2007年11月


07/11/29 (木) 昨晩はちょっと酩酊


★最近の「スナップ掲示板」にMr.Mさんが載せている写真・例えば坂ノ下八幡神社や大鳥神社は自宅近くにあり、昔から何度も足を運んでいる場所。


掃き清められた神社の境内というのは
清浄にして清浄な空間である。
境内を歩く時いつも耳をかすめるのは近松門左衛門・「曽根崎心中」だ。


この世のなごり、世もなごり
死ににゆく身をたとふれば
あだしが原の道の霜
一足づつに消えてゆく
夢の夢こそあはれなれ
あれ数ふればあかつきの
七つの時が六つ鳴いて
残る一つが今生の
鐘のひびきの聞きおさめ
寂滅為楽とひびくなり



陰惨な事件が多発し物欲亡者が社会の裏側をかけめぐる今日的社会に住む我々は、せめて次世代へのバトンタッチをよりよいかたちでしなければならない。


そういう思いの私は、きょうもダーバンコートの襟をたてて鎮守の森を訪れ、晩秋の境内にたたずみ神に祈るのである。

★今日の昼食・「味噌煮込みうどん」は、何故かとてもおいしかった。

11/22日記で書いた6個の珈琲芸術カップのうちの3個は既にマイカップとしてカップ底に名前が刻印されました(男性1名・女性2名)。残り3個のうち1個は決まっており、2個が未定です。
ご希望の方は御連絡ください。


07/11/28 (水) 東の空が白み始めた午前6時に

★我々坂井地区介護保険広域連合議会議員は東海地区での視察研修に臨んだ。
11/26は「知多北部広域連合」、11/27は「もとす広域連合」。
どちらも高齢化率が16%代と、坂井地区の21%代に比べて格段に低い。これは有名企業が沢山あり新所帯が増えていることの結果だ。
例えば「知多北部広域連合」構成市のひとつである東海市の財政力指数などは1.50とアンリビ-バブルな数値である。全国有数だ。


11/26夜に宿泊した「豊田なんとか」ホテルはトヨタ本社の横にあった。純益1兆円という世界に冠たる企業だ。
企業誘致の促進が法人税増加や人口増の大きな鍵となることを改めて実感した二日間だった。市長には誘致の尖兵として頑張っていただきたい。


どこの自治体であれ先行き不透明な部分はある。不透明ということは希望も又あるということだ。家庭生活であれ自治体であれ希望を持ち続けること自体が活性化を促すことになり得る。それは平板なオプテイミズムではないだろう。


★連合運営の内容にはやはり地域によって差がある。資料精査を踏まえて来年2月だったかの連合議会一般質問に臨もうと、思った。

07/11/26 (月) 深夜に 「なかにし礼特集」を聴きながら

★あのおもしろ小説「長崎ぶらぶら節」を書いたなかにし礼が、島津ゆたかのヒット「♪ホテル」の作詞者だとは、今夜の深夜ラジオを聴くまで知らなかった。

歌詞「・・・一度でいいからあなたの肌に爪をたてたい・・・」は当時の私を興奮させ、いつかは俺も爪をたてられてみたいと思ったけれども、結局は夢想のままに還暦をむかえようとしている。・・・まあ、それも人生だろう。


★ソファーに寝転んで読んでいた雑本に
「変人・小泉純一郎は首相在任時でさえ「衆議院議員・小泉純一郎」の名刺のみを重宝していたという。理由は有権者から附託された身分がこれのみであり、他の身分はそうでないからだ」と書いてあった。・・・・よくわかる。


★はてさて
毎日日記というのも疲れるし
坂井地区介護保険広域連合議会視察研修なのでちょうどいい機会だ。
日記を休みます。

07/11/25 (日) 本日

★午前中に観光会館で開かれた「暴力追放連合会記念大会」を終えて事務所に戻った時、久し振りに妻と出会い、立ち話をした。


午前中に、妻は坂ノ下地区在住の某女性から話しかけられ
「もしも統合中だとしたら有力な候補地である坂ノ下区に住んでいる議員でありながら統合反対!二中存続!を叫んできた牧田さんは、区の人たちから、バカやアホやどうもならん奴やと、陰でひなたでささやかれている。でもね・・・私だけは応援しているからね」と言われたそうだ。
私はその話を聞いて涙がでるほど嬉しかった。


そういえば某議員から、「坂ノ下地区に住んでいて二中存続を標榜するなんて、次の選挙が常にアタマにあるわしには絶対できん。牧田には、信念があるのか無神経なのかようわからん」と以前言われたことがある。


私は信念の男でもないし人格者でもない。女性が嫌いではないし、まれにだけれどもエッチな話もする。又、坂ノ下区に対して相応の愛情を持っているごく普通のおじさんである。


だけれども敢えて言うならばそれは私情だろう。
市議はあわら市民の血税から報酬を頂いているのだ。市議の仕事は市政を全体で俯瞰し、デイテイルを虫瞰することに尽きる。
次の選挙のことなど考えていたら行動や物言いが委縮するに決まっている。


★ところで、「あわら市を考える会」チラシNO2が出るという話を聞いた。
私はまだ見ていないのだけれども、言ってくれた人の話によると、どうやらハード面の格差を誇張し旧金津vs旧芦原の対立を煽る戦略のようだ。合併して数年、もう旧金津も旧芦原もないだろう。
加えて「教育委員云々」では全く事実無根のことが書かれている、という。
12月議会を前にしての連続的なチラシ配布で、市政の混乱狙いにあると、私はみる。
俗耳に入りやすい文言を並べることが結果としてポピュリズムであり市民を馬鹿にした行為であることを、彼らは推して知るべきだ。


耐震補強の仮定写真も添付されて「牢獄のよう」と形容されているそうだ。
それじゃあ、これから始まる小学校耐震補強の結果も牢獄なのか。


老いたりとはいえ、私は建築のプロだ。耐震補強実務設計に携わる知人も沢山いる。
いずれその写真を見ることになるだろうが、その際にはじっくりとコメントさせていただくつもりである。


