2008年12月


08/12/30 (火) メダカに餌をやりながら


・きょうは我が家でも餅をつく。昔、親父が元気だった頃は杵で何十臼もついた。沢山の子供達が手伝いに来て、年末恒例の風物詩となっていた。私が初めて餅をついたのは確か小学校5年生の時だから50年のキャリアということになる。
しかし親父の逝った今年は数臼でしかも機械突きということだ。このようにして季節の風物詩が一つ一つ無くなっていく。勿論それに変わる何かが生まれてくるのだろうけれども、全体としては季節を象徴する行事の数が減っていく。


・さて
昭和24年1月生まれの私は子供心に戦後の混乱を経験した。東京オリンピックや東京ー大坂間の新幹線開業で高度経済成長の波に乗った日本を見た。60年代末から70年代初頭の政治の季節を経たあと、数々の公害が露呈し、日本は公害列島と呼ばれるようになった。そしてバブル経済がそのあとに崩壊する。
考えてみると我々団塊の世代は、平家物語冒頭のような栄枯盛衰の日本を経験したことになる。
↓蕎麦河戸神社



・大晦日の前日ということで暇にまかせてインターネットを検索していたら学生時代の友人・武内務君に出会った。写真から推測できる通りの俊英である。しかし病魔は俊英であろうとなかろうと飛びついてくる。俊英とはほど遠い私にさえとびついてくるのである。


・就寝時刻が早いので夜中に目の覚めてしまうことがよくある。本日もそうで午前2時に、事務所で日記を書いていた。
さて昨日と同じく今年の総括となってしまうが
私がどうしても解せないのは、11月17日に開かれた臨時議会での採決結果である。両中学校(金津・芦原)を改修とする案での基本設計料の承認である。
あの時我々6人の議員は原案に反対し、議員発議での案を提出したのだが、結局は原案が通ってしまった。あの日の私は病院を抜け出し議会にはせ参じしゃべりもしたのだが。
議会は数である。数が全てである。決まったことに従わなければならないのは当然である。但し、アカウンタビリテイつまり説明責任は絶対にある。
我々は負けた。我々の論理は〇〇だった。相手方の論理は◎◎だった。◎◎のほうが優れていたということだ、という説明をする義務がある。その◎◎が私にはよくわからない。
私がバカになってわからないのだろうか。であるならば仕方がない。
しかし、そうではなくて前市長時代からの対立軸がそのまに残っている結果からくるものであるとしたら、生徒たちにとってこれほどの不幸はない、と私は思うのである。

08/12/29 (月) 深夜にメダカ水槽をつくりながら

・民間企業の場合は別であるとしても、官公庁が仕事納めに入ってしまった現在、「今年も終わりなんだなあ」という思いが胸のなかを去来します。
そこで自分自身のこの一年間を総括するならば・・・
最後の二ヶ月半が大変でありました。二ヶ月半というのは、入院一ヶ月半+静養一ヶ月でのトータル二ヶ月半であります。その間に決算審査特別委員会が何度も開かれましたが、その決算特別委員会に二度しか出席できなかったのは、不可抗力であるとは言え大変に申し訳なかったと、山口峰雄決算審査特別委員会委員長に対して謝罪を申し上げる次第です。山口委員長殿、大変、申し訳ありませんでした。


しかしその反面、この二ヶ月半が私に教えてくださったものの沢山あったことも事実です。元々が手話通訳者を30代初めからしていた私にとって、医療・心身障害・・・つまり福祉が議会に初めて出た時のモチベーションになっていたのは事実です。その福祉の現況に対する反応を入院時に夜な夜な私は聞かされました。「市議たちは何をしてる」と何度も強く罵倒されました。でもね・・・強く罵倒されるということは、実は、とても大切なことだと思います。
人間はひとを誉めることもできるしけなすこともできます。言葉はただだから変幻自在です。そういうなかで、嫌がられても敢えて「苦言を呈する」ことのできるひとが本物だと、私は思うようになってきました。


・広島県で「庭の花壇手入れをしていた親子三人のところへ車がつっこんで来て母親と子供が死亡、父親が意識不明の重体」というショッキングなニュースがラジオから流れてきた。

実は私が今一番怖いものは車である。歩行者として道路を横断しようとする時に、近づいてくる車をうまく見切ることが出来ない。自分が車社会にまだ復帰していないから、ということを十分わかった上で、でも車に恐怖を感じることは当然のことだとも思うのである。

 08/12/28 (日) 昨日の一日


・昨日の朝に郵便ポストを覗いたら、切手の貼ってない可愛らしい封筒が入っていた。
封筒を開けるとそれは礼状で、「・・お忙しいなかたいへんためになるお話を聞かせていただきありがとうございました。入試時にとても役にたちました・・・」ととても可愛らしい字で書かれている。

今年の夏頃だったか、事務所を来訪した三年の女子高校生に建築の話をしたのを思い出したのだが、つまりそれの礼状であった。
肉筆というのは、筆の濃淡や字体にひととなりが反映されてとても個性的となる。そういう手紙をいただいた昨日の私は幸せだった。


・昨日の夕刻からは福井市内にいました。
民主党派の議員の集まりに参加しました。国政や県政とは違って自治体の議会に政党はあまりなじまない、と日頃から思っているものではあるけれども他の自治体の動向や問題点を聞くことは確かに勉強になります(年があけるとこういう集いもあります)。
芦原温泉名旅館サービスの問題点についてもいろいろ聞かされました。早速、芦原温泉地区在住の議員に伝えなければ、と思っています。
原発問題、風発問題をいろいろ話しあっているうちに時はどんどん過ぎていったのですが、耳障りがどうであれ忌憚のない意見を交換することはやはり議員の義務だと私は思いました。

 08/12/27 (土) 夜明けに牛乳を飲みながら


・今年も残り少なくなってきた。で、この年末年始にやっておく必要のあることをただ今整理中であります。
ところで、私もたまには他のひとのブログを覗くことがありますが、どのホームページの場合も全てと言っていいほど何日間かのブログがインデックスに縦割りで残っている。そして一気呵成にそれらを読むことができるようになっている。とても合理的です。
しかし、私にはそれができないので、今、牛乳を飲みながら何故そうできないかその意味を考えています。要するに私にとって、一日前は十分に過去なんですね。
そして過去というのはいつでも恥ずかしいものだという意識が残滓としてある。故岡本太郎のように「俺には過去がない」と自分で呟いている結果なのだろうと思うのです。


