2006年08月


06/08/31 (木)
 うす曇の朝

昨日
8月も終わり、ということで、加賀の国へ車をはしらせた。黄金色の田んぼの拡がりをみつつ、農道を抜けて里山に停車した。おおいかぶさる樹木の間を、黒い蝶やしおからとんぼが飛び回っている。蝉時雨はもう聞こえてこない。日本の正しい秋の気配は確実に近づいている。赤蜻蛉を見ることができるかと、期待していたのだけれども、まだだった。去年の秋、夕陽を浴びて低空を乱舞する赤蜻蛉の姿をみて、秋の最高の風物詩だと思った。

将来に対する漠然とした不安や鬱陶しさでとてもネガテイブな気分が続いていたけれども、自然のなかに身をおいてみると、所詮人間も自然の一部でしかないことを実感する。自意識を捨ててケセラセラになることが大切だ。捨て去ることはできなくても、剥いで軽くすることぐらいはできるだろう。

今秋のいつか、寝袋をかついで一泊の旅をしてみたいと、思った。

 06/08/30 (水)
 一行日記

本日は、日記をお休みします。

 06/08/29 (火)
 熱々珈琲を飲みながら

昨日の午後1時半から、「まちづくり調査特別委員会」が開かれた。
調査報告事項は次の通り。
①市道金津・三国線道路改良工事について
②北陸新幹線の現状と今後の取り組みについて
③中心市街地活性化について
④地域ブランド創造活動推進事業について
⑤健康づくり大学について
⑥その他
だった。
微熱と頭痛に悩まされていた僕は、静かに聞いていた。
資料の一部をUPしました。

この日記を書いているうちに、小雨がパラパラと降ってきた。きょうは、幾分涼しくなるのかもしれない。

06/08/28 (月)
 6行日記

本日は、午前五時半に起床し、パソコンの前にすわった。
昨晩から私的な不安がアタマをよぎり、ぼーっとしている。こういう時は何を書いていいものか、というか、何も書くことがない、という気分です。

とりあえず
残暑お見舞い 申し上げます

06/08/27 (日)
 ゆったりの日曜日

甲子園の狂騒は終わった。
早実のエース・斉藤を「ハンカチ王子」などと命名して持ち上げるマスコミのばかさ加減には呆れる。視聴率を上げればいいっていうものでもないだろう。どだい、ぼくは甘いマスクが嫌いだし、駒大苫小牧のエース・田中のゴツゴツ顔こそ高校生らしいと、より近親感を感じる今日この頃です。

我が愛する阪神タイガース優勝の可能性もなくなり(昨晩なんぞ、あの巨人に0対10の完敗だ)、自民党総裁選も福田康夫の不出馬表明によって緊張感が薄れてしまった。
何ごとにつけそうなのだけれども、予定調和的な動きにどれほど期待できるものがあるのだろうか、と思ってしまう。

残暑はまだ厳しいけれども、見上げればもう秋空だ。
「読書の秋」ということで、昨晩は山本七平を読んでいた。
この人の本を読んでいると、我々が常識だと思っていることのひとつひとつが例証を挙げての論理展開によって覆され、目からうろこの気分にさせられる。

06/08/26 (土)
 昨日の視察研修

昨日は坂井地区介護保険広域連合議会議員による「介護保険施設の取り組みについて」の視察研修の一日だった。
研修先は、デイーパあかね(坂井市丸岡町)・あわら市金津雲雀ケ丘寮(あわら市)・白楽荘(坂井市三国町)・ガーデンハイツ春江(坂井市春江町)の4施設。
概要を紹介すると、デイーパあかね=ベッド数⇒一般棟50床・痴呆棟36床、金津雲雀ケ丘寮=擁護老人ホーム(定員90名)・介護老人福祉施設(定員40名)・ショートステイ(定員3名)・デイサービス(定員20名)、白楽荘=利用対象者 要介護1ー要介護5・定員70名、ガーデンハイツ春江=短期入所生活介護事業所及通所介護事業所(定員50名)。

国の施策に応じてか、どの施設も近年において改修・改装を行い、大変モダンなものになっている。ケアについてはユニットケアタイプ(個室対応でいわば在宅ケアに近いタイプ)中心である。介護職員を増員しなければならないが、生活ゾーンとして考えた場合このほうがいいのは当然だと思う。
制度の改定に伴い、¥11万/月の負担が利用者に求められることとなったが、誰でもが負担できる額ではない。
デイサービスの状況をみると、女性がずっと多いように思えた。考えてみると、「井戸端会議」なども、もともとが暗に女性の集まりを指している用語であるような気がするし、男性には敬遠の気質があるのだろう。

