2009年05月

09/05/31 (日) 熱々珈琲を飲みながら


★昨日の早朝、私は某墓所の前の狭い道路を歩いていた。
墓所から妙齢の女性が出てきたので、すれ違いざまに私は目礼した。そして、「うーん、お盆でもないのに不思議だなあ」と思った。


いつの間にかふたりは並んで歩いていた。
女性は、問わず語りに、「一週間に一度ずつ墓参りをします。供えた野の花をその時ごとに変えます」と言った。


先祖に対する畏敬の気持ちか、親族の突然の死か、恋人との突然の別れがあったのか、仔細はわからない。


季節の花を見て私たちの気持ちはやわらぐ。
草葉の陰のひとも当然そうだろう。
別れ際に私は、「よかったらこれを読んでください」と言って、「菜の花通信」を手渡した。


八年ほど前だったか、二度目の金津町議会議員選挙の時、マイクを持った私は山すそを歩いていた。路傍にひっそりと咲いている菜の花がとても素敵だったので、二本を手折って胸ポケットにさした。
その日の晩に、知らない人から一通のメールが入ってきた。
「けさ、牧田さんが路傍の菜の花を手折るのを、窓のカーテン越しに見ていました。野の花が好きなのですね。ひっそりと咲く野の花は、ひっそりと生きる私たち庶民です」と書いてあった。


これを読んだ私は、私の通信誌を「菜の花通信」と名づけようと決意した。

09/05/30 (土) 昨日の午後


★昨日の午後は、老人福祉センター「市姫荘」で、光道園理事・真家徹さんの講演「ボランテイア活動から学ぶ」が開催され、手話通訳を依頼された私とTさんも出席した。講演対象者は登録ボランテイアのひとたち数十人。


来る予定となっているろうあ者(聴力障害者)が定刻になっても現われないので、通訳を一瞬逡巡したのだけれども、遅れてくるかもしれないと思い、通訳に立った。
通訳をして(というか講演を聞いて)とても感動した。


光道園は重度重複障害のひとたち数百人が全国から集まっている施設である。
普通、障害者施設関係者の話はどことなく生真面目で湿っぽいものだが、<どういう障害者であれ生きていることは人間として成長しつつあることだ>という認識を根底においた真家さんの話には、真家さん自身の人柄の大きさが現われていて、通訳し終わった(聞き終わった)時には、私の気持ちも大変おおらかになっていた。


今、私の目の前には講演のぶあついレジュメがおかれている。後日、まとめて紹介したい。
ロバート・キャパを尊敬し報道写真家をめざしていた真家さんの話のくだりのなかにこういうものがあった。


落語家・立川談志が一期だけ国会議員をやったことがある。
「国会は誰のためにあるか・・・経験則でいうと、結論は国会議員自身のためにある、である」と言ったとき、聴衆席からクスクス笑いが起こった。


それは、あわら市議会の現状に対する批判的共感であったのかも知れない。あるいは通訳をしている私があわら市議と知っているひとたちの笑いであったのかもしれない。
通訳をしている私も、思わず、笑ってしまった。


★早朝に轟地区で見つけた二宮尊徳金次郎の像。荷を背負い読書をしながら歩いている像だ。



私が小学生であった50年ほど昔、母校・金津小学校の校庭にもこの像があったような気がする。
かく言う私もこどもの頃、杉葉を背負って歩いた。杉葉は風呂を沸かすための炊きつけになる。裏山で杉葉を拾い集めて家に持って帰ると、死んだ祖母さんが駄賃に10円くれたのである。
坂ノ下地区のひとは、私のことを「昭和の金次郎」と誰も言わなかった。

09/05/29 (金) 本日は手話通訳


★来月をもって今期4年間の我々あわら市議会議員の任期は終了する。
4年間の締めくくりということで、名議員はそれなりに忙しいはずです。


★早朝に笹岡地区の水飲み場へ行った。



熊坂名水・滝名水と並ぶ旧金津三大名水のうちのひとつ(と自分で思っているだけか)。
私が金津中学校のPTA会長をしていた10数年前、秋の体育祭でこれら三大名水使用の珈琲をテントで飲んでいただいたことがある。