07/11/24 (土) 昨日の祭日

船場吉兆に佐賀怒る 但馬牛と偽り佐賀牛「誤解招く
 「船場吉兆が佐賀、鹿児島県産を「但馬牛」と偽装した問題で、「佐賀牛よりも但馬牛がおいしいと誤解されかねない」として、陣内一博佐賀県農林水産商工本部長らが23日、大阪市の同社を訪れ、佐賀産の牛肉に対する認識を改めるよう同社に申し入れた。

 県によると、船場吉兆の湯木正徳社長は9日の会見で、「但馬牛が足りない時、佐賀牛の品質が遜色(そんしょく)がないと確認して使っていた」と釈明したという。これに対し、佐賀県の古川康知事は22日の定例会見で、佐賀牛は全国統一の基準に沿って肉質等級などで高品質なものだけを選んでいると説明。「佐賀県産の牛肉が但馬牛に遜色ないとか、但馬牛並みというのではなく、正しい認識を持ってもらいたい」と批判していた。 申入書では「品質に遜色がないということは事実とは異なる。『佐賀牛』に代表される佐賀県産の和牛に関する評価をおとしめかねない」と指摘。陣内本部長らに応対した湯木喜久郎取締役は「佐賀県と佐賀牛のブランドに多大な迷惑をかけた。誠に申し訳ない」と謝罪したという。」   11/23asahi.com


船場吉兆偽装問題が浮上した時、異次元価格で飲食する富裕層が騙されて可愛そうだとは全然思わなかった。私が腹たったのはむしろ
①谷崎潤一郎著・「細雪」で三姉妹が使用する上品的船場言葉イメージをダウンさせたつまり芸術を冒涜したのではないか。
②佐賀県産云々という釈明は食肉動物差別ではないか。
以上2点だったが、やはり佐賀県知事は怒ったのである。


★昨日の「かりんて祭」会場内を歩いていた時、いろんなひとから声をかけられたが、殆どが12月議会の見通しについてだった。「市長が変わり方向性が確定したのに、なんで議会はごちゃごちゃしてるのか?」だった。私は縷々説明しながら、7月組織議会での議長不信任案提出報告を思い出していた。
帰りぎわ、せっかく近くまで来たのだから、ということで「清滝ダム」を見にいった。
ダム湖周辺はすっかり紅葉に彩られていて、とてつもなく綺麗だった。


夜は福井市内にて木造小住宅の打ち合わせ。
素材を自然有機素材でまかないできるならば県産杉材をふんだんに使おうということで意思一致してクライアント宅を出た。帰途、自宅近くの居酒屋にしばらく寄り、焼酎「神のなんとか」を二杯ひっかけ、かきフライを食べた。
外へでると月が出ている。竹田河畔をぶらぶら歩きながら事務所に戻った。
事務所は有志議員が集まっての会談中だった。



07/11/23 (金) 本日は「かりんて祭」


★例えば昨晩理事会の開かれた「あわら市を考える市民の会」によって以前配布されたチラシがほぼリアルタイムで私あてにFAXされてきて、読んだ印象を手短かにこの日記に書いたことがある。あるいは「市政掲示板」でコメントされた方も居る。
そのせいか、未読の方から私にその文面をFAXして欲しいというメールが幾つかあった。


個別でその方々にFAXしているうち、「うーん、PDFファイルで公開したほうが楽や。構わないかな?」と一瞬思ったけれどもやっぱりやめた。
理由は
文面自体はどうということのないものだと思うけれども
①私あてFAXは知人からのものであり、会から直接配布されたわけではないということ。
②二中派議員の誰に対しても手渡されておらず、よって配布先が限定的なのか、広く市民に呼びかけるというまでの公開性を持っていたのかどうかよくわからないこと。


限定を意図したものであるならば、公開は「会」に対して失礼にあたる、と思ったのである。



★本日は私の住む地区でも「秋の例大祭」が行われる。
かって大和朝廷の支配下で豊原水穂国と呼ばれた日本国が各地で収穫への感謝祭を行うことは、クリスマスよりも夏祭りよりも誕生パーテイよりもずっと正しく由緒のあるものだ。


私が幼少の頃は「節季」という言葉がまだ生きていて、例えば酒代のつけなどは秋まで支払いを待つことができたと記憶している。


これは春の田圃に苗を植え、水遣りを怠らず、炎天下で雑草を駆除するという日々の重労働の結果としての収穫期が秋であり、収穫物をやっと換金できる季節が秋であったからだろう。


昔読んだ語源に関する本には「秋の行い(あきのおこない)⇒商い(あきない)⇒秋(あき)」と書いてあった。行いが換金を意味することは勿論だ。


07/11/22 (木) 小雨が降りしきる朝

★一睡もできないうちに朝がきてしまった。
昼と夜とで気分が逆転するのはみんなあることだろう。夜の闇のなかで神経が過敏になる。自分自身・家族といった私状況や公状況での不安感や悩みが増幅される。


「ひとは何故悩むのか」というのは深遠なテーマだ。
こういう時は、むつかしい本を読むと頭がばらけるのでいい。
昨晩は、寝る前に、吉本隆明vs養老猛司の対談を読んだ。
対談のなかで吉本は
「もし理性で観察すると自然は段階に分けられるということです。段階って何かといいますと、動物、植物、無機物、また動物の上に人間。理性で観察すると自然は段階化されて見えてくる・・中略・・例えば無機物とは何か。それは、それ自体の存在だ、それ以外のものではないという存在が無機物。そして、存在しているんだけれども、自分が個性を持って存在しているということではない、そういう存在が植物。動物というのは、自分が個性的に存在しているが、類として存在していることを意識していない。にもかかわらず類として存在しているという存在の仕方が動物ということです。人間というのはまたその上に何か余計なものが-養老さんの言葉で言えば剰余ですか-剰余というものが加わってくるものだということになると思うんです。」と言っていた。


そういう風に考えると自分の悩み性は個人的な資質によるものではなくて生理現象だとはいえるようで、幾分気がやすらぎます。
★私の事務所の珈琲カップが芸術作品に変わりました。