ひとは必ず老いる。僕自身はまだ働かなければならない義務があるのでさほど老いを意識していないが、そう遠くない将来、正面で老いと向き合うことになる

06/08/25 (金)
 もう週末か

昭和33年のきょう、本邦初の即席ラーメンが発売されたそうである。
当時は乾麺ではなかったが、小学生時代に初めてこれを食べてそのおいしさに感動したのを覚えている。
長じて下宿生活時代にはインスタント飲食品に随分とお世話になった。なんたって便利だから仕方ないのだが、これはよくなかった。
慣習化によって栄養のかたよりやあるいは添加物の過剰な摂取を招いた。例えば缶コーヒーについては、独特の甘さにとらわれて、飲まずにはいられない毎日がずっと続いていた。皮膚などにも明らかによくなかったと、思う。

下宿生活さよならと同時にインスタントものから脱却し、現在は粗食的平均的生活の日々だけれども、運動不足のせいか、最近はおなかの出が目立つ。一念発起、精進して一日2食の生活に入ろうかどうか迷っている昨今だ。
○本日は、介護保険広域連合管内視察研修。
午前9時に庁舎駐車場集合の予定ですが、明日の「日記」に詳細を書き込みたい、と思っています。

06/06/24 (土)
 昨日の一日あるいはリンク充填日記

午前6時起床。
熱々珈琲「キリマンジャロ」を飲みながら、久しぶりにウオーキングツアーを見ている。
昨日の朝は、先祖の墓参りに行った。

墓のある森のなかでは、時間が止まっている。自分が生きているのか死んでいるのかわからなくなる。

森の静寂を破って、友人K氏からミクロポデイウムに関する携帯電話が入ったので、墓参りのあと、K氏及びO嬢の三人で会場の下見に行った。

午後は、来客多数。いずれもテーマは「中学校問題のこれから」だった。

夜は男女三人で夜の街へ、とある居酒屋へ。
妻が送り迎えの運転をしてくれた。いつもそうだが、妻の存在がことさら大きく感じられた。
零時前に帰宅し、歯を磨き洗顔したあと布団へ。
昨日顔を合わせた全てのひとたちに対して、「きょうの出会いをありがとうございます」と心で感謝したあと、眠りについた。

06/08/23 (水)
 未明に珈琲を飲みながら

現在の世界最高齢者は南米に住む男性で115歳だとのこと。第一次世界大戦時には、米軍兵士として飛行機に乗っていたそうだ。

僕は今57歳だから、ちょうど僕の倍の生を享受してきたことになるが、そう考えるとおそろしく長命だ。例え健康で元気であるとしても同級生というか同世代は皆無だし孤独感はあると思う。

僕自身についていえば、若い頃考えた「死」はいつでも抽象的だったけれども、50歳を過ぎた頃から現実的に起こりうるものとして「死」を予感するようになってきた気がする。
平均寿命程に生きることになるのかどうかわからないけれども、どのみち「人生は永遠のなかの一瞬(宮本輝)」であって、そう考えると、その日その日に悔いがないように生きていきたい、と思っている。

○長谷川氏よりFAXが入ってきました。
○昨日来訪されたおふたかたの指導によって、このパソコンの操作に関する問題点が解決した。ありがたいことです

06/08/22 (火)
 深夜ラジオで坂本九を聴きながら

厚生労働省が21日発表した人口動態統計(速報)によると、2006年上半期(1~6月)の出生数は計54万9255人で、前年同期より1万1618人増え、6年ぶりに増加に転じた。

出生数の回復傾向により、女性が一生に産む子供の数の推計である合計特殊出生率も、06年は6年ぶりに上昇に転じる可能性が高まった。

 速報によると、出生数は2~6月にかけて5か月連続で前年同期比を上回る回復基調が続いていた。出生数増加の理由として同省は、「20代の初婚率が下げ止まると共に30代の初婚率が上昇傾向にある」ことと分析。さらに、妊娠中絶の減少や雇用情勢の改善なども影響したとしている。今年上半期の婚姻数は36万7965組と前年同期比で1万936組の増加だった。・・後略・・(08/21 YOMIURI ONLINE)


記憶で書くのだけれども、完結婚の場合の出生率は2.0を上回っているはずだ。6年ほど前にTVで見た全国の出生率比較では最低が東京都新宿区の0.75人だったが、最高は鹿児島県和泊町の3.7人だった。
(注:人口2万弱の和泊町は琉球列島の沖永良部島にあり、徳之島と与論島にはさまれた周囲60kmほどの珊瑚礁の島です。幕末に活躍した西郷隆盛が薩摩藩主・島津久光によって幽閉された島でもあります。僕はサトウキビ・アダン・蘇鉄・永良部百合・鍾乳洞・熱帯魚のこの島でささやかな青春を謳歌しました。
あの時一緒だった男女たち・・今はいいおじさんおばさんになっているのだろう)

