2009年01月

09/01/31 (土) きょうの夜は久し振りの飲み会であります


★ 昨夕は久し振りに金津中学校の職員室にいた。
正確に何年前だったかは忘れたが、十数年前に私はこの中学校でPTA会長をしていた。その頃、週のうち半分は学校に顔を出していたのではないだろうか。何故か一生懸命だった。
今はその時の職員の殆どは居ず、顔見知りはせいぜい数人である。
そのうちのひとりの女性職員と、ストーブに手をかざしながら四方山話を楽しんでいた。


ガラス越しに廊下を歩く生徒たちが見える。
私が中学生としてこの学校に在校していた昭和38年の冬、いわゆる38豪雪があった。除雪のために陸上自衛隊隊員が来福し確か体育館に泊まっていた。あの頃は今と比較にならないくらい降雪量があった。
ガラス越しの生徒たちを見遣りながら四方山話をしながら、私はそういうことを思い出していた。


★ 本日の福井新聞に辺見庸が出ている。著書「もの食う人びと」で有名になった小説家で、何年か前に県教祖が主催する彼の講演を聴いたことがある。
その時は話しぶりに何がしかの異和を感じ、「やっぱりもの書きの主張は本自体で味わうべきや」と思ったものであるが、後に彼が病魔と闘っているということを仄聞した。
新聞の写真では元気そうに見えて、「もう回復したのならよかったよかった」と私は密かに思ったのだが、さて彼の「時代の実相についての見解は」といえば相変わらずペシミステイックである。
聴き手の「オバマ新大統領をどう見るか」という問に対して、「期待していない。オバマ政権は基本的にクリントン(元大統領の)ファミリーが支えている。彼らはイスラエルと非常に仲がいい。ガザ虐殺も反省しないのではないか。人々は少しずつ失望していくだろう。・・後略・・」と答えている。
私が講演を聴きにいった時、東欧紛争で米軍が使った劣化ウラン弾を会場内のみんなに回して見せてくれた程の人権主義の一面が面目躍如としてあり、現実の政治家がものごとを比較級で考えるのに対して、小説家や思想家は自分の持つ根本原理に照らして言葉をつむぎだす、ということがよくわかる。


★ あっと言う間にもう土曜日だ。市役所に行かなければばならない用事が何件もたまってしまった。その用件を整理するために文具が必要となり、買物のために外へ出た。
先日、私の家の近くに大型店舗ができたので覗いてみると文具も置いてある。ないまぜに何でも置いてありはなはだ便利ではあるが、町のお店屋さんにとっては当然脅威だ。福井市にピアができた今から30年ほど前が(私は建築監理で一年間工事現場に通った)、大店舗規正法の撤廃された時だったと思う。

09/01/30 (金) きょうから60歳 


★さて、私は昨日で50歳代に別れを告げ、きょうから60歳代を歩み始めます。


昨日は、午後2時から5時半まで、坂井市の広域連合・2階審査会室で「第4回介護保険運営協議会」に出ていましたが、我々団塊の世代は高齢者率の上昇に一役も二役も買っているのだと自覚した次第。
これは今回感じたことの特徴のひとつで、40歳代⇒50歳代への転換の際には決して思わなかったことです。


★昨日の朝、あまりにも天気がいいので北潟湖へ車を走らせた。湖畔に車を停め水面を眺めている時、携帯電話が鳴った。
「事務所の前で待っている」という知人の声だったので急遽事務所に戻った。
熱い珈琲をすすりながら「6月の市議選に向けて迷っている。出るとしても従来型の選挙戦はしない」と言っていた。
従来型とは、特に郡部に特徴的なもので地区協定を結んだしめつけ選挙のことを言うのだが、議員報酬は市税が財源となっているのだからそれを敷衍すれば、議員が地区代表になるのはとてもおかしいことだと思う。これは住む地区が好きだとか嫌いだとかとは次元の違う話ですね。


★志賀直哉を師事した阿川弘之の随筆集・「故国黄葉」を今朝の寝覚めの布団のなかで読んでいて痛快に思ったエピソードがある。「提督が喧嘩をした話」(初出は文芸春秋平成八年八月号)で、こういうのを読んでいると、硬骨は魅力的だとつくづく思ってしまう。

 09/01/29 (木) 誕生日を明日に控えて


★さて
昨年末からこの一ヶ月間、直接顔付き合せて・メールで・電話であるいは路上で、見知った方からの見知らぬ方からのさまざまの貴重な御意見、本当にありがとうございました。
現職議員というのは既に単なる個人ではないのだということを、痛感しました。


私はどちらかというと軟弱型なのですが、傍目にはどうも硬派と思われているみたいで(ま、硬軟ないまぜが人間の実相ですが・・)、今度の選挙に出るべきだと名層の人たちから言われました(反対はとても少数でした)。不思議なのは、何人かのひとから「もう、まきちゃんは出ないという噂がある」と聞かされたことで、自分が全く言ってもいないことをそういうふうに噂されても、自分ではどうしようもない。噂ほど無責任なものはない、というところでしょうか。
体力は十分に回復しました。チャレンジさせていただきたいのでよろしくお願いします。


★久し振りに「市政関係掲示版」を覗いてみたんだけど、以前の約束を破ってハンネ変更で書き込んでいる方がいらっしゃいますね(・・笑・・)。


09/01/28 (水) 昨晩


★昨晩は、連合福井・坂井地協の旗開きが三国観光ホテルで行なわれた。



車で行ったので、懇親会が始まってももっぱらウーロン茶を飲んでいたのだが、大勢の参加者のなかに旧知のひとを発見。
「飲まないからわたしが送っていくわ」と言われ、急遽ビールに切り替えた。
飲んでみると厳寒期のビールもうまいものだ。冷たさ自体に味がある。
私の横の席は社民党福井県連合代表の方だったので、社会党から社民党への流れをずっと聞いていた。
聞いているうち若かった頃のある出来事を思い出した。
某建物の工事監理のさなか、国政選挙が行なわれた。施主から「牧田はんはどの党にいれたんやの?」と聞かれたので「〇〇党です」と答えたら「自民党にいれないなんて貴方は非国民や」と一喝されてしまった。「非国民」というアナクロな言葉の響きにも驚いたが、「自民党にあらずんば人にあらず」が世の風潮なのかと強く思い、その後10年程前までは自分が支持する政党名あるいは候補者名を人には言わなかったなあ。


★午前3時に目が覚めた。
事務所前の通りはうっすらと霧がかかっている。ファンタジックだ。
「街灯がガス灯だったらまるで異国なのだが・・」と思いつつ、通りをしばらくの間歩いた。景観のちょっとした変化に感動してしまうほど繊細な神経になっている昨今の私である。

09/01/27 (火) うっすらと夜が明けてきた


★本日の福井新聞朝刊一面に「特養待機38万人超」の見出し記事がある。
今度の「坂井地区介護保険広域連合運営協議会」に備えて「介護保険第4期事業計画の諮問に係る計画書」が送付されてきたところでもあり、又、前回の広域連合議会でこのことについて一般質問をしたので、注意深く読んだ。


介護は在宅が一番いい、とひとまずはいえるだろう。事情が許さない場合は施設介護となるのだが、国はユニットケアを施設介護の前面的な方針としてきた。
被介護者の自由・尊厳をファーストプライオリテイとする意味でユニットケアの大切さはわかる。わかった上で、しかし全ての被介護者にそれが当てはまるものでもないだろう、と私は思うのである。 


★昨日夜の集まりで、商工会やJAが自民党の為の集票マシーンになっているという意見が出てきた。純粋民間の機構なのであればどうでもいいけれども、自治体などから補助金をもらっているのであれば、(いくら与党だからとはいえ)特定政党への肩入れはおかしいだろう。   

