2008年05月



08/05/31 (土) 昨日の全協

★昨晩は有志議員たちと痛飲。


翌日(つまり本日)、「さあ日記を書こう。きのうの全協のことを書こう」と、パソコンデスクの前に座った時、某大手新聞記者が現れた。
阪神タイガースの熱狂的なファンだそうで、その意味では僕の同志である。話がもりあがっているうちに、夕刻になってしまった。
頂戴したタイガース・グッズをUPしました。

08/05/30 (金) 肌寒い朝

僕はもともとの性格が人付き合いを苦手とし、かつ出不精だ。どちらかというと人間よりも自然が好きである。
毎夕6時を過ぎると、少量の焼酎を飲みながらひとり静かにその日を反省する。うまくいかないことが多いので、明日への対策を考える。

随分昔の話だけれども、甲子園高校野球選手権で報徳学園の広岡監督が次の日の対帝京高校戦を前にして
「データーで見る限り、うちが帝京さんに勝つ確率は限りなくゼロに近い。しかし、限りなくゼロに近いということとゼロということとは全然違う」と、記者団に語っていた。ネバーギブアップの精神が大切なのである。

出不精の僕にしては珍しく、昨晩は福井市内で開かれたある会合に出席していた。こういう日もある。
その会合には県内の市議・県議の何人かも出席していた。最近、他市の議員と交わることが多くなってきた。そのことであわら市議会を複眼で見る力が少しできたような気がする。

8時半に事務所に戻った。
コップ焼酎を少しだけあおり、会合に出た資料を点検整理していたら、おふたりさん来訪。話をしているうちに、きょう、全協(全員協議会)が開かれることを思い出した。
★本日の午前5時半、何故か僕は北潟湖畔にたたずんでいた。
湖岸道路脇には手造りの小さくて赤い鳥居が見える。
例の「ゴミ捨て禁止!」通達鳥居だ。神の命令だ。


がしかし、3m横のくさわらを見るとゴミの散乱だ。


人智を超えるなにかに対しての畏れという感情が、もはやこの国には無くなっているのだろうか。

08/05/29 (木) 珈琲がなくなってきた

久し振りにあわら市内のあるひとのブログを読んでいたら、「?!」と思われることが書いてあった。早速コメント欄に入りこもうとしたのだがその方法がよくわからないのでここに書き込みます。

芦原小北校舎E判定報告の結果について
①耐震診断はE判定が出ている。年数以上に地盤が軟らかいことに起因しているらしい
②厳密にいうと芦原小の北校舎は傾いているとのことである


この二点の書き込みに疑問を持った僕は、耐震調査を業務としている友人に連絡し仔細を聞いた。教育委員会に出かけ、今までの報告の全経過を聞いた。

①AからEまでのランクを持つ耐震判定は構造体自体の持つチェックポイントに地域地盤特性が加味されるが、あわら市の場合はその数値が一律「1.0」である。つまり北校舎の地盤特性が判定に起因しているものではなく、このことは隣接建物との判定結果の違いを勘案すれば常識的にもわかることだ。
E判定の根拠はコンクリートFC強度の相対的脆弱性に拠る。僕はこの原因を劣化故だとは思っていないがそれはともかく
耐震強度調査員は、この建物に対して、偏在調査とならないよう、幾つもの場所でコア抜きをしている。

②仮に校舎が傾いているとしたら、これは耐震性能云々以前の問題である。
建物の負荷荷重は、長期荷重(自重+積載荷重)と短期荷重(地震時荷重あるいは風荷重)に別れる。本当に傾いているとしたら、むしろ杭長期荷重耐力と支持地盤との関係が問われるところだろう。
建物の傾きは目視などでわかるはずがない。記憶で言うのだが、「建築施工監理指針」に拠れば、施工時の建物傾きの許容誤差は1/500である。それが目視でわかるならばそれこそえらいことだ。
教育委員会によれば、傾き調査はしていないとのことである。

何故こんなことを書くかというと
これは個人云々の話ではないと思うからだ。

「起因しているらしい・・」だけでは舌足らずである。
「とのことである・・・」も同様だ。
まちなかでの床屋談義ならば仕方ないかもしれないが
少なくとも公共の電波に載せるのならば
「・・起因しているらしい、あるいは、・・とのことである」の根拠と情報先を明記しなければ、無責任のそしりをまぬがれ得まい、と僕は思うのである。
★昨日の朝、僕はあるひとの葬儀に参列していた。家族・身寄りなくひとりひっそりと暮らしていたひとだ。
葬儀式次第は進み、司会が弔電を読み上げた。
某議員(市議じゃないけどね)からの、「・・謹んでお悔やみを申し上げます。残されたご家族の方の心中を察するにあまりあります・・」のくだりで、一瞬しらけた気分を味わされたのは、僕だけではあるまい。
弔電は、故人との生前の付き合いを偲んでのしかし葬儀会場へ行くことのできなかったひとが弔意を表するための手段である。選挙のためのものではないのである。

隣席のひとから小声で、「なあ、牧田はん、今の市長はなんで弔電をうってこんのや?」とささやかれたので、僕は小声で僕なりに感じている現市長の思いをしゃべった。
★午前6時半の竹田川。JR陸橋の下だ。夜半からの雨の影響で水かさが増している。しかし、警戒水域にきているわけではない。


08/05/28 (水) ちょっといい話

昨日の昼、僕は陽光を浴びながら、建設課職員と共に芦原へ車を走らせていた。田植えの終わった水田は緑の絨毯だ。遠くに並木が見える。



並木通りに入って車を停めた。
ここ あわら警察署前の道路の並木を形成する樹種は
「アメリカフウ(亜米利加楓):マンサク科」である。

写真右側並木の上を電話線が走っている。そして、樹木の葉の大きな繁りが電話線に影響を与えるというNTT側の要請理由で、樹木の剪定作業が進められている。



見上げれば不揃いの樹木が一本ある。目立つ。



ズームアップすると、そこにカラスの巣のあることがわかる。



実はこの通りの並木には六つのカラスの巣があった。多くは既に卵が孵りヒナ鳥が巣立ったあとの空巣(カラス)だった。
しかし写真の巣の中だけはヒナ鳥がピーチクピーチク(かな?)と鳴いており、剪定をためらった業者が行政と相談し、そのままにしておくことにした、というのが実情だそうだ。

議会と行政の関係の基本は是々非々だ。しかし今回の措置に関しては、ヒューマニズム・ナチュラリズムの観点から、所管課あるいは行政トップの英断であったと思う。
★先日の産業建設常任委員会管内視察で、稲越団地1階の高齢者向けにバリアーフリー化された部屋を内観した。


