終了したあと、定年退職なさる議会事務局局長の慰労会に入った。
笹原局長殿、長い間ご苦労様でした。

06/03/30 (木)
本日は広報編集委員会

「貴方はアンテナが低い」と、私はひとからよく言われるし、自分でもそう思う。自己執着が強いぶん、他人に対する興味がうすいのかもしれない。しかし、社会生活を営んでいる以上、他者との関わりを切断することはできない。

57年間も生きてきたので、知り合いもそれなりに増えた。知り合うということは、とりあえず第一印象を持つ、ということだ。そして関係が深まるに連れて、相手に対する印象が変転することが本当によくある。つまり見る眼の不確かさ故に、アンテナが低いといわれるのだろう。
しかしですね。
特定のひとに関する噂など所詮増幅されたりゆがめられたりしているものであって、付き合うことで感じる落差は当然ある。噂は信じないほうがいい。山本リンダもそういう思いであの歌をうたったに違いない。
そもそもが、相手を知るということは至難だ。知るための試行錯誤は必然だ。衝突なども含めて肩肘はらない関係が生まれてきて印象が固定化する。
実は肩肘はらない関係になることによって第一印象の裏切られることが、人間関係の面白さなのではないか。

肩肘はらない関係とは、甘えあう関係なのではないかと、昨日私は思った。
「人間は悲しいことに出会ったとき、悲しみをともに分かってくれる人がそばにいないと、本当に悲しむことができないものである」と、土居健朗は「甘えの構造」のなかで言っている。

06/03/29 (水)
ああ 夜が明けてきた

いつの間にか、選抜高校野球選手権甲子園大会が始まっている。
「退部届けを出しても卒業するまでは部員」というよくわからない規則下で発覚した先輩の飲酒・喫煙故に高野連に推薦辞退届けを出してしまった北海道苫小牧高の選手達のくやしさは想像するにあまりある。
「栄光はなんとか・・」の大会歌が街に流れるたびに耳をおおう日々が続くのだろうが、ドンマイドンマイ、いずれはひとのできない貴重な体験をしたと思える日がやってくる。

ところで、甲子園野球にも勿論記憶に残る名選手がたくさん居るし名勝負が沢山ある。
「黒い霧事件」でプロ球界から追放され、近年やっと名誉を回復された下関商業・池永のマウンドでの風情にはピッチング自体も勿論だが並の高校生にはない貫禄があった。福商vs浜松商の決勝戦は勤務先を抜け出し喫茶店でTV観戦した。接戦を落とした福商の敗因は、先取点をあせるあまりはやい回にスクイズを命じた監督の采配ミスにあると、私は思う。
星陵vs箕島の息詰まる投手戦の時、私は何故か名古屋の栄通りで(今の妻と)デートしていた。作新学院・江川の甲子園デビューの相手は北陽高で、その時私は敦賀港に立つ倉庫外壁鉄板貼りのアルバイトをしていた。江川のデビューは6者連続三振で、その時の北陽5番が今の阪神監督・岡田だった。
・・・と、印象の残る試合を思い出すことはその時の自分を思い出すことである。
○今朝、松岡町(?今は合併して永平寺町か)の山すそを歩いていて六地蔵を見つけた。際に石棺のようなもの(下写真)がある。昔は、遺体が安置されていたのだろうう。南無阿弥陀仏


06/03/28 (火)
異動

今月もきょうを含めてあと4日。新年度が目の前だ。
市職員の人事異動に続いて一昨日は教職員の異動が新聞に載っていた。
末子が高校を卒業しているので教職の世界とは既に縁がない。けれども、知った顔がまだ何人かあり「うーん、○○先生はあそこへ行ったんか。××先生は戻ってきたんか」とかなんとか思いながら異動リストを眺めていた。

「遠くへ異動するあるいは遠くから異動してくる教師というのは優秀であるが故に引っ張られるか、優秀の反対であるが故に遠ざけられる存在なんや」と、現場の教師から聞いたことがある。
民間大手企業と同じような栄転のヨロコビと左遷のヒアイを異動リストから読み取ることができるかもしれないんだなあ、と、そういう世界に無縁の私は思うのだが、問題は何が優秀かだろう。

私の関係している建築の世界だと、職人技などでの優劣はかなり明瞭に判断できる。が、教職の世界での教師像判断はもっとややこしいのではないか。
高校くらいになると、専門教科に関する知識の整合性の有無が優先的に問われるのだろうが、小中校教師(教諭というのかな?)の場合はそれで完結しないだろう。ひととなりが児童生徒にとっての磁場となる。
あくまでも教え子への愛情注ぎを優先し、時には上司(この場合は校長・教頭か)と対立し、時にはバカな親のエゴイズムに対して、体をはって説得するという姿勢を持つひとつまり裏表のないひとが敢えていえば優秀な教師といえるのではないかと、裏表のある私は思うのである。
○姉歯元建築士の奥さんが飛び降り自殺したというニュースが飛び込んできた。やりきれなくて仕方ない。

06/03/27 (月)
ジョン・F・ケネデイ

里帰りしている娘も含めて妻子が二ノ宮の義兄宅に遊びに行ってしまった昨日の晩酌時、私はひとりぽつねんと「ケネデイ暗殺の謎」をTVで見ていた。

あの世紀の暗殺からもう43年も経ってしまった。
当時、金津中学校(木造旧校舎だった)の生徒だった私は、登校してすぐ級友からこの事件を聞いたことを記憶している。日米間での衛星中継開始直後の第二報がこのニュースだった。
「国があなたたちに何をしてくれるかを期待するのではなくて、あなたたちが国の為に何をなすべきを考えることが大事である」という、今でいう自助努力の呼びかけを大統領就任演説に盛り込んだ若干40代は、世界の寵児となった。そしてまた夫人が美しかった(あわら市内にあのレベルは勿論皆無だ)。

