2008年06月


08/06/30 (月) パソコン復帰

修理に出していたパソコンがようやく直り、手元に戻ってきました(大枚かかって妻に金を請うのがものごかった)。


6月28日から覗けなかった「市政掲示板」には沢山の書き込みが入っている。
多くは「入湯税」のことですが、中には「掲示板管理者」に過ぎない僕に回答を求める書き込みまであってびっくりしました。
もし書くのならば、過不足なく偏見なく書きかつ自分の思いを書くのが議員の義務だと思います。であるならば、6月議会前の5月30日に開かれた全協での模様を詳しく書かないことには、舌足らずの文となってしまうでしょう。
だけれども、当日に市長側が提出した「入湯税」に関する資料は、議長の要請によって回収されたし、「(強制するわけではないけれども)ないないに)」という指示を受けているわけです。愚直者の私はそれを遵守して口を閉ざし、勿論筆を閉ざしてきています。

しかし、6月議会「総務委員会」でこの問題がオープンになり新聞記事にもなりました。
だからと言って、全協模様の詳述が許されるのかどうかよくわからない。思案中であります。

付記
最近強く感じていることは
・議案は委員会に付託されるのだから、各委員会の傍聴者許可数を可能な限り拡げる。ケーブルTVカメラをそこに入れる。
・全協を必要最低限の時間配分とする(もしくは場合によっては無くてもいい)。
・議員の私語は即ち公語なのだから、議員控室にケーブルTVカメラを入れる(笑)。
等々であります。

08/06/27 (金) きょうは広報編集委員会

昨晩の手話サークルが終わったあと、参加したひとのひとりと、戸外で四方山話をしていた。
・高齢者問題のほうがマスコミを賑わしているけれども、障害者をめぐる環境も悪化している。
・聴力障害者の場合でも、手話サークルやボランテイア会議に参加するひとたちよりも、参加しないできないひとたちの窮状が蚊帳の外であることを直視できなくてなんの福祉か。
・そういう社会的弱者(僕は弱者と呼ぶこと自体のなかに差別意識が入りこんでいると思うが)は昔から家族による囲い込み政策の中で育ってきているので、情報交換に困難なものがある。
というようなことを話していたのだけれども、全ては「・・一歩ずつ・・」としか言いようがない。
★昨晩、「市政掲示板」を覗いたら荒れ気味である。
わかったのは、「全協」の中身が少しずつ外へ出ていくということだ。
つまり「全協」は「非公式」ではあっても「秘密会」ではないということか。それならば、職員を擁護する声などは議員の間で皆無だったことも含めて経過を過不足なくきっちりと報告するのが議員の義務なのだろう。

ところで、「百条委員会」の文言跋扈で思い出したのが昨年のヤフー掲示板。
「まきちゃんを百条委員会に」というタイトルの書き込みがまだ残っている。
この書き込みがあった時、その理由のあまりにものあほらしさに
「百条でも千条でもいいからすぐに裁判被告席へ召喚してほしい」と思ったもんだ。
とりあえず地方自治法百条を読むと、
・「嘘の証言をした場合、六ヶ月以下の禁錮又は罰金10万以下の罰金が適用される」と書いてある。ま、国会証人喚問ミニチュア版みたいなもんだ。
・召喚される前に家族にだけにはと、その旨を伝えたら、騒がれて困ったもんだ。
「お前は警察に捕まるような悪いことをしてたんか」と言われて困ったもんだ。
・一昨年の福井市議会で、職員が自殺したことをめぐって「百条委員会」が開かれたことが重い印象として県民に流布しているためと思われる。


08/06/26 (木)  朝食を終えて

議員になる前の一番の趣味は図書館通いだったが、今はとんとご無沙汰している。
でも時折は書棚に眠る文庫本をソファごろ寝で開く時もあり、昨晩は48歳で夭折した詩人・寺山修司の「黒髪篇」を読んでいた。

斜視構えが特徴のこのひとの文体に引きよせれられて、「人生は出会いと別れ・愛と憎しみのバラード」なのだと、僕は演歌の世界に浸ってしまう。古賀政男を口ずさんでしまう。
このひとが亡くなった時、僕は34歳だった。結婚後間もなく、我が道の行く手にあるものは愛だけだと信じていた頃だった。

勿論そういう認識は甘かった。
無自覚だった自分の愚かさを露呈し時折の喧嘩を重ねこども達にも迷惑をかけ、「自分が正義だと思うことほどの不正義はない」という逆説めいた警句がアタマをよぎるようになっていった。

若い頃読んで印象に残った本は二度読むべきだ。幾星霜を経て読む時の印象のずれが読み手の半生の軌跡をあらわしている。

★今朝の6時過ぎ、僕は北潟湖岸道路に立っていた。昨年の福井新聞で、シリーズとして取り上げられた「幻の吉崎トンネル」を撮るためだ。

けれども、樹木の葉や夏草が繁り、トンネルの出入り口を見つけ出すことができなかった。今後の課題である。

08/06/25 (水)  Tさん、Kさん ご苦労さん

最近は暑くなったり寒くなったりで、どうもおかしい。体調もおかしくなる。

本日の午後は、市姫荘においてボランテイア研修会が開かれた。
協議会は「元・福井県ボランテイアセンター」所長・中村氏による講演の場となり、手話通訳をやった。手話通訳は3人交代で行なった。
若かった頃は長時間の通訳も負担にはならなかったが、寄る年波には勝てず、今は2、30分やっていると体全体に疲れが出はじめる。