★笹岡を離れ、東山に行った。東山の大堤の辺りにたたづんで一服した。
注:約半年ぶりの一服で、種類はマイルドセブン8mg。



いい味だ。この味を酩酊味というのだろう。
薄暗がりのなかで味に酔いしれている時、足元の水面が撥ねた。鯉が跳ねたのだが、その音がとてつもなく大きく聞こえた。
薄暗がりのなかで視覚が遮断される分だけ、聴覚が研ぎ澄まされる。

 09/05/28 (木) 肌寒い朝


★朝の6時に南疋田を歩いていて、下の写真をスナップショットした(写真クリックで拡大)。



将軍藤原利仁が疋田と関係があったとは知らなんだ。
藤原氏を斉くという意味が斉藤氏にはある。そして、佐藤・加藤・遠藤・近藤・今藤など藤のつく姓は斉藤から出ていると聞いたことがある。


★集落を抜けて田んぼにでると、二羽のサギがいた(写真クリックで拡大)。



見合いをしているように見え面白かったので撮りました。

09/05/27 (水) 熱々珈琲を飲みながら


★最近の私は何故かいろんなところでいろんな人と会って話をしている聞いている。
それらはプライベートなことなので詳述を差し控えるが、某女性の、目に涙をためながらの昨日の話はリアルでとても考えさせられた。


超し方を振り返れば人生は悲喜こもごもだ。誰だったかが、「挫折経験を持たない人は信頼できない」と言っていたが、挫折してもそれを乗り越えようとする努力が人を大きくする。


★本日の朝陽は格別に綺麗だった。



本居宣長は
敷島の 大和心を こと問わば
      朝陽に匂う 山桜花
  と歌ったが
私が読んだこの歌の注釈書では「匂う=鮮やかに見える」としていて、?と思ったことがある。
「匂う」はやはり文字どり「匂いがする」と受け取ることで、朝陽が視覚と嗅覚に同時に訴える強烈な存在として意識されると思う。

 09/05/26 (火) 昨晩 


★昨日、5月議会が終了した。夜は、この四年間を振り返りつつの有志飲み会となった。
私の場合、朝はどんなに早くても大丈夫だが夜は睡魔が襲ってくる。そして寡黙になる。昨夜もそうだった。
宴席の梅干入りお湯割り焼酎に少しばかり口をつけながら、皆の建設的な提言をじっと聞いていた。そのうち、時計が午後10時を過ぎて、息子が車で迎えに来た。
帰宅し布団に入った。珍しく気分がアップビートで寝付かれない。本棚から清水義範の小説をとりだし、眠くなるまで読んでいた。
昨日は上機嫌の晩となったが、たまには悪くない。


★今朝の5時、私は波松海岸にたたずみ、北朝鮮の核実験を考えていた。



今から二十数年前、私は手話サークルの仲間たちと一緒にこの海岸で深夜の焚き火パーテイを楽しんだことがある。金津高校の女生徒たちもいて、青春論議に花を咲かせていた。
午前零時に近くなった頃だったろうか、懐中電灯を持った黒服黒ズボンのおじさんが、突然我々の前に現れた。「怪しい者を見なかったか?」と我々に質問する。
このおじさんこそ恐ろしげで怪しいおじさんだと思ったが、怖いので黙って下をむいていた。
「密入国者を見張っているんや。小船で浜に着くと、先ず民家から自転車を盗み夜のちまたに消えていく」と、そのおじさんは言う。自警団らしきそのおじさんから密入国の裏話を聞いているうちに、時間はどんどんと過ぎていった。


★午前6時に、私は旧芦原町役場にたたずんでいた。
利活用のことについて思っていたのではない。玄関のビオトープを見詰めていたのである。



職員の手で、すっかり綺麗になりました。一度、足を運んでみてください。

09/05/25 (月) きょうは議会最終日


★きょうは5月議会最終日。大きいスケヂュールに関しては、この4年間の任期がきょうをもって終了する。
市民の皆さん、この4年間の御指示御教示、大変にありがとうございました。
いろいろな意味での反省を込め、皆様に対して感謝申し上げます。