冷戦まっただなかでのキューバ危機を回避したことで、ジョン・F・ケネデイの名声はあがったが、結局テキサス州・ダラスで凶弾に倒れ、突然にその生涯を閉じてしまう。

弟ロバートも暗殺されエドワードや姉も変死して、(確か)アイルランドから米国に移住し、禁酒法の網の目をくぐって大富豪となったケネデイ一族にとって最後に待っていたものはいわゆる「ケネデイ家の悲劇」だったことになる。
反目の副大統領だったリンドン・ジョンソンが大統領に就任して、テキサス石油資本の利権擁護は保障されることになったが、既にベトナム戦争が泥沼に入りつつあり、ジョンソンは一期をまっとうしたあと、テキサスに戻り失意のうちに死ぬ。
米国大統領という世界一の権力の座を得る為には、裏社会とのコネクションが不可欠であるということ、栄光には悲劇がつきものであるということを露呈したことが、この「ダラスの暑い日」が発したメッセージじゃなかろうか。

栄光とは無縁の我々庶民は、当然裏社会の何たるかも知らずに生を閉じることになるのだが、その分悲劇とも無縁であってしかるべきだ。
それが人間ちょぼちょぼということだろう、と私は思う。
○所用であわら庁舎に行った際、教育委員会に寄った。
二中維持派の私と教育委員会では話の全体は平行線をたどるしかなかったのだが、どうしても腑に落ちない部分が幾つか残った。焦点を絞り、数日うちに「掲示板」に書き込みたい、と思っています。
○S君、電話ありがとう。二中維持の為にがんばろう。

06/03/26 (日)
真夜中に味噌汁(あさげ)を飲みながら

昨日の午後、我々議員はユー・アイふくい「多目的ホール」にいた。
「社会的性別」(ジェンダー)の正確な理解と男女共同参画社会の形成に向けてというテーマでの、担当大臣・猪口邦子さんの講演と、内閣府担当課長・定塚由美子さんによる男女共同参画基本計画(第2次)の説明を聴いていた。

資料によると
GEMの国際比較で日本は80か国中43位であるという。
先進国でありながら、順位の低い背景にあるものは、アジア的儒教的文化意識の存在だと、担当課長は指摘していた。儒教というと、孔子の教えだろう。
論語に
小人は同して和せず 大人は和して同じず
があって、これはすごい名言だと常々思っているが、それ以外はなんにも知らないので、今度読んでみよう、と思った。

近畿7県からひとが来ての集会で、会場からの質問者は一名を除いて全て女性だった。第1次=「社会的文化的性別(ジェンダー)」→第2次=「社会的性別(ジェンダー)」にタイトルネーミングが変わった理由に関する質問が軸をなしていたように思う。

(注)GEM:ジェンダー・エンパワーメント指数(Gender Empowerment Measure)
女性が政治及び経済活動に参加し、意思決定に参カロできるかどうかを測るもの。具体的には、国会議員に占める女性割合、専門職・技術職に占める女性割合、管理職に占める女性割合及び男女の推定所得を用いて算出している。(備考)国連開発計画(UNDF)「人間開発報告書」
○大相撲千秋楽
組んだ時の魁皇の力は健在だ。まだまだやれる。栃東には気迫があった。
朝青龍vs白鳳
力の入ったいい相撲だった。両手をかざして花道を引き揚げる時の朝青龍の笑顔は素敵だった。
日本の国技はもう国技と呼ばなくてもEのではないか。モンゴリアン民族技としてアジアの結束を目指していけばE。欧州勢がこようがスラブ系がこようが彼らは腰高の欠点を克服することができない。胴長短足が財産の我々モンゴリアンは少なくとも大相撲においては無敵であることを確信している。

06/03/25 (土)
もう週末か

旧金津のまちうち地区に住んでいる議員は5人。昨日の夕方、その5人が某喫茶店に集まった。地区の年間行事に関する事務的な情報交換が5人の集まった理由なのだけれども、話の方向は段々「中学校建設問題」の方にずれていった。「二中派」vs「統合派」で当然のことながらそれぞれの持論での応酬だ。6月議会に向けて白熱化していくのだろうと思いつつ帰宅。
ちょうど夕飯時だった。

一日のうちで唯一ほっとできる家庭団欒的時間帯を楽しんでいたら、二人の行政職員から呼び出し携帯コールが入った。
安酒場での話題は「議員報酬問題」に変わり、私は自分の思いを述べた。
二人はわたしのことを、理解してくれたようでもあったが辞職勧告も受けたのだからあるいは非難しているようでもあった。
「あの場面で3人の議員が反対討論をした。賛成討論は誰もしなかった。しかるに議案は賛成決議となった。これはおかしい。あんたは、賛成討論をすべきだった」と言われたが、確かに賛成討論なしの賛成決議は不自然だ。
実のところあの場面で手を挙げようかと一瞬思ったのだけれどもいろんな思いが錯綜してやっぱりできなかった。
○昨晩は珍しく風呂に入らなかった。
潔癖症の私は、気持ち悪くて仕方ないので、事務所でパンツを洗った。
ブルーのパンツが青空の下、春風にそよいでいる。
私は見える部分の服装には金をかけないが、下着はブランドものに限定している。ひとはそういう主義の私のことを、「隠れたダンデイスト」と呼ぶ(らしい)。