昔、ベテラン手話通訳者から
「聞き取り手話通訳は、音声言語(デジタル)を身振り言語(アナログ)に置き換える行為だ。デジタル言語・アナログ言語はそれぞれ左脳・右脳と土俵の違うところにあり、長時間通訳は脳にねじれを与え得る。結果として頸肩腕障害などが出てくる。その意味で手話通訳は格闘技なのだ」と言われたことがある。
僕はのほほん気質だし、しゃかりきになってやったことは無いが、それでも年をとることそのものでなんらかの影響を受けていく。
ま、それが人生というものだろう。


08/06/24 (火) 昨日の一日

昨日の朝、水槽のメダカに餌をやっていたところへ知人から携帯電話がかかってきて「きょうは議会やってなあ。夜間議会を開くようにしなあかんぞ」と、言われた。
合併前の芦原町議会は開いたことがあるそうだが、金津町では開いたことがない(と記憶する)。
学校問題に関して一定の方向性が見えてきた時点で別の焦点のいくつかが顕在化してきた現在、そういう声が出ても不思議ではない。
ただしやるのならばパフォーマンスの為の単発では意味がないし、だからといって全体を継続することも不可能だ。どういうかたちにするかだ。

午前9時半から全協(全員協議会)が始まった。非公開かつ決定権のない全協でほとんどの議員が発言し喧々諤々があり、終了した時は午後4時を超えていた。午前中は「金津雲雀ケ丘民営化について」、午後は「芦原温泉入湯税虚偽決算について」が中心。
「全協などせんでもええのではないか」とつぶやく議員もいたが、確かに時間配分としては本末転倒のような気がする。

全協⇒本会議⇒全協で、午後7時過ぎに事務所に戻った。
一日を反芻するためコップ焼酎をあおっているところに、ふたりの市議来訪。
今回の議会での進捗状況及び休会中の展望について話し合った。
★帰宅し、煮た鰈と塩ゆでのじゃがいもをおかずにして晩飯を食べた。
プロ野球セ・パ交流戦も終わった。阪神が二位に甘んじたことがちょっと残念だが、最終戦で巨人を破ってのソフトバンクの優勝だ。よしとしよう。
(快癒したけれども)癌でかなりやせこけてしまったが王監督の優勝インタビューでの談話に好感をもった。
V9巨人時代を支えた陽の長島茂雄と陰の王貞治・・。
生真面目の王監督には僕の性格と重なるところがあるので共感が働いたのだろう。
★↓ 今朝午前6時の北潟湖畔。梅雨入りしたせいか、カニがうじゃうじゃ歩いている。


↓ 花菖蒲園をひとり歩く。すこし萎れてきたような気がする。


↓ 目を転じると、紫陽花がスタンバイだ。「わしらの出番だぜ」という感じだった。




 08/06/23 (月) 未明に沖縄民謡を聴きながら

昨晩は、しばらくの間だけれども、市職員某さんとじっくり話す機会があった。
僕が議会内部にいて感じる議会の雰囲気が市職員の目に通低していることを感じた。考えてみれば当たり前なのだが・・・。

さて、きょうで6月議会定例会は終了する。次の定例会は9月となる。
その間に委員会継続審議や視察研修や特別委員会が開かれあるいは市内各種行事への参加などがあったりして日々は過ぎていく。

ここで突然に報酬の話となる。
あわら市は小浜市と並んで県内市議で最低の報酬と記憶するが、仮にこれらへの出席のみをもって報酬の対価とするのならば算盤をはじくまでもなく市議の報酬は高い。高すぎる。
だから、例えば福島県矢祭町のような報酬日当評価の動きも出てくる。それは節税の観点から不思議なことではない。
だけれども、議員の仕事には公私の垣根がない、と思わなければやっていけないのが現実でもある。

年寄りの余生は短いが若者や壮年は余生がながい。ながいぶんだけ、あわら市のあるべき姿を長期的なパースペクテイブでみることができる(個人差はあるだろうが)。
子育てなどの家計との格闘に見合うだけの報酬が保証されることが、議会への新しい息吹き導入の契機となるのではないか、報酬削減はよくないのではないか。

というのが十年余り議員をやってきた僕の実感でもあります。

08/06/22 (日) 小雨に煙る日曜日

昨日久し振りに来訪した友人との四方山話のなかで、「牧田はんや僕なんかは子供のまんまや。牧田はんに議員は似合わんなあ」と、言われた。
この一週間に複数のひとからそう言われたので、確かにそう見えるのだろう。
しかし、考えてみれば
大人は子供の夕暮れという人口に膾炙した言葉がある通り、どれだけ歳をとっても僕たちひとりひとりのなかには子供の部分が巣食っている。
★早朝に重義付近を車で走った。

カラスは早起きで滅多に車の通らない早朝の路上でエサをついばんでいる。


★「えち鉄」本庄駅に足をのばした。

無人駅だけれども、レトロな雰囲気が残っていて、僕は好きだ。
★明日は議会最終日。
所属委員会で審議された内容や、傍聴した委員会で審議された内容を反芻し、再度資料に目を通して明日の採決に臨むつもりです。
コンテンツ「議会報告」への書き込みは数日後になると思います。

08/06/21 (土) 窓外に小鳥のさえずりを聴きながら

来週の月曜日は、全協(全員協議会)に引き続いて本会議が開かれる。
そこで、議会開催中に名委員会で審議された議案等についての採決が行なわれる。

議会に提出された議案・資料・請願のぶ厚い資料をめくりながら、「議員の仕事ってエンドレスやなあ」と思う。
それにしても、今回の議会は考えさせられることが多かった。


議会が終わって少し落ち着いたら、学校問題の余波を受けて中断していた「菜の花通信ぺーパー版・夏季号」を輪転機で500部作製し、近隣テクテクポステイングをする予定です。
★昔、「ハナキン⇒花の金曜日」という流行語があったが、昨日の金曜日はまさにそういう晩となった。
夕刻になんとなく人が集まり議会のあれこれを話すうち、なんとなく飲もうかという雰囲気になり、勿論僕のGFたちも加わっての飲み会となった。
夜の8時前後には布団に入る習慣の僕にとって、眠気とのタタカイでもあったが、しかし楽しかった。
人生は持続的な苦しみと断続的な楽しみで構成されている、と僕は思った。

