2006年07月


06/07/31 (月)
 7月最終日

昨晩は気分が悪くなり、何度かの嘔吐(オウトと読むと高尚になるがヘドと読む)があった。そこで早々に寝た。9時間の熟睡ののち5時に起床。
気分は回復していたが、胃がキリキリ痛む。
そこでキリマンジャロ熱々珈琲を飲んだら痛みも消えた。

消えたといえば
「昭和19年のきょう、サン・テクジュベリが地中海上空で行方不明になった」と早朝ラジオが言っている。
いわゆる星の王子様で、心に沁みるこのひとの言葉に、「本当に美しいものは見えないものなんだよ」がある。

06/07/30 (日)
 吉崎

昨日は「吉崎湖畔の夕べ夏祭り」が汀公園で開かれた。
湖上に灯篭が浮かび二つの筏の上のモニュメントは「はなさかじいさん」で、これすべて吉崎小学校のこども達の作品だそうです。


公園後背にある御山は、先日の豪雨による爪跡をまだ残しているが
頑張れ 吉崎

昨日事務所に来られた方で、めがねを忘れたひとがいます。

06/07/29 (土)
 夕立と頬月

朝起きたら激しい雨である。梅雨明け宣言はまだなのでこれを「夕立」と呼ぶことはできないだろう。あるいは朝でも「夕立」と呼ぶのだろうかとどうでもいいことを考えているうち、遠い少年の日の記憶がよみがえってきた。

小学校4年の頃だったと思う。
夏休みのある日、私は自宅縁側に寝転んでいた。突然雷鳴がとどろいた。
縁側から簾垂越しに見える庭一面をみるみる雨が襲い始めた。
頬月の赤い実が激しい雨にたたかれ右に左に動いた。そのうちに雨は止み静寂が戻ってきた。

「夕立」とはいわば一瞬の嵐であり「掲示板」にもしばしばくる。
見ているうち、じきに止む。

06/07/28 (金)
 もう週末か

昨日、長いソファーを頂いた。どこへ置こうかと思案するうち、事務所全体の模様替えを決意した。最近人の出入りが多くなってきていることにも起因している。
ゆったりとしたスペースを保つためには障害となる物がある。そのひとつひとつをみると、普段使っていないものが多い。書類などにしても、二度と読むことのないものがほとんどだ。高度経済成長社会のなかで、私などもそのおこぼれを頂戴してきたというわけだが、不要物はやはりないほうがいいだろう。

昔の武士の家の部屋は畳が敷いてあるだけで、がらんとしていた。武家社会の元祖といえば頼朝(鎌倉殿)で、何かコトが起こった時にはすぐはせ参じることができるように、という配慮からだそうである。「いざ鎌倉」やね。

ないことのこころを送りあったふたりがいる。
禅僧一休が庵を訪れた友人をもてなそうとしたが、出すものがない。
そこで
何をかな まいらせなくな 思へども
     達磨宗には いちもつもなし  と一休が歌ったところ

いちもつも 無きをたまわる こころこそ
     本来空の 妙味なりけり  と友人が返歌したそうで
なんというか、空気が凛とする。

06/07/27 (木)
 貼り付け日記

久し振りに「市政関係掲示板」の「管理」コーナーを覗いてみた(下段)。
「日記」よりはるかにたくさんの方が来訪されている。
時間帯としては、日替わりの頃が多いようだ。


006年07月26日 のアクセス解析 (サンプル数:382)

時間毎のアクセス数

時間 アクセス数
0 24
1 9
2 5
3 7
4 8
5 11
6 25
7 19
8 35
9 16
10 16
11 16
12 24
13 7
14 13
15 15
16 11
17 11
18 14
19 16
20 13
21 24
22 18
23 25

06/07/26 (水)
 暑中見舞い

昨晩は悪夢をみることもなく熟睡できた。
午前5時過ぎに起床。熱々珈琲キリマンジャロを飲みながらパソコン前に座っている。
カレンダーをみると7月ももう終わりだ。梅雨明けが宣言されたかどうかはしらないが、日付的にはもう夏なのだ。

20年以上前になるが、当時のガールフレンドから「夏してますか?」という暑中見舞いが届いた。当時筆まめだった私は「暑いのでしてません」という返事を送ったのだけれども、誤解を説明する旨の電話がかかってきた。