○教師稼業の友人(やや変人)のHP日記より・・本人の承諾を得ての貼付け
              ↓
 学校の「適正規模とは??
 平成の市町村大合併も一段落したようだが、何のための合併であったかを考えれば当然の帰結ながら、これからは様々な行政機関の統廃合が着々と進められる段階に入るわけで、教育現場たる「学校」も決して例外ではなく全国津々浦々で喧々諤々の大論争が進行中らしい。言うまでもなく教育とは、理念的には経済効率とは無縁の地平で論じられるべき営為ではあろうが、なんせ国家破産寸前の財政状況をどうするんだ、という背に腹代えられぬ事情に端を発する「改革」であってみれば、公立学校の統廃合も「効率」の視点からの議論が先行することもある程度はやむなしと思う。が、その反面、だからこそ議論の展開には大いに警戒を要するとも言える。統合反対派の方々は「地域の学校を守れ」という素朴で至極もっともな主張をする一方で、統合推進派はよく「学校の適正規模」という概念を対置させた論陣を張る(確かに、”こっちの方が安上がりだ”などという論陣は張りにくい)。子供に社会性を備えさせるための「集団教育」としての学校教育に親は我が子を託すのであろうから、やはり適正規模というものはあるだろうと思う。教育行政学などというものには全くの無知ではあるけど、問題はこの適正規模だ。勿論、生徒児童の発達段階に応じて適正規模という概念も変化することは言うまでもないが、例えば”24の瞳”どころかわずか6つほどの瞳を相手に僻地の分教場で奮闘する教師の教育活動は、適正規模に達しない現場であるが故に教育効果が薄い、と果たして言えるのかどうか。翻って私の小学校1年の時は、一クラス60人編成で8組まで、教室は4つ。言わずと知れた午前午後の2部授業。中学は一学年850人、全校生徒2,500人の超マンモス校で私は3年生の時は17組! 終始一貫適正規模をはるかに越えるであろう学校で育てられた我々の世代だが、別に粗末な教育を受けたとも思っていないし、”あの日々”はそれなりに楽しかった。私がかくも臍曲がりの人間に育ってしまったからといって、それは「自己責任」であり、別にその原因をあの超過密な学校教育に求める気もない。 はっきり言えることは、《器(ウツワ)》が問題なのではなく、やはり《中身》《内実》、つまり、中でいかなる志を抱いた教師たちがどのように汗かいているのか、なのでしょうね。自戒を込めて、、、 いずれにしても、賛成・反対の意見が拮抗するということは、それぞれにメリット、デメリットがあるということだろうから、十分に審議を尽くした上で地域の実情に応じた判断を下すしかないのだろう。

06/03/24 (金)
化学物質過敏症

夜明けがきたので、TVをつけた。
TVニュースは、大阪在住の化学物質過敏症(17歳)のひとが、十分な対応をしてくれなかった、として学校を訴えた裁判の風景が映し出されている。
彼は、自宅が新築された際、シックハウス症候群になったそうだ。

3年ほど前、化学物質過敏症のひとの別宅を設計したことがある。人工的な物質あるいはその物質が発する匂いに対する免疫力がないことでの苦しみが大変なものであることを、その時いろいろ教えられた。
Sさん、もしこれを読んだならば、「掲示板」にでも、コメントしていただけないかなあ。

閑話休題
昨晩は、電話連絡とともに事務所への来客あり。
風はあったがそんなに冷たくはないので、海岸線をドライブした。私の場合、(一番好きなのは昼の加賀海岸だけど)夜の三国海岸を時々見ないことにはストレスが出てくる。
しかし、蟹漁はもう終わったし、イカ釣りのシーズンでもない。つまり沖合いに灯りが見えないのである。沖合いに灯りの見えない夜の海など、クリープのない珈琲と同じ(もっとも私はブラックオンリーだ)。
面白くないので、私は、「闇の海底には髪の毛の逆立った沢山の死体が揺らいでいるのだ」だの、「便所のキンカクシから真白い手がじわあっとでてくるのだ」だのを、消え入るようなこわねでしゃべりながら運転者を怖がらせていた。面白かった。

06/03/23 (木)
議会の翌朝は小雨

きょうは、午前5時半に起床。
とりあえず、議会資料を「報告」にUPする為の作業に四苦八苦。
何故四苦八苦かというと、OCRソフトがうまく動かない、仕方ないので手入力に挑戦しているからです。
正午現在までにUPしたのは「総務委員会審査報告」だけです。
・・・
午後6時、「報告」に、3常任委員会報告をUPしました。

06/03/22 (水)
本日は議会最終日

暑さ寒さも彼岸までということで、WBC勝利に沸いた昨日の日本列島は春分の日だった。久しぶりに里帰りしていた妹と一緒に富津の椿原生林を目指して車を走らせる途中、墓参りをしている風景に何度か出会った。

夜は来客。珈琲を飲みながらの話題は「地区別説明会」についてだった。
来客帰ったあと布団に入ったのだが、途中で目が覚めた。煙草を口にくわえたけれども、ライターのガスがきれている。引き出しにマッチがあったので、それで火をつけた。闇の中の炎はファンタジックだ。

        夜のパリ
夜の中に擦る三本のマッチ 一本また一本と
最初のは 君の顔を すっかり見るため
次のは  君の眼を見るため
最後のは 君の唇を見るため
そして真暗闇は それらすべてを想い出すため
君を 腕の中に抱きしめながら
                ジャック・プレブェール

死ぬまでに一度だけで構わないから、こういう場面のなかにいたいものだ、と思う。

06/03/21 (火)
午前3時の月は朧月だ

身近なひとからいつも言われているし自分でもそう思っているのだが、私は本当にいいかげんな人間だ。
先日パソコンのOSを交換した折、データの一部を失くしてしまった。CADデータが無事なので一応はよかったものの、自戒自戒。
実は、先日の一般質問のレジュメの一部を「テーマ別掲示板」にUPしようと思い探していて、消失に気づいたのである。仕方ない、議会終了後に議事録閲覧でUPしようと、思います。

