2007年08月


07/08/31 (金) 8月最終日

昨日パソコンが修理店から戻ってきたので使い始めたらその日のうちに又故障して修理店行きとなってしまった。今晩再びの修理を終えてパソコンが戻ってきました。
さて
昨夕私が息子とドライブをしていた時、「お父さん、俳句を一句つくってみてや
」というので、「うーん・・・例えば芭蕉にはやね、静けさや 岩にしみ入る 蝉の声」の名句があるんやぞ、と言っているうちに、昨日の日記で「夏草や 岩にしみ入る 蝉の声」と、間違って書き込んでしまったのを思い出した。でもパソコンが故障して「HPソフト原稿訂正⇒アップロード」ができないままとなってしまった。


案の定、メールに「jokeかな?夏草や。。。静けさや岩にしみいる。。。。です。」が入ってきたのですが、いえいえjokeではありませぬ。記憶力の低下です。


先日、脳ドック診察の結果が送られてきて「虚血性なんとか(中略)・・で煙草をできるだけ少なくしてください。お酒を控えめに。適度な運動を云々」と、要するに妻からいつも言われていることが書き添えてあったのですが、じわじわと認知力不足が進行しているのだろうと、思います。


07/08/30 (木) 愁風愁雨人を愁殺す


昨日の夕刻、修理店から「パソコンが直りました」という電話を受けた。
打合せの合間を縫ってパソコンをとりに行き、インターネット再接続が可能となった。
この間(かん)サポートしていただいたみなさん、ありがとうございました。
パソコン故障でインターネットができないとなるといろいろ差し障りのあることがよくわかりました。


それはともかくとして、9月議会定例会が近づいているが、先だっての7月臨時議会(俗称・組織議会)で私は議長不信任案を提出し、本会議でしゃべった。
不信任案提出についての幾つかの理由を述べたのだが、慣例としての議長任期二年交代が今回に限って破られたことに対して疑義を感じたことも理由のひとつだ。
一部の議員と言うか多数の議員と言うか要するに議会全体ではないところで、事前に議長交代の是非を巡る喧々諤々があったことは仄聞しているが、その仔細は我々の耳には届いていなかった。そして、いまだにわからない。
アカウンタビリテイがないのであれば不信は続く。続かざるを得ないと思うのである。
〇今年は猛暑だったが、夏の盛りになると必ず思い出す詩がある。


   炎天
空に演説会がある
真夏の正午
人間には聞こえない声を
万物がし-んと聴いている
どこかで
石が
音を立てて 乾いている
     高見順


例えば同じく夏をうたったものに芭蕉の
   静けさや 岩にしみ入る 蝉の声  があるが

高見順にとっての石が音を跳ね返すような硬い表面を感じさせるのに対して
芭蕉にとっての岩は苔岩であり音を吸収する柔らかな表面となっている。


それが昭和vs元禄という時代精神の違いによるものか自由詩vs俳諧という表現形式の違いによるものかふたりのアンテナの違いによるものかどうかはしらないが、眼の前の素材が同じようなものであるとしても、プロの書き手の各々は一流の料理人にも似て、コクのある味付けをする能力を持っている、と私は思う。

07/08/27 (月) 残暑御見舞い申し上げます


本日の福井新聞に小さい見出し記事で陸上自衛隊の「富士総合火力演習」一般公開のことが載っていた。
国内最大規模の実弾射撃訓練として大変に有名なものだ。
ぼくはこれを観たことはないが、金沢駐屯地での陸自訓練を観たことがある。


レスキュー活動もプロがするものだから当然半端ではなかったし、銃実射を傍らで観た時の衝撃も印象に残っている。ヘルメットをかぶり耳栓をしていたのだけれども射撃時の音は耳というよりも腹にどすんときた。そしてその瞬間に標的はこなごなに砕かれるのである。
自衛隊が実質において軍隊であることは論を待たないだろう。それをめぐっての憲法改正論議が進むことは悪いことではない、と思う。


が、
今回参議院議員になった「ひげの隊長」の談話が問題になっている。
友軍オランダ軍が攻撃を受けた場合、自らがそれにまきこまれた状態をつくりだして共同応戦する予定だった、というものだ。
心情はわかるけれども法はそれを是認していない。是認されていない行動を陸自が自身の意思でやるのならば国会論議は不要となりシビリアンコントロールが効かない、ということになる。
〇水槽を毎日眺めているうち、中を泳いでいるメダカや金魚がとてもいとおしく思えるようになってきた。心が和らぐ。




彼ら彼女らは裸のままの生活をしている。そこには正邪もなく憎愛もなく毀誉褒貶もなくつまりは無心なのだ。
親鸞上人は自らを愚徳と呼んだが、彼ら彼女らには愚徳という観念すら恐らくはなくて、その意味で人間を超えている。




07/08/26 (日) 防災訓練


本日の午前7時から波松小学校グラウンドに於いて「あわら市波松地区総合防災訓練」が実施された。
波松地区住民・市職員・日赤奉仕団など沢山のひとたちが参加しての訓練だ。

訓練種目は
①災害対策本部設営 ②避難誘導訓練 ③情報連絡訓練 ④消火器消火訓練
⑤防潮活動訓練 ⑥簡易水槽作成訓練 ⑦簡易担架作成訓練 
⑧心肺甦生実技訓練 ⑨倒壊家屋救出救助訓練 ⑩トリアージ・応急処置訓練 
⑪日赤奉仕団炊出訓練 ⑫軽可般ポンプ作動訓練 ヘリコプター救出訓練 他
だった。


昭和24年1月生まれの私は学年としては23年生まれだ。
福井大地震の年に生まれたことで「地震っ子」と呼ばれて育ってきた。
地震発生時、お袋は台所で夕食をつくっていた。揺れと同時に外へ飛び出した10秒後くらいに家は倒壊した。お袋の胎内にいた私はその揺れをかすかに記憶している。
つくづく思うのだが
私たちは常に生と死を隔てる塀の上を歩いていて、どちらに転ぶかは時の運だ。