09/01/26 (月) きょうから新しい週だ


★昨日、屋外メダカ水槽の水替をしていた時、通りかかった車から「おおおーい、まきたあー」と声が飛んできた。振り向けば金中時代の同級生で、昨日ビッグビジネスを定年退職し故郷へ帰ってきたとのこと。
今年の各地区行政連絡員名簿を見ても、確かに中学校の時の同級生が多くいる。つまり昭和22、23、24年生まれのいわゆる団塊の世代がセミリタイアあるいはリタイアする歳になってきたということだ。
坂井地区介護保険連合から、今度の運営協議会で協議される予定の「介護保険第4期事業計画の諮問に係る計画書」が送付されてきたがその中にも
<・・・第1次ベビーブーム世代(昭和22年から24年生まれにいわゆる「団塊の世代」)が高齢人口に加わる平成27年には、世界でも例を見ない「超高齢社会」が到来することが予想されます。>とある。                                         いろんな意味でこれからの高齢社会の象徴となるのが「団塊の世代」なのである。そして養老孟司がいつも言っている 「現代版参勤交代制」の実現が高齢社会の矛盾解決実現に一役買うのではないか、と私は思うのであります。


★きょうの午後、K病院へ受診に行った。私が福井大学医学部病院に入院していた 時の主治医が来ていたからである。                                       

「やあ、お久し振り。時々ホームページを見てますよ」で会話は始まった。
私が大学病院に入院したのは3、5ヶ月前である。「こういう病気はね。治っても鬱的感覚が続きます。完全回復には5ヶ月が必要です。その時には単に回復するだけではなくて、経験してよかったという思いになります」と言われた。


私はもともとの性格がネクラである。それに上述の医学的必然性が加わればマックラになるのも当然である。煙草をすっかりやめた私の唯一の憩いは一日一合の酒だけだ。
しかしやね。
先日某医師が持ってきてくださった地酒銘酒を妻は自宅に持って帰ってしまった。
「お父さん(私のこと)は自己申告で嘘をつくひとや。実際に何合飲んでいるかわからない。
これからは、私の前で飲みなさい。ずうっとそうしろと言っているのじゃありません。体調が完全に元に戻るまでの間だけです」と言われた。
うーん・・・私はこの最後のセリフに配偶者の愛を感じて、悩むのである。
愛には、「人類愛」「

09/01/25 (日) 日曜日の朝


★今朝は今年一番の寒さだったらしい。
午前5時に目が覚め事務所に入ったのだが、うっすらと雪化粧した路面は凍ってカチンカチンだ。20mゴムホースをガス給湯機に繋ぎ家族の車のフロント部分に給湯した。寒風が頬にあたり冷たいのだが気持ちは凛とする。引締まった気分になる。
「来週は予定満載で忙しい。そのためにも、きょうの日曜日はゆっくり羽根を伸ばしておこう」と私は思った。


★さて
このHPのクリック数総計Σ43万が近づいている。
最近、街で出会うひと達からHP日記について聞かれることがよくあります。読者数が増えてきているのは大変ありがたいことだし、「継続は力なり」だけを信じて、今後も書いていこうと思っています。
高踏的なことを書く能力は無いので、半径20km以内で自分が自分の目でみたこと、自分の体で感じたことだけを書いていこうと思ってます。


★今朝、坂ノ下区老人会で挨拶をさせていただいたあと家に帰りテレビをつけると佐藤優氏が出ていた。元外交官。ロシア情報収集・分析のエキスパートとして活躍「戦後最強の外交官」「外務省のラスプーチン」などの異名をとった。2002年、背任容疑で逮捕。無罪を主張するが1審で有罪判決、2審で控訴棄却、、事件の内幕や背景などをつづった著書『国家の罠』を出版。母親は沖縄県久米島出身である。1991年、日本が独立を承認したバルト三国に政府特使として派遣されてきた鈴木宗男の通訳と車の手配などを佐藤がおこなった件を機に知り合い、鈴木と関係を築く。


その鈴木氏の講演を私は去年聴いたが、世間の評判とは全然逆に感じられた。記憶力抜群で、「政治家に必要なものはいろいろあるが記憶力もその一つだろう」と私は思った。

09/01/24 (土) 夜明けにしょうが湯を飲みながら


★さて、寝違いの症状がなおって、私の体はほぼ完璧に回復した。健康でいることができるというのは、何をさしおいても嬉しいことだ。
昨日の夕刻には尊敬している人の御宅へ出かけ、今後のことをいろいろ相談。
その間に「今から事務所へ来る」というOさんからの携帯電話が鳴って、私は事務所に戻った。
昨晩の来客は三人。その間に電話もありメールもあった。我々がこのしゃばに生きているという理由は幾つもあると思うけれども、一番の理由は人間ネットワークであることをひしひしと感じた昨晩でした。


★椎名誠の「たき火をかこんだがらがらどん」を読み終えた今朝、自宅裏の竹田川河畔にたった。去年までならば独煙草・「ゲルベゾルテ」にジッポーで火をつけ大きく吸い込むところだが、禁煙に成功した今は腕組みをして水もを眺めるばかりである。


椎名もそうだが、立松和平や隣の由紀さん、三国の某住職、昔の私のGFなどインドの旅を楽しむひとは意外と多い。かの国の悠久さに惹かれるのだろうが、それ以上に大きいのがガンガー(ガンジス川)の存在だ。
川を聖地とすることで自然に対する畏敬の念が大きくなるのだろう。我らが竹田川もそうなってほしいと私は思った。


★こういうメールが入ってきた。
牧田さま
 ごぶさたしています。
現在、えちぜん鉄道のLRT問題に取り込んでいます。
 
新聞等でご承知のように、福井都市交通戦略協議会では西武の前のひげ線を延伸する形で福井駅前広場にえちぜん鉄道を乗り入れして、三国芦原線のルートを変更することを決めました。県ではこれを元に都市計画の変更を行おうとしています。しかし、これには沿線のあわら市、坂井市の予算市支出を含めた合意が必要です。先生もご承知のように元々高架で福井駅に乗り入れすることが決まっていたものを、新幹線誘致の為に在来線とえちぜん鉄道が1線ずつ減らされたわけで、その代替案で突然LRTによって福武線に乗り入れる案が浮上しました。この経緯については電車好きの方々からも疑問の声が上がっています。
またこのたび、市によって選任されたLRT派推進派が圧倒的に多い協議会で、まちづくりとの整合性、需要計画、採算性、今後の新幹線開業などでの需要増加に対応できるかなどの検討も行われずに、地元の反対を押し切って決定しました。これについてもLRTを推進する立場の方からも心配の声が上がっています。

http://d.hatena.ne.jp/Cat-Tram/20090116#c

 

私も協議会委員です。電車のセイフティネットとしての重要性は理解しています。しかし、目標、目的、需要予測、採算性(沿線の行政がこれからも支えきれるのか)、まちづくりとの整合性なども検討されず、坂井郡の両市の合意を得て速やかに都市計画決定するという方針には納得がいきません。

LRVは1両が2億円を超える高価で高性能な電車です。福井市だけで80億円とも言われていますが、それで何が向上するのでしょうか。

・福井駅〜三国駅までの時間短縮が図れるのでしょうか?

・朝夕の渋滞?が緩和されるのでしょうか?

・CO2の削減につながるのでしょうか?

・沿線の駅周辺の交通拠点の開発が進み、昼間、夜間人口が増えるのでしょうか?