閑話休題
ウイニーとかいうソフトが猛威を振るっているとのことで、しかしそれがなんのことやらとんとわからず、コンピューター習熟No1議員に聞いたら、ファイル交換ソフトだとの答えをいただいた。しかしファイル交換とはなんのことやらやっぱりわからないし、第一、自分のパソコンにそれが組み込まれているのかどうかもわからない。ただ、それが個人情報を流出させる結果を招いていることだけは確からしい。
何年前だったか、ウイルス予防ソフトの更新をせずにいたところ、このHPからウイルスを(どの程度だっかはわからないが)伝染させてしまい苦情が相次いだことがあり、大変申し訳なく思った。爾来、金銭を惜しまず更新を続けている。
ところで、このパソコンにある私の個人情報って何なのか考えてみたのだけれども、知人のメールアドレスリスト以外には別にないなあ。

06/03/20 (月)
昨日の日曜日

昨日の日曜日は早朝に起床。
いつ来客があっても恥ずかしくないようにとの思いで、とりあえず事務所を整理整頓した。珈琲飲みつつCADにいそしんでいるさなか、友人男性が来訪。
「中央公民館での説明会に行ってきました。ぼくは中立派ですけど、若いお母さん方の出席が少ないのが気になりました。自分達自身の問題ですからもっともっと関心を持つべきだと思うんです。」と、言う。

午後はWBCをTV観戦。上原の快投とイチローの格好良さと福留の存在感が印象に残った。決勝の相手はキューバだ。
確かシドニー五輪の頃のキューバチームの四番打者がキンデランだった。
当時、世界一のスラッガーと言われていた彼の記者会見を偶々TVで目にした。
「私は大リーグへは行かない。金銭の為に働きたくない。国の名誉の為に働きたい」と、言っていた。

午後3時半、友人女性が来訪。
「旦那は統合派で、私は二中派です。どちらにもそれぞれの言い分がありますが、ともかく、慎重に考えていかなければならないと思います」と、チョコレートを食べながら言う。

彼女が帰った夕刻、自宅に戻った。妹が里帰りしているせいなのだろう、メニューはすき焼だった。「三球三振」と一緒に食べて以来の肉だ。

ところで
この画面右上に貼り付けたイラストは牛で、私は牛どし生まれだ。身近な同級生からは「牛(ぎゅう)さん」と呼ばれている。
小学校時代の学芸会「猫と鼠はなぜ仲が悪いか」で牛の役を演じたことに由来するニックネームである。
さらに、中学校の国語教科書に載っていた高村光太郎の詩
  
牛は のろのろ歩く
・・・
澄んだ 正直そうな瞳を持ち
・・・
・・・       にも由来しているのだと思う。
○夕刻、自宅裏を散歩して見つけた草花。蕾が開き始めている。
じっと見つめているうち、俺はなんで人間稼業などやってるんだろうかなあと思ったよ。嫌なことが多すぎる。

06/03/19 (日)
昨晩

昨晩の地区別説明会が終わってから、二中維持を持論とする有志5人が私の事務所に集まった。我々の声をどういうふうにして拡げていくか、その方法論を検討しているうちに日付が変わり、散会。
そのあと事務所に残った私は掲示板の「中学校建設問題」を読み返してみた。

No54・OBさんの「・・・賛成する人は反対する人の意見を聴き、反対する人は賛成する人の意見を聞くことで、より良い方法が見つけれれるような気がする。自分の考えに対して自分で反論して見ると面白いですよ。」が印象的だなあと思いつつ帰宅。妻がまだ起きていたので、そのことを妻に語った。

「エンプテイ・チェアという言葉があるんや。自分が目の前にある誰も座っていない椅子に向かって自分の思いを語る。語りきったあと、その椅子に座って自分の語ったことを反芻しつつ聴く側にまわる。そうすることでみえてくる自分があるんや」と、妻は言う。
人間というのはなかなか複雑な存在だと、私は思った。


06/03/18 (土)
さあ 週末だ

昨日は午後一時半から教育厚生常任委員会が開かれた。委員会も最終日三日目に入り、管轄は福祉部だった。
今年の10月から障害者自立支援法が施行されるので、私は、その動向について聞いた。身体・知的・精神障害者に対する支援が介護保険のような契約のかたちをとり一本化されていく、というのが骨子だが、功罪についてはいずれにしろ動き出さなければよくわからない部分があるみたいである。
三日間、それぞれの管轄部門に対しての質疑を終えたあと、課題がひとつ残った。
考えさせられる課題でありそれについて行政側との間で丁々発止があったのだけれども、委員会側の態度は教育厚生常任委員長の裁断となるので、ここでは書かないでおこうと、思う。

閑話休題
例えば議員控室にいる時、議員どおしで「昨今の親の教育力の欠如」が往々にして話題となる。その時、私は恥ずかしくて必ず下を向く。

私の三人の子どもたちが幼少だった頃は、彼らや彼女をいろんなところへ連れて行き、いろんなことをして一緒に遊び、いろんな話を一緒にしたが、それはどうも親の義務感でしたことではないからだ。
子どもというものがどのようにして言葉を覚え、どのようにして立居振舞を獲得していくのかを観察することは、自分自身の追体験をすることであり、とっても面白かったから夢中になっただけの話だ。
よって子どもたちが中学に入った頃には会話・接触が疎遠となり、妻からは「今の子どもは昔の子どもと違う。父親としてのサポートがもっと必要や」と、いつも言われていた。
つまり、父親としての義務を果たしていたという自信がないのである。
○↓知人(若く美しい女性)からのメール無断UP。

