2009年08月


 09/08/31 (月) 衆院選結果


昨晩の衆院選開票。
開票前から確実視されていたこととはいえ、政権交代が実現した。ながかった政権が打倒されたのである。そのこと自体は大変に喜ばしい。


しかし
その民主旋風のなかで福井県選挙区の1区から3区まで自民党が勝ったということは、福井県が陸の孤島化していくのではないかという大きな懸念を抱かせる。ここ福井2区でも民主・糸川氏はあわら市と坂井市で勝ちながらも、全体では1千数百票の僅差で敗れてしまった。
異様であるとは思うけれども、有権者がそれを望んだのだから仕方ないのかもしれない。


だけれども
比例復活をあわせると、福井県の場合、民主四・自民三という構図になって民主のほうが多い。
ねじれといえばねじれなのか。


今回の選挙戦で、私はいろんなことを経験した。いろんなことを感じた。いろんな裏話も聞いた。
少し「利口」になったような気がする。「利口」には、肯定的ニュアンスと否定的ニュアンスの双方があるが、少なくとも空気を読む力がついたような気がする。


糸川氏は若さと論理力を持った掛け値なしの人材だ。民主党のホープだ。
私の事務所で開いた何度かのミニ集会にも来ていただいたが、集会に参加したひとたちの顔は皆輝いていた。
四年後の倦土重来を期す。


公示期間中、申し合わせにより、衆院選への言及は自粛していました。

09/08/30 (日) 快晴の朝


今朝の4時半に起床した私は、あわら市内を車でまわった。


その後(のち)、森のなかにあるふたつの神社境内を訪れた。願いごと成就の為の祈願である。



拝殿の脇には石の社がたたずんでいる。正面は丸と三日月がくりぬかれている。丸は昼の世界を司る天照大神で三日月は夜の世界を司る月読命を表わしているのだろう。


郷土史家・故坂本豊先生は「これを影向(ようごう)と言います」と言っていた。
古代日本には八百万の神々がいた。神々は天から降りてきた。その拠代(よりしろ)は、巨石であったり巨木であったりさまざまだ。社(やしろ)とは屋根を持つ拠代(よりしろ)くらいの意味だ。


巨木といえば、境内に巨木珍木を見た。



昔この境内で自死したひとがいる、と聞いたことがある。この木はその為に使われたのかもしれない。
木の前にたたずむと断末魔のあえぎ声が聞こえてくる。もしかしたら私は霊感を持っているのかもしれない。


願い事が成就(すると信じてはいるが)するかどうかは、今夜12時頃にもわかる。


衆院選の投票をすませてから、坂ノ下八幡神社へ向かった。午後に納涼祭が開かれるのでその準備のためである。

八幡(ハチマン)とは戦時の旗の膨大さをあらわす。つまり武運長久を司る神だ。


掲示板が停止中なので記憶で書くのだが、私のホームページをクリックした時の現れ方がおかしいという指摘が以前にあった。識者に聞いたところ、これはお手持ちのパソコンのエクスプローラーが8に更新されているためである。エクスプローラーを7に戻せば問題は解決する(はずです)。

ウインドーズ・ビスタやウインドーズ・XPの場合
戻す手順は、「スタート」→「コントロールパネル」→「プログラムのアンインストール」でエクスプローラー8を削除し再起動すればよいと思います。

 09/08/29 (土) 未明に缶コーヒーを飲みながら


9月議会を前にして、いろいろ準備が必要だ。けれど、準備の為の道具としてのパソコン周辺機器に不具合が生じてちょっと困っている。
加えて他の諸々も重なりアタマの中がパニックになりそうだ。いや、もうなっているのかもしれない。
もともとが私は不器用な体質でものごとをバランスよく進めることが不得手だ。


昨晩も妻から、「おとうさん(私のこと)はキャパシテイが小さいので、ひとつひとつを地道に進めていくしかない」と言われた。
自分のことは自分ではなかなかわからないものだ。他人のほうがよくわかる。そして最大のウオッチャーあるいは理解者が妻であることは勿論だ。自分で判断に迷った時、妻にその判断を仰ぐ。妻の口から出てくる理路整然に私はひれ伏す。