普段飲む純正コーヒーがたまにブレンドものであっても、カップで味は変わると思います。

07/11/21 (水) 屋台村

昨日は、外へ一歩も出ませんでした。

★午前中、観光商工課へ行き、地域再生マネージャーから、有楽荘跡地利用のひとつとしての「屋台村」進捗状況を聞いてきた。



12月6日・オープンセレモニーで12月7日とりあえず4店舗がスタートするとのこと。
屋台の種類は「ラーメン」「蕎麦」「おでん」「串類」。
温泉街活性化の為の決め手が何なのかはよくわからないし試行錯誤は続くだろうが温泉旅館の経営者達もエンクロージャの発想を転換して、様々な事業と連携し刺激し合うことが大切だ。

高度経済成長以前の日本には「結い」という魅力的な言葉が残っていた。
この言葉が実質的に復権するならば、勝組負組の選別ぎすぎすとは位相を別にする人情味ある社会が見えてくる。
少なくともあわら市はそれを目指すべきだろう

07/11/20 (火) 禁煙初日

12月議会定例会が近づいてきた。
11月28日⇒全協、12月3日⇒議会初日、12月10日⇒一般質問・・各委員会審議・・
12月21日⇒議会最終日(議案採決)というスケヂュールである。
二中存続に向けての「新市建設計画変更」案の審議は「総務常任委員会」附託となる。


先だって10月19日の全協に於いて市長から説明のあった「行政計画」におり込まれている
「中学校2校存続に関する財政見通し」は、新聞や記者会見やあわら市ホームページなどで流れ、あるいはここの「市政掲示板」などでも論議されてきた。
我々個々の議員も又勉強会を重ねてきた。


「総務常任委員会」及び「議会最終日採決」に於いて承認されることをかたく信じている。
仮に否決されたとしたら、芦原中学校改築に向けての今後の日程の遅れ必定であること、議員諸氏は先刻御承知のはずだ。
そうなった場合の市民のとまどいはどんなものだろう。あきれはどんなものだろう。
大きな混乱が予想される。


遅滞により犠牲を被るのは子供たちに他ならないのである。

07/11/19 (月) 昨日の一日


昨日は、あわら市商工会女性部事業としての「ふるさと再発見」に、プロパニストKくん及びバンカーSくんと共にしゃべりの立場で参加した。
大型バスは午前9時半に商工会を出発し、あわら市内の幾つかを廻った。


以下のような順路だった。
「★坂ノ下八幡神社」⇒「総持寺」⇒「竜沢寺(枯山水庭園)」⇒「★松龍寺千体仏」⇒「熊坂大仏」⇒「★照厳寺」⇒「中番下番春日神社」⇒「北本堂観音堂」⇒「藤野厳九朗記念館」で
★印は私がしゃべった場所。(興味のある方はコンテンツ風景をクリックしてください。なお、奇しくもスナップ掲示板に照厳寺写真がアップされています。)


女性部会員参加者は旧芦原町在住の見知らぬ人が多くいずれも品のある妙齢の御婦人達だったので、しゃべる間、緊張感を抜くことができなかった。


10年ほど前、郷土史家・故山口喜三太先生の御指導で、仲間達と旧金津町内あちこちのフィールドワーク・デスクワークを繰り返していた時期がある。
議員になってからはそのような趣味の時間をつくるのがむつかしくなり、実に久し振りのそぞろ歩きだった。


神社境内に入ると心が凛とする。
寺院の甍を眺めていると旅人になったような気分になる。
阿弥陀如来を見詰めていると己が心中の猥雑さ・やましさを見透かされているようだ。
観音菩薩の目には慈悲があふれている。
地蔵菩薩を見詰めていると、幼かった頃の我が子三人の笑い顔が走馬灯のように脳裏を走る。


ひとはパンなくしては生きていけない。
しかしパンのみにて生きていくものでもない。
時空間を超えた場所に身を置くとき、自分が存在していることの不思議を思い、魂の浄化を感じる。
★昼のラジオが萩の町を紹介している。萩といえば勿論吉田松陰だ。


齢30歳にして
身は例へ 武蔵の野辺に朽ちぬとも
            とどけおかまし 大和魂 
 
を辞世の句として斬首された松蔭が教えた松下村塾からは

三千世界の 烏を殺し ぬしと 朝寝をしてみたい

おもしろき こともなき世を おもしろく
の高杉晋作や久坂玄瑞など幕末の俊英を輩出している。



誰の本だったかに「日本史上優れた教師が二人いた。ひとりは松下村塾の吉田松蔭でひとりは摘塾の緒方洪庵である。ふたりの共通項・・それは生徒の短所には目をつむり長所を徹底して伸ばしたこと及び自己に対して大変厳しかったこと」と書いてあったのを思い出す。
私としては、このふたりに、現在、兵庫県で英語及び国語を教えているふたりの友人高校教師を付け加え教師四賢人としたいのだが、そのふたりは自己に対して甘いので付け加えることができない。


ともあれ、時間をつくって幕末ものを読みふけりたいと思うきょうこのごろです。


07/11/18 (日) 本日の私はマイク・マキ


昨晩は四人での簡単な飲み会が開かれ、私は無添加納豆味噌をサカナに焼酎を味わった。

熟睡し午前6時に起床。事務所に入りTVをつけるとNHKが丸岡産・越前早刈蕎麦を特集している。


私は「グルメ」及び「リッチ」という言葉の嫌いな人間で、だからというかやせ地が蕎麦つくりの適地である越前おろし蕎麦を昔から愛してきたしそば打ちにも多少の心得はある。その私でも「早刈蕎麦」は初耳だった。

読んで字の如しで、「早刈蕎麦」とは「新蕎麦」よりももっと早い時期に収穫する蕎麦だそうだ。
スタジオでしゃべる生産農家・中瀬さんはその独特の風味を承知しながらも早刈することによる収穫量の後退や機械管理のむつかしさに悩んでいた。転機が訪れたのは数年前の秋の天候異変だった。異変で余儀なくされた「早刈蕎麦」出荷で、今やその味が全国から注目され始めているという。


こういうのを「雨降って地固まる」とか「苦あれば楽あり」とか「ひとの一生は重い荷物を背負ふて歩むが如し」とかいうのだろう。
Qくんから一枚のモノクロ写真を預かった。