・10月10日に倒れ救急車で搬送される時、混濁する意識のなかで、救急隊員に「〇〇に電話をしてほしい。◎◎に電話をしてほしい。」と数人の名前及び電話番号を挙げていたそうです。病院に運ばれてからは一切の音声通信が遮断となったので段々トラウマとなっていってしまった。あれから二ヶ月以上が経過しようやく普通の頭で考えることができるようになってきた。そうすると10月10日の時点の進捗状況に全てが戻っていき、その都度トラウマが頭を持ち上げてくる。
しかし退院後の静養という見地からこれを考えた場合、「無心でいる」ことが一番大切らしい。とてもむつかしいことです。


・むつかしいことだが、とりあえずこれだけは言えるのじゃなかろうか。
「酒は天の美禄なり。少し飲めば陽気を助け、血気をやはらげ、食気をめぐらし、憩を去り、興を発して甚だ人には益あり」(貝原益軒・養生訓)

 08/12/25 (木) 暖かい早朝


・本日は12月も25日でもう年の瀬だ。熱々コーヒーを飲みつつ新聞を拡げれば今年一年の回顧と来年一年の予測の記事が満載である。確かに節目の日々に入るのだけれどもそれは暦の上だけであるというのが昔からの私の思いだったし、いつの年の年末年始も何かに追われていた。つまり殆ど普通の日々であった。


年末の餅つきと元旦の初参り及び雑煮食べと配達されてきた年賀状読みくらいは人並にしていたけれども、家族に死者の出た今回の新春に年賀状は来ない。
又、私自身の体調が普通に戻るにつれて、たまっていた所用のこなしが現実的な課題となってきた。


正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
と一休和尚は詠んだし確かにそうなんだけれども
それはまあ年寄りの繰り言という気がしないでもない。
双六、凧揚げ、羽根突などに興じるこどもたちをみていると(最近はあまりみかけないが)、いい世の中が到来しますようにという思いを強くいだきますね。


・図書館で今借りている本は全てがエッセー・日記のタグイだ。読書時間は晩飯後と睡眠前のそれぞれ数十分にしか割り当てることが出来ず、昔みたいな小説の乱読など全く不可能になってしまった為である。しかしそのタグイではあっても、プロの書く文章にはやはり味や深みがあると思う(そうでない場合もよくあるけど(・・笑・・))。
なんつうか
本ほど安上がりの趣味はない。紀行文を読んでいりゃ実際にその場所に行ってきた感触を会得できるし、というよりもその場所へ行かないことで、その場所のあれこれを想像する楽しみを与えてくれるのが本の効用だと私は思うのである。

 08/12/25 (木) 暖かい早朝


・本日は12月も25日でもう年の瀬だ。熱々コーヒーを飲みつつ新聞を拡げれば今年一年の回顧と来年一年の予測の記事が満載である。確かに節目の日々に入るのだけれどもそれは暦の上だけであるというのが昔からの私の思いだったし、いつの年の年末年始も何かに追われていた。つまり殆ど普通の日々であった。


年末の餅つきと元旦の初参り及び雑煮食べと配達されてきた年賀状読みくらいは人並にしていたけれども、家族に死者の出た今回の新春に年賀状は来ない。
又、私自身の体調が普通に戻るにつれて、たまっていた所用のこなしが現実的な課題となってきた。


正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
と一休和尚は詠んだし確かにそうなんだけれども
それはまあ年寄りの繰り言という気がしないでもない。
双六、凧揚げ、羽根突などに興じるこどもたちをみていると(最近はあまりみかけないが)、いい世の中が到来しますようにという思いを強くいだきますね。


・図書館で今借りている本は全てがエッセー・日記のタグイだ。読書時間は晩飯後と睡眠前のそれぞれ数十分にしか割り当てることが出来ず、昔みたいな小説の乱読など全く不可能になってしまった為である。しかしそのタグイではあっても、プロの書く文章にはやはり味や深みがあると思う(そうでない場合もよくあるけど(・・笑・・))。
なんつうか
本ほど安上がりの趣味はない。紀行文を読んでいりゃ実際にその場所に行ってきた感触を会得できるし、というよりもその場所へ行かないことで、その場所のあれこれを想像する楽しみを与えてくれるのが本の効用だと私は思うのである。

 08/12/24 (水) 夜遅くに珈琲を飲みながら


・ええっと、昨日の私は腹具合がおかしかった。事務所で便所への出入りを繰り返しているうちに体調そのものがおかしくなり、自宅に戻った。布団にもぐりこみ夕刻まで眠ってしまった。目覚めて体調は回復したのだけれども、夜になっても眠たくない。ボクシングのフライ級世界タイトルマッチ・内藤vs山口を興奮して観ていたせいもあって目は更にさえわたってしまった。どおも眠れそうにないので、こうやって明日の分の日記の一部を、今、書いているのであります。


閑話休題
4度目の防衛を果たした内藤は、前回の防衛戦で北陸高校の星・清水に逆転勝ちした憎き男だが、チャンプの内藤にしろチャレンジャーの山口にしろカラダに贅肉は一切みられない。しぼりにしぼったつまり極限にまで鍛えぬいたカラダはそれ自体が美だと私は思うなあ。
私の知り合いに元アマチュアボクサーで「人間機関車」と呼ばれていたひとがいる。怒涛の拳だったのだろう。
私も「人間機関車」と呼ばれていたが、私の場合はヘビースモーカーでいつも口から煙がでていたせいである。その私がもう70日以上一本も煙草を吸っていない。自分で自分を誉めてあげたい気分だ。


なせばなる なさねばならぬなにごとも なさぬはひとの なさぬなりけり
   はてさて、これは誰の言葉だったろうか


・早朝に起床し事務所に入ってラジオをつけると、Xマスミュージック一辺倒だ。きょうはXマスイブなのである。
5年ほど前に読んだ本のなかの「昭和20年、厚木飛行場に降り立ったマッカーサー元帥は、もし可能ならば日本国をキリスト教の国にしたいと思っていた。しかし天皇ヒロヒトが日本人に大変親しまれる存在であることを目の当たりにして、その思いを封印した」と書かれたくだりを思い出した。

 08/12/23 (火) 特別職の給料


・昨日の晩、あるひとから電話があって行政特別職の給料・報酬のことを聞かれた。はっきり確認する為に何人かのひとに電話をした。広報あわら12月号⇒「P8・人事行政の状況」にそれが書かれている
先ず私が誤解していた点。
教育長は特別職だと思っていたが、違うんですねえ。一般職だそうです。特別職(常勤)は、市長・副市長・収入役(あわら市は置いていない)のみっつ。
なお、議長・副議長・議員も特別職(非常勤)となる。


