2008年02月


08/02/29 (金) 深夜にCADと格闘中

本日は三月議会定例会初日。夜は問屋団地で打合せがあるので、私の事務所は終日からっぽとなります。
三月議会を前にしてのせいかどうか、昨日の私の事務所は千客万来だった。昼過ぎから夜の10時まで誰かが必ずいるという状況だった。「去るものは追わず来るものは拒まず」は、議員として要請される当然の姿勢なのであります。
さて
・その昨晩は本年の6月に福井県で開かれる全国ろうあ者大会についての打合せがあった。なんせ40数年に一度各県で開かれる大イベントだ。あわら温泉の四つの旅館でも沢山沢山のろうあ者が宿泊する。ろう協によると対応旅館側従業員に対しての簡単な手話講習会の企画を考えているとのこと。あわら温泉イメージアップのための良い機会ではないでしょうか。
さて
・去年の日記にも書いたけれども楽衆玄達今度コンサートを開きます。
私もチケット(¥2000)を5枚預かっていますので、よろしかったらご連絡ください。

★とんぼさんの会津盛衰記、興味深いですね。
確かに佐々木只三郎は、後に「自分がやった」と告白していた記憶があります。
けれども司馬遼太郎著「竜馬が行く」では、瀕死の重傷を負った中岡慎太郎の息を引き取る時の述懐として「相手は<こなくそ>と叫びながら切りつけてきた」と書いてあり、この言葉は十津川地方の方言なのでそこの藩士の仕業ではないかと推測していたように思います。
酒田市出身の丸谷才一は彼の随筆で、太平洋戦争に突入し赤紙一枚でかりだされる福島県の男に対して祖母が「長州もんを全て退治してこい」と命じたというエピソードを書いており、それくらい薩長に対する怨念のすさまじさが残り続けていたということだと思います。


08/02/28 (木) ♪そっとおやすみ

深夜、午前一時に目が覚めた。パソコンデスクの前に座りホームページソフトを開くことで一日が始まる。本日のミュージックは布施明の♪そっとおやすみにしたが、実はこの曲にはふたつの思い出がある。

思い出・その①
20歳の頃、私は「ロッテ歌のアルバム」というTV番組のアルバイトをしていたことがある(一週間のご無沙汰でした。司会の玉置宏です、というやつやね)。
楽屋の便所に入ってオシッコをしていたら野球帽をかぶった布施明が入って来た。
私の隣の小便器に立ちオシッコを始めたのだが、意外と小さい(背が)のに驚きつつ「素敵な帽子ですね」と話しかけた。
そしたら、「キミにあげるよ」と言って、その帽子を私に手渡してくれた。
歳月幾星霜で彼はオリビア・ハッセイと結婚し私は小澤臣子と結婚したのだが、その時の彼の気さくさが忘れられず今もファンであり続けている。

思い出・その②
10代の終わりにザルツブルグ音楽院に短期留学し、ハインリッヒ教授からモーツアルトに関する楽理とクラッシックピアノを徹底的に叩きこまれ、学友からは「全身・耳」とあだ名されていた私は、帰国してから日本の音楽状況に対して大きな不満を持っていた。(政治状況もそうではあるが)ポピュリズムというのはどうしようもないなあと思いつつ酒と薔薇の怠惰な日々を送っていた。
その日の晩も私は福井市片町の飲み屋街をダウンビートの気分で歩いていた。
角地のスナック「調べ」にさしかかった時、街角有線放送から「♪そっとおやすみ」のメロデイが突然流れてきた。
金子光晴が根付の国と断じた日本にもシャンソンがあるではないか、と救われた気持ちになった私は翌日からピアノをガットギターに変えてCコード、♯コードの練習に励んだ。クラシック素養を基礎に持つ私にとって習得は勿論たやすいことだった。

22歳の冬、新潟県は赤倉のスキー場に4人で滞在していたことがある。
(余談だが、そのうちの一人が仁多見くんだ。ホームページ日記では真面目硬派姿勢を貫いているが、学生時代に同下宿であった私は彼の言うに言われぬ愚かな過去を勿論全部知っている。)
民宿の炬燵を囲んで4人で朝飯を食う前、私が「そっとおやすみ」を歌うのが定番となっていた。言い過ぎかもしれないが、私がガットギターを奏でる姿は三人にとってまるで白い妖精に映っていたことだろう。

08/02/27 (水) 新しく買ったインスタント珈琲を飲みながら

昨日は寝たきりの親父(大正生まれ)の誕生日であり、しばらくの間お袋と昔の思い出話にふけった。覚えやすい誕生日である。

昭和11年2月26日に、陸軍皇道派青年将校達がクーデター未遂事件いわゆるニ・ニ六事件を起こした。昭和天皇に昭和維新を訴えたこの事件で青年将校達及び率いられた千数百名の兵達は、しかし軍及び政府により「反乱軍」と規定され武力鎮圧の結果投降を余儀なくされた。国家社会主義者・北一輝の影響の下、疲弊していた東北農民を思っての体制の腐敗に対する憤りが起こしたクーデターとされている。

この事件をモデルとした映画を場末の映画館で見たのは相当昔のことだ。
青年将校リーダーを演じていた高倉健は終始寡黙渋面であった。エンデイングで銃殺刑に処せられる時のかっと見開いたまなこが今も脳裏に焼きついている。
寡黙渋面は男の行動の純粋さの裏返しである。男女共同参画社会(この言葉が実はよくわからないのだが)の今日でも、人生の中で男にはこういう瞬間がある。
華々しいか地味かは別として必ずあると思う。
★ちょっと前にこの日記にも書いたことだが、米大統領選挙民主党候補争いのさなか、「オバマ暗殺」の可能性がマスコミでも語られるようになってきた。色の黒さと瞳の魅力だけならばオバマ氏と遜色ない私だし先日の臨時議会で議会修正案に反対した三人のうちのひとりとして徹底少数派となってしまった私でもあるので、米国民主主義が反人種差別のベースにのってきたかどうか、今後を注目せざるを得ない。
概して米大統領履歴主流はワスプである。ワスプとはホワイト・アングロサクソン・プロテスタントであり、例えばあの「ダラスの暑い日」のJ・F・ケネデイもカソリック教徒であったという理由で実は傍流なのである。

08/02/26 (火) 昨日の一日

昨日の朝はバージョンアップされた建築構造計算ソフトとの格闘に終始した。
昨年、構造計算手続きの規制が大幅に強化された結果確認申請業務数が激減し社会問題ともなった。これはひとえに姉歯及びその背後が起こした悪のせいであると同時に国の対応のまずさのせいでもある。そういえば彼の刑に関しては懲役5年の判決が出たたようだ。
仮に私がその罪を犯したとしたら法廷で叫ぶだろう。「お代官様、私の罪がそんなに軽いはずがない。せめて無期懲役にしていただきたい」と叫ぶだろう。

午後1時半からは全協(全員協議会)が開かれ6時前に終了した。3月議会(第29回あわら市議会定例会)のための全協である(日程を「議会報告」にアップしました)。
全協で某議員から、「、議事録検索システムを導入すべきだ」という意見が出たが、私も大いに賛成だ。二百数十万エンと決して安いものではないけれども、このシステムが導入されれば、個々の議員が公式の場でどういう発言をしているかがワンタッチでわかるのだから、情報公開のためにも必要だと思う。

6時半に帰宅した。腹がグーグーと鳴るので昼飯を食う時間がなかったことに気がついた。スプーンを右手に持ち、夕食の焼飯を口に入れようとした時、「事務所駐車場にいます」という来訪者携帯コールが入った。焼飯大皿を持って事務所に行き、おすそわけをしつつ自分も食べた。
「おいしい」と来訪者が言う。作り手ではない自分が誉められているわけではないのだけれども、悪い気はしなかった。
その後来訪者二人が加わって四人での四方山話ののち、帰宅した。今一番好きなことが入浴である私は、湯を熱くして首までつかりこんだ。「ごくらくごくらく」の言葉が自然に出てきた。
午後9時、就寝。

08/02/25 (月) 未明に

先日夕食を共にした友人は3月に定年退職する。同年配でありいよいよ団塊の世代が第一線を退くということだ。人生の帳尻合わせに四苦八苦の私などには無縁のことだけれども、団塊世代的友人諸君には「ご苦労様でした」と素直に慰労したい。
勿論、私自身の59年間の歳月にもセピア色の思い出が語り尽くせない程にたくさんある。「人生は永遠のなかの一瞬だ」と宮本輝は言ったが、にも関わらず実感としてはながい。

