2006年10月


06/10/31 (火)
 10月最終日

午前6時過ぎ。熱々珈琲を飲んでいるうちに朝陽が射し込んできた。
昨日は、越前市で開かれた「市議会議長会議員合同研修会」に出席し講演を聴いた。PDFで「議会報告」にレジュメをUPしました。
ついでに会場で出会った知り合いの坂井市議から頂いたチラシもUP。

カバンの中に、「文化講演会」の案内があった。講演のタイトルは「文学の言葉」という恐ろしげなもので、講演予定者は荒川洋治さん。
ずっと昔の話だけれども、三国町で開かれた成人式にこのひとが式典記念講演者として招かれたことがある。偶々成人になったひとの中に聾唖者が居たため、ぼくは手話通訳を依頼されて舞台脇にたった。
講演の中身はというと、寺山修司の短歌の解説で、韻律など手話変換できるはずもなく、ぼくはほとんどお手上げだった。
そのうち聴衆もざわざわし始めた。ざわめきを察知した彼は壇上から「興味のない者は帰れ!」と怒ったのである。その時の表情がとても印象に残っている。

06/10/30 (月)
 本日は市議会議長会議員合同研修会

一昨日の福祉大会の講演者だった橘屋円三さんが、講演のなかで「一日2食」主義を薦めていた。カロリーの過剰な摂取は胃に負担を与え動きを鈍くし思考を鈍くするのだ、と言っていた。
そういえば、江戸期の日本人も一日2食が平均的な食生活ではなかったか。
既にそれを実践中の私は、「我が意を得たり」という気分になった。

つまり少食主義者の私だけれども、昨晩の蕎麦会でつくられた10割蕎麦があまりにも美味しいものだから何杯もお代わりをしてしまった。
蕎麦は腹のこなしが早いと言われているが、そうでもないのかもしれない。布団に入っても腹が張ってなかなか寝付くことができなかった。
目覚めたあとも、体調が悪い。煙草はまずく胃のもたれと断続的な頭痛と時折の吐き気に悩まされた。
陽が昇り室内温度が上昇するにつれて体調は回復してきたが、かって逆三と呼ばれた体型も、鉄と呼ばれた胃袋も既に過去のものであるのである。
私のこれからの人生は、「しなしなと生きる」・・これにつきる、と思う。

○いろんな意見がありまして、「市政関係掲示板」を元のスタイルに戻しました。
友人のHP日記が連日教育のことをとりあげている。現職のヒラ教師だというところが偉い。

06/10/29 (日)
 晩秋

晩秋の日曜日。里山を歩き回りたい気分だけれども、我慢して、仕事に専念です。

ということで
午後4時現在、私の事務所で蕎麦をつくっているひとびと。


私も昔はこの仲間に加わって作業にいそしんでいたものだが、今はアドバイザーという立場に追い込まれている。しゃべるだけなのであります

06/10/28 (土)
 深夜に思ったこと

「終末」を思い起こさせる異常な出来事が社会面を賑わしている。
57年間も生きてきたので何人かの知人の自殺に遭ってきたけれども、脳裏にもっとも鮮明に焼きついているのはかれこれ20年以上前の友人の自殺だった。

障害者だった彼女は、会うたびいつも「死にたい」と言っていた。
「健常者中心のこの社会はいつも障害者をおきざりにしている」という呪詛に近い言葉が口癖だった彼女からある日の夜に電話があった。
約二時間話し合い、「うん、元気がでてきた。明日から又頑張る」という彼女の言葉で受話器を置いたのだが、二日後の未明に彼女は縊死体で発見された。

周囲の友人達から「牧田さんが最後の電話相手だったらしい」と聞いた。
若かったぼくには、行為の予兆を肉声から読み取るだけの能力がなかった。
ショックだった。とてもショックだった。毎晩のように枕元に彼女がでてきた。

いろんなひとがないまぜで住んでいるこの社会は、二元論で語れるはずのないいわば重層社会だ。ひとは必ず差別者と被差別者の双方の貌を合わせ持っている。このことに無自覚であれば、社会は当然乾いてくる。
そして20年前と比較しても随分乾いてきている、とぼくは思う。

本日の午前中に観光会館で開かれる「第2回あわら市社会福祉大会」のための手話チェックをしていて、昔のことが頭をよぎった。
:○「市民会議室」で、「メデイア大好き」さんの「Re.2校派はメディアを使うのがお上手」(2006/10/28 8;53;15付)の
「前略・・ 確か、2校派市議の親戚に福井新聞の方が、守る会代表の元町長の長男(二男?)だったか、福井テレビにいたと思うが・・・・2校派は、このマスコミのパイプを使い批判的な報道をしてもらい、そして、それをネタに批判を展開する。こう見ると、何故、福井新聞が福井テレビかが見えてきます。高度な戦術ですな。」という書き込みを読んだ。


福井新聞に親戚のいる2校派市議というのは私のことなのだろうが、親戚云々で論調を決めることなど、マスコミがするはずないし、システムとしてできるはずがないことくらい、「メデイア大好き」さんが普通程度の知能をお持ちならば先刻ご承知のはずで、であるならば、闇夜の暗がりから自分は姿を隠して鉄砲を撃つような品性の下劣な文章は悪質な「いじめ」の産物ということになる。
ま、いつもいじめられる側にいる私はこういうシチュエーションに慣れており、このひとの文章をプリントアウトして唾を吐き、「神様。このひとが悪いのではありません。このひとの心が曲がっているだけなのです。どうかこのひとをお許しください。こういうひとも天国にいけますように。アーメン」と十字をきって気分は晴れたのだが、しかしよく考えてみると、これは「福井新聞に対する名誉毀損」にもなる。十分なる。