08/06/20 (金) 「掲示板」で昔を思い出した

★「市政掲示板」563・ミルメークさんを読んで、感じるところが多かった。
考えて見れば、食育とか地産地消などはエコも含めて新しい概念でもなんでもなくて、「ちょっと昔に戻ろうやないか」運動だと思う。
付け加えると
数年前、アトピーのこどもさんを持つ知人から保育所入所についての相談を受け、保育所の先生からアトピー対応のメニューづくりの話を聞いたことがあるが、そういうキメの細かい対応も自校式ならではじゃないかな。クック&チル等の最新技術がそういう対応も可能にしているのかもしれないから即断はできないが、とにかくそういう気がする。
★昨日の日記にも書いたけれども、我々団塊の世代の小学校時代はアルマイト弁当箱持参だった。どちらかというと「中の下」的無産階級だった僕の弁当箱の中身はとろろこんぶや梅干主流の粗食だったが米粒だけは沢山入っていて、例えば冬の日のコークス火鉢の遇にあらかじめ置いた弁当箱があたたまり、いい匂いがぷーんと流れてきたものである。

うーん・・・思い出してきた。
金津小学校6年東組担任だった故清水英雄先生は、食事前、我々にいつもこの歌をうたわせた。
 ごはん

ごーはんだ ごはんーだー  
さー たべよー
風は さわーやーかー 
心もかーるーくー

お茶わん うーたーい
はーしー おーどーるー
たのしい ごはんだー  さあたべよー

おなかがすいたー はらぺこだー
おりしも 食事の 合図がなーるよ
ごはんもおいし おかずもおいし
あなたも わたしも にこーにこー ⇒合掌! いただきまあーす



しかしここで記憶があやふやとなる。
もう時効だから言うけれども、食い盛りだった僕はいつも早弁(定時前に食ってしまうこと)をしていた記憶がある。だとすると僕は空の弁当箱を机の上に置いてこの歌をうたっていたのだろうか。それもおかしな話だ。

08/06/19 (木) 学校給食方式について

傍聴者として出席した先日の「教育厚生常任委員会」で、学校給食方式に関する説明を担当課から受けた。

金津地域の小中校は自校方式を採用している。芦原地域の小中校はセンター方式を採用している。合併以前の旧町それぞれの方式の違いがそのまま残っているわけだ。
給食センターが老朽化していること・合併後5年を経過しようとしていることで、これからの方式を同一化するのか併行でいくのかという課題が浮上してきたのである。
委員会がつくられ検討に入っていくのだが、勿論決定機関ではなくたたき台をつくるものだとのこと。

個人的なことを言えば
昭和24年生まれの僕は小学校時代にはそもそも給食というものを経験していない。
中一の時に初めて給食制度が始まった。脱脂粉乳は苦手だったが、パンやおかずはなんでもうまかった。今でこそ少食だが、育ち盛りだった当時の僕は、左右隣席の残りものをいつも食べてあげていた。
勿論給食は自校方式だったからその方式への思い入れは残っている。基本的にはそのほうがいいと思う。けれども現在はセンター方式による各校配達の際の食材保存や味確保の技術も向上しているという。コストバランスの問題もある。
そういうことを踏まえた上でそれぞれの良し悪しを幾つか挙げることができると思うが、
要は現場の教師やこども達がどう思っているかだろう。★たまには、他のひとのブログを覗くことがある。

08/06/18 (水) ちょっと思ったこと

★昨日の午前中は「教育厚生常任委員会」に傍聴者として出席。午後は、全議員が大野和光園を視察研修した。勿論「雲雀ケ丘」民営化問題を控えてのことだ。
誰も質問していないのにのっけからそこの理事長は「仮に社協が入るとした場合、大野社協では駄目だ。あわら社協のことはしらないが・・・」と言ったことに怪訝を感じた。大野社協関連施設には友人もおり、後日詳細を聞いてみようと思う。

★夕刻、事務所に戻った。
「入湯税偽装決算問題」がTVでもさかんに流されていたそうだ。
こういう不祥事の最終責任がトップにあることは勿論だが、「市政掲示板」でも触れられていたように今年四月に「収納推進課」が新設され、資料が再編成されたことで事態が明らかになったということも事実だ。
それをはやくオープンにしたことで、功罪の功の部分もあったと思う。
僕も二年間、「決算委員会」に所属していたことがある。
詳細の監査には市が雇った税務のプロがつく。その監査役が指摘しなかったこと(できなかったこと)を決算委員会議員が看過したとしても不思議ではない。だからと言って議会承認した我々議員が免責されるわけではない。上層部がキャッチしていたかどうかも含めての今後の調査を待たねばならない。
それとは別に、能登沖や新潟で発生した地震によって昨年後半の芦原温泉収客数が前年度を下回っているそうで、風評被害を懸念する。

