2006年04月


06/04/30 (日)
 さあ きょうも元気で

もともとが日曜祭日とは無関係の生活をしているので、ゴールデンウイークに入ったからといっても生活は勿論変わらない。早朝に起床し、洗面歯磨きを終えてから熱々珈琲を飲む。メールチェックのあと、この日記を書きそれから朝食をとる。
朝食時に読む新聞の欄は先ずプロ野球の結果で、阪神が勝っていれば気分よし、巨人が負けていれば気分ややよし。次に目を通すのが社会面で、記事になった事件のひとつひとつに勿論憤りや憐憫を感じるのだけれども、裏には自分が当事者でなくてよかったという思いもあるだろう。最後に政治面を読んでから一日が始まる。
毎日毎日同じことの繰り返しだ。
57歳の私が経た日々はというと57×365=20,805日になる。
これを時間に換算すると、20,805×24=499,320時間。
分になおすと、499,320×60=29,959,200分。
秒になおすと、29,959,200×60=17,975,520.000秒となり、すげえもんだ。
しかしですね
地球の歴史50億年を仮に一年間に圧縮した場合、
私の生きてきた長さはというと
57/5,000,000,000=0.0000011年=0.0000011×24×60×60=0.1秒ということになる。検算をしなかったから正確ではないかもしれない。
それはともかくとして、随分ながく生きてきた気がするが、しかしひとの一生など永遠のなかでは一瞬に過ぎないのである。
一瞬のなかに喜怒哀楽がこめられているということやね

06/04/29 (土)
 忙しかった昨日

昨日の午前10時。有志議員が私の事務所に集まり、「中学校問題」についての討議が始まった。集まりはしめて四人だ。
人民中国=毛沢東主席・周恩首相体制下での「四人組」はどうなったんだろうかと思いながら(皆さん、もし読んでいないのならば、「ワイルドスワン」あるいは「上海の暑い夜」を是非読んでください)、私は理論家たちの熱弁を聴いていた。
午後五時過ぎ、何人かの議員が帰ったあと元国会議員が突如現れた。
「新生坂井市とあわら市は個別に都市計画をおこなってはならない。これからあとの合併で旧坂井郡はひとつになるんですよ。そのためには、坂井郡をカバーする環状道路をつくることが必要なのです」を力説して帰っていきなさった。
柱時計が6時を報じたので、「さあ飯や」と帰りの準備を始めたら電話が鳴った。「先日の集会でよくわからなかった点があります。他の議員さんがたがどういう考え方をしているのか教えていただきたい」という内容だったので、自分の思いの丈をしゃべってから帰宅。

「阪神タイガース・リード」のTV中継に気分をよくしつつ菜飯を食べていたら、「牧田さんの事務所裏駐車場で待っています」という携帯コールが入った。
女性だったので食事を中断して事務所に戻り、またもや「中学校問題」論議となった。「基本的に二中維持を希望します。でも将来は生徒数が減っていくのでは?それが心配です」と言う。確かに微妙な問題ではあるけれども、この問いに対しても私は一生懸命しゃべった(ような氣がする)。


06/04/28 (金)
 しゃばは連休に入るそうな

ライブドア前社長の堀江貴文被告が保釈された、というニュースをTVで見た。
株とか証券とかの世界に無知な私には、堀江の罪状がよくわからない。逮捕された時も、「うーん、悪いことをしたら捕まるのだ。私も気をつけなければ」と思った程度だ。要するに関心はないのだけれども、その保釈金が三億だと聞くと、考えさせられてしまう。

前にも書いたことがあるが、
保釈とは、当人が保釈中に証拠を隠滅したりあるいは逃亡したりする恐れが無い場合に適用される制度だ。そこまではわかる。じゃ、保釈金は何かというと、お上の「保釈させてやるきに、納税せえや」だろう。

「堀江はん、あんさん保釈させてやるけど、金いるぜ」とお上が言えば、「慈悲深いお代官様、ありがとごぜえます。わしの金庫にゃ、金うなってますきに喜んで納税させて頂きますぞなもし。なんなら御自宅へも大判小判底板に隠した菓子折り持って行きまっせ。」と堀江青年ならば答えることができるが、

「牧田はん、あんさんにゃ証拠隠滅の恐れはないぞなもし。けどなあ、金払えるか?」とお上に聞かれりゃ、「お代官様、わしにあるのは借金だけでごぜえます。わしに金払えとおっしゃいますのは酷な話や。しかし妻子がわしの顔を毎晩夢にみています。他にもおなごが待ってます。議員の仕事もまっとうしなきゃなりませんのや。慈悲深いお代官様。どおか、保釈させてくださいませ。」と白州にこうべを付けて懇願しても、「あかん、あかん、貧乏人がなに生意気言うてけつかる。それがしは行政トップの代官だぞお。さがれーさがれーさがりおれー」と言うに決まっている。
つまり、保釈金制度は金持ち優遇税制のひとつといえるのではないだろうか。腹がたつ。