・しゃばは年末年始に向かっている。すれ違いざまの挨拶で「歳の暮れもおしせまってきましたなあ。来年もよろしく」とかなんとかの言葉を交わすのである。普通はそうなのだが、今年の年末年始ここあわら市の市議の場合はニュアンスが違う。
来年6月に4年に一度の市議選が予定されているので、選挙をどうたたかうかが現実的なテーマとなり、いきおい挨拶の中にもそれが表われてくる。
だけれども10月に脳内出血で倒れ入院その後退院してからも静養しようやく普通となった私の場合は、「生きるか死ぬか」あるいは「社会復帰できるかどうか」が現実的なテーマであった。つまり私にとって、来年の選挙のことはどうでもいいことだった。


しかし、本日事務所にあらわれたひとから、「来年6月の市議選はわたしがきちっとやる」と言われ大変にありがたかったし、つい数日前の集まりでも「来年の選挙は今までと違った形体になるはずや」と言われた。
私は、もし統合中学校になるとしたらその最有力の候補地であった「坂ノ下区」に住んでいる。そして、区の何人かのひとから「統合中学校建設に賛成してほしい」と言われた。
しかし
「私は坂ノ下区に対して勿論愛着を持っている。議員としてサポートできるところはしたいと思っている。しかし学校問題はそういう枠を超えた問題なんや。私の報酬は坂ノ下区からではなく、あわら市の有権者つまり血税から出ているんや。区にとってどうのこうのという問題ではないんや」と私は答えてきた。


そういうふうに言ってきたことの帰結というか責任を私自身、勿論考えている。

08/12/22 (月) 早朝に無糖珈琲を飲みながら


・スキャナーの基盤が壊れお店に持っていったら、その機種はもう製作されていないし基盤は手に入らないということだった。仕方なく予約したスキャナーが数日前に届いた。JPGは取り込めてもPDFを取り込むすべがわからず、事務所で四苦八苦しているところにIさんが現われた。その道のプロであるIさんの手によって問題は解決した。これを、「餅は餅屋」と言うんだろうね。
前々日の集まりの際、話題が消防庁舎についてになったので、早速資料消防庁舎についてをアップします。また議会最終日の日程もアップしました。


・ところで、今朝起きて、このHP日記を起ち上げ画面のクリック数を覗いたら、昨日が大変に多かった。540という数値は(よく覚えていないが)過去になかったのではないか。何故なのかわからないけれどもそれはそれで嬉しいし、これからも毎日書き込んでいきたいと思っています。
なんつうか
この日記を書き込んでから一日が始まる、という日々となっております。


・さて、私は先に閉会した12月議会のことをずっと考えている。議会というよりも全協(全員協議会)のことを考えている。先の議会最終日に於ける某議員からの意見に対して、議長から「それは既に全協で話されたことだから・・」という注意があった。
私は、本会議での冗長をなくすために全協を開くのは構わないと思う。
しかし、本会議場に傍聴席があり、会議模様が管内放送として流れあるいは29チャンネルに流れるのは模様をオープンにするためである。そして会議模様とは決まったことの結果報告ではなく本来はその過程であるはずだ。
議員にはその経過がわかっていても傍聴者の方達にはわからないということがままある。わからなくても構わないのだろうか。
・轟木のお寺。正面上部は釣鐘堂でしょう。

08/12/21 (日) ひさしぶりの宴

・昨晩は新築なったSさん宅へ。気心の知れた6人が集まっての宴会となった。
宴会の場に出るのは70日ぶりだったが、実に充実感があった。
この季節、鍋ものがおいしい。
私は体のことを考え、焼酎を一合程度飲むにとどめたが、皆はビールをどんどん飲んでいた。
「10時に就寝」を妻に義務付けられている私だ。きっちり10時に妻が迎えにきた。
車中で「皆は饒舌やった。饒舌を聞きながらひとり静かに飲んでいるだけで僕はとても楽しい時を過ごさせていただいた。皆に感謝してる。」と、宴会模様を報告した。


退院して25日が経過。体力は着実に回復している。言語発信力もほぼ元に戻ったと思う。私のイラスト自画像の上に書いてある如く「・・一歩ずつ・・」なのである。
そういえばこのキャッチコピーの発案者も宴の場にいたが、彼も「ビールはひさしぶりや」と言っていた。

・私は来年に予定されている国政選挙では糸川正晃氏を応援しているし、政党では民主党支持者だ。でも、きょうは、同僚共産党市議に誘われて、フェニックスプラザへ行った。
始めに壇上に上がったのは、光陽病院院長の平野氏。

後期高齢者問題を中心とした話に終始した。10月に死去した親父もずっと老老介護の身だったので、少なくとも私にとっては決して抽象的なテーマではなかった。
根拠があったわけではないけれども、話のはしばしから「このひと、趣味人なんだろうな」と思った。


次に壇上に上がったのは金元さん。

二十数年前、私はこのひとの立会い演説会で手話通訳をしたことがある。手話通訳者というのは命令されたら様々の政党人のところに出向くのです。あの時は演説会終了後、近くのお寺の境内で国政の話を数時間していたなあ。金元さんは勿論覚えていないだろうが・・。
それにしてもひさしぶりに見た彼女は体型がちょっと違っていた。


次に北信越比例ブロック候補者の山口さんが登壇したのだが、写真撮影に失敗し写っていなかった。山口さん、ごめんなさい。


最後は真打・市田さんだ。

書記局長という共産党の要職にあるひとだが、さすがに話が上手い。上手いの中身は、話の壷を心得ているということだ。知識の披露はレジュメや本で十分だが、声音が鼓膜を通りこしてココロに届くかどうかについては、ユーモアとかメリハリが問われる。

08/12/20 (土) 快晴の土曜日


私のプロフィルの5段目に「役職」という項目がある。そして「役職」⇒「ずっとなし」が私の履歴である。
10年間も議員をやってきて一度も役職についたことがないというのは私がバカだからである。それは当たっているのだが(ま、私は〇長と呼ばれるひとたちをそのポジションにいるという理由でエライと思ったことなど一度もないが・・)、
もうひとつ付け加えるならば「市政関係掲示板」を管理運営していることで何人かの(もしかしたら沢山の)議員から煙たがられていることがあげられよう。


