2008年04月


08/04/30 (水) 4月最終日

★思いのほか縦書き日記が読みにくいそうなので、横書きに戻しました。けれども、本人としては悪くないと思っているし、基本横書時々縦書姿勢を考えています。

★昨日、自宅介護の親父がベッドから落ちて体を痛めてしまった。ケアするお袋・妻に連絡を頼まれ、主治医S氏に来てもらった。
一般的に言って、介護度が進めば施設入居が必要となる可能性がある。
現在も入居希望者が沢山あり、だからこそ「金津雲雀ケ丘寮」40床増床工事が完成したわけだ。

★先日の事務所でも、数人顔付き合わせての話のテーマが「雲雀ケ丘寮について」になった。
増床40床はユニットケア(10床×4)である。しるくさんによれば、ユニットケアは国の指針であり、今後も相部屋での増床はないだろうとのこと。
確かに、この方式で小さな村が形成され、体の動かない人でも車椅子介護でコミュニテイスペースへの出入りが可能となる。結果としてメンタルケアにつながるともいえるだろう。

★だけれども、例えば自宅介護のうちの親父などは寝たきりベッドから配偶者(お袋)に甘えているというか頼っているというかそういう精神状態であることがよくわかるし、ユニットケアよりも何よりも家族介護が一番という基本は揺るがないはずだ。
勿論、諸々の事情でそれが不可能となった時の対応策として介護保険制度があり、我々は保険料を払い続けている。

★しかし、ユニットケアと従来型相部屋とでは月々の支払い料が大きく違う。支払い能力の問題で相部屋を、という選択肢が今後なくなるあるいは少なくなっていくのだとしたら、入居必要状態でありながら入居不可能のひとが増えていくのではないか。所得に応じての軽減措置はあるらしいのだが・・・。
ユニットケアと相部屋とでは被介護者と介護職員の比率が大きく違う。つまり最終的には保険料の上昇につながり得る。団塊世代引退のこの時期、大きな問題だ。

★昨日の朝は、某有名人が来訪(煎餅ものすごく辛かったけれどもものすごくうまかったです、謝謝)。
やはり介護の話になったのだが、彼は「普通は需要が供給を産む。しかし施設の場合は、供給が需要を産む」と言っていた。
つまり、「被介護者自身が施設入居を望むのではなくて家族が望む」というような含みがその言葉のなかにあると私は思う。

★「生⇒病⇒老⇒死」という誰もが逃れることのできない宿命を考える時、
私自身は象のようにしてこの世から消えていきたい。
象は自分の墓場を隠すのだそうである。
★本日の午後は、社協主催・「ボランテイア連絡協議会」に「手話サークルかけ橋」会長代理として出席した。市内に登録ボランテイアブループはこんなに沢山ある
点訳グループの方から社協事務局に対して、「私たち点訳グループは依頼されないのですが、選挙開票の際の点字投票分の確認方法はどうなっているのですか?」との質問が出た時、私は昨年夏の参院選開票状況を思い出した。
W候補の開票立会人のひとりとして深夜まで市庁舎に缶詰だった時、選管に対してその素朴な質問をしたのだが、どうも要領を得ない答えだったような気がする。
数の大小の問題ではなく、一票一票はとても重い。

08/04/28 (月) あわただしい月曜日

暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき
      遙に照せ   山のはの月
   和泉式部(拾遺和歌集)

30代の初め頃、目に触れたこの歌が、とても印象に残っている。
馬場あき子が解説でも書いていたが
和泉式部は娘・小式部内侍と20代で死に別れてしまった。悲嘆の日々を送れば送るほど悲しみが募り、山合いの真暗な道がますます細ろいでいく。
山すそから月が出て私の歩む道を照らしてほしいという、一種ゴスペルのような歌だ。
ひとそれぞれだろうが、悲しみの総量と喜びの総量を天秤秤ではかったら、悲しみの方に秤が傾くのが人生ではあるまいか。

★アンケートをとったわけではないが、周囲のひとたちから「市政掲示板」についての感想を時々頂く。
〇書込みが数人限定となって入り込みにくくなっている。
〇名指し繰り返し批判で気分が滅入る。
〇匿名禁止にしたらどうか。

★ で・・私は思うのだけれども
・昨年、「2校を守る会」の動きが活発になりその思いに同調した私は、「あんたらは中学校統合という議会決議を軽視した」と同僚議員たちからよく言われた。
しかし、間接民主の構造体である議会を下支えしあるいは監視しているのが有権者市民であることを考えれば、「2校を守る会」が議会意思自体に対して異を唱えたことは、別におかしいことではない。
何よりも、地方自治法がそれを制度として認めている。

・ところで、「議会意思はひとつ」というのが議会の大原則だ。
3月議会で2校存続には賛成しながらも議員発議案の文言に反対した私は、今でもその行動が間違ってはいなかったと思っている。けれども議員発議が多数決で承認された限りそれに従うことは当然で、今後はその枠を前提とした考えとなっていくだろう。枠内での喧々諤々は大いにあり得るが・・・。
その意味で市民が賛意を表するにしろ異を唱えるにしろ、その対象は議会それ自体であって、個別議員ではないと思う。
★先日の政経セミナーでの大畠章宏衆議院議員とのツーショット写真
髪に多少は白いものが混じってきたが私の顔はまだまだ精悍だ、といえるかどうか。

08/04/27 (日) よし チャレンジだ

★ホームページ日記を書いていてよかったと思うことがひとつあります。
夜明けに熱々珈琲を飲むのは頻繁だし、夜更けに焼酎を口にすることもないではない。
そして、日記でそれに触れることも偶にある。
だからなのか
インスタント珈琲や焼酎を持ってきてくださる方々が時々いらっしゃる。
昨日もMさんが焼酎「神の河」を持ってきてくださった。謝謝であります。

★夕食を終えたあとに、その「神の河」をひとりちびりちびりやっていた昨晩、数人が事務所に集まった。話のテーマは「金津雲雀ケ丘寮」のこと。介護保険制度にしろ施設にしろ我々同世代にとって今後の方向はとても切実だ。
ということで異業種交換的に話が進行しているうち、疲れた私は眠りこんでしまった。
目が覚めたら誰もいず、時計は12時過ぎを指していた。


★昨日は、久し振りに吉崎古道・切通しをひとり歩いた。


★吉崎・汀公園から鹿島の森を望む。梅雨の季節にここを訪れると蟹の行列を見ることができる。


★本日の午前中は「蓮如の里・ふるさとの道を歩く会」に飛び入りで参加した。

先ずは出発地点・金津小グラウンドに於いて太極拳的準備体操で体をほぐし


大鳥神社⇒雨夜塚⇒坂ノ下(宿場史跡)⇒上野の谷(吹き上げの場)⇒千束一里塚⇒照厳寺⇒嫁威しの谷⇒細呂木関所跡⇒のこぎり坂(祝言坂)⇒
一字一石墳(下の写真)を通り


⇒吉崎御山で講師・朝倉先生の話を聞き


⇒最後は吉崎神楽の舞を拝見しておひらきとなった。


★豊かな自然に包まれた古道を歩いたり、地域の伝統芸能に触れると、体内へのエキスの浸潤を確かに感じる。生来的に怠惰人間で特に最近はものぐさであった私だが、反省し「よおおーし、やるぞ 頑張るぞ」という気分になった。


