2007年09月


07/09/30 (日) 9月最終日


決して清潔・綺麗とは言えない私の事務所だけれども、ひとがよく来る。
応接することは議員として当然であり、昨晩は数人が集まった。


で、テーマが市役所ホームページ掲示板・「市民会議室」の件となった。
統合vs二中維持で論議の応酬があり、結局は個人中傷が入り込んでの荒れ状態となり閉鎖を余儀なくされたことに話が及んだ。9月議会の一般質問でも、誰だったかから、市民会議室を再開するつもりはないかとの質問が出た。これに対する市長答弁は「荒れないカタチでの会議室再開を模索している」というものだった。


「あの閉鎖は大変に残念だった。市民が市政全般にわたって意見を述べることのできる数少ない手段だった。管理苦労はあるだろうが、是非とも再開してもらいたい」との意見が昨日の集まりでの集約点のひとつでもあった。

07/09/29 (土) 土曜日の昼下がり


本日は湯のまち公民館で「福祉祭り」。
現役を遠ざかりつつある身ではあるけれども、式典や体験発表の手話通訳をある程度こなした。


本日の体験発表者が「初対面の人と交わることのできない」自分の精神病理を述べていた。通訳しながら思ったのだが
正常ー病理の境界線はわからないけれども、「初対面のひとと交わることのできない」こと自体は不思議でもなんでもないことだ。うまく交わることの出来るひとは自然体を持っている。


私などは大変に下手なほうで、それはシャイだからなのだけれども、そういう人の初対面発語はものの本によれば二通りあり
①(気持ちとは裏腹に)おべんちゃらを言う⇒①は商売をしているひとに多い
②(気持ちとは裏腹に)けなす⇒②はひとり仕事をしているひとに多い
だそうだ。
この説からも私は②のタイプに属する。


式典・体験発表会が 終了し昼飯をとったあとは野外のテーブルで談笑。
車で来たのでビールを飲むわけにもいかずもっぱらおにぎりを頬ばったり大福餅を食べたりしていたのだが楽しかった。
座が楽しくなるかどうかの決め手は飲み物や食べ物ではなく談笑の相手である。


07/09/28 (金) 本日は広報編集委員会

昨日の朝、所用で某氏とともに金津高校へ行き、教頭と会った。教頭は、十数年前に私が金津中のPTA会長をしていた時のPTA担当教師だ。
なつかしさで四方山話が進んだ。


夕刻、珍しいひとが事務所を来訪。
「うーん、ここが噂のアジトですか」と、言う。
アジトじゃなくてサロンなんだけどなあ。


夜は手話の勉強会となり何人かが集まった。
夕食をとらないでの熱心な勉強会となったので、「おなかがすいた」と皆が言う。
「出前を注文したらいい。すべて私がおごるから」と、対女性専用常套句で鷹揚なところをみせたのだが、いざ数店に電話をしてみると答えは「不可」。考えてみると夕食時間をとっくにすぎての出前などするはずがない。仕方なくインスタントラーメン数袋を冷蔵庫に残っていた卵で割って食べた。


「腹が減りゃなんだってうまい」は食欲に限らず真実だ。


ところで9月29日に開かれる福祉まつりのコーナーで、サークル「水仙」が手話コーラス「翼をください」を手話指導するはずだ。この唄は「風景動画」⇒「ブナの森コンサート」のクリックで一部を聴くことができます。



昼、たまたまつけたTV画面は大相撲力士急死事件での父親記者会見の模様を流している。
記者(特に女性記者たち)の、「その時のお気持ちはどうだったのですか?」という執拗な質問に対して父親が絶句するシーンが何度もあった。
「くやしい」「悲しい」「仕返しをしたい」といった予想される言質を引き出すのが記者たちの目的でそれが仕事といえば仕事なのだろうが、およそ一般のひとが発することのできる言葉ではないだろう。
父親は「思い出せない・・というか思いを封印しています」と再三述べていたが、感情の極度な高まりは言葉を隠す。


仮に私が父親の立場だったとしたら
「あんたらバカか。子を持つ親の気持ちはみんな一緒に決まってる・・・」とだけ言って、即座に退席したと思う。

07/09/27(木) サークルの皆さんへ 本日は例会です


福田新内閣閣僚名簿が発表された。
町村信孝(このひとの先祖は確か越前町出身)が官房長官になったことにキングメーカーの思惑が働いたのは間違いないだろう。
選対委員長ができたことで今までの3役体制が4役体制に変わった。当然幹事長の権限が小さくなる。揺れやすくなるのではないか。
石破茂の再登場は注目だ。
山谷えり子首相補佐官の再任は、あわら市にとっていいことである。


特措法の扱いについては米の影響が働くが、来年は大統領選挙の年だ。民主党・ヒラリーの登場が巷間の噂としてある。影響力は変わるはずだ。


福田内閣のアジア外交姿勢がとりざたされているが
日中関係は2000年の歴史を持つ。日中戦争も毛沢東の登場も江沢民の反日キャンペーンも内実は重く十分な検証が不可欠であるとしてもそれはそれとして敢えて言うならば過去は過去でありこれからの良好な日中関係の構築は大切だ。
周恩来エピソードによれば日中国交回復の願いは人種産別の撤廃と貧困の撲滅のふたつにあったそうだ。独ではなく広島・長崎に原爆を投下した背景に白色人種の黄色人種に対する差別意識があったことは確かだ。
毛沢東の文革を批判した例えば「ワイルドスワン」などに出てくる周恩来の動きはとても好ましいもので、写真の貌からもそれが伺える。


先日、某元国会議員と食事をともにする機会があったが、予算審議の関係で解散総選挙は来年春になるらしい、と聞いた。

07/09/26 (水) 明け方に


昨日は、夕食のあとに竹田河畔を歩いた。あおむけに寝転ぶと月が出ている。丸く大きくまさに中秋の名月だ。
ひとりで見るのがもったいない気分になり南金津某地区に行った。
雲の合間に顕われるシャッターチャンスをうかがっていたのだけれども、デジカメのカード充填を忘れたので撮ることができなかった。
残念だけど、そのかわりに昨日昼に独撮した宮谷石切場跡をUPしました。




