2006年09月


06/09/30 (土)
 本日は土曜日

夜は、早く寝るか議会の勉強をしているか読書しているかCADをしているかで、基本的に外出をしないのだけれども、昨晩は久しぶりに出た。

知人から、行かないかと誘われて、森永卓郎という人の講演を聴きに、「国際交流会館」へ行った。自宅を出る時、ちょっとしたハプニングが起こったので遅刻し、半分くらいしか聴けなかったのだけれども、面白かった。

小泉政治によりクローズアップされてきた勝ち組・負け組の現在的な在りようを、具体的な数値で語る語り口はとてもわかりやすい。
この人は、先進国の経済体制は米日英的なものと欧大陸的なものに二極化しており、将来の日本は欧なかんづく伊を目指すべきだと、言っていた。その理由もいろいろ言っていたが、どうやら伊人は気質的に明るいらしい。
第一、講演者その人が変に明るい人だった。

この歳になるまで、いろんな講演を聞いてきたが、前後左右謹厳実直的無表情的講演の内容は殆ど忘れていても、ユーモアを交えた講演は意外と覚えているものである。
○私のとっても好きな三国町新保の路地を、昨日の朝、ひとり歩いていた。

06/09/29 (金)
 まぶしい朝陽を見つめながら

公開日記に書くようなことではなく、ごくプライベートな悩みなのだが、昨晩もそのことに関連する夢をみてしまい、起きたときには寝汗をかいていた。でもまあ、起きて一日が始まると楽観主義者になるというのがぼくの日々のパターンだ。
仕事関係が忙しくなってきておりしばらくは専念する日々が続きそうだが、ネバーギブアップで頑張らなくては、と思うのである。

閑話休題
福井新聞に「坂井平野 鉄路の夢跡」というシリーズ記事が載っている。
新聞というと スポーツ野球面タイガース試合結果⇒社会面での打ち止めがぼくの読む姿勢なので、自身読んだことはない。
ところで、昨晩の来客・友人Iさんが「きょうの記事のなかの幻のルート・吉崎トンネルってどこにあるんやろうかね」と言う。そこで、記事を書いたと思われる支局の記者・某さんに電話したところ、「今、牧田さんの友人・Uさんがそのことで来ていますよ」という返事をいただいた。そしてUさんはしばらくのち、そのコピーを事務所に持ってきてくださった。
タマタマというかなんというか、不思議なことがあるものである。
ご参考までにどうぞ。「よろず掲示板」にも写真がUPされています。

 06/09/28 (木)
 本日は広報編集委員会

最近、このHPのクリック数が増えてきて恐縮しています。

HPを始めたのは、金津町議になって2年目つまり7年前の冬だった。
選挙時のウグイス嬢の夫・某氏がコンピューターのプロで、「牧田はん、HPで議会の報告するのも議員の仕事やざ」と言いつつ画面化をしてくださった。

パソコン利用はCAD(コンピューター建築製図)だけだった当時のわしは、「うーん、文章など、日々書けるんやろうか?」という逡巡があったのだが、とりあえずHP製作ソフトを操作する毎日に入った。
選挙で応援してくださった仲間達十数人を限定対象とするいわばグループウエア・パソコン通信みたいな感覚で、議会のことを「日記」として書いていった。事実、その頃の日々のクリック数は20人くらいだったと、思う。

だけど、いくら真面目一筋の石頭・牧田とはいえ、硬いことばかり書くのは疲れる、能力を超える。・・そう思いつつ1,2年が過ぎた。

その頃、私の義姉の高校時代のクラスメート・Tさんが事務所に遊びに来た。「HPを日々書いている」と言う。(Tさんは二度福井県知事選に出たひとなので本名を書けば皆さんおわかりだと思う)

後日そのHPを読み、彼の博覧ぶり強記ぶりに舌を巻き、「うーん、わしの日記に身の丈以上のことを書くのはもうやめよう。これからは私的なことも交えて書こう、題名をからたち日記に変えようか、美しい国金津に変えようか、掲示板もつくろうか」と、路線の変更を模索した。しかしいろいろあって題名だけは変更しなかった。

相変わらず数十名クリックの日々が続いたが、知人Oさんが金津町町長選挙に出た時に波が起きた。毎日毎日Oさんのことを書いていたら、日々のクリック数が100近くに増えていった。Oさんは敗れたが、「うーん、なるほど。この日記は議員日記なのだ。これからはあばさけず書いていこう」とわしは決意した。