今の耐震基準から見るならば、当時の民家は耐震性能不足だったということになろうが、それは地震の度に専門家が情報を収集し因果関係を調査し結果として現在の耐震技術が確立されたことによる。当時は自然災害だと思われたはずである。


建築設計に永い間携わっているので、この種のことについては書きたいことが沢山沢山ある。だけど日記は簡潔が肝心で冗長はいけない。
項を別にして書きたいと思うが、時代は箱物新築から耐震補強を含めたリフレッシュに軸足を移しつつある。

07/08/25 (土) また


午前7時半に目が覚めた。昨日は夜更かしをしてしまったのだ。
まだ眠いのでもうしばらく寝ます。
〇午前中金魚水槽の水替えをしていたら消防車のサイレンが聞こえた。
センターに電話したら「坂の下区内のスーパーマーケットで油漏れ事故発生」のテープがまわっている。直ぐに現場に行ったのだが、8/21日記の全くの再現だ。


午後、事務所来訪の生活環境課課長から説明を聞いた。建物管理者に対してグレーチング側溝の緊結工事を指示し、既に工事に入っているということだった。
軽油漏れによる水質汚染防止も当然だけれども、スーパーマーケット駐車場は不特定多数の来客自動車が行き交う。人身事故につながる可能性もあるのである。

月並みな言い方だけれども、官民一体で安全安心の街づくりを目指さなければならない、と思う。


07/08/24 (金) 昨晩


昨晩は、市庁舎101会議室において「あわら市国民健康保険運営協議会」が開かれた。
7時半、庁舎駐車場に車を留め入り口に向かって歩いていく私を、「牧田さああん」と背後の闇から呼びとめる声がする。振り向けば友人の女性Tさんだ。久し振りに顔を合わせたのだが、「美しい女(ひと)は歳をとっても美しい。いや歳をとるに従って美しさを増す」と、私は思った。


運営協議会の協議事項は
①平成18年度あわら市国民健康保険特別会計歳入歳出決算について
②平成19年度あわら市国民健康保険特別会計(第1号・第2号)(案)について
③平成20年度以降の医療保険制度について
④その他  である。

特に論議の焦点になったのが、③平成20年度以降の医療保険制度について
だった。
来年度から65歳以上の寝たきり高齢者及び75歳以上の高齢者が「後期高齢者医療保険」に移行する。
この狙いは平たく言えば世代に応じた受益者負担へのスライドだと思うのだが、ここで市町村国保として「特定健康診査等実施五ヵ年計画」が策定される。
その目標値を
・特定健康診査実施率 65%
・特定保健指導実施率 45%
・メタボ該当者予備群減少率10%  として設定される。
そして目標を達成した自治体への国の支援金は10%加算、達成できなかった自治体への支援金は10%減算措置となるそうだ。
この目標値が達成可能か困難かの議論は別として、そういう措置の導入に違和感を感じた私は「何かがおかしい。云々・・・」と申し上げたのだが
「国の決めたことなので従うだけです・・」と言われた。
そういうことを考えると我々一介の市議も、県議や国議のセイセイがたとのコミュニケーションが必要なのかもしれない。


午後9時半に協議会終了。
事務所に戻ったらそこは手話サークルの会員達による飲めや唄えやの宴席だった。久し振りに食べた飛脚寿司がうまかった。
手話もしっかりやらねばなあ、と思った。


宴会がお開きとなった午後11時前に知り合いのグループから、「近くのスナックでカラオケを楽しんでいる」という電話が入ったので、しばらくの間だけ出かけた。
カラオケなど何年ぶりだったろうか。
みんなは恋歌など若い歌手のはなやかな流行り歌を唄っていたが、私は青春の唄が苦手だ。青春には後悔がつまり過ぎている。二度と戻りたくない、と思っている。


それに季節はもう秋だ。
そこで私は静かに聴かせる深夜のバラード・「そっとおやすみ」を唄った。壁に手を添えて唄った。

07/08/23 (木) 昨晩は雨だった


今、中央政界の醜聞として出てきているのことのひとつが、「塩崎官房長官の地元の政治資金管理団体で、05年選挙運動費用報告と同年の 政治資金収支報告とに領収書を重複して添付、その金額を事務所員が着服して いたことが発覚、その職員を懲戒解雇した」ということである。
塩崎官房長官は「管理責任者として残念、実態解明と再発防止に全力をあげ る」とコメントしたが、同様の局面で今までに繰り返され手垢のついてしまったこのようなコメントの字面は勿論検討に値するものではないし、問題は、現在の国政選挙は金がかかり過ぎて金の動く現場に魑魅魍魎が跋扈するということだろう。
組織をまとめる為の金の動きは表に出せないものでありだからこそ私物化されやすいのだと思う。


塩崎某がこの件に関する記者会見で短く答えるにとどまり説明責任を果たしていないのと批判されているのは、裏側のそういう事情を知っていて話せば別の何かが露呈してしまうのではないかという恐れがあるからだろうが、その態度にうさん臭さを感じる善良な国民は某を揶揄するだろうし、そのことによって某の端正な甘いマスクが日毎にやつれていってしまうのではないかと私は懸念する。
そのためにも長官をさっさと辞めるべきだとは思うが、
ただし、善良な国民が選挙民としてもあるいは候補者を推す運動員としても善良かというと、必ずしもそうではあるまい。
今後こういう醜聞をなくすことができるかどうかは、有権者の民度にかかっていると、私は思うのである

07/08/22 (水) 秋間近


この一週間、
基本ソフトの問題なのかソフトの問題なのかあるいはハードの問題なのかわからないけれども、パソコンを操作する都度頻回に「表示不可」のメッセージが出てほとほと困った。いい加減嫌にもなっていた。
けれども仕事のほぼ全てをパソコンに頼る生活になっている現在、そこから離れるわけにもいかず、「臥薪嘗胆」でエラーチェックなどを繰り返してきたところようやく光明が見えてきた(ようだ)。