・高齢者の事故が減るのでしょうか?(バス路線はどんどん減っていきます)

福井大学の川上教授は「供給を過多にして需要を喚起する」と言っていますが願望であり実現は難しいと思います。

 

私は次の案を提示したいと思います。

1)料金の引き下げによって乗客を増やす

2)低床化(中古でも可)して今まで通り福井口経由で福井駅に直結させ、容量の足らない分を田原町から乗り入れる(県庁、市役所、仁愛高校の通勤通学の為)

福井鉄道も福井新駅付近から在来線の1線に乗り入れ、高架でもえちぜん鉄道と相互乗り入れをする

 

江端〜新田塚の20分間隔のシャトル運行は需要がおきるとは思えません。

福井〜三国湊間の20分間隔は結構ですが、車両が小型化して(123人→90人程度)一度に乗れない乗客が出ます。

市役所前〜西口駅は単線で福井鉄道と双方で利用するため増便できません。ピーク時の便数が減ると言われています。

 

手段が目的化していると感じます。あわら市にとってプラスとなるかどうか是非ご検討下さい。新たな箱物行政とならないことを祈ります。
                     □□□□よ


 09/01/23 (金) 花の金曜日


★昨晩は9時過ぎに手話サークルが終了。皆が帰宅したあと私も自宅に戻って風呂に入った。体を丁寧に洗ったあと真新しい下着に着替えて布団にもぐりこんだ。
なかなか寝付かれないので、じっと天井を見詰めながら、「俺の人生で一番刺激的だった夜はいつなのだろう」と過去を回想した。


琉球列島・沖永良部の夜である。月夜の晩に地下足袋を履きカンテラとヤスを持ってさんご礁の上を歩き、ハリセンボンやエラブウナギを捕獲し、それらをサカナに浜辺で地元の漁師たちと一緒に焼酎を仰いでいたあの頃である。


★ガソリンスタンドでばったり顔を合わせた知人Hさんとの立ち話。
Hさんは、「今年の選挙についてや。郡部は地域代表の従来型選挙となるので誰も落ちないやろう。しかし、まちうちはわからん。どの候補者がどういう姿勢だったか、四年間にどういう発言を繰り返してきたかが問われる。変わりうるとすればここだろうなあ。とにかく小手先的対応でぶれるのはいかん」と言い残して夕闇せまる街に消えた。

09/01/22 (木) 今晩は手話サークル


★一昨日の夕刻だったか、知人の誘いで坂井市三国町の陣ケ岡に行った。遥かに白山連邦を見渡すことの出来る場所である。
冬に積雪は当たり前だが、近場に積もった雪は融けだすと汚い。しかし遠くに仰ぎみる白山連邦の雪は純白のままだ。清楚で美しい。


★7名の阪神間在住友人諸君が三月にあわら市に来るというメールが入ってきた。「牧田くんを元気づける」のがその大義名分だそうな。
若かった時の友人達というのは何の打算もなく顔を付き合わせることができるので嬉しい。
さて、元気づけてくれるのはありがたいし、お返しに何か芸を披露せねばとも思うのだがわたしにはとにかく芸というものがない。全く無趣味の59年間だった私が唯一それらしきものといえたのが、絶唱・「港町ブルース」ですが、昨年10月にあることがあって封印しました。
かわりにトニー・ダララの「ラ・ノヴィア」をひそかに練習しております。この唄を完璧にこなすには複式呼吸が必要で、初心にかえった気持ちで練習しております。


★建築設計業を営んでいる福井市在住の友人から一通の手紙がきた。
「前略・・・一昨年の法改正以来一つ一つの物件に手間がかかり、〆切に迫られる日が続きます。手戻り仕事も多く儲けにならない手間が多いです。・・・後略」と書いてある。
一昨年の法改正とは姉歯事件による法改正をさすのだが、未曾有の経済不況により民間企業がおしなべてこういう状態にあるのだから議員報酬も考えざるを得ないのかも。
ただし私は、議員だけの報酬で暮らせる最低限の保障は必要との意見なので、報酬引き下げはしないほうがいいと思う。じゃあ定員削減か。次の議会で定員が4人削減されるがそんなまどろっこしいことではなくて、いっそ議会をなくしシテイマネージャー制度を取り入れたらいいのじゃなかろうか、とも思うのであります(・・笑・・)。


★森田実という政治評論家がいる。郵政民営化に鋭く反対したために、以後、TV界からほされてしまった。その後、民主党のご意見番のような立場にいたが、小沢代表を好戦的な人物と批判し続け、今は「森田塾」創設に一生懸命だ。このひとの講演を数回聞いたことがある。


以下、コピー⇒ペースト
「政治の貧困」脱却のために何が必要か。
・政治の目的が善の追求であり、人類の幸福こそ究極の目的であることを、すべての政治に携わる者は改めて再確認すべきである。
・政治家は、世界史的大転換の時代に何をなすべきかについて、広く議論を起こすべきである。無責任な目先の利益のみを求めるような対応はやめてステーツマンらしい大局に立った本格的議論を始めるべきである。
・政党は共通の理念をもつ政治家の同志的集団であることを再確認すべきである。この視点に立って自民党と公明党両党はそれぞれの党の原点に戻り、連立政権を解消し、来るべき総選挙においては、それぞれの政党が本来の姿に戻って国民の審判を受けること。いまのような原則なき野合的連立をつづけたまま、「自公連立」をあたかも一党のごとく国民に示すことは偽善である。選挙協力は選挙協力としてやればよい。公明党は本来の平和と福祉の党に戻るべきである。
・自民党の再生のためには、小泉構造改革の過ちをはっきりと認めて反省すべきである。さらに2005年9月の総選挙時における党分裂を自己批判して、郵政民営化見直しを公約し国民新党となどとの和解を実現することである。これをしなければ自民党の再生は不可能である。この党は滅び去るであろう。
・民主党は小沢体制では来るべき総選挙を勝つことは困難であろう。また、たとえ総選挙に勝つことができたとしても、安定政権を築くことは不可能である。小沢氏の政治はあくまで権力ゲームの政治である。
民主党は国民とともに歩む政党にならなければならない。そのためには一人一人の党員が自主性をもって行動する自由で民主的な政党に生まれ変わらなければならない。強権的な手法の政治はやめなければならない。
・共産党と社民党は、平和・民主主義・憲法第九条を守るという共通の目標に向かって共闘、協力を深め共闘関係を発展させるべきである。小異を捨てて新たな平和と勤労者の生存権を守る政治の軸を樹立するために大同につくべきである。
・各党、各政治家は、自らの政治の立脚点と、現状況における政治の対立軸を明示すべきである。現在における政治の対立軸とは、第一に平和と戦争(とくにアメリカのアフガニスタン戦争に参加するか否か)、第二に独立と隷属(日本の自立か従米か)、第三に市場原理主義か修正資本主義か、第四に財政再建至上主義か財政出動か、第五に完全雇用か労働者への搾取の経済か、第六に地方・農業重視か自由競争とマネー重視か、第七に福祉重視か防衛重視か(防衛費削減か防衛費聖域化か)――等々の対立軸を明示すべきである。
・減税、社会福祉、公共事業を実行する修正資本主義の政治か、増税、社会福祉切り捨て、公共事業削減、防衛費増大の財務省主導の政治か。
・マスコミは広告料に支配されてはならない。真の国民のためのジャーナリズムに立って公平な報道を心がけるべきである。テレビの政治報道は根本的に考え直すべきである。政治を不真面目に論じてはならない。政治報道を公平に行うべきである。
・政党は独裁政党になってはならない。言論の自由を尊重する民主主義の党にならなければならない。



政治家という言葉が基本的に地方議員ではなく国会議員をさしていることは明らかだ。しかし双方にある程度の交流があるのも事実で、私達も参考にせねばと思っている。
でも憲法第九条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」は果たして妥当なのか。国の独立と軍隊保有は不即不離なのではないかとついつい思ってしまうのである。