いつだったか、週刊誌をぺらぺらとめくっていた時、某映画デイレクターの次のような言葉が目に付いた。
<覆水盆に戻らず>というが、夫婦の場合は違う。夫婦の場合、覆水は何度でも盆に戻る


某旅館での朝食の後(のち)、ロビーで庭園を見た。

ありふれた庭園風景で、利休の二畳台目や室町時代に傀儡の手で完成させたとされる枯山水のような切先を感じることはなかったがココロはやわらぐ。
クラシックと歌謡曲の違いに比定されるのかもしれない。

09/08/28 (金) きょうも快晴


昨日の講話風景がメール添付で送られてきた。




風采のあがらない私は、鏡を見ることが殆どないし、自分の写真を見ることも苦手だ。けれども昨日は何故か透明な気持ちで話をすることができた。
こういう時はそれなりにいい顔をしていたのではないかと思い、日記で公開します。
未明にコーヒーを飲みながら本日の新聞を読んでいた。衆院選関係の記事が多く出ている。
明後日8月30日は衆院選の投票日だ。
選挙権の行使は有権者の権利であると同時に義務でもある。
世代や性別を越え、全ての有権者が投票場へ行くことで、総意が政治に反映される。

09/08/27 (木) 講話を終えて


今朝の私は、講話をしていた。「死をのりこえて」という重々しいタイトルだったが、仰々しく考えずに自然体でしゃべった。
講話を終えて部屋を退出する時、背後の女性の声に呼び止められた。
「またか」と思った私が振り返ると、そこには若いお嬢さんが立っていた。勿論美しい女(ひと)だった。


「感動的なお話、どうもありがとうございました。私は元美大学生です。こういうものを企画立案しました」と言って、パンフ「三国湊の路」を私に手渡した。
私は「頑張ってください。もし貴女があわら市の歴史を調べたいのならば、私は喜んで貴女の力になりましょう」と答えた。


09/08/26 (水) さあ 頑張らねば



私の事務所の近くに、千束・一里塚(県の重要文化財)がある。そして未明にここを通る時、この大きな榎の根元にある地蔵尊に備えられた水を毎日替えているおじいさんを必ずみかける。

未明だから見かける人も殆どいないだろう。
どんな思いがこの行為のモチベーションになっているのかわからないけれども、地域の清浄は、このような匿名的行為によって維持される。


人間社会の集まりが腹にいちもつを含んだ言葉(これを擬似言葉という)の飛び交う場であることを考えると、このような匿名的行為を目にすれば、自然に頭を下げたくなる。


司馬遼太郎は何かのエッセーで、「江戸期までの神道は、外来宗教である仏教のようなイデオロギーをもたなかった。教義は<清浄にして清浄>のみであった。」と書いている。
そしてこのくだりを読んだ時に思い出したのが、近松門左衛門の「曽根崎心中」だった。


この世のなごり 夜もなごり 
死にに行く身をたとふれば あだしが原の道の霜 
一足づつに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ
あれ数ふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 
残る一つが今生(こんじょう)の 鐘の響きの聞き納め 
寂滅為楽(じゃくめつ いらく)と響くなり


09/08/25 (火) 衆院選は終盤戦


きょうは全協(全員協議会)が開かれる。9月議会を前にしての全協だ。


去る6月のあわら市議選で新しい議会となり、7月1日には議長・副議長や常任委員会の所属を決めるいわゆる組織議会が開かれたが、実質的には9月議会が初めての議会といえる。
委員会では、市が抱えるさまざまの問題が議論されることになるだろう。爾後、通信誌を出そうと思っている。


ところで、私が倒れたのは昨年の10月だから、9月議会終了の頃は「あれから一年」ということになる。
完全ではないけれども、カラダとココロのリハビリを経て、体調はほぼ普通に戻った。
今だから言えるのかもしれないが、本当に貴重な体験をしたと思っている。
生を原点から考えるようになった(そういえば、生をテーマの小さな講演も予定されている)。