ところで、Oさんではなく別のひとなのだが、この波は近いうちに再び起こるかもしれない。少なくとも1年6ケ月のちには起こるかもしれない。
○Kさん、素敵なソファーベッドをプレゼントしていただき、どうもありがとうございました。


○すごいなあ。全国で唯一出生率の上がったのが福井県で、昨日取材にきた韓国のマスコミが本日韓国国内で報道するそうだよ。
ならば、何故統合なんだ。

06/09/27 (水)
 カタカナだらけ日記

今朝は5時に起床。
小雨に煙るコスモスの花々を窓外に眺めながら、ジャマイカ直輸入の豆砕き熱々コーヒー・ブルーマウンテインを飲んでいる。ジッポーのライターでドイツ煙草・ゲルベゾルテに火をつけた。
セプテンバーの朝は肌寒い。クロークに掛けられたダーバンのコートを見遣りつつ、「今年もそろそろ着るシーズンになってきたのか」と季節の巡りの速さを感じた。
モスグリーンのコートには、セーヌ河畔・シャンゼリゼ通りのマロニエ並木・モンマルトルの丘など、若き日のパリの思い出がいっぱいつまっている。

昨日は、広報編集委員会原稿の締切日だったので、終日パソコンに向かってキーボードを叩いていた。疲れたので、休憩を兼ねて昼過ぎに靴を買いにでかけた。黒靴しかないので、ブラウン靴が欲しいと前々から思っていたのである。いつものようにはワシントン靴店で注文せず、大衆店で購入した。
それで十分だ、と思う。

○午前10時、所用で三国土木事務所に行った帰り、三国の若えびす海岸を久しぶりにひとり歩いた。
5年前の10月に経験した淡い恋を思い出してしまった。
あの頃ぼくは若かった。


06/09/26 (火)
 夜明けに牛乳を飲みながら

昨日は自宅で妻と焼酎晩酌をした。女性と話すのは久しぶりだ。
「きょう、団塊の世代の従妹と話をして感じたんやけどの。お父さん(ぼくのこと)ら団塊の世代は、ひとが多かったせいか群れるのが好きや。見てるとようわかる。仲間どおしで離合し集散をしている。だけど、私ら下の世代になると個として自分や他人を見る度合いが強くなってきてる」と、戌年生まれの妻が言う。

続けて、「敗戦直後生まれの団塊の世代は、貧しさを経験し高度経済のなかで豊かさへの転換も経験した。TVや冷蔵庫が家庭に入るようになったんやけど、実はそれは親の世代の働きによるものであって、団塊の世代は受身的に享受しただけで、そのあたりに甘さがあったと思う」と、言う。

「で、その子供たちの世代になると、既に豊かさのなかで育ち目的意識を持ちにくい。持つテキストもない。個として悩むひとが多いんや。当然教育は個対個のような密度が要求される。時代が違うんやざ。勿論、学校統合などしたらあかんのや」と更に言う。

なんとなく含蓄のある言葉をもらったような気分で、事務所に戻った。
ソファでうつらうつらしていたら、来客三人あり。午後10時半、就寝。

 06/09/25 (月)
 空が白み始めてきた

なんやかんやと心配ごとの絶えない昨今、唯一の明るい話題は昨晩の試合でタイガースが勝ちドラゴンズが負けてゲーム差が3.0に縮まったことであり、別にどちらが勝とうが負けようが自分の生活に何の影響を及ぼすはずもないのにも関わらず結果で気分が動くのはファン心理というものだろう。

昨日の夕刻、「こんどの議会はどうやったですか」と某氏来訪。
教育のプロなので、話は中学校問題・子育てのこと・保育所民営化の功罪・地域の力・学童保育等々に及んだ。
聞きながらしゃべりながら、既に大人となっている三人の我が子の小さかった頃を思い浮かべつつ、「子育てとは、げに自分自身の追体験なのだ」と納得した。

入れ替わりに某氏来訪。
社長業の彼は仕事の関係で中国・大連に行ってきたという。大連というと、三木卓の「アカシアの大連」を思い出す。
「農民の生活は困窮している。しているけれども、というか、しているだけに目的意識をしっかり持っている。国家の為にではなくてファミリーの為に自分が頑張らなくてはならない、という思いで目がしっかりしている。日本の若者とは目が違いますよ」と言っていた。
大連への往復費は意外と安いみたいで、「今度、夫婦どおしで一緒に行きましょう」と誘われた。
海外といえば、20年程前にカナダ・トロントでホームステイをしたことがある。10年程前にオーストラリア・シドニーの周辺に行ったことがある。三度目がちょっとみえてきた。
○今朝は、こんな掲示板を偶々読んでいました。