恐らく高校生の時のものだ。場所は越前松島のような気がする。
右上の裸体が今やあわら市サッカー界の重鎮・Sくんで、座体手前が私。
とても若々しいけれども、社会の不条理になじめない青春期のアンニュイが微笑の裏に見える。


「超気効療法」の達人Mくんに電話で気を送ってもらっていた時、「我々が高校生の時は丸刈りだったはずだ」と言われた。しからば高校を卒業してからの写真だろう。
歴史は繰り返すのだから、中高生を丸刈りに戻してもいいのじゃないだろうか。

 07/11/17 (土) 土曜日の朝


ちょっと前のことだけれども、市外のある議員と話していて感じたことです。
産業廃棄物現場に暴力団の影が往々にしてあることは、全国的に俯瞰すれば予想できることだ。


そのひとのところにもその筋のひとから頻繁に脅しの電話があったという。
「自分がいろいろ言われるのは仕方ない。けれども、(あんたにも子供がいる。気をつけろよ)と言われた時はすごい恐怖感が走った」という。
環境汚染の観点で監視しなければならない産廃業者から接待を受けるという信じられないバカ議員も世の中にはいるとものの本で読んだことがあるが

それはともかく


何年か前までは私の事務所にも(暴力団ではないと思うが)時々電話があって、いろいろ答えているときれた声で「おまえはアカか!」と怒鳴られた。
「アカというのは共産党の俗蔑称であるとしても六全協を経て既に議会内合法政党となっている。私は共産党ではないし共産党支持者でもないけれども少なくとも彼らをアカと呼ぶのはアナクロニズムだ」とかなんとか答えているうちにガチャンと電話を切られてしまったことが何度かある。


これを書いているうち、珈琲を飲んでいた事務所来訪のひとが「火事や」と叫んだ。
出て見ると比較的近くで黒煙と炎が見えた。幸いボヤ程度で済んだが、火事はまことに恐ろしい。

 07/11/16 (金) 昨日の研修会

★昨日の午後は、年一回の「福井県市議会議長会議員合同研修会」が開かれた。今年のホストがあわら市議会ということであわら温泉で開かれた。
県内10市の市議が集うので大変な数だった。

研修講演内容は「地方分権と地方議会について」で、講師は全国市議会議長会次長=石橋茂氏だった。
一時間半の講演が終了したあとは何台ものバスを連ねての「藤野厳九朗記念館」及び「金津創作の森」視察。


夕刻から意見交換会が始まった。アルコールが入ったので親睦会みたいなものだ。
指定されたテーブルに座ってもまわりは知らないひとだらけで、地味で消極的な性格の私はこういう場に座っているのが大変に苦手である。
仕方なくひとりビールやお湯割り焼酎を飲んでいた。そのうち、横顔の孤独に気付いたのか隣席の女性市議が私に話しかけてきた。


「中学校問題で揺れているあわら市議会の方ですか?」と問うてきた。
共通話題が出てきた時、初対面によるバリアは崩れる。


「いやいや・・・揺れてはきたけれども、今は、一歩一歩、二中存続の議決に向かって進んでいるんです。私はそう信じています・・」から始まって問題浮上から今日までの経過を話し込んだ。


話が熱を帯びてくると、話し手は聞き手に対してしゃべっているのではなくて自分自身に対してしゃべっているような気分になる。
不思議なことだが、これも人間心理ではないかと私は思った。

07/11/15 (木) 本日は研修会


★私の趣味は、手話をテレビで見ることと大相撲中継をラジオで聞くことだ。


で、昨日はびっくりしてしまった。
朝赤龍が時天空に勝ったあと
行司が朝赤龍に向け「あさーしょーりゅー」・・・としたのである。
場内はざわめき、アナウンサーも「???」「!!!」だった。


人様からお金をいただいているプロが仕事をしくじるのはあってはないことだろうけれども現実にはある。プロアマ問わず人間の営みは試行錯誤の連続といっていい。


だけど織田信長が城内での試合を楽しんだという逸話のある相撲は既に国技として定着し、四股に始まる立居振舞の流れは我々に美意識を喚起させる。
相撲(すもう)の語源は素舞(すまい)つまり裸の舞という説がある。四股を踏むという行為は荒ぶる神の怒り(地震等の天変地異)を鎮める為の祈願であるという説がある。


その大相撲の音声がNHK電波網に乗って全国津々浦々に流される世界でのハプニングだったことで行司は不運だった。


亀田某が世間を騒がすまでのマスコミの餌食は朝青龍だった。当事者である大相撲の世界では関係者どおしが顔を合わせるごとに「あさ」と言えば「しょうりゅう」と答えるのが挨拶になっていたのだろう。本来実力派力士である朝赤龍は見事に蚊帳の外に置かれていたので内心あれだけ立腹したのだ。


故開高健の言葉だが
好意をいただくのは勿論ウエルカム。
悪意をいただくのも一応ウエルカム。
無視されるのが一番寂しい。 ・・・これは人間心理である。

07/11/14 (水) そろそろ珈琲が無くなってきた

・元西鉄ライオンズのエース稲尾和久が亡くなった。
サイとあだ名されるやさしい目を持ったこの豪腕投手は傲慢投手金田正一が唯一畏れる投手でもあった。父親の漁を手伝うことで体を鍛え、その父親からの処世訓
実るほど 頭のさがる 稲穂かな」を座右の銘としたひとだった。


・昨日の午後は三国図書館に行き、「三国今昔懇話会」を拝聴していた。
女流俳人・森田愛子が今月のテーマで、縁のあるひと三人がパネラーとして出ていたのでじっくりと聴かせていただいた。



・本日、目を覚ますと昨日まで続いていた首の痛みが幾分ひいている。
今朝早く来訪のひとと一緒のモーニングコーヒーを楽しんだあと、見上げれば空は快晴だ。
痛みのひきはMくんによる「気」の送りと、神仏のたまものだと思い、ひとり車を走らせた。
柿原照厳寺山門前で合掌し、中川三体仏前で合掌した。