 06/04/27 (木)
 昨晩

昨晩はある集会があって私もこれに参加した。ある集会が何の集会かは、ここの「掲示板」⇒「中学校建設問題」のなかで段々顕わになっていくだろう。
賛否双方いろいろの思いを持つひとがいると思うし、当たり前のことだけれども思いに従って行動することは自由である。憲法には第何条だったか忘れたが、「表現の自由はこれを保証する」と明文化されている。仮にその自由を妨害しようとするひとがいるとするならば、それは憲法の精神を踏みにじり自らの品位を落としこむ愚かな行為であり又人間差別でもある。

というようなことを書くのがこの日記の目的ではないので、話を戻そう。
会終了のあとの喫煙雑談のなかで、私のHPを読んでくださっている方が何人かいらっしゃることがわかった。ありがたいことだ、愚直に継続することにも何がしかの意味があるのだ。

午後10時過ぎ、事務所に戻り、有志議員二人と今後の見通しについての議論。いつも8時には既に熟睡している私にとってまぶたがふさがりそうな魔の時間帯だ。早々に散会。
加賀の大杉

 06/04/26 (水)
 未明に小鳥のさえずりを聴きながら

昨日は、午後一時半から全協(全員協議会)が開かれた。
全協というのは、何かテーマができた時にその経過を聞きあるいは意見を述べ合う場ではあるけれども、本会議のように議事録が作製されるわけではないし、正式な決定機関でもない。
私がコンテンツ「報告」に書き込んでいるのを「議会で承認されたこと」に限定しているのにはそういう意味がある。

だけれども、全協がたいそうな秘密会かというと勿論そうではない。オープンにしたところでちっともおかしくはないと、一面では思う。
第一、各議員が場によってあるいは相手によって意見や姿勢を変えたりしたら、これも変な話だからね。

世は情報公開の時代だ。あわら市もパブリックコメント制度を昨年11月からスタートさせた(入りはまだ五件だけだそうだが・・)。
行政側のメデイア権力は大変に大きなものだけれども、個々の議員の場合、発信は微力だ。なけなしの金はたいてビラを出したりメール配信をしたりあるいはこのHPのように「掲示板」をセットしたりするのは、個人中傷でない限り大いに許されることだと、私は思う。
○先日、嶺南の友人から怒りの電話が飛び込んできた。
「おおーい牧田あ、きのうなあ、小学校の式典に行ったんや。町長もきてたぞ。そしたらやなあ。司会の教師が町長をやなあ、この町で一番偉い人です、と言って紹介するんだぞお。こんなことってあるかあ」と言う。
これには私も同感だ。
福沢諭吉が「天は人の上に人をつくらず 人の下に人をつくらず」と書いたのは、人は所詮なべて愚かであり、だからこそ地位身分に関係なく対等での議論をせねばこの世はおかしくなるという警句であったはずだ。
それをこどもたちに教えるべき教師がアホなこと言っているのであれば、日本の社会に未来はない、と私は思うのである。

 06/04/24 (月)
 なんとなく空しい

数日前の電話で、相手から「牧田さんは、非常に不器用な生き方をする人間や」と言われた。
煩悩具足の我々に器用も不器用もないはずだけれども、私のアンテナが鈍いことは事実だ。よって、相手に対して姿勢や言動を変えることがうまくできない。
情勢がどちらに傾くかを観測しつつ口を閉ざしているほうが、役回りとしては得だろう。滑らかな日々となるだろう。出世もするだろう。そして、そういう人たちを利口と世間はいう。

時にそういう人たちを羨ましいと思うことはあるけれども、なれないなあ。

06/04/23 (日)
 昨晩は、「朝倉遺跡唐門枝垂桜ライトアップ」を楽しんだ

昨日の午後4時。エルデイで「金津地区忠霊塔奉賛会総会」が開かれ、私は議会側来賓として出席した。
議会で何の委員会の長もしていないあるいはそういううつわのない私が来賓として招かれるのは不思議な話だが、事務局によれば、私が現在、金津地区議員の世話役をしているからとのこと。

要請されたので、遺族会区長会の方々を前にしばらくの間挨拶した。議員は議論をするのが仕事であり、当然挨拶などは苦手だ。私的なことも含めてぽつぽつとしゃべった。しゃべりながら思った。

60年前、あの戦争で未来ある沢山の兵士達が戦場で亡くなった。あの戦争が何だったのか、ということに関しては様々の視点から論客が本を出しているが、その是非に触れる能力は私にはない。
ただ、亡くなった兵士達が現在の日本社会をもしも眺めた場合、どういう思いが胸のうちを去来するのだろうか、と考えた。

昭和24年生まれの私にとって、自分の人生と戦後はぴったり重なる。
復興⇒もはや戦後ではない⇒高度経済成長⇒バブル⇒バブルの崩壊⇒IT社会の到来、というその後の流れををみた場合、物質的には豊かになったけれども、借金苦や殺人や偽装や青少年犯罪が横行する世の中に我々はいる。
いるということは私自身も被害者でありつつ加害者でもあるということだろう。
こういう世を作るために礎になったと、彼らは思わないはずだ。
教育とか家族とか地域とか宗教とか、つまり精神世界の一番身近な核となる部分を、もう一度考え直してみなければならないのではないか、と私は思う。