★肩に小雨が降りしきるきょうの早朝、私は「♪雨が小粒の真珠なら・・」を小声で唄いながら細呂木駅前を歩いた。既に無人駅となったこの駅のプラットホームを自転車置場からデジカメで写した。



目を待合室に転じた。この待合室には思い入れがある。確か私が金津中学校のPTA会長をしていた10数年前、学校現場で問題となっていたいくつかのことについての意見を拝聴しようと、この駅の近くに住む大学の先生(教育学専攻)に電話をかけ、この待合室で落ち合った。
誰も居ない夜更けの待合室で、冷たい缶コーヒーを飲みながらの論議は二時間以上続いたように記憶している。

09/05/24 (日) 昨日の一日


★昨日は朝の10時から夜の11時まで出ずっぱりだった。その間(かん)、外出先でもあるいは携帯コールでも、様々の人から様々を聞かれた。
それはこのホームページ日記の内容のことであったり、手話のことであったり定期通信や辻立ちのことであったりと多岐にわたっていた。


普段は寡黙だけれども、こういう場合は転じて話好きとなる。生真面目な性格も起因しているのだろう。一生懸命話し又聞いていて、とても疲れてしまった。
でも考えさせられるいろんな情報を聞きました。後日、このHP日記に書込みたいと思います。



09/05/23 (土) 冷える日が続きます


★今朝は何故か富津集落の路上にたたづんでいた。



広々とした名戸集落の玄関アプローチを眺めたあと、坂を登りながらユーモアについて考えた。


丸谷才一のユーモアについてのエッセイのなかに、夏目漱石に関するエピソードが紹介されている。
漱石が東大で英文学の講義をしていたとき、生徒のひとりが羽織(当時の服装は羽織袴なんやね)のなかに右腕を入れ込んだままにしているのに気がついた。癇癪持ちの漱石は「おい、それが受講する者の態度か。ちゃんと右手を出したまえ」と怒った。その生徒は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。隣席の生徒が「先生、彼は障害者で右手がないんです」と言った。瞬間教室は静まりかえり、ばつの悪い雰囲気となった。
しかし漱石はあわてず「私もない頭をしぼって講義をしている。君もない腕をだしなさい」と言った。その瞬間、教室はやわらいだ雰囲気にもどったという。
気転のきいたユーモアというべきだろうが、夏目漱石という頭脳力だったからこそできたことかもしれない。

 09/05/22 (金) 昨日の一日


★昨日は何故か城新田を歩いていた。ビニールハウスに人参の苗を見つけた。



あわら市は人参の出荷で有名だったのである。


★浜からの風が強く、肌へのあたりを防ぐために村の神社境内に入った。



氷川神社である。境内にも海鳴りが遠く聞こえてくる。
耳目をそばだてると、自分が母親の胎内に居た頃を思い出した。


★たまらない気持ちになって波松の浜へ車を走らせた。




浜に座ると目の前を小さな蟹が歩いていく。


東海の 小島の磯の白砂に
         われ泣きぬれて  蟹とたわむる
  石川啄木
である。

09/05/21 (木) ちょっと思ったこと


★三ヶ月程前に亡くなった元金津町議・林田氏が言い残した言葉で印象に残っているのは、<「・・・とみんなが言っている」という言葉を信じるな。そういう場合は、誰がそう言っていたかを聞き出せ。あらゆる意見や立居振舞には、必ず賛否両論があるのだ>である。


最近つくづくそうだと感じる。
発信元を伏せた過剰な情宣は、ある意味、ファシズムみたいなもんだ。

 09/05/20 (水) きょうも快晴


★昨日の早朝、何故か私は牛の谷地区を歩いていた。



「牛の谷」の語源は動物の牛に由来するのではなく、方角の牛に由来する。即ち、金津から見て牛の方角に位置することから「牛の谷」の名がついたのである。


なおこの南側にある地名「細呂木」は全国にひとつしかない地名だと、言語学者・故金田一春彦がTVの芸能タイムでしゃべていた。
ほそろぐ⇒細ろぐ⇒細呂木で、これも金津から見た地理的特徴を現している。即ち、金津を出ると細呂木に至る道は谷合いとなりかつ細くなっていくことからこの名前がついた。


