2007年04月




07/04/30 (月)
 本日はウオーキング

昨日の日曜日は、CADと事務所模様替えに精を出していた。ソファの再配置を考えて移動し、小会議くらいならば開けるようにした。床や壁を丹念に磨き清潔感を出した。入り口にビュッフェの「娼婦シリーズ」を飾り、ホストに見合う知的雰囲気を醸し出した。

作業を終え、改めて事務所を見渡すと、家具調度の殆どはもらいものである。
ソファセット4点・テーブル・エアコン・冷蔵庫・電子レンジ・本棚・インスタントコーヒー・湯呑茶碗・パーテイーションパネル・作業机等々でいってみれば中古品再生ショールームだ。

友人知人たちが貧者の私に配慮してくれているのである。大変ありがたいことです。

○本日の午前中は、「蓮如の里 ふるさとの道を歩く会 」に参加して12kmを歩いた。
初めての体験だった。
 

 


吉崎・御山が最終目的地。
散会のあと、有志で海を望む場所に陣をとり、ビールを飲んだ。

07/04/29 (日)
 忙しくなりそうな日曜日

午前4時過ぎ、東の空が白みはじめてきた。赤みを帯びているのできょうも快晴だろう。ぼくは、きょう一日の生を確認できるこの時間帯が一番好きだ。

柄にもなく議員などやっているので、理屈をしゃべるのも仕事と心得てはいる。
しかし、生きるはりを最も感じるのは、自然の悠久な時間の流れに身を置き、花鳥風月を寡黙に愛でる時だ。春爛漫の今、季節を彩る花々を見ていて飽きない。
転生輪廻があるのだとしたら、ぼくは白梅として生まれ変わりたい、と思う。

わたくしあなた うめももさくら 声たてていえば
               胸あたたまる 日本の言葉        信夫澄子

07/04/28 (土)
 もう終末か

昨晩は久し振りに遠方の友に電話した。
「小さい市での市長選の僅差結果や。市を二分してのしこりが残るやろ」と言われた。

選挙運動の最中は確かに多少はエキセントリックにもなった。
だけれども、結果が出て数日を経た現在、既にその気分は無くなっている。
前市長の松木氏には心から「ご苦労さんでした」と申し上げたいし、争点だった「統合か二中維持か」も、統合キャンペーンを仄聞する限り、可能ならば二中維持を踏まえての統合キャンペーンだったように思う。

告示前に他市自治体の教育委員会等に出向きあるいは電話し、義務教育としての中学校建設に関わるエトセトラを聞き、財政再検討でおのずから回答が出るはずだと思っている。勿論「第二の夕張」になどなるはずはないししてはならない(このキャンペーンを夕張市民が直接聞かされ続けられたとしたら、どんな気持ちを持っただろう)。

統合中最有力候補地区に住んでいながら「二中維持」を標榜したことでの周囲の目は覚悟していたしあるいは感じ続けてもいる。
けれども、「申し訳なさ」か「自分に正直」かで後者をとったことに勿論悔いはない。

新市長は、融和を基軸として頑張っているとのこと。
後顧の憂い無く信念を貫いていただきたい、と思う。

07/04/27 (金)
 Kさん 珈琲ありがとう

今朝は午前2時に目が覚めた。
独煙草ゲルベゾルテを吸うために外へ出た。外は静寂の世界だ。漆黒の闇が拡がっている。一本の煙草を吸い終わるまでに、家族や友人のこと気になる知人のことを思い浮かべていた。

深呼吸してから事務所に入り洗顔。久しぶりに鏡をみると髪に白いものが混じっている。全裸になり、鏡をみながら熱湯に浸したタオルで全身をふいた。
ウエストが多少膨らんではきたが胸筋には張りがある。顔の皮膚にたるみはない。目にはまだ精気がある。

真新しい白い下着に着替えたあとお湯を沸かし、ミルで砕いたキリマンジャロ珈琲を飲む。

よい珈琲は
天使のように澄んで
悪魔のように黒く
地獄のように熱く
恋のように甘い  (タレーラン)  のである。

07/04/26 (木)
 ちょっと思ってしまった

「ライムライト」などで有名なチャールズ・チャップリンが記者団から「今までに出演製作した映画での最高傑作は何でしたか?」と問われた時、「ネクスト ワン」と答えたのは有名な話だ。

これはつまり「俺には過去が無い」ということであり、選挙期間中に相手陣営から実名で非難中傷されていたらしい私なども座右の銘としている言葉であり、「あほらしか」と思ったあと、記憶袋の引き出しから取り出して即刻焼却処分している。