当時流行っていた某航空会社キャンペーン(確か故夏目雅子がモデル)のキャッチコピーで
「夏してますか?」は「夏を楽しんでますか?」の意味だったのです。

彼女は今頃どこで何をしているのだろう。人生は出会いと別れの旅なのだと、つくづく思う。


○どなた様でしょう?
7つのジャガイモを私の事務所の玄関脇にそっと置いていかれた方。
塩茹でにして食べさせていただきました。大変美味しゅうございました。
                               謝謝

06/07/25 (火)
 夢

昨日の昼は、来訪者多数。
夕食をとり、早めに布団に入って本を読みながら就寝。しかしまたしても来訪者あり。その後眠れなくなってしまったので「市政関係掲示板」を覗いたらたくさん入っている。最近はこの日記を書く時間より「掲示板」を覗く時間のほうが長くなってきた。
「なるほどなあ」とか「そうかなあ」とか「ちがうなあ」とか、ひとりでつぶやいていたあと読書を再開。やっと眠りに入った頃は既に午前2時を過ぎていた。

夢をみた。悪夢である。

私は誤ってひとをあやめてしまう。そのせいで何人かのひとから追いかけられる。ほうほうのていで逃げる。逃げ切れず塀際に追い詰められた時、あやめたはずのひとが生き返った。・・というところで目が覚めた。ハッピーエンドなのだが気分はやっぱり悪夢だ。
心理カウンセラーならば
私の心の底にある贖罪感・卑怯さあるいは逃避性などを指摘するのだろうと思う。
「盗難にあったお宅の娘さんの自転車が○○に放置されています」という交番からの電話を受けて、取りに行ってきた。
しかし、鍵をかけていたにも関わらず三年前に盗難にあった私自身の愛車バナナ号はまだ戻ってこないのである。


とっても気に入っていたのだけどなあ。戻ってきてほしい

06/07/24 (月)
 昨日の一日

昨日の日曜日の朝、なんとなくTVを観ていたら「Qくん宅の裏庭へおいで」コールが入った。行くと野外バーベキューパーテイだ。
サザエのつぼ焼き、燻製ソーセージ等々を食べながらビールを飲んだ。相当飲んだ。


さわやかな風のなかでいろんな話をしていたような気がする。
いいレクレーションを体験させていただきました。

06/07/23 (日)
 私からわしへ

幕末の歌人・橘曙に、「たのしみは」シリーズがある。

たのしみは 妻子(メコ)むつまじく うちつどい
  頭ならべて 物をくふ時

たのしみは 珍しき書(フミ) 人にかり
  始めひとひら ひろげたる時

たのしみは まれに魚煮て 児等皆が
  うましうましと いひてくふ時

たのしみは そぞろ読みゆく 書のなかに
  我とひとしき 人を見し時   等々だ


で、わしの楽しみはなにかと考えた

たのしみは 日の暮るる頃 浜にでて
 西方浄土に 手をあわす時   くらいかな

06/07/22 (土)
 もう週末か

体調不良となると、どうしても落ち込み気分になる。くわえて生活に対するぼんやりとした不安がそれを促進する。気を紛らわすために焼酎を飲むと歯が痛む。そういう時はひたすら寝るに限る。

ということで、今朝の起床時刻は9時過ぎとなってしまった。
ふたりの議員が議論しているのを尻目にこの日記を書いているのだが


窓の外を眺めると青空に白い雲が浮かんでいる。もう夏空だ。
少年の頃の夏休みは蝉の鳴き声・夕立そして抜けるような空の青さが三点セットだった。
じっと眺めているうちに、ウン、生気が戻ってきた。
○「市政関係掲示板」のスタイル変更について
今まで「返信機能}可としていたのですが、投稿順が乱れてしまって読みにくいという声があったので「返信機能」を不可に変更しました。こうすると、投稿は最上段が新着で下がるに従って古くなっていきます。
なお、返信の思いがあるときは題名に「□△△△番の○○さんへ」と書けばよろしいかと、思います。

○「よろず掲示板」が賑やかになってきました。蕎麦を中心とした食物談義です。皆さん、是非ご投稿を。


06/07/21 (金)
 体調やや不良

最近、掲示板に対するいろいろなご意見を伺うことがあり、それだけ関心をもっていただいてるのだろうと思う。ありがたいことです。
 
掲示板に書き込みがあると、私のケータイにも入る仕組みになっていて便利ではあるが、しかしこれが場所と時間を問わないのが難点だ。寝込みを襲われる、というか午前2時、3時の目覚ましがわりにもなっていた。(最近は就寝時にケータイをドライブモードにしたので一件落着ですが)。
 