昨日お袋から、「知り合いが戦時体験の本を出した。時間のある時に読んだら」と言われた。お袋の長兄の遺骨は今だ帰ってきていない。
You Tubeで、以下の映像を見た。英語版でも映像だけで説得力がある。
核は勿論通常兵器であろうと戦争の悲劇のひとつは多くの無垢な市民が殺戮を受けることにある。
地獄の炎の中で悶え苦しみながら殺されていったひとたちに自らを重ね合わせるだけの想像力を我々は持つことが出来るのかどうかわからないけれども少なくとも努力しなければならない。

東京大空襲
http://jp.youtube.com/watch?v=5yJLhZescY8&mode=related&search=
広島原爆投下BBC
http://jp.youtube.com/watch?v=i3fmPaWyA7U
ビキニ諸島核実験
http://jp.youtube.com/watch?v=-l6Q8Q1smwg&mode=related&search


07/09/25 (火) 本日は中秋の名月


昨日の朝、知人来訪。4月末の市長選以来久し振りに顔を合わせたことになる。
選挙戦の裏話を聞かされた。驚くような話を沢山聞かされた。勿論このHPに書くことはタブーである。噂話として書く類のものではないし、書くならば証明手形を出すことを前提としなければならず第三者に迷惑がかかるからだ。
全体に私はアンテナが低く、相手の動きの背景を読み込む能力に欠ける。というよりも興味がない。だからこそあとでそういう話を沢山聞かされるのかもしれないのだが。


昨日昼のTVはオウム真理教・地下鉄サリン事件のビデオを再放送していた。教会No2だったかNo3だったかの村井が路上で刺殺されるシーンを見て10数年前が改めて思い起こされたのだけれども、あの事件が日本社会の質的変化の契機となったのは確かだろう。


あなたは誰か(何か)に対して自我の一定の部分を差し出し、その代価としての「物語」を受け取ってはいないだろうか?
私たちは何らかの制度システムに対して、人格の一部を預けてしまってはいないだろうか?
もしそうだとしたら、その制度はいつかあなたに向かって何らかの「狂気」を要求しないだろうか?
あなたの「自律的パワープロセス」は正しい内的合意点に達しているだろうか?
あなたが今持っている物語は本当にあなたの夢なのだろうか?
それはいつかとんでもない悪夢に転化していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないのか?
             村上春樹著「アンダーグラウンド」から

 07/09/24 (月) 朝の空はどんよりとしているが


絆(1)手
http://hisasouseki.hp.infoseek.co.jp/kizuna-1.html#flash
絆(2)灯り
http://hisasouseki.hp.infoseek.co.jp/kizuna-2.html#flash
絆(3)笑顔
http://hisasouseki.hp.infoseek.co.jp/kizuna-3.html#flash

絆(4)I love you
http://hisasouseki.hp.infoseek.co.jp/kizuna-4.html#flash




インターネットで上記リンクを涙滲ませながら拝見してから再び検索。
秋葉広島市長及び田上長崎市長からの要請文に対して山崎拓代議士が答えている。
http://www.election.ne.jp/10008/24121.html


北朝鮮核実験成功を是認する理由が述べられているわけだが、この論法はおかしいと思う。実験直後の各国の反応にはあの実験が成功だという北朝鮮側の発表に対して懐疑感があったはずだ。それはともかくとしても
核の実際使用あるいは抑止力としての核使用を実効性あるものとするための通過点が核実験成功だ。国際社会の真剣な対応の惹起以上に周辺諸国民の恐怖が惹起される。
山崎代議士の言う国際社会とは政府首脳あるいは防衛関係首脳を指していて、後者の感情を無視している。

07/09/23 (日) 日曜日の昼下がり


昨日の事務所来訪者は多かった。朝の8時過ぎに起こされて最後の来訪客が帰った時、時刻は夜の12時を過ぎていたと思う。


9月議会が終了したからだろう。
新聞紙上に出る記事の背景にあるものが何かを聞かれたり、一般質問や常任委員会での質疑や答弁の真意がどこにあるのかを聞かれたり、個別の議員のひととなりを聞かれたりいろいろさまざまだった。問われるまま、私は過剰な思い入れをせずに自然体で答えた。
言動特性の面で嫌さを感じる議員も勿論居る。それに応じて私自身も嫌われているのだろうが、議会も又衆愚世界だということだ。


どちらかというとこのHPでもそういうスタイルでの克明な文章化を試みたいと思うことはあるけれども、プロの物書きでない私にその才能はないしややもすると個人攻撃にもなりかねない。
HPとは別にフェイス・トウ・フェイス感覚での発信ができるような選択肢を考えていかなければならない、と考えている昨今です。
〇白鵬が優勝した。
優勝賜杯授与のあと、内閣総理大臣杯の授与があった。午後5時半、代理者は「内閣総理大臣・安倍晋三」と読み上げている。しかし自民党新総裁は選挙によって本日の午後3時前後、福田康夫に決定した。自民党総裁=内閣総理ではないのだから、現時点ではダブルスタンダードでいいのかもしれない。となると安倍は総裁を辞職して入院しただけであって総理を辞職していないことになるのだがややこしい話だと思う。

〇ぎょっとするようなブログを小野寺光一ウエブサイトで見た。
「前略・・・ただ、もっと掘り下げていえば、 ユダヤ金融は、おそらく、森自体もだましているのかもしれない。 <森派という寄生虫派閥から出た首相の特徴> 森―小泉―安部と続く、この3代の首相(すべて森派)は、特徴は 1 本人が、頭が悪い。森は「サメの のうみそ」を持つといわれていたが 森は早稲田にラグビー推薦、小泉は慶応に裏○入学、安部は成蹊に小学校から入っているため試験を経験したことない。 2 小泉はリタリンを投与されており、精神病であった。(精神病でない限り、リタリンは 処方されない。しかも治るわけではなく悪化する。リタリンは、覚せい剤に類似した 化学物質であり、幻覚や「衝動的にぶっ壊す」という破壊的衝動を助長する。 。・・・後略」