06/10/27 (金)
 ちょっと思ったこと

午前5時過ぎ。
Mr・Mさんからいただいたジャマイカ直輸入ブルーマウンテイン豆砕熱々珈琲を飲んでいるうちに夜が明けた。昨日誰かが置き忘れていった紙巻煙草「LARK」を一本黙って拝借し、火をつけて事務所の外に出た。
電線に無数の烏がとまってギャーギャーと鳴いている。
新聞を取る為に玄関先に出てきた前の家のおじさんと、「不思議やのう。不吉やのう。きょうは、ひでえもんに恐ろしいことがおこるんではないか」とかなんとかしゃべりあっているうちに、ぼくは司馬遼太郎の高杉晋作に関する短編を思い出した。題名は忘れた。

長編小説・「竜馬が行く」で国民的作家となった司馬遼太郎だけれども、幕末の志士たちのなかで司馬が一番好意を感じていたのは高杉晋作だったろうと、ぼくは思っている。
久坂玄瑞のような秀才ではなかったが、松下村塾で吉田松陰の薫陶を受け松蔭を生涯の師と仰いだ高杉。
欧米列強が中国人を犬のように扱っている現場を上海でじかに見て立腹し、長州藩の軍事力増強を唱え奇兵隊を創設した高杉。
犯罪人のレッテルを貼られ、(西行を意識してのことなんだろうけれど)「東行」と変名して愛人とともに四国を放浪した高杉。
28歳で臨終の折、「しっかりやってくれろ」とつぶやいて逝った高杉。
この高杉晋作がつくった小唄に、有名な「三千世界の烏を殺し ぬしと朝寝をしてみたい」がある。

英雄とはそんなものだろう。
凡人のぼくが朝寝を共にしたのは勿論妻だけだし(最近はそれもない)、あいにくとハンサム系に生まれてこなかったぼくの57年間の人生で女性との接触は全くなかった。正直に言えば、女性に縁のない自分自身を恨んだこともあるが、最近はそれも宿命だろうと思っている。
20年程前、横浜のホテルでカウンセリングの先生から言われた言葉・「眼中に妓あり 心中に妓なし」を座右の銘として、ぼくは日々を送っている。

06/10/26 (木)
 寒い朝

昨日の午後は、福井市の国際交流会館で「福井県自治体代表者会議」が開かれ、我々あわら市議も参加した。
会議といっても講演会であり、一時間で終わった。
講演者は小泉内閣時の総務大臣・片山虎之助で、演題は「これからの地方分権改革」。しもぶくれの顔だが、目は可愛い。

地方分権改革とは国の仕事をできるだけ地方に委譲することで地方の主体性の確立を狙うものである、という今までにもいろんなところで聞いたことのある内容だったけれども、何となく語り口が明るくて退屈はしなかった。
再度の自治体合併の促進という話もでてきたし、三年後をめどに道州制の青写真を描く、という話もでてきた。

聞いていて思った。当地における更なる合併というと、坂井地区の一体化・つまりあわら市と坂井市の合併ということになるのだろうが、旧坂井郡内6町のなかでそれぞれに中学校を持たないのがあわら市・つまり旧金津町と旧芦原町ということになる。
6月定例議会で中学校統合が採択されてしまった(採決の前夜には「坂井地区内の沢山の教育関係者がこぞって明日の採決を注目しているぞ。頑張れよ」という複数の方々からの励ましの御電話を頂いたのだが・・)のは事実だし、議員としては当然のことながら多数決に従わなければならない。
けれども、複雑な思いは依然として残っている。
○本日の午前中、某家電量販店に行き、大枚三千数百エンをはたいてデジカメ用XDカードを購入しました。現在の16MBが256MBにバージョンアップしたのです。
これで、コンテンツ「動画ショートショート」を飛躍的に充実させることができるようになりました。リニューアルの準備を進めています。
乞うご期待。

06/10/25 (水)
 昨日の一日

昨日の午前中はCAD三昧。来客ひとりあり。
午後は市庁舎へ。
2時から「あわら市障害者福祉専門部会」に出席した。夕刻に終了し庁舎内でしばらく雑談したあと事務所に戻った。来客ふたりあり。
柱時計が6時を打ったので帰宅し、焼酎で晩酌。
TVは札幌ドームでの日本シリーズ・中日vs日本ハム第三戦を放映している。
日本ハム応援の気分で試合を見ているうち、10年ほど前の札幌の夜を思い出した。

日本PTA連合会の全国大会が札幌で開かれ、その日の夜、福井のメンバーで大通り公園を歩いた。あの有名な時計台は確か修理中だったと思う。
繁華街ススキノへ車を走らせ、なんとかという名前のスナックバーに入った。
あの頃はカラオケが流行っていた時代であり、その店にも置かれていた。
順番で唄うことになり自分の番がきた。
曲を選ぶならば、北海道・函館から始まる御当地ソングのこれだろうと思い、森進一の「港町ブルース」を唄った。ぼくはそんなにうまいほうではないのだが、店にいたお客さんたちから沢山の拍手を頂いた。
宿泊ホテルに戻り、ホテル地下のバーに入って四人で又飲んだ。テーブルランプの雰囲気がなかなかによく、ぼくたちは長時間人生を語り合った。
うちひとりは歩けなくなるほど酔い、ぼくが部屋まで送っていったのを覚えている。

あの頃は、若かった分、元気があった。あのメンバーは、今頃何をしているのだろう。

06/10/24 (火)
 きょうは「障害者専門部会」

「クリーンさを強調してきた福島県の佐藤栄佐久前知事(67)が23日、県発注の公共工事を巡る汚職事件で逮捕された。実弟逮捕の責任を取り、5期18年間にわたる長期政権に終止符を打って25日。実弟らを通じて建設業界と不明朗な関係を結び、多額の資金提供を受けていた構図が浮かび上がった。 木村守江元知事が逮捕された30年前に続き、繰り返された癒着の連鎖に、県民らからは失望のため息が漏れた。
・・中略・・ その自宅前では今月4日、「私はお金に関してはどんなお金でも一切触っていない」と、“金権”とは無縁と強調していた。だが、建設業者からの働きかけは、18年前から始まっていた。・・中略・・ 初当選した1988年の知事選。建設業界はこぞって、対抗馬の元建設省技監を支援した。ところが、選挙戦終盤、栄佐久容疑者の優勢が伝えられると、陣営にゼネコン担当者が「遅ればせながら陣中見舞いです」と分厚い現金入りの封筒を持って来た。応対した私設秘書は、「業界は手のひらを返したようにすり寄ってきた」と振り返る。以後、5度の当選を重ねた。選挙では、収支報告書に記載されない多額の裏金が動いた。選対幹部を務めた元県議は「法定費用では足りない。報告書は全部デタラメだった」と明かす。」 YOMIURI ONLINE10/23より