昨夜は壁を乗り越えた気分になって、久し振りに早く寝た。熟睡した。
目が覚めたら時刻は午前二時だ。ほとんどのひとが寝静まっている静寂の時間帯だ。
熱々珈琲を飲みながら、何故か三人の子供達の行く末を考えていた。
気がつくと、漆黒の闇が拡がる窓外から虫の音が聞こえてくる。
全国各地に災禍をもたらした猛暑も去り、日一日と秋の気配が濃くなっていくのである。
〇ラジオは聞くが、TVはほとんど見ない。月刊誌と小説は読むが、新聞はほとんど読まず眺めるだけ。
というのが私の情報取得指針だけれども、今朝は久し振りに新聞をじっくりと読んだ。

本日の福井新聞28面に「産廃処分場、自治体許可取り消す」の見出しがある。
千葉県旭市等二市一町にまたがって建設中の産廃最終処分場をめぐり、周辺住民六人が県知事に設置許可取り消しを求めた行政訴訟の判決で千葉地裁は許可を取り消した、という内容のものだ。
以前環境保全特別委員会に入っていた時、地域との間でもめている全国の処理施設の幾つかを視察してきたが、許認可権は県にあって当該自治体は事務手続きだけというのが、今までの印象だった。

記事を読む限り、この場合の自治体とは県自体を指しているように思えるし、大量ゴミ消費社会がどこかにこういう産廃処理場を必要とする現実を持っているなど、建設までに国vs県で紆余曲折のあったことは伺えるけれども、主権在住民という原点にたって考えると、画期的な判決であり当然の判決であると思う。

07/08/21 (火) 金津地区戦没者慰霊祭


昨日の午後4時から金津地区戦没者慰霊祭がとり行われた。
フィリピン戦線で多くの戦友を失い今はベッドで寝たきりとなっている親父の傍らで追悼原稿を読みあげてから、祭に参加した。


4時とはいえ今年の暑さは尋常じゃなく、スーツの下から汗がじわじわと吹き上げてくる。
激しい蝉時雨のなか、マイクに向かい「追悼の辞」を読みあげ始めた時、まわりが静寂になったように感じられた。外界の刺激も時間もつまり一切が停止したような気分に襲われた。
戦没者を偲ぶ時、ぼくがいつも思うのは
彼らがそのために自らの命を犠牲にしたとされる今日の社会の在りようを、仮に存命だったら、どうみただろうどう感じただろうということである。


午後9時、缶ビールを持って自宅裏の竹田川河畔まで歩いた。酩酊気分であおむけに寝転んだ。星空がとてもきれいだ。遠からずぼくも星になる。


ひとが死ぬと遺族は慣習として法要を営む。
確か1周忌・13回忌・33回忌などがあって最後は50年忌だ。
50年経つと、顔や声音やの記憶が全て遺族から消滅し、死者は祖霊神となるのである。


私的な死がそうであるとしても、戦没つまり公的な死の場合は勿論違うだろう。
慰霊祭はずっと続けられていく。


〇本日の午前11時に、市生活環境課から電話連絡を受けた。
坂ノ下区にある某スーパーマーケット駐車場で、午前10時32分に納入業者のトラックタンクから軽油120Lが流れ出た、というものだ。現場に行くとオイルの匂いが濃厚だ。
市職員および消防署員から説明を聞いた。

漏れた原因は
①納入業者のトラックが側溝グレーチング縦断し一枚を跳ね上げ、跳ね上げられたグレーチングがオイルタンクを破ったことによる。
②グレーチングが連結型ではなかったことによる。


市道側溝に流れ出た部分は市が業者に対して対応を指導し、少ないながらも竹田川に流れ出たオイルについては、県が吸着マットやオイルフェンスで対応した。市道側溝内部に残ったオイルについては中和剤を散布し午後にはバキュームを開始した。
夕刻までには匂いも無くなるだろうと思うけれども
①については、グレーチングは横断のためであり縦断したのがおかしい。
②については、予期せぬ衝撃を考慮してグレーチングのボルト連結は不可欠だ。それが不特定客来訪施設の義務であると、ぼくは思う。


07/08/20 (月) 本日は金津地区追悼慰霊祭


昨夕、FBC・TVへ行った。
野外ステージで「楽衆玄達(16日日記で紹介)コンサート」を楽しんだ。

洋楽と和楽のコラボレーションだ。
楽屋でいろいろ説明していただいたのだが、こういうコラボは例えば金沢とか京都のような伝統文化都市ではそれぞれの派が既に権威となっていてむつかしいそうだ。


コンサートが始まった。面白いのでショット・ショットを動画モードで撮った。
しかし安物のデジカメ(中古¥6800エン)なので肝心の手話コーラスは、入り口で電池切れしてしまった。


いい音楽はいい
若い頃ザルツブルグ音楽院でハインリッヒ教授に学んだ私は、クラシックなかんづくモーツアルト以外音楽ではないとかたくなに信じていた。彼の作品ですら、明らかに失敗作といえるものは幾つかある。例えば作品66NO19ロ短調ニなどは彼にしては珍しく技術に走ってしまった作品だ。天賦の才を持った芸術家が技術に走れば魅力が半減することのいい例だ。それは認めるけれどもしかし彼の描く五線譜が世界を創造してきたことを疑う余地は私にはなかった。


けれども、帰国し、福井市片町の飲み屋街をスナック「調べ」を目指して酩酊気分でひとり歩いていた時に雑踏から流れてきた森進一・「港町ブルース」に衝撃を受けた。人生は演歌じゃないか、演歌は厭歌じゃないかと思った。
「いい音楽はジャンルを超える」という実感を持った。
確か27歳だった。
爾来、振り返ってみるとピアノを離れてから新たに私の友となった音の道具には、ガットギター・フルート・木琴・ケーナ・オカリナ・ボーカルといろいろあったが、結論として言うならば、森にこだまするいろんな種類の小鳥のさえずりのように、音とはあるいは音楽とは音源の総合性にあるのではないかと、私は思うのである。