06/09/24 (日)
 昨晩の下八日区区民祭 世話役の皆さん ご苦労さんでした 

お寺の清掃奉仕ということで、朝の8時過ぎに家を出た。
ぶらぶら歩きで下新橋を渡る時、欄干越しに数組の鴨家族が見えた。覗き込むと二匹の鯉が悠々と泳いでいる。大きい。実に大きい。40cm近くはあるように見えた。その周りを沢山の小魚が泳いでいる。
「うーん、水の世界の住人達とも偶には交わらねば。今度、「動画ショートショート」にUPしよう」と、私は思った。

橋の上での感動時間が永かったので、お寺には遅刻して到着した。
申し訳ない思いで黙々と働いた。清掃のあとは御堂で食事を頂いた。四方山話は進んだが、ビールが進まない。缶ビール半分ほどで腹がパンパンにはる。
皆さんお帰りになったあと、住職及び元町議・Nさんに自分のカラダのちょっとした不調を話した。
「お父さん、お母さんが健在なんや。ものには順番というものがある。ちゃんと検査してもらわなあかんよ」と言われた。
落ち着いたらそうしようと、思った。
○私の家の畑の秋桜


06/09/23 (土)
 きょうは秋晴

午前7時に起床。粗大ゴミを出したあと事務所に戻ったら、ソファーで某議員が寝ている。
そうか
昨日は議会最終日だったので夜に事務所での会議がひとつ、そのあとどうも慰労会になったみたいなのである。心やさしいわたしは「もう秋だ、体が冷えるといけない」と思い、そっと寝袋をかけてあげた。
その話を妻にしたら、「お父さん(私のこと)と違うんやざ。寝袋では失礼や。布団を買ってくる。今度から布団をかけてあげて」と言われた。私達は、こころやさしいという点で似たもの夫婦なのだろう。

目が覚めたそのひととの話では後期高齢者に関わる保険料が話題になった。その後、なんとなく疲れていた私は昼寝に入った。
建設関係者のノックで目が覚めたら、もう三時だ。話を終え客人の帰ったあと、歯を磨きシャワーで体を洗った。そして、このキーボードをたたいている。
○「議会報告」に各常任委員会委員長報告を載せました。
ご覧ください。

 06/09/22 (金)
 きょうは議会最終日

一昨日の夜に殆ど眠れなかったせいか、昨晩はよく眠ることができた。

昨晩の宴会客人たちがお帰りになったのが、午後9時半。「牧田さんの事務所は平成の鹿鳴館やね」とひとりから言われて、ちょっとびっくりしたが、なに、部屋の綺麗さではなくひとの出入りのことを指しているのだろう。
皆さんお帰りののち、ひとりテーブルを拭き、洗剤で鍋や茶碗を洗い、残り物の麦酒飲みつつ今後の「手話サークル」についての宴会時の話を反芻した。客人たちから「これからの中学校問題はどうなるんやの?」との質問もいろいろ受けたけど・・。

近いうちに昼間の手話サークルが市内にできると思います。
興味のある方は是非ご参加ください。

11時、自宅に戻り入浴。
頭のてっぺんあそこ足の指先を入念に洗ったあと脱衣室にて全身を鏡でみる。二日前に知人から、「まきちゃん、最近スリムになったんでないか?」と言われたが、これも一日2食主義の成果だろうと、思った。
そのあと熟睡。

 06/09/21 (木)
 秋の夜長

秋の夜長というけれど、本を読んでいるうちにもう午前二時だ。夏場は読書とはとんと無縁だったのに、このところ時間さえあれば本を読んでいる。涼しい夜風と虫の鳴き声はひとをそういう気分にさせるのかもしれんね。
趣味というものが何ひとつない私だが、読書をしているぶんには飽きないなあ。
物置の整理をしているうちに目についた処分予定文庫本を拾い上げてランダムに読んでいるので、一円もかからないのである。

午後8時。
私の事務所は、手話サークルのメンバーによる久しぶりの麦酒的焼酎的鶏肉的椎茸的宴会のまっさいちゅうだ。
E気持ちになり、飲みながら手でダベッております。