のなかの「分厚い現金入りの封筒」とはどれくらいの額なんだろう。
数万円では厚くないし数十万円では厚くても分厚くはない。やっぱり百万エン以上で分厚い封筒といえるのではないだろうか。
県知事ともなると、その給料で十分な生活が保証される(福井県の場合、確か県議が80万エンくらいだから県知事の場合は100万エン近いだろう)。
それだけで充足しているつまり我が世の春を謳歌しているはずのこのひとのもとに裏金が集まったのは
①政治権力を持つひとの所には、おべんちゃらが集まり(そのくせ陰で悪口を言うのだが)、自分は偉いのだと錯覚しやがてマヒする。
①てのひらを返すような日和見型のゼネコン等業界人が封筒を持って群がってくる。
①名目が何であれ、金を集めておかなければ次の選挙を戦えない。
くらいを背景としてあげることができるだろう。

依然として繰り返されるこの種の事件を、「ものごとはしっかりと隠蔽しても必ずばれて口端に上っていく」とみるべきか、「所詮氷山の一角に過ぎない」とみるべきかぼくにはわからない(わかる部分もある)が、未来を担う青少年たちに与える影響が大きいのは確かだ。
○メールで送られてきた添付写真(クリックで拡大)
↓コメント
デジカメからの編集を練習中です。
うば桜が撮った寒桜です。
撮影者共々ボケです

06/10/23 (月)
 薄曇の朝

昨晩は、仕事のからみで三国の某寺院へ行った。
打合せを終えてからの四方山話で、住職は「病める現代」について語る。
宗教家にとっては、それを考えることがいわば仕事なのだから、ぼくは「うんうん」とうなずきながら拝聴していた。

帰宅し、住職の言葉を反芻しながらTVを見た。
福岡の中学校で起こったいじめによる自殺少年に対する現場教師の呆れた言動や北海道で起こったいじめによる自殺少女に対する教育委員会の呆れた対応や3歳の子どもを餓死させるという親の呆れた行動やらが次から次へとニュースとして流れていく。
それらは突出した行為だからニュースになるのだけれども、病巣の潜在的拡大蔓延を思うならば、我々自身の問題だと認識するのが当然だ。

自分の身近なところでの不登校や入院や拒食やらの話を頻回に聞かされるようになったのは10年ほど前からではないだろうか。
そして、聞く自分自身のなかにある心の病もこの10年の間に肥大化してきているような気がする。

06/10/22 (日)
 宴のあと

三島由紀夫に「宴のあと」という小説があるが、今朝はまさにそれである。


昨日の晩に8人が集まり、某氏持参の猪肉を煮込んだ鍋をつついた。某女から頂いた馬刺しもメニューに加わった。とても美味しかった。

閑話休題
日曜日の朝だ、ということで久しぶりに「市民会議室・中学校建設」の項を覗いたら、沢山の書き込みがある。
「別掲示板」という言葉もでていたが、それは恐らくこのHPの「市政関係掲示板」をさしているのだろう。

読み進めていくうち、ペンネーム「あわらを憂う市民」さんの10/22付け書き込みに??と思った。
「・・・あなたは議員ですよね。自分のことを「あたし」という2校派議員が1名おります。以前「あたし」と言って投稿してましたし文体も某議員と同じです。」と断定調で書いてある。

ぼくはしゃべる時確かに一人称に「あたし」を当てる癖がある。だからこのひとは、かなりの確率で某議員=牧田と思っている(そうでなきゃどうでもいいのだが)。
しかし、勿論、ぼくではない。
一年程前だったか、「市民会議室」に「某議員」という名で中学校統合問題について書き込んだことがあるけれども、それ以降書き込んだことのないぼくは、笑ってしまった。

「掲示板」の書き手は殆どがペンネームであり、匿名だからこそ本音を言うことができるという利点は確かにある。勿論実名で書ける度量があれは言うことないのだが。
その意味で書き手を詮索するのはくだらない行為なのだが、このひとはそれに加えて、文体も某議員と同じですと言っている。・・・何故、文体も牧田議員と同じですと書かないのか。でないと、他の読み手にも誤解を与えてしまう可能性がでてくる。
察するに、100%の状況証拠が無いから、某議員という言葉で逃げ場をつくっておこうとするこのひとの心中が見え隠れするのである。
勿論誤解だけれども、書き手が牧田かどうかを確認したいのならば、直接電話をかけてくださればいい。
それが嫌なのであれば「市民会議室」の管理者(情報化推進室・73-8006)に電話して確認してくださればいい。
ぼくも「掲示板」の管理者なので多少はわかるのだが
書き手が誰であるかを、「市民会議室」管理者は特定できない。しかし、IPの比較によって書き手が牧田ではないことは、確認できる(と思う)。


何故この駄文を「市民会議室」に書き込まないかというと
もう何ヶ月も前のことなのだが、このHP「市政関係掲示板」で、七色のペンネームを持つ投稿者たちの荒唐無稽の書き込みが多発し、辟易したからです。

06/10/21 (土)
 朝もやのなかで

例の耐震疑惑事件に関すること。
イーホームズ・藤田社長の裁判の判決についてのYOMIURI ONLINEの簡単な報道の最後に、「藤田社長は記者たちを相手に思いをまくしたてた」と書いてあり、まくしたてたというどちらかというと揶揄的なニュアンスの強い言葉立てに違和を感じた私は、以前この問題を精力的に追っていたあるいは追っている「きっこの日記」(書き手は匿名プロ複数だと今でも思っているが・・)の最近の日記を開いてみた。そして、そこの2/19付日記に貼ってあったリンクにも入り込み長い文章をじっくりと読んでみた。