随分昔の話だけれども、福井で全国図書館大会が開かれた時、鳥浜貝塚発掘の指揮をした人(今は梅原猛が名誉館長をしている縄文博物館にいると思う)による記念講演の手話通訳をしたことがある。キーワードや舌の回転を知るため、講演の前に昼食を共にし、いろいろな質問をした。
「センセイ、縄文人は食品添加物など食べなかったはずだ。森のどんぐりやとれとれの貝などで体の純潔は守られていたのだから長生きしたんでしょうね」と問う私に対する答えは
「それは違いますよ。米作渡来の弥生以前なのだからストックの概念がない。天候不順で餓死者も出たはずだ。それに一種類を食べ続けるのだからビタミンが偏在する。バランスある栄養摂取ができないのだから、寿命は短かった。28、9歳にもなれば長老と呼ばれていたよ」だった。

そういう環境下の縄文人が自らを短命と思ったかというと、決してそうではなかったと思う。

08/02/24 (日) 忙しくなりそうな日曜日

粉雪舞い散り底冷えのする昨晩、私の事務所応接コーナーはテイーセレモニーの場となった。
妻が用意した、単なるインスタントではない高級濾過珈琲を友人諸氏と共に味わいつつ、ゲストの話を聞いていた。評論家の森田実さんが折に触れてほめている糸川正晃さんの話を聞いていた。
女性が多かったため、二時間程度で散会となったのだけれども、参加者の共通印象は「興味深かった。決して退屈しなかった」というものであった。

どのような話につけ話はそのテーマに沿う知識のあることが前提だ。けれどもそれだけならば活字配布で足りる。つまり知識は必要条件にすぎない。話の活性化に必要なものはなんだろうと、煎餅布団のなかで闇天井を見詰めながら私は考えた。

番付けして考えると
①リズムである。意識するしないに関わらず日本人がDNAとして持っている五・七・五調のリズムである。
②目線である。目線を固定化しないことが全体に語りかけている印象を強くする。気配りとしての目配りだ。
③語尾の明瞭性である。語尾の明瞭性が意思の強さを感じさせる。
④姿勢の正しさと物腰の柔らかさである。それが親近感をかもし出す。
⑤身なりである。身なりとは、華美をつつしみ洗顔と歯磨きを怠らないことである。
⑥さわやかさである。さわやかさとは、猥談をしないということである。

⇒結論として言うならば、私を反対にすることだろう、と思った。

08/02/23 (土) 苺を見ながら 考えた

新聞は先ずスポーツ欄から目を通すのだが、今朝のスポーツ欄には、「セ・パきょうからオープン戦」の記事が載っていた。球春である。春の訪れである。
昨日、お袋と共に某DIY店に行った折、店頭に置かれた苺の苗(498エン)に春を感じて購入した。
事務所駐車場の隅をシャベルで掘り起こし、苗を植えた。既に成っているひとつの赤い実を口に入れると甘酸っぱい味が口いっぱいに広がった。

ものの本によると、春をハルと呼ぶのは、古代政治に関係する。
祭政一致であった古代、冬は忌み嫌うべきものだった。緑が消え万物の枯れる冬の季節は悪霊のしわざによるものと考えられていた。そこでシャーマンと首長を兼ねた当時の統治者・例えば卑弥呼などが日々祭壇の前に正座し、榊の枝葉を左右に振りながら春の訪れを祈った。つまり春(ハル)は悪霊の季節の冬を「振り払う」行為であり、「払う(ハラウ)」が「春(ハル)」に転化したわけだ。
「春よこい はやくこい 歩き始めたみよちゃんが」なのである。

この日本列島に定着した言葉は当然和語だった。しかし文字表記の方法を持っていなかった当時の日本人は、先進国・中国の表記方法である漢字を拝借した。拝借しただけなのだから漢字本来が持つ意味性との間にずれが生じても仕方がない。
いつも思うのだが、漢字にだまされず発語を考えることが語源さぐりの上で大切だろう。
★土曜日につき床屋談義を・・・
・インターネット検索によると
「1858年4月、南紀派により井伊が大老職に就任すると、井伊は条約の締結と家茂の将軍継承を断行する。水戸老公徳川斉昭(斉昭は一度謹慎させられたが後に復帰し、藩政は実質彼が指揮した)、水戸藩主徳川慶篤(斉昭の子で実権は父に握られる)、尾張藩主徳川慶勝、福井藩主松平慶永らは井伊を批判するために不時登城を行った」とある。
「不時登城」を現代語に置き換えれば「不登校」だろう。
福井市の大安禅寺に大変大きなお墓のある松平慶永(春嶽)は、越前の衆生つまり我々にとっては、幕末の日本を動かした英雄である。その春嶽ですらも「不登校」をしたのだから、この行為には積極的な意味もあるのではないかと私は思うのである。
本当に悲惨だと思う。


08/02/22 (金) 深夜に炒めうどんを食べながら

昨晩は、国保運営協議会が開かれた。本年度から後期高齢者保険制度がスタートするのに伴い予算付けの構成がいろいろ変わることに対する質疑が主なものだった。10時前に終了したのだけれども、疑問点の残った私は、関係者一人とともに夜の街へくりだした。
といっても高級バーへ行ったのでもなければ居酒屋へ行ったのでもなく要するにラーメン屋へ行っただけなのだが、そこで食べたもやしラーメンが滅法うまかった。

11時過ぎに事務所に戻りパソコンをチェック。
数日ぶりに「市政掲示板」を覗くと書き込みが多い。私の固有名詞まで出ているのでちょっとびっくりした(・・私が迷っているようなので・・と書かれていたのにもびっくりした)。読み進むに連れ、「うんうん」と「そうかなあ」が交錯する。管理者なので勿論書き込みはしないが、議会を議会の外からみるのと内からみるのとで印象のニュアンスに差異があるのは確かだ。

議員は、個人中傷以外、公的私的の場を問わず考えていることの何をしゃべっても構わないと思う。議事録に残ろうが残るまいが意見は自在であってしかるべきだ。
「私は貴方の意見には反対だ。しかし貴方がその意見を言うこの場を大切にする」が私の対人関係の基本だしそうでなければ考えの彼我が見えてこない。しかし、勿論そのことでお互いの間にしこりが残っては駄目だ。

仏皇帝・ナポレオンは、「私の辞書に<不可能>という言葉はない」と言った。
なぞらえて私は、「私の辞書に<しこりとほこり>という言葉はない」と言うのである。
★生活環境課が、「カラスの駆除対策による爆音器設置について」というA4版ちらしを持って来た。
確かにここ数年の坂ノ下地区は、夕刻になると沢山のカラスが集まってきて電線の上は鈴鳴りだ。去年だったか、農林水産課へ苦情伝達に行った覚えがある。
騒音の問題もあり、関係区の承認をもらってからだからあくまでも予定だけれども、カラスのねぐらである坂ノ下八幡神社に3月5日から爆音器を設置するそうです

08/02/21 (木) 2校存続決定の臨時議会を終えて

ただ今午後3時。臨時議会を終えて事務所に戻ってきたところだ。
市長提出の議案第6号・「新市建設計画の変更について」は賛成少数(3人)で否決、議会側から提出された「新市建設計画の変更についての修正動議」は賛成多数(17人)で可決。但し部分修正以外の文言つまり二中存続案自体は全員賛成で可決となった。
部分修正とは、市長側が「芦原中学校を改築改修事業」として提出したのに対して、議会側が「芦原中学校を大規模改修事業」と修正された箇所を指す。
ところで、私は市長提案に対して賛成つまり修正案に対しては反対の立場からの討論を行なった。
議長からの「討論ありませんか?」の声にに手をあげたら一番目に指名されてしまった。
傍聴席を振り向けばケーブルTVカメラが入っていたようなので、機会がありましたらご覧ください。
なお、討論の骨子を「議会報告」に書き込んでおきます。

08/02/20 (水) 残雪をみつめながら

★昨日の全協(全員協議会)が終ってからの帰り道、いろんな思いが頭を巡った。
結論としていうと、私は議員として不適切な人間なのかもしれない。
だからといって、今の時点で議員辞職願いを出すのは自分に票を入れてくださったひとたちに対する裏切りであり、任期いっぱい勤めるのが義務だと思い直してはいるのだが。
★非公開を原則とする全協での議論をここで書くのは本意ではない。議事録の残る「本会議」あるいは「委員会」の模様であればめいっぱい書くけれども、ここでは省く。