この間(かん)、いろんな方々から励ましの言葉をいただき、本当にありがとうございました。


北潟湖のほとりを歩いていると一定間隔で爆裂音が遠くから聞こえてくる。



農作物を食い荒らす害鳥対策の処方だ。
早朝ウオーキングをしていた時、向こうから歩いてきたおじさん(推定年齢55歳)が「ありゃあなんの音やろか」とひとりごちていたので、「鳥よけですよ」と言ったら、納得して去って行った。

09/08/24 (月) 日照不足


きょうの新聞に、今回の衆院選の行方に関心を抱いている若者が前回の衆院選と比較して大幅に増えていることが書いてある。若者の政治離れが嘆かれている昨今、これはよいことだ。
当たり前のことだが、若者は我々(例えば私は団塊の世代)よりも将来がながい。政治構造の影響をながく受ける。その意味で、今後の政治の方向の選択に関して一票を投じるのは、本来、当然のはずだ。


夏らしい夏のないままに秋の気配が訪れ、稲刈り期が近づいている。日照不足で実り具合が心配されているが、北潟湖周辺の田んぼについては



昨年あれだけ物議をかもした塩害の影響も今年はない、という。
パイプラインによる灌漑ではないので、塩害を受ける季節もままあるのだが、そのことも含めて農作物は工場製品とは違うことを改めて思う。
工場製品ならば組織的な管理システムがあり、上司の監視もある。
翻って農作物の場合、主人はおてんとう様だけなのだが、そのおてんとう様がむらっけを起こすと大変困る。

09/08/23 (日) ゆったりもできない日曜日


毎日独楽鼠のようにせわしく動いたり、原稿書きに追われたりしていると、深夜に瞑想しているのが最高に大切な時間に思えてくる。深夜にひとり起きているのが孤独かというととんでもない。自分の手や足や指先と対話する。言い換えれば自分の体全体と対話する。
思うに、意識にしろ無意識にしろそれらは脳に限定的に存在しているのではなくて、じつは体全体に分散している。五臓六腑にも存在している。
何故そういう考え方になったかというと、昨年、大病を患ったからだろう。
うまくいえないけれど、体のいろんな部位がお互いに協調したり反発したりしながら時には悲鳴をあげているのだと思う。



午前中に人生相談をうけた帰り、久しぶりに旧芦原庁舎にあるビオトープを見に行った。

蓮の葉の下を泳ぐメダカが時々見える。オレンジ色の小魚も群れをなして泳いでいた。
魚達に喜怒哀楽はあるのだろうか。人と魚のどちらが幸せなのか、よくわからない。

09/08/22 (土) うす曇の朝


疲れ目だからかなのか、このところ私の目の働きが悪くなってきている。昔は事務作業はすべて手書きだったけれどもいつの間にかパソコンに頼るようになってしまった。手書きは字の大きさを無意識のうちに自分の視力に合わせて微調整してくれたけれども、パソコン文字の場合、そうはいかない。自然、無理が重なってきたのだろうと思う。


夜の車の運転を怖いと思う時もある。
昨晩は、妻の運転で、あわら市内をまわった。実にひさしぶりのデートだった。
車中、いろんな話をした聞いた。私のいい加減な点、そして(少しだけれど)いい点を細かく指摘していただいた。
いつも思うことだが、仏教用語で人間のことを「煩悩具足の徒」というのは、人間存在が常にプラスマイナスゼロだということをあらわしている。
人間は他者に対して必ず影響を与える。ある人に対していい影響であるそのことが別のあるひとに対しては悪い影響となる。その意味でいいひとも悪いひとも存在しない。「色即是空」という言葉もこれに関連しているような気がする。