★今朝早朝に温泉地区で、垣根の間に一本の赤い薔薇を見た。



薔薇は赤に限る。
今から32年前、私は十二指腸潰瘍で某大病院に入院した。ある日の見舞客が30本ほどの赤い薔薇を持って現れた。そのひとが、前年に準ミス福井だったこともあって薔薇の赤が一層ひきたった。

 09/05/19 (火) 昨日は議会初日 


★昨日は議会初日だった。一般質問者は6人⇒あわら市HPからのコピー。
その一般質問で、山川知一郎議員の質問を聞いていて、子育て支援の大切さと共に思い出したことがある。


数週間前に市外某保育園の園長から電話があってその保育園へ出かけた。
園長から現今の保育事情を二時間に渡って聞かされた。
「子育て支援も大切かもしれないが、それ以上に必要なのは親教育ですよ。今の若い親たちの子育てに対する考え方や躾がかなりいい加減になってきている。子育て支援にまわす金を先ずは親教育にまわしていただきたい。そしてから子育て支援をするべきです」というものだった。


その意見に私は共感した。私が既に古い世代に属するからの共感であったのかもしれないが共感した。


★中央やや左側にある白い点が、昨夜午前3時の三日月。
カメラの操作方法を詳しくは知らないので、こんなふうにしか写せませんが



幻想的なこの三日月を眺めているうちに私は「ああ・・この三日月が満月になった晩、この世のものとは思われないいでたちのかぐや姫が侍女を従えてこの地球に舞い降りてくるのか。わしは、竹取の翁じゃ、待ってるぞ」と、ひとりつぶやいていたのでございます。

 09/05/18 (月) 早朝に歩く


★遠方の友から夕刻に電話があった。「脳と話をしていますか?」という電話だった。
私たちは話をする時に脳を使う(と思われている)。つまり脳は主体の根幹をなしている。
しかしそうでありながら、その一方で脳は独立した生き物であるのだ。よってワタシはワタシを支えている客体としての脳との対話を欠かしてはならない。
「脳さん、お元気ですか?」と対話をすることが脳の風通しをよくすることになり活性化を促すことになる、という趣旨のものだった。


★最近、知人の死が続いたことで思い出したことがある。
もう10数年前に友人の祖母が亡くなった。
「こんだけながいこと生きてきたけど、一日たりともとばした日はなかった」が臨終の言葉だったとのこと。珠玉の言葉というべきだろう。

 
★本日の早朝、清滝地区を歩いた。
棚田の殆どが麦畑となっている。麦穂が朝陽を浴びて輝いている。



清滝(きよたき)は、字も発音も魅力的だ。どこを歩いても清流のせせらぎが聞こえてくる。



思わずシャッターを切りました。


★本日は議会初日だった。一般質問者は6人。

09/05/17 (日) Sさん 昨晩はお手伝いありがとうございました


★昨日の晩は、福井市内の某懇親会会場にいた。大きい会場で、確か7名の方が挨拶にたった。
隣のテーブルに座っていた某国会議員(自民党)が、「国民がこれだけ疲弊している現状で、史観さえ別にすれば、私の思いは共産党と同じです」と、挨拶のなかで言った。
史観というのが、西尾幹二らの言う「自虐史観」をさすのか、「階級闘争的マルクス史観」をさすのか、あるいは他の史観をさすのかはよくわからなかった。わかったとしても史観がすっきりとアタマの中に入っていない私にはその是非を論ずる能力はないのだが・・。
ただ
人間の行動原理は知識としての「史観」からでてくるものではない、ということだけは言えるだろう。20年以上前に、極度の貧困のなかで孤独死したMさんは、生前、私に「注入された思想で人が動くことはありえへんで。動かす力は心の素(す)にある。言い換えれば庶民性やなあ」と言ったことがある。


★本日はトリムマラソン。早朝から雨風が強かったので市庁舎に電話をかけたら、「やります」という返事だった。
開会式会場は駐車場が満杯だろうと思い、自宅から会場まで歩いていった。ところが横なぐりの風で傘は飛ばされそうになる。要するに傘が傘の使命を果たすことのできないままに会場へ着いてしまった。