さて
「芦原中の改修に伴う要望書」及び「中学校改修工事の木材利用に関する要望書
が12月議会の議員運営委員会を過ぎた後に提出されたものであること及び請願書ではなかったということがその対応に影響したという説明が議長からあった。裏をかえせば次の3月議会での対応になろうかと思うのであるが、それはともかくとして差出人不明で入ってきたメールにこういうのがあった。
「そもそもが意見書・要請書・請願書のタグイに対する対応は議運(議会運営委員会)で決めるものであり、説明責任も又議運委員長にある。その意味で今回の説明のカタチはおかしいのではないか」というものであった。

08/12/19 (金) 昨日の一日


昨日の全協(全員協議会)では、「民報あわら」を発行している山川知一郎議員と、このホームページに「市政関係掲示版」を貼り付けている私がやりだまにあがっていろいろ言われてしまった(・・笑・・)。


前に書いたことがあるけれども、この掲示版は私が町議になって数年後にスタートさせ
た。いろんな人たちが町政について気がついたことへの思いを書き込んでいた。
素朴だったこの掲示版の様相が変わったのは、中学校問題が浮上してからだろう。
さらに拍車がかかったのは、あわら市当局が「市民掲示版」を閉鎖してからだったろう。


私自身が頭のてっぺんから足先まで2校存続派だったせいもあり、
@この「市政関係掲示版」は2校派のための掲示版とみなされるようになった。
@脅迫めいた電話も受けた。
@「私を100条委員会へ」というキャンペーンもあった。
@あんなもん消してまえ。みんなに嫌われているぞと何人ものひとから言われた。


ひるがえって私は、「好き」と言われるのはウエルカム、「嫌い」と言われるのもウエルカム、無視されるのが一番困ること、と思った。
@公職についているひとが固有名詞で書かれても仕方ない。
@しかし、書かれている内容が事実無根・誹謗中傷であれば消す。 を座右の銘とした。


事実、抗議の電話を受けて消したのも4.5件はあったような気がする。
だけれども、事実無根・誹謗中傷であるかどうか管理者には判断できない書込みがあるのも事実だ。
だから、書かれた方が理不尽と思われるのであれば、先ず、書き手あるいは私に連絡してください。


・なお、昨日、不思議と思ったことの一つが、全協の内容を、私が、「市政掲示版」の書込み手にお知らせしていると、とられていることですね。


・山川議員の「民放あわら」通信や私の「市政関係掲示版」が議会の内部が不仲であるようなまとまっていないような印象を外に与えてしまうという意見があったけれども、これは一向にかまわないだろう。
行政と議会の視点が違うように、議員内部にも賛否いろいろある。議会は仲良しクラブではない。ある案件に対しての賛否はその記名が公表されてもかまわないし、そうあってしかるべきと私は思います。


・さて私は、昨日決心したことがひとつありますがそれについてはまた。

08/12/19 (金) 昨日の一日


昨日の全協(全員協議会)では、「民報あわら」を発行している山川知一郎議員と、このホームページに「市政関係掲示版」を貼り付けている私がやりだまにあがっていろいろ言われてしまった(・・笑・・)。


前に書いたことがあるけれども、この掲示版は私が町議になって数年後にスタートさせ
た。いろんな人たちが町政について気がついたことへの思いを書き込んでいた。
素朴だったこの掲示版の様相が変わったのは、中学校問題が浮上してからだろう。
さらに拍車がかかったのは、あわら市当局が「市民掲示版」を閉鎖してからだったろう。


私自身が頭のてっぺんから足先まで2校存続派だったせいもあり、
@この「市政関係掲示版」は2校派のための掲示版とみなされるようになった。
@脅迫めいた電話も受けた。
@「私を100条委員会へ」というキャンペーンもあった。
@あんなもん消してまえ。みんなに嫌われているぞと何人ものひとから言われた。


ひるがえって私は、「好き」と言われるのはウエルカム、「嫌い」と言われるのもウエルカム、無視されるのが一番困ること、と思った。
@公職についているひとが固有名詞で書かれても仕方ない。
@しかし、書かれている内容が事実無根・誹謗中傷であれば消す。 を座右の銘とした。


事実、抗議の電話を受けて消したのも4.5件はあったような気がする。
だけれども、事実無根・誹謗中傷であるかどうか管理者には判断できない書込みがあるのも事実だ。
だから、書かれた方が理不尽と思われるのであれば、先ず、書き手あるいは私に連絡してください。


・なお、昨日、不思議と思ったことの一つが、全協の内容を、私が、「市政掲示版」の書込み手にお知らせしていると、とられていることですね。


・山川議員の「民放あわら」通信や私の「市政関係掲示版」が議会の内部が不仲であるようなまとまっていないような印象を外に与えてしまうという意見があったけれども、これは一向にかまわないだろう。
行政と議会の視点が違うように、議員内部にも賛否いろいろある。議会は仲良しクラブではない。ある案件に対しての賛否はその記名が公表されてもかまわないし、そうあってしかるべきと私は思います。


・さて私は、昨日決心したことがひとつありますがそれについてはまた。

08/12/19 (金) 昨日の一日


昨日の全協(全員協議会)では、「民報あわら」を発行している山川知一郎議員と、このホームページに「市政関係掲示版」を貼り付けている私がやりだまにあがっていろいろ言われてしまった(・・笑・・)。


前に書いたことがあるけれども、この掲示版は私が町議になって数年後にスタートさせ
た。いろんな人たちが町政について気がついたことへの思いを書き込んでいた。
素朴だったこの掲示版の様相が変わったのは、中学校問題が浮上してからだろう。
さらに拍車がかかったのは、あわら市当局が「市民掲示版」を閉鎖してからだったろう。


私自身が頭のてっぺんから足先まで2校存続派だったせいもあり、
@この「市政関係掲示版」は2校派のための掲示版とみなされるようになった。
@脅迫めいた電話も受けた。
@「私を100条委員会へ」というキャンペーンもあった。
@あんなもん消してまえ。みんなに嫌われているぞと何人ものひとから言われた。


ひるがえって私は、「好き」と言われるのはウエルカム、「嫌い」と言われるのもウエルカム、無視されるのが一番困ること、と思った。
@公職についているひとが固有名詞で書かれても仕方ない。
@しかし、書かれている内容が事実無根・誹謗中傷であれば消す。 を座右の銘とした。