09/08/21 (金) 戦没者慰霊祭


昨日の夕刻に、金津地区戦没者慰霊祭が開かれた。夏終盤になってやっと夏らしくなり、蝉の鳴声の聞こえるなかで、私は、「追悼の辞」を読み上げていた。


私は昨年暮れに亡くなった父親(おやじ)のことを思っていた。父親(おやじ)は86歳で逝った。父親(おやじ)は出征兵士だったので、出征兵士でつくる会・温交会の会員として10年程前までは、この慰霊祭に参加していた。しかし寄る年波に勝てず、昨年、あの世へと旅立った。
多くの温交会会員がそうであり、ついに温交会は消滅した。


私自身は、太平洋戦争を五味川純平著「人間の条件」、壺井栄著「二十四の瞳」、井伏鱒二著「黒い雨」や大岡昇平著「レイテ戦記」などで考えた世代だ。けれども、戦場の生き証人が戦争を語るそのリアリテイは別種のものだと思う。
しかし、戦場の生き証人が皆無になる日も近くなってきている。

09/08/20 (木) 思い出話


昨日の午後は東部地区・民生委員の集まりに招かれ、手話の講習をした。
議員をながい間しているので、民生委員のなかには知った顔も沢山ある。
手話の講習を終え、講習会の会場となった部屋を出て、廊下のソファーに座りこみ疲れた体を癒していたところに、一人の民生委員が近づいてきた。知己のひとなのだけれども久しぶりの出会いだった。自然、昔の思い出話に花が咲いた。
昔に戻りたいとは思わないが、たまさかの思い出話は楽しいものである。

09/08/19 (水) 天気は大丈夫


きょうは糸川選挙カーがあわら市内をまわります。
牧田事務所を午前8時に出発し、午後8時まであわら市内をまわります。
市民のみなさん、手をふって御声援ください。


私の事務所前を出発する糸川氏。

 09/08/18 (火) きょうは公示日


きょうは衆院選公示。
糸川陣営本部事務所(福井空港脇・元ヤスブン)の出陣式はam9:00からです。
皆様、お誘い合わせの上、是非おこしください。


・坂井地区(本部事務所) 時間:午前9時〜
 場所:坂井市春江町江留中37-12-2(福井空港西隣)TEL:0776-58-3055


・勝山地区(勝山事務所) 時間:午後1時〜
 場所:勝山市本町3-5-7 TEL:0779-87-3220


・大野地区(大野事務所)  時間:午後3時〜
 場所:大野市日吉町18-2 TEL:0779-65-1405


明日19日は、糸川選挙カーが午前8時から午後8時まであわら市内をまわります。
あわら市民の皆様、是非応援をお願い致します。

09/08/17 (月) 日ロ友好


今朝は三時に起床。外へ出ると見事な三日月である。


三日月を見ると必ず思い出すのが、ロシア娘だ。十数年前の夏、ロシア娘・エレーナが私の家にやってきてホームステイをした。私たち夫婦はエレーナを北潟湖畔祭りに連れていったり、浴衣を着せて花火を楽しんだりした。またたく間に数日が過ぎ、さようならする日がやってきた。
その日の夕刻、エレーナが事務所に紙袋を持って現れた。
「いろいろありがとうございました。とても楽しかったです。ロシアは貧しい国なのでこういうものしかお渡しできませんが、どうぞ飲んでください」と言って出ていった。


紙袋の中身は一本のウオッカだった。
夜になってから私はそのウオッカとグラスを持って、事務所駐車場脇の草わらにいずかった。
天空の三日月を見ながらウオッカをぐいぐいとあおった。ウオッカが喉を通る時、焼けるように熱い。
「エレーナの正体はかぐや姫だったのだろうか」と、私は平安時代にタイムスリップした。
ウオッカ瓶が空になる頃、私は無茶苦茶だった。草わらのあちこちに吐き散らし、足腰は全く動かない状態となっていた。