・昨夕の来訪者から「牧田さんの最近の日記はちょっとダウンビートね」と言われた。
確かに気持ちはダウンしている。元々神経が繊細ということもあるだろうが、今までいろんな人に迷惑をかけてきた人生ではなかったかとの反省気分が過剰になっている。
いい父親だったか・・・
いい夫であったか・・・
長男としてしっかりしていたか・・・いずれもイエスとは到底言えない気分なのである。

07/11/13 (火) 凌霜クラブ蟹発送


知人からFAXが入ってきた。「あわら市を考える市民の会」と書いてある。
自宅建設借金返済計画に例えて、前市長による財政計画をあわらよし子宅、現市長による財政計画をあわらパー子宅と書いてある。その内容の浅さは意見発信の自由として構わないのだがネーミングを看過できない。


よし子のよしがグッドを意味するのに対してパー子のパーはクルクルパーのパーという昭和40年代既に差別語として死語になっていたはずの、知的障害者を揶揄しあざける言葉であり、障害者団体の関係者がこの文章を読んだらこの字句だけで悲しむだろう抗議をしたくなるだろうと思う。
しかし文責や電話番号が書いてない。丹南の授産所で働く友人にFAXを再送したら「確かに林屋パー子なんて芸人がいるが、それは自己申告の固有名詞なので構わない。けれども不特定配布文書として出ているならば差別誘発につながるだろう」と言う。
せめてよし子vsわる子というか①vs②とできなかったのだろうか。



昨日の研修会
・講演のひとつは末延吉正氏の「今後の政局・政治展望」。
元テレビ朝日の政治部長で今はジャーナリストの講師は小泉⇒安倍⇒福田政権が成立するまでの内幕をしゃべっていた。霞ヶ関の財務官僚と政治家との間での綱引きやリベンジやらマスコミが表層しか書けない理由などをしゃべっていた。


・世間を騒がせている守屋某問題は接待云々の入り口から入って年末までに検察側は相当突っ込むはずだけれども、闇の深い部分は黒い霧として依然残るだろう何故ならばケタ違いの軍需を米が握っているからだと言っていた。
ならば防衛省軍需をハイテク国家日本国自身が地産地消で担えば霧はうすくなっていくはずだがと僕は思ったのだが、違っているだろうか。


・講演のひとつは若松進一氏の「まちづくりの新しい風~夕日のまちからのメッセージ~」。
愛媛県双海町地域振興課長を早期退職して田舎町活性化に向けての奔走の自叙伝を聞かせて頂いた。

①仕事がない。
②活気がない。
③文化がない。
④プライバシーがない。
⑤パチンコ店がない。
⑥カラオケがない。
⑦狭い道しかない。
⑧ブテイックがない。
⑨情報がない。
⑩信号が三つしかない。
という田舎町の典型的な短所が実は裏を返せば強力な長所になるという逆転の発想を強調していた。


・去年の退屈な講演とは違って今年の講演は両氏ともに面白かった。
推測するに双方脱サラ組で安定保証のないところに身を置いたこと。
双方何冊かの本を出していること。
書き言葉が重しになっていることでしゃべり言葉は自在闊達時折ユーモア混入的となる。


30代半ばからあんまり読書をしなくなってしまった僕だけれども余生には読書時間を入れ込みたいと、帰りのバスのなかで思った。

 07/11/12 (月) 小雨の降る朝に


・本日は自治会館に於いて県市議会議員研修会が開かれ、15日は市議会議長会議員研修会が開かれる予定となっている。


議員の仕事が議会や委員会への出席だけだとするならば給料泥棒と呼ばれても仕方ないけれども、実際にはこのような研修会・視察研修がいろいろあり、終えてからの資料整理などにも追われる。加えて事務所来訪のひとたちとの応接も仕事のうちだと僕は思っている。


仕事というのはどんな仕事でもそうだろうが、義務的なこなしに終始するならば密度は薄いしエンドレスに関わろうとするならば濃くなる。
現実にはこの両極の位相の振幅のどこかに僕たちが居るということだろう。


・昔、地球年齢45億歳を一年間カレンダーに圧縮換算したことがある。
壬申の乱、源平合戦,、明治維新などは既に大晦日近くになっていて、ぼくの一生を63年と仮定した場合確か0.3秒前後だった。


比喩的に言うと人間の一生なんて鼻をかむ間に終ってしまうのだ。
永遠のなかの一瞬なのである。一瞬だからこそ後悔なく生を終えたい。


・船場吉兆の偽装で使用牛肉が但馬産ではなくて鹿児島産・佐賀産だったと騒がれている。僕には肉牛にブランドのあることが不思議なのだが、仮に旨さに差があるとするならば、騒がれれば騒がれるほど鹿児島・佐賀産が旨くないということのキャンペーンになるような気がして、かわいそうでもある。

 07/11/11 (日) 昨日と本日


学生時代の友人知人10人前後が全国から三国の某民宿に集結し冬味覚越前蟹食放題的大宴会を催すことになった。そこで昨日は運転手としてJR芦原温泉駅と三国を往復した。


首痛で禁酒中の私は宴席には参加せず車の運転をこなしただけだったが、一応市議の立場を考え、あわら市の概要や今後の在りうべき方向などを脚色的に語りながら往復した。


思ったことがある
三十数年間会ったことのない面々であり駅の改札口に現れる個々の容貌は昔の面影とはかけ離れているはずなのに、顔の輪郭と肉声でそれぞれが誰かはすぐわかった。しかしそれぞれの名前がなかなか浮かんでこないのだ。
私の認知力の衰えにも原因があるのだろうが、人間の生理として、視覚・聴覚と脳神経が直線的であるのに対して、言葉を記憶する脳神経はより複雑なのだろうと思う。


本日も、名所旧跡を運転手として案内する予定です。



ということで本日は越前観光の目玉・東尋坊から永平寺をまわった。
途中、丸岡城に寄った。



日本最古の天守閣からの眺望を楽しんだあと、城のふもとにある歴史資料館に入った。
資料館内の文物、宝物を見て歩いているうち、某氏が「おい、牧田家が寄贈してるぞ」と叫ぶ。
見詰めるとガラス越しの展示品の横に「寄贈・牧田正太郎」と確かに書かれている。死んだじいさんの名前なのでびっくりしつつも、構えて「今はおちぶれたとはいえ、牧田家の先祖は庄屋を営なむ旧家だったのです。私の立居振舞をみればわかるでしょう」と講釈しているうち、じいさんの名が正太郎ではなくて庄太郎だったことを思い出した。
ま、しょうもないエピソードです。