ところで、最近、「きさらぎ」さん探しがかまびすしい。実に知識が豊富で、視点が鋭い掲示板常連の「お客様」です。
で、先日も職員などから 「きさらぎ」さんが友人のH議員ではないかと言われたがが、これは違う。自信をもってそう言える。なぜなら、彼と一緒にいるときに、この「きさらぎ」さんからの投稿が入ったことがあるからだ。先日も、居酒屋で彼及び某女性と飲んでいるときに投稿が入った。当然、彼等とも「きさらぎ」さんは誰だろうという話になった。そしてお互いに「きさらぎ」さんの博識に驚き、彼も自分と思われるのは濡れ衣だ、などと主張していた。
 
うん、「きさらぎ」さんは「きさらぎ」さんということやね。
 

06/07/20 (木)
 昨日の一日


金津神社に於いて例大祭が開かれた。
地鎮祭に出席する時などにも思うことだが、神主の奏上は意味のわからない部分が多い。全て大和言葉であり、漢語やカタカナ言葉は一切入ってこない。
多分、遣唐使以前の日本社会では普通に了解できた言葉での構成であり、逆に言えば我々現代人の会話のなかにたくさんの外来語(特に漢語)が使われているという証しなのだろう。


「介護保険制度」の研修会。
「第3期介護保険事業計画」等の資料が手元にある。近日中に抜粋しPDFファイルとしてコンテンツ「議会報告」にUPしたいと思っています。


アツアツごはん花ガツオふりかけ醤油まぶしという必殺得意技で晩飯を終えてから事務所に戻った。
「豪雨による危機も去った。さあ、もう寝ようか」と思っていたら、来訪者いれかわりの三人。
Aさん(女性)⇒Bさん(女性)⇒Cさん(男性)だったが
Aさんとの、「降雨のなかの金津祭りの総括」という真面目なテーマについての会話のさなか、話題は突然「美人局」に変わった。
「なぜあのことを美人局と言うのですか? なぜツツモタセと発音するのですか?」と言う。ツツについてはある程度推測がつくけれども、厳密にはわからない。この日記をお読みになった方で語源のわかる方がいらっしゃいましたならば、是非「よろず掲示板」に投稿してください。

06/07/19 (水)
 ちょっと思ったこと

「掲示板」に書き込まれている怪文書論議を読んでいて思ったことが幾つかあります。
発行元と代表者が明記されていないことは論外ですが、「あわら市議会議員 有志一同」では誤解を招く恐れがあります。例えば、私はあわら市議会議員ですが有志議員ではございません。

この文面は統合決定を歓迎しています。
6月定例議会22日の採決の際の統合賛成議員は14名、反対議員7名でしたし、それぞれの議員名は(私のHPにも書いていますが)既に明らかになっています。
となると「有志」は議員のなかの14名(or15名?)を指すのかと思い、統合に賛成した某議員に聞いたところ、文書作成に加わっていないという返事を頂きました。
もしそうならば、有志議員が14名のなかの誰かが明らかになりません。
議会当日の採決は二者択一でしたが、統合に賛成した何人かの議員のなかに心の揺れがあったことを私は仄聞しています。仮に私がその当事者だったら、こういう文書を発行することに対して抵抗を感じるだろうし、「有志一同(但し牧田は除く)」と明記することを申し入れていた、と思います。

そうではなくて、仮に代表者(誰かわかりませんが)が、この文書発行に関する賛成起立議員全員からの委任を受けていたのならば、「有志一同」ではなくて、「統合賛成起立議員一同」とすべきだったと、思います。

何故そういうことを書くのかというと、私が町議時代に行われた国会議員の選挙の際、立候補者からの金津町議会に対しての推薦状依頼があり
①議会として推薦するといったって全員が推薦したいと思ってるわけじゃない。
②じゃあ有志議員としたらいいじゃないか
③だって自分が有志議員と思われるのは嫌だ
等々の議論があったことを思い出したからであります。

06/07/18 (火)
 鯰(ナマズ)のこと

昨晩は、久しぶりに長時間の読書にいそしんだ。
その間、小雨ながらも雨は降り続いていた。7時半に起床し、自宅裏の竹田川まで歩いたが、水位は下がっているみたいである。

子供の頃、豪雨のあとの水際で魚釣りを楽しんだ。護岸のなかった時代であり、柳の下あたりが穴場だった。本当によく釣れた。鯰も釣れた。顔に愛嬌のある鯰は私の好物だった。味は鰻に似ているが鰻ほどには脂っこくない。鯰もそうだけれども、今は川魚を食べるひとはほとんどいないだろう。