そしてそれを「楽衆玄達」は実践している。
興味のある方はコンテンツ・「風景動画」をクリックしてください。

07/08/19 (日) 日曜日の朝


昨日は土曜日。
曜日に関係なく所用をこなしアナログ受信デジタル発信をしていかなければならない、と基本的には思っていても、やっぱりリラックスした気分になる。
ということで、久し振りに牛を見たくなり三国・陣ケ丘の「ラーバンの森」に出かけた。間近に見る牛の目はとても大きくとても澄み切っている。反芻動物のせいでヨダレを流しているのがちょっと気になりはしたが、同行の親子も喜んでくれた(と思う)。
主人のYさんが、炎天下、大鍋を薪で煮ている。「?」と聞くと、答えは「海水を煮て塩を抽出している」だった。ジェラードの素材として使うみたいだが、「ぼくらは365日仕事・仕事や」の追加言葉が印象的だった。
「夜、ここで馬頭琴のコンサートがある。来ないか」と誘われたが、こちらは手話練習だ。


午後8時半にペアが事務所を来訪しCDを聴きながらの練習が始まった。
練習終えてペアが帰るのと前後してS氏が来訪。同席のA氏と三人で四方山話をしているうちに、大きな古時計が ♪ぼぼおおおん ぼぼおおおんと12時を打ち、別れた。


自宅に帰ると、妻がまだ起きていた。プライベートなことなので内容は書かないが、びっくりするようなとても感動的な話を聞いた。「人間に歳は関係ない。なせばなるや」を感じた。


風呂に入り頭のてっぺんから足のつま先まで体を丁寧に洗った。
購入したばかりの真白なパンツをはき上半身は裸のまま布団に入った。
「9月議会も近づいてきた。いろいろしなきゃならないことはあるけどネバーギブアップで頑張ろう」と、思いながら就寝。


意義のある充実した一日・・・これが昨日の印象だった。

07/08/18 (土) 体調やや不良


午前4時に起床。
事務所に入り、窓を開けると薄暗がりから入ってくる外気はこの時刻で既に冷たくはない。


昨日の昼すぎ、打合せのために福井市へ向かって嶺北縦貫道路を走っていて、車追突現場を通りすぎた。追突されたほうの車の損傷は激しかったが幸い人身事故には至ってないみたいで、同乗者達はうんざりとした顔で歩道にたたずみ警察の車が来るのを待っていた。


事故が猛暑のせいだと言い切りはしないが、これだけ暑いと遠因くらいになっているのではないか。
猛暑の原因も、太陽黒点の運動周期とかフェーン現象とかエルニーヨとかいろいろな説のあるなかで地球温暖化の一因として例えばエアコンの使いすぎなども言われている。
特に都市部の住宅密集地などでは排気がアスファルト路面からの照り返しを受けて温度を上昇させているようだ。


涼を求めて青少年は海へ行き壮年熟年は山へ行く。しかし高齢者・特に被介護の高齢者はひたすらベッドで体を横たえている。
施設入居の場合は温度調整が行き届いているだろうが、自宅介護の場合はいろいろ差があると思う。
「熱中症による死亡」記事を読むと確かに該当者は高齢の人が多い。



〇新聞報道によれば太宰治の「人間失格」が若い人の間で大変に読まれているそうだ。今のご時世を考えるならば結構なことだと、思う。
軟弱人間の私なども一応の子育てを終え還暦を前にしてどうやら青春がえりを始めたみたいで、自己点検の総括は結局いつも人間失格だ。つまり若い人たちにシンパシーを感じるし、当然、漠然とながら死を予感する。
ただし、死の予感がただちに死に結びつくかというと決してそうではない。
死を考えることと実際に死ぬこととの間には千里の距離がある。
死を考えることは自己相対化の作業であって、魂にカタルシスをもたらす効果があると思う。

 07/08/17 (金) 暑中お見舞い申し上げます


8月も中旬。
例年ならば朝夕がめっきり涼しくなり入道雲が鰯雲に変わり秋の気配が忍び寄る頃なのですが、今朝の新聞の一面トップ見出しは「岐阜、埼玉で40.9度・・74年ぶり最高更新」で、昨日も知人が車中に財布を置き忘れるというハプニングがありましたが、連日の猛暑で我々の注意力は散漫になっているのではないでしょうか。
「熱中症による死亡」の記事にも心が痛みます。


みなさん、御自愛ください。



〇昨晩も事務所で手話コーラスのレッスン。
今度FBC・TVに顔を出す(であろう)おばさんペアに、横に居たAくんが「ペアの名前をどう紹介しますか?」と聞いたときの答えは「プリテイ・ガールズにしようかしら」でした。
熱帯夜にもこういう冗談が出るほどに年配の女性達はたくましいのだと思います。



〇はてさてインターネットのいろんなサイトを検索していた今朝、下のアイコン=マイ放送局に出合いました。まだ使い方はわからないのですが、勉強して徐々にアップしていこうと思っています。

 07/08/16 (木) 怖いのはジェラシー


昨日の昼、私の事務所はサウンドが鳴り響きあるいは何人かの人達でごったがえしていた。
先だってのあわら湯かけまつりや創作の森コンサートあるいはCDなどで知っている方もいると思いますが、「楽衆玄達」というプロの音楽活動グループがあって、ボーカリストのYumiさんが昨日の午後に事務所来訪。


歌に手話を添えるためのもので、わからない手話を事前に電話で質問させていただいた福井市内の通訳者Sさん、飛騨山中で避暑中のSさん及びビデオ撮りのために実際にデモをしてくださったMさん、Tさんありがとうございました。