旭団地・馬場団地も同じだと思うが、1階の玄関入り口は階段を4段上がった踊り場部分にある。持参のメジャーテープで計測すると、階段の蹴上げは20cmだったからGL(グラウンド・ライン)からの上下差は20×4=80cmということになる。
車椅子対応スロープの勾配は、通常、1/12~1/20であり、その延長を考えた場合、施工は不可能と言わざるを得ないだろう。
浴室浴槽がユニット据置き型でエプロン立上がりが大きい。担当者に聞いたら、「底板が既設排水菅に触れるので、それ以上下げることができない」という答えが返ってきた。
給水菅と違って排水管の中の水や湯の流れは菅の自然勾配に頼っており、高さ関係を自由に変えることができない。
しかし、勿論、施工絶対不可能ということではない。エルボを使用して菅の平面位置を変えるならば浴槽をもっと沈めることは可能だ。けれどもその為には周辺を撤去しての土工事が必要となる。つまり金銭的負担がずっと多くなる。新築施工ならばどうってことないのだが。
福祉に費用対効果を言うのは禁句かもしれないが、自ずから限度というものがあり判断のむつかしいところだろう。
結局のところ、入居者(高齢化に伴う手足の不自由度はひとりひとり違うのだが)に満足してもらう居住サービスを望むということである。
★本日も又、自分が「あっぺのこ議員」であることを痛感してしまった(笑)。

 08/05/27 (火) 昨日の一日

昨日の午後は、北陸財務局局長による「日本の財政」についての講演会が開かれた。私事だけれども、僕の義弟(妹の夫)が昔北陸財務局にいたので、講演が終わってからしばらく話をしたのだが、「その人を知っている」という。
しゃばにはいろんな縁があるのだと思った。

ところで、市庁舎に着いたら駐車場は車であふれている。それは構わないのだが、複数の車椅子白線マークの部分にも車が入っていた。車の形状から見て障害者用ではない。これはおかしい。非常におかしい。
先日、「障害児の親の会」会長と話をした時、「行政側との話し合いで、養護バス送迎のことで、車椅子駐車ゾーンを増やしてもらったんですよ」と喜んでいたのだ。
モラル失墜である。
講演終了後、建設課に行き、市営住宅バリアフリー化の現状についての疑問点をしゃべったあと、一路スーパーに向かった。午後6時からの晩酌用アルコールが切れているのだ。ポケットウイスキー・サントリーレッド(¥315-)を手に持ちレジに立っていた時、芦原中学校から携帯コールが入った。

芦原中学校に出向き、手話特別授業についての話をした。担当の先生ふたりのうちのひとりが、昔僕が金津中学校のPTA役員をしていた時の担当教諭だったので、又またしゃばの縁を感じてしまった。

ところで手話といえば
最近TVローカルニュースでも流れているが、来月4日から8日まで、福井市で「全国ろうあ者大会」が開かれ二千数百人のろうあ者・関係者が福井に来る。その際、相当数のろうあ者があわら温泉に宿泊する。
あわら市民のみなさん。ろうあ者に出会ったら、ジェスチャーで挨拶を試みてください。

午後6時、事務所に戻ったら来客3名。いつも焼酎だが、たまのウイスキーもうまい。横に座ったひと(女性)に、「いつもステーキだとたまにはラーメンが食べたくなるものだよ」と申し上げた。

7時過ぎに帰宅。妻と共にの夕食を終えて就寝。午前2時半に目が覚めた。
僕の一日は既に始まっている。
★本日の早朝。北潟湖に上る華麗な朝陽です。


08/05/26 (月) 本日は講演会

一昨日、芦原中学校から僕の携帯電話に着信があった。楽しいドライブ中で出ることができなかったのだけれども、どうも手話のことらしい。

随分前のことだけれども、CADに励む僕の傍らのFBCラジオから中年女性の視聴者メッセージが流れてきた。
「・・電車に乗っていたとき、相向かいの座席に座る若者達が手話で話をしていました。耳が聞こえないので私達聞こえる世界とコミュニケーションをとることができず大変だと思いました。頑張ってほしいと思いました。・・」

聴力障害者を弱者と規程した上での同情論で、別に珍しい論調ではない。
けれどもよく考えてみると、ちょっとおかしい。

・この社会は耳の聞こえるひとがほとんどだ。つまり健聴者世界がメジャーでろうあ者世界がマイナーである。だから社会は基本的に健聴者を前提として構成されている。となるとろうあ者の生活はいろいろと不都合である。
大変だというのはこの部分をさしているのだろうしそれが常識となっているのだろうが、その意味では大変でない社会をつくることも可能なのである。
・ろうあ者が健聴者に対して音の世界でコミュニケーションをとることは不可能に近い。口話教育には限界がある。
けれども、健聴者がろうあ者に対してコミュニケーションをとることは可能だ。ろうあ者も健聴者も手を動かすことができるからだ。
・現実を固定的に考える必要はさらさらない。仕方がないと思う必要はさらさらない。可能性を考えることが「福祉」なのだろうと思う。

08/05/25 (日) 雨の日曜日

★えーっと
この日記を読んでくださる方には、自民党・民主党・国民新党・社民党・共産党それぞれの支持者・支持政党なし派及び無関心派いろいろいらっしゃると思います(多分一番最後が一番多いと思う)。

すみませんが、本日は周辺の報告をさせて頂きます。
昨日の午後4時に福井商工会館ビルへ行き、若泉さんの報告会に出席しました。
昨年参院選での惜敗(うーん・・あわら市では勝ったんだけどなあ)の陳謝・御礼から始まって、近況報告が続きました。これからの方向についての話もありましたが、若泉これからも頑張ります後援・応援してくださった皆様によろしく、ということでありました。
続いて糸川さんからの報告。
道路特定財源・暫定税率・高齢者福祉のことが話の軸となりましたが、出席者から活発な質問も多く出て、とても有意義だったと思います。
零細企業・「国民新党」とはいえ、国対委員長という党の要(かなめ)の仕事をしているので、福井にいる時間が限定的にならざるを得ないようですが、ドンマイドンマイ。会うたびにその人柄の良さを感じます。
「国会での質問回数を塗り替えた男」として有名ですが、「その質問の内容及び軸足は?少なくともその概略のレジュメをつくってほしい」と、頼みました。
近いうちに配布できると思います。
★先日の産業建設委員会管内視察の時に訪れた北潟湖畔花菖蒲園。

菖蒲園横の遊歩道が大きくひび割れていて、「危険・立ち入り禁止」となっている。
ひび割れしている部分は、かってカヌーポロの練習場所になった時、ヨシが伐採された。岸辺のヨシの群生は北潟湖の水質浄化に役立つとともに、法面の地盤を補強する役目をも果たしていたのだろう、と思う。

08/05/24 (土) 忙しくなりそうな土曜日

去る5月21日に産建管内視察で訪れた企業のひとつにモーショントラストがある。


検査装置を設計製造したり高精度ステージをつくったりして、要するにミクロンの世界・ナノメーターの世界にいる会社だ。
「全てコンピューターで高さや幅を制御しますが、例えば土台据付などの時、最後に人間のコテが入ります」という社長の説明を聞いていた時、僕は一冊の本を思い出した。