YOMIURI ONLINEは、<同省は「少子化は改善傾向がみられるが、人口減少の大きな流れを変えるまでにはいたっていない」と見ている>と結んでいるけれども、自治体が鋭意努力するならば、将来においての出生率が下げ止まるあるいは逆転する可能性のあることをこのレポートが示していると僕は思うし、その意味で二中存続の根拠は決してなくならないと、思っている。
自治体としてのあわら市の目標は「住みよい町」あるいは「住みたくなる町」の実現であるはずです。

06/09/21 (木)
 秋の夜長

秋の夜長というけれど、本を読んでいるうちにもう午前二時だ。夏場は読書とはとんと無縁だったのに、このところ時間さえあれば本を読んでいる。涼しい夜風と虫の鳴き声はひとをそういう気分にさせるのかもしれんね。
趣味というものが何ひとつない私だが、読書をしているぶんには飽きないなあ。
物置の整理をしているうちに目についた処分予定文庫本を拾い上げてランダムに読んでいるので、一円もかからないのである。

午後8時。
私の事務所は、手話サークルのメンバーによる久しぶりの麦酒的焼酎的鶏肉的椎茸的宴会のまっさいちゅうだ。
E気持ちになり、飲みながら手でダベッております。


○安倍晋三が自民党総裁になった。
淡々とした話し振りの坊ちゃん顔・安部よりも、コクのある話し振りの癖顔・麻生に相対的に魅力を感じていた私だが、安部の圧勝となった。しかし、陣営の予想ラインには到達することができず、結果としてインテリ顔・谷垣も予想以上の得票を得たという。
様々の高いハードルが待ち受けている国政だ。選択肢を誤れば自治体政治にあるいは国民全てに禍が及ぶ。それを担う器量の持ち主であってほしい、と思う。

06/08/20 (日)
 暑い夏も終わろうとしている

靖国問題で、日本遺族会の意見も分かれているようだが、A級戦犯の合祀・分祀をめぐって論議はかますびしいし、その微妙さゆえに次の首相と噂されている安部晋三も参拝に関する明確な発言をしていない。

昨日の朝日新聞・社会面の「BC級戦犯 揺れる戦後」という見出し記事を見て、昨年に文庫本で読んだ読売新聞社編「BC級戦犯の記録」を思い出した。
捕虜となり、裁判で上官の保身的虚偽陳述に翻弄されながら、「踏まれても蹴られてもただ黙って耐える心境です。いつかわかってくれる人が必ずあることを確信しております」という思いのもと、異国の空で絞首台の露と消えていった軍人たちの、死の直前までの心境をつづったノート、あるいは敗戦後価値観の一変した日本社会の片隅で「戦犯の家族」という汚名を甘んじて受け入れながら艱難辛苦に耐えてきた遺族達のやるせない思いをつづったノートであり、これを読んで僕はフランキー堺主演の映画「私は貝になりたい」を思い出した。

米軍は、「戦争を早く終わらせるためにとった仕方のない措置」として広島・長崎の原爆投下を正当化しているが、無辜の民間人数十万を一瞬にして殺戮した行為がどういう名目であれ許されるはずがない。
首相・安部晋三が実現したならば、来年度の広島・長崎原爆慰霊祭式典の場に、ぜがひでもブッシュ米大統領をひっぱりだしてきてほしい、と思うのである。

06/08/19 (土)
 熱々珈琲ブルーマウンテインを飲みながら

早朝に起きてパソコンのHP画面を開いたらアクセスカウンターが表示できなくなっていた。何故だかわからないが、機械も気まぐれなのだろう。
ということで、カウンターサービス配信URLを探して貼り付けたのだが、その作業がとても楽になってきている。ITの世界は日進月歩だ。

ところで、僕はこの日記を金津町議になって二年目から書き始めた。「議員やから毎日書かなあかんぞ」という友人達の勧めによるものだった。初めのうちは議会のことばかり書いていたのだけれども、どうしても肩がこり書き続けることに億劫を覚えた。
「うーん、わしはもともとが(軟派ではないが)硬派とはちがうのだ。とにかく、その日じかに触れて感じたことをそのまま書いていきゃそれでええじゃないか」と修正主義路線に転じたのが書き始めて確か二年目の夏だった。
転向趣意書を出し、ついでに「からたち日記」と改名したのだが、「ふざけすぎや」というお叱りメールをいただき、気の弱い僕はすぐに「議員日記」に戻した。
その後、「掲示板」を立ち上げてからは、書き込まれるかたがたの思いを読むことがすごく刺激になってきている。
日記については、気楽にしかし真面目に書いていくつもりです。