男性だけクリックしてください

07/08/15 (水) お盆中日

お盆恒例宴会ということで、昨晩は福井市内の義兄宅へ行った。数年前までは双方の子供達6人が加わり賑やかなものだったが今は成人しあるいは成人に近くなり宴会に参加せず我々夫婦及び義兄夫婦の四人だけで居酒屋へ。
普段は質素を絵に書いたような生活をしている私だが、昨晩だけは山海の珍味を味わった。
山海の珍味といってもフランクフルト・しめ鯖・鮮魚刺身・豚煮つけエトセトラで珍味と言えるほどではないのだけれども、酒がうまいかどうかの本当の決め手は相手との会話である。
私は芋焼酎「鬼火」を楽しんだ。


親族なので友人達との飲み会よりも節度を持ち例えば政治経済に関しての真面目な会話が続く。
某小の教頭をしている義姉が突然、「同僚から牧田さんの沖永良部島滞在時の面白い話を聞かされましたよ」と言うので、妻が横座の私はちょっとあわてた。
同僚とは私がPTAの役員をしていた時、その小学校の教師だった女性だ。
教師というのは異動をするので、ママこういうことがあるのだなあ、と思った。


十分な睡眠をとり、未明に嶺北縦貫道路を車で走り事務所に戻った。



縦貫道路から眺める山麓はオレンジと黒のコントラストだ。その幻想的な光景で
なにかしら得したような気分になる。
生きていれば時々はいいことがあるもんだ、と思った。

 07/08/14 (火) 昨日に続いて北潟湖を考える

福井県内で三番目の面積を持つ北潟湖。
あわら市にとってかけがえの無い自然である北潟湖。
野鳥が集まり沢山の水生生物が暮らしている北潟湖。
夕陽がみずもに美しく映える北潟湖。
いつだったか愛する人と一緒にほとりを歩いた北潟湖。

北潟湖の浄化は昔からの課題である。
20年程前、北潟区民館で開かれた「北潟湖セミナー」に参加したことがある。
水門が設けられていなかった江戸期、この湖は牡蠣の養殖で大変に有名だったそうだ。田圃の灌漑の為水門が設けられ湖が閉鎖系となったことが汚染の一因だと聞いた。
細長く腰のくびれのような場所を持つので期間限定で水門をあけても水はなかなか循環しない。よってヘドロが湖底に堆積しそれを県が浚渫している。
観音川流域集落の公共下水道工事が未着で家庭用雑排水が流れ込んでいることも汚染の一因だ。
田圃の灌漑に湖水を利用しているのは蓮ケ浦地区及び北潟地区であり、両地区の水利を変えたら水門による閉鎖の必要がなくなり湖水は循環し塩水湖となる。


漁業組合にとってはどうなのだろう。
鯛や鰯や蛸などが獲れるようになるが、季節の風物詩である寒鮒がいなくなる。鯉やメダカや泥鰌やもしかしたら鰻も姿を消す。


〇お盆だ。
ということで、早朝に先祖の墓参りに行った。お袋・妻及び三人の子供達と一緒に行った。線香に火を点けたり花を添えたり水遣りをしたりの子供達3人をみているうちに不思議な気分になった。


三人は同じ生真面目な父母から産まれているし、同じ家庭環境で育っている。
だのにそれぞれの性格はかなり違う。顔つきも又違う。

影響というのは親から子への一方通行ではなく相互に規定しあっていると思うのである。



合掌のあと見上げれば大きい樹木が目に入った。太い幹が奇妙にねじれている古木だ。
何百年もの間、人間の営みを黙って見続けてきている。人間の崇高さや人間の愚かさを熟知していることが木肌への感触でわかる。
私の死生観は即物的で「死ねば死にきり」なのだが、仮に輪廻転生があるとするならば、木に生まれ変わりたいと思った。

07/08/12 (日) お盆間近

昨日の深夜ラジオから、栗林中将で有名になった「硫黄島玉砕」の元海軍通信兵・秋草氏の戦場体験談が流れていた。内容はすごいものであった。
指や足を吹き飛ばされ炎熱地獄や飢餓と戦いながらの最後の総攻撃までを語るその語り口は淡々としており、氏の豪胆さを感じさせる。


先日、妻と晩酌をする機会があった。
「本来、男は家庭や恋人を守るために戦うものや。本能としてそれがある。それを敷衍すると男たちは国を守るために戦う本能を持つということになる。
戦争がいいとは思わないけど、戦前の軍国主義は男たちのあるべき姿を伝える媒体だったと思う。今の若いひとたちの社会問題化している部分は、内なる敵を具体的な姿として見出せないことによるイライラからくるんではないか」と、妻は言う。


マッカーサー元帥によって戦後日本統治の枠組みがほぼ完了した昭和24年に生まれた私は典型的な団塊の世代である。戦後民主主義の申し子として育った世代であり、逆に反米というかたちで’70年前後の運動の中核になった世代でもある。
9歳年下で明らかに時代感覚を異にする妻は、我々団塊の世代を、大仰な言質を使いながらも足元に地のついていない子育ての鈍い世代である、と言う。


確かに私なども好きなこと以外には興味を示さないバランスの欠けた人間だ。
知らない人と積極的な人間関係を結ぶことの下手な臆病人間だ。
しかし、不思議なことがある。
一日を終えて布団に入りうとうとし始める時、いつも戦う夢をみるのである。
仮想敵国を作り、武器を持った私は老骨に鞭打ちながら原野を走り回っているのである。
全ての男たちは、それが潜在的なものであるとしても、戦うことに価値を見出そうとしているのかもしれない。

 07/08/11 (土) 昨晩

妻子が車で大坂にでかけ、夕刻のぼくはシシャモでひとり晩酌を楽しんでいた。
傍らのTV番組が、今評判の「太田総理」に変わった。初めて見る。
テーマは「米合衆国による広島・長崎への原爆投下の賠償責任を問うべきかどうか」で、是とする側と否とする側が左右に別れブレーンストーミングのようなかたちで討論が進んでいく。出演者は多彩な顔ぶれで、話したことのある国会議員もいた。