08/04/26 (土) 昨日の一日

茜さす 紫野行き 標野行き  
      野守は見ずや 君が袖振る
(額田皇女)
近江の国・蒲生野で薬狩が催された時、額田に向かって、元の亭主・大海人皇子が大きく手を振る。
「ああ・・いけませんわ。わたし、今はもう中大兄皇子様の妻ですもの。そんなはしたないことしないでくださいな。野守がみているかもしれませんことよ」と恥じらいながら彼女は詠ったのである。

紫の 匂える妹を 憎くあらば
    人妻ゆえに 我恋いめやも 
(:大海人皇子)
「なんでやねん。ぼくは貴女が今でも好きなんだ。もしも憎かったならば、今は人妻の貴女に恋するはずないでしょうが。わかってくれよ、ぼくの気持ち」と、大海人皇子が返す。

めめしい歌のような気がしないでもないが、私はこの相聞歌が好きだ。

現代社会において人妻を恋ふることは、「不倫」という無粋な言葉のもとに一刀両断される。
私なども(勿論この顔で女性にもてるわけもないのだが)倫理性が大変に強く、妻だけが異性という道をずっと歩んできた。それはそれで納得しているし不満もない。

しかし、そのような恋にあこがれることがたまにはある。想像の世界での浮遊を手助けしてくれるのが、小説や詩や和歌や俳句なのだろう。

うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり

    情(こころ)悲しも 独りし思へば  大伴家持
万葉集編者・家持が詠ったこの歌の中には近代人の自我が既に内包されていると解説したのは、確か大岡信だ。

★ということで
昨日の朝は「金津雲雀ケ丘寮」へ行った。先日に増築工事の終わったこの施設の今後について、寮長からいろいろ話を聞いた。現実問題としてこの施設の民営化が焦眉の課題であることを痛感した。

★うとうとしていた昼下がり、県土木事務所の職員からの電話で目が覚めた。県道沿いの気になる現場で道路保全の流れを聞いていた。

★事務所に戻ると他市の議員から電話があって、建物に関するいろいろを尋ねられいろいろを答えた。

★夜は某ご夫妻が来訪。土地に関する話となった。

★お帰りのあと、頂いた薩摩芋焼酎(Oさん、ありがとう)をひとりちびりちびりやっているうちにソファーで寝込んでしまった。飲み会の帰りという数人知人の来訪で目が覚めた。

なんというか
インフラばかりに関わっていた一日であったような気がする。


 08/04/25 (金) もう週末か

★昨晩は今年初めてプロ野球の試合をTVで見た。勿論阪神がらみの試合で
阪神vs中日だった。双方チャンスをつくるのだが得点できないうちに延長戦に突入し、結局は延長12回引き分け。スポーツはすかっとするために観戦するのだが、むしろいりいりした気分のまま布団に入った。目が覚めるともう5時で、外は既に明るい。

★スポーツといえば知人のMさんはラグビーをやっている。「福惑会」というチームのメンバーで、50をはるかに過ぎたのにこの激しいスポーツをやっている。ラグビー好きの某県議を紹介してほしいとMさんに言われて紹介したのだが、全日本の〇〇選手とかXX選手とかの私などが全然知らない名前がいろいろ出て、大変に盛り上がっていた。

★事務所駐車場新設水槽の黒メダカが10匹を超えた。夜明けの珈琲を飲みながらメダカの泳ぐさまを見ているとなんとなくほっとする。メダカには(たぶん)記憶力が無いのだから瞬間瞬間を無心で生きている。
ひるがえって記憶力のある我々人間は、それ故に過去に対する悔恨と未来に対する恐れを宿命的に持っている。
迷惑をかけてしまったあるいは現にかけている知人の顔を頭に浮かべながら申し訳なく思ったりする。

★いつも思うのだが
しゃばで生きている我々ひとりひとりは他者と相互に影響しあっている。
そして、その影響価値は正である分だけ負でもある。ひとによってその振幅に差異があることは確かだが、それと優劣は無縁で、だからこそ「人間ぼちぼち」なのだ。
過度に力まず過度に委縮せず自然体で生きていけたらいいなあと思う

★今朝の散歩で目に入った竹田川のほとりの漂着ごみ群



 08/04/24 (木) もらった甘海老を食べながら

ええっとですね
何人かの議員諸氏から、「まきちゃん、2校存続決定集会には誰が参加したんや。どんなプログラムやったんや。まきちゃんはどんなことしゃべったんや」とか聞かれました。
いちいちしゃべるのが面倒臭くなってきたので、自分のしゃべったことをここに書きます。
三分間挨拶⇒その骨子
(実際には3分15秒で15秒の超過だったらしいのだが)

・マイクを持つ自分の頭のなかを、昨年の市長選挙運動期間に生起したさまざまが走馬灯のように廻っている。

・新市長確定のあと、深夜に事務所に戻ってパソコンをチェックすると、組頭先生から「ひとり、うまいビールを飲んでいます」というメールが入っていた。
私も又ひとりでむぎ焼酎「いいちこ」を飲みはじめた。つまみのサカナは告示期間一週間の印象と、煮鰯だった。
鰯は弱い魚と書くが、人間も又ひとりひとりはとても弱いとても小さな存在で、しかし弱いからこそ絆ができ、連帯感が生まれたのだと思う。

・しかし、新市長の誕生を単純に祝うことができるかというと、そうではなかった。冷静に考えると、橋本氏は市長になることで敢えて火中の栗を拾ったことになった。そしてその後の経過は先ほどの代表説明やマスコミ等でみなさん御存知だと思う。

・曲折を経て、先の3月議会定例会最終日に「金津・芦原両中学校存続維持」が議会で承認を得た。その文言をめぐって、個々の議員のなかに微妙な温度差はある。しかし「2校存続維持」という共通意思が実現したことは確かだ。

・昨年の4月22日に橋本新市長が仮に誕生していなかったならば二中存続維持は決して実現しなかったという意味で、この日をメモリアルデイとして私達の記憶の中に残しておきたい。

★「市政掲示板」に
①<・・・さて、耐震診断が話題になってますが、誰とは名を上げませんが芦原中の耐震診断判定をE判定にしろと云って来る議員がおります。E判定にして改築に持って行きたいのでしょう。金津中の耐震診断判定は、少しでも良く持って行きたいのでDかCを意図的にC判定にしたと云われています。耐震診断の結果は恣意的につけているのですね・・>(引用終わり)とか

別のブログで
②<・・・もうひとつは芦原中学校の耐震調査を悪いE判定にもって行き、芦原中学校を改築に近いものにしたいということである。旧2校派議員がそのようなことを言っていると噂を耳にします・・・>(引用終わり)
との「???的書き込み」を読んだ。

万一圧力をかけている議員がいるとしたらその対象は当然教育委員会しかないので、プリントアウトした紙を教育委員会に持っていった。
教育委員会は笑いながら「そんな圧力あるはずないですがね。恣意的操作などできるはずないですがね。捏造噂ほど馬鹿らしいもんないですよ」と言う。
確かに、<・・との噂がある・・>という書き込みは馬鹿さ加減の露呈としか言いようがない。
要らぬお節介であることを承知で言うのだが
いくら暇人とはいえそんなこと書いている本人自身が悲しくならないのだろうか虚しくならないのだろうか。そう思いつつプリントアウトした紙で鼻をかんでゴミ箱に捨てた。


08/04/23 (水) 気分回復

★昨日の昼
一昨年に買ったスリーシーズン用寝袋を物置から取り出し、直射日光にさらして旅の準備をしていた時、予定を思い出した。本日は「産業建設委員会」の農業に関する会議がJA芦原で開かれることになっていたのである。ということで小さな旅は延期となってしまったが、記憶力の減退が確実に進行している。