先日、どこかの市議会議員さんが、懇親会でコンパニオンのお姉ちゃんと野球拳をして、お姉ちゃんを全裸にしたという新聞記事を読みました。
牧田さんは大丈夫だと信じてますが、くれぐれも野球拳にはご注意を(笑)

06/03/17 (金)
外は雨

昔のひとは、日の出とともに腹ごしらえをして野良仕事に出かけ、日の入りとともに家路につき、塩気の多い食事をしてすぐ寝た。
水呑百姓の末裔である私は、豊原水穂のこの国のただしい生活は「早寝早起き」にあると思っているし、事実それを励行している。
昨晩も夕食ののちただちに寝たのだが、何故か眠りが浅く午前零時に目覚めてしまった。再び目を閉じてももう寝付くことができない。
仕方なく議会の資料を見たりあるいはこのキーボードをたたいているのだけれども、このような生活が続くならば「早寝早起き」というよりも「深夜族」だ。

ということで、深夜ラジオから流れてくる曲は「椰子の実」で、椰子→南の島→沖永良部島→青春を思い出してしまった。
平(たいら)のおじさんは健在なのだろうか。珊瑚礁近くのほったて小屋で共に暮らした善男善女たちは今、何をしているのだろうか。
50代も後半にさしかかると、回顧趣味が時々でてくる。
○〒ポストに知人からの封書が入っていて、中身は紹介文とレジュメでした。
考えさせられる部分が多かったので、「報告」にUPしました。

06/03/16 (木)
深夜に田端義男の「島育ち」を聴きながら

先日、焼酎を飲みながらTVを見ていたら、静岡県のどこだったかの自治体某地区住民の住宅耐震補強に向けての取り組みが放映されていた。
日本の伝統的和風田の字型木造住宅は濡れ縁を外部との結界とする開放住宅であって当然のことながら筋交いがないあるいは少ない。耐震性は筋交いに依存しているのだが半柱のような大きい木筋交いを入れたのでは、伝統和風の風情をなくしてしまう。
ということで、行政頼みとせず、(勿論プロが入っているのだろうが)自分達でローコスト鋼製細物筋交を考案しその普及に努めているそうだ。
行政は基本的に国→県→自治体のトップダウンだから、独自の方法を考案することはまずない。ソフトにしろハードにしろやっぱり民間主導の比重を高めていくことが今後の選択肢だと、思うなあ。

ところで、こんな逸話がある。
某市で地震が発生した。市内のビルが揺れたとき、真っ先に逃げたのは,
そのビルを設計しテナントとして入っていた建築設計スタッフだった。みんなが「なんで?」と聞いたところ、所長の答えは「いやあ、構造設計にジシンがなかったんですよ」だったそうだ。
勿論、私のことではないですよ。

06/03/15 (水)
昨日の芦原中卒業式は雪降る日となった

昨晩は、湯の町公民館での「地区別説明会」に行き質疑を拝聴。
終了し、駐車場に出たところで熱烈早期統合実現派の知人と議論。統合派には統合派の思いがありそれはそれでよくわかるのだが・・・。
事務所に戻り同僚ふたりと共に飲茶。「中学校問題」と「報酬問題」がテーマとなった。話しながらとまどい聴きながら悩んだ。
知人がひとり来訪し、談義は深夜に及び散会は午前零時となった。

三時間の仮眠で起床。
本日は青色申告締切日なのである。はやく書きあげなければとあせりながらしかし忙中閑ありなのだとの束の間的ゆったり気分で熱々珈琲MAXIM飲みつつキーボードをたたいている。
午後一時半から教育厚生常任委員会が開かれ、質疑は五時半に終了した。
きょうは文化学習課関係で、明日は教育総務課、あさってが福祉部関係だ。最終日の委員会で、提出議案についての討議があり、採択or不採択か決定し、その流れを委員長が報告する。議会終了と同時に内容をアップするつもりです。

06/03/14 (火)
静かな夜明け

ミロシェビッチが亡くなった。岩国で住民投票があった。WBCで西岡の本塁生還に対する誤審があった。

すべての人間は弱い。だれもが恐れをもっているが故に弱いのである。にもかかわらず一方が「強い人」になり他方が「弱い人」になるのは「心の中の苦悩」に対する反応に二つの逆の型「強い反応」と「弱い反応」があるからである。「強い反応」は「自分の弱さを隠すために確信と攻撃という外見を装い、他人に恐れを感じさせることによって自分の恐れを隠す」。「弱い反応」は「狼狽したり、またその結果、隠したいと思っている弱さを暴露する」。
          というようなことを、P・トウルニェが言っている。

煩悩具足の我々衆生は、なべてそういう意味で愚かなのである。
例えばのはなし、議会制民主主義は、こういう人間観に立脚しているのではないか、と思う。もしも、市長や行政が完全無欠ならば、監視し意見をもの申す立場の議会など要らないだろう。議会がノーミスならば市民は安心するだろう。
現実にそうならないのは、偉い人などこの世にいないからだ。
うまく言えないけど、いろんなところでワイワイガヤガヤがあるのは、そういう意味でとても大切なことだ、と私は思う。
○「今年の10月から施行される予定の障害者自立支援法について調べてほしい」という電話を頂いたので、夕刻に市庁舎担当課へ行った。
以前、聴力障害者協会のひとから「受益者が一割を負担するのは福祉の後退や」と言われていたこともあり、こまごまと聴いた。
どうもそう単純なことではないみたいだ。負担最高限度額が引き下がることも含めて、いろいろ勉強しなあかんなあ、と思った。

06/03/13 (月)
戻り寒波
午前1時に目が覚め、外へ出た。霰が降ったみたいで、靴底がじゃりじゃりする。事務所に入りラジオのスイッチをつけた。ラジオは「きょうは、冬型の季節配置となるでしょう」と言っている。