人は全て愚かだと思っている私は裁判の絶対的無謬性というのを信じてはいないし、マスコミの報道のありように外部圧力あるいは自主規制が時にはかかるのも確かだと思う。あるいはそれを告発する「きっこの日記」にも一点突破全面集中するあまりの言葉のひとりばしりを時には感じるのも確かだ。

というような書き方をすると、「あんたは宗教人か?」と思われるかもしれないが、さにあらず。
一応檀家は浄土真宗で親鸞を尊敬してはいるが、それは生き方としてすごかったから偉い人だと思っているからであって、私自身は無宗教である。しかし今回の藤田裁判に限っては、記録や報道を読む限り、藤田社長はスケープゴートにされかかっているのだと思う。
そう思うのは、私が建築設計のプロであり、構造設計のことをわかっており、30数年間にわたって建築業界、建築行政の世界を見続けてきたからである。
その肌を感じ続けてきたからである。
本日の午前中は、中山溜池(後山地区)の水替え。主な目的はブラックバスの駆除で、私も胴長ゴム靴で身を包み、数十匹のブラックバスを捕まえた。
↓クリックで写真

06/10/20 (金)
 やっぱし自宅はいい

本日の午後8時、「まちづくり調査特別委員会視察研修」を終えて自宅に戻った。
一日目(19日)は、長野県大町市クロヨンホテルにて「健康づくり大学」についての講義を受講。二日目(20日)は長野県軽井沢町にて「軽井沢駅周辺整備事業について」の講義を受講した。
長旅は疲れる。とても疲れる。
詳細は、後日、整理して報告しますが、本日はとにかく寝ます。
信州のりんご林

視察研修で一泊する折、私は必ず宿舎付近の未明散歩をする。その地の一日の始まりを記憶しておきたい記録しておきたい、という衝動にかられるからだ。
昨日も、佐久市内の宿泊先のビジネスホテルを早朝抜け出してひとり歩いた。
たちどまり、長野新幹線・佐久駅界隈の風景を撮ろうとデジカメを構える私の横を通り過ぎる塾女の黒い影があった。
早朝早足健康ウオーキングをしているのだろう。高原の町の朝はとてもすがすがしい、と思った。


06/10/19 (木)
 含羞

私は、立居振振舞については、「自分の好き勝手に」ではなく、「ひとからどうみられているか」を行動原理としている。多少は窮屈を感じるけれども、人間付き合いとはそういうものだと思っている。
しかし、そう心がけている私でも、偶には失敗がある。
昨晩の某氏宅での会議に遅れて出席したぼくがしゃべり始めた途端、サシバが飛び出してしまった。
更に、某氏宅からの帰りに路上駐車の車を動かした途端、前輪左側タイヤを道路脇側溝にはめこんでしまった。「うーん、義兄から譲って頂いたばかりのこれからの愛車サニーだ。助手席にはまだ2人しか乗ったことがないのになあ」と、うろたえてしまった。幸い、残っていたふたりの方に押して頂いてことなきを得たが、やっぱり恥ずかしいことである。含羞である。
○本日から、一泊二日で、信州へ「まちづくり調査特別委員会・視察研修」に行ってきます。

06/10/18 (水)
 昨日の一日

昨日の午前中は、トリムパークに於いて健康長寿祭が開かれて出席。
S県議が大勢を前にして「福井県は男女とも全国で第二位の長寿県です云々・・」と挨拶しているのを聞いていて思い出したことがある。
旧金津町議時代は、長寿者の載ったパンフを頂いていた。ぼくは、そのパンフをもとに各地区の長寿率を調べたことがある。地区によって率が異なっていることに驚いた。旧まちうちと旧村部を比較した場合、旧村部の率が高かったが、そうなるであろう生活環境の違いがいろいろと推測できる。

「仕事の打合せをしたい」という携帯コールを受けて、昼過ぎに事務所へ戻った。ふたりの来訪者は「事務所の雰囲気がすごく変わったねえ」という。
応接コーナーの雰囲気は確かに変わった。
ふたつの大型ソファはOさんとKさん、セットのソファはMさん、衝立はOさんからのもらいものだし、テーブル板は粗大ゴミ捨場から拾ってきたものである。

その後、CADに専念しているうちに夜がきた。仕事が忙しくなってきたのだ。
自宅での夕食を終えて事務所に戻ったら来客ふたりあり。三人でよしなしごとをしゃべりあっているうち、柱時計が11時の時報をうち、散会。
○「三国・語り部の会」の人が持ってきた「伝統工法の構造」講習会のレジュメ。
講習会は一週間ほど前にあったのだそうだが、よくみると講師は学生時代の同僚だ。エライサンになっていく人もいるわけです。読んだら面白かったので資料をUPしました。

06/10/17 (火)
 解析

昨日夕刻の来訪者に「はじめまして」と言ったら、「いや、いつもHPを見ているのでそんな気がしません」と言われた。
この画面の左側上部に緑色の数値が並んでいて、ここにマウスカーソルをあてると、きょう・昨日のカウント数及び一週間のカウント数が表示される。
このHP日記を始めて比較的初期の頃にカウンターを設置した。現在のカウンターは確か三代目だ。この間(かん)、一ヶ月だったか二ヶ月だったか二重カウントを許可とした期間があったが、現在も含めてその他の期間は二重カウント防止機能対応としており、累計が表示されている。