★だけれども休憩時間の雑談でいろいろ言われたことに関しては与太話として書き込んでも差し支えないだろう。
・「お前は馬鹿だ」と言われたが、これについては全く異論がない。人間は全て馬鹿だと思っているからである。言うほうもそうであって、何も自分だけのことではない。
・「お前は強硬派だ」と言われたが大いに異論がある。私ほどふにゃふにゃな人間はいない。異性に対しても無限の優しさを発揮し続けてきたのが、いわば私の半生でもあった。
・「お前には常識がない」と言われたが、ひとはすべからく常識とは何かの厳密な定義をせずに自身の行動原理を常識に基づいたものと錯覚している。だから、ないといわれようがあるといわれようが、「そうです」としか答えようがない。

★帰宅して、妻に全協の模様を話した。
妻は、「仮に全員一致であったとしたら、議員は単なる員数(インズ)や・・。機械でしかない・・。議会なんて必要ない・・。議論が伯仲してこその議会やし、異論がでてこその多数決やろ。少数意見をどう尊重するかで議会の質が問われるんやざ」と、言う。
妻は私にとって人生の教師なのだと思った。

08/02/19 (火) もらった葉巻を吸いながら

★本日は、臨時議会に向けての全協(全員協議会)が開かれる。

統合派vs二中派の垣根をなくさないことには膠着状態がこれから先も続くことは明らかである。
昨日の午後からは、夜遅くまで幾つかの場所で関係者と話を重ねてきた。
例えば国会であれば政党政治となるので国策を巡っての方針の違いや対立が浮き彫りにされることは当然だ。けれども地方議会ましてや小さい自治体での議会となると、会派があるわけでもなく(・・うん、ひとつあるか・・)、個人原理が軸とならざるを得ない。ひとりひとりの考え方に差異があるからこその個人なのだとひとまずはいえるだろう。しかしそれだけならば烏合の衆に過ぎず、議会意思の発現はできなくなる。
議員はというかひとは信念や信念を裏打ちする理屈を大切にしなければならないとは思うが情というものも又存在する。潜在顕在は別として必ず存在する。「理屈七分に情三分」くらいが対人関係の普通の姿勢じゃないかと私はひそかに思っている。
どちらかというと私はかたくな方だと思うが、かたくなであることがいいのか悪いのかよくわからない。わからないが、仮に相手のかたくなさを責めようとするならば自分のかたくなさを責めなければ片手落ちだし、相手のかたくなさを讃えようとするならば自分のかたくなさを讃えなければならない。

・・・何を言いたいのか、自分でもよくわからなくなってきた。
★全協終了後、いくつかの新聞から取材を受けた。あるいは運転中の車にも携帯取材がかかってきた。帰宅し風呂からあがっての晩飯のさなか、TVのスイッチをつけたら私の顔が出てきたのでちょっとびっくりした。そういえば、NHKからTV取材も受けたのだ。
しゃべっていることは真情であり、うそいつわりはございません。

08/02/18 (月) 忙しくなりそうな週明け

★議員というのは土日構わず人と会うのが仕事みたいなところがあり、昨日もその例に漏れなかった。夕刻に帰宅し熱い風呂に入り熱いグラタンをおかずにしてのひとり晩飯を済ませたあと煎餅布団に入った。
来訪した人・出先で会った人たちとの中学校問題を軸とした討議を反芻し、コソボ独立の今後を考え、米大統領選を占ったあと目をつむったのだが、もともと火の気のない寝室の昨晩は特に足元が冷え、なかなか寝付かれぬ。数時間のうたた寝ののち、事務所に戻った。

★事務所に入りパソコンをスイッチオンとした。
窓越しの街灯をよぎる粉雪の影を見ていると、春よこいはやくこいという気分になり、何故か万葉集の一首が頭に浮かんできた。

石(いわ)ばしる 垂水の上のさ蕨の
       萌え出でづる 春になりにけるかも    志貴皇子


心の浮き浮きするこの歌を詠んだ志貴皇子は確か天智天皇の嫡子で、天智天皇は継体王朝に属する。近江に嫁ぎ夫と死別した振姫が継体天皇を育てた実家の地は隣市=坂井市丸岡町であり、それを考えるともしかしたら私は継体天皇の落胤ではないかだから万葉集に魅かれるのではないか、と多少恥じらいながら思ってしまうのである。

08/02/17 (日) 寒波が続く

昨夕は福井市内のホテルにて某団体の会合があった。終了後、外に出るとぼたん雪だ。
タイヤのスリップに気をつけながらゆっくりと家路を急いだ。途中、酒専門販売店に立ち寄った。焼酎コーナーに行くと種類が満載だ。迷った挙句「泡盛焼酎」に決めた。

事務所に戻り冷えた体を熱々珈琲で温めている時、某マスコミからながい電話が入った。
先ずは先日の全協取材記事についての私の想いを申し上げた。
「来週の全協あるいは臨時議会に対してどういう姿勢で臨むのか」と問われたので、これも自分の想いを素直に申し上げた。

エアコンと照明を消し、自宅に戻った。親父に熱がある38度ちょっとある、とお袋が言う。やや気になる。
晩飯のおかずは肉とキャベツで、もはや脆弱としかいいようのない歯で格闘した。
晩飯時だけ見るTV、昨日の選択番組はプロレスだった。見る人が見ればそこに技などの奥行きを感じるのだろうが私などにはただの喧嘩としかみえないしだからこそ頭をからっぽにできる。わざわざ雪深い永平寺まで行って座禅をしなくても格闘技を見ることで無心が可能ではないか。
思うに人生は格闘だ。とりわけ最大の敵である自分自身との格闘だ。そして格闘にはかならず無心の境地が間合いで必要だ。

08/02/16 (土) もう土曜日か

一昨日の全協(全員協議会)の場にいた者として申し上げるならば、翌日の新聞記事は内容を正確に伝えていない社もあったと思う。現にコメントを求められた方の記事に対する御立腹も聞いた。
議会ならば、傍聴席から記者自身の耳で個々の議員の発言を聞くことができるし、公平性は記者自身の力量に委ねられることになる。
しかし非公開の全協取材は、終了後の取材相手によって左右される。取材相手の必ず出てくる思い入れを排除しつつの取材となるだろうし、そこに齟齬も出てきうる。

議会は定例議会ケーブルTV放映を昨年から始めている。常任委員会こそケーブルTV放映の対象になってしかるべしと考えている私は、臨時議会もだしついでに全協も公開として放映の対象にして構わないのではないかと思う。今思い起こしているのだけれども、秘密にしなければならない事項は何もなかった。
付記するならば、全協の数日前に開かれた学校建設調査特別委員会終了後に、大きなグループの集まりがあったとの噂を聞いているし、それならば全協にむけての全協が既に終了していたということになるのではないか。

★気がついたら、このHP日記を書き始めてから8年の歳月が流れました。
議員になりたての頃、ウグイス嬢の夫君にHPをつくっていただきました。
その後、HP作製市販ソフトを購入し、沢山の友人のサポートを受けつつスタイルを自分色に染めてきました。
私はプロフィルに「特技=なし」と書きましたが、敢えて言えば「特技=継続」かもしれないし、議員をやってる間はとにかく続けるつもりです。

最近は深夜に書いています。
外は静寂と漆黒の闇という深夜は訪問客もなくゆったりした気分で書くことができるからです。
ところで本日のメールによると、何人かの議員諸氏もこれを読んでいるそうであります。
となると
襟をただし誤字脱字に気を付け起承転結を守り抑制の効いた文を目指さなければバカにされると思うのだけれども、なかなかそうはいかないのが実情です。

08/02/15 (金) 市長の「芦原中 改築・改修」提言について

未明に起床し熱々珈琲を飲みながら新聞を開くと、「中学2校存続で合意へ」の大きい見出し記事が目に入った。決定機関ではない全協(全員協議会)ではあるけれども、終了後に議長はじめ個々の議員に取材したマスコミの印象がこの見出しとなったわけである。確実に一歩前進したと思う。
議会の外から見れば「何でこんなに時間がかかったんや」という素朴な疑問の残るひとも多いと思う。逆に「何でいまさら改修の言葉が出てくるんや」と思うひとも多いと思う。
付記すると
改築・改修はオールオアナッシングではない。部分改築もその反対もあり得る。
その判断は高度な専門技術者の調査報告に委ねられることとなるだろう。