事実、抗議の電話を受けて消したのも4.5件はあったような気がする。
だけれども、事実無根・誹謗中傷であるかどうか管理者には判断できない書込みがあるのも事実だ。
だから、書かれた方が理不尽と思われるのであれば、先ず、書き手あるいは私に連絡してください。


・なお、昨日、不思議と思ったことの一つが、全協の内容を、私が、「市政掲示版」の書込み手にお知らせしていると、とられていることですね。


・山川議員の「民放あわら」通信や私の「市政関係掲示版」が議会の内部が不仲であるようなまとまっていないような印象を外に与えてしまうという意見があったけれども、これは一向にかまわないだろう。
行政と議会の視点が違うように、議員内部にも賛否いろいろある。議会は仲良しクラブではない。ある案件に対しての賛否はその記名が公表されてもかまわないし、そうあってしかるべきと私は思います。


・さて私は、昨日決心したことがひとつありますがそれについてはまた。

 08/12/18 (木) 無題

友人の奥さんが亡くなった。大学病院に私が入院していた時に、ロビーで旦那さんと出くわし、奥さんが入院していることを知った。
運転が自由にできるようになったらお見舞いに行こうと思っていた矢先のことだった。
まだ41歳だったという。あまりにも早過ぎる。  合掌

08/12/17 (水) リハビリ歩きをする前に

・きょうの午前中に議運が開かれる。そして明日は12月議会定例会の最終日でもある。考えてみるとというか考えるまでもないことであるが、今年も残り二週間を切った。
若かった頃、この季節は毎日雪が降り続いていた。しかし地球温暖化の余波を受け、雪のない年末年始を迎えるというのが近年の傾向となった。
今議会で、土木部建設課から「あわら市道路除雪対策基本計画」が配布され説明を受けた。基本計画の策定はとても大切なことではあるが、今後も雪のない冬が繰り替えされると、徐々に臨場感が薄らいでいく。

雪のあるなしで北国の生活は大きく変わる。勿論雪のない冬は大変に楽だ。しかしそういう時に近所の老人たちから聞かされるのが
例えば
「冬、雪が降って積もらないと地中の害虫が死なずに春がくる。そやで稲作や畑作に害を与えるんにゃ」であったり、「冬、雪が降って積もらないと住宅の基礎の下が雪の重みで締め付けられん。そやで、新設住宅の基礎が心配になるんにゃ」であった。


・今朝は寒かったので目が覚めても布団からは出なかった。「鉄道員」でデビューした自衛隊出身異色(つまり文弱じゃなくて文強だ)小説家・浅田次郎のエッセイを読んでいた。読んでいるうちに「ははーん、そうだったのか」と私にもうなづけるところがあったので、とりあえず書こう。
私が救急車で病院に運び込まれた去る10月の10日。傍らで私を見守る妻は「お父さあん・・私よー」と必死にうったえていたそうだ。意識の錯乱していた私の答えはしかし、「貴女は誰や?」だったそうである。記憶力の喪失によるものだとずっと思っていたのだが、70日を経過した現在、改めて考え直してみると、意識はそれなりに正常だったが視力が落ちていたのではないかと思う時がある。
つまりそのせいで、傍らにたたづむ女性が妻なのかあまたいるGFたちのうちの誰かなのかの判別ができなかったのではないか、と思う時がある。
・大根干しの風景

08/11/16 (日) 無題

本日の日曜日は、死んだ親父のお経をあげる日だということで、しばらくの間家に戻った。
やっぱり家が一番だ。ついでに日記を更新している。
学校問題に関しては、医科大病院に居た一ヶ月の間にもその進捗状況が着々と耳に入ってきてはいた。この論を進める上で一番大切なことは、今後数十年に渡ってその影響を受けるこども達にとってどうなのかということを考えることだ。
それにつきる。

 08/12/16 (火) 澄みきった朝空

・昨日の夜は誰も来なかったので、10時(私のもっかのところの門限)までCADと格闘をしていた。そのうちに気がついたのだが、机のまわりにゴミが落ちていると気が散る。勢い、整理整頓に意識がスライドする。
若い時、こんなことは無かった。生来の性格がどうであれ、歳を降ることで立居振舞の変わっていく部分がひとには沢山あるのではないか、と思ってしまった。

・年賀状発送の時期となりましたが、去る10月に親父が亡くなった我が家の場合、年賀状は発送されません。不義理のような気分が出てきてしまいますが、そういうことですので、よろしくお願い申し上げます。

・今朝は坂井市三国町陣ケ丘で、設計の打ち合わせをしていた。牛や鶏の鳴声をBGMにした打ち合わせだったが、空気が澄んでいるのが何よりもいい。そういうところに居ると、体力がどんどん戻ってくるように感じられる。
昼からも用事が満載だ。退院して日常が普通になるに連れ、依頼なども又普通になってくる。

・本日の午後、私の事務所には6名の知人が集まった。今開会中の12月議会を巡っての討論の場となった。丁々発止の場となった。
そういえば、一昨日の晩には某市議の自宅に行ったし、昨日の午後は某行政職の自宅に行って、話しこんできた。話は大切だ。話をすることによって、ことの展望と限界がみえてくる。


08/12/15 (月) 常識について

・常識がいつも多数の側にあるかというと簡単にそうは言えないぞと、私は思うのである。
そう思ってしまう自分こそ常識が無いのだろうか。あるいは入院している間に常識を無くしてしまったのだろうかとも思うのであるが、とにかく今の私にはそういうことが目に付いて仕方ない。
個人的に話のはしばしで感じるものと、公的なところで表明されるものとの間に、乖離を感じてしまうのである。

・「常識について」を鋭く語ったひとのひとりに故・小林秀雄氏がいるが、彼は「数の夥多で常識が作られているのではない。語ることが平易でかつ誰に対してもあるいはどこの場所でもつまり時空間的に首尾一貫性があるかどうかに常識というものの大切さがある」と説いている。


うらうらに照れる春日に ひばり上がり
 心悲しも 独りし思へば

と万葉集に唄ったのは、集を編纂した大伴家持である。
8世紀の日本人・家持のなかに既に20世紀人間の個我が胚胎していたとしゃべる詩人もいたが、それはともかくとして昨日の午前中は小春びよりだったので、私は玄関先でひなたぼっこをしていた。
そこへ知人親子が現われた。
「福井新聞の一般質問の質問者欄に牧田さんの名前がなかったので、お体がまだ悪いのかと思いながら来ました」と言われた。
「うーん・・・情報の選択肢にはいろんなかたちがあるもんや」と、私は妙に感心してしまった。