06/08/18 (金)
 午前4時半 外は白み始めている

昨日の昼は、某新聞記者が事務所に来訪。新聞記者というのは職業柄話題が豊富なので聞いたりしゃべったりしているうちに時間がどんどん過ぎていった。
お帰りになったら既に夕刻だ。久しぶりに自宅裏の竹田川河畔に出た。
缶ビール片手にあおむけに寝転び空を見上げると、小松空港を目指す飛行機が雲のあわいを飛んでいる。見ているうち、昔読んだ開高健の随筆を思い出した。

著者がカナダ・バンクーバー空港の屋上で煙草を吸っていた時のこと。ひとりの初老がじっと東の空を見つめている。
近寄り、「あんさん何してまんねん」と聞いたところ、返ってきた答えは、「いえね、東京からこちらへ来たのですけどね、飛行機なので体があまりにも早く着きすぎたのです。だけどね、自分の魂はまだ着いていないのでそれをじっと待っているのです」だったそうだ。
社会システムの加速度的な変化は必ず心にひずみをもたらす。
最近「スローライフ」という言葉が市民権を得つつあるのも、昨今の情勢に対する反動の気分を反映している故のものだと思う。

06/09/17 (日)
 寝づくめの日曜日

昨晩は7人の来訪者があり、皆さんがお帰りになった時、時刻は既に12時を過ぎていた。
自宅に戻り就寝。起きたらもう10時だ。
朝飯を食べながら、久しぶりにサンデイプロジェクトを見ていた。
自民党総裁戦を三日後に控え、候補者三人が司会者・田原の質問にいろいろ答えていく。
素人的個人的偏見的印象で言うと、坊ちゃん顔・安部は自分が総裁になるはずと思っているせいか歯切れが悪い。特に村山内閣時の声明に対する思いの吐露がファジーで、言い切ってないなあ、という印象を受けたのだが、比べて癖顔・麻生は過不足なく答えていたような気がする。この人の例えば野中広務に対する失言などはつとに有名だが、それはそれとして腰の強いひとなのかもしれない。いずれにしても自民党ファンではなく二大政党制の実現を願っている私にとって、総裁選はコップのなかの嵐だ。
ということで、TV観戦のあと又寝た。
午後3時半起床。
久しぶりに歯を磨き、洗顔し、熱いシャワーを浴び頭のてっぺんから足の指先までを丁寧に洗った。熱々珈琲キリマンジャロを飲みながら、今、キーボードをたたいている。
○手話サークル「かけ橋」のみなさんへ
来週の木曜日(9/21)午後7時半より、私の事務所にて報告会兼焼酎宴会を開きます。
飲酒運転に対する批判の多い昨今、そのあたりを十分に考慮してお集まりください。

飲んだらのるな のるなら飲むな(県警)

 06/08/16 (水)
 さやかに見えねども

暑い日が続いているけれども、朝夕には少しばかり冷気を感じるようになってきた。秋の気配が確実に忍び寄ってきているのだ。
50代も半ばを過ぎた現在、一番好きな季節を問われれば躊躇なく秋を挙げる。
里山を歩けば秋の虫の大合唱だし、キノコ捕りもこの季節だ。坂井平野は黄金色になって我々が「豊原葦の瑞穂の国」に住んでいることを実感する。

秋の空といえば鰯雲で、二年ほど前に見た夕刻の空は感動ものだった。


極楽浄土というものが本当にあるのではないか、と思いました。
○本日が「あわら市政関係掲示板」継続更新の最終期限日だったので、一年間の延長更新料金を振り込んできました。みなさん、どしどしご意見を。

06/09/15 (金)
 中秋

昨日の朝、ぼくは坂井市三国町某寺院の座敷で住職と話をしていた。瀟洒な和室で火灯窓を通してススキの穂が見える。
元特養施設長の住職は、現行介護保険制度の行く末を案じとうとうとしゃべる。
「そもそもがね、現行の制度は厚生省のエリート官僚が独の制度を真似したにすぎんのです。西欧と亜細亜とでは風土が違う。権利意識が家族意識をどんどん解体させている。近い将来に対する担保を国は持てない。だから自治体にリスクを持たせようとする。」という。

「家族」という言葉に特別の思い入れを持っているわけではないぼくだけれども、半生を振り返ればその変化がよくわかるし、その意味では嫌な時代に生きているなあ、と思いながら聞いていた。
○手話サークル「かけ橋」が表彰という前代未聞のものを受けた。
知事のうしろにいるのが代表で式に行った津谷さんです。

06/08/14 (月)
 盆まっさかり

昨日は、自宅近くにある坂ノ下・八幡神社で午後から開かれた納涼祭に行った。
どこの地区でも似たりよったりなのだろうが、境内に敷かれたござに座った区民どおしが枝豆・焼鳥などをツマミにビール・酒を飲みつつ世間話に花を咲かせている。赤白の布で欄干が化粧された仮設舞台では、カラオケやビンゴゲームが進行しあるいは特別ゲストの芸が披露されていく。夕刻、最後の仕上げは全員参加の盆踊りとなった。
「炭坑節」と「金津音頭」を踊ったのだが、さすがに年寄り連中が慣れている。手にシナをつくるしぐさが上手い。