★晩飯前の数人との歓談のなか、尊敬する知人が来訪。話題は富津風力発電に移った。
風力発電設置は議会承認を要するものではなく言わば民々契約だ。けれども、健康に関わる部分がもしあるとしたら議員はコミットしなければならない。
ということで低周波被害有無の可能性についてを聞くため、一昨日に政策課に行った。
課は「田原の風力発電では確かに一基低周波が出た。でもそれは外国産のもので国産ではない」という。
「せめて1km以上民家から離すことができないのか」という問いには、「国定公園法による制約がある」という答えが返ってきた。
「低周波は人体に感じられないからこそ潜在的に病理が進み得る」のではないか」と問うと、「今回の富津風発の場合測定装置が完備している」との答えが返ってきた。
さらにくずまき高原の牛が風発で乳の出がよくなりあるいは観光客が倍増したということも聞いた。
自然の風景に人が集まるのは、活性化という意味で大変良いことだ。
けれども例えば汐見文隆公式サイトをどう読み込めばいいのか。
反対のための反対をするつもりはないが、何をするにしても「命と健康」の保証が基礎に無ければならないし、我々はもっと勉強せねば、と思った。
★きょうの早朝、僕は小さい湖に行った。北潟湖と湖岸道路を隔ててある湖。
多分湖底は通じているのだろう。

久し振りにひとりで行ったのだが、鳥の鳴き声やガマガエルの鳴き声が聞こえ、
水面には魚影が映って、なかなか気持ちが良かった。


08/06/17 (火) 無題

昨日の「産業建設常任委員会」の審査事項は、次の通り。
議会最終日に産業建設常任委員長から審査内容についての報告があるので、可能な方は傍聴に来てください。ケーブルTVをお持ちの方は、後日、29チャンネルをご覧ください。あるいは私の事務所に御来訪ください。電話・ファックス(73-4701)をください。

「あわら市建築物耐震改修促進計画」が配布されました。一部をPDFにしました。


★本日の福井新聞に、芦原温泉旅館・入湯税虚偽決算の記事が出ていました。
記事にも書いてある通り、本年度に収納推進課が新設されたことにより、この問題が表面化しました。行政・監査委員はもとより認定した我々市議会も深く反省しなければなりません。この日記をご覧の皆様、大変申し訳ありませんでした。いずれにしろ、収納対策を徹底するためにも、こうなった経過を十分に調査する必要があります。

08/06/16 (月) きょうは「産業建設常任委員会」

昨日は、「父の日」だった。
だいたい、何故「〇〇の日」があるのかしらない。敢えて言えば「たまには〇〇を思え」ということだろうが、思うのは継続的であってこそ意味がある。「〇〇の日」は誕生日だけで沢山だ。
息子と父の双方の立場に於いて僕は特別な親孝行でもなく特別な子孝行でもなく極く普通であり続けてきたと思うが、それでも日々こどものことや父のことを思っているのだから、「〇〇の日」キャンペーンは余計なお世話だ。「きっこの日記6/15」を読んでもそう思った。

ところで、昨日の晩酌の際に、妻から「お父さん(僕のこと)ら団塊の世代とこどもらの世代では時代環境がまるで違う。放任主義が奏功する時代ではないんや」と言われた。
僕は常々「人間は普通が一番」と思っている(「普通」は多数派という意味ではないけどね)。だけど普通概念が大きく変わってきているのも事実だろう。世代間のバトンタッチがむつかしく、だからこそ「異常」と「普通」が交錯してみえたりもするのだと思う。
「今しばらくは頑張り続けよう」と思っている僕としては、アンテナを鋭くしなくてはならない。
★けさ、山室地区を散歩していた僕は感動してしまった。

コスモスが咲いていたのである。
コスモスは「秋桜」と書き、山口百恵も「秋桜」とうたい、初夏の風物詩ではない。
季節に季節のものを見る時、心はやわらぐが、季節に季節以外のものを見るのも面白いものである。
★山室散歩を終えて自宅に戻った。自宅近くのゴミステーションをつついていたカラス二羽が飛び立ち、屋根に逃げた。


先日もこのステーション前にはゴミが散乱していた。

メジャーテープで金網を測ると30mmピッチの菱形だった。
カラス本体はステーションに入れない。しかし口ばしでつつくのは可能だ。

という話を、先日、生活環境課でしてきた。

08/06/15 (日) 静かな日曜日

★昨日は岩手県・宮城県で震度6強の地震が発生した。

昭和23年6月28日にはここ福井でも大地震が発生し、3769人が亡くなった。
昭和24年1月生まれの私は「地震っ子」と呼ばれて育ってきた。

平成7年1月17日には阪神・淡路大震災が発生した。発生数週間後、阪神間に住む友人の依頼で、地震で傾いた購入仮契約済住宅の実態調査に行った。幾つかの場所で惨状を目の当たりにした。

数ヶ月あとだったか、私達の手話サークルにひとりの手話通訳者がやってきた。
手話通訳ボランテイアとして被災地に派遣されたそのひとは聴力障害者の情報阻害について語った。
「被災地においては健聴者でも正確な情報が阻害される。まして聴力障害者の場合は遮断に近い。何が起こったかわからない状況での恐怖はひとの心をパニックにさせる」と語った。

数において健聴者は圧倒的にメジャーで聴力障害者は圧倒的にマイナーだ。
政治の要諦のひとつは、対策においてマイナーを軽視しないことである。
★この地震で、「市内校舎体育館の耐震化を急げ」という声をところどころで聞く。原則は勿論そうなのだけれども、そういう声が出てきているということは校舎の損傷や倒壊があったのか?と思ってインターネットで建物被害状況を検索してみたが、私が調べたところではその事実はない。寡聞だからなのかと思って専門家ふたりに問い合わせをしたのだけれども、やはり「今のところ聞いていない」だった。
岩手・宮城地方の校舎の耐震化が全て終了していたとも思えない。
今度の地震は震度6強の領域がせまかった。建物自体よりも地滑りなど地業にかんする被害が目立った。
能登沖地震の際も校舎損傷倒壊の事実はなかった、と記憶している。
その理由について一応専門家の私にはある程度わかるのだが、書くと非常に長くなるので省く。
避難所にもなりうる校舎体育館などの耐震化は必要だけれども、いたずらに「急げ!急げ!」では子供や親をはじめとした住民の心に過度の不安が増幅されてしまう。
何よりも丁寧な耐震設計、丁寧な耐震施工の進捗を望む。