★今朝の北潟湖畔でカラスとトンビの壮絶なバトルを見た。獲物をくわえたトンビにカラスが襲いかかっているのである。トンビはたまらず獲物を地上に落としてしまった。おそるおそる近寄ると、その獲物は蛇のような鰻のようなツチノコのようなつまり得体の知れぬものだった。
組頭先生に解説してもらおうとデジカメのシャッターを押し、事務所に戻ってからパソコンに接続したのだが写っていない。妖怪のたぐいだったのかと、少しだけ身ぶるいした。
トンビがあぶらげをさらうのが自然界の常態なのに、トンビがあぶらげをさらわれたのだからおかしな話だと思う。

★さて
昨晩は、「2校存続決定」集会が、芦原社会福祉センターにおいて開かれた。
一年振りの再会総会のようなものであり、「久し振りですね」と声をかけると「いや、毎日貴方の日記をみてますから、久し振りじゃないです」の答えが、何人かのひとから返ってきた。
謝謝であります。

08/04/22 (火)  ちょっと思ったこと
★毎日いろんなことがありますが、昨晩は自己嫌悪。つまり自分が嫌になってしまった。
しばらくの間、誰とも顔を合わせたくない気分。

★加えて、久し振りに「掲示板」を覗いたら、ゲスな書き込みの満載で他者嫌悪。
この点については吉田さんの最近のブログ「・・・両方結構じゃないですか。 正しいことを言ったりやったりしていればおのずと会は存続する。 無理に解散させる必要も無いと僕は思う。・・」 が全くの正解で、任意の団体の行動にめくじらをたてる必要などさらさらないだろう。

★近づけば直接顔があいそうになった時に距離をおいて立ち止まり、谷に顔をそむけるようなめめしさのたぐいが大言壮語を吐くことができるのも「掲示板」の長所かとは思うけれども、遠隔発信が事実誤認を招くという意味では短所だろう。

★某国会議員のことがとりざたされているが、市長選で選対委員長だったひとがどこの党の支持者であるかを考えれば呉越同舟であることは明らかで、であればこその「市民の会」だ。

★「掲示板」に何を書いても構わないが、読み手が好悪の感情を持つことは当然だ。
書き込み手自らの品位を落とし込める投稿の連続のねらいがこの掲示板の閉鎖だろうと思うから、閉鎖はしない。この掲示板を、己の稚拙さに気づき鷹揚な人格を育てていくための試行の場としたいからである。
ただし管理方法については、それを変えようと思う。
★ということで、明日から小さな旅に出ます。よって日記をしばらく休みます.。

追 「本日予定の市民集会の場所はどこか?」という電話が入ってきたので、お知らせいたします。

08/04/21 (月) 本日は臨時議会


近江の湖は 海ならず
天台薬師の 池ぞかし 何ぞの海
常楽我浄の 風吹けば
七宝蓮華の 波ぞ立つ 
  梁塵秘抄253

★何故か近江の国が好きである。高月町と彦根市にそれぞれ一回行ったきりだのに、懐かしい気さえする。30代の頃、万葉集のいくつかを暗誦するのが私の唯一の趣味だったからだろう。暗い趣味だったしそのことで明朗闊達な大人になりきれなかった私だが、後悔はしていない。
さて
この地に都があった頃に活躍した万葉歌人が額田皇女や柿本人麻呂だったことは言うまでもない。

淡海の海 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば 
      心もしのに いにしへ思ほゆ
   人麻呂

このような素敵な歌を人麻呂のように詠うことは勿論できないが、琵琶湖のほとりに立って古代を偲ぶだけのことならば、私にもできる。
群れをなしての団体行動は車を運転をしなくていいので楽だが、旅情を損なうので苦手だ。
しかし、近江は若狭の隣国で、車で行くのに二時間もかからない。朝、家を出れば、夕刻までの帰宅は十分可能だ。還暦が目前の歳になった。それくらいの贅沢をしても構わないだろう。
誰か一緒に行ってくれるひと、いないだろうか。
↓ 満面と水を蓄えた早朝の田んぼ(河間地区にて)


08/04/20 (日) 昨日の土曜日

★昨日の午前10時、金津創作の森に於いて、「アートコア開幕式」が開かれた。
入居作家たちの作品を味わうこと及び入居者作家たちと意見交換することは、初体験であり楽しかった。某作家から「ブログを読んでいます」と言われ恐縮もしてしまった。

金津創作の森は、全国への発信度の観点から既に名をなしつつある。
しかしあわら市民内部からの評判として<運営する方向が前衛的でなじめない、あわら市民に親しまれていない>等々、批判もいろいろある(現に村への入場者のうちの80%が市外からだ)。
だけど、入居作家ひとりひとりは決して偉ぶっているわけではないし、市民との距離感も本来は無いはずだ。市民たちとの交流促進の模索で、森は市民にとって魅力的なものとなっていくと思うしそうしなければいけない、と思う。

土曜日だったからだろう、戻った事務所には昼過ぎから来訪者がずっとあってそのうち夜になった。
で、これも久し振りだったが、夜になってからは「屋台村」へ。
おでん屋のたまたま座ったカウンターの隣のおじさんが元プロ野球選手で、その業界のことをいろいろ聞かされたのも面白かった。

なんとなくゆったり気分だけの一日だったが、土曜日だしこういう日があっても構わないと思う。

大畠章宏衆議院議員⇒演壇でのしゃべりが魅力的な人で

本日の午前中に開かれた糸川正晃時局講演会にもパネラーとして出席し、考えさせる警句を吐いていた。

午後に開かれた「政経セミナー」で、郵政民営化騒動時の小泉内閣の理不尽を思い出した私は、ウイスキーグラスを片手に、その話題を彼と語り合っていた。その際、ばかな私はウイスキーの琥珀色溶液を彼が左手に持つスケヂュール手帳の上にこぼしてしまった。
笑顔で「ノー プロブレム」と言ってくれたが、大変に申し訳なかったなあ。

08/04/19 (土) 「♪知りたくないの」を聴きながら

我はもや 安見児得たり 皆人の
      得かてにすとふ 安見児得たり
 藤原鎌足

★皇極4年6月の大化の改新で陰のプランナーとしてこれを成功させた藤原鎌足は、天智天皇から側室のひとり・安見児を賜る。その嬉しさを得意気分で詠み万葉集に収録されたこの有名な歌に対する解釈として
例えば、万葉学者・犬養孝は
・藤原鎌足のような腹黒の政治巧者でも、その嬉しさを単純に歌う。現代のような屈折した時代に住む我々には想像できないほどに万葉人は素朴でおおらかだった、と解説している。

しかし、アジテーター歴史学者・梅原猛は
・字面のおおらかさの背後には、鎌足の天智天皇に対する深い媚が含まれている、と説く。
つまり、「わしの女たちのうちのひとりをあげただけでこんなに喜んでくれるなんて、お前は愛い奴よのう・・」と思わせる心理効果を狙ったものであってそれ程にひとというものは腹黒くあり得ると説く。
事実、藤原家は後の世で政治の中枢に入りこんでいくのだが・・。

現代の頭脳というべき人たちでもこれほどに解釈が違うのだ。我々凡人は「そおおーか、そおおーか」と頷く以外にない。

・しかし、私自身の好みから言えば、「シンプル イズ ザ ベスト」。
人間は表面が全てだ。裏面のさぐりは僭越であると同時に徒労である。
検証されない土台にのっかかった推測や詮索は、予め枠組みされた正当性主張を補完するための処方としてしか機能しないし、結果として誤解を重ねる。例え自己満足を感じることができたとしても、先にあるものは己に対する虚しさだけだろう。