さて
管理者のぼくは、時々、パスワードを使い裏画面のアクセス解析を見る。
例えば、昨日のカウント数は286だが、アクセス数は711だった。
その全てのアクセス時刻が網羅されており、これを逐一見るのは疲れるし不可能だけれども、とりあえず時間帯毎の集中度の違いがわかる。
誰がアクセスしているかは勿論わからないが、ごくおおざっぱに言って一人平均二回強/日のアクセスとなるわけで、「掲示板」の書込み状況を見る為、というのもその理由のひとつなのだろう。
地域別訪問の項を見ると、99%が県内からであり、このHPが地域こてこて主義土着型であることを示している。
日々の書込みや管理は時間がかかるし疲れを感じることもあり、正直言ってこのHPを閉鎖しようかと思ったことも何度かあった。
その都度、「いや、これも議員の仕事や、続けるのは義務や」と、自分自身に言い聞かせてきたわけで、これから先、気分が躁の時も普通の時も鬱に入ることもあるだろうが、とりあえず議員をしている間は、続けていこう、と思っております。
Oさん、昨晩は、立派な衝立を三台もありがとうございます。
これで、仕事に身が入ります

06/10/16 (月)
 そろそろ夜が明けてきた

昨日、コンテンツ・中学校問題に「2校を守る会・HP及びチラシNo.1号」を頼まれてリンクしあるいはUPした。
「数日前の日記で、(私個人は今も二中維持がいいと思っている。しかし議会で二中派議員は負けたのであり、多数決原理の働く議会内にいる限りこの決定を無視するわけにはいかない。)と書きながら、それをUPするのはおかしいのではないか?」と、2,3の人から言われたが、これは違うだろう。

詳細は省くけれども、議会議決に至る進捗過程に対して議会内人間としてところどころでおかしいと思ったことがあるし、在野が議会の外からみて民意逆転あるいは少なくとも拙速を感じ行政や議会に不信を持って「市民の会」を立ち上げたのならば、会がどちらの方向に向かっているのであれ、その姿勢や思いを自分のHPの(数は少ないだろうが)読者に向かって発信するのは義務だと思うのである。

その意味で、仮に「統合中学校を促進する会」というのができて、そのチラシ等のUPを頼まれたしても、やっぱり載せる。

少々気障っぽい言い方になるかもしれないが
「わたしはあなたの意見に反対だ。しかし、あなたがあなたの意見を言う場はあらゆる面から保障されなければならない」を、わたしは、座右の銘としている。

「こんばんわ。
『あわら市 足首切断』の検索にヒットしてこのページ(掲示板)に飛んできました。 現在の掲示板が見にくく思ったので、メールしました。個々の返信などがどれにつながっている返信なのかわかりにくく、探さなきゃいけないような状況で、見にくい(探しにくい)掲示板だなぁ~!って思った次第です。今後、HP再構築の際には、スレッド掲示板なども考慮していただけると幸いです。」
という、未知の方からのメールが入ってきた。そこで「市政関係掲示板」をトピックス型に変更してみました

06/10/15 (日)
 日曜日の朝

福岡県の中2生徒がいじめを苦に自殺した問題に関する記事を読み、当該中学校のHP掲示板書込みを見ていると、異常な雰囲気が伝わってくる。
けれども、次代の宝であるこどもたちをないがしろにしているのを学校体制の不手際だけに限定するのはいかにも短絡だ。
異常性はこの国を席捲しており、顕在化するか潜在化しているかの違いがあるだけだろう。
我々大人の一人ひとりが時代の不幸を担う意志を持って生きていかなければ、この国の未来はない、と思う。

昨晩、知り合いのお孫さんが亡くなったことを聞いた。自死だとのこと。
プライベートなことなので、これ以上は書けない。

06/10/14 (土)
 夜明けに思うこと

新聞の社会面に、いじめや自殺、殺人あるいはその他の犯罪に関する記事を読む時、私たちはその字面にやりきれなさや社会不安を感じペシミストになるのが普通だ。
しかし、それは、「自分や自分の係累が当事者でなくてよかった」という思いが前提にあるからであって、事件の中心あるいは周辺にいるひとたちが仮に記事を目にするならば見方は全く違うはずである。
というようことを漠然と思っているきょうこのごろです。

閑話休題
2,3日前の新聞で、「2校を守る会」発足の記事を読んで、「うーん、ついに発足したか」という思いにかられた。
署名運動の時の事務所は私の事務所が兼ねていた。署名は沢山集まり6月議会の教育厚生常任委員会でその請願が採択されたものの、22日の本会議では不採択とされ統合路線が決まった。
私個人は今も二中維持がいいと思っている。しかし議会で二中派議員は負けたのであり、多数決原理の働く議会内にいる限りこの決定を無視するわけにはいかない。
となると、統合姿勢を打ち出した現市長や、結果としてそれを承認した議会への不信が在野軸で登場するのは極めて自然だと思う。これからの動向を注意深く見続けていきたいし、依頼されれば、チラシ等をこのHPに載せたいと思っている。

HPで日記を書いているというのも因果なことで、
「守る会に議員も加わっているのかどうか」を詮索する動きがある等の情報がいろいろ入ってくる。答えは「いません」です。

「うばざくら」さんへ。
「よろず掲示板」に返事を書きました。

06/09/13 (水)
 秋の虫

「なんで日記を休んでるんや」という電話やらメールやらあるいは顔つき合わせての問いをようけいただき、なかには体を壊してしまったのではないか心を壊してしまったのではないかという心配もいただきついでにお中元までいただき今は恐縮しているのですが、なに、個人的な事情といったって私自身の単純で小さな悩みでしかないし、うんケセラセラかと少しずつ思いなおしているしだいです。
ということで、昨晩夜も更けたころ竹田河畔にひとり寝転び一服していたら、秋の虫の大合唱だ。
♪「あれスズムシが鳴いている チンチロチンチロチンチロリン・・」と幼い頃親しんだ童謡をくちずさんでいるうち、「うーん、今秋中に生を終えなければならない彼らは束の間の生をせいいっぱい謳歌しているのだなんと崇高なことだ。それにひきかえわしはなんと無為な日々を送っているのだ。なげたらあかん人生なげたらあかん近鉄の往年のサウスポー鈴木もそう言っている」と私はとても自省的な気持ちになっていった。