花菖蒲まつりが、開幕しました。(午前5時の風景)


08/06/14 (土) もう週末か

★散歩していると、道端のくさわらの空き缶散乱風景をよく目にするが

中には、ご丁寧に空き缶空き瓶満載のビニール袋をそのまま捨てていくバカもいる。

★自販機の側面に

「ここにゴミ空き缶を捨てないでください」と貼り紙されたまさにその場所での散乱風景は、自販機メーカーが収納ボックスを設置していない場所のあることを物語っている。

★いつだったかお寺の裏道を歩いていたら
「ここにゴミを捨てないでください。お釈迦様が見ています」という貼り紙が目に入ったが、「ならば見ていなければ捨てていいのか」ということになるわけで、見ていようが見ていまいがそれは関係のないことである。

08/06/13 (金) 昨日の一日

昨日は本会議。午前9時半から始まった一般質問が終了した時、時計は既に午後6時を過ぎていた。
聞いていて一番印象に残ったのは、山川知一郎議員が通告した「在日外国人の職員採用について」に関する同議員と橋本市長との質疑応答だった。その全体を正確に描くだけの筆力を私は持たない(後日、ケーブルTV・29チャンネルをご覧下さい)が、丁々発止の応答のなかで、市長が、「我々地方行政が地方議会が自らを小さなものと落としこめていいものだろうか。時によって我々は国に対して異議申し立てをすべきではないだろうか」と言ったくだりだった。

「地方議会に政党政治はそぐわない」と常々思っている私だけれども、そういうこととは関係なく、この言葉に私は新鮮な響きを感じた。

ということで私は、請願書・「後期高齢者医療保険制度・廃止見直し」に関して、議会最終日に山川議員と連動してしゃべるつもりであります。

一般質問終了後、ただちに「広報編集委員会」が開かれた。
散会後、事務所に戻り、訪問客何人かと雑談に興じていたら、ろうあ者数人が来訪。
昨夜が「手話サークル」定例日であることに初めて気づいた。
夜半まで晩飯にありつけることのできない忙しい昨日でした。

 08/06/12 (木) 夜明けに熱々珈琲を飲みながら

★本日の議会は午前9時半から一般質問です。通告内容については、あわら市ホームページ⇒市議会開催案内⇒質問内容をクリックしてください。
★3日ほど前、単身赴任で大坂にいる知人男性から携帯電話が入った。「どーも、社保庁というとこはいい加減やで。応対が非常にまずいそうや。役所で年金のことを詳しく聞いてきてほしい」という。
その知人にしろ私にしろ来年は60歳代に入る。つまり受給資格者となる。
そこで一昨日に庁舎関連担当課に出向いた。このような資料をもとに説明してもらった。年金制度のこれまでの経緯についてはなかなか複雑なところがある。デイテールは社保庁にいかないとわからないのだろうが、とにかく頭を整理してから、後日書き込みたいと思います。
★昨夕、「さあ明日の準備をしよう」と、パソコンデスクに向かったところに何人かの方が来訪。昨日の日記にソファの写真を載せたのでその座り心地を確かめることが主な理由だったのだろう。雑談が始まった。
6時が近づいていたので、むぎ焼酎「いいちこ」を少し口に含みながら私も会話に加わった。数人顔付き合わせての肩肘はらないざっくばらんな会話は、確かにいわゆる小さな楽しみのひとつである。

08/06/11 (水) 昨日の一日

一ヶ月近く前だったか、夜中の2時頃に事務所・屋外階段をすべり落ちてしまった。
体をしたたかに打った。尾骶骨の痛みはようやく消えたが、足首の痛みはまだ消えない。足をひきずって歩くしかない。

昨日の朝、「ソファーベッドいりませんか?」という電話が入り、軽トラでもらいにいった。一昨年にKさん(女性・推定年齢38歳)からいただいたものと同種で、折って背もたれをつけることができる。応接コーナーが一層充実した。


夕刻、某市議来訪。
「まきちゃん、富津に計画されている風力発電、どう思う?」と、しゃべり始めた。
そのひとは、昨年NHKで放映された風力発電設置地域のひとびとの声を聞いて心配だという。ぼくはその放映を観ていないし、あるいは計画に向けたパネルデイスカッションにも参加していない。
原発よりも、ソフトエネルギーパスの風力発電のほうが生態系に対して友好的なのでいいのではないかと思っていただけなのだけれども、事実そういう懸念があるのならば、ことを進めるのにあたって慎重であるべきだ、と思う。

夜、某御夫婦との打合せを終え「さあ晩飯を食べようか」と思い始めた時、某民間施設のケアマネージャーがペーパーを持って現れた。今度、認知症の人と家族の会・第3回坂井地区つどいがあるという。
認知症のひとに関わる家族のひとたちが集まり、相互に思いを語ってもらうことで悩みとかを軽減するのが一番の目的だという。
うちもそれに該当するのでいろいろ質問するうちに時は過ぎていった。
おじいさんの古時計がぼぼおおんぼぼおおんぼぼおおんと10時を告げた。いつもならば白河夜船の時刻だ。
別れを告げて帰宅し、フライパンに残っていたギョウザ(中国製ではないと思う)をおかずに晩飯を食べてから就寝。