議会内にいる立場から言うと、永い間続いた紛糾対立エトセトラの背景には「統合派」「二中派」を超えて苦渋・逡巡の思いを各議員が持っていることを目の前で感じ続けてきたわけであり、
議長ではないヒラ議員の私が言うのも変な話だけれども、議員諸氏の「二中存続賛成」に対して、素直に感謝申し上げたい。当然のことながら、「統合派」「二中派」のレッテル貼りは既に妥当ではない段階となった。
「芦原中改築」を掲げてきた現市長が「改築・改修」と文言を変更するに至るまでの苦悩は痛いほどよくわかる。
しかし
昨夕事務所を来訪した「2校を守る会」女性会員から「私達は2校存続を願ってきたんです。改築or改修は本質的なことじゃありません」といわれた。
私自身周囲のひとと話す限りでもそういう意見をよく聞く。
いずれにしろ「一日もはやい学校問題の解決を」という至上命題が現実的になってきた。

★私事なので書き込みをためらったのだけれども

プレゼントされたバレンタイン焼酎・・・その名は「隠し蔵」。とても美味しかった。

08/02/14 (木) 久し振りの酩酊

★昨日の午後1時から、「坂井地区介護保険広域連合議会」が開かれた。
介護保険制度自体は浸透したが、浸透したことで問題がいろいろ浮き彫りにされてきた。
山積するこれからの課題を思うなかで5時過ぎに終了。午後6時からは某料理屋での親睦会となった。

親睦宴会での左右両席は坂井市の議員で日頃顔をあわせることが少ない。いい機会だいろんなことを聞こうと思った。シャイな私にとってこういう時のアルコールは重宝である。お湯割り焼酎をあおりながらいろんなことを聞くうちに時は過ぎていった。
いささか飲みすぎたのだろう酩酊で背中に悪寒を感じた私はこっそりと宴席を離れた。

料理屋を出ると外は雪だ。ダーバンコートの襟をたて空を見上げた。真っ白のボタン雪が天から舞い降りてくる。別世界を歩く気分のなかで、「はやく寝なければ」と家路を急いだ。

事務所に戻ってスーツを脱ぎジャージーに着替えてからソファーでまどろんだ。
そのあと4、5人のひとが来たようだ。しかし何を話したのか聞いたのか実のところはっきりと覚えていない。

★今朝は、全協(全員協議会)が開かれた。私自身は秘密保持主義者ではないし公開も構わないと思う者だけれども、「全協は議事録をとることもない非公式の会」という釘刺的意見が出たので、とりあえず流れを書くのはやめておきます。
沢山のマスコミが来ていた。明日の新聞各紙には関連取材記事が大きく載るだろう。
その記事を読んでから、補足乃至は異見というカタチで書き込もうと思っています。

★坂井市の某議員に、「牧田さんのHP日記から受ける印象と、会っての印象とではいささか落差があるように感じられます」と言われた。「文は人なり」を私は信じているしあるいは目指してもいる。
努力せねば、と思った。
★某氏から「三島由紀夫」と「大江健三郎」に関する長大メールが入ってきた。
三島・「金閣寺」の流麗文に触発されて、警句=「美に対する嫉妬」を記憶の引き出しに入れたのが20歳くらいの時だった。なつかしい。

08/02/13 (水) 外は吹雪

★本日は13日だ。実は私は13という数字が嫌いである。
若かった時に「13の階段」という映画を見たが、これは死刑台に到達するまでの階段数を意味していたし、西欧で13という数字は不吉を表すものとされている。

★というどうでもいいことはさておき、13日の本日、「坂井地区介護保険広域連合議会」が「開かれる。市政にしろ広域連合にしろ我々は議論しなければならない様々の課題を抱えている。
だのに議員どおしが顔を合わせれば、いつも話は学校問題に終始し、街で声をかけてくる市民からは「去年の市長選で決着したはずや。だのに議会は遅々としてる。あんたら議員は馬鹿の集まりじゃないか」と揶揄に近い繰り言を浴びせられる。
(他のひとはともかく)私は確かにそうだが、議員レベルは有権者民度の反映に過ぎないと思っている私はそう言われることに痛痒を感じないし、私なりにアカウンタビリテイを果たすことに努めているつもりではある。しかし、時はどんどんどんどん過ぎていく。

★昨日は「中学校建設調査特別委員会・協議会」が開かれた。最初の一時間は市長からの説明及び市長への質疑に終始した。市長退出のあと、議員どおしでの討論に移った。
意見を拝聴しながらあるいは発言しながら、会全体の流れの方向に対してある種不服の思いを禁じ得なかった。
私は、今、公開日記を書いている。そして昨日は協議会の場だったので、固有名詞交えての具体的な流れをこの場で書くことに関しては憚らなければならないだろう。

★協議会終了後、マスコミから取材を受けた。そのうちの少しは今日の記事となるだろう。
ものごとに関する記述は直視と伝聞で差を生じる。直視は取材者の感性に一任されるが、伝聞にはワンクッションが伴う。ワンクッションとは伝い手の感性である。その意味での齟齬が気になる。

08/02/12 (火) 今朝は雨

★昨日の来訪客から「牧田さんの最近のHP日記は、やや陰にこもりがちですね」と言われたが、新聞の社会面を開けば例えば近親による殺人事件の賓回発生や沖縄米兵による女子中学生乱暴事件やの満載で要するにぼんやりと眺めているだけで気分が後退する。
だからというわけでもないのだけれども
庶務が山積していてはやく消化しなければという勤勉精神と何もせずただただぼんやりとしていたいという怠惰精神とがいつも心のうちで交錯する。

08/02/11 (月) 三連休最終日

明治22年の今日、大日本帝国憲法が発布された。大日本帝国憲法下の日本は連合軍と戦い破れ、’45年に玉音放送。秋に、マッカーサー元帥が近衛内閣に憲法改正を示唆。’46年には昭和天皇が人間宣言を行なった。GHQの指示あるいは協議に基づき’46年5月第一次吉田内閣の時に日本国憲法施行となった。
おおまかに言えば(というかおおまかにしか言えないが)そういう流れの中で’49年に生まれた私たち団塊の世代は戦後憲法の申し子みたいに呼ばれてきた。反戦意識即平和意識の浸潤する時代に関西で学生生活を送った私には、ひとつ心にこびりついていることがある。

それは沖縄のひととの付き合いだった。
某私大で講師をしていたそのひとから太平洋戦争末期での沖縄戦の悲惨を繰り返し聞かされ、「琉球人(ウチナンチュー)」の「大和人(ヤマトンチュー)」に対する棘のような鋭い目つきとにも関わらず相手の全てを包み込む大きな優しさをいつも感じていた。遊び人だった私もこの時ばかりは酒と薔薇だけの怠惰な日々を反省し、沖縄の歴史の一端を学ぶことを決意した。
尚王朝時代の大明帝国との関わり、島津藩の琉球に対する苛斂誅求、英雄・謝花昇の抵抗運動、「死の棘」などで有名な島尾敏雄の小説への(一時的ではあったが)のめりこみエトセトラであった。
後年、沖永良部島(沖縄本島の北にある小島)でしばらくを送ったのも内的学究意欲が働いたためと思われる。

数十年が経過するなかで日本はおおきくアメリカナイズされてきた。米国51番目の州のような様相を呈してきた。グローバリゼーションという言葉はその美名とは裏腹に国家としてのアイデンテイテイを損なわせる力学の構図を持っている。
一方で、こんにちの対中・対半島政策の不透明さははなはだしい。贖罪意識を失ってはならないのだろうが、政治は情の次元だけで動くものではないはずだ。前向きの構図を必要とする。