30年程前に読んだ海音寺潮五郎著「日本の匠」である。
海音寺はそのなかの一章で、山口県のとある町工場(こうば)を紹介していた。
その町工場は、米のNASA(米航空宇宙局)からボールベアリングの最後の仕上げを依頼されていた。
完全球体をつくる場合、溶融鉄を金型に入れて回転させる。回転速度を高速にすればするほど球に近づくが完全球にはなり得ない。なぜならば地球には重力の加速度というものがあるからである。
そこでその町工場の職人が自らの手で最後の微調節を施し、完全球(あるいはそれに近いもの)を生み出すのだ、と書かれていた。

日本はハイテクの国と呼ばれてはいるが、実はそれをささえる最先端の手技を持ったしかし地味で目立たない匠達を沢山持っているはずだと、図面匠の末席にいる私は思うのである。


08/05/23 (金) 無題
★もう30年程前のことになるけれども、建築基準法の大改正つまり「新耐震制度」が施行された昭和56年前後、当時私が勤めていた建築設計事務所でも連日この話題でもちきりだった。その時に、いずれ今日のような状況が訪れるだろうと思ったものである。

ちょっと専門的な話になるが
「新耐震」は許容応力度設計ルートにおける「偏心率」と「相関変形角」の導入及び保有水平耐力設計ルートの導入が大きな軸となっている。
許容応力度設計ルートにおける「偏心率」とは、地震が起こった場合のXY双方の各階平面軸ゆがみ度の制限値を0.15とするものであり、「相関変形角」とは地震が起こった場合の各階傾きの制限値を1/200とするものである。
保有水平耐力設計ルートとはこれらの制限を越えた場合に当該建物の柱梁節点での力の伝達具合を検討し当該建物の保有耐力を検討するルートを意味する。
許容応力度構造設計は地震力を当該建物の自重に対しての20%を基礎的な数値と想定するつまりC0=0.2とするのが出発点だ。
余談だが昨年度に世間を騒がせた姉歯某が謀った構造計算書数値捏造とはC0=0.2をC0=0.1としたことを意味している

さて、記憶でいうのだが
昭和50年頃には、鉄骨造建物の仕口部分に関する「熔接強度」規準が大幅に強化された。
昭和60年頃には、地業部分としての杭が地震時に発生するモーメントに対して抵抗できるかどうかの指針が公布され、杭はA種・B種・C種の三つのランクを持つようになった。
さらに平成の世に入ってから、木造住宅に於ける筋交の構造が詳細に再検討され筋交端部での金物補強や筋交の平面的配置に規制が加えられるようになった。今、木造住宅簡易耐震診断が始まっているが、私個人はこの結果報告の方法に関しては矛盾を感じているところであるが・・・。

それはともかくとして
鉄骨造や鉄筋コンクリート造建物が保有する耐震性能はどういう流れで決まるか。
耐震専門技術者が数千ポイントの実態調査をする。その結果を判定委員会に報告する。そしてその結果が判定委員会からクライアントに提出される。
AからEまでの段階を持つ耐震調査報告の結果をみてクライアントは補強の要不要・可能不可能あるいはその程度を選択するのだが実は補強方法も今は幾つかの選択肢を持っているし当該建物老朽化に伴うあるいは平面計画立面計画等、時代のニーズに伴う改修の程度も幅が広い。その金銭的負担の差で改築という選択もあり得ると思い、私は2月臨時議会において「市長原案」に賛成つまり「議員発議」に反対した

勿論議会は数の論理で動くのだから、圧倒的多数であった議員発議議会承認に粛々と従ってはいるが、2月臨時議会で私が思ったことしゃべったこと及び採択の際にとった態度は今でも間違っていなかったと思っている。
★本日の早朝に、私は、市道芦原三国線にたたずんでいた。
先日産業建設常任委員会で管内視察した道路改良予定の場所である。

路面が亀の子状にひび割れしており、乗っている大型バスにも振動が伝わってくる。
そういえば私の地区の中央を通る道路にも問題がある。トレーラーなど大型が走ることによる家屋の振動・騒音が困るという苦情を3、4人の人から聴いた。市職員に来てもらい手当をしてもらったが万全ではないみたいで苦情が続いた。県職員に来てもらい現場で詳細を説明した。
県道なので相手は県だ・・とドブ板的に私は考える。
誰かこのマイナーなブログを読んでくれている県議が万一いた場合、頭の片隅に入れておいていただきたい、と私は思うのである。

★宇根観音の湿地帯を歩いた。新緑の候、気持ちがいい。

山菜採りの老夫婦とすれ違った。
「息子夫婦と加賀市で一緒に暮らしている」と、言う。写真を依頼したら、快く引き受けてくださった。


★坂ノ下区・ビッグマート近辺の皆様へ
「野鳥の会」K先生からの昨日の電話によると、鹿島の森にあったカラスの塒は既になくなり、坂ノ下八幡神社・鎮守の森に移動したとのこと。カウンターを使用して計測した結果、塒のカラス総数は3百数十であるとのことです。
★先日、道路脇のくさむらで拾ったスクールシューズに書かれていたあざけり罵倒文言がとても気になり、昨日は金津中学校へ行ってきた。金津小学校へ行ってきた。あるいは教育委員会でも話をしてきた。
心がとても痛む。おぞましい気持ちになる。

08/05/21 (水) 本日は産業建設常任委員会管内視察

★昨日の朝、ある地区の道路脇くさわらで、捨てられた片方だけの白いズックシューズを見つけた。手にとってみると黒マジックであざけりの汚い言葉が書き連ねてある。
「・・・バカ  死ね  金出せ  クソヤロー  ビンボーなくせに  〇〇子がいれば・・・」云々である。
なによりもおぞましい気持ちになったのは、シューズのところどころが鋭利な刃物で傷つけられあるいは切り取られていることだった。

その女児がどういう気持ちで(多分ロッカーから)自分のそのシューズを密かに持ち出し、くさわらにそっと捨てたのかが、手に取るようにわかる。

★相手側の気持ちに身を置くという感受性のひとかけらも無くアホなことを書き連ねるこども(こどもたち)はこどもであるという一点で、親の責任・教師の責任を問われても仕方ないだろう。

貧乏なことが悪いことであるはずがない。だいいち、富は貧の上に成立している。
故中野孝次は、「清貧の思想」で清貧の素晴らしさを説いたが、僕は、その本を大いに共感しつつ読んだのを覚えている。
★本日の早朝、僕は竹田川金津大橋にたたずみ、水辺の生物の生態を観察していた。