○↓本日早朝に行われた「芦原町大火記念消防防災訓練」

06/04/22 (土)
 無題

深夜ラジオから「中津川市で、女子中学生が殺され容疑者として15歳の男子高校生を逮捕」というニュースが流れた。青少年犯罪が新聞社会面を賑わす昨今、又かという思いが胸をえぐる。

被害者は突然に人生を閉ざされ、加害者は突然に贖罪の人生を送ることを余儀なくされることになるわけだが、どうしても当事者双方の親の心中に思いが及ぶ。被害者加害者双方の親の悲しみ・憤り・悔恨等々はとても言葉であらわすことのできないものだろう。

昔、連合赤軍事件で逮捕された坂東国男の父親が、逮捕数日後に自殺した。
父親に対して連日連夜「死ね、死ね」の沢山の匿名電話があったという。
その記事を読んだ時、「親も子もそれぞれに独立した人間や。責任を親におしつけるのはおかしい。江戸時代の五人組制度と同じではないか」と思った。
だけどその時の私は勿論独身だった。親となった現在では、子育て云々を(たとえ暗黙のうちにであるとしても)非難されて仕方ないだろう、と思っている。
ただしわからないのはその先で、子を犯罪者にさせない親・つまり「いい親」の像である。
子は「親の背中を見て育つ」という人口に膾炙している言葉があるけれども、しかし、成長するに従い親子関係は相互規定的になっていくのが自然だ。
子が親の見たくない部分を見て確執を感じることも自分の確立の為の一里塚のはずだ。
そう考えると、親に良し悪しはなくて、親は親でしかないのではないか、と思ってしまう。要するに、仮に私が事件当事者の親の立場であったとして、もしかしたら申し訳なさゆえに自らの命を絶つこともあり得るが、父親としてここが悪かったということをうまく総括できないままに絶つだろう。
なんか、そういう気がする。

 06/04/21 (金)
 最近思うこと

私はとても内気な人間だ。例えば誰かと何かのテーマで話をしている時、相手がどう思っているのだろうかという気がかりが先行し、自分の思うことをめいっぱいにしゃべることなく話が終わってしまうことが往々にしてある。
これを気配りと言えば美徳の範疇に入るのかもしれないが、話のあとで決まって空しさがこみあげてくる。
相手の眼に映った自分は虚像ということになるのだから、結果として失礼な態度をとってしまったことになるのではないか、そのときに嫌われてもよい、思いの丈をしゃべるべきではなかったか、と反省するのである。

小中学生時代に教師から何を教わったかその殆どは忘れてしまったが、ひとつだけ覚えている言葉が、「常に正直でありなさい」である。
大人になった今、再度この言葉を反芻してみる。
換言すれば「人間は皆平等です。上司であろうがなかろうが、相手の社会的ステータス・社会的権威に臆することなく信条を述べなさい。決まってしまいそうなことに対しても、それがおかしいと思うならば異議申し立てをすべきです。少数意見の立場であるとしても多数意見になるよう、努力すべきです」ということになるのではないか。
学校の先生方は、その姿勢を身を持って実践していたからこそあるいは今も実践し続けているからこそ、子どもであった私たちにそういう思いを語ってくださったに違いない。

そう思うと、「うーん、自己改造が必要だ。せめて余生の8年間くらいは正直に生きなければ」と、思うのである。

06/04/20 (木)
 今宵は小雨です

眼が覚めたら午前二時だ。
歯を磨き顔を洗って、パソコンの前に座った。深夜ラジオからはバイオリンの音色が流れてくる。

このHPの「掲示板」⇒「家庭掲示板」を覗くと、「次はつつじですね」というメッセージが入っている。気がつけば4月ももう20日。桜は既に散り始めており、これは私の人生に重なる。
つつじといえば思い出すのが鯖江の西山公園で、三人のこども達幼少の頃(反抗期前だから本当にかわいかった)のゴールデンウイーク期には、いつもあの場所でやつらを遊ばせていた。
桜と違ってつつじの花弁は食べることができる。盛りのつつじは甘くておいしかったが、散り際のつつじには味がなかった。
でやね、ここが人間と違うところだ。
PTA時代の同僚から「牧田はん、人間の魅力は最盛期じゃないですよ。腐りかけの時や。腐ってしもうたら駄目やけどね」と言われたことがある。

06/04/19 (水)
 「道徳」の復活を

先日TVをつけたら、時事解説者が「飲酒運転による死亡事故のケースが増えています」としゃべっていた。

道交法が改正され、飲酒運転者に対する罰則が強化された、ということは私も知っている。
例えばどこかの店で酒を飲んでの帰りに誤って歩行者をひいてしまった場合、罰則強化が頭にちらつき、そのまま逃げてしまうひとの増加が、死亡事故増加に繋がっているのだそうだ。
この世で一番大切なものは、自分の命でありひとの命だ。だからこその罰則強化が結果として致死の数を往々にして後押しすることになるというのは矛盾だ。