ホントであるようなウソであるようなようわからんけれども、公開されているので、コピー⇒貼り付けをしました。


ただし私自身は森元総理が国会答弁で「日本は神々の住む国」としゃべったのは、結果としてマスコミから袋叩きに遭ったのにも関わらずあるいはそのことで首相生命を短くしたにも関わらず正しい答弁だったと、今でも思っている。
大和朝廷を正当化し万世一系としての神の系譜を謳った記紀に拠るものではなくて、それ以前のアニミズム世界に跋扈する八百万の神々を指した答弁だったと今でも信じている。



うーん・・・、記紀が出たところでわしはなんかいろいろ書き続けたくなってきたぞ。
日本が世界に誇る長編小説の定番と言えば紫式部の「源氏物語」だろう。
しかし色男が美女を口説いたり美女に口説かれたりする話など世にゴマンとある。その男女の機微に宮廷社会の繊細さひいては日本文学の高尚さがあると識者学者たちがいくらのたもうたところで庶民に伝播するものではない。好事家インテリの愛玩図書の域を出ないだろう。
早いはなし、若かった頃に「源氏物語」をひもといて、古典和語の難解さにアタマがパニックとなってしまった。3ページほど読んだところで放り投げてしまった。


しかし「平家物語」はいい。
先ずは、冒頭の「祇園精舎」が我々庶民の胸を撃つ。涙が出る。
清盛の嫡男・重盛は「忠たらむと欲すれば孝たらず 孝たらむと欲すれば忠たらず」と、親父・清盛vs後白河法皇のハザマでもがき苦しみながら死んでいく。
次男・宗盛は、「壇ノ浦合戦」でなまじ水練の達人であったがために源氏方の捕虜となり、冷徹な軍人・源義経の策略で生首と化す。
残った平家の総帥・資盛は「壇ノ浦合戦」で平家滅亡が必至の情勢であることを悟った時、乗っていた舟を掃き清めたあと、「見つべきことは見つ はっはっはっは」と豪笑しながら海に身を投じたのである。
この「見つべきこと」の解釈として、平家の最後をさすのか、世のことわりをさすのかの二説があるのだが、わしは勿論後者だと思う。でないと冒頭の「祇園精舎」につながらない。


そしてやね。
この「平家物語」に伍していいのが「記紀」だと思うのである。
わしには「教育再生会議」の中身の功罪はよくわからない。よくわからないのでそれは別として、義務教育の国語の教材に「記紀」を是非とも取り入れてほしいと思うのである。

07/09/22 (土) 9月議会終了


昨日で9月議会が終った。
次回12月議会(12月3日開会予定)が「新市建設計画変更」の扱いに関する焦点となるのは間違いないだろう。10月11月も議会関係スケヂュールが満載だ。


7月組織議会で所属する委員会が代わったので初めて「産業建設常任委員会」に臨んだ9月議会でもあった。


今議会を振り返ってみると「金津雲雀ケ丘寮増築工事」入札結果報告に伴う議会承認が懸案事項のひとつだった。
入札制度検討委員会が「最低入札価格」を設定したことをおかしいと指摘する声が全協内部であったけれども、私はそうは思わない。
競争原理は勿論必要だけれども、しかし破壊価格に近ければ、納品材料や仕事の質あるいは仕事に対する丁寧な姿勢が損なわれてしまうリスクが出る。今回の建物は福祉施設だという意味でもその辺りの配慮が必要だ。

07/09/21 (金) 寝違いで 首が痛い


昨晩は、坂井市内某寺院にて住職及び檀家衆との打合せ。
建築技術者としての意見を求められいろいろしゃべった。

檀家衆の殆どは高齢者で、今風に言うと後期高齢者に属する。親父お袋の世代だ。顔の皺には人生の経験が刻み込まれている。


話の焦点はバリアー・フリーに移った。
手押し車を使っての動きや車椅子での動きあるいはトイレの構造などを十分に吟味する必要がある。
身体障害者用トイレを、お参りに来た人専用のものとするのか地域に開かれたものとするのかの論議が始まり、傍らで聞いている私には興味深かった。

座のなかで私は最も若いうちのひとりだったけれども、老いていくうちに体に不自由や障害ができていくのは自然なことなのだと改めて思った。
もっと言うならば我々は全て潜在的障害者なのである。


打合せを終えて事務所に戻ると何人かのひとが集まって会議をしていた。私は会議には加わらず、傍らの設計コーナーで打合せ事項の資料編集にせいを出していた。
みなが帰ったあと、私も自宅に戻り残っていた親子丼を食べた。焼酎を飲まなかった。禁酒励行3日目である。
もともとが人付き合いとしての飲酒は苦手だ。ほろ酔い気分になりひとりいろんなことを想像することが楽しいという理由で飲む。


白玉の歯にしみとほる 秋の夜の.
         酒は静かに のむべかりけり   牧水
   なのである。


禁酒3日間で十分な成果をあげた。健やかな体が戻ってきた。本日をもって解禁日としよう。

今朝は、起床して熱々珈琲を飲んだあと山十楽方面へ車を走らせた。




←柿原台地を遠景で撮る。
故坂本豊先生が「あれは土塁でしょう」と言っていたのを
思い出した。そういえばこの台地には多賀谷左近の墓がある。
なお、柿原の語源は欠け原で崩壊地名に属する、とものの本で読んだことがある。


←秋桜が咲き誇る季節となった。
往年のアイドルで「秋桜」を大ヒットさせた山口百恵は今どうしているのだろうか。


←ハサに使った丸太を収納している場所。
私の最も好きな風景のひとつ。


←行く手に瀟洒な建物が見えてきた。
知る人ぞ知る有能な建築家が設計したとの噂がある建物。

07/09/20 (木) 無題


少女が父親を手斧で殺害するという猟奇的な事件が起こると、どうしてもおぞましい気分になるし、昨日の来訪者達とのあるいは自宅での話題もそれに終始した。


子が親を嫌うのは別に珍しいことではないし、反抗期の通過が成長のあかしであると心理学は訴えてきたけれども、「殺したい」という思いと「殺す」という行動の間にあったはずの千里の距離が縮まったのは事実だろう。


