2008年03月



08/03/31 (月) 旅立ち

本日は三月最終日。明日から新しい年度が始まる。
ということでかどうか、昨夕に、「蕎麦を打っている。来ないか」の電話が入った。
あることで沈みこんでいた私は、とりあえず行った。

茹であがった蕎麦を食べつつの四方山話はそのテーマが来年の市議選に移った。
友人諸氏から「定数が22名から18名に削減される。確固とした支持基盤のないお前には大変厳しい状況だ。容姿・さわやかさ及び清潔感に疑問符がつくこともマイナス要因だ。出るのか出ないのか」と問われた。

実際のところ変則三期を勤め、もう十分だという気はあった。しかし揺れに揺れた中学校問題のベターな決着を最後まで見届けたい見届けるべきだという気持ちが一方で確かにある。
私は、「状況の厳しさは十分にわかっている。しかし厳しいから出ないというのは理屈のいくものではない。当選の可能性が小さいということとゼロということとは全く違う。当たって砕けろの気持ちで頑張りたい」と答えた。

四月・・それは私にとって新しい旅立ちの季節である。

08/03/30 (日) 友あり 遠方より来たる

又 楽しからずや
ということで、学生時代の同下宿人が昨日来訪。彼との同居生活の頃が「私が一番美しかったとき( 茨木のり子)」で、いろんなはちゃめちゃをしていたなあ。私は彼を反面教師として自己を確立していったのである。
誘い、三国の海岸へ向かって車を走らせていた時、知人の建築工務店主が昭和のレトロを倉庫に集めていたのを思い出し、直行した。
三国昭和倉庫館だ。
一年程前だったか、この倉庫を同僚市議と共に訪ね案内していただいたことがあるが、団塊の世代にとっては、過ぎ去った昭和の雰囲気を十分に満喫することのできる場所である。
三国の海岸線ドライブを終えて事務所に戻り、互いの近況報告に興じていた夕刻、たまたま知人が来訪し、三人で焼き鳥屋へ行くことにした。滅多に外へは飲みに出ない私にとって久し振りの焼鳥だ。セオリーどおり生ジョッキーから入った。

堪能しての帰路、スーパーマーケットに立ち寄り惣菜を買ってから事務所に戻った。
野菜天ぷらを食べながら二人で長寿社会到来の功罪を語り合っていた時、別の知人が「高精白醸し大分麦焼酎・安心院蔵」を持って現われた。ありがたいことです。
★手の指に刺さったバラの棘による出血を見てショック死した詩人としてはリルケが有名だ。
同じように繊細であるが故に、俗な人間関係に疲れ「草花のいのち」をはぐくむことに熱心になっている私は、昨日、事務所駐車場の隅っこに
①バラの枝を挿し木した。
②紅梅の株を植えた。
今から成長していくであろう両君を見ていても、決して飽きない。

08/03/29 (土) クラシックコンサート

★桐朋学園の学生がコンサート活動を行なっているKANONというグループがある。
仲のいい友人の娘さんもメンバーに加わっているこのグループのミニコンサートが、昨夜、某喫茶店で開かれたので聴きに行った。
外は時折霰が降るという生憎の天気だったが、店内は満員で、人の熱気が充満していた。
決してクラシック音楽の良い聴き手ではなくその種のCDを持っているわけではない私だけれども、音楽を理解する対象ではなく感じる対象だと思えば、聴いていて楽しくなる。
ということで、コーヒーブレイクを伴った昨夜のコンサートを十分堪能した。

★本日の福井新聞で、「至民中学校完成」の記事を読んだ。
至民中学校の設計図書が完成した頃に、福井市教育委員会を同僚議員と共に訪ねたことがある。福井市では初めての「教科センター方式」採用校であることや学校と地域の関係などのいろいろを聞いたが、「教科センター方式」については県外への視察研修で既に幾つかを見て説明を受けていた。討議の積み重ねの結果、こういう方式が採用されたのだろうしあるいは教師たちの教育観の時代による変遷が背景にあったのだろうと思う。ただし、昭和30年代後半に中学校生活を送った既におじさんの私としてはなじみにくさを若干感じる。
それより、いつも思うことだが
校舎の「校」は木と交わると書く。木は有機体であり、校舎が鉄筋コンクリート造であるとしても内部造作に木をふんだんに取り入れるべきだ。

 08/03/28 (金) もう週末か

いつだったかの日記に書いたけれども、今年の6月に福井で全国ろうあ者大会が開かれる。そしてその期間、芦原温泉に沢山のろうあ者が宿泊する。大会実行委員会は、旅館関係者(四つの旅館に決まっているそうだ)、温泉地区のお店のひとたち、タクシー運転手のひとたちに対して簡単な挨拶手話講習を含めた説明会を開く。
ということで
昨日、その実行委員会の長から電話がかかってきた。準備のサポートを依頼され、市役所関係課・湯のまち公民館・商工会などを行ったり来たりしているうちに午後の部は過ぎていった。

やや疲れた気分で帰宅。夕食をとりながら新聞を開くと、「県内教職員異動」が紙面いっぱいに拡がった。近くの小中校に、昔PTA会長時代に担当教師だったひとたちが校長として転任あるいは新採用されている。
それらの名前を眺めながら、「ううーん、あの頃は私もあのひとたちも若かったなあ」と、歳月幾星霜を思った。
★本日の午前中は、あわら市商工会役員との懇話会。午後は「広報編集委員会」が開かれた。合間を縫って三国土木事務所をとんぼ帰りをした。そのもっと合間に、道路に関する相談を受けていた。
思うに、地方議員というのはなんの専門家集団でもない。市民の素朴な思いを素人の立場で行政に伝えるエイジェンツだ。

08/03/27 (木) 今宵も月が綺麗です

昨今の御時世を眺めていると、世の中にはゴミのような人間が沢山いると思うが、それはさておき、昨日の午後は生活環境課に行ってゴミのことを聞いていた。
市外の知人から「あわら市のゴミ処理のことを詳しく知りたい」という電話があったためである。担当職員から資料・「あわら市廃棄物の処理清掃条例」及び「各市町指定ごみ袋料金」を基にして説明をもらった。おおざっぱに言って、ごみ袋料金の違いは、袋に処理料を入れるか、入れず処理に税金を投入するかどうかだが、私はあわら市のやりかたのほうがいいと思う。受益者負担とすることは、ごみ搬出総量抑制につながり得ると思うからである。