08/06/09 (月) 昨日の日曜日

昨日の夕方、私は福井市で開かれた「後期高齢者医療制度」緊急集会に行ってきた。私事だけれども、家族のことでいろいろ錯綜する思いがあり、熱心に聴いていた。メモも沢山とった。6月議会で発言するつもりだし、そのための体勢も整えなければならないのである。

帰宅し、ジャガイモとエンドウマメの煮付けをつまみにしての晩酌。
TVをつけると、きょうもタイガースが勝っている。監督の采配が効いているのかどうかはしらないが、「球界の寛美」と呼ばれてきた岡田監督の顔が怜悧な勝負師の顔に見えてくるから不思議である。
「好事魔多し」という。気を緩めることなく今後もジャイアンツを徹底的に叩いていって欲しい。ジャイアンツの原監督は、甘ちゃん顔ではあるけれども、年上の嫁さんをもらったので決して嫌いではない。ま、居場所が悪かったということやね。

酩酊でE気持ちになったあと、 小説本・「乳と卵」を開いた。本年度の芥川賞受賞作だ。
議員になって一番困ったことは小説を読む時間が無くなったことである。
予算書等の数字や散文資料と向き合うのは議員の立場として当然だとは思うけれども、散文はいつも乾いている。たまには詩小説と向き合うことで心に暖かい湿り気を入れたいと思う。
現実はなかなかむつかしいのだが。
★今朝撮った市道・三国ー芦原線歩道のガードレール。局所局所で傾いている。


先日の産業建設常任委員会管内視察で確認したし改修予定になってはいるが、とにかく危ない。
焼付塗装のこういうスチール製ガードレールに損傷を与える要素は、錆と根腐れだ。塗装の裂目から浮き錆が始まり侵食錆が進行する。数年に一度の塗装メンテが唯一耐久性を保証するのである。
★東京秋葉原で無差別殺人というとんでもない事件が発生した。
評論家がいろんなことを言うだろうが、動機の一番深い部分は本人にしかわからない。しかし程度の差はあるとしても今日的な社会背景が部分的に起因しているとだけはいえるのでないか。
「後期高齢者医療制度」緊急集会での訴えを聞いていて思ったことでもあるが、社会的弱者の一方である高齢者に対する物心両面の安定化と一方の弱者であるこどもたちへの教育的配慮が崩れたら、世の中はすさみにすさんでいく。

08/06/08 (日) 昨日の土曜日

昨日の午後


糸川正晃衆議院議員、坂井市議会の辻議員、川畑議員、藤澤議員とともに坂井市内・あわら市内にて街頭演説を行った。

ところで
ひとがごちゃごちゃいる東尋坊を歩いていた時、幾つかの手話のグループとすれ違った。福井県で開催されている「全国ろうあ者大会」最終日前日ということで名所観光を楽しんでいたのですね。
気軽に手で話しかけ糸川さんを紹介すると、「後期高齢者医療」及び「障害者自立支援法」の問題をなんとかしてほしいという答えが返ってきた。
なんつうか、私はワンポイント手話通訳をしていたのである。

よろしかったら、糸川さんの街頭演説の一部をお聞きください。
★本日の早朝に山十楽の道端で見かけた花の拡がる光景。
心が柔らぎます。

08/06/07 (土) 予定いろいろの土曜日

耐震の話題が多いせいか、時々同僚議員達から、「牧田はん、妻ってなんや?桁ってなんや?間口ってなんや?水平筋交ってなんや?壁筋交ってなんや?」と聞かれます。
議会や委員会などで今までに〇〇長という役職についたことのない凡百ヒラ議員であっぺのこの私ですが、こう聞かれる時だけは自分がセンセになったような気分になり、しゃべります。ま、ワンポイント構造レッスンやね。

ある建物をごらんください。これは鉄骨工場の図面を素人向けにしたものです。そして、妻とは工場や体育館など屋根が三角形に見える方向をいいます。
余談ですが
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 
    八重垣つくる  その八重垣を
  素盞嗚命(すさのおのみこと)
この八雲神歌に出てくる妻は新妻でありその新妻とは稲田姫であってつまりこの歌は素盞嗚命が稲田姫を妻として迎えるにあたっての新居完成寿ぎの歌として世間に流布していますが、建築家・川添登の解釈はちょっと違い、妻を建築のある部分として建築論的に解釈しています。(余談終わり)


桁とはそれに直行する方向であり普通は長手方向を指します。
そして、6月3日日記の繰り返しになりますが
水平ブレースは屋根面のトラスと繋ぎ小梁で囲まれた部分毎に数多く配置されています。壁ブレースと違って圧縮力は働かず小さい領域のなかでの水平面荷重伝達の為の引張力のみを受け持つ。結果として断面積が小さくてもブレース自体に損傷は与えられないのですが、揺れが激しくトラスから天井面を吊るしている金具を破損し天井落下などの損傷を与える。こういう現象は、阪神淡路大震災でも能登沖地震でもあった、と思います。構造学会はこれを踏まえて、ブレースの剛性を高いものに変えるとの指針を出したのでしょう。
余談ですが
「鉄骨の建物とテッキンの建物とどっちが地震に強いんや?」とよく聞かれるが、厳密にはどちらがどちらとはいえない。ごちゃごちゃ言うのを避け簡略にいうならば、鉄骨の建物はジンセイ(このパソコンではその漢字に変換できない)が強く、テッキンの建物は剛性がある。なお、ジンセイとはねばり強さを意味する。