故・開高健は嬉し悲しの例えを以下のように列挙した。
①一番嬉しいこと⇒相手から誉められること
②次に嬉しいこと⇒相手から悪口を言われること
③一番悲しいこと⇒相手から無視されること
・・・人間心理を衝いた警句であると思うが、②の悪口には「多少の事実性を伴うこと」が前提としてあるべきだろう。

・「市政掲示板」に、バカな奴らが、「○○政界に書かれていた如く、某県議は今回の選挙において黒幕を演じていた」とマヌケなことを書き込んでいたので、私は管理人として即刻消去した。そういう事実の一切無かったことは、統合派陣営のなかの一部でさえ正直に認めている。

・「市政掲示板」に自民党あわら支部内部のゴタゴタが書き込まれていたので即刻消去した。そんなことは自民党あわら支部のHPにだけ書き込んでほしい。
今回の二中派議員団のなかに自民党員が共産党員が市民派が、(例えば私のような)庶民派がいて、某大手新聞記者から「典型的な呉越同舟ね」と指摘されたのは事実である。
しかし自民党員が党員であること共産党員が党員であることと、党是として動くことは全く別のことだ。自民党も共産党も(更にいえば公明党もだが)、党としての統一歩調の声明を出さなかった。国政を競う政党の動向は自治体議会にはなじまないのである。
保守の論客だった故・江藤淳でさえ「六全協の時代ではない。共産党は既に体制内補完政党だ」と、喝破して死んでいった。
他の掲示板に、「共産党主導のなんたらかんたら・・・」と、アナクロニズムをオウム返しに書き込んでいたトンマな奴らも少しは自分達の狭量さを反省してほしい。

○いずれにしろ公職にあっても基本は個人だ。裸になればみな同じだ。
名指しで生々しい批判をしたいのであれば、まずは本人の面前ですべきである。自己責任の意味はそこにある。

7/04/25 (水)
 ロシアのこと

「ロシアのエリツイン前大統領死去」が新聞記事に載った。
ソ連邦解体あるいは民主化に向けての同じ牽引者であったゴルバチョフがわかりやすい人物であったのに対して、エリツインには何となく伏魔殿に住んでいる人のような印象があった。ペレストロイカのゴルバチョフ=「明朗穏健」、KGB出身のプーチン=「陰険冷酷」という対極典型と比してよくわからない人物という印象があった。

極東ロシア・ウラジオストックからロシア人女子学生が盛夏に2年続けて私の家にホームステイしたことがある。その時のロシアがエリツイン体制下であり、変貌しつつある母国の希望や懸念をいろいろ聞かせてもらった。
ウラジオストックからモスクワまでが飛行機で6時間、日本(富山空港)までが2時間半という距離感の違いあるいは経済のしくみの違いからか、モスクワ中央よりも日本への親近感が強いことを感じた。
ロシア正教徒の彼女達に、我が家の仏壇(浄土真宗)に座布団座りで参ってもらった。正教徒が持つ沢山のイコンを頂いた。
「北潟湖畔の夕べ」に連れて行った。浜地海水浴場に連れて行った。苺模様の浴衣を着せて竹田川河畔での線香花火を楽しんだ。夜毎、食卓のもてなしはお茶漬けとソーメンだった。しかし朝食にはパン・珈琲だけではなくてハムエッグを付けた。
彼女達との別れを惜しんだあと、お土産に頂いたウオッカをひとり一気に飲んで腰がぬけ、反吐をいっぱいはいた。反吐は駐車場のくさわらに散乱した。

あれから幾星霜。
色白八頭身だった彼女達は今もなお八頭身であり続けているのだろうか。あるいはじゃがいもの食べ過ぎて定番・「ロシアの太っちょおばさん」となっているのだろうか。ちょっと気になる。
○最近は、「スナップ掲示板」を開くのが楽しみです。
皆さん、どしどし投稿してください。

07/04/24 (火)
 熱々珈琲「キリマンジャロ」を飲みながら

昨日の夕方は来客が多かったし、電話も多かった。
某新聞社からの電話取材を受けているうち、携帯に「コンクリートブロック塀コール」が入った。
「コンクリートブロック塀コール」と書いても一部の身近なひと以外わからないことだし恥ずかしいことでもあるので説明はしないが、とにかく夜はその始末に追われた。

CADをしばらくこなしたあと、早めに就寝。
午前5時に目が覚め、事務所に入った。「珈琲キリマンジャロ」の炒り豆をミルで砕く。砕きながら朝陽の差し込む窓外に目を転じた。
花鳥風月を味わう暇の無かったこの一週間に駐車場の満開だった桜は既に葉桜となっている。