憲法とは国家の根本指針を謳うものだ。主権在民なのだから国民の根本指針を謳うものだ。
建国記念日(憲法記念日と間違えていた)だから言うのではないけれども、国会で巷で現憲法の是非あるいは修正を論じることはとても必要なことだと思う。
★「・・・今日は建国記念日であって、憲法記念日ではありませんよ。神武天皇即位日が元。
ま、牧田さんのこと。間違えても恥ずかしさというものはないでしょうが。議員さんらには「菊と刀」を読んでもらいたいものであります・・・」というメールが入ってきた。
忍び寄る認知症のせいかと思いつつ、恥ずかしさのあまり入ってしまいたい穴を探したがみつからず、仕方なくひとりワンカップを飲み始めています。
★先日、事務所応接コーナーのテーブルを木製のものに戻した。L2.7mW0.9mのとてもダイナミックなものだ。金小PTA会長時代、副会長さん達6,7人と共にこのテーブルで何十回焼肉を食ったことだろう。何十回水炊きをしたことだろう。何十回おでんをつついたことだろう。何十回教育問題を語り合ったことだろう。
昨晩の来訪客・O女もそのうちのひとりである。
しかし、頭上の炭籠カバー白熱灯がやや暗く感じられる。
Qくんのところへ電球を買いにいった。できたら赤系統の艶っぽい色にして「居酒屋おまき」的雰囲気を出したかったのだが色ものはなくしかし150ワットの白熱灯があった。夜の帷が降りる頃に点灯してみたら、感じが随分よくなった

08/02/10 (日) ・・一歩ずつ・・

★昼過ぎに事務所から外に出たら、通りを若いアベックが歩いている。アベックはたちどまり、女の子のほうが私の事務所の窓をデジカメで撮り始めた。気になり、「何を撮っているのですか?」と尋ねた。
「窓に貼り付いたイラスト(つまりこれ)が面白いからです」の答えが返ってきた。
姿勢をただし、「実は私がモデルです」と囁いた。素敵なおじさまと思ったのだろう、「顔を撮らせてください」とカメラをこちらに向けてきた。勿論、悪い気はしなかった。

★CH専用チャンネルTVの試合によく出ているプロレスラーを息子に持つお母さんから電話がかかってきて、久し振りの四方山話となった。
十数年前に高校を卒業したその息子は、G・馬場の全日プロやA・猪木の新日プロへの入門を志願したのだけれども身長が足りないという理由で断られ、小型身軽レスラーの多いメキシコマット界へ渡った。数年後、「メキシコで世界タッグタイトル獲得!」の記事が新聞にでかでかと出たので、御存知の方もいるかもしれない。

★そのお母さんが私の事務所を来訪したのは、大坂府立体育館からの帰りだった。息子(確かその時は藤波辰巳道場門下)のプロデビュー試合を、リングサイドで観ていた、と言う。
「相手が息子を殴るたび、痛くて痛くてねえ。涙がでて仕方なかった」と、言う。
結果はノックアウト負けのほろ苦いデビューとなってしまったそうだ。
「でもね、藤波辰巳さんってすごくハンサムで恰好いい。楽屋で握手した時は顔がぽおおーっとなってしまったわ」とミーちゃんハーちゃん的なことも言っていたが、
思うに母はいつまでたっても母である。父はいつまでたっても父である。子はいつまでたっても子である。良きにつけ悪しきにつけ、そうである。
昨晩の親睦会で隣席にいたひとの奥さんは三国合同庁舎に勤めていて農林関係に携わっている。スナップ掲示板・蛙さんの写真の松林(恐らく三国の海岸)」の松枯れがひどく、対策に躍起だそうだ。
三国のあるひとは、「松食虫のはびこりは地球温暖化と関係する。温暖化で虫が活性化してきている。それと中国大陸から流れてくる工場排出汚染空気も一因かも」と、言っていた。

08/02/09 (土) 春よこい はやくこい

昨日は、娘の誕生日だったので花屋へ行った。今の季節に花が並べられているのは、とても不思議なことである。
花といえば
啄木の短歌  友がみな われよりえらく 見ゆる日よ
                    花を買ひ来て  妻としたしむ
を、夭折の詩人・寺山修司は「これが啄木の限界」と批評している。
それは(明治の限界という含みもあるあるのだろうけれども)、友の範疇から妻を除いているつまり妻に個我を見出そうとしていない、というものであった。


ところで、ぼくの好きな花はなんといっても「菜の花」だ。

三年程前までは、プロパニストK氏の助けを借り、A4裏表版「菜の花通信」隔月500部輪転機刷近隣地区深夜早朝笑顔挨拶的歩行郵便受配布を続けていた。学校問題が浮上し状況が流動的になったため中座のやむなきに至ったが、落ち着いたら再開したいと思っています。
★今朝、某医師所有の沖縄本格焼酎「南(ハイ)どなん」を某所でそっと飲んでみた。
添え書きには「度数60°・・・アルコール度数が高いので火気厳禁」とある。
若かった頃、琉球列島・沖永良部島でこれ位の度数の焼酎を夜な夜な飲んでいたが、マッチの火を近づけると、液体がぼっと燃え上がるのである。喉越しの痛烈な刺激でぼくの気持ちは凛とした。


 08/02/08 (金) もう終末か

★ぼくは、このホームページを、町議になって二年目に起ち上げた。周囲から勧められて掲示板を起ち上げたのは、その後一年程経過してからだった。
初めの頃、掲示板に寄せる話題は多岐に渡っていた。和気藹々でもあり床屋談義的でもあった。
中学校問題が浮上してからは、書込みが硬質になってきた。
当時は市のホームページに掲示板・「市民会議室」がありその場での意見の応酬が盛んだった。露骨にもなってきた頃、「市民会議室」は閉鎖された。
★その余波がこちらにやってきた。日々の書込みが増えた。二中存続維持派・統合派ないまぜに百花繚乱となった。管理者としては当然中立だけれども、議員として二中存続派のぼくはたまに書き込みもしていた。でもいろんな意味で越権だと思い、自身の書き込みを一切やめた。
「書き込み手を実名限定にすべきだ」と周囲から言われた。けれどもハンネだからこそ自由に投稿できるメリットを大事にせねば、とも思った。
★その頃と比較するならば、今は静かである。管理者の意に反して二中派専用掲示板的様相を呈してきてはいるのだが・・・。
議員のなかにこの「掲示板」を苦々しく思っている人が沢山いるのはどうやら事実のようだ。対象が書き込み手なのか管理者なのか判然とはしないが、対象が管理者であるとしても理由に説得力があると思わない限りぼくは痛痒を感じない。若い頃から、「屁理屈屋や」「石頭や」「馬鹿や」「アンテナのない男や」と言われ続けて育ってきたぼくにはマゾのけがある。
★対象が書き込み手であるとするならば、ということで最近の投稿を通読した。
別に毒々しさを感じない。「2チャンネル」や「マルキ・ド・サドの文学」に比べれば、素朴で澄み切った青空のようである。敢えて問題化される部分があるとするならば、議員の前に固有名詞が冠されることが目立つようになってきたことか。気になるならいつでも連絡してください。
★それが個人中傷に当たるかどうか名誉毀損となるかどうかについてだが
議員の行動や発言は議会内外で公的だ。個人的プライバシー以外は当たらないとぼくは思う。
議会後の親睦会などで固有名詞を冠された議員諸氏と話をすることは勿論ある。
酒を酌み交わしながら、この「掲示板」についてのクドキを聞くこともある。
酒で関係は私的になっており、共感することも勿論ある(反感することもあるが・・・)。
★ひとが何かのテーマでいろいろ考えているとする。考えているうちは腹の中・つまり個人所有の段階だ。けれども、そのひとつまり主体が唇を通してペンを通してあるいはキーボードを通して言葉を発した瞬間から言葉は共有化され、そのひとを離れる。それが言葉の宿命だとぼくはどうしても思ってしまう。