 08/12/14 (日) 日曜日の朝

「言語にとって美とは何か」や「共同幻想論」で有名な、というよりも、今は吉本ばななのお父さんとして有名な吉本隆明氏が久し振りに新刊書を出した。
「「芸術言語論」への覚書」のなかの「日本の神話的伝承と古謡との結びつきは、いちばんわたしなどの関心をひくところだと言っていい」という文言で始まる「神話伝承と古謡」・・・」の記事を朝日新聞の新刊書紹介コーナーで読んだ。

二ヶ月前に脳内出血で倒れた際に言語感覚を完全にマヒさせてしまった経験を持つ私は、リハビリの過程で言語の重層性を考えざるをえなかった。そしてそれは上述のように、言語のプリミテイブ性を考えることでもあった。
実際には買って読んでみるしかないのだが、「ふるさとは遠きにありて思うもの そしてかなしくうたふもの・・」的に室生犀星調で言うならば、「書きものは図書館に行きて借りるもの そしてかなしく開くもの・・・」を座右の銘としている私は、当該図書を開く日が遠いと言わざるを得ない。 

08/12/12 (金) きょうは教育厚生常任委員会

・昨晩は坂井地区介護保険連合の運営協議会が開かれた。
橋本連合長の冒頭挨拶に介護ワーカーの報酬3%アップ決定の話が出てきた。
介護ワーカーの報酬の低さは何年も前から業界不安定の要因として指摘されていた。3%のアップ額で十分であるかどうかは別として方向としては当然だと思う。

ただしその後の議題の「第4期保険事業計画の策定状況の概要」についての中で、介護保険料引上げの項があったので、受益者負担的にリンクしているのか?と事務局に問うたところ、答えは「ノー」で¥1200億円を別財源から政府が補助するというものであった。

・私の最近の門限は午後10時である。即ち10時までは事務所にいて、所用に向かったり来訪客と相対したりしているのだが、おじいさんの古時計が「ぼぼおおーん ぼぼおおーん ぼぼおおーん」と十回なった時点で自宅に戻り、さっさと寝てしまう。そうすると朝の4時過ぎには目が覚める。6時間も寝れば充分だ。
ところがこの時間帯は一日のうちで一番冷え込む時間帯である。妻が「動くな」といさめる時間帯である。布団のなかで本を読みながら夜明けを待っていればいいのだろうが、しかし貧乏症の私にはなかなかそれができない。

08/12/11 (木) 帰宅して

・最近ずうっとだったんだけれど、スキャナーの調子がおかしい。そこで、昨日、スキャナーをIT家電専門店に持っていったら、「基盤を取り替える必要があります」と言われた。メーカーへ送らなければならないので一週間ほどかかると言われた。普通ならば別に構わないのだが、今は議会開催中である。このHPにアップしたい資料も当然出てくる。
「困ったなあ」と思いながらIさんに電話をした。「予備のスキャナーがある」という返事で、すぐに事務所まで持ってきてくださった。予備のスキャナーを持っているひとなど普通は居ないと思うのだが、世の中にはいろんな人がいる。

「世の中持ちつ持たれつ」というと聞こえはいいが、私の場合は、いろんな人に迷惑をかけっぱなしできょうまで生きてきたんだろうなあと恐縮している次第です。
・午前9時半から始まった産業建設常任委員会は午後5時に終了。市庁舎をでるとしとしと雨が降っていた。夕刻の空は既に冬空だ。
午後7時15分から、坂井市坂井町上兵庫の「坂井地区介護保険広域連合」に於いて、運営協議会が開催された。
運協を終えて退出する際、介護保険連合事務局のひとたちに、長期の入院で迷惑をかけてしまった謝罪を申し上げた。階段を下る時にわずかではあるが頭にふらつきを感じた。ふらつきは徐々になくなっていくだろう。
午後9時前に帰宅しドライブモードにしておいた携帯電話を覗くと沢山の着信・沢山のメールが入っている。そのあと同僚議員とながい電話をしたが、あわただしい一日だった。

08/12/10 (水) とても暖かい本日

皆さん、おはようございます。ただ今、午前5時です。
さて
昨日の議会は全協(全員協議会)から始まりました。そしてその全協に於いて、ふたつの要望書が配布されました。芦原中の改修に伴う要望書中学校改修工事の木材利用に関する要望書です。
私は大変に重い要望書だと思います。


本日10日は総務常任委員会(午前9時半から)
明日11日は産業建設常任委員会(午前9時半から)
明後日12日は教育厚生常任委員会(午前9時半から)が、市庁舎3階・委員会室で開かれます。
議会事務局での受付は必要ですが、傍聴自由ですので、時間のある方は是非どうぞ。
さて
昨日の一般質問には9人の議員が立った。それぞれの質問と理事者側の回答をメモしたので、いずれ私なりの感想を書こうと思うのだが、公共下水道の進捗に関する北島登議員の質問とそれに答える土木部長のやりとりも印象に残ったもののうちのひとつであった。
四季の移り変わりを眺めることが出来るのは生きる喜びであると先ず思った。少量のお酒を口にすることができるのはいわゆる日々の楽しみのひとつであると次に思った。そうこうしてしているうちに日常性が戻ってくると、集落間に投げ捨てられている空缶やゴミの汚さが目についてくる。本日の昼、見知らぬおじさんと花乃杜のある場所でゴミ談義をしていた。

08/12/09 (火) 昨晩のこと

・昨日の日記で、えびす講のことををウイキペデイアから貼り付けた。そのあとを書こうと思っていたのだけれども、次から次へと用事ができあるいは来客も多く、そのままに夜となりえびす講の会場へと向かった。


会場には知った顔もたくさんあった。入院で迷惑をかけたおわびを兼ねビール瓶を持ちながらた挨拶に廻った時、「ブログを読んで今晩会えると思っていた」と言われたり、「中学校問題が出発した時からブログを読んでいる」と言われたりで、「結構じかの知り合いで読んでいるひとがいるんやなあ」と思った。


私自身はわりに単純で思うことをすぐ口にする性格なので、嫌うひとも多いと思う。
そしてそれを感じた昨晩でもあった。
そういう時、「好意は勿論ウエルカム、悪意もウエルカム、無視が一番つらい」と言った故・開高健の生前の言葉を思い出す。