日本大相撲を引き合いに出すならば
鉄骨建物は貴乃花(若貴の父)型でテッキン建物は北乃湖型といえるのではないでしょうか。(余談終わり)

08/06/06 (金) 議会初日

本日は議会初日。9時半開催
会期決定⇒議案上程⇒提案理由説明⇒委員会付託だった。
午前中に終了。
一般質問の通告書を出して事務所に戻った。とりあえず昼休みを利用して市長行政報告をPDF化しました。
★きのうの私の事務所は、千客万来というかなんというか、計7人のひとが入れ替わり立ち替わりに来訪してきた。「本日からの議会の焦点は何か」ということでの話に終始したが、大きくは三つだろう。

①既に速報値が出た芦原中学校の問題。
ハードウエアも大事だが、私自身は、そのハードにどれだけソフトを反映させるかつまり教育の中身についての検討をなおざりにしてはならないと思う。核になるのが教育委員会だ。いかにその教育観を我々に伝えるか。残された時間の少ない現在、ある意味で正念場といえる。
②金津雲雀ケ丘寮民営化問題。
現場の声を聞くにつけ所管課職員の説明を聞くにつけ民営化を避けることはできない。私事で恐縮だが、親父を家族介護していていろいろ思うことがある。幸い私は介護保険広域連合議会に所属しているので、7月に予定されている議会で一般質問に立つつもりだ。
③上のふたつに加えて、6月4日日記で触れた旧芦原庁舎利活用問題。

うーん・・しかし、考えてみると上の三つのいずれもが、私の所属する産業建設常任委員会管轄外である。
意見は言えなくても傍聴をせねば、と思っている。

08/06/05 (木) 明日から議会

名前にさわる
名前ともののばからしい隙間にさわる
さわることの不安にさわる
さわることの不安からくる興奮にさわる
興奮がけっして知覚のたしかさを
保証しない不安にさわる        大岡信「さわる」

議員になる前だから、今からもう10数年前か。合併前の旧金津町は「新住居表示制度」を施行実施した。その意味をどうしても理解できなかったぼくは、新聞に投書した(新聞投書はあとにもさきにもあの一回きりだ)。
FM福井の確かデイレクターから「ラジオに出ないか」という電話を受け、生の録音スタジオでしゃべった。
マスコミの力とはおそろしいもので、何人かのひとからあるいは通りすがりのひとから、「おおい 聴いていたぞ」と言われた。

住居表示を考えるということはつまるところ名前とは何かを考えることだった。ちょうどその頃に出会ったのがこの詩だ。
「ものごとの本質を数行でえぐりだす詩人という存在はすごいもんや」と、ぼくは感服した。
名前とは保守的なもので、だからこそ歴史を持っている。精霊が潜んでいる。
★小雨の煙る本日の早朝、何故かぼくは雨カッパを着て旧芦原庁舎の敷地内にひとりたたずんでいた。


写真ではわかりにくいかもしれないが、腰の低いレンガ塀に沿ってところどころにアルコーブ型ベンチが置かれている。近寄ると沢山の空き缶が散乱していた。
利活用されていないので夜は暗い。アベックたちが缶コーヒーを飲みながらデートを重ねているにちがいない(若い頃はそれを羨ましがったものだ)。

そう考えると
空き缶散乱の原因は一義的には彼ら彼女らのモラル失墜にある。
しかし遠因として
・当該建物が利活用されていないこと。
・ベンチの近くに空き缶収納ボックスが置かれていないこと。
・そもそも自販機が市街地に置かれていること(これは某市議が言っていた)。      なども挙げられるだろう。

・・・ゴミや空き缶の向こうに世界がみえてくる。
★このHP「議会報告」の数値を読んでくださる方が結構いらっしゃるみたいで、感謝しております。

08/06/04 (水) 無題

本日の早朝、ぼくは宮谷区にいた。
地蔵堂の横に


水が出ている。


通りかかったおばあさんに山からの湧水であることを確かめたあと、手のヒラにすくって飲んだ。
こどもが小さかったときアトピーであったこともあり、市内県内の名水をいろいろ訪ねたものだ。あの頃、車で外出する時は、助手席に妻が乗り後部座席にこどもたちが乗るのが定番だった。

事務所への帰路、十日町の交差点信号が赤になったので停車した。
交差点看板を見上げた。十日の下に「Toka」とある。

「Toka」はアルファベット圏外国人のためのサービスだ。
しかし彼ら彼女らがこれを見た場合「トオカ」とは発音しないだろう。「トカ」と発音するだろう。小さいことかもしれないが、ちょっと気になる。
★昨日だったかの福井新聞に、あわら市長記者会見に関する記事が出ていた。
旧芦原庁舎利活用について、南・北幼児園を一緒にしたいという想いが書かれていた。ぼくは管轄の総務常任委員会のメンバーではないので仔細はわからないのだが、前回の委員会でそのあたりの議論が出たそうである。
なお、今までの経緯については、コンテンツ「議会報告」の旧芦原庁舎利活用経緯で書いた。
事実上、解体撤去対地主返還の案は消えたようだ。

本日、総務課に行って確かめたのだが、確かに
あの建物は昭和55年竣工ということで比較的新しい。新耐震設計基準施行が昭和56年とはいえ設計者が事前にそれを勘案していたということもある程度考えられる。GLー2mまでの杭地業カットを含めての解体撤去搬出の費用は¥8000万ー9000万と見積もられている。29チャンネル中継基地の移築となると、¥数億はかかるはずだ。
年間¥2500万の維持費を考慮しても、建物を残しての積極的利活用が求められる。個人的に思うこともいろいろあるが、一番重要なことは、旧庁舎利活用とコミュニテイバス活用との有機的な結びつきだと、ぼくは思っている。