おかげで、スーツも下着もびしょびしょだ。開会式が終わると悪寒が出てきた。昨晩の睡眠不足もその要因だったのだろう。
携帯コールで妻に迎えに来てもらった。自宅で全てを着替え暖をとって、ようやく落ち着いた。


口で書いた魂の画人⇒読売新聞に連載されたものです。

09/05/16 (土) 本日はあわら市議選・立候補説明会


松山千春は、結構人気があるんやね。
糸川氏秘書から預かったチケットがまたたく間に売り切れた。

 09/05/15 (金) 昨日の一日


★昨日の朝は、何故か波松にいた。小女子(コウナゴ)漁を見ていた。



少し頂いた。自宅で、お袋が塩茹での後天火干しして完了。
昨晩、手話サークルが終わってからの晩酌のつまみに最高でした。


★昨夕、市姫の知人宅でお二人を相手に最近の情勢あるいは自分の身にふりかぶったことをいろいろと話していた。
話を終えての別れ際、「じゃあまたね」と握手をしたら、「ちょっと待って」と言う。お二人がともに言う。
「?」と首をかしげる私に対して、「手の感じが以前とは違う。口でうまく言えないけど、とてもあたたかくなってきた。それは単に体温の問題だけではないと思うの」とお二人がともに言う。


よくわからなかったけれども、誉められているような気がして、私は小さな幸せに浸ることができた。

09/05/14 (木) 夜明けに熱々珈琲を飲みながら


★あさっての5月16日(土)に、あわら市議選立候補説明会が開かれる。この日に立候補者があるいは立候補者の数がはっきりとわかることになる。
「選挙結果は市民民度の反映」という言葉を聞いたことがある。
きょうの来訪者が、「合併してあわら市となったが、住民はまだまだ村的ドブ板的だ。市民意識というにはほど遠い」と言って帰っていった。


選挙が地域共同体利益擁護優先のものとなっていることを言いたかったのだ。
地域共同体が必要なものでありあるいは人間の情としてもそういう意識が醸成されていくのは必然だ。
しかし市政に関する限り、市全体を視野として考えなければならない。当然だろう。

09/05/13 (水) 合併後五年


★まちで出会った人といろいろな話をすると、いつも聞かされるのが合併の功罪の話。
即ち、旧金津町の人は旧芦原町を旧芦原町の人は旧金津町を「いいとこどりしやがって」と言って批判する。合併したあと数年はそういう声が出たとしても仕方ない。しかし、今年の3月には合併5周年記念式典が施行された。
この段階で旧両町の人がお互いを批判するのは意味がない。意味が無いというよりも対立をあおるだ。合併は見合い結婚のようなものだ。結婚すれば所帯はひとつなのである。
建設的な批判はウエルカムだが、合併したこと自体にまで戻る批判は器量の小ささを露呈するものである。

私たち大人世代は余命がながくないのでまだ構わないとしても、私たちの子の世代孫の世代にとってはそれによる負の影響が大きいと思われる。


★早朝歩きで見つけた大きい筍。



写真ではわかりにくいけれども背丈は木造の屋根をはるかに超えており、筍というよりも竹までもう一歩という感じ。
ちょっと珍しい写真でした

 09/05/12 (火)  


★昨日は全協(全員協議会)が開かれた。本来は6月に予定されている定例会が、市議選とぶつかるため、5月に変更となったためである。即ち今度の議会は5月18日に始まり25日に終了する予定となっている。
この4年間、皆さんにはいろいろ御教示いただき、ありがとうございました。謹んでお礼申し上げます。


さて昨日は一日中がとても忙しかった。午前中は、坂井市三国町陣ケ丘で打ち合わせに追われていた。これまでの経過及びこれからの段取りをいろいろ話し合っていた。
午後は前述したように全員協議会。1時半に始まり5時前に終了した。そのあと有志議員三人が私の事務所に集まって懇談。6時を過ぎると瞼がとても重たくなってきた。気がついたのだが、前の日の睡眠時間が二時間。
晩飯とわずかのお湯割り焼酎もそこそこに布団にもぐりこんだ。