○久しぶりにファックスが入ってきた。ファックス一回○○クス0回


○年老いた母親に同行し三国へラッキョウを買いに車を走らせた。
ついでに、九頭竜川河口の漁船をしばらく眺めていた。向こう岸に新保の集落が見える。
○僕は文章に似合わずちょっとおっちょこちょいでシャツをうらおもて間違えて着てしまうことがたまにある。
しかし、きょう事務所に来た客人が、「牧田さん、シャツのうらおもてまえうしろ反対よ。タグが首の前にでてるわ」と恥ずかしそうに言う。
うーん、これを言われたのは初めてだと思う。

06/10/12 (木)
 夜明けにジャマイカ産ブルーマウンテインを飲みながら

昭和35年のきょう、時の社会党委員長・浅沼稲次郎が、立会い演説中に17歳の右翼少年に刺されて死亡した。ほぼ即死だった。少年は拘留中に自殺している。
60年安保をめぐっての左右両翼の攻防が背景にあったのだろうが、小学校5年生だったぼくにその背景がわかるはずもなく、ただ、「恐ろしい世の中になってきたなあ」という漠然とした恐怖だけを感じたのを、覚えている。
当時自分が既に大人だったとするならば、あの時代の雰囲気をどうとっていたのだろうか、と思うことがたまにあるが、勿論、仮定は仮定でしかない。

ということで
’92年に「星条旗の聞こえない部屋」でデビューした小説家=リービ・英雄の「我的中国」を、今読んでいる。純文学系のこのひとの紀行文は、視覚よりも聴覚に軸足が置かれていて暗い。今のぼくの暗い気分にますます拍車がかかる。けれども何故か惹きつけられる。
思うに、暗い時には明るさを求めるよりも暗さに耽溺することで安堵感が出てくる、というのが人生の真理ではなかろうか。


 悲恋物語

①きょうの午後、ぼくは風になった。
気がついたら、目の前にコスモス畑が広がっている。


②近づいてきた白いブラウスの美少女が、「おじさん、モデルになっていただけません?」と言う。
乞われるまま、ぼくは被写体になった。


③うちとけ、肩並べつつ歩くうち、足元に奇妙なものを見つけた。
・・・バッタが交尾をしているのである。(拡大写真はこちら


④さらによくみると、別の一匹のバッタが交尾をうらやましげにじっと眺めている。
(拡大写真はこちら


昆虫の世界にも「勝ち組」「負け組」があるのである。

06/10/11 (水)
 昨日の一日

午後一時半、あわら市社協。来年から昼間の手話サークルをつくる、という話が持ち上がっての打合せ。向ケ丘のSさん、是非参加してください。

午後3時、内装業の某氏が事務所に来訪しての四方山話。
公務員やサラリーマンのように月極めの収入の約束されていない業種は本当に不安だ。波があるのだが、景気が回復しても寄せる波の方向にあるのは大手あるいは中堅であり、零細ましてや個人からは波が引いていくというのが、こんにち的な在りようだ、と言う。
ここ10年ほどの間に知り合い数人が自殺しているけれども、彼の話を聞きながら「頑張ろう、死ぬまで頑張ろう、結果じゃなくてその姿勢が大事なんや」と、ぼくは思った。

CADにいそしんでいた夕刻、仕事上の急な呼び出しがあり福井市へ。打合せは長引き、終わった時は既に8時を過ぎていた。夜に参加する予定の会議があったのだけれども、時刻をとっくに過ぎてしまっていたので参加できなかった。申し訳ない気持ちになった。帰宅し、コップ半分だけの焼酎で晩酌し就寝。
本日の福井新聞で
女子高生の髪切り少女2人逮捕
あわら署と県警少年課は十日、暴行の疑いで、あわら市の無職少女(15)と本籍福井市の住所不定、飲食店従業員の少女(17)を逮捕した。
調べによると、両容疑者は四月十九日午後六時四十分ごろ、同市内の神社境内で、福井市内の高校二年生の少女(18)に因縁をつけ、無理やり体を押さえつけ、はさみで髪の毛を切る暴行を加えた疑い。三人は遊び仲間だった
」という記事を読んだ。
さらに早朝ラジオは「これを苦に少女はJR線路に飛び込み、大怪我をした」と、言っていた。
少女がJR芦原温泉駅から線路に飛び込み大怪我をしたことは聞いていたし、とにかく可愛そうでならなかった。何故なのだろうという思いをずっと持ち続けていたが、いじめだったのだ。
そういう背景に関して、行政側あるいは教育委員会が、我々議員に一切の説明をしてこなかったのは、おかしい。不思議である。

06/10/10 (火)
 北朝鮮核実験

日本海側のしかも原発が立地する福井県に住んでいることが理由のひとつだと思うけれども、就寝前に自分の死に方を考える時、「畳の上か、事故か」などと並んでいつも出てくるのが北朝鮮からの核搭載ミサイル被弾によるものだった。あるいはそのたぐいの悪夢をみていた。
北朝鮮による昨日の核実験の核がミサイルに搭載可能な小型なものであったとするならば、脅威はより現実的なものとなったわけで、とてもおぞましい気分だ。

なぜこの時期なのかということで、金正日体制確立記念日であるからとか六カ国協議での米の動きに対する報復だとか、訪中訪韓さなかの安倍新首相に対する牽制だとかいろいろささやかれているけれども、我々庶民はその風聞を耳にする以外能がない。。
実験による放射能拡散の可能性が本当に皆無なのか。チェルノヴイリ原発事故の時、下の息子は妻の腹の中にいた。そのことで、妻は大変にナーバスになっていた。

著者名は忘れたけれども、昔、「ジョン・ウエインは何故死んだか」という本を読んだことがある。米が核実験を行っていたネバダ州でロケに従事していた映画俳優ジョン・ウエインやステイーブ・マックウイーンの死が残存放射能汚染によるものを示唆した本だった。

○「わちらの会」の皆さんへ
報告が遅れましたが、去る7月8日に中央公民館で開催された「ミクロポデイウム」に対するお礼のメッセージがNPOの岡嶋さんからありました。
なお、あのユニークなチケットが一枚残っております。記念に持っていたい方はご連絡ください。