08/06/03 (火) 小雨の煙る朝

昨日の昼は、以前に事務所のポストに投函されていたA4ペーパー4枚綴・「在日韓国・朝鮮人高齢者の年金訴訟について」を考えることから始まった。
一介の地方議員でしかないぼくぼくはにはよくわからないところが多く、市庁舎所管課に出向き、何人かの担当職員から話を聞いた。
いずれ整理整頓してから、このHPに書き込もうと思う。

妻と一緒の晩酌でこども達の今後のことを話し合ううち、酩酊でE気持ちになって就寝、午後9時に目が覚めた。事務所に戻り熱々珈琲「キリマンジャロ」を飲んでいるところへふたりの市議来訪。

話の内容はいつもと違って、大状況に言及した。
ええっと
原始共産制・スターリニズム・毛沢東・文化大革命・自由主義・ネオコン・ユダヤ資本・北欧高福祉国家・ミャンマー軍事政権エトセトラと話は多岐に渡った。

「おじいさんの大きな古時計」がぼおおーんぼおおーんと、深夜の二時をうった。いつもならばそろそろ起床する時間である。
ふたりを見送ったあと帰宅し就寝⇒熟睡。
★昭和37、8年竣工の芦原中南北校舎の耐震強度速報値がD判定であったのにも関わらず、昭和50年竣工の体育館のそれがE判定であった理由がなんとなくわかってきた。
少し専門的な話になるが
原因の多くは体育館上部鉄骨造屋根の水平ブレースにある。水平ブレースは屋根面のトラスと繋ぎ小梁で囲まれた部分毎に数多く配置されている。壁ブレースと違って圧縮力は働かず小さい領域のなかでの水平面荷重伝達の為の引張力のみを受け持つ。結果として断面積が小さくてもブレース自体に損傷は与えられないのだが、揺れが激しくトラスから天井面を吊るしている金具を破損し天井落下などの損傷を与える。
こういう現象は、阪神淡路大震災でも能登沖地震でもあった、と思う。
構造学会はこれを踏まえて、ブレースの剛性を高いものに変えるとの指針を出したのだろう。
★ぼくはメダカが好きだ。昔から熱狂的なファンである。
近年、さらさら流れる春の小川にメダカを見つけることができず、生態系の変化に不安を感じてきた。
しかし、本日、観光商工課の職員・某氏にメダカの溜まり場を教えてもらった。えち鉄・番田駅近くのその場所に行き、メダカ捕獲に成功した。
有意義な一日だった。

08/06/02 (月) 昨日の日曜日

昨日の日曜日は、「ブナの森コンサート」に参加した。今年が9回目のこのコンサートの舞台はブナが原生する水坪山頂上。海抜606mであわら市内で最も高い。目の前に剣ケ岳(海抜567m)が見える。


僕は三回目の参加だった。
芦原町と違って金津町は、里山・奥山を持つ。里山と違って奥山へは滅多に行かない僕だけれども、行ったら行ったでなかなかいい。ふるまわれたおろし蕎麦もうまかった(僕は5杯食べた)。
刈安山山頂(海抜492m)から水坪山山頂までの約40分の道中、前を歩いていた夫婦が立ち止まり、道端の「タラの芽」を採っていた。
里山では既に旬を過ぎた「タラの芽」も、奥山では今が旬なのかもしれない。
山はフトコロが広い。このフトコロの広さをあわら市の財産としなければならない、と思った。
★市内某スーパー駐車場で某婦人とばったり出会っての立ち話。
「高齢となった実家の母が嫁の強い意向で、施設に入れられてしまった」と、嘆いていたあるいはいきどおっていた。
家族介護・相互扶助介護の限界の向こうにあるのが制度を利用した施設入居であることを考えると、その御婦人の気持ちはよくわかる。しかしその一方で、ユニットケア体制導入による利用料金の上昇によって入りたくても入れないひとも増えているはずだ。
我々団塊の世代が来年度にリタイアすることによってこの問題はますます深刻化する。

08/06/01 (日) 忙しくなりそうな日曜日

昨日の日記書込みが夕刻になってしまったことで、「どうかしましたか?」という個人メールが、近い友人複数からあってとても恐縮しています。
「どうかしましたか?」の意味するところは
①僕自身に何かあったのか
②家のほうで何かあったのか  の二通りの解釈が可能だと思うけれども、
実情は、千客万来で書く時間がなかったということです。
議員は接客業だと僕は思っている。読む・書く・聞く・話す
の4部門のなかで聞くが一番大切だと思っている。
いずれにしろやはり日記は夜更けか未明に書かなければならない、と反省しました。
さて、
福井新聞にも出ていたように、昨日の全協で芦原中学校・耐震強度速報値の発表があった。速報値を裏打ちするチェックポイントの確認で判定協議会が最終報告を出すのだが、判定速報値が判定委員会で変わったという前例はない。

北校舎・南校舎⇒D
渡り廊下部⇒E
図書館⇒A
体育館⇒E
技術棟⇒E    の中で、昭和50年に直している体育館にE判定のついていることに「?」を感じた。RC造であるけれども上部屋根面がS造だ。当時の仕口・継手技術水準の反映結果であるのかもしれない。じっくり調べたい。

・金津雲雀ケ丘寮の民営化問題の進捗は、名方面からとても関心を持たれている課題である。何人かの関係者から電話を受け意見を拝聴もしている。加えて私事としても介護に直面している。管轄の教育厚生常任委員会へは傍聴に行くつもりだ。