夢を見た。蝶になった夢を見た。
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。(安西冬衛)」を思い出した。


「てふてふ」というとてもちいさな存在と「韃靼海峡」というとても大きな存在を同じ文脈のなかに入れ込むことによってその落差を際立たせるという手法をとったこの短詩は、若い時から気になる詩だった。


★尊敬するひとが持ってきてくれた新聞切り抜き。

読んでいて、目頭があつくなった。政治にできることはたかがしれているのかもしれないが頑張らなくては、と思った。

 09/05/11 (月) 早朝に


★柱時計が午前5時をうった。うつらうつらしていた私は、時報の音で目がしっかりと覚めたが、5月初旬のこの時期のこの時刻、外は既に明るい。
外を見ているうちにやらねばならない仕事の沢山あることに気がついた。
しばらく仮眠をとったあと、はじめに区内のあるひとの家に行き「今回の市議選と私のかかわり」についていろいろ話した。ざっと1時間以上話した。半分くらいは理解していただきしかし半分くらいは叱責された。
私は最近思うのだが
好かれるためには嫌われる必要がある。みんなから好かれるひとというのは(どうでも)いいひとだ。私はそのようなひとにはなりたくない。

 09/05/10 (日) 太鼓


★この時期、市内の名地区で春祭りが開かれている。
先日は熊坂長範祭りに行った。イベントの一番初めが「熊坂長範太鼓」だった。和太鼓はどちらかというと耳ではなくて腹で聴くものだ。腹にズンズンとくる。
そして実は
ろうあ者の和太鼓サークルも全国的には多いのである。聴力がなくとも体で感じることができるということだ。
障害者が五感のうちの何かを欠損している場合、残存の感覚感受能力は、例えば五感が正常に機能している我々よりもはるかに素晴らしい。我々はそのことを心に銘記すべきである。


★本日の午前中は、「ブナの森コンサート」に行った。



途中の絶景は見事というしかない。



昨日、誰だったかから「ひとを一番にいやすのは、ひとではないし文学でもない。政治でもないし自然ですよ。絶対に自然ですよ」と言われたが、その通りだと思った。





★午後は、合間をみて、自宅近くの総持寺で行なわれた火渡りの儀式を見た。
クリックで大画面


何年前だったか、私はこの火渡りを実践した。
裸足を塩で清め、心頭を滅却して儀式にのぞんだのだが、熱くてちょっとだけやけどをしてしまった。
要するに当時はまだ人間ができていなかったのだが煩悩がありすぎたのだが、今は違う。幾星霜で様々の試練を乗り越えた。人間もできてきた。自分で言うのはあつかましく聞こえるので、小声でそっと言うのだが、今火渡りにのぞむならば、楽にこなせたはずだと思う。

 09/05/09 (土) 昨日と今日と


★ラジオニュースが「足利事件で再審の道が開けそうだ」と言っている。DNA鑑定のやり直しで容疑者が「極めてシロに近い」という判断が下された為で、これは当時のDNA鑑定の精度が低かったことを意味している。
こういうニュースを聞くと、司法が絶対的なものではなく無実の罪に落とし入れられたひとも過去には多いのだろうと思ってしまう。そもそも、人が人を裁くのだから無謬はあり得ないと思ってしまう。


★スーパーマーケットの駐車場で会ったひととの長話。
私は最近体験したことを一生懸命に話したのだが、「大変感動しました。今度、講演してほしい」との答えが返ってきた。
例えお世辞であるとしても嬉しいものです。


★「事件」と言う程でもないのだが、ちょっとした家庭内トラブルが昨晩発生した。私自身に問題があったためかと、私はとても落ち込んでしまったのだが(⇒プライベートなことなので詳細は書かない)、これへの対処で私は妻をおおいに見直した。9才年下だが9才年上のように昨晩は思えた。


★夏目漱石著・「草枕」冒頭に
「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。
情(じょう)に棹(さお)させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい」がある。時々実感する。