「もののはじめ考」というタイトルの本がある。
記憶で言うのだけれども、その中に「盆踊り」の項があり、解説によれば
「盆踊り」は無縁仏葬送の踊りだとのこと。無縁の衆生が成仏できないまま霊としてこの世をさまよっている。一年間に一度、その霊を慰め浄土へ送る為の儀式であるそうだ。
無縁の代表というと「遊女」や「山伏」などだが、ここ坂ノ下・八幡神社界隈には金津宿遊女の墓があり「姫川の 俤ゆかし 枯柳」の句が刻み込まれている。


○今朝は、帰省中の息子・娘を引き連れて先祖の墓参りに行ってきました。

 06/08/13 (日)
 静かな朝

昨日の朝、私は福井市内の某設計事務所で所長と打合せをしていた。
打合せ終えたあとの四方山話で、「経済が成長しているのに、住宅着工件数はマイナスや。何でやろうね」と私が聞くと「まきちゃん、少子化時代に入ったんやからそりゃ当然や。今全国で空いている住宅戸数はどれだけやと思う?80万戸や。ということは、一世帯3人として240万人になる。モータリゼーションの世の中やし、ひとの流動化も激しくなるだろう。先祖代々の土地を守るという弥生時代以来連綿として続いてきた日本人の意識もどんどん変わっていくぞ」と言われた。

そうすると、住みにくい自治体から住みやすい自治体への流動の促進も予想される。
例えばのはなし、「中学校が統合されたら、我が子は丸岡中学校へ行かせる」とか「三国中学校へ行かせる」という声を何人もの方から聞いたが、その意味でも、議会統合採決はよくなかった少なくとも継続審議にすべきだったと思うのである。
○夏の甲子園=福商vs清峰は、福商薄氷の勝利でとても面白かった。
私もよく知っているあわら市内・某焼鳥店の息子が8回裏にみせたスリーバント。あれが、結果的に決勝点に繋がった。次の相手は強豪中の強豪・早実だ。「当たって砕けろ」やね。

 06/08/12 (土)
 お盆間近

昨晩、「三国で花火みてるんや。出てこんかあ」という複数のひとからの電話があった。ここ数日厭世的になっている私は適当な理由をつけて断った。
しかし、花火はいいもんだ。

最後に花火を楽しんだのは5年程前だった。当時、ホームステイとして我が家に来ていたウラジオストック在住のロシア人少女二人に浴衣を着せて妻子ともども竹田川河畔で花火の宴を開いた。
子供達は「鼠花火」だの「ロケット花火」だのを楽しんだが、私が一番好きなのは、「からまつ からまつ」とつぶやきながらの「線香花火」だった。

ところで、その子供達のうちのひとりが昨夜遅く相方と共に里帰りしてきた。
うん、このHPで宣伝をしてしまおう。
○昼一番、事務所にかの有名なH議員がやってきて「金中サマーコンサートに行こう」というので、トリムパークへ同行した。
音楽はいい・・・無条件にいい。生徒達の一生懸命の演奏は素朴で純粋な魂の表現である。
人間は成長などしない。大人になるということは往々にして世間の手垢にまみれ不純物になっていってしまうということなのだ。ならばその世間を少しでも透明度のあるものにすることが我々大人の義務ではなかろうか、と私は常々思っている。
ついでながら、私の得意楽器は木琴である。

06/08/11 (金)
 午前4時に熱々珈琲を飲みながら

昨日は相談のために何人かのひとの家を訪れた。この季節、庭先の樹木からは蝉時雨が聞こえてくる。
私は木が好きで昔は「木と建築の会」に入っていた(この会が今もあるのかどうかは知らない)。

10年近く前、PTAに関係していた当時、現場の先生から「牧田はん、校舎が木造やとね、簡単な修理は釘と金槌さえあれば私らでもできる。けどか、コンクリの校舎やとお手上げや。」と言われたことがある。あるいは同業の建築設計者から「成長途上のこども達の膝関節はやわらかいんや。だから床はしなやかな木床でないとあかんのや」と言われたこともある。

考えてみると、「学校」の「校」は、「木と交わる」と読むことができる。
さらに、こども達にとって教師は親なのだが、「親」は「立木を見る」と読むことができる。立木が巨木であるか潅木であるかが即ち教師としての個性なのだろう。
ついでに言えば、私自身も3人のわが子から見られている立木なのだが、かなり曲がった木と見られていることだろう。
○ところでですねえ、みなさん。
「よろず掲示板」初期の頃に、「春の花・桜+駄洒落」の書き込みがどどどおっとあって、私は腹抱えて笑っていたのですが、そろそろ「夏の花+駄洒落」の書き込みがあるのを期待しております。