で、某識者は
世代交代がぎくしゃくしていることをその理由に挙げる。
例えばぼくら団塊の世代が戦後復興の担い手として外でしゃかりきになり内に向けての言葉が少なくなってしまった、と言う。
バトンタッチがうまくいかなければ断絶が生じるし、それぞれが内面にこもりやすくなる。その動きを促進した典型が携帯電話や携帯メールだ。


ぼくら親たちは、こども達のこういう通信機器頻繁使用を苦々しく思ってはいるけれども、問題はぼくら自身がその恩恵を享受しすぎていることだろう。
範を垂れている親は希少だと思う。


時々読むhttp://www.hokuriku.ne.jp/hojo1717/の9月20日付け日記。
金津町議時代、環境保全特別委員会の視察研修先として瀬戸内の豊島を訪れた際、案内訳のひとから敦賀のゴミ問題のことを聞かされていた。
全くやりきれない思いだ。

07/09/19 (水) 議会の組織


昨日の昼に来訪した議員から、一部事務組合で問題となっていることのいくつかを聞いた。真偽がみえてくるにつれ、「議会報告」へのUPをせねばと思います。
さて、一部事務組合議会とは何かを申し上げると


http://www.city.awara.fukui.jp/index.html
⇒「あわら市議会」⇒「あわら市議会組織」でわかるとおり、あわら市には常任委員会として「総務」「産業建設」「教育厚生」があり、特別委員会としては「広報編集」「まちづくり調査」「環境対策」「行財政改革」がある。


そして、上記の自治体枠を超えたものが一部事務組合議会であったり広域連合議会であったりするわけです(例えば私は坂井地区介護保険広域連合議会に所属している)。


要するに各々の議員はそれぞれが複数の別組織にいるのだが、議員はそれらを総合的に掌握すべきです。そして、議会内部での議論とは別に、外へ向けての発信も義務だと思う。


意見発信の媒体は言葉である。言葉はインクの染みを利用した筆使いと空気の振動を利用した喉使いとに分かれる。
「通信誌」をポステイングしたり「メ-リングリスト」を使ったりあるいは「HP」を書いたりするのが筆使いで、地区集会でしゃべったりマイクを持って街頭に立ったりするのが喉使いだ。媒体の選択肢は各々の議員で勿論違っているだろう。


この三日間禁酒をしたせいか、心が健康になった(ような気がする)。
いろいろ頑張らねば、と思っています。

07/09/18 (火) 確かなものは


O・J・シンプソンが武装強盗容疑で捕まった。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070917i211.htm


シンプソンは、前妻殺し容疑で捕まった10年以上前、無罪判決を受けている。
当時の手記を写したぼくのノートにはこう書いてある。


名声は蒸気のようなものだ
人気もうたかたにすぎない
金は羽根が生えたように飛びさってしまう
確かなものはただ一つ
人間としての選手の姿だけだ
        O・J・シンプソン  ’96/10

空が白み始めた今朝の午前5時過ぎ、ぼくは近くの山道を車で走った。
車を停め一服しているぼくの傍らを通る散歩おじさんから「市議の牧田さんではないか」と話しかけられた。


「わしは毎朝未明に散歩をしてるんやが、アスファルトやコンクリート路面を歩いてもあかん。歩くのは砂利道に限る。砂利道はツチフマズを刺激してくれるんや。
ツチフマズの刺激で心身がよみがえる」と言う。


金津町議時代、敬老会で頂くパンフには高齢者リストが載っていて、ぼくは毎年リストを見ながら電卓をはじいていた。即ち村部と町部の長寿率を比較していたのだが、率は村部が断然高かった。
村部の環境は、森林浴を保証し裏の畑でとれる野菜等地産池消を保証していることもその理由なのだろうが、足の裏が大地と接触して地霊と交感できる環境であることが最大の理由ではなかろうか、とぼくは推測している。





なるほどなあと思ったぼくは、砂利道を去っていくおじさんの後姿を撮った。

07/09/17 (月) 夜明けに冷たい水を飲みながら


複数の友人からお薦めの電話があって、昨晩はNHK教育TV・7時半からの「地域再生計画」を見ていた。タイトルからは抽象的・総花的印象が浮かぶけれども、内容は建物再生のことで、示唆に富んだ番組だった。
古民家がそうであるように公的な建物も間取りやデザインに竣工当時の時代精神が必ず映っている。現在が過去の集積体であることを考えると、建物再生にもその観点が不可欠で、ソフトもハードも同じことだ。
記憶を呼び戻すような建物が街に散在することが街の活性化につながるというその番組の主張には全面的に賛意を感じた。


夜も更けてから近隣騒音に関する相談電話を受けた。現場にて一件落着。

明けて今朝の朝日は金色に輝いている。
今日は何かいいことがありそうな気分になる。しかし多分ないだろう。


07/09/16 (日) 深夜に


午前1時に目が覚めた。これからが作業をじっくりとこなすことの出来る時間帯である。


昨日の朝は金津小学校の運動会に出かけた。強風の影響で万国旗の掲揚を取りやめたそうだが、その他は例年見る光景が続いた。
途中退座して、木造住宅耐震調査の打合せに行った。
事務所に戻ると電話が入り、議員二名来訪。今後の議会についての打合せが続いた。
疲れて話題が恋愛論に代わった。この手の話も偶には楽しい。


明けて日曜日の朝、某友人来訪。ブリキ缶で作ったスピーカーを持ってきてくださった。テストをすると十分な音量だ。大変に謝謝である。

金津小学校運動会

 07/09/15 (土) スポーツの秋


今朝は午前5時に目が覚めた。
見上げれば秋の空だ。空気にも秋の気配が漂っている。金魚に餌を遣ったあと、本日の予定作業の準備に入った。
インターネットを検索すれば、世襲対決新首相選びは既に福田康夫に決まった感がある。小泉内閣の時の官房長官だった。
ずっと昔、保守本流をたばねていた彼のお父さんが角福戦争に破れ、「天の声にも間違いはある」と嘆いていたTV記者会見を思い出す。