自分を主張するということで相手に不愉快を与えるということはいくらでもある。
それが嫌ならば黙っていればいいのだが、それでは自己欺瞞となってしまう。
いいこになるということは、多分そういうことだろう。


・本日は、「一般質問」の日です。名議員の質問通告内容については「あわら市」のホームページから引き出すことができます。
私も気になることがあって、そのテーマに沿った一般質問をしようと思っていたのだけれども、タイミングの問題で止めることにしました。
一般質問をしないのは久し振りという気もするのですが、体調のことも考慮しなくてはと思った次第です。

・一般質問のあと、広報編集委員会が開かれた。終了後に事務所に戻ったら、Sさんから電話が入った。「いろいろ話したい。事務所で待っていてほしい」というものだった。
6時半にSさんの車が事務所前に到着。寿司屋とスナック一件を廻った。いろんな話に花が咲いた。
日一日と日常に戻っていくような気がする。

08/12/08 (月) 本日は月曜日


きょうの晩は、えびす講が芦原温泉で開かれる。


ウイキペデイアには
「えびす講(えびすこう)は、地方により異なるが、主に10月20日・11月20日などに催され、神無月に出雲に出かける時期に留守を預かる留守神として竃様(かまどのかみ)をまつり一年の無事の感謝やまたは魚や根菜を中心とした青物が、決まって売られていたので、農業や漁業の神として五穀豊穣、大漁祈願を願っての民間行事または秋祭り。
古くは数多くの各家庭や社寺で行われていた年中行事であったが近年は自治体の人手不足や高齢化により地域によっては活発に行われなくなり縮小又はまったく行われなくなっている所も数多くある。
年のはじめに行われるえびす講として1月10日の前後3日または15日に福神・商売繁盛の神であるえびすを祭神として行われる神社・寺の祭事。えびす祭・十日えびす・えべっさんとも言う。近畿地方や四国、名古屋で行われるものが有名だが、関東や九州などでも行われる。 商売繁盛を祈願して、たくさんの縁起物を飾った福笹が買い求められる。この福笹につける縁起物は神社から授与されるもので「吉兆」と呼ばれる。なお、笹は孟宗竹の枝を使用したもの。
又、福神・商売繁盛の神であるえびすに因み、商業者や団体による祭りが全国各地で広く催されている。」とある。

08/12/07 (日) 寒い朝

・早朝4時30分に起床。外に出ると、駐車場は、どの車も屋根がうっすらと雪化粧して、空気は凛としている。
事務所に入り、珈琲・ブルーマウンテインを沸かした。
熱々コーヒーを口にしながら新聞を開くと、第一面大見出しは「千葉女児死体遺棄・近所の21歳男逮捕」とある。
数ヶ月前に起こった5歳児殺傷死体遺棄の有力容疑者特定逮捕の記事だ。月並みな言い方しかできないが、未来ある小さなこども達が犠牲者となる事件が相次いでいるのは何とも痛ましい。
この事件に関しても、本日からTV芸能評論家たちがソープアワーでしゃべりまくるだろう。事件の背景と称して、本人の日頃の生活態度・友人達の印象・家族関係などをしゃべりまくるだろう。


@それが、殺された本人・残された親御さん達遺族への本当の意味での鎮魂となるのか。
@それが同種の犯罪に対する抑止力となるのか。
ということについて、私は懐疑的である。


・本日は親父の49日ということで近い親類が集まった。まことに「光陰矢の如し」である。
読経の後、酒宴の場に移った。そこで喪主としての挨拶をした。親父の葬式の時には病院で格闘中だった私だけれども、長男としての勤めをやっと果たせたか、と和らいだ気分になることができた。妻にコップ一杯ビールを注いでもらった。そのコップ一杯のビールで私は酩酊状態となった。

08/12/06 (土) 昨日の一日

・昨晩は何人かの来客で事務所は賑やかだった。
発作後ほぼ二ヶ月を経過し退院後の回復も順調なので元の生活が近づいているといえる。


立花隆に「臨死体験」という、この世とあの世の境を行き来したひとたちからの聞き書きを集めた著作があって、この本を私は10年ほど前に大変興味深く読んだ。
そしてつい二ヶ月前に私も幽体離脱というこれも一種の臨死体験を経て、人生観が変わった。少なくとも変わったと自分では思っている。

その変化はとても感覚的なものなので言葉で言うのはむつかしいのだが、ひとはいつも生死の境を歩いていると思うようになったこと。それ故に相手を判断する時相手が自然体であるかどうか正直であるかどうかが、軸足を重ねる重ねないの選択肢となってきたこと。おおざっぱにはそういうことがいえそうだ。


・昨日の昼過ぎに昔の仕事仲間から電話があった。
「聞いてびっくりしたんやけど、大変やったんやなあ。後遺症が残らなくて良かったなあ」と言う。
その人は8年前に私と同じ発作で倒れたのだが、出血場所が私よりはるかに大きく、よって今現在も大きな後遺症を残している。
ながい会話のあと、「失った機能を嘆いても仕方ない。残されている機能を磨くことにかけるだけや」という文言を残して彼は受話器を置いた。


・12月議会で提出されてきた議案書の内容にわかりにくい部分があったので、夕刻に、あわら市庁舎へでかけた。5時前であるのにあたりは既に暗くなり始めている。加えて12月の雨は冷たい。
担当課での話を終えて市庁舎を出た時には、あたりが真っ暗だった。



・坂ノ下八幡神社の秋景色

08/12/05 (金) 本日思ったこと

・本日の福井新聞に、「ろう学校野球部実録番組上映」の記事が出ていた。
あることがきっかけで手話をやり始めたのが確か1974年か75年だったと思うので時代は重なっているし、事実その話を何度か聞かされたことがある。あるいは当時の野球部のメンバーの何人かを知っている。
興味のある方は、是非足をお運びください。
ところであの頃はインターネットや手話放送もなくて、その広がりが今日(こんにち)とは全然違っていた。隔世の感があります。


・今年の3月議会で、坂井地区介護保険広域連合をはじめとした一部事務組合の共同事務処理化に向けてを私は一般質問した。その進捗状況を12月議会で一般質問しようかと思っていたのだけれども、結局止めることにした。
自治体を超えることについては、責任を持って答えることがなかなかむつかしいらしいのである。
周囲のひとたちからも「血圧が上がるのだから今回は休んだら」と言われた。