06/08/10 (木)
 高校野球

炎天下の甲子園では熱戦が続いている。昨日で、参加校の半分が試合をこなしたことになるそうだ。
時々TVで観ているが、一番印象に残っているのは岡山・関西高校投手ダーツの涙。
9回裏に逆転さよなら二塁打を喫した瞬間、マウンドに崩れ落ちた。チームメート数人が寄って来て彼を支えたが、立ち上がっても手のひらで顔を覆いながら泣きじゃくっていた。涙は胸をうつのである。
○昨晩の芦原温泉目抜き通り。私は浴衣を着て踊りを楽しんだ。
浴衣姿で踊る女性達にはあでやかさがある。
語源辞典で、「おどり(踊り)」の語源は「おとこどり(男捕り)⇒おどり」と読んだ記憶があるが、そうかもしれんね。



 06/08/09 (水)
 昨日の晩

福井市在住の親類のひとが亡くなったので、通夜の会場に出かけた。
焼香の際、祭壇遺影の横に置かれた故人に対する寄せ書きのあるB4一枚に気づき、しばらくの間読んでいた。

「ひとは死ねば死にきり」であり、そのことで苦界から開放されるのだと、私は思っている。
そして、葬儀は生前に付き合いのあったひととの永遠の別れの場だ。個人的な付き合いのなかった議員などの弔電を読み上げる場ではない。

帰宅し、事務所の整理整頓を終えソファーにまどろんでいたら、NPO法人福祉サービスのひとが来訪。久しぶりなので、熱々コーヒー・キリマンジャロを飲みつつサービス運営の苦労を聞いていた。
「お互い頑張りましょう」で別れたのち本格的な眠りの世界に入った・・・
と思ったら携帯電話が鳴り始めた。
「何か重要な話かもしれない。それならば受話器をとらなければならない。しかしそうでなかったら目が覚めてしまうだけだ。とるべきかとらないべきか、それが問題だ」とうつらうつら思案しているうち、そのまま寝てしまった。
○お盆間近だ。お盆には、大阪で芸人修行中の次男が相方(あいかた)を連れて里帰りしてくる。もう一組連れて帰ってくるそうだ。
父親ほどではないけれども一応美男子に属する息子なので女性の誘いも多いだろうが、女性には目もくれず芸の道に精進してほしいと父親として思う。


06/07/08 (土)
 もう週末か

このホームページの「中学校建設掲示板」は私が管理しています。よって一日一回は覗きます。

さて
私は今までにこの掲示板に書き込まれたひとたちのうち、本人を三人だけ知っていますが、そのうちのひとりから昨晩の2時頃、「わたしの名前がかたられているうー」という携帯メールが入ってきたので布団から起きて覗いてみました。確かに「わたしは○○だ云々」という、どうでもいいことの書き込みがしてありました。一般的に言って、掲示板が匿名者投稿でなりたっている理由は、誰が発信したかではなく書かれた内容についての賛否が問われる場だからであるはずです。
AさんであれBさんCさんであれ、口元から発信された言葉はその瞬間から所有権を失い、みんなのものになると、考えたほうがいいです。

掲示板書き込みの「注意」の部分に「個人的中傷はしないこと」と書きました。勿論、中傷と批判の峻別はむつかしいと思います。だから私に「消去」はできません。
だけれども管理人の私は匿名というわけにはいきません。
ただし、名指しで書き込まれた内容を生産的ではない、と判断した場合は無視するだけです。

昨晩の投稿のなかに、署名簿の中身をあげつらうものがありました。署名したひとの気持ちの切実さを逆撫ですることが書き込みの原点になっていると思います。が、それよりも、署名簿提出の際、「2校存続を求める会」代表の組頭先生から「個人情報保護の為、議長室に厳重に保管監理をしておいてください」という申し入れがあったはずですが・・。
事実かどうであるかはひとまずおくとして
書き込みをしたひとは、全部をご覧になっているような書き込みかたをしています。どういうルートでご覧になったかを付記しないと単なるプロパガンダになってしまうのではないか、と私は思うのです。

06/08/07 (月)
暑かった昨日の日曜日

昨日の午前中は、山中にて蝉時雨を聞きながらの墓所掃除。草むしりをするオフクロの背中が小さく感じられる。

たわむれに 母を背負いて そのあまり
           軽きに泣いて 三歩あゆまず  啄木
を思い出してしまった。若い女性ではないので背負いはしなかったが、全てのひとは年老いるに従って小さくなっていくのである。