08/05/20 (火) 外は小雨

★昨日は考えさせられることがいろいろありました。多くをここに書き込みたいのですが、しかし尾骶骨が痛いのです。
実は先日、屋外鉄骨階段で滑って、体をしたたかに打ってしまいました。
瞬間、我を失ったあと、気がつくと体のあちこちに痛みが走り、呼吸するのも苦しい状態でした。階段を滑るというのは本当に恐怖です。
焼酎少量飲用的感覚麻痺療法で痛みを和らげてきたのですが、数日を経ても尾骶骨の痛みだけはまだ残っています。

昨日、親父の訪問看護に訪れた若い女性おふたりに、「実は僕も尾骶骨が痛いのです」と申し上げたら、「じゃあ明日からお父様の横にお寝になったらどうですか」というとても嬉しいお言葉をいただきました。それはともかくとして、何故尾骶骨の痛みだけが最後まで残るのか、不思議です。
★そういえば何日前だったか、訪問看護の女性から「牧田さんと某医師先生(イニシャルを書くと、又、有象無象が掲示板に詮索を書き込んでくるので某とする)とお友達なんですってね。私たちも近いのです。心の距離が近いのです」と言われました。
心の距離が近い・・・なんて素敵な言葉だろう。

08/05/18 (日) 芸術について

★「蜂は自分達の巣を美しい幾何学的模様でつくる。しかし彼らはそれを無意識の世界で成す。人間の創作活動は結果として良し悪しを伴うが、蜂との違いは意識下の作業であることだ」 は某哲学者の有名な警句だ。
確かに大自然はそれ自体が絶対的世界であるのに対して、絵画などの作品は相対的世界の範疇にある。ひとは何故絵を描いたり木を彫ったりするのだろうか。

というようなことを考え始めたら筆が止まってしまい、そのうちにトリムマラソン開会式時刻が近づいてきた。
★以下はトリムマラソンのスナップ集です。




★マラソン終了後は、故志田弥廣氏の葬儀会場へ。遺影として自画像が掲げられている。昭和56年度の作品という説明があった。
弔辞を読まれた方の「先生は書いた絵やスケッチをどんどん人にあげていった。<絵描きにとって書かれた絵は排泄物や。絵描きは絵をどんどん描いていけばそれでいいんや>が口癖だった。」という言葉は、建築設計というアートの末席にいる私の肺腑にも響くものであった。

08/05/16 (金) 週末に

★一緒によく酒を飲み交わした方が、突然亡くなられた。創作の森「アートフェスタ」会場で元気に生ビールを飲んでいる姿に接したのがほんの数日前で、死の連絡が入った時は信じられなかった。
在りし日の姿がじわじわと思い出されてくる。寂しい気分になる。

この歳になるまでに、どれだけの身近なひととの別れを繰り返してきたことだろう。そしてこれからも繰り返していくことだろう。
別れには、病気などでの半ば予想されたものもあるし事故などでの突然のものもある。
いずれにしろ誰も免れることのできない「死」は人生で最も厳粛なものである。
★午前5時の夜明け・・陽は必ず上るのだが


・・我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。

08/05/15 (木) ちょっと息抜き

★深夜ラジオから布施明の「♪そっとおやすみ」が流れている。

化粧の後の かがみの前で
いつも貴方の 手を借りた
背中のボタンが とめにくい
一人ぼっちの部屋で 今は居ない貴方に
そっとそっと おやすみなさい

もう陽にやけた タタミのにおい
白いフスマに 傷ついた
けんかの名残りも 悲しそう
一人ぼっちの部屋で 今は居ない貴方に
そっとそっと おやすみなさい

別れの夜の 涙のしずく
星も流れて 散ってゆく
今夜のベッドも 冷たそう
一人ぼっちの部屋で 今は居ない貴方に
そっとそっと おやすみなさい
そっとそっと おやすみなさい


★女性にとんと縁のない私だが、その私でも若い頃には、GF(ガールフレンド)というものがいた時期がある。
ある年の冬、男女4人で新潟の赤倉スキー場へ出かけた。フォークギターを左肩にスキー板を右肩にかけて行った。牛の皮ジャンにブルゾンのジーンズといういでたちで行った。
民宿での日々の朝飯(野沢菜がうまかった)の時、私が「そっとおやすみ」を唄うのが定番となった。残りの三人は勿論いつも黙って聴いていた。聴き惚れていた。
スキーよりもアフタスキーを楽しんでいたような気がするし、その時はじめて女の子が色付きのコンタクトレンズをしているということを知った。
音楽コンクール・「鎌倉まつり」にも出た。相棒のギター伴奏で私は「知床旅情」を唄い二位入賞を果たした(もっとも出場チームは三組だったが)。
悩みの連続という私の半生のなかで、とても珍しい甘い思い出となっている。
★きょうの早朝、何故か私は三丈山の頂きにひとりたたずんでいた。


南東に目を向けるとあわら市庁舎が朝陽に輝いている。
きょうも私は行かねばならない。


社協・「市姫荘」は眼下に近い。


足元をみると一匹のカタツムリが歩いていた。
?・・足がないのだから「歩いていた」ではなくて「進んでいた」か。


三丈山を降りると、そこは金津小学校。
フェンス越しの赤い薔薇が美しい。

08/05/14 (水) 小雨の朝

ミャンマーでのサイクロンによる想像を絶するような天災被害は、世界からの人道支援の申し出を軍事政権が拒んでいることによって人災として拡大しつつあるという。そして今度は中国でM7.8(阪神淡路大震災の実に5.6倍のエネルギーだそうだ)地震が勃発した。

情報社会になったことにより、悲劇の映像は世界を瞬時に走り回る。そのことによって我々はそれらをより生々しく受け取ることになるのかもしれない。
ひとりの死であれ戦争や天変による何万人の死であれ、その痛ましさに変わりはない。
ということを踏まえた上で、自治体は能う限りしっかりとした防災計画をたてなければならない、と議会内にいる私は思う。

ただ、この地球というしろものが人智を超えた猛威をしばしば振るうことも事実だ。
「地球にやさしいなんとか」という人口に膾炙した言葉があるけれども、地球がそんなにやわなものであるはずはない。数十億の人類に生の恵みを与え続けている地球は時には大いに怒るのである。吼えるのである。

そういうことを考えると、越後の禅僧・良寛が被災友人に出した手紙「災難にあふ時節には 災難にあふがよろしからふ」の一見逆説風文言がリアルに感じられる。
★早朝に私は金津大橋から竹田川を見下ろしていた。

よく見えないかもしれないが、昨夜の雨の影響で水面はゴミの漂流だ。普段は岸辺の植生の陰に隠れている奴らだが、こういう時に姿を現してくる。

08/05/13 (火) 昨日の一日

★市庁舎での所用をすませ事務所に戻った本日の3時過ぎ、事務所入り口のところに奄美黒糖焼酎・「奄美の社」が置かれていた。30数年前の沖永良部島を思い出した。大変に嬉しい。どこのどなたさんだろう。
是非御一報ください。