冬の夜や いやですだめです いけません
                井伏鱒二

一昨日に頂いたブルーマウンテイン豆をミルで砕き、濾過紙に入れ、熱い湯を注いだ。深夜に飲む熱々珈琲の味は格別だ。なんやかんやのうっとうしさを吹き飛ばしてくれる。

06/03/12 (日)
顔 顔 顔
昨日の午後、中古デジカメを携えた私は、三時間の市内史跡巡りを楽しんだ。
小さな森があった。急な石段を登った。登りつめたそこは、スダジイや椿の木々が生えている。地表が腐葉土で覆われ、マットの上を歩いているような柔らかい感触だ。どうやら白山遥拝所のように思える。
森の奥に石の祠を見つけた。
祠は屋根妻を三方に持ち、棟はそれぞれに鬼を刻んでいる。憤怒・瞑想・微笑と各々の表情を持っている。


昔から私は野仏石仏などの顔に魅かれてきた。人間の表情は時折に変化し内面を追うのに疲れるが、(おそらく名もない)石工によって刻まれた顔は素朴だ。見ていてあきないし、ココロが和む。
○国技・大相撲が始まった。私は、史上最強の力士は、浅間山の大噴火で食い詰め江戸相撲に入り出雲藩に抱えられた雷電為右衛門その人だと思っている。
あの谷風でさえひるんだ男だ。並外れた膂力は、土俵での相手を死においやってしまったこともある。強すぎることの悲哀を味わった力士は彼以外にいなかったはずだ。

それはともかく、今までCADの傍らの相撲中継は専らラジオだったのだが、今場所はTV画面を楽しんでいる。昨日中古のTVをQくんから頂いたからだ。そしてきょうは床マットをTくんから頂いた。貧乏の私をおもんぱかってくれたのだ。ありがとうQくん、ありがとうTくん。
本来ならば相応のお礼をせねば、と思うのだが、議員がすると贈賄のにおいがしてくるのでしない。心の底からありがとう。


06/03/11 (土)
西の空には お月さん
午前二時。
煙草がきれたのでコンビニ目指して外へでた。西の空にお月さんがぽっかりと浮かんでいる。くさわらで、あおむけになった。

月といえばかぐや姫だ。でも、あの荒涼とした砂漠地帯でかぐや姫は何を生計としているのだろうか。家具屋をしても売れないだろうに、とバカなことを考えながら、しばらくの間、眺めていた。
竹から生まれたかぐや姫は、月からの使者に迎えられて竹取の翁のもとを去っていく。絵本での記憶なのだが、十二ひとえを着て去っていく。ロケットのない時代だ。成層圏を脱出する時、その摩擦熱で絹製の十二ひとえなど燃えてしまったはずだ。月面に着陸した時、かぐや姫は裸体だったのではないかと、バカなことを考えながら、眺めていた。

昔、月夜の三国海岸(今はサンセットビーチというらしい)で、ロスアンジェルス生まれの男・チャップマンと一緒に、サントリーウイスキーを飲んでいたことがある。男は、確か、「アメリカデハ、ツキニオトコノカオガアルトイウヨ」と言っていた。
アングロサクソンの単純さと比べて、日本にはみやびという伝統がある。かぐや姫が住み、彼女の食料調達のために、うさぎたちがせっせと餅をついている。

03/10 (金)
昨日の晩酌時に思ったこと
議員稼業をやっていると、個人的な相談を受けることも、まま、ある。
最近、「離婚をしたい」「結婚はしないけど子供がいて云々」「離婚して子供の養育のことで悩んでいる」という相談を立て続けに受けた。私の専門は建築設計であって、その道のことは勿論わからない。できることといえば、せいぜいが、聞くことと相談窓口を紹介することだけである。

昨日、久しぶりに妻と一緒の晩酌となったので、「世のなか変わってきているなあ」とつぶやいた。
「それはお父さん(私のこと)達、団塊の世代のせいや」と、下の世代の妻は言う。
「戦争直後に生まれ、自分らは新しい価値観の先頭にいるという自負を持った。だけど、意外と軟弱で戦前のひとのような頑固さを持ち合わせていない。下の世代に対しては、ものわかりのいいような顔をみせるくせに、上の世代に対してはものを言えない。道徳に一貫性がない。一貫性のない道徳は次世代に継承できない。むしろ断絶となる」と、言う。

例えば結婚離婚というものを考えた場合
もともとが違った生活環境で育ったふたりが生活を共にするのだから、摩擦はつきものだ。二世代同居なら、なおさらだ。
「男女共同参画」という概念のうすかった昔世代の場合、別れたいと思っても周囲の目を気にせざるを得なかった。つまり離婚を我慢しその分だけ、配偶者ではなくてわが子に対する思いが強かったはずだ。
しかし、女性の職場進出が進みあるいは社会保障が進んだこんにち、離婚に対する抵抗感は相対的にはうすくなった。だけど実際離婚してみると生活苦は確かにある。だから、その種の相談窓口がはやるということになるのだろう。
そういうことだけど、こども自身の思いはどうなんだろう。
こどもをつくらないあるいはこどもが社会人となった配偶者どうしが別れるのはいっこうに構わないと思うのだが。

2006年3月9日(木)
きょうは快晴

昨晩は、「中国人民解放軍の反乱」という冊子を読んでいた。読みながら、日本の安全保障のことを考えていた。
夜更かしをしてしまったので、起きたらもう8時を過ぎている。
熱々珈琲キリマンジャロを飲みながらラジオをつけたら、「北朝鮮が数発のミサイルを発射、ただし、実験的なものだろう」というニュースを流している。そこで、ミサイルのことを考え始めた今、「すぐに現場へ来てほしい」という電話が入ってきた。
行かなくっちゃ。