日本の正しい春といえば
①小川を泳ぐどじょっこふなっこ
②棚田を彩る蓮華花のじゅうたん
③満開桜   である。

いささか気障になるかもしれないが、あるいは羨ましく感じながら読む男性もいるかもしれないが
桜咲き誇るこの季節の一週間は、例年であれば、手折った桜の枝を持って何人かの女性たちが私の事務所を訪れる一週間でもあった。
今年は無理だったが、来年は又そうなるだろう。


07/04/23 (月)
 橋本新市長誕生! 皆様 ありがとうございました

午前1時半に橋本選対本部から帰宅しました。

市内主要団体大半推薦的従来型組織選挙vs草の根ネットワーク型選挙という各マスコミが報じていたとおりの選挙戦だったと思います。

409票差という思いっきり心臓に悪い信じられないような僅差ではありましたが、橋本氏は当選することができました。

告示期間中、日々生起した沢山の出来事を思いをこの日記にエンドレスに書き込みたい誘惑に何度もかられましたが、じっとこらえて黙っていました。

しかし、「戦いすんで日が暮れて」の今、何も申し上げることはございません。
過去を語るのは野暮というものでしょう。

たった今、組頭代表から「ひとりうまいビールを飲んでいます」というメールが入ってきましたが
深夜の静寂のなか、私も又ひとりでむぎ焼酎「いいちこ」を飲んでいます。
サカナは煮鰯とこの一週間の走馬灯です。
そういえば鰯は弱い魚と書きます。人間も又ひとりひとりはとても弱い存在ですが、弱いからこそ絆ができ、連帯が生まれてくるのだと思います。
そういうことを考えさせられた一週間でした。

冷静に考えますと
橋本氏は敢えて火中の栗を拾いました。
議会構成比率に関しては6対15と圧倒的劣勢の我々2中維持派議員の前に横たわる道も又いばらの道です。一歩ずつ踏みしめていくだけです。

応援してくださった皆様方 本当にありがとうございました。

 07/04/12 (木)
 寒かった昨晩

昨日の私の事務所は、夜遅くまで来客5人での「中学校問題論議」で賑わった。散会時刻は既に午前零時を過ぎていた。
皆が帰りひとり残ると寒々しい気分になる。しかしよく考えたら戻り寒波で事実寒いのである。数日前に脱いだステテコを、又はくことになるだろう。

最近の「市政掲示板」でネガテイブキャンペーンのことがとりざたされているが、確かに私もその類を耳にする。びっくりするとかあきれるとかなんとかいうよりもそれを口にする人達が可哀想に思えてくる。何も自分で自分の品位を落とし込める必要はないのになあ、とついつい思ってしまうのである。

私が市民組織・「2校を守る会」にシンパシーを感じる理由を申し上げるならば
本来は直接制民主主義が一番だと思うからです。
行政側が執行しようとする案件をどこかの広場に市民(住民)みんなが集まって喧々諤々の議論をし賛否を問うのが私にとっての直接制民主主義に対するイメージですが、現実問題としてそれは不可能であり、その結果、「間接制民主主義」としての「議会制民主主義」が機能体となっている。
だけれども、それを支えるあるいは評価するベースはあくまでも市民(住民)層にあるからこそ、「直説解職請求権」が対行政にしろ対議会にしろ自治法で謳われている。
私は、そういうふうに理解しております。

○久しぶりに「スナップ掲示板」を覗いたら、桜などの花の写真が満載だ。
今年は花見などしていられないだろうが、写真を見ているだけで十分楽しい。

世の中に 絶へて桜のなかりせば
     いかにこの世は 楽しからまし

桜の散り際を見るのが悲しくてたまらないという思いを逆説的に歌った三十一文字だが、作者が誰だったかは忘れた。


07/04/11 (水)
 窓外に小鳥のさえずりを聴きながら

午前5時半に起床。東の空には既に朝陽が昇っている。
気味が悪いほどに赤い。


  大空の 斬首ののちの 静もりか
        没(お)ちし日輪が のこすむらさき
     
             
あの三島由紀夫が絶賛したという春日井健の歌だ


07/04/10 (火)
 市長辞職

本日臨時議会が召集され、市長の辞職願いが議員全員起立で承認された。
これで、正式に市長不在となり、投票日までは副市長が職務代行者となるわけだ。
耳を澄まして、市長の辞職願提出に至った思いを聴いていた。
うなづけるところもあるがうなづけないところも勿論ある。
感想を思いの丈どおりに書くと文章量が格段に大きくなり、「日記」の体をなさなくなるので省く。