○安倍晋三が自民党総裁になった。
淡々とした話し振りの坊ちゃん顔・安部よりも、コクのある話し振りの癖顔・麻生に相対的に魅力を感じていた私だが、安部の圧勝となった。しかし、陣営の予想ラインには到達することができず、結果としてインテリ顔・谷垣も予想以上の得票を得たという。
様々の高いハードルが待ち受けている国政だ。選択肢を誤れば自治体政治にあるいは国民全てに禍が及ぶ。それを担う器量の持ち主であってほしい、と思う。

06/09/20 (水)
 昨日は、教育厚生常任委員会

昨日は午前9時版から「教育厚生常任委員会」が開かれた。
午前中は福祉保健部所管、午後は教育委員会所管。
他に協議事項も幾つかあったけれども、詳細については議会最終日の翌日にUPします。
議案外として「障害者自立支援法」の説明を受けたが、なかなかに複雑だ。
UPしましたので、「更新履歴」からどうぞ。
委員会終了後、同僚議員がひとり来てふたり来てNPO法人のひとがひとり来て、キリマンジャロ珈琲を飲みながらの座談。
何をするにも仲間づくりが大切、ということが話の骨子だったように思う。
夕食後、ちょっとほっとする電話をいただきウツ気分が少し薄れて就寝、熟睡。
今朝は、部屋の模様替えに午前中を費やすつもりです。
○保育園あるいは幼児園のいくつかが民営化されて、0歳時保育の増えていることに対して議論があった。民営化されれば、当然のことながら定員を割ったといって安穏としてはいられないので間口を拡げる。0歳児も引き受けるようになる。そしてこれは若い母親を生産の現場へという、国の方針に合致する。しかし、子供を育てる子供と交わる責任を担う基本は親にあるという別の面からの原則に照らすならば、何も0歳児から保育所に預けるものではないだろうというもの。
それぞれの世帯での事情もあるので一律に論じることはむつかしい、と思うけれどもこの論議はずっと続いていくだろう。

06/09/19 (火)
 無題

三連休も終わった。
起きたら雨が降っている。終日降り続けるのかもしれない

06/09/18 (月)
 昨晩

昨日の夕方、ぼくはSくん宅に行った。
4人の男性及び2人の奥さんが鍋をつついており、ぼくは奥さん達の横に座った。昨年の市議選の時、中核のサポーターとなってくださった言わば恩人達である。
みんな二中維持派であり、ぼくは今回の中学校統合問題の流れのおかしかった点及び今後の方向性について鳥皮を食べながらはるさめを食べながらいろいろしゃべった。

「なんでHPの日記を数日休んでいたんや?」という質問を受けた。「純粋に個人的な悩みであるのだ」と答えた。本当にそうなのだ。

メンバーに西洋医学の達人がひとりいたので、側頭部の痛み・左わき腹の痛み・背中の痛み及び手のひらの痛みを訴えたのだが、「ひとは自然に病み自然に老い自然に死ぬるがよろし」というとても含蓄のある言葉を頂き納得した。
メンバーに東洋医学の達人がひとりいて、痛みのみなもとを分析して頂いた。西欧医学と東洋医学の弁証法的統一が今後の医学のテーマではないか、とぼくは思った。

メンバーはみな山登りをしておりすこぶる元気で饒舌だ。最近運動というものをしたことのないぼくだけがひ弱で寡黙に思えた。体を鍛えることは大切なのだろう。
○きょうは「敬老の日」ということでパソコンテレビGyaOの「戦場のメリークリスマス」を観ていた。親父がフィリピンで捕虜体験をしていたこともあって、今までに観た戦争映画には「大脱走」「戦場にかける橋」など捕虜収容所ものが多い。本人は、その時の極限的な体験を身内には語らないが、それはそうなんだろうと思う。
ビートたけしが良かった。彼が演技派なのかどうかぼくには全くわからないけれども、凶暴さと虚無性と人なつこさをあわせて表現している。おそらくは実生活でも存在感のある人なんだろう、と思った。
見終えて、ひとは何故生きているのだろう、と考えた。
国であれ家族であれ友情であれ、戦後社会があえて焦点をあてようとしない「義」というものを我々はもう一度考えてみなければならないのではなかろうか。