★昨日の午前中、市外のひとから電話が入り「高齢者福祉のことについての勉強会に参加しないか」と誘われた。「市政関係掲示板」の旧芦原庁舎利活用最近投稿も参考にしつつ、参加するつもりです。

★昼過ぎ、南部区画整理に伴う公園整備の件で、所管課(建設課)に行って話を聞いた。
「公園」の機能も時代の変遷で大きく変わってきているような気がする。ワンパターンの考えで話を進めるのではなく、知恵を出し合うことが必要だ。

★昨夕、地元地区の区長が来訪。山車小屋製作のことについていろいろ話を聞かされた。
恒例の金津祭り。今年は地元・坂ノ下が山車番地区だ。伝統行事の金津祭りは「本陣」コンクールが有名で、どの地区も「本陣」つくりに精を出していることだろう。三国で山車つくりをしているひとから直接聞いたところによると、三国祭りと金津祭りを比較した場合、有名度は三国祭りに軍配が上がるが、前囃子や山車などの順列に関しては、金津祭りの方が祭りのオーソドックスな姿を残しているそうである。

★事務所近くで女児ふたりがローラースケートを楽しんでいた。足にボードが見えないのでと思い、呼び止めた。

シューズ自体にローラーがはめ込まれているのを見てびっくりしたのだが、「おじさん、知らないんですかあ。今流行っているんですよお」と言われてしまった。
「危ないから道路へ出たらあかんぞ」と言って、女児ふたりと別れた。

08/05/12 (月) 昨日の日曜日



メールでの誘いで、創作の森・「アートファスタ」会場へ行ったのは正午頃だった。あんこ・おろし餅店舗前での餅つき実演を見ているうち、飛び入りで参加したくなった。


小学校高学年の頃から、年の暮れにいつも杵をもち沢山の臼をこなしてきた私は、実は「餅つきの達人」と呼ばれてきた。それは知る人ぞ知るであり、「能ある鷹は爪隠す」を金科玉条としている私だけれども、昨日だけは久し振りに腕を見せたくなった。

ふたりの女性が手に持っているのが私の作品の一部だ。


創作の森を出てから総持寺(ダンショ)へ行った。火渡りをした。今回が二度目だ。

「心頭滅却すれば火も又涼し」を再確認した。
★憩いの一日だった。
しかし、顔をあわせたひとから公共施設の扱いについてなどを聞かれたりして、それらを行政に伝達するのも議員の役目なのだから、沢山のひとの顔を見るこういう一日も必要だ。

08/05/11 (日) 日曜日の朝

★小雨に煙る早朝、21日に予定されている産業建設常任委員会・管内視察場所のいくつかを下見してきた。下記の施設に関する思い・疑問がありましたら、電話、メールなどでお申し付けください。質問の際の参考にしたいと思います。

・稲越団地(高齢者向改善)他1箇所


・住吉街区公園(公園整備)

・市道重義国影線(歩道改修)他市道5箇所

・芦原温泉駅東口駐車場整備
:(桜ゲ丘)


・矢地汚水ポンプ場他2箇所


・県道中川松岡線バイパス改良工事(前谷地係)


・青ノ木・宮谷農業集落排水処理施設 

・畑作再生総合対策事業対象地(清王地係)

・越前柿選果場(干し柿加工施設)(山十楽地係)


・北潟湖畔花菖蒲園


・モーショントラスト


・北潟配水場

・屋台村


★大通り公道に面して無雑作に置かれたゴミ・空缶の山。


 08/05/10 (土) もう土曜日か

★些事に追われて気がつかなかったのだけれども、日の出の時刻がはやくなってきた。夏至が近づいているのだから当然だろう。
キーボードを叩いている午前4時半現在、東の空は白み始め小鳥のちゅんちゅんちゅんが窓外から聞こえてくる。
ザルツブルグ在住のハイジから送られてきた珈琲豆をミルで砕き熱湯を注いだ。東欧の珈琲には思い出がブレンドされている。

昨晩は家のことでばたばたしていた。加えてCAD図面への画像貼り付けがうまくいかず困惑も募った。順風の日もあれば逆風の日もある。前へ進むはずが後退を余儀なくされたりもする。
ということを考えながら
しかしとりあえずは、一歩ずつ進んでいきたい、と思っています。

★本日の午前5時過ぎ、私は坂井市三国町の灯台堤防をひとり歩いていた。


なつかしい場所だ。
子供達幼少の頃、自宅裏の竹田川堤防でキャッチボールをいつも楽しんでいた。上の息子・ピッチャー、私・キャッチャー、下の息子・審判という布陣だった。後逸した何個ものボールがどんぶらこっこどんぶらこっこと川を流れていった。
土曜日になると息子ふたりをここへ連れてきて、「ボール拾い スタート!」を命じた。ボールはここへ流れついてきていたのである。

★堤防の日本海側岩肌に打ち寄せる波は豪快だ。
大海の 磯もとどろに 寄せる波
    破れて砕けて 裂けて散るかも 
(源実朝) を思い出す。


★しかし、九頭竜河口側に目を転じると大量ごみの散乱だ。


「いけんなあこれでは・・ 観光どころ・三国湊の名が泣くぜ」と、私は思った。
★「市政関係掲示板」・とんぼさんの文章で、以前読んだ「阿Q正伝」を思い出した。リンクします。

08/05/09 (金) 昨日の一日

★次の議会定例会は6月で、5月はいわば議会の端境期。
このような時期に例えば私が所属する産業建設常任委員会は協議会を開催したりする。
昨日
介護のことでS医師と相談したあと戻った事務所を来訪した某議員は、「5月は地区別に懇談会を連続的に開くつもり」と言っていた。とても大切なことで、私もそういう機会をつくって出ていかなくてはならない、と常々思っているのだが。

議会や委員会や公の行事やが日々あるわけではないのだから、それらに出席することだけをもって議員の仕事とするならば、我々は明らかに給料泥棒だ。むしろそのあわいでの活動が問われる。
それは例えば議会での発言に向かっての課題別予習であったり、議会を終えての復習であったり、あるいは有権者からの意見拝聴であったり有権者への議会情報の発信であったりとさまざまで、そして、その軸足のベクトルは議員個々で異なる。
ただし、とにもかくにも、議員はしゃべらなければならない。

気弱で人の顔色をうかがうのに敏で人前でしゃべるなど地獄の責苦だと思っていた私だが、10年間の議員生活で人前しゃべりがそんなに恥ずかしくはなくなってきた。
その変化を価値付けするならば、プラスマイナスだろう。
不特定のひとたちに向かってのしゃべりは自分の思いを定型的に伝える効率的で便利な手段であるとは思うけれども、えてして、そのことによってどこかにうそ寒さが生じるものだ。