ちょうどその場に居合わせた同僚議員に、「刑事コロンボみたいやな」と言われた。
隙のない私だって、パリのシャンゼリゼで買ったダーバンのコートをいつも着ている程のドレッサーではない。昨日はたまたま安物のだぶだぶ春コート(¥1980)を着ていた。加えて頭がぼさぼさだったのでそう言われたのだろうと思い、散髪に行って気持ちをすっきりとさせた。

夕刻に事務所へ戻ると、某同僚議員が来訪。「一部事務組合・「坂井郡環境衛生組合議会」が開かれた」、と言う。
「まきちゃんが三月議会で一般質問したように、わしも一部事務組合統合のことを一般質問した。管理者は、前向きに考えたい、と答えた」と言う。
「今から芦原温泉で親睦飲み会や」と言いつつ、彼は夜の街に消えていった。

08/03/26 (水) 敦賀気比の選手諸君、ご苦労様

★若い頃からどちらかというと自分の地味で平凡な性格が嫌いだった。もっと自由闊達に生きることを目指してきた。そういう方面の性格改造長期セミナーに参加したこともある。けれども、「みつごの魂 百までも」というように性格改造はむつかしいし不可能だった。時折周期的にでてくる自己嫌悪は今後も続くだろう。
しかし、中年になった頃から、「ひとは全て、現在の自分とこうありたいと思う自分との間の齟齬によるストレスを持っているしそれが個性だ」と思うようになってきた。
ひとを見る目が肥えてきたのかもしれない。
妻がいつも言うせりふのひとつが、「普通に平凡に生きることが一番大切や。そしてそれが一番むつかしい」がある。これを至言だと思うことのできる歳に私もなってきたのだろう。

★昨日の福井新聞「国体の遺産」座談会に、金津中学校時代の同級生、住田・新宅両君が出ていた。
「そおおーか、彼らは坂井郡サッカー界の貢献者だったのか」と私は頷いた。
住田君は還暦の歳になっても子供達にサッカーを教えることに熱心で、青年の心を持っている。両君、ご苦労様。
★午後、所用で市役所の幾つかの課を廻った。雰囲気がこころなしかあわただしい。本日の新聞に出ていたように人事異動が発表されたからだろう。去るひと来るひといろいろである。私は10年間サラリーマン生活をしていたが、建築設計事務所に身を置いていたので異動とは無縁だった。ゾロ目の歳に零細貧乏建築設計事務所を立ち上げてからも自営業故に異動とは無縁。
10年程前、議員になったが、敢えて言えば、その間に二度の異動を経験した。
そして来年の春には、又、人事異動がある。

08/03/25 (火) 昨日の一日

★土浦での殺傷など無差別殺人や家族殺人など動機のわからない事件が新聞社会面を賑わしている。実数として多くなってきているのかどうかは白書を読まない限りわからないけれども、個々の事件が単なる異常人間のしわざというだけではなくて、底流として社会全体に乾いたストレスが浸潤しつつあるような気がしてならない。

★そういうことを考えていた昨日の朝、友人が来訪。四方山話での結論は「ひとの心はわからない」だった。

★6月に福井県で「全国ろうあ者大会」が開かれる。なんせ47年に一度の大イベント、で芦原温泉に沢山のろうあ者が宿泊することになる。
ということで頼まれて、昨日の午後は関係者とふたりで知り合いの企業数箇所に助成寄付依頼に行った。実はこの種の行為が苦手だ。寄付は自発的なものであってしかるべきで依頼されてするものではない、と本当は思うのである。

★夕刻に来訪した友人がケーブルTV・29チャンネルに映る議会の印象を語った。
「程度の低い部分がようけある」という御批判のトーンだったが、ケーブルTVを見るひとは意外に多いみたいだ。

★夜は某所にて会議。9時半頃に帰宅し、そのまま就寝。

08/03/24 (月) 阪神タイガース

★虚脱感があって、昨日の日曜日はゴロ寝ですんでしまった。たまにはこういう日も必要だ。
大相撲は朝青龍が賜杯を手にし、選抜高校野球はもう始まっている。
昨日の甲子園、履正社vs下関商の延長10回裏、履正社の攻撃。
打者のイージーフライを下関商のセンターが極度の重圧のなかで落球してしまい、履正社がさよなら勝ちした。膝をついてうなだれるセンターがこの試合のラスト映像だった。試合後のインタビューで下関商の監督は「敗因は守備力の差です」と語っていたが、この言葉はセンターにはとてもきつい。「攻撃のねばりがもう一歩たりなかった」とでも言うべきじゃなかったか。
随分昔の話だが、PL学園が同じような試合展開でさよなら勝ちをした試合をたまたまTVでみていた。PL監督の中村順司は勝者インタビューの第一声で「あの子(相手チームの落球した外野手)の将来が心配だ。はやく忘れて人生を頑張ってほしい」と語っていた。

★プロ野球セ・リーグももうすぐ開幕する。金にあかせて大砲を集めた今期の巨人はそれ故の機動力喪失で6月頃には首位戦線を離脱するだろう。愛する阪神ターガースの本当の敵はやっぱり中日ドラゴンズだ。プロ球界の藤山寛美と呼ばれてきた岡田監督の顔はこころなしかしまってきた。今期、一度くらいは甲子園に足を運びたい。

妻が「福井ミラクル・エレファンツの応援会員になりたい」と言う。市庁舎でエレファンツ応援冊子を頂いた近藤建設社長に電話したら、すぐに事務所に来て手続きをとってくれた。
「始球式に藤田平監督のタイガース時代の盟友・江夏豊が来るかもしれない」と言う。
随分前、江夏絶頂の頃、甲子園球場で6万大観衆とともに彼のピッチングをみたことがある。延長10回を完封し、その裏にさよならホームランを放った江夏はインタビューで「野球はひとりでやるもんやゆうことがようわかったわ」と答えていた。