数年前、病床の父が「鯰の蒲焼を食べたい」と突然言い始めた。知人から聴くなどして蒲焼を置いてある店を探し出し、その店まで買いに行った。
父は本当にうまそうに食べていた。


06/07/17 (月)
 祭り最終日

「北九州市門司区の市営団地で5月、独り暮らしの身体障害者の男性(当時56)が、ミイラ化した遺体で見つかる事件があった。この事件で、北九州市が、男性が脱水症状で衰弱していたのを昨年9月に把握しながら給水停止を続け、病院に入院させるなどの措置も取っていなかったことが分かった。男性が生活保護を申請しようとしたのに対しても、相談段階で断っていた。・・」(asahi.com 07/17)
を読んで、3年程前を思い出した。

県内在住の友人から電話があり、「知人が衰弱死した。役所のしゃくし定規的対応に対して腹がたつと同時に、そのことで動いた時の自分の力不足を悔いている」というものだった。
彼はその経過を新聞に投稿し、テレビ(確かTBS系だったと思う)にも出ていた。

税の無駄使いを慎むのは当然のことだけれども。
上述asahi.comの「・・相談段階で断っていた・・」は担当職員の単なる怠慢を示しているだけなのかもしれないし、あるいは壁となる法律条項があった為なのかもしれない。
だけど、仮に壁条項があったとしても、条項自体よりも条項を裏打ちする精神の柔軟な適用が大切だろう。少なくとも、ひとりの人間の死に至る迄を放置していいわけがない。
つまり厳しくても「血も涙もある」お役所であってしかるべきだと思うのである。
○昨晩からの豪雨で、市役所には対策本部が設置された。

①竹田川上新橋の橋桁に流木が引っかかり、漂流物がそこで止められている。地元の人が「橋桁に圧力がかかって危ないのではないか」と言うので、本部に電話した。
②高塚橋付近では、水位の上昇で、田んぼが既に冠水していた。
③御山の土砂崩れ現場は、つい先月行った場所である。
・観音川下流では、敷地に冠水した住宅があり、消防車が排水をしていた。
・北潟湖の湖岸道路である305号線は部分部分で道路が冠水し通行止めとなっていた。
しかし、午前10時現在雨は既に止み、ラジオは水位が下がり始めた、と言っている。
もう降らなければいいのだが。


○うーん、パソコンの調子がちょっと悪くなってきた。ハードの問題なのかホームページ作製ソフトの問題なのかわからないが、文字消えがあったりコピー⇒貼り付けがスムーズにいかなかったりする。
もしかしたら、しばらくお休みさせていただくかもわかりません。


06/07/15 (土)
 金津祭り初日

昨日の夕方に聴力障害者のAさんが来訪。
「手話通訳をしてほしい」と言うので、夜にAさん宅に伺った。そこから近在のBさん宅、Cさん宅に同行したのだが、通訳の内容は登記に関することでありもっと言うと揉め事だ。
手話通訳というと、講演会場などの舞台脇に立って、手を動かす姿を思い浮かべるでしょうが、本来はとても地味なもので通訳者の皆さんはそういうことを日常的にやっておられます。

と書いてきて思い出したのが市議会のことだ。
ケーブルテレビでの一般質問風景は、一回目質問⇒理事者側回答で終わってしまっている。その次の再質問から原稿無しの応答になるのに、それが削除されているのでは観る側に不満がたまるのではないだろうか。
それと
市議会は議案等の審議を各委員会に付託している。つまり委員会が実際の審議の場となっているわけで、ケーブルテレビのカメラは本来ここに入らなければならない、と私は思う。

06/07/14 (金)
 きょうは快晴

「市民会議室」を覗いたら、私のことが、又いろいろ書いてあった。「嘘つき議員」「バカ議員」ええっと「管理能力不足議員」エトセトラです。
どんな生簀(イケス)にも何匹かの雑魚(ザコ)は泳いでいるものなのだ、と笑ってしまった。

しかし、よく考えたら笑ってばかりはいられない。
「市民会議室」は、私の「掲示板」と違って市の公的な「掲示板」です。
あんなことを「市民会議室」にどんどん書いていったら他の市・他の県の読者は「うーん、あわら市には嘘つき議員がいるのか。どんな議会なんじゃい」と呆れるに違いない。他の議員も同じ色眼鏡でみられる。