「非戦闘員に対する殺戮は明らかな国際法違反であり責任追及は当然である」が論調の太田側陣営に対して、中国人大学教授が「日本軍による重慶への絨毯爆撃はそれ以上の死者を招いた。しかし新生中国は請求権を放棄した」と、言う。
更にじわり語り派の石破茂が「お互いの賠償責任放棄は戦後に調印されている。これのフィードバックは限りない混乱を招くし現実的に不可能だ」と言う。
太田側は「混乱を通るとしても民間人殺戮の詳細を検証することが戦争への憎悪と戦争抑止につながる。それをうやむやにしたままが戦後社会の状況であったのではないか」と、反論する。


昔、鈴木明著・「南京大虐殺の幻」を読んでその真偽にとまどったことがある。
けれども、森村誠一著・「悪魔の飽食」を辟易しながら一晩で読んで、満州における石井部隊の非道は確かだと思った。
米の原爆製造は「マンハッタン計画」と呼ばれているが、その仕掛け人が異常な功名心を持つ男であり結局はその男が大統領を動かした、と何かの本で読んだことがある。
昨晩のTVによると、「原爆研究開発費20億ドルを無駄にしてはならない」という米内部の声があったようだ。その声が「原爆投下が本土決戦を防いだ」という原爆投下正当化の思いをいまだに米国民に浸透させている。

石破vs太田で、「侵略を防衛する為の軍隊の力は必要だ」という(ぼくなどもそう思っている)石破論に対して、「侵略側防衛側という図式がきっちりとしてあるのか。そこには必ずほころびがありそこから戦争と戦争による狂気が拡がる」と力説していた。


TV討論の続くさなか、手話サークルの会員から電話が入った。「元会員・神奈川在住の聡子さんが里帰りしてるよ」と言う。
そおおか、もう里帰りの時期なのかと思い、三人で夜間ドライブをすることにした。
三国の海岸沿いを走った。砂地に降りて見上げる星空も良かったが、遠くにイカ釣り舟が並びその舟が発する光が美しかった。
〇今朝、友人のKさんが娘・なっちゃんを連れて事務所来訪。今からアイスクリームを買いに某スーパーへ行くという。私も同乗させてもらい、ウイスキー「端麗原酒」と「フライドチキン」占めて¥930也ーを購入した。
土曜日の午後、ということでひとりちびりちびりやりながら、好きなこのブログを読んでいる。

 07/08/10 (金) 脳ドックをきりぬけて

猛暑が続き、昨日昼の炎天下でのエンジン付き刈払い機(世俗的には草刈り機と呼ばれている)による雑草取り汗だらだら作業中に大変に馬鹿な失敗をしてしまった。それを友人2人に言ったところ大笑いされ自己嫌悪に陥り、加えて側頭部の頭痛や咽頭部の異和感も収まらずそのうちに脳ドックの検査予定日の本日を迎えてしまったが、脳ドックは脳毒と発音が同じで脳と毒の間に梅をいれると20代の頃、おそるおそるその検査のために保健所に行った時の嫌な思い出が頭をよぎり、
「思うところあって、日記をしばらく休みます」と書いて日記をしばらくの間、夏休みにしようと思ったのだけれども、検査終了後の写真説明では「全く異常なし」の判定だった。
加えて数字に対する判断力テストでは「年を考慮した時、実にしっかりしています」と言われたし、文章を読み記憶するテストでは「久し振りに満点が出ました」と誉められつまりお墨付きを頂いたので再び元気がよみがえり日記を続けることにした。

 07/08/09 (木) 昨日の一日福商惜敗・阪神大勝

午前中は高校野球をTV観戦していた。福井商業、一応は惜敗といっていいんだろうが、ドンマイドンマイ勝負は時の運だ。勝つ時もあれば負ける時もある。だけど選挙はちょっと違う。

昼前に、今回の参院選民主党の選挙区候補者だった若泉氏が事務所来訪。
ぼくは僅差の惜敗に改めて悔しさを感じたのだが、本人はエネルギッシュだった。
誰であれひとは前向きであるほうが相手に好感を抱かせる。

夕刻、「あわら湯かけまつり」の開会式へ行き、終ってから帰宅。
夕食を終え「さあそろそろ寝ようか」と思っていたところに某氏から電話。再び会場に戻った。
神輿に湯をかけるサマも面白かったが神輿の通り過ぎたあとのやや森閑となった路上がよかった。
路面が水で濡れている。打ち水で盛夏の夜に一服の清涼剤を飲んだような気分になった。

 07/08/08 (水) 深夜に

昨日は芦原観光会館で戦没者追悼式典が開かれた。来賓の方々の挨拶は先の大戦つまり日中・太平洋戦争に力点が置かれていたし時代の距離感から印象としては当然そうなるのだけれども、戦没者は日清・日露・第一次・第ニ次世界大戦全てを含んでいると思う。

若くして散った命に対する哀悼とともに銃後の兵士たちの苦しみ悲しみも偲ばれる。
数年前、読売新聞社編集部編「BC級戦犯の記録」を読んでその裁判経過に改めて驚いたのと同時に遺族が戦後を社会の片隅でひっそりと生きることを余儀なくされてきたことへの理不尽さを感じた。
フランキー堺主演の映画「私は貝になりたい」は、BC級戦犯の悲哀を描いた不朽の名作だ。

若かった頃の暑いふた夏を、淡路島離島の国民宿舎のアルバイトで過ごしたことがあるが、温厚篤実を絵に書いたような宿舎管理のおじさんが中国大陸での戦争体験を語る時「戦争は人を狂気にさせる」と思った。