日本は法治国家なのだから当然のことながら法を遵守しなければならない。
しかし法の殆どは慣習法だそうで、慣習法というのは生活習慣として既に定着している善悪の判断をさす。
飲酒運転が駄目である理由は、「酩酊であることによって相手を傷つけたり死亡させたりすることは、ひとにあるまじき道だからしない」が、いわば道徳的な考え方であるのにに対して、「飲酒運転が発覚すると罪が重いからしない」が、まあこれも普通の考え方としてある。
そして、敢えて言えば、前者が人間性善説、後者が人間性悪説と命名できるのではないか。
うーん、なんかようわからんようになってきたが、前者的でも後者的でもある私は、さしずめ性善悪彼岸説をとっていることになるのかなあ。

06/04/18 (火)
 無題

徹夜というものを久しぶりにした。次の用事は10時だ。二時間弱ある。
しばらく寝て英気を養なわなくてはならない。みなさん、おやすみなさい。
ということで、ステテコ一枚で布団にもぐりこんだのだが、眠れないうちに二時間弱が過ぎてしまったよ。

芦原での所用をこなした帰り、菜の花畑が眼に入った。
私は菜の花が好きだ。
選挙の時は、いつもダーバンのスーツの胸ポケットに一輪の菜の花をかざして走り回った。
こんなこと言うと自慢めくかもしれないが、「けさ、菜の花を胸にしマイクを持って遊説中の牧田さんの端正なお顔を拝見しました。素敵なおかた・・・ため息がでました」というメールをいただいたことがある。

この季節、私の朝飯はいつも菜飯だ。

 06/04/17 (月)
 一週間の始まり

昨日は日曜日だったので、しばらくの間、市のホームページ・市民会議室の「中学校建設」を読んでいた。いろんなひとが書き込みをしている。
それにしても、明らかに回答を求めているトーンのものが幾つもあるのに、行政側からのコメントが皆無なのはとても不思議だ。一生懸命書き込みしているひとたちがかわいそうではないか。
私のHPのような小さなものではなくて影響力の大きいメデイアなのだ。
皆無であることによる不信感が広がっていくのではないか、と思ってしまう。

全然知らなかったのだけれど、「市民会議室⇒フリートーク」には、「特別職報酬」に関してのコメントがいろいろ書き込まれていた。
ただいま午前6時半。窓外の桜が朝の陽射しを浴びている。
なんとなくほのぼの気分です。

敷島の 大和ごころを ひと問はば
          あさひに匂ふ 山桜花   本居宣長

06/04/16 (日)
 小雨の日曜日

昨日の福井新聞に、「あわら市長は、定例記者会見で、統合中学校建設に関しておおむね市民の理解を得たと考えている、と話した」という記事が載っていた。
地区別説明会には私も何度か足を運んだが、果たして本当にそういう総括ができるのだろうか。
全ての説明会に参加したわけではないけれども、参加した説明会に関しては逆の印象を私は受けている。
財政に関して、金津中を新築すると¥40億もかかるという説明があった。
しかし、私が他市の教育委員会に聞きに行ったりあるいは耐震診断専門家の詳細な説明を聞きに行った限りではこの数字の根拠はうすい。
確かに設計図の描かれていない段階での精値算出は不可能だが、それならば具体的な数値を出すべきではないし、出す場合には可能な限りの根拠付けが不可欠だ。でないと数値だけがひとり歩きしてしまうし、現にそうなっているだろう。

議会で統合問題を継続的に討議しているのは、私も所属している「教育厚生常任委員会」だが、現在の段階では賛否拮抗である(?正確に言うと、反対派が多いか・・)。そして議会全体での討議はまだ行われていない。
その段階で、「理解を得たと考えている」と新聞発表するのであれば、議会よりも市民との直接対話に軸足をおいた、という姿勢の表明にもなる。
だとするならば、当市には議会をおくよりも、(米国の自治体などによくある)シテイマネージャー制度を導入することが賢明なのではないか。

もひとつ
「理解を得たと考える」と「理解を得た」は、言葉は似ているが、意味には千里の差がある。

06/04/15 (土)
 熱々珈琲キリマンジャロを飲みながら

昨日の昼に来訪者があった。
「業績不振の今の会社をたたんで、昔から好きだった建築の道に入りたいと思う。この歳で可能だろうか」と、40代前半の彼は言う。

例えばごく身近な友人に、40歳代なかばで教師世界にさよならして自営に入ったケンくんがいるし、私自身も50歳前後で議会という社会に入った。
生活の四苦八苦は相変わらずだし、職を変えることによって得たものがあると同時に失ったものも沢山あるはずだから、そのよしあしは自分で判断するしかないのだが、人生にリスクはつきものだ。それを避けるよりもぶつかるほうが刺激的ということだけはいえる。
「人生は永遠のなかでの一瞬に過ぎない」という有名な警句もあるのだ。

昔若かった頃、私はフォークソングの名手と(知っているひとだけから)呼ばれていた。ある年の夏、友人とふたりガットギターを携えて一宿一飯海岸べり歩きの旅をした時のことだ。
私たちは夜の海岸で、薪を集め焚き火をしていた。
闇の潮騒に向かって私はギターをつまびいた。布施明不朽の名曲「そっとおやすみ」を静かに歌い始めた。