その後、節度のある生活をするようになった私だが、当時はまだ若かった。


いよいよ明日は衆院選公示。
糸川陣営本部(福井空港脇・元ヤスブン)の出陣式はam9:00からです。
お誘い合わせの上、おこしください。

09/08/16 (日) 深夜ラジオから流れる昔の歌謡曲を聴きながら


保母さんとの子育て論議(親育て論議)に疲れて帰宅し熟睡した昨日の早朝、某議員から電話があり出かけた。30分間程、市議選に関する裏話を聞かされた。


昨年末に大病を患ったことと今回の市議選で、私の人生観は変わった。
交友関係も大きく変わったと思う。


阿刀田高がこんなことを書いている。
騙されることはあっても騙したくはない。
それで生きていけるならそのほうがずっといい。   阿刀田高「いびつな贈り物」



昔から私は「会」というものに興味がなく、入っているのは「手話の会」くらいのものだった。
その私でも30歳代の頃、「木と建築の会」に入っていた。木の表情が豊かだと思ったからである。樵や造園家のおじさんから木にまつわる話を聞くのも楽しかった。
たとえば
松(マツ)の語源は正月にある。正月には歳の神が降臨する。その寄りしろが門松であり、マツの名がついたそうだ。
杉は北山杉に代表されるごとくマッスグ育つ。その連用形のスギが語源となった。
桧(ヒノキ)は勿論、火をおこす材料だったからだ。
樫(カシ)は堅い木でカタシ→カタシキ→カシと迂回してきた。
欅(ケヤキ)は神社境内によくみられる。神々しいの古語であるケヤシがケヤキに派生したものだろう。
奥山を歩く時、かたわらのひとにこのての話を熱っぽくしていたのを、なつかしく思い出す。

09/08/15 (土) 土曜日の朝に


本日の福井新聞に辺見庸が、「核なき世界」をうたったオバマ米国大統領に触れて書いている。
オバマの目の翳りを、理想主義と現実主義の自己断裂からくるのではないかと断ずるくだりは、シニカルな辺見自身の目と重ねあわせている。
いずれにしろ、「核なき世界」の実現は、世界への呼びかけで始まるのではなく、唯一の核爆弾使用国である米国自身の広島・長崎への謝罪を含めた核廃棄への率先した行動が求められるが、国家戦略から(つまりイスラエルやパキスタンや中国やら北朝鮮の核保有を考慮した場合)それはできまい。
理想主義と現実主義の自己断裂とはこのことをさすのだろう。
実に久しぶりに高校野球のこと。
明日、敦賀気比高校は帝京高校と対戦する。帝京高校というと、10数年前に帝京戦を前にした報徳学園高校監督が語ったことを思い出す。


データーでみる限り、うちが帝京さんに勝つ確率は限りなくゼロに近い。
しかし限りなくゼロに近いということとゼロということは全然違う。
               報徳・広岡監督(帝京戦を前にして)


09/08/14 (金) 牛乳を飲みながら


18日の衆院選公示が近づいてきた。いよいよ本番だ。
日本を福井を変えることができるかどうかは30日の投開票にかかっている。日記を御覧の皆さん、福井二区をとびまわっている生身の糸川正晃氏にどこかでふれてほしい。
将来性豊かな糸川氏を知ってほしい。


未明に北潟湖へ行った。湖畔にいずかり、夜明けを待った。




夜明けとともに歩き始めると、両脇の街路樹の整然とした並びが目にここちよい(寄贈者の名札がくっついているのは邪魔だけどね)。


明るみ始めた湖畔で、私は和泉式部を思い出した。


暗きより 暗きみちにぞ 入りにける
       遥かに照らせ 山の端の月  
  和泉式部(拾遺集)


愛娘・小式部内侍を失った和泉式部は絶望感にさいなまされ、歩む道はますます暗くなっていく。見上げると山の端に月が出かかっている。月よ 私の歩む道を明るく照らしておくれ。
というくらいの意味で、宗教歌に属するのかもしれないが、政治的に読むとどうなるか。