個人攻撃は個人どおしでやるのが一番です。私のことをそんなふうに思っているのであれば、私個人に電話(73-4701)されるか直接来訪される(花乃杜1-17-1)かするのがマナーというものです。

同一パソコン複数者発信の件については、何日か前の「日記」に書いたのでもう繰り返さないし、この「掲示板」で例えば統合派の○○さんが8コのハンドルネームを用いて書いていたのを勿論私は知っています(最近はないですが・・)。しかし、それが悪いことだなんて全然思わない。誰が書いたかではなくて中身です。

06/07/13 (木)
 小雨の朝

昨日の午後は1時半から市姫荘に於いて「シニアボランテイア養成講座」が開かれ、45分間しゃべってきた。
20人弱のシニアのひとたちは、その言葉どおりで若くはない。しかし年寄りという程でもなくて、要するに私とよく似た年代層だった。

圧倒的に女性が多く、普段の付き合い相手のほとんどが男性の私にとっては、やはり気恥ずかしい場所である。
何をしゃべろうかと事前に決めていたわけではなく、ただとりとめもないことをしゃべっていたのだけれども、あれで構わなかったのだろうか。
○昨日の夜も更けた頃、私は妻とさしで晩酌をした。
菜っ葉の炒め物がつまみで、アルコールは勿論焼酎だ。
ほろ酔い気分となるにつれ
これからの生活に対するぼんやりとした不安は愚痴となり、これからのあわら市はどうなるのだろう、という心配も又愚痴となり、北朝鮮問題も又愚痴となった。しかし、配偶者どうしでの愚痴の言い合いはいいものだ。
肩の力が抜け、腹の底にたまっていた澱が排泄されていく。
ゼロからのスタートだ。よおおし、もう一度頑張ってみるか、という気分になる。
いわば魂のカタルシスなのであります。

 06/07/12 (水)
 昨日の一日

昨日、私達社協理事会は小浜市社協を訪れた。
二時間にわたって小浜市社協の活動を聴いたなかで、一番印象に残ったのはハンセン病回復者・竹村栄一さんのこと。

確か小泉内閣になってから、国はハンセン病患者に対する措置の誤りを謝罪した。その後、差別と偏見に苦しんでいた彼らの実態が国民周知のものとなったわけだけれども、小浜市出身の竹村氏もそのひとりである。
小浜市社協は彼の60年ぶりの里帰り運動に尽力し、あるいは同級生を中心とした市民グループが彼の生涯を描いた劇「生きて いま」を上演した。さらに平成17年1月にはミャンマーに「竹村栄一記念校舎」が落成したそうである。
岡山県の小島・邑久光明園で平成15年1月12日に生涯を閉じた彼の最後の言葉は「わしぐらい幸せなハンセン病患者はおらん」だったそうだが、私達はこの言葉の持つ深い意味を胸に刻んでおかなければならないと、思う。

午後は、国宝・明通寺を訪づれた。住職・中島氏は反原発運動に積極的に関わっていたひとで、以前彼の講演を聴いたことがあるが、本堂で真言密教の流れを語る語り口は相変わらず凛としていた。
○市のホームページ・市民会議室で私は

①「2校派市議会議員の掲示板では、その管理者がウソを云い別ハンドル名で投稿していたことがバレて謝ってますが・・云々」
②「そして、きさまんさんの掲示板投稿を読んで下さい。大事なところは削除されているみたいですが・・云々」
③「苦しい言い訳が書いてありましたね・・云々」
と(どうでもいいことだと思うんだけど)非難されている。

①については、私の7月11日付け日記で書いた通りであり
②については、削除した理由も付記しました。
③については、全然苦しくないんだけどなあ  と思っていた矢先

「6月9日の投稿者5人が私のパソコンから発信されています」というお知らせがあって、「うーん、あの日も確かに沢山の人が事務所に来てはいたけれどもそれぞれが私のパソコンに向かっていたのかなあ。そうだとすると、ハンドルネーム○○さんも、□□さんも私の知り合いということになってしまう。そんなはずないと思うが本当にそうなんだろうか、などと実際のところ思っていたわけです。

ところが
本日(2006/07/12)の「あわら市民」さんの市民会議室への投稿↓
管理者の複数での、書き込み件ですが、よく流れや書き込みを読んでください。あるいは見ていた人はわかると思いますが、何ら悪影響を及ぼすものでもないし、掲示板の変更の時などに移行しやすいように書き込んだものなので、他の悪質や話の話題を別に持っていこうという内容の投稿とは違うものではないかと思います。少し大げさにし過ぎだと思います。知らない人が聞くと何かと思ってしまいますよ。ウソの内容を書いたのではなく、事務所にこられた方が書き込んだり、掲示板の管理上でのことでそうしたのであってもう少し、慎重に言われたほうがいいです
を読んで、私はアッ!と思いました。