どこからともなく、少女三人組が現われてきた。私のギターテクニックに吸い込まれてなのか、澄んだ唄声に吸い込まれてなのかそれはわからない。
焚き火を囲み、五人での歓談が始まった。
ひとりの少女が月をみあげながら(関西弁で)言った。
「お月さんは、この地球を毎日みてるんやろうね。お月さんからみたら、うちらなんて蟻みたいなもんやろうね。なんかごそごそ動いているだけにみえるんやろうね。うちら確かに蟻やけど、でも、喜んだり悲しんだり怒ったりの長い人生送っていくことになるねんねえ」と、言った。
30数年の星霜を経た現在も、彼女の声音は鼓膜にこびりついている。

 06/04/14 (金)
 桜と心中したくなった昨日の私

どんなに忙しくても毎日書こう、と心に決めたこの駄文日記だけれども、やっぱり非常に忙しい時は、なかなかむつかしい。
考えてみると、日記は、その日をあるいは昨日を振り返った時の余韻を書くことに他ならない。だとするならばゆったりした時間帯が必要だ。
今の私にほしいものは、金でもうまい食べ物でもなく時間です。
ひたすら時間です。
○とはいうもののそこはやっぱり忙中閑ありで、昨晩の我が事務所は窓外夜桜観賞パーテーの場となった。

事務所駐車場の桜の花はまだ五分咲きで、陽光の下では華やかさに欠ける。しかし、街灯に照らし出される夜の彼女はその容姿を一変させる。
静寂のしじまで、花弁は薄紅色に化けるのだ。昼桜を蝶に例えるならば、夜桜はさしずめ毒を持った蛾といえるだろう。
来客を見送ったあと、夜桜の小枝から薄紅の花弁を手にとりそっと接吻した。
幹に背をかけ、地面に映る樹影をみつめていた私は、その妖艶さ故に、思わず涙がこぼれそうになった。

人間の妖艶は相対的でしかないが、自然の妖艶は確かに絶対的である。

06/04/12 (水)
 暴風

昨晩はすごく強い風が吹きまくった。ひゅうひゅうのうなりは怖かったなあ。

06/04/11 (火)
 小雨の朝

転任の季節だ。昨日の昼、某高校の教頭がふらっと入ってきなさった。
四方山話をするうち、一ヶ月程前の「よろず掲示板」(no294)を思い出した。
「金中の場合、県立高校の合格発表の前に卒業式が挙行された。気もそぞろという声を聞いたよ」という私に「学校によってちがう。確かにスケヂュールの都合で決定される面もあるけれども、落ちた生徒のことを考えると、そのほうがいいという意見もあるわけですよ」が答えだった。

閑話休題
午前7時だ。雨に煙る桜をみているうち、「本音と建前」という人口に膾炙している言葉がアタマに浮かんできた。
相対する人によって本音をだしたり建前でお茶をにごしたりすることは勿論誰にでもある。はやい話が本音だけで社会が進行したらそりゃ混乱そのものだろう。建前だけの社会は乾いた凍りついたものになってしまうだろう。本音と建前の使い分けが生きる知恵として必要なことはよくわかるが、しかし、うーん、最近は軸足後者型種族が多数を占めてきているのではないか。
なんか、そのような気がする。

06/04/10 (月)
 外はそろそろ白み始めてきた

当たり前のことだけれども、市全体のことを俯瞰しつつ相手の言葉に対して謙虚に耳を傾けあるいは発言していくのが議会議員の仕事であり義務である。
例えば中学校問題においても、要は未来のこどもたちにとってあるいは財政面からみてどうかという観点から「二中維持」か「統合」かを議論するのはとても大切だし、市民全体で考えていかなければならない重要な課題だ。
しかし、それとは別のレベルでいろいろ言われても私は困ってしまうし、あるいは議員をしているのが嫌にもなる。
そういうことを感じた昨日の日曜日でした。
○所用で県立病院へ行った帰り、丸岡街道を走る私の車にずっとついてくる一台の白い小さな車がある。バックミラーに写る容姿が女性なのでファンかと思った矢先、屋根から赤い回転ランプが出て停止を命じられた。覆面パトカーだったわけですね。

「安全」といえば「運転」、「運転」といえば「安全」しか思い出さない程に徹底した安全運転者である私だけれども、ごくまれにシートベルトを忘れることがあり、そこをつかれたわけだ。
深く反省しつつパトカーのなかでいろいろ聞いた。福井県は覆面パトカーが多いのだそうです。

 06/04/09 (日)
 昨晩

CADにいそしんでいた昨晩遅くに電話が入り、ふたりの客人来訪。客人は「知り合いで学校統合に賛成しているひとなどひとりもいないですよ。いったい、議会の中はどうなっているんですか?」といろいろ問われた。
またもやの学校談義は続き、客人が帰った時、時刻は午前一時を過ぎていた。
熱々珈琲キリマンジャロを飲んでから布団に入ったのだが、「小沢新体制で民主党はどう変わるのだろうか、しあわせってなんだろうか、金がないのはなんてわびしいことだろうか、神様はいるんだろうか」とかいろんな思いがアタマをよぎりなかなか寝付かれない。
仕方なく手元の月刊誌を読み始め、眠りに入ったのは三時頃だった。
しかし、早起きの癖というのは恐ろしいもので、窓外が白み始めるとともに小鳥のさえずりが聞こえ始めるとともに、眼が覚めた。
だらあっとしていたいのだが、きょうもスケヂュールが待っている。