資料館を出たところで「文化の香りを丁寧に保存している市議会は信じることができるわ」とささやかれたが、私も本当にそう思う。


みんなをJR福井駅に送った午後3時、「ガイドが楽しかった勉強になった。ありがとう」と言われ手を振って別れた。


ありがとう・・・このひとことで、ひとはさわやかな気分になる。

07/11/10 (土) 忙しくなりそうな週末


読むと鬱陶しくなるのであまり丹念には読まない新聞社会面を今朝はじっくりと読んだ。


癌の母親を息子が庭に放置して殺したり、一歳半の男児を母親と祖母が共同でコンクリ詰によって死体遺棄したり、交際相手の女性を別れ話のもつれからかっとなって殺したり、働き盛りの壮年が病室で誤撃されて殺されたり、義姉が義妹を刃物で切り刻んで殺したりと命が軽々しく扱われている記事ばかりが並んでいる。


殆どのひとにとっては自分に関係のない事件であり、その前提を通して記事に悲嘆・憤怒を感じるのだろうが、実のところ、読み手が事件の張本人と対極の場にいると考えるのも本当はおかしい。


誰にでも喜怒哀楽の感情があるし各々の感情は交互に顕在化し潜在化するという構造を持っている。
人間関係のゆがみから相手に対して殺意を抱くこともあるだろう。ただし殺したいと思うことと殺すことの間には千里の距離があるはずだ。
理由はそういう思いを抱く自分を傍らで反省的に見つめるもうひとりの自分がいること、実践することによって待ち受けている刑罰や社会的制裁への畏れを持つことの大きくは二点だろう。


犯罪白書を読んだわけではないので殺人事件の数が実際に増加しているのかどうかはわからないけれども、印象としては増えている感がある。


価値観が多様化し個人の自由が叫ばれれば(本当は自由ではないと思うが)相手のなかに敵を見出す度合いが大きくなることは往々にしてあるけれども、本当の敵は自分自身のなかだけに居ることを踏まえておかなければならないと思うのである。

07/11/09 (金) 落葉を踏みしめて

・昨晩は久し振りに外(某議員宅)で飲んだ。体調がよくないのでほんの少量の酒で酔いがまわってしまった。
酒はひとり静かに飲むのが一番と思っている僕ではあるが、周りの人たちが陽気に語り合っているのを静かに聞いているのもそれはそれで楽しい。


ものの本で読んだことだが
この地球上でいろんな民族が日々を営んでいるが、どんな辺境の地に行こうと必ずあるのが「音楽」と「酒」だそうだ。

07/11/08 (木) 快晴の朝


・「自民との連立構想密談vs福田」で今激しく叩かれているのが小沢一郎だ。
先だっての参院選で一生懸命汗を流した僕にとっても、この報道は青天の霹靂だった。二大政党制実現のためにもこれは論外で心外だ。


・その後TV報道が進むに連れ、憂国の元総理・中曽根と読売新聞主筆・渡辺両氏による水面下の工作を受けて自民・大島国対委員長⇒福田総理へと伏線が形成されていったことが浮き彫りにされてきた。
記者会見で小沢がマスコミ批判を繰り返していたのは、その意味でよくわかる。


・小渕元総理が意識不明の重体になった時に、青木以下数人が都内高級ホテルに集まってのいわゆる重鎮数人による密室談義で森政権が誕生したという秘話を彷彿とさせる。


・それは自民党内での嵐だったし密約はしばらくの間流れなかった。しかし今回の騒動は党を超えかつリークした情報をマスコミはすぐに流した。


・情報流しが渡辺主筆によるものだという説には信憑性がある。
中曽根・渡辺が憂国の情で動いたその思いはわかるが、しかし一方は退役し一方はマスコミでしかない両氏の動きが、老害だということを自身自覚できなかった。


・その意味では小泉純一郎という僕の嫌いな元総理が、中曽根に引導を渡したというその一点に於いて評価できる。


・その意味では今回の総裁選に於いて派閥連合の象徴である福田に戦いを挑んだ麻生太郎は(数年前、野中広務に対して人権侵害の暴言を吐いたにも関わらず)、評価できる。


・永田町の論理(これは論理というよりも村落しがらみ関係というほうが正確かもしれない)と国民の目線には確かにズレがある。
しかし近年に於けるインターネットの普及に比例して、何かと制約にしばられているマスコミとは一線を画した例えばブログなどによるフリーな意見の表出が相対的に力を増している。ブログの功罪は確かにあるが、この一点に於いてだけは前進だ。

07/11/07 (水) 久し振りに会ったひとの笑顔が嬉しかった


・昨晩の某所での会議の途中、体調に異常を感じて早退させていただいた。
帰宅し熱いシャワーを浴びてから布団に入ったのだけれども、なかなか寝付かれない。眠気と覚気が交錯する。これを夢うつつというのだろう。夢幻の境地というのだろう。


・熟睡できないままに夜が明けた。本日は坂井地区介護保険連合議会が開かれる。今月11月は予定が満載だ。大切なのは健康だと思い、昨日から晩酌をやめた。


・ひとは悠々の時に気分が安定する。最近のはやり言葉で言うとスローライフか。しかし無理をしてでも急がねばならないことも勿論ある。
故開高健は、随筆・「悠々として急げ」で、「左足でゆっくりと歩け、右足ではやく歩け」と説いたが、物理的には不可能なこの行為を比喩として考えるならば、
例えば緊張には弛緩が不可欠だし、光は闇があってこその光だエトセトラというところだろう。


〇茨城県土浦市議会市民クラブによる政務調査費偽造事件は無茶苦茶だと、政務調査費のない(ま、不要だと思うけど)あわら市議の僕は思うのである。


〇とんぼさんから、「掲示板・<過ぎ去りし日々>が完結したので削除を」という御依頼メールがあったので、削除させていただきました。ご苦労様でした。


07/11/06 (火) 昨日


理由はよくわからないのだが、土曜日曜が閑静な私の事務所はウイークデイになると来訪客がそれなりにある。
市長による「長期財政見通し」が議会で発表され、ケーブルTVや市ホームページ動画で流されている為だろう、昨夕の来訪者との話は、「・議会の動向・新幹線関連・学校の耐震耐力度調査(これは掲示板におけるしるくさんやOpus57さんのコメントの影響もある)エトセトラ」が焦点となった。