70年代に米大陸で麻薬吸引が流行ったのはベトナム戦争に行った米軍兵士達が麻薬を持ち帰ったことによるものとされている。殺されることに対する恐怖殺すことに対する恐怖からひとは狂気になりあるいはならないことにはどうしようもなくそれを和らげるための処方としての麻薬吸引だったと思う。

大岡昇平原作の映画「野火」を中学生の時に見た。洞窟のなかで兵士達が食事をするシーンで食事の中身が人肉であることが暗示される。逡巡しながら皿を持つ兵士達のどんよりとした眼が怖かった。


♪福井商業校歌

昨日は残念ながら負けたけれどもセパ交流試合以降の阪神タイガースは好調で、リーグ優勝も可能というところまできたこの時期、恒例の高校野球甲子園大会が始まり、福井商業は開会式直後の第一試合に登場する。
某焼鳥屋の息子でキャプテンのKくんはスポ少時代にうちの息子たちとチームメイトだった時期があるので、この試合だけはTV観戦しようと思っている。

  07/08/07 (火) きょうも暑くなりそうだ
金魚の昼寝

赤いべべ着た
可愛い金魚
おめめをさませば
御馳走するぞ

赤い金魚は
あぶくを一つ
昼寝うとうと
夢からさめた


入荷した金魚は二匹。白と赤のツートンカラーで可愛い。昨晩来訪した同僚議員が「二匹とも雌」と言うのでとりあえず一匹目に愛する妻の名をとり「トミコ」と命名した。
二匹目の名はまだない。

〇昨日は久し振りに時間的なゆとりができたので、某氏とともに坂井市三国町の某寺院を訪ねた。住職とは旧知の間柄だ。
その寺院には高見順の墓がある。高見順は若い頃の一時期夢中になったことがあるので墓をみていると小説の断片が頭をよぎる。
墓の前で住職は「千の風になってという唄が流行っているが、それは霊が成仏できずにこの辺りをさまよっているということでありよくないことだ。死ねば一切が空(くう)なのです」と言う。
墓所全体を歩くと、戦死者の墓があったり、亡妻を詠んだ小唄が刻んであったりで檀家衆の思いいれが濃厚だ。
「死体は語る」という本があったけれども、「墓は語る」でもあるのである。

  07/08/06 (月) 昨日の日曜日及びきょうの朝及び金魚のこと

〇広島に原爆が投下されたのが昭和20年のきょうだ。
「黒い雨」や「はだしのゲン」や「広島ノート」などで人類史上最大の悲劇は語り継がれているし語り継がれていかなければならない、と思う。
記念碑には「くりかえしません。この過ちを」の刻み文字があってその主体が誰なのかが問題になった時期がある。
日本軍国主義なのか?米軍なのか?日本国民なのか?全ての人類なのか?で議論があった。
戦争勃発の引き金は現象として確かにあるのだけれども、その背景・遠因をたどるならば、大抵の場合、糸が複雑にからみあっている。そして戦勝国か敗戦国かで正邪が分別される。
しかし広島長崎に原爆を投下したのが、民間市民数十万の命を奪ったのがあるいは後遺症の苦しみを与え続けているのが米合衆国であることは紛れもない事実である。
米大統領は独・ドレスデン空爆で沢山の民間人の命を奪ったことを、現地のメモリアルで謝罪した。しかし今だ広島へは来ていない。黄色人種に対する蔑視感が底流にあるのかもしれないが、謝罪に来日することは当然すぎるほど当然だとぼくはいつも思っている。

昨日の昼は、福井市内にて打合せ。
相手夫婦は20年程前まで一緒にいろんなことをしていた仲なので、その頃の共通の知人の消息話も出てくる。「風の便りだが、誰某が胃癌だそうです、誰某が肺癌だそうです」とか聞かされて暗澹たる気持ちになった。

しかし考えてみると我々の世代は既に半世紀以上も生きているのだ。公私共にストレスを受け続けてきており我身自身にも心配が及ぶ。
今でこそ規則正しい生活を送りあるいは意識して花鳥風月を愛でる生活を送っているが、若い頃はかなり無茶な生活をしていた。暴飲暴食と夜更かし麻雀が友だった。
そのツケがきていないかどうかということで、近いうちに脳ドックに入る。

夕刻に息子を送り迎えしたあと、六日区へ。
伝統行事「竹くらべ祭り」が開かれている。
この区は私にとってなじみの区なので、屋台テーブルでビールジョッキーをあおっていると横から後ろからいろいろ声がかかってくる。
「本陣飾り」が公開されていたが、この区と新区は保存コーナーを持っている。えてしてそういう区の飾りは大変に上手だ。

やや酩酊した頃、ふと友人の顔が頭に浮かび手土産としてかき氷を買った。それを届けてから竹田川河畔をひとりぶらぶら歩きながら自宅へ帰った。
時折サカナのはねる音が足元から聞こえてくる。
闇のなかでは聴覚が研ぎ澄まされるのである。
〇本日は未明から事務所の大清掃をしていた。最近来訪客が多くなり、応接に礼を失することがあってはならない、と思ったからである。
コンビニでインスタント珈琲「ゴールドブレンド¥398也ー」を買ってきた。洗剤で床を一生懸命磨いた。ついでに茶碗や皿や歯を磨いた。
清掃を終え東の空を見上げると、山麓から登る朝陽が真っ赤だ。
輪郭が燃えて揺らいでいる。

なんとなく嬉しくなったぼくは自宅裏の竹田川まで歩いた。
河畔にいずかり一服した。Qくんからのもらいもの煙草・マイルドセブン3mgである。
目の前をつがいの鴨が泳いでいる。目と目を合わせながら泳いでいる。
「鴨はつがいで相思相愛なんですか?」と、組頭先生に聞こう、と思った。