午後1時、竹田川河川敷に集合。先日刈り取った枯草の野焼きである。
一番暑い時刻に枯れ草に火をつけつつ燃え盛る炎の間を歩き回った。
これはもう炎熱地獄やね。しかし、作業終了後の冷たいサイダーで息を吹き返した。

午後5時過ぎ、市姫橋袂で開かれた「竹くらべ祭り」に行った。
道路真ん中に置かれたテーブルに座り、焼き鳥・ポテトチップスなどをつまみに生ビールを楽しんだ。久しぶりのひとにも会えて楽しかった。


9時過ぎに帰宅してソファーに寝転んだ。
寝る前の私は、自分自身のこと、あわら市のこと、日本国のことあるいは世界のことを憂いて暗い気持ちになるのが通常のパターンである。
しかし、飲んでほろ酔いになった時は、ケセラセラとなる。
○事務所の整理をしていたら過去の「菜の花通信」が出てきました。輪転機にかけて1500部ほどポステイングしていたものです。
PDFファイルとして、徐々にUPしていきたいと思っていますので、お暇な方はご覧ください。

06/08/06 (日)
 消防総合訓練

午前5時半に庁舎駐車場に集合。
午前6時から、嶺北消防組合主催・平成18年度消防」総合訓練が坂井市・丸岡町で行われた。合併後初の訓練であり、昨年度よりスケールアップしていた。


写真を撮っていたら、うしろから「ホームページにのせるんけね?」と某県議にささやかれた。
近づいてきた坂井市某市議から「学校はこどものためにあるんや。あわら市議会は、なんで中学校統合など承認したんやの」と言われた。
8時前に事務所に戻り、今、キーボードを叩いている。
「きつこの日記」(8/6)から一部抜粋

 「原爆句抄」    松尾あつゆき

八月九日 長崎の原子爆弾の日。
我家に帰り着きたるは深更なり。
 
「月の下ひっそり倒れかさなっている下か」

十日 路傍に妻とニ児を発見す。
重傷の妻より子の最後をきく(四歳と一歳)。

「わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ」

「すべなし地に置けば子にむらがる蝿」

「臨終木の枝を口にうまかとばいさとうきびばい」

長男ついに壕中に死す(中学一年)。

「炎天、子のいまわの水をさがしにゆく」

「母のそばまではうでてわろうてこときれて」

「この世の一夜を母のそばに月がさしてる顔」

「外には二つ、壕の中にも月さしてくるなきがら」

十一日 みずから木を組みて子を焼く。

「とんぼうとまらせて三つのなきがらがきょうだい」

「ほのお、兄をなかによりそうて火になる」

十二日 早暁骨を拾う。
 
「あさぎり、兄弟よりそうた形の骨で」

「あわれ七ヶ月の命の花びらのような骨かな」

十三日 妻死す(三十六歳)。

「ふところにしてトマト一つはヒロちゃんへこときれる」

十五日 妻を焼く、終戦の詔下る。

「なにかもかもなくした手に四枚の爆死証明」

「夏草身をおこしては妻をやく火を継ぐ」

「降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ」



06/08/05 (土)
 土曜日の朝

昨日の午前9時半から、臨時議会が開かれた。
傍聴席を振り返ると、新聞記者の他にこどもたちがいる。隣席M議員は「夏休みの職場体験や」と、言う。なるほど、今は夏休みなのです。

日程第8「中学校建設調査特別委員会委員の選任」の項で、委員が正式に決まりました。
委員は下記の通りです(順不動)
笹原・北島・関山・向山・坪田・篠崎・石田・宮崎・見澤・杉田・丸谷の諸議員であり、このメンバーに(発言権だけがある)オブザーバーとして山川議長と東川副議長が加わります。
さて
委員決定は互選であり、いわゆる二中存続派のレッテルを貼られた議員のうち1名の委員会所属への希望がありましたが、結果としてこのような構成となりました。
なお、私自身は希望しませんでした。その理由を書くと長文になってしまうと思うし、そうなると、例の「ジャッカル」さんが「掲示板」にいろいろ書き込んでくるでしょう。書き込んでくるのは一向に構わないのですが、「答えよ 答えよ」の連呼がわずらわしいのです。

うん
「ジャッカルの日」は、(フィクションでしょうが)仏・故ドゴール大統領暗殺を企て失敗したテロリストを描いたF・フォーサイス原作のハードボイルドで「悪魔の選択」と並ぶ名著だと私は思っていますし、場末の映画館でとっても興奮してみたことを覚えています。
銃を持った官憲の脇をすりぬけて逃げるジャッカルのうしろ姿には確かに哀愁がただよっていました。