08/02/07 (木) 寒波襲来

昨日のTVが赤福・営業再開模様を放映していた。開店前からの鈴鳴行列待ち風景を見て、お袋に「赤福ってそんなにうまいんか?」と聞いたら「うまい」という返事が返ってきた。
おなじ食品偽装でも、赤福などの製造日偽装と中国産毒入り餃子ではルール違反の度合いが全く違う。賞味期限超過食品は、「賞味期間を過ぎています。味が落ちていると感じられても我慢お願い致します」のメッセージ付き製造日正直刻印でルール遵守となったはずではないか?
★数ヶ月前の未明、コンビニに行った。棚のツナサンド(220エン)をレジに持っていったら、ハンサム店員が「これは賞味期限を過ぎています」と、言う。
次に出てくる言葉が
「味は落ちます。タダで構わないですから、よかったらお持ち帰りください」だろうと思い
「構わない構わない。食えるものはなんでも食う」の返事を用意していたのだが
「他のサンドイッチと取り換えてください」と、予想外の言葉が返ってきた。
★ちょっと前の話だが、「まきちゃん、茶碗一杯の珈琲豆の値段と米一杯の値段が同じなんて許せると思うか?」との怒りを聞いたことがある。「わしは農薬を使うけど、自分とこが食う分には使わない」との某米作農家のひとりごとを聞いたことがある。
世界の食べ物が安く店頭に並ぶことは食料自給率の低下と軌を一にするのだが、グルメと食文化の奥行きとは全く違うものだろう。
★高鍋藩から養子として迎えられ米沢藩9代藩主となった上杉鷹山は、藩政改革として先ず自らの粗食と側室小人数へのカットを断行した(側室全てカットではなかったはずだ)。
私が、歳長け枯れた男になってきたから思うのかもしれないが、これからの私が目指す食事とは「一汁一菜但焼酎付及時々断食」である。清貧が実は豊かなのだと思いたい。
★米大統領民主党候補でヒラリーとオバマが熾烈な指名権争いを演じている。
その噂が田舎の小さな議会にも伝わり、どうも黒い顔の私はひそかに「あわらのオバマ」と呼ばれているそうだ。
だとしたら、私にとってのKKK団(白人優越主義者)が誰なのか、つまり敵は誰なのかを見極める必要がある。

★本日の午後は、福井県立大で開かれた(改正建築基準法による「構造計算書作成の要点と事例」)長時間講習会に出席した。寡黙に聴き続けるというのは大変に疲れる行為である。
夕刻、事務所に戻ったのだが、聴きながら思ったこと感じたことを明日の日記に書き込もうと思っています。
★三笠商会の松原さん、本日はコンピューター環境のサポート整備をしてくださってありがとう。
感謝しています。


08/02/06 (水) 外は漆黒の闇

★午前二時に目が覚めた。昨日の日記に鬱気分などと書いたために心配した友人女性が持ってきてくださった美味しいリッツチーズサンドを食べながら、もうそんなこと書くまいと思った。
明日への不安は誰でも持っている。すれ違う幸せそうな顔をした隣人の心の底にも大抵は辛いこと心配なことが潜んでいる。いわば、その克服のための自己とのタタカイの日々が人生なのだろう。
「挫折を経験したことのない人を尊敬することはできない」と誰かが言っていたが、そうなのである。喜びも悲しみも幾年月なのである。おいら岬の燈台守なのである。
前を向いてしっかりと生きていかねば、と思う。
★そう思いながら左側コンテンツに「♪明日に架ける橋」を貼り付けた。
私の分野であるクラシックでいえばモーツアルトの「♪変ロ短調♯12」、日本の童謡でいえば「♪赤とんぼ」、日本の歌謡曲でいえば「♪いい日旅立ち」、日本の演歌でいえば「♪港町ブルース」に匹敵する海外歌謡曲だと私は思っている。
「・・・明日のあなたのため、荒海によこたわる架け橋になろう・・」のあなたは家族であり友人であり隣人でありエトセトラである。

★いつものことながら日記を読んでの感想メール、Sさん、ありがとう。

08/02/05 (火) 無題

★午前二時に目が覚めた。昨晩の来訪者の話を思い出し鬱な気分になる。
誰の背後に誰が居て云々は政治の世界につきものかもしれないが、そのことで有権者にわかりにくい構造となるならばものごとが膠着してしまう。
生来わりに楽天的で相手の笑顔をそのままに信じてしまいがちな私だけれども、その裏に舌出しなどがあるとするならば、それはそれで私達人間が共有する悲しい性(サガ)だというべきかもしれないしそう認識できる程に自分自身が成熟してきたと理解すべきなのかもしれない。

★CADの合間に、しばらくの間、土井健朗vs渡部昇一の対談集を読んでいた。おや?と思うところがあった。私は、「愛」の対語は「憎しみ」だと単純に思っていたが、キリスト教世界に於いて「愛」の対語は「妬み」だそうだ。クリスチャンではないけれども、なんとなくわかる。

08/02/04 (月) 深夜ラジオからの「センチメンタルジャーニー」を聴きながら

昨日の朝は某寺院で護持会総会が開かれた。総会終了後は親睦会。当然のことながら周りに座っている人たちから学校問題についてのいろんな質問をうけたあるいは意見を拝聴した。
どちらかというと理屈好きではない私の対人関係姿勢は「理屈七分で情三分」くらいだと思っている。これが酒など入っての席となると「理屈三分で情七分」くらいに逆転する。へらへら笑っているだけになりがちだ。
酒はひとりあるいは本当に気の合うひとたちとの間での酌み交わしがやっぱり一番いい(三九蕎麦会、又やろうぜ)。

というようなことを書いている午前一時半、突然消防自動車のサイレンが聞こえてきた。消防センターに電話すると「・・・あわら市二面で火災発生・・・」のテープがまわっている。
現場はごったがえしていた。
消火活動を見る私の横に来た知己のひとが「12時を過ぎると人が居なくなる建物。煙草の火の不始末が原因らしいよ」と、言う。火は大切であると同時に本当に恐ろしいと思った。
★下記のメールが送られてきました。
初めてメールをさせていただきます〇〇と言います。
 