09/01/21 (水) 今朝は運転免許の切り替えです


★さていよいよオバマ氏が大統領に就任した。黒人初の大統領でありそのことを米国民は十分に誇っていいと思うものであるが、ここで私は十数年前を思い出す。クリントンが米大統領に就任した年でその年に米の若い女性が私の家にホームステイしていた。女性は熱狂的なクリントン支持者だった。
大統領制は日本の首相制と比較した場合、権力の集中度が段違いに強い。加えて米の場合、州制を採用しているので、自分達が大統領を選んだんだという意識が強いのだろうと思う(米へ行ったことのない私に本当のところはよくわからないが)。
米国民は自分が共和党支持者であるか民主党支持者であるかあるいは誰某の支持者であるということを周囲に対してオープンにしているということを聞いたことがある。
うん、それでいいのだ。
オープンにするということが例えば商売にさしさわるというのであれば、それはその地域の政治的成熟度が足りないということではないだろうか。


★昨日午後の私の事務所は先客万来だった。最後のゲストが帰ったのは7時頃だったかなあ。その後、じっくり熟睡し、今朝は運転免許センターへ。免許の更新のためだった。
教室で見た飲酒運転による交通事故の悲惨さを感じながらの帰途、携帯電話が鳴った。某議員の立居振舞いについての苦情である。議員の仕事というのは奥行きが深いというか浅いというかくだらないというか、まあそんなものか。


★昨日は県外知人からの電話が多かった。異口同音に「一期一会」を言う。
なかにはこんなのもあった。
「牧田の議員日記を読んでいると、議員にむいている男だと思う。けれども建築家としての牧田はその才能が無かったといわざるを得ないだろう・・」 
だがこれは違うだろう。
建築家としての私に対する評価を現存の誰がどういうかたちでいおうがそれは関係ない。100年の幾星霜つまり時の経過が必要なのである。


ところで皆さんごめんなさい。どんどんファックスコールが入ってきていますが、
私のファックス番号は「0776-73-0863」に変わりました。

09/01/20 (火) 首がすごくらくになった


★寝ちがいによる首の痛みがようやくおさまり、体調はほぼ昔どおりになった。だけれども入退院及び療養生活を経て自分の人生観が大きく変わったのは事実です。入院中、毎晩毎晩療養者たちと話をしていたことがその契機で、もし私に文才というものがあったのならば、例えばハンセン病患者の日々を記録した小説=北条民雄・「いのちの初夜」のようなものが書けたかもしれません。
病気で苦しんでいるひとたちあるいは障害を持っているひとたちは数においてはたしかにマイナーで人目につきにくいものでありますが、存在の重さは全く等価であり、手話サークルに対する私の思いも若干変わったような気がします。


★昨日の来訪者と話をしていた時に思ったのですが、例えばナチス総統アドルフ・ヒトラーがゲルマンの優位性をうちだし、大量のユダヤ人をアウシュビッツに送ったという、ホロコーストが何故起こったかというと、ヒトラーが「天は人の上に人をつくり、人の下に人をつくった」と信じたからでしょう。つまりは優性思想です。
ですから、「人間、みなぼちぼち」だと思うことがとっても大切だと私は思ってしまいますね。


★どこの家庭でもそうなのだろうけれども、歳が熟してくるにつれ配偶者への依存度が強くなる。若い頃は我(が)の出し合いであったものが、段々に抑制が効いてきて、お互いに似てくる。
勢い、大事なことの相談相手は全て妻となった。



♪春よこい早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒(はなお)の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている

春よ来い 早く来い
おうちの前の 桃の木の
(つぼみ)もみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている



ということで、春になったら、陽あたりのいい縁側に出て、焼いたかきもちを食べながら熱い玉露茶をすすりながら、お話しするつもりでいます。


09/01/19 (月) 暖かい朝


・未明に起床。洗顔、歯磨でさっぱりとした気分になったあと、福井新聞をひろげた。
8面に松本清張のことが書かれていたので興味深く読んだ。
江戸川乱歩を受け継ぐミステリー作家と呼ばれていた松本清張にぞっこんだったのは中学生になりたての頃だった。
乱歩の「少年探偵団」シリーズと清張の「推理小説」シリーズが私の中学生的読書生活の全てで、それも決して机の上では読まず(だいいちそんなもん無かった)、家族が寝静まった頃、煎餅布団の枕元に裸電球をたらし息をつめてよんでいた。
読書にはなんの生産性もなく、いわば不良的行為だという認識が私のなかにあったんだろうと思う。


・昨夕、事務所に医師S氏が来た(と書くと、以前みたいにあいつだろうかこいつだろうかという市政関係掲示版への詮索的書込みがあるのだろうがそれは全くどうでもいいことです。)

四方山話が突然坂ノ下婦人会のことになりました。その時私がわかったことのひとつはひととひととの関係は縦糸と横糸のクロスオーバーにあるということでした。
縦糸を空間軸、横糸を時間軸という言葉に置き換えることもできます、あらゆる関係はこの二軸のなかのベクトル位相に収斂するのだと思います。



09/01/18 (日) 暖かい日曜日


・本日の朝日新聞に、こういう記事が載っている。今から30年程前の団長があわら市河間在住のAさんであり、悪縁のあった坂井市三国町下野在住のYさん及び私の三人は時々集まって酒宴を開いている。
一昨年は元団員20名程が三国町の民宿に集まり、数台の車に分乗して近辺の旧跡を歩いたが、不肖わたくしもそのうちの一台を運転した。語り部おじさんとなって、近辺の旧跡を説明した。
だけれども、14年前の阪神淡路大震災でこういう悲劇があったことは全然知らなかった。


今朝、こういう記事を見た
低周波による(と思われる)体調不良の訴えが愛知県田原市と愛媛県伊方町で出ていることはビデオエトセトラで知っていた。しかし、全国で70人以上とは知らなかった。
ここあわら市では昨年末、富津地区とJパワー間で風発立地契約が結ばれた(議会承認は不要だ)。               
私は、民家との距離をもっととるために、風発を国定公園のなかにいれておけば良かったのにと思う者であるが、法律がそれを許さないという。とにかく私の心配が杞憂であることを祈るだけだ。


・ミルトン・フリードマン・・いわずと知れた保守派経済学者で小さな政府を標榜した。
ただし、フリードマン自身は、単純な市場原理主義者ではなく、国家が独占的に担ってきたものを、地域社会は包摂するころ相互補完的なシステムができると考えた。したがって地域の包摂の要である教育や医療に市場原理を持ち込んだり、民営化したりすることには反対していた ⇒以上、受け売り。





さてこのひとが亡くなった2006年11月16日の夕刻にユアーズホテル福井で、私が属しているあるサロンのパーテイが開かれ、私はフリードマン死亡のラジオニュースを聞いてからそのパーテイに出席した。政経報告をトヨタ副社長がしたのだが、報告後のパーテイーでバーボンウイスキーをがばがばと飲みながら私はフリードマン死亡をトヨタ副社長に伝えた。その時の副社長の驚愕顔を私は終生絶対に忘れないですね。あとにも先にも日本を代表する経済人と言葉を交わしたのはこの時だけです。


さて何故こういう話を持ち出したかというと、今朝の田原総一郎司会のTV番組で、フリードマン派・竹中某とケインズ派・金子某がやりあっていたからです。ケインズは近代経済学の父と呼ばれるあまりにも有名な存在ですが、レーガン政治、サッチャー政治ひいては小泉政治に大きな影響を与えたフリードマンも凡百の経済学者の姿勢に与えた影響の小さいはずがなかった。それが証拠にフリードマン死亡以後、経済学者での「転向」が相次いでいるという話をよく聞きます。