06/10/09 (月)
 風狂の徒・芭蕉
 
「敦賀市内を巡る「『奥の細道』つるが芭蕉紀行・芭蕉探訪ウオーク」(福井新聞社共催)は八日開かれた。参加者は俳聖・松尾芭蕉ゆかりの地を踏みしめ、往時に思いをはせていた。(中略)・・・  市街地を歩く五キロ、十キロ、二十キロの三コースに分かれ、それぞれ同市の金ケ崎緑地を出発。赤レンガ倉庫や金崎宮、気比の松原など観光地のほか、芭蕉像が設置される気比神宮、句碑が残る金前寺など芭蕉ゆかりの地を思い思いのペースでたどっていった。(後略)・・・」 (福井新聞HPから)

もう10数年前の秋、郷土史家・故山口先生のグループの「敦賀市界隈歴史探訪」小旅行に連れて行っていただいたことがある。
その時、市郊外の疋田にある西村家住宅の座敷で、ご主人から「奥の細道」素竜本を見せていただいた。昔預かっていた原本は既にしかるべきところに返還されており、拝見したのはコピーだったが、頁ごとに透明シートで保護されていて、手に取った時はさすがに興奮した。
縁側越しに見える壮大な庭の中央に、「百年の景色を庭の落葉哉 」(芭蕉)を彫った石碑がどどどおおーんとたっていた。

元禄年間、「奥の細道」のこの旅で、芭蕉は金津小学校横の総持寺(安田さんとこやね)に立ち寄り雨宿りをしている。
さだまさしは、どこかの軒先で雨宿りをしている時、名曲「雨宿り」が頭にひらめいたそうで、しからば俳聖・芭蕉のことだから、幾つかの名句をつくっているに違いないと思うのだがなあ。

こんなこと書いているうちに、「歴史塾・こせぢ」と名うって旧金津町の神社仏閣史跡自然をフィールドワークあるいはデスクワークしていた頃がなつかしく思い出されてきた。
幹事P・Kくん、もう少し歳とったら又やりましょう。

A B

06/10/08 (日)
 ウラジオストックのナターシャさん 元気だろうか
 
チェチェン紛争でロシア当局による過剰な武力行使や人権抑圧を告発したロシアの女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤさんが7日、モスクワの自宅アパートのエレベーター内で銃で撃たれて死んでいるのが見つかった。インタファクス通信などが伝えた。 遺体のそばに拳銃と薬莢(やっきょう)4発が落ちていた。ポリトコフスカヤさんは、ノーバヤ・ガゼータ紙評論員として99年からのロシア軍によるチェチェン侵攻の後で徹底した現地取材を重ね、プーチン政権の言論統制に抗して紛争の悲惨さを伝えた。
・・ 02年のチェチェン武装勢力によるモスクワでの劇場占拠事件では犯行グループが交渉役に指名。04年の北オセチア共和国での学校占拠事件では、現地に向かう機内で何者かに毒をもられ、重体になった。・・
(アサヒコムより抜粋)

チェチェンはアフガニスタンルートとして要衝の地にあり、それ故ロシアはチェチェンの独立を認めず武力行使や人権抑圧を繰り返してきたのだけれども、大統領になる前のプーチンはKGBの要人であった時期があり、チェチェン紛争の陣頭指揮を執ってきたと、確か雑誌で読んだことがある。
この女性記者の生前をぼくは勿論知らないが、権力に屈せず戦ってきた人であることは確かで、戦争や内乱の現場で報道の自由のために殉職したジャーナリスト達をぼくは絶対的に尊敬するし、哀悼の思いがどうしてもこみあげてくる。

翻って日本の土壌で権力による抑圧がないのかというと、そうではなくて、柔構造社会には柔構造社会特有の陰湿な言論抑圧の影が散見される。
少なくともぼくはそう思っている。

 06/10/07 (土)
 昨日の「まちづくり調査特別委員会」研修

昨日の午後。
敦賀・プラザ万象で「景観」に関する講演を聴いた。講師は堀繁さん。
大型スクリーンを駆使しての3時間に渡る講演の骨子は以下のとおり。

日頃我々が認識する景観とは
①見たいものを見ている(全部を一律には見ない)。
②適度に大きく見やすいものを見ている。

沿道にある店舗ファサード部分(中間領域)の吸引力3要素は
①植栽など⇒挨拶形態
②ベンチなど⇒迎客形態
③看板など⇒集客形態  である







<このひと見覚えがある。誰だったのだろう。

というものだった。
ぼくは接客商売をしたことがない..。しかし、具体例を出しての彼の説明はわかりやすかったし建築設計に携わる者として啓発される部分が多かった。
人間が無意識の部分で景観とどう関わっているかという理論を街並みづくりに当てはめていくならば、例えば自治体の立場でも、高い金を出して都市コンサルタントなどに計画を依頼する必要もないはずだ。
自分達の街並みは自分達自身の相互検証を通じて腰の強い独自なものが出来上がっていくと、思うのである。

06/10/06 (金)
 本日は、「まちづくり調査特別委員会」研修会

昨日の朝は、同業者(建築設計)・Nさんが来訪。
K先生と共に三人での熱々珈琲的懇談は、建築のこと野鳥のこと生態系のことと話題が拡がり、ぼくは「うーん、人間は高慢になってはならない。高等動物とはいえ、自然の流れに逆らってはならない。そうでないと、大きいしっぺがえしを受ける、いや、事実もう受けているし人類の終末もそう遠いことではないかもしれんなあ」などとペシミステイックな気分のなかにいた。

Nさんが「牧田さんもそうだと思うけど、建築設計というのはとてもストレスのかかる仕事で悩みがつきまとって離れない。それでですね、今年の夏に家族で能登半島に行った。温泉地に宿をとり露天風呂に入ったんです。日本海を見つめながらざぶんと肩まで浸かりこんだ時、突然全身の力がすうっと抜けて自分が解放されたんです。啓示みたいなもんです。
そしてその時から、ああ自分も趣味を持たなあかんなあ、と思っている。生きていく上で趣味は絶対に必要だと思うのだけども今の自分にはそれがない」と、言う。
ぼくも無趣味なので、「うんうん」とうなづいているだけだった。
秋の風物詩あけびを頂いた。甘くてとてもおいしかった