甲子園球児などのアマチュアがこういうセリフを吐いてはいけない。しかしプロの実力者にはこういうセリフを吐くことの免罪符が与えられている。
それがモラルというものだろう。
★「ぶらりひょうたん」さん、昨日はご丁寧にどうもありがとうございました。

08/03/23 (日) 日曜日の朝

福田内閣の迷走ぶりをみていれば瞭然だが、官邸の力は弱体化してきている。企業献金が減り当然のことながら自民党支持率は下降中だ。今、解散はありえない。少なくともサミットまではないし、任期いっぱいでの解散もあり得る。

地方議会が自治体の、国会が国の方向を誤らないようにする為に存在することが必須条件であることは勿論だ。
ということで
昨晩の私の事務所は国会議員・糸川正晃氏による議会報告小集会の場となった。
新聞・週刊誌・TV報道の背景にあるものを生の声で聴くのは臨場感があって刺激的ですらある。
経済財政諮問会議をひきいた竹中平蔵のコントローラーが米合衆国乃至は米合衆国の利権というもともとマスコミで喧伝されていたものの実体を聞くにつけ経団連会長が外資51%の大企業・キャノン社長の御手洗某であることも合わせ、大手企業の外資による買収が進み勝ち組負け組みの二極分解が進めば、同じ国民という意識すら崩壊してしまうのではないか。

昨晩のTVは「ヒスパニック系初の米国州知事で、クリントン政権時の閣僚であったなんとかというひとがオバマの支持を表明した。そのことによってヒラリーは痛手を被った」と報道していたが、民主党候補がオバマ、ヒラリーのいづれになるにしろ、米国大統領選挙で、共和党マケインは負ける・・即ち民主党が勝つだろう。米国対日外交も変わり得る。
いろんな話を聞いたが、三月末までの国会は注目だ。


★A4版裏表私製ぺーパー「菜の花通信」輪転機500部刷りを、てくてく歩きで数ヶ月毎に近隣地区ポステイングをしていました。ま、「議員日記」のダイジェスト版みたいなものですが、中学校問題が浮上してから二年間ほど中断。
再開したいと思い、ついでに過去PDFをUPしました(既に散逸していて一部です)。

★議会最終日に、橋本市長が挨拶で紹介した河合谷小学校を検索してみました。

08/03/22 (土) 私は民主党シンパなのだが

★昨日は議会最終日だった。
全協(全員協議会)終了が午後2時半で、本会議が終了した時は6時を過ぎていた。本日の「市政掲示板」にも書かれていたが、非公開を原則とする「全協(全員協議会)」に時間をかけすぎると思う。事務事項など全協で処理すれば足りることがあるのは確かだけれども、委員会報告や議案質疑に関して秘密にしなければならないことなど例えばきのうの全協においても何もなかったと思う。

★夜は三月いっぱいで退職する部長級への議会主催送別会が芦原温泉某旅館で開かれた。皆さん、永年勤続ご苦労さんでした。
それはそれとして
宴席ではいろいろ言われたなあ。
①牧田には、常識というものが欠けている。
②牧田は、基本認識が欠けたまま日本共産党の言い分に賛成することがある。
③牧田は、3期目だというのにリーダーシップをとろうとしないとれない  
エトセトラであったが
口下手の私は、そう言われつつ寡黙に微苦笑でお湯割り焼酎をあおり続けていた。
E気持ちになり部屋に戻って就寝。目が覚めたら午前1時半だ。無性に手製熱々キリマンジャロ珈琲が飲みたくなった。酔気分が残っているので、芦原温泉から自宅まで40分間を歩いた。ダーバンのコートの襟をたてて冷気のなかを歩きながら宴席を反芻した。

①に関しては、予定調和を時において破ろうとする言動が私にあるということに対する叱責なのだろうが、議会は仲良しクラブではない。対立的言動を吐いたところでそれがしこりになるとは到底思えない。もともとが私は他人に対しての興味はなく他人が吐いた言動に対しての興味があるだけだ。

②に関して言うと、どうも議員の相当数が日本共産党に対するアレルギーを持っているように感じる。確かに先の書記長・宮本顕治に対する違和感は私自身にもあったが、今は六全協の時代ではないのである。議会での文言そのものに対しての賛否が問われてしかるべきと思う。

③に関して言うと、そりゃそうである。

08/03/21 (金) 無題

★所用がたまり時間とのタタカイが続いているのだけれども、休憩がてらソファーに寝転んで手にした本が面白い時は、読み続けてしまい時間の経過を忘れることがよくある。
今宵もそうで、気がつけば午前2時だ。
アタマを切り替えて、夜明けまで頑張る所存です。

08/03/20 (木) 今場所初めて座布団が舞った

昨晩は、事務所模様替記念簡単宴会が開かれた。男性三人女性二人の楽しい宴会だった。
散会後、夢もみずに熟睡した。起きたら、午前8時だ。
事務所に入りTVをつけると「ポール・マッカートニーの元妻、離婚慰謝料¥47億円を要求」を特集している。
ポールといえばビートルズの中心メンバーとしてジョン・レノンと双璧だった。「イエスタデイ」及び「イエローサブマリン」は私の持ち歌でもある。ポールの財産が¥1千数百億であることを考えればどうってことのない金額なのかもしれないが、一方でそのマネーゲームに対してすごく腹がたつ。

交通事故による保険料の上限が確か¥1億だ。つまりかけがえの無い命・47人分が、金持ち男と金持ち男にくっついた女との間での痴話騒ぎで浮上しているということになる。

結婚とは崇高なものである。
夫は妻を唯一の女性として尊敬し、お互いの愛を大事にし、子づくりに励み子育てに励むのが当然だ。

より大切なことは、結婚生活が一日一日の積み重ねであるということだろう。即ち、明日離婚されても構わない自分が悪かったのだと総括する緊張感の維持が実は結婚生活継続を担保することになるのではないだろうか。
県議会がなにやら揺れているようだ。不信任決議案提出を懸念して云々とある。
そういえば私も昨年の7月に議長不信任決議案提出を議会に提出した。
慣例を破っての継続は違法ではない。けれども破るならば破る上での説明がなかったことが、不信任決議案提出の大きな理由であった。
そう思いながら、県会自民党vs自民党新政会のバトルを、反自民の私は眺めている。