背後の土手を早足健康種族が歩いてくる。時折「おはようございます」と、のんだくれのぼくにも声がかかる。
早朝はとても魅力的な時間帯だと、思った。

〇メダカ探しを諦め、金魚を入荷しました。事務所玄関脇に置いた火鉢水槽の中を気持ちよさそうに泳いでいます。Kさん、いつでも見に来てください。


■07/08/05 (日) 東京オリンピック

昨日、福井市内での小住宅設計の打合せを終えて自宅に帰った午後9時半、焼酎ひとり晩酌の傍ら見るTV画面は昭和38年の世相を写し出していた。

東京オリンピックの前年が昭和38年であり、私は中学3年だった。だけど私はこの年の流行り唄「高校3年生」をいつも口ずさんでいた。
東京オリンピックは、私が手に汗を握って見た最後のスポーツイベントであり、市川崑監督の映画「東京オリンピック」のハイライトシーンは今もアタマの中に鮮やかに残っている。

昨晩のTVはその会場や宿舎となった施設の設計に全力を投入していた建築家たちのスケッチであり、今はもう大御所である丹下健三・神谷宏治・菊竹清訓が出ていた。
代々木国立競技場の設計を終えた丹下が極度の疲労により半年間を病院で寝込んでいたというエピソードは大変に有名である。

敗戦国・日本が劣等感を払拭するためにその技術の粋を集めて立ち上がった象徴が「東京オリンピック」だったという言い方ができただろうし、ウブな牧田少年も又地上に何かを作ることが生きることだと思っていた。

東京の街の変貌と軌を一にして日本は技術立国への道を邁進し始めたのだが、しかしものごとには光と影がある。ジュデイー・コリンズなのである。
技術文明への過剰な思い入れが結果として歴史文化や道徳を軽視してしまった。
ソフトよりハードという選択には落とし穴が必ずある。

江戸が終わって明治時代となり殖産興業が始まったときには「和魂洋才」というチェック言葉が働いていたのに、この時はムヤミヤタラの感があったし、そのことが5、6年後に起こる学生運動への伏線となっていた、と私は思う。
○本日の午前6時から、「エンゼルランドふくい」において、嶺北消防組合主催の消防総合訓練が実地されました。

■07/08/04 (土) なんとなく鬱

昨日の午前中は全協(全員協議会)が開かれた。
金津雲雀ケ丘寮・増築工事に関する質疑応答と「あわら湯けむり創生プロジェクト」のなかの特に湯のまち駅前多目的用地活用のひとつとしての「屋台村設置事業」に関する質疑応答がメインだった。
「屋台村設置事業」に関しては、全協終了後の控室でも、慎重論から積極肯定論までの振幅のなかでいろんな意見が相次いだ。

確かに公金の補助を受けての事業であり結果を問わない訳にはいかないし、そういう意味で慎重論者の意見もよくわかるけれども、、そもそもが事業には全てリスクが伴うものであり、又現状打開のための若い人たちが汗を流しての第一歩であることを考えると積極的に支援したい気分になる。

 ■07/08/03 (金) 東の空が白み始めてきた

昨日から♪を「千の風になって」にして何度も聴いている。
小田実が亡くなり阿久悠が亡くなりつまり風になったから偲ぶ気持ちで聴いている。

小田実に関してぼく自身はそんなに著書を読んでいないし、若干なじめない部分もあったけれども、市民運動家として特に団塊の世代にとっては有名人だった。
どこかで一度だけ演説を聴いた記憶があるが舌のまわりは半端なものではなかった。

作詞家としての阿久悠というと真っ先に思い出すのがピンクレデイの唄の数々だ。
あのいかつい顔のどこに繊細な部分が隠れていたのかは知らないが、作曲の立場でコンビを組んでいた都倉俊一の、訃報を聞いて涙するTV画面が印象的だった。

ぼくは、「ひとは死ねば死にきり」と思う即物的な人間だけれども、本人とは関係ないところで思い出が舞う。それがつまり風なのだろう。

もっとも強かった風はちょうど30年前に友人が自殺した日の晩に吹いた。
幾星霜で体の震えなどは消え微風となってはいるけれども印象は今でも鮮やかだ。
○昨日夕刻に事務所を訪れたKくんが、「新聞に市長の副市長人事に関するコメントが載っていたよ」と言う。新聞を読んでみて思ったのだが
市体制の安定を考える時、副市長人事は確かに大切だ。
イエスマンであっても駄目だし距離があってもよくない。腹蔵なく話し合える間柄のひとというのは、結局、市長自らの感性で選ぶ以外にない、と思う。

07/08/01 (水) 有志議員の方々へ きょうです


世にコレクターと呼ばれる種族がいる。
知人の建設会社社長・某氏がそのひとりだった。
昨日、所用を終えての帰りに某氏事務所に寄った。事務所自体が移築した白壁の蔵であり、骨董美術の類をいろいろ見せていただいたが、圧巻は大倉庫に眠る珍品といえば珍品、ガラクタといえばガラクタの数々だった。明治・大正・昭和の世相を彩る広告ポスターや鉄人28号などのおもちゃ。風呂屋の番台や郵便ポスト。奥にはジャガーなどの舶来自動車やオート三輪・ミゼットなどの国産自動車がずずずーっと、並んでいた。


レトロ・ミニ映画館もあった。
武生市内の映画館を解体した時に持ち帰った舞台・スクリーン・座席の数々・車寅次郎主演「男はつらいよ」歴代マドンナたちのポスターの数数(昔の女優は綺麗だったんだねえ)。
某氏はBGMとして年代もののレコードを年代ものの蓄音機でまわしてくれた。


コーナーを歩くと、古民家を解体した時の建具が並んでいた。その数ざっと1万2千点だそうだ。


同行女性が感激のあまり(かどうか知らんけど)、「わたし、この倉庫のなかで死んでもいいわ」と、言う。
唯物論の立場で考えるならば、死体は確かにガラクタだ。
しかし、白骨化するまでに異臭を放つのがちょっとまずいのではないか、と私は思った。