慎重で地味な言い回しをするひとだから国民的人気は高くない。でも文芸春秋によれば、周辺のひとたちは彼にカリスマ的存在感を見るそうだ。
民主党としては、やりにくい相手ではないかなあ。


本日は市内各小学校で運動会が開かれる。いい天気にめぐまれてよかったよかった。

 07/09/15 (土) スポーツの秋


今朝は午前5時に目が覚めた。
見上げれば秋の空だ。空気にも秋の気配が漂っている。金魚に餌を遣ったあと、本日の予定作業の準備に入った。
インターネットを検索すれば、世襲対決新首相選びは既に福田康夫に決まった感がある。小泉内閣の時の官房長官だった。
ずっと昔、保守本流をたばねていた彼のお父さんが角福戦争に破れ、「天の声にも間違いはある」と嘆いていたTV記者会見を思い出す。


慎重で地味な言い回しをするひとだから国民的人気は高くない。でも文芸春秋によれば、周辺のひとたちは彼にカリスマ的存在感を見るそうだ。
民主党としては、やりにくい相手ではないかなあ。


本日は市内各小学校で運動会が開かれる。いい天気にめぐまれてよかったよかった。

07/09/14 (金) 深夜に ミュージカル「南太平洋」を聴きながら


昨日は産業建設常任委員会が開かれた。感じたことの幾つかについては、日を改めて「議会報告」に書き込もうと思っています。


委員会が終わり事務所に戻ったら、何故か急にアルコールが飲みたくなった。
近くのスーパーで購入した焼酎をお湯割りで飲んでいた夕刻、客人3人来訪。
四方山話ののち帰宅し夕食をとった。
猛烈な眠気に襲われそのまま就寝し、目が覚めたら午前一時である。


熱々珈琲を飲んだあとパソコン前に座り議会事務局から持ち帰ったパンフ類を整理していた時、「福祉まつり」が目に付いた。映画上映の項目にあるヘレンケラーを見て10年ほど前にノートした彼女自伝の断片が頭をよぎった。


先生は樋口の下へ私の手をおいて、冷たい水が私の片手の上を勢いよく流れている間に、別の手にはじめはゆっくりと次には迅速に「水:ウオーター」という語をつづられました。私は身動きもせず立ったままで、全身の注意を先生の指の運動にそそいでいました。ところが突然、私は何かしら忘れていたものを思い出すような、あるいはよみがえってこようとする思想のおののきといった一種の神秘な自覚を感じました。この時はじめて私はW-a-t-e-rはいま自分の片手の上を流れているふしぎな物の名であることを知りました。この生きた一言が私の魂をめざまし、それに光と希望を与え私の魂を開放することになったのです。


こういう文章を読んでいると、生きるってすごいことだと思う。

07/07/13 (金) 夜明けは土砂降りだった


ちょっと前までジャリだと思っていた子供達が運転免許を取得した。
段々大人になっていくのである。
普通に生きていってほしいと思う。普通というのは、心の素を大事にし自己を過大過小評価することなく、英語で言うオーデイナリーに当たる生活ということになろうか。実は普通に生きるということがとてもむつかしい。


免許の取得時はどうしても心配がちだ。お袋は「それが親心や」と、言う。
そういうお袋も背中が曲がり体全体がこころなしか小さくみえる。


いずれ親たちは死に、私や配偶者も死んで行く。友人達も死んでいく。
死ねば顔輪郭肉声の記憶が残る○○年周忌がとり行われ、50年経つと祖霊神となる。この時点で全ての記憶が消え、一切が空となる。


それが個人史であるとして、宇宙の終焉はすごい。車椅子の天才物理学者・ホーキンスの著書(題名は忘れた)の結びは、今から300億年経つと宇宙が消滅する。そして時間も消滅するだった。
○今朝、北潟まで車を走らせたのだが、折からの雨で湖の水位があがってきている。
台風は、明日西日本に上陸するとのことだ。
昔の日記から

 07/08/12 (日) お盆間近

昨日の深夜ラジオから、栗林中将で有名になった「硫黄島玉砕」の元海軍通信兵・秋草氏の戦場体験談が流れていた。内容はすごいものであった。
指や足を吹き飛ばされ炎熱地獄や飢餓と戦いながらの最後の総攻撃までを語るその語り口は淡々としており、氏の豪胆さを感じさせる。


先日、妻と晩酌をする機会があった。
「本来、男は家庭や恋人を守るために戦うものや。本能としてそれがある。それを敷衍すると男たちは国を守るために戦う本能を持つということになる。
戦争がいいとは思わないけど、戦前の軍国主義は男たちのあるべき姿を伝える媒体だったと思う。今の若いひとたちの社会問題化している部分は、内なる敵を具体的な姿として見出せないことによるイライラからくるんではないか」と、妻は言う。


マッカーサー元帥によって戦後日本統治の枠組みがほぼ完了した昭和24年に生まれた私は典型的な団塊の世代である。戦後民主主義の申し子として育った世代であり、逆に反米というかたちで’70年前後の運動の中核になった世代でもある。
9歳年下で明らかに時代感覚を異にする妻は、我々団塊の世代を、大仰な言質を使いながらも足元に地のついていない子育ての鈍い世代である、と言う。


確かに私なども好きなこと以外には興味を示さないバランスの欠けた人間だ。
知らない人と積極的な人間関係を結ぶことの下手な臆病人間だ。
しかし、不思議なことがある。
一日を終えて布団に入りうとうとし始める時、いつも戦う夢をみるのである。
仮想敵国を作り、武器を持った私は老骨に鞭打ちながら原野を走り回っているのである。
全ての男たちは、それが潜在的なものであるとしても、戦うことに価値を見出そうとしているのかもしれない