と、まあ、そんなことを考えている今日この頃ですが、皆さん、いかがお過ごしですか。
「蛙」さんへ。
きょうの早朝、たまたまですが、その赤鳥居を目にしました。合計6つ見つけました。


08/04/18 (金) 外は雨

かにかくに 渋民村は 戀しかり
      おもいでの山 おもいでの川
  啄木

★石川啄木が東京から出身地岩手の故郷・渋民村をうたったこの歌に、例えば東京へ数回しか行ったことのない私がなにがしかの共感を覚えるのは何故だろうか。59年間のうちの53年間、この地で青息吐息の生活をしてきた私が共感を覚えるのは何故だろうか。
思うに
異空間からの郷愁であると共に異時代からの郷愁であるからだ。
既に変節してしまった昭和30年代の金津町のおもいでの山おもいでの川と読み取るからだ。
あの頃の竹田川では河戸がまだ使われていた。川岸が生活の場であった。
生活の場であったからこそ、河川敷のくさわらにゴミは見えなかった。自販機の登場はまだまだで、ペットボトル・空き缶・DVDの類は落ちていなかった。
家庭内労働の煩雑さから開放される為に日本人は電化生活を現実のものとしてきたのだから後戻りはできないだろう。しかし、郷愁は郷愁として残る。

★昨日の昼は、教育厚生常任委員会審議を傍聴した。
某議員から、「牧田くん、きょうはしゃべるなよ」と言われた。
傍聴者だから当然なのだ(笑)。
「金津雲雀ケ丘寮運営方法等について」が議題だった。懸案のこの課題に対する理事者側からの説明を受けて討議に入ったが、個々の委員の考え方は十分頭の中に入った。
同じ傍聴者として新聞記者が来ており、本日の新聞に載るだろうから内容記述は省きます。

★21日に臨時議会が開かれるが、そこで一般質問はない。
一般質問のある議会としては3月・6月・9月・12月の年4回定例会が該当する。

このところ何人かのひとから、「6月議会で一般質問してほしい」という課題をおおせつかった。当然のことながら質問に向けての実態調査が必要である。
福島県矢放町議会が議員日当制を決めたが、報酬削減による節税効果は大きいとしても、登庁は活動の一部でしかない。表面に出ない部分こそが実質を担うと私は思う。

★手話サークルの皆さん、Tさん、昨夜はごめんなさい。
「とにかく晩飯を食ってくる」と言って自宅に戻って食ったあと、「十分間だけ仮眠してから戻ろう」と布団に入ったのだが、疲れのせいか目覚めたら午前2時だった。


08/04/17 (木) 10年ほど前のこと

★昨日の事務所来訪者との間で、話のテーマが水になった。魅力のある町は水路の水が澄んでいる。
行ったことはないが例えば柳川などもそういうことで名をなしたのだろう。
10数年前、金津中学校PTAの役員をしていた時に、視察研修で滋賀県高月町へ行ったことがある。
この町は江戸期に於ける朝鮮語通詞として有名な雨森芳州の出身地でもある。

彼の功績を讃える碑があり、そこには(記憶で言うのだが)
「雨森芳州は、初め医者を志した。しかし医学修行のさなか、<一人前の医者になる為にはその過程でひとの血を流さなければならないあるいは時としてあやめなければならない。けれども物書きになるのならば使うのは紙と筆だけであり、どれほど原稿用紙を破いてもたいしたことはない>という思いにたどりついた」と書いてあった。

★高月町の水路は清潔だった。水路のところどころに半割孟宗竹が横断的に架けられていてそこには色とりどりの草花が咲いていた。水の清浄は、子供会・婦人会・青年団・老人会等々の共同奉仕作業によって支えられているとの説明を受けた。

★町の中央に位置する雨森芳州神社に行った。雨上がりのせいか、空気は澄んでいて木の葉の緑もみずみずしい。小さな祠を見つけ、参拝した。祠脇の樹木の葉に小さな雨蛙が目に入ったので、そっと右手に握りこんだ。

横で参拝する役員女性(某市市職員)に「ほら、賽銭や」と言いつつそっと投げ渡した。両手のひらで雨蛙を受け取った彼女は刹那に「キャアー」と叫んだが、その時の声音と驚いた表情が今も鮮明な記憶として残っている。
郵送されてきた会報・資料(数年前)を読んで・・福井県の動態

人口⇒鳥取・島根・高知・徳島についで下から5番目
老年人口(65歳以上)%⇒多い順から20番目
一人当たり県民所得⇒上位から21番目
生活保護被保護実人員(人口千人当たり)⇒少ない順から富山・岐阜・福井・長野
離婚率⇒少ない方から島根・新潟・富山・山形・福井
医療施設に従事する医師数(人口10万人当たり)⇒多い順から23位
一般病院病床数(人口10万人当たり)⇒多い順から18位
国民健康保険・被保険者1人当たり医療費⇒高い順から18位
老人保健⇒高い順から23位
平均寿命男⇒高い順から長野・福井・奈良
平均寿命女⇒高い順から沖縄・福井・長野
月平均実労働時間男⇒多い順から16位
月平均実労働時間女⇒多い順から福井・富山・栃木
身長⇒高い順から神奈川・福井・大坂
体重⇒重い順から9位
肥満度⇒上から29位
飲食店(人口10万人対)⇒多い順から18番目
料亭(人口10万人対)⇒多い順から新潟・福井・石川・富山
バー・キャバレー・ナイトクラブ(人口10万人対)⇒多い順から30位
ハンバーガー店(人口10万人対)⇒多い順から40位
そば・うどん店(人口10万人対)⇒多い順から11位


08/04/16 (水) ちょっと鬱

★昨日の朝は地区のひとが来ての議論。近隣の道路補修等、どぶ板的といえばどぶ板的、生活密着的といえば生活密着的ないろいろを話し合った。来訪者を見送ったあと、市庁舎に行き複数の担当課で詳細を聞いた。
事務所に戻りスケヂュール表をめくると、久し振りに何もない。なんとなく心がはずむ。

★午後はCAD三昧。構造計算ソフトプログラムSS2を駆使し四苦八苦しているうち、困難だった課題解決の糸口がみえてきた。生きていることのはりは、意外とこういう小さいところにあるのではないか。

★夜の来訪者と親睦飲み会の計画について話しているうち、別の飲み会いざないの電話が入ってきた。基本をいえば一ヶ月二ヶ月先の予定などわからない。私が生きているという保証もない。
例年のことだけれども、年度始めのこの季節、公私ともに歓送迎的飲み会が多い。
孤独が好きで金のない私は外で飲むのが苦手だ。事務所での安焼酎・安ウイスキーひとりちびりちびりが一番だ。つまみは、一日の走馬灯的回顧で十分。

白玉の 歯にしみとおる   
       冬の夜の
  酒は静かに 飲みべかりける   牧水  である。

その来訪者との歓談の途中、固定電話が鳴った。衝撃的な事実を知らされた。ここに書けることではないが、とても嫌な気分になってしまった。

来訪者を見送った午後8時半、帰宅し遅い夕食をとっている時に、お袋と妻から親父の介護度があがったことを聞かされた。「うーん」としかいいようがない。
青少年は日々成長し、壮年は日々活動し、老年は日々衰弱する。人生のこの真理から誰も逃れることはできない。
遠くにいる若かった頃の交友関係者とできるだけはやく再会し、悔いのない幕引きをしなければ、と思った。