「男は寡黙でなければならない 背中で話さなければならない」
が私の現在の座右の銘です。

統合中学校建設スケジュール(案)を付記します

06/08/04 (金)
 熱々珈琲を飲みながら

一昨日夜のボクシング世界タイトル戦=亀田vsランダエタをTVで観ていた。
亀田勝利の判定に、「え?」と思いつつ事務所に戻ったのだが、予想どおり翌日の新聞各紙スポーツ欄は「疑惑の判定」といった見出し記事で八百長の可能性を示唆していた。
試合前からはでな演出をするTV画面をみて「これはワイドショーか?」と思ったくらいだから、局側がそういうしかけをした可能性はあっただろう。現に「初めから勝負は決まってるのだから試合を観る必要ないよ」と親しいひとに話すTBS関係者も居たという。

で、そうだったと仮定して
私にとって一番気になるのは、亀田本人がそのことを知っていたかどうかだ。
リングの上での涙声がパフォーマンスだとはどうしても思えない。
あれがパフォーマンスだったのならば、彼は単なるバカなんだろうけれども、そうでなかったとするならば、潜在力のある有能な少年がさらし者にされた、という意味でとても可哀想だ。

06/08/03 (木)
 二日間の視察研修

一日目は富山県小矢部市(人口3.3万・中学校3校)。
従来この市の住民には糖尿病患者が大変に多く、全国平均の二倍だったそうだ。糖尿病は生活習慣病というか、食生活の偏重が原因となっているそうで、当市は平成14年度からケーブルテレビ(普及率は60%にもなっているそうです)を利用して健康管理を呼びかけた。で、地域の医者がテレビ出演したのがミソで、「あ!あの先生がでてる」の口伝えで視聴率が高まり啓蒙活動が促進され、糖尿病患者の減少につながっていったそうです。
というようなことを書いていた本日の昼下がり、たまたま事務所に居た一組の男女が突然「海を見に行こう」と言う。
私はそのふたりを、「鹿島の森」に連れて行った。「鹿島の森」の頂上にある日露戦争戦死者忠霊塔までの坂道を、今の季節、小さな蟹が走り回っている。樹木に小鳥のさえずりが聞こえてくる。そこはロマンの世界なのである。
この「日記」をご覧になったお暇な方。願わくば夫婦で「鹿島の森」を訪れていただきたい。願わくば恋人どおしで訪れていただきたい

06/06/02 (金)
 お知らせコーナー

昨日の昼過ぎに、友人来訪。
「牧田はんの5月30日の日記、久しぶりによかったざ」とほめられた。
ほめられたのは4年ほど前に書いた「夕陽恋」以来二度目だったので、なんとなく嬉しくなってしまったよ。

そのひとが作製して持ってきなさったパンフをコンテンツ「お知らせ」に載せました。昨年の12月に某寺院で開いた「貴央おんちゃんの艶話」以来の「わちらの会」主催イベント=ミクロポデイウムのパンフです。
題名のとおり、ミクロの舞台なので人数を制限せざるを得ず、チケットが高くなってしまいました。
しかし
7月8日の夜、皆さんは異次元的不思議空間に入りこみます。そこはファンタジックな世界でもあります。
皆さんのご来場をお待ちしています。
○波松地区のTさんへ。
感想メモの字句間違いご指摘のメールありがとうございました。
訂正しました。すぐに返信感謝メールをだそうと思ったのですが、誤ってアドレスを受信トレイから削除してしまい、返信が不可能となってしまいました。
とりあえずこの場をお借りして感謝申し上げます。

06/08/01 (火)
 きょうあすは視察研修

昨日は午前9時半から全協(全員協議会)が開かれた。
全協は秘密会ではないけれども、議会と違って公式な決定機関ではない。
今回の全協は9月4日の臨時議会にむけてのものであるので、資料を含めた詳細は、9月5日に書き込むこととしますが、先日の7月豪雨報告だけUPしました。

はてさて、あたしゃ、複数の統合派議員から、このHPの運営をめぐって批判を受けてしまったよ。
具体的にはコンテンツ「中学校問題関連」に新聞折込のPDFファイルを載せていることだ。
6月議会で「統合」が採決されたことの事実を議会内人間として重く受け止めているのは当然だけれども、市民請願運動の結果報告を載せることが悪いという論調の根拠はあたしにはわからない。請願運動にシンパシーを感じている立場として、載せるのはむしろ義務だと思っている。
このHPはあたしのHPであり、個人中傷以外何を書こうと何を載せようと全く自由だし、仮に例の「統合決定」のチラシを出した議員たちからここに載せてくれといわれたとして、フトコロの深いあたしのことだから載せる。ただし、「あわら市議会議員有志一同」という荒唐無稽じゃなくて実名をだすこと、事務局の所在・電話番号をを明記することを条件とするのは当然だが・・。

ひにちも経ったことだし、新聞折込PDFファイルをそろそろ削除しようかと思っていたのだけれども、当分の間、残しておきます。