★今朝、珍しい高級珍味をQくんから頂いた。
酒類のつまみに最適だと思う。よろしかったら、お早めに事務所へどうぞ。



08/03/19 (水) 事務所を模様替

★昨日は、波松海岸を車で走った。春の陽射しの日本海は癒しの光景として最高である。
しかし、海岸道路際に目を転じると、流木などに混じってハングル文字のペットボトル漂着が目に付く。朝鮮半島での沖合い不法投棄物が潮の流れにのって運ばれてきたものだろうが、白砂青松にゴミは似合わない。

★日本は世界に冠たるゴミ焼却炉稼動の国となっている。独49基・米150基に対して日本は1840基で全世界2600基のうちの70%が日本のシェアだそうだ。
三菱・川崎・石川島播磨エトセトラの大手メーカーとそれに連なる中小が日本国のゴミ掃除をやってくれていると思えば確かにそうなのだろうが、しかしこの大きな数字の裏には大は政府に癒着し中小は自治体やその議会にゴマをするという利権競合がほの見えてくる。

★勿論、事業所や家庭が沢山のゴミを出すことの結果として焼却炉稼動の比率が高くなったのだが、モノが使い捨ての対象となってきたことつまり暮らしの変化による影響が大きい。さらに、モノが自然素材ではなくなり、裏庭などでの個別焼却ができなくなってきたことにも起因する。

★小学生の頃の私の親孝行日課が鶏餌つくり・縁板磨きとそして風呂焚きだった。先ず炊口にしわくちゃ古新聞を置き、徳用マッチで火をつける。その上に裏山で拾ってきた杉葉杉枝をかぶせる。火の勢いが強くなったところで割木を乗せる。座してみつめ続ける炎の揺らめきの向こうに、その日一緒に遊んだ〇男ちゃんや〇子ちゃんの笑顔が浮かんでくる。
長じて、私は火を見ずにはいられない男となってしまった。紙くずを畑に置いたドラム缶に持って行き、炎のゆらめきで日々を反省してきた。

★一箇所に集めての大量焼却と違って、少量散在焼却は大気に影響を与えないだろうという思いもあったのだが、最近ではお袋や妻にその行為をとがめられ、ドラム缶焼却を諦めた。
唯一ともいえるひそかな楽しみを失った人間は、性格がますます陰気になっていく。

★ま、そんなことはどうでもいいことで
パソコンが世に出始めた頃、「ペーパーレス社会の到来だ」と盛んに喧伝されたが、あれは一体なんだったのだろう。

 08/03/18 (火) 無題

★なんとなく自分が惨めな気分になることがある。人の顔を見るのがたまらなく嫌になるのだが、これは周期的にやってくる生理みたいなもので、こういう時ははやく通り過ぎるのをじっと待つのが一番だ。
★そこで、本日は俗世間を逃れて富津に行った。椿の原生林を見に行った。赤い花弁はまだちらほろで、3分咲きというところか。

08/03/17 (月) アーテイスト日記

確定申告締切日を間近に控えて忙しかった昨日、時間の合間をみはらかって芦原観光会館へ行った。「楽衆玄達」のコンサートを聴きに行ったのだが、関係者から「ろうあ者のAさんが前の座席にいますよ」と言われて彼女の横に座った。私は客兼手話通訳者となった。

ボーカリストが知人という関係もあって来たのだろうが、それにしても先天性ろうの彼女が音楽会の席に居ることが不思議で、「音楽が耳に入るんか?」と彼女に聞いた。
「耳に聞こえるというより音の強弱を体で感じる。特に打楽器系統が体全体に響いてくる」と彼女は答えた。

建築系のアーテイストとして知る人ぞ知る(知らない人は知らない)私は、彼女の答えにぴんとくるものがあった。
奈良・薬師寺西塔再建の棟梁として有名で最後の宮大工と呼ばれた故・西岡常一さんの話を聞きに行った時のことだ。
「目で聴き耳で見ることが大事です」と彼は言った。「薬師寺屋根の軒先中央は水平だが出隅に行くに従って跳ね上がっていきます。そして軒先タルキのピッチも密になっていきます。参拝で寺を訪れた善男善女はこれを見て音楽のリズムを感じるのです」と言った。
画家になる夢を実現できずファシストになってしまったあのアドルフ・ヒットラーも、「建築は凍れる音楽だ」と「我が闘争」に書いている。

アートは頭で認識する対象ではない。体で感じる対象だ。感じるということは持っている五感を総動員することだ。総動員するということは五感の垣根を溶解させることだ。アートにとっての最大の敵は整理整頓された常識という名の秩序感覚だと、アーテイストの末席にいる私は思うのである。

 08/03/16 (日) 春の例大祭

★昨日の午後は、坂ノ下八幡神社で、「春の例大祭」が挙行された。
拝殿での神主祝詞奏上はなんとなくわかる。僧侶による読経がすべて中国語であるのに対して、奏上文が大和言葉だからである。
しかし
構文としての中国語は全然わからないけれども、日本語構文の単語は中国語輸入からスタートしたのだから、我々は普段随分と沢山の中国語をしゃべっていることになる。
例えば神社(ジンジャ)は和語としてはカミヤシロだ。ヤシロは屋根のついたヨリシロを意味する。つまり古代社会では八百万の神様が巨木や巨石やらに住みつき周辺を跋扈していたわけだ。

★「例大祭」式次第が終わってからは御神酒が皆にふるまわれた。
拝殿で茶碗酒を飲みつつしゃべりあっていると、変な言い方だが、厳粛な気分のままに酔ってくる。猥雑の生じる隙はない。

★我々の先祖たちは、はるか昔に集落をつくり、集落生活をおびやかす天変地変に恐れを感じ、それを神の怒りだと信じて集落の中心地に神社をつくっていったのだろう。
21世紀のこんにち、人類はエンデバーで宇宙に旅たつほどに科学技術の成果を誇っている。しかし立花隆著「宇宙からの生還」によると、宇宙飛行を体験したひとの多くが神父や牧師になっている。それは彼らが宇宙で神秘を感じたからだそうだ。
人智を超えた何かに対する畏敬の念を我々は決して失ってはならない、ということである。