06/09/17 (日)
 寝づくめの日曜日

昨晩は7人の来訪者があり、皆さんがお帰りになった時、時刻は既に12時を過ぎていた。
自宅に戻り就寝。起きたらもう10時だ。
朝飯を食べながら、久しぶりにサンデイプロジェクトを見ていた。
自民党総裁戦を三日後に控え、候補者三人が司会者・田原の質問にいろいろ答えていく。
素人的個人的偏見的印象で言うと、坊ちゃん顔・安部は自分が総裁になるはずと思っているせいか歯切れが悪い。特に村山内閣時の声明に対する思いの吐露がファジーで、言い切ってないなあ、という印象を受けたのだが、比べて癖顔・麻生は過不足なく答えていたような気がする。この人の例えば野中広務に対する失言などはつとに有名だが、それはそれとして腰の強いひとなのかもしれない。いずれにしても自民党ファンではなく二大政党制の実現を願っている私にとって、総裁選はコップのなかの嵐だ。
ということで、TV観戦のあと又寝た。
午後3時半起床。
久しぶりに歯を磨き、洗顔し、熱いシャワーを浴び頭のてっぺんから足の指先までを丁寧に洗った。熱々珈琲キリマンジャロを飲みながら、今、キーボードをたたいている。
○手話サークル「かけ橋」のみなさんへ
来週の木曜日(9/21)午後7時半より、私の事務所にて報告会兼焼酎宴会を開きます。
飲酒運転に対する批判の多い昨今、そのあたりを十分に考慮してお集まりください。

飲んだらのるな のるなら飲むな(県警)

06/09/16 (土)
 もう土曜日だ

昨日の晩酌時、TVはシンクロナイズドスイミングW杯を放映していた。
元々興味のあるスポーツではない。うまさにどういう差があるのか全くわからないし、女性の太ももが水面上で回転したところでそれがなんだ、というなげやりな気分で画面を見つめていた。
しかし、カメラが時折水中に入った時の映像が面白かった。
選手の上半身が水面上で華麗な技を披露している時、水面下での下半身は必死にもがいており、下半身が水面上で華麗な技を披露している時、水面下での上半身は必死にもがいているのである。

20年程前、ぼくはある人間関係でとても悩んでいた。
その頃、偶々訪ねてきた武生市の友人と一緒に吉崎の資料館に行ったのだが、そこには北潟湖の生態というコーナーがあった。
水の貼られた大きな水槽の中の浮草や蓮を側面から見ていた時、そのひとは、「ね、牧田くん。水面上の草や花は安定して浮いているけど、水面下の根は水の流れであっちいったりこっちいったりして揺らめいているでしょ。根が揺らめいているからこそ上が安定できているのです。人間関係も同じよ」と言われ、ナルホドなあと納得したのを覚えている。
吉本隆明ワールドより

無数の人たちを畏れよう

 ……生まれ、婚姻し、子を生み、育て、老いた無数の人たちを畏れよう。あ
の人たちの貧しい食卓。暗い信仰。生活や嫉妬やの諍ひ。呑気な息子の鼻歌……。
そんな夕ぐれに幸ひがあつてくれるように……。
それから学者やおあつらへ向きの芸術家や賑やかで饒舌な権威者たち。
どうかこんな寂かな夕ぐれだけは君達の胸くその悪いお喋言をやめてくれるように……。
(「夕ぐれと夜との独白(1950年Ⅰ)」「吉本隆明初期ノート」1964.6試行出版部に収録)


 06/09/15 (金)
 中秋

昨日の朝、ぼくは坂井市三国町某寺院の座敷で住職と話をしていた。瀟洒な和室で火灯窓を通してススキの穂が見える。
元特養施設長の住職は、現行介護保険制度の行く末を案じとうとうとしゃべる。
「そもそもがね、現行の制度は厚生省のエリート官僚が独の制度を真似したにすぎんのです。西欧と亜細亜とでは風土が違う。権利意識が家族意識をどんどん解体させている。近い将来に対する担保を国は持てない。だから自治体にリスクを持たせようとする。」という。

「家族」という言葉に特別の思い入れを持っているわけではないぼくだけれども、半生を振り返ればその変化がよくわかるし、その意味では嫌な時代に生きているなあ、と思いながら聞いていた。
○手話サークル「かけ橋」が表彰という前代未聞のものを受けた。
知事のうしろにいるのが代表で式に行った津谷さんです。