履歴を読むと、その日に私は「よろず掲示板」を「中学校建設問題掲示板」に変更しており、その際、区切りがいいように、確かに幾つかの投稿内容を、「中学校建設問題掲示板」にコピー⇒貼り付けしましたし、それぞれを「旧掲示板」から削除しました。それをすっかり忘れていたのです。
「あわら市民」さん、思い出させてくださってありがとうございました。


 06/07/11 (火)
 本日は小浜へ

以前、「掲示板」に、返信として「自分のパソコンは自分しか使わない」と書いたところ、昨日、このパソコンから他の名で過去に何件か発信されている、という書き込みが入っていた。確かにかなり前のことだけれどもそれが当たっていることを思い出したし、指摘してくださった「きさまん」さん(「富田林」さん)に謝らなければならない。謹んでお詫び申し上げます。

さて何故そうなったかについてですが、私の事務所は結構人の出入りがあり、このパソコンをみながら「掲示板」の中身について議論することがあった。「じゃここで書き込みするぞ」と言われたこともあるし「書き込みせえや」と言ったこともある。
うん、私個人あてにメール文章が入ってきたので、「掲示板に出してもいいか?」と電話で聞いてから書き込んだことも二回ほどあったと思う。
実は、昨晩「しるく」さんが来ていろいろ話をしていた時、そのあたりのことについて「なるほどなあ」と思ったところです。
なお、実名が出ていたので、「きさまん」さん(「富田林」さん)の書き込みは「消去」させていただきました。とにかく申し訳ありませんでした。
匿名社会の功罪はいろいろあるのだと思います。
○Iさん、持ってきてくださったCDありがとう。
「五つの赤い風船」といえば、私が20歳前後の頃に流行っていたフォークグループです。なつかしく聴いています。


○PKさん、腰痛にもかかわらずの「ミクロポデイウム」椅子の後片付けご苦労さんでした。貴方のつくったチケットがとても評判よろしいです。

06/07/10 (月)
 月曜日の朝 

帰省している娘の送り迎えやらなんやらで、日曜日の昼は過ぎていった。
夜、缶ビールを飲み始めたら来客ふたりあり。
話題は「中学校建設問題掲示板」の混乱的状況に移った。

マイナーではあっても、自分にはこの「掲示板」に対する愛着がある。
質疑応答賛成反対を書き込むのは勿論自由だ。しかし、そこに一定の品位があってこそ「掲示板」は成長していくと思うんだ。

揶揄を書き込むひとは、書き込むことで自分の惨めさを露呈するだけという構造がわからないのだろうか、と初めは不思議に思っていたのだが、徐々に「消去しなければならない書き込みもある。そうでないとみんなが嫌がる」という意見をきくようになってきた。

嫌がらせが目的であるならば、それなりの対応をせねばなるまいということで、熟慮の末、「掲示板利用規程」を一部変更しました。あしからず。
○昨日の留守テルにMさんからの激励のメッセージが入っていました。
電話番号がわからないので、この場でお礼申し上げます。
久しぶりにじかの声をお聞きし、嬉しかったです

06/07/09 (日)
 昨晩は「ミクロポデイウム」公演だった

昨晩は、中央公民館に於いて、操り人形劇 ミクロポデイウムの公演が行われた。
暗闇のなか、スポットライトを浴びた人形の動きは精緻だ。二本のろうそくと麻布が影絵世界も演出する。
一切のセリフなく、クラッシック音楽だけが流れるという夏の夜のファンタジーを我々は十分に味わうことができたのではないかと思います。
人数限定のなか来てくださった皆様方、どうもありがとうございました。

公演が終了し後片付けを終えてからは、慰労親睦会。
京都で調理師をやっていたタイヤ会社社長Oさんによる手料理に舌鼓をうちつつ、人形操り師レナード・オンドラシュさんは「わたしはシーマン(船員)です」と言う。世界各地を渡り歩く芸人という意味なのだろう。ちょっとうらやましくなった。
オンドラシュさん本人はハンガリーから、通訳は広島から、音響操作は長野・松本からはせ参じ、その公演を我々あわら市民が観るというのは、ウーン、地方の時代の構図ではないかと、私は思った。