 09/01/17 (土) 忙しくなりそうな土日


・あれから十四年経つ。あれ・・・というのは勿論阪神淡路大震災のことだ。都市型地震としては昭和23年6月の福井大震災を越える戦後最大級のものである。神戸は私の第二のふるさとで、青春の6年間を阪神間で暮らした。被災地には友人知人が沢山暮らしていたし今も暮らしている。その被災者友人のひとりに請われて、彼が購入仮契約した中古住宅の破損状況を調べる為、被災一ヶ月後の阪神間を訪れた。
その際、阪神間のいろんな場所を見た。いろんなエピソードを聞いた。
確かその年に起こった地下鉄サリン事件とあわせ、日本は社会構造の基底が大きく変化していくぞ、と思った。



・さて、きょうは、「民主党拡大常任委員会」が予定されている。議題は「緊急雇用対策本部の取り組みについて」その他エトセトラです。
市議になってよかった点、ならなければよかった点いろいろあるし人生はプラスマイナスゼロだと思っているので、要は自分にとってどうだったかという自覚の問題だと思うのですが、例えば上記のような委員会にいけば、自分で抱え込んでいる問題が実は自分だけの問題ではなくてみんなが共有しているテーマなのだということを強く感じることができて、文句なしによかったことだと思う。
金津創作の森ミニコンサートにも行きたいと思うのだけれど、時間的に無理だろうなあ。


・いやああ、何とか金津創作の森ミニコンサートに間に合った。続いて武蔵野美術大学名誉教授・嶋崎新氏によるスライドレクチュア・「北欧の生活デザインと文化について」があった。



大学の先生というのはしゃべるのが商売だから別に不思議ではなかったがそれにしてもこのおじさん、よくしゃべる。
世阿弥に「秘すれば花」があり、私は話と話のあわいの沈黙の時間帯にこそ伝えられるべき何かがあると思うのだが・・・。ということを創作の森を出る時、関係者に話したら、「誰かさんと一緒です」と私の指をさしながら言われたよ(・・笑・・)。


嶋崎氏の話の前段は、北欧四国(フィンランド・スウエーデン・ノルウエイ・デンマーク)での工芸運動としての椅子の歴史についてだった。


・私の仲のいい友人にあわら市在住の建築家M氏がいる。決して有名ではないが彼は独特の建築哲学を持っている。・・・恐ろしい男だ。恐らく100年後の世界が初めて彼を評価するだろう。


彼は寡黙である。彼は決して笑わない。彼はその本質に於いて品行方正であるくせに、わざと偽悪的であろうとしている。
その彼がバーボンウイスキーを飲みながら私に語った。
「有名な建築家・黒川記章の弟が家具デザイナーをやっている。彼は、北九州市の某銀行本店の客用椅子に、故マリリン・モンローの尻をかたどって椅子をつくったよ」と、私に語った。
あの見事な肢体に見合う日本人女性などいるはずないと私は思うのだが、「わたしの下半身、あの椅子にぴったりだったわ」という女性があらわれるんだろうなあ。
これを嘘八百と言うんだろう。

09/01/16 (金) 昨晩


・昨日の晩はろうあ者(聴力障害者)が来客。夜遅くまでずっと話をしていました(手を動かしていました)。彼らとは数十年に渡る付き合いです。 彼らをめぐる生活環境は大変に変わってきました。
TVやインターネットで手話コミュニケーションの方法が紹介され、あるいは手話ニュースが流れ、ファックスやメールなどの文字情報伝達手段が当たり前のこととなってきている。それはとてもよいことなんだけれども、だからといって、健常者の持つ障害者観に違いが出てきただろうか。私は、今日(こんにち)と30年前で、基本的な部分は何にも変わっていないのじゃないかと思う。
例えば、何故手話をするのかというモチベーションが欠落していたとするならば、いくら手話が上達しても単にコミュニケーシヨンが円滑になるというだけの話でしかないわけで、(恐らくは)本質的な理解とは無縁でしょう。
なんつーか
相互理解に至る為には、理解不能な部分の峻別という大切な経路が必要とされると思うのです。


・さて、今朝、私のところに何本か電話があって、「市政掲示版の管理者である牧田はもう市議選に出るな」との書込みがあったそうです(・・笑・・)。前にも書いたことありますが、私は長い間入院していたし、それから某氏に管理を依頼しております。よってその書込みは某氏によって消され誰が書いたかだけがわかっているとのことですが、私は見たかったなあ(・・笑・・)。


・きょうは「生きてるっていいなあ」と感じた日でした。昨年の春から秋にかけて私のくたびれかかった脳をさんざんにこき使い悩まし挙句の果て入院する遠因ともなったことが無事解決したのです。そういう電話連絡を夕刻6時に受けた私は、ひとり清酒「一の谷」(誰かが持ってきてくれた酒であるような気がする)の封を開けちびりちびりとやり始めました。
去年起こったいろいろなことが走馬灯となって脳裏を駆け巡りました。「生きてるっていいなあ」と思いながら知人に電話をしていろいろしゃべりました。
「春がきて暖かくなったら又会おうね」と言って受話器をおきました。

09/01/15 (木) 本日は手話サークル


・昨晩は故・吉村昭(奥さんが鯖江出身の津村節子)対談集「歴史を記録する」を読んでいた。徹底的に実証を重んじる小説家で、数年前、代表作を続けて何冊か読んだことがある。
読んでいて、「記録は大切なことだ。あわら市における学校問題も、いずれ誰かがその流れの全体を書かなくてはならないのではなかろうか」と、私は思った。


・2009/1/14朝日HP
「国営テレビは洗脳番組」中国内の学者ら視聴拒否宣言
 【北京=坂尻顕吾】「中国中央テレビの洗脳番組を拒絶する」。中国内の学者や作家、弁護士ら22人が連名で国営テレビを「国家宣伝」と位置づけ、ネット上で視聴拒否を宣言した。体制批判は避けているが、共産党や政府の統括下にある中核メディアの是非を知識人が正面から取り上げた動きだ。
 宣言文は12日付で公表された。中国中央テレビについて、(1)ニュース番組は民衆の集団抗議など社会矛盾を取り上げない(2)国内報道は紋切り型の慶事報道に偏重している(3)大量の宮廷ドラマは征服された側の民族感情に配慮していない、などと指摘。「われわれには視聴を拒否する権利がある」と訴えた。
宣言文に署名した弁護士の1人は14日、朝日新聞の取材に「三鹿集団による粉ミルク事件では被害者の側に立った報道がほとんどないなど、以前からメディアのあり方に疑問を持っていた」と話した。



⇒ということで、一党独裁の矛盾に対する内部告発のようなものだろうか。


・それにしても次から次へとスケヂュールが入ってくる。勿論、議員の仕事がメインではあるが、それ以外でもあわただしい。しゃば全体がそういう雰囲気になってきているともいえるだろう。
私自身の理想は「悠々として急げ」(開高健)・・つまり左足ではゆっくりと歩き右足では急いで歩く・・なんだけど。

09/01/14 (水) 昨日の一日


・さて
昨日は午後1時から8時まで誰かが居た。つまり千客万来だった。今の議会のありように対する沢山の不満を聴いた。真面目なひとたち程不満が鬱積するのだということがよくわかったし、自戒を込めて反省である。
そのさなか、ある地区の知人から電話が入った。
その地区で挨拶に立ったふたりの議員から出た言葉についてのことだった。