 06/09/14 (木)
 昨晩考えたこと

昨日、晩飯を食っていたら、突然母親がへたり込んでしまったのでびっくりした。
仕事で外出中の看護師資格を持つ妻にケータイで連絡し、処方を教えてもらいあるいは本人の求めに応じての手当てをした。
回復したのちの本人は、「腰曲がり老人特有の血液循環不良で前にもあった。心配ない」と、言う。
とはいうもののとりあえず夜の来訪予定者にキャンセルを連絡し、某会議への出席キャンセルを連絡し、自宅にいた。

隣室でTVを見つつ老いというものを考えていたのだが、考えている私自身も側頭痛・背痛・腹痛・鼻詰まり・手首のしびれに時折だが襲われる。
しかし、ココロの痛みがなかなか去らないのに対して、カラダの痛みはすぐに去っていく。喉元過ぎれば、というやつだが、それはそれでいいのではないか。
お釈迦様のおっしゃた「生病老死」の生と死の間にある病老は病と老の相関関係を示しているのであり、換言すれば二人三脚だ。
自然に病み自然に老いそして自然に死んでいけるのならば、末期の水を飲みながら幸せな人生だったと思えるに違いない。


○昨晩の阪神vs広島は5-4で阪神の辛勝。
三回で降板と、井川はまことにふがいなかったが、それでも中日とのゲーム差は4.5に縮まった。逆転優勝の可能性の火がともったといえる。
ペナントレースと同じく、人生もネバーギブアップだ。

06/09/13 (水)
 秋の虫

「なんで日記を休んでるんや」という電話やらメールやらあるいは顔つき合わせての問いをようけいただき、なかには体を壊してしまったのではないか心を壊してしまったのではないかという心配もいただきついでにお中元までいただき今は恐縮しているのですが、なに、個人的な事情といったって私自身の単純で小さな悩みでしかないし、うんケセラセラかと少しずつ思いなおしているしだいです。
ということで、昨晩夜も更けたころ竹田河畔にひとり寝転び一服していたら、秋の虫の大合唱だ。
♪「あれスズムシが鳴いている チンチロチンチロチンチロリン・・」と幼い頃親しんだ童謡をくちずさんでいるうち、「うーん、今秋中に生を終えなければならない彼らは束の間の生をせいいっぱい謳歌しているのだなんと崇高なことだ。それにひきかえわしはなんと無為な日々を送っているのだ。なげたらあかん人生なげたらあかん近鉄の往年のサウスポー鈴木もそう言っている」と私はとても自省的な気持ちになっていった。

○久しぶりにファックスが入ってきた。ファックス一回○○クス0回


○年老いた母親に同行し三国へラッキョウを買いに車を走らせた。
ついでに、九頭竜川河口の漁船をしばらく眺めていた。向こう岸に新保の集落が見える。
○僕は文章に似合わずちょっとおっちょこちょいでシャツをうらおもて間違えて着てしまうことがたまにある。
しかし、きょう事務所に来た客人が、「牧田さん、シャツのうらおもてまえうしろ反対よ。タグが首の前にでてるわ」と恥ずかしそうに言う。
うーん、これを言われたのは初めてだと思う。

06/09/09 (土)
 もう土曜日か

昨日の晩酌時に妻から、「お父さん(ぼくのこと)はこの地区ではパッシングされているんやざ」と言われた。そうなんだろうなあ。
統合中学校になれば、この地区が有力な候補地になるにも関わらず、ぼくが二中存続を訴える側にいたことによる。妻自身二中存続を強く望んでいたのだからこの言葉に叱責・譴責のニュアンスは皆無なのだが、しかしそれはさておき地区との付き合いはとても微妙だ。
だって、事務所に来訪し、統合にむけてのいろいろな意見を言ってくる地区の人たちは、みんな昔からよく知っているひとばかりなんだもん。

市議ってなんだろう。
原点に立って考えるならば、市議が地区代表であるはずがない。学校建設に関する統合・二中の問題の核心は一重に子供たちにとってどうかなのである。ここをネグレクトしたら駄目だと思う。