 07/08/11 (土) 昨晩

妻子が車で大坂にでかけ、夕刻のぼくはシシャモでひとり晩酌を楽しんでいた。
傍らのTV番組が、今評判の「太田総理」に変わった。初めて見る。
テーマは「米合衆国による広島・長崎への原爆投下の賠償責任を問うべきかどうか」で、是とする側と否とする側が左右に別れブレーンストーミングのようなかたちで討論が進んでいく。出演者は多彩な顔ぶれで、話したことのある国会議員もいた。

「非戦闘員に対する殺戮は明らかな国際法違反であり責任追及は当然である」が論調の太田側陣営に対して、中国人大学教授が「日本軍による重慶への絨毯爆撃はそれ以上の死者を招いた。しかし新生中国は請求権を放棄した」と、言う。
更にじわり語り派の石破茂が「お互いの賠償責任放棄は戦後に調印されている。これのフィードバックは限りない混乱を招くし現実的に不可能だ」と言う。
太田側は「混乱を通るとしても民間人殺戮の詳細を検証することが戦争への憎悪と戦争抑止につながる。それをうやむやにしたままが戦後社会の状況であったのではないか」と、反論する。


昔、鈴木明著・「南京大虐殺の幻」を読んでその真偽にとまどったことがある。
けれども、森村誠一著・「悪魔の飽食」を辟易しながら一晩で読んで、満州における石井部隊の非道は確かだと思った。
米の原爆製造は「マンハッタン計画」と呼ばれているが、その仕掛け人が異常な功名心を持つ男であり結局はその男が大統領を動かした、と何かの本で読んだことがある。
昨晩のTVによると、「原爆研究開発費20億ドルを無駄にしてはならない」という米内部の声があったようだ。その声が「原爆投下が本土決戦を防いだ」という原爆投下正当化の思いをいまだに米国民に浸透させている。

石破vs太田で、「侵略を防衛する為の軍隊の力は必要だ」という(ぼくなどもそう思っている)石破論に対して、「侵略側防衛側という図式がきっちりとしてあるのか。そこには必ずほころびがありそこから戦争と戦争による狂気が拡がる」と力説していた。


TV討論の続くさなか、手話サークルの会員から電話が入った。「元会員・神奈川在住の聡子さんが里帰りしてるよ」と言う。
そおおか、もう里帰りの時期なのかと思い、三人で夜間ドライブをすることにした。
三国の海岸沿いを走った。砂地に降りて見上げる星空も良かったが、遠くにイカ釣り舟が並びその舟が発する光が美しかった。
〇今朝、友人のKさんが娘・なっちゃんを連れて事務所来訪。今からアイスクリームを買いに某スーパーへ行くという。私も同乗させてもらい、ウイスキー「端麗原酒」と「フライドチキン」占めて¥930也ーを購入した。
土曜日の午後、ということでひとりちびりちびりやりながら、好きなこのブログを読んでいる。

  07/08/10 (金) 脳ドックをきりぬけて

猛暑が続き、昨日昼の炎天下でのエンジン付き刈払い機(世俗的には草刈り機と呼ばれている)による雑草取り汗だらだら作業中に大変に馬鹿な失敗をしてしまった。それを友人2人に言ったところ大笑いされ自己嫌悪に陥り、加えて側頭部の頭痛や咽頭部の異和感も収まらずそのうちに脳ドックの検査予定日の本日を迎えてしまったが、脳ドックは脳毒と発音が同じで脳と毒の間に梅をいれると20代の頃、おそるおそるその検査のために保健所に行った時の嫌な思い出が頭をよぎり、
「思うところあって、日記をしばらく休みます」と書いて日記をしばらくの間、夏休みにしようと思ったのだけれども、検査終了後の写真説明では「全く異常なし」の判定だった。
加えて数字に対する判断力テストでは「年を考慮した時、実にしっかりしています」と言われたし、文章を読み記憶するテストでは「久し振りに満点が出ました」と誉められつまりお墨付きを頂いたので再び元気がよみがえり日記を続けることにした。

 07/08/09 (木) 昨日の一日福商惜敗・阪神大勝

午前中は高校野球をTV観戦していた。福井商業、一応は惜敗といっていいんだろうが、ドンマイドンマイ勝負は時の運だ。勝つ時もあれば負ける時もある。だけど選挙はちょっと違う。

昼前に、今回の参院選民主党の選挙区候補者だった若泉氏が事務所来訪。
ぼくは僅差の惜敗に改めて悔しさを感じたのだが、本人はエネルギッシュだった。
誰であれひとは前向きであるほうが相手に好感を抱かせる。

夕刻、「あわら湯かけまつり」の開会式へ行き、終ってから帰宅。
夕食を終え「さあそろそろ寝ようか」と思っていたところに某氏から電話。再び会場に戻った。
神輿に湯をかけるサマも面白かったが神輿の通り過ぎたあとのやや森閑となった路上がよかった。
路面が水で濡れている。打ち水で盛夏の夜に一服の清涼剤を飲んだような気分になった。

07/09/08 (土) もう終末か

議会が始まったせいもあるのか、昨日は来訪者が多かった。加えて街中で知らないひとに呼び止められて意見を拝聴したり、あるいは電話を受けて出向いたりもした。問いの逐一に対してはできるだけ誠実に答えているつもりではある。


議員は選挙で選ばれるのだから選んでくださったひとたちへの議会報告義務を持つ。だけれども、実のところ誰が私を選んでくださったのかよくわからない。
そこで、一昨年まではA4版裏表モノクロ「菜の花通信」をつくり、隔月に配布していた。金の無い私にとっては新聞折込配布も郵送配布も不可能だった。私は近隣地区内ポステイング配布及び近隣地区外知人宅自動車配布を続けてきた。
基本が足を使ってのポステイングだったのでせいぜいが500部+αだったと思う。


しかしながら、昨年から中学校問題が浮上してきた。
中学校問題はそれをとりまく情勢が不透明で、報告を紙に書いてもつまり固定化しても詮無いのではないかと思うようになり、配布を中断することとした。