近いうちに私は風になる。寝袋を持って海岸べりを歩く一泊二日の風になる。

 06/04/08 (土)
 気分のよかった昨晩

昨日の午前中は広報編集委員会が開かれた。「議会だより」原稿の最終校正をしたのだけれども、今回から文字が縦書きに変わります。乞うご期待。
委員会は午前中いっぱいで終了し、午後はCADざんまい。

夕刻に某市教育委員会へでかけ教育のことをいろいろ聞いた。その後、視力障害者センター⇒某設計事務所経由で帰宅。
晩飯時、油であげたかきもちを食べながらTVのスイッチをつけた。

巨人vs中日、阪神vs横浜をチャンネルいじくりつつ同時観戦した。
どちらもエースどおしの投げあいで接戦なのだから眼が離せない。
しなければならないことはいろいろあったが、ええいままよと最後まで観ていた。
巨人・上原と中日・川上の投げ合いは、中日・立浪の満塁さよならホームランでけりがついた。青ざめマウンドにへたり込んだ上原の心中は察するにあまりある。しかし、その悔しさが明日の君をつくるのだ。勝負の世界は確かに非情だが命まではとられないし、又その対価として君たちはアンビリーバボーの高給をとっているのだぞ。がんばれ、上原くん(ヒッヒッヒー・・・)。

猛虎阪神は8回裏に怒涛の反撃を開始した。赤松・藤本・シーツらのつるべ打ちだ。見事な逆転劇でエース井川に勝ち星がプレゼントされた。
しかし、短髪の井川は、なんか似合わないという気がする。
ハマの番長=横浜のエース三浦は、鼻筋とおりクールないい眼をしている。かわいそうだが、ご苦労さん。

いづれにしろ、プロ野球に関しては、これ以上はないという昨晩でした。
こういう時こそ誰かに大判振る舞いをしたくなるのだが、来客がなかったので、そのまま寝てしまった。

06/04/07 (金)
 芦原中で満開桜を見た

昨日は、入学式詣でだった。
午前中は金津幼稚園⇒金津小学校、午後は金津中学校⇒芦原中学校での式に参加させて頂いた。それぞれの入学式でのPTA会長の挨拶を眼をつむって聴いているうち、昔私が会長として挨拶していた頃のことが走馬灯のようによみがえる。

金津幼稚園⇒金津中学校⇒金津小学校の順でPTA会長を拝命したのだけれども、娘息子は既に成人したりあるいは成人に近い歳に達している。きょうのこども達が社会人として活躍し始める頃、私は既にこの世を去り、祖霊となっているだろう。歳月幾星霜なのだ。
中島みゆきの♪「・・まわる まわる 時代はまわる・・」の澄んだ歌声が脳裏をかすめもした。

芦原中学校入学式終了後、有志議員が私の事務所に集まった。個人的な集まりなので多少の世間話も加わったが、メインテーマは「6月議会にむけてどういう論陣をはっていくか」だった。

午後6時過ぎに帰宅し、プロ野球をTV観戦しながらの晩酌。
原巨人、なかなかやるではないか。基本的にハンサム系の嫌いな私だが、原監督には何故か好感を持つ。

06/04/08 (土)
 気分のよかった昨晩

昨日の午前中は広報編集委員会が開かれた。「議会だより」原稿の最終校正をしたのだけれども、今回から文字が縦書きに変わります。乞うご期待。
委員会は午前中いっぱいで終了し、午後はCADざんまい。

夕刻に某市教育委員会へでかけ教育のことをいろいろ聞いた。その後、視力障害者センター⇒某設計事務所経由で帰宅。
晩飯時、油であげたかきもちを食べながらTVのスイッチをつけた。

巨人vs中日、阪神vs横浜をチャンネルいじくりつつ同時観戦した。
どちらもエースどおしの投げあいで接戦なのだから眼が離せない。
しなければならないことはいろいろあったが、ええいままよと最後まで観ていた。
巨人・上原と中日・川上の投げ合いは、中日・立浪の満塁さよならホームランでけりがついた。青ざめマウンドにへたり込んだ上原の心中は察するにあまりある。しかし、その悔しさが明日の君をつくるのだ。勝負の世界は確かに非情だが命まではとられないし、又その対価として君たちはアンビリーバボーの高給をとっているのだぞ。がんばれ、上原くん(ヒッヒッヒー・・・)。

猛虎阪神は8回裏に怒涛の反撃を開始した。赤松・藤本・シーツらのつるべ打ちだ。見事な逆転劇でエース井川に勝ち星がプレゼントされた。
しかし、短髪の井川は、なんか似合わないという気がする。
ハマの番長=横浜のエース三浦は、鼻筋とおりクールないい眼をしている。かわいそうだが、ご苦労さん。