08/03/15 (土) 土曜日の朝は少しゆったり気分

一昨日の産建(産業建設常任委員会)で、「まちづくり交付金事業・財源内訳」の説明をうけた際配布された資料に、JR芦原温泉駅乗車員数の推移表があった。
資料に拠ればJR芦原温泉駅の乗車員数は福井県内では4番目だ。まさに北陸線の要衝と言える。国鉄「金津駅」が「芦原温泉駅」に名称変更となったのはいつ頃だったろうか。

故山口喜三太先生は
「・・・江戸時代、徒歩の旅は一日行程八里(32km)、女子供ならば六里(24km)程度であった。鉄道が利用されるようになると、百里(400km)の道程を座ったままで到達することができるようになった。その上、夜行列車も走るようになり、眠りながらの旅が可能になった。交通革命である。

北陸本線、長浜-敦賀間の開通が明治17年。敦賀-森田間が明治29年。
翌30年(1897)に石川県小松まで延長。「「金津駅」は、この年開かれた。

北国道の宿場と北陸本線停車場とは、殆どが重なったが、宿場町としては、これを境に急速に寂れていった。金津町も例外ではない。
交通革命による産業の発展はあったとしても、宿場としての役割は幕を閉じた。加えて福井大震災に見舞われ、わずかに残っていた宿場時代の家並みさえも失われてしまった。
そんな中で、200m程の街道筋ではあるが、旧国道の面影を遺しているところがある。
金津町の西北端、「大字坂ノ下」の字佐戸ケ下・友平山・字外門前・西坂あたりの一区画で、「千束一里塚と「関の七曲り一里塚」とのほぼ中間、加越台地の入り口にあたる。・・・」と書いている(参考・八幡神社界隈(坂ノ下)

★「相談したいことがある」という電話で、今朝は某県議の事務所にいた。話の内容もさることながら、整理整頓された清潔感あふれる事務所のありように感銘を受けた私の午後の仕事は、事務所模様替えとなったのである。
ホームバーコーナー棚を新設しました。どなたさんもお気軽にどうぞ。

08/03/14 (金) 深夜に 美空ひばり・「悲しい酒」を聴きながら

三月議会というのは、本年度・当初予算の説明がメインだ。
昨日開かれた産業建設常任委員会の席上、委員から「本年度予算編成に於いて、いくつかのイベント予算が削られている。・・何故か」という質疑がでた。
担当課からの具体的な説明のあと、市長は「イベント行政から脱却したい」という思いを述べた。

合併後のこれまでのイベントのありようで、私も同じような思いを持っていた。仰々しいセレモニーが税の無駄使いであるように、行政頼みのイベントも又その根本的な姿勢を再検討すべしという意見に同感だ。

市民による各種実行委員会での十分な討議を通して模索を経過した上で実現するイベントには、汗を流しての一体感という珠玉が残り、そのための補助であれば意味はある。けれども補助先にありきであるいはスタッフを市役所職員に依存するのであればおかしい。

書いていて思い出したのだが、私も十年程前まで仲間たちと一緒に、定期的に、一人語りや指人形使いやパントマイマーや筑前琵琶奏者やエトセトラを呼ぶ「わちらの会」を催していた。
それはギャラ格安・チケット手作り・知人口こみのとてもマイナーな催しの連続であったが、合言葉は「行政から補助をもらわない」というものであったし、結果として残った汗には十分意味があったと思っている。
★↓今朝挙行された金津幼稚園の卒業式
★↓今朝挙行された金津小学校の卒業式

卒業生の彼ら彼女らが社会に出る頃、私は既に天国で暮らしているだろう(地獄ではないと思う)。
今の私達にもし生きることに意味があるとするならば、次世代に残す環境(生活環境でも政治環境でも)をより良いものにすべく努力することに尽きるのじゃないだろうか。

08/03/13 (木) 本日は産業建設常任委員会

午後7時に事務所に戻った。
夜は手話関係の集まりがある。とりあえず自宅で晩飯を大急ぎで食ったあと事務所に戻り、今、キーボードを叩いている。

そして
現在、午後10時。来客は全て帰りひとり静かに老酒を飲んでいる。
今朝は金中卒業式に出席した。午後は産業建設委員会が開かれた。
それぞれに「うーん」と思うことがあったのだけれども、疲れと酩酊で筆が進まない。明日の日記に書き込もうと思います。

08/03/12 (水) V・Oを舐めながら

本日は、午前零時過ぎに目が覚めた。珈琲⇒HP日記⇒CADという孤高充実の時間帯の始まりである。
突然玄関戸が開いて某氏来訪。「この間の宴会の残りや」と、「V・O」と「純米吟醸・越の鷹」の飲み残しが差し入れされた。
大いに感謝しつつ「V・O」を少し口に含み、TVをスイッチ・オン。

北京五輪が近いからだろう、画面は「100mを9秒74で駆け抜ける世界最速の男マイク・パウエル」を特集している。
記憶で言うのだが、ローマ五輪・男子100mをハリーが制覇してからあとの五輪優勝者は、ミュンヘン五輪優勝のボロゾフ以外全て黒人だ(ミュンヘン五輪だって人類史上初めて電子計時で10秒を切った男エデイ・ハートの出場手続きミスによる参加資格失格のたまものだ)。「黒い猛牛」と呼ばれたボブ・ヘイズは東京五輪の花だった。カール・ルイスの活躍はみんなの記憶に新しい。

人類とは不思議な生き物だと思う。
どんなにスピードを磨いても豹や駝鳥より速く走ることができず、どんなに重いパンチを習得してもマウンテンゴリラの一発に適わず、どんなに高く遠くへ飛ぼうとしてもカンガルーの敵ではない言わば動物界の肉体的弱者である人類が、にも関わらず極限の努力をし続けるのだ。けなげなのである。
我々が五輪優勝者の勇姿に対して感動するのは、そのけなげさに対してではないだろうか。