★布団にもぐり込み、昼に薮蚊のことを電話で話し合った女性との会話を反芻しつつ熟睡。

午前2時半に目が覚めた。携帯にはいくつかの音声・メール着信記録が入っている。
事務所に入り、熱いシャワーを浴びた。無地の真新しい白い下着に着替えてから洗顔・歯磨き。歯磨粉のボデイには「収れん性抗炎症成分配合・ハイテクト」と書かれている。
その意味がよくわからないが、とにかくきょうも

08/04/15 (火) 昨日の一日

★福田政権が「道路特定財源をH21年度から一般財源化する」という声明を出したことによって与野党全体がこれに傾いた。同調していないのは国民新党だけだそうだ。
民主党菅代表が「道路族=利権派」発言を繰り返し、マスコミがこれを後押しするような雰囲気でなんとなく「郵政民営化」の時の雰囲気を髣髴とさせる。
しかし、本日も行政マンと道路補修すべき現場を一緒に見にいった時いろいろ話したのだが、建設族=利権とみなすのは当たっていない(勿論例外はあるが、例外はどの分野にもあるものだ)。建築設計の業にいるので、建設会社のひとたちと話す機会は多い。ものづくりに励むひとたちは総じて寡黙で生真面目だ。手の記憶・・これが人生だと思う。

★昨日の午前中は産業建設常任委員会が開かれ、午後は全協が開かれた。全協終了後に、所用で伊井工業団地に行った。

工業団地北側の竹田川河畔桜並木が満開で見事だった。

★事務所に戻り書類整理をしているさなか、同僚市議来訪。旧芦原庁舎利活用に話のテーマが移った。例えば
旧金津町は歴史の足跡の多いところで、いろんな埋蔵文化財が発掘されている。しかしそれらは単に保管されているだけ、あるいは県に預けられているだけだ。これらを常設展示できるスペースがあれば、小中高生などが見学にやってくる。そこに待機する語り部ボランテイアおじさんたちが多少のユーモアを交えつつ展示品を説明する。聞いている青少年たちはわが町に誇りを持つようになっていく。昔から私はそういうことを思っていた。

★というようなことを話しあっているところへ電話があった。誘われて某所での会議に出席。
昨日は会議・会議・会議だった。
★本当のことを言うと、私が一番好きな花は菜の花。今朝も竹田川の土手から数本持ってきて竹筒に入れた。


確か金津町議会議員選挙の時だった。里山を歩いていて、目に入った路傍の菜の花になつかしさを覚え、背広の胸ポケットにそっとさしこんだ。
牧田少年は、じいさんばあさんと一緒の野良仕事で、菜種をゴザだったかムシロだったかに並べ、てんびん干しするのがその季節における日課だったのである。

私が菜の花を手折る光景を見ていたひとからなのだろう。
「菜の花の好きなひとに悪いひとはいません」という差出人不明のメールが入ってきたのは、その日の晩だった。

08/04/14 (月) 昨日の日曜日

午前3時半
寝付かれないのでダーバンのコートを肩にかけて散歩に出た。風は冷たいが、ハイジ手編みのマフラーが風を防御する。くさわらに座り、独煙草ゲルベゾルテに火をつけた。
ザルツブルグ音楽院でベートーベンの研究にいそしんでいた頃がなつかしくてたまらない。涙が出そうな気分になった。

傍らに空き缶が転がっていた。
「公共放送広告機構」は、「空き缶拾いは一瞬、ポイ捨て土戻りは50年」と放送しているのである。

私は酒を飲んでも飲まれたことはない。つまり酩酊で乱れたことのない人間だ。
しかし昨日だけは酔っ払ってしまった。

昨日の午前11時
↓ 坂ノ下区「八幡会」の観桜宴会が八幡神社境内で開かれた。この境内は7月恒例の金津祭りで山番地区巡行の大休止場所となるところ。


↓ 見上げれば満開の桜花が濃厚な色気を放っている。桜といえば
敷島の 大和心を 人問わば 
        朝日に匂ふ 山桜花
  (本居宣長)である


↓ 舞い散った花弁で地面はピンクの絨毯だ。地面といえば
桜の木の下には 死体が埋まっている (梶井基次郎)である


↓ 今年山番の坂ノ下地区若衆が太鼓の試技を披露した。太鼓といえば
小倉生まれで 玄海育ち  口も荒いが 気も荒い (無法松の一生)である


★地酒をあおる私の前後左右は同世代だった。

「あんたが2校存続を訴え続けたのはいい。信念の問題として構わない。しかしこの地区に住んでいる多くの統合を望んでいたひとたち、地権者を含めてのそういうひとたちに対するアフタケアが足りない。じょうずに振舞うことが政治家の条件ではないか。嫌われているぞ」と、叱責された。「ま、それがあんたの可愛らしいところでもあるのだが」と誉められもしたのだが。
おひらきとなった昼すぎ、酩酊した私はゆっくりと家路を歩いた。帰宅し布団にもぐりこんで眠った。こんこんと眠った。

08/03/14 (金) 深夜に 美空ひばり・「悲しい酒」を聴きながら

三月議会というのは、本年度・当初予算の説明がメインだ。
昨日開かれた産業建設常任委員会の席上、委員から「本年度予算編成に於いて、いくつかのイベント予算が削られている。・・何故か」という質疑がでた。
担当課からの具体的な説明のあと、市長は「イベント行政から脱却したい」という思いを述べた。

合併後のこれまでのイベントのありようで、私も同じような思いを持っていた。仰々しいセレモニーが税の無駄使いであるように、行政頼みのイベントも又その根本的な姿勢を再検討すべしという意見に同感だ。

市民による各種実行委員会での十分な討議を通して模索を経過した上で実現するイベントには、汗を流しての一体感という珠玉が残り、そのための補助であれば意味はある。けれども補助先にありきであるいはスタッフを市役所職員に依存するのであればおかしい。

書いていて思い出したのだが、私も十年程前まで仲間たちと一緒に、定期的に、一人語りや指人形使いやパントマイマーや筑前琵琶奏者やエトセトラを呼ぶ「わちらの会」を催していた。
それはギャラ格安・チケット手作り・知人口こみのとてもマイナーな催しの連続であったが、合言葉は「行政から補助をもらわない」というものであったし、結果として残った汗には十分意味があったと思っている。
★↓今朝挙行された金津幼稚園の卒業式
★↓今朝挙行された金津小学校の卒業式

卒業生の彼ら彼女らが社会に出る頃、私は既に天国で暮らしているだろう(地獄ではないと思う)。
今の私達にもし生きることに意味があるとするならば、次世代に残す環境(生活環境でも政治環境でも)をより良いものにすべく努力することに尽きるのじゃないだろうか。

08/04/13 (日) 昨日の土曜日

★昨日の土曜日
福井市内での打合せ終えて事務所に戻りうとうとし始めていた夕刻、「セントピア芦原広場で音楽コンサートが始まった、来ませんか」という同僚市議からのお誘い電話を受けた。
事務所を出ようとした時、駐車場でTくんと鉢合わせ。金小PTA時代の盟友である。Tくんは私の妻が一番信頼している人のひとりなので、丁重に広場への同行を促した。