郵政選挙で疲弊した我々の暗い心を明るく照らす月とは政権交代である。
福井二区の糸川氏勝利である。

09/08/13 (木) 世間は盆休みに入るけど


昨晩は、糸川氏が事務所2階(妻の事務室)で、女性ばかりを相手に国政報告をした。
国政報告を前に事務所1階(私の事務室)で私は化学物質過敏症の女性を糸川氏に紹介した。
私自身はこの女性から過敏症によるさまざまの悩みを聞いていたが、健康のベースが食にあることを痛感している

09/08/12 (水) 昨夜は熟睡 


昨晩は、坂井市丸岡町に、新党大地の鈴木宗男氏が来た。





鈴木宗男氏といえば昨年の文芸春秋で北方領土に関する外交史を書いた元外交官・佐藤優氏の文章に頻々と登場していた。権力によって悪役のレッテルを貼らされた時期もあったが、しゃべりを聞く限りでは誠実で相手と目線を同じくして語り聞くひとだと思った。


帰宅し、ゴーヤ卵とじをおかずにしての晩飯。コップ酒一杯でいい気持ちになり就寝。

 09/08/11 (火) リポビタンDを飲みながら


私は典型的な朝型人間で、朝はどんなにはやくても平気だが、夜は9時頃になると眠くて仕方ない。しかし昨晩は珍しく10時頃まで目がさえて、自宅裏を散歩した。竹田川河川敷にいずかり、ザルツブルク音楽院時代に頂いた独煙草・ゲルベゾルテを一本取り出し、ジッポーで火をつけた。大きく吸い込んだ。


くさわらに仰向けに寝転ぶと、コオロギの鳴き声が聞こえてくる。鳴き声は次第に大きくなり、まるで足元から聞こえてくるようだ。
暗闇は視覚を遮断する。視覚が遮断されるぶんだけ、聴覚が鋭敏になる。
水面で魚が跳ねた。小魚が跳ねただけなのに、雷鳴の轟きのようだ。


深夜は一見静寂の世界だが、耳をこらすと音の劇場である。
昼を歌謡曲の世界に例えるならば、夜はクラッシックの世界である。

09/08/10 (月) きょうは厚生経済常任委協議会


梅雨あけ宣言があったにも関わらず、雨模様は相変わらず続いている。台風9号が日本列島に近づいているという情報が、深夜ラジオから流れてくる。
夏の気配すら無いうちに、今年の夏は終わってしまうのではないか。


冷夏のつけは秋に現れる。主食の米をはじめとした農作物の収穫量や品質が低下し、農作物の値段が高騰する。鎖国の江戸期には、こういう事例もあったのだ。




早朝に北方湖へ行った。湖畔の雑草地にコスモスが咲いている。



まだ8月のはじめだというのに咲いている。
そういえばコスモスは秋桜と書く。♪「秋桜」は山口百恵のヒット曲のひとつで、私の愛唱歌でもある。
人気絶頂期に三浦友和と結婚し引退を表明したが、彼女は今も幸せなのだろうか。

09/08/09 (日) 昨日の一日


昨日の早朝に滝地区を車で走った。山麓を見遣ると雨あがりのせいかガスがかかっている。



車を止めて山麓の写真を撮った。再発進させようとしたところ、車が動かない。ガス欠になったのだ。
「ガスを見てガス欠とはこれいかに」と駄洒落を考えたのだが、なかなかいい言葉が思い浮かべず断念。滝地区の近くに住むS君に電話をかけてガソリン充填を依頼した。
お礼に100円の缶コーヒーをご馳走し、今回の衆院選・福井2区の動向についてを話し合った。


午前中は、H氏と共に市内金津地区をまわった。正午が近づくにつれ、気温が急上昇。額や首筋が汗でびっしょりとなる。体力を消耗する。やさ男の私は、タフさをもう少しほしいと思った。


男はたくましくなくては 生きていけない
やさしくなくては 生きていく資格がない    レイモンド・チャンドラー  
なのである。


夕刻には湯かけ祭り・開幕セレモニーへ。


太鼓を指導するSくんとしばらくの間、四方山話をした。
会場内を歩くと、知らない何人かの人から挨拶をいただいた。今回の市議選に民主党公認で立候補したことの影響がここにもあるのだろうと思った。