 06/09/08 (金)
 昔の体型を取り戻すために

急な締め切り仕事であくせくの一日が始まった。
事務所をロックし、ねじり鉢巻をして奮闘中です。
○やせるためには少食がいい、という真理に目覚め、一日二食主義を実践してほぼ一ヶ月が経過した。確かにスリムになってきた。顔の精悍さが戻ってきたようだ。
昼飯を抜いているので、その時間帯を読書にあてることができる。
ということで
さきほど「ハーデイ短編集」を読み終えた。どの短編でも、著者の厭世気分がひしひしと伝わってくる。運命のなかで、自分の意思とは無関係に流されていくのが、即ち我々庶民の人生なのだろう。
成功者と言われるひとの心にも必ず病魔が巣食っている。
世間でいう幸福も不幸も、その双方の間に言葉ほどの距離はない、とぼくは思う。

06/06/07 (水)
 夜明けにブルーマウンテイン珈琲を飲みながら

昨晩は、7時半から湯のまち公民館において「呼びかけ人会議」が開かれた。終了後は、事務所で有志議員たちによる再びの会議。
11時半頃の散会となったけれども、残務の為にひとり残った某市議との間での世間話は、旧芦原町民と旧金津町民とのいわゆる町民気質の違いがテーマとなった。
もともとが隣町どおしで近接していたのにも関わらず、顕微鏡でみるとそれなりに違いはあるわけで、具体例に即した相手の指摘は面白かった。

12時半に相手も帰り、遅くなった夕食(というより夜食)をとって就寝。しかし午前3時半に目が覚めた。
8時就寝3時起床が既にルーテイーン化している為、就寝時刻の大幅なずれにも関わらず体内時計が目覚ましを定刻コールするのだろう。
人間の体は不思議である

06/09/06 (水)
 昨日の全員協議会

昨日の午後1時半から、全協が開かれた。全協(全員協議会)は、9月議会に向けてのもの。
各常任委員会・議会運営委員会報告、各特別委員会報告、一部事務組合等の報告があり、引き続いての協議事項では、市長提出議案について。陳情等についてなどがあった。
午後7時前に終了。
全協は決定機関ではないので詳細を省くけれども、本議会終了後に
いろいろと書き込む予定です。

06/09/05 (火)
 昨晩の酒宴

目が覚めたら雨音が聞こえてくる。ぼおーっと天井を見つめているうちに、昨夜の記憶が徐々に戻ってきた。うん、昨夜は7、8人のひとが私の事務所に集まっての酒宴だったのだ。
私にとっては実に久しぶりの酒宴だったので、鍋の肉をつつきポテトチプスをかじり漬物を食べ芋焼酎をちびりちびりと飲んでいるうち、じきに酔っ払ってしまった。E気持ちになってしまった。

白玉の 歯にしみとほる 冬の夜の
  酒は静かに 飲むべかりける    牧水
が一番いい酒の飲み方だと常日頃思っておりかつそれを実践している私だ。

しかし、普段静かな生活をしていることに対する反動のせいか、沢山のひととの談笑のなかで酩酊すると、ついついどうでもいいことをしゃべってしまう癖が私にはある。性格がシャイなので、思っていることの反対を言ってしまう癖が私にはある。
途中から記憶が途切れているのではっきりしたことは言えないのだが、私の左右に近接的に座っていた妙齢の美しい女性達に、もしかしたら失礼なことをしゃべっていたのではないかと、今、気にしている私である。
○↓宴のあと

 06/09/04 (月)
 一週間の始まり

6時過ぎに起床。洗顔し歯を磨いてからパソコンの前に座った。ラジオが「ラジオ体操」を流し始めた。
「ラジオ体操」は、自分の子供達が小学生だった頃、毎年の夏休みに近くの区民館で励行していた。いわば8月の風物詩だった。
その8月も既に終わり、きょうは9月4日である。最近こそ朝夕が過ごしやすくなってきたけれども、今年の夏は本当に暑かった。
思い出すのが高見順の詩だ。

  炎天
空に演説会がある
真夏の正午
人間には聞こえない声を
万物がしーんと 聴いている
どこかで
石が
音を立てて 乾いている
             高見順

06/09/03 (日)
 きょうは日曜日

起きてパソコンの前に座ってから、きょうが日曜日であることに初めて気がついた。
30代の前半に勤め人をやめてからのちは、曜日意識がなくなってしまった。
土日も忙しい時には忙しいし、ウイークデイも暇な時は暇である。こういう生活はとても不安定で、やっぱり安定を求めるならば勤め人というのが原則だろう。ま、しかし人生に後戻りは不可能なのだから、前を見つめていくしかないのだ。