いづれにしろ、プロ野球に関しては、これ以上はないという昨晩でした。
こういう時こそ誰かに大判振る舞いをしたくなるのだが、来客がなかったので、そのまま寝てしまった

06/04/07 (金)
 芦原中で満開桜を見た

昨日は、入学式詣でだった。
午前中は金津幼稚園⇒金津小学校、午後は金津中学校⇒芦原中学校での式に参加させて頂いた。それぞれの入学式でのPTA会長の挨拶を眼をつむって聴いているうち、昔私が会長として挨拶していた頃のことが走馬灯のようによみがえる。

金津幼稚園⇒金津中学校⇒金津小学校の順でPTA会長を拝命したのだけれども、娘息子は既に成人したりあるいは成人に近い歳に達している。きょうのこども達が社会人として活躍し始める頃、私は既にこの世を去り、祖霊となっているだろう。歳月幾星霜なのだ。
中島みゆきの♪「・・まわる まわる 時代はまわる・・」の澄んだ歌声が脳裏をかすめもした。

芦原中学校入学式終了後、有志議員が私の事務所に集まった。個人的な集まりなので多少の世間話も加わったが、メインテーマは「6月議会にむけてどういう論陣をはっていくか」だった。

午後6時過ぎに帰宅し、プロ野球をTV観戦しながらの晩酌。
原巨人、なかなかやるではないか。基本的にハンサム系の嫌いな私だが、原監督には何故か好感を持つ。

06/04/06 (木)
 昨日の一日

昨日の午前中は、福井市の某建築設計事務所へ。友人の所長は、耐震補強を手がけるベテラン構造設計家だ。「中学校建設問題」が焦点になっているさなか、彼の話は大いに参考になった。
午後はCAD三昧。夕刻は、所用で湯の町公民館⇒市庁舎⇒創作の森を廻り帰宅。

夜の事務所は、久しぶりにビール&焼酎的宴会の場となった。某氏が「これが、小泉首相が森さんに差し出し、ひからびたと形容されて有名になったチーズや」というのを持ってきて、食べてみると確かにうまい。 
味を言葉で説明するのはとてもむつかしいのだが
なんつうか、「苦味」が隠し味としてあったような気がする。

人にもいろんな味がある。甘い人・辛い人いろいろだが、隠し味として苦味をもっている人をこそ熟成人と呼ぶべきではなかろうか。私はそういう人になりたい。
↓金津幼稚園入園式風景


↓金津小学校入学式風景


↓金津中学校入学式風景


↓芦原中学校入学式風景


06/04/05 (水)
 「事務所にいる時もきちっとした服装でいよう」と決意した昨日

例えばあわら市議会の場合、政党所属議員がふたりいる(共産党の山川さんと公明党の宮崎さん)が、他は無所属だ。自治体議会に政党政治は(あまり)なじまないあるいは関係ないというのがその理由だろう。

翻って国政の場合は政党政治だ。政党は、政策を同じくするひとたちの一枚岩であることを基本とする。
しかしやね
次の党首選出をめぐる民主党の動きをニュースでみていると、ここも寄せ集め政党なんやなあとつくづく思う。
松下政経塾出身的若手が表の顔であるとしても、市民運動出身的管派、国家理念追求的小沢派(小沢の名をきくと今でもすこしだけ胸がキュンとなる。妻の旧姓だからだ)、護憲連合的横路派、資金潤沢的鳩山派あるいはどうでもいい派エトセトラで、これを一枚岩だと思えと言われても、土台無理な話である。

で、どうやら選挙戦になりそうだ。
参院・興石幹事長の「森内閣(誕生の時)のように、談合と言われないように」という指摘なども選挙戦へ向けての方向づけの一因として働いているようだが、これは事情がちょっと違う。

「森内閣誕生秘話」によると、当時のVIP(森・青木・野中・・他にもいたのかな?)が都内某ホテルに集まって小渕後継者を決めたという意味では確かに密室談合だけれども、「重体の小渕首相の病室に入ることが許されているのはわしだけや、よって小渕本人から後継者指名を聴いたのはわしだけや」を強弁する青木ひとりによって決定されたそうである。小渕は重体というより昏睡だったのだけどなあ・・。野中の青木憎しも、この辺りに端を発している。

とまあいろいろあるのだけれども
あわら市議会の昨今の状態をみていると、会派あるいは会派的なものあるいはこころざしを同じくするものの結束が必要なのではないか、と私は思う。


○桜前線情報⇒事務所駐車場桜
まだつぼみ

     

 06/04/04 (火)
 深夜にみかんを食べながら

昨晩は午後八時に来客あり。
メインテーマは「中学校建設問題」で、来客が10時過ぎに帰ったあと書店へ行き、添寝本を購入した。布団にもぐりこみ、大の字になって本を読んでいる時間帯は私にとって、いわゆるひとつの楽しみというやつです。