ネクスト来訪者女性が、旅のお土産と言いつつビニール袋を僕に手渡した。
中身は若芽とスリッパだった。その白いスリッパを怪訝な顔で眺める僕に、「旅のバスで内履用に配布されたスリッパよ」と言う。リユーズの観点からモノを大切にするという観点からいいお土産だと、僕は思った。


柱時計が6時をぼおおーんぼおおーんと打ったので焼酎を少し口にした。顔がほんのりと赤みを増した頃、男性二人が来訪。「あわら市ふるさと探訪」が話の軸となった。
そのうちの一人が話の合間に、「この間、中学校問題をしゃべる牧田さんをNHK・TVでみて、わかりやすかったと言ってた人がいたよ」と言う。僕自身はみていないし、(瞬時だったそうだけれども)TV画面に映ることなど最初にして最後だったと思うので、ちょっとだけ嬉しくなった。


柱時計が9時をぼおおーんぼおおーんぼおーんと打った頃、眠気が増して散会。
帰宅し、白身フライとキャベツをおかずにしての夕食を終えてから浴室に行った。ボデイソープで足のつま先からへそ下を経由して頭のてっぺんまでを丹念に洗った。熱い湯にどっぷりとつかり、首筋を暖めていると痛みがおさまる。
脱衣場に戻り、真新しい白いパンツに着替え、やや白いステテコを履いてから上半身裸で鏡に向かった。
白髪が目立ち始めたとはいえ、皮膚にたるみはなく眼の底は光っている。


男はたくましくなくては生きていけない 
やさしくなくては生きていく資格がない
               レイモンド・チャンドラー
    なのである


大きく深呼吸をしてから布団に入り熟睡した。

07/11/05 (月) もうすぐ夜明けだ


考えてみると、何年前だったかこの掲示板を立ち上げた時には、老若男女硬軟ないまぜのバラエテイだった。
学校問題が浮上してからは、両翼から賛否の硬質意見が目立つようになった。
あわら市の掲示板・「市民会議室」が中傷をも含んだ白熱バトルの場となっての混乱のなかで閉鎖を余儀なくされ、その余波がこちらにきたようにも思う。
当時は僕も時折書き込みをしていたが、管理者であることを考慮して書き込みを止めた。
・・・という経過がある。


最近、友人知人からここの掲示板についての印象を聞かされるが多い。
共通トーンは
・書込者が限定的。
・二中存続派掲示板の様相を呈している。


加えて「統合派議員の何人かもここの掲示板を読んでるぞ」と数日前に言われたがそれはとても結構なことだと、思う。


僕自身は二中存続派議員だが、ここの「市政掲示板」は字義の通りで二中派掲示板ではなくアングル多様を原則としている。少なくとも他のあわら市議がHPを持っていない現在、その原則を維持することがマナーである。


「あなたの意見には反対だ。しかしあなたがあなたの意見を言うことに対しては決して反対ではない」ということで、それは議会内外を問わず民主主義の根幹だろう。
・ちょっと一服。
あわら市内に指定文化財はどれくらいあると思いますか?
今度幾つかの箇所でマイクを持つことになったので、資料を教育委員会で入手しましたが、こんなにあります

 07/11/04 (日) きょうは秋晴れ


ネットで朝鮮通信使の行列再現の記事を読んだ時、10年以上の昔を思い出した。


・我々金津町PTA連合会のメンバーは滋賀県湖北の町・高月町を訪ねた。老若男女が奉仕の心で力を合わせ道路・掘割の清浄を維持しているこの町は、江戸中期の儒者で李氏朝鮮との友好実務に携わった雨森芳州の出身地としても有名である。
・記念館での詞書によると、若い頃の芳州は元々医師を志していた。しかし一人前の医師になるまでには何人かのひとの命を奪わなければならない。弱った弱った、ということで一人前になるまでに原稿用紙をくずにするだけでいい儒者の道を選んだそうである。
・この高月町視察にはちょっと甘酸っぱい思いも刻まれている。人生とは思い出づくりなのだろう。
・事務所での所用の合間に自宅へ戻ったら、お袋の読経の声が聞こえてきた。読経は祈りでもある。隣室で声を聞いているうち、なんだか胸があつくなった。
・僕の家は浄土真宗ではあるけれども、僕自身格別熱心な信者ではなくて「ひとは死ねば死にきり」だと思っている。
だけれども、仏壇の前で数珠を持って合掌したり、神社拝殿でニ礼ニ拍手の立ち居振る舞いに及んだりあるいはミレーの絵を眺めたりする時、敬虔な気持ちになるのは確かだ。
どんなに科学技術が進歩し人智が拡大しようとも、いやそうなればなるほど心に巣食う不安は増大する。所詮真理に近づくことのできない衆愚の我々が絶対的なもの(それを大自然と名づけてもいいと僕は思うのだが)に帰依する態度はひと昔前までは普通であり四季折々にハレの日の行為として息づいていた。しかし今やカレンダー行事は崩壊しつつある。
世界を俯瞰すれば、三大宗教のセクト化細分化が進み、急進派穏健派の様々の対立のなかで犠牲者が日増しに出る状況だ。宗教と政治が絡んだ対立構図の背景ははなはだ複雑で我々凡人に絵解きは出来かねる。

しかしである
イスラム教のハムラビ法典が謳っている「目には目を 歯には歯を」は、決して「やられたらやりかえせ」ではなくて、「目をやられたら目を復讐するにとどめなさい 歯をやられたら歯を復讐するにとどめなさい」の謂いなのだ。復讐心が往々にして過剰になることの人間心性をいさめているのである。

我が日本古代に於いて、聖徳太子は「和をもって尊しとなす」と説いた。
これは各々の宗教のあるいは宗教心の多様性を尊重する言葉である。多神教つまり縄文の神々の存在に対する畏敬の念の表出にも通じると僕は思うのである。
07/11/03 (土) もう週末か