今年は市議会議員選挙の年であり立候補しようとしているひとたちは、自分をよりよく見せるため政治的に振舞おうとする。
人間というのはもともとが愚かで馬鹿な存在だからある程度は御愛嬌の範囲かも知れない。
しかし、その為に、事実を歪曲したメッセージを流して市政を混乱させたとするならば、それは許されることではないと思う。


・アルバムを整理していたらこんな写真が出てきた。

確か細呂木小学校の校庭裏側のビオトープではないだろうか。
今もあるのかどうかわからない。あるいはこういう状態であるのかどうかわからない。一度訪ねて行ってみようと思った。


・先ほど、第三者を通じて苦情の電話が入った。ある場所で偶々会って挨拶をしたのに牧田さんはそしらぬ顔だった、というもの。
当たり前だけれども、知っているひとに対してそしらぬ顔をする程には、私も厚顔無恥ではない。
還暦を目前にして認知力が低下してきたのかもしれないが、知っているひとに不愉快な思いを与えてはならない。十分に反省しなければならないアンテナを研いでおかねばならない。


09/01/13 (火) このホームページについての断片


・私が議員になって二年目くらいからずうっとHP日記を発信し続けてきた理由は、とにかくあわら市民のみなさんに市議会を身近なものと感じていただきたかったということがあります。そしてその二年あとぐらいに市政関係掲示版をつくった理由はあわら市民の皆さんの声が載せられる場がなくては、という思いがあったからです。


掲示版に関しては、昨年10月でのあわら市ホームページ・リニューアルの際、市掲示版復活の話があったのでそれを機会にこの「市政関係掲示版」を閉鎖しようかとも思っていたのですが、市の掲示版は結果として復活しなかったので、この掲示版は継続しているし今後も継続していくことでしょう。


今までにいろんな意見を拝聴しました。「日記」や「市政関係掲示版」の書込みにおかしいのがあるという意見を沢山の議員から拝聴しました(そう思うならばその思いを自身の手で書き込めばいいのにね)。「日記」は私が書いているものでありつまり文責は私にあります。「市政関係掲示版」に関しての管理運営責任は私にあります。


でも
叱責や非難は意見に対するリアクションとして必ず出てくるというものごとの真理を結果として体得できたような気がします。それが嫌ならば、日記や掲示版運営を止めればいいだけの話ですが、例えば私の場合、これも議員の仕事のひとつと思っている。
ですから議員を続けている限り止めることはないと思います。


・午前中は福井市定正町にいた。
用事を終えて正午前に嶺北縦貫道路を一路自宅へ向かって車を走らせた。雪も上がり、まばゆい陽光が車内に差し込んでまことに気持ちがいい。
家族が亡くなり正月に初詣でをしなかった私は、陽光に向かって「今年も家族が健康でありますように」と手を合わせた次第です。

09/01/12 (月) さあ 新しい週が始まった


・私は今までに二回だけ海外に出たことがある。一度がカナダはトロント郊外・オークタウンでのホームステイで一度がオーストラリアはシドニー・ブリスベン・ゴールドコーストを中心とする簡保旅行。いずれも30代の時だった。
カナダでホームステイ滞在の時はフランスからの移民が多いモントリオール地方が独立するかどうかでもめていた時期だったような気がする。
オーストラリア簡保旅行の際は、英エリザベス女王を宗主として今後もいだくかどうか国をあげての国民投票をやろうとしていた時期だったような気がする。
カナダもオーストラリアもヨーロッパ大陸系によって後年支配された国であり、それぞれの先住民族としては、イヌイット及びアボリジニが挙げられる。


日本史は好きだったけれども世界史というものに興味がなくテストがいつも零点に近かった私でさえも、カナダ及びオーストラリアの短期滞在で世界史の複雑さを感じた。
そこで今年の正月はヨーロッパの中世⇒現代史のダイジェスト版をひたすら読んでいた。酒も飲まずTVも見ず新聞も読まずダイジェスト版をひたすら読んでいた。
その結果わかったことのひとつが「人類史は戦乱の歴史である」ということであり、その意味では徳川300年の治世は見事だったのではないかということである。


・さて本日の午前中はユニオンプラザ福井に居た。衆議院選挙福井第2区・糸川正晃支援第5回総合選挙対策会議に出席していた。興味のある方は是非、新春のつどいにご来場ください。きょうの新聞では麻生内閣の支持率が確か20%を割っていたけれども、いずれにせよ今年の9月迄には衆議院選挙があります。


・今朝は午前4時に目が覚めたのだがびっくりしたことがある。頭のふらつきが全くないのである。きのうは発作が起きてからちょうど三ヶ月目で、主治医が「三ヶ月は静養しなければ」と言っていたのがいまさらながら真実味を帯びて感じられる。健康が回復していくのは、なにをさておいても一番嬉しい。

09/01/11 (日) 本日は成人式


・確か椎名誠のエッセイで若い頃に読んだ言葉に
「若い時、体のキズはすぐ癒えるが心のキズはなかなか癒えない。歳を降ると心のキズはすぐ癒えるが体のキズはなかなか癒えない」というのがあって、私はこれをなかなかの箴言だと思っていた。
しかし
数日前から寝違いを起こして首根っこの左側が痛かった。主治医に出してもらった経皮鎮痛消炎剤を張替えているうちに段々治ってきた。その過程で心が徐々に晴れてきた。つまり体と心の間には不可分なところがあると、思うようになった。
ひとはさまざまなことで気分をアップにしたりダウンにしたりするものだが、例えば健康面で言うと、健康であるという静的感覚よりも健康に回復しつつあるという動的な感覚により一層のアップ気分を感じるのではないか。逆も同じだけど・・・。


・昨日は三人の来客があり、給食の話となった。
旧芦原町・給食センターの老朽化が進みその建替えを巡って、現在の旧芦原町=センター方式、旧金津町=自校方式をセンター方式に統一させるか、それぞれの方式ををそのまま維持させるかの議論は次の議会あたりで活発になるのではないだろうか。
私が中学一年の時、初めて給食を経験した。その時は毎日がパン給食でかつ脱脂粉乳であったのを覚えている。今は米飯給食への切り替えも進んでいるみたいだが、なにぶんにも息子・娘が成人してしまっていて、実態がよくわからない。
今度調べてみなければ、と思っている。


・本日は芦原温泉某旅館会場で「成人式」が挙行された。
びっくりしたのは、今年の成人が平成生まれだということである。知らないうちに歳月だけが過ぎていく・・・光陰矢の如しなのである。400名弱の市内成人のうち出席者は333人というとてもわかりやすい説明が教育委員会からあった。
ところで私は二十歳の時どういう人間だったんだろうか、ウスラになった頭で一生懸命思い出してみた。
「生きるということは、可能性のひとつひとつを消しゴムで消していく行為である」という寺山修司の言葉を信じていたなあ。そして59歳になった今もそう思っている。

09/01/10 (土) 川べりにて





・この大きさでは判りづらいかも知れないが、竹田川河畔でカルガモたちが日なたぼっこしている写真です。カルガモなのかマガンなのかわからなかった私は「2校を守る会」代表でかつ「野鳥の会」リーダーのK氏に電話をして聞きました。
カルガモとのことでしたが、とてもほほえましい光景で思わず写真をアップした次第です。
瞬間的に思ったのは、イスラエルとハマスの関係がこういうものにならないかということでした。私自身は以前からパレスチナ問題はイスラエルのシオニズム運動にあると思っていました。しかしイスラエル建国というユダヤ民族の2000年以上にわたる流浪の民としての悲願あるいはナチスから受けた迫害の記録を読む時、どちらの陣営に対しても涙なしではいられません。
イスラエル、パレスチナの双方に対して中立の立場を貫いている日本こそが外交手腕を発揮して中東和平を実現してほしい。女性や子供たちの遺体が累々と横たわっている場面は想像するだにおぞましいものがあります。