仕事は本来黙々とこなしていくものだと私は思っている。胸にさまざまを抱えながら汗をながし、帰宅し夕食を妻子と共にとることで一日の疲れを癒し、風呂に入りながら明日も無事でありますようにと祈る。
市民、というより庶民の日々の生活は、地道で目立たないぶんだけ、実は確固とした王道の歩みなのだと、私は思っている。

議員はすべからく庶民のそういうルーテイーンワークに対して、こうべを下げるべきではないだろうか。


★昨夕の来訪者から、「明治維新をどうとらえるか」についての興味ある話を聞いたあと、自宅で夕食をとった。親父が平熱に戻ったことを聞いてやや安堵。
入浴ののち事務所に戻り、電気を暗くしてプロ野球・「巨人阪神戦」TV中継を観ていたら、別のS医師が現れた。
(注 KKKバスターズさん、ズはよけいだと思うが勿論そんなことはどうでもいいし、S医師の推測も的外れだし、つまり詮索などしなさんなということです)

持参してくださった焼酎を飲み


思い出話に花を咲かせながら、5月8日の夜は更けていったのでございます。
★本日の昼12時過ぎに所用で市庁舎へ行った時、某女子職員から、「一緒にサンドイッチを半分食べませんか?」と言われた。
私以外の市議は、こういう経験を今までにしたことが無いはずだし今からも無いだろう。
量が少なくても、このような昼食は本当においしい。

★本日の歴史ガイド⇒多賀谷左近三経の墓所

クリックで説明文

08/05/08 (木) 写真満載日記

★宇根観音の湿原地は私の好きな場所のひとつである。


急に行きたくなって、車を走らせた。黄色い草花が咲き誇っている。
見とれている私の横を山菜採りに来た中年夫婦が通り過ぎたので、写真をお願いしたら、快く引き受けてくださった。

★インターネット・「福井県の方言」で「あっぺの子」を調べると
あっぺの子=出来の悪い子(対義語⇒ちょっぺの子)
ちょっぺの子=可愛い子・愛児(対義語⇒あっぺの子)  と書いてある。

★あっぺの子とみなされている私にも勿論違う面があり、昨晩の私はそうだった。
格調高い昨晩は、某氏の来訪によって始まった。
HPクリックカウント35万回超え記念として持ってきてくださった本格焼酎「黒糖財宝」をちびりちびりと飲みつつのふたりの議論は、「映画・靖国上映について」を軸として進んだのだが、「黒糖財宝」はどっしりとした一升瓶でふたりだけでは、いかにもヘビーだ。
某氏が「一緒に飲まないか。来ないか」と電話で誘った何人かの男性が、おいしそうな手作りサカナを持って現れ、場は盛り上がった、というか引き締まった。
多岐に渡る話題を巡っての議論はそれぞれに真摯で、聞いている私は「ああ・・ こういう一見堅物のひとたちが あわら市を支える力となっているなっていくのだろう」と思った。

気がつくと私はひとりソファーの上だった。毛布にくるまって寝込んだみたいなのだが、深夜に短パン・半袖の身なりはやはり寒い。
帰宅し熱い湯で体を温めてから、布団に入って再び就寝。
★寝覚めの早朝北潟湖散歩で、注意書き立て札が目に入った。

アメリカザリガニが田の畦に穴を開けたりするデストロイヤーであることは以前から聞いていたが、この立て札を読む限り、一般の小魚も又、畦への加害魚であるようだ。
★帰途、久し振りに地元・「坂ノ下八幡神社界隈」を歩いた。


清浄にして清浄の空間である。




08/05/07 (水) 昼下がりに一息ついて

★昨晩は、訪問者二人が帰った10時過ぎに自宅に戻り仮眠。
1時に目が覚め、とりあえず熱い風呂に入った。なんやかんやでばたばたしていて数日振りの風呂となったが、肩までどっぷりと湯舟につかりじっと目を瞑っている時、小さな幸せを感じる。

「ものの始め考」によると、風呂の語源は室(ムロ)であり密閉された空間を指す。瀬戸内地方発生の言葉で、海女さんたちが冬の季節にサザエやアワビを採ったあと、海岸に組んだ岩に熱湯を注ぎ蒸気を発生させ体を温めた蒸し風呂(サウナやね)が本来の風呂でいわゆる「湯」とは対極の概念だそうだ。そういえば死んだばあさんなども台所の食器ケースを茶風呂と呼んでいた。
ということで心身をすっきりとさせてから事務所に入り、先ずは熱々珈琲「キリマンジャロ」を飲んだ。


★私の事務所は金津小学校の近くに在る。
今朝、沢山の低学年児童たちが事務所横の通りを大人に引率されながら歩いていくので「?」と思っていたら、上出校長先生が事務所に現れた。
「なんとなくアットホームですね。ここは遊び部屋ですか?仕事部屋ですか?」の質問がイントロダクションとなって、話は核心に入った。
「きょうは、小1、小2児童対象の登下校訓練です。交通指導員や沢山のボランテイアに支えられての訓練です。大変ありがたく思っています」と、言う。
下の息子が幼稚園児の時に交通事故に遭った経験がありその強烈な印象が父親として鮮明に残っている私は、運転者のマナーと歩行者のマナーの徹底はいくら徹底してもしすぎることはない、と思う。


★知己の友人が自殺したという話を聞いて、気分がふさぐ。
成年未成年を問わず犯罪なんでもあり先行き不透明格差社会の到来は
「勝ち組」にくだらない優越感を、「負け組」に逃避志向をもたらすことになる。
自らが命を絶つことの胸のうちは本人にしか時には本人にもわからないものであるとしても、社会のそういう気分が無関係とはいえないだろう。

08/05/06 (火) 忙しくなる本日

★昨日の夜は
某女性がジュースと焼鳥を持ってきて「四方山話」をしているうちに
某男性がビールとつまみを持ってきてテーマが「町おこし」になった時
某女性が元気よく入ってきてテーマが「離婚話のいろいろ」になって
要するに少量飲酒的懇談の時間が流れていった。

閑話休題
以前あわら市が持っていた「市民会議室」が閉鎖に追い込まれた時の管理者の苦悩がよくわかります。

★さて「市政掲示板」管理人としてひとこと

この「市政掲示板」への書き込みの内容については自由で構わない。
ただし以下のことは禁止します。
①目立たせるために修正キーで投稿順を一番上に持っていくこと。あまりにも頻発すぎる。
①ハンネを詮索すること。くだらない。
①管理人は意見を書き込んでいないのだから、管理人に言及しないこと。
①いつだったかの書込短時間維持以後削除の合間に偶然読んだ内容で或る書込手がわかったが、公職者は本名で書こう。
そこで
・守られない場合は管理人判断での削除もありえます。

