「終末」を思い起こさせる異常な出来事が社会面を賑わしている。 57年間も生きてきたので何人かの知人の自殺に遭ってきたけれども、脳裏にもっとも鮮明に焼きついているのはかれこれ20年以上前の友人の自殺だった。
障害者だった彼女は、会うたびいつも「死にたい」と言っていた。 「健常者中心のこの社会はいつも障害者をおきざりにしている」という呪詛に近い言葉が口癖だった彼女からある日の夜に電話があった。 約二時間話し合い、「うん、元気がでてきた。明日から又頑張る」という彼女の言葉で受話器を置いたのだが、二日後の未明に彼女は縊死体で発見された。
周囲の友人達から「牧田さんが最後の電話相手だったらしい」と聞いた。 若かったぼくには、行為の予兆を肉声から読み取るだけの能力がなかった。 ショックだった。とてもショックだった。毎晩のように枕元に彼女がでてきた。
いろんなひとがないまぜで住んでいるこの社会は、二元論で語れるはずのないいわば重層社会だ。ひとは必ず差別者と被差別者の双方の貌を合わせ持っている。このことに無自覚であれば、社会は当然乾いてくる。 そして20年前と比較しても随分乾いてきている、とぼくは思う。
本日の午前中に観光会館で開かれる「第2回あわら市社会福祉大会」のための手話チェックをしていて、昔のことが頭をよぎった。
:○「市民会議室」で、「メデイア大好き」さんの「Re.2校派はメディアを使うのがお上手」(2006/10/28 8;53;15付)の 「前略・・
確か、2校派市議の親戚に福井新聞の方が、守る会代表の元町長の長男(二男?)だったか、福井テレビにいたと思うが・・・・2校派は、このマスコミのパイプを使い批判的な報道をしてもらい、そして、それをネタに批判を展開する。こう見ると、何故、福井新聞が福井テレビかが見えてきます。高度な戦術ですな。」という書き込みを読んだ。
で 福井新聞に親戚のいる2校派市議というのは私のことなのだろうが、親戚云々で論調を決めることなど、マスコミがするはずないし、システムとしてできるはずがないことくらい、「メデイア大好き」さんが普通程度の知能をお持ちならば先刻ご承知のはずで、であるならば、闇夜の暗がりから自分は姿を隠して鉄砲を撃つような品性の下劣な文章は悪質な「いじめ」の産物ということになる。 ま、いつもいじめられる側にいる私はこういうシチュエーションに慣れており、このひとの文章をプリントアウトして唾を吐き、「神様。このひとが悪いのではありません。このひとの心が曲がっているだけなのです。どうかこのひとをお許しください。こういうひとも天国にいけますように。アーメン」と十字をきって気分は晴れたのだが、しかしよく考えてみると、これは「福井新聞に対する名誉毀損」にもなる。十分なる。
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