・きょうの午前9時半から、坂井市丸岡町霞町「丸岡体育館・ふれあい広場」において、平成21年嶺北消防組合出初式が挙行された。



寒風吹きすさぶなかでの行事となってしまい、団員の皆様方には本当にご苦労様でした。

09/01/09 (金) 昨日の一日





・昨日の夕刻は、連合福井の旗開きということで福井ワシントンホテルにいた。福井県知事はじめそうそうたるメンバーがいたが、ここでおもいがけない人に出会った。旧金津町時代の重鎮・T氏である。


立食形式の四方山話のなかで、私が、「今年から私は変わる。もう、ひとにおべんちゃらは言わない。思いの丈を丈のぶんだけ過不足なく伝えることにした。」と言ったら、「牧田はんは昔からそうやったがね」という答えが返ってきた。


帰宅しての午後7時半。
聴力障害者たちが集まってきた。今年第一回目の手話サークルだ。生活が段々普通に戻りつつある。


・本日の福井新聞に、北潟湖塩害のことが出ていた。被害にあった田んぼをなんべんも見たが塩害の原因には諸説がある。先の12月議会定例会でこのことについての一般質問をした議員もいる。


・たまたまラジオをつけたら国会中継だ。枝野幸男氏が法務大臣に対して質問をしていた。福島県で二年前に産科医が起訴されたことに対する憤りを訴えていた。その時奥さんが妊娠中であったこともあってひとごととは思えないと語った時、私は20数年前を思い出した。
ソ連のチェルノブイリで原発放射能漏れという悪夢のような事故が起こったその年、妻は次男を身ごもっていた。大気の汚染が日本列島に影響を与えないか、腹のなかの我が子に影響を与えないかを毎日のように心配していた。
子孫に心配を与えないのがよい社会という意味では、どちらも同じだと思う。

 09/01/08 (木) 朝陽を眺めながら


・さて、昨日の晩は4人集まっての新春飲み会だった。焼酎・ビール・日本酒そして手造りの御馳走が出揃いなかなかに豪勢な飲み会となった。真面目な4人なので話のテーマは市政をめぐってのものに限定され、いろんな意見が輩出した。あとには妻も加わってくれ、わたしにはそれが嬉しかった。


今年に入って私の飲み方・食べ方は明らかに変わった。
食べ方に関しては、「食べる」が「いただく」に変わった。食べ物とは、食材と調理したひとのまごころとの複合物である。つまり、「いただく」という言葉のなかに自然界の営み及びまごころの感謝が込められている、と思うのである。
飲み方に関しては、焼酎をお湯で割るようになった。せっつくような飲み方はやめた。
昨日の飲み会においても、隣席のひとから
「まきちゃん、飲み方が静かになったなあ。静かに少量を味わうという飲み方は、傍目にも素敵にうつる」と言われた。
それを聞いた時、「静かさがこれからのキーワードだ」と、私は思った。


・今困っていることのひとつは、メダカを見つけることのできないこと。夏場にみかけた場所のそれぞれを訪れたのだけれども皆無である。識者によれば冬眠しているのだそうだが、そうであるにしても網を底に入れれば捕獲できるはずである。

 09/01/07 (水) 坂井地区介護保険連合議会について


・「80歳を過ぎると女性の83%以上が配偶者がいない」と言われているが、私の家の場合も昨年に親父が死亡してそのような状態となった。高齢社会でなおかつ男女で平均寿命に差があることが原因。自宅での老々介護ではあったが、お袋に認知症の兆しが無い点、私の家はまだいいのかもしれない。とまれ発足後八年間を経過した介護保険制度は来年改定される。そして今月末に予定されている「坂井地区介護保険連合運営協議会」が改定のための5回程積み重ねてきた策定委員会の報告を聴く場となる予定。


昨日もそうだったが、この年末年始、お世話になった高齢者達を訪ねた時、どこの家庭もそういう問題を抱えているそれが普通である時代に入ったと実感した次第です。


「武生職安管内で、厚生省が雇用促進住宅への離職者の入居を許可した」という、福井新聞のきょうの記事を読んだ。
私はごく普通の常識的な男だし、又、そのほうがものごとを見たり考えたりする場合に振幅が大きくなってちょうどいいと思っている。又家庭も経済的にはどちらかというと下だが、普通に近い下だろう。
その我が家にしてからが、派遣のことがいつも妻との会話でのテーマとなっている。
ネオコンが登場したあとの社会はなんでもありと思うべきなのかも知れない。

09/01/06 (火) 本日は広報編集特別委員会

・♪早春賦(吉丸一昌作詞・中田章作曲)
春は名のみの風の寒さや。
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず。
時にあらずと 声も立てず。

氷解(と)け去り葦(あし)は角(つの)ぐむ。
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空。
今日もきのうも 雪の空。

春と聞かねば知らでありしを。
聞けば急かるる 胸の思(おもい)
いかにせよとの この頃か。
いかにせよとの この頃か。


確かに今の季節、初春と言ったところで名のみである。昔の一月と違ってそちこちに氷がはりついているわけではないけれども、しかし風は寒い。
つまり「早春賦」は今が一番似合う唄ということができるわけです。
詞も曲も姿勢を正させるような雰囲気を持っていて、昔から私の好みの唄でした。


・朝日新聞の記事「派遣村あぶれ 党本部開放 社民が検討」を読んだ。
多分それと関係あるのだろうが、昨夕すれ違った社民党の宣伝カーはマイクを鳴らして走っていた。
記事は「社民党は2日、東京・日比谷公園の「年越し派遣村」からあふれた労働者を受け入れるため、東京・永田町の党本部(社会文化会館)の一部を開放する方向で検討に入った。今後、公共施設の受け入れ状況を見極め、最終判断する。福島党首は「政治災害であり、避難民。厚労省の講堂開放は画期的だが、ある意味当然だ」と語った。」とあったが、あの日本社会党の末裔が久し振りに存在感を示したという感じです。
置かれた状況や立場によって限界は当然あるだろうけれども、なにごとにつけ、自分にやれることは何かを考えて行動することで(歳月は必要でしょうが)必ず連帯感が生まれてくると思います。


・今朝、トントンと戸を叩くひとがいる。開けると沖縄から里帰り中の金津中同級生A女だった(と書けばわかるひとはわかりますね)。
「ぎゅうさん(私のこと)、おとこの60才は厄年やざ。なんで同窓会せんのやの。規模が小そうなってもいいから、二月の中旬にでもやろう。厄払いしなあかん」と言われてしまった。すでに厄を体験した私だが
S委員長殿、M事務局長殿、上記の通り報告を致します。

09/01/05 (月) 仕事はじめ


・本日の朝日新聞に、「サッカーの前日本代表監督で、昨年末に日本協会アドバイザーを退任したイビチャ・オシム氏(67)が、4日、自宅があるオーストリアに向けて成田空港から離日した」という記事が出ていた。
それは、それでいいのだが、
「脳梗塞から順調に回復してきたが、万全ではない。搭乗前も貧血状態になって座り込み、最後は車いすで移動した。当面はオーストリアでリハビリを続ける。」との付記が目についた。
脳梗塞などに対する措置とは血管を十分に開くことだし、そのためには血圧を下げることが必要でその投薬などで貧血気味になってしまうことが往々にしてあるそうである。