以前沢山あったアットホームでポジテイブな書き込みが「掲示板」の荒れによる嫌気で極端に少なくなってしまったことがとても悲しい。とても悔しい。


★今朝、北潟湖の橋からプレゼントデジカメ10倍ズームで白鷺を撮った。


★目を転じるとアシヨシの群生が見える。この群生の広がりが北潟湖浄化に役立つと常々私は思っているのだが。


★後ろを振り返るとひとりの老女がこっそりと岸辺のゴミを拾い集めている。無私のおこないだ。私などにはとてもできないと思いつつ、心のなかで頭を下げた。


帰り道、牛に出会った。

08/05/05 (月) 本当は牛だったわたくし

いにしへの 奈良の都の 八重桜
     今日九重に にほひぬるか
 伊勢大輔

★P・Kさん運転の大型ワゴンに乗り、バンカーSくんや保母さんたち5,6人と一緒に青丹よし奈良の都を訪れたのはもう15年以上も前のことだった。蘇我馬子の墓と伝えられる石舞台近くの民宿に泊まったと思う。
朝起きて顔を洗い歯を磨きながら窓越しに眺めた桜花の咲き誇りに感動し酔ってしまった。レンタル自転車で史跡を巡ったのだけれども、どの史跡も満開桜に彩られていて、奈良=桜という構図が私の記憶袋に入り込んでいる。
あの時は楽しかった。久しく会っていないけれども、みなさん元気だろうか。

当時、横綱にまで登りつめた相撲取りに、琴桜がいる。彼のあだ名は「猛牛」だった。付け加えると
金津中学校同級生の間での私のあだ名は「牛(ぎゅう)さん」だった。今でもそう呼ばれている。

閑話休題
友人からそっと教えられたのだが、私のあだ名の由来は「牛」高村光太郎
その詩の中の特に以下のフレーズからきているのだそうだ。

・うるほひのあるやさしい牛の眼
 まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼
 永遠を日常によび生かす牛の眼
・牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ
・牛は大地をふみしめて歩く
・牛は平凡な大地を歩く
・・・自分でそうとは思わないけれども、自分が一番わからないのは自分自身なのかもしれない。


もとに戻って
力士の四股名は山、川、海、湖などそれぞれの力士の郷土の美しい自然にちなんでつけられたものが多かった。そういう四股名の少なくなってきた現在は、日本列島の自然に陰りが見えてきたということか。
美しい自然は我々に生きる希望を与えてくださるかけがえのないものだ。



★今朝早くの私は、何故か沢の堤(東山)のほとりにひとりたたずんでいた。
曇天下の堤には妖しい気配がある。


そういえば昨年、ここを動画で撮った。「沢の堤をクリックしてください。

↓この道に立って


堤を眺めながら美声の解説をしてくださったのは東山在住のOさんだった。

★もともとこの地区周辺には川がない。だから灌漑のための堤が点在している。
ところで、先日来訪した後山在住のY議員から、このあたりの地区の灌漑をカバーするパイプライン敷設計画の話を聞いた。いろいろ問題もあるみたいだ。

08/05/04 (日) 昨日

★昨夕に東京在住の妹と介護に関するながい電話をしていた時、ひょっこりとS医師が現れた。話題は「介護について」及び「金津雲雀ケ丘寮民営化について」のこととなった。
・介護は家族介護が基本だ。しかし例えば昨日の朝にお袋が体調を崩すなどその限界も確かにある。その為の保証として介護保険があり、中身に「デイケア」「ショートステイ」「施設入居」などがある。
・雲雀ケ丘寮民営化は現況の矛盾を考える時、確かに急務の課題だ。そのことは市民の間にも浸潤しつつあると思う。中学校問題と共に次の議会での焦点となるだろう。

★そういうことを話しているうちに、けめこさん(男性)が現れた。
他のブログに投稿しているそうで、その話が面白かった。

おじいさんの大きな古時計が、ぼぼおおーんぼぼおおーんと六つ鳴ったので自宅に戻った。ベッドでこんこんと眠り続ける親父の息づかいを聴いていた。お袋から平熱近くに戻ったと聞いてほっとする。

★久し振りに妻と一緒の晩酌となった。焼酎のつまみは、頂いた小女子とあわら市議の何人かについての「雨夜の品定め(源氏物語)」だった。亭主の私が言うのも変だが、妻のアンテナは本当に鋭い。ついでに言うと、私にはアンテナというものがない。だから、生まれ変わっても今の妻と結婚する(彼女の返答次第だが)。
注 私はこの日記で、時々、妻を誉め讃えている。わざとではなく本当にそういう気持ちになるからだ。しかし、パソコンを使わない妻はこの日記を一度も読んでくれたことがない。
「読まなくても、お父さんのことは全部わかる」が答えだった。

★晩酌のあと事務所に戻りソファーに座った。
劇画「巨人の星 原作・梶原一騎 作画・川崎のぼる」を熱心に読んでいたら、Mr.Mさんが来訪。世間山話に興じた。
そのあたりから私の記憶がとぎれている。
午前二時に目が覚めたのだが、鍵はあけっぱなし電気はつけっぱなしだった。
そして私のあられもない姿がデジカメで隠し撮りされていた。


 08/04/03 (木) 深夜に林檎を食べながら

頼まれごとがあり、昨日の午前中は市役所の商工観光課・税務課・建設課などを行き来した。
生活環境課に行った時、ゴミの話になった。
自治体によってゴミの分別方法が違う。話のさなか、私は「(可燃ゴミ袋)(不燃ゴミ袋)に加えて、あわら市の場合は(粘着人間ゴミ袋)をつくるべきではないか」と言おうと思ったが、個人的なことなので言うのをやめた。

午後、新任転任の先生方が事務所来訪。入れ替わるように、新任部長8人衆が来訪。辞令交付の季節なのである。

CADにいそしんでいた夕刻、妻があわただしくとびこんできて、「今、嶺北縦貫道路で三台玉突き事故があった」と言う。一昨日に事故の現場を見たばかりだ。昨年に我が子たちがどどどっと運転免許を取得したこともあって、どきっとする。

ひと眠りし目が覚めたら午前1時。
上半身はだかとなり、熱い湯で体を拭いた。久し振りに全身を鏡にさらした。
続いていた鬱気分がなくなったせいか、肌に生気が戻ってきたように思う。
★本日は、べとぞうけを携えて淡水生息動物を捕まえてきた。成果はクロメダカニ匹、泥鰌一匹、ヤゴ一匹、田螺ニ個(匹かな?)だった。
水槽で動く彼らは即物的に生きている。生命維持の為に食べ子孫維持の為に生殖行為に励み生きる為に生きている。俗な人間界のようにプラスアルファを求めない。
見習うべきである。