06/07/08 (土)
 もう週末か

このホームページの「中学校建設掲示板」は私が管理しています。よって一日一回は覗きます。

さて
私は今までにこの掲示板に書き込まれたひとたちのうち、本人を三人だけ知っていますが、そのうちのひとりから昨晩の2時頃、「わたしの名前がかたられているうー」という携帯メールが入ってきたので布団から起きて覗いてみました。確かに「わたしは○○だ云々」という、どうでもいいことの書き込みがしてありました。一般的に言って、掲示板が匿名者投稿でなりたっている理由は、誰が発信したかではなく書かれた内容についての賛否が問われる場だからであるはずです。
AさんであれBさんCさんであれ、口元から発信された言葉はその瞬間から所有権を失い、みんなのものになると、考えたほうがいいです。

掲示板書き込みの「注意」の部分に「個人的中傷はしないこと」と書きました。勿論、中傷と批判の峻別はむつかしいと思います。だから私に「消去」はできません。
だけれども管理人の私は匿名というわけにはいきません。
ただし、名指しで書き込まれた内容を生産的ではない、と判断した場合は無視するだけです。

昨晩の投稿のなかに、署名簿の中身をあげつらうものがありました。署名したひとの気持ちの切実さを逆撫ですることが書き込みの原点になっていると思います。が、それよりも、署名簿提出の際、「2校存続を求める会」代表の組頭先生から「個人情報保護の為、議長室に厳重に保管監理をしておいてください」という申し入れがあったはずですが・・。
事実かどうであるかはひとまずおくとして
書き込みをしたひとは、全部をご覧になっているような書き込みかたをしています。どういうルートでご覧になったかを付記しないと単なるプロパガンダになってしまうのではないか、と私は思うのです。

06/07/07 (金)
 昨晩のこと

昨日の午後6時半から、「あわら市地域福祉計画障害者福祉専門部会」が開かれた。
メンバーは市内にあるそれぞれの福祉施設長あるいは福祉団体長つまり福祉施策の現状を十分認識しているひとたちばかりなので、意見拝聴しつつ随分勉強になった感がある。
最近とりざたされているのが自立支援法で
H18年4月一部施行(自立支援医療・施設居宅サービス)⇒H18年10月完全施行の予定だ。今年の上半期に福祉課へ出向きその詳細を聞いたこともあるが、行政側にしても実際動き出してみないとよくわからない、という面もあるというのがその時の印象だったが、少しわかりかけてきた。
とりあえず資料の一部を添付します。

午後8時半に部会終了したのち、個人的な用事で椚・後山へ。
車を走らせる道中、田んぼ用水あたりに蛍の飛び交う姿をみることができるかもしれないと期待していたのだが無駄だった。

 06/09/06 (水)
 昨日の全員協議会

昨日の午後1時半から、全協が開かれた。全協(全員協議会)は、9月議会に向けてのもの。
各常任委員会・議会運営委員会報告、各特別委員会報告、一部事務組合等の報告があり、引き続いての協議事項では、市長提出議案について。陳情等についてなどがあった。
午後7時前に終了。
全協は決定機関ではないので詳細を省くけれども、本議会終了後に
いろいろと書き込む予定です。

06/07/05 (水)
 雨の朝

起きると雨だ。空気がひんやりとして、雨音のリズムが心地よい。

朝食時のTVニュースは「北朝鮮のミサイル発射」でいずれも日本海に落ちたそうだ。あの国のやることはわからないことだらけだけれども、打ち上げ失敗の結果であれ計画的なものであれ、日本海に落ちたとなると現実に恐怖を感じる。独裁者・・・これが一番恐ろしいのである。
外交と防衛は国の基本だ。詳しいことはわからないけれども、迅速で適切な対応を望むものである。
午前中は来客3名。
会のこれからのこと、これからの議会の動き、中高一貫教育のこと
以上3点が、話の軸となりました。

午後1時半からは市姫荘にて明厳寺住職・乙坂晃寿氏による講義「ボランテイアとは」を拝聴。なかなか楽しかった。
人は長所によって滅びるのだそうです

06/07/04 (火)
 私的なこと

昨日の私の事務所には、朝から晩まで誰かひとがいた。
「中学校問題」の進捗に伴う事務作業と、これからの方向性に関する議論で一日が終わった。
明けて早朝の事務所で、テーブルの上におかれた差し入れのしなじな(さくらんぼ・アイスコーヒー・ポテトチプス等々)を眺めつつひとり熱々珈琲を飲んでいると、昨日のざわめきが嘘のようで不思議な気分になる。