★とんぼさん、会津盛衰記の続きを待っていますよ

08/03/11 (火) 春の陽気

★昨日の産業建設常任委員会は、午前9時半から午後5時半までのロングランとなった。
付託議案についての説明を受けていたのだが、議案数が多く、よって説明がながくなり質疑を控えた部分も私にはある。一両日中に所管課へ行って、じっくり聞いてこようと思う。

★昨夕、坂ノ下八幡神社境内へ行った。現在、塒となっている神社境内巨木の枝にカラスが帰っているかどうかを見るのが目的だった。
枝は枝のままで一羽も見えない。「帰りが遅くなるのだろうか」と思っている時、「パパーーン」とはじけるような大きい音が耳に入った。そういえばカラス除けのための爆音器作動を決めたと区長は言っていた。

★世田谷区在住の妹が娘を連れて里帰りをしているので、昨晩は豪勢「鋤焼」となった(ちなみに鋤焼の鋤は秀吉の朝鮮出兵に関係した語源を持つ)。
一昨日、愛知県で息子と話をしていて笑った時に、突然歯が一本抜け落ちてしまったので食えるかどうか心配だったのだが、思いの他柔らかかったので食えた。
グルメという言葉に敵愾心を持ち、昭和30年代の国民皆粗食的食生活を理想と思っている私だが、偶のグルメは悪くない。

★昨晩は、くしゃみがさかんに出て困った。花粉症ではないのだから、風邪だろう。鼻がつまり咳も出る。
来年は還暦なのだ。同級生たちは今年の3月で一線をいっせいにしりぞき悠々自適の日々に入るが、私は勿論そういうわけにはいかない。
しかし、もう若くはないのだから、あまり無理をせず一歩ずつ歩んでいこうと思う。
★昼休み、ソファーに寝転がりうとうとしていた時、某市議が来訪。
「教育厚生常任委員会」を傍聴していたという。コミュニテイバスの問題点がいろいろ浮き彫りになったそうだ。
確かに大都市圏と違って地方都市での乗降客を増やす工夫にはなかなか困難なものがある。いろんなひとたちや団体が集まっての文殊の知恵の出し合いが不可欠だろうし、それでもうまくいくとは限らないが、私の友人NさんはTV映像で「成功した自治体」を見たことがあると、言っていた。

08/03/10 (月) 本日は産業建設常任委員会

★昨日の日曜日は妻の車に同乗して愛知県へ。
かの地で修行をしている息子に会ってきた。子供の頃の親に対する反感や共感のいろいろ興味深い話を聞いていた。いつの間にかひとは大人になっていくのだと思った。
大人になるということはヒューマンウオッチャーになることを意味する。

今は既に成人した三人の子どもたちの父親として私はどうだったのだろうかと自己採点すると、65点くらいじゃなかったかと思う。
往復の車中、いろいろな欠点を指摘されての会話を総合しつつ夫としての自分を自己採点すると、60点くらいだと思う。

採点根拠に確たるものがあるわけではない。とりあえず自分が生き続けてきたという基礎点数50点に漠然的印象点アルファを加えただけの話だが、ひととなりを測るものさしなど、どこの計量器店にも置いてないのである。
★本日の午前9時半に始まった産業建設常任委員会が終了したのは、午後5時半。
帰路の車のフロントガラスに映る夕陽が感動的に美しいので、道端に車を停めてデジカメを取り出した。


夕陽に向かい腰を落として身構えた時、「こんにちはー」という大きな声が背後から聞こえた。振り向けば、停車した車の運転席から美女の笑顔が見える。
近づくと、仲のいいGFだった。
なんとなくいい気持ちになり、夕陽をここにアップした。

08/03/09 (日) 無題

現在、午前3時半・・・恐らく今宵は徹夜となるだろう。手を休めての一服で、煙草の煙の漂いをみつめながら私は昨晩の会話を反芻している。

最近時々耳に入る言葉に、「みんながそう言っている」がある。
で、私は思うのだが
「みんな」とは、言う主体の思い入れが先行した全く実体の無い言葉だ。
実際には誰某何某が言っているにすぎないにも関わらず、誰某が言っているのをみんなが言っているに置き変えてしまうことで、相手が驚く顔を見たいという潜在的な欲求が底意としてある・・と私は思うなあ。
そう考えると、床屋談義から出てくる噂なんて陽炎みたいなもんだ。

★今朝は、坂ノ下八幡神社で清掃奉仕。
清掃に汗を流しながらも、3月6日に書いたカラスのことが話題となった。この方面に詳しい博識者からいろいろ話を伺ううち、生物の生態系に興味を持つひとが結構多いということがわかった。
そこで新掲示板「動植物掲示板」を立ち上げることにしました。気軽に投稿してください。

08/03/08 (土) 春告花

今朝、スナップ掲示板をクリックすると、しるくさんの文章が載っている。そのタイトル・「春告花」で私は去年の今頃のある日を思い出した。

「寝たきりの親父のベッドの傍らに花を添えてあげたい。花屋で花を買うのは簡単だ。しかしそれよりも歩いて探し見つけた野の花のほうが誠意がこもっているだろう」と、まるで七つの水仙のようなことを考えた。

御簾尾地区を車で走っていた時、某寺院の境内に白梅と紅梅のペアを見つけた。


「花盗人」は罪にならないそうだが、律義者の私は寺院玄関の戸を叩いた。住職に仔細を話し白梅紅梅の枝の何本かを無心した。
住職はわざわざ剪定はさみを携えて境内に同行し、「この枝がええじゃろ、あの枝がええじゃろ」とつぶやきながら何本かを選別してくださった。
私にとっての去年の春は、あの日にスタートしたと思っている。

08/03/07 (金) 草を枕にして


今朝は散歩がてら竹田川河畔に行った。雑草を背にして寝転んだ。川風はそんなに冷たくはない。
起きて、川道を歩きながら考えた。
家族のこと・友人のこと・社会のこと等々自分を含む将来のことを考えるといろいろな不安が頭をよぎる。
知に働かず情に棹ささず住みにくいこの世を生きようとする時絵が生まれ詩ができると言ったのは漱石先生で、しかし世の中乾くにつれて絵心や詩心がだんだん薄くなってきているのではないかと思ってしまうのは私の神経が繊細すぎるからなのだろうか。