★本日の午前中は身障連(身体障害者連合会)の平成21年度総会に出席し、手話通訳をこなしていた。



普通、手話通訳は2、30分で交代するのだが、交代要員のいない本日は一人で一時間半をこなした。疲れました。

 09/05/08 (金) 深夜に牛乳を飲みながら


★来週の5月11日には全協(全員協議会)が開かれる。
前に書いたことがあるけれども、今年は6月に市議選がある関係で、6月定例議会が5月に期間変更されるためである。期間変更で、5月18日が議会初日、25日が最終日となる。
通常と比べて短い期間になっているが、これは、議会終了後に選挙準備に入ることができるようにとの配慮からくるものだろう。


ところで、選挙準備というのが私にはもうひとつよくわからない。
有権者が立候補者の誰に投票しようとするかは、判断する資料があってこそ可能となる。
私が議員となった10年前と比較するならば、例えばケーブルTV29チャンネルの普及などで、相対的には、名議員の議会での顔が見えるようになってきた。けれども、まだまだである。
見知らぬひとからのメールなどにもよく書いてあるのだが、個々の議員の個人的な努力あるいはメデイアの選択幅の拡張などが今後の課題となってくると思われる。
6月市議選で当選したひとたちは、このことを頭に入れておいてほしい。

 09/05/07 (木) 深夜に雨音を聴きながら


★昨日もいろんな人に会い、叱咤激励された。
己に愛想がつき気持ちがくじけそうになると
下の詩をいつも黙読する。
邪念がすうっととり払われるような気分になる。

「雨ニモマケズ」  宮沢賢治

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラツテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジヨウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ陰ノ

小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ツテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクワヤソシヨウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボウトヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハ

ナリタイ


★事務所裏の駐車場に白菊が咲いた。



水遣りをしていた時、先日亡くなった私の妻のお母さんの名前が「小菊」であることを改めて思い出した。私は名前にこだわるタイプではないが、しかしこの珍しい名前を考え続けてきたことは事実だ。


09/05/06 (水) ゴールデンウイークも終わる


★GW(ゴールデンウイーク)もいよいよ最終日となった。ETCを車に備え付けておらず、又、予期せぬことが次から次へと起こって、福井から一歩も外へ出ることのないGWだった。


GWは数十年前は単に連休と呼ばれていたのだが独特の思い入れがある。(今は減反のあおりをくって田んぼを止めてしまった我が家だが)連休というと田んぼである。日本民族は葦豊原瑞穂の民と称され古代より米を主食としてきた。





上の写真は今朝の5時半に番田地区で撮ったもの。既に田植えが終わっている。
五月女たちが並んで田植えをする風景をどこかで見たいものだ。

 09/05/05 (火) 鳥居


★明け方に温泉区で見かけた赤い鳥居。




見ているうちに、鳥居の写真を撮りまくっていた若い頃を思い出した。
郷土史家だった山口先生は、鳥居の語源について、「鶏の止まり木を意味する「鶏居」を語源とする説、「とおりいる(通り入る)」が転じたとする説がある」と言っていた。
上記写真もそうであるが、稲荷神社の鳥居は朱塗りで知られている。
稲荷神社は穀物豊穣の神であり、稲荷(イネナリ)が稲荷(イナリ)に転じたのだろう。


この赤い鳥居のミニチュア版がゴミの不法投棄対策として使われている。鳥居を神聖なものとみなし不法投棄をするとバチがあたるという日本人の心理を利用したものである。
私の知っている限りでは、あわら市の場合、北潟地区に沢山作られている。


★きょうの午前中は、雑用ばかりに追いかけられて、日記を書いている暇がなかった。そうしたら「なんで書かないのか」という電話が入ってきた。
こういう電話を頂くと、とっても嬉しくなりますね。
メールでも結構、ファックス(0776-73-0863)でも結構。どしどしお便りをください。