公状況で前といえば、自民党総裁選が迫ってきた。ぼくは自民党びいきではないけれども、やっぱり気になる。
妻と共に晩酌をしていた昨晩、TV画面に安倍(坊ちゃん顔)・麻生(癖顔)・谷垣(インテリ顔)の三人の候補者の顔が並んだ。インタビュアーが戦争及び靖国参拝に関する微妙な質問をしている時、ぼくは妻に「どう思う?」と聞いた。
妻の答えは
「憲法改正は必要やと思う。歯止めを設けつつ軍隊の存在を明文化しなあかんやろ。だけど、それも気分で思うだけや。問題は教育や。私ら、社会の時間に戦後歴史をきっちりと教えてもらわなかったもん。靖国のことかってそうや・・」というトーンが続いたのだが、考えてみると確かにそうだ。
僕も例えば中学校で受けた「社会」の時間は太平洋戦争終結で終わっていたような気がする。歴史に関して言えば、縄文・弥生から明治維新までは、歴史家によって解釈に差があるとしても評価はほぼ定まっている。いわば歴史そのものであり、勿論それを学ぶことも大切なのだけれども、より大切なのは、現代史を学んでいろいろ考えることであったはずだ。何故なら僕たちは現代に生きているからだ。

教育の現場の現在の詳細はわからないけれども、今でも教師が現代史を軽視しているのだとすればその理由はおよそ「受験のためには有利に働かない、理数などと違って教師の言質に個人の史観が入ってきやすい、右翼だの左翼だののレッテルをはられて教育委員会からしかられるかもしれない」くらいだろうか。
げに、教育の問題を決してハードウエアという即物的なものに収斂させてはならない。教師は教師の存在感を生徒に伝達することにその使命がある。生徒が教師に信頼をよせるかよせないかは、一重にその教師の言質あるいは立ち居振る舞いにかかっている、と思う今日この頃です。

06/09/02 (土)
 宇宙のこと

冥王星問題に端を発してか、ラジオは宇宙に関する話題をしばしば提供してくれている。
無限の宇宙を思うと、人間の営みなどちっぽけなものだし、悩んでいてもしかたないだろうという、一種壮大な気分になってくる。

昔、小さかった息子を福井運動公演に連れて行った時のこと。
プラネタリウム館に入り、息子と共にリクライニングシートに横たわって「ある夜の星座」という満天の映像をみた。
ナレーター(録音テープ)は「昔、宇宙はサイコロのように小さいものでした。しかしその温度は一兆度の一兆倍という超高温であり、あるときそれが爆発しました。いわゆるビッグバンです。そして宇宙は現在も光速で膨張し続けています」と説明していた。思うに爆発膨張の際の塵で地球ができ、塵の塵で動植物ができたのだろう。人間が霊長類だといったところで塵の塵の長でしかないのである。

10年ほど前に図書館でホーキンス博士の「宇宙」を借りてきて読んだことがある。我々素人向けにやさしく書いてあったけれども、時間が相対化されるという理屈がのみこめないのでやっぱりよくわからなかった。
終章に「300億年経つと宇宙は消滅し、そして時間も消滅する」という結びの言葉があったけれども、時間が消滅するってどういうことなんだろうか。

06/09/01 (金)
 昨晩は熟睡だった

きょうから9月だ。何故か9月はとてもハードな月になるような気がする。

9月というと、9/11・同時多発テロから何年絶ったのだろうか。
あの時、ぼくは友人と電話をしていた。電話で家庭のことを語り合っていた。眼前のTVが突如臨時ニュース画面となり、NY世界貿易センタービルにジェット機が激突し、さらにもう一機が激突した。「電話をきる」と言って受話器を下ろし、繰り返しその瞬間を放映する画面を見続けた。
「タワーリングインフェルノ」のような事故ではなく、民間人に対する大規模無差別のテロリズムであることが明らかになるにつれて、おぞましさが体じゅうを走った。
米国内の圧倒的な支持率を受けて、ブッシュ政権は首謀者オサマ・ビン・ラディンを捕らえる為、タリバンに戦いを挑んだ。フセインを捕らえる為、イラクに宣戦を布告した。
冷戦終結で、宗教・民族的局地的紛争の勃発あるいは継続が、世界における恒常状態となっている。IT革命で情報化が進んでも、所詮極東の島国にに住む一庶民のぼくにとって、そのお互いの憎悪の核心を理解することはとてもむつかしいことである。しかし、どういう理由があろうとも、自然死ではなく他律的に強要される死はむごたらしいものであるはずだ。