・仕事はじめということで、今朝はあわら市庁舎に行った。挨拶も兼ねてではあるが、特に市民生活課と農林水産課でながい間話を聞きそしてしてきた。
09/01/01日記でも書いたが、カラス対策についてである。カラスというのは実に利口で胆力もある。加えて機を見るに敏であり、人類滅亡後の地球を支配するのはゴキブリもしくはカラスだと私は思っている。
とにかくこのところ坂ノ下地区周辺でみる夕方の光景はA・ヒッチコックの「鳥」を彷彿とさせるものである。

09/01/04 (日) 初春に


・正月3ケ日も済んだ。きょう4日は日曜日なのだけれども、一年間のスタートの日だと思っているので今年一年間、よろしくお願い致します。


ところで、知らなかったのだが今年は牛の年だそうである。今年に齢60を迎える私は5度目の年男ということになるが、前回つまり12年前と今回とでは生活環境がまるで違ったものになってしまった。
うん、前回の年男の時、私は旧金津町の新住居表示施行に反対し、FM福井のスタジオでしゃべったことがあるなあ。ブレークタイムに出された珈琲がとてもおいしかったのを覚えている。確か議員になる数年前のことだった。当時の議会のなかに「行政の仕事にたてつくような男を役場の中へ入れたらあかん」と言う恐ろしいアナクロニズムを持った議員がいたと、あとで行政職員から聞いたことがある。


さて、中身に違いができてもスケヂュール満載の忙しさは相変わらずで、死ぬまでこんな調子なのだろうと思っています。


・きょうの午前中は、あわら市商工会の新春総会に出席した。酒をついでくださる何人かのひとから「牧田はんは、悪運の強いひとやねえ」と言われた(・笑・)が、そもそもが悪という言葉の持つ意味は現代と鎌倉時代では大きく違う。
現代に於ける悪の対語は良であるが、鎌倉時代に於ける悪の対語は弱であった。
例えば悪僧とは、悪い僧と言うよりもぎらぎらした僧というくらいの意味だった。そういうふうに考えれば、別にどうってことはないのである。


・「本日の午後10時、吉本隆明がNHK教育TVに出るよ」というメールがあった。小林秀雄を受け継ぐ戦後最大の知性だと私は思っているが、山折哲雄などと一緒にオウム真理教にコミットしあるいはコムデギャルソンに触れ始めた頃から進歩派にたたかれるようになってきた。

たたかれるのはどうでもいいことなんだ。早い話、奥の深い思想は理解されるまでに永い年月を要する。その間に著者が死んだとしてもそれはそれで仕方のないことである。

09/01/03 (土) 無題


・昨晩は義兄宅に行った。妻子共々での年始挨拶である。
海の幸山の幸がどっさりと出て、粗食に慣れ親しんだ私の胃袋はかなりとまどった。


8時過ぎには私だけが帰宅。豆タンアンカで足元を暖め布団に入った。
柳田邦男の「人間の事実」をしばらくの間、読んでいた。
土田倫里江さんの「道程(みち)輝きて 夫のガンと共に闘った12冊のノートから」を紹介している部分にぶつかった。
<ただ他人に迷惑をかけて生きるのがたまらないと(夫は)言う。それでは生きる屍ではないかと言う。
彼の苦しい気持ちは痛いほどわかるけれど、しかしそれはたくさんの苦しんでいる人々を侮辱することになるのではないか。他人のために役立って生きるのはむしろやさしいと思う。他人のために何かをできなくなったとき、逆に他人に助けられなければ生きられなくなったとき、どう生きるか。とても大事なことが問われているように思う。>
<今になって、当たり前と思って過ごした健康な日々が、とても頼りないもののように思えてくる。(中略)それなのに何と悠々と過ごしてきたことか。いつ落ちるかも知れない崖渕を、それとも知らず駆けていたような。同時に、すでにいろいろな意味で苦闘していた人々の痛みも、本当には知らずに過ごしてきたのだと思う。
そのまま暮らせれば、幸せには違いないと思う。けれど、それはまたある意味で人生を知らずに過ごしてしまうことになったのではないかと思う。健康に生きている日々のかけがえのなさ、苦しみの中で生きることの意味、今まで見えていながら見えず、聞いていながら聞こえなかった世界が私の前に奥深く広がっていく。先日土田さん(注:夫のこと)が言っていた。「身体がダメな分だけ、心が豊かになりたいものだ」
本当に身体が苦痛で不自由な分、心を豊かにしなければ生きられない。>


心に沁みる言葉だと思います。

09/01/02 (金) 冬の海を思いながら


・「10年ひとむかし」と言うが、そのひとむかし以上前つまり1997年のきょう1月2日にロシアのタンカー「ナホトカ号」が日本海沖で沈没し重油流出事故を起こした。私もシャベルを持って浜地海岸を掘り返す手伝いをしたが、砂とコールタールが混じり合っており発生する異臭はすごいものだった。
私の横で砂を掘り返していた女性は福岡から来たと言っていたが、そういうボランテイアによるネットワークのシステムは1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災の時に構築されたと聞く。そういえば阪神大震災の時は測定機器を持って現場に直行。友人が仮契約した住宅物件を調査した。


「ナホトカ号沈没」により三国の海岸線に漂着したコ−ルタールの量はおびただしく、この先何年にもわたって海岸線の汚染は続くと言われたものだが、一年も経たないうちに海は回復した。美しい自然は戻ってきた。
実際のところ自然の猛威も回復も、時と場合によっては人智を超えたものとなるのだろう。

海岸にて 051219

・年末年始に何人かのひとから、今年の自分の身の振り方についてのご意見を頂いている。自分でよくわからないことがあるからというのが最大の理由なのだが、例えばきょう会ったひとから「自分自身の信念の問題でもあるしモチベーションの問題でもある。更にいえば、自分を他人に置き換えてつまり複眼でみることも大切。」と言われた。これはすごい言葉だと思いました。

09/01/01 (木) きょうは元旦


・昨晩は雪がしんしんと降っていましたが、朝起きると辺りはうっすらと雪化粧。元旦にはやはり雪が似合います。
さて
とりとめのないことを書き連ねているこのブログですが、去年11月の終わりに再開したあと読んでくださる方が急に増えてきました。どなたが読んでくださっているのか全くわかりませんが、私にとってはとても嬉しいことです。

ということで、読者の皆様、昨年同様、本年もよろしくお願い致します。



・最近、ビッグマート坂ノ下店周辺の電線がカラスの群れに支配されている。以前に担当課が爆音機を鳴らしたり、猟友会が出たりした。そのかいがあったのか群れは確かに無くなったのだが、再登場である。
カラスが害鳥であるかどうかはひとによって見解が異なるのだが、数日前私に苦情を訴えたひとは「車や洗濯ものがフンで汚れてしまい大変に困る」と言っていた。八幡神社境内にある巨木が嘴太カラスと嘴細カラスののねぐらとなっているそうでその木を伐採するのが解決への一番の近道とのことだが、権利の問題がいろいろとあるらしい。


・勿論正月があけたら担当課に行ってしゃべるつもりではあるけれども、その前にということで、「野鳥の会」のK先生に電話をして、いろいろ聞いた。
「カラスは3種類。嘴太カラスと嘴細カラスとミヤマカラスです。このうちのミヤマカラスは渡り鳥なので、今の季節日本にいますが春先になると大陸へ帰ってしまいます。
さらに嘴太カラスと嘴細カラスの二種類の内、恋の相手を見つけたカラスは新居をつくるため坂ノ下八幡神社を出てしまいます。つもりもてないカラスだけが八幡神社に残るわけです。」というレクチュアを頂いた。
今年還暦を迎える私も、60年間の今までの人生で女性にもてたというためしが一度もなかった。それ故、来年の春先にも八幡神社に居残っているカラスくんたちには特別の同志愛を感じるのだろうと思う。


おお、そんなことより渡り鳥といえばこれです。