 09/05/04 (月) 語り


★早朝の金津市街地を歩いていた時、ナンテンが目に入った。しばらく眺めているうちに、20年近く前を思い出した。



私は、当時付き合いのあった建築設計士数人とともに飛騨高山へ旅行した。飛騨高山は古民家の保存で有名ではあるが、その保存建物のなかに武家住宅があり、皆でそこへ入った。
その武家住宅の便所の出入り部分に手水がありその脇にナンテンが植えられていた。住宅に於いて便所は不浄の場所であり難を発生させる場所である。そこで、ナンテンを難転つまり難を転じると読み説いてナンテンを植える。これが一般的な説である。


しかし、某建築設計士がそこでナンテンについて語った解説は全く違うものだった。


「武士や奥方は、はしたないことを口にはしない。少なくともおおっぴらにはしない。
武士は奥方に、「久し振りに今晩しようよ」と小声でささやくのである。妻も又承諾や拒否を口ではしない。ナンテンの実を利用するのである。承諾ならば白い実を、拒否ならば赤い実を利用するのである。例えば拒否の場合、ナンテンの赤い実を手水鉢に入れておく。赤い実は生理の印しだ。
「旦那様・・今は生理なのでお相手できませぬ」のメッセージなのである。赤い実が沢山入っていたら、「旦那様・・生理の量が多いのでお相手できませぬ」のメッセージなのである。

上流階級に限定されるが、昔のひとはなんとつつましやかであったことだろう。

 09/05/03 (日) 本日は憲法記念日


★葬儀であわただしかった数日が過ぎ



納骨を終えて事務所に戻った。


★遅れていた所用をこなしていた時に「知人が亡くなった」という電話が入り通夜会場に行った。享年50歳というあまりにも若い死で、残された子供さん方の学生服姿が痛々しかった。


★通夜会場を出ると夕暮れだ。
帰路、友人宅に寄った。外に出て雑草を眺めながら話に興じた。奥さんが「寒くなってきたので家にお入りになったら?」と言ってくださったのだが、私は「ノー サンキュウ」と答えた。
朝陽の昇る時間帯と夕陽の落ちる時間帯に外に出ているのは既に私の習慣となっている。朝陽と夕陽がこの世で一番美しいものだと思っている。

 09/05/02 (土) 葬儀の合間に


★昨日は、妻のお母さんの葬儀に出席した。休憩時間に控室へ戻ると赤ちゃんがひとり眠っている。すやすやと眠っている。




老若男女を問わず一心不乱の姿は美しい。感動すらする。
そして一心不乱に眠る姿も又美しいのだ、と改めて思った。


★まちなかで会ったひとから、「すっかり元気そうやね」と、よく言われる。昨日もふたりのひとに呼び止められ、そう言われた。
勿論元気なのだけれども、元気というよりも人間性が変わったというほうが当たっている。
シャイな性格の私が、最近はそうでもなくなった。
「これをしたら(言ったら)、見る(聞く)ひとはどう思うだろう」ばかりが気になってつつましかった私だが「そのことで自分を見失ったら後悔だらけの人生になる。どうみられたいかよりもどうしたいかどうありたいかが大切や」と思うようになってきた。


あたらしいぞ私は(荒川洋治)・・・なのである。


★チューリップの季節だ。



街角の随所にはチューリップが置かれている。
写真は新町公民館(午前5時半撮影)。

 09/05/01 (金) きょうから5月


★きょうから5月だ。新しい月は妻のお母さんの葬儀で始まることになる。
昨日の御通夜は、喪主夫妻(義兄姉)の横に私たち夫婦も並んで弔問客を出迎えた。


昨年の10月に私の父が亡くなった時、私は喪主として御通夜の場で弔問客を出迎えなければならなかったのだが、入院していたのでそれができなかった。それはある意味悔しいことだったが、今回は弔問客を出迎えることができた。


「生老病死」は、人が避けることのできない人生の常だが、義姉の横にたって出迎えていると、弔問客の義姉への小声のささやきかけが時折聞こえる。そして、妻の母さんの生前の人柄が偲ばれる。


★昨日の夕刻に知人が事務所を来訪。熱い珈琲を飲みながらしばらくの間、歓談した。
数日前の私のHP日記に心を打たれた、という。


心を汚(けが)されたという意見は多いのだけれども、たまには上述のような意見をいただく。そのような時、心が開放される。書き続けてきてよかった、と思う。