その頃(今は全て保存⇒デリートしたが)、このHP「市政掲示板・中学校問題」への投稿が異常に多くなった。当時の私は管理者としての立場をわきまえず自身で投稿もしていた(うん、過去ログを又アップロードしよう)。加えて「2校を守る会」請願書名簿提出までの期間、私の事務所が「2校を守る会事務局」となっていた。
勢い、出入りするひとが沢山だった。
あとで聞いたことだが、私の事務所に出入りするひとたちは、(恒常的にか偶さかかは知らないが)チェックされていたそうである。
日本国憲法が保障する「思想・信条の自由」を逆なでするアンビリーバブルで低劣なそのような行為は、行為者自身の人格形成にいづれ振り返っていくのだろうから、私はただ苦笑するだけなのだが・・・。


沢山の市民の声に支えられて、今年4月に橋本新市長が誕生した。
舵取り役交代で中学校問題は2校存続に焦点が移った、あるいはその方向で加速されていく。我々市民にはその過程を見守る義務がある。070908

 07/08/07 (火) きょうも暑くなりそうだ
金魚の昼寝

赤いべべ着た
可愛い金魚
おめめをさませば
御馳走するぞ

赤い金魚は
あぶくを一つ
昼寝うとうと
夢からさめた


入荷した金魚は二匹。白と赤のツートンカラーで可愛い。昨晩来訪した同僚議員が「二匹とも雌」と言うのでとりあえず一匹目に愛する妻の名をとり「トミコ」と命名した。
二匹目の名はまだない。

〇昨日は久し振りに時間的なゆとりができたので、某氏とともに坂井市三国町の某寺院を訪ねた。住職とは旧知の間柄だ。
その寺院には高見順の墓がある。高見順は若い頃の一時期夢中になったことがあるので墓をみていると小説の断片が頭をよぎる。
墓の前で住職は「千の風になってという唄が流行っているが、それは霊が成仏できずにこの辺りをさまよっているということでありよくないことだ。死ねば一切が空(くう)なのです」と言う。
墓所全体を歩くと、戦死者の墓があったり、亡妻を詠んだ小唄が刻んであったりで檀家衆の思いいれが濃厚だ。
「死体は語る」という本があったけれども、「墓は語る」でもあるのである。

 07/09/06 (木) さあ 頑張るぞ




議案上程及び提案理由説明が主だった昨日の議会は午前中で終った。
市長による「行政報告」を聞いていて、特に耳目をひいたもののひとつが生活環境課所管の「コミュニテイバス運行の一部変更」についてのものだった。


コミュニテイバスについてはここの「市政掲示板」に時折意見が載りもしたしあるいは近隣区の老人から意見を拝聴することも多かった。コミュニテイバスは「空気バス」と揶揄される程に利用者が少なく費用対効果で言えば当然問題となる。けれども利用者は交通弱者でありそこをカバーする社会福祉的側面を持つことも看過できない。
先日、友人Nさんと話をしていた際、「コミュニテイバスの多目的利活用の展開」を全国版TVで討議された時の印象を聞かされて、なるほどなあ、とぼくは思った。
某議員が一般質問で取り上げる予定だとも聞いている。引き続き注目していきたい。


議会終了後、有志議員数人が事務所に集まった。四方山話のテーマが「次なる合併・坂井市との合併」に移った。
自治体の合併には必ず功罪がある。功罪の詳細はテキストに沿えるものではない。いずれこの話が遡上に載った時、喧々諤々の論議が実のあるものとなるかどうかが、あわら市民の成熟度を示すメルクマールとなる。


昼はCADにいそしみ、夜は福井市内においてクライアント夫妻との打合せ。
ぼくは世の中の人間は全て差し引きちょぼちょぼだと思っている。社会的地位の高い人間はその分だけ裏に愚かさを内包していると思っている。美人に無条件に惹かれる場合がたまにはあるが、女性は別として、ハンサムな男性はその分だけ裏に高慢さを内包していると思っている。
そういう原則的人間観は別として、肩肘をはる必要のない何ていうか「人間の素」を素朴に出す人たちがぼくは好きで、その意味で昨夜の夫妻との打合せは楽しかった。
帰途、E気持ちになったので某スーパーに立ち寄り焼酎を買った。
事務所に戻りお湯割り焼酎を口にして、EE気持ちになったぼくはソファーに寝転び、杉本繁男先生の「刈安山のうた」を読んでいる。

07/09/05 (水) 朝夕涼しくなってきましたが、皆様、風邪などに気をつけてください


本日は議会初日。
午前9時30分開会
会期決定
議案上程(決算認定除く)
提案理由説明(決算認定除く)
委員会付託(決算認定除く)   の流れです。

07/09/04 (火) 昨日の一日


昨日の早朝、友人Mさんが事務所来訪。
私のパソコン環境を設定し直してくださった。せんだってふたりの人から頂いた中古液晶モニター二台を自由に駆使できるようになり、私のパソコン環境は大変に便利で効率的なものとなった。謝謝。


知人Hさんが来訪。鉄骨工場耐震調査についての相談を受けた。
建物の構造は、大きくRC(鉄筋コンクリート)造・鉄骨造・木造の3種類に分かれる。耐震調査の焦点が構造種別で違ってくるのは当然なのだけれども、例えば鉄骨構造の場合は仕口溶接部分・ボルト継手部分などが検討対象となるだろう。
建築基準法新耐震制度施行は昭和56年だが、(私の記憶では)昭和52年に鉄骨溶接基準が大変に厳しいものとなった。溶接作業を担う各々の工場が、どのような機械を持っているか何人の技術者を抱えているかでH(ハイ)グレード・M(ミドル)グレード等にランク付けされ、工場のランクによって鉄骨母材強度に対する溶接部強度の割合が決定されるようになった。あるいは溶接部分の超音波試験なども厳しく義務付けられるようになった・・・


等々のことを話していた午前10時、有志議員5人が集まってきた。
5日から始まる9月議会のことで各々の想いをしゃべり合った。私は気になっている「障害者の親の会」のことをしゃべった。