コンサート(あわら市で段々なじみになってきた楽衆玄達)終了後、セントピア喫茶コーナーで珈琲談話となった。
伊井工業団地で会社社長をしている彼は、行政と企業誘致・会社ボランテイア・町の活性化エトセトラのこれからのあり得べきかたちを雄弁に物語っていた。
うん、私にとってはすがすがしい土曜日となった。
★本日の午前6時。
金津東保育所駐車場付近に於いて「あわら市消防団・春季火災防ぎょ訓練」が開かれた。




 08/04/12 (土) 昨日の一日

★外食を滅多にしない私だけれども昨日は昼飯を外でとった。美味しい天ぷらうどんを堪能した。レジで金をはらう時、「何故おごってくださるの?」と同席者が聞くので、「きみがきれいだからだよ」と答えた。
帰途、助手席が「世の中にはいろんな人がいるのね」と疲れた表情で言う。「私でさえそう思うんやから、年上の牧田さんなんかいろんな人達とめぐり合ってきたんやろうね」と、続けて言う。
答えたわけではないけれども、歳を重ねれば当然そうなる。しかし、他人にあまり興味を持たない私にとって巡り合いの積み重ねが何かを生んだということはないだろう。

★事務所で某来訪者と中学校教育の話になった。先日事務所に泊まった「遠方の友(教師)」も同じようなことを言っていたが、今各地で注目されている教科センター方式(アメリカ方式)は日本になじまないだろう、と言う。外来種理念と国産種理念はそもそもがそれぞれ底流文化の違いの反映であってしかるべし、というところか。
なお、丸岡南中学校は折衷方式だそうです。

★カウンセラーを業としている友人から久し振りの電話があって、話題はコンプレックス概念に移った。コンプレックスは、普通、劣性を意味しているが、字義は複合で、劣性コンプレックスと対極の優性コンプレックス双方を現わしている。
劣等感は優越感の、優越感は劣等感の裏返しにすぎない。つまり振幅に差があるだけでプラスマイナスゼロは変わらない。
そう考えると仏教でいう「衆生」は魅力的な言葉だ。
我々ひとりひとりはどうあがいても愚かな存在であり、だからこそ社会は相互扶助を必要とするのである。
会津盛衰記を読んで
武田耕雲斎以下斬首された「水戸天狗党」の塚は敦賀市・気比松原の近くにある。
その地区が母親の実家であったせいもあり、私は塚を数回訪れた。参道脇を線香の匂いが流れ、荘厳な音楽が悲しみをいろどる。
塚の前に立ち合掌するたびに涙が出て仕方がなかった。

スナップ掲示板を読んで
鳥居の効用は確かにあると思う。

「鳥居」調べが私の趣味のひとつで
・昔、郷土史の先生から「鳥居」の語源を教わったことがある。
説①朝鮮半島に「鶏林」という国が昔あって、王子が鶏の生まれ変わり。よって鳥が死後の魂を天へ運んでいくという発想。
・小説家歴史家・故金達寿をしゃべり手講師とするマイクロバスに乗って敦賀市白木地区へ行ったことがある(プロの小説家はこんなにも博識多弁なのかと吃驚仰天した)。
白木は勿論新羅であり、その地区の神社参道には遊魂石があった。
同じように「鶏林」の話を聞いた。その地区の人々は鶏の卵を食べないと、言っていた。
説② 和語「通り入る」から

08/04/11 (金) 

本日の新聞に「五輪での女子400mリレー優勝チーム・米国のランナー達の金メダル剥奪決定」の記事が出ていた。勿論、禁止薬物使用による有罪判決を受けたマリオン・ジョーンズが絡んだ結果としての剥奪決定だ。
世界チャンピオンという最高の栄誉を目指して自己犠牲の日々を送ってきた彼女達が大変にかわいそうである。
銀メダリストたちに金が動くのだろうか。

15年程前の「文芸春秋」が金メダル獲得最前線を特集していた。
主にソ連の選手達を対象にしたアンケート結果報告だった。
アンケートは
「仮に五輪で金メダルを獲得できるとしたら、その後5年以内に死んでもいいですか?」という質問形式だったが、半数以上が「いい」と答えていたと記憶する。
★私は二台のパソコンを駆使して日々の仕事をこなしている。本日は、仕事をより速やかにさせるために某量販店に行き、「USBリンクケーブル」を購入した。事務所に戻り、汗を流しながら各々のパソコンにコードを接続している私の傍らで、二人の論客が「4/22集会」の在り方をめぐって討論を交わしている。

討論・論議エトセトラは顔付き合わせてのそれが一番いいと、つくづく思った。

08/04/10 (木) 夜桜見物

★多分最初で最後になったであろう昨夜の「夜桜見物in駐車場」は楽しかった。
いつも人生や生態系や政治のことばかり考えていると、表情がどうしても堅くなってしまう。
しかし、束の間であれ、夜桜を眺めているだけで気分が開放される。
若かった頃、気障な友人が、「牧田・・・レクレーションは、リ-クリエーションやぞ。つまり<再びの創造に向かって>という意味がこめられているんやぞ」と、私に言った。
確かにそうだ。
そして野外宴席の場合には付加される価値がある。それは宴席設置を共同作業でやるということだ。
例えば金のない私でも昨夜のために宴下敷き用ブルーシートを購入しておいた。事務所の窓から取り出した延長コードを桜の木の枝に結びつけ裸電球を吊るして雰囲気を抜群のものにした。建築家の私にとってそれはたやすい作業である。
プロパニストKくんは、ガス燻製器を持参しソーセージや卵を燻製にして提供した。その素材及び酒類購入はリッチなバンカーSくんが負担した。たまたま来訪していた某市議が資金提供を申し出て、某女性ふたりが近くのスーパーへ買出しに走った。
通りかかった某くんが、近くに予定されているコンサートのことを話して去って行った。
更けてから某医師が来た。いつもさわやかな笑顔のこの医師は下戸であり某女性を家まで送ってくれた。
宴席では皆が話し合うのを横で見ているだけで十分に楽しい、ということを実感した昨夜の夜桜見物宴会だった。

それぞれの立場で目一杯の汗を流す。その共同作業が連帯感をつくる。
 

08/04/09 (水) まだ肌寒い夜明け

昨日の夕刻、福井市内某所での会議を終え、あわら市内の焼肉店での議会事務局歓送迎会に向かう途中、携帯電話が通じないことに気がついた。液晶パネルが壊れているのである。
よって昨晩は不携帯歓送迎会となった(渡辺さん、移動先でも頑張ってください。中辻さん、ようこそ)。

建築現場に居ることの多かった私は、その必要性故に、相当早い時期から携帯電話を持っていた。しかしその便利さは自分の性格をだらっとさせてしまったという気がする。固定電話であれば当然必要とされた「お待ちください」コールに対する感謝機会がなくなり、その相互即通性故に「待つ」という大切な道徳感を喪失し、何よりもいつでも監視されているような不愉快をぬぐえなくなりエトセトラである。
携帯ショップに出向き修理を依頼することになりはするだろうが、携帯電話による利便生活が現在の社会に与えた負の影響は無視できるものではないと思う。
★このところとても忙しくて「掲示板」を覗いたことがなかったのだが
「まきちゃん、掲示板にあほが一匹まぎれこんできてるざ」と何人かのひとに言われたので久し振りに「市政掲示板」を覗いてみた。
私は管理者なので自分では書き込めないし名誉のためにどのハンネともいわないが、得意げに語る事実認識の間違いとどの議員あたりからの情報をベースにしてかが一目瞭然の繰返的冗長文を読んでいると、確かにそういう気はする。
多分寂しいひとであり相手にしてほしいから書き込んでくるのだろう。それは一向に構わないが、結果として掲示板が荒れてしまうとしたら、管理者の私が困る。
「そおーか、そおーか・・・ご苦労さ
ん、はいさようなら」的対応で、掲示板が荒れないようにしてください。