○ということで、昼飯時に事務所へ戻った。
昨晩、ちょっと反省したこと。
ほぼ毎日こうやって日記を書き続けているからか、私は、どうも、愚直なほどに真面目で約束時刻を励行し清潔で上品で折り目正しくいつもさわやかな笑顔を忘れず周囲に対しての気配りを忘れないナイスミドルと思われているらしい。
基本はそうなのだけれども、しかしそうでない部分もある。

昨晩の来客から「あんたは自分のことしか考えていない。周囲に対するアンテナがない。誰に対する時もおなじ調子や。TPOを考えることも大切やぞ」と、言われた。
うん、ちょっと反省した。

2006年3月8日(水)
ちょっと疲れ気味
午前3時に目が覚めた。歯を磨き洗顔しパソコンの前に座った。
HPを開き昨日のクリックカウントを見たら数値が200を超えていたので、ちょっとびっくりした。議員日記と銘打ってはいるものの、基本は、せいぜい半径数km以内で体験したこと感じたことを書き連ねるだけの身辺雑記なのである。大所高所からもの言う気風も能力もなく、花鳥風月を愛でて喜んでいるだけの日記であるのに恥ずかしいなあ、と思うのである。
○本日の議会は一般質問でした。質問者はΣ13名。
コンテンツ「議会報告」をご覧ください。

2006年3月7日(火)
本日から議会三月定例会

三月も上旬だ。毎日所用に追われ車であちこち走り回っているが、時々椿の赤い花をみかけるようになった。昨日は車を停め、花弁にそっと触れてみた。
葉の緑と花弁の赤のコントラストが見事です。
都はるみが♪「アンコ椿は恋の花」でデビューした30数年前、アタマのてっぺんからしぼり出てくるような声に、♪コブシの花は恋の花、とでも唄えばいいのにと、つまり辟易したものだが、この歳になって再び聴いてみると、意外になかなかの味を感じる。

そういえば、もう一ヶ月もしたら桜満開の季節がやってくる。
ということで、「あわら市内・桜マップ」を作成しているチームのあることを思い出した。レンゴーグラウンド脇の桜並木など有名な場所は幾つかあるが、例えば○○さんちの庭の年代ものの桜、といった印象に残るものがありましたら、お知らせください。


○本日の午前中に全協が終わり、午後一時から本会議が開かれた。行政報告→提出議案の説明・質疑と続いて午後三時半に散会となった。
ところで、本会議場には三台のテレビカメラが入っていた。
後日、CATV行政チャンネルで放映するからである。それは構わないのだが、私には、人の話を聞くときに時折目を閉じる癖がある。そのほうが聴力を集中できるからだ。
皆さんのなかで、たまたま見たCATV画面に目を閉じている私の顔をみつけたとしても、決して眠っているのではないということを御了承ください。

2006年3月6日(月)
一週間の始まり

昨日の午前10時。
有志が事務所に集まって、蕎麦つくりが始まった。私は忙しかったので、皆が作業に励むのを横目にパソコン画面にはりついていた。午前12時に出来上がり、私も食べさせて頂いた。
この蕎麦会も回を積み重ね、つなぎを必要としない程に腕は上がってきている。麺の幅も揃ってきている。
ここにアップする為に、蕎麦つくり風景をデジカメで撮ったのだが、アップできない。何故なのかわからないが残念だ。

いずれにしろ、ゆったりの日曜日が終わり、新しい週が始まった。いろんなことで忙しくなりそうだが、がんばろうと思う。


○何日か前、新聞記者さんがふらっと来なさった。中学校問題を聞かれたので、思うことをそのまましゃべった。
昨日の朝、知人から「あんたの名前が出ているぞ」と言われて、早速読んでみた。
新聞記者というのは、あちこちで、まちの声を拾ってくるのが仕事であることを実感した。ご苦労さん、○○さん。
記事は、議会報告にUPしました。

2006年3月5日(日)
昨日の土曜日
午後二時、同僚議員二人に誘われて丸岡町に行った。新築なった丸岡南中学校の内見会が開かれた為である。
コンクリート打放しと木質系パネルの組み合わせが目についた。
間仕切りのガラスも透明なものを使っていて教室や廊下が動線の面でも視覚の面でも、とてもオープンになっている、と思った。ここ数年の間に例えば県外に視察研修に行った際に見た幾つかの学校も同じような特徴を備えていて、どうも最近のトレンドであるような気がする。


事務所に戻り、三人でのテイータイム。
合併時、各家庭に配布された「合併記念DVD」を一緒に見た。パソコンにDVD機能がついて、やっと見ることができたのだ。旧町時代のいろんな風景がでてきて、とてもなつかしかった。
そこに別の同僚が現われて、話は一段と賑やかになった。

夕食の為に自宅に戻ったら、TVはWBCつまり世界野球選手権をやっている。冬季オリンピックをみてもルールはわからない、サッカーをみても例えばオフサイドの意味がわからない。私にルールがはっきりとわかるのは、マラソン・相撲・野球くらいのものだ。
というわけで、夜は、日本vs台湾をじっくりと観戦していた。

 06/03/04 (土) 忙しくなりそうな週末

景気は少しずつ上昇しているけれども、格差社会が確実に進行しているというのが今日的なテーマとなっている。
若くして巨額を得て、銀座で豪遊したり自家用ジェット機で海外へ出かけたりするひとたちのことを「ヒルズ族」とか「勝ち組」とか言うらしい。
しかし、そんな生活って魅力なんだろうか。
(行ったことないが)銀座で飽食豪遊するというのは、単に金をばらまきたいだけだろうし、というよりもばらまく金で美女をつりたいというだけの話だ。すりよってくる女はバカ女とみて間違いないし、いってみればそれは虚飾の世界だ。死ぬまでに一度くらいは酒池肉林を味わってみたいと思わないでもないが、空しさが残るだけだろう。