午後1時に、お袋を車に乗せて福井市内某大手病院に行った。近所入院老人の見舞いだ。エレベーターで市長夫人と鉢合わせもした。
病室に入った時、いろんな想いが去来した。


見舞いを終えてから事務所に戻り、パソコンの前に座った。
左側モニターでCADをこなしつつ、右側モニターでエクセル原稿を書いていた。
古時計が5時半の時報をうったので「ええい、きょうの昼の部の仕事はもう終わりや」とマウスを置き、缶ビール一本を飲み始めた時、市役所の幹部が来た。
話のテーマは介護保険広域連合・審査認定のことだった。


自宅に戻ってからは妻と一緒の晩酌だ。
「お父さん(私のこと)の事務所には何人かの女性がいつも訪れるけれども、お父さんの容貌からして誰も異性だとは思ってないよ」と図星のことを言われた。図星ではあるけれどもちょっとだけもの悲しくもあった。


晩酌のあと、自宅裏の竹田川河川敷であおむけに寝転んだ。
星空を眺めているうち、シェークスピアの「地球は大きな劇場だ。数十億のひとりひとりはその舞台の上に立つ俳優だ」という文句が浮かんできた。


今この瞬間に、地球上では、笑っているひと・泣いているひと・苦しんでいるひと・楽しんでいるひと・罪を犯しているひと・犯されているひと様々なひとたちがうごめいている。一神教キリスト教でいう神がアダムとイブをつくり、バンドラの箱をあけさせたのだとしたらそれは神のあまりにもむごい仕打ちではなかったか、やっぱり世間虚仮だ我々は虚空間を生きているだけなのでははないか、と私は思った。



〇午前5時の東空は真っ赤です(クリックで拡大

07/09/03 (月) 未明に


昨日は、大坂世界陸上最終日。晩酌時に初めてゆっくりとTV観戦した。
ファイナルが男子4×400mリレー決勝だった。筋肉に無駄がなく全身がバネとなって走る男達の姿は、全くの芸術品である。


今回の世界陸上で、日本人競歩選手が係員の誘導ミスにより失格となる不祥事が起こった。選手本人の悔しさは勿論だし、係員の悔恨も計り知れないと思う。


思い出したのが1972年開催のミュンヘンオリンピック。
男子100m史上初めて電子計時で10秒を切り、鳴り物入りでミュンヘンに乗り込んだのが米の黒人選手=エデイ・ハートだった。ライバルと目されていたソ連のボロゾフとの決勝が注目されていた。
しかし、コーチが予選出場時刻を間違えるという不手際を犯し、ハートの100mは出場できないままに終ってしまった。号泣するハートの姿をカメラが捕らえていたTV画面でぼくはとても痛々しさを感じた。


オリンピックであれ世界選手権であれ、その表面の華やかさを支えるのは係員など裏方の汗である。裏方は人であるのだから、万一ミスが出ても仕方ない。


決定的な場面でのミスで不運に泣く選手も、悔恨にさいなまされる裏方も、心は時の流れとともに風化していく。
そしてそれが自分の人生のなかでの縁だったと思えるようになる。
稀な体験と挫折感で男が磨かれる、と思うのである。

07/09/02 (日) 深夜にカントリーフォークを聴きながら


昨日の夕方、知っている人は知っている杉本繁男氏の娘さんが来られた。
杉本氏が詩文集「刈安山のうた」を出したということで、感じのいい装丁のその御本を「謹呈」の添状と共に持ってきてくださったのである。
じっくり読ませていただこうと、思っている。


夜、のっぴきならない用事ができたのだけれども、無理を押してしばらくの間だけ「北潟湖観月の夕べ」に行った。楽しみのためにというよりも、ビデオカメラマンとして行った、という気がする(それにしてもスナップ掲示板の花火写真はきれいやね)。


なんせ駐車場は車で一杯だった。友人女性に電話したら「蓮ケ浦から花火を見ている」という返事だった。駐車場の混雑を見越して、北潟湖周辺から花火見物を楽しんでいた人達も多かったのだろう。


帰宅し、焼酎晩酌。
傍らのTV画面は阪神vsヤクルトで、阪神タイガースの快勝だ。
巨人が負けている・中日が負けている、という途中経過も入ってくる。
思いどおりにいかないフラストレーションの溜まる日々を送っている私だけれども、稀にはこういう気分のいい夜がある。

07/09/01 (土) 昨日の全協


昨日の午後1時30分から、全協(全員協議会)が開かれた。
議長・市長挨拶に続いての流れは次のとおりだった。


〇諸般の報告
1 議会活動報告


2 一部事務組合等議会報告
・坂井地区介護保険広域連合議会
・福井坂井地区広域市町村圏事務組合
・三国あわら斎苑組合
〇協議事項
1 第24回あわら市議会定例会の会期・日程について


2 議案・請願等について
(1)市長提出議案について
(2)請願等について
(3)議案・請願等の付託先について
(4)一般質問について


3 決算審査特別委員会の設置について


4 全国市議会議長会表彰の伝達について


5 その他
(1)北陸新幹線建設促進福井北の玄関口大会(10月13日開催)について
(2)金津中学校耐震診断の結果について
(3)金津雲雀ケ丘寮増築工事について
(4)市職員採用候補者試験出願状況について
(5)その他


日程等については、コンテンツ「議会報告2007」から入ってください。
〇亡くなってしまった。



金魚が1匹亡くなってしまった。このところの忙しさにかまけて、餌遣りを怠っていたことが原因かもしれない。


哺乳類でも陸上動物でもない小さな水中生物ではあるけれども、「一寸の虫にも五分の魂」と世間は言うし、この金魚の背丈もちょうど一寸だった。
事務所駐車場の片隅の土をシャベルで掘り、なきがらを葬った。名刺大の紙にボールペンで「無名金魚居士・平成19年9月1日没・享年21日」と書き込み、塚に埋め立てた。塚の前で般若心経を詠んだ。


私は駄目な人間だと思った。生物を飼う資格のない人間だと思った。
金魚は店の酸素補給ボンベ入り水槽にいた方が幸せだったに違いない。