あたりが闇につつまれる頃、糸川正晃氏が現れた。メイン会場とセントピア芦原のサブ会場を歩いたあと、春江の後援会事務所に戻っていった。



本日(8月2日)の福井新聞2面の見出しに「比例、若泉氏申請へ」とある。
市議選の時、何度か来てくださりあるいは携帯電話を毎日くださった人だ。
エネルギッシュなしゃべりが特徴で、記事のなかにも「・・・県連の中では(民主党の)票を増やすチャンス」と申請に踏み切ることにした。・・・」と書いてある。

09/08/08 (土) 忙中閑あり


昨晩は,久しぶりにビールを飲んだ(といっても缶ビール一本だけだけどね)。
女性二人が私の事務所を訪れたので、冷蔵庫を開けながら「ビールでも飲みませんか」と誘ったのだけれども、「私たちクルマなので珈琲をいただきます」という答えが返ってきた.。そこで、「では、私だけビールを飲みます」となったわけだ。
昔は、なににつけかににつけビールを飲んでいた。
隔世の感がある。

 09/08/07 (金) きょうは戦没者追悼式


今期の私の議員生活は、前期までとは随分違ったものになってきている。交友関係が拡がり情報量が格段に多くなった。


昨日の午後は、福井県教育センターで開かれた「教育政策懇談会」に出席した。勿論、私はあわら市の議員だけれども、他の自治体の状況を知ることは、ある意味で必須だ。なかなか時間がとれないが、「議会報告」にきょうの内容を書き込むことも私の義務だろう。


「教育政策懇談会」終了のあとは、ハートピア春江へ。糸川正晃氏の国政報告会が開かれた為である。糸川氏は、民主党・マニフェストの解説をした。そして、最後に、国民新党から民主党へ移った経緯を説明した。
この逸材を福井二区から是が非でも国政の場に送り出さねばならない、と私は思った。


きょうの午後は「あわら市戦没者追悼式」に出席した。
要職にある人たちの式辞・追悼の辞を聞きながら、私は昨年の10月に86歳で他界した父親(おやじ)のことを考えていた。
父親(おやじ)はフィリピン戦線に従軍し、捕虜となり、敗戦後帰還した。私は、父親(おやじ)が従軍中数々の武勇伝があったことを他の人から聞いた。しかし息子の私に戦争体験を語ったのは一回きり、それも一言だけだった。
ここに、言葉の本質があるような気がする。
我々が自分の体験を他者に伝える場合、ベッセルとしての言葉は不可欠だ。しかし、深い体験を言葉に出そうとすると逡巡する。言語能力云々ではなく、深く沈殿している意識が、言葉にすることによって拡散してしまうことを恐れるからだ。
言葉の発露で相手に思いや体験を伝えるのと同時に、沈黙によって意識の拡散を塞ぐということも、言葉の力だと思う。

09/08/06 (木) 無題


昨日の午前、民主党代表の鳩山由紀夫氏が来福。坂井市・いねすの「緑の広場」で壇上に上がった。演説の内容は今朝の各朝刊に出ている通りです。





広島に原爆が投下されてからきょうで64年が経過した。
戦後生まれの私は、原爆投下による地獄絵図を本で知るしかなかったが、数年前の文芸春秋で、何がなんでも終戦までに原爆を投下せねば、というファナテイックなグループが米軍をつき動かしたことを知り、悪魔は架空世界ではなくて現実の世界に人間の貌をして存在すると思ったものである。
30年ほど前、福井県立美術館で丸木位里さんの原爆絵展が開かれ、館の地下で原爆に関するシンポジウムが開かれた。私はそのシンポジウムの司会を担当したので、その時の白熱した論議をよく覚えている。もっと言うならば、その時が私の中での原爆認識に関するエポックとなった。