パリの凱旋門近くに、(名前は忘れたが)有名なステーキレストランがあり、若い頃、ゆきずりの女・カトリーヌと行ったことがある。
初老のピアニストがモーツアルトの「ソナチネ14番」を弾いていた。
私たちのテーブルに置かれた皿は、アールヌーボー風のランプで淡く照らし出されていた。そのなかで、カトリーヌは血のしたたるようなステーキをおいしそうに食べていた。

後年、福井市開発町の焼肉屋へGF・K子と一緒に行った。店内は煤だらけ、もうもうの煙で相手の顔もみえない程だった。やや逡巡しながらカルビに箸をつけた彼女は「人間って悲しいよね。こうやって生き物を殺さなければ生きていけないのよね」と、西行のようなことを言っていた。

弱肉強食によって地球の生態系は維持されている。
しかし、あるいはだからこそ、我々人間も又生物たちの脅威の対象なのだという認識を根底に持ち、できるだけつつましく生きていくのが武士道だと思うし、そのつつましさのなかから本当の愛が生まれる、と私は思うのである。
○このホームページソフトが最新版になったことにより、操作が快適になったのはいいことだ。しかし苦労もあった。もともとが借り物だったので、どこで借りたか思い出しつつ某学校へいったのだが、既に当事者はいない。某役所へ行ったのだが、バージョン6しかない、と言われ、仕方なく某量販店へ行った。まさか、「私は学生です」と言う訳にも行かず、「息子が使うので」と言って学割ソフトを購入した。
人間嘘をついてはいけない、ということで、いずれ息子に譲る。

06/03/03 (金) 昨日の一日

長い間逡巡していたのだけれども、思い切って構造計算ソフトウエアをバージョンアップした。ついでにこのホームページソフトウエアもバージョンアップした。バージョン7からバージョン10へのアップだから三段跳びアップやね。この表紙もすっきりしたデザインにできるかもしれない。

ということで昨日の午前中はコンピューターと格闘していたのだけれども、そのさなか某同僚議員が「議会報告」のちらしを持ってきなさった。うん、三月議会が近づいているのだ。

午後はCAD三昧。古時計が6時の時報をうったので帰る準備をし始めた時、電話が入った。「夜、行ってもいいですか?」という。前にも書いたけれども、春になるにつれて、夜の来客が多くなってきた。
これからは、10時就寝5時起床を生活のパターンとするつもりです。

06/03/02 (木) 睡眠について  

きのうの夕方、ひどい悪寒がした。気圧配置が冬型に戻ったさなか、雨に濡れたからなのかもしれない。
帰宅し熱々風呂に入った。晩飯もそこそこに布団にもぐり込んだのだけれども、午前1時に目が覚めてしまった。
当たり前だけど、はやく寝りゃはやく目が覚める。
パソコンの前に座ったのだが、鼻水がでるくしゃみもでる。
仕方なくもう一度寝た。

ということで、再び目が覚めたのは午前5時半。鼻水もくしゃみもとまり気分が爽快になった。
歯を磨き、顔を洗い、熱々珈琲ブルーマウンテインを飲みながら「人間生活で最も大切なものは、十分な睡眠である」と、私は思った。
「睡眠は死の前借りで、夢はその利子である」というような比喩をどこかで聞いたことがあるが、
例えば、「寝る子は育つ」「果報は寝て待て」「田舎の学問より京の昼寝」「立って半畳寝て一畳」「悪い奴ほどよく眠る」「寝た子を起こすな」などなどいろいろある警句は睡眠をおおむね肯定的に見ているような気がする。

もう少し暖かくなったらロープ専門店に行くつもりだ。その道をめざすのではなくて、ハンモックをつくるのだ。毎日励行している小1時間の昼寝の場を戸外に移そうと、思っている。

〇昨日の日記に書いた「おもいっきりテレビ」と「三球三振」のことで、携帯メールが8件入ってきたが、そのなかにAくんの「・・三球三振が気になりますね」があって、息子や相方の焼肉屋での説明を思い出した。
「三球三振というと普通は手も足も出ないというイメージがありますやろ。けどそれは打者側からの思いです。投手側からみたらイメージが逆転しますねん。双方の意味があるということです」
と言っていた。

06/03/01 (水) 昨日の一日  

昨日の午後1時半から全協(全員協議会)が開かれた。

○ 議長あいさつ
○ 市長あいさつ
○ 諸般の報告
1 議会活動報告
2 各常任委員会報告
・産業建設常任委員会
3 各特別委員会報告
・まちづくり調査特別委員会
・環境対策調査特別委員会
4 -部事務組合等議会報告
・坂井郡環境衛生組合
・福井坂井地区広域市町村圏事務組合
・坂井郡水道用水事務組合
・坂井郡介護保険広域連合
・三国あわら斎苑組合
○ 協議事項
1 第14回あわら市議会定例会の会期、日程について
2 議案、請願・陳情等について
(1) 市長提出議案について
(2) 陳情等について
(3) 議案、請願・陳情の付託先について
(4) 一般質問について
3 一部事務組合議会議員及び広域連合議会議員の選挙、選任について
4 あわら市国民健康保険運営協議会委員の選出について
5 経費節減に関する申し合わせについて
6 ケーブルテレピを活用した議会放映について
7 その他
(1) 長期財政計画について
(2) あわら市地球温暖化対策実行計画について


上記の順に説明等が進み、終了した時は午後7時前だった。
ちょっと疲れた。
全協が終了したあと、私は、若者達を連れて三国町の某焼肉店へ行った。