昨晩は読書。本に入り込んでいるうちに夜が明けてしまった。
アタマがぼおーとしていて眠たいのだけれども、しかし寝ていられない。
本日は市民文化祭が観光会館で開かれるのです。
8時半の功労者表彰から始まるのだが、もう8時を過ぎてしまった。では行ってきます。
〇「市政掲示板」では耐震・耐力度調査論議が続いている。
姉歯というアホでバカでヨクなサイテイの男がアホなことをやらかしたおかげでこの専門用語も結構全国津津浦々に知れ渡ったことと思うが、実は我国を俯瞰するならば住宅の殆どは木造であり、その耐震性も又見直されつつあります。


ちょっとおさらい。
国の耐震基準は大地震が起こるたびに厳しく強化されております。被災現場へ入り込んだ専門技術者・学者先生方が被災状況を調査し揺れの性状を統計化し、短期的長期的な予測の下に基準を修正していくのです。被災現場がテキストになるというのは大変悲しいことですが・・・。
そして昭和の50年に入った頃から鉄骨造建物仕口部分の熔接基準が確立されました。
昭和56年に鉄筋コンクリート造・鉄骨造建物を対象としたいわゆる新耐震基準法が施行されました。
・偏芯率(建物の平面が突出して歪んでいないかどうか)の検討
・剛性率(建物各階ごとの耐震性能が平準化されているかどうか)の検討
このふたつの検討項目導入が新耐震基準法の柱です。
前後して杭の曲げモーメント抵抗性能の見直しがありました(地震時の地盤液状化現象などで杭が基礎からずれたりしないか、あるいは曲げ折れてしまいはしないかの見直しです)。
書いているうちに首が痛くなってきたので、続きはこんどにします。

功労者表彰をされた皆さんのうちのおひとり・山本さん。

07/11/02 (金)  山井投手 頑張った


私は「市政掲示板」の管理者なので時々覗く。
同調する部分もあればしない部分もある。とりあえず管理者なので書き込みはしない。
しかし日記にならば書き込みも許される。


昨日の福井新聞は今回の「長期財政見通し」を「バラ色一方負担増」と見出しで形容していた。勿論これは統合派議員のささやきをキャッチした言葉だと思うが、当を得ていない。


今、バラ色の生活を実践できるのは株操作などで儲けたヒルズ族ぐらいであって我々は疲弊しながらも明日への活路を見出したいと思っているのが実感であるはずだ。


新聞には「盛り込まれた大型事業」とあるが
例えば
・早期の「小学校耐震補強」は、6月議会において統合派議員諸氏が動議提出し議決されたものに答える案でもある。財政見通しでは確か¥13.6億だったか。


・「橋りょう整備」¥8億は、今年5月の国交省「橋りょう長寿命修繕計画及び点検事業」通達によるものだ。あわら市内には83箇所に橋があるのです。
「災難はいつやってくるかわからない」という警句を考慮する時、そのリスクを債務で早期に着手し解決するのは当然で、これらを否定のニュアンスで「負担増事業」と形容されても、じゃしなくてよいのか、と反論したい。


・北潟湖畔用地¥12億償還は某統合派議員の6月議会一般質問議事録を読めばわかる。


・「北陸新幹線関連事業」¥73.4億は最近の県・国の対応をみれば先送りできない背景のあることは瞭然であり、しかし事業費圧縮の選択肢はいくつもある。


・巷で「公共料金・都市計画税」云々が言われているけれども、昨年6月定例議会で前市長による「新市建設計画変更」案の添付資料として既に謳われていたものである。
但し、議員として産廃処理場をいくつもみてきたが、そういう場所に滞積されたゴミの山を見る時、「まさに我々の家庭からそれらが出てくるのだ」を実感するし受益者負担の増加はある意味で仕方ない、と思う。


以下諸々あるけれども
合併協で擦り合わせした事項を先送りしたところで意味がない。
であるならば有利な起債である合併特例債を最大限活用して先送りしないほうがある意味自然だ。
結果としてでてきた数値をさして「大型事業めじろ押し・バラ色一方負担増」と記すのは
不正確だ。


私見だが
「長期財政見通し」は、例えば新総理の施政方針演説みたいなもので、出ている数値は懸案の事業を可能たらしめる余幅を持った数値だということ。
執行権者が個々の事業を議案として議会に提出してきた時にこそ喧々諤々がある。

07/11/01 (木) 小雨降る朝に

市庁舎・福祉課でいろいろ話し合ったあと、夕刻に帰宅。
お湯を沸かし、某氏が持ってきてくださった珈琲を飲んでいた時、知人から「事務所に寄ってもいいですか」という電話がかかった。
福祉畑で働くその来訪女性からこども達と家族の関係やこども達をとりまく現在の社会のことをいろいろ聞かされた。

CADの打合せを終えて夜遅く事務所に戻りソファにひとり座ってから、上記の内容を反芻した。そして、寝違いによる首のジンジンする痛みに耐えながら考えた。

手話に関わっているせいか障害者のことを聞かされることが今まで多かった。
障害児福祉は特に教育と不可分だ。結論として言うならば健常児を普通児と呼ぶのは実は健常者社会に住む我々のおごりであって、本当はこども達は全て普通児なのである。

昔誰だったかから「教育は共育だ」と言われたことがある。教える立場にいるひとが実は教えられることがいろいろあり、教えられる立場にいるひとが実は教えていることがいろいろあることの謂いである。
お互いが人間であることからくるそういう関係性を相談されたことは沢山あったけれども、建物としての学校の立派さというかグレードがその関係性に介在するという話は殆ど聞いたことがない。
その意味で、教育(共育)において大事なのはハードではなくてソフトだと私は思うのである。

本日入ってきたファクシミリを紹介します。



〇本日の午後はサンドーム福井で国保運協委員研修会が開かれた。
講師・柳井市長の語り口は退屈しないもので、二時間弱をながくは感じなかった。
私は一介の市議でしかないけれども、国の方向を見定めていなければならないことは沢山ある。人間一生勉強です。