事務所に入り熱々珈琲を飲みながら、久し振りに橘曙を読んだ。


たのしみは 珍しき書(フミ) 人に借り
           初めひとひら ひろげたる時
たのしみは 妻子(メコ)むつまじく うちつどい
           頭ならべて 物をくふ時
たのしみは まれに魚煮て 児等皆が
           うましうましと いひてくふ時
たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に
           我とひとしき 人を見し時      橘曙「たのしみは」から

昨晩は楽衆玄達のボーカリスト・YUMIさんが来訪。
3月16日にあわら市観光会館で予定されているコンサートでの唄・「君にありがとう」の手話添えが用件で時間はどんどん過ぎていった。
途中に写真を撮られてしまった。女性読者に嫉妬されるのが嫌なので、クリックは男性の方のみにしてください。

08/03/06 (木) 本日は本会議

昨日の昼、生活環境課の職員が事務所を来訪。
2月22日の日記で私もちょっと触れたが、坂ノ下八幡神社への爆音器設置を延期見直しするとのこと。
爆音器試運転の段階で、市庁舎に「いかがなものか」の匿名電話が入ったのだそうだ。
但しその趣旨は「爆音は騒音公害だ」ではなくて「カラスは害鳥ではないのだから追い払うのはかわいそう」というものであったとのこと。


確かに坂ノ下区における夕刻時のカラス大群電線鈴なりの光景はおどろおどろしいものではあるけれども、糞公害の実害は聞いてはいない。だけれども近郊畑の作物を食い荒らすという話は聞いているので全くの無害というわけでもあるまい。


いずれにしろ、このところカラス大群光景は全く見られなくなってしまっている。季節の変化によるものだろうと思うけれども、利口なカラスのことだ。爆音器設置のニュースを事前に察知してねぐら大移動をすませたのかもしれない。

・・・と今朝の未明に書いたら、あわら市民の皆さん恐らく御存知の野鳥の大家・K先生から以下のメールが入ってきました。
「牧田さんへ
カラスについて
ここ数年前から、坂ノ下界隈に「ねぐら 塒」を形成するようになりました。
理由:それまでは、加賀市塩屋の「鹿島の森」が塒でしたが
1:遠い(行動範囲は坂井平野丸岡あたり)、以南は福井市八幡山で塒を取る。
2:食性の変化(最近は水田で餌をとる姿が目立つ)、管理が行き届き人間の出す食べられるゴミが減少
3:ミヤマガラスという種類のカラスが増加した。(冬の渡り鳥だからそろそろいなくなる)
4:2月中旬頃から、ペアになり営巣するので塒は解体するが相手のいない若者集団が

  塒を取る。
5:塒はハシブトガラス、ハシボソガラス、ミヤマガラスの3種で構成されている。
6:賢い鳥なのでなかなか難しいです。コウノトリの里公園も苦労しているようです。

  人海戦術が一番らしいです。きたら釣り竿で脅すらしいです。
以上野鳥情報でした。
from 〇〇」


★午後4時半、本会議⇒広報編集委員会を経過して事務所に戻ったところ。
パソコンのホームページを開けるとカウンターの総クリック数が33万カウントを超えていた。私がサラリーマン生活にさよならして自営業に入ったのが33歳の時だったので、この数字には格別の思い入れがある。皆さん御愛顧ありがとうございます。
「還暦を前にして、いまさら長期的なパースペクテイブに自分を乗せることもないだろう。
きょう一日充実して生きることができたと思えるかどうかが勝負だ。その実感を味わうことができたならば明日死んでもどうってことないぞ」が今の偽らざる気持ちです。


★ところで、本日の夜、私の事務所に珍しいお客様が来訪する予定。
明日の日記に書き込むつもりです。

08/03/05 (水) 珈琲がなくなってしまった私

昨晩は某所で会議が開かれた。先日の臨時議会での「中学校問題」についての議会修正案可決に関する意見交換の会議だった。議会修正案賛成・17名vs市長原案賛成・3名の結果に対する様々な意見が出た。
3名という少数派のうちの一人となり果ててしまった私なども、思いを語りあるいは意見を拝聴した。

議会内にいてこんなこと言うのはおかしいのかもしれないが、政治は(なんでもだけど)わかりやすさが一番だ。横文字で言うと、シンプル イズ ザ ベストである。

その意味で相対的にみて市長原案に説得力があると私は思ったし、議会でも原案賛成討論をした。


確かに可否決を巡っては、水面下の動きがあった。私自身もいろいろ言われたし又言ったりもした。
けれどもそのようなことは、はやいはなしここに書けることでもないつまり市民に説明できる動因にはなり得ない。

採決は、結局のところ、議員諸氏・説明責任包含的個人原理的判断に委ねられることになるのである。


「満場一致でなくて良かった」という意見もあったが
皆が賛成できる案ならば満場一致賛成になり皆が反対する案ならば満場一致反対になるだけの話だ。実際のところ、様々な提出議案に対する賛否に関しては「全員賛成」が多いのである。


「天は人の上に人をつくらず 人の下に人をつくらず」あるいは「性格に良し悪しなし」を座右の銘とする私は明らかにシンプル型の人間であり、議会に不向きな人間であることを感じる今日この頃です。
昨日のHP日記の「・・・一般的に言って産廃処理業者から接待を受けるような議員は勿論論外だが・・」と書いた部分を読んだ人からのものだと思うのだけれども、
「・・いや、あわら市にもいます云々・・」と、固有名詞・接待業者・接待場所を書き込んだ匿名メールが入ってきた。それはガセネタかも知れないし、第一、接待供応が違法かどうか私にはよくわからない。
私は、あくまでもモラルの問題だと思って昨日の日記に書き込んだわけであります。

08/03/04 (火) 早春賦を聴きながら

午前4時に目が覚めた。しばらくの間家のまわりを徘徊散歩したのだがそんなに寒くはない。春の訪れが近いのだろう。
事務所に入り顔を洗った。昔からお湯を使うことはない。冷水が気持ちをしゃきっとさせるのである。
歯磨きをした。私は「収れん性抗炎症成分配合」の高価なハミガキを使っている。当面の敵が歯槽膿漏だからである。
キリマンジャロ珈琲の入ったコーヒーカップに熱湯を注いだ(そういえばカップはイタリアのミラノで買ったシシリー産のものだ)。そっと口を近づけた。