 09/08/05 (水) 深夜に無糖缶珈琲を飲みながら


昨日は、厚生経済常任委員会の管内視察だった。行ったところは次の通りだが、沢山の写真を撮ったので、後日、「議会報告」に載せたいと思います。


管内視察終了後、植松恵美子参議院議員をJR芦原温泉駅で見送った。
公務みたいなものだから、女性読者は嫉妬しないでいただきたい。






さて
本日は民主党代表の鳩山由紀夫氏が来福します
お誘いあわせの上、ぜひ御参集ください。

 09/08/04 (火) きょうは管内視察


どうやら私は病(やまい)にかかってしまったようだ。北潟病という病(やまい)にかかってしまったようだ。この病(やまい)は一日でも北潟湖を見ないと心が暗くなるという病気だ。
というわけで
きょうも夜明けとともに北潟湖畔へ車を走らせた。湖畔を歩いていると足元に潜んでいたアカテガニが私をにらみつけてきた。この時期は蟹の活動期である。





私をにらむこの蟹がとてもいとおしくなった。
お湯割り焼酎の好物つまみ・NO1が「蟹のカラアゲ」の私だが、この時ばかりはこの小さな水辺の生物に愛情を感じた。生命の賛歌をみた。



さて
明日は民主党代表の鳩山由紀夫氏が来福します
お誘いあわせの上、御参集ください。

09/08/03 (月) 消防訓練


昨日の早朝は、嶺北消防組合・消防総合訓練が開かれた。
火事は勿論だが、水害や地震などの有事の際になくてはならないのが消防署。





有事はないほうがいい。しかし、「ない」という保証をだれもできない。その意味で消防組合は、縁の下の力持ちである。


昨日の午後は、時間の合間を縫ってトリムパーク金津へ行った。
金津中学校サマーコンサートが開かれた為だが、30分間程いることができた。私自身は独唱は好きだけれども合唱は苦手だ。けれども、セーラー服の女生徒たちがかなでるハーモニーは聴いていて初々しい。
なんていうのか、「人生、今からよ」というメッセージを感じさせる。




きょうの午前中は何故か金津東地区を歩いていた。
見上げれば夏の雲が浮かんでいる。日差しは強烈だ。気象庁がどういおうが、梅雨はあけたのだ。額や首筋がすぐに汗ばんでくる。ハンケチで額をぬぐいながら私は歩き続けた。


はつなつの ゆふべひたひを光らせて 
          保険屋が遠き 死を売りにくる  



と歌った塚本邦雄もすでに冥界へと旅たっている。

09/08/02 (日) 本日は日曜日


久保田万太郎の句に
湯豆腐や いのちのはての うすあかり   がある。


昔から俳句に縁のない生活を送ってきた私だけれども、その私でも人生経験を積むにつれてこの句の持つ哀愁がわかるようになってきた。特にここ数日この句が気になっている。


傍目に幸せそうな人生であっても内面には必ず悲しみが宿っており、傍目に悲惨な人生でも内面のどこかには必ず幸せな思いが存在する。そして、対極のその思いは顕在潜在の関係だ。表情を顕在とするならば胃の淵が潜在で、両者は循環する。循環のリズムに差があるのは当然だが、循環そのものは人間の持つ普遍性だろう。


うすあかりという言葉に久保田はそれらを込めた、と私は思うのである。


09/08/01 (土) きょうから8月


7月最終日の昨日はてんてこ舞いの一日だった。その合間をぬって金津中学校へ出かけた時、今が夏休みであることに初めて気がついた。

はるか昔には私にも夏休みというものがあり、蝉採りや蛇捕りや蜻蛉捕りや海水浴を楽しんだ。その日々がなつかしく思い出される。


そして、今が時間との戦いの日々であることに、ややもする心の乾きを感じる時がある。


ということで
早朝に北潟湖へ行った。軽いジョッギングの最中に雨が降り始めた。雨に煙る北潟湖も又風情がある。




雨に濡れながら、私は倍賞千恵子の「城ヶ島の雨」を口ずさんでいた。



民主党代表の鳩山由紀夫氏が来福します
お誘いあわせの上、御参集ください。