いづれにせよ、時はきた。
昨夕、事務所に戻り熱々珈琲を飲んだあと、「CADをせねば」とパソコンデスクに向かった。その時、玄関戸がノックされ某全国紙新聞記者が現れた。

「橋本氏が出馬を決めた経緯を教えてほしい」と言うので、ぼくは過大でもなく過小でもなくつまり自然体で思いを語ったのだが、その一時間半の間にも固定電話が鳴り携帯電話が鳴る。記者へのしゃべりと電話応対とのめまぐるしさにほとほと疲れ、「地下に潜ろうか」と一瞬思ったが、やめた。
そういう時代ではないのだ。

07/04/09 (月)
 Kさん 粒粒珈琲ありがとう

生活のルーテイーンワークが変わると、日常性を離れた諸々がみえてくる。
これは疲れることであると同時に、新たな緊張を自分に強いることでもある。

中学校問題に関して、昨日も実にさまざまのひと達と話し合った。携帯にもいろんなメッセージが入ってきた。既存の組織にからめとられ辺りをはばかりながらの声がメッセージには多い。しかし声の真摯さという一点で、ぼくたちは思いを共有することができると確信する。
トップダウンではなくボトムアップつまり草の根だ。今回を地域対抗という卑俗なものにしてはならない、とつくづく思う。

夜遅く帰宅し、疲れからか泥のように眠り未明に起床。
ラジオから、「千の風」で有名になった新井満の歌声が流れてきた。

ふるさとの山に向かいて 言うことなし
      ふるさとの山は ありがたきかな  という啄木の有名な歌だ。

ふるさとを離れた都市生活者の思いと理解されるのが普通だろうが、ふるさとに住み続けているぼくの胸にもじーんときた。

07/04/08 (日)
 言葉

こういう詩がある

かつおぶしじゃない
まず言葉をえらぶ
太くてよく乾いた言葉をえらぶ
はじめに言葉の表面の
カビをたわしで さっぱりと落とす
血合いの黒い部分から
言葉を正しく削ってゆく   長田弘「言葉のダシのとりかた」

同僚議員・橋本氏の言葉には、そういう感性がある。

07/04/07 (土)
 もう土曜日か

今のところHP日記を書いている市議は、あわら市内では私ひとりだそうだ。
そして、学校問題では今でも二中維持を願っているひとりでもある。

しかしながら、署名簿が議会に提出され金庫にしまわれた昨年6月議会での採決以後は議会構成員である立場を尊重し、学校問題に対してのコメントをできるだけ避けてきた。市民組織「2校を守る会」の運動の展開を距離を置いて見続けてきた。

リコールを避けれるものならば避けたほうがいいという見方に私も異存はなかったし、昨月に県議が調停に動いた時もその思いで行方を見守っていた。
調停は成立せずリコールが動きはじめようとした矢先に市長は辞職届けを提出した。「無用の混乱を避けるため」及び「民意を問う」というコメントが新聞談話に載ったけれども、問うのには拙速すぎる告示期間に思惑もみえる。

とにもかくにもリコールはなくなり選挙戦となった。
先ほども書いたけれども、仮に統合派議員がHP日記を書いているのならば私もフランクに書けるだろうが、ひとりだと(花鳥風月のことは別として)どうしても自制気味になる。
もともとが相手に気を使う控えめな体質なので、「節度が大切」と自身に囁きながら書いている。それでも書いた時折のもので(統合派)の誰某・何某がイライラしている、という電話がかかってきたりする。陰でイライラするくらいならば、直接言うほうがよっぽど健康的だ、と思うのだが・・。

07/04/06 (金)
 無題

本日の新聞各社は、あわら市庁舎で行われた橋本市議の「市長選への立候補声明」・記者会見の模様を詳しく伝えている。

声明についての私の駄弁は無用。記事をじっくりお読みください。

○隣区の大鳥神社・鳥居の桜が満開だ。
本日は、小中学校の入学式。


07/04/05 (木)
 ちょっと思うこと

一昨年12月の議会で、教育委員会及び市長が中学校統合の路線を打ち出した時にある種のねじれを感じたぼくは、耐震診断専門構造事務所に行き診断結果が出てくるまでの仔細をじっくりと聞いてきた。
当時社中学校の設計を終えていた福井市教育委員会に出向き、市内に在る22の中学校のことをいろいろ聞いてきた。
(市外)某元教育長宅を訪問し福井県内に在る全ての中学校の数字を資料として頂きつぶさに検討した。
その過程のなかで中学校2校を残すことは全く自然なことだという思いを強くしていった。