10年以上前に建てられたプレファブ建物2階のこの部屋の初めの二年間は「金津中学校創立50周年事業」の事務局として使われ、夜毎にひとが出入りしていた。その後、設計の部屋として定着したのだけれども、夜には宴会の場として使われたことも何度かある。
構造材用米松で作られた大型座机の表面は焼肉を楽しんだ時の油分が今もなおわずかに付着していて、その時の余韻がよみがえってくる

06/07/03 (月)
 25年前7月3日の金津町水害

「よろず掲示板」に「金津町水害 25年」の写真がMr.Mさん提供でUPされた。
駅前通りを、当時の福井銀行金津支店あたりから撮ったものだと思われるが、水没した新富・町営団地や竹田川の濁流の激しさが25年経った今でもはっきりと記憶に残っている。
とても貴重な写真だと思います。
なお参考までに、コンテンツ「議会報告」⇒「資料2005年・11/09竹田川の治水」をご覧ください。
○橋本龍太郎さんが亡くなった。
首相在任当時のイメージとしては、気障な髪型で気障ないいまわし程度の記憶しかなかった。
けれども、数年前の町議時代、香川県豊島へ「環境保全特別委員会」のメンバーとして公害視察に行ったとき、反公害闘争委員長の口から中坊公平・安藤忠雄の諸氏と並んでこの人の名がでてきたのでちょっと驚いたことがある。隠れた部分で人情家だったらしい。
参・豊島問題ホームページ

 06/07/02 (日)
 雨の日曜日

「父親・担任教師との三者面談の際、ぼくを殴らないでほしいと少年は父親に訴え、もう殴らないとその場で約束した父親はしかしその後も少年を殴り続けた」と、早朝ラジオが言っている。
奈良県で起きた例の放火殺人事件のことである。

父親が収入と地位を保障された医師である自分自身を誇りに思うのは勝手だし、その地位を息子にバトンタッチしたいと思ったとしても親心としてそんなこともあるだろう、とは思う。
しかし、息子と父親はそれぞれに独立した人格を持っているのである。
父親の背中に息子が違和を感じたとしても、全く不思議ではない。

そもそもがこどもにとっての父親というのは、この世で最初に意識する「他者」であり、嫌悪を含めた複雑な感情を向けられるのは宿命だと思うのだが、そのアンテナを持たない単細胞であったという父親の負の資質が今回の事件を引き起こしたのだと思う。

母親と妹は突然に人生を失い、少年は贖罪の一生を送ることになる。
○夕刻に帰宅したら、妻が「ワキタさんとこでもらったんや」という毛蟹を皿に添えて食卓に出してきた。
毛蟹の味噌をなめ焼酎を飲みつつ上述の思いをしゃべるぼくに、「それだけではない」と妻はいう。「その父親は祖父母からの育てられ方のなかで子育ての方法を無意識に身につけたんやと思う。お父さん達(夫つまりぼくのこと)団塊の世代は、理屈だけで前世代に対する異議申し立てをしてはきたけど、血のつながった家族のなかで価値観の峻別をはっきりと言ってはこなかったのではないか。そのつけが、教育・家庭をとおしてひずみとしての社会問題を誘発しているのではないか」と言われた。

06/07/01 (土)
 土曜日の朝

7月に入った。今年も既に半分が済んだ。
実は、6月いっぱいでこのコーナーを(掲示板だけ残して)休業にしようか、と思っていた。

あからさまに書きたくはないけれども、今回の議会での採決に至るまでの行政側の動きにあるいは議会内部での動きに納得できないものをいろいろ感じたし、であればこそ採決の結果は少なくとももっと接近したものになるのではないかと思っていたけれども、結果はそうならなかった。

「なんとか2校を残して欲しい」と、実にたくさんのひとから言われながら、「2校存続を求める議員」は少数派にとどまってしまった。力量不足も勿論あっただろうし、もっと言うならば我々は「政治的」に動けなかったような気もする。

というような思いでなんとなく停滞気分になりつつ、しかし昨日街に出た時、複数のひとから「毎日日記読んでますよ。頑張ってください」と言われた。
仄聞するに、議会採決を受けての動きが模索されているようだ。

アジ文などの苦手な私だけれども、やっぱり日々の素朴な思いだけは書き続けていこうと思い直しました。

○うば桜さんへ
「掲示板」への書き込みありがとうございます。元気づけられました。