よいコーヒーは
天使のように澄んで
悪魔のように黒く
地獄のように熱く
恋のように甘い  タレーラン        なのである。


このところ厭世感が続き人と顔を合わせるのを避けてきたのだけれども、どうやら新しい私が顔をのぞかせてきたようで、気持ちが幾分積極的になってきた。
★今朝のTV・11チャンネル全国版で敦賀の大量ゴミ廃棄問題に関して、敦賀市議・北条正さんが出ていた。一般的に言って産廃処理業者から接待を受けるような議員は勿論論外だが、ゴミ問題を真剣に考えているこの市議から、以前、汚染の可能性や解決のための処方の深刻さを聞いたことがある。
★本日の午後、国会議員・糸川正晃さんの秘書二名さんが私の事務所を来訪した。
四方山話のさなか、突然、「女性たちに好かれるコツは何ですか?」と聞く。
私は即座に「渋みです」と答えた。
「私の容姿は人並み以上ではあっても突出していいわけではないし、別に女性にもてる男でもないと自分では思っている。だけれども私を好いてくれている女性が複数名いるような気はする。彼女達は多分私の渋みにひきつけられているのです。そして渋みとは横顔の憂いと寡黙さなのだろうと思います」と続けた。
だけれども、よく考えたら国会議員の必要条件は能弁であることやね。

08/03/03 (月) 本日は雛祭り

例えば宿泊施設などで建物が火事になった時に火災報知器が作動する。大きなベルの音で宿泊客に火事を知らせ、避難を呼びかける。
本日の深夜ラジオは「わさびのつんとした匂いで客に火事を知らせるシステムが開発された」というニュースを流していた。実用化されれば画期的なことだ。


若かった時、ろうあ者の大会で埼玉県へ行った。宿泊のホテルは相部屋で相手はろうあ者だった。
「きょうはぐっすりと眠ることができる」と相手が言う。
「仮に火事になった場合、ぼくらは警報ベルの音を感知することができない。気がつく時は既に煙が充満あるいは焼け焦げた匂いが漂っている時だ。避難できても最後だ。でも、横に健聴者が寝ている場合にはその心配がない」と言う。


障害にもいろんな障害があるけれどもそれぞれに個性であり社会がそれぞれに対応していなければ福祉社会とはいえない。
.★今朝は議会事務局に行って、資料を眺めつつ原稿を考えていた。今回の一般質問者は8人です。その後、雲雀ケ丘へ増築工事の進捗状況を見に行き、寮長から雲雀ケ丘寮を巡る諸問題を聞いていた。
午後は三国土木事務所に行って打合せ。
時間に追われる日々が相変わらず続いているのだけれども、「もう若い体ではないのだ。無理をしてはならない。しなしなとしかし着実に一歩ずつ歩んでいこう」と自分に言い聞かせた次第です。

 08/03/02 (日) 昨日は久し振りの創作の森

県内某市議Aさんと話をしていた時、こういうことを言われた。
県内某市議Bさんが書いているブログに「硬いことばかり書いていないで、ある市議のブログを参考に・・」との投稿があり、よくよく聞いてみると、ある市議とは私のことだったそうだ。

批判叱責揶揄には慣れているけれども誉められたことなど滅多にない私は一瞬照れたのだが、次に、私は柔らかいのだろうかと自問した。身近なひとたちから「あんたは硬すぎる真面目すぎるもうすこし柔らかくなりなさい」とよく言われるのでその整合にとまどう。

自分で思う自分と他人からみられる自分との間に落差があるのは人間である限り当然だ、宿命と言っていい。そして、日記というのは他人からどう思われるかなど気にし始めたら筆が進まない。自然体で書くのが一番楽である。

西部進は「人間は70%清浄・30%猥雑」と何かの本に書いていたが、それが真実であるとするならばかつ猥雑を柔らかさと置き換えることができるならば、私の思う自然体そのものの中にそのパーセンテージが人間生理として内在しているということになる。

★直接街で会ったひとから来訪したひとからあるいは電話をかけてきたひとから、臨時議会で私が中学校問題に関して市長原案に賛成(即ち議会修正案に反対)した理由をよく聞かれますが、それは先の「議会報告⇒私の発言」に書いたとおりです。それ以上でもそれ以下でもありません。

08/03/01 (土) 久し振りの模様替

昨日は三月議会定例会初日。
議会事務局で一般質問(3月6日)の通告書を提出してから本会議に臨んだ。初日は市長による上程議案の説明及び上程議案に対する質疑あるいは議案付託先の決定で終わる。
委員会付託先については、議会報告⇒付託表をクリックしてください。
議案説明のなかで耳の集中した部分のひとつが国保関係だった。4月1日から後期高齢者医療保険がスタートすることにより制度が変わり、負担が増す。財源の問題もあるがその是非は頭にしっかりと入れておかねばならない。
本会議で日本共産党の山川知一郎議員が国保に関する質疑に立ったので、私(無所属・反自民)は、議員控室での休憩時、彼といろいろ話していた。

議会終了後事務所に戻り、ぶ厚い議案書を赤ペン片手に眺めていたら電話が入った。
「仕事(建築の設計)をしませんか」という内容だ。途端に私のココロは晴れ晴れとしたものになった。

だからというわけでもないけれど、夜の私の事務所は数人での飲み会の場となった。某氏が清酒「米百表」を持ってきて、日本酒プラス焼酎プラス乾きものという素朴宴会の楽しい場となった。議員になってから数々の親睦宴会に出てきたが、感想として言うと、宴の膳はじゃまだ。そしてコンパニオンより芦原温泉芸妓のほうがずっといい。もしくはいなくてもいい。宴席よりオードブルがいい。
アルコールのもっともおいしいつまみは話を聞くこと・話をすることそれ自体だと思うのである。
★バンカーSさん、おいしい珈琲をおごってくださってありがとう。