私は、去年の夏に化学物質過敏症になってから、トイレの匂いがしんどいのです。
 
それは、汚いからとかではなくて、使われている洗剤が、とてもきついのです。
 
トイレの合成界面活性剤や香料で、しんどくなります。
 
体にも、よくないですしね。
 
食料品の偽装が数多く行われたこともあり、食料品コーナーでは、表示を見ながら、買い物をされている方が多くなりました。

しかし、日用品売り場では、成分を見ながら、買う方は少ないと思います。

最近問題になっているアスベストひとつをとって見ても、
 
国も企業も業界も、それぞれが随分昔から安全性を疑っていたようですが、目先の利益を優先し、結局はたくさんの人が被害に遭うまで安全策を講じてきませんでした。

日用品の中に含まれる化学物質の有害性や経皮吸収の危険性を、不特定多数の方が泊まられるホテルや旅館だからこそ、考える必要があるのではないでしょうか。
 
公共の施設においてもです。

一般的に使われているから、大丈夫だとは、絶対言えないと思います。

問題は、商品を信頼し、毎日安全だと思っている日用品にとんでもない健康を害するリスクが存在することです。

日用品に有害、危険という表示は、ないですから。

本当の意味での安全、安心を、化学物質過敏症になってから、考えるようになりました。

私が、安全な食品と日用品を買っている所でだけ、言われているのかと思っていたら、 この一月で、3回ぐらい経皮毒についてテレビで特集が組まれていました。

少しでは、ありますが関心が、持たれだしているような気がします。

ホテルや旅館の備品に関しても、成分に関心を持つ方が、私以外に出てくるのではないでしょうか。
 
公共の施設においてもです。


だからこそ、[有害な成分とは何か]という考えを持って、安全な製品を選択する必要があると思います。

本屋で、経皮毒の本が、目立つように並んでいました。

関心を持たれているという事ではないでしょうか。

地球に優しく、人に優しくです。

私が求めているのは、本当の意味での安全、安心、美味しさ、安らぎです。

美味しく食べに行きたい、楽しく、リラックスできる所に旅行がしたいという気持ちだけです。

私が空気清浄機を買ったお店の方は、しんどいと言いながら、出かけているのといいますが、楽しみたい気持ちとの葛藤です。
 
食材は、気にされていても、お皿を洗う洗剤は気にされていないことが多いです。
 
食材はお皿に載っているのです。
 
体に優しくない洗剤で洗っていても、一緒に口の中に入るのです。
 
なぜかなと疑問です。本当の意味での美味しさではないと思います。
 
私は、化学物質過敏症や、経皮毒について、自分の症状が出て、初めて深く考えるようになりました。

症状がでるまで、使っていたのだからしょうがないのかもしれませんが、化学物質過敏症になって、初めて気づくことがたくさんありました。

テフロンのフライパン、やめようやめようと思っていましたが、なかなかやめずに使っていました。

反応して初めて本当に体に悪いとわかりました。

フライパン以外にホットプレートや炊飯器もテフロンの物は、反応して、気持ちが悪くなり吐きました。

ようやく、やめることが出来ました。

料理番組において、テフロンが使われている事が多いのにびっくりしました。

症状が出るまでは、そういう風にテレビを見ていませんでした。

私自身、使っていたのですから。

この料理人の方が、これを使うのかと本当にがっかりすることが多いです。

ゴムベラを使って、フライパンでの炒め物、溶けてきそうでぞっとしました。

たぶん、反応して気持ちが悪くなると思います。
 
昔ながらの道具類には、反応はしません。

鉄のフライパンも塗装において、化学物質が出るものがあるという事を知りました。

問い合わせの時に、大丈夫ですといっていた物が、

〔化学物質過敏症になっているのです〕と言った所、〔使われない方がいいです。〕という返事でした。

それは、あるお店で、2年待ちの商品なのです。

体によくない調理器具で、2年待ちとは、どういうことなんでしょうね。不思議です。

鉄において、塗装の仕方によって、体に負担になる事があるとわかりました。
 
身の回りの物を改めてにおって見ると、いくつかに化学物質の発している臭いがしたのです。

とてもびっくりしました。

あまりきつい臭いのする物は、やはり何らかの化学物質が発していているのでは、ないでしょうか。
 
12月の新聞に記事が出ていました。http://hes.pbh.med.kyoto-u.ac.jp/pfcreview/070523.htm

本当に化学物質過敏症になって初めて、気づくことがたくさんあります。

農薬付きでない観葉植物や花が、ほとんどないということも初めて知りました。

病院のお見舞いにお花をプレゼントしたり、自分でも飾っていました。

今後は、無農薬のお花か自分が育てた物以外は、プレゼントはしない、

農薬付では、どうかなと思うようになりました。
 
部屋の空気を浄化するといっている観葉植物から、農薬が出ていては、逆に部屋の空気を汚しているのではないでしょうか。
 
ちょっと、謳っていることと、違いすぎます。


私自身、症状が出るまで、気づかなかったことが本当にたくさんありました。

食器を洗う洗剤。

食器においてもそれが口に入るので経皮毒になるということ、

合成界面活性剤の入っている歯磨き粉も体に悪いということをです。

それについても、私自身、ようやく気づいた状態ですので人のことが言えません。

インターネットで、経皮毒。せっけん。合成界面活性剤。化学物質過敏症について解りやすくのっていました。

誰でもが、化学物質過敏症になりえます。

私もまさか自分がなるなんて考えもしませんでした。

リホームの失敗もありましたが、合成界面活性剤による経皮毒もあったように思います。
 
私が、香料に一番反応しているのは、

たぶん、去年、香料入りの入浴剤を喜んで使っていた可能性が、大きいように思います。
 
それから、抗菌性のおしぼり、ウエットティッシュ、抗菌性綿棒に反応しました。

私は、解らずに一生懸命柘植の櫛に抗菌性綿棒で椿油を塗っていたのです。

もうその櫛は、残念ながら、処分しました。

抗菌性のいろいろな商品が出ていますが、どこまで安全なのでしょうか。疑問です。

メーカーは、安全性データーシートを出して、洗剤同様安全ですと言うと思います。
 
病院では、必要だと思いますが、日常生活においては、使いすぎのように思います。

お風呂の水にも、反応しました。塩素の影響でした。

どうなのかなと思いながら付けた活性水器で、お風呂が楽になりました。

沸騰するのも、早くなりました。
 
活性水器は、洗剤の量が減り、水の沸く時間が短くてすみ、水道管の汚れが付きにくく、メリットが高かったです。
 
私自身、本当かなと思いながら、家の水道のメーターの元栓につけました。
 
42度のお湯に入っていたのが、39度か38度で十分になったのですから、体への負担は、違ってきています。
 
お手入れが要らないというのは、簡単でいいです。
 
病院であったり、旅館であったり、ホテルであったりがもっと普及してくれたらいいなと思いました。
 
水がきれいであれば、必要がないですね
 
トイレットペーパーは、無香性が一番いいです。
 
トイレットペーパーにも、経皮毒があることを知りました。

洗濯の柔軟材にも反応しました。

食材、調理用具、石鹸、シャンプー、掃除道具、 水、などを換えて今、以前の反応は減ってきています。

排気ガスが喉にしみて苦しかったのですが、だいぶ楽になりました。

それから、灯油の臭いでも、反応していたのですが、あまりしなくなりました。

今回、化学物質過敏症になった事で、いろいろと勉強になりました。

何が本当に安全であるのかという事を考えるきっかけになりました。

楽しみたいので、ホテルや旅館や料亭に、聞きましたが、食材、調度品には、こだわりがあっても、

本当の安全安心にこだわりのある所は、皆無に近いということに気づきました。
 
ホテルのスイートといっても、本当の所、安全、安心、安らぎの所では、ないのです。

本当にどこも一緒でした。
 
食材には、気を付けてらっしゃるのに食器を洗う事に対しては、どうなの状態でした。

口に入るという意味で、いっしょなのですが。。。

だいぶがっかりしています。

でも、しょうがないのかもしれません。

私自身が、反応するまで、いろいろと使っていたのですから。

旅館やホテルにおいて、トイレの石鹸への取り組み、トイレットペーパーの取り組み、清掃の洗剤への取り組み、食器の洗剤への取り組みが、ほとんどされていないのは、なぜなのでしょうか。