08/12/04 (木) ふと思ったこと

・10月10日以来55日間、煙草を一本も呑んでいない。呑みたいと思ったこともない。
入院中に呑まないのは当然である。しかし、退院後、談笑相手が目の前でスパスパとやっていても、呑みたい気持ちが全く起こってこないのだから、どうやら禁煙は成功したみたいだ。
一日三箱というヘビースモーカーであった私、喫煙歴40年プラスアルファだった私であることを考えると、朝陽を浴びながら一杯の熱々コーヒーだけで泰然自若としている自分が不思議に思えてもくる。

一方で煙草税¥2億弱/年はあわら市にとって貴重な財源となっている。すみわけをきっちりとやることが大切ではあっても、煙草を呑む呑まないは、自分自身の問題である、と思う。


・福井県議会の録画中継(インターネト)で県民連合・鈴木宏治議員の一般質問を聞いていた。「団塊ジュニアの世代」という言葉が頻々と出てくる。
「団塊ジュニアの世代」という言葉の母体が「団塊の世代」にあることは明白であり、例えば昭和24年生まれの私などは典型的「団塊の世代」である。


先る10月の20日に天寿をまっとうして亡くなった親父は、太平洋戦争で捕虜となり、昭和20年8月15日の敗戦後、フィリピンの捕虜収容所から日本に帰ってきた。
銃後の皇軍兵士として敗戦を迎えたお袋と見合い結婚をし、私と私の妹を産んだ。
余談だが、私はそれはそれは可愛い玉のような赤ちゃんとして敦賀気比の松原近くで生まれたそうである。
幼少の頃はみな貧乏だった。買物のあてがわれなどなんにもなく、遊びといえば、近くの小川での鮒獲りや山の中でのチャンバラだけだった。
そしてマッカイサーイズムというかアメリカ製民主主義が学校で教える教育の指針の根幹であり続けた。
高一の時に東京オリンピックが開かれた。その年に開業した東海道新幹線に象徴される高度経済成長の波に乗った我が日本国は高度経済成長の道をひたすらつき進む。
60年代終わりは全共闘運動などで政治の季節を迎えるが、この運動もあさま山荘事件や連合赤軍事件を境に急速に衰退していく。その過程で三島由紀夫の自決事件などが起こった。
高度経済成長のつけは70年代の前半に次々と出てきた。例えば水俣病の生き地獄などは我々の脳裏に新しい。
そして日本の高度成長もついにはバブル崩壊となってこんにちを迎えるのであるが、(浅田次郎が常日頃言っているように)、我々団塊の世代はその一生のなかに、平家物語の冒頭=祇園精舎をみてきているような気がするのである。

 08/12/03 (水) 午前4時起床

・本日の福井新聞<「芦原中体育館 改築を」市内6中PTA 市長・議長に要望書>の記事を読んで、胸がしめつけられる思いになった。
先月の臨時議会に於いて我々6人の体育館改築派は負けてしまった。議会意思はひとつということを考えると、こども達に対しては大変申し訳ないという思いでいっぱいだ。ただ、議会多数派が何故改築を許さないかということの理由については私のなかで今だ納得できていない。
臨時議会のあとのそういう状況のなかで、縛りなどの裏側を知らせる来訪や電話が何件かあった。段々広まっていくだろうと言われた。
私は一介の議員でしかないので、これ以上言うべき言葉を持たない。ただし、こども本位で考えなければならないことに他の要素が入ってくるとものごとがおかしくなるわからなくなるのが道理だ、とだけは思う。

・本日の午後、リハビリを兼ねて図書館へ行った。倒れたのが10月の10日なので、借りていた本の返却期間がとっくに過ぎていたのである。ついでに別の本を借りた。小説は筋を追うのにエネルギーが要るので、好きな小説家の随筆ばかりを都合6冊借りた。
帰りに金津中学校に寄った。校長とは(当たり前だが)久し振りだったので、話もはずんだ。少しずつ元気になっていく。
事務所に戻ると、時計はもう5時前をさしている。

08/12/02 (火) 昨晩の夜空

・昨晩の10時すぎだったか、所用を終えて事務所から自宅に戻る折、夜空に不思議な光景を見た。三日月と木星と金星が並んで鎮座ましましているのである。こういう風景に出会う時、私は大変に得をした気分になる。

・本日の午前9時30分から12月議会定例会が始まる。実際問題として議員の仕事は多種多様なので議会開催中であってもそうでなくても気分的にそれ程ではないがそれでも幾分シャキッツとする。
昨日、「議会報告」に提出議案一覧表を貼付けましたが、当然のことながら議案書そのものはぶ厚くてここに貼り付けることができない。閲覧ご希望の方がいらっしゃれば御来訪されるなりご連絡されるなりお願い致します。

・議会が午前中で終わったので、午後は、しばらくの間、山間部のドライブを楽しんだ。清滝ダム湖を囲む山々の紅葉にみとれた。東山大堤のほとりを散策した。


周囲の人たちから「まきちゃん、すごくやせたな。」とよく言われる私は、東山大堤のほとりで車の運転者にスナップを撮ってもらった。自分で言うのも変だが、精悍になってきていることの真実味が写真でもよくわかる

08/12/01 (月) きょうから12月

・医大に入院していた時はメッシュの入ったガラス窓を通して、白山連邦を飽かずに眺めていた。なんせパソコン使用不可なので一日を通してやることといったらリハビリ以外には、読書・雑談・散歩くらいのものである。本の差し入れをしてくださったSさん、どうもありがとうございました。
山は景色そのものがダイナミックなので移ろいも又新鮮だ。よくみていると日々に変化しているのがわかる。そして変化することこそが生きている証しだと思ってしまうのである。



・暦はついに12月となった。せわしい季節がきたという思いが強い。定例議会があるのに加えて忘年会シーズンとなったからだろう。
今年の私の場合、行事での外出はできるだけ控えるように主治医から言われたし家族から言われているし、又、私自身もそう思っている。そういえば昨晩は糸川さんを囲んでの忘年会があったことを、きょうのHさんからの電話で聞いた。一週間ほど前に秘書の方からいざないの電話を頂いたのだけれども、言うほうも言われるほうも独特の言い回しとなる。「無理にはお薦めできないのやけど」vs「行けたら行きたいけどねえ」となるのである。
ま、少しずつ社会復帰していくということか。

・明日は議会初日だ。そして一般質問通告の締切日でもある。一般質問はこのところいつもしてきているような気がする。するかどうか、するとしたら何をテーマにするか、今晩じっくり考えよう。