一方で、統合中学校案が可決されたならば自分が住んでいる地区に来るだろう、という見方が強くなり始めた。小さい地区ながら地区のひとたちの間で、統合中学校が来れば地区の活性化に繋がるという思いがでてくるのもある意味で自然なことだった。ぼくは政党党員でもなければ啓蒙主義者でもない。地区に逼塞し近隣との床屋談義で日々の憂さをはらす単なるおっさんである。
地区のそういうひとたちから、統合賛成に向けて直接くどかれもしたしあるいはやや疎遠な視線を感じるごとに「つらいなあ弱ったなあ」と思ったし今も思っている。

統合中がこの地区に来ること自体が反対なのではなく、それ以前の問題として教育環境の観点から統合はよくないと思っているのだが、選挙で地区のひとたちから推していただいたことへの感謝と、しかしながら議員報酬は市税(つまり地区を超えたもの)だとの認識のせめぎ合いのなかで、やはり市議としての自分の信念を大事にしなければならないと思う。
そうすることで、もとより次はないだろうがそれはそれで仕方ない。
寅さんではないが、「顔で笑って腹で泣く」のも男の生き方のひとつである。

07/04/04 (水)
 ひとりの夢はただの夢 みんなの夢は実現の夢(ジョン・レノン)

左上にある緑色カウンターにマウスカーソルをあてるとわかるけれども、昨日の訪問者数は大変に多かった。
こんなローカルこてこてHPだのに何故?の疑問に対する答えは昨日の現市長辞職声明にあるだろう。

本来最も適切な設置場所であったはずの「あわら市HP・市民会議室」掲示板は混乱バトルのあおりを受けて既に閉鎖されており、選挙戦の進捗に応じてここの「市政掲示板」への書込みの増加が予想されあるいは荒れが懸念される・・
といろんな人から言われているし、その対処意見はおよそ次の三つに分かれる。
①閉鎖すべし
②継続すべし
③低劣な書込みに対しては管理者としての権限を持って対処しつつ継続すべし

数年前にこの「掲示板」を立ち上げ、管理にそれなりの時間と労力を注ぎ込み、しかし書き込まれた様々を貴重な参考意見として行政担当課に持ち寄った過去を思うと、私にとってはとても愛着のある有料掲示板である。
よって、選択肢は③になるだろう。

「掲示板」のことはそれとして
日記は自分の思いを述べる場であり当然選挙戦に言及する。心を込めて書くが、問題は告示期間である。現在の公選法は告示期間内での立候補者による書込みを禁止している(これはこれでとてもおかしい話なのだが・・)。
立候補者ではない私が書くのは構わないのかどうか。
法遵守はいろはのいであり、昨日市庁舎にでかけそのことを問うてきた。
微妙なところもあり後日連絡するとのことだった。

07/04/03 (火)
 無題

(私的なことでありここでは書かないが)土曜日に起こったアクシデントで気落ちしHP日記を書くほどの気力も無くなり、本来ならば赤瓦運びボランテイアや「へしこ」試写会への出席などが予定されていた土・日曜日のスケヂュールは全く違ったものとなってしまった。
とはいうものの、一方で緊迫した状況があり、そのことに関わっているうちになえた気力も少しずつ回復。普通に近い精神状態に戻った今朝、パソコンの前に座りキーボードを叩いている。

さて、きょうはどういう日になるのやら。
○福井市庁舎に向かって車を走らせていた今朝、「今、あわら市長が辞職届けを出したよ」という携帯コールが入った。
ぼくは車を路傍に停め、パリで買ったダーバンのコートを脱いだ。
ポシェットから独煙草「ゲルベゾルテ」を一本取り出し、オイルライター・「ジッポー」で火をつけたあと、大きく吸い込んだ。

初めて町議会議員になった時、当時の議長から、「様々の案件に対して議会内部での賛否はあるだろう。だけれども採決の結果が全てだ。議会意思はひとつだぞ」との説明を受け、それを肝に銘じてきたつもりである。
だからこそ、昨年6月の議会採決後に立ち上がった「2校を守る会」に対してぼくは(あるいは二中派というレッテルを貼られてしまった議員達は)、その運動を粛々と見続けることに徹してきた。(個々の思いはどうであろうとも)そのことで議会人としてのありようを遵守してきた。
(否定的であれ賛意を含むものであれ)有志議員として名を連ね土俵の違うあくまでも在野軸の「2校を守る会」をターゲットにしてチラシを配布するというような愚挙は念頭になかったし事実してもこなかった。

しかしながら、市長の辞職届け提出によって情勢は質的に変わった。
腹の底にある思いをしゃべっていこうあるいはこの日記に書いていこうと、思う。

07/04/02 (月)
 無題

都合により、しばらくの間、日記を休ませていただきます。