★事務所の桜も満開だ。駐車場花見宴会準備OK。


バンカーSくん、プロパニストKくん、今宵あたりどうですか。

08/04/08 (火) 家族のことを思いながら

一年程前の日記にも書いたけれど、こういう詩がある。

かつおぶしじゃない
まず言葉をえらぶ
太くてよく乾いた言葉をえらぶ
はじめに言葉の表面の
カビをたわしで さっぱりと落とす
血合いの黒い部分から
言葉を正しく削ってゆく   長田弘「言葉のダシのとりかた」

昨日の入学式。
入学式に出席するということはVIPのひとたち及び児童生徒代表のひとたちの挨拶を聴くことに他ならない。
挨拶は禅用語であり、挨は「押す」を、拶は「引く」を意味する。「骨太に簡単明瞭」がインプレッシブということだ。そういうことを思いながら挨拶を聴いていた。
昨年の今頃の日記を読み返してみた。

★捻りハチマキでCADにいそしんでいた昼下がり、視聴者からの
「私は生まれつき、盲目です。ですから暗闇がどんなものかわかりません。そういう私にとってラジオだけが心の支えです」という声がラジオから流れてきた。

10数年前、夜汽車の相対する座席でろうあ者と手話で話していた時のこと。
彼が、「私は生ま

08/04/07 (月) 入学式

本日は各地で入学式が開かれる。午前中は金津幼稚園・金津小学校、午後は金津中学校へ私は行く。
昭和24年1月生まれの牧田少年が金津小学校の門を母親と共にくぐったのは、昭和30年。
桜吹雪は確かに舞っていたが、しゃばにはまだ戦後の混乱が残っていた。
ひとの顔色を伺うのに機敏な腺病質で無口の私は、共同生活という新しい生活の場に身を置くことに対して恐れを持っていた。初顔合わせのクラスメートたちがお互いすぐに打ちとけ笑顔で話し合っているのを教室の隅で眺めつつ、「どうしたらあんなふうに仲良しになれるのだろう」という不思議な思いにかられていた。

あれから50年以上の歳月が流れた。そして
今考えてみると、人生の中での私のゴールデンエージは小学校生活のなかにあった。
6年東組(担任・故清水英夫先生)の学級生活にあった。
上級生になって少しだけ冗談も言えるようになり、淡い恋心をいだき始め、やさしい顔だちの私は女生徒達から好かれていた(と当時のクラスメートの何人かが言う)。
学校の裏山(大きい観音立像があり忠魂碑があり相撲の土俵があって公園山と呼ばれていたが今は既にない)が放課後の遊び場だった。

「大人は子供の夕暮れ」という人口に膾炙した言葉がある。実にその通りで、私にもし今後も生きる意味があるとするならば、それは、当時の雰囲気の追体験だろう。

↓金津幼稚園入園式


↓金津小学校入学式


なお、金津中学校へはデジカメを持っていくのを忘れてしまった。
★早朝に北潟湖畔を歩くと

の看板が目に入った。「うーん、いいことだ」とは思ったが、看板足元に空き缶・ゴミが散乱していてなんとなく皮肉っぽい。

湖畔荘駐車場に立つと満開の桜が見える。

春爛漫である。

 08/04/06 (日) 日曜日の朝

★春の陽射しを浴びていると空気がおいしい。そして水のほとりに立つとほっとする。そう感じるのは私だけではないだろう。水を使った言い方を思い浮かべると、例えば
・みずみずしい
・みずに流す
・みずもしたたるいい男  などなど肯定的表現が多いように思う。

先日私の事務所を訪れた糸川さんは、「水が大事」と言っていた。
「・・大震災が起こった場合、建物倒壊の懸念が最大の関心事であり、全国的に耐震補強計画は進んでいる。しかし水補給ラインがカットされた場合どうなるか。例えば手術中の病院に水補給が不可能となったりあるいは水そのものが汚染されたらどうなるか。仮設トイレをつくっても水が来なければ大変だ。地下埋設給水菅継手をフレキシビリテイ持つ耐震性あるものにすることが急務だ。国会でも言っている・・」

ざっとそういうことを語っていたが、阪神淡路大震災勃発後、個人的ボランテイアとして阪神間に行き現場を歩いた私は「なるほどなあ」と思った。
★「市政掲示板」に西行のことが書かれていた。
西行の歌のなかで私が一番好きなのは
年たけて 又越ゆべしと 思ひきや 命なりけり さやの中山  で
それは多分年齢的な重なりからくるものだと思う。

08/04/05 (土) 阪神快調

★街で出会ったひとに「久し振りやね」と挨拶すると、「全然久し振りではない。わしは毎日あなたのHP日記を読んでいる」と言われた。以前にも別のひとからそのように言われたことがあるが、「なるほど、<書くVS読む>は知己のひととの間に、一方向とはいえ、ある種の感情が形成維持されるのだ」と納得した。そういえば、総クリック数が34万カウントを超えていた。駄文に付き合ってくださるみなさん、ありがとう。

★昨日の朝は「広報編集委員会」が開かれた。合間の休憩時に「後期高齢者医療制度の長寿医療制度への呼び変え」が話題となった。
私は思うのだが、前者=事実客観表示⇒後者=思い入れ包含表示の違いは、制度そのものの施行とは何の関係もない。
国保運協で、「ターミナルケアに医療費の多くが注ぎ込まれている」との説明を受けてきたし、この受益者負担的制度に医療費抑制の効果があるのだろうとは思うが、一方でそれは保険というものの持つ本来的な意味即ち相互扶助精神に反するという思いがどうしても残る。

★市役所2階フロアで、「創生塾」の吉川マネージャーが既に退任していることに改めて気がついた。
先日、事務所来訪の「全国ろうあ者大会in福井」・事務局のひとと一緒に温泉街を歩いた時、大会時の「屋台村」積極利用の意欲を彼から聞いた。6月までにはパスタ・焼鳥など4つが増店されるそうである。「屋台村」に関しては議会内部に賛否両論あるが、既にスタートしているものだ。
それぞれの立場でサポートしていくべきだ、と私は思う。
★土筆の接写(新富・河川敷公園にて)⇒桜と並ぶ春の代名詞


お浸しにするとうまいが、友人によれば佃煮にしてもうまいそうだ。

08/04/04 (金) 私は路傍の石

★昨日は来訪者の多い日で、昼過ぎから夜の10時までの間、晩飯(これが又家族討議・自己反省の場となってしまった)の時間を除いて、ずっと誰かがいたような気がする。
しかし誰と話をしていた時も、私は心の底でごみのことを考えていた。

★ウィキペディアからの抜粋
・ごみは、役に立たなくなった不要なものをいう。「くず」や「かす」とだいたい同じ。最初から誰にとっても価値を生じない物体、たとえば路傍の石などは、ごみとはされない。誰かが、何らかの理由で一度は所有し、その後価値を失った物がごみとなる。

・ごみは、誰がその物体をごみと考えるかに依存した相対的な定義である。ある集団にとってはごみでも、別の集団にとっては宝の山という状況が存在する。そこに含まれているものに対して価値をいかに見出すかであり、そのために必要な労働力と賃金とも密接に関係している。そのためリサイクルやオークション、フリーマーケットなどにより両者の接点を設ける事がごみの減量においては重要となる。たとえば日本では、昔から原材料から液体成分を抜き取った残留物をカスとして再活用している。