地球温暖化が叫ばれていて、まだいろいろ出来ることが、あるように思います。

ホテルにおいても、旅館においても、対応している所が少ないのです。

私のような化学物質過敏症の人は、増えていると思います。

無農薬野菜までは、考えておられても、その先が。。。。だったりです。
 
無農薬野菜も実際は、少ないですよね。
 
化学物質過敏症の人にも優しいということは、他の症状が出ていない人にも優しいのです。

いろんな食品の安全と安心の団体があり、オーガニックのショップも結構人が入っています。

そこで買い物をしていて思ったのですが、

今、本当の意味での安全安心が求められていると思います。

今回、無農薬無化学肥料という言葉も知りました。
 
無農薬有機栽培では、化学肥料が使われているということもです。
 
先日、オーガニックレストランに食事に行ってきたのですが、お手洗いは、石鹸を使われていて、大丈夫だったのですが、
 
そこで出されたおしぼりで気持ちが悪くなりました。
 
普通のおしぼりでは、大丈夫なのですが、袋入りの分に関しては、使われているものが体に悪いので、反応するのです。
 
私が、使う分に関しては、布のおしぼりを出してくださいましたが、暖房で、揮発して、他の方のおしぼりの臭いがしんどかったです。
 
このような有害物質を含んだ多くの日用品に囲まれて生活をしています。
 
そして、無農薬、無化学肥料の野菜を使っています。という所でさえ、何の疑いもなく、袋入りのおしぼりを使っているのでしょう。
 
食料品の偽装が数多く行われたこともあり、食料品コーナーでは、表示を見ながら、買い物をされている方が多くなりました。
 
しかし、日用品売り場では、成分を見ながら、買う方は少ないと思います。
 
食事で、使い捨てのおしぼりが出てきたら、一度臭ってみてください。
 
何か気づくことがあるかもしれません。
 
もしかして、ツーンとした臭いは、しないでしょうか。
 
それで子供の口を拭いても大丈夫でしょうか。
 
ちょっと疑問を持ってください。
 
体の声に聞いてみてください。
 
何か違和感があるものは、体にとって、よくないのではないでしょうか。
 
普通に、売っている綿棒も一度臭ってみてください。
 
もしかして、こんなのを使っていたのかと思うかもしれません。
 
最近問題になっているアスベストひとつをとって見ても、
 
国も企業も業界も、それぞれが随分昔から安全性を疑っていたようですが、
 
目先の利益を優先し、結局はたくさんの人が被害に遭うまで安全策を講じてきませんでした。
 
日用品の中に含まれる化学物質の有害性や経皮吸収の危険性を、
 
一般的に使われているから、大丈夫だとは、絶対言えないと思います。
 
問題は、商品を信頼し、毎日安全だと思っている日用品にとんでもない健康を害するリスクが存在することです。
 
日用品に有害、危険という表示は、ないですから。
 
本当の意味での安全、安心を、化学物質過敏症になってから、考えるようになりました。
 
[有害な成分とは何か]という考えを持って、安全な製品を選択する必要があると思います。
 
私が空気清浄機を買ったお店の方は、しんどいと言いながら、出かけているのといいますが、
 
楽しみたい気持ちとの葛藤です。
 
私が、行っているトレーニングジムでのトイレがしんどくて、粉石けん、EM液や重曹やクエン酸などをプレゼントしたのですが、
 
今までと変わらないぐらい汚れも落ちるといってくださいました。
 
トイレは、トイレ用と書かれた分での掃除をしないといけないわけでは、ないですしね。
 
ただ、メーカーが決めただけですもの。
 
洗濯用の粉石けんをそのままではなくて、溶かして使うのです。
 
それを業務としてされている所も、東京の方にありましたが、使われている粉石けんの量は、それほど使われていないようでした。
 
主人は、化学物質過敏症ではないですが、シャンプー、リンス、や石鹸を変えたところ、頭の赤かった所が、だいぶ少なくなってきています。

髪の毛も増えているようだなと観察しています。

手荒れも、改善されてきました。

背中のかさかさしていた所が、冬にもかかわらず、逆に良くなってきています。

体に優しいものに変えると違いがわかります。

もっと早く変えれば、よかったなと思いました。

お風呂の掃除やトイレの掃除も、体に優しいものでも、十分汚れが落ちるし、きつい臭いがなくなってよかったと思っています。

自分が、楽になっただけでなくて、いろんな変化がありました。
 
石鹸に変えてから、髪の地肌が変わってきました。
 
合成界面活性剤が、本当に体に悪かったのだなという実感があります。
 
体に優しくない洗剤は、地球にも優しくはないです。

せっけんは、一定の濃度より薄まれば界面活性作用を失いますし、一日で分解してしまいます。

ところが合成界面活性剤は、どんなに薄まっても界面活性作用は失わず、分解もなかなか進みません。

地球温暖化対策にとっても、大きな違いが出てきます。

水とC02は、一見関係がなさそうにも見えますが、給湯など水を温めるときに使われるガス・電気のほか、

上下水道を浄化するときにも電力を中心としたエネルギーが使われ、CO2が排出されます。

水の節約や水を汚さない工夫も省エネにつながり、CO2を削減することになります。
 
石鹸を作るときのエネルギーと合成洗剤を作るときのエネルギーも違ってきます。
 
環境汚染も少なくなり、健康への影響が変わってくるのでは、ないでしょうか。

CO2の削減目標も出されているのですから、分解性のいいもので、手を洗い、食器を洗い、掃除をしたら大きく変わったくるのでは、ないでしょうか。

しんどいのです。体に悪いのをなぜつかっているのですか。では、きっと考えてくださらないだろうなと思いまして、

地球温暖化にいかに関係しているかということでは、考えてくださるのではないかと思いました。

私の出かけれる場所を作ってくださいというのもありますが、これ以上しんどい人を増やさないでくださいという願いでいっぱいです。

日々、経皮毒になるであろう物で、手を洗い、食器を洗い、掃除をしている方は、どうなのであろうかなと思います。

でも、それが一般的に売られているものだからという答えなのかもしれませんが、本当にいいのでしょうか。

症状が出て、ようやく、いろんなことに疑問を持つようになりました。

体に優しい所が、少な過ぎます。

本当の意味での安全、安心、やすらぎです。

ぜひ、少しでもいいので、考えてみてください。
 
今後、安全で、安心の安らぎの場が増えることを希望します。
 
化学物質過敏症の症状が出てなくても、気を付けたほうがいい事は、たくさんあると思います。
 
備品に関しては、一度鼻でクンクンと臭ってみてください。
 
スリッパやマウスパットから、臭いがしていました。
 
もし、臭いがする場合、それは、化学物質が発散されていると思います。
 
費用はかからないですから臭ってみてください。
 
普通に売られているスリッパのほとんどが、ホルムアルデヒドありです。
 
スリッパで、反応を起こしまして、買った所で数値を測ってもらいました。
 
スリッパをあまり臭ったこともなく、こんなにくさい臭いがしていたとは、びっくりでした。
 
ホルムアルデヒドなしのスリッパも、存在しますが、なかなか探さないとないです。
 
ホルムアルデヒド有り、無しとの表示があり、一緒に並んでいるわけではないです。
 
消費者は、選択する余地もないのです。
 
心配のない所が、一箇所でも増えるといいなと思っています。
 
体に優しいトイレは、環境に優しくなります。
 
掃除の洗剤で、苦しくなったことがあります。
 
地球温暖化にも、分解のしやすいものであったら、地球に対しての負担が減るはずです。
 
本当にこれで、安全なのと少しでいいので、疑問を持ってください。
 
調査機関に出さなくても、人間には、鼻というすばらしい物があります。
 
お金はかかりませんから。
 
私自身が、症状が出るまで安全性に対して、目をつぶってきたと感じております。


  08/02/03 (日) 昨晩

午前7時に目が覚めた。昨晩の記憶をまさぐるのだがデイテールが出てこない。
昨晩は何ヶ月ぶりかで事務所での宴会となった。同時刻にもうひとつのグループの宴会が近くで開かれていた。市議なので不義理をしては駄目だと思い、双方の場で議会報告をした。

節酒の日々が続いているなかで宴席につくと、往々にして飲みすぎる。
「飲もうが飲むまいが話を乱さない」を信条とする私はそれを励行してきた。
事実、昨晩もそうだった。
だけど飲んでからあとの記憶がおぼつかなくなったのが昨晩だった。

08/02/02 (土) ふと思ったこと

★トルコの諺に「全員賛成はこれを承認しない」というのがある。これは人間心理を突いた言葉だと思う。ひとりひとり顔が違い考えが違い感性が違うからこその個性である。
しかし社会生活を営んでいる以上、ものごとを取り決める時には、話しあわなければならない。話しあうことによって相互了解が進む。だけれどもそれは最大公約を求める行為でもあり、個々は妥協や反発を感じたりする。結果として、我の強い人あるいは信念の人はあくまで反対にまわる。
多数決というのはひとりひとりの考えを尊重した上で数を決め手とするものであるが、むしろ少数がどの程度なのかを計るバロメーターといったほうがいいのかもしれない。

★2校派議員諸氏の話を聞くに付け、統合派の垣根が高く大きい気がして仕方ない。それが間違った情報であってほしいと思うだけです。
★「ミニ講座でしゃべってほしいのですが、プロフィルをファックスしてください」というファックスが入ってきた。プロフィルはこれです。
しかし、笑ってしまったのは、付記として、「女性遍歴は書かなくてけっこうです」と書いてあったことだ。「あわら市議随一の品格」とひそかに呼ばれている私に対して書き添えることではないだろう。



 08/02/01 (金) あわただしかった昨日

★昨日は、坂井地区介護保険広域連合運営協議会が開かれた。終了後に某院長から最近頻発する救急車たらいまわし問題の実情を聞いていた。要するに救急医に対する支給が大変だ来ても来なくても保証が必要というので、「じゃ、拘束代を基本給として支給し救急患者がひとり来たらいくら、という二重支給制度にしたらどうか」と、私は言ったのだが、いずれにしろ薄給だとどうしても不祥事が生じやすい。
介護報酬の低さも社会問題となっている。国は報酬引上げを検討しているのだが各事業所が人件費支給に限定する対応をするかどうかの懸念があるという。こうなると心の問題でもある。
★十数年前、まだ議員になっていなかった頃、金津町が新住居表示制度施行を発表した。おかしいすべきではないと個人的に思っていた私のところに、某有名建築家から電話が入った。
「施行計画を新聞で読んだが、あれは絶対駄目だ。新聞に反対論を投書しなさい」と言う。
「ようわかる。でもねえセンセ。ぼくは役場の設計入札に入っているし生活の支えとして必要なんや。役場のへそ曲げることするの嫌やなあ」と答えたら
「牧田くん、何を言うか。建築家は世のため人のために在る。カスミを食べて生きていきなさい」と間髪いれずに言う。
「ぼくはカスミで構わない。餓死も甘受する。けどか、妻やこどもはどうなるんですか。そこが一番問題や」と反論した。結局、反対論をFMラジオでしゃべったし新聞にも投書したが、生活の保証がないと人心は荒れてしまう。
★複雑な心で「依頼されていた電話しなあかんなあ」と思いながら事務所に戻ったら、おふたりさんが来訪。学校問題熱心語りをひたすら拝聴しているところへおひとりさんが来訪。入れ替わりにろう者夫婦が来訪して、「手話サークル例会日」であることを思い出した。
強い空腹で「餓死は駄目だ。晩飯だけは食っておこう」とひとまず自宅に戻った。何故かどっと疲れが出た。十分間だけの仮眠をしたつもりが、目が覚めたら午前一時だった。
事務所に戻ると灯りが煌煌とついている。夜にどういう出入りがあったのかは知らない。