ということで、今朝は午前3時半に起床。パソコンのスイッチをつけたら、「掲示板」に、しるくさんからの書き込みがあって、在原業平のことに触れていた。
「平安の色男中の色男、在原業平」と書いてあるので、色男とはなんぞやということをしばらくの間考えた。

私の身近な友人に色男がひとりいる。「もてるのは楽しい。しかし、もてすぎるのは苦しい」が口癖で、彼は確かに眉目秀麗だ。
しかし、端正な顔立ちの端正という言葉の中身は果たして時代を超えて普遍なのだろうか。
例えば百人一首には、(クレヲパトラ・楊貴妃と並んで世界三大美女のひとりと称せらるる)小野小町が描かれているが、十二単の優美な姿とは別に顔はややうりざね調だ。あの絵がリアリズムならば、平安の貴族たちはあのての顔に魅力を感じていた、つまり美の規範が現代とはややずれていたということになる。
貴族や官女という当時の上流階級にとっても入浴は貴重なことで、日々の習慣ではなかったと思う。ならば皮膚もつやつやしてはいなかっただろう。照明といえば行灯なのだから、そこに顔を近づけて和歌などを書き連ねていたインテリ女性の頬はむしろ煤けていたのかもしれない。そしてお歯黒である。

ということで色男を考えてみると、キムタクや高倉健とは程遠い顔の持ち主が在原業平だったという可能性はおおいにある、と私は思う。

 06/04/03 (月)
 ちょっと風邪気味 あるいは花粉症なのかもしれない

「三国競艇の○五年度収支が、二日までにまとまった。総売り上額は前年とあまり変わらずほぼ横ばいだったが、人件費抑制を柱とした経費削減策が功を奏し、五年ぶりに黒字に転換。約五億四千万円の収益が見込める結果となった。・・・中略・・・○五年度は経費が抑えられ、収支が五年ぶりに黒字に転換。約五億四千万円の収益が見込まれることになった。」 という記事を福井新聞HPで読んだ。
この競艇での収益はあわら市にも按分される(確か三国対あわら=6対1)のだから、あわら市にとっても朗報というべきだろう。きょうにでも財政課に行って、詳細を聞いてこようと思う。
○本日もいろんな電話を頂いたが、「手話サークルの花見、いつするの?」という電話で、季節が体の中に入ってきた。

世の中に 絶えて桜の なかりせば
   いかにこの世は 楽しからまし
をうたったのが誰かは忘れてしまったが、愛する桜の短命をそしてその散り際をみるのにしのびない、という桜大好きおじさんの、反語的な歌である。
桜の木の下に死体が埋まっているという短編を書いた小説家もいたし、とにもかくにも桜前線の北上とともに四月初旬の日本列島は幻想世界をあちこちでつくっていく。

06/04/02 (日)
 束の間の憩い
 阪神、開幕二連敗。どんとまいんどである。巨人も横浜の苦手投手・土肥に又もや封じ込められたのだから、昨日の敗戦は、良しとしよう。

無茶苦茶なハードスケヂュールだった二日間が終わった。
昨晩は、福井市での打ち合わせを終えてから帰宅し、しばしの仮眠。しかし寝付かれないので事務所に戻りTVのスイッチをつけた。
矢沢栄吉のロックコンサートを放映中だ。観客席で体を揺らしかざした両手を嬉しそうに叩いている連中はみなおじさん達である。
確か私と同じくらいの初老なのに、矢沢はいきいきとしていて魅力的やねえ。天性のロックンローラーという感じがする。

私の持ち歌を多い順に挙げれば、シャンソン⇒フォークソング⇒文部省唱歌⇒演歌であり、ロックは唄うことができないし唄ったこともない。つまりロックについては全く不案内の私だ。しかし、ジャンルを超えてほんまものは耳に刺激的である。
腹はでていないし皮膚もたるんでいないから、Tシャツ・ボタンダウンシャツで唄っても絵になっている。
「人生一回しかないんだぜ。乙にすましていてどうなる。好きなことやりゃいいんだよ」と、幕あいで彼は語っていた。


この写真は自宅近くで見つけた水仙です。

 06/04/01 (土)
 きょうから四月

先日、「オウム真理教・麻原被告の死刑確定か」というニュースが流れた。
被害者家族の反応は、「とにかくはやく死刑にしてほしい」と「被告本人の口から動機の片鱗も聞けずに死刑が確定してしまうのでは」のふたつに大きく分かれていたように思う。
その前日に、文芸春秋で村上春樹のエッセイを読んでいた私は、地下鉄サリン事件の被害者をルポタージュした大冊子「アンダーグラウンド」(村上春樹著)を思い出した。エピローグにこういうことが書かれている。

「・・・あなたは誰か(何か)に対して自我の一定の部分を差し出し、その代価としての「物語」を受け取ってはいないだろうか? 私たちは何らかの制度システムに対して、人格の一部を預けてしまってはいないだろうか? もしそうだとしたら、その制度はいつかあなたに向かって何らかの「狂気」を要求しないだろうか? あなたの「自立的パワープロセス」は正しい内的合意点に達しているだろうか? あなたが今持っている物語は本当にあなたの夢なのだろうか? それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないのか?」