・落ち葉が20年、繊維が50年で土になるのに対し、多くのプラスチック製品は分解に数千年を要するため、廃棄量そのものを減らす取り組みも必要となっている

・2005年現在で、不法投棄された産業廃棄物は少なくとも1500万トン以上であり、その処理には1兆円以上の税金が必要となると環境省は試算している

・リサイクルを行うためにもエネルギーが必要であり、単純にリサイクルをすれば環境に良いとは限らないので注意が必要である。一般に、エネルギー消費量の削減には、リデュース・リユース・リサイクルの順に効率が良い。

・ごみの中には資源として使用可能なものもある。有価物の純度を下げないことが、リサイクルの鍵であり、そのためにゴミの分別が行われている。ごみ分別の方法は市町村によって異なっているが、最も分別が多い例では、徳島県上勝町ではごみを34分類まで増やしている。また、それらを確実にリユース・リサイクルするための仕組みを作り上げることが課題となっている。中国等へ輸出されたあと、有効利用されないケースもあり、世界的な環境汚染問題が発生している。

★私は前期まで「環境保全特別委員会」に所属していた。金津町町議時代に視察研修で瀬戸内の小島・豊島を訪れた時には、強い衝撃を受けた。

手にとらで やはり野におけ れんげ草  である。
よって街路に幾何学的に花を植えたりすることに対しては興味がないし、雑草は雑然と存在しているからこそ好きだ。

★翻ってペットボトルや空き缶などの無機物は、人間生活利便向上の為、人工的に作り出されたものであるのだから、我々自身の手で処理・埋葬する義務がある。埋葬方法は火葬であり土葬としてはならないが、とにかく、「祓い給え清め給え」の神道精神でごみを葬送しなければならない。
しかしながら、自分達の為にそれをするという考え方は傲慢である。不遜である。
樹木や草花や昆虫や魚や鳥や獣やその類である人間の命の営みを大きい度量で支えましましておられる畏れ多し「地の神」に対する贖罪の行為と考えるべきだ。

★補陀落山をルーツとする地蔵菩薩の額にイボがついているのは、地蔵菩薩が「地母神」即ち地面に額をこすり合わせて我々衆生の幸せを祈り続けていることの結果なのである。

 08/04/03 (木) 深夜に林檎を食べながら

頼まれごとがあり、昨日の午前中は市役所の商工観光課・税務課・建設課などを行き来した。
生活環境課に行った時、ゴミの話になった。
自治体によってゴミの分別方法が違う。話のさなか、私は「(可燃ゴミ袋)(不燃ゴミ袋)に加えて、あわら市の場合は(粘着人間ゴミ袋)をつくるべきではないか」と言おうと思ったが、個人的なことなので言うのをやめた。

午後、新任転任の先生方が事務所来訪。入れ替わるように、新任部長8人衆が来訪。辞令交付の季節なのである。

CADにいそしんでいた夕刻、妻があわただしくとびこんできて、「今、嶺北縦貫道路で三台玉突き事故があった」と言う。一昨日に事故の現場を見たばかりだ。昨年に我が子たちがどどどっと運転免許を取得したこともあって、どきっとする。

ひと眠りし目が覚めたら午前1時。
上半身はだかとなり、熱い湯で体を拭いた。久し振りに全身を鏡にさらした。
続いていた鬱気分がなくなったせいか、肌に生気が戻ってきたように思う。
★本日は、べとぞうけを携えて淡水生息動物を捕まえてきた。成果はクロメダカニ匹、泥鰌一匹、ヤゴ一匹、田螺ニ個(匹かな?)だった。
水槽で動く彼らは即物的に生きている。生命維持の為に食べ子孫維持の為に生殖行為に励み生きる為に生きている。俗な人間界のようにプラスアルファを求めない。
見習うべきである。

09/04/02 (木) 昨日のこと


昨晩は、福井市内で開かれた政経パーテイに出席。講師は沖縄選出の国会議員・下地幹朗氏(国民新党)だった。



「基地の島・沖縄はそのまま日本の縮図である」が冒頭の言葉で、長時間のしゃべりであったにも関わらず退屈を感じさせなかった。げに、政治家に必要なものは容姿でもなければ金でもない、話術なのだと私は思った。沖縄の話が出ていたので、講演が終わってから、私がかって生活したことのある島・沖永良部島の話を、氏に対してしばらくした。


午後9時に自宅に戻り、妻から、実家のお母さんの健康状態のことを聞いた。
心の健康であれ体の健康であれ、「健康は大事」が私の座右の銘となっているので、大変に気になる。時間をとることが出来たら、週末までに見舞いに行ってこようと思う。


★注文していた遠近両用眼鏡ができあがった。遠くをみてもぶれない。ぶれないことはとても大切なことだと思う。
目は遠近両用眼鏡と点眼目薬、鼻はスーパーステイックで私の健康維持体制はできあがった。


★今朝、何故か私は北潟湖畔にいたのだが、突然みぞれが降りはじめた。



「正月松の内」に戻ったような燐とした気分になりました。

08/04/01 (火) 昨日の一日

★以前の日記に書いたことでもあるが、全国ろうあ者大会の事務局が昨日の朝に来訪。一緒に公民館・旅館・屋台村あるいはタクシー事務所などをいろいろ廻った。湯の町駅からの「えち鉄」車両増設も検討されているとのこと。期間中、もしかしたら私なども、通訳ボランテイアとして駅のホームに立っているかもわかりません。
★市内NPOのひとから、「ボランテイアとして何かお手伝いできることは?」の申し出をいただきました。
しかし、「この方面のボランテイアは技能を要するものであって一般の人には無理。気持ちだけをありがたくいただきます」が事務局側の答えでした。
★はてさて、「市政掲示板」NO233さんが私に言及しているのでちょっとだけコメントを・・・
・半年程前に、「管理者なので、事務用件以外、自分の意見は書きません」と私は書きました。なお、「報酬値上げ賛成の理由」は過去ログで既に長文を書き込んでいます。

・「管理者=牧田議員は書き込み手を逐一調べている」と、するはずもできるはずもないことを決め付けて書いている下司感覚の持ち主が、さらに「だから私はもうあの掲示板には書き込まない」と書いているのはパラドックスとして面白い。

・「誰かが裏で情報を流し投稿していること云々」の誰かについてはなんとなく推察がつきます。さて、この「裏で」という書き方がこの人の性格を現している。全協は議事録をとらない場というだけのことであって、秘密会でもなんでもないと思います。
早い話、各マスコミが「中学校問題、2校存続へ!」を大見出し記事にしたのは全協の翌日でした。私は、記事の内容が(マスコミによっては)とてもおかしいと思ったものであります。何故そう思ったかを書けば長くなるので割愛しますが、いづれにしろ全協の内容がオープンにされて困ることなど何もないし、仮に名指しされた方が(公人であるにも関わらず)名誉毀損だと思うならば、本人が「掲示板」で反論するか、(既にしているそうですが)警察に相談すればいいだけの話であり、第三者が云々しなくてもいいでしょう。

・翻って、私自身はスキャンダルというものに対してなんの関心もありません。勿論、議員を十年間程もしているので、例えば「産廃業者接待現職議員」の固有名詞が嫌になるほど耳に入ってきます。しかし、私は沈黙。ただ軽蔑しているだけです。

・最後に
NO233さんが「掲示板」にいろいろ書き込むのは一向に構わないし、気分としてはむしろ歓迎です。ただし、管理者に対して書き込みを要求するのはやめにしましょう。