08/05/03 (土)  過去を振り返って

★ ↓ 某女性(推定年齢40+α)が、「稲越の田んぼ道で撮った写真です」という添え書きとともに送ってきてくださった夕陽の写真。



★昨晩の私は親のことをずっと考えていた。

★HPクリックカウント数が計35万を超えました。御愛顧ありがとうございます。

以前に書いたような気もしますが
・金津町議会議員になった時、選挙のウグイス嬢だったひとの夫・高塚氏が「議員はHP日記を書かねば」とHPをつくってくださった。

・しかし、私にとってパソコンはCADをするためだけのものであったので、更新ほとんどなしの日々が続いた。

・一年間程たってから周囲のひとたちに、「日記で議会報告をせよ」とまたまた強く言われた。ホームページソフト(¥8000-)を購入し、日記コンテンツのスタイルを好みのかたちに変えた時、「継続は力なり とにかく毎日書こう」と決心した。

・議会の構成や民主主義や常任委員会のことエトセトラを書き込みの軸として日々の時間を消化していくうちに段々疲れてきた。というよりも「俺にはこんな高踏的作業の連続はやっぱり無理やなあ」と思うようになってきた。

・そして、「よし、所詮は日記や。半径数km以内で目にしたこと感じたことだけを書こう。こてこての土着主義でいこう。それなら疲れないだろう」とスタイルを変えた。
<ついでに日記の題をからたち日記に変えたら、「有権者をバカにしているんか」というお叱りメールが入ってきたので元に戻したけどね(笑)>

・何年前だったろうか、周囲から「掲示板をつくるべきや」と言われて、「市政掲示板」を起ち上げた。
「市政掲示板」は中学校問題が浮上してから、内容が変化してきた。書き込みも多くなってきた。パラノイヤが一匹まぎれこんできたが、「小人は同して和せず 大人は和して同じず(論語)」なのだと、管理者としての私は微苦笑をもってながめ続けてきた。

・去年の今頃、何社かのマスコミから「牧田さんのHPを参考にしています」と言われたこともある。
三日ほど前だったか、あるひとが事務所に来て、「牧田さんのHPも2校存続決定の要因となりました」と言われた時は、とても嬉しかった。

・とにかく、少なくとも来年四月まではこの「議員日記」を書き続けていこうと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。


★今晩の私は、事務所でひとり静かにウイスキー「端麗原酒」及び薩摩焼酎「いも」を飲むつもりです。

08/05/02 (金) 本日はCAD三昧

[♪妻をめとらば](与謝野鉄幹 作詞 森繁久彌 唄)を聴きながら

1番
妻をめとらば 才たけて
みめ美わしく 情けあり
友を選ばば 書を読みて
六分の侠気 四分の熱


確かに妻は才たけているというか口が達者で口喧嘩になると彼女の言葉は砲丸になって私の胸を強打する。だが、そのほうが飽きがこない。
しかし鉄幹は何故「みめ美わしき」女性を理想としたのだろうか。
明治の男は女性を所有の対象としてみていたのだ。私には女性参画社会という言葉に対して素直になじめないところがあるが、その私でも、「いけんなあ このフレーズは」と思ってしまう。
情けはあったほうがいいと思うが、配偶者どおしでの情けのかけ合いの姿は年数を経るに従って独特なものになっていく。阿吽の呼吸でそれを感じることができるのは同世代どおしであって、年が離れている場合には、阿吽の呼吸に頼ることで、時には悲劇を招く。
友を選ばばの友は鉄幹の意識のなかでは明らかに同性(男性)だ。これも鉄幹が明治人間であったことの限界と言うべきだろう。平成の世に生きている私には異性の友人もいる。沢山いる。
書を読みてかどうかは知らないが書は書でしかないともいえるし、書は書自体のなかに全てを求めることで完結するともいえる。
六部の侠気を求めていたのは高倉健主演映画全盛の頃だった。


★一昨日の日記で、点字開票のことに触れた。
早速、社協職員が市当局に問い合わせてくれた結果、実体は以下の如くだとわかった。謝謝。
合併前の芦原町では、点字の確認を点訳グループに依頼していた。
合併前の金津町では、職員が視力障害者センターに出向いて各候補者毎の点字の雛形をもらい受け、それを参考にして職員が票を確認していた。
合併後のあわら市は、金津町方式を採用している。
★しゃばは、大型連休の真最中である。そのせいだったかどうか、昨日の昼から夜にかけての私の事務所は必ず誰かがいるという状況だった。
CADに追われている私は、応接コーナーのソファーに座るひとたちの話( 主なテーマは①富津の風力発電所建設について①中学校のソフト面について①北潟湖の汚れについて①蓮如の足跡を初めとした市内に残る歴史の検証について①発掘された埋蔵文化物のこども達への教育的効果を考えた展示について等々)
を聞きながら
仕事コーナーでパソコンに向かっていた。


★というようなことを書いている時に傍らのラジオから、「〇〇教授が、正規雇用者と非正規雇用者の仕事への取り組み方を統計学的に分析したら、手を抜く傾向に関して、正規雇用者のほうが11.1%も多いという結果が出た」というニュースが流れてきた。

正規雇用者の厚保証安定vs非正規雇用者の薄保証不安定の構図を考えた場合、そういう結果の出ることは予想し得る。しかし、非正規雇用者の将来への不安感やストレスの蓄積は正規雇用者のそれに比して段違いに大きいはずであり、勝ち組・負け組みをつくることの問題の根幹はここにある。

08/05/01 (木) 夜のパリ

  夜のパリ
夜の中に擦る三本のマッチ 一本また一本と
最初のは 君の顔をすっかり見るため
次のは 君の眼を見るため
最後のは 君の唇を見るため
そして 真暗闇は それらすべてを想い出すため
君を 腕の中に抱きしめながら
   ジャック・プレヴエール

昨日の朝に事務所を来訪した二人の女性との話のテーマが「老人介護施設での恋」に移った時、この詩が頭をよぎった。

このような色っぽい経験など皆無であり続けた私の半生だけれども、詩への感じ方に経験の有無は無関係だ。というよりも、無経験が一行一行の背後にあるものへの想像力を、よりかきたてる。

丸谷才一が、エッセイ・「猫だって夢をみる」のなかで、「私には空間的現実を馬鹿にするくせがある」と書いていたが、多かれ少なかれ、ひとは皆そうだろう。
★例えば、良寛や蓮如が「良寛さん、蓮如さん」と呼ばれても、道元が「道元さん」と呼ばれることはまずない。
それは、道元が伝えた曹洞禅のキーワードが「不立文字」であり、立居振舞そのものに厳しさを求めそこに奥義を説いたからだろう。
今朝の5時過ぎ、河間の田んぼ道で道元を考えていた私は背中にオーラを感じた。
振り返ると、眩いばかりの朝陽だ。


凛とした気持ちになった。己に対して厳しくあらねばと思った。
時間ができたら、永平寺に参禅に行こうと思う。