06/10/05 (木)
 昨日の一日

昨日の朝、事務所でCADにいそしんでいるさなか、某女性市議が来訪。
「ワード作製による福井県内女性市議町議リストを修正編集してほしい」と言う。
女性議員だけの勉強会を定期的に行っており、その為の資料として使うとのことだ。ぼくはワードを使いこなせないので、エクセルに変換して作業を完了した。

県内女性市議町議の数は合計23名で、県議に至っては確かゼロでありいかにも少ない。
男女の基本的な認識方法の差として例えば演繹的vs直感的というようなことをたまに聞くことがある。ぼくは女性になったことがないので、その真偽はわからないけれども、もしそうだとするのならば、議会へのもっともっとの女性進出は不可欠だ。即ち、どこでもだろうが現在の議会は遅れている場所ということになる。

午後は、市庁舎で「広報編集委員会」が開かれた。最終校正日であり、なんじゃかんじゃの意見がでて夕刻にやっと終了した。今回の「議会だより」は、10月13日以降の配布となる予定です。

終了後、事務所に戻り、「うーん、きょうも終わった。しばらくはリラックスや」ということでひとりアルコールを口にしていたところへ三人の方が来訪。市姫のKさんに頂いた大型ソファが加わったことによりすっかり見栄えのよくなった応接コーナーで歓談。
こういう時のテーマはいつも人生論となる。「ひとは何故生きるのか。どう生きなければならないのか」は、永遠のテーマであると、ぼくは思う。
○組頭先生の御了解をいただき、リンクに「北潟湖の自然」を追加しました。
○某繊維会社社長・Kさん。昨日はエクセル操作を御指導していただき、ありがとうございました。

 06/10/04 (水)
 本日は広報編集委員会

昨晩、学生時代の友人Nくんに電話をして久しぶりに近況を聞いた。
奥さん・本人の親の双方年老いて認知症が進み大変みたいだ。でも本人の声は元気で前向きの姿勢が感じられた。

同じ下宿で青春を共にした仲だけれども、生活態度には相当に差があった。
人付き合いの苦手な私が「書斎派」というか「学究肌」というかどちらかというと孤独を楽しむ硬派であったのに対して、彼は「享楽派」というか「退廃派」というかしょっちゅう女の子とデートをしている軟派だった。
両極のふたりだったからこそ何年もの間、生活を共にできたのだろうと、今になって思う。

そういう彼が、今、家族のことで頑張っているのをみると、とてもすがすがしい気分になる。
なお、その後に入ってきたメールでホームページを再開したことを知った。
これも嬉しい。


06/10/03 (火)
 霧の朝

昨晩。
ひとは何故生きているのかというと競争するためじゃあるまい、助け合うために生きているのだろうし助け助けられることによって生きることの張りがみえてくるのではというようなことを思いつつ、暗い天井を見つめながら寝入ったのが午後9時。よって今朝は3時に目が覚めた。

事務所に入りメールチェック。
同じ日にやはり20万突破したブログ。私が励まされているブログです。
若年性アルツハイマー介護日記  一度ご覧になってください」

というメールがMさんから入っていた。

じっくり読んでみた(リンクにも入れました)。
私の親父の場合、若年性ではないし多分軽いほうなんだろうけれども、昨年4月に同じ病名及び認知症を診断され、週に一度デイケア施設のお世話になっている。
ということで読み進めていったのだが、言葉のあわいに夫婦の絆の強さがしっかりと感じられた。

盟友・宝塚のNくんとこのお父さんの場合はどうなんだろう。今度電話します。
○Iさん、レタッチソフトありがとうございます。
ぼちぼちこなしていきます。

06/10/02 (月)
 小雨の朝

昨晩は市外某氏宅で某会議を終えて帰宅。自宅まで送ってくださったひとが、「まきちゃんの手のひらが熱い」と言う。風邪なのかどうか頭痛もあったので、はやめに寝た。
十分な睡眠をとり5時半に起きたら体調は回復している。やる気が出てきた。
雨のなか、事務所に入り熱々珈琲を飲みながら新聞に目を通す。
本日の福井新聞「こだま」欄に、あわら市のHさんの投稿が載っていた。
親類なのでよく知っている人だ。投稿の内容が、なんとも言えずいい。

ということで、又一週間が始まった。am07:00から08:00までのJR芦原温泉駅前共同募金で一週間が始まった。
雨のせいもあったんだろうが、通学の為の子供を車で送ってくる親御さんの多いのにちょっと驚いた。
○久しぶりに行った笹岡名水場
(後背奥に元サンマイがあり六地蔵が今も残っている)


06/10/01 (日)
 きょうから10月

本日はトリムパークで市民体育祭が開かれた。曇り模様で競技開始後しばらくして雨が落ち始め、結局は、午前中の競技だけを行なってから中止が決定した。
帰り際にMくんと久しぶりに出会った。挨拶しよもやま話をして別れたのだけれども、その時に二年ほど前のエピソードを思い出した。

私の友人Hくんが、金中時代の同級生だったそのMくんとどこかで出合った時の会話を私たちに披露してくださったもの。

Hくん「よお、ひさしぶりやなあ」
Mくん「うん、ひさしぶりやなあ」
Hくん「髪が白うなってきたなあ。としとったんやなあ。オマエ、いくつにな    
    ったんや?」
Mくん「オマエと一緒や」

・・どことなくおかしい会話だと思いませんか?
昨晩はクリック数20万突破ということで、沢山の人に来ていただき、どうもありがとうございました。
私は単なるホストですので、来客の方のことを気遣うのだけが仕事でした。
ウイスキーグラス片手にみなさんの会話を議論をひとり静かに聴いていたのですが、それだけで十分楽しゅうございました。
女性の方も三名いらっしゃったので、やや緊張し結果として寡黙になっていたのかもわかりません・・。
全ての市民のみなさん、あわら市を良くするために頑張りましょう。